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昨夜(2月10日)、映画「ALWAYS 三丁目の夕日 '64」を観ました。 前作「ALWAYS 続・三丁目の夕日」について、私自身が拙ブログでどんなことを書いていたのだろうと、カテゴリ「西岸良平」をクリックしましたら、2007年11月26日に観た映画「ALWAYS」の続編についての感想が最初に出てきました。その感想では、「妻と一緒に外出するときなどは、前をスタスタと歩く彼女の後姿を追いかけるのにいつも一苦労している始末です」と書いており、私の足腰が弱っていることと関連させて涙腺も弱っているためか「泣かされっぱなしでした」とコメントしています。 それから4年以上たって映画「ALWAYS」シリーズの第3作目を観たのですが、私は2008年4月に大病し、足腰と涙腺はますます弱まったためか涙を流し続けておりました。特に鈴木オートの六子ちゃん(堀北真希)や茶川家の淳之介(須賀健太)の鈴木家や茶川家から巣立ってそれぞれの新たな人生に飛び立っていく行く姿には滂沱の涙を流してしまいました。上映時間が2時間20分以上もあったのに、映画に見入って(魅入って)しまい、私にはこの映画の上映時間がとても短く感じられました。 この映画は前回までの作品と同様に安心して観られる予定調和的なハッピーエンドものなのですが、前作で川渕康成(小日向文世)が茶川竜之介(吉岡秀隆)の書いた作品「踊り子」を批評して、それがハッピーエンドの終わっていることに対し、「現実はこうはいかない。願望だな。実に甘い」と痛烈に批判していました。そうですね、確かに川渕康成の言う通りでしょう。しかし、だからこそ映画では登場人物の幸せな笑顔を観たいと観客は思うのですね。この映画の観客は夕日町の鈴木オートや茶川商店という架空の空間で演じられるドラマに一時ではありますが心を大いに癒されているのですね。 ところでこの映画は「幸せとは何か」ということを真正面からストレートに問いかけていました。私のような足腰も涙腺も弱ったポンコツおやじには、「幸せとは何か」なんて冗談めかしてしか答えられない気恥ずかしくなるような問いかけなんですが、しかし映画の登場人物たちの「幸せ」な姿や「幸せ」を求める言葉に自然と納得させられましたよ。茶川ヒロミ(小雪)や鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)は愛する夫たちのそばにいるだけで幸せそうですし、六子ちゃんが好きになった菊池医師(森山未来)は治療代も払えないような貧しい人々のために無料診療を行うことに喜びを感じており、淳之介くんは茶川竜之介(吉岡秀隆)から「小説家なんか志しても俺のように苦労するだけだぞ」との言葉にも「僕から書くことを奪わないでください!!」と叫び、大好きな小説を書き続けようとします。 しかし、同じ映画のなかで宅間先生(三浦友和)が「お金や出世が幸せじゃない」とも言っていましたが、それは逆に現実社会では「お金や出世だけが幸せだ」「いい学校に進学していい会社に就職することが幸せだ」とする考えが当時すでに蔓延しているからですね。映画のラストの方で、鈴木オートの社長(堤真一)が六子ちゃんの結婚式の後、夕陽を見上げながら、明日を担う若い世代の未来を想う場面が出て来ましたが、映画でその若い世代として描かれているのが六子ちゃんや淳之介くん、それに鈴木オートの一平くんたちです。彼らは私と同じ戦後の第一次ベビーブーム時代に生まれた団塊(だんかい)の世代です。彼らの親の世代が三種の神器として家電の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を持つことに「幸せ」の目標を置き、それがさらに新三種の神器としてカラーテレビ、クーラー、自動車 の耐久消費財を持つことに「幸せ」の目標をアップさせて頑張ったように、彼ら団塊の世代も「揺りかごから墓場まで競争だぞ」と脅かされてお互いに競い合いながら親たちと基本的には同じ価値観で社会の坂を上って行きました。でもその坂の上には何があったのでしょうか……。 おっと、私には似合をないようなことを考えてしまいました。それより、団塊の世代の私にとってこの映画のもう一つの楽しさは、やはり1964年に開催された東京オリンピックに沸く人々とその時代の風景が描かれていたことです。特に女子バレーボールの日本とソ連の決勝戦のテレビでの実況中継に熱中する人々の姿にはなんとも言えぬ懐かしさを感じてしまいました。その頃は高校生だった私もこの決勝戦の実況中継を固唾を呑んで見守ったものです。また学校ではある先生が授業時間にソ連のルスカル選手の強烈なスパイクをしのいで金メダルを獲得した日本選手の奮闘ぶりを熱く語っていたことも懐かしく思い出されました。しかし、映画では決勝戦開始直後に茶川ヒロミの陣痛が始まり、バレーボールの試合どころではなくなってしまいます。でも、ヒロミが無事に出産したとき、夕日町のみんなが万歳をして喜んでいましたが、前回の映画にも出てきた中島巡査(飯田基祐)がパトロール中にその声を耳にして「日本が勝ったんだな」とつぶやいていたのもとても印象的でした。
2012年02月11日
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私は、自分の運営するブログの名称を「ポンコツ山のタヌキの便り」と名付けていますが、それも団塊世代の自分の身体のあちらこちらにガタが来ていることを自覚してのことです。足腰も相当弱って来て、5歳年下の妻と一緒に外出するときなどは、前をスタスタと歩く彼女の後姿を追いかけるのにいつも一苦労している始末です。 しかし、足腰だけではないようで、涙腺も相当緩んで来ているようです。西岸良平の漫画「夕焼けの詩」を原作にした映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観て、そのことを嫌というほど自覚させられました。 まず最初に、宅間先生(三浦友和)が森に向かって「焼き鳥踊り」をしているシーンで涙がじわっと出て来ました。以前、宅間先生が焼き鳥を自宅に持ち帰る途中、それを狙ったタヌキが宅間先生の妻子(空襲で亡くなっています)に化けて出てきたことがありました。宅間先生は、それ以降は姿を見せぬタヌキに向かって、焼き鳥をやるから再び妻子の姿に化けて出てくれとお願いしているのです。そこにパトロール中の中島巡査(飯田基祐)が自転車に乗って通りかかり、事情を察して、「タヌキに会ったら頼んでおきますよ」と宅間先生に言うんですが、この場面でドバッと涙が溢れ出し、その後は映画を観ている間ずっと涙腺の緩みっぱなしでした。 一平くん(小清水一揮)のお父さんの鈴木則文(堤真一)が戦友会で所属中隊の仲間だった牛島(福士誠治)と再会し、自宅に連れ帰って語り合う場面もとても印象的でした。鈴木則文が牛島に対し、沢山の戦友が戦死したのに、生きている自分がこんなに幸せでいいのだろうかとが言ったとき、牛島がきっぱりと「いいんですよ。生き残った人間は、思いっきり幸せになればいいんです。仲間のぶんまで」と言い切っていますが、これにもまた大粒の涙が流れてきました。今回の映画は、時代は昭和34年(1959年)という設定で、一平くんの家にはテレビ、冷蔵庫、洗濯機と三種の神器が揃い、日本の高度経済成長はすでに始まっています。しかし、戦争が終わってまだ14年しか経っていない時期でもあったのですね。空襲で妻子を亡くした宅間先生や、戦死したたくさんの戦友がいる鈴木則文の様に、この時代の大人たちには戦争の哀しい影がまだまだ色濃く残っていたのです。 この映画には本当に泣かされっぱなしでしたが、また登場人物たちの小さな幸せにとても心が温かくなりましたよ。川渕康成(小日向文世)が茶川竜之介(吉岡秀隆)の書いた作品「踊り子」を批評して、それがハッピーエンドの終わっていることに対し、「現実はこうはいかない。願望だな。実に甘い」と痛烈に批判しています。そうですね、確かに川渕康成の言う通りでしょう。しかし、だからこそ映画では登場人物の幸せな笑顔を観たいと観客は思うのです。そんな観客の切なる願望にこの映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」はとても優しく応えてくれました。前回の「ALWAYS 三丁目の夕日」のラストには、涙しながらもあざとさを感じた私も、今回の映画にはとても素直な気持ちで拍手を送ることが出来ました。
2007年11月26日
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ひろさん、お久しぶりです、やまももです。 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」についてのご感想をトラックバックでお送りくださり、またそのなかで同映画についての私の見解も紹介してくださり、本当にありがとうございました。 ひろさんは大の建築ファン、それも近代洋風建築ファンとのことで、そのような建築ファンの見地からも「おかしな部分はなく、実によく作られていたと思いました。これだけでも見る価値あり!あー、あのような風景の中に立ってみたかったなあ・・・」との思いを強く持たれたようですね。 それで、ひろさんのこの映画に対する評価は、「建物や街並みが素晴らしくテンポの良さと活気があった前半(とくに序盤)が90点。人情話がじっくりと描かれていたものの各エピソードが長めでスローダウンがちょっと不満&予定調和的になった後半が70点で、平均すると80点です」とされておられますね。 私は、この映画はドラマとしてはとても凡庸な作りのものだと思っていますが、確かに昭和30年代をスクリーンに再現した映像技術力は賞賛に値するでしょうね。 この映画についてのひろさんのご感想をTBでいただいたのが昨日でしたが、なんという偶然でしょうか、今朝の「毎日新聞」に第60回毎日映画コンクールを受賞した作品や受賞者が紹介されており(日本映画大賞は「バッチギ!」、日本映画優秀賞は『オペレッタ狸御殿」等々)、受賞各部門の名前のなかに「ALWAYS 三丁目の夕日」関係のものが3つあり、撮影賞は柴崎幸三、美術賞は上條安里、技術賞は谷口登司夫が受賞していました。 渡辺浩は、撮影賞の「講評」で、「柴崎幸三は、『学校の怪談』の古ぼけた木造校舎や、代表作『愛を乞うひと』に見られるように、多くの人がおぼえてい日々を撮るのがうまい。そういう意味からいっても、この映画にピッタリのキャメラマンである。その柴崎が昭和33年、日をおって高く組上げられていく、東京タワーの見える町の人たちの暮しを、丹念に愛情をこめて撮った。強い喚起カをもつ映像を作り、ミニチュアやCG表現の方向をも決めている」とし、「60回という節目をむかえた毎日映画コンクール撮影賞にふさわしい作品といえよう」と高く評価しています。 間野重雄は、美術賞の「講評」で、「美術の立場は、空気を作りたたずまいを見せ、視覚のリズムを生み出すことである。受賞作は、その重責に貝事挑戦した。テレビが登場する場面には、待ちに待った『三種の神器』への“憧れ”感が、にぎやかに醸し出されていた。商店街の、自動車修理店や駄菓子屋などは細部まで作りこまれて、ロングショットの向こうにとらえた建設中の東京タワーを印象的に見せた。大通りに走る都電や、集団就職の上野駅の再現でも、CG技術と効果的に連携していた。人情を感じさせる温かみのある空間を作り出し、映画に大いに寄与している」と評価しています。 福田千秋は、技術賞の「講評」で、「昨年の作品の中で一際(ひときわ)注目を集めたもので、何と言っても昭和33年の東京の芝を舞台にした物語で当時の風物を見事な最新技術をもって再現したことで見る人々をタイムスリップさせてくれた。建てかけの東京タワー、町を走る都電、自動車等々がよみがえり、演じる人達と共にコラボレートした。CGといえばSF的なものがそのほとんどを占めている現況の中でこういった普通の庶民を描いた作品に効果的に使われるのは初めてといって良いだろう。改めて技術スタッフの皆さんのご苦労を称えたい。次の新しい試みを期待している」と賞賛しています。 いずれもとても適切で妥当な「講評」といえるのではないでしょうか。
2006年02月08日
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murkhaさん、TBとコメントをありがとうございました。 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のことでTBを下さった方はたくさんいらっしゃいますが、コメント欄にそのことに関連させてのご意見を書き込んでくださった方はmurkhaさんが初めてです。それだけにいただいたコメントがとても新鮮で大いに感激しています(コメントをいただいたことにこんなに感激するのは、なんだかちょっとヘンだなーとも思うんですけどね)。 映画の原作は西岸良平の漫画『夕焼けの詩』で、雑誌『ビッグコミック』に連載されているものですが、murkhaさんご自身は「ビッグコミック自体あまり読まないし懐かしものは特に読んでこなかった」と書いておられ、純粋に映画をご覧になってのご感想ですね。 それでmurkhaさんは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」についてのレビューで、「戦後、日本人の多くは将来に希望を持っていた。と言われる時代の思い出をくみ出しており、それ以上にメッセージ性というものは特にないようです。それでも上の世代の方には古き良き時代をしのぶ、感涙に至る可能性の高い作品ではないでしょうか」とされ、コロッケやシュークリームなどの「些細なものに喜びを見出せた時代」、当時「三種の神器」といわれた様な商品に大喜びする姿、「あつかましいほどにお互いが関わりあっていた」密な人間関係等に新鮮な印象を受けられ、「日本人全般に大ウケしそうな作品です。まだ見てない人には取り合えず勧めておいて間違いはないでしょう」と評価しておられますね。 おそらく、この映画に対するきわめて適切な評価ではないかと思います。ただ、私は団塊の世代でありながら、古き良き時代をしのんで感涙に至ることはほとんどありませんでした。その理由の一つは、映画の原作である西岸良平の漫画『夕焼けの詩』の大ファンで、登場人物のキャラクター、特に茶川竜之介さんや鈴木一平のお父さんについての映画の漫画チックな描き方にどうしても反発を感じてしまったからであり、そのことについては、原作漫画の「冒険小説」 、「干いも兄ちゃん」、「朝顔」等と関連させて述べています。 またもう一つの理由は、この映画をご覧になった方のなかにある[昔はよかった」的な感想に対しての、あの時代を知っている団塊世代の人間としての反発です。そのことは、同漫画の一作[短篇小説」と関連させて、「人間という生き物は、嫌なことはできるだけ忘れ去り、楽しかったことだけを記憶して懐かしむようにできているようです。ですから、いまの若い人たちもまず間違いなく何十年後かに『自分たちの若い頃はいまと違って心がもっと豊かな時代だった』なんて言うことでしょうね。それから、『近頃の若い者には困ったものだ』とかね。そうなんです、思い出はいつも美化されるものなんです」と述べさせてもらっています。
2006年01月12日
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映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、建設途中の東京タワーが見える昭和33年(1958年)の夕日町三丁目が舞台ですが、Technorati というリアルタイムブログサーチでこの映画についての鑑賞コメントを見ていますと、やたら「いまと違って心が豊かな時代だった」的な言葉が溢れており、いささか閉口させられます。 私はその頃は小学生でしたので、映画に描かれている夕日町の風景や子供たちが遊んでいる玩具等々に懐かしさを感じますが、あの時代がいまより心豊かだったなんてことを私より若い世代の人に吹聴する気持ちなんか全くありませんよ(そもそも、心の豊かさを客観的に計量して比較するなんてことはできませんしね)。 あの時代、みんなテレビがほしい、洗濯機がほしい、冷蔵庫がほしいと物質欲に駆られていたと思いますよ(明日への希望に満ち溢れていたと表現することも可能でしょうが)。夏には、みんな家の外に床机を出して近所の人たちと語り合いながら夕涼みをしていましたが(いまとなってはなんとも懐かしい人情味のある風景ですが)、それはクーラーなどがなく、家族は多くて家は狭いため、蒸し暑くって家のなかに居られなかったからでしょう。環境保護なんて発想はほとんどありませんから、工場の煙突からは煤煙がモクモクと立ち昇り、川には人家や工場の廃棄物がどんどん流されていました。 人間という生き物は、嫌なことはできるだけ忘れ去り、楽しかったことだけを記憶して懐かしむようにできているようです。ですから、いまの若い人たちもまず間違いなく何十年後かに「自分たちの若い頃はいまと違って心がもっと豊かな時代だった」なんて言うことでしょうね。それから、「近頃の若い者には困ったものだ」とかね。そうなんです、思い出はいつも美化されるものなんです。 西岸良平の漫画『夕焼けの詩』の第10巻に、茶川竜之介さんが若かりし頃の思い出を回想する「短篇小説」という話があります。茶川さんが押入れを整理していましたら、若い頃に同人誌に書いた「栄華館に捧ぐ」という短篇小説が出てきました。それは、茶川さんが学生の頃、失恋してヤケになって地方を旅行したときに宿泊した旅館「栄華館」の娘との「短くも美しく燃え そしてはかなく散った清らかな愛」の物語でありました。 読み終わって涙した茶川さんは、「すべてが美しく輝いていたあの青春時代」に戻りたい、そして「できればもう一度やりなおす事ができたら……」と考え、その旅館「栄華館」があった場所に汽車で出かけ、そこに泊まることになります。しかし、三十数年ぶりに訪れた旅館でその思い出の女性はすでに亡くなっていたことを知らされます。さらに茶川さんは、彼自身の記憶に様々な間違いがあったことに気づきますし、さらに相手の女性もいろいろ彼のことを勘違いし美化していたことを知ります。そんな茶川さんは、帰りの汽車の中で「思い出はいつも美しい嘘につつまれている。しかしその中にも人の世の真実はあるのかもしれない……」と思うのでした。
2005年11月23日
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映画「ALWAYS 三丁目の夕日」について、私のブログにトラックバックで寄せられるご感想を拝見していますと、まさに絶賛の荒し、おっと違いました、嵐という感じで、私がこの映画に感じた思いとはかなり違っているようです(トラックバックを寄せてくださった方には感謝しますが、しかしなんで私のブログに絶賛のコメントを寄せて下さるんでしょうかね)。 この映画を観た直後にこのブログに書きました「映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観ました」という拙文には、「原作が漫画だということを意識してなんでしょうか、鈴木一平君のお父さん(堤真一)や茶川竜之介さん(吉岡秀隆)のいわゆるマンガチックな描き方にはどうも馴染めませんでした」とコメントしましたが、その思いは日を追うごとに強まってきています。 映画の鈴木一平君のお父さんや茶川竜之介さんは、西岸良平の漫画『夕焼けの詩』シリーズの世界の一平君のお父さんや茶川さんとは全く違うキャラクターの人物として描かれており、特に吉岡秀隆演じる茶川さんには非常な違和感を覚えました。それは、決して映画と漫画の年齢設定や容姿の違いから来るものではありません。両者の内面上のキャラクター設定の相違から来る違和感なんです。 映画の茶川さんは、文学を志した人間とはおよそ思えないような単純で粗暴な言動を繰り返しており、まだ小学生の淳之介君に対して、「俺とお前とは縁もゆかりもないんだ」などというなんともデリカシーに欠けた言葉を投げつけたりしています。また映画のクライマックスの場面では、扶養するのが大変だと言って、彼にすがりついてくる淳之介くんを何度も乱暴に突き飛ばしていますね。私が淳之介くんだったら、本当に厄介者扱いされているんだと思ってしまうでしょうね。須賀健太君演じる淳之介少年の必死の表情に涙が自然とにじんできましたが、いくら少年のことを思っての行為だとしても、茶川さんの乱暴な言動には疑問を持たざるを得ませんでした。 原作の漫画『夕焼けの詩』第16巻の第2話「朝顔」では、淳之介君を最初に茶川さんに預けたヒロミが突然やって来て、淳之介君の父親が文壇の大御所といわれる川淵康成先生ということが判明したと告げ、急な話に呆然としている茶川さんの家にその川淵先生が運転手付きの自動車で乗りつけて、嫌がる淳之介君をあっというまに連れて行ってしまいます。茶川さんは、淳之介君がいなくなったことをとても悲しみ、彼との楽しかった生活を思い出しては涙ぐむ日々を過ごすことになります。その後のいきさつは読んでのお楽しみということにしますが、このような描き方はとっても自然で、勿論なんの抵抗感もありません。 映画に取り入れられた漫画『夕焼けの詩』のエピソードを読み直して、西岸良平の世界に登場する人物たちが繰り広げるドラマに「うん、そういう人っているよな、ああ、そんな情況ならそうするよな」と自然とうなずいたり共感することができ、この漫画の素晴らしさを再認識させてもらいました。そういう意味で映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観たことはとてもよかったと思っています。また、漫画『夕焼けの詩』をこれまで知らなかった人にこの漫画の存在を広める結果にもなっており、やはりこの映画には漫画『夕焼けの詩』シリーズの一ファンとして感謝すべきなんでしょうね、キット。
2005年11月12日
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西岸良平の漫画『夕焼けの詩』シリーズに鈴木一平君とその家族たちが登場するのは、第3巻の巻頭の「ベーゴマ仮面」という話からです。なお、この「ベーゴマ仮面」は、11月7日の拙文で紹介しましたように、『ビッグコミックオリジナル』1974年9月20日号に掲載されています。それから、小学館の『夕焼けの詩』シリーズは第20巻からタイトルに「三丁目の夕日」という文字が入るようになります。すなわち、第20巻以降から『三丁目の夕日 夕焼けの詩』となったわけです。 「ベーゴマ仮面」によりますと、「鈴木一平が両親とここ夕日町三丁目に移ってきたのは昭和三十年夏であった」とあり、一平君のお父さんは、開店した「鈴木オート」のお店を眺めて、「とうとうおれも一国一城のあるじか… なにせ、社長だからね」と感慨にふけっています。この「鈴木オート」は、看板から判断するに販売だけでなく修理もするお店のようです。 そんな「鈴木オート」のただ一人の従業員が星野六郎くんですが、この六郎くんが集団就職で上京して来て「鈴木オート」で働くようになったときのいきさつを描いているのが第3巻第12話の「干いも兄ちゃん」です。なお、映画「 ALWAYS 三丁目の夕日」では、六郎くんではなくて六子ちゃん(掘北真希) となってこのエピソードが取り入れられています。 漫画「「干いも兄ちゃん」では、六郎くんは中学卒業後に集団就職で汽車に乗って上野駅までやって来たのですが、彼は就職先である「鈴木オート」を大きな自動車会社だとばかり思い込んでいました。それだけに、社長さんである一平君のお父さんがオート三輪で六郎くんを迎えに来たのにはいささか戸惑ったようですし、車が上野駅からどんどん離れて行って次第に小さな家ばかり並ぶ町に入っていくことに不安を覚え、彼のいなかの駅とあんまり変わらない「夕日駅」近くの「鈴木オート」の店を実際に見て衝撃を受けてしまいます。六郎くんは、彼のために2階に新しく建て増ししたという部屋で、いなかから持ってきた干いもをモグモグ食べながら一人寂しく「あーあ、さえない会社につとめちゃったなあ……」なんてつぶやいたりします。 しかし、誤解をしていたのは六郎くんだけではありませんでした。一平君のお父さんも六郎くんは自動車修理が得意に違いないと思い込んでおり、実際に働き出してジャッキのことも知らないと知って驚きます。誤解の原因は、六郎くんが彼の履歴書に特技として「自転車修理」と書いたつもりが、漢字を間違えていたことによるものでした。 一平君のお父さんは、修理の仕事がなにもできない六郎くんにイライラしてついガミガミ叱りつけてしまい、心の中でガッカリして「こんなのやとうんじゃなかった」と思います。しかし、叱られ続けた六郎くんだって「こんなとこつとめるんじゃなかった」とガックリしています。 これでは、六郎くんが「鈴木オート」を辞めて出て行くのは時間の問題ですね。しかし、思わぬ出来事が一平君のお父さんと六郎くんとの間に心をかよわすことになります。その思わぬ出来事とは、自転車で部品を取りに行かされた六郎くんが道に迷って交番で「保護」されたことでした。彼のことをとても心配していた一平君のお父さんは、電話で連絡を受けて慌てて交番に駆けつけ、それを見た六郎くんが思わず一平君のお父さんに泣きながら抱きつきます。六郎君はまだ中学を卒業したばかりの子どもなんですよね。 この事件の後、一平君のお父さんは六郎くんに対する態度を反省し、奥さんに「わしもどうかしてたよ。人を使うなんてはじめてだから、バカにされちゃいけないってムキになって……」と言いますが、六郎くんもまた故郷の母親に送る手紙の中に「おいらも元気にがんばってます。ここの人たちもみんな親切でやさしくて…………」と書き綴るのです。 あれっ、映画「 ALWAYS 三丁目の夕日」では、六子ちゃんは故郷の家を出るときに母親から「口減らしになる」と言われ、手紙を出してもなんの返事もないことから、もう帰ってくるなと追い出されたと思い込んでいたという設定でしたね。しかし、子どもに里心がついて職場から逃げ帰らないようと母親が心を鬼にして言ったとしても、どこの子どもがその言葉を真に受けるでしょうか。映画の六子ちゃんてそんなに親の心が分からない鈍感な子なんですかね。あっ、また映画の悪口を言ってしまいました。この映画に深い深い感動を受けた全国の人々を私は敵にまわしてしまったようですね。
2005年11月11日
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今夜紹介しますのは西岸良平の漫画『夕焼けの詩』シリーズの第43巻収録の「冒険小説」という作品です。この作品では、作家の茶川竜之介さんが古行淳之介少年の冒険小説から無断でアイデアを頂戴して締め切りが迫った連載小説を書き上げていますが、このエピソードは映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でも使われていますね。 なお、古行淳之介少年と茶川竜之介さんとの最初の出会いについては、『夕焼けの詩』第14巻収録の「コオロギの唄」に描かれています。それによりますと、淳之介君の母親はストリッパーですが、公然ワイセツ罪で捕まってしまい、母親と知り合いのヒロミさんが茶川竜之介さんの家まで彼を連れてきて、頼み込んで預かってもらいます。そんな淳之介君は、茶川竜之介さんが『冒険少年ブック』連載の「少年冒険団」の作者と知って大喜びします。茶川さんも淳之介君が自分の作品のファンだと知ってとても嬉しくなり、二人はとても仲良しになるんです。 さて、「冒険小説」では、作家の茶川竜之介さんを尊敬する淳之介君の将来の夢は小説家になることでした。そんな淳之介君は、初めて書いた冒険小説を茶川さんに見てもらいます。茶川さんはそれを読んで大いに感心し、「初めて書いたにしちゃ上出来じゃよ」、「まだ文章なんかは拙い所もあるけど、話はなかなか面白いじゃないか」、「巨大なロボット戦車とか…… 宇宙怪獣に育てられた少年とか、アイデアも豊富だし……」と淳之介君をほめます。 ところで、茶川さんは執筆活動が完全にスランプ状態で、連載小説「銀河少年ミノル」の締め切りが明日の朝に迫っているのになかなかいいアイデアが浮かびません。焦りに焦った茶川さんは、ふと淳之介君の書いた話が使えるかもしれないと思います。しかし、「いくら子供が書いた小説でも、盗作はまずいなあ。ウーム」と躊躇します。悩んだ末に、茶川さんは結局、淳之介君の話を使って連載小説を書き上げてしまいます。 そんなことをして出版社に出した作品でしたが、茶川さんが半月後に出版社に出かけますと、編集長さんから茶川さんの作品の評判がいいことが伝えられ、さらに「よくまあ、次々と新しいアイデアが出るもんだ」と感心されてしまいます。しかし、良心の呵責にさいなまれた茶川さんは、出版社からの帰り道、お富さんの居酒屋に立ち寄って酔いつぶれ、夢の中で憤る淳之介君から「僕の小説を盗作して、勝手に書きかえて… ひどいや、ひどいや!!」と攻め立てられます。淳之介君から「おじちゃんの事、ずっと尊敬してたけど、もう軽蔑するよ!! 大嫌いだ! おじちゃんなんか……」とまで言われて立ち往生しているところで、ハッと目が覚めます。 では、その後、茶川さんはどうしたでしょうか。アイデア無断借用の事実をあくまでも隠し通そうとしたのでしょうか。淳之介君に対して、養ってやってるんだから、アイデアをもらったっていいだろうと居直ったのでしょうか。淳之介君にお金を与えて解決しょうとしたのでしょうか。映画の茶川さんはそうしましたね。なんとも卑劣なやり方ですね。そんな映画の醜悪なシーンを思い出すと吐き気がします。しかし、幸いにして漫画『夕焼けの詩』の茶川さんはそんな破廉恥なことをしませんでした。 良心の呵責に耐えかねた茶川さんは、「いつまでも隠してはおけないなあ。正直に話して謝ろう……」と考え、焼き鳥を手土産に家に帰って淳之介君に事実を伝え、「すまんかったなあ…… 勝手に書かせてもらって……」と謝ります。それに対して淳之介君は涙を流しだすのですが、それは怒りや悲しみの涙ではありませんでした。淳之介君の涙は喜びの涙でした。淳之介君は茶川さんに言います。 「おじちゃん!! ありがとう、僕の話を使ってくれて…… 僕うれしいよ!! 僕が考えた話を、おじちゃんが書いてくれて本になったなんて、すごいや、すごいや!」 しかし、茶川さんはきっと二度とアイデアの無断借用なんてことはしないでしょうね。
2005年11月10日
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papadasさん、こんばんは、やまももです。 papadasさんが西岸良平の漫画『夕焼けの詩』について、「連載開始からもう30年以上経っているんですね」と書いておられるので、あれっ、もうそんなになるのかと小学館から出されている同シリーズの第1巻を書架から取り出して見てみましたら、なぜか奥付に発行年月日が明記されていません。 それで、西岸良平ファンのホームページ「西岸良平まんが館」で調べてみましたら、このシリーズの第1話の「ベーゴマ仮面」が最初に掲載されたのが『ビッグコミックオリジナル』1974年9月20日号ということが判りました。うーん、そうしますと、その第1話からすでに31年以上経っているんですね。 私の場合、独身時代に行きつけの喫茶店に置いてあった『ビッグコミックオリジナル』でこの漫画のことを知り、いつのまにか書店で『夕焼けの詩』を見つけると必ず購入するようになっていました。結婚後、妻も私の書架に入っていたこのシリーズを愛読するようになり、さらになんと2人の男の子もいつの間にか愛読者になっていました。しかし、私の家で家族全員が愛読する漫画なんてこの『夕焼けの詩』以外にはないんですよ。なんとも不思議な漫画シリーズだと思います。 ところで、この漫画に対する私の思い込みが強すぎるためか、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」については、なにか物足りなさを感じてしまい、昨日は無い物ねだり的なコメントをこのブログに書いてしまいました。しかし、kazuさん、kossyさん、AKIRAさん、「わたしの見た(モノ)」の運営者さん、へーゼルナッツさん、163さん、茸茶さん、石川喜左衛門さん、CRAFT BOXさん、うぞきあさん、やっぱり映画好きさん、桂木ユミさん、cyazさん、yoyuponさん、jamsession123goさん、ダスキン城北さん、タイプ・あ~るさん、soramoveさん、saheizi-inokoriさんたちからトラックバックでいただいた映画評には、この映画に対するつぎのような感動と評価のコメントが添えられていました。 「この映画は心があたたかくなって/泣ける映画でした」(kazuさん)、「良い大衆映画には必ず笑いのエッセンスがあると思います。この映画も例外ではなく、観客が一体となって大笑いできます」(kossyさん)、「映像は見事。目が慣れてゆくうちにすんなりと昭和33年の日本なんだと思い込ませてくれる自然なVFXが素晴らしい」(AKIRAさん)、「再現されたのは町並みだけでなく、日本人の心も表現されていたと思う。現代と違い、心が豊かな時代だったんだということを再認識」(「わたしの見たモノ」の運営者さん)、「笑えました。泣きました。感動しましたと。私は3拍子揃いました」(へーゼルナッツさん)、「涙あり、笑いあり、生きる活力に溢れたとても素晴らしい作品でした!」(163さん)、「これでもか、これでもかと感動を押しつけてくる。成功した映画化作品といえるだろう・・・」(茸茶さん)、「平成生まれの若い人でも昭和レトロの良さと当時の人々の純粋さが伝わってくるんじゃないでしょうか。是非映画館で見ることをオススメしたい。笑いや泣きを他のお客さんと共有できる映画です」(石川喜左衛門さん)、「久しぶりに心の安まる日本映画だった。/僕はいつ頃から、自分が暮らしている町の夕日を観なくなったんだろう……」(CRAFT BOXさん)、「何か、最近の日本人の忘れてしまった“あたたかさ”が伝わった感じがした。見終わってからでも、心地よい気持ちで帰ることができました」(うぞきあさん)、「とても心温まる映画でした。今年のお気に入りの1作です。2時間13分とちょっと長い映画ですが、あっという間に終わってしまいました」(やっぱり映画好きさん)、「物はなくても豊かだった時代。電気冷蔵庫の登場で、無造作に捨てられていた"氷で冷やす冷蔵庫"だけが、未来を暗示しているようで悲しかった。その様子に悲しみを感じ、この映画に感動できるということは、人間はまだ捨てたモンじゃないな、ということだろうか」(桂木ユキさん)、「日本人の日本人らしい暮らしが、そして優しく温かい心が、この映画の中にあります/是非、あらゆる世代にこの映画を観て欲しいと思います」(cyazさん)、「昭和33年の東京下町を舞台に、心温まる人間模様を描いた映画。もうねー、笑って泣いて・・・」(yoyuponさん)、「三丁目から見える鮮やかな夕日は、希望に溢れる、復興する戦後日本の象徴だ。今のような低成長時代のに、もう一度、「希望」の意味を見直してみたい。そんなことを思わせる映画だ」(jamsession123goさん)、「泣いてしまいました・・・・感動の『三丁目の夕日』必ずあなたも観なさいよ!」(ダスキン城北さん)、「まさに、日本人のDNAに訴えかけてくる映画。だからこそ、万人の心に響くのであり、だからこそ泣けるのだ」(タイプ・あ~るさん)、「映画の中に、ウエットな大多数の日本人の心を揺らすキーワードがいくつも散りばめられていて、時々胸の奥の柔らかい部分を刺激する」(soramoveさん)、「これは”喪失の物語”だ。今、無い物、失われてしまったもの、の陳列だ。失われた物と事と心」(saheizi-inokoriさん)。 ですから、私のこの映画についての昨日のコメントは、映画の原作となった西岸良平の漫画『夕焼けの詩』に対して強い思い込みを持っている一人の団塊世代の人間の見解としてご理解いただきたいと思います。papadasさんは、「映画を見ていないので何とも言えないのですがこういう題材が映画になるだけでも良いのかななんて思ったりします。ボクはたぶん、ビデオ化されてから見ると思いますが感想はまたその時にでも」と書いておられますね。もしこの映画をご覧になる機会がございましたら、ぜひご意見を寄せてください。楽しみにお待ちしております。 私は、トラックバックを送るとき、いまは送り先のブログの文章の一部を自分の文章のなかに引用文として極力載せるようにしています。しかし、ときどき上手く載せられないときもありますが、その場合でもトラックバック送信先のブログの文章はちゃんと読むようにしています。また、拙文と同じテーマのことが書かれているものにトラックバックする場合、それは相手の文章に基本的には共感するから送っているのです。 ところが、最近、私宛に送られてくる映画「ALWAYS 三丁目の夕日」関連のトラックバックには首を傾げています。うーん、私は、この映画をそんなに高く評価しておらず、いろいろ同映画についての疑問を書いています。勿論、トラックバックを送ってくださることには感謝するのですが、みなさんは拙文を読んで下さってるのでしょうかね。 12月以降からこの映画についてトラックバックを送ってくださる方は、拙文「高瀬賢一の『ウケるブログ』には、『ウケない』問題点も書くべきでは」もご覧下さってから送信をお願いしたいと思います。
2005年11月07日
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西岸良平の人気漫画『夕焼けの詩』シリーズを映画化した「ALWAYS 三丁目の夕日」を観て来ました。 昭和30年代の町がそれなりに再現されていましたし、古行淳之介君(須賀健太)は眼鏡をかけていないけれど漫画のイメージ通りで演技も素晴らしかったし、鈴木一平君(小清水一輝)も普通の男の子っぽくて可愛かったし、鈴木一平君のお母さん(薬師丸ひろ子)はあの頃の優しいお母さんの雰囲気よくが出ていましたし、真面目なお医者さんの宅間先生(三浦友和)もなかなかよかったですね。原作の漫画に登場する人物たちから幾つかイメージを借りながら新たに創り上げられた星野六子ちゃん(掘北真希)もその純朴で素直な女の子の感じがよく出ていてとても好感が持てましたし、同じく石崎ヒロミさん(小雪)も非常にチャーミングでした。 でも、原作が漫画だということを意識してなんでしょうか、鈴木一平君のお父さん(堤真一)や茶川竜之介さん(吉岡秀隆)のいわゆるマンガチックな描き方にはどうも馴染めませんでした。それから、どのエピソードもなんだかもう一つ物足りないものを感じました。それは、私が西岸良平の漫画『夕焼けの詩』シリーズの大ファンで、映画に取上げられたエピソードの大半を知っているからなんでしょうか、それとも私が漠然とこの映画に期待していたなにかを実際にスクリーンの中に見出すことができなかったからなんでしょうか……。 そんなことをあれこれ考えながら帰途に着いたのですが、帰宅するまでに一つはっきりしたことがありました。それは、原作の『夕焼けの詩』のなにが私の心を強く捉えるのだろうかということについてです。私は団塊の世代ですから、私が子どもの頃の町の風景や実際に遊んだ玩具などがとても懐かしいということは勿論そうなんですが、でもそれよりもっと懐かしいことがこの漫画には描かれており、それになによりも心惹かれていたことに気がついたのです。 それは、子どもの目を通して見た大人たちの姿です。子どもは友だちの家に遊びに行ってその家に上がり込んで遊ぶことが多いですから、友だちの家庭のことを自然といろいろ目にします。なんであのお父さんは昼間もずっと家にいるんだろうかとか、このお父さんはときどき家に帰って来るがえらく怒りっぽいなとか、あそこのお母さんはおうちで飲み屋さんをしているが、店に来る男の人と会話しているときと子どものぼくたちと話をするときとでは随分雰囲気が違うなとか、さらには買い物に行った先のお店のオジサン、オバサン、オニイチャン、オネエチャンについてもいろいろ気になりあれこれ観察していたものです。 そういう子どもの頃に見聞きした大人たちの姿が、そこにいろいろ想像が加えられながら再現されているのが西岸良平の『夕焼けの詩』の世界であり、それがいまは大人となった私たちの心を強く捉えるのではないでしょうか。そのように仮定したとき、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の問題点の一つに視点の散漫さがあるような気がしました。やはり私が漠然とながら期待していたのは、子どもの視点から描き出された大人たちの人生であり、そこからにじみ出る哀歓だったような気がします。ですから、私としましては、かなり無理な注文なのかもしれませんが、鈴木一平君や古行淳之介君の目を通して描かれた夕日町三丁目の大人たちの世界を映像化したものをいま強く切望しています。 私は、トラックバックを送るとき、いまは送り先のブログの文章の一部を自分の文章のなかに引用文として極力載せるようにしています。しかし、ときどき上手く載せられないときもありますが、その場合でもトラックバック送信先のブログの文章はちゃんと読むようにしています。また、拙文と同じテーマのことが書かれているものにトラックバックする場合、それは相手の文章に基本的には共感するから送っているのです。 ところが、最近、私宛に送られてくる映画「ALWAYS 三丁目の夕日」関連のトラックバックには首を傾げています。うーん、私は、この映画をそんなに高く評価しておらず、いろいろ同映画についての疑問を書いています。勿論、トラックバックを送ってくださることには感謝するのですが、みなさんは拙文を読んで下さってるのでしょうかね。 12月以降からこの映画についてトラックバックを送ってくださる方は、拙文「高瀬賢一の『ウケるブログ』には、『ウケない』問題点も書くべきでは」もご覧下さってから送信をお願いしたいと思います。
2005年11月06日
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西岸良平の漫画『夕焼けの詩』シリーズの舞台は、昭和30年代の夕日町三丁目という東京の下町なんですが、町のあちこちをネコやイヌがうろつきまわり、庭ではニワトリがコッココッコと鳴きながら走り回り、さらに町の周辺には雑木林や野っ原、畑が広がっており、そこに野生のタヌキなどが棲息しているのです。 こんな『夕焼けの詩』の第33集に載っている「お月見の夜」という話には、人とタヌキの「交流」が描かれています。 サラリーマンの町田勇介には妻と一人息子の勇太郎がいました。とても家族思いの勇介は、十五夜のお月見の日には会社の接待の仕事も断って家路を急ぎます。通勤電車を降りてススキヶ原を通り過ぎると、原っぱからポンポコポンと変な音が聞こえてきましたが、彼はそれより早く妻子の顔が見たいと自宅に戻っていきます。家では、妻子が待っており、勇介が帰り道で買ってきたヤキトリなどを食べながら一家で楽しく月見の夜を過ごします……。 しかし、そんな勇介は「もしもし……もしもし」という声に目を覚まし、一人の警官が自分の顔を覗き込んでいることに気がつきます。周囲を見渡しますと、なんとそこはススキの生い茂る野っ原の真ん中でした。勇介の話を聞いた警官は、勇介に「ハハハ、わかった、あなた タヌキに化かされましたね」といいます。どうも、タヌキが勇介の持っていたヤキトリを狙って彼を化かしたようです。 勇介はしょんぼりして家に帰りますが、彼を迎えに出てくる人はだれもいません。勇介は、シーンとした家の中で妻と子どもの写真を淋しく眺め、自分がさっき見たのは去年の十五夜の日の幻だったことに気がつきます。愛する妻と子はもうこの世にいなかったのです。 翌月の十三夜、勇介は屋台のヤキトリを買ってススキヶ原に出かけ、タヌキたちに呼び掛けます。 「おーい、ススキヶ原のタヌキーっ! ヤキトリを買ってきたぞーっ。もう一度、俺を化かしてくれ! 妻や子に会わせてくれよーっ!!」 うーん、ほろりとされるお話ですね。このエピソードも、今日から全国の映画館で上映される映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のなかに組み込まれているそうです。明日の日曜日、家族揃ってこの映画を観にいく予定です。あっ、長男はもう社会人で明石に住んでおり、家族揃ってではありません。私と妻と二人の男の子の四人家族全員で映画を観たり旅行をしたりしたのはいつの日のことだったかなー。
2005年11月05日
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今朝、通勤前に入ったコンビニに『三丁目の夕日 映画化特別編』(小学館、2005年12月1日)が売られていました。これは映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の原案となった西岸良平の人気漫画『夕焼けの詩』シリーズの12のエピソードを選んで一冊にまとめたものでした。私は、この西岸良平の漫画シリーズが大好きで、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」もぜひ観たいと思っていましたので、迷わずすぐに購入しました。 西岸良平は私と同じ団塊の世代で、漫画『夕焼けの詩』シリーズに描かれている昭和30年代頃の東京下町の様子が私の故郷の町のそれとほとんど変わらないんですね。ですから、この漫画に出てくるもの全てが懐かしく感じられます。また、単に風俗面で懐かしいだけでなく、そこに生きる普通の人々の喜びや悲しみなどにも深く共感させられ、なんとも言えぬノスタルジーを感じさせられてしまいます。 例えば、小学館版だと第18巻に載っている「一枚の写真」という作品なんかはほのぼのとしたものが心に残る作品です。この作品の主人公は、夕日町三丁目のただ一軒の写真屋さんの高木寫真館のおムコさんで、近所の評判がとてもいいんです。写真を写しに来る人の心を和ませ自信を持たせるよう心がけ、撮った写真には修正に修正を加えてみんな美男美女にしてしまうからです。そんな彼ですから、カメラ雑誌に投稿しても、「技術は良いが、どれも見合い写真のようで、きれいすぎて面白くないのが欠点だ」と批評されてしまいます。でも、彼は言うんです。「大勢の人が感動する、芸術写真ばかりが必要なんじゃないんだ」「七五三、成人式、お見合い結婚……、誰にでもあるような平凡な人生の一コマ。そういう一瞬を、出来るだけきれいに撮ってあげるのが、写真館の仕事なんだなあ……」。 しかし、かなりシリアスな作品もありますよ。例えば第14巻の「さくらんぼ」と題された作品では、表面的にはとても対照的に見える二人の高校生が出てきます。学校の休み時間に教室で太宰治全集を一人読むような川崎君は、友人の山本君に、「山本、お前はおれを友達だと思ってるようだけどよ。おれはクラスの誰にも友情なんて感じていないんだぜ。去年の夏、同じクラスの島田まことが海で溺れて死んだとき……、みんな泣いたりして悲しんだだろう。でもおれは本当はちっとも悲しくなかったんだ。入試の競争相手が一人減ったって喜こんでたのさ」なんて悪ぶったりしています。 川崎君からそんなことを言われた山本君は、家は裕福で、学校の成績も優秀で、教室ではいつもクラスの仲間を笑わせているひょうきん者です。そんな山本君に対し、川崎君は、「ピエロのような事をやって面白いのかよ?」と冷笑します。ニヒルになった川崎君は、山本君に向かって、「無だよ、すべては…………。人生も情熱も友情も愛情もすべては無さ。……結局最後の結論は自殺だな。ただ一つ残された解決策は……」なんてことも言います。しかし、山本君は「ハハハよしなよ自殺だなんて。そんなのただの逃避じゃないか」と笑いながら軽く受け流します。 でも、そんな明るい山本君の部屋にも太宰治の「人間失格」が置いてあるのを川崎君は発見し、意外に思います。いや、山本君だけではありません。川崎君は、両親との会話の中で、俗っぽい存在でしかないと思っていた二人がなんと若い頃にともに太宰治に熱中したことを知ってびっくりします。さらに、父親から、「わかったぞ、お前この頃おかしな事ばかり言ってる思ったけれど、太宰を読んでかぶれたな」なんて逆襲されてしまいます。 こんな川崎君は、「欺瞞と苦悩に満ちた人生」にグッドバイしょうと線路に身を横たえてみたりします。そのくせ、線路に彼の靴がはさまったとき、近づく電車を見て「ギャーッ! 助けてくれーっ!!」とパニックに陥り、ほうほうの体で逃げ出す醜態を演じたりもします。ガックリして帰宅した川崎君は、父親から衝撃的な事実を知らされます。あの明るい山本君が自殺したのです。山本君から川崎君に宛てた遺書には、みんなに好かれたくてピエロの演技を必死でして来たが、もうすっかり疲れてしまった、「人生なんかすべては無なんだ」と書いてありました。 この西岸良平の「さくらんぼ」に出てくる川崎君と山本君は、どちらも悩み多き思春期のなかで懸命に演技していたんですね。
2005年10月31日
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