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長崎市内における観光の定番、グラバー園を訪れる。長崎開港後(1859年)、長崎に来住したイギリス人商人グラバー氏、リンガー氏およびオルト氏の旧邸宅が丘陵地。その敷地に、市内で残っていた歴史的建造物を移築し、洋風建築建物9棟を公開している。野外博物館のようだ。 旧グラバー住宅は、1863年に建築された、現存する日本最古の木造洋風建物。日本瓦や土塀(漆喰)が使用され、広い石畳のベランダに掛かるアーチ型の欄間が印象的。ここで、クラバーと息子の二代が暮らした邸宅。国の重要文化財であり、世界遺産でもある。 丘の一番高台に建つのは、「旧三菱第2ドッグハウス」。1896年(明治29年)に港近く造られた外国人乗組員用宿舎を移築したもの。建物のベランダおよび庭園展望台からは、長崎港や市街地が一望できる。松ヶ枝国際ターミナルに接岸しているクルーズ船も見えた。[西日本桜クルーズ-24]写真1 長崎クラバー園。写真2 日本最古の洋風建築「旧クラバー住宅」。写真3 旧グラバー住宅の内部。写真4 旧三菱2号ドッグハウスと前庭の池。写真5 高台からの眺め。写真6 グラバー園内の桜。
2024年05月31日
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北流山の物流タウン(大型物流施設が12棟が直列に並ぶ)の周囲には、遊歩道が整備されている。5月中旬になると一斉にツツジが咲く。歩道端の低木の躑躅を見ながら散歩できるので、この時期が楽しみだ。この花歩道の途中に石ベンチがあり、ひと休みできる。[撮り溜めた写真から] 道路沿いのツツジは、日当りが良く土壌の水分が少ないので、色あせが早い。見頃は1週間程度だろうか。躑躅の花が枯れると、暑い日が続く。春の終わりを告げているようだ。写真1 流通タウンのツツジ。写真2 DPLの花歩道。写真3 GLPの花歩道。写真4 ツツジ花壇と花階段。写真5 石ベンチを囲むツツジ。写真6 色とりどりのツツジ。
2024年05月30日
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長崎港松ヶ枝ふ頭の背面、南山手に大浦天主堂が、「西坂」を向いて建っている。白い清楚に教会建物は、長崎のシンボルのひとつ。2018年世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する建物。 大浦天主堂の別名は、「日本二十六聖殉教者聖堂」とも呼ばれる。1597年(慶長元年)豊臣秀吉の命により、殉教した26名の地に因んでいる。フランス司教の努力で1863年創建された。その後、軍国主義による抑圧と原爆による大被災を乗り越えて、カトリック教が布教している。 現在の大浦天主堂建物は、創建時の聖堂を包み込むように増設されている。細くなった大塔とステンドグラス窓が特徴。入口に「日本之聖母像」が立っていた。ベルナール・プティジャン司教が母国フランスに注文したマリア像だという。[西日本桜クルーズ-23]写真1 世界遺産の大浦天主堂。写真2 天主堂に続く坂道。写真3 外国人が多い坂道と祈りの丘絵本美術館。写真4 日本之聖母像と祈りのレリーフ。写真5 天主堂裏庭と階段先の鐘楼。写真6 教会内部とステンドグラス窓。
2024年05月29日
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長崎市内を流下する中島川は、昔大川と呼ばれていた。大川に、最初の石橋・めがね橋が架かったのは1634年(寛永11年)。その後、風頭山の麓に建てられた寺社の参拝者のために、多くの橋(17から18基)が架けられた。しかし、昭和57年の大水害で、多くの橋が流失・損失した。めがね橋は、その翌年には修復されている。(国の重要文化財) めがね橋を最初に架けたのは、唐僧の黙子如定。日本最古のアーチ型石橋とされる。橋の規模は、長さ22m×幅3.6m、水面からの高さ5.5m。辺りには10基以上の橋があり、石橋群がつくり出す景観は、長崎の魅力のひとつ。まためがね橋付近の石積み護岸に、ハートストーンが埋め込まれている。 中島川の下流にある「長崎新地中華街」に向かう。横浜、神戸と並ぶ日本三大中華街のひとつ。250mの十字路に40軒ほど中華料理店がある。色鮮やか看板や龍のレリーフが中華街に彩を与えていた。小生らは、京華園でランチ(長崎チャンポン)を頂いた。[西日本桜クルーズ-22]写真1 中島川に架かる「めがね橋」。写真2 日本最古のアーチ型石橋橋。写真3 河床から見る。袋橋とハートストーン。写真4 袋橋を下流から望む。中島川の石橋群案内板。写真5 新地橋と中華街入口門。写真6 京華園でランチ。
2024年05月27日
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清水公園にある花ファンダジアを訪れ、園内を花散歩する。美しい花に囲まれた春華の花園は、敷地面積7万m2。遊歩道の順路に沿って、ゆっくりと観て歩く。花ファンダジアは、年間500種類の花々が咲き誇る。 遊水池周囲の藤棚は、見頃終盤を向かえていた。一方、白藤はこれからのようだ。池の水面には、沢山のスイレンが浮かんでいた。レストハウス前に広がる花畑のネモフィラは、ペット連れが多かった。写真1 花畑ネモフィラ。写真2 遊水池と藤棚。写真3 藤壁と白フジ。写真4 華やかな牡丹。写真5 テモリカンボクとカナメ。写真6 紅色主体のスイレン。
2024年05月26日
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江戸時代、和蘭(オランダ)商館が置かれた長崎出島。約220年にわたり外国からヒト・モノそして情報が集まり、日本の近代化に寄与した。1856年(安政6年)に和蘭(オランダ)商館され、「長崎開港」となった。明治後期になると、長崎港湾改良工事により出島周辺は埋めたてられた。電車が走るようになった。 江戸期鎖国政策のため、岬の突端に扇形をした扇島を築き、外国人と日本人とを隔離した。日本初の海に浮かぶ人工島となる。(出島は1636年に完成、一時ポルトガル人を収容)。日本の近代化に大きな役割を果たした出島の復元機運が高まり、1996年から復元整備が始まる。2016年大半の復元建造物が完成した。 復元された出島の敷地内には、シーボルト里帰り植物園や15分の1の模型が設置されている。また、明治期に建てたレトロな建物が並んでいる。旧出島神学校、旧長崎内外クラブ、旧石倉など。カピタン(商館長)部屋、ヘルト(次席)部屋では、着物をレンタルして記念撮影ができる。[西日本桜クルーズ-21]写真1 中島川と復元出島の石垣と塀。写真2 復元水門と和蘭出島古図。写真3 通り両側に復元建物が並んでいる。写真4 カピタン部屋の外観と内部の様子。写真5 明治レトロな建物。旧内外クラブと旧神学校。写真6 出島の模型と桜の古木。写真7 復元された出島の鳥瞰。
2024年05月24日
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太平洋を望む大洗海岸の岩礁に鳥居が立っている。海岸沿いの高台にある「大洗磯前神社」の鳥居のひとつ。鳥居が朝日に照らされ、荒波が岩礁に当り白く砕ける光景が神々しいと評判。正月初日の出を望むパワースポットとして有名な場所。 大洗山に建つ磯前神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)と小彦名命(すくなひこのみこと)の2柱を祀る神社。古くから家内安全、海上交通の守り神として信仰を集めている。徳川光圀公も参拝して、和歌を詠んだという。大洗公園から沖行く、フェリー「さんふらわあ」が輝いて見えた。写真1 白い波しぶきと神磯鳥居。写真2 遥かなる太平洋を望む。写真3 大洗海岸の荒波と鳥居。写真4 岩礁に立つ神磯鳥居。写真5 大洗公園から沖行くフェリーを眺める。写真6 大洗公園案内図。
2024年05月23日
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小雨降るなか長崎港・松ヶ枝国際ターミナルに着いたのは9時頃。それまでに右舷に伊王島、左舷に神ノ島を見て、神崎鼻に架る「女神大橋」を潜り、細長い入江を3.5km進んで松ヶ枝ふ頭に接岸。長崎港は、三方を山に囲まれた天然の良港。江戸鎖国時代にあっても、唯一公認された国際貿易港。そして「鶴の港」とも呼ばれた。 2005年に美しい女神大橋が完成した、長崎港の海の玄関となる。長崎市内の南部と西部を最短で結ぶ。両側に歩道(自転車可)があり、空中散歩が人気だという。斜張橋の女神大橋は、最大支間480mで、海面からの高さが65m。大型クルーズ船は悠に通過できる。夜になるとライトアップされ、港のシンボル(ビーナス・ウイング)となっている。 松ヶ枝ふ頭の対岸(西側)に、三菱重工長崎造船所(略:長船)が展開している。戦前・戦後に渡り、数多くの船舶を創り出した。戦前には戦艦武蔵、空母赤城など巡洋艦・駆逐艦を進水させた。戦後、民間の大型船、自衛隊の護衛艦を造船している。2004年ダイヤモンドプリンセスを造船。また、150トン巨大カンチレバークレーンは、2015年世界文化遺産の構成要素。[西日本桜クルーズ-20]写真1 天然の良港、長崎港を進む。写真2 女神大橋の下を航行。写真3 斜張橋の東西の主塔を見る。写真4 三菱重工造船所と巨大カンチレバークレーン。写真5 松ヶ枝ふ頭の国際ターミナルに着く。写真6 長崎港夜景他。[観光協会HP]。
2024年05月21日
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5月初旬、清水公園を花散歩する。サクラからツツジへと花バトンが渡った頃。訪れた日、キリシマツツジの見頃を過ぎ、オオムラサキツツジが主体となっていた。公園内には100品種2万株の色とりどりのツツジが点在している。「つつじまつり」の期間は、4月20日から5月6日。[撮り溜めた写真から] フィールドアスレチックの西丘陵に、ツツジ園がある。頭上を覆うほどの高さがあり、自然つつじトンネルが形成される。樹齢100年を超えるつつじが数多くある。昔からの躑躅の名所だ。以前あった木製観望台は、老朽化のため撤去されていた。 気温が上昇したこの日、水上アスレチックが人気。少し前まで静かな池と森が子どもの声で賑やかになる。アスレチック傍の藤の老木は、日陰を提供する休憩所になっている。写真1 清水公園つつじ園。写真2 つつじトンネル。写真3 色とりどりのツツジ。写真4 階段口の2種類のツツジ。写真5 新緑に映える色鮮やかな躑躅。写真6 水上アスレチックの藤棚。写真7 2024年の桜・つつじまつりポスター。
2024年05月20日
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韓国で屈指の美しい夜景を誇る釜山。周囲が山で囲まれている港町。山はそう高くないが、展望スポットが複数整備されている。煌びやか夜景に魅了される観光客が多いという。釜山港を出航する際に、クルーズ船から夜景を眺めた。 釜山港の夜を彩るのは、各施設のライトアップと高層ビルの灯り。とりわけ、斜張橋の釜山港大橋は、7色に刻々変化する。橋桁を吊るケーブルと塔は、羽根を広げた蝶にも見える。釜山港大橋は、韓国最長の斜張橋として2014年開通した。 釜山の夜景スポットは、釜山タワー(高さ118m)、荒嶺山、金蓮山、そして影島の山頂近くなどがある。「背山望水」が港町の美夜景を創り出している。広安大橋のライトアップも有名ではあるが、今回観ることが出来なかった。[西日本桜クルーズ-19]写真1 釜山港を出航する。写真2 煌びやか港町。写真3 離岸するクルーズ船からの眺め。写真4 釜山の街灯りが遠くなる。写真5 斜め張ったケーブルが美しい。羽根を広げた蝶のよう。写真6 釜山港の夜景。写真7 釜山タワーからの夜景[ポストカード]。
2024年05月18日
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ひたち海浜公園からの帰り道、途中の「那珂湊おさかな市場」に寄る。ここまで来たからには、新鮮市場を避けることが出来ない。おさかな市場モール内の食堂で、海鮮丼やシラス丼などをランチとした。食後、市場で刺身用のマグロとサケ、そして明太子を買う。100円で発砲箱に氷を詰めて、自宅まで持ち帰る。 那須岳を源流とする那珂川の河口左岸に、那珂湊漁港がある。その対岸に那珂湊おさかな市場があり、海岸通り沿いに店舗が軒を連ねている。年間100万人ほどが訪れる観光市場。新鮮な海産物が安価な価格で手に入るため、この時期大盛況となる。大型バスから繰り出す中国観光客は、ランチで日本のさかなを食べていた。 北茨城沖は、黒潮と親潮がぶつかる「潮目」があり良好な漁場とされる。那珂港漁協では、他の港に所属する漁船を廻船誘致している。小さな魚港ではあるが、年間230トンの水揚揚げがある。ちなみに日本国内の水揚量ベストスリー港は、第1位銚子で、釧路と焼津と続く。海水温の上昇で水揚げ量・質は、どうなるか・・。写真1 那珂湊おさかな市場。写真2 那珂川河口の漁港・那珂湊。写真3 おさかな市場通り。写真4 市場内でショピング。写真5 那珂湊おさかな市場。写真6 食堂で海鮮ランチ。
2024年05月17日
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地下鉄草梁(チョリャン)駅から案内に従って、釜山港国際旅客ターミナルまで歩く。しかし、クルーズ船ジュエル号が停泊しているのは、更に先(東側)600mの第2旅客ターミナル。大きな荷物がなかったので、スカイデッキから親水公園内へと散策しながらクルーズ船に戻る。安全面を考えると釜山駅で下車すべきであった。 5階建ての大きな国際旅客ターミナルは、2015年8月にオープンしたという。周辺は整備工事が行われていた。このターミナルは、日本と韓国を結ぶフェリーや高速船が発着しているという。済州島行は、南側にある沿岸旅客ターミナルから。不定期で大きなクルーズ船は、第2ターミナル施設を利用することが分かった。 20時出港なので、シャワーを浴びる。その後13階のビュッフェで、港の風景と食事を楽しむ。釜山港は山または丘陵地に囲まれている。釜山駅の後方に三角形の山がある。長崎港に地形に似ている。湾の懐が深い釜山港が良好といわれる所以だ。[西日本桜クルーズ-18]写真1 釜山港国際旅客ターミナルから港を望む。写真2 影島と親水公園とクルーズ船。写真3 釜山中心街の後方の山と影島の山容。写真4 クルーズ船に戻る。写真5 釜山市内に明りが灯る。写真6 国際旅客ターミナルと関釜フェリー(下関-釜山間)。
2024年05月16日
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釜山・海雲台からの復路、四面(ソミョン)で途中下車する。街角見聞とロッテ百貨店免税店でお土産を観て廻った。百貨店の裏道(中央通り691番街道)に、桜並木がある。十数本のソメイヨシノ街路樹、樹齢30年程度か。満開を過ぎて、花びらが風で舞い散っていた。 四面は、地下鉄1号・2号線が交差する駅がある。飲食店が多く、若者に人気で賑やかな街。日本語メニューの外看板を出している店もある。四面市場には、「うまいもの通り」があり、「デジクッパ」や「カルグスク」の激戦地とされる。デジクッパは、豚の肉・骨を主材としたもの。 釜山市内の地下鉄は、4路線が運行している。日本と同じように、路線別に色分けして、駅番号が付けられている。ハングルを読めてない人でも、ライン色と駅番号を頼りに目的へ移動。小生らは、近くのコンビニで交通ICカード「T-money」購入して、開札口でチャージした。1号線草梁駅(オレンジ・114)で降りて、クルーズターミルへ歩いて戻った。[西日本桜クルーズ-17]写真1 四面の桜が舞い散る。写真2 ロッテ百貨店裏通りの桜並木。写真4 伽耶大通りのビル風景。写真5 地下鉄口と駅名プレート。写真6 地下鉄草梁駅構内とT-moneyカード。
2024年05月14日
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ひたち海浜公園の「水のステージ」南側に広がる「たまごの森」。例年並みに色とりどりのチューリップが植えられている。多くの人々は、ネモフィラの丘を上った後に、日陰を求めて森を訪れる。たまごの森フラワーガーデンのチューリップは、約280品種26万本。30以上のエリアに分けられている。 チューリップの開花期間は、一般に1週間程度。公園スタッフは、早咲きと遅咲きの品種を混栽して、長期間楽しめるよう工夫している。見どころエリアとしては3つ、(1)風車オブジェエリア:風車への水路をイメージさせるムスカリの帯、(2)スイーフルーツエリア:「はちみつミルク」、「イチゴスター」などの美味しそうな品種、(3)モノトーンエリア:黒(濃い紫)と白系でまとめている。 9つの卵オブジェが点在するたまごの森。「ぴょんぴょんたまご」などのように、遊べるたまご形の遊戯施設もある。アートペインティングされた「たまご」は、森の中で異彩を放っていた・・。写真1 たまごの森フラワーガーデン。写真2 森の木陰に広がるチューリップ。写真3 オランダ風車オブジェの付近。写真4 川の流れをイメージしたムスカリ。写真5 ピンクの「楊貴妃」とムスカリ(マノン)が美しい。写真6 アート卵のオブジェ。
2024年05月13日
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釜山での日本人ガイド付きオプショナルツアーが中止となった。時間的制約もあり、ガイドブックを携行して、地下鉄を利用するミニ観光とした。遠い海東龍宮を除外する。海雲台地区と南浦地区の何れが候補となったが、海雲台にした。美しい砂浜と釜山エルシティーを訪れた。 釜山エルシティーは、超高層ビル3棟からなるエリア。レジデンスタワーA棟・B棟がマンションで、その高さは、それぞれ339mと333m。高さ412mのランドマークタワーの100階に展望台がある。2020年にオープンした釜山X the sky(料金27000ウオン)。近くまで行ったが、順番待ち+専用EVの乗り方が解らず引き返す。 海雲台ビーチは、1.5kmにわたり美しい砂浜が広がり、韓国で古くからの景勝地。毎年釜山国際映画祭が行われる。各国の映画俳優も訪れる国際的リゾート地。訪れた時期は寒くかった。夏には、ビーチパラソルが一面に広がり、海水浴やマリンスポーツで賑わう場所。[西日本桜クルーズ-16]写真1 海雲台のビーチ見晴し台。写真2 釜山エルシティーとランドマークタワー。写真3 海雲台の砂浜と渚。写真4 潮騒を聞きながら散歩。写真5 駅前のプロムナード。地下鉄駅とオブジェ。写真6 釜山X the skyの入口と展望資料写真。
2024年05月12日
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お昼の12時頃に釜山(プサン)入港した。外洋(東シナ海・日本海)は、荒波のため大きな船でも揺れた。しかし釜山港が見え始めると、荒波は徐々に収まった。釜山港の南にある「影島(ヨンド)」が蓋をするように横たわっている。それほど大きい島(約14km2)ではないが、半島状に絶妙の位置にある。日本の厳島の半分程度の島。 釜山の地名は、15世紀に良港して富士浦(プサンポ)の名前で港を開いたことに由来する。日本の植民地時代に、商店・会社が多く作られて飛躍した。戦後も海運で更に発展し、韓国第2位の都市(人口380万人)となる。またコンテナ取扱量で世界5位、東北アジアのパブ港湾都市でもある。 出港が20時なので、釜山観光は限られる。釜山港国際第2ターミナルの背面には大きな駐車場(長さ500m)が広がっている。大規模な野外コンサートができそうだ。釜山駅まではこの駐車場を通り抜けた所にあるが、駅前付近は整備工事中。迷いながら歩き15分以上要した。[西日本桜クルーズ-15]写真1 釜山港へ進む。写真2 影島太宗大と五六島灯台・海雲台Lシティー。写真3 影島区中心部と釜山港大橋。写真4 駐車場と第一国際旅客ターミナル。写真5 岸壁のジュエル号と釜山駅方面を望む。写真6 第二ターミナル前広場と移動式両替所。
2024年05月10日
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春のひたち海浜公園は、ネモフィラの「みはらしの丘」が絶景を創り出す。その前景に黄色の絨毯が敷かけており、訪れる人々をウキウキさせる効果がある。一般に菜の花は、時期的に終わっている。ひたち海浜公園は、ネモフィラと菜の花が同時に見頃を迎えるように調整しているのだろう。 丘の麓「みはらしの里」は、菜の花、松の木、そして古民家を配し、日本の里の雰囲気がある。茅葺の古民家は、風景づくりと体験型施設だという。公園内に点在する松は、春らしく新芽が伸びている。この後、芽摘み(みどり摘み)が行われる。菜花と青花で、ウクライナの国旗を連想した。かの国に春はあるのだろうか。 みはらしの丘・里には、日差しを遮るものがほとんどない。晴れると紫外線と暑さ対策が必要。麓の屋台では、涼しげな「ババヘラアイス」やソフトクリームが良く売れていた。昼を過ぎる頃には、売れ切れるようだ。それだけ人出が多い・・。写真1 ひたち海浜公園のみはらしの里。写真2 みはらしの里に広がる花の花畑。写真3 黄色と青色は、ウクライナ国旗に使用。写真4 茅葺の古民家。とハナモモ。写真5 ハナモモ樹と松の新芽。写真6 暑い日には、アイスが欠かせない。
2024年05月09日
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午後5時雨と風の中、「マリンポート鹿児島」を後にする。東シナ海に出て釜山を目指す。クルーズ船出港時刻の30分前から「ふれあいポート」の玄関先で、三線に合わせて民謡を唄う見送り隊がいた。「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」の気持ちで演奏してくれた。時おり吹く浜風は、強風レベルであった・・。 鹿児島-釜山間は、今航路において最も長い約19時間を要する。その分、船内で寛ぎ、ショーなどを楽しむ。7階アトリウムで、エド・ケリー氏のピアノに耳を傾けた。サービスで日本のメロディー「サクラさくら」、「春」、「上を向いて歩こう」の演奏もあった。19時15分からのシアターでは、アニーの迫力あるボーカルを聴く。 ディナーは、フランス料理の「ル・ビストロ」で。予約していたので、並ぶことなく、そしてゆっくりと食事することができた。しかしこの夜は、海が荒れていた。大きな周期でクルーズ船が揺れる。BBCのテレビニュースやラインなどは音信不通。就寝時間帯のため、不自由しなかったが・・。[西日本桜クルーズ-14]写真1 終日雨のマリンポート鹿児島。写真2 「ふれあいポート」前の見送り隊。写真3 先端で見送ってくれる人達と雨中の桜島。写真4 遠ざかる鹿児島港とクルーズ航路図。写真5 7階アトリウムのピアノ演奏(エド・ケリー氏)。写真6 ル・ビストロでフレンチを頂く。
2024年05月08日
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今年もネモフィラを見に、「ひたち海浜公園」に出かけた。自宅から近い高速道路が常磐道なので・・。しかしガソリン代などの交通費が大きな負担となる。公共交通での「お出かけ」も検討したが、普通車4名ならば、往復2200円/人で済む。また開園早々に入園するには、やはり自動車とならざるを得ない。 標高58mの「みはらしの丘」が530万本のネモフィラに覆われると、丘が空になる。大勢の人々が空中を歩いているように感じる。訪れ日、青い丘と空は、白い竪雲によりアクセントがあった。アルパカのような動物の形から温泉から立ち上る湯煙に変化した。 1991年の開園以来、入園者が累計4000万人を超えた。2002年建設土の盛土山に、200万本のネモフィラを植えたのが始まり。雑草駆除、霜除対策を重ねて、年間230万人が訪れる春の観光地となった。今年は歴史的な「円安」で、外国人観光客の増加が見込まれている。観光バスが着く度に、日本語以外の言語が飛び交っていた・・。写真1 青いネモフィラ丘の上を歩くアルパカのよう。写真2 噴煙を上げる青い丘。写真3 青丘と空と雲と。写真4 人はみはらしの丘頂上をめざす。写真5 太平洋を望む。写真6 ネモフィラの和名は、瑠璃唐草。
2024年05月06日
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鹿児島湾(錦江湾)に面して、仙厳園の西側に尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)、更にその西側に異人館(紡績所技師館)がある。尚古集成館(旧集成館)は、現在歴史博物館となっている。訪れた日は、リニューアル工事のため2224年10月頃まで休館だった。 集成館事業は、島津斉昭が始めた。斉昭は、アヘン戦争後欧米列強の脅威に備え、日本を強く豊かな国にすることを考えた。反射炉の建造、および製鉄・紡績・硝子製造など様々な産業を興すことを思い描いた。現在の尚古集成館の建物は、1865年に建てられた機械工場で、レンガの代わりに薩摩の溶結凝灰岩を外壁に使用している。建物は、国の重要文化財。 2015年に仙厳園と尚古集成館一帯が、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された。8つのエリア、全23資産の一つ。集成館で培った技術が近代日本の中核になり、工業国へ導いて行く。更には明治維新遂行を精神的補完していたのかもしれない。[西日本桜クルーズ-13]写真1 尚古集成館(旧集成館)の玄関。写真2 旧集成館機械工場と産業革命遺産。写真3 尚古集成館の外壁とクロガネモチの巨木。写真4 反射炉跡。大砲製造に必要な鉄を溶かす炉。写真5 旧鹿児島紡績所技術館(異人館)。写真6 御殿の照明に使用したという水力発電用ダム跡。
2024年05月05日
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柏の葉公園の桜(ソメイヨシノ)が葉桜になった頃、萌黄色の桜が咲く。柏の葉公園野球場スタンドの前に植えてある御衣黄(ぎょいこう)桜が満開を過ぎていた。ウコン桜の樹木プレートもあり、2種類の萌黄色の桜があるようだ。 八重桜の一種とされる御衣黄桜。花弁全体が薄い黄緑色しているため、昔の貴族が好んで来た色彩に似ているのが名前の由来。満開を過ぎると、花の中心部に紋(線)が入るのが特徴。御衣黄と同じ様に見えるウコン桜は、やや黄色くて、花が大きい。 訪れた日、公園野球場では千葉県高校野球春季大会が行われていた。48校が参加する大会で、上位2チームが関東大会に進出する。この日、県内の有力高校同士の試合で、それぞれの高校の生徒が大勢応援していた。5月5日、中央学院と専大松戸とで決勝が行われる。写真1 柏の葉公園野球場前の御衣黄桜。写真2 御衣黄の桜並木。写真3 散り始めた御衣黄桜。写真4 御衣黄桜から頭を出したものは・・。写真5 花の中心部に紋(線)が入っている。写真6 さくら広場の寒山(ヤエザクラの一種)。
2024年05月04日
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鹿児島市内の天文館通りでタクシーを拾い、仙厳園へ向かう。復路は鹿児島循環バス(シティビュー)を利用した。雨宿りを兼ねて、まず「磯御殿」を見学する。島津家歴代がこよなく愛し、幕末以降も国内外の賓客をもてなした処。風水を取り入れた作庭と西洋風の調度品から、島津家当主の優雅な暮らしが伺い知れる。 島津氏から鹿児島市に管理が移管された昭和24年頃は、「磯公園」と呼ばれていた。昭和32年に再び島津氏に返却され、「仙厳園(せんがんえん)」または磯庭園と呼ばれるようになった。名勝仙厳園は、目前の桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた壮大な庭園だ。 屋根を薩摩の特産品錫で葺いた赤い「錫門」は、藩主とその嫡男だけが通ることが許された門。鶴が羽根を広げたような「鶴灯籠」は、28代斉彬公がガス灯の実験をしたもの。城下町をガス灯で照らすことを考えたが、志半ばで急死(享年50歳)する。しかし西郷隆盛を見出し、藩の近代化を進めた賢候だった。[西日本桜クルーズ-12]写真1 磯御殿と千尋巌。写真2 正門と錫門。写真3 御殿の中庭と展示品。写真4 鮮やかな青モミジと池泉。写真5 鶴灯籠と獅子乗灯籠。写真6 園内のサクラと見えずの桜島。
2024年05月02日
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薄ピンク色に飾られた枝の花量が減り、やがて葉が主役になってくる。花は一斉に咲き誇るが、散り際は様々だ。はらはらと舞い落ちる、または風で飛ばされて花吹雪となる。そんな花びらが作った惜桜の小径を散策した。 近隣には桜を植えた公園や緑地がある。樹間に作られた散策の径(みち)が散った花びらでピンク色になっていた。例年と異なり、花絨毯というまで敷きつめられていない。桜模様の日本手拭の上を歩く感覚だ。 桜、梅、モクレンなど春先に花を咲かせる樹は、まず花を咲かせ、そのあと葉が出てくる。花が散るのを待って、若葉がバトンを受け取る。葉は、枝や幹に緑の美しさと豊かさを、鳥や虫たちに提供してくれる。夏場、人間は木陰下で寛ぎ、或いは日陰を歩いて緑の恩恵をうけている。写真1 惜桜の小径、深緑の始まり。写真2 ふれあいの森と散策路。写真3 におどり公園の小径。写真4 葉桜の小径。写真5 河口公園の四阿と残桜花。写真6 花模様の地面。
2024年05月01日
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