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「酒を1日1合飲み続けるだけでも、がんのリスクは意外に上がる」「量にかかわらず飲酒は脳に悪影響 英研究」少し前に、酒の健康への影響に関する記事を紹介したばかりですが、そういえば私自身、川島なお美さんが亡くなられたときに、以下のようなコラムを某誌のコラムに書いていたことを思い出しました。改めて読んでみると、飲酒に関するリスクについてはこのころからすでに同様のことが言われ続けていて、最近その声が大きくなってきたという印象です。***************前回、「ワインは老後の趣味にはふさわしくないのではなかろうか?」というような趣旨のコラムを書いたばかりですが、そんなところに川島なお美さんの訃報が飛び込んできました。熱心なワイン愛好家として知られた川島なお美さん。彼女がワインエキスパート資格を取得したのは、私と同じ1999年のことでした。当時、彼女は主にアカデミー・デュバンに通っていると聞いていましたが、私が通っていた自由が丘ワインスクールの講座にも参加されたことがあって、講義終了後、熱心に講師に質問されていたのを覚えています。 その川島なお美さんが亡くなったことには、私も大変なショックを受けました。これまで飲んできたワインの価格やランクこそ雲泥の差かもしれませんが、飲酒の頻度や酒量については私とよい勝負でしょう。年齢的にも近いし、私自身、肺や胃に経過観察中の所見があることもあり、とても他人事とは思えません。川島さんの死因となった「肝臓胆管がん」については、飲酒との直接的な因果関係が証明されているわけではないようですが、そうは言っても、という部分はあります。あらためてアルコールと癌の関係についてネットで検索してみると、それこそ山ほどの記事がヒットすることに驚かされます。医学的な内容に関してあまり不正確なことを書くわけにもいかないので、詳細については読者のみなさんがご自身で調べていただければと思いますが、キーワードのように出てくるのが「一日1~2合程度(理想は1合程度)」、「飲酒と喫煙の組み合わせはよくない」「休肝日を設けるべき」といったことです。また、日本人には遺伝的にアセトアルデヒトを分解する力が弱い人が多く、そのような人が飲酒を続けるとリスクが高まるということもよく書かれています。私の場合はどうかと言われれば、喫煙はしないのですが、休肝日については完全にアウトです。(ここ数年、休肝日は2週間に一日程度でした。)酒量については、日本酒換算でギリギリ一日2合程度というところですが、ワインの特性として一度開けてしまうと日持ちしないという問題もあり、一日1合に抑えるのはハードルが高そうです。ひと晩でボトル半分程度という酒量は、愛好家の中ではとりたてて多いほうではないと思いますが、世間的に見れば、通年単位で、ろくに休肝日もとらずに飲んでいるというのは、いわゆる「大酒飲み」に分類されてしまうようです。遺伝子云々についてはどうでしょうか?「大酒飲み」の私がその心配をする必要はなさそうですが、実はワインを飲み始めたころの私はボトル三分の一程度しか飲めず、慣れと体重の増加によって次第に酒量が増えたという経緯があります。父方はみな酒飲みですが、母親はビール一杯で赤くなってしまうので、一部母方の遺伝子を継いでいるとすれば、本来は「飲める」「あまり飲めない」「まったく飲めない」の3分類の中では「あまり飲めない」タイプなのかもしれません。もうひとつ、ネットで検索していて、背筋が寒くなるような記事を見つけました。それは「長期にわたる多量の飲酒の習慣が認知症のリスクを高める」というものです。具体的に、一日にどのくらい飲むと何年早く脳の委縮が進行するといったデータを謳った記事もありましたが、ここでの引用は控えます。ただ、前述のように、世間的に「大酒飲み」に分類されてしまう私なぞは、やはりここでもリスクの高いグループであるようです。前号同様、なんだか世知辛い内容になってしまいましたが、前号のコラムでも書いたように、私としては、これまで辛いときやシンドイ時に何度もワインという趣味に助けられてきましたし、十分飲酒によるプラス面も享受してきたと思うので、決してこれまでワインを飲み続けてきたことを悔いているわけではありません。しかし、いかんせんこの2~3年、野放図に飲みすぎたことは大きな反省材料です。このままではいけない。日々そう思いつつも、かといって、ワインという趣味をバッサリと一切やめてしまう気はないし、日常的に飲酒を一切断つような覚悟や決意があるわけでもありません。現実には、ワインという趣味との距離感を保ちながら、だんだんとペースを落としていくしかないのだろうと思いますが、では、どうやってペースを落としていくか、それが問題です。■休肝日の定期的な取得。そのためには‥私がまずやらなければならないこと、それは「定期的に休肝日の取得する習慣をつけること」です。~週に四日、本数にして二本(二日で一本)に留め、残りの三日は休肝日とする。または~一本を三日に分けて飲み、週に四日休肝日にする。といったあたりが落としどころかなと思っています。三日で一本では酒量的に物足りないのですが、上の文献等を読むと、一日あたり二合までに留めておくのがよいらしいです。とはいっても、ワインの場合、保存性の面で三日目はちょっとキツいですよね。・・悩ましいです。 ・小瓶に分ける。200ml×2本と300ml瓶1本に分けるとちょうどきれいに分けられます。全部足しても700mlにしかなりませんが、ワインの保存時はきっちり瓶口すれすれまで注ぐので、実際は表記量より20~30mlほど多く注げるのです。・あらたなワインセーバーへの期待。コルクを抜かずに、高級ワインを酸化させることなくバイ・ザ・グラスで楽しめる機器を開発した「コラヴァン」。コルクに針をさして、不活性ガスを注入しながらワインを吸い出すことでワインボトルのコルク(キャップのシールは付けたままでOKとのこと)に細い針を挿し、アルゴンガスを注入しながらワインを注げるようにします。ワインを注いだ後は針を抜くだけ。あたかも未開封のワインのように保存できます。ロバート・パーカーは「過去35年でワイン業界における最も画期的な発明だ」としています(パーカーは同社への出資などはおこなっていないとのこと)。・つまみを常備しない。これは私独特の方法かもしれません。たとえば、あまり夕食がワインを飲もうという気にならないメニューだったとしても、冷蔵庫にチーズとナッツがあれば、それだけでワインが進みます。逆に言うと、これらのつまみを常備しておかないことが、無駄に酒量を増やすことへの抑止力になるのではなかろうかと思っています。うものです。ひとつには、前号で書いたように、もっと他に打ち込めるような趣味を見つけること。ただし、新たな趣味といっても、「内なる衝動」がないとなかなか長続きするものでもないでしょう。■日頃飲むワインの種類を見直す実は今回の記事で書きたかったのはこのことなのです。万人にあてはまえるかどうかはわかりませんが、私は最近、最近晩酌でシャンパーニュをよく飲むようになって、ブル赤を飲む機会が相対的に減っています。実は、これが、今後の私のワインとのつきあいの中で大きな意味合いをもつことになりそうな予感がしています。プライス高騰が大きな理由であるのはいうまでもありませんが、それ以外にも、・アルコール度(12%)の点で自分好みだったり、・さまざまな食事に合わせやすい。・炭酸のおかげで、腹が膨れる。(あまり量を飲まなくても満足できる)・品質が比較的均質化されている、ブルゴーニュで出くわすような馬小屋臭がしたり、泥水みたいだったり、枯れてスカスカだったりというようなボトルにあまり出会わないのも利点だと感じています。そう思うと、小規模ドメーヌによる手製&農作物的要素の強い多いブルゴーニュワインは、アルコール飲料としては、甚だ不完全な飲み物だよなぁと今更ながらに思います。まあシャンパーニュもこのご時世結構なお値段なので、日常的に飲み続けるというわけにもいきませんがね。■シャンパーニュを飲み始めてあらためて思うことこうしてシャンパーニュに凝り始めてみると、今までなんて「もったいない」ことをしていたのだろうと悔やむことがあります。それは、今まで数多くのワイン会に出席してきて、参加者のみなさんからそれこそめくるめくような絢爛たるシャンパーニュの銘柄たちをご馳走になってきたのにもかかわらず、私自身の興味の対象から外れいてたため、「のんべんだらりと飲んでいた」り、単なるスターターとしての扱いしかしてこなかったことです。僻地で作られる無名生産者のムニエばかりのセットを飲んで、シャンパーニュって大したことないよね、といいっていた時期もありました。もうひとつは、せめてもう少し基本的な知識を身に着けて飲んでいればこんなに遠回りをしないですんだのだろうな、ということ。日頃、ワイン初心者に対して言っていることが、そのままシャンパーニュ初心者の自分に当てはまってしまうから、なんとも笑えます。ただ、飲み続けるには難しい面もあります。・価格レンジが高いこと。・保存性という面では、翌日は全く問題ないと思っていますが、「小瓶に移す」という芸当ができないことから、ついつい初日に飲みすぎてしまいます。・状態管理の面でも、あまりコンディションのよくないボトルにあたる可能性も少なくなさそうです。これなどはかつて「脱酸素パック」に入れ込んでいた身からすれば、本来酸素が流入しない(炭酸ガスが瓶内に満たされているため)シャンパーニュが劣化するというのは理屈がつかないことであり、温度以外に「光」の要因。温度についてはどうなのか?・具体的にはポリフェノールやリスベラトロールといった成分による、いわゆる「健康酒」としてのワインの効能については、赤ワインの方が好ましい。・夏場はよいが冬場になってくると、習慣的に赤ワインの方が恋しくなってくる。(クリスマスと正月を除く)とはいえ、前後からずっとワインという趣味に対してネガティブな視点で書き続けてきましたが、ここにきて、シャンパーニュとの新たな出会いが、また別のワインライフを切り開いてくれるかもしれないなと思い始めています。前に書いた休肝日との兼ね合いでいえば、一週間のうち3日間ノンアルコール日を作り、残りの四日については、主にブルゴーニュを中心とした赤ワインとシャンパーニュ(や白ワイン)とのローテーションにするという方法もあります。文末になりましたが、あらためて川島なお美さんのご冥福をお祈りします。
2022年04月13日
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「ワイン履歴」などとエラソーに書いていますが、かれこれ10年前に書いた記事(の後半)です。前号で書いたように、2003年から2004年半ばごろまでの私のワインライフは、デフレ不況の影響に加えて、乳児二人の子育てにより、「金もヒマもない」『暗黒時代』に陥っていたが、この停滞期はその後、子供の生まれ年のワイン購入という『特需』により、いったんは息を吹き返した。■子供の生まれ年のワイン購入 2004年に入ると、上の子の生まれ年の02ビンテージが出回り始めた。02ビンテージの作柄はというと、ボルドーはほどほどというところだが、ブルゴーニュについては、その後05年の登場でやや影が薄くなったとはいえ、リリース時にはモニュメンタルな当たり年といわれたものだ。00、01年とやや物足りないビンテージが続いたあとだったこともあり、メジャーな銘柄やスタードメーヌものの入手をめぐっては、実に熾烈な争奪戦が繰り広げられた。 私も当初は、白半ケース、赤1ケースぐらい買っておけば充分だろうと考えていたのだが、いざ争奪戦が始まってみると、これはもう、なんというか「集団催眠」のようなもので、「今買わないと、後がない」「タマがあるのであれば、買っておかなきゃ損」という半ば強迫観念に駆られて猛烈に買い漁ることになった。(ちなみに、05ビンテージにおいても、同様の集団催眠のような争奪戦が繰り広げられたのは、記憶に新しい。)それまでも、ワインの買いすぎで月々の生活費が苦しくなることはあったが、私の場合、純粋に貯金を切り崩してまで購入を続けたのは、後にも先にもこの時期だけである。まあ、おかげで02年のブルゴーニュは、毎年コンスタントに開けたとしても、子供の70歳の誕生日を祝える分ぐらい保有しているわけだが、冷静になってみれば、そんな年まで誕生日を祝うわけもなし、そもそもそこまで当の私が生きながらえているあてもなく、いやもっと言ってしまえば、通常のブルゴーニュワインが70年も保つわけもなく、結局は子供の記念日と関係なく、持ち寄りワイン会などで飲んでしまっている今日この頃である。■余談ところで、02年については、ボルドーをあまり買わなかったことを少しばかり悔やんでいる。ブルゴーニュ好きの私ではあるが、長期に亘っての熟成の安定度という点では、やはりボルドーに軍配を上げたくなるし、02年のボルドーのプリムール価格は、当初非常に安かったのだ。これは、もともとあまりビンテージ自体の評判がよくなかったところに、パーカー氏の渡欧タイミングが遅れて、プリムール時にパーカーポイントが定まっていなかったことにも原因があったらしいが、某社のプリムール第一弾の価格では、ムートンなどは、1本1万円程度だった記憶している。そんなに安いのになぜ買わなかったのかと言われれば、当時愛好家の間では、「02年に金をつぎ込むなら、なんといってもブルゴーニュでしょ。」という雰囲気だったのに加えて、イタリアやローヌと同様、02ボルドーの出来は芳しくない、という風評が広まっていたのだ。それで私も安いとは思いながら、結局プリムールには手を出さなかった。ちなみに、その後出た02ムートンロトシルトのWA誌の点数は、94-96ポイント(最終的には93ポイント)だったが、その頃にはプリムール価格も値上がりしてしまっていて、パーカーポイントの影響の大きさというものを、身をもって知らされた私である。■02年に続いて03年。さて、これと全く反対の状況だったのが、下の子のビンテージの03年である。「上の子の写真やビデオはたくさんあるのに、下の子の写真は少ない」というご家庭が多いように、我が家の記念ワインの数も、上の子の02年と下の子の03年では大きな差が出来てしまった。これはもちろん、子供への愛情に比例しているわけでなくて、ひとつには前の年に買いすぎて、さすがに資金が続かなくなったこと、もうひとつは、この年のワインが、ボルドーにしてもブルゴーニュにしても、WA誌の得点こそ高いものの、酸が低く、焦げたようなフレーバーがあって、いまひとつピンと来なかったことが大きい。前年ブルゴーニュを買い込んだこともあり、当初、この年はボルドー中心にするつもりでいたのだが、プリムール価格があの2000年のものよりも高かったのにも、興ざめさせられた。そんなわけで、03年のワインは、ボルドーの中堅どころを2ケース、ブルゴーニュ1ケースを寺田倉庫に預けてあるのみである。まあ、冷静に考えれば、子供の記念日を祝うのなら、これぐらいあれば十分なわけだし、今改めて振り返っても、02年と同じペースで購入するほど03年が魅力的だとは思えないので、ここらで『正気に戻った』のは、結果オーライだった。それにしても、この時期を振り返って、改めて思うのは、やはり『買う』『消費する』という行為は、モチベーションの向上につながるなぁ、ということだ。購入目的となれば、そのためにメルマガを入念にチェックするし、ショップごとの価格を比べたり、海外誌の点数を調べたりと、真剣度が違ってくる。ワイン仲間ともあれを買ったこれを買った、あそこが安いここが安いなどと話が盛り上がる。そんなこんなで、この2年間は冷めかけていた私のワインへの情熱が再び盛り上がった時期だった。 ■ヤフオク放出その一方で、子供の生まれ年のワイン購入資金の足しにと、それまでに貯め込んだなけなしの銘柄たちをヤフオクで切り売りしてしまったのもこのころだった。80年代のギガルとかグランジとか、DRCとかデュジャックとか、今思うと、なんとも惜しい銘柄たちを惜しげもなく売ってしまったが、当時は、単に金がないというよりも、「高額なワインを所有していても、家で開けることはないし、持ち寄りワイン会に参加するゆとりもないのだから、結局のところ意味がない。」という、妙に醒めた思いがあった。リアルワインガイドの試飲などで高額ワインを経験する機会が増え、良くも悪くも、高価なワインやレアなワインに対する憧憬を失っていたというのもあったかもしれない。ワイン仲間からは「ワインは飲んでナンボだよね~」などと、やんわりと批判されたりしたが、自分としては、限りある予算や収納スペースを、子供たちの生まれ年のワインに集中したいという思いが強迫観念のように働いていた。ちなみに、ヤフオク放出の収支はというと、購入時の価格と比べて、「損はしなかったが、保管コストまで考え合わせればトントン」というレベルだった。■ ブログの開設この時期はネットの世界でもゆっくりと、しかし大きな変動が起きていた。『ブログ』や『SNS』の台頭である。HTMLなどの特別な知識を必要とせずに簡易ホームページを構築できるブログの登場は、情報発信に対するハードルを大きく下げることになった。またミクシィに代表されるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)は、かつてのニフティのような中央集権的な大型コミュニティの再来を予感させた。ワインに関しても例外でなく、この頃から雨後の筍のように、多くのワインブログが出現し始めた。それらは、正直、玉石混合の感は否めなかったが、中にはスケール面でも経験や知識の面でも、私など及びもつかないような方々も少なからずいて、ネット上のワインに関する情報量、特に「○○○というワインは美味しかった」とか、「○○酒店でセールをやっている」といった、口コミ情報は圧倒的に増えた。こうした流れの中、私のサイトも例外ではなく、ある時期から、更新のメインをブログに移し、今までのホームページはアーカイブ用途にと、役割分担させることにした。もっとも、我がサイトの場合、そもそもが、単に飲んだワインの感想をアップしているだけの「呑み助日記」的なサイトである。いざブログを始めてみれば、こちらのほうが相性がよいじゃないか、となって、それほど違和感なく移行することができたし、更新の手間も、ブログにしたおかげで飛躍的に楽になった。ありがたかったのは、ブログに移行してからも、それまでの読者の方々が継続してアクセスしてきてくれたことである。おかげさまで、ブログへのアクセスは、今に至るまで、ほぼコンスタントに600件前後で推移している。■ 再び停滞期に。そういうわけで、04年から05年の後半にかけては、子供の記念ビンテージの購入とワインブログの開設とでそれなりに活況を呈していた我がワインライフだったが、生まれ年のワインの購入が一段落したとたん、ぽっかりとエアポケットに入ったようになってしまった。同じ停滞時期でも、子供が生まれた直後は、意欲はあっても金とヒマがない、という状態だったが、この頃は、そもそも興味自体をなくしていたという意味で、おそらく私の十数年のワイン歴の中でも、もっとも内容の乏しかった時期だったと思う。まあ、これも考えてみれば、当然の帰結である。子供のワインを買っていた時期は、貯金を切り崩すなどして、いわば特別予算?を組んでいたにすぎず、「金もなくヒマもない」という、私の置かれた状況は本質的ななにも改善されてはいなかったのだから。加えてこの時期、職場が異動になり、自宅でワインをゆっくり飲む余裕がなくなったことも、ボディブローのように効いた。さらに、子供のビンテージの大量購入を終えたことで、自分の中である種の「達成感」が得られてしまい、こののち「収集する(集める)」ことに関する意欲が、すっかり失せてしまった。(ちなみにこれは今に至るまで続いていて、おかげで05年の争奪戦にもほとんど参戦しなかった。)そんなこんなで、当誌のテイスティングを続ける気力や意欲も枯渇してきて、ついにテイスター紹介欄からも名前を外してもらうことになった。(前号の記事で時系列的に誤りがあったのだが、私の名前が当誌のテイスター欄から消えたのは、05年の冬号からだった。)久しぶりに、この頃の自分のブログを読み返してみたら、05年12月に以下のような自虐的な記事を書いていた。 「今号から、故あって、『テイスター紹介』の欄から名前を外してもらいました。そう書くと意味深に聞こえますが、なんのことなない、忙しくて現実的に参加できないからです。実際前号、今号とひとつもレビューを書いていないし、来年もまともに参加できそうもないので。それにテイスターの方々も錚々たるお歴々になってきて、私のようなド素人の幽霊テイスターが名を連ねているのも申し訳ないし…。いろいろな銘柄を試飲できないのは残念ですけど、やっぱり私には、こちらのブログで育児に振り回されながら晩酌のワインの感想でも書いている方が身分相応だな、と思う昨今です。」■「等身大のワインライフ」しかし、この時期、テイスターからはずれたことは、自分にとってはプラスだった。というのも、想像以上に「肩の荷が下りた」感があって、それ以降は一愛好家として気負いなくワインと向き合えるようになったからだ。創刊以来、リアル誌のテイスターを務めてきたことで、自分でも気付かないうちに気負い過ぎていたというか、背伸びしていた部分があったのかもしれない。もうひとつ、私のワインライフに影響を与えたのは、この頃から顕著になり始めたフランスワインの高騰である。ユーロ高と中国ロシアなどの新興国需要の拡大で、ボルドーやブルゴーニュは目に見えて高くなっていき、ブルの村名、ボルドーの格付けシャトーなどは、もはや日常的に飲める範囲の価格ではなくなってきた。こうした中で、今に至る自分のスタイルのベクトル、すなわち「日常に根ざしたコンパクトなワインライフ」「肩肘張らない等身大のワインライフ」といった方向性がはっきりと定まってきたように思う。ちなみに、この頃、我が家のストックは500本近くあった。単純に計算すれば、一年に50本ずつ消費しても、10年近く持つ計算になる。少し良いワインを飲みたいときは、自宅のセラーのストックでまかなって、あとは近所の酒屋でデイリーワインを買えば十分だ、そんな割り切りが自分の中で出来上がりつつあった。2000年前後の、ワインに対して思い切り前のめりになっていた時期からすれば、メーターの針がいきなり正反対に振り切れたような、そんな時期だった。■日本のワイナリー訪問06年の9月にたまたま山梨に出張する機会があったので、山梨在住のワイン仲間にコーディネートしていただいて、勝沼のワイナリー巡りをした。このとき訪問したのは、フジッコワイナリー、ルバイヤート、中央葡萄酒など。フジッコワイナリーでは、料理との相性なども実演していただき、中央葡萄酒では、畑の見学などもさせていただいた。これらのワイナリー訪問は、非常に大きなインパクトがあった。国産ワインのレベル向上には「目から鱗」の思いだったし、都内からわずか2時間の距離で、こうして生産者たちと身近に接することができるというのも新鮮だった。このときの衝撃の大きさは、1ヶ月後に再び、家族を連れて勝沼を訪問したことからもおわかりいただけようかと思う。日常の和食ともよく合う甲州などの銘柄が千円~二千円程度で買えるというのは、まさしく前項で書いた「日常のデイリーワイン」に対するひとつの回答を発見した思いだった。それから、しばらくの間、私の中で、国産ワインがブームとなったことはいうまでもない。■シニアワインエキスパート受験とはいうものの、さすがに国産ワイン一辺倒では次第に飽きてくる(そうでない人もいるようだが‥)。それで、すっかり疎遠になっていた南仏とかローヌとか、新世界とか、いろいろな地域やジャンルの安価なワインたちにもう一度目を向けようと思っていた矢先、「シニアワインエキスパート」の資格が新たに出来るというのを知った。ワインエキスパートの資格を取得してから8年経過しており、当時覚えた知識はすでに忘却の彼方だったが、いろいろな地域やセパージュのワインと改めて向き合いながら、資格を取得することも出来る良い機会だと思って、チャレンジすることにした。 勉強を始めたのは、06年の12月だったから、翌年4月の試験までの準備期間はおよそ4ヶ月。最初はすべて一から勉強し直しかな、と覚悟したが、いざ始めてみると、人間の脳みそとは面白いもので、かつて勉強したものは比較的簡単に思い出すことができた(逆に、この8年間で新たに増えたDOCGなどを覚えるのが大変だった)。本番の試験では、テイスティングをしくじって、かなり不安な思いをしたが、結果はなんとか合格。まあ、この資格を取得したからといって、目に見えるメリットはなにもないのだが、自分の中では、なんとなくこのシニアワインエキスパート資格の取得が、ひと区切りになったというか、知識の面でも、ワインとの向き合いという面でも、初心に戻ることができたという思いがある。■テイスティングへの復帰07年の4月を過ぎると、次第に風向きが変ってきた。それも好ましい方向に。というのも、ひとつには下の子が幼稚園に入園して、カミサンの負荷が目に見えて軽減された。もうひとつは私自身が新しい職場に移って3年目となり、自分のペースで仕事ができるようになった。そうしたわけで、金欠は相変わらずなれど、時間的な融通が効く様になってきたので、あつかましくも編集部にお願いして、再び試飲のメンバーに加えていただくことにした。もう一度テイスティングに取り組もうと思ったのは、シニアワインエキスパートを受験した際に、テイスティング能力の錆つきを痛感したこと、それに、しばしば当誌で特集されるようになった「旨安ワイン」が、私のデイリーワイン探しのコンセプトと合致しているということが大きな理由だった。 2年以上もブランクのある私がのこのこと出かけていっても、迷惑をかけるだけだろうとは思ったが、突然の申し出にも関わらず、徳丸編集長以下、暖かく迎えてくれたのはありがたかった。吉祥寺の町は、しばらく行かない間に結構様変わりしていたが、編集部のテイスティングが昔どおり変わっていないことにもホッとした。私自身はといえば、テイスティング能力自体は衰えたかもしれないが、以前よりもずっと自然体で参加できるようになった。前号から続いたこのネタ、当初は今号で終わりの予定だったが、もう1回だけおつきあいいただき、次回は、今後のワインとのつきあいや、10年前と現在との比較などを書いてみたい。↑と締めているのですが、「もう1回分」の原稿が見当たりません。どこかで見つけたらまたアップします。
2021年07月17日
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エラソーに「ワイン履歴」などと書いていますが、今から10年前に書いた記事です。もっともその後、今に至るまでの10年は大した活動もしていないのですが。 ■ はじめに私が細々とやっているホームページ「S'sWine」(http://www.asahi-net.or.jp/~mh4k-sri)が今年で10年目を迎えた。飲んだワインのデータを99年から記録しはじめて、ある程度まとまったところで公開したのが2000年の2月のことだから、10周年というより、ようやく10年目に入った、という言い方の方が正しいだろう。日々の更新については、最近はもっぱらブログにシフトしていて、本家のサイトは半ばアーカイブと化しているが、そのブログ版ともども、この10年間、コンスタントにそれなりの数の方にアクセスいただいてきたのはありがたいことだし、私自身、単に飲んだワインの感想を書き連ねるだけのホームページ(最近は金魚や子育てネタばかりという話もあるが…)を、よくもまあ10年間も続けてきたものだと、自分を褒めるよりはむしろ自分に呆れる気持ちだったりする。 もっとも、この10年間、常にフル・スロットルでワインと向き合ってきたかといえば、そうでもなく、時期によってかなり濃淡があった。おそらく一番濃密なワインライフを過ごしたのは、サイトを開設した2000年を挟んだ前後5年ぐらいのことだと思うが、その一方で、ワインとの関わりが薄くなった時期についても、そうならざるをえない事情がありつつ、なんとか途切れることなく続けてきたという意味で、思い出深いものがある。そんなこんなで、本号と次号の2回にわたって、ホームページ開設前後からの10年を中心に、私のワイン履歴についてふりかえってみたい。 読者の中には、私などよりもずっとワイン暦が長かったり、はるかに多くの銘柄を経験されている諸兄も多くおられるはずだ。そんな方々からすれば、「若輩者が何をえらそうに」と思われるかもしれないが、まあこのコラムも、「ワインの保存」時代から数えて、二十数回。たまにはこういうネタにもおつきあいいただければ幸いである。■ ワインに凝り始めた頃 私がワインを趣味として意識しだしたのは、90年代の半ばのことである。きっかけは、独身時代のヨーロッパ旅行だった。当時絵画やクラシック音楽に傾倒していた私は、年に一度、欧州を旅行するのを楽しみにしていたのが、そうこうするうち、現地で飲むワインの美味しさに魅せられて、知らず知らずのうちにこの世界に足を踏み込んでいた。意外と思われるかもしれないが、最初の頃は、旅行先とリンクして、もっぱらイタリアワインを愛飲していた。といっても、まだ生産者や銘柄、畑などに深くのめりこむほどではなく、DOCGやDOC銘柄、それにスーパータスカンなどを入門書片手に手当たりしだい飲むというスタイルだった。 その後、当誌創刊号のコラム「ワインの保存」にも書いた「バッカスの思し召し事件」、すなわち、6年間居間の茶箪笥に置き去りになっていたオーストラリア土産のケープメンテルのシャルドネを飲んで、その熟成状態に目から鱗が落ちたという、私にとってターニングポイントとなった事件があって、それ以来、ワインという飲み物に対する興味がグンと昂じることになった。常温で6年も置いておいたワインが酢にならずにトロトロに熟成していたというのは、今考えても、奇跡のような出来事だったと思えてならない。もうひとつ、このころは、仕事上のストレスが非常に大きかったということも、私をワインにのめりこませる要因になった。休日も昼夜構わず電話がかかってきて、突然出社しなければならなくなる、なんていうこともしばしばだったため、精神衛生上、無理やりにでもオンオフを切り替える必要があったのだ。といっても昼間からワインをあおっていたということではなくて、自宅でワインの本を片手に、格付けシャトーの名前を覚えたり、地図をみながら畑の位置を確認したりしていると、不思議なほど仕事のことを忘れられたのだ。今にして思えば、なにやら屈折したストレス解消方法だったが、精神的に追い詰められる一歩手前のような状況で、私を救ってくれたのもまたワインだったわけだ。■ワインエキスパートの取得とサイトの開設 そうこうするうち、生来の凝り性が災い?して、もっと系統的にワインを「勉強」したいと思うようになってきた。知識に関しては、本を読んだりして独学でもある程度なんとかなるが、テイスティングに関して、直接講師に指導してもらいたいという気持ちが強かったのだ。当時、ちょうど世の中はワインブーム華やかなりし頃で、ワインスクールはどこも混んでいた。会社帰りに通おうと思ったら、「アカデミー・デュ・ヴァン」などは空きがなくて申し込めなかったのを覚えている。それで通い始めたのが、職場とは逆方向になるが比較的通いやすかった「自由が丘ワインスクール」だった。通い始めた当時は、資格を取得しようという気持ちまではなかったのだが、このスクール、受験指導で有名なだけあって、周りの受講生に資格の取得をめざしている方々が多く、私もいつのまにか周囲に感化されて認定試験を受験しようという気になっていた。資格の取得のための勉強は、長らく受験勉強などというものから遠ざかっていた身にはキツいものだったが、反面よい刺激になったし、錆付いた脳ミソの活性化にも役立ったと思う。そんなわけで、98~99年頃の私のワインライフは、ワインスクールと受験勉強が中心だった。スクールの懇切丁寧な指導のおかげで、ワインエキスパートの資格については無事取得することができたのだが、その過程で痛感したのが、ネット上の情報の少なさだった。そもそもワインエキスパートの資格は96年に始まったばかりの資格であり、ネットで検索しても、受験記や経験談などは皆無に近かった。おそらく、翌年受験する人たちも情報の少なさに悩まされるだろう、だったら自分が微力ながら、と思ったのが、ホームページを立ち上げようと思ったきっかけである。ただ、それだけでは、あまりにニッチすぎるので、飲んだワインの感想やコラムのコーナーを作ったわけだが、今ではこちらがメインになっていることは言うまでもない。また、これも今から思えば笑い話のようだが、ワインサイトの数が限られていた当時、ネット上に飲んだワインのコメントを載せるというのは、かなり勇気のいる行為だった。その筋の偉い方から、おまえの表現はおかしいとか、若輩者が何をえらそうにとか、クレームが来るのではないかと真剣に心配したものだ。■ セラーの購入 話の順序が前後してしまったが、スクールに通い始めるよりも前に、個人的には結婚という出来事があった。結婚祝いにずいぶんとワインをいただいたが(ちなみに前述のとおり、この頃はイタリアワイン好きで通っていたので、もらったワインも93サシカイアとか、90アニアとか、92ラ・ポーヤなど、イタリアものばかりだった)、当時は狭い賃貸マンション生活だったため、なかなかセラーを買えず、いただいたワインたちをずいぶん痛めてしまった。熱劣化したお祝いのワインを開けて嘆いている私をみて、カミサンがセラーの購入を許可してくれたのは、結婚後1年たってからのことだった。ワインを楽しむために、セラーが必ずしも必須アイテムだとは思っていないが、セラーの購入が私のワインライフに与えたインパクトは、想像以上のものがあった。購入を決めたのは、これ以上手持ちの良いワインを劣化させたくないという守備的な気持ちからだったが、いざセラーを購入してみると、ワインを「集める」「手元で育てる(熟成させる)」という楽しみが加わったからだ。もっとも、これがきっかけで一時期ワインの購入に歯止めがきかなくなったのも事実であるが。■ ワイン会デビュー90年代の半ばから後半にかけての時期は、今のようにネットショップがあったわけでもなく、愛好家のブログがあったわけでもなかったから、私がワインについての情報を入手していた先は、もっぱら入門書や専門書、それに隆盛を誇っていた「ニフティサーブ」のFSAKEワインフォーラムだった。その一方で、ワインが一大ブームとなり、各誌でワインが特集されたりして、一般人が入手できるワインの情報が飛躍的に増えた時期でもあった。特に、何回かに亘ったブルータス誌の特集は読み応えがあるものだった。マット・クレイマーの「ワインがわかる」、ステファン・タンザーの「International Wine Cellar」、堀賢一さんの「ワインの自由」、山田健氏の「今日からちょっとワイン通」、岡元麻里恵さんの「ワイン・テイスティングを楽しく」などは、当時装丁がボロボロになるまで読んだ。「田崎真也のワインライフ」は、は休刊になって久しいが、当時アンダーラインを引きながら読んだり、テイスティングコメントのページを切り抜いてスクラップしたりしていた。ニフティに関しては、ROM専(読むだけのメンバー)だったが、フォーラムの過去ログを保存して、何度も繰り返し熟読した。ログを読んでいつも羨ましく思っていたのは、豪華絢爛なものありアカデミックなものありと、さまざまな形で開催されているワイン会の報告だった。私自身はといえば、エノテカが主催するテイスティングイベントや東急本店の試飲コーナーには通っていたが、こうした愛好家同士のワイン会にはとんと縁がなかった。ワイン会に顔を出すようになったのは、ホームページを始めて、同じようなワインサイトを運営する方たちと知り合いになってからのことだ。しかし、こちらもワインの購入と同じく、一度参加しだすと、歯止めがきかなくなってしまった。おそらく2000年から2001年ごろは、ワイン会の予定のない週末はほとんどなかったと思うし、土日連チャンなんていうこともザラだった。さまざまなワイン会に参加する中で、当誌のテイスターでもある山路さんや伊部さん、藍原さんなどと面識ができた。まだこの頃は、熱心に飲んだワインのメモをとって、即日HPにアップすることを心がけていたので、ワイン会でメモをとるのが私のトレードマークになっていた。(ちなみに今はワイン会でメモをとることは、ほとんど皆無といってよいほどなくなってしまった。)また、山路さんの紹介で、横浜のワインショップ「平野弥」さんの勉強会に参加するようになったのもこの頃だった。ワイン会といえば、私のサイトによく登場する*F師匠の「Burgandy Night」(http://red.ap.teacup.com/burgundy/)は、ブルゴーニュを垂直で飲むことができる稀有なワイン会で、ここで幾度となくすばらしいブル古酒を堪能させていただいたことが、それまで比較的全方位外交だった私のワインの嗜好をブルゴーニュ中心にシフトさせるきっかけになった。■RWG誌との出会い そんな中、当誌編集長の徳丸さんからこの雑誌のお話をいただいたのは、2001年の5月頃のことだった。最初の打ち合わせの内容はたしか、「2001年12月頃を目安にワイン雑誌を発刊しようと思っている。」 「消費者目線で我々にとって美味しいワインはどれなのかを探る雑誌である。」 「ついては、一緒にテイスティングに参加し、レビューを書いている人を探している。」 「内訳は、ソムリエ等の飲食業従事者、ワインショップの方、それにHPなどで情報発信しているアマチュアの人たちをそれぞれ1/3ずつで計10人程度と考えている。」 「ここ(吉祥寺)で毎回テイスティングをするつもりなので、吉祥寺まで通える人、というのがひとつの条件となる。」 企画書を見せられて(このときは誌名すら仮のままだった)雑誌のコンセプトについての説明を受けたあと、ついては私にも参加してもらえないか、 というような話だった。 私としては、仕事やプライベートの関係上、そうそう毎回参加はできないと最初及び腰だったのだが、できる範囲で参加してくれれば構わないということだったし、会場も我が家から近いので、そうであれば、 趣旨に賛同とかコンセプトがとかいう以前に、タダでいろいろなワインをテイスティングできるという願ってもない申し出をを断る理由はなにもなかった。 この時は、のちのち思い知ることになる、自分のテイスティング能力や経験の不足とか、レビュー文を書く苦しみについてはまったく気にしていなかったのだから、無謀なものであった(笑)。ちなみに、発刊スケジュールは、その後、たびたび延期になり、結局創刊号が発売されたのは当初の計画から9ヶ月遅れの2003年8月末のことだった。そんなわけで、いつのまにかこの雑誌のお手伝いをすることになったのだが、当時は、実のところ、雑誌といっても手作り感覚の吉祥寺発同人誌ぐらいにしか思っていなかった。というか、創刊号が出る直前まで私はそう思い込んでいたので、創刊号の江口さんのすばらしい表紙を見せられたときには、「え?こんなちゃん とした体裁の雑誌だったの??」と驚いたものだ。■ レヴュワーとしての葛藤RWG誌のテイスティングは、系統的網羅的にテイスティングするという意味で、それまでの自分の経験値やテイスティング能力を飛躍的に高めてくれるきっかけとなったはずだが、反面、長く継続するのにはいくつかの困難を伴った。 最初に訪れたのは、日常のワインライフとの葛藤だった。 時間的な制約から、それまでのように毎週末ワイン会に繰り出すということがなくなっただけでなく、ワイン会などに出向くと必ず注がれる興味本位な視線とか半ば挑戦的な態度などに、うんざりしてきたのだ。そもそも、私は上記のようないきさつでアマチュア愛好家の1サンプルとして雑誌のお手伝いをなっただけで、今も昔も、決して世のワインマニアの頂点に君臨するような知識経験技能を持ち合わせているわけではない。しかし、雑誌の創刊当初はその辺を誤解する御仁が少なからずいて、「おまえのような若輩にワインの飲み頃が予想できるのか?」とか「どういう根拠で今飲んだ点数とポテンシャルの点数をつけているんだ?」などというやりとりに嫌気がさして、だんだんとワイン会などの場から遠ざかることになってしまった。 次にやってきたのが、(予想されたことだが)本業の仕事との葛藤である。平日行われるテイスティングについては、仕事が終わったあと、吉祥寺まで行って、毎回テイステイングを行うわけだが、仕事が忙しい時期にさしかかってしまうと、物理的に参加することが難しくなる。たまに体が空いたとしても、疲れ果ててしまい、だんだんと毎回出席するモチベーションを保ち続けられなくなってきていた。また、テイスティングに出席すればしただけレビューの担当が増えるのも、大きな負担になった。私の場合、レビューに加えてコラムも書いていたから、そのしわ寄せは結局、自分のホームページの更新に行くことになってしまい、自分のサイトのコラムの更新頻度は激減してしまった。■ 家庭との両立に苦闘する日々02年に第一子、03年末に第二子が誕生したことは、我が家にとって何にも代えがたい慶事だったが、ワインとの関わりに限って言えば、テイスティングだけでなく、私のワインライフ全般が、これによって一時、「壊滅的な」打撃を受けた。 世に二人子供がいる家庭はいくらでもあるのに、なにを大げさにといわれそうだが、我が家の場合、夫婦ともども比較的高齢だったこと、子供たちが年子だったことに加えて、この時期、義母が癌に犯され、闘病生活と重なったことも大きかった。そんなわけで、まず、物理的にテイスティングやワイン会に出席することがまったくといってよいほどできなくなってしまった。 仕事が早く終わっても、子供の入浴や寝かしつけの手伝いがあって、夕食の時にあまりワインを飲めなくなった。さらに、金銭的家計的な余裕がなくなった。考えてみれば当然のことである。ワインを飲み始めたころは、独身、その後もDINKSだったのが、一気に扶養家族3人になったのだから。 もうひとつ、私のようなネットを機軸にした愛好家にとって痛かったことは、ネットを巡回する時間、すなわちよそのサイトやBBSをのぞく時間が全然なくなってしまったことだった。かろうじて自分のサイトの更新をするのが精一杯。すっかり顔を出さなくなって、親交のとだえてしまったサイトやBBSもこの時期多かった。このように、金もなく、ワインを飲む時間もなく、ネットを覗いている暇もないという状況だったので、自然とワインを買うことも少なくなった。もっともそれは、子供の生まれ年のワインが出始める04年の半ばごろまでのごくわずかな期間にすぎなかったが…。ということで、次号では、「ワインライフ復活編」というわけでもないが(笑)、この頃から、その後今に至るまでのことと、これからのこと、さらに10年前と今を比較した所感などを引き続き書き連ねてみたい。
2021年07月16日
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ネットで山本昭彦さんの「ワインレポート」を読んでいたら、日本人の成人一人あたりのワイン消費は2010年から10年間で60.8%増えて、2019年には1人辺り4リットル(5.3本相当)に達するという見通しだという記事がありました。ちなみに2014年現在では、3.5リットル(約4.6本)とのこと。おや、ずいぶん増えたのだな、と思いました。90年代末に私がワインエキスパートの受験をしたときには、たしか1人当たり2リットル程度と覚えた記憶があります。あらためてメルシャンが出している統計データ(「ワイン消費量推移(1972~2013年)」)を紐解いてみたところ、2013年で2.66リットルとなっています。もう一度本文を読み返して納得がいきました。ひとりあたり4.6本というのは「成人1人あたり」で、メルシャンのデータは「国民1人あたり」という違いのようですね。 ちなみにメルシャンのデータによれば、2013年の2.66リットルという数字は過去最多で、それまでもっとも多かったのは98年の2.36リットルにまで遡ります。2000年代に入って1リットル台に減少した後、2010年以降再び1人あたり2リットルを超え、2012年、13年と過去最高を更新しているようです。我が国の酒類消費量の構成比率をみてみると、ビールとリキュール(いわゆる「新ジャンル」)、それに発泡酒で全体の60%を超えており、焼酎(甲種+乙種で10.6%)、清酒(6.8%)がこれに続きます。ワインを含む果実酒の構成比率は3.9%に過ぎませんが、10年前の2003年には、清酒と果実酒の構成比率はそれぞれ9.1%と2.6%だったので、だいぶ差が縮まってきています。近い将来、日本酒に肉薄するところまで行くかもしれませんね。もっとも、これらはあくまで統計上の話で、例えば20人のうち、私のように年間百数十本消費する愛好家が1人いれば、他の19人は全くワインを飲まなくてもこの数字になるわけです。世界に目を向けると、国民ひとりあたり消費量のトップクラスは、フランス、ポルトガル、ルクセンブルク、イタリア、スロベニアといった国々で、ひとりあたり年間約40リットル前後~50リットル消費しています。わが国のひとりあたり消費量はO.I.V(国際ワイン・ブドウ機構)72ヶ国の中でも52位とのことです。(2011年)前振りのつもりがずいぶんと長くなってしまいました。消費が増えているとか日常に根付いたと言われつつも、まだまだな感もある(好意的な見方をすれば、まだ「伸び代」がある)我が国のワイン環境ですが、そのボリュームのわりにワイン関連に従事している人って多いよなぁと感じます。2015年時点でソムリエ有資格者は2万人以上、シニア職やワインアドバイザーも含めると3万7千人以上もいます。ワインジャーナリストやワインライターと名乗られている方々も少なからずいるように見受けられます。(専業でやっている方はごく少数だろうと推察しますが。)ちなみに、私はいうまでもなく、まったくのアマチュア愛好家です。アマチュアといえば、ワインエキスパートの有資格者だけでも12000人以上もいるそうです。たまたま私は、当誌やヨミウリオンラインでレビューやコラムを書いてきましたが、専門的な知識があるわけでもなく、一次情報を伝えられるような人脈やネタ元をキープしているわけでもありません。コラムの内容は、もっぱら、「日常生活とワインとの関係」が中心です。(それ以外は書きたくても書きようがないともいえます。)具体的なテーマはといえば、時期によって、子育てだったり、懐事情だったり、仕事との兼ね合いだったり、あるいは災害への備えだったりしました。そして50台となった今、その対象は「健康」にフォーカスされています。 おそらくこれは、私だけでなく、多くの愛好家が通る道筋なのでしょう。「何かのきっかけでワインに興味を持つ」→「ワインの世界の奥深さの虜となってのめりこむ」→「結婚したり子供が生まれたりで、身の自由がきかなくなる」→「子供が大きくなれば教育費が嵩み、経済的にしんどくなる」→「責任ある立場や重要な仕事を担うようになると、今度は仕事との兼ね合いが厳しくなる」→「さらに年齢を重ねると、健康問題が大きく浮上してくる」(←今ココ)。とくに、98年をピークとした「第6次ワインブーム」をきっかけにワインを本格的に飲み始めた愛好家の中には、今や私と同じような境遇にさしかかっている方が少なくないように思われます。これまで書いたきたことから想像できるように、我が国のワイン消費は広い裾野に支えられたピラミッド状の構成というよりは、居酒屋ワイン的な消費と、絶対数は少なくとも消費意欲の旺盛な愛好家層とで支えられているような気がします。90年代後半のブームで生まれたマスボリューム層がゆるやかにワイン消費の主役から退きつつある一方で、「団塊ジュニア」層がナチュラルワインや日本ワインなどのブームを担っているのが現在のワイン環境でしょう。さらにその先となると、そもそも少子化が進んでいるところに加えて、若者のアルコール離れが取りざたされる昨今、若者年代が、ワインと出会い、さらにそこからワインを追求したくなるような仕掛けづくりが業界全体で求められているのかもしれませんね。 さて、「ワイン消費の主役から退きつつある」愛好家の人たちを代弁して、などと上段に構えるつもりはありませんが、前々号では、「ワインは老後の趣味にはふさわしくないのではなかろうか?」、前号では、「どのようにして飲むワインの量を削減するか」についてのコラムを書きました。最近の私のコラムにおいては、ワインはすっかり忌避すべき「悪者」扱いになっていますが、今は私の中の振り子の針が思い切り反対に触れてしまっている状態なのでしょう。いずれ落ち着くべきところに落ち着くと思いますので、今しばらく気分を害さずにおつきあいいただければと思います。■ 「ワインに代わる」趣味その後 健康との向き合いや家計の問題、交友関係の縮小、知識欲の低下等、ワインは老後の趣味としてはふさわしくないのではないかと前々号で書きました。老後の「生きがい」として、ワインに代わる趣味を見つけようじゃないか、と口で言うのは至極簡単ですが、趣味というものは、あれにしようこれにしようと机上で決めるようなものでもなく、内側から湧き出てくる衝動がなければ、長く深く続くものにはなりえないと思います。私は比較的多趣味なほうですが、それでも30代半ばから50歳にさしかかるまでのおよそ15年間、ワイン最優先の生活だったので、いきなりこれに代わるものを、といってもそう簡単な話ではありません。それでも、最近ちらほらと、ワインを離れて打ち込める楽しみを見出せるようになってきました。そのひとつが「山歩き」です。といっても本格的なアルペン登山ではありません。沢歩きや街歩きも含めて、広い意味でのハイキングといったところでしょうか。もともとはウォーキングの延長で、もっといろいろと歩いてみようと関東近郊のハイキングガイドを買ってきたのが発端でした。あちこち出かけるようになると、今度はそうした小旅行や散策の記録を残したくなってきました。その流れで、だんだんと「写真やカメラ」が自分の中で大きなポジションをしめるようになってきました。ところで、私は長年ホームページ(ブログ)を続けています。頻繁に更新することをモットーとしてきたおかげか、近年はそこそこ安定したアクセス数を稼いでいますが、健康のためにワインを飲む頻度を減らせば、当然ブログに掲載するコンテンツは枯渇します。ハイキングネタや写真ネタは、そんな「ワインを飲まない日」のコンテンツとして、相互補完の関係になるのです。もっとも、若干見込み違いだったのは、私のブログの読者層はあまりハイキング等のネタを好まないということです。ハイキングネタをアップした日は、格段にアクセス数が落ちこんでしまうのが目下の悩みです。もうひとつの悩みの種は、どちらも相応に「金がかかる」こともあります。ハイキングと言う用語は、ピクニックと語呂が似ていることから、なんとなく弁当を持って草原を散策するようなイメージがありますが、実際はトレッキングシューズや山用の装備などが必要となるようなかなり本格的な山歩きまでを含みます。(ちなみにハイキングとピクニックの違いは「歩くこと」と「食事をとること」だそうです。)そう、それなりのアイテムを揃える必要が出てくるのです。金がかかることに関しては、カメラや写真はそれ以上です。「レンズ沼」などと言う言葉があるように、いったん機材に凝りだすと、それこそキリがない世界に突入する恐れがあります。「あれこれと機材を揃えようとする前に写真の腕を上げろよ」と言われてしまえば、全くもって返す言葉もありませんが。 いざ山歩きを始めてみると、思いのほか、体力が衰えていることも痛感させられます。昨年の秋に木の根につまづいて右足甲を剥離骨折、ようやく治ってこれからと思った矢先に膝痛が再発、年が明けてからは肩痛に悩まされるなど、なかなかペースに乗れずにいます。ウォーキングを長年続けてきたといっても、重たい一眼レフを首から下げて、山を登ったり下ったりするのとでは負荷の大きさが異なるのでしょう。このところ体重が増加傾向であることも大きく影響していると思われます。ここでもやはり行き着く先は「節制」なのでしょう。■ 飲酒量削減計画その後さて、「ワインに代わる趣味」云々といっても、いきなりすっぱりとワインと縁を切るわけでも断酒するわけでもありません。前回のコラムでは、健康問題と向き合いながら長くワインを飲み続けるために、どうしたら飲酒量を減らせるかをいろいろと考察しました。「小瓶に分けることを徹底する」、「つまみを常備することをやめる」、「ノンアルコール飲料で気をまぎらわす」、「小さめのグラスを使うように心がける」、「飲み始めの時間を遅めにする」といったアイデアを書きましたが、年が明けて2ヶ月、経過はどうでしょうか?「休肝日を週に3日以上設ける」という公約(?)については、自分でも意外なほど、守ることができています。 とくに有効なのが「ノンアルコールビール」の存在です。ノンアルコールビールというのは本当に不思議な飲み物です。アルコール0.00%なのにもかかわらず、飲むとなぜか「ほろ酔い気分」になるのです。ネットで調べてみると、私だけのことではないようです。どうやらビールに近い香味によって脳が「騙されて」、ビールを飲んだような気分になるということらしいです。そんなわけで、我が家では最近ノンアルコールビールをケース買いしていますが、それでもあっという間に底をついてしまいます。ケース買いしたところで、価格的にはせいぜいデイリーワイン一本程度なのに、冷蔵庫の中をノンアルコールビールたちが占有している光景をみると、妙に罪悪感を感じてしまうのが不思議です。一本で飲み足らず、二本目、三本目と手を出すと、これまたなんともいえない背徳感にさいなまれます。アルコールはゼロだし、そもそも金額的にもワインを飲むよりもはるかに割安なはずなのですが、ここでも脳が騙されているのかもしれません。■ シャンパーニュ増量計画その後前号では、上記に加えて、飲むワインをアルコール度の低めのものにシフトしていること、とくにシャンパーニュの比率を増やしていることなどを書きました。こちらも順調に進んでいます。年末年始のワインショップの「福袋」や特売セールでかなりの本数のシャンパーニュを仕込んだので、これからしばらく泡物に窮することはなさそうです。自分のワイン歴の中でも、ことシャンパーニュに関しては、ずいぶんと遠回りをしてきたなぁ、と今更ながら実感しています。泡物については、ずっと長いこと、ワイン会のスターターぐらいの認識しかありませんでした。味わいのバリエーションに強く関心を持つこともありませんでした。今になって、過去のワイン会などで飲んだシャンパーニュたちのリストを見返すと、こんなに凄い銘柄ばかりを飲んでいたのかと唖然とします。まったくもって「豚に真珠」とはこのことです。5千円以上のプライスがついているような銘柄は避けて、数本で1万円のセットとか、1本2千円台で買える格安銘柄ばかりを探して買っていました。最近、遅まきながらシャンパーニュに興味を持ち始めて、私がなかなか「シャンパーニュ音痴」から抜け出せなかった大きな原因のひとつに、このような「安物買い」があったのだろうと思い至るようになりました。安売りされている銘柄の多くは、メジャー産地から外れた地域でピノ・ムニエ主体に作られる、名もないレコルタンマニュピュランものだったりします。ブルゴーニュでいえば、聞いたことのないネゴシアンの裾ものばかりを飲んで、「ブルゴーニュって酸っぱいばかりでおいしくないね。」と言っているようなものでした。もちろん、ジェローム・プレヴォートなどを例に出すまでもなく、メジャーでない産地でピノ・ムニエからすばらしいシャンパーニュを作る生産者はいるし、格安シャンパーニュの中にも、「目から鱗」的なおいしいボトルもありました。相応の知識と鑑識眼をもって探せば、安旨なシャンパーニュを探し当てたのかもしれませんが、当時の私では、どうしてもその「打率」は低くなりがちでした。もうひとつの問題は、シャンパーニュに限ったことではありませんが、安価な銘柄や割安なボトルの場合、コンディションのリスクが高くなりがちなことです。おそらく、状態の万全でないボトルを飲んで、こんなものかと見限っていた事例も少なくなかったことでしょう。そんなわけで、目下、シャンパーニュは、ワイン全ジャンルの中で私がもっとも(というか唯一)、モチベーションと関心をもって飲んでいるジャンルです。ただし、デイリーに開けるにしては出費が嵩むのが悩ましいですけどね。■ ワインライフの変化「週に三日の休肝日」を設けて、「週末は山歩き」、帰宅後にはセラーのシャンパーニュを開ける生活。飲む量は二日で一本のペース。こうして文章にしてみると、なんと健康的な生活なのかと自画自賛したくなります。週末に山歩きでたっぷりと汗をかいて、ひと風呂浴びた後に、晩酌で飲むワインやシャンパーニュはさぞ美味しかろうと思われるかもしれません。ところが、です。どうも最近、晩酌にワインを飲んでもあまり美味しいと感じなくなってきているのです。「運動したあとの一杯」としては、ワインよりも水分補給の欲求が先に来てしまうようで、休肝日でもないのにノンアルコールビールの方につい手が出てしまう日もあります。 酒量についてもあきらかに減ってきて、一日あたりボトル半分程度であっても、夜中に喉が渇いたり、早朝に目が冴えてしまったりと持て余すようになってきました。「ふだんワインを飲まない生活」に体が馴染んできた結果なのかもしれません。あるいは加齢に伴って、肝臓や体力が衰えてきているのかもしれません。これではもはや、通常ひとり一本分ぐらい飲むことになるワイン会等には参加できそうもありません。そう考えると、喜ばしい反面、少し寂しい気持ちにもなります。■ これからの課題かつては「飲みたいのだけれども、飲めない(→それに対してどう取り組むか?)」ということをテーマにしてきました。その後、「飲まずに済ませるにはどうするか?」とか「飲む量や頻度を減らすには?」といったテーマに取り組んだ余波で、今はそもそもワインを飲みたい、買いたい、あるいは学びたいといった欲求自体が減退しています。それでも「ワインの趣味をやめる」「ワイン断ちをする」ことまでは考えていません。少ない出費と頻度でも、興味やモチベーションを維持できる「コンパクトなワインライフ」にさらに磨きをかけることが今後の私の目標です。************当ブログを継続的に読んでくださっている方はおわかりかもしれませんが、上記の均衡は長くは続きませんでした。2018年に階段で転倒して右膝内側靭帯断裂。それ以来、山歩きをなかなか再開することができず、コロナ禍とあいまって、すっかりご無沙汰になってしまいました。山歩きも健康な身体があってこその趣味なんだと痛感しました。最近の新たな趣味はといえば、語学学習、ということになるのかもしれませんが、こちらは酔っぱらってしまうとできないため、資格取得をめざすなど、根を詰めれば詰めるほど、ワインとは両立しなくなるのが悩ましいところです。
2021年07月15日
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いつの記事か忘れましたが、かなり前のものです。なので、内容もおそらく10年ぐらい前の時点の話だと最初にお断りしておきます。というのも、最近の国産ワインの状況や人気の生産者などについて、私は全くの門外漢だからです。コロナ禍がある程度収まり、私の体調も回復したら、また山梨や長野に出かけてみたいものです。この号から、○○○○さんの日本ワインに関する連載「○○○○○」が始まると聞いた。我が家でも目下、日本のワインがちょっとしたマイブーム(この言葉、ちょっと古い?)になっているので、今回は日本のワインについて書いてみたいと思う。このところずっと、自然派ワインと国産ワインがブームになっているのは知っていた。雑誌などで取り上げられる機会も増え、周囲の友人たちがワイナリーを訪問してきたなんていう話も耳にした。しかし、どうも食指が動かないまま、数年が経過してしまった。 自然派に対しては、まるでロシアンルーレットのようにあたりはずれの個体差が大きく、外れたときの(私の嗅覚では)クサイとしかいいようのない独特の香りの問題、(まあこれは「自然派」と呼ばれる生産者すべてでなく、ごく一部の生産者の話なのだが)、そして日本のワインについては、コストパフォーマンスの面で大きなクエスチョンマークがついていたことが、私を遠ざからせていた大きな理由である。 普通国産品を買うシチュエーションというのは、クルマにしても、家電にしても、欧米製品より品質が高いか、あるいは同等の品質のものを安価に購入できるかである。明らかに欧米のものより品質が劣り価格も割高とくれば、国産ワインを飲む理由がないじゃないか―――。そう思い込んでいた。もっとも、自然派ワインの場合は当誌のテイスティングなどでしばしば飲んで、その印象「トラウマ」になっていたのに対して、国産ワインに関してはほとんど飲んだことがなかった。したがって「食わず嫌い」という側面が大きかったことも否定できない。転機となったのは、仕事で山梨方面に泊まる機会があり、その際、空き時間を利用して勝沼のワイナリーを訪問してみようと思い立ったことである。以前からネット上で親交のあった「盆略ワイン倶楽部」の盆さんにいろいろとアドバイスをいただき、「中央葡萄酒」さんと「フジッコワイナリー」さん、それに「丸藤葡萄酒」さんを訪れて、それぞれ畑やワイナリーを見学させていただいたり、お話を伺うことができた。これは私にとって、実に大きなインパクトがあった。実際、すぐにこの地を再訪したくなり、1ヶ月後に今度は家族連れで、町営の宿泊施設「ぶどうの丘」に泊まることになったし、私のホームページをごらんいただいているの方はお分かりのとおり、最近家で開けるボトルの2本に1本は日本のワインとなっている。一体、国産ワインの何が私をここまでひきつけることになったのか。理由を自分なりに考察してみた。1. 今まで飲んできたワインから目先を変えられる。 前号のコラムでも書いたとおり、我が家の可処分所得は、子供の教育費増と給与所得の目減りにより、急激に減少してしまった。何かしら家計の出費を切り詰めなければならないとなったときに、真っ先に矛先を向けねばならないのはワイン関連の費用である。すなわちワインを飲む頻度を減らすか、ワイン1本の単価を下げるか、ということになるが、頻度を減らすといっても、もともと週に2本程度しか飲んでいないので、それは難しい。そうすると単価を下げるということになるが、これがまた今のご時勢では非常に困難である。というのも、ご承知のとおり、フランスのワインは、ただでさえユーロ高と需給の崩れなどにより、大きく値上がりしているからである。すっかり高くなってしまったブルゴーニュに嫌気がさしていたところに、可処分所得の低下。正直言って、私のワインライフは危機的状況に面していたといっても過言ではなかった。そうしたタイミングで出会ったのが、日本のワインたちである。国産ワイン、たとえば甲州の白であれば、1000円~2000円のレンジに面白いものがいろいろある。ピノノワールやシャルドネに関しては、雑誌のテイスティングなどで、分不相応な高級ワインの味わいに親しんでしまっていることもあって、千円台になると、正直な話、大いに物足りなさを感じてしまう私であるが、飲むワインのカテゴリーをドラスティックに変えれば、それはそれで、ある意味グレードダウンの悲哀を感じずに済む。セラーには過去に購入したブルゴーニュのストックがいくばくかあるので、平日は日本のワインを中心に開け、週末はストックの中から少し上級なブルゴーニュを飲めばいい。いや、待てよ。そうは言っても、本当に自分が美味しいと思えるもの、飲みたいと思うものでなければ長続きはしないだろう。そういう声が聞こえてきそうである。実際、私の場合、過去にもローヌとか、バローロとか、一時期猛烈に凝ったのに、いつのまにかほとんど飲まなくなってしまった前科がある。しかし、この面でも日本のワインは長続きするに値するアドバンテージがあると思っている。それが次項の和食との相性である。2. 和食に合わせやすい。 国産ワインの大きなアドバンテージ、それは和食とあわせやすいということに尽きると思う。生産者も後付けでなく、ワイン作りの段階から、和食との相性を真剣に考えて作っている。フジッコワイナリーを訪れたとき、マリアージュの実例として、甲州の白とレモン醤油の刺身、黒豆(!)とマスカットベリーA、照り焼き肉とメルロというマリアージュをためさせていただいた。どれもとてもよくマッチングしており、特に黒豆とベリーAは、意外性のある組み合わせだった。なによりワイナリー自体がそういうことを真剣に考えてくれているのが実に頼もしいと思う。 和食と飲むなら、なにもワインに固執せずに、日本酒を飲めばいいじゃないかという意見もあるだろうし、実際そういわれると、思考停止状態に陥ってしまうが、そこはワイン好きの因果で、人生の限られた時間にアルコールを摂取するのであれば、それはワインで、ということになってしまうのである。 私が好んで飲むのは、甲州種から作られた辛口の白ワインである。甲州のワインはどちらかというプレーンで自己主張が強くないし、香りや味わい、ボディなど、単品でテイスティングすると、物足りなさを感じるが、ふだんの和食、たとえば、焼き魚とか、てんぷらとか、刺身とか、そういうものとあわせると、意外なほど合う。「贔屓の引き倒し」かもしれないが、どことなく日本酒を思わせる吟醸香や、味わいの中のかすかな苦味などが、和食にとてもよくマッチしているように感じるのは私だけだろうか。生産者の方々はもっとブドウの糖度を上げてしっかりしたボディを与えたいと思っているようであるが、あまり酒に強くない私としては、ほどほどのアルコール度は逆に美点だったりもする。 実は、食生活という面でも私のワインライフは、危機に瀕していた。 理由は今話題の「メタボリック症候群」である。赤ワインが好きな私は、平素、ワインを飲む際には、どうしても肉中心の洋食系の食事をリクエストしがちだし、純和食系の晩飯の場合は、食後にチーズをつまみにワインを開けたりしている。そのため、どうしても食事やつまみがコッテリと脂っこいものに偏ってしまい、せっかく赤ワインが健康によいといわれているのに、コレステロール値や中性脂肪値は上昇の一途を辿るという、困ったことになっていた。これではいけない、食生活を改善しなければといけない、まずはワインを何とかしないと、と思っていた矢先に、日本のワインなら和食にすんなり合うじゃないかということに今更ながら気づいたというわけである。もっともこれが本当に私にとってよかったのかはわからない。日本のワインと出会わずに、単純にワインを飲む機会を減らしていた方が、確実に肝臓にはやさしかっただろうから。(笑) 3. コンディションの心配をしなくてよい。ブルゴーニュを中心に飲んでいる人なら避けては通れない問題、それがコンディションに関する問題だろう。私もずいぶんこの問題には悩まされてきた。しかし、日本のワインであれば、全うなショップで購入しさえすれば、少なくとも赤道を越えて長い航海をしてこない分、熱劣化しているリスクは少ないといってよいし、近隣にお住まいの方であれば、ワイナリーに直接買いにいくという究極の購入方法もある。このコンディションの問題に関しては、国産ワインに大きなアドバンテージがあるのではないかと思う。というのも、競合価格帯である1000円台の輸入ワインは、リーファーコンテナを使っていなかったり、店頭でも高価な銘柄と違って野ざらしにされていたりと、コンディション管理の面では実にお寒い場合が多いからである。そうした差は特に抜栓後の日持ちなどに出てくるのではないかと思う。 4. 生産者との距離感が近い。 日ごろ、ブルゴーニュやボルドー在住の方やマニアの方のワイナリー巡りの記事などを見て、うらやましく思っていた私であるが、仕事の状況や家庭環境などを考えると、なかなか自分もというわけにはいかない。しかし、山梨のワイナリーなら、極端な話、いつでも行くことができる。(ちなみに当方東京在住)ワイナリーサイドでも、予約はたいてい必要だが、オーナー自ら応対してくれたり、いろいろマニア向けのプランを用意してくれているところもあって、実に興味がつきない。前回私が訪れたフジッコワイナリーと中央葡萄酒も、それぞれワイナリーツアーやセミナーの企画に事前にエントリーしておいたものだ。行く前は、90分のツアーやセミナーなんて、退屈しないかなぁと不安だったのだが、いざ参加してみると、退屈どころか、あっという間だった。5. 現在進行形で品質が向上しているのを実感できる。それぞれのワイナリーを訪れて感じたのが、ワイン作りに対する情熱や意欲である。 丸藤葡萄酒さんのワイン作りへの意気込みや熱意、中央葡萄酒さんの甲州種の品質改善の努力、フジッコさんの自社ブドウ栽培への意欲など、こうした方々が一生懸命取り組んでいれば、この地域の将来は明るいなと思ったりもする。 私は飲み始めたばかりで、まだ定点観測的な飲み方はしていないが、長年飲んでいる人に言わせると、最近の品質改善は著しいとのこと。おそらくこれから先、そう遠くない将来に、世界水準のワインたちを手にすることができるのではなかろうか。日本のワインシーンは、今まさにそうした発展途上の様子をみずから実感できる、実にダイナミックな時期にあるのではないかと思う。ただ、よいことばかりではない。 巷にあふれている国産ワインがすべてこのようにレベルアップしつつあるわけではなく、昔ながらの薄っぺらく甘ったるいワインがまだまだ多いのが現状だと思う。 真摯なワインづくりをしているワイナリーを選びだし、その商品を買おうにも、今度は入手がなかなか難しいものもあったりする。まあこれはどの国のワインにも言えることだろうけれども、美味しいワインを選ぶのはやはり努力が必要なのだ。私なりの飲み方をひとつ。リーデルから発売されている足(ステム)の部分がない「Oシリーズ」というグラスがある。甲州の白を飲むときは、このグラスの「シャルドネタイプ」か「リースリング/ソーヴィニオンブランタイプ」がオススメだ。もともと一部銘柄を除けば、あまり香り豊かとはいえない品種だし、甲州のワインは、元来「コップ酒」として飲まれてきた伝統もある。大きなグラスをブルンブルンとスワリングして飲むのではなく、こうしたカジュアルなグラスで、気軽に飲むのがイイと思う。日本のワイナリーに望むこと。 個人的には、和食との相性をとことん突き詰めてほしい。国産ワインの将来はまさにそこにあると思う。日本の気候や土壌が持っている宿命的なハンデは理解すれば、この地でシャトーラトゥールやロマネコンティを作ってほしいとは思わないだろう。しかし、和食と完璧なマリアージュを見せてくれる、はかなくも繊細なワインというのは出来るように思う。労働集約型ゆえの多少のコスト高はよろこんで受け入れたいと思う。
2021年06月05日
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前回の続き。2019年2月に書いた記事です。◆2019年を迎えて2018年は私にとって55年の人生の中でワースト5に入るのではないかと思えるぐらい悲惨な年だった。本業の仕事では業績の急激な悪化やトラブル、事故等が重なり、ノイローゼ一歩手前まで追い詰められた。プライベートでは8月末に転倒して右膝の内側側副靭帯を断裂。その後の回復が思わしくなくて、趣味の山歩きを続けることができなくなってしまった。結果、仕事の悩みを抱えながら、何もせず鬱々と過ごす週末が多くなり、肉体的にも精神的にもさらに疲弊するという負のスパイラルに陥ってしまった。追い打ちをかけるように、年の瀬にはたまた仕事で大きなトラブルが発生。12月30日から三が日まで正月休み返上で出社せねばならなかった。新年を迎えて「心機一転」と思っていたところが、出鼻をくじかれるように年末年始トラブル対応に翻弄されたおかげで、どうにも悪い流れを断ち切れた気がしない。昨年にひきつづき、今年も私にとっては試練の年となるのだろうか。どこかで流れを変えるきっかけを作りたいものだ。◆靭帯断裂その後 さて、まずは前回の怪我の経過について報告したい。昨年8月に転倒して右膝靭帯を断裂。その後も遅々として快方に向かわず、このまま一生足をひきずった生活をしなければならないのかと悲観的になった時期もあったが、地道なリハビリや筋トレ、それにある程度長距離を歩くようになったことで、年末になってようやく調子が上向いてきた。この原稿を書いている2月初旬の時点で怪我から5か月半が経過したところだが、普通に歩く分にはさほど問題のないレベルまで回復したと思う。とはいえ、・階段の昇降がまだギクシャクする。(特に下り)・膝の上の筋肉が突っ張った感じが常に残っている・石畳や坂道など、地面が不安定なところで心もとなくなる・走ることはまだ全くできない。ジョギングすらできない。といった具合で、怪我をする前の状態を10とすれば、回復度合いはようやく8ぐらいといったところである。週末には1時間以上のウォーキングを心掛けているが、今の段階で山歩きを再開できるかといえば、おそらく近郊の高尾山を往復すら難しいだろう。完全回復に向けて、筋トレなどを増やしていかなければと思っているところだ。◆ワインライフへの影響と2019年のワイン計画怪我のあとしばらくの間、とにかく歩くのが辛くて仕方なかったため、ちょっとした距離でもタクシーを利用したり、極力階段を避けてエスカレーターやエレベーターを利用したりしていた。そうした生活が運動不足を助長したのか、はたまた代謝が一気に衰えたのか、怪我をする前よりも、明らかに酔いが回るのが早くなった。さらに年末にかけては、仕事のことを忘れたくて、毎晩毎晩、休肝日も設けずに飲み続けた。こうなるともう、ワインへの愛とか知的欲求とかそういったものとは別の、ただの「ヤケ酒」の世界である。それでいて、体は以前ほどアルコールを受け付けなくなってきているので、毎晩しこたま飲んでは夜中に頭痛に悩まされるという困った状況だった。そんなわけで、昨年はワイン愛好家としてもまったく冴えない一年だったし、ワインを心から美味しいと感じる場面も少なかった。やはりワインは心身ともに健康かつ余裕のある時に飲みたいものだと改めて実感させられた年でもあった。あらためて、今年のワインとの向き合い方について。まず心掛けようと思っているのは、酒量を抑えめにすることだ。晩酌をするたびに頭痛に悩まされるのは、アルコールの摂取量を控えろという体からのサインなのだと思う。老後に向けてなにかしら勉強を始めたいと思っているところでもあるで、平日シラフで過ごす夜が増えれば、そちらも捗ることになり一石二鳥だ。想定しているのは、週末に1本、それを金、土、日など、3日に分けて飲むというペース。月間にして4本、年間消費量は48本ということになる。(まあそれでも、一般の人に比べればはるかに多いのかもしれないが。)内訳としては、これまでどおりのブルゴーニュとシャンパーニュに加えて、当面、後述する「温故知新」銘柄の開拓が中心になるだろう。日持ちするボトルの方が好ましいので、古酒よりは新しめのビンテージ中心になってくると思う。もうひとつの大きなテーマとして、自宅および寺田倉庫のストックの削減という長年の懸案がある。我が家には10年選手のセラーが2台あるが、中のワインたちの多くが「不動のラインアップ」化していて、晩酌用のデイリーワインを別途その都度購入するというおかしな状況が長年続いている。寺田倉庫に預けっぱなしのワインたちもそろそろ飲み頃になってきているし、保管代金もバカにならないので、なんとかしたいところなのだが、今年は前述のとおり消費ペースが落ちそうなことから、すぐに解決することは困難かもしれない。せめてセラーのワインを増やさない(=極力新たなワインを買わない)ことには留意したいと思っている。◆「温故知新プロジェクト」進捗そんな中、昨年末からなんとなく取り組んでいるのが「温故知新プロジェクト」だ。プロジェクトというのはシャレで、要するに、ワインに凝り始めたころに飲んだ懐かしい銘柄や、懐かしいショップのおすすめワインをあらためて飲んでみようという企画である。今でこそ購入ワインの9割以上をネット経由で仕入れているが、ワインに凝り始めた90年代半ばから後半にかけては、もっぱらショップの店頭で購入していた(そもそもネット通販なるものが存在しなかった)。あらかじめ銘柄名を調べて買いに行くものもあれば、店のおすすめに従って買ったり、衝動的に「ラベル買い」することもあった。当時の私は今のようにブルゴーニュやシャンパーニュ一辺倒でなく、チリやオーストラリア、カリフォルニア、ボルドーなどの安価なワインを幅広く飲んでいた。20年以上を経た今、それらの銘柄を飲んだら、どのように感じるのだろうか。ひょっとしたら「目からウロコ」のような、長年見落としていた新鮮な発見があるかもしれない。そう思って、前号のコラム以降、懐かしい銘柄や品種にチャレンジしているのだ。*コンチャイトロ・カッシェロ・デル・ディアブロ・レゼルバ・プリパダ 2015以前よく飲んだのは、通常の「ディアブロ」だったが、今回飲んだのはワンランク上の銘柄。価格は2千円台半ば。濃厚な見た目から想像するのとは裏腹にタンニンがよく熟していて滑らか。チリワインらしいジャミーな果実味も健在で、酸もしっかりあって、エレガントでバランスのよい味わい。ワインバーのグラスワインで出てきてもおかしくないような香味にチリワインも進化を実感した。★★★☆*ロバート・モンダヴィ・プライベートセレクション・カベルネソーヴィニヨン2016フワッとしていてコアに乏しく、なめらかというよりは薄められたようなネガティブな印象が先に立つ。工業製品的大量生産ワインという趣の味わいで、無難ではあるが、飲んでいて楽しいと思わせてくれる要素が希薄。かつて感動したリザーブなどの上位銘柄をまた飲んでみたいところだ。★★☆*Ch.シトラン2015以前は日本の企業が所有していたシャトー。若いVTながら思いのほか柔らかい味わいに驚いた。グイグイ来るような力強さはなくて、パーカー氏的にいえば「薄められたような」ところもあるが、今飲む分にはよい感じになっている。ボルドーの底力と競争力を再認識させられた一本。★★★★*カテナ・アラモス・マルベック2017「温故知新」としたのは、マルベックという品種を飲むのが久しぶりだったから。ジューシーな果実味、酒質は濃厚、タンニンはよく熟していて、酸は伸びやか。フィニッシュにはビターチョコっぽいフレーバー。千円台半ばとしては十分なクォリティで、食わず嫌いはよくないと再認識させられた。★★★☆*コノスル・ピノノワール・20バレル・リミテッドエディション2016非常に彫りの深いニューワルド的なピノ・ノワールだが、これが2k台前半〜半ばで買えるならかなりイイのでは、と思う。フランスのピノの味筋をイメージして飲むとその「ドギツさ」にやや辟易とさせられるかもしれないが、別物だと思えば、これはこれでありだろう。★★★★*クローズエルミタージュ2013(ギガル)ワインにハマり始めたころはギガルのネゴスものをよく飲んでいた。皮革や土っぽいニュアンスがあり、酸がひっぱるバランス。タンニンがやや荒削りで、もう少し時間が必要だったかもしれない。2千円台前半の価格を思えば悪くはないが、あえてチョイスするほどの説得力は感じないか。★★★*Ch.シャススプリーン2002「憂いを払う」という意味のシャトー。ワインにハマり始めたころによく飲んだ。少し火を通した黒い果実、丁子、ナツメグ、墨、スーボワ。凝縮感は乏しく、酸はじんわりとした印象で、果実味に対してタンニンが支配的。単体ではやや厳しく、肉料理が欲しくなる。★★★*ソアーヴェ・クラシコ2014(ピエロパン)薄めながらも輝きのある金色がかったイエローの色調。柑橘、白桃、ミネラル、それにナッティなニュアンス。口に含むと、酸がキリリとしていて、ミネラリーで淡麗辛口の味わいながら、ビミョーにブショネっぽいニュアンス(特に味わいのほうに)が感じられたのが残念。★★★?上記のラインアップは(星こそ辛めだが)、比較的印象のよかったものを選りすぐったものだ。他にもかなりのアイテムを飲んだのだが、実のところインパクトに欠けるものや、ガッカリさせられたものの方が多かった。「温故知新」プロジェクト、ここまでのところ、総じてやや消化不良気味である。ひとつには、本当の意味でストライクど真ん中というべき「温故知新」銘柄をまだあまり試せていないことがある。たとえば、チリであれば「カルメン」とか「タラパカ」、スペインなら「トーレス」、「ハロコ」、カリフォルニアなら「フェッツアー」、「アケイシア」、他地域では「シト・モレスコ」、「R&R」、「トレヴァロン」、「ルーインエステート」など。買い集めようにも、なかなか一か所のショップでは揃わないし、今となっては正規の扱いがない銘柄もあったりして、集めるのが結構面倒なのだ。もうひとつは、特に千円台などの安価な価格帯において、「当たり外れ」の振幅が大きく、正直、意欲を削がれている面がある。千円台ならよいじゃないかと言われそうだが、貧乏性なのでいったん開けたボトルを途中で捨てるのがしのびなくて、結局2~3日にわたって冴えないワインと付き合わねばならなくなる。それが思いのほか苦痛だったりする。まあ考えてみれば、ワインに嵌り始めたころから20年以上が経過して、自分自身の経験値も上がっているし、加齢に伴って好みが変わってきたということもあるだろう。単に懐かしいからというだけで、安価な銘柄に過大な期待をしすぎること自体、無理があるのかもしれない。次回にむけては、もう少し上位の価格帯の銘柄や、より本当の意味で「懐かしい」銘柄を選りすぐって試してみようと思う。
2021年06月04日
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2018年に書いた記事です。■事の起こり前号の原稿を書き終えたあと、盆休みを家族と台湾で過ごし、すっかりリフレッシュして、さあ仕事に本腰を入れるぞと意気込んでいた矢先、地下鉄構内の階段で足を踏み外して転倒、救急車で病院に搬送される失態を演じてしまった。ちなみにこれが人生二度目の救急搬送だった(一度目は6年前。「腸管出血」で下血が止まらなくなって1週間入院した)。階段で足を踏み外すことはそれまでも幾度となくあったが、せいぜい尻餅をついたり、足首を軽く捻挫したりといった程度だった。今回落下したのは段数にしてほんの2〜3段だったものの、着地時に腕をかばったせいで、体をねじったような体制になってしまったのがよくなかった。右腿に激痛が走り、それきり動くことすらできなくなってしまったのだ。駅の係員やら善意の通行人たちに取り囲まれ、現場にはロープが張られて交通整理が始まり、ちょっとした騒ぎになってしまった。私はと言えば、悶絶するばかりで脂汗まで出てきて、「これはきっと骨折しているかも?」と半ば覚悟したが、搬送先の病院での診察は「右腿の肉離れと膝の靭帯損傷」ということで、骨折がなかったのが不幸中の幸いだった。ただし膝については、状態によっては手術が必要になるかもしれないので、後日あらためて整形外科に罹るように言われた。安心と不安の入り混じった気持ちを抱えながら、その日は松葉杖とともにタクシーで帰宅した。■翌週翌日、職場のそばの行きつけの整形外科であらためて診察してもらった。MRIの設備等のない町場の整形外科だが、過去数回の骨折のリハビリで通い慣れていて、医師やスタッフのこともよく知っているので、まずはここで診てもらうことにしたのだ。とりあえず触診とX線による診察は、「手術をしなければならないほどではないと思う。9月初旬まではギプスで固定して様子をみましょう。」とのこと。ただし、「ひょっとしたら半月板を損傷している可能性もある」ので、「膝が曲がるようにならなければ(この時点では45度以上曲げることができなかった)、もっと詳しく検査する必要がある」とも言われた。「アルコールはまだ飲んではいけないですよね?」「やめておいたほうがよいですね。外傷はないといっても体の内部では炎症が収まっていませんから。」「はぁ、そうですよね。聞いてみただけです。」というわけで、この日以来、数年ぶりのギプス生活が始まった。当初は1週間もすればかなりのところまで回復するだろうと高をくくっていたが、翌週になっても膝から下の自由がきかず、右膝をギプスで固定されていることもあって、松葉杖なしでの歩行は困難を極めた。会社への通勤はラッシュの時間を避け、エレベーターやエスカレーターを探して回らねばならなかった。タクシー代もかなり嵩んだ。その一方で、怪我後3~4日後あたりから、晩酌にワインを飲みたいなぁという気持ちが少し頭をもたげてきたのは、全身の状態が少しは快方に向かっているシグナルだろうと思われた。(結局、病院の指示を守って、1週間経過するまでは飲酒を控えた。)■2週間後~暗転そんなこんなで2週間ほど不自由な生活を過ごしたあと、「順調に回復しているようなので、ギプスをとってリハビリに入りましょう。」とのことになった。ギプスがなくなって、何が有難かったかといえば、なんといっても風呂の浴槽につかれることだった。また、ギプスをしながらの入浴は、一歩間違えば転倒の可能性もあったので、慎重にならざるをえず、そのため、晩酌の酒量も控えめになりがちだった。この時期はワインを飲んでも、1日あたりせいぜいグラス2杯程度、ボトル1本を数日かけて飲む生活が続いていた。そんなわけで、やっと思う存分飲めるという解放感もあった(それが数日後の悲劇に繋がるのだが…)。一方でギプスがなくなると、右足にうまく力が入らず、杖なしではぐらついてしまってうまく歩けないことに困惑させられた。そういえば、いったんギプス等で固定すると、その2~3倍の期間リハビリが必要だと、かつて右足甲を剥離骨折したときに言われたのを思い出した。 事態が悪化したのは、ギプスがとれて三日後の金曜日の夜のことだった。新橋のイタリアンで同僚たちとしこたまワインを飲み、千鳥足で深夜に帰宅した際、車道と歩道のほんの数センチの段差につま先をゴツンとぶつけてしまった。そのときは、ちょっと強めの衝撃を加えてしまったな、という程度だったが、そもそもアルコールで痛覚が鈍っていたのかもしれない。翌朝起きてみると、激しい痛みと膝が抜けたような感覚とでトイレへの往復すら困難な有様だった。結局週末の間、痛み止めのロキソニンを飲みながら、安静にして過ごすしかなかった。これは振り出しに戻ってしまったかなと、まったくもって暗澹たる気分だった。 翌月曜日に整形外科に行き、再び固定をしてもらったのだが、今度はギプスはせず、包帯とテーピングだけの固定だった。今にして思えば、ギプスをとるのが1週間早すぎたのではないかなぁと思うし、再固定の方法もとにかく中途半端だった。杖を用いても歩くのが痛くてたまらず(この頃は松葉杖からT字型のステッキに変えていた)、本当にシンドかった。思い返せば、怪我の当日以降では、この時期が一番つらかったかもしれない。私が痛めた靭帯は、「右膝内側側副靭帯」という箇所で、膝の靭帯の中では比較的予後がよく、他の靭帯や半月板を痛めていなければ、基本的には手術をせずに保存療法で治せる箇所だそうだ。歩道の段差にぶつけて何が起こったのかはMRIをやっていないのでわからないが、損傷の程度がかなり酷くなってしまったのは間違いない。これは長期戦になるなぁと覚悟をせざるを得なかった■その後の経過その後は一進一退の状態が続いて、このまま元に戻らないのではと弱気になったりもしたが、9月中旬以降、2度の3連休でゆっくり休めた(逆に言えば、3連休の間なにもできなかった)こともあって、怪我後1か月経過したあたりから少しずつ調子が上がってきた。ちなみに1か月経過した時点でどんな具合だったかといえば、右膝を完全にたためるところまではいかないものの、120度ぐらいは曲げられるようになり、歩くスピードも(杖をつきながらとはいえ)だんだんと世の中の流れに乗れるようになってきた。それでも、階段の上り下りで足をスムーズに動かせないのと、ちょっとした段差や坂道で不安定になったり、長く歩くと膝がガクッと抜けたようになることがあって、T字ステッキとサポーターを手放せない生活は続いていた。膝をぴったりと折り曲げられるようになったのは、怪我からおおよそ2か月後、ステッキなしで通勤できるようになったのは2か月半後のことだった。この原稿を書いている11月中旬現在、怪我後3か月近く経過してどんな具合かといえば、ケガ前の状態を10とすると、ようやく5か6ぐらい、どんなに甘く見積もっても7まではいかないなぁという状況だ。日常生活に不自由することはほぼなくなったが、まだ歩行時には右足を引きずりながらになってしまうし、走ることはできない。しっかり踏ん張れないので、満員電車の通勤や階段の昇降(特に降りるほう)は緊張する。整形外科のリハビリはマッサージに加えて筋トレが加わった。仰向けに寝た姿勢で膝の部分をギュッと床に向けて力を入れたり、足を挙げて足首をたたんだ姿勢で静止したりといった簡単なものだが、左右の足を比べると、すぐにわかるぐらい、右足の筋肉が落ちてしまっているので、筋トレを気長にこなさないことには、怪我前の状態には戻らないのだろう。リハビリにはほぼ毎日、ランチタイムを利用して通っている。おかげで昼食は立ち食い蕎麦やファーストフード系のものばかりだ。小銭が飛ぶように出ていくが、幸いなことに、山歩き用に加入しているモンベルの傷害保険で通院一日あたり2000円出ることになっているので、いずれ回収できる見込みだ。まあ年内はこんな生活が続くのだろうと思っている。■ワインや趣味への影響 今回の怪我でとにかく辛いのは、「山歩き」をまったくできなくなってしまったことだ。山歩きはここ数年、私の中でワインと並ぶ趣味となっていて、週末になれば2週に1回ぐらいのペースで近郊の山にでかけていた。怪我した当初は、秋口になればまた再開できるだろうと楽観視していたが、今から思えば、とんでもない認識の甘さだった。3か月近く経過した今の時点でも、本格的な山はおろか、2~300m程度の低山ですら歩ける気がしない。今年の紅葉狩りは諦めざるを得ないのはもちろんだが、では来春になれば岩場や急な斜面を上ったり下ったりできるレベルまで回復するのかというと、今の時点ではちょっと自信がない。そもそも年間20回以上も山歩きをしていた人間が地下鉄の駅構内で転んで大けがをするというのが笑い話以外のなにものでもないが、逆にもし人気(ひとけ)のない山の山頂付近で同じような目に遭っていたら、ヘリコプターで救助されたり、場合によっては遭難して新聞沙汰になっていたのかと思うと、山歩きそのものに対してやや及び腰になってしまう。ワインについてどうだろうか?前述の通り、怪我のあと1週間後ぐらいから飲み始めたが、運動をしなくなって代謝が衰えたせいか、あまり量を飲めないし、酔いが回るのが早くなった気がする。そもそも週末どこにも行けずに鬱々と過ごしていては、晩酌でワインを飲んでもあまり美味しいと感じない。山歩きとワインとは、アウトドアとインドアというだけでなく、いつのまにか私の中で相互補完の関係になっていたのだなぁと実感する。 ではワイン関連で何か目新しいことがなかったかというと、ひとつあるのだ。遠出ができなくなった分、ウインドウショッピングの延長で、近所の酒屋を見て回るようになった。これが私に懐かしい感覚を思い出させてくれた。今でこそ購入ワインの9割以上をネット経由で仕入れているが、ワインに凝り始めた90年代半ばから後半にかけては、ショップの店頭でいろいろ物色して購入していた。あらかじめ銘柄名を調べて買うものもあれば、店のおすすめに従って購入したり、衝動的に「ラベル買い」することもあった。そのプロセス自体が楽しかったことを思い出して、再び初心に戻ってワインを選んでみたくなった。また、そうした店には、かつて私がよく飲んでいた懐かしい銘柄も並んでいる。たとえば、90年代の私は今のようにブルゴーニュやシャンパーニュ一辺倒でなく、チリやオーストラリア、ボルドーなどの安価なワインを幅広く飲んでいた。それらの銘柄を今飲んでみたら、どう感じるのだろうか? 題して「温故知新プロジェクト」(プロジェクトというのはシャレだと思ってほしい)。最近、居酒屋やビストロなどで飲むショップ価格2千円前後と思われるワインたちが思いのほか美味しくて、自宅の晩酌ならこれぐらいで十分だなぁとしばしば思うことも背景にある。ためしに、実家の近所のスーパーで「コンチャイトロ」や「ロバートモンダヴィ」を購入して飲んでみた。なかなか、悪くないじゃないかと思った。それでは、ということで、今度は近所の「信濃屋ワイン館」で店のおすすめワインや懐かしい銘柄を12本見繕って購入してみた。私自身、店頭で12本まとめ買いするのは実に久しぶりだったが、それ自体とても楽しい体験だった。プライスはトータルでも2万6千円程度。一本当たり価格は平均2000円強というところだ。自宅の晩酌ワインがだんだんとこのような銘柄に回帰していくのか、それとも、結局はブルゴーニュ+シャンパーニュに戻るのか、。。次回はこうした銘柄を中心に「温故知新プロジェクト」の進捗を報告したいと思う。実は三年経過した今もまだ、膝は完全に戻っていません。全力で走れませんし、膝を曲げるたびにカクカクひっかかるする感じがします。怪我をした時点で手術をしたほうがよかったのかもしれません。まあ日常生活に困ることはほぼありませんが(点滅中の青信号を渡るときぐらいでしょうか)。「温故知新プロジェクト」については、このブログ上でもいくつか試したアイテムを掲載しています。
2021年06月03日
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ハイキングにはまっていた頃なので、2016年ごろに書いた記事と思われます。ピーク時には年間30回近く行っていたものですが、2018年に右膝の靭帯断裂という大アクシデントに見舞われ、リハビリに多大な時間を要すこととなり(ちなみに山歩きではなく地下鉄の構内で階段を踏み外したのが原因でした)、それ以来、山歩きとも疎遠になってしまいました。コロナ禍が一段落したら、ワイン同様、徐々にまた再開できればと考えていますが、今では、体がついていきそうにありません。まずは、都内近郊の公園などを少し長めに歩くことからですかね〜。【山歩き・ハイキング】カテゴリの記事 https://plaza.rakuten.co.jp/szwine/diary/ctgylist/?ctgy=15******************「今週もまたピクニックに行くの?」最近、週末が近づいてくると、カミさんが決まって私に言う言葉です。この言葉だけを聞くと、家族みなで週末にワイワイと出かける姿を想像するかもしれませんが、実際はそうではありません。「週末また家族をほったらかして一人で出歩いてくるの?」というやや批判的なニュアンスが言外に含まれています。もっとも、私は決して家族を「放ったらかして」いるわけではなく、一緒に行こうとなるべく声をかけるようにしているのです。ただ、歩くことが嫌いなカミサンや朝早く起きるのが苦手な子供たちが私の誘いに乗ってこない、というだけのことです。そもそもカミさんは「ピクニック」といいますが、私が出かけているのは「ハイキング」です。ピクニックとハイキングって、いったいどこが違うのでしょうか?日本ではいずれも遠足的な使い方をされていて、その境界は曖昧ですが、英語圏では明確に区別されています。ハイキング(hiking)とは「徒歩旅行」のことで、健康維持や自然を楽しむため、山野を歩くこと。外国に駐在していた人が「ハイキング」に行こうと誘われて、軽い気分で行ったら、思いの外本格的な山歩きで驚いた、なんていう話も聞いてことがあります。一方のピクニック(picnic)は、直訳すると「食事を持参しての遠足」。自然を楽しみながら、野外で食事をすることが目的の中心であるため、移動手段は特に重視されておらず、徒歩であるとは限らないとのこと。使い方が曖昧といえば、「ハイキング」と「トレッキング」「登山」の違いも曖昧です。私の頭の中では、日帰りの山歩きは総じてハイキング、ハイキングの中でも中級者向け以上と言われるランクのもの(歩行時間が5〜6時間以上だったり、ちょっとした岩場やロープ場などがあるようなコース)がトレッキング、両手や道具を使って登るレベルものものや山小屋に宿泊して頂上をめざすようなものを登山という線引きをしています。 私が週末出かけている山は、高尾、奥多摩、丹沢、山梨などのおおむね往復5時間以内で登って下りてこられるような初心者向けコースばかりですので、基本的にはハイキングです。ただ、「ハイキング」という言葉には、カミサンが間違えたように「ピクニック」にも似た牧歌的な響きがあって、正直、50を過ぎたオヤジが趣味はなんですか?と聞かれて、「ハイキングです。」と答えるのはやや憚られます。なので、このような質問に対しては、もっぱら「山歩きです。といっても山登りというほど本格的なものではありません。」と毎回、言い訳をしながら答えています。まるで「ワインエキスパート」の資格について、ソムリエとの違いを説明するときのようです。■無理やりワインと山歩きを比べてみる。そんなわけで、カミさんからはやや冷ややかな視線で見られがちなハイキングですが、今年に入ってから週末山歩きに行った回数はといえば、10月末の時点ですでに25回を数えます。特別が用事がなく、天気の良い週末にはほぼ毎週出かけている計算になります。(これでは冷たい目で見られても仕方ありませんよね‥)というわけで、今やワインと並んで、私がもっとも力をいれている趣味と言ってもよい山歩きについて、若干(かなり?)無理やり感がありますが、ワインとの比較をしてみたいと思います。■比較その1:家計にはどちらがやさしいか?今のところ、山歩きに軍配が上がります。最近ワイン会などに出かけなくなり、ワイン収集の意欲も衰えたことから、ワイン関連の費用はかつてほどかからなくなりました。とはいえ、なんだかんだで年間100本の消費ペース自体はあまり変わっておらず(実はこれが大きな課題だったりします)、今もってデイリーワインをちょこまかと買い足している日々です。一本あたりの単価が安い分、つい数本まとめて購入してしまいがちで、気づけばセラーの中のワインの本数は一向に減っていないという有様。安価なワインばかりとはいえ、コンスタントに購入し続けているわけですから、年間ではそれなりの金額になります。それに比べれば(あくまで相対的なものですが)山歩きにはそこまで金はかかっていません。凝りだすにつれて、やれウエアだのリュックだの靴だのその他アイテム類だのと、出費が嵩み始めていますが、今のところ目玉が飛び出るような金額にはならずに済んでいます。ウエアなどは、普段着にも使いまわせるし、余ったリュックは防災用品を入れておけるので、それなりに重宝します。イニシャルコストに加えて、ランニングコストが安いことも魅力です。週末一日がかりで山を歩いても、かかる費用は交通費と昼食代ぐらいのもの。街中で散財しない分、トータルとして節約に役立っている感すらあります。もっともこれも程度の問題で、テント泊や冬山登山等始めれば、イニシャルコスト、ランニングコストともに違ってくるのだろうと思われます。とりあえず私の場合は、基本的に「日帰り」という縛りがありますし、体力の不安やほとんどソロで歩いていることもあって、今のところあまりチャレンジングなコースに挑もうという意欲はありませんが。■比較その2:家族のウケはどちらのほうがよいのか?我が家の場合は僅差で山歩きだと思います。山歩きが家族の不興を買うのは、週末ひとりで家を空けることと、泥だらけになって帰ってきて、洗濯物が増えることぐらいです。一方でワインについては、長年部屋の一角に鎮座しているワインセラーや、日々届く宅急便、洗い物の障害となるとカミサンの不興を買い続けている巨大なグラスなど、多く前科?があります。「ワイン会=家族を置いてひとりだけ豪勢なコース料理を楽しんでくるもの」という微妙に妬みの混ざった刷り込みがカミサンの中にあるのも心象を悪くしている要因かもしれません。もっとも、夫婦でワインを嗜む家庭ならワインに対する心象はもっと良いでしょうし、この辺はいかに家族を巻き込むかで全然違って来るのだと思いますが。■比較その3:職場の同僚や友人との話題に事欠かないのは?これは、ワインでしょうね。山歩きの場合は両極端で、周囲を見回しても、成人して以来、ほとんど山に登ったことのない人という大半な一方で、「学生時代に山岳部に所属していた」とか「ワンゲルのサークルに入っていた」というような本格派の方も少なくありません。私自身がまだ初心者ゆえ、そういう人たちとはなかなか話がかみ合わないのが辛いところです。ワインについてはどうでしょうか?資格をもっているような愛好家も社内に数人いますし、そこまでのマニアでなくても、ワイン人口の裾野の広がりを反映してか、「こないだどこそこのレストランで飲んだなんとかという銘柄が美味しかった」とか、「◯◯というワインがオススメだ」などという日常会話が聞こえてきたりします。ちなみに、最近ワイン関連の活動に関しては鳴りを潜めているせいか、職場には私がワイン愛好家であることを知らない人も増えてきました。先日たまたま会社にジェロボアムのシャンパーニュが送られてきて、「Jeroboamってどういう意味なんだろうね?」と若い人たちが話していたので、シャンパーニュのボトルサイズについて説明したら、「なんでそんなに詳しいんですか〜」と妙に感心されたりしました。(笑) ■比較その4:健康によいのは?そもそも運動とアルコール飲料を比べること自体ナンセンスですが、ここは言うまでもなく「山歩き」でしょう。よくワインは健康によいと言われます。「フレンチパラドックス」、「ポリフェノール」、「リスベラトロール」といった言葉は今さら当誌の読者に解説するまでもありませんが、ワインが健康に良いというのは、どこまで行っても所詮は「酒としては」という注釈つきの話であって、大量にアルコールを摂取しつづければ、健康を害する可能性が高まることは言うまでもありません。では、体によいという場合のワインの適量はどれくらいなのかというと、たいてい「グラス1~2杯」などと書かれています。しかし、愛好家がワインを飲み始めたら、グラス1~2杯では終わるとは思えないし、そもそも保存性に難のあるワインを一日1~2杯に留めるというのも厳しい話です。加えて、ワインのつまみとしてつい脂っこいものを食べてしまうことも各種の数値を悪化させる要因となります。山歩きを始める前は、週末、一日5キロ程度ウォーキングをすることを習慣づけてていました。なぜウォーキングを続けていたのかといえば、年々悪化の一途をたどっている血糖値やコレステロール、血圧といった数値の改善のためというのが大きな理由で、これらの数値の悪化の背景のひとつに、長年続けてきたワインライフがあることは疑いの余地のないところです。 そんな折、昨年の秋に、木の根につまずいて足の甲を剥離骨折するというアクシデントに見舞われました。一か月ほど足首を固定していたおかげですっかり足の筋肉が弱ってしまい、少し負荷のかかるリハビリをと思って、高尾山に登ってみたのが、山歩きにはまるきっかけでした。山歩きの効果はてきめんでした。ここ数年続けていた「糖質制限」がこのところすっかり有名無実化してきているにもかかわらず、夏前に受けた血液検査の結果は、すべての数値が基準内に収まっていました。これも冬場から夏前にかけて毎週のように山歩きに出かけた賜物だと言えます。週末の街中ウォーキングは、1時間も歩けばかなり退屈しますが、山歩きであれば、たとえ低山であっても、登山口までの往復や登り下りで3〜4時間程度は楽に歩きます。それに標高差500mもしくはそれ以上のアップダウンが加わるわけですから、当然消費カロリーは増えます。初級向けと言われる高尾山ですら、60キロ台後半の私が登ってるだけで、おにぎり5個分程度のカロリーを消費するというデータもあるそうです。さらに、山歩きによって筋肉がついて基礎代謝が上がるということもありますし、土の上を歩くことで、膝にも結果的には優しいと思われます。というわけで、最近は忙しい週末であっても、長めにウォーキングする気持ちで、我が家から近い高尾山界隈まで足を延ばすことにしています。これが週末の山歩きの回数が増えている理由です。■比較その5:メンタルによいのは? 前項と関連しますが、ことメンタル面への影響ということではどうでしょうか。どちらも大いに寄与してくれているという面では引き分け、過去からの積み重ねという意味ではワインに軍配をあげたいと思います。ワインを飲み始めたのは30代半ば。当時は仕事のプッシャーがキツく、残業も今とは比べ物にならないほどこなしていました。余暇の時間にひたすらワインにのめり込むことで、結果的にオンオフを上手く切り替えられました。40代前半は職場環境に恵まれず、ストレスから鬱状態になりかけたこともありました。そんな時に、最終的に私の心の均衡を保ってくれたのはワインという趣味でした。そういう意味ではワインと出会うことができたのは本当によかったと思っています。一方で、酒量が増え始めたのもこの頃からでした。純粋にワインを愉しむということ以上に、気づけば日常のストレスから逃れるための手段としてワインを毎晩飲むようになっていたという側面は否定できません。そんな中、健康のために始めた山歩きですが、始めてみると、精神的にとてもリフレッシュできるのを実感するようになりました。少し負荷のかかるコースで一途に山頂を目指し、適度に汗をかくことで、積もったストレスが雲散霧消します。ことさら山頂をめざさなくても、ハイキングコースを数時間歩くだけでも実に爽快な気分になります。この文章で表現しずらい「リフレッシュ」感覚はいったい何なのだろうと思っていたのですが、先日、「森林浴」に関する記事を読んでいてはたと合点がいきました。山歩きを通じて、知らず知らずのうちに、私は週末に森林浴をしているのだと思います。 森林浴の効能については、フィトンチッドという成分によるリラックス効果、NK細胞の増加や免疫力アップなど、ネットで検索するといろいろと出てきます。ワインにおけるアントシアニンとかリスベラトロールの効能といった議論を思い出しますが、あまりここでは深入りしないことにします。とはいえ、総論としてリラックスやストレス軽減といった効果があることについては、大いに共感できるものがあります。そういうことで、平日はワインを飲んで仕事のストレスを忘れ、週末には山にでかけて思いきりリフレッシュする、というのが最近の私のスタイルです。では、山歩きの休憩中にワインを楽しむのはどうだろうと声も聞こえてきそうですが、山を歩いている途中で飲むと、トイレに行きたくなったり、足元がふらついて怪我をしかねません。ボトルがユサユサとリュックで揺られるのも好ましくないし、グラスも碌なものを用意できない、ということで、山歩きの途中でワインを、というのはお勧めできるものではありません。同様に、山歩きから帰ってきた後で飲むワインも、アルコールの吸収がよくなるせいか、あるいは疲れているせいか、普段より酩酊しやすいので、適量を守るよう気を付けるようにしています。■比較その6:リスクは?考えたくありませんが、直接命に係わるようなリスクという意味では山歩きのほうがリスクが高い気がします。前項で書いたとおり、ワインはアルコールですから、多量に飲み続ければ、健康へのリスクは避けられないでしょう。とはいえ、急性アルコール中毒にでもならない限り、すぐに命の危険にさらされるようなことにはなりません。一方で、山歩きには(あまりないこととはいえ)「怪我」「遭難」「クマ、蛇、スズメバチなどとの遭遇」といった、まったく別のリスクがあります。命にかかわらないまでも、山上で怪我をして動けなくなったりすれば、山岳救護隊を呼ぶといった悲惨な事態になりかねません。私のような経験の浅い初心者でも、下りで膝を痛めて這う這うの体になったり、ひとけのないところで巨大なハチと一対一になって焦ったことがありました。とくに今の私はソロで(ひとりで)行くケースがほとんどなので、大げさと思われるかもしれませんが、雨具や救急用品、ライト、熊除けの鈴など、いざというときの用意は怠らないようにしています。■比較その7:長く続けられるのは? 私より一足先に定年になった職場の先輩はここ数年、週末に絵画教室に通うのを楽しみにしています。先日、彼の書いた絵を見せてもらったところ、プロの作品と見まごうような出来栄えに驚かされました。老後も長く続けられる趣味という意味では、実によい趣味を見つけたものだなぁと感心しました。(※Sugar7さんのことですが、今ではほとんどプロです。) ワインについて、最近当コラムでネガティブなことばかり書いたり、ワインを飲む頻度と量を減らそうと頑張ったりました。多少は効果が上がったとはいえ、やはり日々のワインはやめられないよなぁと、最近は逆にワインのありがたさを実感しています。とりあえず健康面で許される限り、細く長くワインを飲み続けていきたいと思っています。 山歩きは昨年末から凝りだした新たな趣味ですが、リラックス効果やストレス軽減だけでなく、より積極的に健康増進に寄与してくれるという意味で、ワインと相互補完の関係を築けるように思います。経済面でもそれほど負担にならないというのも魅力です。そういう意味では、今回のコラムのタイトルは「微妙な関係」ではなく、実は「絶妙な関係」なのかもしれません。ただし、ワイン以上にこちらも、「健康であること」とくに足腰が健康であることが続けていく上での絶対条件になります。ペースを上げすぎたり、調子に乗ったりして怪我で長期離脱するのは最悪です。 ワインと山歩き、いずれも長く続けるためには、ペースを上げすぎず、節度をもって、というのが肝要でしょう。
2021年05月30日
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2018年の夏に書いた記事です。記事上では、飲んだワインの本数をカウントした表を添付していたのですが、手元に見当たらないので割愛します。**********いや、それにしても暑い。地球温暖化が叫ばれて久しい昨今、少しぐらいの暑さには驚かなくなったが、今年の夏は別格だ。おかげで定期的に通っていた低山ハイキングもすっかりご無沙汰だ。せめてもの運動不足解消にと、週末2時間ほどウォーキングをしたら、軽い熱中症に罹ったらしく、帰宅後酷い頭痛に襲われた。ウォーキングをするのも命がけとは、本当に災害レベルといってよい暑さだよなぁと思ってしまう。ワイン愛好家たるもの、こう暑いと心配になるのがワインセラーの冷え具合だが、幸い我が家の16年目のサイレントカーブと10年目のユーロカーブはいずれも12~13度の設定温度を保ってくれている。今年はあまりに暑いので、家の中ではほぼ終日エアコンが稼働状態だ。セラーのある部屋も例外でなく、例年よりエアコンの稼働率が高いことが、セラー温度の安定に役立ってくれているのかもしれない。さて、このような天候ではワインには手が伸びないかといえば、そんなことはない。いつもどおり1週間に2~3本程度のペースで、自宅でボトルを開け続けている。飲むワインの種類については、例年、梅雨明けから7月中ぐらいはもっぱら泡もの中心、8月に入ると、エアコンの効いた室内に体がなじんで、だんだんと赤ワインが恋しくなるのが常だ。しかし、今年はいかんせん暑すぎて、どこまでいっても泡ものにしか手が伸びない。そもそも、現在私が飲んでいるワインは、1年を通じて泡もの、特にシャンパーニュがかなりの比率を占めている。幅広い食事に合わせやすい万能性、炭酸ガスによる良好な保存性、ボトル差やロット差などにあまり悩まなくて済む均質性、それでいて品種や作り手、地域の違いによる香味の多様性など、私のシャンパーニュへの興味と傾倒はまだまだ収まりそうもない。もっとも、シャンパーニュを積極的に楽しむようになったのはここ数年のことで、それ以前は「ワイン会の乾杯酒」程度にしか考えていなかったものだ。では、たとえば5年前、10年前にはどのようなワインを飲んでいたのだろうか?ふと思い立って、今年(2018年)と、5年前(2013年)10年前(2008年)の上半期(1~6月)に飲んだワインの種類や内容を比較してみた。■飲んだワインの本数と赤白比率(単位:本) ※表割愛 まず、各年上半期に開けた本数と赤白泡の種別をまとめたのが上の表(割愛)である。本数については、自宅の晩酌で開けたものと持ち寄り会の際に自分が持ち込んだもののみをカウントして、その他のワイン会や有料試飲で飲んだもの、外食時に店で注文したものなどは数に入れていない。2008年の合計本数は62本とかなり多かったが、5年前の2013年と2018年とを比べると、2018年の方が3本多いという結果になった。最近めっきり酒量が減ったと吹聴しているわりにはペースが落ちていないじゃないかと突っ込まれそうだが、そういうことではない。表からは判らないが、2013年当時は今より外食で飲む機会がはるかに多かったのだ。例えば2013年は、上期だけで8回ワイン会に参加していたし(ちなみに2008年は6回、今年は0回)、仕事絡みの会食予定も毎週のように入っていた。半年で50本前後という本数は、1週間あたりに換算すると2本弱ということになる。現在は自宅でボトル1本を2日か3日に分けて飲み、間に1~2日休肝日を挟むというペースが定着しているが、2013年はそこにワイン会や会食の予定が入っていたわけだ。それでいて自宅で開けた本数が2018年とほぼ同数ということは、今ほど休肝日をきちんととっていなかったということなのだろう。たしかに、この頃は「2週間で1日も休肝日を設けていない」などということがざらにあったような気がする。よく肝臓が悲鳴を上げなかったものだ。 また、最近シャンパーニュばかり飲んでいるとばかり思っていたが、集計してみると2018年においても泡の比率は25%に過ぎなかった。もっともこれは夏場が含まれていないことによる区切りの問題も多分にあって、通年でカウントすれば泡の比率はもっと上がると思われる。それにつけても、10年前の2008年には半年間でわずか1本しか泡ものを開けていなかったというのは驚きだ。もっともこの当時は、ワイン会の乾杯時などでプレステージクラスのシャンパーニュを味わう機会は今よりも多かった。我ながら、全くもって「馬の耳に念仏」だったなぁと思う。 色別の比率を見ると、どの時期においても赤ワインが最大勢力であるのに変わりはない。特に2013年は赤の比率が8割を超えていた。2018年は泡が増えた分、相対的に赤ワイン比率も減ったが、それでも飲んだワインの半数以上が赤ワインだったということになる。2008年については後述するが、いろいろなジャンルや産地を試していた一環で、白ワインを開ける機会も多かったのだと思う。■産地 次は産地別の表を見てみよう(割愛)。フランス産がもっとも多いのは、この10年間変わっていない。そしてフランスの中でもブルゴーニュの割合が圧倒的に高い。例えば2018年は、ここまで52本開けたうちの86.5%にあたる45本をフランスワインが占め、その68.8%にあたる31本がブルゴーニュ、残りのほとんどはシャンパーニュだった。2008年を見ると、比較的いろいろな産地のワインを開けているが、これには大きく二つの理由があったと記憶している。ひとつは前年の2007年にシニアワインエキスパートの資格を取得して、その流れで意識的にいろいろなエリアのワインに接しようとしていたこと。もうひとつは、リーマンショックの影響が深刻化する中、わが家もワイン関連費用を削減しようとしていたことだ。ブルゴーニュだけを見ても、2008年はACブルゴーニュなどの一般広地域名ワイン、俗にいう「裾もの」の比率が51.6%と最も高かったが、そこからさらに踏み込んで、より安価に楽しめるエリアや品種を開拓したいと試行錯誤していた時期だった。国産ワインにも入れ込んでいて、某社がブロガー向けに主催する勝沼ツアーに参加させていただいたりもしたものだ。とはいえ、この目論見は結局長続きしなかった。ブルゴーニュ以外に目を向ければ、CPが良好で美味しいワインがいろいろあることは頭で理解できても、それらが自分自身の中で確固たるポジションを築くところまでは至らなかったということなのだろう。5年後の2013年にはブルゴーニュ一辺倒に戻ってしまったのが、表からも一目瞭然だ。この年はなんと、上半期に飲んだ総本数49本のうち41本がブルゴーニュだった。「裾もの」比率も34.1%と私にしては低めで、自宅で村名以上の銘柄を開ける機会が多かったことを表している。円安が進行する一方でブルゴーニュワインが今ほど値上がりしておらず、07年や08年のような、村名でも4~5000円未満で購入できて比較的早くから飲めるバックビンテージも出回っていた。思い返せばブルゴーニュ好きには良い時期だった。■購入価格やセラー保存年数など 今度は切り口を変えて見てみたい。飲んだワインのうち、購入価格が概ね5000円を超えるものを(記憶している範囲で)カウントしたのが上の表の列「①」、3年以上自宅または寺田倉庫のセラーで保存していたボトルの数と割合が列「②」だ。(表はいずれも割愛)通常、我が家の晩酌ワインは概ね3千円台までを目安としているが、1~6月という期間でみれば、正月休み、上の子の誕生日(1月)、結婚記念日(4月)、カミサンの誕生日(4月)、ゴールデンウイークなど、普段よりもよいワインを飲みたくなるタイミングがいくつかある。これらのボトルの多くはそうした休日や記念日にかこつけて開けたものか、もしくは持ち寄りワイン会等に持参したものだ。2008年はリーマンショックの影響か、5000円以上のボトルは全体の1/4以下(24.2%)に抑えられていた。一方、2018年は36.5%と高めだった。②の「3年以上セラー保存」のボトルの比率は、どの年においても2割を少し上回る程度だが、これらのボトルは相対的に高額なものが多い(でなければ3年も待たずに飲んでしまう)ので、実質的にほとんどのアイテムが「5000円以上のボトル」と重複している。たとえば、2008年は「3年以上セラー保存」も「5000円以上のボトル」も15本と同数だった。あらためて内訳を調べてみると、そのうち14本が同一銘柄だった。ところが2018年になると、「3年以上セラー保存」が11本なのに対して、「5000円以上のボトル」は19本と開きが大きくなった。裾ものですら5000円を超える銘柄が増えてきたことや、セラー内の比較的新しい(3年未満の)ボトルを積極的に開けたことなどが原因だ。表の右端列「③」は、飲んだボトルのうち、福袋やセットなどのセール品の本数と割合だ。なんと2018年はトータル52本のうち、4割弱にあたる20本が「セットや福袋で購入」したボトルだった。具体的には、年初に購入したシャンパーニュの福袋、ACブルの赤白それぞれのセット、自然派ワインの福袋などだ。これらの一本当たりの金額を計算すると、2600円程度とコストパフォーマンス的には良好だった。しかし、セラーに保存したワインたちが、記念日等を除いてなかなか消費されないまま、寺田倉庫の保管料が毎月引き落とされ、その一方で日常消費用のワインを別途セールでちまちまと購入しているというのは、健全な姿とは言い難い。そう、これがまさに我が家のワイン消費の構造的な問題なのだ。■わが家のワイン消費の問題点例えばブルゴーニュワインであれば、毎年新しいビンテージの村名や地域名の銘柄を手広く購入してセラーに保存しておき、ビンテージや生産者、畑の特性などにより、徐々に飲みごろを迎えたボトルから日々の晩酌で開けていく。そうしたサイクルを自宅で実現できることが理想だ。ところが、我が家の場合はどうしても「セラーで長期保存するワイン=高額なワイン」という発想になってしまい、村名クラスのボトルなどは、熟成させるところまでいかずに早開けしてしまうということの繰り返しだった。片や特級クラスなどのボトルは、寝かせておいてもなかなか飲み頃は訪れないし、ようやく飲みごろを迎えても、そうしたボトルたちに対して日常の晩酌では役不足の感がある。といって、最近はワイン会にも出かけないし、一年の中で記念日がそうそうたくさんあるわけでもないので、これらのボトルの出番は滅多に回ってこない。こうしてセラーの中身の大半が不動のラインナップと化して循環せず、一方で日常消費用のワインはセラーの中にはほとんどないので、別途日々購入するというパターンが続いているのだ。まあ、そういう視点で見れば、2018年の上半期などは、比較的セラーのボトルを消費したほうではあるのだが。そろそろ終わりの見えてきた私自身のサラリーマン生活と照らし合わせた時、毎月引き落とされ続けている寺田倉庫のロッカー費用をなんとかしておかねばならないという思いは常にある。さらには、購入後それぞれ16年と10年になる我が家のセラーがいったいいつまで現役でいられるのかという問題もある。(どちらかが壊れたときは1台にまとめるようにとカミサンから厳命されている。)自分でワイン会を主催して、手持ちのワインたちをどんどん開けていくとか、飲む予定のないボトルをオークションなどで処分するとか、抜本的な対処法を考えなければならない時期に来ていることは、頭ではわかっていることなのだが、なかなか重い腰を上げられずにいる。ミニマリスト的なワインライフに変えていくのが、今後の私のテーマだと毎回のように書いているが、実はこれって結構難しいことなのかもしれない。コロナ禍でワイン会の開催は難しく、体調不良で自宅での晩酌のペースも上がらず、相変わらずセラーのストックをもてあましています。オークションや個人売買などで本格的に在庫を整理しようと思いつつ、なかなか気力がわかず、実行できずにいます。そうこう言っているうちに、子供たちが酒を飲める年齢が近づいてきたので、子供のビンテージのワインを開ける機会は増えそうですが。気付いたら子供達にガンガン飲まれていたりして・・笑
2021年05月22日
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PCR検査の結果は陰性でした。お騒がせしました。明日からまた仕事に復帰です。以下のコラムは、4年近く前に書いたものです。時節柄、あまり適切でないかもしれませんが、過去の記事ということでご容赦ください。*****************この3年ぐらい山歩きに凝っていて、週末にかなりのハイペースで出かけている。概ね2週間に1回ぐらいのペースだろうか。行き先はもっぱら日帰り圏内の低山なので、どこまでいっても(登山ではなく)ハイキングの範疇である。最初のうちは下山時に膝が痛くなったり、転んでケガをしたり、翌日筋肉痛になったりしたが、回数を重ねるごとに、少しは体力やノウハウがついてきたのか、ある程度距離が長かったり標高差があったりしても問題なく歩けるようになってきた。一方で、山歩きをするたび、いくばくかの寂しさを感じているのも事実だ。稀に家族がつきあってくれる以外、もっぱらソロで出かけているので、同好の士との交流が全くないのだ。一人で出かけるのは気軽でよいのだが、時には誰かと感動や苦労を共有したくなる。その点が、これまで趣味の柱だったワインとの大きな違いだ。ワインにおいては、有料試飲やワイン会、いきつけのショップやレストランなど、コミュニケーションに事欠くことはなかった。だったら、ワイン同様、ネットで同好の士を探したり、サークル活動に参加すればよいじゃないかという話になりそうだが、あまり気が進まないのは、山の中でよく出くわす傍若無人な老人たちの集団を見るたび、「ああはなりたくないよなぁ。」と思っているからだ。ん?これって考えてみれば、ワイン会で大きなグラス並べてグルグルとスワリングしている姿も、端からは同じような目で見られているということだろうか?かつては暇さえあれば有料試飲やワイン会に出かけていた。ワインに凝りだして、自宅でいろいろと飲むようになっても、ひとりで飲むことのできるバリエーションは限られる。ワインバーなどで飲むのもよいが、回数を重ねると結構な出費になる。私の場合、それで足を運ぶようになったのが有料試飲だった。試飲といっても、デパートのワイン売り場で見かけるような、プラスチックの小さなコップに注いで立ち飲みするようなものではない。一杯数百円から数千円程度を支払って、日ごろ手の届かない銘柄や新規リリースの銘柄などをテイスティングするものだ。この点、三軒茶屋在住という地の利は大きかった。なんといっても、愛好家の聖地(のひとつ)、「東急渋谷本店」ワイン売り場の有料試飲カウンターが徒歩圏内なのだ。毎週末、カウンターでソムリエの方と雑談しながら、ロブマイヤーのグラスで厳選されたアイテムをテイスティングできるということで、一時は週末になるとここに入り浸っていたものだ。90年代の後半には「エノテカ」広尾本店の有料試飲にもよく出かけていた。当時はボルドーの著名銘柄のビンテージ違いを一同に並べて比較する垂直試飲会が定期的に開催されていて、5大シャトーをはじめ、さまざまな銘柄の垂直試飲の会に参加することができた。会費はそれなりに嵩んだが、70~90年代前半の各ビンテージの個性が明確になって興味深かった。「やまや」も当時勢いがあり、毎週末「ラトゥールの垂直試飲」とか「82年のボルドー水平試飲」などといったテーマで、驚くほど安い価格で銘醸ワインを試飲することができた。カウンターや椅子もなく完全な立ち飲みで、グラスもあまりほめられたものではなかったが、そんな環境でアンリ・ジャイエのリシュブールなどもテイスティングしたものだ。こうした有料試飲はいろいろなワインを飲んでみたいという自分の欲求を満たしてくれたし、経験値の向上にも大きく寄与してくれたが、愛好家との交流という意味では、大きな広がりはなかった。転機となったのは、ネット繋がりのワイン会に参加するようになってからだ。ひとくちにワイン会といっても言葉の定義は曖昧で、レストランやワインバーが主催するもの、ショップやインポーターが主催するもの、同好の士やサークルによるものなど、様々なバリエーションがある。ワインの供給方法も、幹事が一手に引き受けて調達するものや、コレクターが自慢のコレクションから放出するもの、参加者がそれぞれワインを持ち寄るもの(いわゆる持ち寄りワイン会)など様々だし、内容についても、単に食事とワインを楽しみましょうというライトなものから、吐器やテイスティングメモが用意された勉強会的なものまである。 私が最初に参加したワイン会は、行きつけのワインレストランが主催するものだった。店主の解説を聞きながら、食事とワインが供されるというもので、参加者のほとんどはカップルやグループだった。それなりに楽しかったし勉強にもなったが、店主の独演会になりがちで、参加者同士の交流はほとんどなかった。 ネットのコミュニティのワイン会に初めて参加したのは、西暦2000年のことだった。インターネット上ではまだブログやSNSは登場しておらず、個人が解説しているワインサイトやそこに設けられた「掲示板」での交流がメインだった。「定期巡回」ルートの掲示板でワイン会を開催するという話を見つけて、参加させてもらうことにしたのだ。メンバーの中では私だけが初参加とあって、最初緊張したが、そこは愛好家同士、温かく迎えてもらえたし、コミュ障の私にしては珍しくすんなりと会話に入っていくことができた。当誌レビュワーの山地氏と出会ったのもこの時だった。いったんネットのコミュニティに足を踏みいれると、その後は加速度的に交流の輪が広がっていった。山地さんの紹介で「ワインショップ平野弥」の勉強会にも足繁く通うようになった。こうして、上の子どもが生まれるまでの数年間、ほぼ毎週末ワイン会に参加する日々が続いた。高価なワインや貴重なワインを自分で購入することを思えば、ワイン会はたしかにリーズナブルだが、毎週のように参加していれば、会費だけでも馬鹿にならない額になる。今思い返してもずいぶん散財したものだと思うが、同好の士との人脈を広げられたという意味では、私のワイン歴の中で大きな意味のある時期だった。 ワイン会に参加するメリットはいろいろとある。日ごろ飲むことのできない高価なワインや貴重なワインを飲むことができること、一度にいろいろなアイテムを飲むことができること、(会によっては)「垂直」「水平」など網羅的体系的にワインを飲むことができること、日ごろ飲みつけないようなジャンルのワインを飲むことができることetc.同好の士との交流を深めたり、人脈を広げられることは言うまでもない。さまざまな知識や雑学、業界動向などを仕入れられるし、文章や口頭説明ではピンとこない知覚を共有できるということも大きい。たとえば、「ブショネ」についていくらネット上で説明を読んでも、同じグラスの香りを嗅ぎながら、「これがブショネだよ。」と説明される機会が無いままだと、いつまでたってもブショネの確実な判断は下しにくいものだ。一方で、ワイン会もよいことずくめではない。一本のワインを数人、多いときには10人以上で分けるので、どうしても一人あたりの飲む量は限られる。時の経過とともに刻々と表情を変える熟成ワインなどにおいては(たとえば会の前半に出てくる熟成白ワインなど)、本当の実力を発揮する前に飲み干してしまうことも少なくない。酒量が多くなりがちなことも人によってはしんどい点だ。私が参加していた持ち寄りのワイン会では、ひとり一本持参するのが常だったが、二本持参してくれる人がいたり、差し入れがあったりして、たいてい酒量はひとり一本以上、時には一本半や二本近くになることもあった。そもそもテイスティングという観点からすれば、吐器を用いて吐き出さない限り、二杯目以降の精度は大幅に低下するわけだが、ワイン会というのはえてして「テイスティング会+飲み会」的な性格のものなので、吐き出しながら飲むのはあまり一般的でないし、正直「もったいない」(勉強会的などであればその限りではない)。日頃の酒量がボトル半分程度の私にとっては、会の後半の記憶が半ば飛んでしまったりするのは日常茶飯事だった。 参加者間でワインのコンディションに関する考え方や許容度に隔たりがある場合も悲劇の元だ。ボトルの提供者がワインのコンディションに無頓着だったりすると、出されるワインのコンディションがどれも今ひとつ(と感じる)などという笑えない状況も起こりえる。といって、判別できるかできないか程度のブショネや熱劣化をとらまえて、鬼の首をとったように「ブショネだ!」「熱劣化だ!」と騒ぐのも誉められた行為ではないだろう。 メンバーの中に著しく非常識な輩や酒癖の悪い輩がいたりすると、それだけで楽しい会がぶちこわしになるケースも起こりえる。会の最初から終わりまで終始自慢話を聞かされたり、セクハラ行為を連発するような御仁も過去にいた。そういうリスクを避けるために、ワイン会の募集方法がクローズドになったり、紹介制になったりするのは致し方ないことなのだろう。 ちなみに私は自分自身でワイン会を開催するということは滅多にない。急な仕事や体調不良など、ドタキャンのリスクをどうしても排除できないことと、参加者の中にやたらとコンディションにうるさい人がいた場合、自分が供出するワインの水準に満足してもらえる自信がないこと、それに、前述の通り私自身あまり酒に強くないので、会費をきちんと集められなかったり、幹事の役割を全うできなかったりしかねないからだ。そうした苦労を乗り越えて、長年に亘って定期的にワイン会を主宰している方々には本当に頭が下がる思いである。あらためてブログをチェックしてみると、かれこれ1年以上、ワイン会や有料試飲に出かけていないことに気づいた。理由はシンプルで、50歳を過ぎて私自身の酒量がさらに減ってきたことにつきる。会の途中で完全に「寝落ち」してしまったり、帰りに電車を寝過ごしてしまったり、夜中に頭痛で苦しんだりということが続くうちに、参加すること自体がすっかり億劫になってしまった。だったら一杯当たりの酒量を減らすなどコントロールすればよいじゃないかとの反論を受けそうだが、自分をストイックに律してまで参加しようというモチベーションが湧いてこないのだ。有料試飲の場合、新リリースのグランクリュなどがラインアップされていても、自分にはもはや縁がない話だというのも足が遠のいている原因だ。 とはいえ、ワイン会や有料試飲に行かなくなったことで、昨今のワイン関連や業界の動向に疎くなってきていることも実感している。正直、私のワインの知識や常識は10年前ぐらいで止まってしまったままだ。この先の私のワインライフは、日々の晩酌を淡々と続けていくのが中心になりそうだが、4人~5人ぐらいの気のおけない仲間で、おいしい料理を食べながら集まった人数を少し欠けるぐらいの控えめな本数を開けるような会があれば、たまには出かけてみたいとは思う。あるいはまたワインスクールなどに通ってみるのもよいかもなどと漠然と思っている今日この頃である。*************・・コロナ禍で飲食業もみなさんもさぞご苦労されていることと思います。感染云々を気にせず、ワインを楽しめる日が早く戻ってきてほしいものですが、コロナが収束しても、衛生観念についてはコロナ前と同じというわけにはいかないかもしれませんね。「とも洗い」とか、さすがにもうできないかも・。
2021年05月17日
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先日天に召された和金への手向けとして、大昔にRWGに書いたコラムを再掲します。それにしてもワイン雑誌にこんな突拍子もないコラムを寄稿するとは、攻めていたなあ>当時の私(笑)。**************金魚の飼育に凝っている。 昨年、地元の祭りの金魚すくいですくってきたのが2匹、今年また採ってきたのが6匹。むざむざ死なせてしまうのもしのびないということで、仕方なく飼い始めた金魚たちだが、いざ飼ってみると、ワインと同様にマニアの世界があって、実に奥が深い。そして、これがまたいろいろな意味でワインの世界と似ているなあと思ったりもする。ワインと金魚の一体どこが?と思われるかもしれないが、それは追々書いていくとして、年季の入った熱帯魚マニアの友人にいわせると、金魚飼育なんて、「実に簡単なもの」で、熱帯魚の飼育は「その10倍難しい」。さらに海水魚の飼育は「さらにその10倍難しい」そうである。(友人がそう言っているだけで、真偽のほどは定かではない)。おそらく、ワインとの類似点を挙げようとすれば、よりマニアックでスノビッシュという点で、熱帯魚と比較する方がふさわしいのかもしれない。しかし、残念ながら私は熱帯魚に関しては門外漢なので、今回は金魚との比較で話を進めたい。また、ワインと同様、金魚についても、愛好家としてはまだ駆け出しなので、至らぬ点はご勘弁いただきたい。さて、金魚飼育とワインのどこが似ているかである。まず感じたのは、両者とも「間違った常識が世の中に流布している」ことだ。たとえば「子供が生まれた年のワインを買って、20年後に一緒に飲みましょう」という謳い文句。当誌の読者なら、セラーのない一般家庭でワインを20年間保存することがいかに無謀かは、今さら言及するまでもないだろう。また、ワインは熱や光に弱いデリケートな飲み物で、生鮮食品と同様の扱いが必要なことも愛好家の間ではもはや常識だが、管理の悪い酒屋やスーパーなどでは、未だに日の当たる屋外にワインの木箱を並べて売っている姿を見かけたりする。 金魚飼育にも似たような事例がある。雑誌や映画に出てくるインテリアには、優雅な金魚鉢の中で泳いでいる金魚たちがよく登場する。我々はそれを見ても、ごく通常の光景として何の疑問も持たないが、実際はよほど手をかけない限り、小さな金魚鉢では金魚を長く飼うことは出来ないのだ。なぜだろうか?まず第一に、酸素を供給しなければ、金魚はすぐ酸欠になってしまう。エアレーションをしてやるか、ポンプにつないで空気がブクブクと出てくる通称『ブクブク』(正確には投げ込み式フィルタ)を入れてやる必要があるのだ。第二に、金魚鉢では容量が狭すぎる。飼育している個体数に対する水の量が少ないと、前述のように酸欠になりやすいだけでなく、金魚自身の排泄物から発生するアンモニアにやられてしまう。アンモニアは金魚にとって猛毒なのだ。この部分、ワインネタから少しそれるが、丁寧に解説してみたい。ワインの世界でいうところの酵母のようなもので、自然界には多くのバクテリアが存在している。このうち、ある種のバクテリアが、魚類の排泄物によって発生するアンモニアを、これよりは毒性の低い「亜硝酸塩(NO2)」に分解する。次に、また別の種類のバクテリアが、NO2をさらに毒性の低い「硝酸塩(NO3)」に分解する。そして硝酸塩は、土中の窒素などと反応して吸収される。こうした自然界の働きによって、魚たちは、自分のフンからのアンモニアを気にすることなく生き続けられるわけだ。しかし、真新しい金魚鉢にはこういう作用をしてくれるバクテリアが棲みついていないので、アンモニアを処理することができない。容量の大きな水槽なら、アンモニアは拡散するのでまだ被害は小さいが、狭い金魚鉢では、あっという間にアンモニアの濃度が上がってしまう。 本来金魚を新しく飼おうというときは、金魚を買って来る前に、水槽を仕立ててバクテリアが棲みつくのを待つか、水槽内にバクテリアが定着するまでの間(数週間~1ヶ月程度か?)は、2日~3日に1回、あるいはそれ以上のペースで頻繁に水換えをしてやる必要があるのだ。1~数週間に一度の水換えでも大丈夫になるのは、1ヶ月ほどして、水槽やろ材の中ににバクテリアが充分繁殖し、アンモニアや亜硝酸塩を処理できるようになってからのことである。(この状態を『水が出来ている』という)。 金魚すくいですくってきた金魚がおなかをすかせているだろうからと、新しい水槽にいれて、すぐにエサをやるのも大きな間違いである。なぜかというと、環境が変わったばかりで体力を消耗している金魚に、一度に大量にエサを与えると、胃のない金魚は、すぐに消化不良などのトラブルを起こしてしまうからだ。さらに、前記の解説に関連するが、エサをすればその分フンをする。フンをすれば、前述のようにまだ「水ができていない」水槽内にアンモニアが発生してしまう。金魚は通常半月ぐらいエサをやらなくても死ぬことはない。(考えてみればこれも意外に知られていないことだろう。)新しくもらってきた金魚は最低でも2~3日絶食させるというのがセオリーなのだ。どうだろう?愛好家の間では半ば常識となっているこのようなことも、一般にはほとんど知られていないと思う。それで、数日から1週間ぐらいで死んでしまう金魚をみて、「金魚すくいの金魚はやっぱり弱いねえ。」などという話になってしまうのだ。これって、扱いの悪い店で買った劣化したワインばかり飲んで、「ワインって高いだけで美味しくないよねぇ。」というのに似ていませんか。いやいやちょっと待てよ、俺のところはそのような知識もなかったし、特別なこともしていないのに金魚たちはピンピンしているぞ、という反論があるかもしれない。そう、これもワインの世界に似ていると思うのだが、怪我の功名のごとく、たまたま無知で放ったらかしておいたらよい方向に行った、ということが結構あるのだ。ワインでいえば、数ヶ月から1年程度の常温保存の結果、ほどよく熟成が進んで美味しく飲めたというケース。金魚でいえば、庭の池や睡蓮鉢に入れっぱなしで世話も何もしていないのに何年も生きているとか、どんどん大きくなった、というケースだ。 私がワインにはまりはじめたのは、昔、『ワインの保存』の連載にも書いたように、「たまたま」茶箪笥の中に置き去りになっていたシャルドネがすばらしい熟成を遂げていたことがきっかけだったが、今にして思えば、これは偶然が重なった結果だと認識している。いわく、いただきもののワインがオーストラリアからのハンドキャリーで、もともと状態がよく、アルコール度も高くてしっかりしたものだったとか、実家の居間は日あたりが悪く、温度が上がりずらい上に、夏場はほとんどずっとエアコンが稼動していたとか、そもそもいただいたことを忘れて数年暗所でピクリとも動かさなかったとか、まさに幸運が重なった結果だったのだと思われる。(まあそれでも、大なり小なり熱の影響を受けていたとは思うが、当時の私ではそれを識別できなかった。)実は、金魚の飼育に関しても、このような偶然は起こりえる。というか、「ワインをセラーや冷蔵庫に入れずに常温で何年も保存しておく」ケースに比べれば、こちらのほうがずっと成功確率は高いと思われる。よくあるのが、前述のように、庭の池や大きな睡蓮鉢で飼っている場合。これにはれっきとした理由があって、池とか、睡蓮鉢の類は、金魚鉢に比べれば、圧倒的に水量が多い。水量が多ければ、エアレーションをしなくても酸素は十分に供給されるし、水草があれば光合成によって酸素を発生してくれる。アンモニアや亜硝酸だって、濃度が薄まるから影響を受けにくいし、自然に近い環境であれば、バクテリアが棲息しやすくなる。加えて、ほったらかしにしているということは、エサをやりすぎないということでもあるので、金魚にはかえって好ましい。金魚を病気にさせたり死なせたりする大きな原因は、水の汚れと、エサのやりすぎなので。ワインでいえば、「『勝沼のトンネルカーブ』にずっと預けっぱなしにしてく」ようなものだろう。『凝りはじめるとすぐに容量不足に悩まされる』ことも共通点に挙げられるだろう。ワインの場合は、セラーの収容本数、金魚の場合は、水槽の容量がそれにあたる。 大き目のセラーを買ったつもりでも、すぐセラーがいっぱいになってしまい、そこからあふれたワインたちをどうやって夏場を乗り切らせるかで頭を悩ますワイン愛好家は多いと思う。翻って、金魚愛好家にとっての悩みの種は水槽の容量だ。金魚を飼う場合、一般的なのは60センチ水槽(容量50~100?程度)といわれる。しかし、この60センチ水槽は一般家庭にとってはかなりの大きさなので、我が家では45センチ水槽を使っている。ところがこちらは、容量が30?程度しかない。金魚1匹あたりどの程度の水量が必要かは、金魚の大きさにもよるし、諸説あるようだが、一説には1匹あたり10?と言われることが多い。したがって、30?程度の我が家の水槽で、8匹飼おうなどというのは、愛好家の目から見たら『論外』なのだ。とりあえず、我が家の場合、今年すくってきた金魚たちがまだ非常に小さいので、なんとかやりくりしているが、遠からず60?水槽を導入しなければならないだろう。そういえば、セラーにしても、水槽にしても、家の中でそれなりの場所を占拠する上に、重量が半端でなく重い、といことも似ている点だ。ワインセラーも大型になると床の補強などを検討しなければならなくなるが、金魚水槽も90センチクラス以上になると同様の問題が出てくる。もっとも、私自身は、水槽があまり大きくなると定期的な水換えが格段に大変になるので、せいぜい60センチ水槽で留めておこうと思っている。ワインの場合は懐事情、金魚の場合は労力と手間が抑止力になっている私である。「たとえ金魚が水草を食べなかったとしても、上部濾過中心の金魚水槽では、立派な水草水槽を仕立てるのは難しい。」ある時、金魚関連の掲示板でこの一文を読んだ。何の解説も付加されておらず、掲示板の他のメンバーもそれを当然のことのように話を進めているので、当時初心者だった私には「???」だった。この一文について解説したいところだが、ここで解説しようとすると、それだけで原稿の文字数を超過してしまうので、やめておく。(実は途中まで書いて挫折した。)要は、この一文には、非常に多くの前提となる知識があって、それをわかっていないと読んでもチンプンカンプンだとうことだ。「カロンセギュールとはいえ、92ですからねえ。」こちらは今でも忘れられない、まだワインの知識が乏しかったころに行ったワインバーでのひとコマ。グラスワインとして出ていた92カロンセギュールを注文しようか悩んでいた私に対して、店主からの禅問答のようなアドバイスがこれだった。カロンセギュールは、ハートの可愛らしいラベルとは裏腹に、その土壌は粘土質主体で、熟成にかなりの時間を要する銘柄だけれども、92年はあまり作柄がよくないことが逆に幸いして、それほど凝縮されて「渋渋」というわけでもなく、早飲みしてもそこそこ飲めるだろう、そう思って俺はグラスワインとして出したんだ、と言いたかったのだろう。しかし、それを理解するには、当時の私はまだ知識が乏しすぎた。アドバイスするなら、もったいぶらずにきちんとアドバイスしてもらいたいものである。このように、マニア同士の会話は一般人には解説なしでは理解しにくいことも両者で似ている点だと思う。(笑)種類がバラエティに富んでいて価格がピンキリであることも共通点として挙げられる。「らんちゅう」という品種がある。この品種は背びれがなく、丸っこい独特の形をしているが、上から見た姿がことに美しく、「金魚の王様」などと呼ばれることもある。品評会も盛んで、入賞した個体には、1匹数万の値段がつく。(ちなみに、金魚すくいですくってくるフナ型の「和金」などは数匹で100円などというものもいる。)ただし、「らんちゅう」のような品種は、フナ型の和金などに比べると、デリケートで病気などに罹りやすいといわれる。金魚は、もともと緋ブナがルーツで、そこから突然変異した品種を固定してきた中で、いろいろな種類が生まれたそうだが、やはり原型のフナ型から遠い体躯のものは、生命力の点でやや劣るといことなのだろう。その点、金魚すくいなどですくってきた「和金」は、初期の不安定な時期を脱して環境に馴染みさえすれば、水換えなどかなりルーズにやっても大丈夫な場合が多いようだ。ワインでいえば、ピノとボルドーのようなものだろうか。とまあ、こじつけがましくいろいろ書いてきたが、両者の共通点として、最後に挙げたいのは、「手元において育てる(=熟成させる)楽しみがある」ということだ。 金魚は、水の中をヒラヒラと泳いでいる姿や、エサを求めて寄ってくる姿など、日常の中で大いに我々を癒してくれるが、うまく飼えば10年ぐらい生きたり、品種によっては、20センチ以上に育ったり、卵をかえらせて稚魚を育てたりといった楽しみもある。ワインにしても、大きなセラーが家の中に陣取っていて、しかも中身の大半はまだ飲めないというのは、一般の方から見ればなんて非合理な世界だろうと思われるかもしれない。しかし、リリース直後の争奪戦?を勝ち抜いてなんとか手に入れたボトルたちを、手元においていつか飲む日を楽しみに熟成させるのも、愛好家冥利につきるというものである。ということで、最後に、金魚とワインで決定的に異なる点がひとつあるが、賢明な読者諸氏は、もはやおわかりだろう。そう。ワインという趣味は、金魚飼育よりもずっと、金がかかる、ということだ。 今は熱帯魚も飼育しているので、広く「アクアリウム」という目線でみると、これまた結構共通点があるなぁと改めて思います。・間口は広いが、奥が深く、愛好家の間でディープな世界が展開される・種類が豊富でバリーションに富んでいる・機材などに凝りだすとキリがない・やたらとコンディションの維持に気を遣う(ものもいる)・温度管理が大切。災害への備えに悩まされるなどなど。「機械式時計」「ジャズやクラシック」「オーディオ」「カメラ」などでも類似のコラムが書けそうです。笑
2021年05月13日
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最近また地震があちこちで起こって、不穏な空気を感じますね。このコラムは2016年に書いたものですが、再生可能エネルギーについては、日々進歩しているので、下記の内容はもはや古いかもしれません。機会があれば、またいろいろリサーチしてみたいと思います。*******************2011年に起きた東日本大震災から5年が経過しました。震災を契機にあらためて考えさせられたのは、わが国でワインを所有し、保管するということが、こんなにも綱渡りのような脆弱な基盤の上に成り立っていたのかということでした。地震によるボトル破損のリスク、夏場に電気が遮断されたときのリスク。頭ではわかっていても差し迫った危険として認識していなかった事象がいきなり眼前に突きつけられました。地震そのものはいうまでもなく、その後一部で実施された「計画停電」には、まさに不意をつかれた思いでした。自分のワインを守るために、いくつかの施策を施したものの、結局本質的な解決策は見出せないまま、「喉元過ぎれば・・」のことわざよろしく、いつしか地震対策のことはあまり考えなくなっていました。 そんな折に、熊本地震が発生しました。震度7が2回、震度6強が3回、6弱が3回断続的に発生、余震の回数も過去20年の地震で最多を記録するという、これまでの常識では考えられないような恐ろしい震災でした。私のワイン仲間にもこの地震で被害に遭われた方もいます。あらためてお見舞い申し上げます。 そして今、関東地方でも大地震のリスクが高まってきているようです。首都圏直下地震の発生確率が「30年以内に70%」というのは前から言われていることですが、7月には震度3〜4の地震が関東近隣で何度も発生し、地震予知で知られる某大学名誉教授が南関東の警戒レベルを過去最大に引き上げたとなどいう記事を見るにつけ、「いよいよ本当に来るかも・・」という不安が頭をよぎります。しばらく棚上げにしていたこのテーマについても、もう一度点検する時期にきているようです。■地震によるワインへのリスク地震によるワインへのリスクをあらためて整理すると、物理的なボトル破損のリスクと停電によって温度管理ができなくなるリスクの二つに集約されるかと思います。物理的な破損リスクについては、実のところ私も皮膚感覚でよくわかっていないところがあります。自分のワイン歴の中で、これまでワインボトルの破損に遭遇したことは二回しかありません。そのうち一回は輸送中の事故でした。ボジョレ・ヌーボーを何本かまとめ買いした時に送られてきたうちの一本が割れていたのです。段ボールの中は、プチプチなどの緩衝材がまったく入っておらず、ボトルが裸のままでした。もう一回は、セラーの出し入れの際に不注意でボトルを落としてしまったときです。この一回が自分の中でトラウマになっています。というのも、よほど当たりどころが悪かったのか、高さにしてほんの30センチのところから軽く床にコトンと落としただけだったのにもかかわらず、ボトルが真ん中からパックリと割れてしまったのです。それ以来、私はセラーの中に保存するときでも必ずプチプチにくるむなどして、裸でボトルを保存しないようにしています。また、セラー内にギュウギュウに詰めこむのは、冷却に時間と負荷がかかるのでよくないとよく言われますが、私は地震の時にボトルがセラーの中で暴れて破損することの方が怖いので、基本的にはセラー内には大きな隙間を作らないようにしています。<写真:ユーロカーブ>キャプション:我が家のセラー。隙間にはアイスコーヒーやミネラルウォーターのパックを入れてある。セラーの鍵をかけていなかったばかりに、地震で扉が開き、セラー内のボトルが飛び出して全滅に近い被害を被ったという話も聞いたことがあります。セラーは常日頃から施錠しておく習慣をつけたほうがよいでしょう。150~200本入りといった大型セラーの場合は、重心が高くなりがちなので、セラー自体が倒れないようにする工夫も必要になります。セラー下部の方からワインを詰めてゆくとか、天井からのつっかえ棒をしておくなどの措置をしておくことをお勧めします。東日本大震災のとき、都内の震度は「5強」でした。幸いにして我が家はセラーの上に飾ってあった空き瓶が数本落下しただけで済みましたが、震度6以上となるとそうはいかないかもしれません。まして熊本地震のように震度6や7が連発する事態になったら、もはやワインの心配をしている次元ではなく、築25年の我が家が無事乗り切れるのか、乗り切れない場合、どのように家族を守るのかをまず心配しなければならないのでしょう。さて、地震の揺れによる破損のリスクを逃れたとしても、時期によってはそれに匹敵するリスクとなり得るのが、停電によってワインの温度管理ができなくなるリスクです。この原稿を書いている8月9日の都内の最高気温はなんと38度でした。こんなときに長期間電気が供給されなくなったらと思うとゾッとします。小さなお子さんや老人のいる世帯はそれこそ(熱中症による)生命の危険と向き合わねばならなくなります。(当誌が読者の手元に届く頃には、高温のリスクは一段落していると思われますが、毎年向き合わねばな話なので、おつきあいいただければと想います。) 停電が短時間にとどまるのであれば、それほど神経質にならなくてもよいかもしれません。きちんとしたセラーに保存して、扉の開閉を避ければ、セラーの断熱性により、温度の上昇ペースはある程度抑えられるというデータがフォルスタージャパンのサイトに掲載されています。(https://www.forster.jp/blackout/)データによれば、平均外気温が26.1度の場合、1時間後の温度上昇は1.2度、3時間後で2度、6時間後で2.9度となっています。平均外気温が軽く30度を超える夏場はもっと温度上昇のペースは早くなりそうですが、いずれにしても、初動としては、慌てて扉を開閉したりしないことが肝要でしょう。サイトにも書かれているとおり、凍った蓄冷材や袋に入れた氷があれば、庫内に入れておくことで温度上昇を抑えることができそうです。停電の期間が数日単位になると、難易度は急上昇します。後程あらためて考察しますが、私が東日本大震災を機に考えたのは、「家庭用蓄電池」や「ソーラーパネル」、「(屋台などで使われる)自家用発電機」「(PC用の)UPS電源」などでした。しかし、当時はいずれも「帯に短したすきに長し」の感が否めませんでした。一方で、管理は業者任せになりますが、「非常用発電設備を備えたレンタルセラーに預ける」という方法もあります。私が東本大震災後に、最終的に選択したのはこの方法でした。■私が東日本大震災後に施した施策1.レンタルセラーの活用によるリスク分散。 資産運用でよくつかわれることわざに「卵は同じカゴに盛るな」とういうものがあります。これに倣ってというわけでもありませんが、我が家ではワインのストックを三か所に分散させることにしました。もともと利用していた品川(天王洲)のトランクルームに加えて、横浜都築のレンタルロッカーを新たに契約し、自宅のワインの一部をそちらに避難させることにしたのです(いずれも寺田倉庫)。 ただ、この時私はひとつ大きな誤解をしていました。「レンタルセラーに預けておけば、何かあったときに保険がおりるから安全だ」と思い込んでいたのです。実際は、トランクルーム規約にあるとおり、「火災」や「落雷」、「作業上の過失による事故」などは 賠償の対象となりますが、「地震」や「津波」、「高潮」などについては免責となり賠償されません。すなわち、レンタルセラーとて万全ではなく、地震が原因で割れたワインについては補償されないし、トランクルームのビル自体が倒壊するような大地震や大津波が来れば、預けてあるワインたちはすべて無に帰すということです。まあ、レンタルセラーが倒壊するような大地震に襲われれば、築25年の我が家は間違いなく無事では済まないでしょうから、私としては他に選択の余地はなかったのですが。なお、自宅・品川・横浜の「三拠点体制」は長くは続きませんでした。平時に戻るにつれて、だんだんと毎月の寺田倉庫の料金負担 が負担に感じられるようになってきたのです。結局、品川トランクルームのサービス体制が変わったのを機に、自宅と横浜ロッカーの二箇所に集約して現在に至っています。リスク分散という意味では、さらに自宅との距離が離れた「勝沼トンネルカーブ」のようなところに当面飲まないワインを保存できれば、コスト面も含めてベターなのかもしれませんが、勝沼トンネルカーブは何年も前からずっとキャンセル待ちのままです。<写真:寺田倉庫引っ越し キャプション:東日本大震災後あらたに契約した横浜都築のロッカー>2. 「脱酸素パック」の導入前号のコラムでも書いた脱酸素パック。もともとはセラーに入りきらないワインを数年間常温で保存するためのアイデアでしたが、私はセラー内のボトルたちを脱酸素パック化することで、地震による停電対策になるのではないかという点に着目しました。2年ほど運用してみた印象としては、これをもって停電対策の切り札と言い切る自信はないけれども、とりあえず気休め以上の効果はありそうだし、うまくすれば非常時にボトルへの致命傷を回避できるのかもしれないとも考えています。とはいえ、実際にセラーの電源供給がとだえるような事態に遭遇したわけではないし、長い年月に亘ってセラーで保存した時のボトルへの影響もよくわからない面があるので、試そうという人は、あくまでも自己責任でということをしつこく強調しておきます。それと、2年間使用してみた感想ですが、ガスバリアコーティングの袋の耐久性の問題なのか、私のシーリング技術の問題なのか(安物のシーラーを使っているせいかもしれません)、脱酸素パック化したつもりでいたのに、気づけばきちんと脱酸素化できていなかったというボトルが意外に多いのです。先日、サイレントカーブ内の脱酸素パックを見直してみたところ、100本弱のボトルのうち、なんと20本以上のボトルに空気が侵入しており、再度パックしなおす必要がありました。狭いスペースにギュウギュウと押し込んだりして、ボトル同士が擦れてしまったりするのがよくないのかもしれません。いったんパック化した袋の扱いはあまり雑にしないほうがよさそうです。<写真:脱酸素化作業 脱酸素パック化の作業。きちんとシーリングしないと空気が入る可能性があるので注意が必要>3. 当面飲む予定のないワインの処分(売却)一昨年の暮れに、個人売買とオークションとで、手持ちのワインの三分の一程度を処分しました。これは震災対策としてではなく、12年乗ったクルマを買い替える際の頭金を用意できないという情けない理由からでした。持ち寄りワイン会に行くことがなくなり、高額なワインや希少ワインの出番が激減したという事情もありました。かなり安値で売却してしまったものもありますが、儲けようというつもりもなかったので、結果オーライでした。今思うと、ずいぶん思い切ったものですが、(車が新しくなったことで)家族がとても喜んでくれたので、私としてはよかったと思っています。そして、結果的に「震災対策」という意味においても、このことで精神的な負担が一挙に軽減されました。そもそも保有していないのだから、失う心配もしなくてよいというわけです。まあ、これは震災対策とするにはあまりに極端な方法だし、ワイン愛好家として読者に薦めるようなものでもありませんが。■ その他に考えられる方法当時いろいろと考えたのだけれども、実現に至らなかったのが、「自宅でなんとかして保存できるようにする」方法です。もっとも理想的なのは、自宅に「勝沼トンネルカーブ」のように電気に頼らなくても済む温度湿度の安定したセラーを作り上げることでしょう。しかし現実に は、ある友人宅のセラー(地下1階)は、5月半ばでも、エアコンを稼動させないと20度を超えてしまうそうで、首都圏の一般家庭においては、相当地下深く掘らない限りは、空調設備なしのセラーは現実的ではなさそうです。まあ、自宅に核シェルターを作るとか、そういった他の目的があれば、抱き合わせで検討してみてもよいかもしれません。 酒販業などワインを生業としている方にとっては、屋台などで使われているような、自家用の発電機を導入をするのが現実的なソリューションとなるでしょう。 ただし、自家用発電機を動かすためには石油燃料が必要になってくるし、稼動時の騒音もかなりのものです。また、発電機を回している間、家を留守に出来ないなどの不自由も生じます。もっとも、最近はインバーター方式の比較的静かなものとか、カセットコンロで使えるハンディタイプのものなども出ているようなので、平時はキャンプやバーベキュー用、災害時にはワインセラー用にということで検討してみるのも「あり」かもしれません。実際にワインセラーで使えるのか、その場合何時間程度保つのかなど十分な事前リサーチが必要なことは言うまでもありませんが。東日本大震災後に私がもっとも興味を持ったのが「ソーラーパネル」による太陽光発電でした。数百万のイニシャルコストがかかるものの、自治体の補助金が期待できるし、通常時には月々の電気代の低減に貢献してくれます。使い切れずに残った電気を電力会社が買い取ってくれる「売電」というシステムもあり、それによる収入も期待できます。それでもって非常時にワインセラーを稼働させられるとなれば、悪い話ではなさそうな気がしました。しかし、当時、実際にいくつかの大手メーカーの問い合わせ窓口に問い合わせてみると、非常時の「自立運転モード」では、曇天や夜間など必ずしも安定的に電力を供給できるわけではなく、リスクを伴う用途に使うことは薦められない、という回答が大勢を占めました。 この数年で太陽光発電を巡る環境は大分変ってきているようです。初期投資のコストはかなり下がっており、一般的な家庭に導入するための設置費用としてはおよそ120~200万円程度というところのようです。一方で電力会社が買い取ってくれる「売電」価格は年々低下しています。夜間や天候不順時などに安定的に電力を供給できないという課題に対しても、最近は家庭用蓄電池と組み合わせたソリューションや製品がリリースされはじめているようです。昨年、電気自動車で知られるテスラ・モーターズが、従来の価格相場の数分の一という価格破壊を実現した家庭用蓄電池「パワーウォール」を発表しました。(国内では未発売ですが、日本語のHPもすでに設置されています)ソーラーパネルと併用し、パワーウォールに日中ソーラーパネルで発電した電気を蓄えれば、夜間その電力を活用することができるという仕組みで、エネルギー貯蔵容量は6.4 kWh、仮にワインセラー「だけ」を稼働させようと思えば、数日間は保ちそうです。安価に導入できるのであれば、かなり魅力的に感じられます。 太陽光発電と家庭用蓄電池には、まだまだコストダウンや性能向上の余地はありそうだし、「投資」としてみてしまうと不透明な要素も少なくありませんが、これから家を新築しようという方は、ワインのためのみというよりも、家庭全般のトータルの節電/災害対策ソリューションとして、このようなシステムを検討する価値はあると思います。築25年の我が家に導入する予定はさすがにありませんが、家を建て替えるタイミングになったら、我が家でも前向きに検討してみたいところです。<写真:ソーラーパネル 太陽光発電と蓄電池の組み合わせはリスク管理面で有望かもしれれない>■ 最後に最後に自分への戒めも込めて書きますが、重要なことは守るべきもののプライオリティを間違えないことです。ワインの資産がどんなに大切なものであっても、まず守らねばならないのは、自分と家族の生命です。「自宅にワインは何百本もあるのに、ミネラルウォーターは1ケースもない」という状況はシャレにもなりません。日頃からワインだけでなく、生活全般に亘った非常時への備えをお忘れなく。
2021年05月09日
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一度栓を抜いたワインは日保ちしない。この雑誌の読者に対しては、今更言うまでもないことだが、世間一般では意外に知られていないようで、先日実家に遊びに行ったら、数週間前に私が栓を開けて、飲み残したボトルがまだ冷蔵庫に入ったままだった。さすがに何週間も経っていれば、飲めたものでないと思うのだが、味覚音痴のわが弟は、キンキンに冷えたお酢のような赤ワインを、こんなものだと思って飲んでいるのかもしれない。 そういえば、先日、ワイン関係の知り合いのブログを読んでいたら、国内のワイナリーを訪問した記事があって、試飲に出されたワインが、ずいぶん前に開けられたと思しきボトルばかりで、このようなボトルを飲んでいたらワイナリーの良さがわからないだろうと苦言を呈しておられた。ワイナリーの方がそうした事情をご存じないわけはないだろうが、おそらくは予算と来客数の兼ね合いで、新しいボトルを試飲のためにそうポンポンとは開けられないのだろう。まあ、ワイナリーの試飲は無料だから仕方ないとして、ワインバーなどで、明らかに日にちを経過して雑巾のような臭いのするグラスを出される(ことが稀にある)のは、さすがに許しがたかったりする。ということで、今回のテーマは飲み残しのワインの保存についてである。我が家でも、余ったワインの保存については、頭を悩ませている。私の酒量はいいところボトル二分の一程度なので、ワインを開けるとどうしても半分位は余ってしまう。平日軽く済ませたいときなどは、三分の二ぐらい余ることもある。ものの本には、栓をして冷蔵庫に入れておけば1週間位もつなどと書いてあるものもあるが、現実には、まともに飲めるのはせいぜい2~3日、古酒などは当日限りというところではないだろうか。それでもたとえば、翌日で精一杯なのと3日に亘って楽しめるのとでは、大違いである。一度開けたボトルを、ひと晩でも長く楽しめないかと、我が家ではいろいろと試行錯誤を繰り返してきた。1.「バキュヴァン」などの器具。おなじみの、ボトル内の空気をシュポシュポと抜く器具だ。売価は2000円前後だろうか。 一度開けたワインが劣化する原因は、中の液体が空気に触れて酸化することが原因だ。だったら、空気を抜いてボトルの中を真空にしてしまえばいい。ということで、専用の栓とポンプを使って、ボトルの中の空気を抜く道具がいろいろ出ている。ゴム製の専用栓が弁の役割をして、一度抜いた空気が戻らない仕組みになっている。栓がプラスチックのものもある。ただ、勢いにまかせてシュポシュポやりすぎると、香りまで抜けてしまうような気がしてならない(気のせい?)ので、なんとなく控えめにしか抜かなくなる。そうすると、結局ボトル内に空気が残ってしまう。ということもあってか、我が家での効果は、まあ気休めにはなるかな、というところだろうか。2.「プライベートプリザーブ」などの窒素ガスを充填するスプレー。 窒素ガスが空気より重いことを利用して、液面と空気の間に窒素ガスの被膜を作り、空気との接触を遮断するもの。仕組みを聞くと、なるほどと思うが、コストがかかるのが難点だ。1本のスプレーで90回程度使用できるらしいが、我が家のように、「今日はおしまい。」と思ってスプレーをしたあとで、「やっぱりもう一杯」なんて飲み方をしていると、結構すぐなくなってしまう。なので、我が家ではつい一回あたりの噴霧量をケチりがちになり、そういうこともあってか、効果はまあそれなりというところだろうか。3.小瓶に移しかえる方法。コストがかからないといえば、この方法につきる。用意する小瓶は、ミネラルウオーターなどの無味無臭のものが好ましい。でないと、よく洗ったつもりでも臭いが移って台無しになる。残したワインを瓶の口ギリギリまで注いで、きっちりフタをしめることがポイントだ。もっとも、ペットボトルに詰め替えて、なにげなくテーブルの上に置いておいたりすると、家の人が、ジュースと間違えてラッパ飲みしてしまったりするので気をつけたほうがいい(実話)。きちんと密閉できれば、かなり保存は利くが、中身が何かをきちんと記録しておかないと、開けるたびに問答無用のブラインド大会となってしまう(これも実話)。もう一つ、この方式で問題なのは、手順上、デキャンティングをしているのと似たような作業になるということだろう。したがって、若いワインはともかく、年代モノのワインやデリケートなワインでは厳しい場合もあるかもしれない。4.その他の方法ビニール袋を瓶の中に入れて、中に空気を吹き込み、瓶の内側に密着させるとか、ビー玉をボトルの底に沈めて、空きスペースをなくすとか、ボトルの中でマッチをすって酸素を消費させる(!)なんて方法が紹介されているのを読んだことがあるが、どれも衛生上問題があるような気がして、試すには至っていない。5.バックINボックス(BIB)容器 最近面白いな、と思っているのは、ディスカウントストアなどで売られている「箱いりワイン」(バックINボックス)の仕組みだ。箱ワインは、概ね安価な価格帯のものだが、容量が2リットルや3リットルと多いので、一日で飲みきらずに、数日、あるいは数週間かけて飲むことが前提になる。そのための包装がどうなっているかといえば、箱の中がアルミの袋になっていて、その中にワインの液体が詰められている。袋には簡易的な注ぎ口がついていて、グラスに注ぐと、その分、アルミの袋が収縮し、結果として中の液体は酸化を免れるという仕組みだ。宣伝文句には1ヶ月保つ、と書かれているが、本当だろうか。2箱ほど購入して3週間に亘って試してみたが、結論としては、「保つともいえるし、保たないとも言える」というところだと思う。というのも、おそらく箱ワインがターゲットとする飲み手の多くは、大きいグラスでスワリングしながら微妙な香味を愉しむような人たちではないだろうから。 3週間たったワインをグラスに注いでみると、香りは死んでしまっているし、味わいも衰えているが、飲めないレベルかというとそうでもない。少なくとも何もしないで抜栓後3週間経過したボトルよりははるかに良好な訳で、そういう意味では「1ヶ月保つ」と言っても言いすぎでないかもしれない。このBIB容器、現状ではシビアな愛好家の期待値に答えられる水準ではなさそうだが、なにより仕組みがシンプルだし、さらに改善の余地があるのではないかと、ほのかな期待を寄せている私である。6.「WHYNOT?」かつって渋谷の宮益坂を上ったところに「decfive」というワインバーがあって、400種類以上のワインを50ml、100mlという単位で注文できるというのをウリにしていた。最近でこそ似たようなコンセプトの店を見かけるようになったが、当時(2002年頃だったと思う)としては、画期的なものだったと記憶している。なぜそのようなことができたのかというと、「WHYNOT?」というシステムを大々的に導入していたからだ。(「WHYNOT?」の仕組みについては後述する。)ワインの保存や状態管理に関して、おそらく今よりもこだわっていた当時の私は、本当に劣化しないのかを試したくて、この店に何度となく足を運んだものだ。結論としては、抜栓当日のワインを全く同じかどうかはわからない(比べようがない)が、少なくとも3週間経過したボトルでも大きな劣化を感じることはなかった。そういう意味では、自宅や外で飲んだ場合も含めて、私が経験した中では、この「WHYNOT?」システムがもっとも優れた保存性を示していたように思う。さて、「decfive」は閉店して久しいが、「WHYNOT?」自体はシステムとして販売されていて、そこかしこに導入されている。(http://www.whynot-btg.com/btg/index.php) 今回、改めて効果のほどを確認しようと、虎ノ門の「カーブ・ド・リラックス」さんに立ち寄ってみた。有料試飲のカウンターに腰掛けると、「decfive」でお馴染みだった、逆さまにセッティングされたボトルたちにある種の懐かしさを感じる。ボトルたちは、庫内の酸素のない空間で専用のコルクチェンジャーを使って抜栓され、専用の「プラグ」に付け替えられる。グラスに注ぐときも、ワインを抽出するシューターには、常時窒素が供給され、注がれるワインと窒素とを交換しながら抽出を行うため、ボトルの内部に酸素が侵入することはない。 自前の窒素ガス発生装置を備えており、庫内はペルチェ方式で温度管理される。ワインを酸化させまいという、凄まじいまでのこだわりを感じる装置である。ちなみに、後で伺ったところでは、現在の「WHYNOT」の外観(大きさ、色、形)はdecfiveの頃から変わったが、機能はdecfiveで使用していたものと同じとのことだ。 この日、飲んだグラスは50mlを3種類。そのうちのひとつ、「グレイス・キュベ三澤」にヒネ香が感じられ、「おや?」と思ったが、スワリングしているうちに消えて、綺麗な果実香が立ち上ってきた。おそらく、酸素から遮断された環境下で、逆に還元状態になっていたのだろう。肝心の味わいについては、開けたてのボトルと並べて検証していないので、断定的なことは書けないとはいえ、以前「decfive」で感じたのと同様、どのグラスも果実味が活き活きとしていて、口の中で立体感を失っていないのが印象的だった。 一体どの位の期間、このシステムで保存が可能なのか。理論的には半永久的に保存可能だそうで、実際8ヶ月経過したものが全く酸化していなかったという報告が寄せられているそうだ。さて、ここでひとつの期待と想像が頭をもたげてきた。 現在の「WHYNOT?」システムは、業務用で、筐体も大きいし、値段も高価だ。個人宅にはなかなか導入できるものではないが、たとえばこれをデチューンして、個人用に販売されれば、それなりのニーズがあるではないだろうか?我が家では、平日急に付き合いの飲み会などが入ることが多く、前日開けて半分冷蔵庫に残しておいたボトルを無駄にしてしまうことが多い。また、帰宅が遅めの日や疲れて帰った晩などは、気分的に1~2杯程度でいいところを、残したらもったいないとの強迫観念から、ついつい飲みすぎてしまうこともしばしばだ。「WHYNOT」が家にあれば、こうした悩みが解決されるだけでなく、毎晩赤白二種類ずつ飲んだりとか、高価なワインを〆に1杯なんていう楽しみ方も可能になる。個人的には、セラー1台分ぐらいの値段まで下がってくれれば、真剣に購入を考えたいところだ。ということで、発売元の(株)フレッシュテックさんに、家庭用の販売予定を聞いてみたところ、この冬に、冷却機能を省いて値段を抑えた4本小型タイプの発売予定があるそうで、さらに「将来的には家庭用の販売も予定しております。」という頼もしいお返事をいただいた。もっとも、家庭用は、すぐにというわけにはいかないようだ。その理由として、「WHYNOTはまだまだ周知されておりませんので、業務用販売を通じて全国の飲食店様でお使いいただくことにより、多くの方々に『酸化しないワインセーバー』の存在を実感し、知っていただいてからのステップだと考えております。」とのこと。コストダウンのためには、ある程度の台数見込みが必要なのはどこの世界も同じということか。 技術的には、やはり窒素ガスの発生装置あたりがハードルになるのだろうか? 特許が関わってくるとのことで、詳細は伺えなかったが、「現在の発生装置ですと、業務用で大型なので現実的ではありませんが、発生装置を小型化し、家庭用サイズにできれば可能だとは思います。将来の家庭用製品では、そのような簡易的に窒素を供給できるシステムを考えています。」とのこと。なるほど。私の期待もあながち的外れでなかったわけだ。それにしても、これだけのこだわりのシステムを開発してしまう会社、さぞワインの保存について、深い見識をお持ちだろうと推察した。ついでに、一般愛好家が家庭で飲み残しを保存するにあたっての現状で最良の方法はどのような方法なのか、または一般愛好家(読者)に対してなにかアドバイスはないかと伺ってみた。「一度開封したワインはすぐに栓をしてもボトル内に残留した酸素によって、大きく変化を起こす結果が出ています。開封後は早く飲むということ以外に対処は難しいと思います。 微量であっても、ボトルの中に酸素が入る、また酸素が残ることで酸化が促進されます。しかし、ボトルの中に残留する酸素量が少なければ少ないほど変化が遅れる可能性もありますので、残ったボトルの中にはなるべく酸素を残さないことで、抑制できるかもしれません。抑制の程度は、開封されている時間、再度栓をした時のボトル内残留酸素量、次に開封するまでの時間…等々、沢山の要素がありますので、そのレベルは正確な実験が必要です。」「現在の家庭用器具で残留する酸素量が一番少ないものがどれかという正確なデータがありませんのでベストな方式は解りかねますが、酸素に触れる時間、ワインに触れる酸素量がより少なければ少ないほど影響が少なくなると言えます。」やはり最良の解決方法は家庭用WHYNOT、もしくは同等製品を待つことだろうか。7.ボトルの素性とコンディションの大切さ さて、この雑誌らしく、最後は結局ここに行き着くのか、と言われそうだが、自宅で諸々試行錯誤をしてきた中で、痛い思いをしながら学習したのは、翌日以降の保存性については「ビンテージの新しさ」と「ボトルのコンディション」が大きく影響する、ということだ。私は、年代が新しくても翌日ヘタッてしまうボトルは、流通段階で熱を浴びたケースが多いと想像している。状態に敏感なブルゴーニュであっても、最良といわれるインポーターの、リリースしたてのボトルなら、初日は閉じ過ぎなぐらいで、むしろ翌日の方が向上し、3日目まで十分美味しく飲めることは、何度も経験した。「家庭用WHYNOT」のような「魔法のシステム」が実現するまでは、やはりコンディションのよいワインを探して飲むようにするのが重要だということなのだろう。え?ウチは一晩で一本飲み切るからどうでもいいって?お後がよろしいようで。追記:このあと、不活性ガスを使ったコラヴァンのワインセーバーが発売されたりと、新たな動きがあるようですが、私は追いかけていません。どんなものなんでしょうか?最近はもっぱら小瓶に移して3日に分けて飲んでいますが、自分が鈍感になったのか、それとも流通しているワインのコンディションが押し並べて底上げされたこともあるのか、あまりそれで不満に思うこともなくなってきました。
2021年05月08日
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前号では、私のワインセラー遍歴を振り返った。引き続きワインセラーについて書き綴るにあたり、まずは長年議論になってきたテーマを取り上げたい。「そもそもワインセラーは必要なものなのか?」20年近く前、私は自分のサイトのQ&Aで以下のように書いた。**************とりあえずは「絶対に必要かと問われれば必ずしも必要なものではではない。」と答えておきます…。<必要でない理由>・1~2年のスパンであれば、夏場以外は涼しく風通しの良い冷暗所に保存しておくことで十分対応できる。夏場であれば冷蔵庫に入れておけばよい。・本当に長期保存したいのであれば、レンタルセラーを利用する方法もある。 その一方で、セラーがあればあったで、ワインの楽しみ方が広がるというのもまた事実だと思います。<あると良い理由> 1.いただきものなどの貴重なワインを長期保存しておくことができる。 2.ワインを良好な状態で維持することができる。 3.セールなどでお買い得のワインや、レアものワインを買いだめしておける。 4.夏場に飲むときに、適温ですぐ飲める。ワインセラーというと、1や2の利点にばかり目が行きがちですが、私はむしろ3.の利点が大きいと思います。単に「飲む」ということから、「集める」という楽しみが増えるからです。まあ、私のようにこれがきっかけで歯止めがきかなくなる輩もいるので、それが好ましいかどうかは別ですが。あと、4も細かい点ですが、結構助かります。夏場に会社から帰ってワインをあけようと思っても、生ぬるくて冷やすのに時間がかかったり、冷蔵庫に入れたら冷え過ぎてしまっていたという経験をしたことがある人も少なくないと思います。(以下略)*****************今読み返してみて、どうだろうか?間違ったことは書いていないと思うが、この十数年で大きく変わったことがある。それは、ワインセラーの価格破壊が進んだことだ。5万円前後は普通で、中には1~2万円という製品まである。セラーを買うことはもはや「一大決心」でもなんでもなくなったわけだ。ワインに興味を持ち始めて、自宅に常時数本~1ケース程度のワインを保存しておこうと思ったら、まずは試しに安価なセラーを買って様子をみたら?というのが今の時代の標準的な回答なのかもしれない。ただし、ここでひとつ注意しなければならないことがある。それは、激安セラーの耐久性や信頼性の問題だ。ネットのレビューに目を通してみると、「長持ちしない」とか「購入後すぐに壊れた」「外気温が高いと設定温度まで下がらない」といった記述をしばしば目にする。激安商品につきまとう信頼性の問題だけでなく、(小型セラーの主流である)ペルチェ方式には「ペルチェ素子の寿命」という問題もあるらしい。まあその分安いのだからと割り切るのもひとつの見識だが、夏場にセラーが故障すると、中のワインを道連れにしかねないので注意が必要だ。なお、ペルチェ素子の寿命については、近年の技術革新により劇的に改善されている(ものもある)とも聞く。安価だからと油断せず、購入にあたっては事前にきちんと情報収集をしたほうがよいだろう。■セラー導入にあたってのTIPSより本格的な愛好家の世界に足を踏み入れるようになると、小型のセラーでは何かと物足りなくなる。しかし、中~大型のセラーとなれば、価格も数十万円のレンジだし、相応の設置スペースも必要になるだろう。故障時の被害も甚大なものになりかねない。導入に際しては入念に調査と準備をしておきたい。*床の強度は大丈夫か たとえば200本入りセラーともなれば、重量は300kgを超えるだろう。二重床のマンシ ョンなどではNGとなる可能性もあるし、私の友人にも床が湾曲してしまったという御仁がいる。我が家では対策として、縦横90センチ四方のウォールナットのパネルをセラーの下に敷いている。効果のほどは定かではないが、とりあえず10年経過した今も床は無事だ。(実は、そのパネル板が10年経て、少しずつ湾曲してきています。)*搬入が大事になるケースも新居にユーロカーブを搬入した時は、あらかじめドアを外しておいたが、それでも寸法上の余裕はわずか2センチしかなく、業者二人がかりでギリギリの作業だった。エレベーターのないビル3階へのサイレントカーブの搬入は(詳細は省くが)さらに困難を極めた。玄関から設置場所への導線や家具と干渉しないかなどもよく確認しておいたほうがよいだろう。*放熱スペースの確保セラーを設置する際におざなりになりがちなのが、放熱スペースの確保だ。壁や周囲の家具との間に相応のスペースを確保しておかないと、熱がこもって冷却能力が弱くなったり、セラーの寿命を短くすることになりかねない。必要なスペースは個々のセラーによって異なるので、パンフレットやHPなどを参照されたい。*転倒対策いわずもがなだが、大型セラーの中には上背があるものも少なくないので、地震等に備えて何らかの転倒対策を施しておきたい。鍵付きのセラーであれば、地震の際にボトルが飛び出さないよう、日ごろから施錠する習慣をつけておくとよい。*音や振動の程度は?中~大型セラーに用いられるコンプレッサー方式の中には、それなりの音や振動があるものもある。私が購入した当時に比べて、最近のセラーの静粛性は向上しているそうだが、音や振動に対する感受性は人によってさまざまだ(ちなみに私はあまり気にしない)。寝室に置く場合など、気になる人はあらかじめ実機をチェックしておけば安心だ。(現在はセラーのある部屋で寝起きしていますが、ユーロカーブのコンプレッサーはほとんど気になりません。むしろ年数を経たサイレントカーブの冷却ユニットから時折異音が発生することの方がきになっています。)*内部の仕切りをチェック セラーの収容本数は大抵ボルドータイプのボトルを基準にカウントされている。ブルゴーニュやシャンパーニュの中には胴の太いボトルも存在するため、カタログに謳われているほど本数を収容できなかったり(仕切り板を調整しないと)ボトルが入らなかったりすることもありえる。*ボトルの「遭難」に注意長期熟成向けなどの仕切り板が少ないセラーでは、ボトルを何段も重ねて積載することになる。無計画に詰み込むと、一番下の方に入れたボトルは出し入れが困難になるし(特に夏場)、ボトルが行方不明になったり、そもそもボトルの存在自体を忘れてしまうこともありがちだ。(忘れた頃にボトルが「発掘」されるという楽しみもあるにはあるが。)*二台持ちも悪くない大型セラー1台にまとめるのもよいが、事情が許すのなら、中~小型セラー2台で運用するのも悪くない。一方のセラーが故障した時のリスクヘッジになるし、温度設定を変えて一方を泡や白専用にするとか、1台をデイセラー、もう1台を熟成用に分けるなど、用途の幅が広がるからだ。まあその分、電気代と専有面積の増加、それに家人の冷たい視線には目を瞑らなければならないが。■ ワインセラーの寿命と故障対策前号で書いたように、我が家ではサイレントカーブで2回、ユーロカーブで1回故障を経験したことがある。運よく故障を免れても、機械式セラーはいつかは寿命を迎える。ある日突然セラーが作動しなくなったとしたら?室温が零下になるような寒冷地でなければ、夏場以外はあまり神経質になる必要はないと思うが、切迫感があるのはなんといっても真夏に不測の事態に見舞われた時だろう。万一セラーが正常に作動していないことに気付いたときには、まず、慌てずにセラーのコンセントを抜き、再度電源を入れなおす。それでも作動しない場合は、部屋のカーテンを閉めて、直射日光を遮り、エアコンを最大出力にして、部屋ごと冷やす。あとは販売元に連絡を入れて、修理に来てくれるのを待っている間に、セラー内のワインを外に出しておく。土日祝日を挟んでしまう場合などは、レンタルセラーに緊急避難させるという手もあるが、真夏の入出庫はできれば避けたいところだ。いずれにしても、いったん作動しなくなってしまうと、できることは限られてくる。対策としては、まずなんといってもセラーを設置している部屋のエアコンを稼働させておくこと。できれば夏場は常時稼働させておきたい。室温を低めに保っておくことで、コンプレッサーやペルチェ素子の負荷が低下し、結果的にセラーの寿命を伸ばすことにもつながる。セラーの温度表示はできるだけ毎日チェックして、異常の兆候がないか確認する習慣をつけておきたい。我が家の旧式サイレントカーブは扉を開けないと温度計が見えないので、アクアリウム用の水温計を購入して、外からも温度が判るようにしている。最近のセラーは、異常時にアラームが作動するものもあるとのことで、羨ましいことだ。セラーによっては、定期的な点検やメンテナンスサービスを実施しているところもある。中のワインをすべて出さなければならず、かなり大変な作業になるが、長年セラーを使い続けているのなら、利用を検討してみてはどうだろうか。かつて我が家で使っていたロングフレッシュは10年を迎えたときに保守点検を受けたし、16年目となるサイレントカーブも(東日本大震災の揺れで)故障した際に冷却ユニットを交換済みだ。また、前述のようにペルチェ方式のセラーの場合は、寿命についてよりシビアに考えておいたほうがよさそうだ。■レンタルセラーとの損得勘定寺田倉庫に長年預けているボトルたちをいつすべて引き取るかが、目下私の大きな懸案となっている。ほんの短期間の緊急避難のつもりで預け始めてはや17年。これまでかかった保管費用を考えただけで頭がクラクラしてくる。では、レンタルセラーを早々に解約して、自宅にもう一台大型セラーを買ったほうがよかったのだろうか? レンタルセラーの利用とワインセラー購入の損得勘定は、単純化すると「レンタルセラーの一本あたり月額保管費用」と「セラーに保存した場合の一本あたりコスト(セラー代金+月々の電気代/セラー収容本数)」の比較ということになる。この計算では、おそらく数年~10年も預け続けるのならば、セラーを購入したほうが安上がりということになるはずだが、現実はそう単純ではない。・セラーの設置により自宅のスペースが占有されるロス(金額には換算しづらいが…)・レンタルセラー利用によるリスク分散効果(ただし自然災害時の破損は補償対象外)・レンタルセラーの金額には破損時の保険も含まれる( 〃 )・機械式セラーの寿命(期間が長くなるとセラーを買い換えねばならないケースも)といった要素も勘案すると、両者の差はかなり縮まりそうな気がする現実に目を向けると、ただでさえ狭小なところに、すでに2台セラーを設置している我が家では、これ以上セラーを追加購入するという選択肢はない。結局のところ、身の丈を越えてワインを買い過ぎたことと、飲んでいるそばから新たに購入し続けて、ストックが一向に減らないことが問題の本質なのだ。「身の丈に合ったコンパクトなワインライフ」、このところ毎回書いている気もするが、2018年もこれが我が家の大きなテーマになりそうだ。
2021年05月07日
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前号では私のグラス遍歴について書いきた。同様の流れで、今回はワインセラーをとりあげようと思う。何度か書いてきたテーマだが、書き出すと話題がつきないので、今号、次号と二回に亘って掲載することとしたい。■セラーのなかった時代私がワインエキスパートの資格を取得したのは1999年のことだが、この時点ではまだワインセラーを保有していなかった。その前年の1998年に結婚、狭い賃貸マンションに二人暮らしの環境だったので、家の中にセラーを置くのに十分なスペースが無かったし、買いたいとも言い出しずらかったのだ。結婚祝いに高価なワインを何本かいただいたのだが、それらを保管するスペースもなく、「セラーがない場合は北向きの押し入れに保管」という(当時言われていた)セオリーも守らず、リビングのテレビ台の引き出しにしまっていた。ところが、当時住んでいたマンションは、狭いくせに日当たりだけは申し分なかった。カミサンも当時まだ働いていたので、夏場のリビングは日中、かなりの高温になった。正直なところ、「ワインは高温に弱い」と分かっていても、少しぐらい大丈夫だろうと嘗めていたところもあった。夏場を過ぎて、何やら風味の怪しくなったお祝いワインたちを開けて悲嘆にくれている私をみて、カミサンがセラーの購入を許可してくれたのは、結婚後1年たってからのことだった。■一台目のセラーを購入そうして最初に購入したセラーがフォルスターのロングフレッシュだった。収容本数は36本。限られた本数だったが、セラーのどの段に何を入れようかとか、どのボトルをどの機会に開けようかなどとあれこれ考えるのが楽しみだった。このロングフレッシュ、結局10年使ったところで知り合いに譲ったのだが、キッチンの脇という悪条件にもかかわらず、一度も不調に陥ることなく稼働しつづけてくれた。コンプレッサーの作動音が少しばかり猛々しいのと、コンプレッサーの作動開始時と停止時に筐体がブルっと震えるのにはやや閉口したが、現行の製品ではその辺は改善されているようだ。そもそも、このセラーで10年保存したボトルたちがいずれも綺麗に熟成していたことを思うと、この程度の振動について、あまり神経質になる必要はないのかもしれないと思ったりもする。子どもたちがガラス扉にシールをベタベタと貼ったりして、最後は見苦しい姿になってしまったが、個人的にはとても愛着のあるセラーだった。※購入したのはこれより古い型でした。【期間限定価格】6月下旬入荷ワインセラーフォルスター ロングフレッシュ ST-SV140G(P) 送料・設置料無料本体カラー:プラチナ 36本STSV140G Forster ワインセラー コンプレッサー式 業務用 家庭用 鍵付き 棚間広め■寺田倉庫の利用を開始ロングフレッシュを購入した当初、セラーの収容本数は36本もあれば十分だろうと考えていたが、すぐにこの考えが甘かったことを思い知らされた。ひとたびセラーのある生活に馴染んでしまうと、セール時や新ビンテージのリリース時についつい「まとめ買い」をしがちになる。いつしかセラーの中身は「不動のラインアップ」(=来客用にしか開けないであろう高価なワインや飲み頃がはるか先のワインをこう呼んでいた)になってしまい、寝室のクローゼットで常温保存しているボトルの数は、セラー購入前よりむしろ増えてしまった。 そんな折、持ち寄りワイン会で友人から聞いたのが、「寺田倉庫」のレンタルセラーだった。倉庫会社のレンタルセラーと聞いて、最初は敷居が高く感じたが、聞けば段ボール単位で入庫できて、保管料も1ケース月600円(当時:現在はサービス形態が異なる)とのこと。出庫料を支払えば、段ボールの中身の出し入れ(閲覧)も可能とのことだったので、まずは自宅の当面飲む予定のないワインたちを預けてみたところ、思いのほか使い勝手がよく、あれよあれよという間に20箱以上に膨れ上がってしまった。■二台目のセラーを購入二台目のワインセラーを購入したのは、計画的というよりは半ば衝動的なものだった。某ショップのセールで、ドメティック社の「サイレントカーブ」の100本収容タイプ(現在はオンリストされていない模様)が20万を切る価格で売り出されているのを知って、後先考えずに購入してしまったのだ。2001年のことだ。もとより自宅にはセラーを2台設置できるようなスペースはなかったので、購入したセラーは実家に置かせてもらうことにした。設置場所も無いのに二台目のセラーを購入してしまうとはなんて無謀な、と言われそうだが、寺田倉庫に預けていた段ボールを半減させることで、毎月の預入代金の削減になる。20万弱のセラー代金は数年で元がとれる計算だった。(実際にはセラーの電気代がかかるのでそう単純な話ではないのだが。)サイレントカーブは、アンモニアを使って冷却するタイプであるため、作動音が静かで、振動もほとんどない。ただ、コンプレッサー式に比べると冷却能力の点でやや劣り、例えば暑い季節にセラー内の整理などで長時間扉を開けておくのは憚られた(現行タイプはこの当時のモデルよりも冷却能力がアップしていると聞いている)。他にも設置棚の数が少なく、セラーの下部に入れてしまうと出すのが大変だったり、効率的にワインを詰め込むのに多少のコツが必要だったりと、ロングフレッシュほどの手軽さや便利さはなかったが、その代わり、実家で長期熟成タイプのワインを数年単位で寝かせておくのには都合がよかった。ちなみにこのセラー、これまで2度の故障に見舞われたが、いずれも春先のことで、最悪の事態にはならずに済んだ。最初の故障は購入後もうすぐ1年というタイミングだった。たまたま実家を訪れた際にセラーを開けてみたら、13度に設定していたはずの温度表示が17度になっていて、設定を変えても温度が下がらなかった。原因はサーモスタットの不良とのことだった。二度目の故障は2011年。東日本大震災のあとに発生した。おそらく地震の揺れが原因だったのだと思われるが、アンモニアが漏れて、部屋中にアンモニア臭が充満して参った。この時は冷却ユニットごと交換となったが、逆にこのタイミングで冷却ユニットを交換したのが良かったのか、その後は故障もなく、購入から15年を経た今も現役で稼働してくれている。※今は100本収容タイプは売られていないようですね。P5★ドメティック サイレントカーブ CS200B2 ワインセラー アブソープションシステム 家庭用 業務用 鍵付き■セラーを追加購入するか、自宅にセラーをつくるかの葛藤セラーを二台保有することになっても、寺田倉庫のレンタルセラーを完全に引き払うところまではいかなかった。セラー2台で合計130本程度の収容能力に対して、保有ワイン数は400本を超えていたからだ。そこで、2007年に新居に引っ越しするにあたり、2畳の納戸を改造して、自宅にセラーを作ろうと考えた。セラー部屋を作るのは長年の夢でもあり、新居購入は千載一遇のチャンスだった。一時はかなり前のめりになって検討したが、悩んだ末、結局断念した。理由のひとつは、新居が思いのほか狭く、収納スペースをまるまるワインのために潰してしまうのが憚られたこと、もうひとつは、購入した中古住宅のリフォームに想像以上の費用がかかり、セラーにまで資金が回らなかったためだ。この時の判断は正しかった。現在、我が家の納戸は足の踏み場がないほど荷物でいっぱいになっている。仮に納戸をセラーに改造していたら、収納スペース不足で家人との間に深刻な軋轢が起きていただろう。セラー部屋を作らなかった代わりとして、実家に置きっぱなしになっていたサイレントカーブを新居に引き取ることにした。こうして新居には、サイレントカーブとロングフレッシュの二台が鎮座することになった。■三台目のセラー引っ越し後3年経ったところで、10年選手となったロングフレッシュを処分して、より大きなセラーに替えた。購入したのは、当時台数限定で売り出されていた、最大170本程度収容の「ユーロカーブ エッセンシャルシリーズ」の特別仕様。ちなみにカミサンがあっさりと許してくれたのは、「ロングフレッシュが(シールなどで)汚くなってみっともないから。」というシンプルかつ明快な理由からだった。ユーロカーブに替えたおかげで、我が家の収容本数は、サイレントカーブと合わせて計算上は最大270本程度まで増えた。購入当初、温度設定が定まらない初期不良に見舞われて「やれやれ」と先が不安になったが、修理後は現在に至るまで安定して12~13度を保ってくれている。使い始めてみると、実にオーソドックスで安定感のあるセラーだと思った。コンプレッサー式だが、音はあまり気にならない。収容本数が多いわりに棚が少ないので、下の方に積んでしまうと「捜索」するのが大変なことと、奥の部分に水がたまりやすいことがやや難点だが、それ以外、特に大きな不満はない。※型番は異なりますが、概ねこんなタイプです。ワイン付★正規品 ユーロカーブ Premiere プルミエEuroCave Premiere-L-T-STD(黒)収納213本 ワインセラーコンプレッサー式 家庭用 業務用 大型機種 鍵付き 棚間広め■東日本大震災の衝撃ユーロカーブの初期不良を修理してもらい、安定稼働し始めたタイミングで起こったのが東日本大震災だった。東日本大震災では、私の住む東京都内は震度5強の揺れに見舞われた。幸い自宅の被害はほとんど無く、セラー内のワインも無事だった。しかし、そのあとの「計画停電」は全く想定外だった。我が国に居住している限り、地震など自然災害のリスクは覚悟していなければならない。自宅の倒壊を免れたとしても、地下深くにセラーを掘ったり、自家発電設備を備えたりしない限り、ひとたび長期間停電に見舞われれば(季節によっては)中のワインたちは全滅しかねない。結局、私の地域で計画停電が実施されることはなかったが、我が国でワインを趣味とすることの根本的な課題を突き付けられた思いだった。とりあえず私は寺田倉庫の天王洲トランクルームに加えて、横浜都築トランクルームのロッカーをあらたに契約し、複数の場所にワインを分散しておくことにした。毎月の預入費用は増えたが、背に腹は代えられなかった。しかし、寺田倉庫にしても、自然災害時のワインの破損等は免責事項となっており、預け入れワインの安全を保障されているものではない。電源喪失リスクに対する明快な解決策は未だに見つかっていない。その後、寺田倉庫のサービス変更に併せて、天王洲トランクルームに預けていた段ボールを解約。現在は横浜都築トランクルームのロッカーと自宅のサイレントカーブ、それにユーロカーブというラインアップに落ち着いている。ただ、サイレントカーブは15年経過しているので、そろそろ退役を視野に入れなければならない時期かもしれない。最近の私の考えは、「結局のところ、身に余る本数を持たないことが一番良いのではないか。」というミニマリズム的発思考に傾いている。横浜都築のロッカーについても、数年のうちには解約して、自宅にセラー1台、プラス(もし必要なら)ペルチェ方式のデイセラーというコンパクトなワインライフにしていきたいと思っている。セラーについては、いろいろと思うところがある。次号では、これまでの経験から得たTIPSや注意点などを私の意見を交えて紹介したい。
2021年05月06日
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つくづくワインというのは不思議な飲み物だ。同じ銘柄でも飲む時期によって開いていたり閉じていたり、供出温度や時間の経過、ボトル差、ボトルの上部下部や気象条件などによって香味が異なるように感じられたり…。そのようなことに翻弄させられ、当惑しているうちに、気がつけば奥深い迷宮にどっぷりとはまりこんでしまう。グラスによる香味の違いもまた、私たち愛好家を幻惑、いや愉しませてくれる大きな要素のひとつといえるだろう。■ワインを楽しむのに最低限必要なものは?今流行りのミニマリスト的視点でワインを楽しもうとしたら、最低限必要なものは何だろうか?まず、ワインオープナー。これがないと始まらないが、ワインの栓を抜ければよいと割り切るのであれば、100円ショップのオープナーでもまずは事足りる。ワインセラーは無いよりはあったほうが絶対によいと思うが、自宅では寝かせないとスッパリ割り切り、その都度近隣のワインショップで買ってくることにすれば、セラーのないワインライフも可能だろう。で、本題のワイングラスだ。こちらも極端な話、単にワインを飲むだけなら、湯飲みがあれば事足りる。実際、山梨では伝統的に一升瓶ワインを湯飲みで飲んできた習慣があると聞く。もっとも、このような事例は例外だろう。ワインは味わいとともに色や香りを楽しむ飲み物だ。ワイングラスに関してだけは、日々のワイン代を多少節約してでもきちんとしたものを用意したほうがよいというのが私の持論だ。きちんとしたものというのは、必ずしも高価なものというわけではない。ワインの香味を楽しむための要素をきちんと抑えたグラスということだ。■ワイングラスに必要な要素 ワインの色調は、ブドウの品種や作られた年代、健全性などを示唆する重要な情報を含んでいる。その意味で、まずワイングラスは無色透明であることが好ましい。形状については、必須条件となるのが、香りを溜められること。すなわち先端部分に向かって(程度の差こそあれ)すぼまった形状であることが何よりのポイントだ。大きさについては、ボウルの部分の容積がある程度大きいほうがよい。それだけグラス内に香りを溜められるし、液面と空気との接触面が増えることで、より香りが立ち、味わいもなめらかになるからだ。といっても、自宅で使うとなると、許容できる大きさには限度があるだろう。また、ただ大きければよいかといえば、構成要素の乏しい安価なワインでは粗ばかり目立ったり、デリケートな古酒では空気に触れすぎて酸化が促進されてしまうということもある。それぞれの環境や日ごろ飲むワインに応じて、可能な範囲で大きめのものを選ぶようにするとよいだろう。 ワインを飲むときにはグラスの脚(ステム)の部分を持つのが正しい作法だといわれている。ボウルの下部を掌で包むように持つと体温が伝わってワインの液温が上がってしまうというのがその理由だが、最近は「リーデルO(オー)シーリーズ」のような脚のないグラスも市民権を得ているので、あまり気にしなくてもよいのかもしれない。細くて長い脚は美しいが、反面、重心が高くなって倒れやすくなったり、洗浄時などにポッキリと折れやすいというリスクもある。グラスの重さはガラスの材質と大きな関連性がある。一般的に、普及品のグラスにはソーダグラスが使われ、より上質なグラスにはクリスタルガラスが使われる。クリスタルガラスの中でも、酸化鉛を含んだ鉛クリスタルガラスは輝きがあって美しく、指で弾いた時の響きもよいが、重量は重くなりがち。一方、鉛を含まないカリグラスは軽く、強度もあって後加工がしやすいと言われている。ワイングラスでいえば、前者ではリーデル、後者ではロブマイヤーが代表的なブランドだ。重さや薄さなどは、香味への影響よりはむしろ飲み手の気分の問題が大きいようにも思われるが、いったん軽くて薄いグラスに慣れてしまうと、逆戻りするのは苦痛に感じられる。なお、グラスの厚さについては、気分的な問題だけでなく、「ワインが口内に流れ込む時に厚みの幅により段差が生まれ、形状がほぼ同じグラスでも、その段差を落ちることによってワインの流れが変わる」という説もある。■リーデルとの出会いとロブマイヤーへの憧れ ワインに凝り始めた当初、「舌には、甘味、酸味、塩味、苦みを感じる味蕾が集中している部位(味覚地図)があって、リーデルのグラスはそれを意識して作られた形状なのだ」というような説明を受けて、なるほどと感心したものだが、今回記事を書くにあたって改めて調べてみると、どうやら「舌の味覚地図」というのは誤りらしい。特定の部位が他の部位に比べてわずかに敏感、ということはあっても、特定の味が特定の部位でしか感じられない、ということはないというのが今では通説のようだ。もっとも、そうだとしてもなお、リーデルの提案するそれぞれの品種の個性にあわせたグラスの形状は、総じて納得感のあるものだし、多くの愛好家に受け入れられている。私も「オーバーチュア・ボルドー」シリーズに始まり、ハンドメイドの「ソムリエ・ブルゴーニュ」に至るまで、過去に購入したリーデルのグラスは数知れない。特に、「ヴィノム・ボルドー」と「ヴィノム・ブルゴーニュ」、「ヴィノム・キャンティクラシコ」は、さまざまなグラス遍歴を経た今でも、私の中ではリファレンス的なポジションのグラスである。リーデル ヴィノム シリーズ ボルドー/ブルゴーニュ グラス 2脚セット【正規品】 6416-0-07もうひとつ、愛好家の間でカリスマ的人気を誇るブランドが「ロブマイヤー」だ。カリクリスタル製でとにかく軽く薄く、それでいてどこまでも優美な形状が飲み手を魅了する。ブルゴーニュ用の「バレリーナIII」、シャンパーニュ用の「バレリーナ・チューリップ」などは特に愛用者の多い逸品だ。都内であれば、某百貨店試飲コーナーで使われているグラス(バレリーナV)といえばわかるかもしれない。私も初めてロブマイヤーを使ったときには、サイズから想像できないような軽さと飲み口の薄さに驚かされたものだ。ネックは正規品で1脚2万円近い価格だろう。ロブマイヤー・バレリーナ ワイングラスIII 【正規品】GL27603ロブマイヤー バレリーナ 1276203 ワイングラス5 18cm 280cc 赤ワイン ギフト 食器 ブランド 結婚祝い 内祝い■グラスの検証かれこれ6年前の話だが、10種類のワイングラスを一同に集めて白ワインの試飲をする会に参加させてもらったことがある。これが実に「目からウロコ」の試飲で、同じ銘柄を飲んでいるのにもかかわらず、ブラインドで出されたら絶対に別銘柄だと答えるだろうな、というぐらい香味の違いを感じるグラスもあった。以下、気づいたことをいくつか挙げると、*グラスは大きければ大きいほどよいというものでもなく、それぞれの銘柄の特性に応じたボウルの容量というものがあると改めて実感した。*ボウルの重心というか、直径が一番大きい部分がどのあたりにくるかによって、かなり香味の印象が異なってくるようだった。*下が角ばっていて、上に向かって垂直に伸びていくタイプのグラス(意味が通じるだろうか?)は、丸っこいグラスとは香味の出方が特に異なっていた。白ワインの場合、よくいえば、穏やかで上品、悪く言うと酸がのっぺりとなるような印象だった。*重さやステム(脚)の太さで香味が変わることは本来ありえないが、実際持ち比べてみると、このような要素も大いに先入観となって影響を及ぼすと感じた。■現在のラインナップその後、シャンパーニュの「レーマン(ラ・マルヌ)」、オーストリアの「ザルト」、それに「木村硝子店CAVA(サヴァ)」などが私のお気に入りに加わり、現在は、これらをTPOに応じて使い分けている。*シャンパーニュ用左から、ロブマイヤー・バレリーナ・シャンパンチューリップA、ロブマイヤー・バレリーナ・シャンパンチューリップB、レーマン・フィリップ・ジャムス・シャンパーニュグラス。滅多にないことだが、自宅でプレステージ・シャンパーニュを開けるときには、白ワイン用のグラス(主にラ・マルヌ)を用いている。また、ロブマイヤーのチューリップBは、ブランデーを飲むときにも重宝している。ロブマイヤー バレリーナ 1276112 シャンパンチューリップ A 24cm 300cc グラス シャンパングラス ギフト 食器 ブランド 結婚祝い 内祝い【ポイント5倍設定中!】ロブマイヤー バレリーナ チューリップ トールB 200cc オーストリア ワインとともに至高の芸術 世界最高峰 一生モノ デザイン賞 プリマドンナ マーゴフォンティーン ティップトゥ 手作業 アートシャンパングラス レーマン グラン・シャンパーニュ 1脚 ギフトBOX無し*白ワイン、赤ワイン兼用左は木村硝子店のCAVA(サヴァ)22オンス、右はレーマン(ラ・マルヌ)フィリップ・ジャムス・グランブラン。どちらもカリクリスタルで軽く、値段も5000円前後と穏当だ。CAVA22オンスはボルドータイプとブルゴーニュタイプを足して二で割ったような形状。レーマン(ラ・マルヌ)の名称はブランとなっているが、ボウルの直径が大きく比較的浅めの形状は、若いブルゴーニュの赤ワインにも適している。木村硝子店 Cavaサヴァ 22ozワイン赤・白兼用 ワイングラス レーマン グラン・ブラン 1脚 ギフトBOX無し*主にブルゴーニュ用写真左は木村硝子店CAVA(サヴァ)29オンス。右はZALTO(ザルト)のブルゴーニュ。どちらもかなりの大きさだが、カリクリスタル製で、見た目よりもずっと軽い。木村硝子29オンスは、約910ccと大容量ながら、脚が短いため、日常の食卓でもさほどかさばらないのがいい。一方で、ボウルが深く、すぼまり方が急で開口部が狭いせいか、香りがやや篭って滞留しがちな印象を受ける。香味を楽しむという意味では、ZALTOがもっとも私好みに合致する。しかし、いかんせんその大きさと底面積の広い形状ゆえ、食卓で邪魔もの扱いされやすい。一回に注ぐ量が多くなりがちで、結果的に酒量が増えてしまうという悩ましさもある。そんなわけで、我が家でブルゴーニュを飲む際には、若いワインはラ・マルヌ、バックビンテージは木村硝子、グランヴァンはZALTOというざっくりした役割分担がいつしかできあがっている。木村硝子店 ワイングラス サヴァ【Cava 29oz ワイン】910ml 大量注文承ります カリクリスタル 【取り寄せ商品】【入荷次第】【送料無料】_Zalto ザルト ブルゴーニュ ハンドメイド ワイングラス 専用ボックス入り【RCP】【ワイングラス/カトラリー】【バー/カクテル】 北海道/沖縄/離島 追加送料あり*主にボルドー系用ボルドーブレンドやサンジョベーゼなどを飲むときに使っているのは、ロブマイヤー・バレリーナIV(左)、それにZALTO(ザルト)ユニバーサル(写真右)、それに写真はないが、定番のリーデル・ヴィノム・ボルドーだ。ロブマイヤーIVはややボウルの大きさこそ小ぶりだが、ほとんどの場合、このグラスでこと足りる。もう少しなみなみと注いでたっぷり空気に触れさせたいと思ったときにはリーデルの出番となる。ザルト・ユニバーサルはリースリングやソーヴィニヨンブランなどの白ワインを飲むときにも使うことがあるが、前述のとおり、これで飲むとかなり香味が違って感じられるのが面白い。ロブマイヤー・バレリーナ ワイングラスIV【正規品】GL27604【GWもあす楽】ザルト Zalto ワイングラス ハンドメイド ユニバーサル 11 301 Zalto DENK'ART Universal Clear おしゃれ プレゼント ギフト 贈り物 あす楽■あればいいなと思うものとりとめのないコラムになってしまったが、最後にもうひとつだけとりとめのないことを。ワイングラスを持ち運ぶ機会は滅多にないと思いがちだが、持ち込みワイン会や、ホームパーティ、家族旅行など、意外にグラスの運搬ニーズはある。現在はリーデル2脚用の化粧箱を抱えて出かけているが、これが結構かさばる。「ロブマイヤー・トラベラー」のようなキャリングキットがあれば言うことがないが、高価でおいそれとは手がでない。「木村硝子CAVA22オンス」や「リーデル・ヴィノム・キャンティクラシコ」などを気軽に持ち運べるような、安価で小ぶりなキャリングケースがないかと探している今日この頃である。【正規品】 ロブマイヤー バレリーナ トラベラー II バーガンディ 【smtb-F】 送料無料追記:最近は、取り回しのしやすさなどから、なんだかんだでリーデルのボルドーとブルゴーニュを使う機会が増えています。
2021年05月05日
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これは比較的近年の記事です。今、読み返してみると、ちょっと内容がネガティブにフレすぎていますね。今さらながら、ワイン雑誌に書くような内容ではなかったですね。今はもっと気楽に、肩の力を抜いて楽しめればそれでいいと思っています。*******************「生きがい」という言葉を最近よく目にしたり耳にしたりします。本格的な高齢化社会が到来して、60歳もしくは65歳で多くの勤め人は定年となりますが、日本人の平均寿命が80年を越える今、そこから数十年間の人生をどう生きていくか。経済的な課題とともに、精神面の課題、すなわち、それまで仕事に子育てにと邁進してきた人たちが、引退後に何を生き甲斐にしていくのかということがクローズアップされているわけです。多くのコラムやエッセイで、「心の支えとなるような趣味を持つこと」が推奨されています。ああ、そういうことなら、と読者の多くの方は思うでしょう。「自分にはワインという趣味があるから、その心配は無用だ。」と。私も長らくそう思っていました。しかし、最近「ワインは、老後の心の支えとなる趣味にはなりえないのではないか」と、半ば自虐的に考えるようになりました。今回はそう思い至るようになった理由をつらつらと書きたいと思います。*これまでのワインとのつながり30代前半あたりからワインに凝り始め、多くの時間とカネと労力を注ぎ込んできました。当時は仕事のプッシャーがキツく、残業も今とは比べ物にならないほどこなしていましたが、余暇の時間にひたすらワインにのめり込むことで、結果的にオンオフを上手く切り替えられました。その後、体系的にワインを学びたいという知識欲が芽生え、ワインスクールに通い始めたのが98年のことです。ワインエキスパートの資格を取得したのが99年。ワインサイトを始めたのが2000年の初頭。ワインサイトのつながりを通じて毎週末ワイン会に参加するようになりました。当誌のテイスティングに参加しはじめたのもこの頃でした。思い返せば、98~2001年ぐらいまでがワインに対してもっとも貪欲で前のめりだった時期でした。その後、2002年に上の子、03年に下の子が生まれてからというもの、ワイン会やテイスティングなどへの参加頻度は激減し、子育てや家庭生活とワインをどう両立させるかが大きなテーマになりました。一方で、子どもの生まれ年のワインを収集したり、記念日に少し贅沢なワインを開けたりと、それまでとは異なった愉しみも生まれました。40代前半は職場環境に恵まれず、ストレスから鬱状態になりかけたこともありました。そんな時に、最終的に私の心の均衡を保ってくれたのはワインという趣味でした。この点、あらためてワインと出会えて本当に良かったと思います。その一方で、酒量が増え始めたのもこの頃からでした。そもそもワインに凝り出したころの私はボトル半分も飲めませんでした。それがだんだんと酒量が増え、40代半ば以降は晩酌でボトル一本開けることも珍しくなくなりました。純粋にワインを愉しむということ以上に、気づけば日常のストレスから逃れるための手段としてワインを毎晩飲むようになっていたという側面は否定できません。*健康面の問題→健康酒といっても所詮は…?そんなわけで、多分に自業自得的な側面もあるのですが、ワインを引退後の趣味の柱に据えることを躊躇うようになった最大の理由は「健康問題」です。「酒は百薬の長」とも言われますが、同時に「命を削るカンナ」であるとも言われます。γ-GTPや血糖値、コレステロールその他の健康指標、あるいは持病との兼ね合い。いかにしてこうした問題と折り合いをつけていくか。私の場合、先に挙げた血液指標以外に経過観察を続けなければならない懸案事項があって、それが心に重くのしかかっています。経過次第では、想像以上に早いタイミングで、ワインライフに終止符を打たねばならなくなる可能性もあります。 そもそも「フレンチパラドックス」という言葉に代表されるように、ワインは健康によい酒ではなかったのか?いやいや、それはあくまで「適量を守る限り」であって、では適量とはどの程度かといえば、おおむね「グラス2杯程度」、ボトルでいえば三分の一ぐらいまでというところだそうです。残念ながら、当誌の読者でこの量を守れる方はあまり多くないのではないでしょうか。私も前述のとおり、晩酌では最低でもボトル半分、ワイン会になれば、ボトル1本分ぐらいは開けてしまいます。つまみには脂っこい料理や食品を摂取しがちだし、ワイン会などでコース料理を頼むとそれだけで一日分以上のカロリーを消費します。それらのツケが回ってきたのかなと思っています。結局のところ、この先ワインを趣味の柱に据えようとすれば、まさに「命を削るカンナ」であることを実感しながら飲みつづけるか、あるいは「一日グラス二杯+定期的な休肝日取得」という(今の私にとっては)ひどく禁欲的な飲み方をしなければならないということになります。さらに健康が悪化して、ワインを飲めない体になってしまったらどうでしょうか。仕事や子育てに追われている今のうちはまだよいけれども、それらが一段落したときに、果たしてポッカリと空いた心の穴を埋めてくれるものがあるのでしょうか。これが最近、自分がワイン以外の趣味に比重を移そうとしている大きな理由です。*経済的な問題→どこまでもカネがかかる?健康との向き合いを抜きにしても、ワインという趣味は、いろいろな面で老後の趣味の柱に据えるにはふさわしくないのでないかと思いはじめています。 まず、向き合わなければならないのは経済的な問題です。我が家は家族四人。妻は専業主婦で、子ども二人はまだ学生、住宅ローンの残債を抱えるニッポンの典型的なサラリーマン家庭です。子育てについての手間はあまりかからなくなった一方で、教育費の負担が重くなって、今やワインにかけられる費用は独身や共働き時代の数分の一程度になってしまいました。また、50歳を越えて、勤め人としての終着点もおぼろげに見えてきました。一線を退いた後は、収入も大幅に減って、高騰した著名生産者のワインを揃えるような経済的な余力はもはやなさそうです。 もっとも、経済的な事情については、個々の置かれた状況があまりに違いすぎるので、十把一絡げに扱うのは難しいかもしれません。自由業や自営業の方の場合は定年など関係ないでしょうし、資産家だったりDINKSだったり独身だったりで、ワインに潤沢に資金を投下できる方もいることでしょう(そもそもワイン愛好家というのはそういう方が多いように見受けます)。また、この問題は、私が主に「ブルゴーニュ中心の」ワインライフを続けていることによるもので、たとえば「旨安ワイン」探しに集中するとか、発展著しい国産ワインに宗旨替えする、というように、今と違った形でワインとの関わりを持ち続けるということは可能でしょう。*収集の問題→将来家族の負担になりかねない?コレクターの方々から見れば大した本数ではありませんが、我が家には飲み頃でないボトルやワイン会持参用のボトルなど、自宅のセラーとレンタルセラーとあわせておよそ400本のワインがあります。ところが最近は、生来の貧乏性が災いして、セラーのボトルを自宅で日常的に消費するのが惜しくなってきました。といって、ワイン会への参加頻度も減っている今、セラーのワインを消費する機会はますます限られています。一方で、日常消費用のワインは常に枯渇気味なので、結果としてセラー内のボトルに触れることなく、デイリーワインだけを常に買い足し続けるという、なんとも本末転倒な構図になっています。今はともかく、将来収入が減ってもこんな形で寺田のレンタルセラー代を払い続けていくのはさすがにナンセンスな気がします。そもそも、私がポックリと逝ってしまったらどうなるのでしょうか。カミサンはワインのことなど何もわからないし、子どもはまだ10代です。セラーのストックは、きっとどこかの買取屋に安く買いたたかれて処分されるのがオチでしょう。(いずれこのような形で、国内でも「元」愛好家が収集したバックビンテージのストックが出回ると予言しておきます。)そう思うと、手持ちのワインに関しては、あまり躊躇せずにさっさと開けるなり処分するなりして、身軽になった方が、家族に余計な負担や心配をかけずにすみそうです。以前はセラーのワインの心配といえば、地震などの災害や停電への対策ばかり考えていましたが、最近はそんなことを考えるようになりました。*交友関係の問題→交流の輪はもはや広がらない?これまでワイン会やブログなどを通じて、職場の同僚や学生時代の友人とは違った、多くの方々と交流をもつことができました。しかし、最近はみな多忙だったり、健康を害したり、音信不通になってしまったりで、築いてきた交友関係は停滞気味です。十数年続けているホームページにしても、コメント欄などから想像するに、読者は初期のころとはガラリと変わってしまったようです。 私自身、年とともに保守的になってきたのか、知らない方ばかりのワイン会に参加することは正直億劫に感じますし、貴重なワインや高価なワイン飲みたさに、生活レベルの違う方々と無理してご一緒しても楽しいと思えなくなってきました。ネット上でも、(他の方のブログやHPは定期的に巡回しているものの)コメントを残したりコミュニティに参加するといったことはめったにしなくなりました。 そう考えると、私の場合、老後のワインを通じた交友関係は、過去に知り合った親密な友人たちと同窓会的に会う程度に留まるような気がします。それすらお互いワインを飲み続けられる健康体であることが前提となる話です。*ワインを学ぶモチベーションの問題 →老後も研鑽を積む意味はあるのか?ワインに対して求道的な姿勢を貫き、日々研鑽を積んでいる方々を揶揄する気は毛頭ありません。私自身も99年にワインエキスパート、07年にシニアワインエキスパートを取得するなど、それなりに体系的に学んできたという自負はあります。テイスティングの勉強会などにも足繁く通いました。しかし、業界人でもなく、将来的にもプロをめざしているわけでもない私が、この先、ワインについての研鑽を積み続ける必要があるかといえば、その理由を見いだせなくなっています。ワインについて学んだり知識を深めることに何となくしらけてしまった、というところでしょうか。よく「ワインの上級者」とか「中級者」という言葉を見かけますが、本質的に人を酩酊させるためのアルコール飲料であるワインに上級・中級・初級といった区分けが必要なのだろうか、品種や醸造、コンディションなどに関する基礎知識は無いよりはあったほうがよいけれども、あとは飲み手と対象との向き合いだけで十分なのではないのだろうか。自宅でひとりで杯を傾けることが多くなったせいか、最近はそんな醒めた見方をするようになりました。*では老後にふさわしい趣味は?私自身は、そこそこ多趣味な方だと思います。ワイン以外では、クラシック音楽鑑賞、アクアリウム(熱帯魚、金魚)などを長年続けていますし、最近おざなりになっていますが、写真や絵画鑑賞に凝っていた時期もありました。学生時代はスキー、独身時代は海外旅行に入れ込んでいましたた。ただ、いずれも今となっては「暇つぶし」にはなっても、「打ち込む」というほどのものではありません。 以下は、とある趣味のサイトで検索した「中高年者向けのおすすめの趣味」です。登山、ウォーキング、読書、刺繍、ボウリング、チェス、ゴルフ、家庭菜園、デッサン、歴史(史学)、将棋、囲碁、盆栽、書道、油絵、ガーデニング、お菓子作り、活花、ゲートボール、バイク、写真、サイクリング、神社仏閣めぐり、登山、温泉めぐり、パソコン、武道、映画鑑賞、語学、エクササイズ、ヨガ、水泳、ダイビング、DIY、楽器、ボランティア、旅行、釣り、料理、コーヒー、紅茶、食べ歩き、パン作り、漬物つくり、ハーブ栽培、手打ちソバ、バーめぐり…私の実家の母親は長い事「書道」をやっていて、香典袋などを母に代筆してもらうことがあります。これなどは実益をかねた良い趣味だと思います。私の上司は「家庭菜園」に凝っているそうです。私自身も、アクアリウムやガーデニングを通じて、経験的に土や水をいじることはよいストレス解消になることを実感しています。ボケ防止を兼ねてあらためて「語学」に打ち込むのもいいかもしれません。「料理」を趣味にして、自ら健康食を極めるというのもありでしょう。考え出すといろいろと面白そうだったり、奥の深そうな趣味の候補はありますが、とはいえ、老後の趣味というのは、カタログギフトの商品をチョイスするようにあれにしようこれにしようと選んで決める類のものでもない気がします。それに、自分の中で、今まで積み重ねてきたワインにとって代わるポジションを得るには相応の年月や経験も必要でしょう。やはり私のように骨の髄までワインに浸かってしまった愛好家は、いきなりワインを切り捨てるのでなく、ワインを軸に趣味の幅を広げていくというのというのが現実的で自然な姿なのかもしれません。たとえば、以下のようなことならあまり抵抗なく始められそうです。・旅行とのコラボ今年の夏は家族で長野や飛騨高山をクルマで観光しましたが、せっかくなら小布施ワイナリーなどを見学すればよかったなと悔やんでいます。発展著しい国内の生産者を見学して回りながら、近隣の名所旧跡などを観光をするのは、家族サービスとも両立する良いアイデアかもしれません。ただ、クルマだと試飲できなくなるのが問題ですね。・ガーデニングとのコラボ我が家でも中央葡萄酒のワインを買ったときにオマケでいただいた穂木が、玄関のプランターで毎年葉を茂らせています。場所などの問題はありますが、自宅でもっと本格的にブドウ栽培をしたり、日ごろ香りの表現に使うハーブや草花を実際に栽培してみる、なんていうのも面白いかもしれません。・文筆活動とのコラボ長年ホームページやブログを続けてきましたが、最近は多忙にかまけて、飲んだワインの記録をやっつけでアップするだけになっています。おまけに酔っぱらって書くので、文章や「てにをは」が目茶目茶です。時間的な余裕ができれば、ワイン関連情報を軸に情報発信のバリエーションを広げたり、ホームページのクオリティを上げることもできそうです。・語学学習とのコラボかれこれ10年以上欧州には行っていませんが、いつの日かドメーヌやシャトーめぐりをする時のために、フランス語や英語を一から勉強する、というのもありでしょう。海外に行く機会がなかったとしても、「クールジャパン」が喧伝される昨今、外国人観光客のためのボランディアなどに役立つかもしれません。・教育・啓蒙活動とのコラボややおこがましいのですが、たとえばボランティアやちょっとしたカルチャースクールの場などで、ワインのことを全く知らない人たち(愛好家ではなく)にワインの魅力を教えるぐらいなら、少し背伸びをすれば私にもできそうです。もちろんそのためには、自分があらためて学びなおさねばならなくなりますが、それが前に書いた「知識欲の問題・モチベーションの問題」への回答にもなるのではないかという気もします。今回のコラムはなんともとりとめのない内容になってしまいました。結局のところどうなのよ、と言われると何のオチもないのですが、とりあえず、今のうちから、少しずつ視野を広げていろいろとトライしてみようと思います。駄文におつきあいいただき、ありがとうございました。
2021年05月04日
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20年以上前のことになりますが、クルマのマーケティングリサーチにかかわっていたことがあります。「因子分析」だの「クラスター分析」だのといったなにやら小難しい分析手法も教わりましたが、そんな中で面白いと思った分析手法のひとつに、「コーホート(コウホート)分析」というものがありました。「コーホート」とは、「出生をほぼ同時期にする人間の集団」のことで、消費者の行動やニーズを「時代効果」、「年齢効果」、「コーホート(世代)効果」の三つに分解してとらえ、潜在ニーズの発見や将来の需要予測に結び付けようというものです。実際の分析方法は時系列データに基づいた定量的なものとなりますが、ここではその考え方についてのみ、簡単に触れたいと思います。・ 「時代効果」というのは、高度成長期、バブル期、といった各年代における社会環境から発生する要因を指します。好景気であれば金回りがよくなってワインの消費は増えますし、リーマンショック後のような不況時であれば、消費マインドは冷え込みます。ワインに関しては、景気の良しあしと連動しますが、後述する「ワインブーム」のファクターが大きいと思われます。さらに細かくみていくと、為替レートの変動やビンテージによる作柄の吉凶なども広義の時代効果ということになるかもしれませんね。・ 「年齢効果」というのは、人間の成長過程や加齢に伴って発生する要因のことで、いわゆる「ライフステージ」に伴うものです。たとえば独身の間は概して懐に余裕があり、外でワインを飲む機会も多く、高額なワインなども購入しますが、結婚して子どもが出来ると、子育てで時間的な余裕もなくなり、教育費などの家計負担が重くのしかかって、ワイン会などの派手な出費を控えたり、購入するワインもデイリーランクのものが中心になったりします。そして子どもが独立して住宅ローンが終わるころには再び家計にゆとりが出てきますが、今度は健康との兼ね合いが懸念材料になったりします。ワインを趣味とするにはそれなりの可処分所得が要求されることや、なんのかんの言ってもアルコール飲料であり「酒の味」を覚えるのには多少年数がかかるということもあるのでしょうか、私の周囲の愛好家がワインにはまりだした年齢は、20代よりは、30代以降の方が多いようです。・ コーホート(世代)効果というのは、戦後世代、団塊世代、すきま世代、団塊ジュニアというように、同じ時期に生まれ、同じ社会環境を共有して育ってきた人間集団から発生する要因を指します。たとえば「団塊の世代」とは、第一次ベビームームが起きた1947年〜49年生まれで、高度成長期やバブル期を支えてきた世代です。その子どもたちの世代である「団塊ジュニア」については、(いくつかの定義がありますが)概ね1971年〜74年生まれの第二次ベビーブームのことを指し、現在、40代前半〜中盤にさしかかっています。マーケティングの世界で「団塊の世代」や「団塊ジュニア」がよくとりあげられるのは、その人口ボリュームが大きいことに加えて、たとえば団塊世代では、「概して自分へのこだわりが強い人が多く、同世代間での競争意識が激しい」といった風に、世代としての特徴が語られやすいということもあります。ちなみに私は1963年生まれですが、「大学在学中に学生運動が終わった世代から、バブル景気が起こる前に成人した世代まで」ということで、「しらけ世代」などと呼ばれたりしているようです。ワインの世代効果についてはわかりませんが、たとえばビールについては「若者のビール離れ」という言い方もあるように、コーホート分析にかけると、団塊ジュニア以降の世代で飲用率が低下しているといった結果も出ているようです。 さて、もう少し突っ込んでワインの「時代効果」的な要因を見ていきたいと思います。過去、我が国には何度かのワインブームがありました。テーブルワインの消費に動きが出てきたのは東京オリンピック(1964年)頃からだと言われています。第1回目のワイン・ブームは昭和45年(1970年)の大阪万国博覧会を契機とした高度経済成長期の頃、日本人の食生活の洋風化により、ワインの消費が増大しました。以降、日本でのワイン消費は、千円ワイン・ブーム(1978年)、一升瓶ワイン・ブーム(1981年)、ボージョレ・ヌーヴォー・ブーム(1987年)、赤ワイン・ブーム(1997年)など、何回かのワイン・ブームによる急激な伸びとその後の足踏みを繰り返しながら、少しずつ階段を上がるように伸びています。 2000年代に入ってからは、ナチュラルワインや国産ワイン、シャンパーニュなど、爆発的でこそないものの、一過性に留まらない息の長いムーブメントが続いて今に至っているといってよいでしょう。当誌が創刊されたのが2002年、インターネットでブログが普及し始めたのも2002年代ぐらいから、「神の雫」の連載開始が2004年、ネットショップが広く普及したのもこの時期(ちなみに楽天市場の開設は97年、13店舗からのスタートだったそうです)ということで、とにかく97年のワインブーム以降、インターネットの普及と相まって、ワインに関する情報量が圧倒的に増えたことが近年の大きな特徴といえます。上記のようなブームの時期に、どの位の年齢でどのような生活を送っていたかが、ワインと出会いやその後のワインとの関わり方についてのポイントになっているのではないでしょうか。そう思って、あらためて「団塊の世代」や「団塊ジュニア」の人たちが、近年のブームの時に何歳だったかを表にしてみました。 ボジョレーヌーヴォーがブームだった頃、団塊の世代は30代後半から40歳と、まさに「ワインにはまる」のに適した年代でした。実際にこのブームは団塊の世代が大きく寄与したのかもしれません。この時点でボルドーやブルゴーニュに嵌っていた愛好家の方々を私は心から羨ましく思います。というのも、当時はボルドー1級シャトーやDRCなども今では信じられないような価格で購入できたし、このあとには90年という歴史的なビンテージが控えていたわけですから。 もっとも、このブームをきっかけに本格的にワイン愛好家になったという人は、ボリューム的にはあまり多くないのではないでしょうか。当時の私は大学を卒業したてで、ワインが身近になりこそしましたが、深くのめりこむとろまではいきませんでした。20代前半ということで、「酒の味」そのものにまだ開眼していなかったことに加えて、「地方勤務でクルマ通勤だった」というのも大きな理由です。仮に興味を持ったとしても、情報が乏しくて、そこから先には進みずらかったと思います。当時はまだネットもなく、本屋に行ってもワインの専門書籍は今ほど豊富ではありませんでした。たとえばブルゴーニュにおける「ドメーヌ×畑×ビンテージ」の複雑なマトリクスを理解するためのハードルは今よりずっと高かったはずだし、我々が日ごろ接しているブログやSNSなどの身近な情報や口コミ情報等も簡単には得られなかったでしょう。(そういう意味でも、私はこのころからの愛好家の方はスゴイと思います。) 団塊ジュニアの世代に至っては、この当時は未成年です。しかし、親の世代がブームによって自宅でワインを飲む機会が増えたのであれば、その姿を目にして育った彼らにポジティブな影響を与えた可能性は大いにあります。ちなみに私の実家では、両親はワインにまったく興味がなく、自宅でワインが開けられる姿を目にした事は一度もありませんでした。両親がワインを多少でも嗜んでいたなら、私ももっと早くワインに目を向けていたかもしれません。私の嗜好がワイン中心になったのは、90年代の半ばにさしかかってからです。この頃の私は、比較的柔軟に休暇を取得できたこともあって、すっかり海外旅行フリークと化していました。欧州にもよく出かけていて、イタリアやフランス、スペインなど、現地でワインを飲むうちに、自然とワインが身近なものになりました。そんなところに、たまたま自宅の食器棚の奥に6年放置してあった豪州のシャルドネを開けてみたら、トロトロに熟成して想像を絶するような香味になっていたことで、瞬く間にこの不思議な飲み物の虜になった、という話は当誌の創刊号のコラムにも書きました。海外旅行というきっかけこそありましたが、私自身が30代になって、経済的な余裕が多少出てきてワインを趣味として愉しむ土台が出来たというのも大きな要因と思います。そのあと、件の赤ワインブームがやってきました。ワインの健康効果(ワインに含まれるポリフェノールが動脈硬化や心疾患などを予防するというもの)がテレビの健康特集で大きく取り上げられ、時を同じくして、田崎真也氏がソムリエ世界大会で優勝、赤ワインが一躍ブームとなりました。安価なチリワインが数多くスーパーなどで出回るようになったのもこの頃からだと記憶しています。さまざまなメディアでワインに関する特集が組まれ、ワインを扱った書籍が数多く出版されました。この時期にワインに本格的に嵌った、という愛好家は多いと思います。かくいう私もこのブームがなかったら、今に至るまでこのようにワインにはまりこんではいなかったかもしれません。なんといっても、世の中の情報量が増えて、ワインに関する知識を得やすくなったことが、愛好家を増やした大きなファクターだったと思います。一方で、ワインの価格がいきなり高騰したのもこの時期でした。近隣のワインショップで、それまで1万円台前半だったCh.ラトゥール78が、ある日を境に突然値札が3万円台になっていたのを今でもよく覚えています。このブームの頃、団塊の世代はといえば、40代後半から50歳にさしかかるころでした。給与所得者でいえば、中間管理職となって会社を支えている立場だったことでしょう。仕事も多忙で、子どもの教育費とか、家のローンなどで、可処分所得の面ではあまり潤沢な時期ではかなったかもしれません。バブル崩壊の痛手を蒙った方もいたでしょう。外飲みで高価なワインをというよりは、自宅でチリのワインなどを開ける機会が増えたのではないでしょうか。団塊ジュニアは、この時期はまだ20代前半ということで、ワインに本格的にはまるにはやや時期尚早だったかもしれません。世代で言えば、当時30代から40代にさしかかるころだった私たちの世代がまさにブームの牽引役になっていたように思います。さて、2000年代に入ると、前述のとおりインターネットの普及もあって、ワインに関する情報量はさらに圧倒的に増えました。当誌の創刊は2002年、「神の雫」の連載が始まったのが2004年。ネットショップも普及し、またこの10年間でワインの流通環境も非常によくなって、コンディションのよいワインを手軽に入手できるようになりました。90年代にワインにはまった愛好家たちにとっては、いろいろな意味でよい時代となりました。ブルゴーニュやボルドーなどの一部銘柄が手に届かない価格になってしまった一方で、30歳を越えた団塊ジュニアを中心とした層にアピールしたのか、比較的安価に楽しむことのできるナチュラルワインや国産ワインといった新たなムーブメントが起きました。一方で「団塊の世代」の愛好家は50代となって、そろそろ健康との兼ね合いを真剣に考えなければいけない時期にさしかかってきた頃合いです。我が家では、2002年に上の子、03年に下の子が生まれ、それ以降、私のワインライフは子育てとの両立が最大のテーマになり、ワインにかける費用も漸減していきました。 さて、2015年の今はどうでしょうか。団塊世代は60代後半。この世代の愛好家は、健康との兼ね合いがますます重要になって来ていることでしょう。新たなビンテージを買って寝かせるよりも、これまで収集した貴重なワインたちを、自宅で抑えめに消費してゆくようなスタイルでしょうか。その子供たち、すなわち「団塊ジュニア」世代の人たちは、40台前半となり、まさにワインシーンを支える年代となっています。国産ワインやナチュラルワインなどが息の長いムーブメントとなっている背景には、これらの世代の人たちの支持を得ていることも大きいのではと思います。彼らにとっては、ワインというのは決して「舶来のなにやら気取ったもの」ではなく、より生活に根付いた身近な飲み物であるはずだし、40代前半の彼らには、この先10年ぐらいの間はあまりペースを落とすことなくワインを飲み続ける余力があるでしょう。アベノミクスによって(私自身は懐が豊かになっているという実感はどうも伴わないのですが)日経平均はITバブル以降初めて2万円を超えました。そう考えると、当面、我が国のワイン消費は比較的堅調に推移するのではないかという期待が持てます。とはいえ、中期的に見れば決して安心することはできません。そもそも少子化が進んでいるところに加えて、若者のアルコール離れが取りざたされる昨今、20代の若者や、あるいはこれから成人する年代が、ワインと出会い、さらにそこからワインにのめりこんでいきたくなるようなきっかけがあまり無いように思います。かつては少し背伸びをしたり、仲間内で割り勘にすれば飲むことができたボルドー1級シャトーやDRC、ドメーヌ・ルロワ、それにヴォギュエやアルマン・ルソーなども今や完全に彼岸のプライスになってしまいました。新興国を中心に世界規模でワインの需要が増えている昨今、この流れが元に戻ることは考えずらく、むしろこれからも「手の届かない作り手や銘柄」は増えていくことでしょう。ワインの裾野が広がって生活に密着したものとなる一方で、憧れのワインたちが遠い存在になってしまうという状況。マーケティングの世界で私は似たような光景を目の当たりにしたことがあります。私たちが学生の頃、クルマは若者のあこがれでした。「ソアラ」や「プレリュード」「シルヴィア」など、2ドアのクーペという型式が流行していました。「ドライブ」が趣味として成り立っていた時代でした。しかし、現在、履歴書の趣味欄に「ドライブ」と書く若者がどれだけいるでしょうか。2ドア・クーペという型式は絶滅危惧種となり、代わりにミニバンやSUVなどが主流になりました。我々の生活の中において、クルマは、それそのものを趣味とするよりは、趣味を楽しむための道具という位置づけになっています。ワインについても、我々は同じような潮流の中にいるのかもしれません。高貴なワインを収集して、手元で熟成させて薀蓄を語りながら飲むことを趣味とする人たちは、今よりさらに限られたごく一部のエクスクルーシブな層となり、ワインはより日常生活に根付いた、友人たちとの語らいや食事を楽しむための一手段になる。考えて見ればそちらのほうがより成熟したワイン文化なのかもしれませんね。私自身も50歳を越えて、ワインという趣味についていろいろと考えさせられています。子育てについてはずいぶんと手がかからなくなった一方で、教育費の負担が重くなり、ワインにかけられる費用はすっかり限られています。そんなところに、近年のブルゴーニュを中心としたワイン価格の高騰は堪えます。そもそもあと何年ワインを飲み続けられる健康な体でいられるのかと自問すると、もはや新しいビンテージのグランクリュを買おうという気力は失せてしまいました。そう、最大の問題は「健康問題」なのです。年々上がり続ける血糖値やγ-GTPその他の健康指標。いかにしてこの問題と折り合いをつけながら、長くワインを飲み続けることができるか。これがこの先の私自身の最大のテーマになりそうです。
2021年05月03日
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#2007年に書いた記事です。********近所のプールで、夏の初めにヤゴすくいなるイベントがあって、子供たちがヤゴをもらってきた。私の子供時代には聞かなかったイベントだが、これには都会特有の事情がある。 都会では水辺の減少とともにトンボたちが産卯する場所がなくなってしまい、数少ない水場を求めて、学校のプールなどに産卵する。しかし夏前にプールを清掃すると、そこで生まれ育ったヤゴたちは全滅してしまう。それで1匹でも多くのトンボを救うため、学校や地域のイベントとして「ヤゴすくい」が行われるという訳だ。持ち帰ったヤゴはというと、飼育事自体はさして難しいものではないのだが、共食いの犠牲になったり、「なぜか」うまく羽化出来なかったりして、十数匹いたヤゴの中で、結局トンボになって大空に飛びたっていったのは 5匹だった。その筋に詳しい方に聞いても、初めての飼育としては上出来の部類だろうと言う。私としては「なぜか」羽化に失敗してしまった個体の「なぜ」の部分を知りたいのだが、それについては自然界の厳しさなのか、「そんなもの」らしい。さて、ワインの世界にもこうした「なぜか」がよくある。造り手、ヴインテージ、畑と、条件は満たされているのになぜか美味しくない。状態には万全を期しているはずなのになぜか劣化している。飲み頃のはずなのになぜか閉じこもっていて香りも立たない。そして私がこのとろ最も困惑しているのが、主にブルゴーニュで経験している「保存は完璧なはずなのに、思ったように熟成しない」というケ一スである。現在、我が家のストックの中でかなりの割合いを占めるのが、子どもの生まれ年である2002年と2003年のワインたちである。作柄を考慮して、2002年についてはブルゴーニュを中心に、2003年についてはブルとボルドーを半々ぐらいの割合で購入した。これらの年のボトルについては、最近アルヌーやパリソやレシュノーの村名銘柄を開けたが、いずれも熟成の入口にたったばかりという感じではあったけれども、良年にふさわしい出来映えで、美味しく飲むことができた。 問題は、これらのボトルをこの先どれ位の期間寝かせておけるかだ。子供たちの生まれ年の記念に買ったボトルたちであるから、当然、成長の区切りの年に開けてゆきたい。そうなるとグランクリュなどは、15年、20年後に飲むことも想定のうちである。 購入当時は、良年と言われた02年の、それなりの作り手のグランクリュであれば、15年~20年ぐらいは難なく熟成してくれるだろうと信じて疑っていなかった。というのも、例えば2007年の今の時点で、80年代(20年もの)のブルゴーニュのボトルはざらに入手できるし、70年代(30年もの)だって78とか76といった良年であれば結構見かけるからだ。ところが、最近私のその確信が揺らぎはじめている。というのも、我が家のストックの残りの多くを占める、90年代半ば以降のブルゴーニュを今開けてみると、何か変なのである。ワインに凝り始めてからしばらくの間、スペースの問題などで、小さなセラーしか持てなかったことや、寺田倉庫の存在を知ったのが2000年になってからだったという事情のため、我が家では90年代半ばぐらいまでのボトルは早い時期にすでにほとんど飲みつくしてしまった。ようやく、寺田倉庫に保存してある90年代後半のボトルたちが飲み頃にさしかかってきたと思い、村名クラスを中心に開けてみると、どうも思ったような熟成をしてくれていないボトルが多いのである。ざっと06年以降に飲んだものを振り返っても、期待にこたえてくれなかったボトルは下に記したように、枚挙にいとまがない。もちろんこれと同等かそれ以上の数のすばらしい熟成をとげたボトルにも出会っているのだが、ハズレの確率としては結構なものだと思う。97クロ・ド・ラ・ロッシュ(デュジャク)香り全くたたず。 -2009 98クロ・サンドニ( 〃 )香り全くたたず。98モレ・サンドニ・ブラン( 〃 )飲み頃過ぎた? 01VTの同銘柄で2003-2007 95クロ・ド・ラ・ロッシュ(ユベール・リニエ)実力発揮せず 2006-2020 96マジシャンベルタン(ルソー)実力発揮せず クロ・ド・ラ・ロッシュは2001-2007 98プイイ・フュッセ・ジュリエット・ラ・グランド (コーディエ)飲み頃過ぎた? 2001-2006 98ジュブレイシャンベルタン(クロード・デュガ)香りたたず 同年の1級でも2000-2006 00ジュブレイシャンベルタン( 〃 )香りたたず 2003-2007 99ニュイ・サンジュルジュ・オーアロー(ルロワ)異臭あり98ジュブレイシャンベルタン(ベルナール・デュガピ)異臭あり 2000-2004 00シャンボールミュジニー(ルーミエ)実力発揮せず 2003-2008 99クロヴジョ(アルヌー)酒質不安定 2004-2012 02モレ・サンドニ・キュベ・グリヴ(ポンソ)異臭02ポマール(フィリップ・パカレ)飲み頃過ぎた?02ジュブレイシャンベルタン・ベレール( 〃 )飲み頃過ぎた?97エシェゾー(E・ルジェ)実力発揮せず97モレ・サンドニ・ビシェール(ルーミエ) 実力発揮せず グランクリュクラスで-05とか-06とか97シャンボールミュジニー1er(ヴォギュエ)香りたたず アムルーズで-2007 96ヴォルネイサントノ(ルロワ)異臭、酒質不安定96ヴォーヌロマネオーマジエール(アルヌー)飲み頃過ぎた? 2000-2006 ※右の年号は、WA誌の飲み頃予想(後述)97、98のデュジャックは、同じような銘柄を開けたらすばらしかったという報告をよく耳にするので、この作り手の97,98がすべてダメだということはありえない。私が購入したボトル固有の問題だろう。クロード・デュガについては、自分で購入したボトルで熟成してよくなったというボトルに出会ったことがないのだが、ワイン会などでは、すばらしい熟成状態のデュガを経験しているので、何らかの問題なのだと思う。何らかとは何か?それは後で考察するとして、ルーミエは、同じ2000年を飲んでもよかったり悪かったりで、ボトル差が大きい生産者だなあという認識。99アルヌーは、その後飲んだ99スショなどはまだ早いぐらいだったので、コンディションの問題だろう。ただ、96の村名ヴォーヌロマネは、最早枯れ果てる寸前という味わいだった。ヴォギュエは、早すぎたのか、それともコンディション不良か、ウンともスンとも言わないボトルだった。パカレについては、正直言ってわからない。私が開けたボトルは飲み頃を過ぎつつある印象だったが、当編集部で検証したボトルは健全だったとのことだし、ネット上の他の方々の報告も、良かったという感想と私と似たような感想とが交錯している。‥とまあ、こんな感じなのだが、自分なりに大きく原因と思われるものを大別すれば、以下のような要素が大きいのではないかと思われる。A 流通(コンディション)の問題によると思われるもの結局はまたここに帰結するのか、と思われるかもしれないが、やはりこの要素が相当大きいと思わざるをえない。というのも、この時期、よく購入していた特定のショップのものが、軒並み綺麗に熟成してくれていないからだ。上に挙げた中では、デュジャックや、デュガ、一部のルーミエなどが該当する。このショップのボトル、若いうちに飲む分には、それほど大きな問題を感じなかったのだが、年数を経るうちに、若いうちに受けたキズが広がってくるということなのだろうか‥。他にも、ショップは異なるが、ルロワのヴォルネイサントノ、ユベール・リニエのクロ・ド・ラ・ロッシュなどはまず間違いなくコンディションの問題だったのだろうと思う。それにしても、10年近く後生大事に保存しておいて、開けてみるとコンディション不良、というのは、ブショネと同様、相当にヘコむものだ。→対策:コンディション管理に定評のあるショップやインポーターから購入することと、購入後の管理の徹底につきる。B ボトル差によると思われるもの この良い例が、3本同時に購入した02ポンソのキュベ・グリヴ。2本は全く以てすばらしい味わいだったのに、1本だけが、なぜか異臭が出ていた。多くのサンプルで検証したわけでないのでなんともいえないが三分の一の確率でダメボトルに当たったのでは、たまったものではない(実際はこんな確率ではないだろうが‥)。まして、1本だけ購入したグランクリュが、この何分の一かの確率にあたってしまったらと思うと‥。→対策:財布との相談になるが、本当に大事なボトルは複数本買えるものなら買っておきたい。C ヴィンテージの問題これには二つのケースがある。96年などのブルゴーニュの白ワインに散見される「Pre mature-oxidization」のように、特定のビンテージのものに、問題が起こりうるケース。もうひとつは、リリース当初良年だと騒がれたものの、年々評価が落ちている96年、評価が二転三転した93年などのように、ビンテージの評価そのものが揺らぐケース。私が購入した02年については、たぶん大丈夫だとは思うが、03年については、WA誌などが高評価を連発して、リリース時は奪い合いになったが、はたして10年後にどのような評価になっているか‥。少なくとも私の周囲のマニアの間での評価は急降下している(ように思う)。→対策:ブルゴーニュのVT評価はすぐに固まるとは思う無かれ。D 作り手の問題(SO2量など) 自然派のワインは、SO2の使用量を抑えているものが多いこともあり、コンディションには細心の注意を要する。流通過程であまり丁寧に扱われなかったボトルは、その後真っ当に熟成しなかったり、急激に落ちてしまうものもあるのかもしれない。議論の多いフィリップ・パカレについても、綺麗に熟成しているボトルが存在していることを考えると、私の開けたボトルは、おそらくそうしたケースなのだろう。→対策:自然派ワインは、扱いを熟知したショップから購入する。E 開ける時期を間違えた グランクリュなどを若いうちに空けてしまうと、真価を発揮せずもったいないとはよく言われるが、少なくともその尋常ならざるポテンシャルは理解できる。悲しくなるのは、開ける時期を後ろに外してしまう(=飲み頃を過ぎてしまう)ケースだ。ボルドーの場合、一旦熟成のピークにたどり着けば、その状態を長く高原状にキープすると言われるが、ブルの場合は、このピークが短く、落ちるときにはかなり急に落ちてしまうことが多いように思う。上に挙げた中でも、もっと早く飲んでいれば美味しく飲めたかもしれない、というものが確実に何本かありそうである。→対策:ブルゴーニュの長熟能力を過信しない。F原因不明ほとんどのボトルについての『敗因』は、今まで挙げたA~Eの中に入ると思うが、それでもやはり、原因がわからないまま結局真っ当に熟成しなかった、というボトルもある。上に挙げた中では、ルソーの96マジ・シャンベルタン、ヴォギュエの97シャンボールミュジニー、ルロワの99NSGなど。→対策:なし。冒頭のヤゴの羽化のようなものだと思って諦めるしかないのか‥。■WA誌の飲み頃予想ところで、ここで、再度注目してみたいのが、かのワイン・アドヴォケイト誌の飲み頃予想である。「パーカーさんはブルゴーニュのことをわかっていない。」「WA誌のブルの点数はあてにならない。」「熟成したブル古酒のよさを理解していない」なんて話はマニアの間でもよく聞く。ここで改めて、上に挙げた銘柄のWA誌の飲み頃予想を調べてみると、たしかに、WA誌の飲み頃予想は短めだなあと思う。(ちなみにこの時期のブルゴーニュのテイスターはパーカー氏でなくロバーニ氏)たとえば、コーディエの98プイイ・フュッセ・ジュリエット・ラ・グランド。この銘柄は、98年のブル白の中で最高得点を獲得したものだが、飲み頃については、2001-2006年と意外なほど短く予想している。98年のクロード・デュガについては、プリミエクリュでも2006年までという予想だし、96のルソーについても私が飲んだマジシャンベルタンとほぼ同格のクロ・ド・ラ・ロッシュの飲み頃予想は、2007年まで。私が長熟と信じて疑わないルーミエについても97年は、リュシュット・シャンベルタン(-06年)、シャルムシャンベルタン(-05年)という予想である。そして、これらの数字を実際に私が飲んだコーディエや、デュガのジュブレイシャンベルタン、ルーミエのモレ・サンドニ・クロ・ド・ラ・ビシェールの印象と照らし合わせてみると、妙に納得させられるものがある。また、たとえば、デュジャックの97クロ・ド・ラ・ロッシュ(デュジャク)についても、WA誌は2009年までと予想しているが、これは例えば、私が飲んだボトルのように、流通時点で丁寧に扱われなかったりして、熟成が数年分進んでしまったようなボトルであれば、すでに飲み頃を過ぎてしまっていてもおかしくない、という解釈もできるわけだ。ここでポイントとなるのは、WA誌の飲み頃予想がUS市場で流通しているボトルをテイステイングしてのものであるということ。熟成した古酒の味わいを理解していないと切り捨てるのは簡単だが、現地で熟成させるのとは同等とはいえないUSでの流通事情や保存事情等を織り込んだ上でこの数字を導き出しているとすれば、一見短めに見える飲み頃予想もそれはそれで納得がいくし、我々にとっても参考になりそうである。■ボルドーの熟成能力の再確認ところで、昨年末の話になるが、食通の方の接待で、某著名フレンチに手持ちのワインを持ち込んだことがある。何を持ち込もうか悩んだ挙句、結局家のセラーにあった94のラトゥールを選んだ。このラトゥールのボトルは多少訳ありで、実はボルドー高価なりし頃、シンガポールのショップで購入してきたものだった。日本より暑さの厳しいシンガポールでワインを購入するというのは、どうみてもセオリーから外れるが、当時は94ラトゥールといえども国内では4万円ぐらいはしたので、2万円ほどの現地プライスに惹かれて土産に買ってきたのだった。そういうことなので、ある程度、熱を浴びていることは覚悟していたが、抜栓してみると、それはそれは素晴らしい味わいで、結局このラトゥールが、06年に飲んだワインの中で、私にとってベストの1本となった。こういうボトルを飲んでしまうと、やっぱり10年以上に亘って寝かせる記念の年のワインはボルドーが無難なのかなぁ、と思ってしまう。ボルドーがプリムールやオークションなどさまざまな形で流通しえるのは、やはり、長年に亘って安定的に熟成してくれる、この頼もしさゆえのことなのだろう。冒頭にも書いたように、上の子の生まれ年の02年は、ブルの当り年ということで、ブルゴーニュばかり6ケース以上購入した(下の子はブル2ケース、ボルドー2ケース程度)。そんなに買って、子供が70歳になるまで誕生日を祝う気かという突っ込みは置いておいて、この中で 10年から15年後に、本当に美味しく飲めるボトルがいったいどれだけあるのか、となると、実はそれほどないのかもしれない。02年のボルドーはあまり注目される年ではないが、それでも、娘の大学入学祝いとか、成人祝いとか、そういった先の長いお祝い用に、ボルドーを買い足しておこうかな、と思う今日この頃である。※そうはいっても、たまに目もくらむようなすばらしい熟成を遂げたボトルに出会ってし まうから、ブルゴーニュとのつきあいはやめられないのだけど‥。 ****************上記のコラムは2007年頃のものですが、コラムを読んだ先輩愛好家の方から、「shuzさんが飲むタイミングは総じて少し早いね。」と言われました。たしかに、今では私もそう感じる部分が多々あります。村名で概ね8年前後、1級なら11〜12年前後、特級なら15~20年程度は待った方が、待ったなりの結果が得られやすいように思います。また、SO2については上で触れましたが、SO2を普通に添加している生産者においても年数が経過すればボトル内のSO2は消費されて、バリアがなくなってしまうので、できるだけリリース後間もない時期に購入した方が安全です。(逆に言うと、バックビンテージのボトルはその点で状態面のリスクを伴います。)製造方法についてもうひとつ付け加えると、個人的には「無濾過無清澄」の作りのものと多少フィルタリングをしたものとでは、長期熟成における安定感がかなり違うと思っています。#ちなみに、上で買いた「よく購入していた特定のショップ」がどこを指しているのか、今となっては自分でも覚えていません(ということにしておきます。)
2021年05月02日
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文面から察するに、2007年ごろに書いたコラムのようです。(自分でも覚えていません。笑)ブログが大流行のようである。 誰もが簡単に情報発信をすることができる、ブログといういわば簡易版ホームページの登場は、それまでなんとなく敷居の高かったホームページを開設することへのハードルを一気に引き下げた。いまやネットを見渡せば、ワイン関連のブログは星の数ほどあって、まさにブログ全盛という様相を呈している。ご存知の読者もいるかもしれないが、私はネット上で「S's Wine」というサイトを運営している。主に飲んだワインの感想を記したり、ワインにまつわる雑感などのコラムなどを書いているだけのホームページだが、サイトを開設したのが2000年の初めのことなので、あしかけ7年になる。途中更新が滞る時期もあったが、それでもなんとか続けてきた。そんな私の立場から見て、昨今のブログの普及は、実のところ、半ば嬉しくもあり、一方で半ば妬ましくもありと、いわば愛憎半ばした複雑な思いを抱いている。ということで、今回は、自分のホームページ運営の歴史?とともに、ワインサイトを運営することについての悲喜こもごもやブログについて書き連ねてみたい。 (なお、当コラムでは、自分のサイトを7年続けてきたとそこかしこで書いているが、それがことさらエライことだと思っているわけではありません。そういった部分を煙たく感じる方がいるようなら、先に申し訳ありませんと謝っておきます。)■ネットとのなれそめ、もともと私がワインサイトを作りたいと思ったのは、「ワインエキスパート」資格を受験するにあたって、関連情報をネットで検索しはじめたことから始まる。 資格を取得したのは99年だから、おおむね98年ごろの話である。当時はまだADSLや光ケーブルもなく、せいぜいISDNが最速、多くの人は、電話回線でピーヒャラヒャラと接続する「ダイアルアップ方式」でインターネットに接続していた。ワイン関連の情報を検索しても、日本語の情報は非常に乏しく、手作り感の濃いいくつかの個人サイトが存在している程度だった。この時代、私はもっぱらパソコン通信(「NiftyServe」)で酒フォーラム(FSAKE)に出入りしていた。といっても、自ら情報を発信したり発言するようなこともなく、もっぱらROM専(自ら発言せずに記事を読むだけの人)だったが、それでもワインショップだの各銘柄の素性や評判だのに関する生の情報が乏しかったこの時代、「FSAKE」で得られる情報は私にとって非常に新鮮であったし、その過去ログ(過去の発言集ファイル)は、私のPCがクラッシュして中身が消失してしまうまで、ずいぶんと長いこと、全ファイルを保管して、繰り返し読んでいた。一方、黎明期のワインサイトの中で、当時から光っていたのが、今も現役で活動されているワインサイトの大御所中の大御所、「安ワイン道場」だった。私もあのサイトのように、飲んだワインについての感想をビシバシと歯切れよく記したいという思いと、もうひとつ、「ワインエキスパート」受験時にあまりにソムリエ認定試験に関する情報が乏しかったことから、そうした情報を掲載したサイトを作りたいと切に願うようになった。■ ホームページを開設した頃の状況こうして正月休みを返上して、自分のHPを作成したのが2000年の1月のこと。(正式オープンは2月)ラッキーだったのは、たまたま当時、仕事でホームページ作りに関わったことがあり、ごくベーシックなHTML(ホームページ記述用の言語)なら扱えたこと、それまで電子手帳に書き溜めてあったワインの感想を転用することができたことだ。過去のデータを転用できたおかげで、開設当初としてはかなりボリュームのあるサイトとなった上、開設後1年ぐらいはほとんど毎日のように更新していたので、そこそこアクセスを獲得することができた。時期を前後して新しく立ち上がったワインサイトがいくつかあり、いつしかそうしたサイトのオーナーの方と横のつながりができて、オフ会などで会ったりするうちに、交友関係の輪が広がっていった。当時の更新の仕方はといえば、とにかく頻繁に更新することを第一義としていたので、毎日のように違うワインを飲み、律儀にメモをとって、飲んだワインの感想をすぐに掲載するという繰り返しだった。ワイン会で十本以上飲んだときも、翌日には必ずアップするようにしていたので、ワイン会の参加者からは半分感謝されつつ、半分は奇異の目で見られていたと思う。また、時としてHPを更新しなきゃいけないという脅迫観念に駆られて、夜中に突然ワインを開けたりとか、前日飲んでまだ半分以上残っているボトルの中身を惜しげもなく捨てて、新しいボトルを抜栓したりとか、今にして思えば、ワインを楽しむためにHPを更新しているのか、HPを更新するためにワインを飲んでいるのかわからないような時期もあった。■当時の典型的なワインサイト この時期のワインサイトの多くは今はすでに活動を止めてしまっているが、大抵、自分が飲んだワインについての感想のコーナーがあって、レストランやショップへの訪問記とか旅行記とかノウハウ集とかといった読み物のコーナーがあって、あとは「掲示板」があるというスタイルが多かったように思う。こうしたホームページへの来訪者が、掲示板上に挨拶や感想を書き込んだところから、サイトのオーナーとの交流が始まる。だんだん書き込みが増えてくると、今度は来訪者同士の交流が始まって、やがて常連のメンバーが出来始め、いつしか彼らを中心にした交流の輪が出来上がる。この当時の主だったワインサイトにはたいていこうした常連のグループを軸とした緩いつながりのコミュニティができていて、それらのメンバーはワインサイトによってかなりダブっていたり、あるいは全く異なるメンバーだったりして、それがまた面白かった。「Bad Vintage Club」や「CWFC(カリフォルニアワインのファンクラブ)」のような大規模なコミュニティサイトが活動を始めたのも概ねこの頃だったように思う。もうひとつ、この時期の特徴として挙げられるのは、ワインサイトに集う人たちにかなり偏りがあった(と思われる)ことだ。ワインサイトを持つことに対するハードルが今よりも高かったとか、そもそもネット自体が今ほど生活に密着していなかったとか、そういうことに因るのだろう。当時私がお会いしたワインサイト関係者は、圧倒的に理数系かIT系の方が多かった。すなわち、当時は『ネット上でアクティブに活動している愛好家=世の中の愛好家の縮図』では到底なかった。小学校のころ習った「ベン図」でいえば、ワイン愛好家の層と、インターネットを活用している層とがまだあまり重なりあっていなかった時代だったといえる。(そういえば、ホームページにアクセスしてくる時間も、夜間や週末よりも平日の勤務中と思われる時間の方が圧倒的に多かった。)■サイト運営者が直面する悩み しかし、HPを開設してしばらく経つと、ワインサイトのオーナーの多くは二つの大きな問題に直面することになる。ひとつは、モチベーションをキープしつづけることの困難さ。もうひとつは掲示板などのコミュニティの管理の煩雑さである。モチベーションをキープすることの難しさには、二つの側面がある。ひとつはワインサイトを続けていても、労苦のわりになんら実利を得られないという不毛感。 大体2~3年もすると、サイトオープン時のモチベーションは消え失せ、最初のうちは励みになっていた自サイトへのアクセス数もいつしかどうでもよくなって、サイトを続けることになんのメリットがあるのかというドライな気持ちになる。もうひとつは、矛盾するようであるが、目的を達してしまうことによる喪失感である。ワインサイトのオーナーに、『ホームページを持ってよかったことは?』と問えば、おそらく10人が10人、『ネットを通じて新たに知り合いが出来、コミュニケーションの輪が広がったこと』と答えるだろう。そう、それはそのとおりなのだが、ある時期を過ぎると、新たに仲間を作りだすことよりも、すでに知り合いになった仲間とのコミュニケーションが主体になってくる。ワイン仲間を増やす、という目的がすでに達せられてしまった以上、興味の対象は、ネット上の活動よりも現実世界のつきあいへとシフトしがちになる。加えて、人間いつもいつも適度な余暇と余裕があるとは限らない。仕事が殺人的に忙しい時期もあるだろうし、プライベートで人生の節目となるような時期もあるだろう。2年3年と続けるうちに、このようなライフステージの大きなうねりに飲み込まれて、継続を断念せざるをえなかったサイトも数多くあったように思う。それに追い討ちをかけたのが、「掲示板」の問題である。掲示板というのは、サイトのオーナーにとってはまさに諸刃の刃で、読者や来訪者との交流ができるという大きなメリットがある反面、発言の管理という責任がつきまとう。うまく回っているうちはいいが、ひとたび議論がヒートアップすると、半ば罵り合いになって収拾がつかなくなったり、サイトオーナー自身を誹謗中傷するような悪意の書き込みが増えたり、あるいはフィッシング系サイトへのリンクとか怪しげなサイトの宣伝とかが連続投稿されたりと、大いに管理者を疲弊させる。 実のところ、第三者から見れば大したことのないような誹謗中傷の書き込みも、当事者であるオーナーにとっては、結構コタえるものである。では、書き込みが少なければいいのかというと、それはそれで、ホームページ全体に閑古鳥が鳴いているかのようで情けない。私の場合、サイト開設2~3年後を境に、子供が生まれたり、職場が異動になったりと、身の回りが多忙になり、お決まりのようにサイト継続の意欲が大幅に落ちた。日々の更新だけはすっかり習慣化していたおかげで、なんとか続けてきたが、掲示板に関しては、こらえきれなくなって、ある時期を境に、やめてしまった。それと時期を前後して、掲示板を閉鎖したホームページのオーナーの方が何人かいらっしゃったようだが、たぶん彼らも同じような悩みをお持ちだったのだと思う。そもそもワインサイトを続けていくことの難しさに、対象がワインという『酒』だということがある。ワインを飲んでいるときは当然酔っ払っているわけで、そんな状態で飲んだワインの味わいをメモしたり、あるいは文章にして残せるほどきっちり覚えておくのって結構パワーがいることなのだ。今でもネット上を彷徨っていると、「最終更新日:1999年○月○日」なんていうような、タイムマシンにでも放り込まれたかのような過去のサイトの残骸に多く出くわすが、それらもきっとこうしたプロセスを経てのことなんだと思うと、そのサイトの主を責めるよりは、ひとことご苦労様と言いたくもなる。■ブログとSNSの台頭こうして、新しいサイトがポツポツと出来ては消えるという状況がしばらく続いていたが、それがこの1~2年の間で大きく様変わりした。表題のとおり、ブログの圧倒的な普及である。ブログとは、冒頭でも書いたが、ひとことでいえば簡易ホームページのこと。あらかじめレイアウトのフォーマット集が用意されているので、ユーザーは簡単に自分のサイトを持つことができて、掲示板に書き込むような感覚で気軽に情報を更新することができる。自分なりにいろいろカスタマイズすることもできるし、そこそこの検索性も備えているので、そサイト構築や管理の煩雑さや、更新のたびにFTPを利用しなければならない面倒くささとも無縁である。もちろん、より本格的なポータルサイトのようなものを作ろうと思えば、ホームページ作成ソフトを用いて一からサイトを構築する方が自由度も高く、応用が利くが、少なくとも飲んだワインの感想を整理したり、ちょっとした日記やコラムをつづるぐらいならブログで十分だし、カテゴリー分けを工夫すれば、データベース的なサイトにもなりえる。実際、私のサイト「S'sWine」でやっていることはすべてブログ上でできてしまう。さらに、ブログの場合、新しい記事が書き込まれれば、読者にもすぐわかるような設定にできる(RSSリーダー)し、携帯電話から閲覧してもきちんとそれ用にレイウアウトされて表示される。こうした点は既存の多くのホームページにもない機能である。とまあ、このようなわけだから、ブログが隆盛しなわけがない。とくにワインの場合、前述のように、ネット上で活動する層とワイン愛好家のマスの層に大きなズレがあったが、それが、ブログの普及によってかなり重なってきたのではないかと思う。今やワイン関連のブログはそれこそ星の数ほどあるし、その中にはスケールの面でも経験や知識の面でも、私など及びもつかないような方々も多くいる。今思えば、こうした方々は、私がそれまでホームページ上でエラソーなことを書いてるのを読んで、「この程度で何を偉そうに‥」と鼻で笑っていたんだろうなあと想像すると、こちらも赤面したくなる思いである。もうひとつ、大きなトピックは「mixi」(ミクシィ)に代表されるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の台頭だろう。SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)をひとことで説明するのは難しいが、人と人のつながりを重視する、会員制の総合コミュニティサービスのようなもの。 例えば日本におけるSNSの代表的なサービスである「mixi」の会員になるには、既会員による紹介が必要だ。会員になれば、ミクシィ上で日記を書くこともできるし、さまざまな「コミュニティ」に参加することができる。あくまで紹介により入会してきた会員だけの閉じた世界であるから、無秩序なインターネットの大海の中にいるのに比べれば、いろいろな意味でリスクが減少する。たとえば、ワイン仲間を集いたい場合、あるいは、ワイン会を通じて知り合いになった仲間同士が連絡を取り合う場合など、あえて第三者に筒抜けになる一般の掲示板を利用する必然性はないわけで、これらはSNSの中でコミュニティを作って活動することにすればすべて解決してしまう。そういう意味で、ワインサークルなどの活動とSNSは極めて親和性が高いと思う。 現時点ではあまねく普及しているとはいいずらいし、まだまだ発展途上という感もあるが、いずれワイン関連の多くのコミュニティがmixiを初めとするSNSを活動の拠点に据えることになりそうな気がする。■若干気になる点も‥このように、今、ワインにおけるネットのトレンドは、個人の手作りサイトから、ブログやSNSへと大きくシフトしているように思う。ただ、気になる点もある。ブログはたしかに便利だが、運営母体がそれぞれ囲い込みに走っているようで、たとえば某大手ショッピングモールが運営するブログは、同じ運営者のブログ同士なら、コメントを書き込めば自動的にリンクが張られる仕組みになっているが、それ以外の来訪者に対しては、URLの記入欄すらない。こういうのは、インターネットの精神に鑑みた場合、如何なものかと思う。また、アフィリエートの仕組みなどもずいぶん露骨だよなあと思ったりもする。まあ、これほどの仕組みを無料で提供しているわけだから、それなりのメリットを目指すのは企業としては至極当然なことではあるけれども‥。さらに老婆心かもしれないが、ブログは始めるのが簡単な分、継続についてはあまり深く考えずに始める人も多いのではないか。たしかにブログは一般のホームページに比べればずっと更新の作業が楽だけれども、モチベーションの維持という本質的な問題に関しては新しい側面はほとんどない。数年後にネットを検索すると、1年以上も更新されていないワインブログの廃墟ばかりがヒットする、という寒い事態が今から想像できてしまう。また、個人の日記の延長のような感覚でブログを始める人もいるとは思うが、一般に公開する以上は、例えば著作権や肖像権、商標権などに関して免罪されるものではない。たとえば、テレビのOA画面をキャプチャーした画像などを使用することは明確に違法であるし、気軽に撮ったワイン会の写真をアップしたりすると、場合によってはトラブルのもとになりかねない。そうした部分の最低限のマナーや知識は知っておいたほうがいいだろう。■最後に正直、私は最近のブログの隆盛を、ある種の嫉妬心を以って眺めている。今まで7年間、苦労してきたHPの更新が、ずっと簡単にできてしまうというのもあるし、ネット上のワインに関する情報が激増して、自分のサイトの相対的な埋没感は免れないということもある。とはいえ、私は自ら情報発信をしているのと同じくらい、いやそれ以上に熱心な読者でもある。読者の立場でみれば、日々巡回するサイトの数が圧倒的に増えたのは嬉しい限りだし、これほど毎日多くのビビッドなワインの情報に囲まれて生活する日がくるとは、自分がHPを始めた当初には想像できなかった。ということで、最後にこれからブログを立ち上げようと考えている人にひとつアドバイス。ワインブログといっても、プライバシーを詮索されない程度に、日常のこともさりげなく記しておくとあとあと役に立つ。私のサイトにはそれほど日常のことは書き残していないが、それでもたとえば、5年前になにがあったか、ワインの記録をみれば、ああ、これは実家に子供をつれて泊まったときに飲んだワインだなとか、仕事が一段落して記念に飲んだワインだとか、いろいろな附帯状況が鮮明に思い出されるし、会食時に飲んだワインの銘柄を覚えておけば、それが一体いつのことか、日にちをたどることもできる。たとえば、徳丸編集長と初めて飲んだときのワインはエマニュエル・ルジェのヴォーヌロマネで、それは2001年6月13日だとか。これだけでも、ホームページを続けてきた甲斐があろうというものだ。
2021年05月01日
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歯抜けになりましたが、表題のとおり最終回の原稿です。文中に「期間中に二児の親になった」と書いていますが、今やその子どもたちは、大学生と高校生。なんともうすぐワインを飲める年齢です!しかしながら、子どもと飲み交わせるようになるころには、親の私のほうがあまり飲めなくなってしまっているのだから皮肉なものです。(笑)********************創刊号より11回続いた当連載もついに最終回である。検証の開始から数えて足掛け3年、実験に用いたワインは、ボルドー、ブルゴーニュあわせて合計2ケース。2002年8月に創刊号が発売された時点では、ようやく寝返りがうてるようになったばかりだった子供が、いつしか幼稚園児となり、さらには次男も生まれ、私も気がつけば二児の親である。そう考えると3年というのは短いようで長いものだなあと改めて思う。ワインにとっての3年という歳月も同様である。何十年も熟成しつづけるワインは、世に流通している多くのワインたちの数からすればごくレアケースで、多くのワインは3年も手元に置いておけば、その風味も異なったものになる。まして、それがセラーのない環境であれば‥。もともと、「セラーのない環境でワインを1~2年程度、もしくはひと夏程度保存するにはどのような保存方法がよいのか?」「従来から言われてきた『北向きの押入れに保存』は正しいのか」といった疑問を出発点にした当連載であったが、これらのテーマについては、前号まででおおよその結論は導き出せた。ということで、以下、簡単に今までの号の内容を振り返ってみたい。<創刊号>問題提起、検証の全体計画とスケジュール紹介。 <2号>冷蔵庫とエアコンのない常温下でひと夏保存したボトルの検証。→冷蔵庫に保存したものは野菜室、通常室ともセラー保存にほとんど遜色のないレベル。 対して常温保存のボトルは部屋の温度が最高36度まで上がったこともあり、ひと夏経過 しただけなのに、激しく痛んでいた。 <3号>1年間「ずっとリビングに保存」「夏場冷蔵庫に保存+それ以外はリビングに保存」していたボトルたちの検証 →ずっとリビングに保存していたものはそれなりの変化が出ていたが、十分美味しく飲 めるレベルだった。夏場冷蔵に保存したものはされに良好で、セラー保存のボトルに比べてもわずかな変化が見られただけだった。 <4号>1年弱冷蔵庫に入れっぱなしだったボトルとセラーに立てて保存したボトル →冷蔵庫に入れっぱなしのボトルはセラー保存のボトルとの違いもわずかで良好な状 態。立てて保存したボトルは、ボトルのコンディションの問題か、やや回答がバラけたので評価保留とした。 <5号>常温でふた夏越したボトルとリビングでふた夏越したボトル。 →どちらも変化は大。常温のボトルは果実味が抜けてすっかりフラットになっていた。 リビング保存のボトルも熟成感が出て、セラー保存とは別物になっていたが、こちらはそれなりに美味しく飲むことができた。 <6号>それまでのおさらい。 <7号>立てて保存したものと寝かせて保存したボトルの1年後を再度検証。 →違いがないとはいえなかったが、その違いはボトル差なのか、保存の仕方が原因なの かわからないレベルだった。 <8号>3年間常温で保存したボトルと、2年間「夏場冷蔵庫+それ以外はリビング」で保存したボトル。 →3年間常温保存したボトルは、すっかり干からびた味わいになっていた。「夏場冷蔵庫+それ以外はリビング」のボトルもセラー保存のものとはかなり違いが見られたが、こなれた味わいでそれなりに美味しく飲めるという人もいた。このことから、やはりセラーを使わない保存はいいところ2年程度が限界ではないかと結論づけた。 <9号>今までの検証結果について、徳丸編集長との対談。 <10号>2年間ずっと冷蔵庫で保存したボトルを検証。 →セラーに保存したものとあまり差がない状態をキープ。いろいろな言われかたをする冷蔵庫だが、1~2年以内の保存であればよほどの極端な環境下でない限り全く問題ないだろう、と結論づけた。以上の結果を要約すると‥、 1.昔から言われている『北向きの押入れに保存』というのは、現代の密閉度の向上した現代の家屋事情や地球温暖化による夏場の高温を考えると、一般化しずらいものがある。 2.ではどうすればよいのか、ということだが、単純に状態をキープすることで言えば、冷蔵庫に入れっぱなしにしておくのがベスト。しかし、通常一般家庭で、年単位で冷蔵にワインを入れっぱなしにしておくわけにもいかないだろうから、より現実的な方法として、『通常はリビングに保存し、夏場は冷蔵庫に緊急避難』させるのがよいだろう。 3.いずれにしても、セラーのない環境で、ワインを保存するのは、よくいって2年、できればひと夏程度に留めたほうがいいだろう。ということかと思う。さて、最終回にあたる今回は、「セラーで寝かせて保存したボトルと立てて保存したボトル」の3年後の違いを検証したい。ここで今一度、「立てて保存vs寝かせて保存」論争のおさらいをしてみよう。 ~一般的に「ワインは寝かせて保存したようがよい」といわれている。その根拠となるのは、液面とコルクが常に触れていることにより、コルクが湿った状態を維持できること、その結果、コルクが乾燥して縮むことがなく、長年に亘って空気の侵入を防ぐことが出来るということだと思う。 ~しかし、これについては異論も多く、立てて保存しても問題ないという識者の意見も少なくない。 ~たとえば、ワインボトル上部のコルクと液面との隙間(ヘッドスペース)は、常に湿度90%以上の状態となっているから、よほど極端な環境でない限り、立てて保存してもコルクが乾ききってしまうということはない、という説は説得力があるように思える。 ~米国のワインジャーナリストであるマット・クレイマー氏も、その著書「ワインがわかる」の中で、横に寝かせることの必要性に疑問を唱え、その論拠として、 1. ハンガリーのトカイ・エッセンシアやバローロやバルバレスコの多くは伝統的に立てて貯蔵されてきた。 2. 英国のロング・アシュトン研究所の研究によれば、2年経過した後ですら、立てて保存したボトルが抜栓時に骨が折れる以外は目に付く差異を感じないという結論だった。ということを挙げている。このテーマについては、前述のとおり、当連載でも4号(1年後の検証)と7号(2年後の検証)でそれぞれ検証したが、4号では評価保留、7号でもややボトル差と思しき違いが見られる、など、すっきりしない結果に終わっている。今回検証するボトルは、セラーで3年、それぞれ立てて保存したものと寝かせて保存したものである。最終回ということもあり、白黒はっきりさせたいところである。<検証のあらまし> ~当日参加したテイスターは徳丸編集長と編集部2名、それに私の4名。 ~セラーの中で3年寝かせておいたものと立てておいたものを比較。また、今回は、最後の検証ということで、参加者たちがみな残されたテーマが何かを知っていたので、あえて隠しだてせずに、ボトルの素性をオープンにして検証を行なった。 ~用いた銘柄はいつもの通りミシェルグロの99ニュイサンジュルジュ(村名)と99Ch.タルボ。<結果> ~3年間立てて保存したボトルは、寝かせて保存したボトルと比べて‥ 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないない ブルゴーニュ ● ●●●ボルドー ●●●●さすがに3年経過しただけあって、ブルゴーニュ(99ニュイサンジュルジュ)の方はほどよく熟成感が出始めていて、素直に美味しいと言える味わいになっていた。ボルドー(99タルボ)についても、オーキーな香りがだいぶ後退して、まだまだ強いタンニンを残しながらも、早すぎるということはなく、若飲みスタイルの人であれば楽しめそうな味わいになっていた。 肝心な立てたボトルと寝かせたボトルとの違いについては、4人中3人は違いはないと答えたが、1名はわずかにある、と答えたように、やや微妙な結果となった。全く違いがないか、と言われると、わずかに違いがあったような気もするのだが、私自身は、これをボトル差だろうと解釈して「ない」と回答した。というのも、通常言われているように、ボトルを立てて保存した結果、「コルクが乾燥して、生じた隙間から空気が入る」のであれば、想定される変化は「酸化」であり、テイスティングすれば、大なり小なり、我々がよく経験している酸化のニュアンスを示すはずだが、今回検証したボトルには、そうしたニュアンスは全く見られなかったからだ。ということはすなわち、(ボトル差に起因する味わいの差はあったとしても)ボトルを立てて保存したことに起因する変化はなかったと判断してよいのではなかろうか、というのが当日検証に立ち会ったテイスターたちの結論である。また、抜栓したコルクを改めて確認してみると、3年間立てっぱなしにしておいたボトルにおいても、コルクの下部はしっかりと湿っていた。これは私たちにとってもやや意外だったのだが、やはり保存する場所が十分に湿度が高い環境であれば、コルクがそう簡単に乾ききってしまうものではないらしい。ところで、このテーマに関しては、今回の検証結果を待つまでもなく、前述の通り、著名ジャーナリストやソムリエの方などが「立てて保存しても大丈夫だ」と明言している。にも関わらず、私の周囲を見回しても、相変わらず、横にしたほうがよい、と頑強に言い張る人が多いのは不思議である。なぜだろうか、と思うに、そもそも立てて保存する、というのは、今回我々が行なったように、セラー内のようなワインにとって最適な環境下で立てて保存するケースは極めてまれで、「立てて保存」=押入れや茶箪笥など、温度管理されていないところに置かれることが多いからではないかと思う。高温や光、極端な乾燥など、他の原因による劣化を、「立てて保存したのがいけなかった」と思い違いをしている人が多いのではあるまいか。まあ、これはあくまで私の想像なのだけれど‥。もうひとつ、百貨店などの陳列棚で、「あそこの店は立てて保存しているからよくない」「ワインをわかっていない」と揶揄されることがあるが、今回の結果からすれば、実際は、まず問題にならないと「安全宣言」してもよさそうだし、店側もそれを経験的にわかっていて立てて保存しているのだろうと好意的に解釈してもよいと思う。長くなったが、これで当連載も終了である。 創刊号の冒頭で、私は自分の家の茶箪笥に6年もの間置き去りになっていたシャルドネがすばらしい熟成を遂げていたことについて、「バッカスの悪戯だったのかも‥」と書いた。連載を終えた今、改めて振り返ってみると、あのときのボトルの状態は、我々が検証したもので言うところの「リビング保存」の上出来な部類だったのだろうと解釈できる。セラーで保存したものと比べれば別物となっていたはずだが、促成栽培よろしく熟成が進み、一方で果実味が枯れ果てていなかったので、それなりに楽しめた、ということなのだろう。長期の保存にも関わらず、比較的状態がよかったのは、夏場終日、滅多にエアコンを切らない環境下にあったことが大きな要因だと考えられるが、そもそも出自が現地からのハンドキャリーだったり、アルコール度が高くボディがしっかりした銘柄だったということも好ましい方向に寄与したのかもしれない。しかし、こうしたケースは例外中の例外なのは言うまでもない。わが国の夏場の気候を思うと、偶然の産物としてすばらしい熟成を遂げたワインに遭遇するということはほとんどありえない、ワインを美味しく飲もうと思ったら、それなりのケアをしてやらないといけない、ということを、何度も痛感させられた当連載であった。もっともバッカスの悪戯はなかったが、ご加護はあった。それは、3年間で2ケースという本数を抜栓したにも関わらず、一本もブショネに出くわさなかった、というありがたい事実である。(05.8.19)**************後日談:「居間に長年放置していたワイン」といえば、上で少し触れた「茶箪笥に6年放置していたオーストラリアのシャルドネ」のあと、「義父宅の台所に長年眠っていたギガルのコートロティ(ネゴシアンもの)」と「購入したこと自体を失念して常温放置していたやまやの3千円程度のバローロ」を飲む機会がありました。どちらも5年前後の放置ボトルでした。ギガルは熟成した素晴らしい香味になっていましたが、バローロの方はギスギスで飲めないような味でした。とはいえ、ダメだったバローロにしても、香りは素晴らしいものでした。今から思うと、最初に飲んだ豪物のシャルドネも、味わいは実は結構劣化していたのではないかと思います(当時の私ではそれを劣化と判別できなかった)が、香りのすばらしさがそれをカバーしていたのではないかと思います。温度変化とは別に、「極力動かさないこと」の大切さを感じたものです。…などと書いているうちに、またワインの保存について、少し書きたくなってきました。機会があれば、あらためてコラムをアップしたいと思います。
2021年04月27日
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#8と#9の原稿がなぜか途中で切れてしまっているので、2回分飛ばして10回目のものを掲載します。ここまで来たら、間を飛ばしてもさして影響はないように思います(笑)創刊号以来、連載をつづけてきた「ワインの保存」の検証も終了に向けていよいよラストスパートである。「一般家庭で、セラーのない環境でワインを1~2年保存することは可能だろうか?可能だとしたら、どのような方法がベストなのか?」というテーマで連載を続けてきたが、この疑問への答えは、8号の記事の時点で概ね見えたといってよいだろう。 簡単におさらいしてみると、ポイントは大きく以下のような点に集約される。1. よく言われる、「北向きの押入れに保存」という方法は、密閉度が格段に向上した現代の家屋事情や、地球温暖化の影響により東京地区でも普通に35度を超えるようになった夏場の気温を考えると、相当にリスキーであるといわざるをえない。ロケーション次第で、確かに夏場でも30度以下に収まる部屋もあるかもしれないが、検証に利用した編集部の一室などは、室温が35度を超えていた。 2. それよりは、長時間エアコンで温度管理された部屋(=たいていの場合、リビングに相当)に置いておく方が結果は良好だろう。ただし、リビングだと、夜間はエアコンを切ってしまう場合が多いし、日中の温度管理も概ね24~26度と、ワインを保存するにはやや高めである。実際に検証した結果はといえば、1年程度であれば十分持ちこたえていたが、2年以上は変化が顕著になってしまってかなりツライ(3年は論外)というところだった。 3. では、ワインへの影響がもっとも大きい夏場のみ冷蔵庫に避難させたらどうだろうか。6月から10月の期間中冷蔵庫で保存したボトルは、ずっとリビングに保存していたボトルに比べると、その違いは顕著で、ひと夏経過時点では、良好な状態を保っていたし、ふた夏経過後になると、さすがに変化は大きくなったものの、単体で愉しむ分には十分許せるレベルに収まっていた。ということで、セラーなしでワインを保存する場合は、1年(頑張って2年)程度なら、『夏場冷蔵庫に避難させておき、それ以外の季節は温度管理されたリビングなどに保存しておく』ことによって、変質や劣化をなんとか最小限にキープできそうだというのが、当連載によって導かれたおおよその結論である。ところが、ここで別の疑問がわいてくる。それは、「本当に冷蔵庫を利用して大丈夫なのか?」ということだ。 冷蔵庫は、コンプレッサーの振動がよくないとか、他の食品の臭いがうつるとか、温度が低すぎるとか、湿度が低くコルクが乾燥するとか、扉の開閉による温度変化や振動がよくないとか、さまざまな理由でワインの保存には向かないと論じられがちだ。しかし、1~2年、もしくはひと夏程度の期間の保存でそれらがどれほど影響を与えるものなのだろうか?その疑問に答えるために、約1年間ずっと冷蔵庫に入れっぱなしにしたボトルをセラー保存のボトルと比較検証した結果が以下の表である。 <1年経過後の冷蔵庫保存とセラー保存との比較テイスティング> 冷蔵庫(通常室) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないない ブルゴーニュ ●●●●●●ボルドー ●●●●●●冷蔵庫(野菜室) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないない ブルゴーニュ ●●●●●●ボルドー● ●●●●● ※ ●は、基準グラスより良好と回答したケース集計結果をみるとややバラつきがあるようにも思えるが、これは同時に検証したアイテムなどの影響もあってのこと。それまで検証してきたいくつかのテーマの中でも、セラーに保存していたボトルにもっとも近い状態だったのが、この「通年ずっと冷蔵庫に保存していたボトル」だった。これはすなわち、「少なくとも」1年程度の保存においては、庫内の臭いが移っていたとか、乾燥してコルクが縮んでいたとか、あるいは低温とか振動とかいったよく言われる冷蔵庫のネガティブな影響が顕在化しなかったことを意味する。また、冷蔵庫については毎回通常のスペース(以下「通常室」)と「野菜室」とを比較してきた。理屈の上では湿度が高めにコントロールされている野菜室の方が良好な結果になるはずだが、このテーマを含めて野菜室と通常室で顕著な差が見られたことは今までのところほぼゼロだった。■今回は「冷蔵庫保存」の2年後。ということで、最終回の検証にあたる今回は、「冷蔵庫の野菜室および通常室で2年間(正確には2年2ヶ月)保存していたボトルとセラーに保存していたボトルの違い」を検証してみた。 前述のとおり、1年保存した時点での検証で、冷蔵庫が有効であることはある程度見えた。しかし、世のマニアの冷蔵庫アレルギーはなかなかのもので、私の周囲の友人からも、「冷蔵庫に入れっぱなしにしておいたら、臭いがうつった。」「乾燥でコルクが縮み、そこから空気が入って劣化する」「1年程度ではそれが顕在化しなかっただけだ。」という意見が根強くあった。それならば、ということで、今回は2年間(正確には2年2ヶ月)、冷蔵庫に入れっぱなしにしておいたボトルをセラー保存のボトルと徹底的に比較してみることにしたのだ。 実験に用いた銘柄は前回までと同様、ボルドーの代表としてシャトー・タルボ '99、ブルゴーニュの代表としてニュイ・サン・ジュルジュ '99(ミシェル・グロ)。輸入元はラックコーポレーション、購入店は東急吉祥寺店。テイスティング方法は今までと同様、INAOのテイスティンググラスにセラー保存(基準ボトル)、冷蔵庫の通常室、冷蔵庫野菜室の3種類を並べ、1番目のグラスを基準グラスとして、2番目以降のグラスの違いを見ていった。テイスティングは、ブルゴーニュ、ボルドーの順で、それぞれについて抜栓直後と30分後の2回ずつ行った。 参加者は私と徳丸編集長、それに編集部の二人を加えた4名。なお、冷蔵庫は、編集部員宅の通常の3ドアのものを使用させていただいた。以前、庫内の温度と湿度を計ってもらったところ、以下の通りだった。 温度(平均) 湿度(平均)通常室 5-6度 50% 野菜室 8-9度 70%■テイスティング結果 <1年経過後の冷蔵庫保存とセラー保存との比較テイスティング> 冷蔵庫(通常室) 違いがある /わずかに違いがある/ わずかにあるが気にするレベルでない /ない ブルゴーニュ --/ ●/ ●/ ●● ボルドー --/--/ ●●●/ ●冷蔵庫(野菜室) 違いがある/ わずかに違いがある/ わずかにあるが気にするレベルでない /ない ブルゴーニュ -- /●/ ●●/ ●ボルドー --/-- / ●●● /● 1年目の検証結果から、ある程度予想されたことだが、やはり通年冷蔵庫で保存したボトルは、リビングや常温環境のものとは比べ物にならないほど良好な状態を保っていた。おそらく、この検証のように、厳密にセラー保存のものと比較しない限りは、これらのボトルがそれとはわからなかっただろう。テイスターたちのコメントも概ね以下のようなもので一致していた。・酸のキレがよい。(ブルゴーニュ)・セラーのものより熟成が遅く感じる。(全般)・ピュアな味わいでフレッシュ感がある。(全般)・香りが少し弱い。(全般)・ややヒネ香が感じられる。(通常室のブルゴーニュ)・苦味や木質っぽいフレーバーが基本ワインより目立つ。(ボルドー)・セラー保存と比べると、ややテクスチャーが毛羽立った感じがある。(全般)なお、この中で通常室のブルゴーニュだけは、ややヒネたニュアンスが感じられ、それに敏感に反応して「違いがある」と指摘したテイスターもいたが、他のボトルの状態などから考えるに、これは冷蔵庫保存による影響ではなくて、おそらく個体差だと思う。さて、今回の試飲で特徴的だった点をまとめると、1. セラー保存との違いは、まさに「わずかにあるが気にするレベルでない」というもの。その違いにしても、温度の低さに起因すると思われる熟成の遅さ、それによる果実のフレッシュ感やタンニンのしっかり感などの必ずしもネガティブでない項目を指摘する人が多かった。 2. 最大の興味の対象であった、「冷蔵庫内の環境に起因する顕著な変化や劣化」は、ほぼ見られなかったといってよい。あえて挙げると、庫内の振動の影響によるものか、ややテクスチャーが毛羽立ったような感がなきにしもあらずだったが、それにしてもセラー保存のボトルと一生懸命利き分けた時の印象で、単体で飲んだとしたら、指摘されることはなかったと思われる。もちろん他の食品や庫内の臭いがうつっていることはなかったし、コルクが硬くなっていることもなかった。 3. 野菜室と通常室の違いについては、理屈の上では、野菜室の方が良好な結果になるはずだが、今回も今までと同様、違いといえるほどの違いは見られなかった。おそらく2年程度の期間では、1~2度程度の温度差や20%程度の湿度差は問題にならないということなのだろう。このように、冷蔵庫にとっては、まさに「名誉挽回」となった今回の検証であるが、改めて考えてみれば、今回の検証で利用した野菜室の温度(8-9度)と湿度(70%)は、セラーを低めに温度設定した場合とほとんど変わらないわけで、きちんと温度管理されているということが、ワインの保存にとってどれだけ重要なファクターかを改めて痛感させられた。もちろん、継続的な振動や頻繁なドアの開け閉め、他の食品や庫内の臭いなどのリスクは、今回の検証だけでは払拭されたとはいえないし、各家庭の冷蔵庫の性能や使われ方も千差万別なので、この検証結果をもって、冷蔵庫がワインセラー代わりになり得るというような大胆な結論を導くつもりはない。しかし、2年以上の保存でも良好な状態を保っていたことを思えば、少なくとも当連載の想定である、「夏場の緊急避難」というような用途には、あまり気を揉まずに利用してもよさそうである。■「通年冷蔵庫」が実はベスト?ここまで読んで、以下のような疑問を持つ読者もいるだろう。「当誌では『夏場冷蔵庫+それ以外の季節はリビング』がセラーのない環境でもっとも望ましい保存方法だと主張してきたが、今回の検証結果から結論づけるのならば、『通年冷蔵庫に保存』しておくことこそがベストの保存方法ではなかろうか?」そう、たしかにその可能性は高そうだ。しかし、言い切るためには、冷蔵庫のリスクについて、もっといろいろな環境下で検証することが必要だろう。たとえば、極端に臭いの強いものを隣に置いた場合とか、旧式の冷蔵庫で保存しておいた場合とか、今回よりももっと長期間保存しておいた場合とか‥。もうひとつ、世間一般の視点でみたとき、ワインのボトルが年単位で冷蔵庫のスペースを占拠する状況を是とするかどうかは、世の主婦たちを敵に回しそうで、悩ましいものがある。あくまで「セラーがない日常環境」での保存をテーマにした当連載であるから、あまり非日常的な状況をイチオシとするのは本末転倒というもので、冷蔵庫については、あくまで夏場の「緊急避難」的な用途にとどめるのが家庭円満のためにも賢い使い方だろう。■最後に。 今回の「通年冷蔵庫」保存こそ例外だったが、今までの検証結果で総じていえることは、わが国の環境でセラーなしでワインを保存するのは、どのような方法を採るにしても、せいぜい1~2年が限度だということだろう。この連載を始めたのは、2003年のこと。最近では6本入りなどの小型セラーや中国製の安価なセラーなどがポピュラーになり、セラー購入に対するハードルも低くなってきた。また、レンタルセラーの世界でも、自分のセラーのように柔軟に利用できる、より便利な商品が出てきた。長期に亘ってワインを保存しなければならない場合は、このような新たな選択肢も勘案して、総合的に判断した方がよいだろう。
2021年04月24日
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コラム#6はそれまでのおさらいとまとめなので、割愛します。■いや、それにしても今年の夏は暑い‥この原稿を書いている8月中旬、日本はまさしく猛暑にさらされている。ようやく連続真夏日が40日で途絶えたとのニュースが流れたが、東京では観測史上最高の39.5℃を記録するなど、まさに異常といえるような暑さが続いた。こう暑いとさすがに赤ワインは敬遠したくなってしまうし、そもそもワインよりはビールとなって、ワインを開ける機会も減りがちだ。しかしながら、今年は娘の誕生ビンテージである02ブルゴーニュのリリースが夏場にずれこんだこともあり、我が家では7月8月になってもワインの購入を続けている。本当はこんな暑い時期にワインの購入や運搬などしたくないのだが、リリース直後に抑えておかないとすぐに品切れになってしまうブルゴーニュの宿命には抗えない。でもって、あまり消費していないのに買ってばかりいると、次に起こる事態は当然予想がつく。そう、ワインセラーが満杯になってしまったのである。ここ数年ストック管理を徹底していたおかげでワインがセラーからあふれることはなかったのだが、今年ばかりはどうにもならなくなってしまった。 仕方なく長期熟成用のボトルについては入念に梱包して涼しい頃合を見計らってレンタルセラーに入庫。一方2~3ヶ月のうちに飲むようなものについては家人の白い目に気づかぬふりをしながら冷蔵庫の野菜室に保存した。まさかこの連載と同時進行で、自宅で冷蔵庫保存を実地検証をすることになるとは思わなかったが、なんのためらいもなく冷蔵庫の野菜室に入れられるのも、この連載で身をもって検証結果を実感したからかもしれない。もっともそれと同時に始めて改めて痛感したことがひとつある。やはり奥さんのいる家庭では、家庭円満のためにも、冷蔵庫に入れるのは2~3本にとどめておいた方がよいだろうということだ。さて、今回のテーマは「立てて保存したボトルと寝かせて保存したボトルの違い」である。 今まで「ワインの保存」で行ってきた実験や検証を振り返ってみると、程度の差こそあれ、概ね当初の仮説や予想どおりの結果となったものが多い。読者のみなさんにとってはあっと驚くような結果が少なくて物足りないかもしれないが、大体、検証だ実験だと大仰に構えても、出てくる結果は普段私たちが経験的に感じていることとそれほどずれることはないものだ。そんな中で、ひとつだけ、どうにも歯切れの悪いままになっているものがある。それが4号で行った「立てた場合と寝かせた場合」の違いの検証だ。このときの検証はセラーの中に1年間立てておいたボトルと寝かせておいたボトルの違いの検証だった。 実は私も徳丸さんも、「まず両者の差はでないだろう」と予想していた。というのも、このとき検証したボトルは前述のとおりどちらも湿度60%程度のセラーの中で保存していたものであり、立てておいてもコルクが乾くとは考えにくいからだ。いや、そもそもセラーでなくても、人が普通に生活している家の中の湿度は、我々が想像するよりも変動は少なくて、大抵は年間平均で40~60%前後をキープしているものである。10年20年というスパンならともなく、1~2年程度であればよほど極端な状況におかない限り、コルクが乾ききって縮んでしまうことはないのではないか。また、私の拙い経験でも、セラーの中でオリ落としのために立てて置いたボトルを、飲む機会を逸して2年近く立てっぱなしにしておいたことがあるが、それらのボトルが問題があったことはなかった。ところが、ふたを開けてみると結果はややバラツキの大きなものとなった。これがはたして立てて保存したことによる影響なのか、それとも単にボトル差なのか、試飲後のディスカッションでも結論はでなかった。まあボトル差といってしまえばそのぐらいの差なので、とりあえず今回の結果は「保留」ということにして、また1年後に改めて検証してみましょう。当時はそうやって終わったのだが、こうして再検証に臨んでみると1年なんてあっという間だと実感させられる。■立てても良いのか寝かせたほうがよいのか さて、ここで、ワインを寝かせた場合と立てて保存した場合の良し悪しについてざっとおさらいしてみよう。 一般的に「ワインは寝かせて保存したようがよい」といわれている。その根拠となるのは、液面とコルクが常に触れていることにより、コルクが湿った状態を維持できること、その結果、コルクが乾燥して縮むことがなく、長年に亘って空気の侵入を防ぐことが出来るということだと思う。しかし、これについては異論も多く、立てて保存しても問題ないという識者の意見も少なくない。たとえば米国のワインジャーナリストであるマット・クレイマー氏は、その著書「ワインがわかる」の中で、横に寝かせることの必要性に疑問を唱えている。その論拠として、 1. ハンガリーのトカイ・エッセンシアやバローロやバルバレスコの多くは伝統的に立てて貯蔵されてきた。 2. 英国のロング・アシュトン研究所の研究によれば、2年経過した後ですら、立てて保存したボトルが抜栓時に骨が折れる以外は目に付く差異を感じないという結論だった。ということを挙げている。 話は少しそれるが、2番目の「抜栓するのにえらく骨が折れる」というのには私も大いに頷くところがあった。というのも、過去に何度となく、近所のディスカウントショップで購入したイタリアワインのカチカチになったコルクのおかげで、ワインオープナーをポキリと折ってしまったトラウマがあったからだ。これなぞは、きっとボトルをずっと立てておいたためにコルクが乾燥しきってしまったのだろうと思っていたのだが、最近ある方から別の説を聞いた。というのも、イタリアの生産者はボトルが噴くのを極力避けるため、最初から輸出向けのボトルの打栓をキツメに行うことが多いというのだ。この説の真偽はともかく、ボトルをあえて横に寝かせずずに立てておくメリットがあるとすれば、それは、横にしたときより少しばかり「噴きにくい(液モレしにくい)」ということだろう。横に寝かせてコルクと液体が常に接触した状態では、温度変化によって中のワインが膨張した際、コルクの接触面を通じて液漏れしやすいからだ。このことは、ジャンシス・ロビンソン女史の著書「世界一ブリリアントなワイン講座」でも触れられていて、女史はそれに対する「画期的な」解決策として、斜めに寝かせてコルク面がワインと空気と両方に接するようにするという方法を紹介している。なるほど、この方法はたしかにベストな保存の仕方かもしれないが、現実問題となると、1本2本ならともかく、たとえば自宅のセラーの中のワインを全部斜めに積むことを想像するだけでゾッとするのは私だけではあるまい。ということで、ここでいったん原点に立ち戻ってみよう。当連載で想定しているのは、せいぜい1~2年、セラーがないようなシチュエーション、あるいはセラーからあふれたワインの保存でどうしたらよいのかということだった。前号までの流れでは、おおむね夏場は冷蔵庫にいれておいて、それ以外の季節はエアコンで管理されたリビングなどにおいておくのがよかろうということになっているが、リビングや冷蔵庫などに保存する場合、ユーティリティ的な問題として、必ずしも寝かせておけない場合もあるだろう。もし、立てて保存しても問題ないのであれば利便性は大いに向上するし、もっと言ってしまえば(やや暴論になるかもしれないが)、リビングなどの温度変化が想定される環境下では、液漏れのリスクを減らすという意味で、立てておいた方が安全だと言うこともできるかもしれない。■そういうことで、今回の検証。 ~当日参加したテイスターは6名。今回は私と編集部2名以外、みな酒販業の方だった。 ~まわりくどいことはせずに、単刀直入にセラーの中で寝かせたものと立てておいたものを比較。話の流れからすれば、セラーでなく、リビングなどで保存したボトルで検証すべきだという声もあるかもしれないが、今回はなるべく他の要素を排除して検証するために、セラー内で保存したボトルにした。また、今回は、どのような環境におかれたボトルの検証かを事前にテイスターに伝えた。というのも、おそらく両者の違いは微細なものに留まると予想できたし、ほとんど違いがないような場合に、テイスターが過剰に反応して結果がぶれるのを恐れたからだ。ただし、事前にどちらが寝かせたものでどちらが立てたものかはオープンにしなかった。(私や徳丸編集長も知らせれていない) ~比較に用いた銘柄はいつものとおり、ミシェルグロの99ニュイサンジュルジュ(村名)と99Ch.タルボ。ちなみに、前回(半年前)に行った検証時はかなり眠たげで鈍重な味わいに終始していて、閉じる時期なのかな、と思わせた両銘柄だったが、今回の検証ではブルゴーニュの方はずいぶん開いていて、クラシックなピノの魅力を味わせてくれた。タルボをお持ちの方はもうしばらく寝かせた方が良いかもしれない。■さて、結果は?ボルドー(Ch.タルボ99)どちらが健全に思えたか?ほんの少し 少し それなりに かなり 違いはない。 立てたボトルの方 ● ●●●●●寝かせたボトルの方どちらが美味しく感じられたか?ほんの少し 少し それなりに かなり 違いはない。 立てたボトルの方 ●● ●●●寝かせたボトルの方 ● ブルゴーニュ(ミシェルグロ・ニュイサンジュルジュ99)どちらが健全に思えたか?ほんの少し 少し それなりに かなり 違いはない。 立てたボトルの方 ●●●●●寝かせたボトルの方 ●どちらが美味しく感じられたか?ほんの少し 少し それなりに かなり 違いはない。 立てたボトルの方 ● ●●寝かせたボトルの方 ●●●まず、「健全さ」については、集計結果をみてわかるとおり、立てた置いたボトルも寝かせて保存したボトル同様、問題はなかったと言ってよいだろう。どちらが美味しく感じられたか、という質問に対しては、回答がまたまた分散してしまった。この手の検証の難しいところなのだが、事前に留意していても、二脚のグラスを並べて比べろといわれれば、無意識のうちに両者の違いを重箱の隅をつつくように探してしまうのが人の常だ。そういう意味で「かなり微細な違い」でも申告してしまいがちだということは斟酌しなければならないし、どちらかの条件のボトルに回答が偏ったのなら話は別だが、今回の集計結果は、ブルゴーニュでは寝かせた方を美味しいと答えた回答が多く、ボルドーでは立てておいた方が美味しいという回答が多かったわけで、規則性はない。 実際、違いがあると答えた方々も、その差は極めて微妙であり、それが本当にボトルを立てておいたことによる違いなのか、あるいはボトル差なのかは判断しずらいという意見が大半を占めた。このようなことから、とりあえず今回の検証については、味わいに違いが見られるという意見もあったにせよ、問題になるようなレベルでなかったといってよいだろう。(若干見られた違いがボトル差なのか、立てておいたことによる影響を見極めるには、もっと本数を増やして検証してみないことには断定はできない。)試飲後、抜栓したコルクを確認したのだが、こちらもかなり微妙だった。まず、コルクの下部分の着色度合いは、これはもうひと目みてわかるほど異なっていた。もちろん寝かせた方が、しっかりとワイン色に染まっていたのに対し、立てていたほうは薄く色づいていた程度にとどまっていた。 肝心な弾力性については、「立てていたコルクの方が堅くなっている」という声もあった。そういわれてみると、たしかにやや違いがあるような気もするのだが、これをたとえば目隠ししてどちらがどちらかを当てろと言われても、私は当てられる自信はない。あったとしてもその程度の違いであり、まして、立てた方のコルクが縮んでいるかどうかについては、ノギスでも持ち出して確認しないとわからないレベルだった。■とりあえず‥最後に、今回はたまたまテイスターが酒販店の方々だったので、確認のため、次のような質問をしてみた。「違いがあるという声もありましたが、立てて置いたボトルは、みなさんが販売する場合に問題のあるレベルだったでしょうか?」。この問いに対しては、いずれも「問題ない。違いがあったとしても、ボトル差と言い切れるレベルだ」とのことだった。ただし、今回の条件では立てておいても問題ない、という結果にはなったものの、たとえば冷蔵庫の中に長期間保存しておく場合などについては、同様とは言えない(かもしれない)。というのも、最近の冷蔵庫は湿度管理されているものが多いとはいえ、一般的に庫内の湿度は低めだし、型の古いものだったりすると相当に乾燥した状態になることも考えられるからだ。当誌では1年冷蔵庫で保存したボトルが良好な状態だったという検証結果を以前報告したが、そのときのボトルも寝かせて保存したものだった。このように「極端に乾燥した状態」で立てた保存した場合、どの位の期間までなら大丈夫なのかについては今後の検証テーマとなるだろう。また、今回のテイスティングとやや離れるが、「シャンパーニュの場合は、明らかに立てておいたほうがよい」ということを指摘した方もいた。ネットで検索してみると、シャンパーニュ委員会が数年前に(当誌の検証などよりもずっと大規模に)実験を行ったところ、ボトルを横に寝かしておいた方が熟成が進行しやすく、立てた方が健全な状態に保てた、という記事が何件か見つかった。シャンパーニュの瓶内の圧力や炭酸の存在、マッシュルーム型に成型するためにコルクを貼り合わせていることなどがスティルワインとの違いなのだろうか。ということで、「立てて保存VS寝かせて保存」については、いくつか積み残しのテーマが考えられるが、これらについては機会があれば検証して、結果を報告できればと思う。それでは、読者のみなさんのお手持ちのワインたちが、無事この夏を過ごせることを祈りつつ。
2021年04月20日
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#大昔に書いたコラムの原稿です。今となっては古い内容ですが、自分の備忘録をかねてアップしておきます。**********ワインというのは温度や湿度、光、振動など様々な要素に細心の注意を払わなければならないデリケートな(そしてある意味やっかいな)飲み物なのだろうか、それとも5年10年と熟成させるのでなければあまり気を使わなくても大丈夫なものなんだろうか。味覚という主観的な要素が強い問題であるし、経験や嗜好によって見方もいろいろと分かれるのだろうが、実際のところどちらがより本質を語っているのだろうか? セラーがない環境でワインを保存するのにはどのような方法がよいのかを探ろうというこの連載、筆者自身マンネリに陥りつつあることを痛感しつつも本誌の発刊ぺースにあわせてなんとか5回目までたどり着いた。 検証を重ねてきた今、私自身の頭の中では上記の問いかけに対して、「ワインってやっぱりデリケートな飲み物だなあ」という思いと「いやいやワインって意外にタフな飲み物じゃないか」という両方の思いが交錯している。もちろん基本スタンスとしては、「美味しく飲むためには保存条件(特に温度)には可能な限り気を配るべき」であり、「夏場高温になるわが国で長年ワインを熟成させようと思ったらセラーもしくはそれに類する設備は不可欠」だと思う。しかし一方で、この検証を通じて想定してきた「1~2年までのスパン」、「セラーのない環境」でワインを保存することがそれほど「トンデモナイ」所業かといえば、少なくとも1年経過した時点での感想は、「いやいや、結構イケてるじゃん。」といってもよいと思う。というのも、今までの検証結果は、極論すれば常温環境にさえ放置しなければなんとか飲めるレベルはキープしていたといえるものだったからだ。さらに冷蔵庫を上手く併用すれば、セラー保存のボトルと変わらないとは言わないまでも、それほど見劣りしないレべルにキープすることも出来た。 具体的には、「夏場の数ヶ月間は冷蔵庫に避難させておいて、それ以外の季節はエアコンの効いたリビングに保存しておく」という方法を当誌は提唱してきた。セラーがない場合、従来からの定説としては「北向きの部屋の押入れに保存」するのがよいと言われてきたが、地球温暖化が叫ばれて久しく、アルミサッシの普及などにより密閉度の大幅に向上した現代の家屋においては、北向きといえども家の中の温度はさして変わらないのではないか。その一方でエアコンの普及率は格段に高くなっている。だったら、エアコンによって温度管理された部屋をベースにして、それでもどうにもならないような夏場だけ冷蔵庫に入れておくというのがむしろ現実的な保存方法ではないか。 特に冷蔵庫については、温度、湿度、振動、臭いなどの面でワインの保存には適さないように言われているが、本当にそうなんだろうか?実生活においては、うまく活用すればワインの緊急避難的な保存には大いに役立つのではないか?この疑問のとおり、ここまでの1年間の検証結果においては、短期であれ比較的長期であれ、冷蔵庫に保存しておいたボトルは、常温環境やリビングだけで保存していたものに比べればはるかに良好な状態を保っていた。では、この調子でたとえば2、3年冷蔵庫に入れっぱなしにしておくとどうなのか、セラーに保存したボトルとの間にどの程度の違いが出るのか、というのは実のところ大変興味深いテーマであるし、結果次第では「セラーがない環境でワインを保存するときは冷蔵庫に入れっぱなしにしておくのがベスト」ということになりうるのかもしれない。しかし現実には、何年もの間冷蔵庫内をワインのボトルが占拠することになったり、同様にたとえ1年程度であっても5本6本、あるいはそれ以上のボトルを冷蔵庫に入れっ放しにしておくような冷蔵庫本来の用途を著しく制限する使い方は一般的な家庭環境を想定した当連載としては前堤としずらいものがある。よって、冷蔵庫はあくまで「夏場数ヶ月の緊急避難用」のツールとして位置づけ、「現代の住環境においては、よく言われる北向きの押し入れよリも、ヱアコンのきいたリビング+夏場冷蔵庫に避難させておくのがワインにとっても『住人にとっても』負担の少ない保存方法なのではないか」という「仮説」の検証を進めてきたわけだ。もっともこの「仮説」の検証については、厳密な意味で比較の対象である「押し入れ保存」の環境を再現したわけではないし、そもそも「北向きの押入れ」といっても各家庭によってロケーションは千差万別でひと括りにはしずらい。しかし少なくとも「リビング十冷蔵庫」のボトルが1年程度の保存であれば大きな問題のないレベルに収まっていたのに対し、常温保存のボトル(ちなみに実験に使ったのは東向きでほとんど陽の入らない部屋だったのだが、夏場の気温が35~36度まで上がったのには驚かされた。)に相当な変化があったことを思うと、「北向きの部屋」→「常時人が生活しているわけではない」→「日中の工アコンの稼働率は低い」わけで、当誌の常温保存の実験結果から推察するにリスクは小さいとはいえないのではなかろうかと思われる。とはいえ、誤解しないで欲しい。これらの結果はあくまで多くの方が試みてきたのと同様、ひとつの実例に過ぎない。これをもって「1年程度ならセラーなしで大丈夫」と断じるほど私は楽観的ではないし、「夏場は冷蔵庫に入れて、それ以外はエアコンの効いたリビングに置いておく」方法が本当にベストだと断言する勇気もない。 1年程度ではそれほど目立たなかった傷跡が2年目になって急に目立ちはじめる可能性だってあるし、リビングについてはエアコンのオンオフによる温度変化の影響をきちんと見極める必要がある。実際、前回の検証では、冬場リビングに保存したボトルにわずかではあるが秋以降のエアコンの影響と思われる変化が見られた。(このような点が冒頭の「ワインってやっぱりデリケートなものだなあ」と思った所以である。)そういう意味ではまだ検証そのものもまだ道半ばである。さて、今回検証するのは、■常温環境でふた夏越したボトル (編集部の一室に一昨年の6月以降保存)■リビングでふた夏弱越したボトル (徳丸編集長宅に一昨年の8月以降保存)の二種類のボトルである。いずれのパターンもすでにひと夏を越えた時点で一度検証済みだが、どちらもはっきりと変化が見られたボトルだった。そのときの結果を簡単に要約すると、<常温環境でひと夏越したボトル>ボルドー、ブルゴーニュともひと口飲んでそれとわかるほどの変化を示しており、セラー保存のボトルとの比較云々以前のレベルだった。前述のように部屋の温度が夏場35~36度になったこともあり、北の地方や高地など夏場冷涼な環境の方以外は、常温環境に置いておくのは大変リスクが大きいと再認識させられる結果だった。<エアコンの効いたリビングに保存しておいたボトル>セラー保存のボトルや夏場冷蔵庫に保存したボトルとの違いはかなりはっきりしており(妙に熟成感のある、ややギスギスした味わい)、エアコンを効かせているといっても、25度前後の室内はセラーに比べるとかなり高めの温度であること、夏場の外出時や「熱帯夜」には高温にさらされることなどがワインに影響を及ぼしていることなどが確認される結果だった。とはいえ、常温で保存していたボトルよりはずっとまっとうな状態を保っており、単体で飲めば楽しめるレベルをキープしていたと言って言えなくはない。すでに一年目の検証時にこのような状態だったボトルたちが、さらにもうひと夏越したわけであるから、今回はさながらワインの耐久テストのようなもの。 結果はある程度見えている。 常温保存のボトルなどはふた口と飲めないような代物になっているのではないか。問題はリビング保存のものがどの程度の変化におさまっているかだが、1年目の結果から想像するに、かろうじて楽しめるレベルをキープしているか、それとももはや飲めないような劣化レベルに達してるかではなかろうか。このように今回に限っては検証前からある程度結果を予想できたこと、それに微妙な判定にはなりにくかろうということから、多忙なテイスター諸氏におつきあいしていただくのは申し訳ないということで、私と徳丸編集長、それに編集部の二人を加えた4名でこじんまりと検証を行った。実験に用いた銘柄は前回同様、ボルドーの代表としてシャトー・タルボ '99、ブルゴーニュの代表としてニュイ・サン・ジュルジュ '99(ミシェル・グロ)。輸入元はラックコーポレーション、購入店は東急吉祥寺店。テイスティング方法は今までと同様、INAOのテイスティンググラスに上記の3種類を並べ、1番目のグラスを基準グラスとして、2番目以降のグラスの違いを見ていった。テイスティングは、ブルゴーニュ、ボルドーの順で、それぞれについて抜栓直後と30分後の2回ずつ行った。なお、それぞれの環境について簡単におさらいしておくと、<常温保存のボトル> 編集部の一室。といっても普通のマンションである。向きは東向きだが、直射日光はほとんど差し込まない。床はフローリング。検証用のボトルはここに一昨年の6月から動かさずに保存してある。ちなみに一昨年の夏は最高気温が36度前後まで上がった。(昨年は計測せず)<リビング保存のボトル> 徳丸編集長宅のリビングルームを借用。検証用のボトルは一昨年8月から動かさずに保存してある。夏冬ともにエアコンは頻繁に使用。夫婦共働きのため、日中留守の時間はエアコンをOFFにしている。■ 集計結果ブルゴーニュ(ミシェル・グロ/ニュイ・サン・ジュルジュ '99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないないリビング保存●●●● 常温保存●●●● ※具体的なコメント<リビング>オレンジが強く見える色調。デミグラスソース、かつおぶし、オレンジの皮、漬物などの香り。 後半に苦味が残る。酸味が後半に出てくる。クリア感がない。 旨み感が強調された味わい。これはこれでなかなか美味しい。丸くこなれた味わい。 <常温> 全体に茶色がかった色調。 古漬、木質、ジビエ、コーヒー、紅茶の出がらし、梅。 全体にベタッとしている。フレッシュさが無い。 酸がピリピリとしている。果実味が抜けて真ん中がストンと落ちたような味わい。 二順目の試飲で急激に落ちる。しかし、思ったほど異臭は出ていない。ボルドー (シャトー・タルボ '99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないないリビング保存●●●● 常温保存●●●● ※具体的なコメント<リビング> 赤色の消えかけた黒っぽく見える色調。エッジはオレンジ。しょうゆ、焼肉のタレ、革、ミルキー。まろやか。フレッシュではないがよい香り。ベットリとした酒質でタニック。クリアでない酸、タンニンもギクシャク。苦味が不自然に目立つ。 味わいはフラットだが、こなれていて美味しいと感じる面もある。 <常温>エッジに茶色が入り、10年以上たったような熟成した色調。 獣臭。ヒネ香。果実の香りが弱い。焦がしたウーロン茶、出がらしのコーヒー。 樽香が目立つ。 水で薄められたような感じ。力がない。味が落ちるのが早い。2順目でガックリ落ちた。エグミのあるフラットな味わい。アフターがやたらタニック。まあ集計表だけ見ると、予想どおりという感があるが、実際テイスティングしてみた印象はかなり予想外といえるものだった。◆まず、セラー保存の基本ワイン。半年ごとにテイスティングしてきて、これで4回目となるわけだが、ボルドー、ブルゴーニュとも明らかに前回よりフレッシュさがなくなっており、眠たげで鈍重、どちらも「閉じる」時期に入ってきたことを思わせる味わいだった。特にボルドーについては、今開けて美味しく飲もうとすると、デキャンティングや事前抜栓などが必要になってくるかもしれない。あまり意識していなかったが、この検証はこのような定点観測的な面白さもあるのだと再認識した次第である。◆セラー保存のボトルとリビング、常温保存のボトルとの違いについては間違えようがないくらい明らか。この3種類を2つのグループに分けろと言われれば、まず誰もがセラー保存のものを他の二つとは別にグルーピングすると思う。前述のコメントにも見られるように、リビング保存や常温保存のボトルは果実味が抜けてフラットになっており(特に常温保存)、セラー保存のボトルで感じられるようなわきたつような香りや口に入れたときのフレッシュ感、上品な甘みや立体感、余韻に残るクリアな酸などが決定的に欠けていた。◆リビング保存のボトルについては、よく言えば「促成栽培」を施したようなこなれた熟成感があり、フレッシュさがない代わりに旨み感が強く感じられる味わいだった。もちろん正しく年月を経たボトルのような複雑さはないし、前述のようにセラー保存のボトルと比べると果実味がフラットになっていることは明らかなのだが、日ごろあまりワインを飲みつけていない人の中には、今閉じ気味でとっつきにくいセラー保存のボトルより、こちらの方を美味しいと回答する人もいるかもしれない。◆常温保存のボトルについては、一体どのようになっているのだろうかとう半ば怖いものみたさ気分であったが、飲んでみると予想よりはずっと「まとも」な状態で、リビング保存のボトルとの差は事前に予想したほど大きくはなかった。(もちろん果実のヘコミなど相当なものであり、大丈夫だとはとても言えないことはあらためてお断りしておく)◆ボルドーとブルゴーニュの酒質の差、すなわちボルドーが比較的熱に強いのに対して、ブルゴーニュはデリケートだということは、世間では半ば既知の事実のように言われているが、当連載においては、過去にはっきりとそうした違いが見られたことはなかった。(変化があるときはどちらもあったし、ほとんどないときはどちらもほとんどなかった。)しかし、今回の検証では、ブルゴーニュの常温保存の「壊れ具合」に比べて、明らかにボルドーの方が変化は少なかった。たとえば徳丸編集長は、セラー保存のボトルとの差をリアルワインガイドの点数でいうと何点ぐらいかに相当するかというコメントを書いていたが、ブルゴーニュについては「リビング=-1点、常温=-2.5点」としていたのに対し、ボルドーについては、「リビング=-1点、常温=-1.5点」と表現していた。‥とまあいろいろ書いたが、今回の結果をひとことで述べると、ふた夏はやはりキツかったという点につきるだろう。もちろんワインのコンディションについては、冒頭にも書いたように人それぞれ受け取り方が異なるわけで、今回もリビング保存のものが「美味しく」感じられたという意見もあったのも事実だし、そもそもリビング保存については、「夫婦共働き(=平日の日中はほぼ不在)」というかなり常温保存に近い、厳しい条件だったことも斟酌する必要がある。しかし、そういうことを踏まえつつも、日常的にワインを楽しんでいる平均的、最大公約数的な愛好家の立場に立てば、「リビング保存は、夏場に冷蔵庫の助けを借りなければ、1年(ひと夏)程度が限度」と見ておくのが妥当な線ではなかろうか。そう強く思わせる今回の検証結果だった。 創刊号から読んでくださっている読者の方からは、それでは、という突っ込みもあるかもしれない。初回の連載で私が書いた「6年間茶箪笥の中に放置されていたシャルドネ」がすばらしい熟成を遂げていたというのはどういうことだったのか、あれはやはりバッカスの悪戯だったのだろうか?それともやはり私に判別能力がなかっただけなのか? 答えは謎である。謎といえば、今回の検証結果について、テイスティングを終えたあと皆で首をひねったことが2つある。 一つ目は、前述のように1年目の検証で驚くほどの変化を示していた常温保存のボトルが、2年後の今回は予想したよりずっと「まとも」だったことだ。「まとも」といっても、単体で飲んではっきりそれとわかるような熱劣化の症状を呈していたのだが、それでもテイスティングする前に心配したような「二口と飲めない」ようなものではなかったし、1年前の検証時に比べて大きく劣化が進んだようにも思えなかった。中には1年前の検証時より今回の方が良好でないかと言う人すらいた。このような結果となった理由としては、前年の検証結果のインパクトの大きさから、我々の中にあらかじめ「全くダメだろう」という先入観が強くあったとことが大きな要因だとは思うが、それだけでないとすれば、 1.一昨年受けた高熱によるダメージが、その後ずっと動かさずに静かに保存していたことにより、ある程度「落ち着いた」のではないか2.加えて昨年の夏が歴史的なコメの不作に代表されるように比較的「冷夏」だったことが幸いしたのではないかというようなことが原因ではないかという話が出た。 熱によるダメージを受けたボトルが、その後一定の期間、冷暗所に静かに保存しておくことによってある程度までは回復するという話は耳にする。そして、今回の結果はそうしたウワサがあながち迷信?ではないのかも、と思わせるものだった。そういえば、創刊号で書いた「熱劣化したワインの検証」の項で書いた徳丸編集長宅の壊れたセラーの中のワインについても、徳丸さんが最近飲んでみたところ、どれもセラーが壊れて熱を浴びた直後のような悲惨な状態ではなくて、健全とは言えないまでも、まあそれなりに美味しく飲めるようになっていた、なんていう「体験談」も披露されて、こちらもなかなか興味深かった。もうひとつ、不可思議な点は、常温保存にしろリビング保存にしろ、明らかにふた夏熱を浴びたはずのボトルに、思ったほど「異臭」が感じられなかったことだ。もちろんややヒネたようなニュアンスや出がらしのお茶のような香りは出ていたが、たとえば、ムレたような臭いや馬小屋系の臭い、激しいヒネ香などが感じられたわけではなくて、あくまで時計の時間軸をグイグイと早回ししたかのような「きれいな」枯れ方だった。これは実に悩ましい結果である。 私たちは当誌のテイスティングをしていて、しばしば異臭のする不健全なワインに出くわす。それらの中には明らかに醸造トラブルと思われるものも結構あるが、それ以外の異臭の多くはどこかで熱を浴びたことに起因するものだとばかり思っていた。しかし、今回の結果を見るにつけ、必ずしもそうではないのかもしれないと思うようになった。ではその原因はとなると‥?もっと別のなにかが悪さをしているのだろうか、それとも流通過程で我々が想定している以上の激しい熱を浴びているのだろうか、あるいはいくつかの複合的な原因によるものなのだろうか? 実はこれについては、その後の議論によって行き着いた我々なりの「仮説」があるので、(もったいつけるようで恐縮だが)、次号以降で検証してゆきたいと思う。いずれにしても、単純な確認作業に終わると思っていた今回の検証から、思わぬ疑問点が湧き出してしまった。つくづく、ワインって難しいなあと思う今日この頃である。
2021年04月07日
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注:このコラムは今から20年前に書いたものです。今となっては検証方法が稚拙に感じられたり、私自身の考えが異なることがあります。その辺は都度注釈を入れていきます。ワインの保存に関する世間一般の常識やなかば迷信めいた俗説について、「論より証拠」「百聞は一見にしかず」のノリで、身近な環境で検証してみようというこの連載、4回目は「冷蔵庫」がテーマである。■ 今までのおさらい話の流れ上、前号までの検証結果を駆け足でおさらいしてみよう。 創刊号以来の、この連載の大きなテーマは、「セラーのない環境で、ワインを保存するにはどのような方法がベストなのか」ということだった。 夏場35度を越えるような日本では、冷蔵庫型セラーや地下室などの専用のカーブなしで長期に亘ってワインのコンディションをキープするのは事実上難しい。では、せめて1~2年ぐらいのスパンで保存することはできないか。世の中にはワインは好きだけれどもセラーまでは保有していないという方は多いし(というか、そちらのほうが多数派だろう)、たとえセラーを持っていても、買いすぎたりしてセラーからあふれてしまうことはよくある話。モノの本には、よく「新聞紙にくるんで北向きの押入れに入れておく」などと書かれているが、地球温暖化が叫ばれる昨今、昔に比べて住宅の密閉度が格段に向上していることもあり、たとえ北向きの部屋であっても夏場はかなりの高温になることが予想される。 一方、家庭におけるエアコンの普及率がいまや100%に近づきつつあることを考えると(内閣府の調査による関東の一般家庭のエアコン普及率は92.4%)、むしろリビング(居間)の直射日光のあたらない場所にでも置いておいた方が温度的に有利ではないか。もちろんリビングに保存することには別のリスクがあることを忘れてはいけない。それはエアコンのオンオフによる頻繁な温度変化だったり、夏場25度前後というセラーに比べれば格段に高い温度だったりするわけだが、それらを差し引いても、常温で保存するよりはリビングに置いた方が「マシ」なのではないだろうか。あるいはさらに念を入れて、夏場だけでも冷蔵庫に入れておくというならどうだろうか。 冷蔵庫は、振動がよくないとか、他の食品の臭いがうつるとか、温度が低すぎるとか、湿度が低くコルクが乾燥するとか、もっぱらワインの保存にはよろしくないと論じられがちだ。こうしたリスクを完全に否定するものではないが、それらが1~2年、もしくはひと夏程度の期間の保存でどれほど影響を与えるものなのだろうかというとちょっとマユツバな気もする。というようなことから、当誌としては、ひと夏からせいぜい1~2年程度、ワインをセラーなしで保存する場合、「北向きの風通しの良い部屋」にこだわるよりも、「夏場は冷蔵庫に入れておいて、それ以外の季節はエアコンの稼働率の高いリビングなどに置いておく」のがよいのではないか?という「仮説」を、連載の出発点としたのだった。もちろん仮説であるから、その後の検証により確認される可能性もあれば、覆される可能性もある。頑強に自説にこだわるのではなく、実際に検証を繰り返して当誌なりの結論を導こうということである。では、今までの結果はどうだったのかというと、<2号での検証>・夏場35度前後になる部屋にひと夏置かれていたワインはボルドー、ブルゴーニュとも顕著に劣化していた。 →何も対策を施さない常温下に保存するのは危険!・冷蔵庫で夏場を越させたボトルには、通常室、野菜室とも、あるかないか程度のごく軽微な変化が見られただけだった。 →とりあえずひと夏程度の冷蔵庫への避難は有効らしい。<3号での検証>・年間を通してリビングに保存したボトルは、予想していたよりやや大きな変化が見られたが、2号における常温保存のボトルよりはずっとまともな状態だった。 →1年を通してリビングに保存するのはベストな保存方法とは言いがたいが、 常温環境下で保存するよりはエアコンの効いたリビングの方が変化は少ない。・夏場冷蔵庫に保存後、秋以降リビングに保存したボトルの変化はこれに比べればずっと小さかった。ただしセラーに保存していたボトルに比べると(軽微とはいえ)やや変化が見られた。→1年程度であれば、リビング+夏場冷蔵庫で充分対応できそうだ。ということで、ここまでは当初の仮説どおりの結果となった。しかし、ここでひとつの疑問が湧いてくる。 同時に検証したわけではないので確かなことは言えないが、夏場冷蔵庫で保存したボトル(=2号で検証)にはほとんど変化が見られず、それ以降リビングに移したボトル(=3号で検証)についてやや変化の兆候が見られた、ということは、単純に考えると夏場以降のリビングでの保存に問題があった可能性が大だということになる。また、同じ過程をもう1年2年と繰り返せばこの変化の度合いはさらに大きくなるかもしれないということでもある。夏以外の季節の温度変化については我々は案外軽視しがちだが、実は冬場のエアコンのオンオフは、予想以上にワインに負担をかけているのかもしれない。仮にそうだった場合、「夏は冷蔵庫で、それ以外はリビングで。」という当初の私たちの「仮説」も見直しが必要になってくる。よって、この問題については、変化をもたらした原因が何なのかをきちんと見極める必要があるだろう。「秋以降のリビング保存の影響」については、今回は間に合わなかったが、次号の検証時までにはリビングに置かれた残りのボトルたちがふた冬を越す。したがってこのテーマについては次号以降で徹底検証したいと思う。 一方で、冷蔵庫での保存の影響についても、きちんと見極めておく必要がある。 2号の検証では、冷蔵庫で保存したボトルには、通常室野菜室問わず、ほとんど劣化や変化は見られなかった。しかし、冷蔵庫から出してすぐには認識されなかった変化が、時間とともに顕著になる場合があるかもしれないし、2号の検証時に比較試飲した「常温保存」ボトルの変化(というか劣化)があまりに大きかったため、冷蔵庫保存のグラスの変化が霞んで見落とされたという可能性もなくはない。そもそも、振動とか臭いとか乾燥とか低音とか、ワインの保存に向かないと言われる要素がてんこ盛りのように言われることの多い冷蔵庫で、短期の保存とはいえ、本当に悪影響がなかったのかについては、繰り返し検証してもしすぎということはないだろう。したがって、今回はタイミング的にはやや中途半端なのだが、ずっと冷蔵庫の中で保存しておいたボトルの状態を検証してみることにした。タイミング的に中途半端と書いたのは、検証実施時点での冷蔵庫に保存していた期間が約9ヶ月間だったからだ。ほんとうはもう1号分待って、丸一年経過した時点での検証の方がすっきりするのだが、話を進めるために今回検証を行うことにした。 冷蔵庫に入れておいた期間は、2003年1月はじめから10月初旬まで。1年には満たないが、夏場も経験しているし、今回の検証意図に対しては必要にして十分な長さだろう。(いや、どのみち冷蔵庫に入っているわけだから、夏も冬もないのかもしれないが。)これだけの期間、冷蔵庫に入れっぱなしにしておいて、変化が見られない、もしくはあっても微細な範囲であれば、「夏場冷蔵庫→秋以降リビング」に変化が見られた原因は、秋以降の温度変化である可能性が強まるし、顕著な変化が見られるようであれば、再度立ち戻って、「冷蔵庫への緊急避難」すること自体を考え直す必要がでてくるだろう。実験に利用させていただいた冷蔵庫は、編集部員宅のもの。 3ドアタイプのもので、使用年数は 年だから、特に新しくも古くもない、世間の冷蔵庫の代表といってよいものだろう。 庫内の温度と湿度を測ってもらったところ、以下のような数値だった。 温度 湿度 通常室 野菜室なお、この冷蔵庫は実験専用ではなくて、日常的に使われているものだから、頻繁に開け閉めするし、匂いの強いものを入れることもあったろう。特別な条件にしているわけでないかわりに、特別な配慮もしていない。いわゆる一般家庭の冷蔵庫に入っていたと思ってもらって構わない。ここらあたりの条件付けの甘さを指摘されれば、その通りですと言うほかない。たとえば、本来、臭いの影響を厳密に検証するのであれば、何も入ってない冷蔵庫と、キムチなど臭いのキツイものの入った全く同タイプの冷蔵庫を用意して、それらを比較検討すべきなのだろうが、残念ながらそこまでやる余裕も余力なかった。この連載の限界でもあるのだが、あくまで、日常のシーンに即した草の根検証、ということで、ご了解いただければと思います。■ 今回検証するボトルと実験方法ここで今回の検証方法について整理しておきたい。ボトルの設置期間は2002年1月初めから2003年10月初旬までの9ヶ月。テイスティングするボトルは、ボルドー、ブルゴーニュそれぞれについて、4種類、計8本。グラスはINAO規格に準拠したテイスティンググラス。なお、4番目のボトルは後ほど別項で触れる、「セラーに立てて保存」というテーマのボトルなので、とりあえずここでは1~3までの6本について話をすすめる。 1.セラーにずっと保存していたボトル2.ずっと冷蔵庫の通常室に保存していたボトル3. 〃 冷蔵庫の野菜室 〃 4.(セラーに立てて保存したボトル)実験に用いた銘柄は前回同様、ボルドーはシャトー・タルボ '99、ブルゴーニュはニュイ・サン・ジュルジュ '99(ミシェル・グロ)。輸入元はラックコーポレーション、購入店は東急吉祥寺店。テイスティング方法は前回までと同様、INAOのテイスティンググラスに上記の4種類を並べ、1番目のグラスを基準グラスとして、2番目以降のグラスの違いを見ていく。ただし、テイスティングの時点では、テイスター諸氏にはこれらがどのような条件で保存されていたボトルなのかは知らされていない。テイスティングは、ブルゴーニュ、ボルドーの順で、それぞれについて抜栓直後と30分後の2回ずつ行う。なお当日の参加者は6名だった。■ 集計結果ブルゴーニュ(ミシェル・グロ/ニュイ・サン・ジュルジュ '99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないない冷蔵庫 (通常室) ●●●●●●冷蔵庫 (野菜室) ●●●●●●ボルドー (シャトー・タルボ '99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないないリビング保存 ●●●●●●常温保存● ●●●●●まずは、前2回の検証と同様、今回も「ブショネゼロ」だったことに胸をなでおろしている。しかし、結果については、集計結果をざっと見ると、ややバラツキがあるように感じられる。この点、今回は実験方法の難しさを痛感させられた。というのも、まず大前提として、今回検証したものはどれも以前の常温保存のボトルや通年リビング保存のボトルのように、ひと口飲んでわかるほどの大きな違いのあったものが無かったからだ。どれもが差がないか、あってもごく小さな差しかないとなると、どうしても回答結果はその小さな差異が増幅された形で現れてしまう。また、これまでの2回の検証のように、今回も条件の大きく異なるボトルがあるに違いない、とテイスターたちが先入観を持ったということがあるかもしれない。 今回、「違いがある」「わずかに違いがある」という回答はボルドー、ブルゴーニュあわせて3件あったが、これらは同一のテイスター(1名)によるものだった。この方は日頃からワインの状態やコンディションに対してことのほか厳しく、今回のテイスティングにおいても、辛目に評価をつけたと後でコメントしていた。しかし、その回答にしても、3件のうち2件は冷蔵庫保存の方を「よりフレッシュで良好」と答えているし、他の5名は、すべてのグラスについて「ない」「わずかにあるが気にするレベルでない」と回答している。 前述のように、検証全般において小さな差異を「重箱の隅」的に評価する傾向があったことを考慮すると、この結果はむしろ変化の小ささを示していると言って良いと思う。 実際、テイスティング終了後のディスカッションにおいても、「違いはほとんどわからない。」「あってもボトル差程度の範囲」という意見が大勢を占めていたし、原稿を書いている私自身(当然私もどどれだか知らされていなかった)、通常室保管のボルドーを「わずかにあるが気にするレベルでない」とつけた以外は、他の3本すべて「ない」と回答したように、冷蔵庫で保存したことによる影響をほとんど感じとることができなかった。また、今回も、前回までと同様、通常室と野菜室のはっきりした違いは見られなかった。このようなことを踏まえて、前号までの検証結果と比較整理してみると、◆2号の結果との比較 『夏場だけ冷蔵庫に保存(その後1ヶ月リビング保存)したボトル』 vs 9ヶ月間ずっと冷蔵庫に保存したボトル →どちらも微細な変化でほぼ同水準。◆3号の結果との比較 『夏場冷蔵庫に保存、その後ひと冬リビングで保存したボトル』 vs 9ヶ月間ずっと冷蔵庫に保存したボトル→9ヶ月間ずっと冷蔵庫保存したボトルの方が良好。というところだと思う。実はこの結果は個人的にも少し意外だったりする。というのも、経験的に、冷蔵庫(特に通常室)に保存していたものは、ある程度エッジがたっていたり、果実味にフレッシュさがなくなっていたりするのではないかと予想していたからだ。しかし、蓋を開けてみれば結果は上記の通り。違いはほとんど指摘されず、一部には冷蔵庫に保存した方がフレッシュに感じられたという意見すらあった。これをどう考えればよいだろうか。たった1回の検証から断定できないし、さらに長期のスパンに亘って保存した場合とか、「キムチの隣に置いておく」など極端な環境下に保存した場合には問題が起こりうるのかもしれないが、少なくとも今回の検証結果からは、「1年未満の冷蔵庫の保存の影響はあったとしてもほとんど判別できないようなものにおさまりそうだ」と言えそうだ。よって、「夏場冷蔵庫に緊急避難させる」ことについても、それを妨げる要素はなにもない、ということだろう。ところで、ここでひとつ「コロンブスの卵」的な疑問をお持ちになった方もいると思う。そう、それは、「だったら、リビングだなんだと言わずに『1年間~2年間、ずっと冷蔵庫に入れておく』というのが、セラーがない場合のベストの保存方法ではないか?」ということだ。たしかに今回の結果は、それを強く暗示しているともいえる。しかし、当誌としては、たとえそうだとしても、ずっと冷蔵庫に入れておくことをベストの保存法と推奨することには躊躇してしまう。 理由は単純で、1年、2年といえども、まとまった本数のワインを冷蔵庫の中に入れっぱなしにしておける環境というのは、一般的とは言いずらいからだ。 我が家などでは、抜栓した飲み残しのワインを1~2本冷蔵庫に入れておくことさえ家人の顔色を窺いながらこわごわという状況である。まして、1年、2年となると‥。 現実問題としては、たとえばこれぞという1本については、夏場だけといわず、ずっと冷蔵庫に入れっぱなしにしておくというソリューションはもちろん「あり」だ。ただし、繰り返しになるが、今回の検証はあくまで9ヶ月という期間の検証である。したがって、これが数年単位となると、臭いや振動、乾燥、低温などの巷で言われるさまざまな要素がボトルに悪影響を及ぼす可能性は全く以って否定できないし、冷蔵庫の使われ方や仕様も各家庭によってまちまちだ。したがって、このコーナーを読んで、「家宝」のワインを冷蔵庫にずっと入れっぱなしにしておこうと思い立った方は、ぜひ自己責任でお願いします。(笑)■ ボトルを寝かせた場合と立てた場合の違い今回はもうひとつ別のテーマについても検証を行った。それは、「ボトルを寝かせて保存した場合と立てて保存した場合に違いが出るのか?」ということだ。 一般にはワインを長期に亘って保存する場合は寝かせて保存するケースが多いが、ワインジャーナリストのマット・クレイマー氏などを初めとして、「立てて保存しても問題ない」という主張も少なくない。ボトルを立てて保存した場合の問題点としてよく言われるのは、「ボトルの中の液体とコルクが接していないので、コルクが乾いて収縮する。そして、そこから空気が入って劣化を促す」というところだと思うが、砂漠で保存するのならともかく、現代の一般的な住宅において、1年~数年程度立てて保存したとしても、コルクが乾燥するほど連続的な低湿度の環境になるのだろうか。はたまた、仮にコルクが乾燥したとしても、それで密閉の役割を果さなくなるものだろうか。このような疑問については各所で議論や実験がすでに行われているようだが、とりえず当誌のスタンスとして、まずは実験、検証してみようということになった。 検証に用いたボトルは、いつも通りのブルゴーニュ、ボルドーをセラー内で立てて保存していたボトル。これを前項の基準ワイン(=セラーで寝かせていたボトル)と比較した。なお、この検証は前項の検証と同時に行われたものなので、検証方法の詳細は前述のとおりである。ただし、設置期間はこちらの方がやや長く、設置してから丸1年経過している。<集計結果>セラーに立てて保存VS寝かせて保存 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないないブルゴーニュ●●●●●●ボルドー ●●●●●●う~む。前に書いたとおり、今回は違いの少ないボトルばかりの比較試飲だったため、小さな差異が誇張されることになった可能性は否定できない。ただ、それを勘案してもややバラつきが大きい気がする。 私自身はといえば、ブルゴーニュ=「ない。」、ボルドー=「わずかにあるが気にするほどではない」と回答したし、ボルドーの「違い」についても、ボトル差程度のものだろうと思った。しかしその一方で、6名中2名のテイスターは、特にブルゴーニュに関して、「ある」「わずかにある」と回答し、ディスカッションにおいても、汗っぽさ、やや酸化したニュアンス、ヒネ香、果実のへこみなどの違いを感じたと指摘していた。このように、今回は珍しく検証後のディスカッションを経ても釈然としない部分が残った(今までは集計結果が多少バラケても、終了後のディスカッションでは皆意見が一致していた)ので、結果については保留としておきたい。個人的には、ボトルを立てていた影響というよりも、ボトル差が原因のような気がしてならないのだが‥。いずれにせよ、「立てて保存 vs 寝かせて保存」については、いずれ時期を見て再度検証を行いたいと思う。<後日談>「立てて保存」VS「寝かせて保存」の検証は、悩ましいものがありますね。検証するためには、おそらくもっと長く保存しておく必要があって、そうなると微細なボトル差やロット差など他の要素が年月とともに大きな違いとなって表面化し、どこまでが立てていたか寝かせていたかの影響によるものかわからなくなってしまいかねません。それを乗り越えるためには、ある程度まとまった本数をそれなりの時間をかけて実験せねばならず、そこまでの労力をかけてやるテーマかという話にもなります。我が家のセラーのワインたちも10年〜15年程度保存しているものが増えてきましたが、とりあえずこのぐらいのスパンで寝かせて保存している分には、コルクに問題が生じることはないように思われます。となれば、スペース的な問題があるケースを除いて、あえてコルクの乾燥のリスクを犯してまで立てて保存しなくてもよいのかなと思います。また、コルクを寝かせて保存することには、コルク内の有機物が溶け込んで香味をより複雑にする、という副次的な効果があるという説も伺いました。これは直感的にあり得る話だなという気がします。以前、どこかのメーカーが同じ銘柄のコルクバージョンとスクリューキャップバージョンをリリースしているとどこかで読みましたが、熟成後の香味の違いを試してみたいところです。
2021年03月11日
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前回に引き続き、20年近く前に書いたコラムです。今となっては、いろいろと突っ込みどころもありますが、自身の備忘録の意味も兼ねて掲載しておきます。*********************「ワインの保存」をテーマにすることの難しさを実感している。この連載を始めてからというもの、読者の方々やワインを通して知り合った方、さらには日ごろの飲み友達などからも、ワインの保存やコンディションに関して、多くの意見やアドバイスをいただいた。 中には実験や検証の方法が非科学的で話にならないとか、テイスター(すなわち私自身)の資質に問題があるのではないかというような手厳しいご意見もあったが、多くはご自身の経験に照らし合わせて、確かにその通りだとか、いや、そんなはずはないとか、あるいは、もっとこういうことを試して欲しい、というものだった。それらを聞いたり読んだりしていて、若干戸惑いを覚えたのは、保存やコンディションに関する認識にずいぶんと幅があるという事実だ。知り合いからの意見だけでも、ある方はセラーを使わずに夏場を越させるなど「論外」だと断ずる一方で、別の方はひと夏ぐらいセラーに置いておかなくても全く問題ないよと一笑に付す。しかも、どちらの御仁も私よりもずっと経験豊かな方だったりするのでややこしい。まあ、前者については、ある意味、ワインに造詣の深い方々の定説というかマニアの本音を代表するものだと思うし、私自身、セラーの優位性や存在価値については疑問の余地はないと思っている。「セラーなし」を前提としたこの連載とはそもそもの出発点が違うということだ。 後者については、そもそも劣化に対する許容度とか、ワインのコンディションに対する考え方に温度差がある場合もあるのだろうが、私に意見を下さった方はむしろセラーに入れなかった場合の影響を経験的に把握した上で、1年程度なら最大公約数的な読者層が気づくほどの劣化には至らないという意味合いで言っていたように思う。たしかに、この先検証を進めていけば、そのような結論にたどり着くかもしれないし、あるいはそこまで楽観的にはなれないという結論になるかもしれない。この連載で行おうとしていることは、それをより客観的系統的に検証してみようということにほかならない。いずれにしても、ここでもう一度この連載の主旨とスタンスを整理しておきたい。この連載の出発点は、「ひと夏かふた夏程度」、「緊急避難的」に、セラーを使わず、はたまた特殊な装置や設備に頼ることなく、手持ちのワインを保存しておくには、どのような方法がベストなのかを探ることである。 愛好家といえども高価でかさばるセラーをお持ちの方は少数派であろう。またお持ちの方とて、所有するワイン全てがセラーに収まっているとは限らない。家庭内で常温保存されているワインは相当の数にのぼるはずだ。 加えてもうひとつの出発点は、これまで様々な文献に書かれてきたことや、一般的に言われているワインの保存に関する事柄が、現在の実態にそぐわないのではないかと思われる部分がいくつもあることだ。これらを我々愛好家の視点から、現実に即して検証してみようということである。ワインの入門書などでは(いや、入門書以外でも)、判で押したように、「北向きの押し入れに保存」と書いてあるが、現代の住宅事情はずいぶんと変わってきている。密閉度や断熱性は大幅に向上しているし、エアコンも飛躍的に普及した。 そもそも最近の住宅事情を鑑みると、洋間ばかりで「押し入れ」自体がないという家も多い。 他方で、地球温暖化により、今や夏の気温が35度を超えることも珍しくなくなり、エアコンを稼動させていない部屋は夏の日中、相当の高温になることを覚悟しなければならない。こうしたことを考えあわせると、押し入れや北向きの部屋にこだわるよりは、(直射日光にさえあたらなければ)むしろエアコン稼働率の高い居間などにおいたほうが結果は良好なのではないか。ただし、リビングに置くというからには、エアコンのオンオフによる温度変化や、家を留守にしたときに高温にさらされるリスク、さらにたとえエアコンを効かせたとしても、セラーに比べればかなりの高温環境下におかれるであろうことなど、ワインにとって不利な要素がいくつかあることは否定できない。では、補助的に冷蔵庫を利用したらどうだろうか?ワインの世界では、冷蔵庫はワインの保存に適さないというのは半ば常識として語られている。その理由としては、いわく温度が低すぎるとか、コルクが乾燥するとか、振動がよくないとか、臭いが移るとか、といったことが挙げられている。しかし、本当にそうだろうか。最近の冷蔵庫はよく出来ていて、野菜室などは湿度も高めにキープできるし、温度も低めとはいえ7~8度位には固定できる。加えて振動もずいぶんと少なくなっている。そもそもひと夏、ふた夏程度の期間で臭いが移ったり振動の影響がでるものなのだろうかという本質的な疑問もある。冷蔵庫のリスクをすべて否定するつもりはないが、短期間の使用、すなわち、ふだんはリビングに置いておいて、夏場だけ適宜冷蔵庫に入れるといった用途であれば、冷蔵庫は便利なアイテムとして活用できるのではなかろうか。こうした疑問について、「論より証拠」ではないが、実際にさまざまな環境にボトルを設置して検証してみよう、というのが創刊号の主旨だった。■ 2号(前号)の結果 2号ではさっそく検証を実施、ブルゴーニュとボルドーそれぞれ以下の4種のボトルについて、半年経過時点、すなわちひと夏過ごした段階でテイスティングを行った。 1.エアコンの効いていない常温で保存したボトル(いわゆる押し入れ保存) 2.冷蔵庫の通常のスペース(以下「通常室」と呼ぶ)で保存したボトル 3.冷蔵庫の「野菜室」で保存したボトル 4.セラー内で保存したボトル。 1~3の各条件のボトルを4のセラー保存した基準ボトルと比較した。<結 果>ブルゴーニュ(ミシェル・グロ/ニュイ・サン・ジュルジュ '99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないない冷蔵庫 (通常室) ●●●●●●●冷蔵庫 (野菜室) ●●●●●●●常温保存●●●●●●● <ボルドー (シャトー・タルボ '99)> 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないない冷蔵庫 (通常室) ●●●●●●●冷蔵庫 (野菜室) ●●●●●●●常温保存●●●●●●● ※ ●はセラー保存より美味しい、と答えた回答エアコンの効いていない常温の部屋での保存は、夏場の最高気温が35~36度まで上がったこともあり、顕著に熱劣化の様相を示していた。それに比べれば、冷蔵庫に保存していたボトル(正確には6~10月の4ヶ月冷蔵庫に保存し、11月からの1ヶ月半リビングに保存)は、一部で違いを指摘する声もあったが、セラー保存との違いを「ない」とした回答も2件ずつあったように、通常室、野菜室とも、概ね良好な状態を保っていた。■ 今回のテーマは「リビング」以上のような経過を踏まえた上での今回の検証である。「夏以外の季節はリビングに置いておき、夏場は適宜冷蔵庫に避難させる」ことが、セラーを使わない保存方法の本命ではないかということは前にも述べた。前回の検証では、とりあえず「夏場冷蔵庫に保存しておくこと」に関して大きな問題はなさそうだということになったので、この号では次のステップとして、「夏場冷蔵庫に保存し、それ以降の季節はリビングで保存したボトル」を検証してみたい。実験の開始からすでに丸1年が経過している。今回の検証でセラー保存と大きな違いが見られないようなら、とりあえず本誌が提案した方法で1年は乗り切れたということになる。なお、夏場冷蔵庫に保存したボトルについては、前回と同様、「通常室」に保存したボトルと「野菜室」で過ごしたボトルの両方を用意した。 前回の検証では、この二つの違いは全くといってよいほど見られなかったが、今回はいずれのボトルも冷蔵庫から取り出してから半年経過しており、当時感じられなかった小さな傷跡が大きな差となって現れている可能性もある。よって、今回もあえて「通常室」と「野菜室」の2パターンを取り上げることにしたのだ。■ 通年でリビングに保存しておいた場合は?さて、夏場にエアコンのない部屋に保存しておくのは避けたほうが良い。それは前回の検証で思い知らされた。夏場冷蔵庫に緊急避難させておくのはとりあえず有効らしい。それもわかった。では、その中間ぐらいのシチュエーション、すなわち冷蔵庫に頼ることなく、1年を通してエアコンの効いたリビングに保存しておいた場合はどうなのだろうか。 今回、その検証のために、ずっとリビングに保存しておいたボトルを用意することにした。まあ順当に予想すれば、「リビングに保存していたボトル」(以下「リビング保存」)の状態は、基準となる「1年中セラーに保存していた場合」より劣るのは致し方ないし、「夏場冷蔵庫に避難させて、その他の季節はリビングに保存していた場合」と比べても不利だと思われるが、おそらく「1年中常温で保存していた場合」よりはずっとまともな状態をキープしているのではなかろうか。その場合、夏場もリビングに置かれていたボトルと、夏場だけ冷蔵庫に避難させたボトルとの違いは具体的にどの程度のものなのだろうか。日常飲むには問題ないようなレベルに収まっているのか、それとも許容しがたいような違いなのか。この点が今回の検証におけるキーポイントだと言ってよい。というのも、現実的な視点で考えたとき、たとえ夏場だけとはいえ、そうそう数多くのワインを冷蔵庫に避難させておくのは難しいと思われるからだ。おそらく一般の家庭では、冷蔵庫のキャパシティや家族とのあつれきなどから、ワインのために開放されるスペースはせいぜい5~6本分程度までではあるまいか。したがって、夏場に冷蔵庫を使わなくても大きな違いがないというのであれば、高額なワインや大事にしているボトル以外はあえてリビングに置いておくという割り切りもまた「あり」だといえるわけだ。■ 「リビング保存」は8月中旬以降・・・ところが、ここで、痛恨の失態を犯してしまったことをお詫びしなければならない。「リビング保存」のボトルを実際にリビングに設置したタイミングが、8月中旬にずれこんでしまったのだ(8月中旬まではセラーに保存)。【(編集部注)編集長徳丸が忙しさにかまけて、なんと設置をすっかり忘れていた・・】「それじゃあ、ひと夏をリビングで過ごしたとは言えないじゃないか」ごもっともである。まったく返す言葉もないのだが、ではこのボトルについては全く検証に値しないかというと、そうでもなさそうだ。というのも、昨年の気象をふりかえってみると、8月は言うに及ばず、9月、10月初旬に至るまで30度前後に気温が上がる日が続いたからだ。ちなみに、日本気象協会のデータから昨年の東京地区の最高気温を調べてみると、 6月~10月末 8月16日~10月末 最高気温が25℃を超えた日 101日 58日 最高気温が30℃を超えた日 43日 17日8月中旬以降25度を超えた日は6月から10月末までのおよそ半分。これでは、さすがに「ひと夏を過ごした」とは言えないが、「ひと夏の半分を過ごした」ぐらいは言えそうである。よって、「ひと夏を過ごしたボトル」の検証は、必要ならば次回以降改めて実施するとして、今回はとりあえず、「『半夏?』リビングで過ごしたボトルの状態を検証することとしたい。■「リビング保存」の条件ところで、リビングといっても、その使われ方は家族構成や生活スタイルによって千差万別なのは言うまでもない。特に問題となるのが、エアコンの稼働率であろうかと思う。夫婦共働きの家庭で、週末出かけがちであれば、条件的には「エアコンの稼動していない常温保存」と大差ないし、専業主婦や家人が常に在宅している家庭で、夏場に泊りがけの旅行もしないのであれば、かなりの時間エアコンが稼動していると考えられる。 今回、実験に利用したのは、なにを隠そう徳丸編集長宅(マンション)のリビングなのだが、その環境は以下のとおり。いろいろ想定される「リビング保存」の中では、エアコンの稼働率は低めのシチュエーションだといえそうだ。●ボトルはリビングの直射日光の当たらない場所のキャビネットの中に設置。 ●夫婦共働きのため、平日の日中はエアコンを切って出かけている。ただし、互いの勤 務時間がずれていることから、エアコンが稼動しない時間は概ね平日11時半頃~19時までの7~8時間に収まっている。●就寝時はエアコンを切っている。そのため夏場、夜間のリビングの温度は平均27度~28度程度になる。●休日は留守がち。ただし、昨年の夏は本誌の編集作業が忙しかったので、長期旅行はしなかった。したがって連続的にエアコンがオフだった時間は最長でも24時間程度であろうとのこと。●夏だけでなく、冬場の暖房用にもエアコンを使っている。●エアコン稼動時のリビングの温度は夏場25度、冬場24度。エアコンを切ったときのリビングの温度は最高(夏場の日中)で32度。最低(冬場の夜間)で15度。検証において問題となるのは、留守中30度前後、在宅中でも23~25度になる夏場の高温と、エアコンのオンオフによる温度変化だろう。たとえば、夏場の平日、リビングの温度は、昼=最高32度←→帰宅24~25度←→夜=27~28度という温度変化に見舞われていたわけで、これがどの程度香りや味わいに影響を及ぼしているかがポイントだ。なお、「夏場は冷蔵庫に保存して、それ以外の季節はリビングに保存」したボトルも同様に編集長宅のリビングに置かれていた。こちらは夏場は関係ないものの、真冬には、在宅時=24度、外出時=18~20度、就寝時=15~18度 という温度差をほぼ毎日経験していたということになるわけで、その影響があるのかないのか、気になるところである。■ 今回検証するボトルと実験方法 改めて今回の検証について整理してみよう。設置の期間は2002年6月初めから2003年5月末までの1年間。テイスティングするボトルは、ボルドー、ブルゴーニュそれぞれについて、以下の4種類、計8本である。1.セラーにずっと保存していたボトル2.夏場(6月~9月末)冷蔵庫の通常室に保存し、以降はリビングに保存していたボトル3. 〃 冷蔵庫の野菜室 〃 4.8月中旬までセラー、8月中旬以降ずっとリビングに保存していたボトル実験に用いた銘柄は前回同様、ボルドーはシャトー・タルボ '99、ブルゴーニュはニュイ・サン・ジュルジュ '99(ミシェル・グロ)。輸入元はラックコーポレーション、購入店は東急吉祥寺店。冷蔵庫は3ドアタイプで、通常室の温度は5度、湿度40%、野菜室の温度は8度、湿度60~70%。テイスティング方法は前回と同様、INAOのテイスティンググラスに上記の4種類を並べ、1番目のグラスを基準グラスとして、2番目以降のグラスの違いを見ていく。ただし、テイスティングの時点では、テイスター諸氏にはこれらがどのような条件で保存されていたボトルなのかは知らされていない。テイスティングは、ブルゴーニュ、ボルドーの順で、それぞれについて抜栓直後と30分後の2回ずつ行う。なお、当日の参加者は7名だった。■ 集計結果ブルゴーニュ(ミシェル・グロ/ニュイ・サン・ジュルジュ '99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないない冷蔵庫 (通常室) ●●●●●●● 冷蔵庫 (野菜室) ●●●●●●●リビング保存●●●●●●● ボルドー (シャトー・タルボ '99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないない冷蔵庫 (通常室) ●●●●●● 冷蔵庫 (野菜室) ●●●●●●●リビング保存●●●●●●● ※ ●は、基準グラスより美味しいと回答したケース1.「ずっとリビングに保存していたボトル」テイスター全員が、多かれ少なかれ、セラー保存のボトルとの違いを指摘。ボルドー、ブルゴーニュとも、「違いがある」「わずかにある」が過半数を占め、「違いがない」という回答はゼロだった。 違いの内容はおおむね以下のようなものが挙げられていた●色調に熟成したニュアンスが見え始めている。●汗っぽい香りやジビエ香が出ている。●果実感がやや乏しく、味わいがフラット。●焼けたような味わいや木質的な味わい。●フィニッシュに苦みを伴う。イガイガ感がある。ただし、テイスティング終了後のディスカッションにおいては、「前回のエアコンのない常温保存ほどの激しい変化ではない」「変化はあるが、こちらも十分美味しい」という声が優勢だった。2.「夏場冷蔵庫保存、それ以降はリビングに保存のボトル」こちらは、やや回答がバラついたが、「わずかにある」「わずかにあるが気にするほどではない」という回答が過半数を占め、はっきり「ある」という回答は一件もなかった。 違いの内容は、●わずかに熟成した印象を感じる●今飲むならこちらのほうがやや美味しいかもしれない●わずかに酸が尖った印象がある。●やや閉じ気味。●かすかにアフターにエグミがある。といったところ。全般に、セラー保存のものより、やや熟成した印象や尖った印象を感じるが、ボトル差といわれれば、ああそうかと納得してしまう程度の違いだった。■ 結果をふりかえって予想通り、「リビング保存」のボトルについては、前回行った常温保存のボトル(押し入れ保存)と、夏場冷蔵庫を利用したボトルとの中間位の変化におさまった。しかし、セラー保存していたボトルとの違いは(それほどネガティブな内容ではなかったにせよ)誰もがそれと判るレベルのものであり、少なくとも私個人の印象としては、検証前の予想より大きかったと言わざるをえない。しかも、今回の検証はひと夏まるまるではなくて、ひと夏の半分程度の期間なのだ。そう考えると、今回の条件のようなリビング、すなわち日中留守がちな環境においては、ひと夏が限界かな、という気がしてくる。個人的には、いみじくも、あるテイスターが言った「ショップで売られていても驚かないが、自分がお客に出すとしたらやや躊躇する」という発言が、これらのボトルの状態についての的を射た表現だと思った。「劣化」とまではいかないが、「変化」は明らかであり、これらのボトルが「99年のタルボ」「99年のグロのニュイ・サン・ジュルジュ」のスタンダードな姿を示しているとは言いづらいからだ。ただ、繰り返しになるけれども、今回の検証にあたっては、リビングのエアコン稼働率がかなり低めだったという事情を大いに勘案しなければならないだろう。リビングの使用形態は各家庭によって大きく異なるわけで、特に専業主婦など常時家に人がいる家庭では、より良好な結果となることが予想される。いずれにしても、夏場常温で保存する(押し入れ保存)よりはエアコンが稼動している部屋で保存した方が良いということだけは、はっきりと言える。次に、本命である「夏場冷蔵庫に保存してそれ以外の季節はリビングに保存」していたボトル。こちらは、通常室、野菜室を問わず、概ね良好な状態を保っており、とりあえず、セラーなしで1年間乗り切ったといってよいと思う。しかし、安心してばかりもいられない。今回の結果を前号の結果と比べてみると、前回4~5件あった「違いはない」という回答がそれぞれ1件ずつに減っており、軽微とはいえ、明らかに変化を指摘する回答が増えていることに気づく。 原因としては、夏場冷蔵庫に保存した影響が一年経過するうちに顕在化したか、もしくは、秋以降リビングで保存していた際の温度変化の影響があったかだと思われるが、おそらく前者の冷蔵庫の影響よりも、秋以降のリビング保存による温度変化の影響が大きかったのではあるまいか。というのも、前述のとおり、実験場所となったリビングでは、冬場もエアコンがフル稼動しており、そこに置かれたボトルたちは冬の間中めまぐるしい温度変化に見舞われていたからだ。このことをどう評価すべきだろうか。頻繁な温度変化はやっぱりボトルに悪影響を与えるのだ、という見方も出来るかもしれないが、逆に、高温にさえならなければ、温度変化の影響というのはこの程度のものだ、ということもできる。今回の検証結果は、まさにどちらでもとれるレベルだけに難しいところだ。ただし、この兆候は今後の「ワインの保存」の考え方に大きな意味を持ってくる可能性がある。というのも、この先さらに半年一年と検証を継続していく中で、温度変化の影響が否定のしようがないほど顕著になった場合には、「冬場はエアコンの稼動しているリビングを避けて、温度変化の少ない北向きの納戸やクローゼット、押し入れのようなところに保存した方がよいのでは?」という風に、当初の仮説そのものを見なおす必要が出てくるからだ。ということで、温度変化の影響については、次号以降でも引き続き重点的にウオッチングしていくことにしたい。なお、「通常室」「野菜室」の違いについては、今回もハッキリとした違いは見られなかった。こちらの検証のためには、もっと長期間、冷蔵庫のそれぞれの部屋に保存したボトルを検証する必要がありそうだ。■次回のテーマ さて、次回以降のテーマは、発刊予定との兼ね合いにもなるのだが、しかるべきタイミングできっちりと、今まで登場していない「1年中冷蔵庫に入れておいたボトル」を取り上げたいと思う。冷蔵庫の温度はやや低温すぎるとはいえ、ワインにとって最も危険な要素である高温のリスクは皆無であり、温度変化も少ない。しかしその一方で、振動や雑臭が移るという別のリスクが存在する。「一年中冷蔵庫に入れておく」ということは、一般家庭にとってはかなり負担であり、本数的にも通常はあまり収容できないことから、「あふれたワインの緊急避難」的な用途への最終回答とはなりにくいが、結果如何によっては、これぞという一本は、ずっと冷蔵庫に入れておくべきだ、という結論になるかもしれない。そしてもうひとつは、引き続き粛々と「リビング+冷蔵庫」を継続してウオッチングしていくことだろう。とりあえず1年間の保存は合格と言えるレベルにおさまったが、1年半、2年となるとどうだろうか?今回の検証でわずかに見られた、冬場の温度変化によると思われる兆候が、今後どのように推移するのか、気になるところである。これらを重点的に検証していくとともに、創刊号で列記したうち、まだ取り上げていない項目についても随時取り上げていきたいと思う。それにしても、ここまで2度目の検証を終えて、ひとつだけ、心からほっとしていることがある。それは、今までテイスティングしたワインの中にブショネや明らかなダメージワインがまだ一本も見られないことだ。まあ、ブショネについては、比率から言えばそろそろ出てきそうなイヤな予感もするのだが・・・。
2021年02月17日
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#この回のものをアップしていなかったので、掲載しておきます。創刊号から連載してきた「ワインの保存」も終盤に近づいてきて、検証用のボトルたちもいよいよ残り少なくなってきた。今回は「夏場だけ冷蔵庫、それ以外の季節をリビング」でふた夏保存したボトルと、「夏を3回リビングで越させたボトル」の検証を行った。それぞれすでに検証してきたテーマなので、まずは前回までの結果を簡単におさらいしてみたい。■ずっとリビングに保存していたボトル~ふた夏経過後まで。 ブルゴーニュ(ミシェルグロ ニュイサンジュルジュ99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないないひと夏経過後●●●●●●● ふた夏経過後●●●● ボルドー (シャトー・タルボ ‘99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないないひと夏経過後●●●●●●● ふた夏経過後●●●● ずっとリビングに保存したボトルについては、すでに、ひと夏経過後とふた夏経過後の2回検証を行ってきた。ひと夏経過後とふた夏経過後のデータは、テイスターの人数が違ったりして、定点観測的に比べるにはやや無理があるとか、酷暑だった初年度とそれほど暑くなかった2年目の夏を同列に比べてよいのかという話もあるが、とりあえず話をシンプルにすすめるために、その辺は端折らせていただく。まず、ひと夏経過の時点では、約半数のテイスターは「気にするレベルでない」「わずかな違い」と答えており、違いを指摘したテイスターも「常温で保存していたものよりはずっとよい」、「変化は認められるが、リビングで保存したものも十分美味しい」とコメントするなど、全般に好意的な回答が多かった。これが、ふた夏経過後のデータになると、ほとんどすべてのテイスターが「違いがある」と指摘したように、セラー保存のボトルとの違いは一目瞭然だった。よって、5号の記事では、「リビング保存は、夏場に冷蔵庫の助けを借りなければ、1年(ひと夏)程度が限度ではなかろうか」と一定の結論づけた。もっとも、2年経過のボトルも、時間の経過に比例して変化が大きくなっていたとはいえ、「促成栽培を施したようなこなれた熟成感があり、フレッシュさがない代わりに旨み感が強く感じられる味わい」とか、「日ごろあまりワインを飲みつけていない人の中には、セラー保存のボトルよりこちらの方を美味しいと回答する人もいるかもしれない」というような、必ずしもネガティブ一辺倒の印象ではなく、それなりに許容できる範囲の変化だった。 今回検証するボトルは、さらにもうひと夏、すなわち3夏リビングで過ごしたということで、ふた夏経過後から状況が好転しているは考えにくい。よって、どの程度まで許容できる範囲におさまっているのか、あるいはもはや許容できないレベルにまで劣化してしまっているか、というところが焦点になってくるだろう。ちなみに、実験に使わせていただいたのは徳丸編集長宅のリビングで、夏場のエアコン稼動時の温度は25~26度。日中は比較的留守勝ちだったため、夏場30度を超えることも少なくなかったはずだ。したがって、専業主婦や老人が同居しているなど、日中ずっとエアコンを稼動している家庭なら結果はもっと良好だった可能性は大だ。■夏場冷蔵庫で保存したボトルこのように、ずっとリビングだけで保存しておいたボトルは、ひと夏はともかく、ふた夏経過後はかなりツライ結果になってしまった。では、夏場だけ冷蔵庫に「緊急避難」させたボトルの場合はどうだろうか?実は「夏場冷蔵庫+それ以外の季節はリビング」のボトルについては、今まで2度(ひと夏経過直後の11月と、翌年3月)検証しているのだが、ふた夏経過したボトルというのははまだ検証していない。(よって、今回はこれがメインテーマとなる。)以下に示すのは翌年3月の検証結果である。<リビング+夏場冷蔵庫のボトル>リビング+夏場冷蔵庫(通常室) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないないブルゴーニュ ●●●●●●● ボルドー ●●●●●●●リビング+夏場冷蔵庫(野菜室) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないないブルゴーニュ ●●●●●●● ボルドー ●●●●●●●● は、基準グラスより良好と回答したケース 冷蔵庫は、コンプレッサーの振動がよくないとか、他の食品の臭いがうつるとか、温度が低すぎるとか、湿度が低くコルクが乾燥するとか、扉の開閉による温度変化や振動がよくないとか、さまざまな理由でワインの保存には向かないと論じられがちだが、この連載においては、夏場だけの短期においても、通年の比較的長期においても、今のところこのようなリスクを肯定する結果はみられていない。(むしろむしろ実生活においては、ワインの緊急避難的な保存には大いに役立ちそうだ、という結果になっている。まあ、延べ日数にすると最長1年程度しか保存していないので、これが3年、5年となってくるとまた違うのかもしれないが‥。)この時の検証においても、コンディション的には、通年でリビングに保存していたものよりは「かなり」良好であり、セラー保存のものに比べると少しばかり違いが見られるという回答が多かった。ワインの保存に関するセオリーからすれば、温度も湿度も少しばかり高く管理されている野菜室の方が状態がよくてもよさそうなものだが、上記の結果に限らず、今までの冷蔵庫を使った検証で野菜室と通常スペース(以下通常室と呼ぶ)の間に明確に違いが見られたことはない。また、夏をすごした直後の11月に検証したボトルに比べると、3月に検証したボトルの方が、軽微とはいえ、変化が顕著に見られた。これは、真冬にエアコンを稼動させていたことによる温度変化の影響ではないかということになっていて、ここらあたりも今回の検証のポイントである。 ■そういうわけで今回の検証当日参加したテイスターは6名。前回同様(といってもメンバーは異なるが)私と編集部以外は酒販業の方だった。用いた銘柄はいつものとおり、ミシェルグロの99ニュイサンジュルジュ(村名)と99Ch.タルボ。一時はすっかり閉じこんで眠たげだった両銘柄だが、だんだんと開いてきているようで、とくにブルゴーニュの方は検証というシチュエーションを抜きにして飲みたいと思わせる味わいに育っていた。タルボはもう少し時間がかかりそうだ。ブルゴーニュ(ミシェルグロ ニュイサンジュルジュ99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないないリビング+冷蔵庫の通常室で2夏●●●●● ●リビング+冷蔵庫の野菜室で2夏●●●●● ●リビングで3夏●●●●●● ボルドー (シャトー・タルボ ‘99) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気にするレベルでないないリビング+冷蔵庫の通常室で2夏●●●●● ●リビング+冷蔵庫の野菜室で2夏●●●●● ●リビングで3夏●●●●●● まず、夏場冷蔵庫に入れて2夏過ごしたボトルたちだが、ひと夏時点のものに比べると、さすがに変化は大きくなっていた。色調こそそれほど違いは見られないものの、香りは芳香力自体が弱く、ドライフルーツやワラのような乾いた香りやジビエ香などが主体主体になっていた。味わいは果実味はそれなりに残っているのだが、全体的に雑味が目立つようになり、中盤から後半にかけてのゆたかな広がりがなく、フラットな印象。冷蔵庫の使用により、夏の高温は避けられたにしても、秋以降リビングにおいておいたことによる温度変化の影響、それに春先や秋口にも結構高温になったりしたので、そうした影響がボディブローのようにじわじわと積み重なったのだろう。それでもテイスターのうち、半数前後が、「わずかにある」以下の違いしか指摘しなかったことを思えば、この結果はむしろ良好な部類というべきかもしれない。前述の「2年間ずっとリビング」に保存しておいたボトルに比べれば、果実味がよく残っていたし、変化の度合いも小さかった。やむをえず、セラーなしでふた夏過ごさせるのであれば、やはり夏場は冷蔵庫に避難させるのが最低条件と言ってもよいかもしれない。次に3夏リビングに置きっぱなしだったボトル。こちらはテイスター全員が満場一致で違いがあると指摘。回答欄に「ある」の上に、さらに「すごくある」というような項目を作ったら、おそらくそちらにマルをつけた人も多かったことだろう。まず色調からしてかなりレンガが入ってしまっている。香りは弱くなっており、ひからびたような中からリキュールや麦わらのような古酒のような香りが見られる。味わいはすっかり時計を早回ししたような味わいで、儚げになり、果実味は失われて、タンニンだけがフィニッシュに残る。セラー保存の基本ワインとは全く別モノに変化していた。
2021年02月15日
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退役間近のノートPCの書類フォルダを整理していたら、RWGの黎明期(2002年~04年頃)に書いた「ワインの保存」コラムシリーズの原稿ファイルが出てきました。(残念ながら創刊号の原稿が見当たらず、2号からとなりますが、「前回の振り返り」が書かれているので、話は通ると思います。)原稿と言っても、入稿前のものなので、RWG誌に掲載された本文とはとは細部が異なると思われます。また、約20年前の話であり、今となっては検証内容が稚拙に感じられたり、私自身の考えも異なる点もありますが、四半世紀近く前、まだ情報の乏しい中でこのようなことをやっていたという記録として掲載しておきます。*******************2002年11月某日。この日行われたブラインドテイスティングは、通常本誌で行われているテイスティングとは異なっていた。 基準となるグラスが指定されて、以降、その基準ワインと他のグラスの違いを所定の用紙に記してゆく。違いがあるのか、ないのか、あるとすればどの程度の違いで、どちらが美味しいと感じるか。その違いの内容は具体的にどのようなものか。etc.そう、徳丸編集長の提案で、予定より1号分繰り上げて、「ワインの保存」についての一回目の検証が行われたのだ。 創刊号が発売されたのが2002年8月末。その中で、「2号では、実験の計画のあらましを述べて、検証結果は第3号から紹介してゆく」と書いた。しかし、よくよく考えてみれば、6月半ばの時点で検証用のボトルたちはすでにセッティングを終えていたので、2号の原稿の締め切りまでには、各ボトルはそれぞれの環境でひと夏過ごした計算になる。それなら、というわけで、外気温も落ち着く11月末に、検証の第一弾として、ひと夏経過後の各ボトルの状態を確かめてみようということになったのである。テイスティングの結果については後述するとして、まずは前号の流れを軽くおさらいしてみよう。■前号のおさらい。「ワインは、温度、光、振動、臭いなどの影響を受けやすい、デリケートな飲み物であり、日本の環境、特に夏場の高温を考えると、日常の条件で、ワインを健全な状態で長期保存することは難しい。」「しかし、高価でかさばるワインセラーをお持ちの家庭は決して多くはないはず。」「では、ワインセラーのない環境で、手持ちのワインを目立った劣化なく、1~2年程度だけでも保存することはできないのだろうか?」というのが出発点。「(セラーがない場合)ワインの保存には、北向きの風通しのよい部屋の押し入れなどが最善と言われてきたが、現代の密閉度の高い住環境においては、北向きの部屋に執着する必要があるだろうか?直射日光さえ避ければ、むしろエアコン稼動頻度の高い居間などの方が温度的に有利ではないか」。「冷蔵庫は、『湿度が低くコルクが乾燥する』『振動の影響が出る』『他の食品の臭いがうつる』など、ワインの保存には適さないといわれてきたが、最近の冷蔵庫はよくできていて、『野菜室』は湿度もある程度コントロールされているし、少なくとも短期間の保存であれば、それほど大きな劣化には至らないのではなかろうか」。したがって、「とりあえずひと夏、ふた夏程度、セラーなしでやりすごす、という目的に対しては、夏場だけ冷蔵庫の、できれば野菜室に保管して、それ以外の季節は居間の暗所に置いておくというのが最善のソリューションではなかろうか。」この仮説の検証をメインのテーマに据えて、その他日常感じている疑問点、たとえばボトルは本当に寝かせておかねばならないのか、といった事項も含めた実験を開始したのである。「検証」「実験」といっても、研究所で行われるような厳密なものではない。冷蔵庫などの機器も関係者宅にあるものを使用しているし、温度などのデータも詳細には記録していない。なので、あくまで、日常レベルでの「検証」「実験」だということは最初に断っておきたい。■実験の枠組み実験の大枠は以下のようなものだ。 世間で認知されている、比較的「熱に強い」代表格としてカベルネブレンドのボルドーワイン、デリケートなワインの代表として、ブルゴーニュのピノ・ノワールをチョイス。(銘柄については後述する。)それらを、1.セラーに入れて保管。(←これが基準となるワイン) 2.セラーに入れて、立てたまま保管。 3.夏場だけ冷蔵庫の通常のスペース(以下、『通常室』と呼ぶ)に入れて 保管、 それ以外の季節はリビングに保管。 4.夏場だけ冷蔵庫の野菜室に保管、それ以外はリビングに保管。 ※ここでいう夏場とは、6月中旬から10月中旬までの約4ヶ月間。 5.年間を通して、ずっと冷蔵庫の通常室に入れて保管。 6.年間を通して、ずっと冷蔵庫の野菜室に保管。 7.年間を通して、ずっとリビングに保管。(在宅時はエアコン稼動。) 8.年間を通して、エアコンのない部屋に保管。以上、8通りの場所に、それぞれボトルを配置して、半年後、1年後、2年後のそれぞれの経過をテイスティングによって検証する。ただし、5と6の「ずっと冷蔵庫に保管」というのは、冷蔵庫スペースの関係上、同時スタートすることができず、半年遅れで設置することにした。なにぶん、編集部員の冷蔵庫を借用させていただく関係で、あまりムリはいえないのだ。ちなみに今回実験に使わせていただいた編集部員宅の冷蔵庫は、日常使われるような3ドアタイプの冷蔵庫。通常室は温度6度、湿度40%と、どちらも低めだが、野菜室は、温度8度、湿度60%と、やや低温であることにさえ目をつむれば、かなりワインセラーに近い環境だ。ただし、日常的に使用している冷蔵庫なので、よく言われるように、他の食品の臭いが移る可能性はあるかもしれないし、ドアの開閉やコンプレッサーによる振動の影響もあるかもしれない。それらは、「ひと夏の保管」程度では、目立った変化となって現れないかもしれないが、1年先、2年先まで視野に入れてじっくりと見極めたいテーマである。それはそうと、家庭の冷蔵庫というのは、通常ギシギシに収納されていることが多いので、ワインを入れようとすると、奥さんから白い目で見られることってありませんか?我が家の冷蔵庫を実験用に使用できなかったのも、実はそのような事情があってのこと。本当は、庫内の1ブロックぐらいのスペースを確保できれば言うことないのだけど、家族持ちの家庭では、よほど大きな冷蔵庫を使っていないかぎり、虎の子の数本を緊急避難させるぐらいが関の山かもしれない。閑話休題。さて、夏場以外の季節はというと、同じ編集部員宅のリビングに置かせていただくわけだが、このリビングは、在宅時はほぼエアコン稼動。ただし、家主は比較的留守勝ちだということで、外出中はエアコンのスイッチを切っている。もっとも、今回の実験に限っては、6月以前はまだ実験を開始していなかったので、居間に置かれていたのは、10月中旬から11月下旬までの約1ヶ月間半に過ぎない。一方、エアコンのない部屋というのは、ほかでもない編集部(通常のマンション)のひと部屋を利用させていただいたわけだが、直射日光が入らないにもかかわらず、夏場は35~37度を記録することに改めて驚かされた。たしかに去年の東京の夏は酷暑だったが、例年に比べて劇的に暑かったというほどでもなく、ここ数年は似たり寄ったりだったと記憶している。今や、日本の夏の35度は珍しいことではないが、室内までそのような温度になるとは思っていなかった。そして、そこに置かれたワインたちはといえば、検証時までには、そのほとんどがお約束のように「噴いて」しまっていた。■実験に使う銘柄 次に、実験に用いるワインである。すべての実験をこなすためには3本×8パターン→24本、すなわち2ケースずつのボルドーとブルゴーニュのボトルが必要になるが、諸々の検証を行うからには、以下のような条件を備えていることが望ましい。 ・半年後、1年後、2年後、と3回検証を予定していることから、ある程度まとまった本数を確保できる銘柄であること。(ブルゴーニュの場合、これで結構ひっかかってしまう)・ボトルの個体差がなるべく小さいこと。すなわち、ある程度大量生産されている、定評ある銘柄であること。・ ボトルのコンディションが限りなく問題のなさそうなもの。すなわち、最新ビンテージの蔵出し、またはそれに準じるもので、定評のあるインポーターによるもの。・ すでに本誌でテイスティング済みで、穏当な点数のついているもの。・ 価格帯は、4000円~5000円前後を想定した。これより安い価格帯であれば、早々に飲まれてしまうことが多いだろうし、あまり高価なものだと現実的なシチュエーションからかけ離れてしまう。私の経験に照らし合わせても、夏場の前後にセラーと押し入れと冷蔵庫とを行ったり来たりというような可哀想な環境におかれやすいのがこのクラスだからだ。・ 品種についてはいろいろ試してみたいところではあるが、実験そのものが煩雑になってしまうことや、現実的な保管スペースの問題などを考慮して、今回はカベルネ・ブレンドのボルドーワインとブルゴーニュのピノ・ノワールの2種類にとどめた。さて、このような条件をクリアするものとして、みなさんはどのような銘柄を想像されるだろうか。 実は銘柄については私ではなく、編集部で選んでいただいたのだけど、彼らが選んだ銘柄は・Ch.タルボ99・ニュイ・サンジュルジュ99(ミシェル・グロ)の2銘柄。購入店は東急百貨店(吉祥寺店)、インポーターはラック・コーポレーション。このチョイスは、決して身内びいきでなく、なかなかいいところをついた選択だ、と思う。前述したような要件はすべてクリアされているし、酒質がとくに強いとか弱いとか、極めて個性的だとかいうことはなくて、クラスの中でオーソドックスなもので、銘柄自体のネームバリューからしても納得感があるものだからだ。長くなったので、もう一度、実験用のワインの配置と検証の実施時期について、別表にまとめてみる。 今回行ったテイスティングは、「半年経過分」のそれぞれのボトルの比較と書いてきたが、厳密に言うと、実験を開始したのが6月中旬、テイスティングを行ったのが11月下旬であるから、期間は5ヶ月半である。 『夏は冷蔵庫で、それ以外はリビング』という条件のボトル(以降「冷蔵庫保管」と呼ぶことにする)については、前述のように、そのうちの4ヶ月間を冷蔵庫で過ごしており、リビングに置いておいた期間が10月中旬以降と、ワインたちにとってはしのぎやすい時期なので、今回の実験ボトルになんらかの変化が見られるとすれば、おそらく冷蔵庫への保管が原因であると思われる。徳丸編集長と話した事前の予想では、冷蔵庫に入れておいたボトルは、期間が短かったこともあり、野菜室、通常室の区別なくセラー保管のものとほとんど遜色はない状態を保っているだろう。常温においたものだけは、それなりの変化があらわれているだろう。ただし、その変化については、特にカベルネでは、あまりネガティブ方向でない結果として現われるかもしれない、というところだった。 約半年後(今回実施)1年後(一部は一年半後)2年後1年中セラーに寝かせて保存。(基準ワイン)○○○1年中セラーに立てて保存。 ○○1年中エアコンの効いたリビング。 ○○1年中エアコンのない部屋。○○○1年中冷蔵庫の通常室 ○○1年中冷蔵庫の野菜室 ○○夏(6月中旬~10月中旬)=冷蔵庫の通常室 それ以外はリビング。○○○夏(6月中旬~10月中旬)=冷蔵庫の野菜室 それ以外はリビング。 ○○○※ 進捗状況次第で、1年半後に実施する項目もあり。それでは、次にテイスティングの結果を見ていくことにしよう。■テイスティングのあらまし当日の参加者は7名。テイスター諸氏には、あらかじめ、今回のテイスティングが「ワインの保存」の連載に関連したテーマだということは知らされているが、ワインの銘柄や、保存条件などの詳細は知らされていない。テイスティングはまずブルゴーニュから行った。 各人のテーブルにINAOのテイスティンググラスが4脚配られる。1番目のワインを「基本ワイン」に指定して、2番目以降のグラスについて、基本ワインとの違いはあるか、あるとすればどういう点か、その場合どちらが美味しいと思うか、を記入してゆく。もちろん2番目以降のグラスについて、どのグラスがどのような条件で保管されたものかは知らされない。 基本ワインとの違いの基準については、リアルワインガイドの点数に鑑みて、1点、もしくはそれ以上の違いがあるようなら「ある」、1点未満だが、明らかに違いがある場合は「わずかにある」、ほとんど違いを感じないが、「ない」と言いきるほどではない場合は「わずかにあるが気にするレベルではない」とした。 約30分経過したら、抜栓後の変化を確認するために、同じ銘柄について二巡目のテイスティングを行う。このようにして、ブルゴーニュのテイスティングが終了したら、次にボルドーについて、同様にテイスティングを行う。 以上、基準ワインを含めて、計8種をテイスティングした結果を所定の用紙に記入する。■ 集計結果1.ブルゴーニュ ニュイ・サンジュルジュ99(ミシェル・グロ) 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないない冷蔵庫 ●●●●●●●野菜室 ●●●●●●●常温保存●●●●●●● ブルゴーニュについては、予想以上に明快な結果となった。・常温保存のボトルは、7名全員が、「違いがある」で一致した。・違いの内容については、「イオウ臭」「苦味やアフターのエグみ」「まとわりつくようなジャミーな味わい」「バランスの悪さ」「焦がしたようなフレーバーが強く出ている」などのネガティブな回答が大半を占めた。・基本ワインより常温保存の方がおいしいと答えた人はいなかった。・ 冷蔵庫保管については、通常室、野菜室とも、「わずかに違いがある」と答えたのが2名、他の5名は、「ない」か「気にするレベルではない」だった。通常室と野菜室で大きな違いを指摘した回答はなかった。・ 冷蔵庫保存について「わずかにある」という回答の内容は、「味わいに広がりがない」「酸がややたっている」というものだが、いずれも顕著な劣化を指摘したものではなかった。2.ボルドー Ch.タルボ99 違いがあるわずかに違いがあるわずかにあるが気に するレベルでないない冷蔵庫●●●●●●●野菜室●●●●●●●常温保存●●●●●●● 一方のボルドーであるが、こちらはブルゴーニュよりやや回答がバラけた。・ 常温保存のボトルについては、「違いがある」が5名、「わずかにある」が2名と、全員がセラー保管との違いを指摘した。・ 具体的な違いとしては、「果実感やフレッシュ感のなさ」「ローストフレーバーが突出」「渋みが突出」などが挙げらていた。・ 常温保存のボトルのほうが美味しい、と答えた人はいなかった。・ 冷蔵庫保管については、通常室、野菜室とも、4名が「ない」もしくは「気にするレベルではない」と答えた一方で、2名が「ある」、1名は「わずかにある」と回答した。・ 「ある」という回答のうち1件(通常室)は、「基本ワインに比べ、開いていて外向的」と、冷蔵庫保管の方を美味しいと回答していた。・ 他の「ある」「わずかにある」の具体的な内容としては、「果実感の弱さ」「焦げ臭がやや目立つ」「みずみずしさを感じにくい」などが挙げられていたが、いずれの回答においても顕著な劣化は指摘されていなかった。さて、今回の結果をふりかえって、ほぼ予想通りだったことと、やや意外だったことをいくつかまとめてみよう。■ほぼ予想通りだったこと ・一般に、「ブルゴーニュは熱などの環境変化に弱い」といわれているが、今回の検証結 果においても、常温保存のボトルは、テイスターが満場一致で、「セラー保存とは違いがある」と指摘した。・ ボルドーについても、ブルゴーニュほど顕著ではないにせよ、「ある」と「わずかにある」をあわせれば、全員が違いを認めていた。・ 冷蔵庫保管については、通常室、野菜室とも、概ね問題のないレベルに収まった。とくに、ブルゴーニュに関しては全員が「ない」と「気にするレベルでない」との回答だった。■ やや意外だったこと ・冷蔵庫保管の環境では、ブルゴーニュでなくボルドーの方に、「違いがある」という回答が多かった。・ 常温保存のボトルは、往々にして「熱によって熟成感が出て、逆に美味しく感じられることがある」といわれるが、今回の検証で常温保存ボトルの方を、セラー保存のものより美味しいと答えたテイスターはひとりもいなかった。■暫定的な結論これらの結果をどう読み取ればよいだろうか?まず「常温保存」については、温度が35~37度と極端だったこともあり、われわれの予想以上の変化が見られた。ブルゴーニュ、ボルドーとも、果実味が抜けてしまっており、バランスを欠いていたが、劣化の程度はブルゴーニュの方が酷かった。このことは7名が全員一致でセラー保管との違いを指摘していたことからも明らかであり、エアコンのない環境下でひと夏越させるというのは、ワインにとっては相当にシビアなシチュエーションであることを改めて思い知らされる結果となった。それにしても、直射日光の入らない部屋で35度~37度というのは、ある意味ショッキングな数字だが、夏場に旅行や帰省である程度の期間、家を留守にすることはどこの家庭でもありうるケースだし、一人暮しや夫婦共働きの家庭で、外出時にエアコンを切ってゆけば、ワインたちは日常的にこのような環境下にさらされることになるということでもある。また、たとえば我が家のセラーのうちの1台はエアコンのない部屋に置かれている。考えたくない事態だけれども、セラーが故障したまま、運悪く気づかなければ、このような環境に容易になりうるということでもある。 次に「夏場は冷蔵庫、それ以降はリビングでの保管」のボトルであるが、前述のように、「違いはない」「わずかしかない」という回答が大勢を占めた一方で、ボルドーについて、「違いがある」と指摘する傾向が多かったのはやや意外というか不思議な結果だ。 実験結果をすなおに読み解けば、「ボルドーはブルゴーニュよりも冷蔵庫内の環境(低温?振動?)に弱いのでは?」なんていう疑問すら沸いてくる。しかし、この仮説はいささか大胆すぎるように思われる。というのも、回答欄のコメントやテイスティング後のディスカッションによれば、ボルドーについて「違いがある」と書いたテイスターたちも、常温保存のボトルのような大きな違いではなく、ボトル差と言われれば納得してしまうぐらいの違いだという認識だったし、そもそも今回のテイスティングは、基本ワインとそれぞれの条件のボトルとの違いを探るという、ネガティブな回答の出やすい、ともすると「粗探し」になりかねない検証方法だったため、二巡目になってテイスティング方法に慣れたテイスターが、ブルゴーニュの時よりさらにシビアな目で(舌で)判断を下したという可能性も否定できないからだ。 個人的な印象で恐縮だが、たとえば私自身、もしセラー保存の「基本ワイン」を他の3種のグラスとごちゃまぜにしてブラインド・テイスティングで出題されたら、冷蔵庫保管とセラー保管のグラスを正しく指摘できたかは疑わしい。個人的には、冷蔵庫保管ボトルとセラー保管ボトルとの差は、あったとしてもその程度のものだったように感じられた。 もちろん、だからといって、セラーなしでも、冷蔵庫に保管しておけば問題ないと結論づけることできない。程度の差こそあれ、7名中4~5名のテイスターがセラー保管との違いを指摘しているのは無視できない事実だし、私の拙いテイスティングをもってしても、冷蔵庫に保管したボトルは、セラー保管に比べて、テクスチャーのなめらか感や立体感が、微妙にスポイルされたものがあったように思われた。といっても、あくまでこれはINAOのテイスティンググラスを並べて、しんねりむっつりと比較テイスティングした場合の話である。 日常用途において、セラーのない環境で大事なワインをひと夏越させる、という命題に対しては、夏場冷蔵庫に緊急避難させておくのが(ベストかどうかは別として)有効な手段だというのは疑いないところだし、少なくとも、夏場にエアコンないような部屋に置いておくよりは、冷蔵庫に入れておいたほうがよいというのは確かなようだ。■次回検証に向けて。 正直に書くと、今回の結果を見て、私自身、少しほっとしている。というのも、ひと夏経過時点の検証結果で、セラー保管と冷蔵庫保管のボトルの間にあまりに顕著な差が現われるようだと、この先の検証作業のテーマを大幅に軌道修正しなければならないからだ。もちろん冷蔵庫に保管したボトル、特にボルドーについては、「違いがある」という回答が複数あったこと、そして気にならないような軽微なレベルとはいっても、多くのテイスターが冷蔵庫保管とセラー保管の違いを指摘していたことを思えば、今回の実験方法が手放しで「問題ない」と結論づけることはできない。 加えて、冷蔵庫による影響については今後も継続的にウオッチングしてゆかねばならない要素が残されている。たとえば、「臭いが移る」とか「コルクの乾燥」といった問題。今回テイスティングした冷蔵庫保管のボトルについては、そういった現象は見られなかった(実際、コルクを見比べても明確な違いは見られなかった)。しかし、仮にふた夏、あるいは一年中冷蔵庫で保管した場合も大丈夫だといえるだろうか?また、「通常室」と「野菜室」との違いの検証も消化不良のままだ。今回の集計結果では両者の違いは見られず、テイスターの方々も特に指摘はしていなかった。しかし、私の印象では、冷蔵庫の「通常室」と「野菜室」では、どうも野菜室の方が良好な気がしたのだ。本当にそうなのか、あるいは、私だけが実験の概要をあらかじめ知っていたことによる思い過ごしなのか、次回以降の検証で見極めたいところだ。さらに、そもそも本当に冷蔵庫に入れなければならないのか、という根本的な疑問が残されている。今回検証した、常温保存のボトルの痛み様はあまりに過酷な環境におかれていたゆえの変化であって、ひと夏程度であれば、冷蔵庫に入れずともエアコンの効いた部屋の中に一年中置いておけば十分ではないか、というのも至極まっとうな疑問であるし、仮に冷蔵庫に保管した場合と、エアコンの効いた部屋に置いた場合とで顕著な違いが現れないのであれば、わざわざ家庭不和を招いてまで冷蔵庫を使用する必要もない。ご安心めされ。このような疑問に答えるべく、実験は継続中である。次回(もしくは次々回)はこのようなテーマについて、徹底的に検証してゆこうと思うので、請うご期待、である。■ 最後に。 話が矛盾するようであるが、今回テストした常温保存のボトルたちは、かようにダメージを受けてバランスを崩していたとはいえ、異臭を放っていたり、醤油のような味わいになっていたりというような、極端なレベルではなかった。そうすると、ショップで購入するワインたちの中でしばしば出くわす、こうした激しく劣化したボトルたちというのは、一体どのような流通経路でどのような扱いを受けてきたものなのだろう、と改めて疑問に思う。そう、これだけ、ああだ、こうだと検証したり、保存に気をつかっても、そもそも購入した時点でダメージを受けているワインのどんなに多いことかは、本誌のテイスティングでボツになったボトルの多さが実証している。長年保存するような大切なボトルはやはり信頼できるショップから買うというのが大前提だということを。*****************今、あらためて読んでみて思うことを少し補足しますと、まず決定的な違いは、当時と今とではワインセラーの入手環境が全く異なっているということです。当時は、フォルスターの冷蔵庫とセラーの中間のようなモデルを除けば、一番安いセラーでも10万〜20万程度は覚悟しなければなりませんでした。収容本数や耐久性はともかく、1万円程度で購入できていしまうペルチェ式のセラーが普及した現在、少なくとも専門誌を買うようなワイン愛好家に対して、野菜室であろうがなかろうが、積極的に「冷蔵庫で」保管することを推奨するという結論にはならないだろうと思います。とはいえ、1~2万円のセラーであっても買う気のない「愛好家やマニアでない一般の人たち」が、例えばいただきものの高価なワインをどう保存しておくか、というシチュエーションにおいては、今でも検証結果はそれなりの意味を持つのかなとも思います。
2021年02月15日
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