銀輪散歩も近隣に限っての今日この頃ですが、sakamoto_morita119さんのブログに大東市野崎の宝頭神社(宝塔神社)の動画が紹介されていましたので、久しぶりに銀輪を走らせてみました。と言っても、これも近隣のことでありますが。
<参考> 大東市野崎に鎮座する宝頭神社と狸のとめやんです
地図でその所在位置を調べると寶頭神社というのがあった。
(寶頭神社、専應寺、野崎観音、婦碑不動院)
これだろうと見当をつけて出掛けたのは良かったが地図をよく頭に入れていなかった上に、地図を持たずに行ったものだから、道に迷ってしまい、野崎駅前の周辺案内看板の地図で確認すると、宝塔神社というのがあった。何やら場所が違うなと思ったが、自身の記憶違いかと、その宝塔神社に向かうこととする。
それは随分の山の中である。どうも違うな、と思いながらも、ともかくも行く。
(専應寺、婦碑不動院、寶塔神社)
山中、道の行き止まりにそれはありました。
前以て地図で見ていた場所とは違っていましたが、sakamoto_morita119さんが紹介されていた寶頭神社がこれでした。結果的には目指していた神社に来たのであるから、うろ覚えの地図で道に迷ったのが幸いしたことになる。
由緒書きでは、由緒不明であるが、この神社の主祭神は市杵島姫命だとある。宗像三女神の一つである。
この神社にまつわる伝承として、狸のとめやんの話が面白い。
そのイタズラ狸のとめやんを祀る石は、拝殿下の鳥居の左手奥にひっそりとある。
とめやんは呑兵衛でもあるか、缶ビールもお供えしてありました。
寶塔神社の手前、南隣には寶頭山不動明王のお堂がある。野崎不動尊というのがこれであるか。寶塔神社、寶頭神社、寶頭山不動尊、これらの関連が今一つよく分からない。
寶頭山不動明王のお堂から少し下った処に、怪しげな、と言っては失礼であるが、不動尊を祀る小さな、お堂と言うには粗末な作りの建造物がある。龍不動、南天不動などの文字が見えるが、この施設そのものの名が何であるか特定できるものは、これと言ってない。地図には婦碑不動院とあるから、一応この名を採用して置きます。
傍らの小屋には、〇〇不動尊、古代史研究會、易研(陶宮術)迷悟堂などの看板が掲げられているが、部外者には何とも分かり兼ねる。
此処の境内からはご覧のような眺めである。
手前の四角い白い建物の側壁には、「摂津倉庫大東営業所」の表示が見える。奥には大阪市内の高層ビル群である。
婦碑不動院の下は砂防ダムがあり、その下には大きな池がある。野崎新池という池らしい。らしい、というのは池には名前の表示がなく、隣地の墓地に野崎新池墓地という表示のあることからの類推だからである。
池の畔には大きな木があり、美しい黄葉を見せている。桂の木ではないかと思うが、確信はない。
更に坂を下ると、専應寺という寺があった。
何やらおめかししているので覗いてみたら、本堂では人影と読経。山門前には「報恩講修行」という掲示がされていたから、この寺は浄土真宗の寺ですな。親鸞上人の命日(11月28日)に合わせて、その徳を偲ぶ法要が営まれているのでありましょう。
この寺は徳川による大坂城築城とも因縁があるらしく、京極丹後守高知がこの寺に陣屋を置き、築城のための石材用の石の切り出しを行ったそうな。
さて、小生が地図によって見当をつけた寶頭神社はどうなったのか。あらためて地図をよく見て、位置を確かめてから翌日訪ねてみたら、それは住宅街の一画にありました。予想した大きな建屋を構えた神社ではなく、小さな祠のみの、まことにささやかな神社でありました。山腹の高みにある寶塔神社への参拝が大変と思った誰かが、麓の平地に勧請してお祀りしたのかも知れません。であれば、これは寶塔神社の下社ということになりますかね。寶塔と寶頭は混用されていて、どちらの表記もOKなんでしょう。
ところで、寶塔神社は「宝の塔」という名にあやかってか、大物相場師たちが参拝したという、知る人ぞ知るパワースポットらしい。年末ジャンボ宝くじも近づくこの時期、宝くじでひと山をというお方は参拝されてみては如何でしょうか。
<参考> 宝くじ当選祈願・宝塔神社
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