( 承前 )<1月11日(7)・同12日>
県道31号を走っていて榎木社に立ち寄っていないことに思い到り、天満宮方向に向かう。と言っても当初の予定にない行動、ネットから打ち出した地図の範囲外となるので、方向だけが頼りとなる。そこで、大野山(四王寺山)はと探し、その方向へと向かうこととする。
御笠川と鷺田川とが合流する少し下流に赤い擬宝珠のある欄干の橋、落合橋があるが、その橋を渡った処にある落合公園に山上憶良の歌碑がありました。有名な「秋の七種」の歌である。この歌の歌碑は奈良の春日大社の参道にもあり、昨年の1月16日に記事アップしていますので、それをご参照下さい。
<参考>「 参道の奥に憶良の歌碑ありて
」 2014.1.16.
秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種の花 (巻8-1537)
萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花 (同1538)
落合公園から御笠川沿い右岸の道を上流へ。途中で道が無くなり左岸に移り更に上流へと行くと西鉄・都府楼前駅に出ました。駅前に菅原道真の詩碑がありました。
都府楼は わずかに瓦の 色を看 観世音寺はただ 鐘声を聴く
(菅原道真 和漢朗詠集)
上の詩の原文は「都府楼纔看瓦色 観音寺只聴鐘声」である。道真が太宰府の配所にあって詠んだ七言律詩の一節である。配所にあって外出もままならぬ身の上。大宰府政庁の建物は遠く屋根が垣間見えるだけ。観世音寺の鐘はその音が聞こえるだけ。道真の無念さ・悲哀が言外に漂う。参考までに下に読み下し文でその詩の全文を掲載して置きます。
<参考>
不出門 菅原道真
一從 (ひとたび)
謫落 (たくらく)
せられて柴荊 (さいけい)
に就きしより、
萬死兢兢たり跼蹐 (きょくせき)
の情。
都府樓は纔 (わづか)
に瓦の色を看 (み)
、
観音寺は只鐘の聲を聴く。
中懐好し孤雲を逐うて去るに、
外物相逢うて満月迎ふ。
此の地身に検繋なしと雖も、
何爲 (す)
れぞ寸歩も門を出でて行かん。
上の詩の通りなら、道真さんは「寸歩も門を不出」でありますから、天拝山に登って祈りを捧げたという伝説と矛盾しますが、実の処や如何に。
(都府楼前駅 道真詩碑は向かい側の博多方面行きの駅前にある。)
都府楼前駅の踏切を渡り北へ。政庁跡の前の通りに出て、天満宮へ。朝とはうって変って、「てんじんさま通り」は人の波。土産物を買い求めて早々に退散。再び政庁跡近くまで戻り、一つ手前の道を南へ。西鉄の踏切に出る手前にあるのが榎木社。菅原道真の配所跡である。
(榎木社・社殿) 榎社・Wikipedia
天満宮は人、人、人でごった返し、こちらは人影もない。人は天神となりたる道真を崇めはすれど、人間・道真にはさしたる興味もないということでもあるか(笑)。
尤も、こちらは道真の身の回りのお世話をしたという浄妙尼を祀っているそうであるが、年に一度、天満宮の神幸祭
の時には、菅公の神輿が此処で一夜(9月22日夜)を過ごす慣わしにて、この時ばかりは此処も賑わうとのこと。
以上で、1月11日の銀輪散歩終了。ホテルへと戻りました。
翌12日は、天拝山歴史自然公園に再度訪問。武蔵寺をゆっくり見て回り、再び天満宮まで銀輪散歩して、昼食後ホテルに戻り、トレンクルを宅配便で送り、預けて置いたザックを受け取り、午後1時過ぎ二日市駅発の電車で博多駅へ。新幹線で帰阪致しました。
最後に武蔵寺などの写真を掲載可能文字数の範囲内で掲載して、今回の銀輪紀行完結とさせて戴きます。最後は少々手抜きです(笑)。
長らくのお付き合い有難うございました。
<完>
うぐひすの笠おとしたる椿哉 (芭蕉「猿蓑」)
芭蕉、元禄3年2月6日の句。何故この句碑が武蔵寺にあるのかは不知。
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
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