本日は、墓参と花散歩です。
墓参の道で最初に見たと言うか、撮影した花はこれ。
(ヒメツルソバ・姫蔓蕎麦)<参考> ヒメツルソバ
・Wikipedia
この花はヒマラヤ原産で明治時代に日本に入って来たそうな。
咲き始めはピンクであるが、徐々に色が抜けて白色に変化する。
昨年10月の日記でも写真を掲載しているが、春にも秋にも花を付ける植物のようです。真夏には花を付けないとのことであるから、来月にはもう見られなくなり、9月か10月に再びお目にかかるということなのでしょう。来月以降の墓参の折に、その辺の処も観察してみることと致しましょう。
春姫と 秋姫いづれ まさるとや 姫蔓蕎麦の 花咲くを見む (偐家持)
そうでした。墓参は恒例の門前の言葉で始まるのでありました。
先月5月は、4月のそれと同じでありましたの割愛しましたが、6月はこれでした。尤も、5月の言葉が未だ切り替わっていない、という可能性もありますが。それはどうでもよいこと。
たとえ朝咲いて
夜散る 花であっても
その中には
無限の いのちがある
― 金子大榮
一瞬の中にも無限がある。
1日の命と1年の命と100年の命との間に本質的な差異はない。
それが「いのち」というものである。
わが「いのち」の残高も残り少なくなっているが、一瞬、一瞬の無限のいのちを生きているのであれば、残高の多少は問題ではないということでもあるでしょう。
ナンテンの花は白い点々という程度のイメージでしたが、接近してよく観察すると、白い花弁がカタクリの花のように反り返って、中央の花蕊は鮮やかな黄色。花が散った後の実は未だ緑色で細長く先端に赤いものがくっ付いているのが面白い。この赤い色素がやがて実の表皮全体に沈着し、あの赤い実になるのでしょうか。
何れにせよ、ちょっとゴチャゴチャし過ぎて、花の風情を壊しているというのが難点でありますな(笑)。
そして、枇杷の実。何やら微笑ましい姿です。
今暫し 鳥なつつきそ 枇杷の実の 産毛の六つ子 葉裏にあれば (偐家持)
ノビルの花はわが家の墓地の裏に咲いていました。
野蒜は春の若菜の一つ。万葉人も春野に出てこれを摘み食材とした。強い臭みには呪力があると考えられたようで、春の呪力を身に取り込むということであったのだろう。
古事記には、ヤマトタケルが足柄の坂本で坂の神の化身の白鹿に食べ残しの蒜を投げつけてこれを打ち殺している記事がある。
<参考>
足柄 之坂本に 到 り、 御粮 食 す処 於 、其ノ坂ノ神白き 鹿 に 化 り 而来立 ちぬ。 夵 して、即ち其ノ 咋 ひ遺したまへる 蒜 ノ 片端 以 ちて待ち打ちたまへ 者 、其ノ目に 中 りて乃ち打ち殺したまひき。(古事記中巻<景行記>)
万葉集にも野蒜の歌が1首ある。即興の歌を作るのが得意であった長意吉麻呂 が宴会の席で、酢・醤・蒜・鯛・水葱を詠み込んで歌を作れと所望されて即興で作った歌である。
醤酢
に
蒜
搗
き
合
てて 鯛願ふ
吾
にな見えそ
水葱
の
羹
(
長意吉麻呂
万葉集巻 16-3829
)
ナツメの花も咲いていました。
花とも言えぬ、小さな花ですが、花蜜はあるのでしょう。蟻が来ていました。
上の蒜の歌の次の歌にはナツメが詠われています。作者は同じく長意吉麻呂さん。今度は、玉掃・鎌・天木香
(むろ)
・棗を詠み込んだ歌を所望されたようであります。
玉掃
刈り
来
鎌麻呂
室
の樹と
棗
が
本
と かき掃かむため
(
長意吉麻呂
万葉集巻 16-3830
)
さて、最後はアメリカデイゴ。
これは本日の墓参の道で見たものではなく、先日1日の囲碁例会へ行く途上に通りかかった小学校の敷地に咲いていたものです。
これは流石に万葉集には出て来ませんな。
子どもらの 声をうれしみ いちしるく 咲きてやあらむ あめりかでいご
(偐家持)
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