承前 )
さて、本日は飛鳥川左岸(南岸)、河口から数百メートルほど遡った処にある「であいのみち」を紹介することとします。
竹内街道が飛鳥川を渡る逢坂橋の下流側に川に沿って細長く造られている緑地というか遊歩道というか、そのような公園です。
万葉歌を印刷した金属プレートを丸太に貼り付けて歌碑とし、その歌に因む草花や樹木の傍らに設置するという、万葉植物園風の散歩道になっています。これまで、飛鳥川べりを走る時は決まって反対側の舗装された道の方を走っていましたので、これまでこの緑地のことに気付かずにいました。と言ってもそんなに古いものではなさそうです。
万葉の山門を挟んで東西の遊歩道に万葉歌碑とその歌に因む樹木や草花が植えられています。大きな樹木は歌碑とセットで写真を撮るのがアングル上困難であったりするので、歌碑だけを並べて置きます。省略した歌碑もありますので、以下の写真はその一部です。
春されば まず三枝の 幸くあらば 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹(1895)
(注)三枝=さきくさ、ミツマタのこと。
山の際に 雪は降りつつ しかすがに この河楊は 萌えにけるかも(1848)
(注)河楊(かはやぎ)=ネコヤナギ
思はじと 言ひてしものを はねず色の
うつろひやすき わが心かも(坂上郎女657)
(注)はねず色=朱華色、「はねず」はニワウメのこと。
わが背子に わが恋ふらくは 奥山の 馬酔木の花の 今盛りなり(1903)
(注)馬酔木(あしび)=アセビのこと。
あしひきの 山の間照らす 桜花 この春雨に 散りゆかむかも(1864)
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ乙女(大伴家持4139)
山振の 立ちよそひたる 山清水
酌みに行かめど 道の知らなく(高市皇子158)
(注)山振(やまぶき)=山吹、ヤマブキ。
昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花
君のみ見めや 戯奴さへに見よ(紀女郎1461)
(注)合歓木(ねぶ)=ネムノキのこと
戯奴(わけ)=お前さん。相手のことにも自分のことにも使う。
あぢさゐの 八重咲くごとく やつ代にを
いませわが背子 見つつ偲はむ(橘諸兄4448)
わが背子が 捧げて持てる ほほがしは
あたかも似るか 青き蓋(僧恵行4204)
(注)ほほがしは=ホオノキのこと。
蓋=きぬがさ
朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ(2104)
(注)朝顔=ムクゲまたはキキョウ
卯の花も いまだ咲かねば ほととぎす
佐保の山辺に 来鳴きとよもす(大伴家持1477)
河の上の つらつら椿 つらつらに
見れども飽かず 巨勢の春野は(春日老56)
向つ岡の 若楓の木 下枝取り 花待つい間に 嘆きつるかも(1359)
(注)若楓(わかかつら)=楓・をかつら、桂・めかつら。
高円の 野辺の秋萩 いたづらに
咲きか散るらむ 見る人無しに(笠金村231)
小竹の葉は み山もさやに 乱るとも
われは妹思ふ 別れ来ぬれば(柿本人麻呂133)
(注)小竹(ささ)=笹
乱るとも=別訓は「乱(さや)げども」。
そして、最後はやはりこの歌です。影持も登場した処で、河内飛鳥川銀輪散歩終了と致します。
飛鳥河 もみぢ葉流る 葛城の 山の木の葉は 今し散るらし(2210)
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