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イブさん、こんばんは、やまももです。 また拙ブログの掲示板に宮部みゆきの『楽園』について興味深いコメントを書き込んでくださり、本当にありがとうございました。 それで、「宮部さんが今回の作品を書いたのは『模倣犯』の森田監督への反旗などではなく、滋子の『その後』を書きたかったのでは?と思いました」とのご推測には基本的に私も賛成いたします。なお、『楽園』の「あとがき」に、作者が『模倣犯』執筆中にある夢を見て、それがヒントとなって『楽園』を書いたということが書かれていますね。その夢とは、「自分にもう一人姉がいて、私のしらぬまに殺害されており、その亡骸が家の床下に埋められている」という内容だったそうですね。 また、雑誌『本の話』8月号に宮部みゆきのインタビューが載っていますが、そこでも彼女はこの夢の話を紹介するとともに、それが「小説のネタになるな、前畑滋子を関わらせようと、早い段階で思っていました。ものを書く仕事をする前畑は、多分に私とイコールなところがあり、彼女は『模倣犯』で凄惨な事件と向き合ってダメージを受けたままでしたから、もう一度くらい登場させたいと思っていました」とも語っています。 それから、イブさんはまた、「『第三の眼』とはっきりさせなかったのは、今の、踊らされているという情報に宮部さんは警告したのかな?」と推測しておられますね。おそらく、イブさんのこのようなご推測は、TVや雑誌等で超能力を取り上げた怪しげな番組や記事が氾濫していることへのイブさんご自身の疑問と関連があると思います。 しかし、『楽園』の読者がこの小説を読み終わった後で、まだ小説中の等少年の超能力について疑問を持つ人は多くはないと思いますよ。少なくとも私は等少年は曾祖母から「千里眼」の能力を受け継いだ超能力者に違いないと思いました。 作者の宮部みゆきは、等少年の超能力が生み出した不思議な絵に秘められた真実を前畑滋子の丹念な調査と推理によって次第に明らかされて行き、またその解明過程を通じて等少年の超能力も証明されて行く(但し、そのことは前畑滋子は世間に公表しません)というストーリーを組み立てて書き上げたと思います。 なお、『楽園』に出て来る「第三の眼」という言葉ですが、これは前畑滋子の夫の前畑昭夫が等君が描いた蝙蝠の風見鶏の家の不思議な絵にについて、「超能力だかなんだかわかんないけど、特別な感覚のあるヤツっているじゃねえか。等君にはそれがあったんだ。普通の人間にはない眼だ。第三の眼だよ。三つ目の眼だよ。それがさ、心のなかにあったんだ」と言っています。前畑滋子は、その後で等少年の三角屋根の絵に瓶が描かれていることを再確認したときに、昭二の言った「第三の目」という言葉によって脳をゆさぶられていますね。さらに、下巻の後半にも萩野敏子との関連で「第三の眼」という言葉が出てきていますね。 しかし、この「第三の眼」という言葉はとても多義的であり、また超能力にほとんど関心がなさそうな前畑昭夫が「超能力だかなんだかわかんないけど」と言いながら「第三の眼」という言葉を出しているように、超能力関連の専門用語ではないのかもしれませんね。例えば、先ほど紹介しました雑誌『本の話』の宮部みゆきへのインタビューの中でも、彼女自身が「『第三の目』というものを、子供は持っているんじゃないかな、と思います」と語っていますか、この場合の「第三の目」とは、大人とは違う子どもならではの目というような意味ではないでしょうか。
2007年09月03日
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等少年が描いた三角屋根の絵を見た前畑滋子は、等少年には本当に超能者ではないかとの思いを強くし、そのことを確かめるために北千住の殺人事件の調査に力を入れるようになります。前畑滋子はその調査において、等少年がサイコメトラーの持ち主の可能性について検討しています。 なお、私には「サイコメトラー」という単語は聞きなれない言葉なのですが、前畑滋子はこの言葉をつぎのように理解しています。「サイコメトラーとはあくまでも、物に"残っている"記憶を読み取ったり、人の心――これが記憶なのか意識なのか難しいところですが――を読んだりする能力を示すようです。透視、もしくは遠隔感知とでもいいますか、失踪者の居所を言い当てたり、殺人事件の犯人や未発見の被害者の遺体を捜し出したりするというのは、最近流行ってるようですけどもね、その能力の実践的応用でしょう」。 前畑滋子は、等少年がそのようなサイコメトラーだと仮定すれば、彼は北千住の殺人事件の関係者の心の中を読んで蝙蝠の風見鶏のある家を描いた可能性があるのではないかと考え、丹念に調査を続けていき、その結果、北千住の殺人事件の裏に隠された真実を知ることになります。 ところで、等少年の超能力を前畑滋子はサイコメトラーと仮定して調査をしているのですが、では前畑滋子が萩谷敏子から最初に見せられた等少年のトラックの絵も彼のサイコメトラーの能力を示すものなのでしょうか。自らのトラックによる事故死を予知する能力もサイコメトラーという概念で説明できるのか、私はこの言葉の意味を詳しく知らないのでなんとも言えないのですが、作者の宮部みゆきは小説中に別の便利な言葉を使っています。いささか古めかしい言葉ですが「千里眼」です。 等少年の曾祖母がその千里眼の能力を発揮して「拝み屋さん」をしており、依頼者の失せ物捜しや縁談、商売等の相談に乗っていたというのです。「千里眼」とは、本来は遠距離にあるものを見通すことの出来る力のことなのでしょうが、普通の人では見ることの出来ない人の心の中や遠く離れた土地の出来事、そして未来のことを予知する不思議な能力などをいまでは指しているようです。作者の宮部みゆきは、曾祖母の千里眼が曾孫の等少年にも受け継がれたという設定で『楽園』という物語を書いたのに違いありませんね。 宮部みゆきの『楽園』について3回に渡って書いてきました拙文を私のホームページに新たに「『楽園』に見る等少年の超能力」と題してアップしましたので、読んでいだけたら有難いと思います。
2007年09月02日
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宮部みゆきは、相手の心を読み取る超能力者を題材にした『龍は眠る』を書いていますが、高橋克彦・大沢在昌・宮部みゆき・井沢元彦『だからミステリーは面白い 気鋭BIG4』、有學書林、1995年より)で、同作品がスティーブン・キングへの「オマージュのつもりで書きました。幼稚なエピゴーネンと言われてもいいと覚悟して。それくらい私は、『ファイアスターター』や『デット・ゾーン』が好きなものですから」と語っています。 上記の宮部みゆきの発言の中に出て来る『ファイアスターター』は、念力放火能力という超能力の持ち主が出て来るスティーブン・キングの小説で、宮部みゆきは同様の超能力の持ち主を主人公にして『クロスファイア』を書いています。『デット・ゾーン』も同じく超能力者を扱ったスティーブン・キングの小説ですが、同小説の主人公は千里眼(予知能力)の持ち主として描かれています。宮部みゆきもまた「鳩笛草」で、千里眼(透視能力)の能力を発揮して交通婦警から刑事にまで昇進して来た本田貴子を主人公にし、急速にその能力が失われていく彼女の恐怖と不安を描いています。 そんな宮部みゆきは、新作『楽園』でも同じく千里眼を取り扱っていますが、それはこの小説でどのようなものとして描かれ、ストーリーの展開にどのような役割を果たさせているのでしょうか。 千里眼の持ち主は等という名前の少年ですが、この『楽園』という小説の中でその超能力を駆使して活躍するわけではありません。この少年は、物語の設定ではすでに2ヶ月ほど前(3月20日)に交通事故のために12歳で死亡しています。物語は、この等少年の母親である萩谷敏子が彼の書き残した不思議な絵を前畑滋子のところに持ってくることから展開していくことになります。 萩谷敏子はまず前畑滋子に等少年が描いたトラックの絵を見せます。そのトラックの絵は、車体が黄色で荷台の部分は銀色のコンテナ状になっており、そのトラックの運転手は黒いサングライスの男として描かれていました。萩谷敏子の話によると、実際に等少年を撥ねたトラックの色や形もそれと同じで、その運転手も黒いサングライスをしていたというのです。等少年は自分がこのトラックによって撥ねられることを予知していたというのでしょうか。 さらに萩谷敏子は等少年が描いた家の絵を前畑滋子に見せます。その家は三角と四角を組み合わせた簡素な形で描かれいましたが、「屋根は灰色、家は茶色で、さらに大きな窓があった。その窓の奥で、女の子が眠っている」というものでした。その家の屋根の端には蝙蝠の風見鶏も付けられていました。 萩谷敏子の説明によると、彼女の知人がこの蝙蝠の風見鶏のある家を描いた等少年の絵を見て驚き、この絵は先月になってTVのニュースやワイドショーで大々的に報道された殺人事件を描いたものではないかと指摘したそうです。この事件は、今年の4月に北千住で火事があり、その焼け跡から骨が見つかったことから発覚したものです。萩谷敏子の話によると「その骨は、ずっと昔に死んだ、その家の娘さんだったんです。親御さんがその娘さんを死なせて、床下を掘って埋めて隠してたんですよ。それが火事になって初めて見つかって」しまったとのことです。しかし、その殺人事件はずっと昔に行われていためにすでに時効となっていたとのことです。萩谷敏子の知人の話ですと、この事件を報じるTVの映像には、問題の家の屋根に付いている蝙蝠の風見鶏も映し出されていたそうです。 萩谷敏子は、等少年はこの事件が発覚する以前にこんな絵を描いており、自分の息子には超能力があったのではないかと思うようになり、前畑滋子にその調査を依頼したのです。勿論、等少年が描いたこの2つの絵と等少年を撥ねて死亡させたトラックや北千住での殺人事件の家とはたまたま似かよっていたのかもしれません。ですから、前畑滋子は半信半疑の気持ちで調査を開始するのです。 しかし、前畑滋子は等少年の別の絵を後に見て驚愕させられることになります。その絵は、彼女がJR船山駅近くにある萩谷敏子が住む共同住宅を訪問したときに見たものでした。その絵には三角屋根の二階家が茶色に描かれており、三角屋根の尖った部分のすぐ下には明り取りの窓、玄関のドアの脇には縦長のスリットのような形の窓が付けられており、なんと前畑滋子が9年前に関わった連続殺人事件の犯人たちのアジトそのものだったのです。そしてその絵の家の足元には13本の人の手が空に向かって突き出ていました。さらに絵を詳しく見ると、地面に埋められた瓶の上部らしきものも描かれているではありませんか。実際に、犯人は三角屋根の山荘に13人の被害者の死体を埋め、ある被害者を埋めた場所には目印としてシャンペンのドンペリニョンの瓶を立てていたのです。 等少年がテレビ等から連続殺人事件のことを知っていたとしても、シャンペンの瓶のことなどは公開されていないはずです。やはり等少年は超能力者なのだろうか。前畑滋子の等少年の能力を確かめたいとの思いは強くなり、まずは今年の4月に発覚したばかりの北千住の殺人事件を通じてその手がかりを得ようと考え、彼女は腰を入れて調査を開始することになるのです。
2007年09月01日
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イブさん、こんばんは、やまももです。 宮部みゆきの新作『楽園』について読後のご感想を拙ブログの掲示板に書き込んでくださり、本当にありがとうございました。それで拙ホームページの「我らが隣人の宮部さん」のページに今回のイブさんの『楽園』についのコメントを転載させてもらいました。なお転載に当たって、一部文章形式上の修正を加えておりますが、もし問題がございましたらいつでもお申し出ください。すぐに対応したいと思っております。 イブさんは、この作品の良かった点として、(1)前畑滋子が9年前の事件に「負けていた」ことを前提として書かれていること、(2)その事件の主犯が死刑判決を受けて、「あっさりと人間として崩壊していたこと」、(3)「最初はいかにも頼りなく自信を無くしていた萩谷敏子が自分のために一生懸命動いている人々に会い、最期には勇気を振り絞って犯人の母親と対峙するまでになり、淋しさを受け止めながらも今は亡き息子と共に生きてゆこうという強さを見せてくれたこと」を挙げておられますね。私も同感いたしますし、特に萩谷敏子という人物には大いに共感させられました。また、このような昔風の中年女性を実在感ある存在として生き生きと描き出す作者の筆力には大いに敬服させられました。 しかしイブさんは、この新作を読了されて、「期待しすぎて見て肩透かしを食らった映画」を見た感想に近いものを持たれたようですし、また「滋子の『ニュータイプ』的な想像でどんどん当たってしまう真実。9年前の事件から立ち直ろうという姿勢も私には何か開き直っている態度に見えました」と書いておられますね。 確かに2001年前に発表されたミステリー『模倣犯』の続編としてこの『楽園』を読むとなにか肩透かしを食らったような気持ちになることは間違いないでしょうね。また、小説では家族内のとても悲惨な殺人事件が取り扱われていますが、1998年に発表された『理由』のような家族をめぐるシリアスドラマとしての深さや重さは感じられません。 しかし、これを宮部みゆきが愛読したスティーヴン・キング作品からインスパイアされて書いた『龍は眠る』『鳩笛草』『蒲生邸事件』『クロスファイア』のような超能力ものの一作として読むと、これはこれで私にはとても面白く読むことが出来ました。そうそう、宮部みゆきの時代小説にも、見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる霊験お初のような人物が登場し活躍しますね。 なお、等少年の超能力はどのようなものなのでしょうかね。この小説には「エスパー」「サイコメトラー」なんて言葉も出てきますが、また「千里眼」という言葉も出てきます。等少年の曾祖母がその「千里眼」の能力を発揮して「拝み屋さん」をしており、依頼者の失せ物捜しや縁談、商売等の相談に乗っていたということですが、作者は等少年をもこの「千里眼」(遠く離れた土地の出来事や未来のこと、また人の心の中を知りうる能力)の持ち主に設定してこの作品を書き上げたように思います。なお、そのことについてはまた次回に詳しく書きたいと思います。
2007年08月31日
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イブさん、お久しぶりです、お元気ですか、やまももです。 拙ブログの新着掲示板への書き込みに感謝いたします。宮部みゆきの新刊『楽園』を購入され、160ページぐらいまで読まれたとのことですね。嬉しいことに「読み終わったら、又感想を書きに来ますね」と書いて下っておられます。ご感想を楽しみにお待ちしております。特に、作者の宮部みゆきが前畑滋子を『楽園』に再登場させたことについて、イブさんはこの本を読まれる前の推測として、映画「模倣犯」と関連があり、「宮部さんはあの映画に納得されてないのかな?」と興味深いことを書いておられますね。その点についても読後の見解を披露してもらえたら有難いですね。 ところで、私の方はこの宮部みゆきの『楽運』が書店の店頭で売り出されたときにすぐに購入し、2ヶ月ほど前に交通事故のために12歳で死亡した少年の絵のなかに秘められている謎の裏にさらに隠されていた新たな謎が解明されていく物語の面白さに惹かれ、あっという間に読了してしまいました。 萩谷敏子という中年女性が前畑滋子のところに交通事故で亡くなった等という名前の少年の絵を持って来るのですが、それは萩谷敏子が等少年の描いていた絵の中に彼の超能力者としての力が秘められているのではないかと疑い、それを前畑滋子に解明してもらいたいと思ったからですね。それで、前畑滋子はこの謎解きのために名探偵振りを大いに発揮することになるのですが、依頼者の萩谷敏子という人物像がとても上手に描かれており、この萩谷敏子という53歳の中年女性のこれまでの幸少ない半生におもわず同情してしまいましたよ。また、前畑滋子が夫の前畑昭二の優しい励ましも得ながら、9年前の事件の精神的後遺症から次第に立ち直り、その不思議な絵の解明に執念を燃やし、その過程で物書きとしての元気も取り戻していく姿も生き生きと描かれていて、前畑滋子ファンの私としてはなんだかほっとしましたよ。 ですから、私はとても面白くこの小説を読んだのですが、ただ萩谷敏子の子どもの等少年はどのような超能力者だったのだろうかということを読後に考え出したら、どうもそれがよく判らなくなってしまいました。そのためにあらためて再読する必要を感じたのですが、他の用事や関心ごとがあってまだ再読していません。私も『楽園』を再読してその点が自分なりに説明が出来ましたら感想文を書こうと思っています。
2007年08月26日
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一昨日(4月1日)、このブログで『はじめての文学 宮部みゆき』 についてのコメントを書きましたが、そのときはまだその本を入手しておらず、ただインターネットで調べて判った同書掲載の4つの中短篇について、その紹介をしただけでした。 しかし、今日になって同書を入手し、そこに前書きとして載っている宮部みゆきの「宝物を探そう」を読みましたので、それについてコメントをあらためてしたいと思います。 宮部みゆきは同書の「宝物を探そう」で、「本当に初めて小説に触れるという年若い読者の皆さんは、実はとても少ないのではないかと私は思っています」とし、それで「このシリーズの肝(きも)は、私たち参加した作者が/『単行本には馴染みがない、小説には興味がないという年若い読者の皆さんに、自分の作品を読んでもらうなら、さてどれを選んだらものだろうか?』/と、頭をひねるところにこそある――私はそう考えました」としています。 それで、宮部みゆきは同書に「心とろかすような」「朽ちてゆくまで」「馬鹿囃子」「砂村新田」の4作品を載せたのですが、ではなぜ「単行本には馴染みがない、小説には興味がないという年若い読者」のためにこの4作品を選んだのでしょうか。 みなさんは推測がつきましたか。私は前回の拙文で、「心とろかすような」は現代ミステリー、「朽ちてゆくまで」は超能力もの、そして「馬鹿囃子」「砂村新田」は人情時代ものであることから、「様々なジャンルで多彩な才能を発揮している宮部みゆきワールドへの初めての入館者のためにはとても上手い展示の仕方ではないでしょうか」と書きました。すなわち、「様々なジャンルで多彩な才能を発揮している」宮部みゆきという作家のその多面性を知ってもらいたいのではないかと思ったのです。では、宮部みゆき自身はこの4作品を選んだ理由をどのように説明しているのでしょうか。彼女はつぎのように書いています。 お若い読者の皆さんの感覚に合うものはどんな作品だろう? 暗い話は駄目かな。いろいろ悩みました。特に私は犯罪を扱うことの多い推理作家ですので、暗い話はやめとこうとなると、軒並みNGになってしまいます。 それで結局は、主要な登場人物たちが少年少女であるということだけを条件にして、作品を選ぶことにしました。 私の書く少年少女たちは、現代社会を生きている若い読者の皆さんから見ると、かなり古くさいかもしれません。江戸時代を舞台にした作品も二編ありますので、なおさらです。 でも、少し我慢して付き合ってやっていただけないでしょうか。そうすると、今の少年少女・若者たちである皆さんと、だいぶ以前に若者を卒業してしまった私が創ったこれらの登場人物たちのあいだに、意外と共通点が見つかるんじゃないかと思うのです。 なぜ私は、そんなふうに思うのでしょう。ずいぶんな自信だなと笑われてしまうかもしれません。でも、思ってしまうのです。私自身が、皆さんぐらいの年頃に、私よりずっと年上の――それどころか、とっくに住所を天国に移している作家の書いた小説を読んで、「この主人公はあたしに似てる」「同じようなことで悩んでる」 そう感じて、心を動かされた経験があるからです。 小説という「物語を語る媒体」には、絵も音も音楽もなく、驚くような特殊効果もついておらず、とても地味です。その代わり、人が文字を生み出し、それを使い始めたときから存在している古い古い形式だという、歴史があります。年季があります。皆さんが活字で表現された物語に触れるとき、その本のうしろには、数え切れないほどの書き手たちが延々と書き継いできた「人間というこの複雑な生き物」への、敬意と哀惜、共感と愛情、怒りと傷心――ありとあらゆる感情が堆積されてできあがった広大な世界が存在しているのです。 宮部みゆきはこの文章で、時代を超えて人々の心に伝わる文学の魅力、普遍性について語っており、またそのような力を有していると判断した4作品を今回選んだのですね。
2007年04月03日
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今朝の新聞を開きましたら、文藝春秋の書籍広告のなかに『はじめての文学 宮部みゆき』も紹介されていました。この「はじめての文学」シリーズは、「現代日本の文学を代表する、個性豊かな作家十二名が、自作のなかから、『とりあえず、これから』と選び抜いた中短篇の極上アンソロジーです」とのことですから、今回の『はじめての文学 宮部みゆき』に宮部みゆき自身がどのような作品を選ぶのか興味津津でした。 ところで、私は前に拙ブログで「心に残った宮部みゆきの短篇小説」を6篇まで挙げてもらいたいと投稿を募集したことがあります。そして、宮部みゆきファンのみなさまからいただいた投稿を拙ホームページの「宮部みゆき短編作品」にまとめて紹介しておきました。なお、私自身は、「この子誰の子」 (『我らが隣人の犯罪』所収)、「ドルシネアにようこそ」(『返事はいらない』所収)、「たった一人」(『とり残されて』所収)、「生者の特権」(『人質カノン』所収)、「紅の玉」(『幻色江戸ごよみ』所収)、「砂村新田」(『堪忍箱』所収)を挙げておきました。 では、宮部みゆき自身は『はじめての文学 宮部みゆき』にどのような中短篇を入れたのでしょうか。「心とろかすような」「朽ちてゆくまで」「馬鹿囃子」「砂村新田」の4作品でした。私が挙げた6篇のなかでは、「砂村新田」が入っていましたが、他の3篇もやはりなかなかの好作品ばかりだと思います。 「心とろかすような」は、蓮見探偵事務所で用心犬をしているシェパード犬のマサが語り手を務めるマサの事件簿シリーズの第2弾『心とろかすように』の巻頭作品です。この作品は、蓮見探偵事務所の所長の娘で高校生の糸ちゃんが、なんと諸岡進也という男の子とラブホテル「愛の城」から朝帰りするという事件から物語は始まります。しかし、糸ちゃんのみならず諸岡進也もそんなことを仕出かすような男の子ではありません。彼ら二人の話だと、女の子が自分で自動車のトランクを明けて入っていたのを目撃して声を掛けたら、背後からガツンとやられ、気がついたらホテルの中だったという、嘘をつくならもう少しもっともらしいウソにしてくれと言いたくなるような話なんですが、そんな不思議な事件の謎をマサたちが捜査していく中である犯罪事件が浮かび上がって来るのです……。 「朽ちてゆくまで」は、『鳩笛草』の巻頭作品で、主人公の智子が、自分を育ててくれた祖母が亡くなった後、残された段ボール箱のなかに詰め込まれていたビデオテープから自分自身の秘密を知るという話です。すなわち、両親が撮影していたホームビデオから、智子は幼い頃に驚くべき予知能力を発揮していたようなのです。例えば、「ドラえもん」は1979年4月から放映が開始されるのですが、そのテーマソングを幼い智子は半年前に歌っていたのです。では、祖母はどのような思いでこのビデオテープを段ボールに隠していたのでしょうか。そのことを智子があれこれ考える中で、それはもしかしたら彼女の両親の死とも関連しているのではないかという疑惑が生じてきます……。 「馬鹿囃子」は、『本所深川ふしぎ草紙』の第5話として載ったものです。この話には、縁談が突然壊れたショックで気が触れてしまい、人前で他の年頃の娘を殺したとか殺したいといったことを平気でしゃべるようになるお吉という娘が登場します。この物語の主人公のおとしは、そんな気の触れたお吉を笑いものにしていた人間の一人でしたが、そんな彼女も夫婦約束していた宗吉に他の女がいるのではないかと疑い、失望のどん底に突き落とされたとき、お吉が叫ぶ「男なんてみんな馬鹿囃子なんだ」という言葉の意味が痛いようにわかるようになるのです。この言葉に男に裏切られた魂を見ることができたのです。そんなおとしは、お吉が突然彼女に投げつけた「あんただって馬鹿囃子じゃないか」と言った言葉の意味を初めは理解できませんでした。しかし、それも後にはわかるようになり、彼女自身が気の触れたお吉を笑ったことに対し心のなかで「ごめんね」とつぶやくことになるのです。この「ごめんね」の一言がおとしの心のみならず読者の心にも必ず灯りをともすことと思います。 「砂田新田」は『堪忍箱』の第8話として載ったものです。砂村新田の地主の家に通い奉公している12歳のお春が、日本橋近くの薬種問屋に使い走りに行った帰り道、八右衛門新田あたりでひと息いきいれようとしたとき、一人の男に「おまえ、お春ちゃんかい?」「おっかさんにそっくりだな」と声を掛けられます。その男は自分のことを市太郎と名乗り、お春の母親であるお仲の消息をしきりに聞きたがります。実は市太郎ははお仲と幼なじみだったのです。彼は、お仲が他の男と所帯を持つと知ったとき、自分のようなやくざな男と関わり合いを持っていることを他人に知られたらお仲に迷惑が掛かるだろうと判断し、お仲にこれからは絶対に声を掛けないと言って別れているのです。その約束をこの市太郎は最後まで守って独り寂しく死んでいきます。そんなやくざな男の幼なじみの女性に対する優しい心遣いと純情が読者の胸を強く打ちます。なお、この短篇はNHKの「茂七の事件簿3 ふしぎ草紙」の第5話「ならず者」の原作として放映されています。 「心とろかすような」は現代ミステリー、「朽ちてゆくまで」は超能力もの、そして「馬鹿囃子」「砂村新田」は人情時代ものですから、様々なジャンルで多彩な才能を発揮している宮部みゆきワールドへの初めての入館者のためにはとても上手い展示の仕方ではないでしょうか。なお、宮部作品ファンの中にも彼女の時代小説だけは敬遠する人が結構いるようですが、そんな食わず嫌いの人たちにも「馬鹿囃子」「砂村新田」をぜひ読んでもらって、江戸の下町を舞台にした宮部みゆきの人情時代ものの素晴らしさ、楽しさをぜひ味わってもらいたいものです。
2007年04月01日
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阿波っ子さん、お久しぶりです、やまももです。 阿波っ子さんからメールで宮部みゆきの『名もなき毒』についてのコメントをいただき大喜びしています。幻冬舎から出されていますこの小説の単行本のページに基づきながら、印象に残った部分についてコメントされていますが、とても興味深く読ませていただきました。 それで、「我らが隣人の宮部さん」のつぎのところに転載させてもらいましたが、もし問題がございましたらいつでもお申し出ください。すくに対応したいと思っております。 ↓ 『名もなき毒』についての阿波っ子さんのコメント http://homepage1.nifty.com/yamamomo/sub5namodoku.htm#awatko ところで、『名もなき毒』は『誰か』の続編ですが、阿波っ子さんは両作品を比較して『誰か』は「目を見張るようなストーリー展開があるわけでなく,あっさり和風味,といった印象を持っていた作品でした」とされ、それに対して『名もなき毒』は「一転,高級中華という感じで,『模倣犯』並みの強烈なインパクトと社会に対する強いメッセージを感じました。社会派と称される宮部さんの本領発揮というところでしょうか」と書いておられますね。 そんな「高級中華」風の『名もなき毒』が文学賞を受賞しましたよ。今朝の新聞を見ましたら、宮部みゆきの『名もなき毒』が吉川英治賞の第41回文学賞に決まったことが報道されていました。宮部作品のファンとしては勿論とても嬉しいことなんですが、吉川英治賞受賞の記事が最初に目に入ったときに思ったことは、「あれっ、宮部さんはもうすでにこの賞を取っていたはずだけどな??」ということでした。 ポンコツ山のタヌキと自称しているくらいですから、自分の記憶力には全く自信がありませんので、宮部みゆきの受賞歴について調べてみることにしました。そうしましたら、1992年に『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞を受賞していました。それで吉川英治賞をすでに取っていると思い込んでいたんですね。しかし、吉川英治賞にもいろいろ部門別に賞があるようで、今回は同賞の一番メインである文学賞を受賞することになったんですね。これでやっと納得しました。
2007年03月02日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 宮部みゆきの「サボテンの花」は『我らが隣人の犯罪』に収録されている短篇小説ですが、小学校の卒業研究として「サボテンの超能力」に取り組みたいと言い出した6年1組の子どもたちと、定年退職間近の権藤先生とのハートウォーミングな交流を描いた彼女の初期の作品ですね。そんな「サボテンの花」が音楽劇になるそうですよ。 東京の演劇集団キャラメルボックスで制作をしておられる中村友一さんからメールをいただき、「3月に、宮部さんの『サボテンの花』を原作とした芝居を上演する」とのご連絡をいただきました。 それで、宮部みゆき作品ファンの方のためにさらに詳しいことをお訊きしたいとお願いしましたところ、つぎのような公演情報をまたメールで伝えてくださいましたので、ここに紹介いたします。演劇集団キャラメルボックスでは、この春、宮部みゆきさんの短編小説、『サボテンの花』を音楽劇にアレンジして、東京と大阪で上演いたします。チケットは絶賛発売中です。詳細はこちらまで◆大阪公演◆2007年3月1日(木)~6日(火)イオン化粧品 シアターBRAVA!◆東京公演◆2007年3月14日(水)~4月1日(日)シアターアプル 人気の短篇小説がどんな音楽劇になるのか、全国の宮部みゆき作品のファンにとって非常に楽しみですね。私は鹿児島に住んでおり、ちょっと観劇は無理なようですが、公演の成功を心から願っています。
2007年02月13日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 ガオガンさんから前回は宮部みゆきの『名もなき毒』についての素敵なコメントをメールでいただき、拙HPの「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいましたが、今日また引き続いて宮部みゆきの『誰か Somebody』についてのコメントを同じくメールでいただくことができました。 ガオガンさんは、『名もなき毒』の後に『誰か Somebody』を買って読まれており、本の発行順序とは逆の読み方をされたのですが、そのことから私などは気が付かなかったとても面白い指摘をしておられます。それで今回もまた拙HPの「我らが隣人の宮部さん」のつぎのところに転載させてもらいましたので、ぜひ多くの方にガオガンさんのコメントをご覧いただきたいと思います。 ↓ 拙ホームページ「我らが隣人の宮部さん」 『誰か Somebody』特設ページのガオガンさんのコメント http://homepage1.nifty.com/yamamomo/sub5somebody.htm#gaogang
2007年01月26日
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ガオガンさん、こんばんは、やまももです。 ガオガンさんから宮部みゆきの『名もなき毒』についてのコメントをメールでいただき、とても興味深い内容でしたので、拙ホームぺじの「我らが隣人の宮部さん」のページに転載させていただきたいと思ってそのことを返信メールでお願いしました。そうしましたら、有難いことに快諾していただくことができました。本当に心から感謝します。 それで、ガオガンさんの『名もなき毒』についてのコメントをつぎのところに転載させてもらいました。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/sub5namodoku.htm なお、ガオガンさんは『名もなき毒』のつぎのことがちょっと気になられたようですが、みなさんはどう思われましたか。私はとってもアバウトな読み方しかしていませんでしたので、ご指摘を受けて、なるほどそう言われればそうだなと思ったのですが、あらためてその点に気をつけて読み直してみたいと思っています。ガオガンさんの疑問点「今多会長直轄の社内報『あおぞら』編集部は(原田いずみを除き主人公の『私』を含め)6人です。園田編集長、谷垣副編集長、『私』(=杉村二郎)、加西君の4人は頻繁に登場し、それなりに人物造型が深いのですが、残りの二人(男性?女性?)は最後まで名前も登場しませんでした。狭い、家族的雰囲気の『あおぞら』編集部にしては? と思いましたのは私だけでしょうか?」
2007年01月17日
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ゆきうさぎさん、こちらこそご無沙汰しておりました。そのため、ゆきうさぎさんが本やその他のことを「風にふかれて」に移されていたことをお知らせくださるまで知りませんでした。それで早速に拝見させてもらいましたが、宮部みゆき作品についてのコメントがたくさんまとめて転載されてますね。また『名もなき毒』についての拙文もリンクを貼って紹介してくださっておられ、大変恐縮しております。 宮部みゆきが「毎日新聞」に明日から連載する「英雄の書」についてもコメントを下さり、本当にありがとうございます。なお、「現代ミステリでしょうか」と書いておられますが、新連載の新聞小説は小学校5年生の女の子が現実と「無名の地」を行き来しながら姿を消した中学生の兄を探すというファンタジーのようですよ。 私は最近は新聞の連載小説を全く読まなくなったのですが、小学生から中学生の頃はよく読んでいました。その新聞の連載小説といえば、遠藤周作が「朝日新聞」に連載していた「おばかさん」という小説を愛読していたこともありました。最近、遠藤周作の「女の一生」を読んでいて、関連事項をインターネットの検索エンジンで調べていましたらその「おばかさん」という小説のことも出てきて、なんだかとても懐かしい気持ちになりましたよ。
2007年01月03日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 私はよく「宮部みゆき」をキーワードにしてインターネットの検索エンジンで彼女の作品に対するコメントなどを探すことがあります。それで判明したのですが、彼女が今年の8月に出した『名もなき毒』が「週刊文春」の「2006ミステリーベスト10」の国内部門第1位になっているのですね。宮部作品としては2001年出版の『模倣犯』以来ではないでしょうか。 それで、「週刊文春」12月14日号を買ってきて読みましたが、同誌の「国内部門第1位 著者インタビュー」で宮部みゆきが「久々の現代ミステリーで選ばれて嬉しく思います」とし、また「どういう形なら自分が私立探偵小説を書くことができるか、最初は悩みました。三作目までは必ず書こうと決めています。次作は、杉村が本当の意味で探偵になろうとする話の予定です」とも語っています。 それから、『名もなき毒』の中心人物である原田いずみについて、宮部みゆきは「周囲の人を毒で汚染するような存在です。利己的な人物で、そのため底なしの孤独に陥ってしまっている。こうした救われない現代的な人間像を描き切られた点が広く支持を集めた理由ではないでしょうか」とし、また「連載中から、『実際にそういう人が身の回りにいる』というお便りを頂いてびっくりしました」、「私自身の中にも間違いなく黒いものはあるんです。原田いずみが説得力のある登場人物になったということは、その黒い部分を彼女が代弁してくれたからでしょうね。たとえば『模倣犯』の犯人は、私の中の物書きとしての狂気を体現した人間でした。小説の中で重要になるピースは、結局すべて目分の中から出てくるものなのだと思います」との興味深い発言をしています。 宮部みゆきの『名もなき毒』が「週刊文春」の「2006ミステリーベスト10」の国内部門第1位になりましたが、このことによって間違いなく同書に対する新たな関心が寄せられ、読む人がさらに増えることと思いますので、宮部みゆきファンとして素直に喜んでいます。
2006年12月12日
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みなさん、お久しぶりです、やまももです。 昨日(12月10日)の「毎日新聞」の「本と出会う―批評と紹介」欄を読んでいましたら、「宮部みゆきさんの本に登場した『うそつくらっぱ』という児童書を読みたい」という文章が突然目に飛び込んできました。 この「宮部みゆきさんの本に登場した『うそつくらっぱ』という児童書を読みたい」という文章、柏書房から出されている浅野高史他編『図書館のプロが教える“調べるコツ”―誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』についての小西聖子評のなかにあったもので、「図書館利用者が持ち込むさまざまな質問」の一つとして紹介されていました。しかし、残念ながら、その答えは柏書房のこの「本を見て下さい」とありました。 宮部みゆきの本に出て来る『うそつくらっぱ』という児童書とは、彼女の『淋しい狩人』(新潮社、1993年10月)所収の短篇「うそつき喇叭」に出て来る同名の本のことだと思われます。なお、宮部みゆきの短篇「うそつき喇叭」では、この児童書は昭和30年に出されたもので、「小学生低学年ぐらいの子供たちを想定いると思われる作品」と設定されています。しかしその内容は、「戦争にいくとどんなに楽しいか、どれだけ世の中のためになるか、どれだけお金がもうかるか」を戦争中大きな声でかなでて歩いた喇叭が、戦後は楽しく平和な町をつくろうと歌うようになり、最後は博物館に飾られことになったというものです。この本は、権力におもねり、時代の流れに迎合する文化人や言論人を風刺していると思われますね。それで、『淋しい狩人』の主人公のイワさんは、「最初から最後まで『うそつき』が大勝利をおさめる話」が書かれているこの本について、「断じて、子供のために書かれた物語ではない」と判断しています。 私は、「うそつき喇叭」という本について、作者が作った架空の児童書だとばかり思っていました。しかし、毎日新聞に載った『図書館のプロが教える“調べるコツ”―誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』(なんとも長い題名ですね)についての書評から判断しますに、もしかしましたら「うそつき喇叭」或いは「うそつくらっぱ」という題名の児童書が実在しているのかもしれません。 それで、私は検索エンジン「googl」や国立国会図書館蔵書検索・申込システム「NDL-OPAC」で検索したり、さらには国立情報学研究所(NII)が提供する「Webcat Plus」で連想検索を試みたりしてみましたが、残念ながらそれらしき本は見つかりませんでした。 こうなると『図書館のプロが教える“調べるコツ”―誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』(うーん、本当に長くて野暮ったい名前の本ですね)で直接確かめるしかありません。それで今日は職場の帰りに本屋さん巡りをして来ました。 最初の本屋さんでは在庫はなく、「お取り寄せいたしましょうか」と言われましたが、それを断って次の本屋さんに直行しました。2軒目の本屋さんでこの長い題名の本が置いてあるか訊ねましたら、ちょっとお待ちくださいと10分くらい待たされました。探すのに長く時間がかかっているので、この書店にもやはり置いてないのかなとほぼ諦めかけていましたら、嬉しいことに店員の方がその長い題名の本を持って来てくれました。こうなると店頭でパラパラッとページをめくって必要な箇所だけを見て、それでハイ返却なんてことは小心者の私にはとてもできません。店員の人にお礼を言って代金1800円も支払って購入しましたよ。 それで、自宅に帰る途中のバスで『図書館のプロが教える“調べるコツ”―誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』(ほんまに長い題名やナー)を開いて目次を見ましたら、同書の第5章第4節目が「宮部みゆきさんの本に登場した『うそつくらっぱ』という児童書を読みたい」となっていました。 それでその答えは……、うーん、そうですね、「毎日新聞」の書評のように「本を見て下さい」とは言いませんが、ブログでオープンにするのも問題かもしれません。それで、『図書館のプロが教える“調べるコツ”―誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』では、宮部みゆきの『淋しい狩人』所収の短篇「うそつき喇叭」に登場する児童書についてどのようなことが書いてあるかお知りになりたい方は、私宛にメール(拙ホームページ「私の宮部みゆき論」の「ご感想」用メールをご利用ください)をいだききたいと思います。喜んでお教えいたします。
2006年12月11日
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ゆきうさぎさん、本当にお久しぶりです、やまももです。 宮部みゆきの最新作『名もなき毒』について、ご自身のブログに書かれた素敵なコメントを拙ブログへトラックバックとコメントの両方でお伝えくださり、本当にありがとうございました(コメント中に拙文の紹介までして下さり、これこそまさにトラックバックのお手本ですね)。 それで、原田いずみが兄の結婚に対して「そんなの不公平よ」と叫ぶ声とコンビニの毒殺犯の思いとを重ねて書いておられる箇所をとても興味深く拝見させてもらいました。コンビニの毒殺犯の場合、「小さなズルをしていたら犯すこともなかっただろう大きな罪」を犯してしまったわけですが、やはりこの犯人も自分だけがなんで不幸のなかに閉じ込められなければならないんだという不公平感と世間への憤りに心を毒されてしまったわけですね。 それで、ゆきうさぎさんのコメントを拙HPの「我らが隣人の宮部さん」のつぎのページに勝手に転載させてもらいましたが、もし問題がございましたらいつでもお申し出ください。すぐに対応したいと思っております。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/sub5namodoku.htm ところで10月13日朝のフジテレビ「とくダネ!」中のコーナー「エンタメ解体新書」で、宮部みゆきのことが取上げられたそうですが(残念ながら勤務のために見られませんでした)、この放送のために「とくダネ!」のディレクターから10日に電話取材の申し出がメールでありました。それで、「宮部みゆきの人気の秘密」について質問されましたので、私は『名もなき毒』を例にして「登場人物たちの心の奥底にあるものが読者自身の心のなかにも存在しているものである」ことが読者の心を捉えるのだろうといったことを述べておきましたが、突然の取材だったため、言いたいことの半分も語ることが出来ませんでしたよ。嗚呼、残念!!
2006年10月15日
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学生さん、初めまして、やまももです。 学生さんからいただいた宮部みゆきの『名もなき毒』についてのコメントをとても興味深く拝見いたしました。学生さんも「読んで行く内に原田いずみと自分は似ていると感じました。性格、言動―原田いずみの箇所を読んでいると過去の自分とだぶってしまいます。ただ、私の場合彼女と違うところは、自分が毒を撒き散らす人間であるということを自覚し、そのような自分を嫌悪し、何年もの間苦しんだということです。今でも苦しんでいます」と書いておられますね。 おそらく読者の多くが学生さんと同じような感想を持ったのではないかと想像しています。ただ、このように素直に自分の心の内面を省察して言葉に書き表すことが出来るということは、学生さんご自身が過渡期を脱して精神的に大人へと成長された証ではないでしょうか。もっとも、生きている限り程度の差はあれ誰もが同様の葛藤を繰り返していくのだとは思いますが……。 学生さんの『名もなき毒』についてのご感想は、きっと他の多くの読者の共感を得ることが出来るものだと思いましたので、拙HP「我らが隣人の宮部さん」の『名もなき毒』特設ページに転載させてもらいましたが、もし問題がございましたらいつでもお申し出ください。すぐに対応したいと思っております。
2006年10月01日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 山村基毅さん主宰の「電脳くろにか」の「観る読む記」に山村基毅さんが『名もなき毒』についての書評をアップされているのですが、この書評をとても興味深く拝見させてもらいました。この作品を読まれて、山村基毅さんは「しかし、巧いなあ」と書いておられますが、私も同小説を一気に読んでしまい、あらためて彼女の筆力には敬服させられたものです。 山村基毅さんが「宮部みゆきのこのシリーズの狙いは『日常に潜む悪意』なのだろう」とされ、それを小説の中で全面的に体現している原田いずみについて、「なかなかに怖いですよ、彼女は」とも書いておられますが、彼女は本当に怖いですし、こういう人間が実際に身の回りに程度の差はあれたくさんいますから、それだけ身に沁みて怖いんですよね。そして、またそのような悪意を自分自身のなかにも見い出すことができるからまたまたコワイ。 山村基毅さんの今回の『名もなき毒』についての書評を私のHPの「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいたいと思い、メールをお送りしてお願いしましたところ、有難いことに快く承諾してくださいました。 それでつぎのところに転載させてもらいましたが、もし問題がございましたらいつでもお申し出ください。いつでもすぐに対応したいと思っております。 ↓ 「我らが隣人の宮部さん」転載の山村基毅さんの『名もなき毒』についての書評
2006年09月30日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 今朝、家で購読している毎日新聞を開きましたら、「本と出会う―批評と紹介」に宮部みゆきの『名もなき毒』についての書評が載っていました。 同書評は、『名もなき毒』のあらすじを簡単に紹介した後、さらにつぎのようなコメントを添えていました。 三年ぶりの現代ミステリーであるが、技巧を排し虚飾のない文章がかえって事件や登場人物の悲劇性を際立たせる。逆恨みで子どもや家族が危険にさらされるという経験は明日にもわが身に起こるかもしれない。誰にも思い当たる人間の怖さをさらっと描く宮部氏が多くの読者を獲得するのも成程と思わせる作品だ。 宮部みゆきの『名もなき毒』について、書評は「技巧を排し虚飾のない文章」としていますが、正確には「様々な文章表現の技巧が凝らされているにもかかわらず、その技巧を目立たせることなく虚飾のない簡潔な文章に仕上げている」と書くべきでしょうね。それから「誰にも思い当たる人間の怖さをさらっと描く宮部氏」との評価は本当に正鵠を得ていると思いますね。宮部みゆきの作品を読んでいますと、いつも自然と作中の人物を自分自身と照らし合わせてしまい、自分の心の暗部を省察せざるを得なくなります。
2006年09月24日
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イブさん、こんばんは、やまももです。 『名もなき毒』についての追加の感想等をありがとうございました。イブさんのお好きなハリウッド・スターは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」でジャック・スパロウを演じているジョニー・デップだったんですね。 それで、今回書いてくださった文章を前回の感想文に付け加えまして、私なりにまとめなおして拙HPの「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいました。 私の方でかなり大幅に手直ししていますのでいろいろ問題があるかもしれません。そのときはお申し出下さい。すぐに対応したいと思います。 これからもときどきこのブログのコメント欄に投稿して下さいね。楽しみにお待ちしております。
2006年09月22日
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イブさん、お久しぶりです、やまももです。 イブさんがご自身のことを「正直覚えていただいているか、それも不安です」と書いておられますが、いくら私がポンコツ山のタヌキ状態になったとはいえ、まだそこまで耄碌はしていませんよ。回数こそ少ないですが、宮部みゆきの新作が出たり、彼女の作品を原作にした映画が上映されたときにはいつも素敵なコメントをいただいており、私にはとても印象深いお名前です。あっ、そうでした、『名もなき毒』と同じシリーズの『誰か Somebody』でも興味深いコメントをいただいていましたね、 それだけに、今回もまた宮部みゆきの新作『名もなき毒』についてのコメントをいただき大喜びしています。拙ブログでこの作品についての感想はイブさんが初めてですよ。それで、いただいたコメントをぜひ「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいたいのですが、できましたらつぎの箇所にご意見を補足していただけないでしょうか。 私の上司は、やや慎重な私に「ネガティブ」という 言葉を平気で言い放ちます。しかしそれに対して 私は何の行動も起こさない。それは、そうすることが 「普通」と信じているからです。 しかしストレスは溜まっていく。「あんたはわたしの ホンの1部分しか見ていない」と。 この時期に宮部さんの新作に出会えて良かったと思います。 彼女の新作をこれからも読みたい。 そう思える私に会えたから・・・ 大好きなハリウッド・スター彼も活字中毒。 そのきっかけを作ってくれた彼女の作品に これからもとことん向き合いたいです。 イブさんは、上司の方の評価にじっと黙って耐えておられるようですが、イブさんは『名もなき毒』のどのような箇所に励まされたり、共感されたのでしょうか。或いはどのような箇所になにか他人事とは思えないものを感じられたのでしょうか。また「大好きなハリウッド・スター彼も活字中毒」とある文章がなぜ入れられているのか読み手には分かりにくいと思いますので、必要なら補足していただけないでしょうか。 お手数をおかけいたしますが、お暇なときに補足コメントを寄せていただけたらありがたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
2006年09月20日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 このブログに2回に分けて「宮部みゆきの『名もなき毒』について」を書きましたが、それを加筆訂正して拙HP「私の宮部みゆき論」に「『名もなき毒』に見る身体に潜む毒」と題してアップしておきました。もしご覧いただけましたら大変光栄です。
2006年09月08日
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宮部みゆきの『名もなき毒』について前回に引き続きさらにコメントしてみたいと思います。 前回、作者の言う「身体の内の"毒"」すなわち「名もなき毒」とはどんなものなのかで考えてみたいと言いましたが、そのことを原田いずみの発言を手がかりにして検討してみることにします。 原田いずみは、彼女の兄の結婚披露宴のときにおこなったスピーチの中で、兄が自分に対してひどい性的虐待を行っていたと言い出し、そのために兄の結婚相手を自殺に追いやっているのですが、そのことを主人公の杉村三郎が電話で訊ねたとき、彼女はつぎのように発言しています。 「嘘よ。嘘っぱちよ。兄さんは何もしてないわよ。だけどあたしは嫌だった。幸せそうな兄さんが嫌いだった。あたしだけ置き去りにして、どっかに行っちゃうなんてひどいじゃない。そんなの不公平よ」 そんな彼女の言葉に杉村が「それであなたは満足でしたか?」と問い返したとき、彼女はひび割れた泣き笑いの声でつぎのように返事しています。 「満足なんかするわけないじゃない。もっともっと苦しめてやりたかった。全然足りなかったわよ。兄さんもあの女も、あたしの味わった苦しみの半分も知りやしなかったんだから」 杉村三郎が彼女のそんな発言に対し、「あなただけではない。世の中であなた一人だけが、格別に不公平に、不幸を背負わされているいるわけではない。誰でもみんな、何かしらの重荷を抱えているんですよ」と当然すぎるほど当然の発言をしたとき、予想通り彼女は「有難いお説教ね」と言った後、「フン、あんたなんかに何がわかるっていうのよ。自分は重荷を背負ってもいないくせに」と反論を始めようとします。 原田いずみに対する杉村の発言は彼女を諌める効果を果たすどころか、かえって彼女の怒りの炎に油を注ぐ役割しか果たさなかったようです。それはそうでしょうね。インターネット検索エンジンでこの本に対する読者の感想文を読んでいて、ときどき主人公の杉村が好きになれないという感想がありますが、私たちの心のなかにある原田いずみ的側面の正直な告白のような気がしました。 みんな心の中に原田いずみ的側面を持っていますよね。嗚呼、なんて自分は不幸なんだろう、なんで人は自分のことを分かってくれないのだろう。なんでそんなに意地悪されなきゃならないんだろう。そんな思いを一度も感じたことがないなんて人は非常に少ないのではないでしょうか。そして、相手に対し、或いは世間一般に対しの言い知れぬ悪意が心の底にとぐろを巻き出すかもしれませんね。 原田いずみが杉村三郎に「あんたなんか大嫌いよ!」と言ったり、「死んじまえ、ゲス野郎!」と言った罵詈雑言を浴びせていますが、匿名掲示板を見ていますと、有名人に対して対する激しい悪罵が繰り返し書き込まれたりしています。これなんかは自分自身の心の中にわだかまる悪意をそんなやり方で発散しているのかもしれませんね。そのように、多くの人はその心の暗い部分をいろんな方法でなんとか制御し、そうすることによって特に大きな問題も起こさずに過ごしているのですが、原田いずみのように心に生じる悪意をどうしても制御できず、すっかり「身体の内の"毒"」にあたって常軌を逸した行為に走ってしまう人もいるのですね。 まあ、読者のみなさんも杉村三郎に対して「あんたなんか大嫌いよ!」と言うだけなら何も問題がありませんが、なぜそんな思いを持つのか自分の心の中を覗いてちよっと考えてみるのもいいかもしれませんね。あっ、この文章を読まれて自分のことを言われたと腹を立てられた方もおられるとかもしれませんね。しかし、決してそうではありませんよ。そうではなくって、私自身の心にわだかまる悪意を見つめなおしながら書いただけのことですので、そのことをどうかご了解ください。 なお、私は今日からしばらく出張に出かけますので、もしコメントをいたたいてもお返事が遅れるかもしれません。
2006年09月04日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 宮部みゆきの『名もなき毒』が幻冬舎から出されましたね。この小説は、北海道新聞、中日新聞、東京新聞、西日本新聞、河北新報、中國新聞の6紙に連載されていたものを単行本化したもののようですね。 「中日新聞」2005年2月16日の社告で、「次の朝刊連載小説 宮部みゆき・作 杉田比呂美・画 名もなき毒」との見出しで、「企業内広報紙の記者兼編集者・杉村三郎が事件を解く現代ミステリー『誰か』の第二弾。今回は首都圏で連続する毒入り飲料無差別殺人事件に挑みます。ご期待ください」とありますように、宮部みゆきの『誰か Somebody』(実業之日本社、2003年11月25日)の続編です。 この本を購入した翌日、職場への行き帰りのバスの中でも読んだのですが、帰りのバスのときは、この本がとても面白いのでついつい無我夢中になって読みふけってしまい、いつのまにかそのまま終点に到着してしまいました。しかし幸いなことに、拙宅はバスの終点からさほど遠くないところにあるので問題はありませんでしたが、前などはある本に夢中になって目的地を乗り越して、そこからかなり離れた終点まで行ってしまったことがありました。そのときは、仕方がないので終点からテクテク歩いて目的地まで行きましたが、本来の到着時間より30分近く遅れてしまったものです。 では、『名もなき毒』のどんなところに私が惹きつけられたかといいますと、それはこの小説の登場人物の一人である原田いずみの強烈な個性に対してなんですね。えっ、よほど魅力的な人物なんだろうですって。とんでもありません。こういう人物とは絶対に知り合いになりたくありませんし、ましてや主人公の杉村三郎のように職場で一緒に仕事をするなんて悲劇的な状況に陥ったりしたくはありません。 杉村三郎は今多コンツェルンのグループ広報室に勤務しているのですが、そこのアルバイト募集に応募して88倍の難関を突破して採用されたのが原田いずみでした。彼女の履歴書や本人の話によりますと、都内の有名私大の文学部を卒業後、ビジネス関連書籍を扱う編集プロダクションに3年ほど勤務していたが、あまりの激務に身体を壊して退社したということでした。 しかし、実際に採用された彼女は、前に編集に従事していたというのにその仕事が全く出来ず、失敗ばかり繰り返し、問題を指摘されると激高して諍いや口論を引き起こし、すっかり職場のトラブルメーカーとなってしまいます。 結局、無断欠勤を1週間も続けたので原田いずみは広報室を解雇されることになりますが、そのことを逆恨みした彼女は、杉村三郎たち職場の人々に常軌を逸した陰湿な復讐を企てることになります。 『名もなき毒』は、首都圏で起こって4人の犠牲者を出した連続無差別毒殺事件とこの原田いずみの杉村三郎たちへの不条理な復讐行為とを交差させながら展開していきますが、私などは人間的に病んでいる原田いずみの言動に一番強いインパクトを与えられました。それは彼女の行為は確かに常軌を逸したものなんですが、しかし他人事とは思えないものを感じたからです。 しかし、誤解をしないで下さいよ、私が「他人事とは思えないものを感じた」と言いましたが、それは原田いずみのような人物の被害者となる可能性に対してのみ言っているのではないんですよ。私自身の心の中に原田いずみ的な暗い部分があり、またそれがときに抑制できずに外に出てくることについても「他人事とは思えないものを感じた」と言っているのですよ。 この『名もなき毒』について、この小説を連載した「中日新聞」の2005年2月16日に載った「作家の言葉」のなかで、宮部みゆきはつぎのような発言をしています。。 「人は誰でも心のなかに暗い部分を持つものですし、それは恐ろしいことでも、悪いことでもありません。ただ、暗い部分を制御できなくなると、時として自分にも周りにもつらいことが起こります。理屈はわかっているのに、身体の内の"毒"にあたってしまう-現代人の分身を描いてみたい。」 今回、実際に『名もなき毒』を通読して、書き手の宮部みゆきのこの言葉の意味がよく分かりまし。では、「身体の内の"毒"」とはどんなものなのでしょうか。その「名もなき毒」についてつぎに考えてみたいと思います。
2006年09月01日
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宮部みゆきファンのみなさん、こんばんは、やまももです。 もうお気づきになられた方もおられると思いますが、拙HP「私の宮部みゆき論」のトップ頁に載せていました掲示板「みんなで語る宮部みゆき作品」のアイコンを諸般の事情から削除いたしました(ただし同掲示板そのものは残しています)。それで宮部作品関連のコメントをもし寄せていだく場合は、この「ポンコツ山のタヌキの便り」のBBS或いは関連記事のコメント欄に書き込んでいだけたらありがたいと思います。 さて、宮部みゆきの『名もなき毒』という小説が幻冬舎より8月下旬に発売されるようですね。この作品は『誰か Somebody』(実業之日本社、03.11.25)の続編のようですよ。 この『名もなき毒』については、フクロウさんがまず昨年の2月17日に掲示板「みんなで語る宮部みゆき作品」に「中日新聞朝刊の連載で、みゆきさんの『誰か』の続編?/連載が始まるようです。毎朝の楽しみができました」と情報を伝えて下さり、さらに同掲示板に佐藤さんがその2日後(2005年2月19日)に「3月1日から「誰か」の続編で「名もなき毒」が東京新聞(中日新聞)で連載スタートします」と教えてくださいました。 それで私も調べてみたのですが、宮部みゆきの新聞連載小説「名もなき毒」が中日新聞、東京新聞、西日本新聞、北海道新聞で連載されることが判りました。例えば、「中日新聞」2005年2月16日の社告では、「次の朝刊連載小説 宮部みゆき・作 杉田比呂美・画 名もなき毒」との見出しで、「企業内広報紙の記者兼編集者・杉村三郎が事件を解く現代ミステリー『誰か』の第二弾。今回は首都圏で連続する毒入り飲料無差別殺人事件に挑みます。ご期待ください」とありました。また、「作家の言葉」としてつぎのような発言が紹介されていました。 「人は誰でも心のなかに暗い部分を持つものですし、それは恐ろしいことでも、悪いことでもありません。ただ、暗い部分を制御できなくなると、時として自分にも周りにもつらいことが起こります。理屈はわかっているのに、身体の内の"毒"にあたってしまう-現代人の分身を描いてみたい。」 私は8月下旬発売予定の『名もなき毒』をとても楽しみにしています。
2006年08月07日
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やこめっちさん、初めまして、やまももです。 私が運営しております「私の宮部みゆき論」の「みんなで語る宮部みゆき作品 掲示板」にコメントをいただき、さらに「前々から、このサイトのことは興味深く見せていただいていました」とのありがたいお言葉をいただき、本当にありがとうございました。 それで、運営しておられるブログ「きままな読書日記」を拝見させてもらいましたが、数多くの時代小説を読んでおられることに驚かされました。 宮部みゆきの小説も11作品紹介しておられますが、『模倣犯』以外はすべて時代小説なんですね。本当に時代小説がお好きなようですね。 私も宮部みゆきの時代小説が大好きなんですが、その多くが短篇集であるため、コメントを書くのに苦労させられます。そのためか、彼女の時代小説について言及したメッセージをいただくことはあまり多くありません。それだけに、宮部みゆきの時代小説についての数多くのコメントをとても興味深く拝見させてもらいました。 それから、宮部作品を原作とするTVドラマや映画もご覧になっておられるようですね。私はNHKの「茂七の事件簿」シリーズが特に好きで、全て欠かさず見ているのですが、やこめっちさんもきっと熱心に見ておられたことと思います。 これからもよろしくお願いいたします。
2006年07月13日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 私は宮部みゆき作品のファンで、彼女が書いた『ブレイブ・ストーリー』も楽しく読んでおり、私が運営していますHP「私の宮部みゆき論」に同小説についての感想を書いています。また、拙HPの「我らが隣人の宮部さん」にも多数の方からいただいたコメントを載せています。 それで今日がアニメーション映画「ブレイブ ストーリー」の封切り日だというので、朝の仕事が終わった後、すぐにアミュプラザ鹿児島6階の鹿児島ミッテ10まで同映画を観に行きました。観客は7割ぐらいの入りで、親子連れや若い人が多いため、私のようなオジサンはなんだかとても場違いな感じがしました。 それで映画についての感想なんですが、ワタルの声優を担当した松たか子とてもよかったですし、ミツル役のウエンツ 瑛士もよく感じを出していたように思いました。ただ、アニメのキャラクターたちは、宮崎アニメと比較してもう一つ魅力に欠ける様な気がしました。風景や建物の描き方にあまりも厚みや深さが感じられませんでした。 パンフレットに載っている「製作総指揮 亀山千広 インタビュー」に「宮部さんが原作で書かれたテーマは、『願い事のためなら何をやってもいいのか』という極めてシンプルなもの。そんなことは絶対に許されるはずがありません」とあり、映画は原作のテーマを生硬な感じがするほどストレートに打ち出していました。しかし、原作が長篇なためにストーリーはかなり変えられ簡略化されていました。特に、原作では、幻界が現実世界と同様に地域間、種族間、宗教間の対立や差別、抑圧が存在する世界なのですが、そんな幻界の社会的矛盾が映画では全く描かれていませんでした。そのために、原作にあったミツルの幻界に対する憎悪感も全く描かれていません。 そんな幻界でのワタルたちの冒険がどんどん展開していくのですが、音響がズシンズシンと鳴り響くほどには私の心が揺さぶられることはほとんどありませんでした。そんなに悪い映画とは思いませんが、心に残る素晴らしい映画と評価することもできませんでした。
2006年07月08日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 宮部みゆきの『ドリームバスター3』が3月17日に徳間書店から発売されますね。なお、『ブレイブ・ストーリー』の第1巻が出たのが2001年11月、その第2巻が2003年3月、そして第3巻が2006年3月出版予定ということですから、前より出版間隔が長くなっていますね。確か、作者の宮部みゆきがこのシリーズは全部で5巻ぐらいになると言っていた様に記憶しているのですが、この調子でいくと、第4巻は6年後の2012年頃なんでしょうかね。まあ、全巻が揃うのを気長く待つ必要があるようですね。
2006年03月10日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 宝島社から2003年9月に出版された別冊宝島『僕たちの好きな宮部みゆき』は、宮部作品に対するファンの思い入れレビューがメインで、私も同書に「映画『模倣犯』に寄せるごく私的レビュー」、「宮部みゆき『長い長い殺人』に見る財布が語る効果」、「私のホームページの『模倣犯』論議」の3つのレビューを書かせてもらっています。 特に、最後の『模倣犯』レビューは、私の運営しています「私の宮部みゆき論」の掲示板に寄せていただいた同作品についての貴重なコメントを私なりにまとめたもので、とても思い出深いものがあります。 なお、同書については、すでに拙ホームページに「宝島社の宮部ムック」と題して拙文や宮部ファンの方のご意見等を載せて紹介しています。 そんな『僕たちの好きな宮部みゆき』が今月(2月)20日から宝島社文庫になって新たに発売されています。まだ私自身は入手していないのですが、もし興味を持たれてご覧になられた方がおられましたら、どうかご感想を寄せてくださいね。楽しみにお待ちしております。
2006年02月23日
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私の運営いたしますホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板に、今日久しぶりに宮部みゆき作品についての書き込みがありました。投稿者は12歳(もう13歳かな?)のプロローグさんで、投稿内容は『龍は眠る』についてのコメントでした。 この『龍は眠る』については、前に私はプロローグさんと論議をしたことがあります。若いプロローグさんは「人の役に立ちたい。私はサイキックでもなんでもないけれど、何かしら、生きている意味を見つけ出したい」という思いをコメントの中で強調されておられましたので、ついポンコツ山のタヌキ状態の私は、人の心を読み取ることの出来るサイキックの苦悩を強調するようなお返事を書いてしまいました。 そしてプロローグさんから今回改めていただいたコメントには、人の心を読める慎司と直也は、そのために「とても辛い日々があった」だろうが、しかし、その能力によって「人の役に立つ」ことが出来たのであり、「いくら自分が傷ついても、それで他の人が喜んでくれるなら、それでいいと思います」とのプロローグさんご自身の強い思いが打ち出されていました。 ポンコツ山のタヌキには、このようなプロローグさんの「人のために役に立ちたい」という思いはとても新鮮なものでした。それで、「我らが隣人の宮部さん」の『龍は眠る』関連のページに転載させてもらいました。 プロローグさんも、今後いろいろ人生経験を積まれる中で人の世の裏表を見聞きされることになると思いますが、若い日に『龍は眠る』を読まれたときに感じられた様な思いをいつまでも心に持ち続けていただきたいものだと思います。
2006年01月07日
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新潮文庫の『模倣犯』の第4巻、第5巻もすでに発売され、これで文庫版全巻が揃いましたね。 右上に掲載したのは、文庫版『模倣犯』第5巻のカバー表紙ですが、装丁はもちろん藤田新策が描いています。HBSというテレビ局の建物の上に懸かる大きな満月がなんとも不気味ですね。HBSといえば、このHBSの報道特番に出演したフリーライターの前畑滋子の口から小説の題名となった「模倣犯」という言葉が発せられるんですね。 ところで、宮部みゆきがこの文庫版『模倣犯』第5巻に「文庫版のためのあとがき」を載せているのですが、やはり藤田新策の装丁についてつぎのようなコメントを書いていましたよ。「大橋歩さんに装丁していただいた小学館刊行の単行本上下巻の姿があまりに美しかったので、さて文庫版はどうすればいいものかと頭を悩ませたのですが……案ずるより産むがやすし。藤田新策さんに素晴らしい『五連作』の装丁をいただくことができました。藤田さん、いつもありがとうごぎいます。制作進行中から、装丁画のカラーコピーを見るたびに、やっぱり藤田さんはカッコいい! と歓声をあげておりました。」 文庫本で初めて『模倣犯』をお読みになられた方もたくさんいらっしゃると思いますが、どのような感想を持たれたのでしょうかね。読了されたら、ぜひ感想をお聞かせくださいね。
2005年12月26日
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最近購入した本に増田真樹『超実践! ブログ革命』(角川oneテーマ21、2005年12月)があります。副題が「共感が広がるコミュニティ作り」となっており、ブログをそのような観点から意味づけようとするなかなか面白い本なんですが、読み進んでいきましたら同書の後半の頁に「浅草雷門は松下電器製」という言葉が出てきて、浅草雷門についてつぎのような事実を紹介していました。私のプログで「浅草雷門は松下電器製」というエントリーを書いたことがあります。みなさんご存じ東京浅草の顔である雷門は、一九六〇年に松下幸之助率いる松下電器が中心となって再建したものなのです。度重なる焼失で復旧の目処が立たなかった時、「東京浅草の顔がないのはどうか」と松下幸之助が建造費を負担して現在の雷門と提灯、二神像を寄贈したとのこと。実は九十五年間も雷門は無かったのです。 みなさんは、松下幸之助が1960年に雷門の建造費を負担して再建するまで95年間ずっと浅草に雷門が存在していなかったなんてことをご存知でしたか。いえね、私もつい最近までそのことを知らなかったんですよ。しかし、そのことを知らなかったのは私だけではないようです。我らが隣人のあの宮部さんも知らなかったようですよ。宮部みゆきは1960年生まれですから、彼女が物心ついた頃には、浅草の雷門はまるで昔からずっとそこに建っていたような顔をして浅草に存在していたんですね。 そのためでしょうね、彼女が書いた『蒲生邸事件』において、平成四(1992年)年から二・二六事件当時(1936年)の東京にタイムトリップしていた孝史が現代に戻るとき、ふきに東京での再会を約束し、「ふきさんはどこを知ってるの?」と訊いているのですが、ふきはそのときに雷門の名前をあげ、楽しそうに両手を広げ、「大きな提灯がありますね? 上京してきてすぐに、口入屋さんで一緒になった女の子と遊びに行ったんです。ほんの短い時間でしたけど、にぎやかで楽しかった」と言っています。 ところが、この『蒲生邸事件』のふきは1916年4月20日生まれという設定になっているんですね。そんなふきが1960年に再建されるまで95年間ずっと浅草に存在しなかった雷門の大きな提灯を実際に見ることはありえないですね。このことについては、拙ホームページの「『蒲生邸事件』で孝志とふきが待ち合わせを約束した浅草の雷門」という箇所に書いていますので、もし興味がございましたらご覧下さいね。
2005年12月19日
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ひろさん、こんばんは、やまももです。 ひろさんの「お気に入り作家(殿堂入り作家)”は現在6名おり、次の7人目の座をかけて(?)宮部みゆきさん・横山秀夫さん・浅田次郎さん他が争っている」とのことですね。しかし、殿堂入りというのでしたら、別に七福神なんて限定されずに、気に入られた作家をどんどん殿堂入りさせられたらいかがでしょうか。なんせ日本は古来から八百万神(やおよろずのかみ)を拝んできたんですからね。 ところで、宮部みゆき作品に関しまして、「やまももさんのオススメはどれでしょうね」とのお尋ねですが、前にトラキチさんのブログで行なわれた「宮部みゆき(投票&ランキング)」には、1位に『火車』、2位に『模倣犯』、3位に『孤宿の人』を推しておきましたよ。 あれっ、このトラキチさんのブログへの投票といえば、ひろさんもこの投票に参加しておられ、1位『魔術はささやく』、2位「サボテンの花」(『我らが隣人の犯罪』に収録)、3位『火車』としておられましたね。 しかし、この投票時にお読みになった作品以外にも、さらにもっと気に入られるものがどんどん出てくるかもしれませんね。できましたら、これからもいろんな宮部みゆき作品を時間を掛けて大いに楽しんでもらいたいと思います。
2005年12月18日
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ひろさん、atomさん、こんばんは、やまももです。 ひろさんは、私のブログに昨日寄せてくださったコメントのタイトルを「宮部は雅(みやび)?」としておられましたね。普通は「雅」の反対語は「俗」ですよね。しかし、これまで「市井もので、庶民の強さとか善良さとかすばらしさを書いてきた」庶民派の宮部みゆきは、「俗」に徹することで作品に「雅(みやび)」な雰囲気を生み出している作家なのかもしれませんね。 それから、ひろさんは『読むのが怖い! 2000年代のエンタメ本200冊徹底ガイド』を持っておられ、その中の北上次郎と大森望の宮部みゆきについての対談も読んでおられたんですね。ところで、コメント文中の「私のブログで宮部さんの七福神入りをかけた作品を『ブレイブ・ストーリー』にするか時代物にするか迷っているところです」という箇所の文意が最初よく分かりませんでした。 ひろさんがブログで、七福神参りと関連させた宮部みゆきの作品として最も代表的なものを挙げる場合、『ブレイブ・ストーリー』がいいのか、それとも他の時代物作品がいいのか、そのことについて迷っておられるのかと最初は思いましたよ。しかし、どう考えても『ブレイブ・ストーリー』と七福神とは関係がなさそうです。そうしますと、ひろさんがこれまで宮部みゆきの小説を6作品まで読んで来ておられ、つぎの第7番目の宮部作品を『ブレイブ・ストーリー』にするか時代物にするか迷っておられるということなんでしょうか。うーん、いろんな意味で難しい問題ですね……。atomさん、私がのトラックバックでお送りした文章に対し、とてもご丁寧なお返事をこのブログのコメント欄に寄せていただき、心から感謝いたします。 atomさんはご自身のブログで『孤宿の人』の書評を書いておられ、この作品について「切ないし物悲しいけれど、不思議と清涼な読後感。 /時代小説というくくりだけでなく、すばらしい物語でした」と高く評価しておられましたね。 そんなatomさんが拙文をご覧下さって、宮部みゆきには「江戸物を書いたという蓄積があったからこそ、『孤宿の人』での底辺の人々の描写があったのかと、改めて思いました。やはり宮部は事件ではなく人を描く作家なのですね」と書いてくださってますね。「名もなく毎日懸命に働いてお足を稼ぐ庶民」たちが、自藩存続のためには手段を選ばぬ権力によって理不尽な犠牲を強いられ、翻弄され、挫折していく悲しい姿に強く心を打たれますね。 それから、トラックバックの件でさらに詳しくお調べになり、「トラックバックスパムを防ぐため、いくつかのレンタルサーバー(含楽天ブログ)ではFC2ブログからのTBは弾かれている」ということが判明したのですね。それでは本当に仕方がないですね。なお、応急措置として、atomさんのブログ記事内に拙ブログへのリンクを貼ってくださるとのこと、それは大変光栄なことです。勿論喜んで承諾させてもらいます。
2005年12月17日
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atom さん、こんばんは、やまももです。 宮部みゆきのインタビュー記事が載っていると教えてくださいました『読んで悔いなし!平成時代小説』(辰巳出版)が手に入りましたので、同書掲載の彼女へのスペシャルインタビューをとても興味深く読むことができました。 ところで、いまから5年以上前に私は拙HPに「『初ものがたり』に見る江戸時代の影の部分」という文章を書いています。 私はこの拙文のなかで、『初ものがたり』には「江戸時代の光と影のその影の部分がきちっと描かれている」とし、作者の宮部みゆきがこの時代に存在した貧しさ、不安定さ、無権利状態、封建的身分制度、姑の嫁いびり、役人の賄賂等々の社会の影の部分をしっかりと描きこんでおり、「だからこそ、そこに生きる市井の人々の喜びや哀しみが読者の心を強く打つのである。闇があるから、そこに点る灯りがたとえ小さくてもとても輝いて見えるように」と書きました。 私がこの拙文を書いたのは、あるインターネットの掲示板に、宮部みゆきが描く江戸の市井人情ドラマに深く感動した読者の一人が「自分も江戸時代に生まれたかった。現代と違い、この時代には心が豊かな生活があった」といった主旨のコメントを寄せているのを目にしたからでした。 しかし、上記の拙文で私が指摘しましたように、宮部みゆきは江戸時代の影の部分をしっかりと描きこんでいるのです。ただ、彼女が「毎日新聞」2005年7月14日の東京夕刊のインタビュー記事で「偉い役人や金持ちの町人より、名もなく毎日懸命に働いてお足を稼ぐ庶民の方が、一番正しく、温かい」として描き出した江戸の市井に生きる人々の姿には、やはり読者の心をつかんで離さない魅力がありました。 ところが、今年の6月に出版された宮部の新作『孤宿の人』においては、四国の丸海藩が作品の舞台となっているのですが、この丸海藩の存続を全てに優先させ、自藩存続のためには手段を選ばず、不祥事は徹底的に隠蔽し、そのために藩内に生きる様々な人々に理不尽な犠牲を強いていく、そんな組織の非情さ、酷薄さがリアルに描かれていました。 こんな『孤宿の人』について、宮部みゆきが『読んで悔いなし! 平成時代小説』(辰巳出版、2005年11月)に載っている彼女へのスペシャルインタビューのなかで、つぎのような興味深い発言をしていました。 江戸時代の藩単位の世界って小さいですから、あるポジションにいる人はだいたいどんなことも知っている。それをすべて明らかにするのはまずいから伏せてるだけ。でも、庶民はなんにも知らないからちらっと見えたことにものすごくおびえたり怒ったり、なんとかしようとして、なんともできずに途中で挫折したり殺されたり、逃場がなくなっていく。これは現代小説ではすごく書きにくいんですよね。現在ならインターネットを武器にすればたった1人の市民だって社会問題を把握することができると思うんです。ただ、そういう時代じゃなかったころの市民、庶民というのは、なにかあったときにはいちばん弱い存在だったはずです。 いままで私は市井もので、庶民の強さとか善良さとかすばらしさを書いてきたんですけど、江戸を舞台に選んで書く以上、やっぱり封建社会における階級制度のなかの庶民のせつないほどの立場の弱さというものにちゃんと向きあって、庶民万歳じゃなかったんだということは書かなきやいけないという気持ちはありました。 同上のインタビューによりますと、こんな『孤宿の人』を宮部みゆきは『日暮らし』と隔月で書いていたそうですが、『日暮らし』では楽しく書き、つぎに『孤宿の人』を書くと気が滅入り、「気が滅入って明るくなって、気が滅入って明るくなって(笑)、バランス感覚としてはちょうどよかった」と言っています。 うーん、確かに両作品の雰囲気は対照的で、書き手の宮部みゆきが両作品を隔月で書くことによって精神的バランスを取っていたという発言の意味がよく分かるような気がします。
2005年12月16日
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12月11日に「『孤宿の人』についての大森望の評価」と題した拙文を載せましたが、これはSIGHT編集部・編『日本一怖い! ブック・オブ・ザ・イヤー 2006』(ロッキング・オン、2005年12月)に載っていた翻訳家・評論家の北上次郎とミステリー評論家の大森望との対談から引用して紹介したものでした。 その北上次郎と大森望とが2001年から2004年にかけて計14回にわたってエンタメ本について語り合った対談集が『読むのが怖い! 2000年代のエンタメ本200冊徹底ガイド』(ロッキング・オン、2005年3月)という本です。 なぜ私がこの本を買ったかといいますと、その答えは単純明快です。北上次郎と大森望のご両人がこの本の中で宮部みゆきのことをとても高く評価しているからです。例えば、立ち読みしていて、つぎのような文章が目に入ってしまったら、どうして買わずにおれるでしょうか。 大森 僕、いつも駅前の喫茶店で仕事してるんですけど、そこのおばさまがたとの最近の話題は、もっぱら宮部みゆき(笑)。何か一冊読むたびに、「宮部さんの何々を読んだんですけど、あれは面白かったです」って話をしにきて(笑)。「今まで小説なんかほとんど読まなかったんだけど、宮部さんだけは別」って。たまにダブった本をあげるとすごく喜ばれる。ふつうの人との会話のネタは主にサッカーと宮部みゆき(笑)。 北上 そう、ふだん本を読んでない人でしょ? ふだん本を読んでない人から、我々みたいに商売で読んでる人間まで納得させるんだもんね。だから国民作家っているじゃないですか? 昭和三〇年代の吉川英治とか、そのあとの司馬遼太郎とか。でも、司馬遼太郎の次は誰かっていうと、宮城谷昌光とか池宮彰一郎とかって言われるけども、もしかすると宮部みゆきじゃないかっていう気がする。 そんな北上、大森のご両人の間で評価が大きく分かれたのが『ブレイブ・ストーリー』なんですね。大森望が「これ、宮部さんは『ファンタジーが苦手な人にも読んでもらいたい』と言ってて、その重要な試金石が北上次郎なんです(笑)。つまり、ファンタジ一嫌いの北上さんでも面白いと言えば成功だと」との発言に、すかさず北上次郎が「これは面白かったよ! うまいね~、やっぱり、宮部みゆきは」と応じ、つぎのように大絶賛しています。 北上 ファンタジー嫌いとしては、魔物や魔法が出てきた時点でダメなんだけど、これは気にならない。これはうまさだね、宮部みゆきの。少年が異世界に入る前の現実世界の話が長過ぎるという批評があるけど、それも気にならなかった。むしろそれが旅の動機づけなわけだから、これくらいあっていいよね。あの部分があるから異世界の旅が単なる絵空事で終わらない。すばらしいよ、これは。 なお、大森望はSFやファンタジーに詳しく、「うまいとは思いますけど、個人的にはちょっとベタ過ぎる。特に、異世界へ行っちゃってからは、まるで存在しないRPGのノベライズみたいな雰囲気で。こういうのは昔さんざん読まされたから、もういいよと……」としており、、北上から「ちょっと待って! こういう主人公がゲームみたいな旅に出るという骨格の小説って、さんざんあるの?」との質問に、「ありますね」と答えて、つぎのような作品名を挙げています。 大森 源流をたどれば、それこそ『ナルニア国ものがたり』(C・S・ルイス/岩波書店)があるし、日本では新井素子の『扉をあけて』(集英社コバルト文庫)とか。RPG型の冒険ファンタジーは、八〇年代末から九〇年代半ばにかけて一大ブームを巻き起こしたんですよ。『ロードス島戦記』(水野良/角川スニーカー文庫)なんて数百万部の大ベストセラーだし。『スレイヤーズ!』(神坂一/富士見ファンタジア文庫)、『フォーチュン・クエスト』(深沢美潮/電撃文庫ほか)、《エフエラ&ジリオラ》(ひかわ玲子/講談社X文庫)……。 私も北上次郎同様、ファンタジーが苦手で、大森望が上に挙げた作品のどれも読んだことがないので、ファンタジー作品としての客観的評価など全く出来ないのですが、少年が異世界で剣と魔法を使ってRPG的冒険を繰り広げる『ブレイブ・ストーリー』をちゃんと最後まで読み通すことが出来ましたよ。読後の感想は、拙HP「私の宮部みゆき論」に「『ブレイブ・ストーリー』に見るジュブナイル風SF」と題して載せておきました。 さて、そんな宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』を原作とするアニメ映画が来年の7月8日から上映されるそうです。このアニメ映画の公式サイトでは、ワタルを松たか子、キ・キーマを大泉洋、カッツを常盤貴子、ミツルをウエンツ瑛士、オンバを樹木希林が声優をつとめることが紹介されています。映画予告編のアニメ映像も素晴らしく、とても期待が持てそうですよ。
2005年12月15日
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atomさん、お久しぶりです。atomさんが運営しておられるブログ「ナナメ読みつれづれ」にお邪魔させてもらったのが11月末でしたが、昨日の拙文で紹介いたしました『孤宿の人』についての大森望の評価をご覧下さり、わざわざご丁寧なコメントをいただき、とても感激しております。 atomさんは、「大森望さんも気になる論客ですので、ご紹介の『日本一怖い! ブック・オブ・ザ・イヤー 2006』もぜひ読んでみたいと思っています」と書いておられますね。この本では、『誤読日記』の著者の斎藤美奈子も高橋源一郎と「文芸・評論」について対談形式で論じ合っていますよ。 その対談で、斎藤美奈子が読書世論調査について言及し、「中学生だと2.5冊から3冊 ぐらい。高枚生で2冊を切る。読書世論調査というのもあるんだけど、十代は4冊ぐらいだけど、三十代になるとガーツと減って1.5冊とか。右肩下がりなの。それは五十年間ずーっとそうでね。ってことは若者の活字離れってのは流言飛語だったんですよ(笑)」とし、「平均的な日本人の活字解析能力は中学生なのよ」「しかも一番読むのが小・中・高だから、中学生・高校生も読むし、中学生ぐらいの頭の大人も読む、っていう本が売れるわけ(笑)」と言っていますよ。彼女が『誤読日記』で紹介している売れ筋本のタイトルやその内容からも、なんとなくこの指摘が当たっているような気がして来ます。 その他、「ベストセラー」について宮崎吐夢と篠崎真紀、「ビジネス&サイエンス」を稲葉振一郎と山形浩生、「コミック」を村上知彦と南信長、「海外書評」をNYタイムズ専属書評家のミチコカクタニ、そして「タレント本」を吉田豪が論評する等、なかなか興味深い内容でした。 ところで、宮部みゆきのインタビュー記事が載っているという『読んで悔いなし!平成時代小説』(辰巳出版)のご紹介、ありがとうございました。私はまだ未読です。宮部みゆきが『日暮』『ぼんくら』『孤宿の人』について語っているとのこと、それは興味深い内容ですね。書店で探してみたいと思います。貴重な情報をありがとうございました。 これからもよろしくお願いいたします。
2005年12月12日
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SIGHT編集部・編『日本一怖い! ブック・オブ・ザ・イヤー 2006』(ロッキング・オン、2005年12月)で、翻訳家・評論家の北上次郎とミステリー評論家の大森望とが対談形式で2005年のエンターテイメント作品について論じ合っていますが、宮部みゆきの『孤宿の人』(新人物往来社、2005年6月)も俎上にのせて論評していました。 大森望は、『孤宿の人』について、「実はこれ、宮部さんの時代小説長編では最高傑作じゃないかとひそかに思ってるんですよ。といっても、今までの江戸物とはかなり方向性が遣うんですけど。これまでは、ミステリの枠組みがまずあって、背景が時代小説っていう感じ。今回はもっと踏み込んで、個人の因縁を超えた大状況を描いている。しかも、核心になるのは、日本的な自己犠牲のドラマですよね」と述べています。 そして、「今回は、江戸を離れたことで、従来の得意技をあえて封印しているようなところもある」とするとともに、上述の「個人の因縁を超えた大状況」についてつぎのように指摘しています。「最初に起きた小さな事件の構造が、やがて藩全体の問題に拡張されて、更に広げると将軍家と丸海藩と加賀様の関係に重なる。不祥事を隠蔽して穏便に決着させるためにあれこれ努力するって意味では、それこそ横山秀夫なんかの警察小説とも重なるような現代性があるし。これまでの時代物で描いてきた人間関係のドラマが組織のドラマに広がった感じですね」 「横山秀夫なんかの警察小説とも重なるような現代性」というのは、『孤宿の人』において、藩の存続を全てに優先させ、自藩存続のためには手段を選ばず、不祥事は徹底的に隠蔽し、そのために藩内に生きる様々な人々に理不尽な犠牲を強いていく、そんな組織の非情さ、酷薄さがリアルに描かれてことを指摘して言っているのかもしれませんね。 これまでの宮部みゆきの時代小説の読者の中には、「昔はよかった、現代と違い、心が豊かな時代だった」なんてステレオタイプな感想を述べる人が結構いましたが(なんと、昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のレビューもそんな類の感想で溢れています)、『孤宿の人』を読んだ後に、江戸時代の丸海藩に生まれたいと思う人はあまりいないのではないでしょうか。 『孤宿の人』によって新境地に挑んだ宮部みゆきは、「毎日新聞」2005年7月14日の東京夕刊に載ったインタビュー記事でつぎのようなことを語っています。「偉い役人や金持ちの町人より、名もなく毎日懸命に働いてお足を稼ぐ庶民の方が、一番正しく、温かい。これまで私はそう書いてきました。今回のように、善良な庶民がどんどん死んだり、不幸になったりする話を書いたことはなかったのです。でも、封建制度の江戸時代には、どんなに心の温かい庶民も権力に対しては無力であり、割を食ったり、犠牲にならなければならないことが多かった。そこを一度、しっかり書きたいと思い続けていました」
2005年12月11日
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ひろさん、ゆきうさぎさん、昨日の拙文へのコメントをありがとうございた。 ひろさん、今朝の出勤前、わざわざ書店に立ち寄って新潮文庫版の『模倣犯』のカバー装画が藤田新策によるものであることをを確認してくださり、心からお礼申し上げます。職場のパソコンで午前中にいただいたコメントを拝見し、とても嬉しかったですよ。「事件現場を描いているのでちょっと不気味でした」ともコメントしておられますね。私も帰宅途中に購入してきましたが、特に第1巻のどんよりとした雲間に輝く満月が不気味で、この小説に描かれた悲惨で重苦しい犯罪事件を象徴しているように感じました。 ゆきうさぎさんからいただいたコメントも職場で確認させてもらい、とても嬉しかったです。ところで、「時代物文庫は全て藤田新策さんかも」と書いておられますが、実は宮部みゆきの時代物文庫のカバーに別の画家も描いているんですよ。講談社文庫の『ぼんくら』は村上豊が、角川文庫の『あやし』は方緒良が装画を手がけています。なぜなんでしょうね。特に『あやし』などは藤田新策のこれまでの江戸の闇夜シリーズで統一させた方がよかったような気がするんですけどね……。
2005年12月01日
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ゆきうさぎさん、こんばんは、やまももです。 ゆきうさぎさん、昨日の拙文「『模倣犯』の装画について」にコメントを寄せてくださり、本当にありがとうございました。新潮文庫版の『模倣犯』の表紙の装画について、「全て犯罪の一場面ですね」と書いておられますが、おそらくそうなんでしょうね。また、「『火車』の絵に似てますね」とも書いておられますね。この『火車』の表紙の装画は藤田新策が描いているんですよ。 ところで、『愛蔵版 初ものがたり』(2001年6月)の表紙の装画もその藤田新策が描いています。この装画の夜空には、やはりお月様がいささか不気味な感じで輝いていますね。宮部みゆきは、同書の後ろに書き添えた「読者の皆様に」で藤田新策の装画についてつぎのように述べています。 この愛蔵版では、藤田新策さんに、新しく装画をお願いいたしました。藤田さんには、わたしの時代小説の文庫版の装画をすべて手がけていただいておりまして、いずれは表紙を見るだけで、『あ、藤田さんの時代ものだ」「ということはこれはミヤベの時代小説だ」とピンとくる――というふうになることを、実はヒソカに狙っております。 なお、藤田新策の公式サイトには、江戸川乱歩やルパンシリーズなどの装画を中心とした作品ギャラリーが展示されています。 それで、新たに新潮文庫として出版されました『模倣犯』はもちろん時代小説ではありませんが、紀伊国屋書店のホームページに紹介されている同書の表紙の装画を見たときに、これはきっと藤田新策が描いたものではないかと思いました。ただ、今日も書店まで確かめにいく時間が無く、私自身はそのことを確認できていません。もし、すでに購入しておられる方がいらっしゃいましたら、装画の作者の名前を教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
2005年11月30日
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私は新潮文庫版の『模倣犯』をまだ手に入れていないのですが、リアルタイムブログサーチ「Technorati」で調べてみましたら、すでにその1巻から3巻を購入された方が何人もおられるようです。 それで、この新潮文庫版の『模倣犯』の表紙の装画がどのようなものか知りたくなり、検索エンジン googlre を使って紀伊国屋書店のホームページに入って同書のことを在庫情報で確認してみました。 新潮文庫版の装画は、3巻ともに月に照らし出された夜の風景ですね。もしかして、この装画は藤田新策によって描かれているのではないでしょうか。藤田新策は、宮部みゆきの代表作『火車』の装画だけでなく、彼女の時代小説の文庫版の装画の大半をも手掛けていますね。 ところで、小学館から出された『模倣犯』上下巻の表紙は誰によって描かれたかご存知ですか。私など団塊の世代には週刊誌『平凡パンチ』の表紙でお馴染みだった大橋歩が描いています。 私のホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板では、大橋歩が装画に描いた人物はいったい誰なんだろうかということが話題になり、いろいろな意見が出されたものです。それで、私は掲示板につぎのような見解を述べてみました。 上巻の人物は小さく描かれ、下巻はそれに比べてずっと大きく描かれています。このコントラストに注目したいと思います。それは「模倣犯」に登場する犯人たちの心理を具象化したものではないでしょうか。すなわち上巻が自己の卑小な存在に劣等感を覚えている心理、下巻が犯罪を行うことによって誇大自己を肥大化させている心理が表現されているのではないでしょうか。 みなさんはどう思われますか。また、新潮文庫版の『模倣犯』の装画の意味についていろいろ考えてみるのも楽しいでしょうね。
2005年11月29日
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アスランさん、こんばんは、やまももです。 アスランさんがご自身運営のブログ「大いなる遡行(アスランの映画クロニクル)」にお載せになった大林宣彦監督の日テレバージョン「理由」についてのご書評、とても的確な批評を書いておられ、大いにうなずき敬服させられました。 それで、アスランさんのこの優れたコメントを私の運営いたしますホームページに転載させていただけないかとお願いしましたところ、快く承諾してくださいました。それで早速、「映像化された宮部みゆき作品」に転載させてもらいました。 なお、いただいたコメントのなかで、「ただ僕はあくまで日テレバージョンを一部だけしか見ていないので、日テレバージョンの方を不当におとしめているのではないかという危惧だけは抱えています」とされ、「もしかしたら斬新な試みというありきたりな言い方になるかもしれませんが、また全部みた際にあらためて意見を書くつもりです」と書いておられますね。 そのときはまた転載させていただいたご書評をご指示に従いまして修正させていただきたいと思っておりますので、いつでもお申し出下さい。すぐに対応したいと思っております。 これをご縁に今後ともよろしくお願いいたします。
2005年11月21日
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『小説すばる』2005年12月号に「志高き者よ、新人賞の門をたたけ!」と題して宮部みゆきと篠田節子との対談が掲載されていましたので、購入して読みました。 宮部みゆきと篠田節子はともに講談社フェーマススクールズのエンターティンメント小説作法教室に通っていたことがあり、今回の対談でも同教室のことが話題になっていました。ただし、宮部みゆきは、1983年5月から四谷駅近くにあったこの教室に1年半ほど通っていたのですが、篠田節子が同教室に通いだしたのは1989年からだそうです。ですから、ご両人は同教室で顔を合わせることはなかったようですね。 なお、宮部みゆきが講談社フェーマススクールズのエンターティンメント小説作法教室に通って小説執筆の修行をしていた当時のことは、私が運営していますホームページの「宮部語録に見る宮部みゆき」の「Q4.宮部みゆきの作家としての修業時代について」ですでに紹介していましたが、今回の対談で興味深かったことは篠田節子の対談冒頭のつぎのような発言でした。「私が初めて講談社のフェーマススクール・エンターテイメント小説教室に行ったのが、平成元年というか、昭和天皇崩御の日なんです。で、その初講義日に『うちの教室からはこれだけの作家を輩出しています』ってパンフレットが配られて、ぱっと開いたら宮部さんの写真が最初に出ていたの。」 宮部みゆきは、篠田節子のこの発言に対して、1987年に「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞をもらっていたけれど、1989年に篠田節子がパンフレットを手にした当時はまだ1冊も出しておらず、同年の2月に最初の本『パーフェクト・ブルー』を出し、続いて同年12月に『魔術はささやく』を出したとしています。 宮部みゆきはこの対談で、この小説教室はすごく活気があったが、月謝が続かず、通ったのは1年半ぐらいで、その後は飲み会だけには参加していたと語っています。それから、宮部みゆきが「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞をもらったときに、同教室の講師をしていた多岐川恭が彼女につぎのようなアドバイスをしたそうです。「会社は辞めちゃいけない。それから、本が出るまでに何年もかかるし、雑誌にもなかなか二作目を載せてもらえないけど、腐らないで書くように。そして、健康に気をつけなさい。チャンスはいつ来るかわからないから、そのときに体を壊しているともったいない」 一人前のプロの作家になるって大変なことなんですね。この他、いろいろ興味深い話がこの対談で語られていますので、特に作家を志される方は必読ではないでしょうか。
2005年11月19日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 宮部みゆきの『理由』を原作にして映画化されました大林宣彦監督の「理由」は、まず2004年4月にWOWOWで放映され、同年の12月からは全国の幾つかの映画館で順次ロードショー公開され、さらに角川エンタテインメントからDVD版が出されていましたが、今年の11月8日にその日本テレビバージョンが日本テレビ系の「ドラマコンプレックス」の番組枠で放映されました。 なお、吉田さんが私の運営いたしますホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板に寄せてくださった情報では、「ドラマコンプレックス」で放送される日テレバージョン「理由」は、「劇場版『理由』を50分カット、10分追撮したようです」とのことでしたが、確かに大林監督の元の映画作品にいろいろ手直しが加えられていました。 日テレバージョンの「理由」をTVでご覧になられた方の人数は、WOWOW、映画館、DVD版で観られた方のそれとは比較にならないぐらい多いと思われます。それで、新たに吉田さん、chia33さん、kinoさん、緋雨閑丸さん、ととさんからいただいた日テレバージョン「理由」についてのコメントを「私の宮部みゆき論」の「映像化された宮部みゆき作品」のコーナーに転載させてもらうことにいたしました。これらの方のコメントをWOWOW、映画館、DVD版にすでに寄せられていた感想と比較することもまたとても興味深いこととに思われますので、みなさまにはぜひご覧いただきたいと思います。
2005年11月15日
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ととさん、こんばんは、やまももです。 「心に残った宮部みゆきの短篇作品」投稿募集に応募して下さるとともに、さらに日テレバージョンの『理由』についてもつぎのようなコメントを下さり、誠にありがとうございました。「こちらではあまり高評価は少ないように見受けられますね.でも,私はとても怖くて画面から目が離せなくなりました.たまたま誰もいなかった家でひとりで見ていたせいもありますが,画面の色や音がとても怖くて怖くて,吸い込まれるように見てしまいました.TVドラマでこんな風に五感に訴えてくる作品は少ないので,画や音の作り方は上手いと感じました.」 なお、評価が異なる一つの理由は、すでに映画版やDVD版を観られた方と今回初めて日テレバージョンをご覧になった方との違いにあるかもしれませんね。吉田さんが私の掲示板に寄せてくださった情報によりますと、「劇場版『理由』を50分カット、10分追撮したようです」とのことで、その追撮部分が、寺田農による番組案内や「ズームインSUPER・夜の特番」のTV番組仕立て、さらにはドラマを演じている俳優たちとそれを撮影するスタッフたちの映像部分でした。 50分カットとそれを補うための追撮部分が映画版やDVD版のよさを台無しにしたと考える人たちが少なからずおられるのですが、私もまたそう感じた一人でした。ととさんは「私も映画版,見てみなきゃって思っています」と書いておられますので、もし映画版(DVD版)をご覧になられたら、ぜひまたご感想を寄せてくださいね。楽しみにお待ちしております。
2005年11月13日
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緋雨閑丸さん、ととさん、こんにちは、やまももです。 私が11月9日にこのブログにアップしましたた拙文「大きく分かれる大林宣彦監督の日テレバージョン『理由』への評価」の最後に「このドラマをご覧になられた方のご意見をさらにいろいろお聞きしたいものだと思っていますので、どうかご投稿をよろしくお願いいたします」と書きましたが、緋雨閑丸さんがご自身運営のブログ「Glass Wonder」に載せられた同ドラマについてのご感想をトラックバックで昨日送ってくださいましたので、その部分を紹介させてもらいます。 火曜日に放送していたドラマコンプレックス「理由:日テレヴァージョン」をようやく見終えました。日テレの公式掲示板で賛否両論だったので不安でしたが、その不安は的中。話自体はなかなかよかったと思いますが、この演出と構成は何? 結局これは映画版の壮大なプロモーション番組だったってことですか? 映画版を見てないのに、これは映画版を大幅に改変しているなってことがわかるのはどういうことかと。何で映画版をそのまま流さなかったんだろう? 2時間半の予告ダイジェストムービーを見せられた感がどうしてもぬぐえませんでした。仕方ないので、近いうちにTSUTAYAで映画版を借りてきます。 映画版をご覧になられましたら、ぜひそのご感想も私のブログにTBで送ってくださいね。楽しみにお待ちしております。 投稿募集といいますと、9月24日から「心に残った宮部みゆきの短編小説」の投稿を募集しておりましたが、ととさんが応募してくださり、それをご自身運営の「元気に愚痴る♪」にお書きになってからトラックバックで送ってくださいました。 ととさんからいただいた文章には、宮部みゆきの短編小説集『あやし』と『返事はいらない』についてのとても興味深いコメントが書かれており、さらに「心に残った宮部みゆきの短編小説」としてつぎの3作品を上げておられました。 「女の首」(『あやし~怪~』所収) 「裏切らないで」(『返事はいらない』所収) 「私はついてない」(『返事はいらない』所収) それで、そのことを私の運営いたしますホームページ「私の宮部みゆき論」中の「我らが隣人の宮部さん」というコーナーの「宮部みゆき短編作品」のページに載せておきましたので、どうか確認していただきたいと思います。
2005年11月13日
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吉田さん、chia33さん、kinoさん、こんばんは、やまももです。 昨日(11月8日)、日本テレビの「ドラマコンプレックス」の番組枠で放映されました大林宣彦監督の日テレバージョン「理由」についてのコメントをありがとうございました。 ところで、大林監督の「理由」を放映した日本テレビの「ドラマコンプレックス」(DRAMA COMPLEX )の「コンプレックス」はどのような意味で使われているのでしょうか。"complex" の意味を goo の英語辞典で調べますと、「a. 複雑な, 理解[説明]しがたい; 複合の; 【文法】複文の」「n. 集合[複合]体; 建築物の集合体[棟], コンプレックス; 【心】複合, コンプレックス; 固定観念; (理由のない)恐怖感; 【化】錯体」という説明が出てきました。 まあ、 日本テレビの「ドラマコンプレックス」の「コンプレックス」は「集合」とか「複合」の意味で使われているのでしょうし、この番組の枠の中に様々なジャンルのドラマを集めて網羅することをねらって名付けられたのだろうと推測できます。しかし、昨日の大林監督の「理由」というドラマは、このドラマ自体が様々な要素の複合体として制作されていたように思われました。 すなわち、(1)東京都荒川区のヴァンタール千住北ニューシティのウェストタワー2025号で起こった一家4人殺しとい凄惨な事件を対象とし、(2)この事件の関連者の証言を積み重ねて再構成するという設定がなされ、(3)そんな設定のドラマを演じている俳優たちとそれを撮影するスタッフたちが映し出され、(4)それら総てを番組案内者の寺田農がいろいろ紹介し、(5)また一方で、ウェストタワー2025号の事件とその捜査状況を羽鳥、西尾の両アナウンサーが司会する「ズームインSUPER・夜の特番」というTV番組が報道するという、少なくとも5つの重なりを昨夜の視聴者は目にしたのですね。 このような日テレバージョンの「理由」について、日テレの公式ホームページ「ドラマコンプレックス」は、「大林監督自らメガホンをとり、この事件を「ズームインSUPER・夜の特番」内で平成の事件簿として新展開。OAタイムとシンクロして番組も進行するという、まさにドラマの醍醐味=虚実皮膜のおもしろさをさらに追求。テレビ番組として再編集して放送します」と宣伝しています。では、実際にご覧になった方はどのような感想を持たれたのでしょうか。 私のホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板に投稿くださった吉田さんは、つぎのような感想を書いておられます。「映画『理由』と日テレ『理由』とは、異なる2作品であるように思いました。前者は宮部みゆきバージョン、後者は大林バージョン『理由』ではないでしょうか。大林監督は、あの一滴の涙に、救いを求めたのです。確かに現代の若者は大人には評判は悪いですし、誰もがこれからの日本は大丈夫だろうかと不安に思っています。けれど、今の若者にもまだまだ良いところはあるんです、そんな若者の良心に、私たち大人が築き上げてきた日本の未来を託してみようではないかと、大林宣彦監督は私たちにメッセージを送っているように思いました。」 しかし、このブログに私が昨日書いた記事のコメント欄に投稿下さったchia33さん、kinoさんは日テレバージョンに厳しい評価を下され、chia33さんは「映画のイメージを台無しにしたような気がするのは、私だけ?/原作は、それ以上に。。。/あくまで“チラ見”なんで、全部見たら乾燥も変わるかもしれませんが。/見るのがちょっと怖いです」とされ、 kinoさんは「理由(日テレヴァージョン)。特番風で最悪です~。/画面に、はいる字幕スーパーに、イライラしながら観ました。/普通に映画として、そのまま放送すればいいのに、わざわざ話をややこしくした、そんな印象です。映画『理由は、よくできてると思ってましたが、今回のテレビ編集版を観て、大林監督にはがっかりです。映像を作る側と観る側のズレを感じました」と書いておられます。 私もどちらかというとchia33さん、kinoさんの評価に近い感想を持ちました。なお、他のブログなどの批評も幾つか見ましたが、評価は大きく分かれているようですね。できましたら、このドラマをご覧になられた方のご意見をさらにいろいろお聞きしたいものだと思っていますので、どうかご投稿をよろしくお願いいたします。
2005年11月09日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 今夜、宮部作品『理由』を原作とする大林宣彦監督の映画「理由」の日本テレビヴァージョンが日本テレビ系列で放映されましたね。 なお、10月5日、私のホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板に吉田さんが「劇場版『理由』を50分カット、10分追撮したようです。結末も若干変更されているかも?」と書き込んでくださってましたが、追撮部分は、寺田農が番組の案内役をするところと、それからTV局のスタジオから羽島、西尾の両アナウンサーが事件の経緯を紹介するところでした。それによって劇場版『理由』からの50分カットを補っていたのでしょうね。 さて、TVで日本テレビヴァージョンをご覧になられた方はどのような感想を持たれたのでしょうか。ぜひご感想をお聞きしたいと思っています。 なお、この「理由」の劇場版やDVD版をご覧になった方々の感想は私のホームページのつぎのところに載せています(私自身の感想もそこに載せています)。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/eizouriyuu.htm
2005年11月08日
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今朝(11月2日)、「毎日新聞」を開きましたら新潮文庫の「11月の新刊」の広告記事が載っており、そこに宮部みゆきの『模倣犯』について、「現代ミステリの金字塔!/いよいよ文庫化!」と紹介されており、1巻から3巻までは11月末発売予定、4巻、5巻は12月末発売予定ということが書かれてありました。やはり、新潮文庫の『模倣犯』は全5巻で、11月末に最初の3冊が、12月末に残りの2冊が出版されるようですね。 それから、「南日本新聞」の10月31日の「創作と流儀」欄に『日暮らし』『孤宿の人』を刊行した宮部みゆきに対するインタビュー記事が載っていましたが、彼女はそこでつぎのような興味深い発言をしていました。「健全で温かい庶民の善良さを、私はこれまで書いてきましたが、封建社会で事が起こった時に一番割を食うのは庶民だということもきちんと書いておかなければ、逃げていることになると、ずっと気になっていました」「こんなの宮部みゆきじゃない、と言われるのを覚悟でやらなければ、新しいところへ手を伸ばせません」「時と人と天の運がそろわなければ、どれだけ個人の思いがあっても敗れていく。私はそういうことを歴史小説、時代小鋭から教わってきました。今回、自分でも少しは書けたかな」 上記の宮部みゆきの言葉の中で、「封建社会で事が起こった時に一番割を食うのは庶民だということもきちんと書いておかなければ」という箇所を読んだとき、すぐ思い浮かんだのが時代短編集『幻色江戸ごよみ』の「紅の玉」の話でした。この短編では、市井に生きる真面目で誠実な職人夫婦が幕府の不条理な禁令で困窮に陥り、さらに侍世界の仇討ちに巻き込まれ翻弄されていく過程が描かれています。悲劇的な結末を予感させて終了しますが、弱い立場に置かれた庶民の悲哀が読者の心に痛切に伝わって来る作品でした。 この短編に込められたような思いを、あらためて長篇時代で全面的に展開し、「時と人と天の運がそろわなければ、どれだけ個人の思いがあっても敗れていく」過程を非常に徹して描き切ったのが『孤宿の人』だったのではないでしょうか。 また、宮部みゆきは『孤宿の人』に登場する一人の僧侶に、「御仏(みほとけ)は何処(いずこ)におられる」と語らせ、人の奥底には仏がおり、そのために鬼や悪霊になりきれないとし、さらにつぎのように述べています。「宗教や仏教には昔から興味がありました。私はミステリー作家だから科学的な考え方からは離れられませんが、一方で人間の業とも向き合う。合理と非合理を同居させる。小鋭とはそういうものなんだなと思います」「死生観というとおおげさかもれませんが、私にとって御仏とは何だろうということを、これからも書きたいと思います」
2005年11月02日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 今年の9月24日より「心に残った宮部みゆきの短篇小説」投稿の募集をしておりましたが、これまでに12名の方が応募して下さいました。それで、募集開始から1ヶ月以上過ぎましたので、私のホームページ「私の宮部みゆき論」の「我らが隣人の宮部さん」のコーナーに新たに「宮部みゆきの短編作品」というページを設けて、そこにまとめて紹介させていただくことにいたしました。 なお、「心に残った宮部みゆきの短篇小説」についての投稿募集は今後もまだ継続していきたいと思っています。投稿を希望される方はいつでもこのブログか私のホームページの掲示板に送っていただきたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
2005年10月30日
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ゆきうさぎさん、アトマツさん、こんばんは、やまももです。 ゆきうさぎさんが「やっと『模倣犯』が文庫になるんですね」と書いておられますが、『模倣犯』が小学館から出版されたのが2001年4月ですから、文庫化がそんなに遅いわけではないですね。しかし文庫本に収められるまで購入を我慢しておられた方たちにはとても長く感じられたかもしれませんね。 なお、「週刊大極宮」第212号(2005.7.15)の「宮部みゆき」のコーナーには、「拙作『模倣犯』が、今年の末に文庫になります。ハードカバーでは上下巻だったものが、文庫では五分冊になる予定です」との宮部みゆき本人の発言が載っていました。しかし、「本やタウン」の「文庫近刊情報(11月期)」では新潮社から3冊出されることになっていますね。この3冊で全てなのか、それとも全巻5冊のうちの3冊がまず11月末に出されるのか、その点が気になりますね。 アトマツさんが、『模倣犯』のラスト3分の1がいささか「強引っていうか無理矢理っぽかったですけど、ワタシ案外好きなんですよ」とコメントしておられますね。確かに、小説としていろいろ気になる弱点や問題点を『模倣犯』は抱えていますが、しかしそんなことをものともせずにダァーッと一気に吹っ飛ばしてしまうようなもの凄い迫力がこの作品にはあるように思います。 またこの『模倣犯』は、ホームページ運営者としても思い出深い作品です。この小説が出版されてから2、3週間後に私のホームページ「私の宮部みゆき論」の掲示板「みんなで語る宮部みゆき作品」に次々と投稿が書き込まれるようになり、そのほとんどが同小説から深い感銘を受けた読者からのものだったからです。 まだ単行本を読んではおられない宮部みゆき作品ファンは、ぜひ文庫本が出版されたときは積極的に購入して読んでいただきたいなと思っています。新潮社から出るからといって慎重にならないでね。はい、コメントの最後にダジャレンジャーの一員であるダジャパーとしての任務をなんとか果たすことができました、ホッ。
2005年10月24日
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