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タイトルの通りです。工業高校の見学に行き、2校目でソウは「この高校に入りたい!」と彼の学力では無理だと思いましたが、猛勉強して合格。3年間しっかり勉強して、成績も良く、希望する企業に、一般で入社しました。我が家は就職より3ヶ月で独り暮らしをするという決まりを作っていたので、ソウは料理もするようになり、就職より3ヶ月で独り暮らしを始めました。高校にはソウの障害の事は話していましたが、就職先には話さずと学校と相談。独り暮らしの手配はほぼソウ自身で済ませ、本人は自信を手に入れました。ソウは自分でお給料のやりくりをして、私はたまにご飯に連れて行ったり、冷凍おかずを差し入れたりするだけとなりました。色々諦めないで良かったなぁ、夢みたいだなぁと今はとても幸せな気持ちでいます。
2024.04.18
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最後に書いてから、もう何年も経過。 ソウは中学生になり、今は高校生です。 私は色々あって、20年来の親友と再婚しました。 「あなたの子供は産めない、子供が最優先だけどそれでもいい?」 それが条件でした。 主人の家族も元々私の存在は昔から知っていて ありがたいことに全く反対はありませんでした。 きっと心の中で葛藤はあったと思います。 ソウの障害をなんとか理解しようと質問も素直にしてくれました。 主人の両親は、ソウとネネを実の孫と変わらず大事にしてくれ、主人の姉も良くしてくれています。 お義母さんとは結婚前から2人で観劇に行ったりしました。 小さい頃家が全焼し、ギスギスした家族。 結婚してソウの事も含めて色々あった中で、私はその時、今が1番幸せだと思いながらそれが怖かったものです。 ソウはイジメもなく中学生を終え、 現在は、府内では工業高校では良い方の学校に通っています。 これを読んでいるお母さん、お父さん、そしてその家族の方がいたら言いたい。 無理のない努力なら、した方がいい。 調べて、試して、失敗それも経験。 その子その子に合ったやり方がある。 大人が考えて。親が考えて、そして動いて。 絶望して死のうとした、ソウが障害だと診断されたあの時の私を 今の私は抱きしめたいと思います。 あなたはまちがってないよ
2021.05.26
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本日二件目。 書けるときに… ソウが小学校に入ってから、ソウのお父さんは自分の世界に入っていきました。 風俗に行ったり、浮気もあったみたいです。 詮索しなくてもわかるよ。 おかしな行動続くとね。 家では子供らとは関わらず、でも学校や地域行事には行く。めちゃいいお父さんしてる。 子供は訳がわからない。 なんでやねん⁉️ 私はパート先で正規職員になり、離婚する事にしました。 険悪過ぎる家庭。 「お母さん、もう別れたら?」 当時小学校5年のソウの姉ちゃんネネが言った言葉です。 ソウも私と行くと言ったので、転校です。 ネネがそのままの学校はイヤだって。 親のせいで… 悩んでました。 新しい環境は皆んなストレス。 ソウは本当に大変です。 でも泣いて私を庇うソウ。 常にお父さんが私に色々言うと庇おうとします。 お姉ちゃんは荒れるし。 限界でした。 決めてからは物理的に時間的に大変だった。 そして3人の生活になりました。 お金もそうないので、今までとは比べものにならないくらい不便な古いマンションだったけど、皆んな笑顔になったね。 (母子の公的なお金は自身の勝手と思い、一切申請しなかったのです…) 2隣の大阪の某地方都市。 小学校は支援の必要がある子供に対して 京都と全く違ったけど、私達には大阪が合っていた。 公に面倒を終生みてもらえないソウ。 自立が求められます。 大阪は、地域の小学校にいる児童や保護者に対して、良しも悪しも【特別感】はありません。 それが私達親子には最適でした。 PTA役員も普通級です。 担任は新卒の先生。 可愛らしいお兄ちゃん先生でした。
2017.02.06
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本当に長い間放置したブログ。 あれから、6年経ちました。 小学校は支援級に。 ソウの父親は仕事に逃げ、子供達と関わらないようになって行きました。 子供達からの信頼は全く無くなり、私は1人奔走してました。 結局離婚し、私は1人子供らを連れ転居しました。 転居先は【京都⇨大阪】 それがソウ小学校3年の学年末でした。 当時、国語と算数は支援級にそれ以外は支援級。 京都は支援級から普通級へ通うスタイルです。 やっぱりお客様。 学校のPTA役員も支援級で受けました。 大阪は普通級から支援級へ通うスタイル。 ソウは小学校に入ってからも、自身の頑張りと周りの援助、そして私とあの子のお姉ちゃんのフォローで、伸び続けました。 小児神経科の医師ですら驚く程発達しました。 普通の子では今でもないけど。 ソウは、先生の勧めもあり5年から普通級のみに行き、6年から籍も普通級になりました。 ソウが頑張れた理由。 それは『ずっと普通級の皆んなといたいから』 大阪では普通級から支援級に通います。 皆んなはクラスにずっといるのに僕だけ… それがソウには寂しかったのです。 私は、学校の事は先生にお任せして、 先生が困った時には親が協力させて頂く。 文句なんてとんでもない❗️と思う親です。 自閉の根本は決して消えません。 クラスの悪いコからプチイジメがありました。 それはやはり弱いソウに降りかかります。 それを伝えてくれる先生に感謝しています。 だって気付いてくれたのです。 当事者に話を聞いて、双方と話し、両者も交えて話す。 忙しい先生の生活を考えるとありがたい。 来年ソウは中学生になります。 イジメのような事があるかもしれない。 その可能性は否定出来ない。 はっきり言ってくれた先生。 私にはありがたかった。 だって、本当の事だもん。 臭いものには蓋出来ない。 子供の事だもん。
2017.02.06
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今日もソウは保育園。昨日も今日も加配のH先生はお休み。ちょっと寂しいソウなのです。朝8時半に出る予定でしたが、療育施設で同じクラスのママ友達に聞きたいことがあったので電話就学相談に伴い、書類が配布されているとの情報を聞きつけ、催促して保育園からもらったものの、それが別の幼稚園に通うYちゃん(男の子)ママが頂いた物か聞くためです。お互いの就学相談の報告をしていたら9時前。急いで出発夏休みだけ学童のお姉ちゃんと保育園の駐車場で別れ(小学校と保育園は隣)健康状態やお迎え時間を書く紙に記入しようとすると空欄多くない4時半に仕事から戻り、ソウのお迎えに行くと園庭に園児の姿なし雷が鳴っていたので園舎にいるんでしょう。2階のソウのクラスに行くと5人しかいないじゃん!!盆前だから、30人のクラスが元々半数近くがお休み。病欠の子もいるし。若い男の先生とともに、静か~に粘土にいそしむ子供。寂しいね。明日は2日遅れの誕生日アイスケーキを取りに行くし、大好きな加配の先生が来るので、とっても楽しみなソウでした。
2010.08.10
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ソウは今日6歳になりました。お祝いは、ソウの希望で自転車楽天で送料込みで¥20,000位のを買いました。(奮発したよ~)まだ到着してないけど・・・食事は昨日、これまたソウの希望で【スシロー】に。この1年で、大体言いたいことが言える様になり、何が食べたいのか聞くと、答えられるようになりました。その声はちょっとでかいですが・・・イントネーションもおかしいですが・・・きちんと座って箸を使って食べられるようになったソウ。じっとしていられなかった3歳の頃が嘘のようです。ケーキは、それまたソウの希望で、31のアイスケーキ今日行ったら欲しいのが無くて、予約してついでにお姉ちゃんと3人でアイスを食べて帰宅。欲しいのがなくても、いつ来るのか伝えると待てるようになったんだね。今日も私は仕事だったので、ソウは保育園に行っていました。休日は保育園が無いのでご立腹になるほど、保育園が大好きなソウ。今日は加配の先生がご用でお休みだったけど、前もって伝えていたので、問題なく過ごしていたよう。先生手作りの厚紙と色紙で作った王冠を被り、みんなにお祝いしてもらって、インタビューもきちんと答え、質問するお友達の声が小さいと『聞こえないよ~』と催促してたらしく、嬉しいご報告を先生にして頂きました。ただね、≪大きくなったら何になりたいですか?≫という、お友達の質問に(パトカー)車になるんですかおまわりさんになりたいらしい・・・先月まではコックさんを1年以上希望していたのですが・・・私が最近≪相棒≫をDVDで見てたせいですか??『ソウ、おまわりさんになりたいんだよね?』って何回も言うと、間違って言ってることだけはわかってるので子供部屋に逃亡して行きましたこどもちゃれんじの当歳当月号はこなせるのに、質問にちゃんと答えられない。自閉らしい自閉だよね。まぁそれはわかってる。【お腹が空きました。どうしますか?】【雨が降りました。どうしますか?】これには答えられないんです。『お腹すいた~。ご飯食べたい』『雨降ってる~。傘~』その場面に出くわすとそぐうことを話すのに、上記の質問は答えられない。確かに自閉です。わかりやすい~。でも、ソウが好きだよ。6年間ご苦労さん。私は疲れると『ソウ抱っこしてよ』というとめんどくさがりながらも抱きしめにきてくれます。今日もご苦労さん。そして、明日もよろしく。お誕生日おめでとうね。
2010.08.09
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お久しぶりです・・・先月からついにパートを始めました。就学相談の時期に平成16年4月~平成17年3月生まれのこのカテのママさん達は就学相談ですよね。もちろん、うちもそうです。通級の先生による発達検査も終わり、先日面談がありました。以前お話したとおり療育施設の先生は信頼できず、面談参加はお断りをし、ソウの保育園の加配の先生、地元小学校の支援級の先生、近隣の通級の先生(地元に通級が無いため)主人も参加し、計5人で話をしました。また改めてお話したいと思いますが、少し前発達検査が近隣の通級の先生によって行われ、終了後、生育に関して話をしました。その時、『お母さん、ここまでよく頑張られましたね。』その言葉に涙しまくりましたこれまでのソウに対する取組みや、自閉や発達障害に関して調べたこと、支援学校を地元の他も見学しに行った事など、とても褒めてもらえ、なんだかご褒美をもらえたような気がしました。その先生が司会進行をされるという形で相談会は進められました。加配の先生には、正直に園のことやソウのことを話して欲しいと伝えていたので、いいことも良くないことも正直に話してくださいました。私たち夫婦が望むのは【ソウが発達していく為に一番いい環境はどこなのか?】それを知ることなんです。その為には、あるがままを正直に話し、どこが【適】(死語になっていますが)なのか。私たちは生育に関してを話し、家庭での様子を話しました。園に関しては、加配の先生にお任せし、通級と支援級の先生には『学校は集団生活の場なので、加配の先生からのお話を重要視してください』と伝えました。時には笑いの起こる和やかな、真剣な充実した相談会でした。お話していく中、折れ線型自閉症のソウの発達速度は、自閉症の子供としては驚く速さで進んでいることをまた言われました。療育施設でも言われて、先月行った発達支援センターでも言われたので、ソウは頑張ってるんだなと思いました。お母さんも一緒に頑張るね。
2010.08.09
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昨日は療育でした。年長なので一昨日に就学相談の紙を出し、保育園はお休み。昨日は、 【個別OT→ST→OT】ソウのOT上の課題は、体のバランス・指や手の力不足N先生は、産休明けで復帰した後もとても熱心に接してくれます。1.大きなブランコ2.小さなプールに小豆を入れて遊ぶこの2つをしました。その後、ST。昨日も荒れてた・・・母子別室なので、観察室からマジックミラーで見ていたのですが、明らかに去年と違う・・・先生の態度が違う・・・去年は、誰かが場にそぐわない態度を取ると注意が入っていたのですが、今年はよほどのことがない限り放任(・・に私には見えてしまう・・)何故だ!↑全部の感情が入ってます・・・興奮して大きな声でしゃべるソウ。去年なら注意してたよね?なんで注意しないんだぁ~~。なんで先生は笑ってるんだぁ~~団体のOT終わった後、先生にききましたよ。「お友達に負けまいと大きな声になっているだけで、 話している内容も、してることに離れてるわけではないので大丈夫ですよ」だぁ かぁ らぁ、放置していいのか??違うんじゃないかい??ソウの担当のN先生は、今年度から担当に戻ってきたからまだわかる。去年も一緒やった他の先生も放置してるのがわからんのです。皆さんの税金使って来させてもらってて、こんなのんびり遊んでてええんやろうか?終わったら家でゆっくりするから、ここでは勉強させてくれ。団体生活はなんたるかを専門家の立場から教えてくれ。就学や他の話も全く療育施設では話にならず、結局お友達ママからの情報だけでやっていっています。最初は私だけが感じているのかと思っていましたが、去年からクラスが同じママ二人も同じように感じていることが判明。やっぱ気のせいじゃなかった・・・正直行くのが気が重い・・・保育園の加配の先生は、ソウが苦手な部分や困るであろう部分を考えどうすればいいのかとてもよく考えてくださってます。保育園休んで行く意味あるのかな・・・
2010.05.08
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年長になったソウ。週1回の療育で、クラス替えがありました。去年度は、STが2クラスで、OTは合同でしたが、本年度はST、OTとも1クラス。STで一緒だった3人と、新しく3人一緒になってました。1回目の療育は、私が骨折した当日だったので欠席。「すごいことになってたよ・・・」STで一緒だった2人のママから 謎のメールどうやら大きなブランコの支柱にみんながよじ登り、療育が中断されまくりだったそうで。2回目(私は初参加)の療育に4月中旬、初めて行きました。STは分離で、OTは母子一緒。なんと、1人を除いてソウと同じ保育園の同じクラスの面子足を骨折しているので、観察室で・・・と言われ、OTが始まりました。私がいないのをいいことに、ソウはOTをまじめにしてませんゴルァァ!!途中でOTのお部屋へ入室「ソウ! ちゃんとしないとアカンやろ!」ソウは「やばい・・・怒られてる~~」って表情で、ちゃんとOTをやり始めました。お子さんの病気で別の先生に代わり、今年度から久しぶりに今の先生になったんだけど、先生ソウに色々言わないんだもん。OT終了後、「お母さん、ソウ君 こちらの言うことがちゃんと伝わるようになったんですね。 座ってOTしてますし、自分の意見も言えるなんて すごい成長しましたね 言葉ちゃんと伝わってますよ。」あ~、そうだった。先生の知ってるソウは、●話し言葉が伝わらず、こちらが単語と身振りで伝える。●自己主張なし。あくまで受身。 たまに気に入らないとひたすら泣く。●多動絶好調私がそのことを忘れてました。騒がしいOTで、お友達の1人がつらそうでした。先週は調整週でお休み。明後日が療育です。OTについて先生にお話しなきゃ。きちんとOTするようにソウに言ってもらいます。ソウにも言っておかなきゃ。
2010.05.05
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知的伴う自閉症児5歳のソウ。土曜から2泊で実家に帰省していました。現在私が骨折中(右手小指・右足首)なので、どこにも行けず・・・主人はなぜか私の実家がお気に入りなので(私の父と話すのが楽しいらしい)彼が行きたがり、付いていくに近い感じでお出かけ。小2のお姉ちゃんとソウは、お隣のソウと同じ年の双子と遊びます。ちょっとだけ発達遅めちゃんの双子ですが、ソウと比べると、ちょっっっっとです遊びに誘われても、ソウはダントツで一抜けた~大好きなDSをしに帰ってきてしまう・・・気が向いたら、またお外へ外交的な双子の兄、内向的な弟。一卵性でも全く性格は違う2人。何か起きないと呼びに来ない兄。何も無いのにやたらやってくる弟。気配なく戸を開けて こっそりこちらを伺っている去年の冬が始まった頃に急に会話ができるようになったソウ。助詞やら副詞を間違いまくりながらも一生懸命。生意気に文句タラタラ。でもイントネーションおかしいよ。一度、双子の弟とケンカになったらしく、プリプリ怒りながら帰ってきました。お互い頑固だからね~。まぁ、ケンカできるようになっただけでヨシ
2010.05.05
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ソウは3月一杯で卒園して、保育園へ転園しました。たまたま療育手帳の交付に伴う関係で、市役所に行った時の事です。「子育て支援科にも行って頂けますか?」そう言われ、支援科窓口で係りの人に話して待っていたとき「えー、昨年からお待ちいただいている次年長の男の子のお子さんです。 はい、療育施設に通われている・・・」( ・◇・)?(・◇・ )その人は、ソウがお願いしている保育園の担当係。資料をペラペラめくりながら話しています。そこに主人の名前・・・やっぱ、うちのことだ。どうやら一旦断られたのを再度お願いしている様子。別の用件で半月ほど前に子育て支援科に行った時、すごいご立腹で、全く不条理な申し立てをしている40台半ばの夫婦を見ました。保育園の事で話してたみたいなんですが、正直驚く内容でした。でかい声で話し続けているんで、つい聞こえてしまって・・・急に住宅が増えた地域なので、諦めてたのもあって頑張ってくれているその人に申し訳ないなって思いました。「Kさん、お電話聞こえてしまいました。 幼稚園でまだ見てもらえるみたいですから、無理なさらないでください。 色々ありがとうございました。」と声をかけると、「ちょっと待ってください」って、課長さんのところへ。『声かけないほうが良かったのかな・・・』「もう少ししたら、結果を報告させていただきますので」それだけお話してくれました。そして1週間後、ソウは保育園に転園できることになりました。2/27の事でした。
2010.04.29
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4月から保育園に転園した年長のソウ。まだ幼稚園の年中さんだった1/22、自転車で7.8分の児童相談所で療育手帳の試験をしました。ソウは別室でK式の発達検査をし、私は現在までのソウの経緯を話しました。落ち着いて検査をしていたらしいソウ。見知らぬ場所や人に対しての嫌悪はないし、何かしているほうが落ち着いていられるしね。認知・適応 58言語・社会 80全領域 715歳5ヶ月で、3歳10ヶ月だから、1年半近く遅れています。特児の検査が1年半ほど前にあって、それもK式でしたがその時から健常児との遅れが変わってないように思います。旦那が「あいつ、毎日がんばってるんやな」そうです。だいぶ頑張ってたんだね。お疲れ様ソウは話すことが一番苦手。ちょうどこの発達検査を受けた頃を境に、よくしゃべるようになり、不完全ながらも副詞や助詞を使って話せるようになって来ました。子供さんの病気で、療育の先生が1年以上別の先生に代わっていました。4月になってその先生に戻ったのですが、上記の数値を見せると「手帳よく取れましたね」と言われました。その先生がまだソウの担当だった頃、言葉の指示がよくわからず、療育中は身振りと単語で説明していたことを思い出しました。大人しくわかる指示に従い、つらくなると泣くしかなかったソウ。単語しか話せず、2語がやっとだったよね。今は自分の思いや感じたことを伝えるようになってきました。成長したね。この間、主人と話していたのですが「ソウの障害がわかった頃、会話できるようになるなんて思わなかった。 夢見たいやな~」としみじみ話していました。そういった思いを色々わかってくれる家族以外の人に出会えてありがたいな・・・って思います。ちなみにソウに 療育手帳は降りました。B2の手帳です。
2010.04.29
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お休みしている間に年長になりました。そして、ソウは 幼稚園児 → 保育園児 小学校の隣にある保育園の待機となり一年。年度が替わるので再度市役所へ申請。当時通っていた幼稚園からは、年長に上がれるとは聞いていたので保育園が今年無理なら待機申請せず、幼稚園に通い続ける!と決めてました。年度末も見えた2月下旬。もう連絡ないんだから・・・と諦めていたところに連絡が来ました。3クラスの幼稚園から、1クラスの保育園。知ってるのは、療育で一緒のクラスの男の子1人。なじめるのかな・・・・泣き泣きになるんじゃないのかな・・・NO PROBLEM親が心配しまくる時程、問題なしっぶるあっさり保育園の子として生活してます。そして、就学相談の季節がやってきました。先日用紙を受け取り、GW明けに提出です。2歳上のお姉ちゃんの時は、(検診来てね~)で終わってた。ソウはこれから色々考えて、情報を更に仕入れてやっていきます。ソウの楽しみ DS命
2010.04.28
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幼稚園2年目の年中になったソウ。ウロウロとしていた入園時とは変わって、それなりに落ち着いた園生活を送っているようです。お姉ちゃんが卒園し、一人でバスに乗ることになったものの、赤ちゃんの頃からちょくちょく園に行っているので大丈夫みたい。ただ、バスが3回目さんから2回目さんに変わり、面子も殆ど変わって、集合場所も時間も変わったので、慣れるまではパニックになって泣いてたようですが・・・年中になって、3ヶ月。1学年が3クラスあるので、クラス替えで3分の2は知らない子になりました。年中になって、やっと3語以上を話し出したソウ。視覚優位なので、ひらがなカタカナはパーフェクトに読むのに話すのはなかなかで、聞き取るのもかなり困難です。指示も2つ以上はなかなかできない・・・でも、落ち着いた思いやりのあるクラスなので、ソウに対して、クラスのみんなはよく世話を焼いてくれます。パニックになって泣いたときの対処も【先生に報告】→【そっと見守る】あんた達、すごいじゃん!!そんな、ソウ。ちょっと≪お友達と遊ぶ≫ということを覚えました。【誘われる】→【一緒に遊ぶ】→【気づいたら一人で遊んでいる】→【部屋に戻って本を読む】そんな感じで、やっぱりみんなと共感して遊ぶというのは難しいようですが、大きな進歩でした。そして、それでOKと思ってくれるお友達。あんた達、大人だね!!ただ、困ることもあるわけで。体をぶつけたり、すったりしただけで(血は出てないのに)『ばんそうこう!!』『光とともに』で、光君も同じことしてたね~。しかも、アンパンマンの絆創膏限定・・・怪我をしたとき、先生にアンパンマンの顔を書いてもらった絆創膏をしてもらったことが刷り込まれたみたい。う~ん、自閉症の特徴がある点が消えたら、違う点が出てくるねww(現在、園では怪我をしたときだけ、そうしてもらってます)(血が出てないときは『ソウくん、血が出てないから大丈夫だよ♪』といわれるとOKみたいです)(ソウ、あんた単純)踊りや歌、体操は好きなソウ。でも、お絵かき工作は苦手二つ以上の指示はできないので、説明後一番最初に先生に手伝ってもらうんですって。(でないと、『せんせい、てつだって~~!』といいまくって、ついには泣いちゃうから)でも、何でも一生懸命頑張ってます。『すごくね、ソウくん 頑張ってますよ♪』お姉ちゃん2年担任してくれた、ソウの担任は面談で言ってくれます。(面談だけじゃなく、療育後に送っていったときもだけどww)加配がつかない私立の幼稚園で、ソウをみんなと一緒にお世話するのは大変です。でも、ソウの対処の仕方を完全マスター先生、あんたすごい!!『泣いてても、気持ちの切り替わりも早いですから助かります。』そういわれると、母は気持ち的に助かります。そして、ソウのカタコトの日本語に付き合ってくれるお友達。ありがとね。療育終わりに昼から登園するソウを待っててくれる園児たち。『ソウくん来たよ~』『ソウくん、おはよう!』と療育終わりに昼から登園するとき声をかけてくれます。あんま反応しないソウだけど、いつもありがとね2学期は行事が多いので、変化に弱い自閉症児には大変です。先生もそのお話を面談でされてました。2学期は心してかからねば
2009.07.13
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昨年度は、ソウの幼稚園で役員をしました。当時ソウは年少。当時年長だったお姉ちゃんのクラスでの役員決めの際につらいこともありましたが、1年間、思い返すと楽しいことも沢山。先生方から「お母さんも大変なときなんですから・・・」と、私の病気のこともあり、反対されて始めた役員。出来る限りのことはやり、(出来る限り、が平役員の領域を超えるほど頑張りました)結果、色々いいことがありました。一番は、ママ友達が増えたこと。お母さんべったりな年少。お母さんがお友達なら、子供たちもソウへ余計に優しくしてくれます。会ったらしゃべるお友達ママ(買い物中に会う事も多いので)が学年全体の3分の1を超えました。みんな優しく私たちを見守ってくれました。ソウの手助けをしてくれました。ソウの通う幼稚園は、近隣でも有名な父母会が活発な園。父母会が絡む行事や負担も大きいのです。確かに忙しい1年でした。でも沢山子供たちの様子を見ることができました。子供のお友達も増えましたww(健常のお子さんと比較する機会も増えて凹みもしましたが・・・)【障害を持つ親】が役を免除してもらえるのは、お客様みたいで(私の被害妄想ですね・・・)、志願しました。主人も忙しい中協力してくれました。確かに大変な1年だったけど、役をして良かったと思います。
2009.06.30
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長年放置してました・・・。ブログよ、ごめん。ソウは相変わらず、幼稚園と週1回の療育のダブルスクールです。4月から男の子ばかりのグループになりました。(前年度は殆ど女の子でした)OT(運動)は親子でしますが、学習は子供だけ。OTを2分割して、学習グループは2つに分かれます。マジックミラーから学習を親は見ているのですが、3ヶ月経ち、お母さん同士も仲良くなりました。話をしていると、4人の子供とも(年中)ズボンは総ゴムパンツ。どうしてもホックが難しい・・・うちのソウもホックがなかなかできません。ソウは背の高い子なので、年中で110の服を着ています。4人の中のFくんは、まだソウより少し背が高いんです。100を超えてくると、途端に総ゴムのパンツはあまり見かけなくなりました。F.O Kidsは全部総ゴムなので、福袋でお世話にwwFくんのママも、F.Oはご存知。でもシンプルなナチュラル色のパンツ、F.Oになかなか無いんですよね。ストレッチばっかじゃないし・・・なんで、作ることにしました!ヘビロテなので、使用感かなりありますが綿に少し化繊の入ったストレッチ生地なので、療育の日にはピッタリです。¥300で出来たので、洗濯で回しまくり。お姉ちゃんもハンドメイドが好きです。これまたヘビロテ中(トップスは、ユニクロにバテンレース縫い付けただけですが・・・)お姉ちゃんの場合は、ハンドメイドを着ていると「私って、お母さんに愛されてる」と、思うようです。普段の自分に反省です・・・ソウに手がかかる分、小学校に入って環境順応に大変なお姉ちゃんは、フォローが回りきってません。中学校の家庭科でキュロットスカートを作ったのが、初めてのハンドメイドでした。人の倍時間がかかるのに、とんでもなく下手。「私は一生もうしません」そう思っていたけど、ハンドメイドを始めたきっかけは、ソウの障害でした。幼稚園に入園する時、視覚優位のソウがわかるように、好きなキャラで、かばんなど必要なものを一式作ったのが最初でした。次が療育用のかばん一式。そして今の細々ハンドメイドに至ります。嫌いな事でも子供の為ならできるもんなんだな~。そう思います。
2009.06.29
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私の父に、ソウが自閉症であることを話して半年以上経ちました。現在父は、障害者の労働施設で週3回パートをしています。よくしゃべるけど、不器用な父なりに孫の事を知りたい一心からです。何処よりも安い賃金で、ソウの事が無ければ働くこともなかったはずです。娘としては、嬉しいですし、ありがたいと思います。施設には、20~50代まで様々な人が働いています。父には分からないことが一杯。●早く帰りたいのに、どうして仕事を急がないのか?●仕事に応用が利かないのか?●急に癇癪を起して、休憩所から出てこなくなったのか?個々の行動を聞いて、推察できることは父に説明。理屈がわからないと気がすまないタイプなので、説明は真剣に聞いてくれます。心理療法士のような方が男女ひとりずついるようですが、先日ソウが自閉症であることを話したようです。そこで働く父の意味をやっと理解されたことでしょう。父は、昔の事故で股関節に人工骨を入れている為、障害者3級の手帳を持っています。でも、普段の生活に支障は無く、定年退職するまで建設現場で働いていました。いまでも、もっと給料の良いところでいくらでも働ける。でも、可愛い孫の事を知りたくて、今のところで働くことにしたのです。一言も口には出さないですが、それくらいは私にもわかります。お世辞にも、障害のある人たちと働くのが向いているとは言いがたい性格。口も悪いしね。それでもそんな父になついてくれる(?)人もいるらしく、それが父には嬉しいらしいです。父はそれなりにそこで働くことを楽しんでいます。。そして、一緒に働く人たちがどういうひとであるのか、(どういう個性があるのか)だったらどうして接すればいいのか、それを聞いていいのか、また誰に聞けばいいのか、それを悩んでいます。(施設でお働きの親御さんが読まれたら、お教えいただけると助かります)これからソウがどう発達していくのかわかりませんが、お世話になる日が来るでしょう。その日の為に、娘の私への最大のプレゼントです。お父さん、本当にありがとう。
2009.01.07
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年末、じいさんの7回忌がありました。うちの家族は遠いのもあって、前日から泊り込みで参加しました。従兄弟の娘ちゃんたち(年長・2歳児)も来ていたのですが、あまりしゃべれない自閉症4歳のソウも、お姉ちゃんと、ハトコにあたる年長のRちゃんと遊んでいました。(2歳になるかならないかのAちゃんは、自分のじいちゃんと遊ぶ)幼稚園の力はいや、先生の力かな。従兄弟の娘Rちゃんは、公立の幼稚園(共働きじゃなくても入れるようです)の年長さん。一クラスしかない園で、同じ学年に女の子が4人しかいないようです。女3人でつるまれ、彼女は仲の良い女の子のお友達がいません。なかなかのしっかりもののRちゃんはそれに耐え、もう今では男の子と遊んでいるとの事。Rちゃんの祖母は、私の母の姉。小さい時からよくしてもらいました。Rちゃんのママは持病があるので、伯母はよくRちゃんを預かったり、幼稚園に迎えに行ったりしています。女の子たちやママたちから避けられる自分の孫を 切ない思いで見ていたそうです。その孫が、楽しそうに同じ年のうちの娘と遊んでいる。そして、障害のあるソウとも楽しく遊んでいる。伯母にとって、それは何より嬉しい事で、同時に母として悩んでいたRちゃんのママも嬉しい事だったようです。そして私にも嬉しいことでした。法事には親戚も来ていましたが、その中に母の従兄弟も来ていました。その人は遅くに結婚したので、うちの娘と同じ年長と、2つ上のお姉ちゃんがいます。お姉ちゃんの方が、『色々と出来ないことが多いし、下の子ができることも出来んことがある…』と、こっそり話していました。(お話を聞く限り、障害と呼べるものではないようですが)親をしていると、色々悩みが尽きないものですね。法事に関してですが、すごく心配をしていた私。読経が始まりましたが、ソウもお姉ちゃんの隣に座って手を合わせていました。子供たちは仏教系の幼稚園なので、手を合わせることに慣れているんですね。10分程たったら読経の途中でしたが、Rちゃんとうちの子供たちは退席させました。流石に暇で仕方がないみたいだったのでww大人がいない中、子供たちは仲良くなるのにちょうど良かった♪
2009.01.07
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今から半年以上前の日記です。下書きして置いてあったので、記録として残します。ソウは4歳3ヶ月の幼稚園児です。幼稚園は、3クラス各20人強で 担任は2人です。4月に入園した時、多動も少し落ち着いてきて オムツな以外はあまり手がかからなかったみたい。人に執着しないから、お母さんがいないから不安で泣くこともない。みんなどうしたらいいのかわからず、年少児は春は毎年大騒ぎだった。GW明けくらいから、みんな幼稚園に慣れ落ち着いてきた。年少児は落ち着いてきた。当時、殆ど話さず、トイレトレもできず、言葉の理解も今以上に乏しかったソウ。みんなが落ち着いてきても、入園当時からソウはあまり変わらない。音に対しては過敏な所もないし、お姉ちゃんの行事や前の1年間の未就園クラスで園は出向いていたので元々園自体には慣れていたから。私はまだまだ不安だけで、自分の心の整理がつかずどうする事がソウにいいのか、それ以前にどう接していいのかある日突然変わるソウの行動に戸惑うばかりだった。人に関心が今以上に薄かったソウ。ソウと向き合うのが怖かったのかもしれない。そんな中で、ソウは先生を好きになっていった。療育の先生に最近言われた。『ソウ君はお母さんをすごく頼りにしているんですね。 本当にお母さんが大好きなんですね。』そうだ、団体療育を始めて分かった。この子は私の事が大好きなんだ。この頃すごい笑顔でやってくる。本当に嬉しくて仕方が無い私・・・ソウは 1歳半前後に、急激に私に対して興味をなくした。目も合わせない、寄っても来ない。典型的な折れ線。当時私は重度の鬱で、体が動かないような状態だった。私よりおねえちゃんを頼りにしていた。そんなソウが 再び私に興味を出すようになってしばらくして入園した。そして、今や私の前で先生に甘えて抱きつきに行っている。先生に聞かれ、ソウのタイミングを話した。それをきちんと実践してくれている。そんな中で、ソウは先生が大好きになった。立ってオシッコをする事を教えてくれたのも先生だった。運動会でゴールに先生がいたから、頑張って走りきれたのだろう。ソウを見守り、愛情をかけてくれる先生に安心した。PTAの役員をしている私は、幼稚園へよく出向いた。ソウの姿を毎回見た。みんなが座って工作やお絵かきにいそしんでいる中、床に寝転がっているわが子。そんなソウをタイミングを見計らって、もう1回誘ってくれるのだ。無理強いはさせない。誘い方も様子を見て色々工夫してくれている。今、私はソウにどう接する事がいいのか分かってきた。えらく時間がかかったな~。先生には感謝の気持ちで一杯です。でも、来年からは担任は1人。団体での声かけでは、ソウが動けない場合がある。現在の年中は、先生の力量不足で無法地帯と化している。あれと同じ状態にソウが入って何が出来るのだろう・・・・健常児ですら、後退している。保育園の転園を考え出した。加配が付く可能性が高い。フォローを入れてもらえる事が、どれだけソウの発達に良いか。保育園に入園できるのか、市内の幼稚園や保育園が統廃合されていっている現実の中では入園する事も不可能かもしれない。ひらがなやカタカナが殆ど読めるソウは、カルタの遊びには参加しているらしい。他は1人で遊びたいんです。そうやって彼の興味を引き出してくれているのも先生なんだ。こんないい先生と離れてしまうのか。保育園に願書を出す準備を着々と進めながら、寂しい気持ちで一杯です。
2008.11.21
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昨日は、週に一度の療育でした。ここ最近、2週に一度の個別心理は好調なソウ。視覚優位な自閉っ子らしく、ワーク系は好きです。身辺自立に重点を置いているので、そういうのもあるみたいです。でも先月から始まった≪団体行動療法≫は・・・・以前も書きましたが、すごく嫌がります心理の先生も 行動療法に付いていてくれるのですが、団体が始まって以来、ソウが徐々に先生を避けていっているのがわかります。でも、昨日はどうしたのか、ソウは徐々にやる気になっていきました。中盤からは笑顔でやってるし・・・≪やりたくないって思ったら、もう無理せんでええわ!≫と私が開き直っていた(?)のが良かったのか?慣れてきて、やる事がわかってるからなのか?周りに慣れてきたのか?相変わらず、私にも分からない事が多いソウですが、あの笑顔を見ると、楽しかった事は間違いなく、慣れる為と思い 行動療育時の運動しながら歌う歌を私が歌ったら、すごい勢いで嫌がっていたのに昨日は帰宅後 自分で唄ってました。最近のソウは、共感を求めたり 褒められる事に喜びを感じるようになったようで、何かすると よく私に伝えてきます。『ね~、お母さん』『トイレできた~』『これ、な~んだ』(指差し個所がずれてる時があるので、私がわからない事も多々あります…)言い方はやっぱり独特なものがあるし、家族限定らしいんだけど知的障害を伴う自閉症の彼には大きな成長です。何よりその笑顔が嬉しいです。やっぱお姉ちゃんの影響は絶大です。私がしてみて促してもしなくても、お姉ちゃんがするとすることも多いし、お姉ちゃんを見て真似してできるようになることも多いです。私を見て、勝手に覚えたんでしょうが年長にして、なんと素晴らしい指導者なんだろうと感心する事しきりです。逆に『こう接したらいいのか』と私が感心する事や気付かされることがあります。ソウがいる事で、これからお姉ちゃんの人生は周りのお友達と比べると前途多難です。色々心無い事を言われる事も 何度も遭遇するに違いない。責任を周りの大人から求められるような事を言われるだろう。『ソウがいなければ この子は楽な人生を送れたのに・・』と思ってしまう事があります。ソウの障害の事は 自分の中で整理が付いてきたのですがお姉ちゃんの事を考えると 心が平坦ではいられません。ソウは私にとってかけがえの無い大事な息子なのに、一方でそんなひどい事を考えてしまう自分がいます。お姉ちゃんと同じクラスに、発達障害の男の子がいます。今年度に入って その子のお母さんから聞いて初めて知りました。障害が軽いので、小学校は普通クラスで。と言われたそうですが、お母さんは『やっていけるのか不安が大きい…』と言っていました。『お姉ちゃんがいるから、いいわね』一人っ子のお母さんである彼女にその時言われました。彼女がどういう意味で言ったのかはわからないのですが、私は正直、複雑でした。『ソウには良かったのかもしれない。でもお姉ちゃんにとってはどうなんだろう・・・』お姉ちゃんに幸大きい人生を。ソウに喜び多い人生を。それぞれに願っています。
2008.11.21
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今日は週に一度の療育でした。年長のお姉ちゃんを幼稚園に送って、それからソウと2人で出発です。先週、ソウは療育施設に行くのを嫌がりました。施設の写真を見せても『イヤ~!!』何度か写真を見せて『行こうね』と呼びかけると、靴を履きに玄関へ向かいました。ソウは4月から療育施設に通うようになりました。心理療法も行動療法もずっと個別。10月から行動療法が団体になりました。個別の行動療法(運動)は月に一度です。6人ぐらいで、各児童の心理の先生とお母さん(お父さんの場合もあります)と一緒に行います。手遊びやお母さんと一緒に行う運動など、毎回同じようなプログラムで行うのですが、ソウはそれが苦手です。幼稚園ではそれなりに皆と一緒に踊る様になってきましたが、ここではイヤなようです。慣れるのに時間がかかります。苦手な事を求められたりされると、片手で自分の目を隠します。『しようか。』と言っても、『イヤ~』という状態で、無理強いしようとすると不安定に・・・私は 本人にそこまで無理してまでもして欲しいという気持ちはありません。社会性やコミュニケーションに問題がある障害なので、嫌がり不安定になってしまうよりも、見るだけでも慣れていって欲しいのです。時間が欲しいと思っています。嫌がるソウを見て『お母さん、どうしたいと思ってるんでしょうね?』と心理の先生が尋ねられるんですが、片言な上言葉の意味も間違って使っている事が多いソウが何をしたいのか分かりません。だって、『したくないんだもの。そっとしておいてよ』と本人は思っている不安定だから、言葉の間違いも多くなるんだもの。心理の先生は『こうやってみてはどうですか?これはどうですか?』と勧めてくださるけれど、正直私が辛くなってきています。『イヤだよ、したくないんだよ!』と行動で伝えようとしているソウに『したくないんだね』と言っても○○する?したくなかったら『しません』だよと心理の先生に毎回言うように促されます。その度に切なくなります。そして私までもがどうしたらいいのか、それが分からなくなってしまいます。ソウにとってしゃべる事は大変な事です。≪伝えよう⇒話す≫は、私達のように簡単な事ではありません。気持ちが不安定な場合はなおさらです。集団では行動療法の先生が1人いらっしゃいます。『ソウくん、やってみようという気持ちが出てきていますね。 頑張っているし、順調ですよ』と言ってくださいました。そこでまた迷うのです。どうしたらいいのだろう・・・人間誰しもしたくないことを避けられるわけでは無く、それは障害があってもなくでも一緒。でも、ソウは健常のお子さんと同じだけ頑張っても難しいことがたくさんあります。まだまだ団体療法に戸惑っています。ソウ頑張っているんだよね。お友達とは同じように発達できなくても、ソウは私達親が思っているより発達しています。今の頑張りじゃダメなのかな・・・もっと頑張らなくちゃいけないのかな・・・切ない気持ちになりました。
2008.11.13
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お久しぶり過ぎます・・・子供たちの幼稚園のバザー大会が近づき、役員の私は体調不良の中(子供たちも倒れました _| ̄|○ )、仕事を抱えすぎてブログ放置してました幼稚園では運動会も行われ、4歳の自閉症児ソウはそれなり(?)に参加しました。徒競走もピストルの音で駆け出さないものの、先生に声をかけられ、1秒遅れでスタートし、ゴールに待っている お気に入りの副担任に抱きついていました。無事にゴールしたソウ。お姉ちゃんの時はそれが当たり前で、喜ぶことなんてなかったな。お母さんとのダンスも難なくこなしました。ソウは本番に強いタイプですいつもと違う雰囲気のせいか、泣きじゃくってダンスどころじゃないお子さんもいました。ソウは半月程前の保育参観で練習した時は、あまりやる気じゃなかった・・・頑張ったね、ソウ。運動会の半月後にバザー大会があったので、その前1ヶ月間は幼稚園によく行っていました。ソウは話す言葉が増えましたが、自閉症の特性コミュニケーション障害であまり園児に興味がありません。知的障害も伴うソウは片言で、ちょっと意味が違う感じな言葉を話していることもちょくちょく。そして、更にベラベラになっていく他の園児。母親にとってはその現実は辛いものがあったのも事実です。でも、園児たちはソウに話しかけてくれますし、面倒も見てくれているようです。そういう事もお姉ちゃんの時は何も感じなかったことです。園児たちに感謝し、他のお母さんからソウの話をお子さんがしていたことをきき素直に喜びました。バザー大会を間近に控えたある日、療育で行動療法の先生に『保育園に転園しませんか?加配の先生がつくと思いますよ』突然そう話がありました。昨年度末、≪加配が付くか微妙≫ そう言われていた 当時のソウは、まだいくらか多動があり、信号もわかっているか微妙でした。殆ど単語すら話せず、トイレトレも完了しておらず、そんな状態。今は幼稚園で教室を脱走(?)することもなく、トイレも自分でし、他害も無く、自傷もありません(爪噛みはありますが・・・)なので、私には驚くことでした。確かに、やりたくない事は拒否。お友達に一緒に遊ぼうと誘われても拒否。知的障害を伴うソウにはできない事も理解できないことも一杯です。なのですが危険が伴わないと加配は付かないと思っていた私には驚きすぎて、先生に質問すら出来ませんでした。現在住んでいる市は、知的障害者施設や支援施設が充実しています。10万もいない市の規模を考えると、考えられません。療育施設の入所も≪希望があれば≫という感じで、『療育の必要があるのだろうか?』とソウと比べて感じてしまうお子さんもたくさん。それくぐらい窓口を広げてくれています。お母さん達の支えになってくれているのです。先生も一生懸命してくれます。そういった関係もあるのでしょうが、保育園での加配率も高いようです。『幼稚園は年中になれば担任の先生は1人ですよね。 ソウくんなら加配が 1:1 か 2:1 かわかりませんが、加配が付くと思います。』ただ、教育委員会の諮問委員会が決めることなので、正直不明。今までの例で見れば、付くんじゃないかと。元々今年から保育園の話もありました。私が鬱なので、園が別れるのは負担が重いと言う事と、幼稚園の主任先生の熱意にお願いして 幼稚園を選びました。でも、その主任先生は 3月付属の短大に転勤に。先生全体も退職が続き、2年前からいる先生が5人くらいしかいない為、古参の先生はすごく疲れた表情です。ソウは担任の先生2人にもよくして頂き、お姉ちゃんが年少の頃から行事の度に行く慣れた園。毎日楽しそうにバスに乗り込みます。保育園を選び、加配の先生が付くのなら、保育園に転園がいいと思っています。でも、もし加配が付かなかったら・・・園児30人に先生が1人では、幼稚園の方が25人未満で良さそう。補助の先生もいるので・・・しかも全く慣れていない環境に 自閉症のソウを送り出すことに。幼稚園の年中に ソウと同じ程度か少し重い自閉症のお子さんがいます。補助の先生にも助けられながら、園生活を営んでいます。幼稚園に通い続ける事も可能なのです。保育園の1時募集は12月上旬。それまで悩み続ける事になりそうです。フジプラ LPD2313 ラミネーターA4対応ちなみに やっと↑を買いました。皆さんはどんな絵カードをお使いですか?
2008.11.04
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質問魔の旦那。自分で全く調べないのに、病院で恐ろしいくらい質問しまくる傾向が強い _| ̄|○ 怖いので、今日で5分の第2のかかりつけ医に行きました。に向かう途中、子供2人が健康なら乗る園と遭遇。そういや、そんな時間だったソウはあんま関心が無さそうでしたが、お姉ちゃんはめちゃ気にして『みんなぁ~!!』と叫んでました。園はお休みと言ってあるからか??は園に向かい途中であるんですが、園が見えなくなるとお姉ちゃんはちょっと寂しそうでした。かかりつけ医は常に女医さん( ´,_ゝ‘)プッ自閉症もよく分かってらっしゃるので、ソウでも全く問題なしです。やっぱ火曜から抗生物質を飲んでいるので、検査をしても溶連菌が検出されないだろうとの事(喉を検査するので)。症状も中途半端すぎて、どっちとも言えない _| ̄|○ 予想してた通りです~『溶連菌らしい症状(発疹やいちご舌)が出ない溶連菌もあるから、 弟さんも溶連菌の可能性があるわ。 彼も抗生剤処方しとくから。 解熱したら、幼稚園通園していいわよ。』計1週間でいいと言われ、3日分の抗生剤等もらって帰りました。帰宅後、幼稚園にして、お姉ちゃんの担任の先生と話しました。『医師も判断付かないって事なので、普通に欠席で処理してもらえますか?』溶連菌だと出席停止処理できるけど、医師からの書面が必要。なんで、そういう風に言いました。色々お話していたんですが『溶連菌だとお友達にうつしても困るので、週明け体調悪いなら休んでもらえますか? まぁ溶連菌じゃなくても風邪でも困るんですが・・・』ちょっと気分害しました _| ̄|○ 少し熱があっても、鼻が詰まって咳が出ても、即欠席する方針の私。医者からのが出ても、情報で一般的な通園可能状態になるまでは欠席。でも、園のお母さんらは違います朝、園で真っ赤な顔をした明らかに体調の悪い子供も何回も見たし、『これは無理だ!!』という症状でも、普通に出席させてるし・・・お友達ママもそんな感じの人が多い _| ̄|○ 出席停止の病気でも、『まだ早いでしょ』という子も通園そういや先日のママさんバレーの大会にも、溶連菌で休園してる園児連れてきてたなぁ~関西らしい適当さ満開そして感染は更に広がる(元々関西出身で、大人になってから東京に住んでいた事もあるので そういう関西独自なのは、偏見ではありません)そんな事もあるので、仕方ないかと諦めましたが、先生よ、どの親にも私同様に言ってくれ・・・そういうの知ってるよ~。心の中で言いました。姉ちゃんの発疹は増えてるので、解熱はしてても発疹次第で週明け欠席です。ソウは行ってもらいますソウ1人で通園した事あったかな~??
2008.07.25
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おかげ様で、ソウは今日やっと解熱しました。長かった・・・が!お姉ちゃんがまだ解熱しておらず、しかも熱が38℃台キープでも元気はそこそこある。しかも!夕方から体に発疹が出始め(画像では見えにくいですが)夜に舌の味覚部分が突起し始めました長い舌のお姉ちゃんの喉を何とか頑張って見ましたが、なんだか水泡ができているような・・・溶連菌感染症ですか!?幼稚園で半月程前にまだ流行っていると聞いたけど、今頃?溶連菌は夏に一番少ないのに?どうせ抗生物質を飲むしかない病気だし、ペニシリン系では無いですが、代用できる抗生物質を処方されていてまだ残っているので薬が切れる土曜日に受診しようと思います。でせっせと画像貯めて、医師に見てもらおう。溶連菌じゃない事を願うばかりです _| ̄|○ (抗生物質を飲んでるので、検査しても判定されないかもしれないらしいです)ソウは痰が絡んだ咳をまだいくらかしています。溶連菌にあまり無い症状、そして溶連菌の症状は全くなし。3歳までは(来月で4歳ですが・・・)溶連菌独自の症状が出ない場合があるみたいなのでいちおソウも一緒に受診予定です。完全に看病疲れしてます・・・なので、旦那に病院に1人で連れて行ってもらおう明日、PCで【医師に渡す症状説明】【旦那への御願い】等を作成し自分は自動車教習所に行きます・・・・秋に引越し予定なので、教習あせってます8月は子供達が家にいるし、託児所は7月一杯で閉鎖だし9月になったら幼稚園の役員仕事が本番を迎え、すごく忙しくなるぅ~旦那にも病院慣れてもらわないと!元々旦那のアトピーを含めたかかりつけ医院だし。(旦那さんが内科・アレルギー科/奥さんが小児科)はい、押し付けです・・・・すごく評判の病院で、個人医院にも関わらずこの間行った時は2時間待ちでした _| ̄|○ 病気の説明や病気に関する注意点などとても丁寧で、紙に色々書いてくれてそれをくれます。処方薬の説明も薬局よりも丁寧。自閉症への理解もすごく高いので、遠かろうが2時間待ちだろうが行きます最近診療時間が近づいたら、電話連絡してくれるWEBシステムを導入されたので診察券を出したら自宅で待機できます。免許が無い私は、とっても役立たず市役所に、特別児童扶養手当の書類を今月中に提出しないといけません。早く良くなってください(m。_。)m オネガイシマス28日、私の誕生日ですが、書類の提出に行くことになると思います
2008.07.24
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ソウが珍しく金曜の夜から発熱しました。これが熱が【上がる→下がる→上がる→上がる・・・・】延々と繰り返し、もう5日になります下がった時で37℃。最高で40℃強殆どグッタリはしていないものの、流石に体力の低下が否めません。食欲も徐々に減退。月曜【市の休日診療所】火曜【かかりつけの小児科】←評判の小児科ですが、あまり病気しないうちの子供。1年ぶり _| ̄|○ 今日【耳鼻科】←姉弟ともに泣きながら診察受けました _| ̄|○ 結果、中耳炎に発展した風邪いつ熱下がるんでしょう?とうとう、今日の幼稚園の終業式には出られませんでした。明日は夏季保育(幼稚園ですが今月中はあります。)ですが、2週間に一度の療育。療育行けないじゃないか!!普段体が丈夫だと、1回症状がある程度になるとかなり重症化します・・・一昨日からお姉ちゃんまで感染し、ため息出ます。あんたも普段丈夫だからね~。ソウは下痢に咳まで出てるのですが、じっと寝てませんよ。まぁお姉ちゃんもなんですが _| ̄|○ 体力温存しない子供達。ちなみに、子供が発熱しているにも関わらず、旦那に子供を預け、連休3日間、自動車の教習所に通った鬼母な私子供の遊び相手にはなれるが、病気の時には全く役にたたない旦那。わきの下など、大動脈が通る部分を冷えピタしたら解熱すると思い込んでました _| ̄|○ 解熱剤は38.5℃になった時点で使ったほうがいいと思い込んでる旦那。どうして抗生物質を飲ませないといけないのか知らない旦那。お姉ちゃんが産まれてから6年。何回も説明したのに全く覚えていません。かかりつけ医にいまだに自分だけで行けません。道覚えてません _| ̄|○ なんであんなにすぐ忘れてしまうのだろう・・・仕事の事はしっかりできているけど、昔した仕事に関しては話を聞いているだけにすぎない私よりビックリするほど覚えていません。男女で脳の作りが違うだろうけど、ほんと謎です・・・そして旦那からしてみると、【物の置き場所をすぐ忘れる】【鍵を閉め忘れる】これらの私の行動が謎らしいです・・・さぁ今日もこれから清拭です。ピジョン清拭料 さっぱりタイプ我が家では、子供が熱でお風呂やシャワーができない時は↑利用。(旦那も重症な場合はこれ使います。私はしてもらえません _| ̄|○ )普通に濡れタオルで拭くのとは全く違います。ほんとサッパリするし、敏感肌のお姉ちゃんでも面倒ですが、毎日せっせと頑張っています
2008.07.23
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私はど田舎出身です。1クラスしかなく、学年25人位の小学生時代。もう兄弟からじいさんばあさんまで、どの人かわかるような生活です。地域に事情で親と暮らせない養護施設があり、そこから5人が通っていた。そしてたまに転校してくる子がいた。そして何故か1年位でその施設を去って行った。小学5年の時、ある男の子が転校してきた。今思えば、私が初めて会った自閉症の人だった。彼はとても色の白い、可愛い顔立ちをした子でした。4教科は当時の障害児学級で学び、給食や他の授業は通常学級にいた。男7人、女18人。そんなクラスで彼はアイドルのような存在でした。『(>▽<)きゃー♪(>▽<)きゃー♪』言われ、女の子らに追いかけられ、よく逃げていましたっけ。あまり話すことも無く、彼が自分から寄っていくのは、同じ施設から通う面倒見の良い男の子だけ。ふわふわと宙を浮いているように歩いていた。全校集会の途中でふらりと集団からはぐれ、先生と一緒にいた。学年が変わった時、前の学年の靴箱に靴を入れる。何度説明しても同じ場所におくので、結局そこはその年も彼の靴箱になった。注射が大嫌いで、当時集団接種していた予防接種ではパニックを起していた。身体測定を注射と勘違いし、障害児学級の窓から逃亡(←1階です)一度、授業が嫌いな同じ施設のA君が『次注射やぞ、逃げろ!!』と言って、信じた彼が学校から走って学外へ出たことがある。少し遅れてA君と先生達が追いかけたが、あまりの速さについていけなかったそうだ。彼のおっかけの女の子らも追いかけ、総勢15名ほどで追いかけた。彼は山の中に逃げ込み(それ位注射を怖がっていた)、足の速かったA君だけが彼を目視できる位置にいた。『うそや!注射違うんや。帰って来い!!』A君の言葉に、彼はすぐ戻ってきたらしい。先生らはすごく慌てていたが、戻ってきた彼は普通の顔をしていた。A君は猛烈に反省していた。彼は6年生の途中で、急に転校していった。何故だろう、私達はみんなクラスの子達とちょっと違う彼の事が好きだった。色々あったけど、誰も彼の事を嫌がらず、面倒とも思わず、【ちょっと変わってるけど、面白い子】と思っていた。パニックを起す彼の為に、身体測定の時もこっそり移動し、全員が終わってから、一番最後に『注射じゃないよ、体重と背測るねん。』とこっそり言いに行っていた。それが普通だった。特別の事ではなかった。ソウの障害の事が分かり、彼が自閉症だったんだと理解した。何の説明も、当時私たちの1人として受けていなかった。1年しかいなかった彼の事をよく覚えている。彼はいたく純粋で、少なくとも私達子供達を楽しい気分にさせてくれた。
2008.07.18
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もうすぐ4歳のソウ。お腹にいた時の事です。お姉ちゃんとソウは2歳1ヶ月離れて産まれました。お父さんとしてはいい父親ですが、旦那としてはお姉ちゃん妊娠中、私は8ヶ月まで働いていました。でも、布団の上げ下げから布団干しから家事を旦那がしたことは殆ど無かったです。同じ位の年齢のご主人では異例みたいで、よく気の毒がられました( ´,_ゝ‘)プッソウがお腹にできた時、お姉ちゃんはまだ1歳そこそこ。旦那はずっと深夜帰宅の人なので、お腹がよく張って張り止めを飲みながら下がってきているというソウを心配しながら毎日暮らしていましたが、当時、旦那は全く心配していなかったみたいです。ソウはお腹でグルグル回る、多動(?)な胎児でした。電車で1時間半の実家近くの病院で出産する事にしていたので、検診は毎回電車に乗って、ベビーカーに着替えなどの大荷物持参で通いました。普通なら1ヶ月に1回、後期は隔週でいい検診も逆子になりまくりで2週間に1度、後期は毎週右向き逆子が左向き逆子に・・・正常に戻った翌週にまた逆子に・・・逆子にならないように寝ても、何故かまた逆子に・・・逆子体操しまくりの妊娠中でした。『次回逆子だったら、帝王切開だからね』そう言われた38週1日前に、やっと頭位に戻り『こんなギリギリ初めて見た!』と医師を驚かせたヤツですww。でかめ胎児だったのに、あんな回転する空間の少ない中どうやって回転したのか謎です。お産は安産でしたが、睾丸が【陰嚢水腫・停留睾丸】と片方ずつ病気が見つかりました。幸い、1歳半には手術の必要なしと言われました。ソウはお腹にいた時から、ずっと心配し続けてきた子供です。でも体だけはとっても丈夫な子で、療育以外まだ幼稚園を休んでいません。それを喜ばないとね
2008.07.18
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本日2回目の日記です。最近ソウはお姉ちゃんを『○○ちゃん!』何故かちゃん付けで呼びます。間違いなく、幼稚園の影響です・・・・<ネネ>→<お姉ちゃん>に変えていったのに私は基本的に子供は呼び捨てです。『ちゃん、くん』を付けるのは自分の性格と符合すると思えず・・・しかし、何故かお姉ちゃんはソウを<くん>付けで呼びます。たまにクネクネしながら『ソウく~ん』若干虫唾が走ります最近2人はよく一緒にいます。子供達の園は23日が終業式。でも月末まで夏季保育があります。ありがたや~終業式が近づき、学年クラスを問わず、登園別に園児同士が固まって行動する事が増えます。通園の2人は一緒にいる時間も増えるわけで。自閉症児ソウは、園では1人でいる事が殆どです。誘われても拒否してるそうな _| ̄|○ ただお姉ちゃんがいると、ちょっと違うのかも・・・普段はソウが同じ園にいることなんぞ、すっかり忘れてるお姉ちゃんですが、同じ場にいると、ここぞとばかりお姉ちゃんズラしてるもんなぁ~。ところで、私は明日から自動車教習所に通う事にしました。大型じゃないですよ、普通の・・・あ~恥ずかしいあんた何歳なんだ!!ママ友達からは、『路上怖いよ~』と脅され、『勇気あるわ~』と褒められ(?)。本来は4月から通うはずが、園の役員があまりに忙しかったので、役員の仕事が落ち着いた今頃から通います。9月にはまた役員の仕事が忙しくなるから、なるべく早く済ませたいけど、8月は夏季保育後期の1週間以外は子供達がいるので、教習所には行けないなぁ。近所に親御さんがいらっしゃるママ友達が少し羨ましいです。
2008.07.18
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来月4歳になる自閉症児ソウ。あ~、その前に自分の誕生日かよ以前書いたように、姉のクラスでソウの障害について話す機会ができてしまった。(隠すつもりはないけど、息子入園即姉ちゃんのクラスで・・)子供達の園は行事が多い。年少は月に2回は園に出向く計算。(役員している私はそれ以外に園出向きまくりですが _| ̄|○ )お姉ちゃんは年長。あまり行事が無いけど、先日行事があった。その時、年中も同じクラスだったある男の子のお母さんが話しかけてくれた。『うちの息子も療育通ってたの』うちの住んでる市は、少~し遅れがあっても即療育へ!って方針だが、歩いて3分の隣の市はそんな事ない。意外だったというか驚いた。年中から同じクラスだが、年少からその子を知っていた。だって、とんでもなく可愛い顔なんだもん。制服姿を見るまで、女の子と勘違いしていた私。彼に発達に遅れがあると感じた事は無かった。療育施設は、対応に疑問を感じて退園したとの事だった。『小学校は普通学級で大丈夫ってことなんだけど、どうしたらいいのか迷ってるの・・・』年長さんはそういう時期になっている。そういえばそうなんですね。2年後に来る息子ソウの事を考えて少し暗くなってしまった。『ソウくんはお姉ちゃんがいるからいいと思うわ。うちはあの子1人だから。』そうかもしれない。でもお姉ちゃんにとったらそうじゃなくなる日が来るかもしれない。少し複雑だった。ワガママになってきたお姉ちゃん。甘えん坊なお姉ちゃん。半分こしても大きい方を取る。弟に大きい方を譲る事もなく、自分が先。ソウの入園前は、『私がソウを見張っとく!』(←見張るって)全く見てません・・・。何の報告もございません。私のお友達の他の園児が教えてくれます _| ̄|○ でも、文句言いながらもソウと一緒に遊んでくれる。年少のみんなみたいに話せないソウを迷惑がらず、相手してくれる。(たまに迷惑がるけど)ソウがいるのが普通なんだから当たり前なんだろうけど・・・人と関わるのが下手な自閉症児。園でそれをすごく感じる。家では最近お姉ちゃんと関わろうとして遊んでいるのを感じる。想像するのが不得手で、実践あるのみなんだもの。お姉ちゃんがいるのが、良い様に働いている。でも、ソウが大きくなった時、お姉ちゃんはどう感じるんだろう・・・時たまとても不安になって、お姉ちゃんに申し訳なさを感じる。ソウは、私がお姉ちゃんと2歳違いの同じ夏生まれがいいと望んだ子。産んだ自分を、望んだ自分を責める事もある。ソウがいなくなるなんて絶対イヤだし、いなくなって欲しいと思わないけどお姉ちゃんが大きくなった時、彼女の気持ちを考えると色々考えてしまう。あんま考えるとドツボにはまるので、もうやめよう。今も一緒に楽しく遊んでるし。『崖の上のポニョ』の歌を楽しそうに歌う子供達。映画高いけど、あまりに頻繁に唄うしちょっと連れて行ってあげたいなぁ~。『トトロ』系だと見てられるだろうけど、『ハウル』系だったら無理だ!
2008.07.18
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突然ですが、自閉の息子ソウはトイレトレ完了しました。急に・・・1ヶ月ほど前になるんですが、急におもらししなくなりました。たいしたトレはしてません。だってある時期意地になってしまってたから・・・私が!!確かこれは健常のお姉ちゃんの時もありましたある休日、ちょっとしたトレーニングをしてました。旦那に頼んだら『チンチンさすったら出た』( ・◇・)?(・◇・ )次のときも出た・・・・しばらくこれを続けていた。自閉独自のこだわりにならんのか療育の先生に質問しながら。しばらくするとさすらなくても、彼がしたい時は出るようになった。男の子ばっかのお母さんに、『男の子はどうトレーニング』するのか聞き、幼稚園の先生に協力してもらい(先生の方がさすがによく知ってる _| ̄|○ )ホックのズボンは、極力避け(自分で脱ぐのに時間がかかるから我慢できずもらす)1ヶ月ほど前からもらさなくなった。その間、幼稚園でソウと同じ年の男の子が立ってしている様子を覗き見て、その子にすごく嫌がられた事もありましたトレーニングパンツは嫌いらしく完全拒否。普通のパンツも拒否していたが、以外にもすぐ慣れた。(…ってか強制?)ある日突然幼稚園にパンツで行かせた。先生は驚いてましたオムツを恋しがって履こうとするので、お友達にプレゼントして処分しました。(おねしょも何故かしない・・・)今じゃ自分で【小・大】を使い分けてる。自分で全部済ましてます・・・。お尻も自分で拭きますが、下痢の時は呼ばれます。大のときは絶対トイレに入れてくれません。戸も絶対閉めます。これはこだわり??何にせよ、嬉しかった出来事です。やっぱカナー自閉症。宇宙語連発、1人遊び、興味ないこと無視、ちゃんと話せない、etc・・・困る事も戸惑う事も一杯。最近、一生懸命空に自分の視界に入った字を書こうとしてるらしい姿が見える。でも、実際は絵は殴り書きで、字なんて書こうとしてるのは全く無い。しかし、成長してるのは事実。ソウよ、あんた頑張ってるよ。母さんできそうな事は、たとえできなくてもすぐ手伝わないもんね。そうやってしてくのが、あんたの為なのか、いい事なのか迷いながらまた明日ね。
2008.07.13
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今日は2週に一度の療育でした。お姉ちゃんが宿泊保育なので迷いましたが、お姉ちゃんをお友達のお宅にお願いして療育に行くことにしました。少し早めに到着すると、ソウは先生のお部屋に入って『ビー玉!』と何かおもちゃを欲しがっている様子。言語作業の時間になって、先生が『これかな~』って持ってきてくれました。ソウは質問に答えられないので、彼以外何のことか分からない。先生の持ってきてくれたおもちゃで正解!スロープハウス(色付き)【renkyu0111】これのような感じのおもちゃで、ビー玉を使っています。2月に初めて訪れ、面接時をした日に待っている時に遊んだおもちゃ。さすが視覚優位の自閉症。覚えてたんだね。最初はおもちゃで遊ぶ項目だったので、そのおもちゃで遊び始めました。課題は、今日も5つの内4つが初めてのでした。どれもさっさとこなしています。先生によると『課題をやる力は月齢近くありますね』との事。例を少し指し示すだけで、それをすぐやれる力はあるみたいです。幼稚園でも、何かを作成する時『こうするんだよ』って示すとすぐしてくれますって先生が言ってらっしゃいました。それって幼稚園効果なのかな??運動療法は、相変わらず1畳弱のブランコがお気に入りです。自分でこぐ事を急にし始め、なんだか進歩していました。『今日なんだかいつもより頑張ってるね~。お母さん、色々自分で考えてるんですよ。』そう言われて涙が出そうでした。言語作業療法の時、先生とお話しながら泣いてしまった私。役員をしているので園に出向く事も多く、年少は行事がたっぷり。お姉ちゃんの行事も重なって、やたら幼稚園に出向いています。比べてはいけないのに、健常児のお子さんと比べてしまい凹む _| ̄|○ でも先生達は仰いました。『ソウ君は2月と比べてすごく伸びましたよ。頑張っていますよ。 目線が合うことすごく増えましたよね』そうです。そうなんです。ソウが自閉症だと、きちんと向き合おうとした年明け。それから彼はたくさんの事ができるようになりました。ボタンも自分でできるようになったよね。トイレも自分でできるようになったよね。2語分も少しでてるよね。早く終わらせたいから、待たずに色々手伝ってしまっていたのは私の都合。ソウだけじゃありません。お姉ちゃんにもそうしてた。時間がかかっても、子供達ができるように待つ忍耐と、少しずつの補助。完璧視覚優位の彼に、色々なサイトで先輩お父さんお母さんのしてらっしゃる事をお勉強。ソウが過ごしやすくなるように、お母さん少しずつちゃんとするね。今日お姉ちゃんは宿泊保育。なんだかとっても寂しかったな。いつも『こやつウルサイ・・・』と思っていたけど、ソウの出産以来初めて夜一緒に寝ない。初めて離れて気付く色々な感情。日付が変わって今日はおねえちゃんの誕生日。プレゼントの自転車も届いたし、明日お姉ちゃんの顔を見るのが楽しみです。お姉ちゃんを宿泊保育に園に送っていった帰り、ブランコをしている年長男児3人が『そらまめ、バイバ~イ!』そう声をかけてくれました。ソウは全く気付いてなかったけど、ソウの体を向けて『バイバイだって』っていうと『バイバ~イ』何度も言っていました(表情なしだけど _| ̄|○惰性っぽいけど _| ̄|○ )お誕生日月に母の願いを書いた。保護者に配るプリントに掲載されます。【人に愛される子になって欲しい】そう切に願う私には、とっても嬉しくって涙が出そうだった。
2008.07.10
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4月から月に2回療育に通い始めたソウ。作業/言語療法と運動療法を一緒にするので、月2回。先生とマンツーマンの個別授業です。私の住んでいる市は、知的障害者関連の施設がすごく多いからか、【少しでも発達が遅れていたら、療育へGO!】市の考え方です。歩いて2分で隣の市。そちらだと週2回も療育があるんですって。引越しを検討してるので、そちらの市の事調べようかな…2週間に一度はやっぱ少ないです _| ̄|○ 以下が作業/言語療法の内容です。1.持物の整理をする。(置く場所に絵が描いてあります。)2.写真カードでおもちゃを選んで、取りに行き遊ぶ。(遊んでいる間に、私が先生と話します)3.課題をする。4.手を洗っておやつを食べる(写真カードで選んで、言葉を促す。ご褒美制度ww)5.回によってやる事が違いますが、何かします。月に2回だし、この間は少し休みが入ったので、数回しか通っていません。その中で感じたのは、課題に関してすごいこなし方をする事。チャッチャとするので、毎回課題が進歩していきます。5個ぐらい課題をするのですが、殆どの内容が前回と重複しません。これには親が驚きます。先生もちょっと驚きます。でもやっぱカナーな自閉症。欲求が上手く伝えられません。感情が言葉に出ないんですよね。そういう時はかなりイライラしてます。怒っています。先生が色々言ってくれても折れないと、先生が折れてくれます・・・運動療法は、説明が難しい・・・自閉症児には多いようですが、ソウはバランス感覚がちょっと弱いらしいです。そういえば、幼稚園で毎日膝小僧すりむいて帰って来てた。(最近あんまりなくなってきたような・・・。でもクルクル回っても目が回らなくなってきたような・・・)ボードのブランコが一番お気に入りな様です。トランポリンが登場する日が来たら、きっとそれに心奪われるだろうな~。家のソファーでピョンピョン飛んでるの楽しそうだもん。運動療法士の先生のおっしゃる『ソウくんは今こう思ってるんですね~』ってお言葉。親の私ですら分かりません( ´,_ゝ‘)プッやっぱ専門家はすごいです。明日お姉ちゃんが宿泊保育。そしてソウは療育です。宿泊保育は昼からで、療育は午前中なので、お姉ちゃんは療育の間、歩いて1分の一番仲良しお友達のお宅にお世話になります。今日はそのお友達がうちに遊びに来ていました(他にももう1人いました)。お姉ちゃんの誕生日が明後日なので、今日ケーキを作ってくれるそうです。ありがたいことです。ソウの療育を休ませようかと考えたけど、周りに助けてもらうのもありだと思うようにしました。これも幼稚園のお母さん達が温かく見守ってくれてるから。甘えてみようって思えるようになってきた。明日お姉ちゃんを預かってもらうお友達は、そこのお母さんが去年幼稚園の役員をしていたので何回も預かりましたが他のお友達をおうちに呼んだのは今日が初めてでした。みんなお互いのお宅に行きあって遊んでいるのを今頃知った私・・・お姉ちゃんが『お友達呼びたい』って言ってたのに、今までそうしてあげられなくてゴメン。園バスが遅いから普段は無理だけど、半日なら大丈夫だもんね。ソウにいつかお友達が出来て、おうちに来てもらうのが小さな夢です。
2008.07.09
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4月から3年保育の幼稚園に通い始めたソウ。お姉ちゃんは年長さんです。そして療育にも2週間に一度ですが、通い始めました。子供達が通う園は、すごく保護者会が活発なんです。入園式から数日たった日、保護者総会がありました。クラス役員を決めるのですが、子供が複数(兄弟とか姉妹)通園している場合は上の子のクラスから。お姉ちゃんのクラスは、既に役員をやった方が多く(卒園児も含む)、始業式に、お姉ちゃん年少時の役員に『ちょめりさん役員やった?』と聞かれていたので、かなりビビリながら行きました。先生方には【私が鬱な事・ソウが自閉症(当時断定されてませんが)な事・身内が近くにいない事】・・・の為、『役員はしなくて済むようにしますので。』とは言われていました。でもおねえちゃんのクラス、入った時から保護者がピリピリしまくっています _| ̄|○ 何故かタコ紹介で一番最初な私。『年少の弟が発達遅延なので、色々あるかと思いますが宜しくお願いします。』障害のある弟が同時在園していじめられる事があるのではないか?そういう思いもあって、本当は姉のクラスでは言いたくはなかったことでしたが、姉のクラスでは役員はできないと思って、思い切っていいました。なかなか役員は決まらず、口には出さないけれど色々押し付けあうようなムード。そんな時、始業式に私に役員はしたのか尋ねてきたお母さんが『ちょめりさん、やって』そう、離れた席に座っている私に口パクで何回も言ってきました。私は最初何を言っているのか分からず、『え?』って顔をしていたんです。扇型に座る保護者席の一番端にいた私。その様子は皆さんの注目を浴びました。何度も言われ、そのお母さんの性格が分かっていたので、「先ほど言いましたが、年少の息子は発達障害があります。 クラスで迷惑をかける事も多いので、申し訳ないんですが役員はそちらでさせてください。 スイマセン・・・」そう、立って大きな声で言いました。泣きそうになる自分をグッとこらえて、はっきりと言い座りました。なかなか決まらなかった役員がその後決まり、私は解散した後すぐクラスを出ました。お姉ちゃんとはクラスの違うママ友達が、私を心配して待ってくれていました。「大丈夫やったん?」彼女達がそう言ってくれたのを、心から心配してくれている顔を見て、私は涙がこらえられませんでした。一杯一杯泣きました。そして、役員が全く決まらず既に保護者会を解散していた息子のクラスに行って、役員をすると担任の先生に告げました。別室で、主任先生・ソウの担任、副担任の計4人で話をしました。皆さんソウの障害の事は知っています。実質園での決定権を持つ主任先生は、一番に反対されました。『お母さんの病気の事もあります。負担が重過ぎます。 役員にはなって頂かなくて済むように予め考えさせていただいています。』お姉ちゃんのクラスの出来事を私は語りました。『あんな想いはもうしたくないんです。先生お願いですので役員をさせて頂けませんか?』主任先生は、『誰がそういう事をされたんですか?』すごく怒ってそう仰いました。『言いたくありません、ごめんなさい。 障害児の親の立場を全ての人に理解されるとは思ってません。それを逃げにしたくないんです。 発達に遅れのある子の親は許されるんや、特別や。と思われるのはイヤです。 ソウがいる事で、同じクラスのお子さんや親御さんに迷惑をかける事もあるはずです。 だから役員をさせてください。』私がそう話し終えたとき、自分も先生方も泣いていました。先生方は私が役員をする旨了承してくれ、私に深々と頭を下げられました。今書いていても、涙がボロボロ出てきます。本当に辛い一日でした。あれから3ヶ月が経ちました。私は親しくなった人には息子の障害の事を話しています。ソウは殆どしゃべれないし、お友達と遊ぼうとは思いません。でも行事は大人しくしてるから、『普通じゃないの?』ってママ友に言われる事もあります。意味なくウロウロしたり、奇声を出したりしてるんだけど、気付かないお母さんもいます。ほんとよく会うお母さんが気付かないのは、ある意味面白いですww大体の人は気付かれます(?)が、皆さん温かく見守ってくれています。最近思う事。一番イライラしてるのは自分。お姉ちゃんは当たられまくりです。申し訳ないです・・・役員は予想以上に忙しく、大変。でも、お友達も理解者も増えているのは事実。だけど、ソウと他の園児さんを見る機会も増えるから、つい比べてしまうのも事実。現実を受け止めているつもりが、受け止められてないんだなぁって思います。お姉ちゃんに優しくしてあげなきゃな・・・・
2008.07.08
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自閉症の3歳半の息子。いよいよ旦那の両親に告知する事を旦那が決めました。(1月に判明したんだから早い部類に入るんでしょうが)旦那が自分で鬱だと感じ始めました。自分が鬱だから、それとなくそう感じていたし、それとなく病院に行ってみないか誘ってみたりもした。鬱病の経験者ならお分かりかと思う。うつは精神科の範疇。精神科と考えると自分で行こうとするのはハードルが高い。だから相当悪化してから通院する人が多い。(私も同じだったもんな~)諸事情で6月から社宅費が出なくなる事になった。彼はいまどき珍しい会社に尽くすタイプ。(もちろん自分の為でもあるんですが)所長に所長の仕事まで押し付けられ、それで無くても多い仕事が溜まるばかり。息子の自閉症がわかり、それまでの午前様帰宅の自分を責める。そして急に社宅費が出ない事になり、彼は本当に疲れきってしまった。自分で鬱であろうと自覚せざる終えない位の状態。よくここまで耐えたよね。私に「うちの両親にソウの事話したいねん・・・」彼はそう言いました。私も同じだった。自分の両親に話したのは、ただただ心の助けが欲しい、そう願っていたからでも結局自分の思っていた反応とは全く違うといっていい結果。落ち込むだけだった。彼も私と同じように感じるんではないのか?私は不安だった。彼は実家に電話をし、そして姑が電話に出た。ある大きな宗教を熱烈に信仰している姑は【祈ればいいのよ】と言い出したようだった。とたんに旦那は珍しく、かなり感情的になっていた。彼が実家の人間に感情的になっているのは出会って10年近くになるが初めてだ。私は、電話を変わった。そしてできるだけ簡単にわかりやすいように姑に【自閉症とはどういう障害か】【ソウの状態がどうか】【症状の改善は改善される事はあっても治ることは無い事】そういった事を色々伝えた。姑はじっと私の話しに耳を傾けてくれた。いつも一方的に話してしまう彼女がこんなに私の話しに耳を傾けてくれたのは初めての事だった。「祈って治るんでしたら、いくらでも祈るよねって主人と話したこともあるんです…」そう話したりもした。姑は「私は祈る事しかできひんから・・・」そう言っていた。その気持ちが嬉しかった。私の実家も、主人の実家とは違う宗教だが、ある宗教を信仰している。姑と私の祖母が性格がとても似ている。色々な意味で、姑の気持ちが嬉しかったのだ。最後に旦那と電話を変わり、来週末実家に帰省する約束をしていた。誰だって親に甘える部分はあると思う。何処までいっても、私は主人の両親と他人。他人だからこそ冷静に聞けることもあるのだと、自分の両親に話した後感じた事だ。電話を切った後、主人は私に感謝していた。そして私は主人に感謝している。支えあって生きていかなくては・・・改めてそう感じる一日だった。
2008.03.04
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3歳半の自閉症(正式診断待ち)の息子ソウの発達検査結果です。4月から通う療育施設で行いました。とりあえず結果を【新版K式発達検査】2008.2.7 3歳半 得点 発達年齢 発達指数姿勢・運動 79 3歳1ヶ月 88 認知 182 2歳 57言語 52 1歳11ヶ月 56 全領域 313 2歳11ヶ月 59本人はよく頑張っていたと思います。流石に心療士さんから「コミュニケーション能力に関しては1歳半」って言われた時は凹みましたけど、それが自閉症ですもんね。昨年11月に似たようなもう少し簡単な事を市の保健センターで行いましたが、その結果が療育施設に届けられていたようで、3ヶ月間でかなり伸びたようです。「お母さん頑張られましたね」その言葉が本当に嬉しくて、最近意地になってまでしてしまっている事に気付いた次第です。私の鬱が悪化したので、もっと気楽にやります。焦ってしまってはダメなんですよね。長らく更新しない間にいい事も沢山ありましたが、やっぱ思っていた通り、その分我が家にとって悪い事も起こりました。≪いい事の後にはその分悪い事がある≫そう思っていたので、気持ち的には少し楽です。そうでも思っていないと、私がパニックになってたかもですww
2008.03.01
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先月末の事になります。1/31 幼稚園の未就園クラス(在園児の弟妹で来年度入園年齢幼児対象)で、付属の大学に行きました。通常は幼稚園にて行うのですが、未就園クラスは初めての大学での行事です。幼児教育の大学の先生が、運動メインで色々な物を使って遊びます。うちのネネも何回か同じように遊んで頂いているのは知っていましたが、【自閉傾向極めて強し】と現在診断中のソウ。3歳なのに、年少さんよりでかく、運動的にはあまり遅れが無いように思いますが、知的な遅れは回りと比べて大きいので(コミュニケーションはかなり。言葉も1語だけなので)不安なまま出かけました。実は運転免許を持っていない私。姉を送り出した後、電車で向かいました。(駅まで自転車)またも宇宙語で電車の中でしゃべっているよ~。でもちゃんと二駅座っていてくれただけで充分でした。駅からは学生さんで込み合う大学のバスで。ソウは電車もバスも乗るのが好きです。私には楽しそうに見えました。大学の体育館へ行くと、お兄さんやお姉さんと中年男性、そして幼稚園の先生。ボールやフラフープなど色々なものがありました。ソウはボールをお兄さんに「どうぞ」として頂いていましたが、自分でボールをカゴから取り出し遊びだしました。やっぱ無視しちゃったwwってか、ソウの世界の住人じゃないんだもの。当たり前っか。そのうち皆が集まり、体操教室なるものがスタートしました。まず、いつもの未就園クラス行事同様、点呼から始まります。先生に名前を呼ばれたけど、気付かないソウ。私は「ソウ、呼ばれてるよ。」と言いながら、ソウの本名を言いました。『ソウです』静かな体育館で、ソウはそう言いました。周りから暖かい笑いが生まれました。返事ではありませんが、私は嬉しかったです。そして色々な遊びが始まりました。ソウは本当に楽しそうで活き活きとしていました。みんなと同じようにできない事もありますが、【私はソウが楽しいと思う事が大事なんだ】と皆とちょっと違った遊び方で遊びました。最後の方は皆と一緒にする遊びだったので、コミュニケーション能力の低いソウは上手くいかないことが多かったです。でも、みんなお母さんの所に戻って行く場面でなかなか私の所に帰って来ないソウ。お母さん達みんなが自分の子供を呼んでいたので、私の声が聞き分けられなかったのかもしれません。お母さんの所に皆が帰って、最後はソウ1人。「ソウ、こっち来て!」と言うと、私の所に帰って来て「おかえり」そう、またちょっと間違ったおしゃべりがありました。そしてまた暖かい笑いが生まれました。ソウが自閉症らしい(最終診断が下りていないので)ということは2人のお母さんしか伝えていません。4月から月に1.2回ですが、ずっと未就園クラスの行事に参加していたので、ソウの発達の遅れは他のお母さんも気付いていると思います。でもずっと温かく見守ってくれました。(あるお母さんの周りの空気を凍らせてしまう発言で、凍った雰囲気に ご本人は( ・◇・)?(・◇・ )って顔をして、私が困る事はありましたがww)待ち時間の間に、ネネと同じ年中にお兄ちゃんのいるお母さんがお兄ちゃんが登園するのがイヤらしいと悩んでいると話していました。2人で話していたのですが、みんな色々親をしていれば悩む事はあるんだな。そう再認識しました。そして親子で遊んでいる時間で、初めてやることをどうやって子供に教えるかそれがとても上手なお母さんがいらっしゃって、早速参考にさせてもらうとソウも少しやろうとしてくれました。日々勉強です。外に出れば、ソウの奇声や宇宙語、ギャロップ歩きなど周りからのコウキの目に辛くなる時もあります。でも、色々な経験をして、試行錯誤してやっていくことがやっぱり必要なんですよね。まぁ、鬱の私が無理してダメにならない程度になんですがww
2008.02.15
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更新していない間怒涛の忙しさでした。2/5 実父母が自宅訪問・自分の鬱の治療の為通院。2/7 療育施設面接・3歳半検診2/8 療育施設面接2/9 MRI検査2/12 療育施設入園の手続きに市役所へ行く2/13 療育施設面接(姉は幼稚園に迎えに行き、託児所に預ける)鬱病の私にとっては余りに無理すぎる日程でした。なんとかこなす事ができて、安心しました。でも、こうやって色々進めていけるのは、恵まれていると改めて実感しました。2/5の事を書きます。その前日の2/4、午後に父に電話をしました。お米が週末くらいに無くなる事を連絡する為です。実家の近所でおコメを作ってらっしゃる方がいて、その方と父と懇意にしています。そのお宅でお米を消費しきれないので、最近父もそちらでお米を分けていただき定年を迎えて暇な父が孫会いたさのの口実で、それを届けに来てくれる様になっていました。実家に息子が自閉症らしいことを伝えていましたので、息子を見てみたいと思っているだろうというのも私には分かっていました。すると「明日、お母さんと一緒に行く」以前の日記にも書きましたが、軽くない鬱の私は毎日普段の生活をこなす事すら困難。何か通常と違う予定が入る時は、何日も前から準備やその日の為に備えなければ大変です。いきなりの翌日訪問の話に私は躊躇しましたが、親の気持ちも分かっていたので、「分かったよ」と答えました。翌日、ちょうど姉が幼稚園バスをマンション前で待つ時間に父母が到着しました。前日に書いた息子の好きなものや傾向などのガイドの様な物を渡し、説明し、「光とともに…」を良かったら読んで・・・と言い残し1人2週間に1度通院している精神科へ向かいました。父と母と夕方まで過ごし、今までの事や自閉症の説明などをできるだけわかりやすくを心がけて話しました。でも、話す単語が増え、できることが増えた息子を、父はそれだけを喜んでいました。母もあまり父とは変わりない様子でした。母は私に「まだあんた薬飲んでるの?」と聞きました。1年半前の鬱のあのひどかった状態を忘れたのだろうか・・・そんな簡単に鬱が治ると思っているのだろうか・・・読んで欲しいと言った「光とともに・・・」も読んでもらえず、私の息子の説明も『言葉増えてるやん。ちょっと遅れてるにしか見えない』と言う言葉で返され、きちんと聞いてはもらえませんでした。あれから、何度か電話で説明もしましたが、なんだか無理みたいです。もっと息子が大きくなって健常児との差がもっと歴然としたら分かってもらえるのか理解してもらう事は不可能なのか分かりません。何より彼らは息子と同じ年の子供の事を知りません。一番難しい事なのでしょうが、ただ遠い実家から見守ってて欲しい。それが私の願いです。父と母の帰宅後、私に残ったのは切なさとひどい疲労だけでした。色々息子に対しては接し方や話しかけなどを工夫し、(例:彼の希望が態度に出た時は、それに合う言葉を単語で話しかける できるだけ短い言葉で同じ状況には全く同じ言葉で話しかける)手作りでおもちゃを作ったり、物の名前を覚えやすいように写真入のカードを作ったり色々工夫しています。その結果、言葉は自分の興味のある物やよく使う言葉に関してですが、増えました。言葉の混同や、今まで覚えた単語の間違いのような後退もその分増えた気がします。またそれに関しても書きますので、良かったらまたお読み下さい。
2008.02.15
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本日2回目の日記です。私には小さい頃から少しだけ霊感がありました。大阪ミナミの大手電気店に行くと、何故か必ず同じ場所に行き着いてしまう。そこは以前プチデパートでしたが、その時もその場所に行き着いてしまう。エスカレーターを使っても、エレベーターを使っても。実はそこは昔大きな火事があり、私が行き着いてしまうところは人が沢山死んだまさしくその場所。大学卒業後外食産業で働いていた時も、座敷に女の人の姿が。「いらっしゃいませ~」と声をかけて見に行くが人の姿は無く。パタパタと足音が聞こえたり、勝手にトイレが流れたり。姿を見た人は少なかったけど、足音やトレイの流れる音は複数の従業員が経験していました。前住んでいたところは、お盆や彼岸になると、玄関からベランダにかけて大勢の人が行き来します。服装が明らかに時代と違うwwうっすら見えるんですよ。透き通ってるって言うのかな?始終じゃなくて時間帯が決まってます。最初は驚きました。「霊道ですか!?」3年目にはもう慣れてましたけどww良くしてもらった10年ほど前に死んだ祖父(その時はまだ生きてました)の兄。夢に出てきて、「墓に参ってくれ」とだけ言っていたので、祖父にその話をし、墓に出かけました。そしたら、使ってない花立にネズミの死骸。祖父は「兄ちゃん、これを埋めてあげてほしかってんな~」と言いながら、手厚く葬ってあげていました。そんな事が色々ありました。でもいい事もありました。祖父が死んだ時、私は東京在住で年末帰省でちょうど実家にいました。救急車で運ばれる祖父を、泣きながら見送りました。今5歳の娘は当時まだ半年にも満たず、自宅で待つしかなかった…。祖父の臨終の時間、私はキッチンで父といたのですが、15年以上前に死んだ祖父の兄が祖父の手を引いて、キッチンを通っていくのを見ました。私は呆然としていまい、父を見ましたが父に変わったそぶりはありません。後で知ったのですが、それが臨終の時間だったのです。最近は全く見なくなりました。嫌な雰囲気のところはやはりあります。そこは自分自身では避けて通りますが、そういうのも最近はやっと薄れてきました。最近息子の事がわかり、祖父に会いたくなります。薄れてきたのが良かったんだか、悪いんだかww
2008.02.04
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私の自宅マンションから電車で1時間半強の所に実家があります。昨年末に弟が結婚し、家を出て、現在は【父(養子)・母・祖母】の3人暮らしです。私が2歳の時に実家が全焼し、1年後に同じ町内に家を建て、大学卒業し、就職した5月に家を出るまで、20年その家で過ごしました。実家は田舎で、町内30軒程しかなく、このご時勢に隣組なるものまである正真正銘の金田一の世界です。そんな30軒ほどしかない集落ですが、市道を挟んでお隣さんがいます。私より10弱程年上のお兄さんには何人かお子さんがいますが、一番上のお子さんには障害があります。小学校を出る前くらいの年齢だと思うのですが、よく外で何をするとは無しに遊んでいます。(日中は養護学校に言っていると聞いています)小さい頃は弟さんと遊んでいましたが、現在は1人で外で遊んでいます。彼が4歳くらいの頃、近所のお年寄りを押してしまい骨折させてしまった事がありました。うちの祖母も同時期、かがんでいたところを押されてこけた事があるそうです。それまでは話しかけても返事が無い彼に、近所の大人たちは話しかけていましたが、それ以降は話しかけないようになっていました。そのお宅は敷地内同居ですが、そこのおばちゃん(彼の祖母)は「赤ちゃんの頃、手術で話せなくなった。耳も聞こえていない。」とうちの祖母に話していたようです。その言葉をうちの実家の家族は全員信じていました。でも、私もそんなにうちの実家に行かない私の主人も気づいていました。彼は耳が聞こえている車のクラクションが鳴ると、危なくないよう位置に移動しています。私は何故、毎日あの家に住んでいるうちの実家の人間がそんなことに気づかないのか不思議でしょうがありませんでした。たまに実家に帰り私が子供達を連れて外に出ると、彼がいますが、何かされた事は無く、こちらを見ていることがあります。たまに「こんにちは」と声をかけるようになりましたが、彼はどこかに行きます。お隣さんの弟さんは娘と同じ年で、よく遊んでいます。弟さんもいるので、うちの弟とも上手く遊んでくれて嬉しい限りです。(最近実家に帰ってないので、遊んでいませんが)うちの祖母は、隣人の家族を「障害がある子がいて可哀想にね」とすぐ言います。あまりに頻繁に言うので、「確かに大変だとは思うけど、可哀想可哀想ってそう思うのはどうなの? 弟達もいいこやん。 おばあちゃん口を開けば可哀想ばっかりやん。 それ以外になんか思わへんの?」って聞いた事があります。「せやけど、あんた可哀想やん。家族に障害あったら苦労するねんで。 将来かって大変やで。兄弟かって大変や。 可哀想って思って何が悪いん?」諦めました…うちの息子の事が分かってから、うちの実家には話しましたが、祖母には取り繕ういとまがありません。理解しようという気持も、私達夫婦の気持ちも理解する気は見えません。電話がかかってくれば「いつ帰ってくるの?」「あんたばっかりが苦労してるんじゃないで」私が鬱で、薬のおかげでやっと日常生活がおくれるようになってきたの知っていますよね?自分だけが苦労してるなんて思ってるわけ無いでしょ?何度言ったら分かってくれるんですか???実家の電話は取るのはかなり怖いです。祖母からの確率高い _| ̄|○ 母とはメールでやり取りしてるし、父は携帯からしかかけてこないし。父と母は理解してくれようとしています。とてもありがたいです。こんな時に、死んでしまった祖父が生きていてくれたらな~と思います。他人の辛さを自分に置き換えて考えられた祖父。自分が障害児の親になって余計に思います。もっと色々知って欲しい。もっと理解してもらいたい。どうしたらいいのか考えています。
2008.02.04
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本日2回目の日記です。年賀状で、東京時代の親友の第2子誕生を知りました。今は京都に住んでいますが、4年前は東京に住んでいました。ママ友達がいなかった私は、歩いて2分の区のセンターで彼女と知り合いました。娘と1ヶ月違いの男の子のお母さん。彼女はとても明るく、そして気遣いの上手な人です。何人かママ友はできましたが、彼女はお互いに特別な存在でした。私達はたちまち仲良くなり、家族ぐるみで付き合うようになりました。毎日の楽しい生活。私達は自分達の過去の話から、育児についてまで色々なんでも話しました。彼女も苦労して育ち、お母さんとご主人、そしてRくんと4人で暮らしていました。お母さんとはよく喧嘩をしていたようですが、ご主人と離別後、1人で3人の子供を育てた彼女のお母さんは実家の遠く離れた私の心配をいつもしてくれていました。『核家族でご主人も殆ど家にいない彼女がどんなに大変なのか、あなた分かるの?』そうお母さんは言ってくれていたそうです。でもね、彼女は分かっていてくれていたんですよ。そして、母と同居するのがどんなに大変か、父が養子だった私はよく知っていました。ひどい風邪で寝込んでいた私に、食事を届けてくれたのも彼女でお母さんもそれをしたらどうかと話してくれたのです。本当に色々助けてもらいました。初めてうちに彼女のご主人が来た日、ご主人は酔っ払って我が家で寝てしまいました。それほどうちの主人とも打ち解けてくれたんです。彼女は怒っていましたが、私がとても嬉しかった。そうやって、私達は親友になっていきました。本当に毎日が楽しくて、明日が来るのが待ち遠しかった。でも主人の時期外れの転勤で、突然別れが訪れました。本当にショックでした。どんなに2人で泣いたでしょう。そして私は親友を作るのが怖くなりました。『またいつ転勤するのか分からない、こんな思いはもうしたくない…』私は京都に来ても、人と仲良くするのを無意識に避けていました。親友とは、お互いの家族で京都・東京に行きあいっこをしました。そして、私は鬱になり、連絡する事をしなくなってしまいました。年賀状だけはやり取りしていました。そして、今年の年賀状で娘さんが産まれたことを知りました。本当に嬉しかった。自分の事のように嬉しかったんです。その頃、ちょうど息子が自閉症ではないかと疑いを強くしていた時期。確信に変わって、動揺していましたが、お手紙と出産のお祝いを贈りました。お礼のメールに「早く帰って来てね♪」と書き添えられていました。私は「ちょっと色々あって、帰れなくなってしまったの」と返信しました。一番にあなたに相談したかった。でも子供を産んだばかりのあなたに、それを話すことはできませんでした。いつか話す日が来るでしょう。あなたと一緒に泣きたい、そして理解してもらいたい。あなたはきっと理解してくれる。そう確信しているからです。今日、内祝いの紅茶が届きました。子供達は紅茶が大好きです。彼女の赤ちゃん、元気にすくすく育ってね。本当に心からそう願っているちょめりでした。
2008.02.01
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<テレビの時間を減らす>これは我が家の大きな課題でした。何故かと言うと、私がテレビっ子だから _| ̄|○ 先日書いたように、殆ど家族が家に不在だった幼少期。止める人もいないので、私も弟もテレビ三昧でした。大人になってもテレビが大好き。何のジャンルでも好んで見ます。旦那は昔から呆れてましたww以前、息子の発語の遅れに、娘が年少からの同じクラスのママさんに相談した事があります。そのお母さんは、以前育児関係の仕事に従事していた3人のママさん!(私以外は前職の事知らないかも・・・)娘の同級生の息子さんは一番下のお子さんです。年少の頃から私の好きなタイプのお子さんなんですが、年中になってますます大好きに♪もう可愛いったらありゃしない!声掛け捲ってたら、いつしか向こうからも声をかけてくれるようになって今では幼稚園に行くとよくおしゃべりをするようになりました。息子さんに接する姿を見て、まさしく私の理想のお母さん像。お人柄もすごく良くて、密かに尊敬するママ友さんですww『テレビの時間を減らしてみたら?』それがなかなか難しい。見ていない、こっそり主電源を消すと、子供は2人とも怒る。断念 _| ̄|○ 見ていない、こっそりリモコンで消してみる。これまた怒る。断念 _| ̄|○ そしてやっとじっくり考えた私。リモコンでこっそり少しずつ音量を下げて…無音。そして、こっそりリモコンで消す。成功!!!テレビをつけている時間を少なくする事に少しずつこうやって慣らしていきました。(まあ、私も同時にテレビの少ない生活に慣れたんですがww)Kくんのママ、ありがとう。あなたの言葉が無かったら、実行する事も試行錯誤することもなかなか無かった!今じゃ決まった番組だけ見る事が多くなりました。(NHK教育幼児部門は外せませんww。息子の好きな番組もあるし、 適当ですが踊ったり、唄ったりしているので)その分話しかけたり、<光とともに…>光とともに…(1)で学んだ方法で、色々息子への発達の促しをしています。昨日幼稚園の未就園クラスで付属の大学に行ったのですが、他のお母さんから子供への接し方で学ぶ事がありました。今日も日々勉強の毎日です。
2008.02.01
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本日2回目の日記です。1回目の日記に書きましたが、私達姉弟は寂しい幼少期を過ごしました。●かまってもらえない寂しさ●『お姉ちゃんなんだから。』という強いプレッシャー。●発達も遅く、【田舎の長男】と大事にされる弟へのいらだち。こんな事がありました。小学中学年の頃、私はトレーナーを1枚しか持っていませんでした。それを洗って乾いていない状態で、私は下着の上にジャンバーを羽織り学校へ。授業が始まり、ストーブで暖かくなっている教室。何も知らない先生は、私にジャンバーを脱ぐように言いました。それを脱げば下着だけ。本当の事が言えない私は拒否しました。周りの友達にはやし立てられて、本当に辛かった・・・。同時に子供の服が1枚しかない事にすら気づかない母への憤り。父は唯一私の味方(今思えば私が不憫だったのでしょう)をしてくれましたが、なんせ養子の身。しかも祖父母とも折り合い悪く、特に祖父とは最悪。母は客観的に祖父母が悪くともそちらの味方をし、父の味方をする事はありませんでした。その事が、私の更なる母への嫌悪と繋がっていきました。今ならわかります。母も一杯一杯で考える余裕が無かった事に・・・忘れもしません。私が小5の時、自宅のローンが終わりました。誰かが口にしたわけではありませんが、家族の異常な歓喜の状態が、それを私に分からせました。親戚に世話をしてもらった工場を止め、母は外へ働きに出ましたが、私が中学生の時、介護福祉の仕事に付きたいと言い出しました。家族中が反対する中、当時もう家族会議の一員として認められていた私は母から家族の説得してくれるように頼まれました。高校卒業後、介護の進路に進みたかった母は結局親の反対にあい、諦め、地元の銀行を紹介で入社し、1年後お見合いで父と結婚し退社しました。見合いの後、先に結婚していた姉に泣きながらイヤだと電話した事。姉が嫁いだその日から、養子をもらうことしか考えてなかった事。銀行勤務時、告白されても長男だからと諦めた事。そんな事を聞いていた私。中学生になり、母への気持ちも一段楽していた私は、結婚の経緯、そして結婚4年目の火事からの苦労。そんな事から母の願いを叶える為に、家族の説得に乗り出しました。弟を味方につけ、父を説得し、父と祖父母を説得しました。結局母の願いは通り、現在も介護福祉士として、特別養護老人ホームで懸命に働いています。結婚し、知っている人の1人としていない東京でバイトを始め、頑張りが認められ社員の話が具体的に進み出した時、妊娠し正職は諦め8ヶ月まで働きました。母となり、核家族で深夜帰宅の主人。休みの日も昼頃まで寝ている事が多い。彼も懸命でした。そんな私に大家族で私を育てた母は、当時私の苦労が分かりませんでした。伯母(母の姉)が核家族で子供を育てる苦労を母に根気良く話してくれました。ママ友に、現在5歳になった姉が1歳の頃『ネネちゃんって、うちの子より3倍以上大変だよね』と言われました。正直、私は彼女に何か障害があるんではないかと思っていた位です。(実はもっと楽だった息子に障害があったのですが)主人が京都に転勤になり、私の育児の見て母は私を不憫がり、そして、仕事で何も私にできないと謝る様になりました。(今度は伯母が不憫だといいすぎてる事のせいなんですが・・・)ソウを産む時、仕事を休んで姉の面倒を見てくれた母。1年少し前に私が重度の鬱になった時も助けてくれたのは母でした。(父もですが)両親がいなかったら、私は今この世にいなかったでしょう。私が浪人し、予備校に通っている19歳の時、父が飲酒運転の上での居眠り運転で自損事故を起し、下半身不随になると医者に宣告されました。母は病院の帰り、私と2人きりになり、『実はな、お父さんもう歩かれへんかもしれへんねん・・・ ずっと車椅子の生活ちゃうかって。 おとちゃんとおかちゃんには、まだよう言わんで、自分1人で抱え込まれへん。 ごめんな、誰かに言いたくなって』母は運転しながら、号泣しました。私は『なんとかなるよ。私働くわ。弟だけでも大学出したろう。』とだけ言いました。そんな父も普通に現場で働けるようになり、軽く走ったりもできます。昨年末弟も結婚し、母の肩の荷も下りたしばらく後、ソウの自閉症のことが分かりました。母は優しく私達を見つめてくれています。私が母を憎みさえしてきた事は、もう遥か彼方。遠い過去の出来事です。今は母にとても感謝しています。母の娘として本当に産まれてよかった。母が母でよかったと心から思っています。今日もお年寄りの介護を懸命にしながら、私達の心配をしているでしょう。お母さん、本当にいつもありがとう。今まで、実は私達は支えあって来てたんだよね。そして彼女の人生を振り返り、苦労や心配ばかりしてきて今度は私達一家の事で、また心配をし続けることになった母や実家の家族に申し訳なさを感じてしまう私なのでした。
2008.01.29
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少し前の事になります。1/16に初めて専門医師に【医学検査が無ければ極めて自閉傾向が強いと言えます】そう言われた翌日、診断を受けた3歳5ヶ月の息子の報告と入園用品購入の為、姉の通う幼稚園へ出かけました。(息子ソウは4月から未就園クラスという在園児弟妹対象のクラスに月に1.2度行っています。 担当してくれている主任先生からは、今年4月から年少さんに入園可能とお話を頂いています)主任先生は教室で2人きりで話す時間を設けてくれました。(先日も設けていただいたのですが・・・恐縮です!)昨日の保健所での話をしました。●ソウが【医学検査の異常がなければ、自閉傾向極めて強し】と診断された事。●今後療育施設の面談をし、療育に通うことになる事。●医学検査を受けること。主任先生は、「そうですか、わかりました。 担当の保健婦さんと相互連絡を取らせていただいてもいいでしょうか? 色々連携を取りながら、園でもどうすれば彼に一番いいのか考えます。 大丈夫ですよ。年少は担任が2人いますし、ソウ君についていられます。 彼に一番良い様に、皆で考えながらやって行きましょうよ、お母さん! 4月から彼の様子を見せていただいています。 療育に通う年少のお子さんも何人かいるんです。 お子さんやお母さんの無理の無い様に、療育の日は休んだり、早退したり また決めていきましょうね。」少し前の事で、はっきりと覚えているわけではありませんが、こういうった内容の事を言っていただきました。障害を抱える子供を幼稚園で預かって頂くのは、難しい事を私も知っています。本当に感謝で一杯で、また涙が出てきました。私の住む近隣は、殆どのお子さんが3年保育。ソウの2歳年上の姉が就園時期になり、当時よく行っていた公園のママさん達と話す時期になりました。何かと行事が多い幼稚園。余り遠く無い距離で考えると3つの幼稚園が候補に挙がりました。・教育に力を入れているA幼稚園。 →発表会の時、楽器が上手く吹けない子供に先生が「拭かないようにしてね」と 言っていたのを友人から聞き却下。・伸び伸び幼稚園で、公園お友達の殆どが通うことにしているB園。ただ学区が違う。 →説明会に行くも可も不可もなく帰宅。園児の様子は普通だった。・現在娘が通う幼稚園。知り合いはいく予定なし。学区内。 でもうちは転勤族。小学校まで現住所に住める可能性はきわめて低い。 →説明会に行った時、バスの運転手さんや先生と楽しく遊んでいる。 なんと園児が娘や私に自発的にお茶を持って来てくれる。本当に驚きました。 娘もベビーカーの息子も含めてすごく可愛がってくれる。そして私はこの説明会をきっかけに、今娘が通う園への通園を決めました。主任先生にその話をしたのですが、「不思議なもんです。自発的に子供達は自分でするんですよ。 幼稚園がお子さんに関われる事はそんなに多くはありません。 きっと親御さんがおうちでしっかり教えてくれているんでしょうね。」私は「いえ、先生。私は子供にとって、幼稚園がどんなに大事なところか経験上知っています。」実は私の実家は、私が2歳、弟が生後1ヶ月で、自宅が全焼しました。父は養子で、家を新築するまでの1年間、市内の父の兄のお宅に家族6人でお世話になりました。(既に父の両親は他界)火災保険にも入ってなかった為、新築した家のローンを返すため、家族は昼夜無く働きました。食事時以外家族が誰もいない生活。喧嘩が絶えない両親。かまってもらえない寂しさで一杯の幼少期でした。夜小さい私達を寝かせに、敷地内の工場から母が来ます。保育所に通う小さな私達姉弟は、すぐに寝付かない私達に母がイライラしているのを感じていました。私達は寝たフリをし、工場に再び音が響きだすのを聞いて「お母さんまた働きに行ったね・・・」「うん・・・」そういった会話を毎日繰り返していました。保育所から帰宅した私くらいしか弟に話しかける相手はいません。3歳の通園までその生活が続く弟は、発達も遅く、おねしょをよくしていました。弟も保育園に通いだし、少しの時間の昼寝の後のおもらしは毎日です。おせっかいな私と同級生の女の子が、わざわざそれを私に知らせに来ます。弟の様子を見に行くと年少の弟が大勢の先生に囲みこまれ、睨まれて怒られていたり、押入れに閉じ込められていました。当時年長の私は、かわいそうで見ていられませんでした。弟の保育所時代は惨めなものでした。私は自分の経験を話し、主任先生に子供にとって幼稚園がどれ程大事な場所であるかここの園児の優しさは幼稚園の先生やいつも遊んでくれる運転手さん、皆さんの力が大きいと思う事を伝えました。主任先生は今まで見た事のないような笑顔でした。たまたま選んだ幼稚園。娘は一度も幼稚園に行くのを嫌がった事がありません。私は幼稚園に行くと園児とよく遊ぶ一風変わった母親です。私は娘の通う幼稚園の園児が大好きです。そしてこの園で息子を受け入れてくれる事、それが何よりありがたく嬉しいのです。担任が1人になる年中になって通い続ける事ができるのかは、わかりません。だからこそ、来年度の1年間を大事にしたいと思います。
2008.01.29
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今日先日初めての専門医相談を担当して頂いた医師の元へ血液検査に行きました。(医学検査の異常がなければ、≪極めて自閉傾向強しと言われた3歳5ヶ月)ソウの好きな電車でなら一駅。その駅からは無料送迎バスも出ている…。でも自宅から最寄駅までの距離が【1】なら、自宅から病院まで【3】寒いのに、思い切って自転車で向かう私今日は寒いといっても、自転車で15分強の距離(割とゆっくり走りました)30分も前に到着し、初診受付を済ませ、小児科のある4階に向かいました。おもちゃや絵本などの置いてあるプレイスペースも完備されていて、おもちゃで遊んで予約時間まで待ちました。担当のO先生と、前回の保健センター以来のソウの様子を聞かれ、話しました。●最近欲しいおもちゃや本があったら強情を張るようになった事。●マイブームの魚カード(まりんまりん)に飽きが来た。その後の強烈なブームなし●欲しいものがあったら、違うもので気が変わらなくなった事。●成長かと喜ぶ反面、自閉症特有のこだわりに発展するのかちょい不安な事。そんな事を話しました。「でも色々お話聞いてると、そんなすごいパニックとかって無いですよね。」そう、それが(今のところは!)確かにあんま無いかも・・・う~ん、家族外に囲まれる環境あんま与えてませんし・・・急に「これじゃなきゃ駄目!!」ってのが出だしたのが、つい最近。多分半月たってない。その間幼稚園の未就園クラスは1回あったが、療育施設面談の為休んだしな。当然5歳の姉とはぶつかる。しかもこれまた強情な姉。自分から譲るなんて考えませんwwこの間までは、ずっとソウに譲ってもらってたもんね。それが当たり前で、急に変化した弟に、私達夫婦よりずっと付いていけない。最近までは自分がままごとしてたら、強制的に相手にして、ソウもその相手をしていたのに、気が向かないと全くしないソウ。またそれが気に食わない姉( ´,_ゝ‘)プッ先生は色々「こうしてみては?」とか例について教えてくださいました。そしてその間に私の近くを離れたと思ったら、隠れてこっそりウ○チしてきてた _| ̄|○ 臭いのにスイマセン・・・ほんでもって採血。準備に入るO先生や、お話中も側にいた若そうな医師らしき男性、看護士さん。見えないところで用意して下さってるのに、怪しい雰囲気を感じるソウ。ソウはベッドに寝かされ、離れるように言われた私はソウが見えないところで待機。ウギャーーー!!!と泣き叫んだ後「いたい~~!!」「やめて~~!!」「おわり~~~!!」「たすけて~~~!!!」他にも言ってたっけか?そんな時間短くなかったしな。50ccは採ってたような気がします。可哀想より、「あー、言葉増えてるし、意味分かってるんだな~」と感心していたひどい母親の私ww手の甲から採血したんですが、終わっても泣き叫ぶ泣き叫ぶ。「いたい~~~!!!!」『だから、もう終わってますから・・・・』アルコール綿貼ってもらったのがすごくイヤらしく、「剥がせ」と言わんばかり _| ̄|○ O先生が、アンパンマンの顔を書いた止血シール(?)を下さって、貼ってみたけど、効果なし。あまりのアンパンマンへの関心の無さに、ちょっと先生のお顔が歪んだような・・・『先生スイマセン・・・・。うちの息子、アンパンマンあんまり好きじゃないんです。』オムツ替えてる最中も泣きまくってましたよ。オムツ交換完了後、帰ろうとすると泣き止んでくれ、1階に戻り会計が済んでからジュースを飲ませて完全に落ち着いているのが分かったので、自転車で帰宅しました。次回はMRI検査です。O先生からは、以前に既に『1回で済む事はマレですから。少し動いても駄目なんでね』と宣告されていますww自閉っこにしては割と寝る方なんですが、どうなるんだろうな~。2/9(土)に予約してもらいました。採血検査はその時との事です。
2008.01.28
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うちの息子(医学検査はまだですが、異常がなければ自閉傾向極めて強しの3歳5ヶ月)。近所のスーパーへ行く途中、趣味の家庭菜園を通ります。ハウスじゃないので、季節の野菜が植えられています。5歳の娘と一緒にスーパーへ行った帰り、「ダイコン!」息子が右を向いて、言いました。植えてある大根が大根って分かってるよ!!土から根っこの部分は殆ど見えず、青々と茂った葉っぱで何故分かる??私は大興奮でしたが、5歳の娘は土に生えている大根を大根と気づかず、「そんなん無いで。」植えてあるその植物と大根と娘に説明したら、娘は自分が分からず、殆どしゃべらない弟が分かったことにすごい不機嫌ww実家の父の畑で見たのを覚えていたのか?2ヶ月は経ってるんでは・・・それとも父が持ってきた時の葉っぱ付大根を覚えていたのか?何度通ってもそれを大根だという息子ソウ。スーパーで売っている大根も大根だって分かってるんです。こちらが言うまで、しつこく≪繰り返せ!≫と言わんばかりに言ってますからww視覚が強い自閉っこ恐るべし・・・出来ないことが多いけど、これには嬉しい母なのでした。
2008.01.25
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話が前後していますが、1/16の初専門医受診の詳細です。(前のブログでの楽友さんへの日記はこちら)昼頃実家の母に来てもらい、(姉のバスのお迎えの為)主人と息子(3歳5ヶ月)と3人で隣の市の保健所に向かいました。地域担当の保健婦さんも来てくださいました。30分も早くに着いてしまい、まだ他の親御さんが部屋で話されていたので、待っていると、私達を担当してくださる相談員の初老の女性が衝立の所で先に問診(?)をして下さいました。親から見ておかしい(こういう言い方はされてませんが)と思う行動や嗜好などについての話をきかれました。話の途中で、先の親御さんが終わられたので、相談室に入りました。30畳ほどはあったと思います。部屋の端に机と椅子。真逆に専門医。そして中央に低い滑り台やおもちゃが並べられ、子供が遊ぶスペースは暖房のついたカーペット。息子はそこで、保健婦さんに見守られながらずっと遊んでいました。私達は椅子に座り、再び息子について相談員さんと話しました。妊娠中の事から今までの生育状態。言語や行動、ありとあらゆることを話しました。衝立で話し始めて1時間もした頃、専門医と話されていた親御さんが終わり、私達は専門医の先生のところに行きました。専門医は、40に届かない位の年齢の男性医師でした。先生は、「親御さんのお話を読ませて頂いたのですが、 まず甲状腺などの異常で同じような症状が出る事がありますので、 血液検査やCT(MRIって言ってたかも?)など受けて頂こうと思います」「答えたくないと思う質問にはお答え頂かなくて結構ですからね」と、まず最初に話されました。その声は冷静だけど優しそうに聞こえました。私は「何も隠さずお話させていただきたいと思っています。 子供を理解して頂くのになんでもお話するのがいいと考えていますので」と答えました。色々お話しする中で、●私達は息子を自閉症だと考えていること。●ネットや本などで自閉症の症状をある程度認識していること。などを伝えました。先生が、自閉症の事など色々説明される中「お母さんの育児方法が悪いとかでは、決してありません。」と言われました。本やネットで読んでいたから知っていたこと。でも先生に言ってもらって、どんなに嬉しかったでしょう。涙が自然と滝のように流れていきました。私はせきを切ったように、息子の姉が産まれてからの事を話しました。●東京で主人の午前帰宅が続く中、常に泣き続ける息子の姉を悩みながら育てたこと。●息子の姉の夜泣きに冬は夜中泣きながら、彼女を抱いて歩いた半年間。●引っ越してからも実家は近くなく、仕事をしている実母に遠慮し頼ることをしなかった事。●周りはお母さん方の実家が近く、頼れる環境を実は羨ましく思っていたこと。●自殺しようとするほど重いうつ病になったこと。●鬱が改善するまで子供達にかまってやれなかった自分を責め続けたこと。●それにも関わらず、子供達をひどくぶってしまった事。●そして、息子を今まできちんと診て頂かなかった事。先生の目に涙がうっすら浮かんでいるのが見えました。先生はおっしゃりました。「ここまでよく頑張ってこられましたね。 ぶってしまった事後悔しておられるんですよね? 子供を愛してない人は後悔なんてしませんよ。 お母さん、あなたはお子さんを愛しておられるんですよ。」こんな風に言ってくださったように記憶しています。私の心は洗われて行くようでした。(それ以来、子供をぶつ気になることはありません。)1時間、あっという間の時間でした。そして先生は、最後にこう言われました。「医学検査が済んで異常がなければ、極めて自閉傾向が強いといえます。」私達は何故かほっとしたような気がしました。自閉症と診断された親御さんは、疑っていた期間があればこういった感情になるんですね。それがその時わかりました。医学検査はその先生が見て頂くことになりました。家に帰って病院のHPを見て知ったのですが、≪小児神経≫が専門の先生でした。電話で検査の予約をしたときも、診療時間であろうに丁寧にご対応いただきました。私は周りの方に恵まれていると思います。【追記】鬱病の私は朝がとても辛く、大変です。でもなんとかなっています。薬様様。薬よ、今日もありがとう。私の朝いつも大きく声に出す言葉です≪今日も一日元気で≫ちょっと元気になる気がします。
2008.01.23
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1/18 午後1:45から療育施設での面接がありました。市がやっている施設です。隣の市との境界線に住んでいるのですが、もう一つの施設はとても遠く、面接に行った施設は自転車で10分かからない距離にあります。その日はえらく息子の機嫌が悪く、出かけるのに時間がかかってしまい、到着したのは時間を数分過ぎていました。(わかりにくい場所でちょっと迷ってしまう始末 _| ̄|○ )やっとの思いで到着し、インターホンで名前と用件を告げると地域担当の保健婦さんが門まで出迎えてくれました。来ていただけているとは思っていなかったので、とても頼もしく、嬉しかったです。入った瞬間、狭さに驚きましたwwしかもちょうど入れ替えの時間なのか、人が多く驚いていると「私も何回も来ているのに、こんなに人が多いのは初めてで驚いてるんです」と笑顔で声をかけてくれた保健婦さん。本当にいつもありがとうございます。息子はこういう感じのスロープで、下段に鉄琴の様な大人がなるおもちゃを貸して貰い何度も繰り返して待っていました。(この集中力はさすが自閉っこですww)なんだかお母さんが何人か続々と入ってこられます。しばらくして玄関正面の教室1つから続々と療育を終えたらしいお子さん達が出てきました。お迎えにいらしたんですね。空いた教室の一つに私達親子と保健婦さんが入り、後で中年の男性が入ってこられました。失礼ですが、信楽焼きのタヌキのような親しみやすい雰囲気の優しそうな男性wwその方が、その療育施設の所長さんでした。先日話した保健婦さんへの話や、専門医の発達相談の時の書類は渡されていると聞いていたので、すっかり安心していたらすごい速さで、お話と質問が始まり、付いて行くのに必死の私・・・息子の様子も垣間見てくれながら、(息子は保健婦さんに見て頂きながらままごとをしていました)1時間その調子で、怒涛のように最初の療育相談は終わりました。最後に所長さんは仰りました。「時間が無いので、あまり間隔を空けずこちらにおいで頂く事になりますが大丈夫ですか?」保健婦さんが【5月から療育を】と思ってくれているのを聞いていたのでその事なのかな~と思っていました。きっと私の想像以上にすごく忙しくされてらっしゃるんですね。すごく早口だったけど、話し方や口調、そして私に配慮して下さるなどとてもいい方だと思いました。最後に帰る私達を園長さんも玄関口で見送ってくれました。息子が自分で文句らしいことを言いながらも靴を自分で履くのを見て「おっ、自分で履けるんだね~」「上手く履けない時とか時間が無い時は、少し手伝ってしまうんですけど」と私が言うと、「お母さん、それでいいの。たまには手伝ってあげたって。 それで自分でしなくなるって事はないよ。自分でやろうって意志が見えるもんね」とても嬉しかったです。≪ひとつ羨ましかった事≫療育が済んだお子さんを迎えに来たお母さん達が談笑していたこと。私も療育が始まったら、自閉症児のお母さんじゃなくてもいいんです。ママ友が欲しいな~って思いました。
2008.01.22
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前のブログでの楽友さん全員に送った最後の日記です。1/17今日で日記のこの更新は終わりにしたいと思います。自閉症・・・昔よりは認知されてきた障害ですが、よりして知って頂きたい。そしてこの障害を理解していただきたい。私が同じだった用に同じ障害や他の障害や病気のお母さんが私のブログを読んで励まされること、気付くことがあるかもしれません。私の願望ですが。そして書くことにより、何より自分の気持ちに正直に向き合えるんです。助け、助けられ、励まし、励まされ、そういったブログになればと思い新しいブログを立ち上げます。お手紙を書けなかった楽友さん、本当にごめんなさい。そして暖かいコメントや箱メ、沢山送ってくれてありがとう。この日記が皆さんへの最後のお手紙です。今まで本当にありがとう。感謝以外ありません。ソウの名前は【そら】です。京都は今日は空が青いです。辛い時ついうつむきがちになりますが、ソウの名前の空を見上げて、できるだけ沢山笑って過ごせるように家族みんなで支えあって生きていきます。また泣いちゃったよ・・・。でも泣くことも必要。ストレスや不安を解消する手段です。でも心は結構前向きですよ。【追記】この日記の翌日だったと思います。私は前のブログを閉鎖し、このブログを始めました。自分の中で息子の自閉症を確信し(自分で勝手になのですが・・・)、診断を受け始め(まだ1回ですが)、療育施設の面談も1回受けました。その時の様子も後日UPしたいと思っています。(自分自身がすぐ忘れそうなのでww)
2008.01.21
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この日記は、保健所にて専門医の診断を初めて受けた翌日。このブログ前にしていたブログに掲載したものです。1/17昨日日記がUPできずごめんね。UPが無い事で色々心配おかけしました。昨日私実母に来て貰い、ネネのバスお迎えをお願いし、昼からソウの診断を受けに行ってきました。地域担当の保健婦さんも来てくれ、最初にソウの様子などの調書聞き取りをしてくれた女性も、診断してくれたお医者様も本当にいい方でした。脳波などの医学的検査を済ませなければ、何か病気が潜んでいるかはわからない。でもそれで何も異常がなければ、極めて自閉傾向が強いといえます。最後にそう医師は私たちに告げました。これは私達夫婦に覚悟が出来ていると言う事、そして息子と自閉症と真剣に向き合おうと考えていること、それを医師が感じてくれたからだと思います。こちらが「自閉症ですか?」という質問が無いにも関わらず、1回目の診察で医師が自発的に言ってくれることは少ないようなので。今日ソウの幼稚園で制服販売会があるので、出向き明日は早速養育の園に相談に行くことができるので、週明けから怒涛の大忙しです。ソウのようにある程度の年齢になった自閉症の母親は、診断が下るとホッとしたような安心したような気持ちになると読みましたが、私もそうでした。これまでずっと霧の中にいて身動きが取れなかったのが、進んでいく方向が見えたからだと思います。主人はやはり前向きに考えてくれてはいますが、動揺している面が私より多くあります。それも正直に彼は話してくれました。当たり前です。前の日記にも書きましたが、私はおかしいと感じ始めてから2年近くたってるんですから・・
2008.01.21
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引き続き、このブログ以前の私のブログに書いた日記です。ネネ=5歳姉 ソウ=3歳弟(自閉傾向極めて強しと診断。今後何度か診断予定)1/15今日は朝からネネの幼稚園の参観でした。ソウを連れて行きましたが、パニックを起さないか心配しながら向かいました。歩いていこうと思ったのですが、いつも行くスーパーへ行こうとするソウ。パニックになりそうだったので、自転車で幼稚園に向かいました。途中で出会ったお母さんは未就園のママさんでした。私から声をかけることは今まであまり無かったけど、いつも元気に声をかけてくれている方。きっとソウの事を心配していてくれたのでしょう。『おはよう』は言い返せるけど、表情はあまり無いソウ。私たちの事を心配してくれているのを実は感じていました。ソウが自閉症らしい事。明日初めて専門家に行く事を話しました。泣かずに話せました。時に笑顔で話すことが出来ました。彼女は「保健婦さん大げさに言うよ!!」って言ってくれたけど、ソウの事を色々話すと、「1人で抱え込まないでよ、協力するし、話くらいはいくらでも聞けるんだから」と言ってくれました。色々話すうちに涙ぐみそうになる私の隣で同じく涙ぐんでくれる彼女がいました。私は恵まれています。そう感じました。元気にお友達と遊ぶ園児や楽しそうにお話しする園児。ソウはネネと以外遊べません。1人で遊んでいます。帰りに自転車の後ろにソウを乗せ、高台から園庭を眺め私は泣いてしまいました。ソウは「やいやい」と優しく言いながら、私の頭をなぜてくれました。いつも泣いたり、泣くまねをしたらしてくれます。彼が何か考えてしているのか、ただの習慣なのかはわかりません。でも泣き止めました。私はこの子を愛しています。明日初めて専門家の元を尋ねます。最終的な判断は先の事だろうけど、主人が昨日から不安定になっています。長くソウは障害があるのではないか?と思ってきた私。連日の深夜帰宅で接する時間が少なく、同じ年の子供がどうなのかわからず、しゃべるのがかなり遅かった主人の姉の息子も普通にしゃべるようになったんだから…そう考え、現実を受け入れられないようです。私はすごく時間がかかったもんね。パパ、急に認めろって無理だよね・・・認めたくないよね、聞きたくないよね。何日もすごく落ち込む私に無理して頑張ってくれたんだよね。支える側に回ってくれた主人に、今度は支えてよっからせてお互いを支えていく事になりそうです。全部の方に日記UPできそうにないかもしれません。ごめんね。日記を閉めるときは必ず前もってお知らせしますので。
2008.01.21
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