『ワイズ・ガイに与う』 ワー! 「A Word to the Wise Guy」 The Mighty Wah!(84)
ピート・ワイリー率いるワー!待望の日本デビュー! A面 1.教書(一)- Yuh Learn I ウィークエンド- Weekends 3.エバーウォナ- Everwanna 4.17歳の青春- The Lost Generation 5.教書(二)- Yuh Learn II 6.アイ・ノウ・ゼア・ウォズ・サムシング- I Know There Was Something... B面 1.教書(三) 2.ボディ&ソウル- In The Bleak / Body 'N' Soul / Midwinter 3.パパ・クラック- Papa Crack (God's Lonely Man) 4.ホワッツ・ハプニング・ヒア 5.教書(四)- Yuh Learn IV 6.君にカム・バック- Come Back (The Story Of The Reds)ワー!ヒート(Wah! Heat)からワー!(Wah!)に、そしてマイティ・ワー!(The Mighty Wah!)へとバンド名を進化(?)させてきた彼等が、84年にマイティ・ワー!名義で初めてリリースしたアルバムが「ワイズ・ガイに与う(A Word to the Wise Guy)」なのであるが、残念なことに日本ではワー!のまま発売されてしまった…まぁ全く支障はなかったけれども。 (元々この記事は「Pastime Paradise Annex ―昭和の懐かし邦題アルバム館―」という当駄BLOGの別館に13年4月に綴っていたものを別館解体中につき移動させたのだが、9年間ずっとアルバム原題を「A World to the Wise Guy」と誤記していたことに今更気付いたアナガアッタラハイリタイ
マイティ・ワー!というバンドについてはよく知らないが、英国・リバプール生まれのこのピート・ワイリーという男、後にエコー&ザ・バニーメン(Echo & The Bunnymen)を結成するイアン・マッカロク(Ian McCulloch)や、同じくティアドロップ・エクスプローズ(The Teardrop Explodes)のジュリアン・コープ(Julian Cope)らと77年にクルーシャル・スリー(The Crucial Three)を結成。 その後、この男とジュリアンはこれまた後にデッド・オア・アライヴ(Dead or Alive)を結成するピート・バーンズ(Pete Burns)&フィル・ハースト(Phil Hurst)と共にミステリー・ガールズ(The Mystery Girls)を結成。 でもってその後はスピットファイア・ボーイズ(The Spitfire Boys)なるバンドに加わるも、数回のリハーサルに参加しただけで終わる。このバンドには後にスージー&ザ・バンシーズ(Siouxsie and the Banshees)のメンバーとなるバッジー(Budgie)ことピーター・クラーク(Peter Clarke)や、同じくフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(Frankie Goes to Hollywood)のポール・ラザフォード(Paul Ratherford)らがいたという。 更にその後、バッジーらと共にノヴァ・モブ(The Nova Mob)を結成、でもって次はバッジーやポール・ラザフォードらとオピューム・イーターズ(The Opium Eaters)を結成、そんでもってお次はクラッシュ・コース(Crash Course)というバンドを結成。そして遂に79年にワー!ヒートへと到るのであった。 ピート・ワイリーのバンド遍歴を書き連ねるだけで、70年代末のリバプールにおけるポスト・パンクが語れそうである。
さて、ピート率いるマイティ・ワー!のこのアルバムからは “君にカム・バック(Come Back (The Story Of The Reds))” が英国でギリギリTop20に入り、アルバム自体もそこそこヒットした。 01年にはこのアルバムのCDが再発売され、当初より8曲増えて全20曲となっている。うさぎ野郎たち(エコバニ)やヘアカット100(Haircut 100)などがお好きな方には結構合うかも!?