( 承前 )
昨日の記事の続編です。
鶏頭は万葉では韓藍 (からあゐ) である。
秋さらば 移しもせむと わが蒔きし
韓藍の花を 誰かつみけむ(万葉集巻7-1362)
<秋になったら、花を衣に摺り付けて色を移そうと、蒔いた鶏頭の花を誰が摘んだのだろう。>
万葉歌の壱師の花は、彼岸花説が有力であるがイタドリの花説もある。
路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻を
(柿本人麻呂歌集 万葉集巻11-2480)
<道端の壱師の花のようにはっきりと人皆が知ってしまった、私の恋妻を。>
ギボウシの花は散ってしまって今は実が生っている。
これは何とも知らぬ花。
名も知らぬ 草にとどまる 秋の風 (風蕪蕉)
韮の花も万葉花。
伎波都久の 岡の茎韮 われ摘めど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね
(万葉集巻14-3444)
<きはつくの岡のくくみらは私が摘んでも籠一杯にはならない。それならあなたのいい人と一緒にお摘みなさいな。>
めひしばの さ霧に秋の 風わたり 今日はも少し 先まで行くか(銀輪家持)
銀輪の 風立ちぬれば 道の辺の アキノノゲシも 旅立ちの時(銀輪家持)
ウドの花は森の奥にひっそりと。花の白さが森の閑けさを引き立ててもいる。
独活の花咲きて 森閑なり (閑蕪蕉)
上のフジバカマも下のヘクソカズラも万葉花であるが、そろそろ字数制限に近付いて来ました。写真を多く掲載し過ぎましたでしょうか。以下は簡単に。
みぞそばの 花の下なる 水の音 (水蕪蕉)
水引の 気ままに秋を こぼしける (秋蕪蕉)
もじゃもじゃの 実にも見えたり 草の秋 (草蕪蕉)
お口直しにやはり、萩。
久しぶりにツリフネソウを見ました。
そして、ツユクサ。これは夏の花ですかな。
となれば、ススキ。これなら文句なしの秋でしょう。
鶏頭で始めた記事を尾花で終わらせる。これを首尾一貫と言う。かどうかは知らぬが、何となく納まりもよくなった処で、字数も限度。これにて失礼申し上げ候。
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