今
日は月例の墓参。
月例とは言え、年末に墓参する関係で、毎年1月は月初の墓参はしないことから、2月初旬がその年の最初の墓参となるので、今日が今年最初の墓参ということになる。
夜来の雨も朝には止み、予定通りに墓参。
出掛けの玄関先の庭のマンリョウの赤い実に見送られての出発です。
(マンリョウ)
実の数を正確に数えた訳ではないが、この一株になっている実は、ざっとみて200粒はあるようだ。よって二百万両の木と命名した次第。
そして、ロウバイの花咲く坂道を上って行くと・・。
(ロウバイ)
(同上)
門前の言葉の寺、教覚寺である。
(教覚寺)
一昨年の秋から本堂や門の改修工事が始まり、これに伴い、昨年末まで「門前の言葉」のない寺となっていましたが、今日はどうか。
(門前の言葉)
はい、門前の言葉、復活であります。
今日の言葉は、
一人で出来ることなんて
たかが知れているけれど
ぼくから始めなければ
何も変わらない
でありました。
(イヌツゲ 葉が対生でなく互生なので、ツゲではなくイヌツゲ。)
イヌツゲの木に、小さな黄色い花が咲いていると思ってカメラを向けてみましたが、花ではなく新芽でありました。
考えてみれば、イヌツゲの花は白い花であった筈。
花期は3~4月だから、その頃に花を探してみよう。
そして、オニグルミ。
(オニグルミ)
犬の次は鬼という訳ではないけれど、今日が節分とあれば、鬼は外せないと言うか、見過ごせない(笑)。
遠目には、鳥の巣か、ヤドリギの塊かとも見えましたが、近寄ってみると胡桃の実でありました。
そして墓地に到着。
(墓地からの眺め・パノラマ撮影)
今日は、雨上がりということもあって、六甲の山々や淡路島の影は見えず、でありました。
我が家の墓の隣には、同姓の遠い親戚の墓があり、その隣には同じく同姓の「先祖代々墓」と刻された古い墓があるが、この古い墓については、我が家との関連などは聞かされていないので、よくは存じ上げない。
そしてこれと並ぶ形で江戸時代末期の更に古い墓がある。この墓石には姓名などが刻されていたのかどうか、摩耗が激しくて、何ともよく分からないので、更にも不明である。
(江戸時代の墓石)
江戸時代の墓石は頭頂部が少し丸みを帯びた形をしていて、四隅が尖っているという独特のフォルムなので、すぐにそれと分かる。
この古い墓は、正面には「南無阿弥陀仏」と刻されていて、左側面には「客坊村」という字が刻されている。背面にも何やら字らしきものが彫られているようなのだが、摩耗していて読み取れない。
そして、右側面には「嘉永三庚戌年」という字が見える。
嘉永3年庚戌
( かのえいぬ
) の年に建立された墓であることが分かる。
嘉永3年は西暦では1850年であるから、今から171年前頃に建立された墓ということになる。
黒船来航が嘉永6年(1853年)だから、その3年前、大政奉還が慶応3年(1867年)、明治新政府樹立が明治元年(1868年)であるから、その17~18年前ということになる。
まあ、単なるお隣さんなのか、先祖のどなたかであるのか、気にしながらも、今日までずっと無視し続けている墓である。
墓参の帰り道で見かけた、「今週の一枚」という光景。
(コロナ渦中の今週の一枚・不安な生活に笑顔スポットを)
これは、N氏がご自宅の車庫スペースを展示スペースに転用されて、絵や写真その他の展示物を展示して、道行く人々へのメッセージを発信されているというもので、時々面白く拝見させていただいているのであるが、今日はカエル君の勢ぞろいでありました。
枚岡の自然と文化を大事にする懇談会、通称「ええやんか枚岡の会」発行(発行責任者N氏)の無料配布のパンフレット(下掲)が、この展示物の前のケースに入れられていましたので、一部頂戴して来ました。
(同上・パンフレット)
このパンフレット(二つ折り)を開くと、右上に掲載の写真のように屏風型に立てることができる仕掛けになっている。
その心は、以下の通りという訳です。
(
同上・パンフレットより)
なかなか愉快な企画です。
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