またまた生駒山であります。
写真は今朝のそれではなく24日の朝のものです。
雨上がりとあって、生駒山は雲の中であります。
雲に隠れて見えぬ月は雲居の月と言うから、それに倣えば「雲居の山」である。と書いたものの、調べてみると「雲居」は雲の居るところ、大空と同義のようで、雲に隠れている月という意味ではなさそう。雲隠れの月と言うほかないようだが、これではそのまんまで何の面白味もない。
さて、その雲隠れの山であるが、その山頂に林立するTV塔の先端が辛うじて雲間に見えているので、そこが生駒山であるということが分る。
朝の風はやはり寒い。白雲の布団にくるまって生駒山も朝寝であるか。或は白い真綿の衣に身を包んでいるのでもあるか。
この景色を見ていて思い浮かんだ歌はこれ。
宇治間山 朝風さむし 旅にして 衣貸すべき 妹もあらなくに
(長屋王 万葉集巻1-75)
(宇治間山は朝の風が寒い。旅の空で衣を貸してくれる妻もいないのに)
宇治間山は明日香から吉野宮へと至る道筋にある何れかの山であろうが不詳。芋峠を越えて上市に出る道筋にある吉野町千股の山とする説もあり、その近くにこの歌の歌碑がある。
作者の長屋王は天武天皇の子・高市皇子の子。
この歌の歌碑は明日香から芋峠を越えて吉野へと銀輪散歩をした際に見ているのであるが、この当時は携帯電話のカメラ機能で写真を撮っていたので極めて不鮮明な写真が残っているのみ(下掲)。
<参考> 芋峠越え
2007.10.17.
万葉集の長屋王のこの歌の一つ前には、吉野行幸の折の天皇御製の歌かと左注のある「み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜もわがひとり寝む」がある。文武天皇の吉野行幸は、大宝元年(701年)2月と大宝2年(702年)7月の2回であるが、寒い季節であるから、大宝元年の折の歌であろう。長屋王もこれに従駕してこの歌を詠んだのであろう。
で、偐家持も追和して1首詠んでみることに。
生駒山 雲は隠すか 今日もかも 妹に逢はずて 月ぞ経にける (偐家持)
君が辺り 見つつをらむと 言ふなるに 心あらずや 雲は隠せり (偐家持)
(本歌)君があたり 見つつもをらむ 生駒山 雲なたなびき 雨は降るとも
(万葉集巻12-3032)
(同上)フォト蔵特大画面は コチラ
神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 速き瀬に・・(万葉集巻13-3266)と来れば、甘橿丘または雷丘と飛鳥川であるが、生駒山の帯にせる川は恩智川である。
恩智川の川原には葦の穂が銀色に輝いて風に靡いているのでありました。但し、下の写真は22日午後3時半頃撮影のものです。
葦辺行く 鴨の姿は 無きなれど 寒き朝風 妹し思ほゆ (偐家持)
(本歌)葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ
(志貴皇子 万葉集巻1-64)
最近、よく行っている喫茶店「ぺりかんの家」の前には、この店のオーナーのものと思われるモーターバイクと乗用車がいつも駐車している。そのモーターバイクのミラーによく蜂がやって来る。日に反射して光るのを花と間違えてでもいるのか、それともそこが温かいからか、蜂がいつも数匹、繰り返しミラーに近付いては止まって行く。
店内は禁煙、店の前に置かれたベンチが喫煙場所となっているので、珈琲はここで煙草をくゆらせながら飲むというのが近頃のヤカモチ。すると正面に停めてあるモーターバイクが目に入り、そこにやって来る蜂の動きを目で追いつつ、暫し心遊ばせるというのが最近のヤカモチのスタイルになっているのであります。しかし、間もなくこの蜂たちも姿を見せなくなることでしょう。目前の師走。いよいよ冬本番へと向かいます。どちら様もお身体ご自愛下さいませ。
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