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大内宿をあとにして向かったのは塔のへつり 塔のへつりとは 福島の自然が長い時間をかけてつくりあげた景勝地で、 川沿いに奇岩が連なる静かな場所です。 岩肌の模様や、緑の深さ、川の透明さが重なり合って、 どこか時間がゆっくり流れているような景色が広がっています。案内板の前に立つと、 この場所がどんなふうに形づくられてきたのか、 想像が広がりました。展望台へ登ろうとしたのですが、 そこは個人の持ち物とのことで、 「登れません」と声をかけられました。クマさんはTVで見てずっと行きたかった場所だったので、 その瞬間、がっかりしたように見えました。TVで見たイメージとはまるで違い整備が行き届いていなくて、 進む先は行き止まりばかり。 クマさんは思っていた景色に出会えず、 とても残念そうでした。でも、水辺の静けさは変わらず美しくて、 その場に立っているだけで、 旅の時間がすこしやわらいでいくようでした。岩の間にひっそりと佇む祠。 木の香りと岩の冷たさが混ざった空気が、 心を静かに落ち着かせてくれました。薄暗い洞の中に置かれた小さな像や供え物。 その静けさが、 クマさんの少し沈んだ気持ちを そっと癒してくれるようでした。岩肌の模様や川の流れを眺めながら歩くうちに、 クマさんの表情も少しずつ和らいでいきました。遠くに橋が見えて、 山の緑が重なる静かな景色が広がっていました。 塔のへつりの本来の美しさが、 ここでようやく姿を見せてくれたようでした。この日はどんどん暑くなってきて、 観光をざっと終えるころには汗ばむほど。 そんな中で食べたソフトクリームは、 ひんやりとした甘さがすっと体に染み込んで、 その日の中でいちばんほっとする味でした。思っていた景色に出会えず、クマさんは少しがっかりしていました。整備の行き届かない道に、ほんの少しだけ不満もこぼれていました。けれど、水辺の静けさがその気持ちをそっと和らげてくれて、私たちはゆっくりと次の場所へ向かいました。続くFC2・・はこちらから
2026/07/27
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この季節になると、 スーパーに行くたびに鮮魚コーナーを覗きます。クマさんは、豆アジがあるかどうかを まるで季節の合図を確かめるように見に行くのです。でも、ない日が続くと、 クマさんは分かりやすくしょんぼりする。 目尻が少し下がり、肩もほんの少し落ちて、 がっかりした様子がそのまま表情に出ます。その姿を見ると、 私の胸もきゅっとなります。だからこそ、豆アジを見つけた日は特別。 鮮魚コーナーで銀色の小さな体を見つけた瞬間、 クマさんの顔がぱぁっと明るくなって。目尻がきゅっと下がり、 口元がふわっとゆるんで、 本当に笑顔満載という言葉がぴったり。そしてすぐに私のそばへ駆け寄ってきます。「豆アジあった!」その声は報告というより、 嬉しさを共有したくて仕方ない気持ちそのもの。その瞬間のクマさんは、 豆アジよりも輝いて見えます。夏の台所は、ただ立っているだけで汗がにじみ。 油を熱し始めると空気がさらに重くなって、 揚げ物は本当はめっちゃ嫌。でも、クマさんのあの満開の笑顔を思い出すと、 「仕方ないなぁ」と自然に手が動きます。ぱちぱちと油の音が跳ねる中、 汗をぬぐいながら揚げていく時間も、 どこかやさしい気持ちに変わっていきます。揚げたての豆アジを箸でそっと持ち上げ、 甘酢の器に近づけて。そして…ジュッ。油をまとった豆アジが甘酢に触れた瞬間、 小さくて、でも確かに美味しそうな音が立ちます。 その音は、揚げ物の暑さや汗をすべて報いてくれるような、 ご褒美みたいな響きです。魚の表面が甘酢を吸い始めると、 揚げたての固さがゆっくりほどけていき、 角が丸くなっていきます。最後にクマさんの畑で収穫した玉ねぎの薄切りをふわりとのせます。 白い層が甘酢の上に浮かんで、 台所に「あと少しで美味しくなるよ」という気配が満ちていきます。玉ねぎは2〜3日かけてゆっくり甘酢を吸い、 ほんのり透き通ってくる頃が食べ頃。出来上がった南蛮漬けを器に移すと、 クマさんはもう嬉しそう。箸を入れる前から目が細くなって、 「これこれ」という気持ちが表情にそのまま出ています。ひと口食べると頬がゆるみ、 いつも少し早い食べ方なのに、 南蛮漬けのときだけは噛む速度がほんの少しゆっくりになります。そのゆっくりが、 台所の時間をちゃんと受け取ってくれている証のようで、 見ているこちらまで胸があたたかくなります。食べ終えたあと、 食卓にはほんのり甘酢の香りが残っています。クマさんは箸を置いて、 満足そうにふぅっと息を吐き。 その息が「今日も美味しかった・・」と 言葉の代わりになっているみたい。そしてぽつりと 「また作ってな」 と言う。その一言が、 暑い中で揚げた時間を 報いてくれます。クマさんの美味しそうに食べる顔を見ちゃうと、 暑い中で作った甲斐があったなぁって、 心から思います。最近の鮮魚売り場は、前より魚が少なくなりました。種類も量も減って、値段も高く、昔のように「今日はこれにしよう」と選ぶ楽しさがだんだん難しくなっています。豆アジもなかなか姿を見せず、以前なら何度も作っていた南蛮漬けも、今年はまだ三回だけ。だからこそ、豆アジに出会えた日は特別で、クマさんの満開の笑顔を見ると、暑い台所で揚げた時間も「作ってよかったなぁ」と心から思えるのです。FC2・・はこちらから
2026/07/26
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観光をひと通り楽しんで、 目的のみさわやさんへ向かいました。 朝の光の中で、建物は静かに佇んでいて、 その前に立つと、旅の時間がまた少し動き出すようでした。お店のそばには、 小さな石の置物がちょこんと並んでいて、 その姿がどこか愛らしく、 開店前の静かな時間をやわらかくしてくれていました。暖簾の横には、 小さな機械式の番号札発券機が置かれていて、 ボタンを押すと4番の札が出てきました。すでに、息子さんとお母さんの二人が 待っていらっしゃいました。 息子さんのお仕事でこちらへ来ることになり、 「せっかくだから一緒に行こう」と誘ってもらったのだそうです。「ここでお蕎麦を食べたかったから、朝食は食べずに来たんですよ」 と、お母さんが少し嬉しそうに話されていて、 その言葉に、 このお店が旅の中でどれほど楽しみにされているのかが 伝わってきました。開店前の静かな時間の中で、 同じお店を楽しみにしている人たちと並んで待つことは、 どこか特別で、 その後の一杯がより温かく感じられるようでした。ちょうどそのとき、 道路を挟んだ向かいにある 「みさわやさんのご自宅」 のほうから、 おばさんがすっと出てこられて、 にこやかに声をかけてくださいました。「突き立てのお餅ができあがったから、 よかったら買っていってね」お母さんと顔を見合わせて、 いっしょに道路を渡り、ご自宅のほうへ向かいました。並べられたお餅は、 手に取るとまだほんのり温かく、 指先に柔らかさが伝わってきました。 その場で食べたくなるくらいのやさしい温度で、 朝の空気に溶け込んでいました。干し柿も、 暮らしの中の手しごとがそのまま形になったようでした。お店の開店を待つ時間の中に、 ふっと生活の気配が入り込んでくるようで、 その温かさが、 みさわやさんでの時間をさらに特別なものにしてくれました。お店に入る前、まず目に入ったメニュー板。 どんなお蕎麦が出てくるのだろうと、 期待がふくらみました。店内は落ち着いた和の空気が流れていて、 朝の光が障子越しにやわらかく差し込んでいました。注文を取りに来てくださった店員さんは 海外の方のようで、 この和の雰囲気とのやさしい対比が どこか新鮮でした。一杯を二人でシェアしても大丈夫か尋ねると、 「それで大丈夫ですよ」と とても気持ちよく応じてくださって、 その丁寧な笑顔に思わず私の頬も緩みました。最初に小鉢が運ばれてきました。 れんこんのしゃきっとした歯ざわりと、 にんじんのやわらかな甘さが混ざっていて、 素朴な味わいが朝の体にすっと馴染みました。 朝はお弁当を食べていたので、 高遠そばは一杯を二人で分けることにしました。思っていた以上にたっぷりと盛られていて、 「一杯にしてよかったな」と 自然と笑みがこぼれました。つるりとした喉ごしと、 だしのやさしい香りがふわりと広がり、 本当に美味しいお蕎麦でした。クマさんのネギ挑戦 名物の長いネギで食べる姿が楽しそうで、 その場の空気が明るくなりました。クマさんの様子を見て、 私も少しだけ挑戦してみました。ネギの香りがふわっと広がって、 ひと口目は楽しくて思わず笑ってしまいました。 でも少し食べにくくて、 そのあとは箸でゆっくりいただきました。朝の光の中で食べるお蕎麦は、 それだけで旅の時間がやわらかくなるようでした。食べていると、番号札のところで出会った 息子さんとお母さんが声をかけてくださって、「美味しいでしょう?」 「ここ、本当にいいお店ですよね」そのやわらかい笑顔が、 朝の光のようにすっと心に届きました。ほんの短い会話でしたが、 気持ちのいい出会いだなぁと しみじみ感じる瞬間でした。大内宿の静かな朝をあとにして、次の目的地へ向かいました。続くFC2・・はこちらから
2026/07/24
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見晴台をあとにして、行きとは違う階段をゆっくり降りていきました。木々の間からこぼれる光が段差の影を静かに揺らし、さっきまで胸の奥に広がっていた静けさが、少しずつ足元へと降りていくようでした。階段を降りきったところに、圓城山若王子院が静かに佇んでいました。屋根の影はまだ朝の光を含んでいて、建物の前に立つと、見晴台でひらいた心がそっと落ち着いていくような、穏やかな気持ちになりました。若王子院をあとにして歩き出すと、どちらの階段から登ろうかと迷っている御夫婦と出会いました。地図を見たり、階段を見上げたりして、少し困っている様子が伝わってきます。「こちらから登るほうが楽ですよ」そうお伝えすると、その方はふっと表情をゆるめて、「助かりました」と静かに頭を下げてくださいました。朝のやわらかな空気の中で交わした、ほんの短い言葉のやりとりでしたが、旅の途中で生まれるこうした小さな出会いが、その日の歩みを温かくしてくれるようでした。さらに進むと、ぱっと視界がひらけました。そのとき、いちばん最初に目に入ったのは・・すぐそばを流れる、透き通った水でした。水は細い水路を静かに流れ、石の間で光を受けてきらりと揺れています。その透明さが、見晴台で感じた静けさの余韻を足元へ届けてくれるようでした。水路の音を聞きながら歩いていくと、お土産物屋さんがちょうど開店したところでした。店先には、色とりどりの飾りや干しものが揺れ、朝の光を受けてやわらかく輝いていました。その飾りは、ただ並べられているのではなく、ひとつひとつが丁寧に結ばれ、色の重なりや形の流れまで考えられているようでした。まだ人の少ない時間帯で、風の通り道にだけ揺れるその姿は、まるで朝の空気に溶けていくようでした。大根の干しものも手作りのもので、表面のしわの寄り方や、紐の結び目の小さな力加減に、作り手の時間が宿っていました。どれもとても可愛く丁寧に造られていて、思わず手に取ってみたくなるようなお品ばかりでした。店の方は、棚の上の品物をひとつずつ確かめるように並べ直し、その手つきは急ぐでもなく、ただ朝の空気に合わせるような静かなリズムでした。その手しごとが、大内宿の朝の空気にやさしく溶け込んでいて、歩いているこちらの気持ちまで自然と穏やかになって。店先には試食ができるように小さな器が並べられていて、その横のテーブルには冷たいお茶と湯飲みが置かれていました。湯飲みの白さと、お茶の淡い色が、朝の光の中で馴染んでいて、「どうぞゆっくりしていってくださいね」という声にならない心遣いが伝わってきました。ここでいろいろ試食させていただき、数種類のお漬物を購入しました。どれも味がやさしく、この町の空気と同じように、静かに身体へ染み込んでいくようでした。少し進むと、 大内宿町並み展示館(大内宿本陣跡)がありました。 外観は、町並みの茅葺き屋根と同じ静かな佇まいで、 入口の影がひときわ深く、 その前に立つと、外の光がそっと後ろへ退いていくようでした。中へ入ると、 ひんやりとした空気が身体を包みました。 外の賑わいとは違う、 時間がゆっくりすすんでいくような静けさがあります。展示棚には、 昔の生活道具が丁寧に並べられていました。 木の器や農具、旅人が使ったであろう品々が、 この土地で積み重ねられてきた時間を 語りかけてくるようでした。奥へ進むと、 続き座敷が広がっていました。 障子越しの光がやわらかく差し込み、 畳の上に淡い影を落としています。 その静けさは、 見晴台で感じた朝の余韻とどこか似ていて、 歩く速度まで自然とゆっくりになっていきました。さらに階段を上がると、 二階には蚕を飼っていた部屋が残されていました。 梁の太さや、置かれた道具の形に、 この家で営まれていた生活の気配が静かに宿っています。外の光が届きにくい場所で、 少し薄暗いその空間は、 人々が日々の暮らしを支えるために 手を動かしていた時間を思い起こさせました。展示館を出るころには、 外の光が少しだけまぶしく感じられました。 続くFC2・・はこちらから
2026/07/23
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2026年5月28日(木)晴れ5時30分にふっと目が覚めました。 まずカーテンを開けてお天気の確認。 会津の夜明けは早く、この日もすでに澄んだ青が空に広がっていて、 「とってもいいお天気」という確信が、光の中から自然に伝わってきました。クマさんも起きてきたので、ふたりでお風呂へ。 向かったのは最上階の展望露天風呂「遊月の湯」。 湯気の立ち方も、風の通り方も、昨夜とは違う静けさをまとい、 誰もいない湯を独り占めする時間が、 朝の空気とゆっくり溶け合っていきました。湯に身を沈めるたび、今日の歩みが自然と整っていくのがわかります。ホテルの朝食は7時30分からでしたが、 今日は7時には出発したかったため相談すると、 「では、お弁当をご用意しましょう」と 迷いのない、やさしい返事が返ってきました。7時に受け取ったお弁当を車に積み、ホテルを出発。 朝のひんやりした空気の中を走り、7時43分に目的地へ到着すると、 早い時間にもかかわらずすでに数台の車が停まっていて、 同じように朝の旅を楽しむ人たちの気配がありました。車内でお弁当をいただきながら、 ゆっくりと体を整えてから大内宿へ向かいます。入口には、静かに佇む大内宿住民憲章の看板がありました。 朝の光を受けて木肌がしっとりと浮かび上がり、 少しかすれた文字のひとつひとつに、 この土地を守り続けてきた人々の思いがそっと宿っているようでした。風が通るたびに草の音が足元でやわらかく揺れ、 その音が、書かれた言葉を静かに支えているようにも感じられます。 看板を読み終えたとき、 町へ向かう一歩が自然と慎ましく整えられていきました。ここから大内宿へ入っていきました。 道はゆるやかに村へと続き、朝の光が屋根や木々の影を静かに伸ばしていました。 その空気のやわらかさが、歩く速度まで自然とゆっくりにしてくれます。道を進むと、茅葺き屋根の家々が静かに並び、 その前を流れる細い水路が、さらさらと小さな音を立てながら朝の光を受けていました。さらに奥へ進むと、 広い道の両側に古い家並みが続き、 その向こうには緑の山がやわらかく重なっています。 この場所に流れる時間は、どこか懐かしく、 歩くたびに足音が静かに吸い込まれていくようでした。そして、町並みをひととおり眺めたあと・・道の端で、おばさんが自宅前に水をまいている姿を見かけました。ひしゃくをゆっくりと傾けるたびに、水が地面に落ちて、しっとりと濃い色へと変わっていきます。写真にはその姿は写っていませんが、地面の色の変化が、さきほどのその動きを残していました。乾いた砂の白さとは違い、水を含んだところだけが静かに落ち着いた色をしていて、朝のひとしずくの気配がまだそこに留まっているようでした。おそらく、砂埃が立たないようにという心遣い。その静かな手しごとが、この町で暮らす人の時間と、旅人として歩くこちらの時間を、そっと重ねてくれるようでした。町並みをゆっくり歩いたあと、 道は少しずつ上り坂へと変わり、 見晴台へ向かう静かな道がはじまります。 家々の影が後ろへ伸び、 朝の光が少しずつ濃くなっていくのがわかりました。鳥居の前を通り過ぎると、 山へ向かう気配が静かに立ち上がります。その先には、茅葺き屋根の家がぽつりと佇み、 屋根の一部が修繕されている様子も見えました。 この町が今も人の手で守られていることが、 歩きながら自然と伝わってきます。さらに進むと、 石碑の前に静かに立つ建物があり、 その周りの緑がやわらかく揺れていました。 見晴台へ向かう道は、 町の暮らしの気配と山の静けさが少しずつ混ざり合う場所です。階段のそばには案内板とお地蔵さまがあり、 赤い前掛けが朝の光に映えていました。 ここから先は、 見晴台へ向かう小さな山道がはじまります。山道に入ると、木々の間から光がこぼれ、 階段の石がところどころ濡れていて、 朝の山の気配が静かに満ちていました。その途中に、熊出没注意の看板がありました。 派手な色ではなく、木々の緑の中にそっと立つような佇まいで、 「この山は人だけの場所ではない」という 気配を伝えているようでした。看板を見た瞬間、 森の奥に続く気配が少しだけ濃く感じられ、 歩く足取りが自然と慎ましく整っていきます。階段を上りきると、 小さな社が森の中に静かに佇んでいました。 屋根の影がやわらかく落ち、 風が通るたびに木々がそっと揺れます。社のそばには、由来を記した木の板が置かれていて、 その文字の並びが、 この場所が長い時間を静かに守られてきたことを 語っていました。森を抜けると、 見晴台から大内宿の町並みが一望できました。 茅葺き屋根が並ぶ風景が、 朝の光の中でやわらかく広がっていました。見晴台に立った瞬間、 胸の奥がふわっとゆるむように広がって、 思わず「わぁ・・」という声にならない息がこぼれました。 その景色が見たくて、 人のいない静かな時間に触れたくて、 早朝に出発したことが、 その一瞬で報われたように感じました。誰もいない風景は、 ただ静かというだけではなく、 自分の呼吸の音がすこしだけ大きく聞こえるような、 そんなやわらかな孤独をまとっていました。茅葺き屋根の並びが朝の光に染まり、 その光が身体の内側まで届いてくるようで、 背中のあたりがすうっと軽くなるのがわかりました。 景色を見るというより、 身体がその広がりを受け取っていくような感覚でした。早朝の空気は、 肌に触れると少し冷たく、 その冷たさがゆっくり温度を戻していく間に、 心の奥のざわつきが静かに沈んでいきました。 その沈み方が、 「この景色がみたかった」という気持ちを さらに深くしてくれたようでした。続くFC2・・はこちらから
2026/07/21
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武家屋敷をあとにして、今夜のお宿へ向かいました。 歩いた足に疲れが残り、 夕方の光がその疲れをやわらかく包んでくれるようでした。 車で短い距離を進んでいくと、 千代滝が迎えてくれました。千代滝に着くと、 私が予約していたのはワイドツインでしたが、 金婚記念の旅だとお伝えすると、 高層階の和洋室にグレードアップしてくださっていました。 その心遣いがとても嬉しかったです。部屋に入ると、障子越しの白い光が広がり、 窓の向こうの緑が、風に合わせて揺れていました。 畳とベッドが寄り添うように並び、 記念の旅にふさわしい、やわらかな静けさが満ちていました。まだ時間が早かったので荷物を置くと、最上階のお風呂へ向かいました。木の温もりが広がる湯船は、静かな空気に包まれていて、湯面がやわらかく揺れていました。人の気配がなく、湯気だけが静かに立ちのぼっていました。湯に身を沈めると、今日の歩みがゆっくりほぐれていきました。(※お風呂の写真はお借りしたものです。)夕食はバイキングでした。 歩いた一日の疲れをほぐすように、 まずはビールで「お疲れさま」と乾杯しました。 湯上がりの身体に、冷たいビールが静かに染みていきます。並んだ料理を少しずつ選びながら、 どれも彩りがきれいで、見ているだけで楽しくなるようでした。 天ぷらの軽い衣、煮物のやわらかさ、 小鉢にそっと盛られた山菜やおひたし。 どれも旅先らしい、やさしい味でした。再び料理をとりに行き席に戻ると、 クマさんが美味しそうに食べていて、 その表情を見ているだけで、今日の歩みが報われるようでした。 静かな館内の灯りが、ふたりの時間をゆっくり包んでくれます。少しずつお皿を重ねながら、 旅の夕食らしい、ゆったりとした時間が流れていきました。 どの料理も、ほんのりとした味わいで、 身体にやさしく馴染んでいきます。夕食のあと、無料のラウンジで少し休憩しました。 ソフトドリンクやアルコール、珈琲、紅茶、お茶などが自由にいただけて、 食後のゆったりした時間にちょうどよい場所でした。照明は落ち着いていて、 木の温もりが静かに広がる空間。 ふたりでソファに腰をおろすと、 今日の歩みがそっとほどけていくようでした。クマさんも、湯上がりの身体を休めるように座っていて、 その穏やかな表情を見ているだけで、 旅の夜がゆっくり深まっていきました。静かなラウンジの空気が、 ふたりの時間をやさしく包んでくれるようでした。ラウンジで少し休んだあと、部屋へ戻りました。明日の支度を整えていると、一日の疲れがゆっくりと取れていく気がしました。ベッドに横になると、その寝心地が思わず笑ってしまうほどよくて、身体がすっと沈み込むようでした。気づけば、あっという間に眠りに落ちていました。歩いた歩数 14023歩 距離 8.9km続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/19
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内部の見学をひと通り終え、 角を曲がると「順路」と書かれた案内が立っていて、 「この先へどうぞ」と示してくれます。会津歴史資料館の入口が見えてくると、 外とは違う、ゆっくりとした時間が そこから静かに始まっていきました。赤い布の上に横たわる刀は、 光を吸い込むように静かに佇み、 昔の人々の息遣いが残っている気配がありました。甲冑の前では、空気が少し重くなるような感覚。 紐の結び目、金具の細工、面頬の静かな表情・・どれも丁寧で、時代の重みがそのまま形になったようでした。陶器の並ぶ一角は、少し柔らかい空気。 器の丸みや釉薬の色がやさしく灯りを返し、 日々の暮らしの時間がそっと思い浮かびます。漆の器は、深い色をゆっくり返しながら佇んでいました。 黒と金の重なりが静かで、 見ているだけで心が落ち着くような気配。奥へ進むと、 木の香りがふっと濃くなる一角がありました。 そこには、長い年月を経た水車の仕組みが 静かに残されていました。大きな輪は今はもう動かないのに、 どこか「水の重さ」をまだ覚えているようで、 木の軸や歯車の一つひとつが ゆっくりと時間を抱え込んでいるようでした。水が流れ、輪が回り、 その力が奥の機構へ伝わっていく・・そんな当たり前の営みが、 この会津歴史資料館の中ではとても静かで、 昔の生活の息遣いが残っているように感じられます。会津歴史資料館を出ると、 光がふわりと広がり、空気が少し軽くなりました。 長い時間をまとった展示の余韻がまだ胸の奥に残っていて、 その余韻をやさしく受け止めるように、 外の景色が広がっていました。木々の緑はやわらかく、 門の向こうへ続く道が控えめに伸びていて、 「この先にも静かな物語がありますよ」と 知らせてくれるようでした。少し歩くと、案内板が立っていました。 そこには、この場所田中畑陣屋(旧中畑陣屋)の歴史が記されていました。 田中畑陣屋は、江戸時代に置かれた 代官所(陣屋)のひとつで、 地域の年貢や土地の管理、村々の取りまとめを行う 行政の中心でした。建物は、武家屋敷ほど厳めしくはなく、 かといって農家ほど素朴でもなく、 「公の仕事をする場」としての 静かな緊張感をまとった造りになっています。案内板には、 この主屋が当時の姿をよく残していること、 梁や柱の組み方、土間や座敷の配置が 陣屋としての役割を示していることが 丁寧に書かれていました。さらに進むと、 木の建物が静かに佇み、 開いた戸口からは畳の部屋が見えました。 内部の展示とは違う、 生活の気配がほんのり漂う空間でした。その先には、 昔の家屋が残されていて、 風が縁側を通り抜ける音が かすかに聞こえるような気がしました。道の脇には、 そっと置かれた案内板や、 木々の間に佇む像があり、 この場所が人々の祈りや願いを 静かに受け止めてきたことを感じさせます。展示を見終えて外の風景を歩き、 田中畑陣屋の静かな佇まいを味わったあと、 道の先に小さな御土産のコーナーがありました。棚には、赤い体に丸い目をした赤べこが いくつも並んでいて、 どれも首をゆらりと揺らしながら こちらを見ているようでした。赤や金の色が並ぶ棚は、 展示室の静けさとはまた違う、 少しあたたかい空気がありました。赤べこは、会津で昔から親しまれてきた赤い牛の民芸品で、赤い色には「災いから守ってくれる」というやさしい願いが込められています。そして体にある黒い斑点には、少し不思議でやさしい伝承が残っています。昔、会津で疫病が流行したとき、赤べこを持っていた子どもたちが病にかからなかったことから、「赤べこが病を吸い取ってくれた」と語られました。黒い斑点は、その吸い取った病の跡を表している・・そんな静かな物語が今もそっと受け継がれています。首がゆらゆらと揺れる素朴な仕組みは、木と紙を組み合わせた昔ながらの作りで、その揺れがどこかあたたかく、家に福を呼び込むと信じられてきました。その中から、手のひらにすっと収まる小さな赤べこをひとつ連れて帰ることにしました。木の台の上で、首をゆらりと揺らすその姿がかわいらしく、今日の旅の静かな時間をそっと閉じてくれるようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/17
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展示室をでると向こうに、 屋敷の入口が開いていました。 ここから、屋敷内の見学へと進んでいきます。中に入ると、まず台所がありました。 木の柱と白い障子がやわらかく光を受け、 昔の生活の気配がそのまま残っているようでした。 ここで靴を脱ぎ、廊下沿いの見学が始まります。台所には、 大きな石の道具や木の器が並び、 日々の営みを支えた道具たちが静かにそこにありました。奥には囲炉裏の跡や、 調理に使われた道具が整然と置かれ、 この屋敷で過ごした人々の生活が 思い起こされます。台所を抜けると、 長い廊下がまっすぐ伸びていました。 赤い敷物が続き、 右手には庭の光がやわらかく差し込みます。 左手には畳の部屋が並び、 緑の縄が仕切りをつくっていました。廊下を歩くたびに、 木の床がかすかに軋む音がして、、 外の風景と屋敷の静けさが 重なっていきます。 ここから、屋敷内の各部屋の展示へと進んでいきました。廊下を進んだ先に、 槍の間(玄関番の詰め所)と呼ばれる部屋がありました。 ここは玄関番が常時二〜三名詰めて、 敵の侵入や緊急の事態に備えていた場所です。中央の畳は「通り畳」と呼ばれ、 縁がないまっすぐな敷き方になっていました。 走ったときに足が引っかからないように工夫された、 武家屋敷ならではの緊張が漂っています。 甲冑と槍の並びが、 この部屋が守りの最前線であったことを 伝えてくれました。槍の間を抜けると、 式台玄関の裏側にあたる場所へ出ました。 白い幕が静かに揺れ、 外の光がやわらかく差し込んでいます。 ここは来客を迎えるための空間で、 屋敷の格式が感じられました。畳に座る人の姿が、 この場所が迎える側の静けさを持つことを 教えてくれます。さらに奥へ進むと、 使者の間と呼ばれる部屋がありました。 ここは城からの使者が家老と対面した場所で、 屋敷の中でも特に格式の高い部屋です。蒔絵の棚が置かれ、 金の意匠がやわらかく光を受けていました。 甲冑が佇む姿は、 武家の美意識と緊張が重なるようでした。部屋の静けさの中に、 迎える側の深い礼節が感じられました。さらに進むと、 簡素で静かな「鎖の間」がありました。 お茶の席で客を迎える際に使われた部屋で、 灯りがやわらかく置かれ、 控えの間らしい落ち着きが漂っています。鎖の間の奥には、 格式の高い「御成の間」がありました。 大名や身分の高い客を迎えるための特別な空間で、 座敷造りの部屋がいくつも連なっています。人形が静かに座していて、 当時の様子が再現されていました。御成の間を出ると、 庭の一角に古式の厠がありました。 木の壁と格子窓がやわらかく光を受け、 庭の緑と静かに調和しています。中へ入ると、 簡素な造りの古い厠が展示されていました。 木の床と素朴な器具が、 昔の生活の一端をそのまま残しています。厠を出ると、 視界がひらけて庭の緑が広がりました。 木々の影が揺れ、 屋敷の静けさと外の空気がゆるやかに重なります。建物の影と庭の緑が寄り添うように並び、 歩くたびに空気が少し軽くなるようでした。庭を眺めながら進むと、 小さな執務室がありました。 低い机と金属の箱が置かれ、 簡素ながら実務の気配が残っています。障子越しの光がやわらかく差し込み、 ここで誰かが静かに書き物をしたり、 細かな仕事をしていたのだろうと 想像しました。小さな執務室を抜けると、 家老の執務室の手前に、 部屋がありました。畳の中央には大きな火鉢が置かれ、 そばに座布団が添えられています。 黒い蒔絵の棚が光を受け、 部屋の静けさの中で浮かんでいました。ここは、 執務室へ入る前のひと呼吸の場。 生活の温度が残る、やわらかな空気がありました。控えの間の奥には、 家老の執務室がありました。畳の上に机や文箱が整えられ、 書き物の道具が並んでいます。 棚には刀や道具が置かれ、 この屋敷の中枢としての気配が漂っていました。障子越しの光がやわらかく差し込み、 この部屋で日々の決裁や連絡が行われていたことが 伝わってきます。執務室を出ると、廊下の向こうに庭が見えました。瓦屋根と木の柱が並び、屋敷の奥へと続く気配が流れています。この静かな景色の先に、「自刃の間」がありました。畳の上に小さな机と座布団が置かれ、 奥には屏風が立てられています。 部屋の光は淡く、 静けさが深く沈んでいました。ここは、 慶応四年(1868)八月二十三日、 西軍が会津城下への攻撃を開始した際、 西郷家の者が「足手まといになるまい」と 自ら命を絶ったと伝えられる部屋です。ただ静かに、 その場の空気が残されているようでした。 言葉よりも、 部屋の佇まいがすべてを語っているように感じられました。別の展示室には、 自刃の場面を再現した模型がありました。 白い装束の人形が深く頭を垂れ、 屏風の前で並んでいます。ここでは、 自刃の作法や葬送の習わしが わかりやすく示されていました。 遺体の胸に守り刀を置く 枕元に屏風を立てる 悪霊を払うための「壁」として屏風を使う 襟を逆に合わせる、湯灌で湯を注ぐなど 日常とは逆の所作(ささごと)そのため、 この展示では天地を逆さにした屏風(逆屏風/坂屏風) が用いられていました。 死者を悪霊から守るための作法であり、 武家の自刃の際にも行われたとされています。展示室の逆屏風は、 作法の背景を伝える役割を果たしていました。奥へ進むと、 家族の静かな暮らしを感じさせる「奥二の間」がありました。 祖母や女の子が過ごしたとされる部屋で、 外の緊張から少し離れた、やわらかな空気が漂っています。畳の上には琴が置かれ、 屏風には淡い山水が描かれ、 部屋の奥に静かに立っています。奥二の間の隣には、 家老の寝室として使われた「奥一の間」があります。 書院造の落ち着いた造りで、 格式のある静けさが部屋全体に漂っていました。奥の一角には、 家族が身を清めるための湯殿がありました。 木の桶や湯釜が並び、 火と水の気配が残る、生活の温度を感じる空間でした。湯殿のすぐそばには、身支度を整えるための「化粧の間」がありました。鏡台の前には、女中が使った化粧道具箱や鏡が置かれ、湯殿で温まった体を整えるための、やわらかな時間が流れていたのでしょう。化粧の間のそばには、 食事の支度をする「配膳の間」がありました。 かまどや鍋、木の器が並び、 屋敷の一日の始まりと終わりを支える場所でした。配膳の間を抜けると、 最初に屋敷へ入ったときに通った台所へ戻りました。ここは、 家の中心となる生活の場であり、 奥向きの静かな部屋をめぐったあとに戻ってくると、 よりいっそう「家の息づかい」が感じられる場所でした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/14
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中の口玄関を離れると、 木の香りがゆるやかに漂う一角に、 厚い木材で組まれた酒槽(さかぶね)が置かれていました。 ここで醪を搾り、酒が生まれていった場所です。側面の「第一號」の赤い文字が、 かつての作業場の空気を残していて、 ただそこに息づいているだけで、 人々の手仕事が思い起こされるようでした。酒槽(さかぶね)とは、 清酒を絞る際に使われた木製の槽で、 中に醪を入れた酒袋を並べ、 押しぶたでゆっくり圧力をかけることで、 底の孔から澄んだ酒が流れ出す仕組みになっています。 静かな作業の積み重ねが、 酒の「はじまり」を支えていた道具でした。展示室に足を踏み入れると、 木の壁と柔らかな灯りがつくる静かな空気が広がっていました。 左手には文書や絵図が並び、 その奥には大砲と衣装をまとった人形が控えています。 この一枚の風景が、展示室のすべての気配を伝えてくれました。その中に、 「会津戦争への道」と題された説明板が掲げられていました。 鳥羽伏見の戦いから奥羽越列藩同盟、 そして会津へ戦火が広がっていく流れが 静かな文字で記されています。説明板のそばには、 四斤山砲の展示がありました。 文書の静けさと武具の重さが同じ空間に並び、 時代の気配がゆるやかに重なっています。木の台座に重い砲身を載せた四斤山砲が静かに佇んでいました。四斤山砲(よんきんさんぽう)は、 四斤(約2.4kg)の砲弾を撃つことができる小型の山砲で、 険しい地形でも運べるように作られていました。 縄でしっかりと固定された姿は、 戦の時代の気配を静かに残していて、 そこに佇んでいるだけで、 人々の覚悟が思い起こされるようでした。展示室の外に出ると、 白壁と黒板の落ち着いた建物が並び、 木の柱が静かに影を落としていました。 手前には井戸屋形のような木組みがあり、 石の台座に支えられた柱が、 この場所の長い時間を伝えてくれます。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/11
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麟閣での一服を終え、外へ出ると、 まだ16時10分。 武家屋敷を見学する時間が少しだけ残っていました。 クマさんにどうする?と聞くと、 行きたいということで、 私たちは武家屋敷へ向かうことにしました。 石段の上に、黒い瓦の門が立っていました。 門の脇の石碑には「会津武家屋敷」と刻まれ、 ここから武家の暮らしの世界が始まるのだと 伝えてくれます。チケット売り場で 「閉館は17時ですが、時間は大丈夫ですか」と声をかけられました。 時計を見ると16時20分。 夕方の光の中を、少しだけ急ぎ足で歩くことにしました。 茅葺の屋根が大きく弧を描き、 白壁と木の梁が重なっていました。 庭の緑と花の色が、 武家の暮らしの時間を伝えてくれます。 格子模様の白壁が、 夕方の光を受けて影を落としていました。 厚い壁が、家財を守ってきた時代の重さを 声を張らずに伝えてくれます。庭の一角に、柔道の技を決める瞬間を切り取った銅像がありました。 西郷四郎。 講道館の初期を支え、「山嵐」の技で知られた人物です。像の背後には、 会津の武芸を支えてきた西郷家の気配を感じました。 剣や槍、柔術を家の柱としてきた家柄で、 屋敷の佇まいに、 少しだけ武の緊張が残っていました。庭の木々の影が揺れる中で、 動の気配を持つ銅像だけが、 景色を際立たせていました。 白い幕がかかった門をくぐると、 石畳が続いていました。 木の香りと土の匂いが混じり合い、 夕方の風が通り抜けていきます。もうひとつの門の白幕が揺れ、 武家の格式が伝わってきました。 案内板には、家老屋敷の歴史が記されていました。 家臣の役目や暮らしが紹介されていて、 屋敷の佇まいと重なり、 当時の気配が立ち上がってきました。西郷家の歴史 西郷家は、会津藩松平家譜代の家臣で、 代々家老職を務めた家柄でした。 千七百石取りの格式ある家で、 屋敷は敷地二千四百坪、建物二百八十坪、 三十八室もの部屋を擁していたと伝えられています。四脚門や式台玄関、 鬼瓦に付けられた九曜の紋章など、 格式の高い家老屋敷にのみ許された造りが その家の歴史を語っていました。その案内板を離れて歩くと、 光が少しやわらかくなる場所に、 式台玄関が見えてきました。式台玄関は、 身分の高い客を迎えるための特別な入口。 畳の上には控える人物が置かれ、 奥の屏風には金の景色が描かれていました。入口の札には 「写真撮影可」 「入室はご遠慮願います」 と記されていて、 外から眺めるだけで、 当時の空気を感じることができました。式台玄関を背にして歩くと、 木の影がゆっくり伸びる先に、 方長屋へ続く門が見えてきました。門の向こうの砂利道は、 静かに続いていて、 生活の気配が少しだけ漂っていました。門をくぐると、 白壁と木の梁が並んでいました。 薄い光が壁に寄り添い、 影が重なるところだけが、 かすかに時間の深さを伝えていました。方長屋は、 家臣たちの暮らしが続いていた場所。 ただそこに息づいているだけで、 当時の日常が立ち上がるようでした。木の色は少し深く、 長い時間を抱えているようでした。 白壁と梁が重なるだけで、 暮らしの気配が感じられます。方長屋の静かな外観を離れると、 影の重なりがすこし薄れて、 控えめな入口が現れました。畳の縁の手前に札が置かれ、 「DO NOT ENTER」と記されています。 中の口玄関は家臣たちが出入りした入口で、 式台玄関とは違う、 日常の気配が残る場所でした。障子の向こうには、 木と金具で組まれた道具が控えめに置かれ、 昔の役目が思い起こされるようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/09
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天守を見上げながら歩いたあと、 白壁の明るさよりも、石垣の影の深さが残っていました。 その影を背に受けながら、茶の世界へ向かう道へ進みました。表御座跡 芝生の中に、ふたつの木柱が静かに立っていました。 かつての建物の気配だけが、淡くそこに残っています。 城の時間が、やわらかくほどけていくようでした。歩きながらふと振り返ると、 天守が曇り空の下で静かに浮かんでいました。 その姿が、これから向かう静けさを 支えてくれているように感じました。麟閣の門構え 城の世界を離れ、茶の世界へ向かう道を進むと、 木の梁と瓦の影が重なる門がありました。 ここをくぐると、空気が少し柔らかくなりました。 寄付 門を抜けると寄付がありました。 刻まれた文字が、声を張らずに役割を伝えてくれます。 ここで心がひとつ、静かに整いました。 中門 背を少し屈めてくぐる低い門。 その控えめな高さが、世界をそっと切り替えてくれます。 腰掛待合 苔の緑が深く沈み、竹垣の影がやわらかく揺れていました。 ここで一度、心が静かに落ち着きました。 手水鉢 腰掛待合の先には、手水鉢のある一角が見えていました。 けれどその場所は立入禁止になっていて、 近くまで行くことはできませんでした。苔の湿りや、竹の影だけが静かに届き、 手水鉢は遠くに気配として感じられるだけでした。 それでも、その手前に立つだけで、 心がすっと澄んでいくのを感じました。 麟閣 露地を抜けると、麟閣が佇んでいました。 黄色い壁、木の梁、屋根の影。 どれも声を張らず、ただそこにあるだけ。 少庵の物語が、息づいていました。 茶室の内部 畳の匂い、障子越しの光。 道具の配置も控えめで、 「入ってはいけません」の札が静けさを守っていました。赤い毛氈の休憩所を過ぎ、案内に従って建物の中へ入ると、ひんやりとした空気がそっと肌に触れました。外の暑さがすっと遠ざかり、静かな涼しさが体を包んでくれます。クマさんには、冷たいお茶が運ばれてきました。暑さで火照った体に、その一杯がやさしく染み込んでいくようでした。私は、いつものように温かい薄茶を。涼しい部屋の中でいただく温かさは、湯気が淡く立ちのぼり、その静けさが心に寄り添ってくれました。お菓子の白さ、抹茶の緑、黒い盆の光沢。ふたりの温度が少し違うだけで、同じ時間がやわらかく重なり、旅の余韻を閉じてくれました。帰り道、もう一度天守を見上げました。 本来ならここで訪問は終わりだったのですが、まだ少し時間があったので、私たちは武家屋敷へ向かうことにしました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/07
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天守の入口をくぐると、 石の壁が続く静かな通路に出ました。 外の光とは少し違う、 ひんやりとした空気がゆっくりと肌に触れてきます。石の壁は長い時間を経て丸みを帯び、 積まれた石の隙間には、 当時の職人の息づかいが残っているようでした。 この通路を進むと、城の内部へと気持ちが静かに切り替わっていきます。通路を抜けると、 鶴ヶ城の石垣がどのように積まれてきたのかを紹介する展示がありました。自然石をそのまま積んだもの、 表面を削って整えたもの、 さらに精密に加工されたもの── 時代とともに変わっていく技術が並んでいます。そして、 この展示の中に写っていた石積みの写真は、 このあと実際に見る塩蔵(しおぐら)の石積みそのものでした。 展示と実物がつながっていて、 歩くほどに理解が深まっていくようでした。展示を進むと、 ひんやりとした石室の説明がありました。ここは塩蔵(しおぐら)。 鶴ヶ城の中でも特に貴重な遺構で、 400年以上前の姿がそのまま残っています。そして、 その塩蔵の石積みがこちらです。石で囲まれた空間は一年中温度が安定していて、 塩や保存食をしまうために使われていたそうです。 戦の時にも、平時にも、 人々の暮らしを支えてきた静かな場所でした。さらに奥には、 照明に照らされた別の石室もありました。天守の中に、 こんなにも素朴で、 昔のままの空気が残っている場所があることに 少し驚かされました。階段を上がると、空気が少しだけ変わりました。石室や塩蔵のひんやりした世界から、戦の時代を語る展示へと移っていきます。上階の中央には、四つの兜が横一列に並んでいました。 家ごとの美意識が並び、静かな迫力が漂っていました。伊達家 長く伸びる金色の前立てが印象的で、 どこか華やかさを感じさせる兜。 戦場でもひときわ目を引いたのでしょうね。蒲生家 黒い羽のような飾りが高く伸び、 静かな迫力がありました。 武士の気迫が形になったような佇まいです。上杉家落ち着いた色合いの中に力強さがあり、 前立ての形が凛としていました。 静かな威厳を感じさせる兜です。加藤家 左右に大きく広がる黒い羽飾りが特徴。 山鳥の羽を思わせる形で、 武士の誇りと気迫を静かに伝えていました。四つの兜が横に並ぶと、それぞれの家の象徴が自然に比較でき、展示の奥行きがぐっと深まっていました。兜の展示は、家の歴史や美意識が形になったものばかりで、眺めているだけで時代の息づかいが伝わってきます。ガラス越しなのに、胸の奥が少しきゅっとなるような気持ちになりました。天守の上階へ進むと、 窓の向こうに広がる景色が明るく感じられました。 展示の静けさから、 外の光へと気持ちがゆっくり切り替わっていきます。眼下には、 やわらかく手入れされた庭園が広がっていました。 木々の緑が風に揺れ、 その向こうには町並みが続いています。遠くの山並みは薄い影を重ねていて、 午後の光の中でゆっくり溶けていくようでした。 天守から見下ろす景色は、 歩いているときとはまったく違う表情を見せてくれます。少し角度を変えると、 城郭の全体が見える場所がありました。白い天守、長い渡り廊下、 周囲を囲む緑と街並み。 昔の姿と今の暮らしが、 ひとつの景色の中で重なっています。高い場所から眺めると、 鶴ヶ城がこの土地の中心として 長い時間を見守ってきたことが 伝わってくるようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/07/05
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15時ごろ、鶴ヶ城の中へ入ると、 まずやわらかな緑に包まれた道が続いていました。 木々の間を抜ける風が少しだけ涼しくて、 歩くたびに気持ちが整っていくようでした。道を進むと、 石垣の上に鐘楼が静かに佇んでいました。鐘楼は、ふだんは城下に時を知らせる建物でしたが、 戦いの時にはその役目が一変し、 敵の影が見えた瞬間に鐘を大きく打ち鳴らして 城中へ危険を知らせる声のような存在でした。 その音が響くと、武士たちは一斉に持ち場へ走り、 城は瞬く間に戦の体勢へと変わったといいます。鐘楼を過ぎると、 大きな石垣がゆるやかに続き、 その向こうに白い天守がすっと姿を見せました。午後の光の中で見上げる天守はどこか凛としていて、 静かに心が整っていくような気持ちになりました。天守を眺めてから少し離れた場所に、 武者走りがありました。この石垣は、大手門の渡り櫓(矢蔵)などへ素早く昇り降りできるように造られたものだそうです。V字型の斜面は「武者走り」と呼ばれ、鶴ヶ城の石垣の特色のひとつ。地表面の専有面積を少なくしながら防衛の動線を確保するための、当時の知恵が感じられました。緊急時、武士たちはこの斜面を駆け上がり、城門の防衛や指示の伝達に向かったのでしょうね。荒々しい石の表情の中に、昔の武士たちの緊張と覚悟が残っていました。武者走りの荒々しい石の斜面を離れると、 空気がふっとやわらかく変わりました。 そのすぐそばに、赤い鳥居が静かに立っていて、 午後の光の中で影がゆっくり揺れていました。鳥居をくぐると、 細い参道の両側に緑が寄り添い、 風が通るたびに葉の音がかすかに重なります。 歩くほどに、城の緊張がほどけていきました。参道の途中には、 編み笠をちょこんと被った狐さんがいました。 稲荷の神さまの使いであるはずなのに、 どこか旅人を迎えるような、 やさしい表情をしていました。 その姿が緑の中で浮かび上がっていました。参道の先には、 石灯籠が並ぶ階段が少しだけ見えていました。 上までは行かなかったけれど、 鳥居の赤と木々の緑が重なる静かな入口だけで、 十分に心が澄んでいくようでした。続くFC2・・はこちらから
2026/07/03
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白虎隊自刃の地をあとにし、 高台からゆっくりと階段を下っていくと、 森の影が深くなり、風の音が変わっていきました。その途中で、 木々の間から姿を見せたのが さざえ堂(旧正宗寺・円通三匝堂)。三層の塔のような、不思議な木造建築。 どこか時代を超えて立っているような佇まいでした。1796年(寛政8年)建立。 内部は二重螺旋構造になっていて、 上りと下りが交わらないまま一周できる珍しい建築。かつては西国三十三観音の札所が並び、 ここを一周するだけで巡礼ができたといいます。龍の彫刻、しめ縄、木の香り・・寺と神社の空気が混ざり合う入口。急な階段を上ると、 壁や梁にびっしり貼られた千社札。上へ進むほど、 天井の千社札がさらに密になり、 文字の海の中を歩いているようでした。上層では、 小さな窓から光が差し込み、 木の床に柔らかな模様を落としていました。下りの螺旋へ進むと、 上りとは別の通路を歩く不思議さがありました。出口へ向かう最後の階段を降りると、 空気が変わり、 小さな祈りの空間が現れました。静かに座る仏像と賽銭箱。 木の香りと薄暗い光が重なり、 時間の流れがゆっくりになっていきました。さざえ堂の出口を出ると、 木の香りがふっと薄くなり、 森の風が頬を撫でていきました。二重螺旋の不思議な世界から、 再び現実の森へ戻ってくるような感覚。そこからは、 飯盛山の斜面をゆっくりと下りながら、 静かな祈りの場所がいくつも続いていました。森の中を少し下ると、 ぽつんと小さな覆屋が現れました。苔むした石を守るように屋根がかかり、 長い年月を静かに過ごしてきた気配が漂っています。この覆屋が、 この先に続く祈りの道の入口のように感じられました。覆屋を過ぎると、 白虎清水観音の由来が刻まれた石碑が立っていました。白虎隊士の霊を慰めるために掘られた泉から 清らかな水が湧き出たこと。 その水を「白虎清水」と名付けたこと。森の静けさの中で読む由来は、 どこか胸にしみるものがありました。由来碑のすぐそばに、 黒い扉の小さな祠が佇んでいました。しめ縄がかかり、 観音様が祀られています。湧き水と祈りが結びついた、 飯盛山らしい静かな空気が流れていました。さらに下ると、 森の中に小さな神社が現れました。その横には由来が書かれた案内板があり、 ここが厳島神社であることを伝えていました。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。 芸能や財福の神として知られ、 地域では「弁天様」と呼ばれ親しまれています。森の柔らかな空気が、 この小さな社を包んでいました。その横には、由来が書かれた案内板。神社を過ぎると、 水の音が聞こえてきました。ここは、 猪苗代湖から会津盆地へ水を引くために造られた 全長31kmの用水路の一部。そして・・ 慶応4年(1868)、戊辰戦争のさなか。 白虎隊の少年たちが敗走し、 この洞穴を通って飯盛山へ向かったことが記されています。歴史の重さが、 森の静けさの中で胸に落ちてきました。説明板の先へ進むと、 水が静かに流れ込む洞穴の入口が見えてきました。深い緑に包まれた水路は、 まるで時間が止まっているかのように静かで、 その奥にぽっかりと開いた洞穴が ゆっくりと呼吸しているように見えました。白虎隊の少年たちは、 この暗い洞穴を必死に進み、 飯盛山へと向かったのだと思うと、 胸の奥がぎゅっと締めつけられます。さらに下ると、 赤い鳥居が現れました。紫の幕がかかった小さな祠が森に寄り添うように建ち、 石灯籠が見守っていました。飯盛山の祈りの道は、 大きな歴史の碑だけでなく、 こうした小さな祠にも息づいているのだと感じました。続くFC2・・はこちらから
2026/06/30
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天鏡閣の白い洋館をあとにし、車は再び山の中へと進んでいきました。猪苗代湖のきらめきが遠ざかり、次の目的地・飯盛山へ。参道の入口に立つと、目の前に果てしなく続く石段が立ちはだかりました。思わず、胸の奥から小さなため息がこぼれました。「これ・・やばいね」 クマさんと顔を見合わせて、迷わず動く歩道へ。透明のトンネルの中を、 動く歩道がぐんぐん上へ伸びていきます。思った以上に急で、 手すりを持っていないと後ろに転びそうになるほど。 ふたりでちょっと怖いねといいました。最初の歩道を上がりきると、 さらにもう一つ、同じくらい長い歩道が待っていました。「まだあるんや・・」 そう思いながらも、 動く歩道があって本当に助かりました。更に階段を登ると 木々の間に白い案内板と大きな石碑が見えてきました。ローマ寄贈碑1928年、イタリア・ローマ市が 白虎隊の忠義と悲劇に深い感銘を受け、 「友情の証」として日本に贈った記念碑です。ローマの彫刻家ルテッリによるもので、 石材はローマのトラバーチン。 異国の石が会津の森に静かに立つ姿は、 どこか不思議で、しばらく足が止まりました。ローマ寄贈碑を過ぎると、 白虎隊隊士の墓所が木々の間に広がっていました。白虎隊は、戊辰戦争(1868)で会津を守るために結成された 16〜17歳の少年武士たちの部隊です。飯盛山に逃れた隊士たちは、 遠くに見える鶴ヶ城が燃えているように見え、 「会津は落城した」と誤認し、 この地で自刃しました。実際には城はまだ落ちておらず、 彼らの悲劇は後世まで語り継がれています。白虎隊だけでなく、 会津戦争で命を落とした少年武士たちを悼む碑です。森の静けさの中で、 誰かがそっと手を合わせた気配が残っていました。墓所の奥へ進むと、 木々がふっと開けて、 高台の空気が変わりました。ここが、白虎隊が最後の時を迎えた場所。 彼らはここから鶴ヶ城を見下ろし、 城が燃えていると誤認して自刃しました。高台から見下ろすと、 会津の町が木々の間から少しだけ見えました。白虎隊の少年たちが見た景色も、 きっとこのように霞んでいたのだろうと 胸の奥が締めつけられます。森の風がふっと頬を撫でていき、 その風がこの場所に眠る人たちを そっと包んでいるように感じられて、 しばらく振り返ってしまいました。高台のすぐそばに、 静かに佇む石碑がありました。会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)公が 白虎隊の少年たちの忠義を悼み、 自ら詠んだ弔歌を刻んだ碑です。弔歌の一節は、 「石にしみ入る涙は消えようとも その忠義は永遠に忘れられない」 という意味を持ちます。容保公は、 少年たちの死を深く悲しみ、 その忠義を後世に伝えるために この弔歌を残しました。森の静けさの中で読む弔歌は、 胸の奥に響きました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/28
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野口英世記念館をあとにして、次に向かったのは天鏡閣でした。猪苗代湖のきらめきを離れ、 車はどんどん山の中へ入っていきました。 木々が深くなり、空気がひんやりして、 「本当にこの先に洋館があるの?」と クマさんと顔を見合わせたほど。そして突然、木々の切れ間から 白い天鏡閣が姿を現しました。そのすぐそばには、 空に向かってすっと伸びる石造りの塔のような記念碑。 近づいてみると、それは 天鏡閣を建てた有栖川宮威仁親王の銅像でした。森の奥にひっそりと立つその姿は、 この場所を静かに見守っているようでした。天鏡閣は明治41年(1908年)、 皇族・有栖川宮威仁親王の別邸として建てられた洋館。 のちに皇族の静養地として使われ、 湖畔の離宮と呼ばれるようになりました。本館に入り扉を開けると、 柔らかな光と、静かに整えられた家具が迎えてくれました。赤いクロスの大きなテーブルが置かれた食堂は、 当時のもてなしの空気をそのまま残していました。花柄の椅子と白い暖炉のあるサロンは、 やわらかな時間が流れていました。天鏡閣の魅力は、 すべての部屋に暖炉があること。廊下にもありました。暖炉を巡るだけで、この建物の美意識が伝わってきます。大きな窓から光が差し込み、 緑のランプが静かに揺れるビリヤード室。ここは皇族の社交の場。 静かな館内に、球の音が響く様子が目に浮かびました。文箱、紋章の入った箱、青い壺、掛け軸、金の工芸品。 ガラス越しに眺めるだけなのに、 そこに人の気配がふっと立ち上がるようでした。緑のカーペットの階段を上がると、 三つの窓から光が差し込む明るい空間に出ました。二階はどこか余白のような静けさがあり、 旅の時間が深くなる場所でした。最後に訪れたのは、 暖炉のある畳の部屋。和と洋が自然に混ざり合い、 天鏡閣という建物の時代の重なりを語っていました。本館の華やかさをあとにして外へ出ると、 木々の間にひっそりと別館が見えてきました。本館とは違い、 どこか控えめで、働く人たちの気配が残る佇まい。別館はお付の方や準備の方のための建物です。入口には案内板があり、 別館が使用人や準備をする人のための場所であることが書かれていました。本館のような装飾はなく、 静かで実務的な空気が漂っています。別館に入ると、 まず目に入ったのは調理室でした。木の床、壁の蛇口、 小さな窓から入る光。ここで食事の準備がされ、 本館へ運ばれていったのだろうと想像が広がります。別館の奥には、 二つの窓から光が差し込む小さな部屋がありました。家具はなく、 ただ光と風だけが通り抜ける静かな空間。さらに進むと、 畳が敷かれた和室がありました。本館の洋風とはまったく違う、 素朴で落ち着いた空気が流れていました。別館には暖炉もなく、 華やかな装飾もありません。けれど、 そこに残る静けさや光の入り方が、 当時の生活の気配を伝えてくれました。静かな部屋をあとにすると、外の風が旅の続きを促してくれました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/26
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志田浜をあとにして車を走らせると、 ほどなくして野口英世記念館に着きました。駐車場に降り立つと、 目の前には大きく広がる磐梯山。 朝の光を受けて凛とした姿が迎えてくれて、 ここからまた新しい旅の章が始まるような気がしました。敷地の奥へ進むと、 英世が幼い頃を過ごした生家が残されています。木の香りがほのかに漂う家屋は、 どこか懐かしく、 英世がここで走り回っていた姿が 浮かんでくるようでした。生家の中央には、 幼い英世が誤って落ちてしまい、 左手に大やけどを負った囲炉裏があります。囲炉裏の前に立つと、 当時の暮らしの音や匂いまで感じられるようで、 英世の幼い日の痛みや、 お母さんの必死の看病まで想像してしまいました。囲炉裏のある部屋の奥には、 19歳の英世が家を出る前に刻んだ 決意の言葉が残されています。志を得ずしては 再び此地を踏まず細い文字は少し震えているようにも見えて、 若い英世の強い覚悟と、 その奥にあったであろう不安が そっと伝わってくるようでした。生家を出ると、 すぐ前に小さな祠が静かに佇んでいました。その横を、 さらさらと細い流れの小川が通っています。ここは、 英世のお母さんが洗い物をしていた場所。水の音、苔むした石、 光が揺れる水面・・ どれも昔から変わらず、 家族の暮らしを支えてきた風景でした。先ほど見た決意の言葉と、 この静かな水辺の風景が ひとつの物語としてつながっていくようでした。祠と小川をあとにして、 記念館の建物へ戻りました。入口を入るとすぐの場所に、 英世の胸像が置かれていました。その表情はどこか柔らかく、 けれど芯の強さを秘めていて、 生家で見た決意の言葉と 自然につながっていくようでした。胸像の横を通り、展示室へ進むと、 英世の研究資料や写真が丁寧に並んでいました。ガラスケースの中には、 手書きのメモや標本、医療器具、書籍などが並び、 研究者としての英世の姿が 静かに立ち上がってくるようでした。奥には、 英世生誕150年を記念した展示もあり、 映像やパネルで彼の功績が紹介されています。生家の小さな囲炉裏から始まった人生が、 世界へと広がっていったことを思うと、 胸の奥が熱くなりました。時間を見ると、ちょうどお昼前。 記念館のすぐ隣にあった レストラン バンショウ に入ることにしました。注文した 10割そば が出来上がるのを待つあいだ、 ふと目に入ったのが、お土産コーナーの味噌。色がきれいで、 どこか手作りの気配が漂っていて、 思わず店員さんに 「甘い味噌ですか?」と尋ねてみると、「しょっぱくないですよ。 これは、このレストランで働いている若奥さんの実家で作っている 完全手作りの味噌なんです。」 と教えてくれました。その言葉を聞いた瞬間、 なんだか急にその味噌が欲しくなって、 迷わず買って帰ることにしました。お蕎麦は素朴で、 旅の途中の一杯としては十分にほっとする味。そして、おすすめされた ずんだ餅 は、 枝豆の香りが広がって、とても美味しかったです。FC2・・はこちらから
2026/06/23
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2026年5月27日(水)曇り後晴れいつものように5時30分頃には目が覚めて、 まずは窓の外をそっと覗いてお天気の確認。空は少し曇っているけれど、 どこか明るさがあって、 「今日はいいお天気になりそう」 と思える静かな朝でした。クマさんも起きてきたので、 ふたりで朝風呂へ。お湯につかってまったりしていると、 身体の奥までじんわり温まって、 気持ちもすっきりしました。7時になり、朝食会場へ。 バイキングには和食も洋食もずらりと並んでいて、 どれも美味しそうでついつい手が伸びてしまいます。おかゆも焼き魚も、 小鉢のひとつひとつも丁寧な味で、 朝からしっかり元気をもらえる食事でした。ヨーグルトやパンも少しだけ。 旅先の朝は、どうしてこんなに食べられるんだろう。朝食を終えて部屋に戻り、 もう一度窓の外を見ると…松島が霧にふんわりと包まれていました。島々が淡く浮かび上がって、 まるで水墨画のような景色。 晴れでも曇りでもない、 旅の朝だけが見せてくれる表情に しばらく見とれてしまいました。8時17分にホテルを出発して、 猪苗代湖の志田浜へ向かいました。浜に着くと、 静かな湖面の向こうに堂々とそびえる磐梯山。 別名「会津富士」と呼ばれるほど美しい山で、 湖と山が重なる景色はまさに福島らしい風景でした。ラムサール条約湿地・猪苗代湖猪苗代湖は日本で4番目に大きい湖で、 透明度が高く「天鏡湖」とも呼ばれています。- 磐梯山の噴火でできた湖 - 冬には白鳥が飛来する - 2021年にラムサール条約湿地に登録 自然の豊かさが世界的にも認められた湖です。湖畔に立つこの像は、 猪苗代湖が白鳥の湖として親しまれてきたことを象徴する白鳥像。台座に立つ姿が印象的で、 志田浜のランドマークのひとつになっています。浜から見える大きな山は 磐梯山(ばんだいさん)。会津の象徴ともいえる山で、志田浜からの眺めは特に美しいことで知られています。湖の青、山の緑、そして静かに糸を垂らす釣り人の姿。そのすべてが朝の光の中でひとつに溶け合って、とても穏やかな時間が流れていました。旅の途中で出会う、こうした静かな景色が好きだなぁとあらためて思った志田浜の朝でした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/21
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一日の終わり、 海沿いの道を抜けてホテルへ向かう頃には、 空はすっかり曇っていて、 夕焼けの赤い光はもう望めないと あきらめる気持ちが胸に広がっていました。ホテル大観荘は、 山道を登った先の高台に建っていて、 その立地のおかげで景色がとても良い場所でした。扉を開けた瞬間、 大きな窓いっぱいに松島の海が広がっていて、 その眺めに思わず息をのみました。遠くには、 さっき歩いた福浦橋と福浦島が 小さく見えていて、 「今日ここを歩いてきたんだなぁ」と 余韻が戻ってきました。畳の香りと、 高台からの景色のやわらかさが 旅の疲れを吹き飛ばしてくれました。その日は修学旅行生が泊まっているとのことで、 夕食は少し早めの18時に。ホテルに着いたのは17時26分。 荷物を置いて、 ほんの少しだけ休んでからレストランへ向かいました。料理を取って席に戻り、 「さあ、いただこうかな」と思った まさにその瞬間・・スタッフの方がそっと近づいてきて、 「お写真お撮りしましょうか」 と声をかけてくださいました。そのタイミングが本当に絶妙で、 ちゃんと私たちを見ていてくれたんだと胸が温かくなりました。お刺身は新鮮で、 他のお料理も薄味なのにしっかり旨味があって、 どれもとても美味しくて、 「来てよかったね」と自然に思える食事でした。ホテルからは 金婚記念にスパークリングワインのプレゼント。 その心遣いがまた嬉しくて、 胸の奥がほっこりしました。クマさんはビールが飲みたいと言うので、 スパークリングワインは お部屋に持っていっていただくことに。 日本酒もいただいて、 スタッフさんの丁寧な接客が さらに夜を心地よいものにしてくれました。食事が進むと、 クマさんは相変わらず食べるのがとても早くて、 私がまだお料理をゆっくり楽しんでいるあいだに・・気がつくと、 デザートをたくさん抱えて戻ってきていました。まるで宝物を見つけたみたいに、 少し誇らしげな顔で。その姿がなんとも可愛らしくて、 思わず笑ってしまいました。食事を終えて部屋に戻り、 窓から外を眺めると、 やはり夕焼けの赤い空は見られませんでした。でも、 高台から見下ろす松島の景色は、 曇り空の下でも静かで美しくて、 その淡い景色が 一日の終わりに寄り添ってくれました。ふたりで撮ってもらった写真を眺めながら、 「いい夜やね」と 言葉にしなくても伝わるような、 そんなあたたかい時間が流れていました。修学旅行生が入る時間を避けて、ふたりで大浴場へ向かったのは 21時を過ぎた頃。廊下はもう静かで、夜の空気がゆっくりと流れていました。露天風呂に出ると、そこにはお部屋と同じ、松島湾が目の前に広がる景色 がありました。湯気の向こうに浮かぶ島影、静かな海、高台ならではの広がり。昼とも夕方とも違う、夜の松島の静けさが湯船の温かさと一緒に心の奥までしみ込んでいきました。「今日一日、よく歩いたなぁ」そんな気持ちが自然と湧いてくる、やさしい締めくくりの時間でした。その夜は、朝 2時30分に起きた私 と、その少しあと 3時に起きたクマさん。ふたりとも、一日じゅう歩き続けた疲れがどっと出て、部屋に戻った途端、身体の力がふわっと抜けていきました。ベッドの寝心地が驚くほど良くて、横になった瞬間、まるで柔らかい雲に沈んでいくように深い眠りへ落ちていきました。気がつけば、朝まで一度も目を覚まさず、ふたりともぐっすり。今日歩いた歩数 16339歩 10.5km続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/18
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五大堂をあとにして海沿いを歩いていくと、 静かに佇む「東日本大震災の慰霊碑」が目に入りました。 昼間はあんなに明るかった空が、 夕方になるとゆっくりと雲に覆われていき、 光が少しずつ薄くなっていくのがわかりました。その前でそっと手を合わせると、 波の音だけが、 胸の奥にやわらかく届いてきました。福浦橋は、 松島湾に浮かぶ福浦島へ渡るための 252メートルの赤い橋。 昔から「出会い橋」と呼ばれ、 良縁や願いごとを結ぶ橋として親しまれてきました。赤い色は“縁を結ぶ色”。 福浦島の「福」と重なって、 この場所全体が “福を招く島” として大切にされてきました。橋の入口に着いたのは16時43分。 閉門の16時30分を過ぎていて、 チケット売り場の窓口はすでに閉まっていました。空はすっかり曇っていて、 本来なら夕日で赤く染まるはずの空は 灰色のまま広がっていました。「今日はもう夕日は見られないかもしれない」 そんなあきらめの気持ちが 胸の中にふっと広がりました。 本当は、 今夜泊まる部屋の窓から夕日を見るつもりだったのに。どうしようかと立ち止まっていると、 橋の方から来た方が 「裏側からなら入れますよ」 と教えてくださいました。その言葉に導かれて、 海沿いの道をゆっくりと回り込みました。裏に回ると、 小さな入口がひっそりと開いていました。 そこから橋へ足を踏み入れると、 曇り空の下でも赤い欄干だけは 静かに浮かび上がって見えました。波の音が遠くで揺れていて、 足元の感触がやわらかく響きました。橋を渡ると、 島の中は音が消えたように静かでした。 弱くなった光が木々の間をすり抜けて、 足元に淡い影を落としていました。階段のような坂道、 木々の隙間から見える海、 遠くに小さく見える橋の赤。 どれもが、 曇り空の静けさとよく馴染んでいました。帰り道、 橋の真ん中で立ち止まると、 雲の切れ間からわずかに光がこぼれて、 海の上に細い帯のように落ちていました。夕日が沈む時間にはまだ早かったけれど、 空の色はもう変わる気配を見せず、 今日の夕焼けはもう無理だと あきらめムードになりました。福浦橋は、 “縁を結ぶ橋” といういわれの通り、 淡い光の中で 一日の最後を結んでくれる場所でした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/16
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観瀾亭から五大堂に移動です。 海の向こう、小さな島の上に 五大堂の屋根が浮かんでいました。 千年以上前からこの場所に建つお堂は、 昔から海を行き交う人たちの無事を見守ってきたといわれています。 曇り空の下で輪郭だけが淡くうきあがり、 そこへ向かう道が続いていました。 道の先に現れた最初の橋は、 朱色が緑の中に浮かんで見えました。 足元はしっかりとした板張りで、 木の板を踏む音だけが、 夕方の空気にやわらかく響いていました。 この橋を渡る人々を、 五大堂はずっと静かに迎えてきたのでしょう。最初の橋を渡りきると、 もうひとつ、赤い橋が奥に見えてきました。 その橋に、札を下げようとしていたお土産物屋さんのおじさんがいました。時間を見ると16時30分を過ぎていました。 五大堂は17時で閉まるらしく、 その札は “そろそろ終わりだよ” と 知らせる札でした。その橋は、 板の隙間から海がのぞく造りになっていて、 踏み出すたびに、 足の下で水面がゆらりと揺れて見えました。夕方の光が海に反射して、 欄干の赤が淡く揺れていました。 急がなきゃと思いながらも、 足元の海を覗き込む時間は どうしても捨てられませんでした。2番目の橋を渡りきると、 五大堂へ向かう小さな道の手前に 石の碑がひっそりと立っていました。海を背にして佇むその姿は、 ここから先は特別な場所だよと そっと告げているようで、 歩く足が自然とゆっくりになりました。五大堂 このお堂が最初に建てられたのは、 平安の頃、まだ松島が今よりずっと静かだった時代。 その後、伊達政宗が桃山の香りを残す姿に整え、 今の五大堂が生まれました。海の音に包まれながら、 ただそこにあるだけで 時間がゆっくりとほどけていくようでした。木組みの影の中に、 龍の姿が浮かんでいました。 海辺に建つお堂を守るための 水の神さまとして刻まれたものです。五大堂の欄間には、 十二支がひとつずつ刻まれていました。 ぐるりとお堂を囲むように配置されていて、 昔の人が 「どの方角から来る人も、どうか守られますように」 と願いを込めた、静かな結界のようなものです。その中に、 花に顔を寄せるようなうさぎの彫刻がありました。 東の方角を守る卯は、 “飛躍” や “成長” を象徴する存在。 やわらかな姿のまま、 旅人の進む方向を見守っているようでした。十二支の仲間たちも、 それぞれの方角で静かに佇んでいて、 勇ましい寅や、災いを払う申、 家を守る戌など、 みんなが五大堂を囲むように息づいていました。その中で、 うさぎはとくにやさしい気配をまとっていて、 海風の中で微笑んでいるように見えました。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/14
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松島を歩く午後、 海からの風が少しだけやわらかくなってきたころ、 観瀾亭へ向かう石畳の道をゆっくりと上がっていきました。午後の光に包まれて、静かな時間がゆっくり始まります。門の横には、観瀾亭の歴史を伝える案内板が立っていました。 古い文字の奥に、ここで過ごした人々の気配が残っているようでした。階段をのぼるたびに光が揺れ、 心の奥が静かに整っていきました。石段を上がりきった瞬間、 松島湾が一気に開けて、 遠くの島影までやわらかい光が流れていって。茶室の前まで進むと、 金地のふすま絵がやわらかく光を反射して、 閉ざされた奥の世界が息づいているようでした。 庭を歩くと、竹垣に囲まれた三千万年の眠りが、庭の静けさに寄り添うように佇んでいて。庭を抜けて少し歩くと、 海を見下ろす小さなベンチがありました。16時20分。海は夕暮れへ向かい、時間がゆっくりながれていきます。 出口へ向かう道の脇の木に、 瑞巌寺で見たばかりの石斛が 同じように木の幹に寄り添って咲いていました。その姿に胸の奥がそっと温かくなります・・その先に、観瀾亭の出口となる門が静かに立っています。 この門をくぐると、観瀾亭の時間が静かに背中を押してくれ、門を抜けると、竹垣に囲まれた石碑がありました。どんぐりころころの碑童謡「どんぐりころころ」を作詞した青木存義は、松島を深く愛した人でした。その想いをそっと残すように、観瀾亭の庭の片隅に小さな碑が置かれています。木漏れ日の中で、幼い日の歌が静かに息づいていました。観瀾亭は、 豊臣秀吉が伊達政宗に下賜した伏見桃山城の一部を移築した建物と伝わっています。江戸時代には松島に再建され、 藩主や姫君が月を眺める「月見御殿」として使われました。 また、幕府巡見使の接待にも使われた格式ある建物で、 その静かな佇まいには、当時の気配が今も残っています。昭和初期には松島博物館として整備され、 現在は 宮城県重要文化財・国登録文化財 として大切に守られています。観瀾”は「波を観る」という意味で、 その名のとおり、松島湾の穏やかな景色を楽しむために造られた建物です。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/11
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次に向かったのは円通院です。 瑞巌寺のすぐ隣にある、小さな静けさの庭。 参道の賑わいからほんの数分しか離れていないのに、 門の前に立つと、空気が変わるのが分かります。茅葺きの山門やわらかな茅葺き屋根の山門をくぐると、 光が少しだけ柔らかくなり、苔の匂いがふわっと立ちのぼりました。入ってすぐ、小さなお地蔵さまが静かに並んでいました。 供えられた花の色が、庭の静けさの中でそっと灯るようでした。円通院の庭は、 一面に広がる苔がとても美しい場所です。苔の上は踏むことができないので、 歩けるのは石畳の参道だけ。それでも、 参道のすぐそばまで寄り添うように広がる苔を眺めていると、 ふかふかとした質感が伝わってくるようで、 庭の静けさが身体の中にゆっくり入ってくる感じがしました。白砂と石の庭は、動かないのに動いているような静けさ。 瑞巌寺の壮大さとは違う、 ひとりの時間に寄り添う静けさがありました。丸い窓が印象的な小さな東屋。 竹の屋根と木の柱が庭の緑に溶け込んでいて、 窓からのぞく景色が額縁の絵のように見えました。風がそっと通り抜けて、 歩き疲れた心がふっと軽くなる場所でした。苔の参道を抜けて少し歩くと、 木々の間から静かに本堂が姿を見せます。道の両側には一面の苔が広がっていて、 近くを通るだけで、 ふかふかとした緑の質感がそっと伝わってくるようでした。木漏れ日がゆっくり揺れて、 風が枝を揺らす音だけが聞こえてきます。本堂の前に立つと、 庭の空気がさらに深く沈んでいくようで、 思わず背筋がすっと伸びるような感覚になりました。三慧殿(厨子)三慧殿(さんけいでん)は、円通院の中でももっとも大切な場所で、建物と厨子は 国の重要文化財 に指定されています。ここには、 伊達政宗の嫡孫・光宗(みつむね)公が祀られています。ガラス越しに見える厨子は、 金や緑、朱色が繊細に重なり合い、 まるで小さな宇宙のような輝き。この厨子には、 日本最古級の西洋バラの文様が描かれていると言われています。なぜバラなのか── それは光宗公がヨーロッパ文化に強い関心を持っていたから。若くして亡くなった光宗公を偲び、 その想いを形にしたのが、 この美しい厨子であり、 後に作られた円通院のバラ園なのです。厨子の前に立つと、 装飾の細やかさに圧倒されるだけでなく、 光宗公を想う人々の祈りが 積み重なっているように感じられました。円通院のバラ園は、 ただの花壇ではなく、 ひとりの若い命を想うための庭。白いアーチをくぐると、 静かな祈りの気配がふわっと漂っていました。池のほとりでは、水面に映る緑がゆらゆら揺れていました。 庭の中でいちばん“呼吸”を感じる場所でした。支柱に支えられながら大きく枝を広げる古木。 苔むした地面、池のほとりの静けさ、 そして長い時間を生きてきた木の姿。円通院の静けさがすべてここに集まっているようでした。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/09
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14時の便に合わせて桟橋へ向かうと、 海の匂いが風に混じって流れてきました。 朝の 2時30分に起きていた疲れがピークで、 デッキに立つ元気はもう残っていませんでした。船着き場の桟橋には観光客がすでに並んでいて、 午後の光が海にきらきら反射していました。船に乗り込むと、 冷房の効いた船室は少しひんやりしていて、 その涼しさが疲れた身体にちょうどよかったです。窓越しに何枚も写真を撮ったけど、 いま見返すと「これだ」と思えるものはほとんどなくて。そんな中で、漁船がすれ違った瞬間の一枚だけが、 なぜか心に残っていました。観光の景色とは違う、 松島の海で生きている人の姿が写っていて、 その一瞬だけは、 船室の静けさの中で時間が止まったように感じました。船を降りて桟橋を歩いていると、 横に五大堂が見えて、 海に浮かぶようなその姿が 午後の光の中で静かに佇んでいました。最初に訪れるのは瑞巌寺です。総門をくぐって数歩進むと、 木々の間にひっそりと座る仏さまが見えてきました。 やわらかい表情で、 訪れる人をそっと迎えてくれるような佇まいです。その向かい側には、 苔むした石灯籠が静かに立っていました。 長い時間をここで見守ってきたような、 落ち着いた存在感がありました。石灯籠の横を抜けると、 まっすぐに伸びる参道が続いていました。 木陰が心地よくて、 歩くだけで瑞巌寺の静けさに包まれていくようでした。参道を進むと、左手に宝心窟が現れます。 岩をくり抜いた小さな空間の中に供養塔が並び、 瑞巌寺の長い歴史を静かに語っていました。観光地のざわめきから一歩離れたような、 しんとした空気が流れていました。宝心窟を過ぎて本堂の横へ進むと、 落ち着いた佇まいの庫裏が見えてきました。白壁と木の柱が並び、 瑞巌寺の中でも特に呼吸が深くなる場所のように感じました。内部は撮影禁止で、 静かに歩くだけで木の香りが漂い、 瑞巌寺の静けさがさらに深まっていくようでした。庭の撮影はできましたので撮ってきました。帰り道、参道の反対側に広がる洞窟遺跡群に立ち寄りました。苔むした岩肌に祠や石塔が寄り添うように並び、 瑞巌寺の時間の深さを感じる場所。風の音がやさしく聞こえるだけで、 人の気配がすっと薄くなるような静けさでした。洞窟遺跡群を離れて本堂の前へ歩いていくと、 木々の間から差し込む午後の光が、 境内の空気をやわらかく照らしていました。人の声もほとんど聞こえず、 ただ風だけがゆっくりと通り抜けていく。 瑞巌寺の中心に近づくほど、 時間が静かに流れていくようでした。本堂の前を離れて帰り道へ向かうと、 ふと頭上の木の枝に、 淡い色の花がそっと咲いているのが見えました。石斛(せっこく)。 中門手前の右の杉に着生している日本蘭の一種です。 かつては松島湾の島々に自生していましたが、 乱獲により絶滅の危機に瀕したため、 現在は増殖も行われているそうです。大きな木の幹に寄り添うように咲くその花は、 静かな境内の空気の中で ひときわやさしい色をしていました。旅の終わりに、 こんな小さな花に出会えるなんて。 瑞巌寺の静けさが、 最後にそっと手を振ってくれたような気がしました。瑞巌寺ってどんなお寺?創建は平安時代の828年と伝えられています。現在の壮大な寺院は、仙台藩祖の伊達政宗が1609年に完成させました。禅宗の一つである臨済宗妙心寺派のお寺です。政宗公は戦乱の世を生き抜いた武将でしたが、平和な世を築く象徴として瑞巌寺を大切にしました。そのため、建物には武家文化と禅の美しさが見事に調和しています。本堂は国宝に指定されています。現在の本堂は政宗公が建立したもので、桃山文化を代表する豪華な建築です。続く・・FC2・・はこちらから
2026/06/07
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お昼前に大崎八幡宮へ到着。 鳥居の前に立った瞬間、背中に日差しが当たって、 「今日は暑いね」と思わず言いたくなるような暑さでした。参道を歩くと、木陰の中に手水舎。 屋根の下に入った瞬間、暑さがすっと引いていきました。柄杓の冷たさが指先から腕に広がり、「よし、参拝の準備ができた」と気持ちが整いました。手水舎を過ぎて少し歩くと、赤い提灯がずらりと並んだ入口が現れます。赤い提灯の入口に入ると、その中に、なんと鶏がちょこんと。 この神社ならではの光景で、思わず足を止めてしまうほど可愛らしい。 棚の上に鶏が一羽、のんびりと座っていました。「ここが涼しいんだよ」と言っているみたいで、この神社の穏やかな空気を象徴するような存在さらに進むと、 国宝の黒漆と金箔の社殿が太陽を受けて輝いていました。絵馬が風に揺れてカラカラと音を立て、 木の香りがふわっと漂います・・まさに“大崎八幡宮の空気”そのもの。参拝を終えて時計を見ると、 予定より時間が押していることに気づきました。本当は仙台城跡にも寄るつもりだったけれど、 12時30分のすし哲の予約に間に合わせるために、ここは潔く断念。「次に来る理由ができたね」と前向きに切り替えて塩竈へ。車ですし哲さんまで車で約1時間。予約時間の12時30分に間に合います。すし哲さんでどうしても食べたいものがあったので予約をいれたんです。すし哲さんの駐車場に車を停めて、 さあ行こうと思ったら・・お店がどこにあるのかわからない。ちょっとウロウロしたけどわからなくて方向が合っているのか不安になって電話をすると、 「今、外に出ますね〜」と優しい声。数秒後、お店の前から女性が手を振って 「こっちですよ〜!」 と迎えてくれました。塩竈の町の人の温かさを感じる瞬間でした。「座敷とカウンター、どちらがよろしいですか?」 と聞かれ、迷わず即答。「カウンターでお願いします!」カウンター席に腰を下ろした瞬間、 クマさんが目の前の職人さんにすぐ声をかけました。「震災の被害はどうでしたか」その問いかけには、 この町のことを思う気持ちがにじんでいました。職人さんが 「ここまで水が来たんですよ」 (壁の白いテープの印まで)と静かに話してくれました。すると奥から女性店員さんが、 震災当時、水浸しになった店の写真を持ってきてくれました。その写真には、 あの日の塩竈の現実と、 そこから立ち上がった強さが写っていました。クマさんも深く頷きながら話を聞き、 そこから会話が一気に弾んでいきました。お勧めを聞いて出してくださったのがつやっとした赤身が美しいカツオ。 お店で仕込んだポン酢をたらして。ひと口食べた瞬間、 「えっ、こんなに美味しいの…」 軽やかで香りがよくて、 最初の一皿から心を掴まれました。そして、いよいよホヤ。 人生で初めての味。 透明感のある身、海の香り。ひと口食べると、 「初めての・・どう表現したらいいんだろう」 そんな不思議な感覚。 でも食べ進めるほどクセになる。そんなとき黙ってお寿司を握っていた大将が とびきりの笑顔で「初めてのホヤどうですか?お口にあいますか?」「どう表現して良いのかわからない初めての味です。食べ進めるとくせになりそうです」「ホヤを食べたあとに水を飲むと甘く感じますよ」 と言うので試してみると・・本当に甘い。お酒だともっとまろやかになるそうです。最後にいただいた握りは、 どれも端正で美しく、 シャリの温度もネタの香りも完璧。クマさんは職人さんと笑いながら、 私はその横で頬をゆるめて時々会話にはいって とても楽しいランチの時間になりました。続くFC2・・はこちらから
2026/06/05
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今回の旅で、最初に向かったのは瑞鳳殿でした。 まだ朝の空気がひんやりと残る時間帯で、 車を降りた瞬間、森の香りがふわぁ~と漂ってきました。伊達政宗公が眠る場所を最初の目的地にしたのは、 旅の始まりに“静けさ”を迎えたかったからかもしれません。 深呼吸をひとつして、ゆっくりと参道へ足を踏み入れました。瑞鳳殿へ続く参道は、背の高い木々に囲まれ、 風が葉を揺らす音だけが静かに響いていました。 まっすぐ伸びる道の先に、歴史の深さがそっと潜んでいるような・・参道を進むと、やがて石段が姿を現します。 一段一段がしっとりと苔むし、 長い年月を静かに刻んできたことが伝わってきました。木漏れ日の中を上っていくと、 心が少しずつ整っていくような、不思議な静けさがありました。石段を上りきった先で、ふっと視界が開けました。 森の緑の中に、黒漆と金具、極彩色の彫刻が重なる唐門が立っていました。 静けさの中に突然現れるこの華やぎは、 まるで「ここから先は特別な場所ですよ」と告げているようでした。旅の最初に訪れた瑞鳳殿で、 この唐門が最初に迎えてくれた“華やぎの瞬間”でした。唐門(黒漆と極彩色の彫刻が施された瑞鳳殿最初の門)唐門をすすんでいくと、空気がさらに澄んでいきました。 その先に現れるのが中門。 黒漆の静けさの奥に、本殿の極彩色が浮かび上がります。門をひとつ越えるごとに、 華やぎが少しずつ深まっていくこの構造は、 瑞鳳殿ならではの美しい参拝動線です。旅の始まりに選んだ場所で、 この“門越しに見える本殿”の景色は、 心に残る印象的な場面になりました。中門をくぐると、いよいよ本殿が目の前に現れます。 黒漆の深みに金箔が静かに輝き、 龍や鳳凰の彫刻が壁面を彩る姿は、 まさに桃山文化の粋そのもの。旅の最初に訪れた場所で、 こんなにも重厚で美しい建築に出会えるとは思いませんでした。 静けさの中に、確かな力強さが息づいています。本殿に近づくと、軒下の装飾が目に飛び込んできました。 龍・鳳凰・牡丹などの吉祥文様が細密に彫られ、 その上に丁寧に彩色が重ねられています。光の角度によって表情が変わり、 まるで生きているかのように見える瞬間がありました。 ここに宿るのは、ただの装飾ではなく、 政宗公への敬意と、職人たちの祈りそのものです。本殿の脇へと歩みを進めると、 静かに並ぶ供養塔が目に入ります。 石の質感は長い年月を物語り、 その前には色とりどりの花が供えられていました。華やかな本殿とは対照的に、 ここには深い静けさと穏やかな祈りが満ちていました。 旅の始まりに訪れたこの場所で、 時を超えて続く祈りの重みを感じました。本殿を後にして石段を下りると、 木々の間から差し込む光が柔らかく揺れていました。 行きに見上げた階段を、今度はゆっくりと振り返りながら降ります。 その一段一段に、政宗公の時代から続く祈りの時間が重なっているように感じました。赤い柵の向こうに並ぶ石灯籠、 苔むした石の質感、そして風に揺れる葉の音。 どれもが、瑞鳳殿という場所の静かな呼吸を伝えてくれます。階段を降りた先にある供養塔の一角。 石碑の前には、色とりどりの花が供えられていました。 その姿に、今も誰かがこの場所を訪れ、祈りを捧げていることを感じます。風が通り抜けるたびに花が揺れ、 その柔らかな動きが、長い年月を静かに語っているようでした。階段を降りてくる若い二人の姿が、 この場所が今も多くの人に親しまれていることを教えてくれました。石段を降りた先にある門をくぐると、 行きとは違う光の色が迎えてくれました。 朝にくぐったときの静けさが、 帰り道では穏やかな満足感に変わっていました。木の香り、風の音、そして門の影。 そのすべてが、旅の始まりと終わりを静かにつないでくれるようでした。門の向こうに広がる森の緑が、 まるで「また来てください」と語りかけてくるようでした。瑞鳳殿を歩いた時間は、 華やかな装飾の美しさだけでなく、 その奥にある静けさと祈りの深さを感じるひとときでした。森の緑、石の冷たさ、木の香り、そして光の柔らかさ。 それらが重なり合って、 「美しさとは静けさの中にあるもの」だと教えてくれるようでした。続くFC2・・はこちらから
2026/06/03
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2026年5月26日(火)晴れ 朝、2時半にそっと起き出してみると、 干すつもりだった洗濯物が、 もうきれいに室内に干されていました。 ノブが、最後にお風呂に入る前に洗濯機を回し、 干してから眠ったようでした。その優しさに胸がふわっと温かくなり、 今日の旅はきっと大丈夫そんな朝でした。高速道路が一部通行止めになっていたので、 4時に自宅を出発。 時間を稼ぐために、キャリーバッグも手荷物にしました。なのに・・保安検査で係の人に 「ナイフのようなものは入っていませんか」と聞かれ、 “そんなはずないやん”と思いながら横を見ると、 クマさんが真面目な顔で「入っています。アーミーナイフが・・」・・はあ?! そんなもん入れたらあかんやん。手続きをしてもらい、 仙台空港で受け取れるようにしてもらってひと安心。と思ったら、今度は 「時計、忘れた」・・なんやねん、それ。仙台空港の売店を探しても見つからず、 私はもう半分あきれ、半分おかしくて、 “今日はどうしたんやろ、この人・・” と胸の奥でつぶやきました。タイムズカーで私が手続きをしているあいだ、 クマさんがなんやらソワソワ、 あちこち探し回っているのです。「どうしたん?」と聞くと、 気まずそうに小さな声で「ETCカード・・忘れた」……えぇぇぇ…… もう笑うしかありませんでした。気を取り直して車を発進させて数秒。 カーブを抜けたところで、 前のトラックが思ったより近くに迫ってきていて・・ 思わず叫んでいました。「危ない!!」その声に反応するように、 クマさんが一瞬でハンドルを切り、 本当に紙一重のところで交わしたのです。無事だったものの、 心臓がドキドキしてしばらく息が整わず、 “クマさん・・ほんまに大丈夫かいな・・” と胸の奥でつぶやきました。ヒヤリとした気持ちを抱えたまま車を進めていくと、 瑞鳳殿へ向かう坂道に入りました。その瞬間、 空気がふっと変わったのです。深い緑の香りが窓から流れ込み、 木漏れ日が静かに揺れて、 さっきまで胸の中でざわついていたものが すうっと溶けていくようでした。参道に足を踏み入れると、 石畳のひんやりした感触と、 森の静けさがゆっくりと体に染み込んでいきました。一段、また一段と進むたびに、 朝のドタバタが遠ざかっていき、 心が少しずつ落ち着いていくのを感じました。水の音が静かに響き、 手を清めると、 胸の奥まで澄んでいくようでした。参道を抜けた先に、 ようやく黒と金の門が姿を現しました。その凛とした佇まいを目にした瞬間、 胸の奥がすっと落ち着いていきました。金箔のきらめき、 深い朱色、 静かに息づく森の気配。そのすべてが、 朝の混乱をそっと包み込んでくれるようでした。「ああ、やっと旅が始まったんや」そんな穏やかな気持ちが、広がっていきました。続くFC2・・はこちらから
2026/06/01
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5月26日から29日まで、金婚記念の東北旅行に出かけてきました。 昨夜、22時40分頃に家へ戻り、ようやくほっと一息ついたところです。後半は雨予報が出ていましたが、 ふたを開けてみればどの日も晴れか曇り。 むしろ暑いくらいで、旅の空がずっと明るく見守ってくれているようでした。瑞鳳殿の静かに佇む門の前で、旅の始まりを感じました。強行軍だったので身体は疲れ切っていましたが、 家に帰るとノブがお風呂をためて待っていてくれていて、 その「おかえり」の声に一気に癒され、ほっとしました。これから、撮ってきた写真を少しずつまとめていこうと思います。FC2・・はこちらから
2026/05/30
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クマさんが大好きなヤマボウシが、 今年も、今が盛りと咲きそろいました。 白い花が風に揺れるたび、 庭にやわらかい光がひとつ落ちて、 その下に立つだけで気持ちがふっと軽くなります。この木は、 私がまだ仕事をしていた頃、 特別手当をいただいたときに 「形に残るものを」と思って迎えた一本でした。忙しい日々の中で、 自分を励ますように選んだ木が、 今ではクマさんのお気に入りになっていて、 そのことが嬉しくて、 胸の奥がほんのりあたたかくなります。今年も変わらず、 控えめなのに、しっかりと咲いてくれました。花の下に立つと、 「ほら、今年もよう咲いとぉ」 そんなクマさんの声が、 風にまじって届いてくるようで、 しばらくそのまま見上げていました。FC2・・はこちらから
2026/05/23
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ノブに「先生の縫合が上手だから綺麗に治ってきてるね」と言うと、 「違うよ。どんなに綺麗に縫ってくれても、本人の治す力がないと治らへんよ」 と返ってきました。 クマさんの回復力は、やっぱり熊並みなのかもしれません。 本当にすごい。運転もし始めて、少し安心した月曜日。 久しぶりにジムでヨガとエアロビクスをしようと思って、 「ジム行ってくるね」と言うと、 クマさんはにこっとして 「いっといで。運動してき」 と優しく言ってくれました。その言葉に安心していたのに── まさかの展開。どうやら、 よそがみんな玉ねぎを抜いているのが気になっていたらしく、 クマさん、急に畑へ直行。え、ちょっと待って。 今日ジム行っといでって言ったやん。 まじ!私は慌てて汚れてもいい服に着替えて追いかけました。畑に着くと、 クマさんは右手一本でスッ、スッ、スッと玉ねぎを抜いていて、 その速さに思わず「えっ!」と声が出てしまいました。私は少し抜いただけで、たいした手伝いにもならなかったのですが、 クマさんは私の手元を見て 「雨が降ってないから土が固くて抜きにくいやろ」 とやさしく声をかけてくれました。そして 「腰が痛くなるからやめとき」 と気遣ってくれて、 いちごを収穫したあとこちらへ来て 「いちご収穫したとき背中痛なったやろ。 だから無理させたらアカンと思って言わんかったんや」 と笑ってくれました。午後からのエアロビクスには間に合ったのですが、 もう行く気分ではなくなってしまって、 その日はクマさんと同じ時間を過ごすことにしました。その夜はふたりとも爆睡。 朝起きて「すっごく寝たわ」と言うと、 クマさんが 「たまねぎ抜いたからや。普段せんことしたら疲れるんや」 と笑って、 朝から二人で大笑いしました。FC2・・はこちらから
2026/05/20
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5月15日。 朝の光がまだやわらかい頃、病院で抜糸をしていただきました。深く切れていたそうで、「親指を切り落とさなくて良かったですね」と先生が静かに言われたとき、胸の奥がひゅっと細くなるような思いがしました。中は溶ける糸で縫い、その上からもう一度、丁寧に重ねて縫ってくださっていたそうです。今回抜糸していただいたのは上の部分です。幹部に炎症はなく、 「もうお風呂も大丈夫ですよ」と言われた瞬間、 胸の奥で張りつめていた糸が、そっとほどけていきました。ただ、 ぶつけないように・・ そのひと言だけは、心に静かに残りました。昨日からは、 車の運転も少しずつしてくれるようになり、 日常が静かに戻ってくる気配がします。 その姿を見ているだけで、 風がひとつ優しくなるようでした。庭に出ると、バラたちが迎えてくれました。黒赤のブラックプリンス。 深い影をまとったような気品のある色。茶色のジュリア。 どこかアンティークの香りを含んだ、落ち着いた佇まい。そして・・今日の心にそっと寄り添ってくれたのは、 ストロベリーアイスでした。淡いピンクが光に透けて、 外側に向かうほどほんのり色づく花びら。 頬を染めた少女のような、 やわらかくて、どこか無邪気な表情。抜糸を終えた日の、 ほっとした気持ちの隙間に、 そっと寄り添ってくれるような色でした。安心と疲れが同時にほどけるような日。 そんな日に咲いていたストロベリーアイスは、 強さではなく、 “やわらかさ”をそっと手渡してくれる一輪でした。庭のバラたちは、 いつもその日の心に合わせて ちがう表情を見せてくれます。 今日はこの子の淡いピンクが、 静かに、静かに、心を包んでくれました。クマさんのことでは、 心配をおかけしました。 思ったより回復も早く、指も動かせています。 皆様のコメントがどれほど心強かったことか・・ 本当にありがとうございました。FC2・・はこちらから
2026/05/17
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クマさんのことがようやく気持ちの上で落ち着いて、 「ジムにいってこようかなぁ・・」とつぶやくと、 クマさんは私を見て、 「大丈夫だから行っておいで」 と、いつものやさしい調子で背中を押してくれました。 その言葉に安心して、久しぶりにジムへ向かいました。今日はヨガとボードをするつもりでしたが、 ヨガの途中でふっと眠気が落ちてきて、 緊張の糸がきれたみたい、 ああ、疲れが出てきたんだと気づきました。ボードは足が引っかかると転んで怪我をすることがあるので、 集中力のない今日は無理をせず、 ヨガだけで帰ることにしました。家に戻ると、クマさんが 「どうしたん? 早かったね」 と声をかけてくれて、 「ヨガをしていたら急に眠くなって集中力が落ちてしまったので ボードはやめて帰ってきた」と説明しました。そのあと横になったら、 すぐに眠ってしまったようです。 私の寝息を確かめてから、クマさんも眠ったみたいで、 目を覚ますと、ふたりとも静かな呼吸の中にいました。 クマさんは怪我をしてからよく眠るようになっていて、 そのせいか回復力は本当にすごいと感じます。庭に出ると、奥のほうに植えているエドガー・ドガが ちょうど咲き始めていて、 淡い色がゆっくり混ざり合うその一瞬に、 ついつい引き寄せられました。咲き始めのドガは、 まだ色が完全に溶け合わず、 絵筆でそっと触れたようなストライプが浮かび上がります。 私はこの“咲き始め”がいちばん好きです。今日の疲れた心に、 静かに寄り添ってくれた一輪でした。FC2・・はこちらから
2026/05/14
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5月11日(月) クマさんの診察のため、朝早く家を出ました。 予約は10時だったけれど、 病院はとても混むと聞いていたので、 9時10分には到着しました。呼ばれたのは9時40分ごろ。 縫合してくださった形成外科の 青木先生が やわらかい表情で迎えてくれました。先生の顔を見た瞬間、 クマさんと私は深く頭を下げて 「ありがとうございました」と、 胸の奥から言葉が出ました。先生は静かに言いました。「チェーンソーで切っていたので、 木くずがたくさん入っていました。 綺麗に洗い流しましたが、 もし残っていたら化膿したり腫れたりします。 しっかり見ておいてくださいね。 親指を切り落とさなくて、本当に幸いでした」縫合部分を見て、 その日は半分だけ抜糸。親指の添木もはずしてくださいました。 「次は金曜日に全部抜糸しましょう」と言われ、 少し安心して病院をあとにしました。帰宅してすぐ、 ノブと長男にLINEで経過を報告しました。ノブはすぐに返してきて、 「順調にいってるなら、少しずつ動かせってことやね」 と、私が言う前にまるでそばで聞いていたかのように。長男からも、 「順調そうで何よりやね」 と短いけれどあたたかい言葉が届きました。家族のこういう一言が、 心を支えてくれます。家に戻ると、 クマさんは玄関に荷物を置いたまま、 そのまま畑へ向かっていきました。「トウモロコシの苗が育ってるから、植えてくるわ」親指の添木が外れて、 先生に 「高齢だからこそ、指を動かすように」と言われたばかり。だからクマさんは、 痛みがあっても、 まだ不自由でも、 畑へ向かったんだと。私は思わず言いました。「トウモロコシなんて、どうでもいいやん・・ 今日はゆっくりしとき」でもクマさんは、 聞こえているのかいないのか、 そのまま畑へ歩いていきました。その背中を見て、 私は急いで汚れてもいい服に着替えて、 あとを追いました。畑に着くと、 もうトウモロコシは植え終わっていて、 クマさんは肥料をあげるところでした。私は黙って横に立ち、 肥料を入れるのを手伝いました。土の匂い、 風の音、 クマさんの少しぎこちない手の動き。その全部が、 なんだか胸にしみました。肥料をあげ終わったとき、 クマさんがふっとこちらを見て言いました。「ありがとう。助かったわ」その声が、 畑の空気にやわらかく溶けて、 胸の奥がじわっと温かくなりました。“ちょっと元気になったら、こうなんです” そう思いながら、 でもその“こうなんです”が どれだけ日々を支えてくれているか、 ふっと気づいてしまう瞬間でした。FC2・・はこちらから
2026/05/13
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クマさんの診察があった7日。 縫合してくださった先生は手術中で、 若い先生がカルテを見ながら静かに説明してくれました。傷を見て、 手際よくガーゼを替えてくださって、 「次は月曜が縫合した先生の診察日ですね」と。思った以上に順調で、 その日はそのまま帰りました。家に戻っても、 胸の奥のざわつきが消えなくて、 どうしても心に引っかかっていて、 姉に電話をしました。声を聞いた瞬間、 なぜだか涙があふれてしまって、 「お姉ちゃん」と呼ぶ声がつまってしまいました。姉は笑いながら、 「どうしたん、なんで泣くん」と 昔のままの声で言ってくれて、 そのやさしさに胸がゆるみました。私にとって姉は、 姉というより 二人目の母 のような存在。 小さい頃から、 いつもそばにいてくれた人でした。だから私は、 泣きながら思わず言ってしまいました。「だって…幼い頃からずっとそばにいてくれたやん・・ いっつもそばにいてくれたやん・・」姉はまた笑って、 「私は何もしてないよ」と やわらかく返してくれました。その声を聞いて、 「お姉ちゃんに会いに行きたいな」と 小さく呟いていました。それを聞いていたクマさんが、 「明日行こか」と静かに言ってくれました。翌日。 姉に持っていくいちごを綺麗に洗って、 タッパーにそっと詰めました。そうちゃんに送る荷物(大量のいちご)も発送してから、 姉の顔を見に行きました。姉はクマさんの包帯を見て驚いて、 「どうしたん・・」と心配そうに眉を寄せました。 説明すると、 「もう気をつけなあかんで」と やさしい声で言ってくれました。帰ろうとしたとき、 姉がそっと財布を開いて、 「これでお昼でも食べて帰り」と。その仕草が、 昔と変わらない母のようなやさしさで、 胸の奥がじんわり温かくなりました。でもクマさんと二人で、 静かに首を振りました。「それはあかんよ。 受け取られへんよ」姉の気持ちはしっかり受け取りながら、 負担にはさせたくなくて。 そのやりとりもどこか懐かしく、 やわらかい時間でした。病院の帰りに寄ったアウトレットは、 ただの買い物の場所ではありませんでした。パーキン病で亡くなった母を、 クマさんがリハビリのために ゆっくり歩かせてくれた、 忘れられない場所。建て替えになってしまって、 もうあのお店はないけれど、 母と歩いたあの道だけは残っていて。その上をふたりで静かに歩くと、 母がクマさんに身を預けて 一歩ずつ頑張っていた姿が そっと浮かんできました。手はなんとか動いたから、 時間はかかっても自分で食べられた母。 歩いたあとは、決まってケーキと珈琲。 美味しそうに食べる母の横顔を思い出して、 胸が少しだけきゅっとしました。クマさんはジーンズを二本、 私も一本。 それぞれ靴も一足ずつ選びました。私はジムで使えるスパッツとTシャツも見つけて、 張りつめていた気持ちが ゆっくりほどけていくようでした。残っていたあの道が、 今日の私の心をそっと抱きしめてくれたように思います。FC2・・はこちらから
2026/05/11
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ブログの日にちが前後します・・朝、庭に出ると、 赤い スヴニール・ドゥ・ドクター・ジャーメインがふわっと香っていました。 ダマスクの深い香りが、まだ少し冷たい空気の中に静かに溶けていきます。そのすぐそばで、 ピンクにほんのり茶が混ざった ディスタントドラムス がやさしく咲いていて、 どちらも私の大好きなバラ。 朝の光の中で、そっと寄り添っているように見えました。ふと振り返ると、ノブが出かけるところでした。 後ろ姿に「行ってらっしゃい」と声をかけると、 いつものように軽く手を上げて出ていく、 その何気ない仕草が、なぜか心にしみました。お昼前、ノブが帰宅。 手には 「小川堂さんの柏餅」。つぶあん・こしあん・味噌餡の三種類が並んでいて、どれも控えめな甘さがふわっと口に広がります。その包みを見た瞬間、「あ、今日はこどもの日やったんや」と初めて気づきました。すっかり忘れていた自分に、苦笑いノブの気遣いが胸にしみました。そして ガーゼ・テープ・包帯病院では出してもらえないから、自分で買いに行かないといけないもの。 「足らないと思って買ってきた」 その一言が、ノブらしい静かな優しさでした。クマさんはカフェインが禁止なのでお水で、 私はノブと一緒にお茶をいただきながら、 静かでやわらかな時間がゆっくり流れていきました。その少し前、朝の玄関チャイムが鳴りました。 お隣のK田さんの〇〇さん いつも名前で呼び合っている、〇〇さんが 心配そうな顔で立っていました。「クマさん大丈夫? 救急車で運ばれるのを見て、胸がドキドキしたんよ」そう言いながら、 〇〇さんはブルッと身震いして、 「びっくりしてしもて…」と静かに続けられました。 その声の揺れに、どれほど驚き、心配してくださったのかが伝わってきて、 胸の奥がじんわりしました。〇〇さんは小さなお見舞い袋を差し出してくださったのですが、 私はゆっくりと首を振りました。「それは絶対に受け取れません。 お互いさんにしましょう」気持ちはしっかり受け取って、形は受け取らない。 その方が、〇〇さんも私も、自然でいられる気がしました。朝の光と人の優しさが、そっと胸に残った一日でした。FC2・・はこちらから
2026/05/09
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私はいつも通り、5時すぎには目が覚めて、 ひんやりした外の空気の中で洗濯物を干しました。 朝の空気って、ちょっと背筋が伸びるのに、 どこか優しくて、静かに寄り添ってくれる感じがあります。干し終えて玄関へ向かう途中、 視界の端にふわっと色が飛び込んできて、 思わず「あっ」と声が出ました。そこに、プリンセス・チチブが 早朝の光の中で、まるで 「今日も大丈夫よ」 とでも言うみたいに咲いていたんです。 胸がふわっとして、カメラを取りに戻る足取りも軽くなりました。片付けをすませ珈琲を飲んでいると、 7時半にクマさんが起きてきました。 クマさんはカフェイン禁止なので、 大好きな珈琲を横目に、ちょっと寂しそうにしていました。(その横顔がまた可愛いんですけどね)そのあとノブが支度をして2階から降りてきて、 玄関で、「今日、お昼はいらないから」とだけ言って、すっと出ていきました。 あの“必要最低限だけ置いていく感じ”、 昔から変わらなくて、つい笑ってしまいます。クマさんが怪我をする前の夜、 三宮の中古本の話をしていました。 「父さん、欲しい本があったらメモしといて。あれば探してくるから」 とノブが言い、クマさんが嬉しそうにメモを渡していました。私は「一貫楼の豚まんが食べたいな」と言うと、 ノブは「電車の中でかなり臭うから無理やで」と苦笑い。 するとクマさんが 「蒸してないのがあるから、それなら匂わへんよ」 と教えてくれて、 “豚まん会議”みたいになって3人で笑いました。YouTubeで評判のトマトの話もしました。 「そんなに美味しいなら食べてみたいね」 そんな、なんでもないけど温かい会話でした。ノブはその会話を全部覚えていて、 三宮で蒸していない豚まんを買い…評判のトマトも手に入れて・・その足でお姉ちゃんに会いに行ったようです。 連日来てくれたノブを見て、姉はびっくりしたみたい。ネットで評判のこのトマト。 姉は受け取って食べてみて、「トマトというよりフルーツだね」と、とても喜んでくれたそうです。もちろん姉の分の豚まんもしっかり渡して…。 兄が近くにいるので、ノブや長男、甥二人を 平等に可愛がってくれた姉。 甥が来て世話をしてくれると、 ノブはその優しさをちゃんと感じています。ノブの優しさって、 大げさじゃなくて、 “覚えていてくれる”という形でそっと出てくるから、 胸の奥がじんわり温かくなります。夕方、「迎えに来て」とラインが入り、 駅まで迎えに行く車の中でノブが言いました。「何か買い物あったら付き合うよ。 重いものとか買う予定ない?」その言い方がまた優しくて、 “ああ、この子はこういうところがあるんだよなぁ”と 口元が緩みました。「夕食は簡単でいいよ」と言っていたノブに、 「すき焼きもできるよ」と言うと、 ノブは静かに、「父さん、出血もしてるし、肉がいいかもね」と一言。 この“気遣い”がまた沁みます。夜は3人で、 以前買っていた黒毛和牛(冷凍していた)を囲んで、 お喋りしながらすき焼きをつつきました。「父さん、本探したけどなかったわ」 クマさんのほしかった本は、 誰もが買うような本ではなかったので、 「やっぱり、なかったか」と。クマさんの痛みはまだあるのに、 鍋を囲むと家の中にゆっくりとした温度が戻ってきて、 トマトが果物みたいに甘くて、 なんだかんだで笑いもこぼれる、 静かで、あたたかい夜になりました。FC2・・はこちらから
2026/05/06
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「家族の声がゆっくりと灯っていった夜のこと」 一昨日、ノブと長男、そして孫たちは 姉のお見舞いの帰りに、ふらりとアウトレットへ寄ったそうで、 手には少し重たそうな袋をいくつも下げて帰ってきました。 靴やジーンズをそれぞれに選んで、 ノブは長男にリーバイスのジーンズを買ってもらったとか。 「3本15000円やから、ノブも一本選び」と言ってくれたそうで、 そのやりとりを想像するだけで、胸の奥が温かくなりました。帰ってきたのは、夕方の光が少し薄くなる頃。 私は台所で、車の音を気にしながらヘレカツや野菜のフライ、スナップエンドウ、 タケノコの煮物のフライを次々と揚げていました。たくさん作ったはずなのに、 気づけばお皿はどれも空っぽで、 その景色がとっても嬉しくて。偏食のみ〜ちゃんは、 新玉ねぎのフライをジィ~~と見つめて「これ何」「新玉ねぎのフライだよ。少しでいいから、 嫌だったら吐き出してもいいよ」と声をかけると、 そっとひと口だけ口に入れて、 次の瞬間、ぱっと顔が明るくなりました。 「美味しい」と言って、 気づけば七つも食べてくれて、 その姿が胸の奥を温かく包んでくれました。実は、バタバタしていて忘れていた そうちゃんの誕生日が5月7日で、 思い出した瞬間にお小遣いを渡しました。 「あ〜ちゃんは、そうちゃんの誕生日忘れないよ」と言うと、 そうちゃんがぱっと顔を明るくして、 満面の笑顔を見せてくれました。最近はケーキでお祝いすることもなくなっていたから、 「すごく嬉しい」と言ってくれて、 その言葉が胸にしみました。そのケーキは、私がノブに頼んだもので、 長男が買ってくれたそうです。 家族の優しさがそっと重なって、 甘い時間が静かに広がりました。本当は来た翌日に帰る予定だった長男が、「もう一泊していくわ」と言ってくれて、早朝の新幹線で静かに帰っていきました。その背中を見送りながら、家族って本当にありがたいなと、胸の奥が温かくなりました。FC2・・はこちらから
2026/05/05
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119の声から始まった一日 あの声のあとに、家族のぬくもりが寄り添ってくれました昨日のこと朝の空気を切り裂くように、 外からクマさんの声が響きました。「119呼んで…!」一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。 でもすぐに、 あ、クマさん、さっき薪割りで割れなかった木をチェーンソーで切っていたんだ と頭の中でつながって、私は外へ飛び出しました。納屋へ向かう途中、地面に点々と血の跡。 クマさんは左手をティッシュで押さえて、顔をしかめていました。「どうしたん?」 「やってもた・・チェーンソーが跳ね返って切ってもた・・119呼んで・・」私はそのまま家に走り込み、スマホをつかんで119へ。 ワンコールで救急隊の声が返ってきました。「こちら救急隊です。事故ですか、緊急ですか」 「緊急です。主人がチェーンソーで手を切りました」住所、名前を伝えると、 「確認できました。すでに救急車は出動しています。落ち着いてください」 と、はっきりした声。「何で切ったんですか」 「チェーンソーです。薪を切っていて跳ね・・今ティッシュで押さえています」 「ティッシュは繊維が残るので駄目です。清潔なガーゼかタオルで押さえてください」その言葉で、 ――そうだ、以前使ったガーゼがあった と頭に浮かび、救急箱へ走りました。ガーゼを持って納屋へ戻り、 「ティッシュは駄目だって。ガーゼに替えるよ」 と声をかけてティッシュを外すと、 バッサリ切れた手が目の前に。胸がざわっとしましたが、すぐにガーゼを当てて押さえてもらい、 またスマホに向かって状況を伝えました。「今飲んでいる薬は?」 「高血圧と高脂血症とアレルギーです」 「かかりつけは?」 「〇〇です」「まだ血は出ていますか」 「ちょっと待ってください」 また納屋へ走り、 「血まだ出てる?」 「少しおさまってきた」 「少し収まってきたようです」と救急隊へ。そのとき、外からサイレンの音。 「今、救急車が到着しました」私はその音に導かれるように外へ走り、 隊員の方がストレッチャーを押して来るのが見えました。クマさんも納屋から出てきて、 すぐにストレッチャーに載せられました。「奥さんは追走しますか? 一緒に乗りますか?」 「乗ります」 迷いはありませんでした。 クマさんのそばを離れたくなかったんです。隊員の方が確認します。 「大きな手術や怪我は?」 「胆嚢の摘出をしました。ずいぶん前です。 自転車で転んで鎖骨を折ったときはツカザキ病院へ行きました」 「そこではこの傷は対応できません。ハリヒメに向かいます。確認しますので少しお待ちください」すぐにOKが出て、救急車へ。 ストレッチャーが運ばれる頃には、ご近所の方が数名出てきていました。自宅前のTさんと目が合い、 「どうしたん?」 と小さく聞かれて、 「チェーンソーで手を切ったの」 とだけ伝えて、私は救急車に乗り込みました。クマさんが叫んだのは、10時10分ごろ。 救急車は10分後には到着して、 ハリヒメには11時10分ごろに着きました。納屋でガーゼに替えたとき、 クマさんはいつの間にか長靴からスリッパに履き替えていて、 私はそのスリッパを手に持ったまま、 救急隊員さんの後ろを必死でついていきました。病院に着くと、すでにスタッフの方が待っていてくださって、 私は待合所に案内され、 そのまま椅子に座り込んでしまいました。震える手で次男にラインを送りました。「父さんがチェーンソーで左手の上側を切って、今救急車でハリヒメ来てる」しばらくすると、看護師さんが数枚の書類を持ってやってきました。 名前、生年月日、既往歴、連絡先・・・書くところがいくつもあって、 私は一つひとつ、読みながら、わかるところを埋めていきました。ペンを持つ手が少し震えていて、 字がいつもより細く、頼りなく見えました。その間にも、待合室には次々と人が入ってきました。 受付の呼び出し音、 椅子に座るときの衣擦れ、 小さな子どもの咳、 誰かのスマホの通知音。そんな日常の音が、 私のまわりだけ少し遠くに聞こえていました。書類を書き終えてふっと顔をあげると 時間がゆっくりと流れているような、 でもどこか急かされているような、 不思議な感覚に包まれました。そのとき、スマホが震えました。 次男からの返信でした。「行く」その一言で、胸の奥が少しだけ温かくなりました。すぐに続けて、「電話番号は?」「ハリヒメの?」 「そう…」短いやり取りなのに、 次男の気持ちがまっすぐ伝わってきて、 私は深く息をつきました。40分ほど経ったころでした。 誰かがそっと近づいてくる気配がして、 振り向くと次男が立っていました。「父さんが…」 その小さな声を聞いた瞬間、 胸の奥がきゅっと締めつけられて、涙がこぼれそうになりました。「指、切れた?」 「切れてない。手の上側に深い切り傷。親指が少ししびれてるみたい」 「まだ何も知らされてないの」次男は、周りに聞こえないように小さな声で続けました。「手の上って皮膚が薄いやろ。 だから腱とか神経とか太い血管とか、すぐそこにあるんよ。 もし手が動かんようになったら…父さん、どれだけショック受けるかと思って」その言葉に、私はただ深くうなづくしかありませんでした。 胸の奥がじわっと熱くなり、 待合室の空気が少し揺れたように感じました。それから2時間以上が過ぎ、 ようやく看護師さんに呼ばれました。先生の説明は落ち着いた声でした。「神経や腱のことは専門の先生でないとわかりませんので、 今、形成外科の専門医を呼んでいます。 骨にヒビが入っていないかレントゲンとCTを撮りましたが、 幸いにもヒビはないようです」その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜けました。しばらくして、形成外科の先生が来られました。「これから縫合をしますので、待合室でお待ちください」そっとクマさんの肩に手を置くと、 涙がこぼれそうになって、 私は必死にこらえました。待合室で、長男にもラインで報告しました。 「父さんがチェーンソーで手を切って、今ハリヒメにいる」 短く、でも必要なことだけを送って。しばらくすると、スマホが震えました。 長男からの電話でした。私は小さく息を整えて出ました。「どうしたん」 「父さんがチェーンソーで手の上を深く切って・・今、縫合をしてて、呼ばれるのを待ってるところ」できるだけ簡単に、でも落ち着いて説明しました。 待合室のざわめきの中で、 長男の声だけがまっすぐ耳に届いて、 そのことが少しだけ心を支えてくれました。「わかった。今どこにおるん」 「待合室。まだ呼ばれてないの」「ノブも来てくれるから」 そう長男に伝えると、 電話の向こうで少し笑いながら、「指、切断してないんやろ。良かったやん」と軽く言われて、 私は思わず、「笑い事やないわ」と返してしまいました。看護師さんに呼ばれたのは、それからさらに2時間近く経ってからでした。 長い長い待ち時間でした。処置室に入ると、先生が縫合したあとを見せてくれました。クマさんの手の上には、 まっすぐに、丁寧に縫われた 8センチの切り傷。 その縫い目を見た瞬間、胸の奥がじわっと熱くなりました。「太い腱はつなぎました。細い腱は自然に治ります。 腱は思った以上に強いので、安心してください」先生の落ち着いた声に、 張りつめていた心が少しだけ緩みました。入院か通院かの話になり、先生は続けました。「ご自宅で、シャワーで傷をきれいに洗い流して、 お出しする軟膏をたっぷりつけて、 清潔なガーゼを当てられるなら通院で大丈夫ですよ」その言葉を聞いた瞬間、 胸の奥でほっとしました。クマさんは、縫合を終えたばかりだったのですが思ったより穏やかな顔でした。先生がまだ麻酔が効いているから痛みはこれからですとその言葉に思わず先生ありがとうございます綺麗に縫合された傷を見て、また涙が零れそうになりました。先生からは、抗生物質と痛み止め、そして軟膏を処方されました。薬の塗り方、ガーゼのあてかたから包帯の巻き方を教えてくれました。処方箋出しますので薬をもらってくだい。「連休明けの7日に予約を入れておきますので、来てくださいね」その言葉を聞いたとき、 ようやく “ここまで来た” という実感が胸に広がりました。長い長い時間をかけて縫合してもらったクマさんの手。 あの深い傷を見たときの衝撃がまだ胸の奥に残っているのに、 先生の落ち着いた声が、 その衝撃を少しずつやわらげてくれるようでした。処置を終えたクマさんは、 さっきまでの緊張の色とは違って、 どこか “終わった” という安堵がにじんでいるようにも見えました。私はそっと横に立ち、 クマさんの右手をそっと握りました。 その瞬間、また涙がこぼれそうになって、 ぐっとこらえました。しばらく待合室で待っていると、 「処方箋ができましたので、薬局でお名前を言ってください」 と声がかかりました。この病院は初めてでした。 以前あった循環器病院と新日鉄病院が一緒になって、 駅の東に新しくできた大きな病院。 広くて、どこに何があるのか分かりにくくて、 私は薬局を探しながら、つい歩きすぎてしまいました。そのとき、後ろからノブの声。「母さん、行き過ぎてるよ」その一言で、 ああ、まだ動揺してるんだな と自分で気づきました。小さなガラス窓に「薬局」と書かれた文字を見つけて、 ようやくたどり着きました。薬剤師さんが、 「抗生物質と痛み止めはすぐに飲んだほうがいいですよ」そろそろ麻酔が切れる頃ですから と教えてくれました。「カフェインは避けてくださいね」そう言われて、ノブが麦茶を買ってきてくれました。 その場で薬を飲み、ふっと息をつくと、 時計はすでに3時30分を回っていました。「何か食べて帰ろうか」 と私が言うと、ノブが、「うどんみたいな軽いのがいいね」と答えました。クマさんはノブの車の助手席へ、 私は後部座席へ乗り込みました。 連休だからか、道路はかなり混んでいました。はなまるうどんに入り、 三人で静かにうどんを食べました。 温かい汁が喉を通るたびに、 張りつめていた気持ちが少しずつほどけていくようでした。そんなときノブが言っていいのかな?と話を始めました。何事かと思ったら久しぶりに姉ちゃんに(私の姉 昔から姉ちゃんと呼んでます)電話したら「姉ちゃん、圧迫骨折して入院してるみたいやねん。 明日行くって言ったけど、この状態なら行ってもいいかな・・」その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しざわつきました。私と姉は、ちょっとした行き違いで今は仲違いをしています。 姉は独身で自由人。 考え方そのものが私とは違っていて、 5歳離れていることもあり、幼い頃は母代わりのような存在でした。いつもそばにいてくれて見守ってくれていたのです私には、母が二人いたような感じでした。 だからこそ、私が大人になってもいつまでも子ども扱いで、 私が姉をちょっと注意すると怒る・・そんな関係のまま、今に至っています。ノブは、その全部を理解しています。そのあと薬局へ寄り、 包帯とガーゼ、テープをノブに選んでもらいました。普段は愛想のないノブが、 真剣な顔で棚を見比べながら、「このくらいの大きさがあったら大丈夫」 「包帯はこれは駄目。こっちのほうがいい」と、丁寧に選んでくれました。その姿を見て、 その優しさに癒されました。そしてふと気づいたのです。長男が笑ったのは、私の気持ちをほぐすためだったんだ。その優しさに気づいた瞬間、 また涙がこぼれそうになりました。そんなとき長男からラインが入りました。「夜遅くなるけど、そっち行っても迷惑にならない?」その文字を見た瞬間、 胸の奥がじぃ~~んとして、「来てくれると父さん喜ぶ」そう返信すると、 しばらくして、「子供も一緒に行っていい?」とメッセージが届きました。もちろん父さんめちゃくちゃ喜ぶよ。東京18時発の新幹線に乗って23時時38分着の電車だから迎えお願いね。それを聞いたクマさんの笑顔がぱっと明るくなったのを私は見逃しませんでした。夜、クマさんは眠そうな顔をしながらも長男たちを待っています。ノブは「兄ちゃんが帰ってきたら、そうちゃんやみ〜ちゃんも神戸に行くって言うかもしれんし、聞いてみて」そう言ってくれました。改札から出てきた長男と、 その後ろに続く孫二人。 三人とも、どこか緊張したような、 心配そうな顔をしていました。その表情を見た瞬間、 胸の奥がじわっと熱くなって、 涙がこぼれそうになりました。家族が集まってくれるというだけで、 あの長い待ち時間の重さが、 少しだけ軽くなった気がしました。長男が帰ってきてしばらくすると、 ノブは私に「兄ちゃんに聞いてくれた?」と尋ねました。 長男に話をすると長男もノブと同じようにお姉ちゃんにたくさんの幸せをもらっていたので「明日には新幹線で帰らなあかんけど、父さんの状態もわかったし、 姉ちゃんの顔も見たいし」と言いました。二人とも、幼い頃から私の母と姉に本当にかわいがってもらっていて、 私たちが仕事で忙しかったお正月には、 毎年旅行に連れて行ってもらっていました。二人にとっても、姉は大切な人。でも今回は、クマさんのこともあるので、 私たちは行きません。それを察したノブが、「姉ちゃんには父さんの怪我のことは言わんとくわ。 ちょっと用事があって来れへんけど、無理しないでって言ってたって伝えとく」と、そっと言ってくれました。私は姉のお見舞いをそっとノブに託しました。何でも大丈夫という人だから決して無理はしないでと伝えてと添えて。今朝、長男・孫・ノブは我が家の車で姉の入院している病院へ。私は昨日帰宅してから収穫してきたいちごをパックいっぱい詰め込んでそれも持っていってもらいました。長男と孫は今日の新幹線で帰ります。クマさんを心配して飛んできてくれた。ノブや長男の優しさにただただ感謝しかないです。あんなにも心強く感じたことはありません。FC2・・はこちらから-
2026/05/03
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昨日は疲れてしまって、 気がつくとソファで寝ていました。目を覚ますとクマさんの姿がなくて、 庭に出ると、倒れた鉢をひとつずつ起こしてくれていました。「いきなりすごい雨風がきて、こんななったんや」 と、少し困ったように言うクマさん。 その声に思わず庭を見渡すと胸がズキッとしました。鉢はあちこちで倒れ、 バラの中には根元から折れてしまったものまで。ラマリエは、 私が庭のバラの中でも特別に気に入っていた子でした。普段は「バラは庭で咲いてこそ」と思っていて、 ほとんど切らないのに、 ラマリエだけは別でした。房咲きで、花が重くて、 小さな花瓶では倒れてしまうから、 大きめのガラスの花瓶に入れて、 キッチンの棚にそっと置いていました。キッチンに行くたびに、 ふわっとラマリエの香りが迎えてくれて、 その香りにすごく癒されていました。だからこそ、 クマさんが「挿し木しといたらええのに」と言ってくれたとき、 なぜ私は「もう減らすつもりだからいい」なんて 言ってしまったのか、今思うと不思議です。袋の中のラマリエには つぼみがたくさんついていて、 その姿を見た瞬間、 胸がぎゅっとして、涙がこぼれそうになりました。そして今朝。 庭に出ると、 ふわっと光るように咲いているバラがありました。アブラハムダービーです。見た瞬間、 昨日の痛みが少しだけ溶けていくようで、 心がふわっと癒されました。バラって、 嬉しさと切なさを 一緒に運んでくる花ですね。FC2・・はこちらから
2026/05/02
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今回の棚の動きを動画にしました・・ **台所で起きた小さな事件が、ついに決着を迎えました・・** 静かに始まったこの物語は、気づけばちょっとしたドラマになっていました。最初のきっかけは、 もともと使っていた自動昇降の乾燥機が ある日突然ストンと沈黙したことでした。修理をお願いすると、 「10万円以上かかるかもしれません」 と、まるで高級バッグの値段みたいな数字が出てきて、 思わず目が泳ぎました。しかも今年の6月で10年。 次に壊れたら部品もありません、と言われ、 家電から 「そろそろ卒業しませんか」と静かに別れを告げられたような気持ちに。本当は壊れた部分だけ替えたかったのですが、 その扉も廃盤。 そこだけ違う色になるのはどうしても気になってしまい、 「うーん・・これはもう全体替えるしかないか」 と、深呼吸して覚悟を決めました。以前は洗浄乾燥機を使っていたのですが、 私はどうしても洗浄は自分の手でしたくて、 乾燥だけが欲しかったんです。そんなとき、長年お付き合いのあるK村君から 「自動昇降の乾燥機がありますよ」 と提案され、 “なんだか未来っぽいし便利そう”と設置したのが始まりでした。そして始まった、電動さんとの波乱の日々ところが数年後・・・・・・ 中に **でっかいゴキブリ** が出始めて、まさに驚愕。クリナップに相談すると、 「どこからでも入ってきますよ」 と、天気予報みたいにサラッと言われ、 心の中で 「いやいや、そんな爽やかに言われても・・・こっちは大事件なんですけど!?」そして、あの“伝説の朝”がやってきました。棚をおろした瞬間、 そこに **でっかい彼** が堂々と歩いていて、 身体がカチンと固まりました。そのあと、 「ぎゃあああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜」 と声にならない声が出て、 気づいたら 「クマさんきてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」と叫んでいました。クマさんはすぐ来てくれて、 薬をシュッと振って退治してくれました。 (私は棚から3メートル離れた場所で、 野生の小動物みたいに固まっていました。)でもそのあとが本番。 中には乾いた食器が入っていたので、 全部取り出して、洗い直して、 乾燥機の内部を隅から隅まで掃除して、 アルコールで消毒したのは私。クマさんは“退治担当”、 私は“後処理担当”。 なんとも言えないチームワークでした。そんな事件が、 なんと3〜4回もあったんです。もうその頃には、 乾燥機を見るだけで 「今日は何もいませんように・・」 と祈るような気持ちに。そして私はついに、 乾燥機を使うのをやめました。さらに、棚を上まで上げてしまうのも怖くて、 いつも **“目の届く位置”** まで下げたまま使っていました。まるで、 「あなたのことは信用してないのよ」と言いながら距離を置いて付き合っている、 ちょっとした“台所コント”のような関係でした。今回この提案をしてくれたのは、 長年お付き合いのあるK村君。「全部替えたほうがいいですよ」 と言われたときは、 思わず 「えっ!?なんで全部!? そこ壊れてないよね!?」と心の中で全力ツッコミ。するとK村君、 まるで“未来の台所を見てきた預言者”みたいに落ち着いて、 こう説明してくれました。「自動は故障しやすいんです。 壊れると高額になりますし、 10年経つともう部品がないんですよ。 だから壊れにくい“手動”にしたほうが安心です」・・・いや、急にそんな冷静に言われても。私は心の中で、 「ちょっと待って、 私もう何回も電動さんに泣かされてるのよ!?」でも、 でっかいゴキブリ事件、 乾燥機との微妙な距離感、 “目の届く位置までしか下げられない恐怖の毎日”を思い返すと、「・・はい、もう手動でお願いします」と、白旗を振るしかありませんでした。そして仕上がりを見た瞬間、 「あ、これは結果オーライだわ」 と心の中でスタンディングオベーション。長年のK君の“勘”、 やっぱり恐ろしく鋭いです。洗った直後にちょっと置く場所は欲しいので、水切り棚は“普段は上げておく派”のまま残しました。普段は天井付近で静かに待機しているのに、必要なときだけスッ…と降りてくる、まるで“忍者みたいな秘密兵器”です。上の棚は思い切って“真っ白”を選びました。 仕上がりを見たとき、 色の違和感はまったくなくて、 むしろ空気がすっと整ったように感じました。白と赤、そして木の質感。 この三つがそっと並ぶことで、 キッチンにやわらかい温度が生まれています。手動の棚下収納は、 思っていたよりもたくさんのものが収まって、 キッチンの動きが前よりずっと楽になりました。新しくつけたアイエリアには、 よく使う調味料を並べておけるので、 料理の途中で手が迷わなくなりました。もう電動さんには振り回されません・・(*'ー'*)ふふっ♪FC2・・はこちらから
2026/04/30
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我が家の庭は、 道からは見えないところにあります。 駐車場を抜けて、 南側の玄関へ向かうときにだけ、 バラたちが静かに姿をあらわします。 少しだけ、秘密の庭のような場所です。弱っていく鉢植えの ステンレススティール を見ていた頃、 どうしても手放したくなくて、 そっと何本も挿し木をしました。 季節が静かに巡って、 残ってくれたのは二本だけ。 朝の光の中で小さな芽をひらいていて、 胸の奥があたたかくなりました。今日はその二本を、 バラ鉢へ移動しました。 触れたとき、 苗がほんの少し息をしたように感じて、 そのかすかな気配が 心の奥にそっとしみました。植え替えを終えて庭を歩いていると、 光がひとつ、 やわらかく揺れていました。近づくと、レディ・ヒリンドンが静かに咲いていて、クリームに溶けるアプリコット色がそっと心に触れていきます。レディ・ヒリンドンは、近づくと、ティーの香りがそっと漂って、春の空気にやわらかく溶けていきます。見ているだけで、庭の空気ががほどけるような、そんな淡い色。 春の庭は、小さな気配がそっと残っていくところが好きです。・・・・その静けさの奥では、バラをそっと守るための小さな手間だけが、気づかれないまま続いています。FC2・・はこちらから
2026/04/28
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朝の庭に出ると、 まず目に飛び込んできたのは「宴」の深い赤でした。 まるで自分の美しさを知っているように、 誇らしげに花びらを広げていて、 その堂々とした姿に思わず足が止まります。そのすぐそばでは「オデュッセイヤ」が、 同じ赤でもまったく違う雰囲気で咲いていて、 どこか貴婦人のような気高さが漂っていました。 静かに、でも確かに存在感を放つその姿が、 朝の空気をすっと引き締めてくれます。そして、ふと視線を落とした先にいたのが「オールドブラッシュ」。 ここからの3枚も、すべて昨日の朝に撮ったものです。咲き進むにつれて色が変わっていくこの子は、 その日その日で違う表情を見せてくれます。まずは、つぼみと咲きかけの姿。 まだ幼さが残っていて、 可愛いの入り口のような柔らかさがあります。少し開いてきた花は、 色がふわっと明るくなって、 咲き進む楽しさをそのまま映しているよう。そして、ふわっと開いた最後の一輪。 昨日の朝は、雨の気配をまだ知らないように 軽やかな表情を見せていました。そして今朝のバラたちは 雨に打たれてぐったりしていました。昨日の柔らかな色と、今朝の儚さ。 同じ花でも、こんなにも違う姿を見せてくれることに、 季節の移ろいを感じました。同じ「赤」でも、 こんなにも違う咲き方、違う性格を見せてくれる朝の庭。 ほんの短い時間なのに、 小さな物語がいくつも重なっているようでした。FC2・・はこちらから
2026/04/27
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春の甘さが風にのって・・クマさんの畑に、 春の光がそっと落ちています。棚のエンドウは、白い花のそばで 細い実をふくらませながら、 風にゆっくり揺れています。今日はよく採れたので、 ご近所さんにも少しおすそ分けしました。 「うれしいわぁ」と返ってくる声が、 畑の空気をそっとあたためてくれます。その声を聞くたびに、 クマさんの背中も笑っているように感じます。いちごの畝には、 赤くなりはじめた実がぽつりぽつり。 初生りのひとつは、 いつものように仏様へそっとお供えしました。 この小さな習わしが、 毎年の春を静かに迎えてくれます。いちごの苗は、十一月に植えたもの。 毎年たくさん作るので、少し余ります。畑の道を歩いて、 「苗、余ってる?」と訪ねてくる人の姿が見えると、 クマさんはいつもの笑顔で、 余った苗を手渡しながら、 「好きなだけ持っていって」と声をかけます。 そのやりとりが、畑に温かなぬくもりを残していきます。 青いボウルの中に、 今日のいちごがふんわりと重なり、 手に取ると、春の甘い匂いがやさしく立ちのぼりました。 クマさんが育てたいちごの甘さが、 そのまま小さな光のように感じられます。 器に移すと、 いちごの赤がいっそうやわらかく見えて、 畑で育った甘さが、 暮らしの中でそっとほどけていくようでした。口に放り込むと、 その甘さが口いっぱいに広がります。クマさんのいちごを食べると、今年もこんなに甘くておいしいいちごを味わえたことに、嬉しさと同時に、そっと感謝の心が湧いてきます。FC2・・はこちらから
2026/04/25
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毎年この季節になると、我が家では薪ストーブの準備が始まります。 この薪ストーブを設置したのは、もう10年前。 2016年6月のリフォームのときでした。いつもお世話になっているK村くんが、 「薪ストーブ、めっちゃ暖かいよ」 と私の耳元でそっと囁いたのがきっかけでした。 その言葉をクマさんに話すと、 結婚前は山男だったクマさんが、 「薪ストーブはずっと夢やった」 と静かに言ったのです。 その一言を聞いた瞬間、 私は迷わず設置を決めました。 あの日から、我が家の冬は変わりました。薪ストーブの火は、 ただ暖かいだけではなく、 暮らしの中心にそっと灯る やわらかい光のような存在になりました。薪を用意するのは、毎年この季節の恒例です。 森林組合から原木を届けてもらい、 クマさんが40センチに切りそろえ、 それから斧でひとつひとつ薪割りをしてくれます。一昨日も、畑の方に原木をおろしてもらいました。 私はちょうどジムに行っていて、 帰ってくるとクマさんの姿が家になくて、 きっともう畑で作業を始めているんだろうなと、 その背中がすぐに思い浮かびました。畑に行ってみると、 4トンの原木がすでにこんなにも丸太になっていました。 去年はこの倍の量を作って余ったので、 今年は4トンにしたのですが、 それでもこれだけの量を、 もうここまで仕上げてくれていました。薪づくりは本当に重労働です。 切ったばかりの大きな原木は40〜50キロほどあり、 持ち上げようとしてもびくともしません。 私は手伝おうとしたこともありますが、 クマさんは 「怪我をするからやめとき」 とやさしく言ってくれます。その言葉には、 私を気遣うやさしさと、 危ない作業だからこそ自分がやるという 静かな覚悟のようなものが滲んでいました。本来なら78歳の身体がするような仕事ではありません。 それでも毎年こうして、 冬のために黙々と準備をしてくれるクマさん。 冬の畑仕事から帰ってきたクマさんは、 手足が冷え切っていて、 薪ストーブの前のソファーに寝そべると、 すぐに静かな寝息を立てて眠ってしまいます。 その姿を見るたびに、 この火はクマさんの手が作ってくれた “冬のぬくもり”そのものだと感じます。こうして今年もまた、 あたたかい冬を迎えられること。 そのすべてがクマさんのおかげで、 胸の奥から感謝がこみ上げてきます。FC2・・はこちらから
2026/04/24
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朝、カーテンを開けると、 牡丹が静かに咲いていました。 選んだときに思い描いていた色とは少し違っていたけれど、 その違いさえやわらかく包み込むように、 庭に静かな明るさがひろがっていました。庭を歩くと、 ストロベリーアイスの蕾がふくらんでいて、 淡い色がそっと息をしていました。 開く直前の、あの静かな緊張が、 朝の空気にやさしく混ざっていました。近くではオールドブラッシュが 光に触れながら花びらをほどき、 ひっそりと季節を知らせていました。牡丹も、バラも、 それぞれの速さで静かに咲き始める朝。 その小さな“始まり”に触れるだけで、 胸の奥がふわっと明るくなりました。FC2・・はこちらから
2026/04/22
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昨日、長男からふるさと小包が届きました。 箱を開けると、ぎっしり詰まった牛タン。 冷たい空気がふわっと立ちのぼって、 まるで「たくさん食べてね」と言われているみたいでした。長男は昔から、思い立つといろいろ送ってくれます。 辛子明太子の日もあれば、 真っ赤ないちごの日もあって、 鮭がどんと届いたこともありました。 どれも“自分が食べておいしかったものを、 私たちにも食べさせたい”という気持ちが伝わってきます。牛タンをひとつひとつ冷凍庫にしまいながら、 「また家族で焼いて食べたいな」と思いました。 食卓に並ぶと、 その向こうに長男の顔がふっと浮かぶようで、 離れて暮らしていても、 こうしてつながっているんだなと感じます。次はどんな小包が届くんだろう。 そんな楽しみが、またひとつ増えました。FC2・・はこちらから
2026/04/21
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畑で採れた早生の新玉ねぎを、 今年も長男のところへ送りました。土の香りがまだわずかに残る玉ねぎ。 春の光をまとった姿を見ていると、 箱に入れる手つきが、自然とやわらかくなります。前の日、クマさんが精米所へ行き、 つきたてのお米を精米してきてくれました。 義弟が無農薬で育ててくれているお米は、 納屋の米保存庫で静かに守られ、 一年を通して味が変わりません。朝になると、クマさんが じゃがいもと玉ねぎを箱に並べてくれます。 私はそばで、 タケノコの缶詰を手渡しながら、 その静かな手仕事をそばで見守っています。添えた缶詰は、こちらでは“太市のタケノコ”。 香りがよく、やわらかく、 少しお高いけれど、確かな味です。 掘りたてをアク抜きした私のタケノコは、 どうしても傷みやすくて送れません。 だから、この缶詰をひとつだけ。長男は、送料もお米代もきちんと払ってくれます。 その律儀さが、やわらかな灯りのようにともります。春と秋の気配、 家族の手のぬくもり、 朝の光の中のひと箱。私たちも高齢になり、クマさんももう78歳。だからこそ、今年も収穫できて、こうして長男に送ることができたことが、しみじみと、ありがたく感じられました。その静かなよろこびが、心をあたためてくれました。FC2・・はこちらから
2026/04/20
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前の日に天気を見て、 「明日は晴れる」とわかったので、 玉ねぎを抜くことにしました。朝の畑は、土の匂いが淡く立ちのぼって、 葉の緑が静かに光っていました。畑仕事は 腰にぐっとくる重労働・・クマさんはそれをよく知っているから、 私に手伝ってほしいとは言いません。 いつも一人で、黙々と、静かに作業しています。クマさんが畑に行った時間から計算して、 そろそろ休憩かなと思い、 熱すぎない珈琲を持っていきました。畑に着くと、姿が見えなくて、 少し探していると、 知り合いの方と話しているクマさんがいました。その手には、 クマさんからもらったばかりの新玉ねぎが5〜6個。 土の香りがまだ残っていて、 春の恵みがそのまま乗っているようでした。私はそっと声をかけました。 「最初は薄切りの生で食べてね。 甘くて美味しいから。 鰹節とポン酢がよく合いますよ」知り合いの方も 「そうなんやねぇ」とやわらかく笑って、 しばらく三人でゆっくりおしゃべり。クマさんが仕事に戻ると、 知り合いの方も「ほなまたね」と帰っていきました。抜いた玉ねぎは、 畑の上でそのまま乾かします。 太陽の下で少し乾かすと腐りにくくなるんです。 翌日は、乾いた玉ねぎを 5〜6個ずつ束ねて結びます。 手の中でころんと転がる感触が なんとも優しいです。束ねた玉ねぎは小屋に吊るして、 一年中食べられます。 台所に立つたびに、 畑の光景がふっとよみがえります。本来の玉ねぎは5月末の収穫ですが、 これは”早生・極早生” 春の光をたっぷり浴びて、 ひと足早く育ってくれた子たちです。甘くて、とても美味しいです。 生でも、焼いても、 ふわっと甘さが広がります。昨日の夕食は玉ねぎのスライスに豚肉をトッピングしてポン酢で冷しゃぶ。今夜はハンバーグの予定です。春の畑は、 静かで、優しくて 毎年少しずつ違う表情を見せてくれます。今年もまた、 春の恵みをひとつ、そっと受け取りました。FC2・・はこちらから
2026/04/18
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朝の光に、ほんのり春の匂いがまじるころ 日生の海を眺めながら車を走らせました。 静かな青さがゆっくり広がっていて、 この景色を見ると 「今年もタケノコの季節だなぁ」と 胸の奥で感じます。黒井山へ向かう前に、 朝9時になったらまず電話をひとつ。 「今日はタケノコ、入っていますか」 掘りたてがない日もあるので、 この小さな確認が、毎年の大切な習慣です。スーパーにもタケノコは並ぶけれど、 お値段も張って、鮮度もどうしても落ちてしまう。 だからこそ、黒井山の“朝掘り”は特別で、 入荷があるとわかった瞬間、 思わず笑みがこぼれます。海沿いを抜けて、岡山との県境にある黒井山へ。 まず目に入るのは、いつもの店構え。 春の空気をまとって、静かに迎えてくれます。店先には、掘りたてのタケノコが 春の香りをまとって並んでいました。大きなタケノコは硬いと思われがちですが、 ここは地面からほとんど出ていないので、 どれも驚くほど柔らかいんです。 この柔らかさが、黒井山の春のごちそうです。今年も立派なタケノコが並んでいました。 手に取るだけで、春を抱きしめたような気持ちになります。 家に帰ったら皮をむいて下処理。 鍋に並んだ姿を見ると、 「今年もこの季節が来たんだなぁ」と 嬉しくなります。アク抜きをして、砂糖漬けにして冷凍しておけば、 一年中、春の味を少しずつ楽しめます。そして、ついでに買ってしまうのが クマさんが大好きな「豆入りのお菓子」。 見つけると、自然と手が伸びてしまいます。岡山みやげのお菓子・・ 優しい甘さが、春の帰り道にぴったりで、 袋の色まで、どこか春の光をまとっているように見えるのは気のせいかしら・・春の黒井山は、 タケノコだけでなく、 毎年の習慣や、家族の好きなものまで そっと思い出させてくれる場所です。今年もまた、 春をひとつ持ち帰りました。FC2・・はこちらから
2026/04/17
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今朝、庭に出たとき・・ いちばんに目に飛び込んできたのは ピンクのソフィー ズ パーペチュアルでした・・雨のしずくをまとって 静かに、でも確かに咲いていて 今年最初の一輪が そっと季節の始まりを知らせてくれたようでした・・ふと奥を見ると 白いペネロペがやわらかく花を開いていて 庭の空気がすっと澄んだように感じました・手前のピンクと、奥の白・・ 色の違う二つのバラが 同じ朝の中でそれぞれの静けさを見せてくれて なんだか胸の奥がふわっと温かくなりました・・クマさんの言う通り「野菜は文句を言わん。手入れしたらきちんと実をならしてくれる」バラも同じです・・きちんとお手入れしていれば、こうして芽を出し、緑の葉が茂り蕾を持って花が咲く・・頑張ってお世話したことをちゃんと返してくれるんだなと感じます・・FC2・・はこちらから
2026/04/15
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