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清水公園にある花ファンダジアを訪れ、園内を花散歩する。美しい花に囲まれた春華の花園は、敷地面積7万m2。遊歩道の順路に沿って、ゆっくりと観て歩く。花ファンダジアは、年間500種類の花々が咲き誇る。 遊水池周囲の藤棚は、見頃終盤を向かえていた。一方、白藤はこれからのようだ。池の水面には、沢山のスイレンが浮かんでいた。レストハウス前に広がる花畑のネモフィラは、ペット連れが多かった。写真1 花畑ネモフィラ。写真2 遊水池と藤棚。写真3 藤壁と白フジ。写真4 華やかな牡丹。写真5 テモリカンボクとカナメ。写真6 紅色主体のスイレン。
2024年05月26日
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江戸時代、和蘭(オランダ)商館が置かれた長崎出島。約220年にわたり外国からヒト・モノそして情報が集まり、日本の近代化に寄与した。1856年(安政6年)に和蘭(オランダ)商館され、「長崎開港」となった。明治後期になると、長崎港湾改良工事により出島周辺は埋めたてられた。電車が走るようになった。 江戸期鎖国政策のため、岬の突端に扇形をした扇島を築き、外国人と日本人とを隔離した。日本初の海に浮かぶ人工島となる。(出島は1636年に完成、一時ポルトガル人を収容)。日本の近代化に大きな役割を果たした出島の復元機運が高まり、1996年から復元整備が始まる。2016年大半の復元建造物が完成した。 復元された出島の敷地内には、シーボルト里帰り植物園や15分の1の模型が設置されている。また、明治期に建てたレトロな建物が並んでいる。旧出島神学校、旧長崎内外クラブ、旧石倉など。カピタン(商館長)部屋、ヘルト(次席)部屋では、着物をレンタルして記念撮影ができる。[西日本桜クルーズ-21]写真1 中島川と復元出島の石垣と塀。写真2 復元水門と和蘭出島古図。写真3 通り両側に復元建物が並んでいる。写真4 カピタン部屋の外観と内部の様子。写真5 明治レトロな建物。旧内外クラブと旧神学校。写真6 出島の模型と桜の古木。写真7 復元された出島の鳥瞰。
2024年05月24日
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太平洋を望む大洗海岸の岩礁に鳥居が立っている。海岸沿いの高台にある「大洗磯前神社」の鳥居のひとつ。鳥居が朝日に照らされ、荒波が岩礁に当り白く砕ける光景が神々しいと評判。正月初日の出を望むパワースポットとして有名な場所。 大洗山に建つ磯前神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)と小彦名命(すくなひこのみこと)の2柱を祀る神社。古くから家内安全、海上交通の守り神として信仰を集めている。徳川光圀公も参拝して、和歌を詠んだという。大洗公園から沖行く、フェリー「さんふらわあ」が輝いて見えた。写真1 白い波しぶきと神磯鳥居。写真2 遥かなる太平洋を望む。写真3 大洗海岸の荒波と鳥居。写真4 岩礁に立つ神磯鳥居。写真5 大洗公園から沖行くフェリーを眺める。写真6 大洗公園案内図。
2024年05月23日
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小雨降るなか長崎港・松ヶ枝国際ターミナルに着いたのは9時頃。それまでに右舷に伊王島、左舷に神ノ島を見て、神崎鼻に架る「女神大橋」を潜り、細長い入江を3.5km進んで松ヶ枝ふ頭に接岸。長崎港は、三方を山に囲まれた天然の良港。江戸鎖国時代にあっても、唯一公認された国際貿易港。そして「鶴の港」とも呼ばれた。 2005年に美しい女神大橋が完成した、長崎港の海の玄関となる。長崎市内の南部と西部を最短で結ぶ。両側に歩道(自転車可)があり、空中散歩が人気だという。斜張橋の女神大橋は、最大支間480mで、海面からの高さが65m。大型クルーズ船は悠に通過できる。夜になるとライトアップされ、港のシンボル(ビーナス・ウイング)となっている。 松ヶ枝ふ頭の対岸(西側)に、三菱重工長崎造船所(略:長船)が展開している。戦前・戦後に渡り、数多くの船舶を創り出した。戦前には戦艦武蔵、空母赤城など巡洋艦・駆逐艦を進水させた。戦後、民間の大型船、自衛隊の護衛艦を造船している。2004年ダイヤモンドプリンセスを造船。また、150トン巨大カンチレバークレーンは、2015年世界文化遺産の構成要素。[西日本桜クルーズ-20]写真1 天然の良港、長崎港を進む。写真2 女神大橋の下を航行。写真3 斜張橋の東西の主塔を見る。写真4 三菱重工造船所と巨大カンチレバークレーン。写真5 松ヶ枝ふ頭の国際ターミナルに着く。写真6 長崎港夜景他。[観光協会HP]。
2024年05月21日
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5月初旬、清水公園を花散歩する。サクラからツツジへと花バトンが渡った頃。訪れた日、キリシマツツジの見頃を過ぎ、オオムラサキツツジが主体となっていた。公園内には100品種2万株の色とりどりのツツジが点在している。「つつじまつり」の期間は、4月20日から5月6日。[撮り溜めた写真から] フィールドアスレチックの西丘陵に、ツツジ園がある。頭上を覆うほどの高さがあり、自然つつじトンネルが形成される。樹齢100年を超えるつつじが数多くある。昔からの躑躅の名所だ。以前あった木製観望台は、老朽化のため撤去されていた。 気温が上昇したこの日、水上アスレチックが人気。少し前まで静かな池と森が子どもの声で賑やかになる。アスレチック傍の藤の老木は、日陰を提供する休憩所になっている。写真1 清水公園つつじ園。写真2 つつじトンネル。写真3 色とりどりのツツジ。写真4 階段口の2種類のツツジ。写真5 新緑に映える色鮮やかな躑躅。写真6 水上アスレチックの藤棚。写真7 2024年の桜・つつじまつりポスター。
2024年05月20日
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韓国で屈指の美しい夜景を誇る釜山。周囲が山で囲まれている港町。山はそう高くないが、展望スポットが複数整備されている。煌びやか夜景に魅了される観光客が多いという。釜山港を出航する際に、クルーズ船から夜景を眺めた。 釜山港の夜を彩るのは、各施設のライトアップと高層ビルの灯り。とりわけ、斜張橋の釜山港大橋は、7色に刻々変化する。橋桁を吊るケーブルと塔は、羽根を広げた蝶にも見える。釜山港大橋は、韓国最長の斜張橋として2014年開通した。 釜山の夜景スポットは、釜山タワー(高さ118m)、荒嶺山、金蓮山、そして影島の山頂近くなどがある。「背山望水」が港町の美夜景を創り出している。広安大橋のライトアップも有名ではあるが、今回観ることが出来なかった。[西日本桜クルーズ-19]写真1 釜山港を出航する。写真2 煌びやか港町。写真3 離岸するクルーズ船からの眺め。写真4 釜山の街灯りが遠くなる。写真5 斜め張ったケーブルが美しい。羽根を広げた蝶のよう。写真6 釜山港の夜景。写真7 釜山タワーからの夜景[ポストカード]。
2024年05月18日
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ひたち海浜公園からの帰り道、途中の「那珂湊おさかな市場」に寄る。ここまで来たからには、新鮮市場を避けることが出来ない。おさかな市場モール内の食堂で、海鮮丼やシラス丼などをランチとした。食後、市場で刺身用のマグロとサケ、そして明太子を買う。100円で発砲箱に氷を詰めて、自宅まで持ち帰る。 那須岳を源流とする那珂川の河口左岸に、那珂湊漁港がある。その対岸に那珂湊おさかな市場があり、海岸通り沿いに店舗が軒を連ねている。年間100万人ほどが訪れる観光市場。新鮮な海産物が安価な価格で手に入るため、この時期大盛況となる。大型バスから繰り出す中国観光客は、ランチで日本のさかなを食べていた。 北茨城沖は、黒潮と親潮がぶつかる「潮目」があり良好な漁場とされる。那珂港漁協では、他の港に所属する漁船を廻船誘致している。小さな魚港ではあるが、年間230トンの水揚揚げがある。ちなみに日本国内の水揚量ベストスリー港は、第1位銚子で、釧路と焼津と続く。海水温の上昇で水揚げ量・質は、どうなるか・・。写真1 那珂湊おさかな市場。写真2 那珂川河口の漁港・那珂湊。写真3 おさかな市場通り。写真4 市場内でショピング。写真5 那珂湊おさかな市場。写真6 食堂で海鮮ランチ。
2024年05月17日
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地下鉄草梁(チョリャン)駅から案内に従って、釜山港国際旅客ターミナルまで歩く。しかし、クルーズ船ジュエル号が停泊しているのは、更に先(東側)600mの第2旅客ターミナル。大きな荷物がなかったので、スカイデッキから親水公園内へと散策しながらクルーズ船に戻る。安全面を考えると釜山駅で下車すべきであった。 5階建ての大きな国際旅客ターミナルは、2015年8月にオープンしたという。周辺は整備工事が行われていた。このターミナルは、日本と韓国を結ぶフェリーや高速船が発着しているという。済州島行は、南側にある沿岸旅客ターミナルから。不定期で大きなクルーズ船は、第2ターミナル施設を利用することが分かった。 20時出港なので、シャワーを浴びる。その後13階のビュッフェで、港の風景と食事を楽しむ。釜山港は山または丘陵地に囲まれている。釜山駅の後方に三角形の山がある。長崎港に地形に似ている。湾の懐が深い釜山港が良好といわれる所以だ。[西日本桜クルーズ-18]写真1 釜山港国際旅客ターミナルから港を望む。写真2 影島と親水公園とクルーズ船。写真3 釜山中心街の後方の山と影島の山容。写真4 クルーズ船に戻る。写真5 釜山市内に明りが灯る。写真6 国際旅客ターミナルと関釜フェリー(下関-釜山間)。
2024年05月16日
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釜山・海雲台からの復路、四面(ソミョン)で途中下車する。街角見聞とロッテ百貨店免税店でお土産を観て廻った。百貨店の裏道(中央通り691番街道)に、桜並木がある。十数本のソメイヨシノ街路樹、樹齢30年程度か。満開を過ぎて、花びらが風で舞い散っていた。 四面は、地下鉄1号・2号線が交差する駅がある。飲食店が多く、若者に人気で賑やかな街。日本語メニューの外看板を出している店もある。四面市場には、「うまいもの通り」があり、「デジクッパ」や「カルグスク」の激戦地とされる。デジクッパは、豚の肉・骨を主材としたもの。 釜山市内の地下鉄は、4路線が運行している。日本と同じように、路線別に色分けして、駅番号が付けられている。ハングルを読めてない人でも、ライン色と駅番号を頼りに目的へ移動。小生らは、近くのコンビニで交通ICカード「T-money」購入して、開札口でチャージした。1号線草梁駅(オレンジ・114)で降りて、クルーズターミルへ歩いて戻った。[西日本桜クルーズ-17]写真1 四面の桜が舞い散る。写真2 ロッテ百貨店裏通りの桜並木。写真4 伽耶大通りのビル風景。写真5 地下鉄口と駅名プレート。写真6 地下鉄草梁駅構内とT-moneyカード。
2024年05月14日
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ひたち海浜公園の「水のステージ」南側に広がる「たまごの森」。例年並みに色とりどりのチューリップが植えられている。多くの人々は、ネモフィラの丘を上った後に、日陰を求めて森を訪れる。たまごの森フラワーガーデンのチューリップは、約280品種26万本。30以上のエリアに分けられている。 チューリップの開花期間は、一般に1週間程度。公園スタッフは、早咲きと遅咲きの品種を混栽して、長期間楽しめるよう工夫している。見どころエリアとしては3つ、(1)風車オブジェエリア:風車への水路をイメージさせるムスカリの帯、(2)スイーフルーツエリア:「はちみつミルク」、「イチゴスター」などの美味しそうな品種、(3)モノトーンエリア:黒(濃い紫)と白系でまとめている。 9つの卵オブジェが点在するたまごの森。「ぴょんぴょんたまご」などのように、遊べるたまご形の遊戯施設もある。アートペインティングされた「たまご」は、森の中で異彩を放っていた・・。写真1 たまごの森フラワーガーデン。写真2 森の木陰に広がるチューリップ。写真3 オランダ風車オブジェの付近。写真4 川の流れをイメージしたムスカリ。写真5 ピンクの「楊貴妃」とムスカリ(マノン)が美しい。写真6 アート卵のオブジェ。
2024年05月13日
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釜山での日本人ガイド付きオプショナルツアーが中止となった。時間的制約もあり、ガイドブックを携行して、地下鉄を利用するミニ観光とした。遠い海東龍宮を除外する。海雲台地区と南浦地区の何れが候補となったが、海雲台にした。美しい砂浜と釜山エルシティーを訪れた。 釜山エルシティーは、超高層ビル3棟からなるエリア。レジデンスタワーA棟・B棟がマンションで、その高さは、それぞれ339mと333m。高さ412mのランドマークタワーの100階に展望台がある。2020年にオープンした釜山X the sky(料金27000ウオン)。近くまで行ったが、順番待ち+専用EVの乗り方が解らず引き返す。 海雲台ビーチは、1.5kmにわたり美しい砂浜が広がり、韓国で古くからの景勝地。毎年釜山国際映画祭が行われる。各国の映画俳優も訪れる国際的リゾート地。訪れた時期は寒くかった。夏には、ビーチパラソルが一面に広がり、海水浴やマリンスポーツで賑わう場所。[西日本桜クルーズ-16]写真1 海雲台のビーチ見晴し台。写真2 釜山エルシティーとランドマークタワー。写真3 海雲台の砂浜と渚。写真4 潮騒を聞きながら散歩。写真5 駅前のプロムナード。地下鉄駅とオブジェ。写真6 釜山X the skyの入口と展望資料写真。
2024年05月12日
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お昼の12時頃に釜山(プサン)入港した。外洋(東シナ海・日本海)は、荒波のため大きな船でも揺れた。しかし釜山港が見え始めると、荒波は徐々に収まった。釜山港の南にある「影島(ヨンド)」が蓋をするように横たわっている。それほど大きい島(約14km2)ではないが、半島状に絶妙の位置にある。日本の厳島の半分程度の島。 釜山の地名は、15世紀に良港して富士浦(プサンポ)の名前で港を開いたことに由来する。日本の植民地時代に、商店・会社が多く作られて飛躍した。戦後も海運で更に発展し、韓国第2位の都市(人口380万人)となる。またコンテナ取扱量で世界5位、東北アジアのパブ港湾都市でもある。 出港が20時なので、釜山観光は限られる。釜山港国際第2ターミナルの背面には大きな駐車場(長さ500m)が広がっている。大規模な野外コンサートができそうだ。釜山駅まではこの駐車場を通り抜けた所にあるが、駅前付近は整備工事中。迷いながら歩き15分以上要した。[西日本桜クルーズ-15]写真1 釜山港へ進む。写真2 影島太宗大と五六島灯台・海雲台Lシティー。写真3 影島区中心部と釜山港大橋。写真4 駐車場と第一国際旅客ターミナル。写真5 岸壁のジュエル号と釜山駅方面を望む。写真6 第二ターミナル前広場と移動式両替所。
2024年05月10日
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春のひたち海浜公園は、ネモフィラの「みはらしの丘」が絶景を創り出す。その前景に黄色の絨毯が敷かけており、訪れる人々をウキウキさせる効果がある。一般に菜の花は、時期的に終わっている。ひたち海浜公園は、ネモフィラと菜の花が同時に見頃を迎えるように調整しているのだろう。 丘の麓「みはらしの里」は、菜の花、松の木、そして古民家を配し、日本の里の雰囲気がある。茅葺の古民家は、風景づくりと体験型施設だという。公園内に点在する松は、春らしく新芽が伸びている。この後、芽摘み(みどり摘み)が行われる。菜花と青花で、ウクライナの国旗を連想した。かの国に春はあるのだろうか。 みはらしの丘・里には、日差しを遮るものがほとんどない。晴れると紫外線と暑さ対策が必要。麓の屋台では、涼しげな「ババヘラアイス」やソフトクリームが良く売れていた。昼を過ぎる頃には、売れ切れるようだ。それだけ人出が多い・・。写真1 ひたち海浜公園のみはらしの里。写真2 みはらしの里に広がる花の花畑。写真3 黄色と青色は、ウクライナ国旗に使用。写真4 茅葺の古民家。とハナモモ。写真5 ハナモモ樹と松の新芽。写真6 暑い日には、アイスが欠かせない。
2024年05月09日
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午後5時雨と風の中、「マリンポート鹿児島」を後にする。東シナ海に出て釜山を目指す。クルーズ船出港時刻の30分前から「ふれあいポート」の玄関先で、三線に合わせて民謡を唄う見送り隊がいた。「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」の気持ちで演奏してくれた。時おり吹く浜風は、強風レベルであった・・。 鹿児島-釜山間は、今航路において最も長い約19時間を要する。その分、船内で寛ぎ、ショーなどを楽しむ。7階アトリウムで、エド・ケリー氏のピアノに耳を傾けた。サービスで日本のメロディー「サクラさくら」、「春」、「上を向いて歩こう」の演奏もあった。19時15分からのシアターでは、アニーの迫力あるボーカルを聴く。 ディナーは、フランス料理の「ル・ビストロ」で。予約していたので、並ぶことなく、そしてゆっくりと食事することができた。しかしこの夜は、海が荒れていた。大きな周期でクルーズ船が揺れる。BBCのテレビニュースやラインなどは音信不通。就寝時間帯のため、不自由しなかったが・・。[西日本桜クルーズ-14]写真1 終日雨のマリンポート鹿児島。写真2 「ふれあいポート」前の見送り隊。写真3 先端で見送ってくれる人達と雨中の桜島。写真4 遠ざかる鹿児島港とクルーズ航路図。写真5 7階アトリウムのピアノ演奏(エド・ケリー氏)。写真6 ル・ビストロでフレンチを頂く。
2024年05月08日
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今年もネモフィラを見に、「ひたち海浜公園」に出かけた。自宅から近い高速道路が常磐道なので・・。しかしガソリン代などの交通費が大きな負担となる。公共交通での「お出かけ」も検討したが、普通車4名ならば、往復2200円/人で済む。また開園早々に入園するには、やはり自動車とならざるを得ない。 標高58mの「みはらしの丘」が530万本のネモフィラに覆われると、丘が空になる。大勢の人々が空中を歩いているように感じる。訪れ日、青い丘と空は、白い竪雲によりアクセントがあった。アルパカのような動物の形から温泉から立ち上る湯煙に変化した。 1991年の開園以来、入園者が累計4000万人を超えた。2002年建設土の盛土山に、200万本のネモフィラを植えたのが始まり。雑草駆除、霜除対策を重ねて、年間230万人が訪れる春の観光地となった。今年は歴史的な「円安」で、外国人観光客の増加が見込まれている。観光バスが着く度に、日本語以外の言語が飛び交っていた・・。写真1 青いネモフィラ丘の上を歩くアルパカのよう。写真2 噴煙を上げる青い丘。写真3 青丘と空と雲と。写真4 人はみはらしの丘頂上をめざす。写真5 太平洋を望む。写真6 ネモフィラの和名は、瑠璃唐草。
2024年05月06日
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鹿児島湾(錦江湾)に面して、仙厳園の西側に尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)、更にその西側に異人館(紡績所技師館)がある。尚古集成館(旧集成館)は、現在歴史博物館となっている。訪れた日は、リニューアル工事のため2224年10月頃まで休館だった。 集成館事業は、島津斉昭が始めた。斉昭は、アヘン戦争後欧米列強の脅威に備え、日本を強く豊かな国にすることを考えた。反射炉の建造、および製鉄・紡績・硝子製造など様々な産業を興すことを思い描いた。現在の尚古集成館の建物は、1865年に建てられた機械工場で、レンガの代わりに薩摩の溶結凝灰岩を外壁に使用している。建物は、国の重要文化財。 2015年に仙厳園と尚古集成館一帯が、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された。8つのエリア、全23資産の一つ。集成館で培った技術が近代日本の中核になり、工業国へ導いて行く。更には明治維新遂行を精神的補完していたのかもしれない。[西日本桜クルーズ-13]写真1 尚古集成館(旧集成館)の玄関。写真2 旧集成館機械工場と産業革命遺産。写真3 尚古集成館の外壁とクロガネモチの巨木。写真4 反射炉跡。大砲製造に必要な鉄を溶かす炉。写真5 旧鹿児島紡績所技術館(異人館)。写真6 御殿の照明に使用したという水力発電用ダム跡。
2024年05月05日
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柏の葉公園の桜(ソメイヨシノ)が葉桜になった頃、萌黄色の桜が咲く。柏の葉公園野球場スタンドの前に植えてある御衣黄(ぎょいこう)桜が満開を過ぎていた。ウコン桜の樹木プレートもあり、2種類の萌黄色の桜があるようだ。 八重桜の一種とされる御衣黄桜。花弁全体が薄い黄緑色しているため、昔の貴族が好んで来た色彩に似ているのが名前の由来。満開を過ぎると、花の中心部に紋(線)が入るのが特徴。御衣黄と同じ様に見えるウコン桜は、やや黄色くて、花が大きい。 訪れた日、公園野球場では千葉県高校野球春季大会が行われていた。48校が参加する大会で、上位2チームが関東大会に進出する。この日、県内の有力高校同士の試合で、それぞれの高校の生徒が大勢応援していた。5月5日、中央学院と専大松戸とで決勝が行われる。写真1 柏の葉公園野球場前の御衣黄桜。写真2 御衣黄の桜並木。写真3 散り始めた御衣黄桜。写真4 御衣黄桜から頭を出したものは・・。写真5 花の中心部に紋(線)が入っている。写真6 さくら広場の寒山(ヤエザクラの一種)。
2024年05月04日
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鹿児島市内の天文館通りでタクシーを拾い、仙厳園へ向かう。復路は鹿児島循環バス(シティビュー)を利用した。雨宿りを兼ねて、まず「磯御殿」を見学する。島津家歴代がこよなく愛し、幕末以降も国内外の賓客をもてなした処。風水を取り入れた作庭と西洋風の調度品から、島津家当主の優雅な暮らしが伺い知れる。 島津氏から鹿児島市に管理が移管された昭和24年頃は、「磯公園」と呼ばれていた。昭和32年に再び島津氏に返却され、「仙厳園(せんがんえん)」または磯庭園と呼ばれるようになった。名勝仙厳園は、目前の桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた壮大な庭園だ。 屋根を薩摩の特産品錫で葺いた赤い「錫門」は、藩主とその嫡男だけが通ることが許された門。鶴が羽根を広げたような「鶴灯籠」は、28代斉彬公がガス灯の実験をしたもの。城下町をガス灯で照らすことを考えたが、志半ばで急死(享年50歳)する。しかし西郷隆盛を見出し、藩の近代化を進めた賢候だった。[西日本桜クルーズ-12]写真1 磯御殿と千尋巌。写真2 正門と錫門。写真3 御殿の中庭と展示品。写真4 鮮やかな青モミジと池泉。写真5 鶴灯籠と獅子乗灯籠。写真6 園内のサクラと見えずの桜島。
2024年05月02日
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薄ピンク色に飾られた枝の花量が減り、やがて葉が主役になってくる。花は一斉に咲き誇るが、散り際は様々だ。はらはらと舞い落ちる、または風で飛ばされて花吹雪となる。そんな花びらが作った惜桜の小径を散策した。 近隣には桜を植えた公園や緑地がある。樹間に作られた散策の径(みち)が散った花びらでピンク色になっていた。例年と異なり、花絨毯というまで敷きつめられていない。桜模様の日本手拭の上を歩く感覚だ。 桜、梅、モクレンなど春先に花を咲かせる樹は、まず花を咲かせ、そのあと葉が出てくる。花が散るのを待って、若葉がバトンを受け取る。葉は、枝や幹に緑の美しさと豊かさを、鳥や虫たちに提供してくれる。夏場、人間は木陰下で寛ぎ、或いは日陰を歩いて緑の恩恵をうけている。写真1 惜桜の小径、深緑の始まり。写真2 ふれあいの森と散策路。写真3 におどり公園の小径。写真4 葉桜の小径。写真5 河口公園の四阿と残桜花。写真6 花模様の地面。
2024年05月01日
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鹿児島は雨だった。明け方からクルーズ船は、春雨に煙る錦江湾を進んだ。午前9時前に中央港(埋立地)のマリンポート鹿児島に着いた。平屋建ての「かごしまクルーズターミナル」は、2018年にオープンし、16万トン級の大型客船を受入可能。近くに稼働式の浮き桟橋もある。二次輸送や小型観光船へ乗継も可能となる。 前日から雨天の予報が出ていた。クルーズターミナルからは鹿児島市内への有料シャトルバスの利用を検討した。シャトルバスは、ウォーターフロントパークが乗降場所。350mほどの距離に桜島フェリーターミナルがある。終日雨予想なので、桜島行は断念して、屋根のある場所を考えた。 鹿児島の名所、噴煙を上げる桜島は雲の中にあった。前夜のディナーは、13階キャグニーズステーキハウスでリブ付ステーキを頂く。朝食はビュッフェ形式なので、食べすぎに注意する。ビュッフェの食材台に、西瓜の彫刻「犬の顔」と「白鳥」が載っており、すこしビックリした。[西日本桜クルーズ-11]写真1 春雨降る中、マリンポート鹿児島に到着。写真2 鹿児島名物の桜島は雲の中。写真3 マリンポート鹿児島を13階デッキから眺める。写真4 鹿児島クルーズターミナルと周辺案内図。写真5 ビュッフェ朝食と西瓜アート。写真6 ディナーはステーキハウスで。
2024年04月30日
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和歌山港の出港時間は13時。早めに西浜の第3・第5岸壁に停泊しているジュエル号に戻る。船内12階のガーデンカフェでランチしていると、下方から日本語の合唱曲が聞こえた。デッキに出てみると、クルーズ船出港を見送る「おもてなし」だった。 和歌山市側は、航路変更に伴う急報であったが、よく対応してくれたと思う。仮設検査所の設営、英訳ボランティアの確保、岸壁でのお土産販売などで忙しかったと考えられる。その中でも、波止場に響きわたる児童合唱団による歌声が嬉しい・・。 生徒17名が「ふるさと」、「花は咲く」、「レット・イット・ゴー」などを元気で唄ってくれた。乗客もデッキなどから拍手と歓声で応えた。そしてジュエル号は岸壁を離れた。見送る側と見送られる側、双方が手を振って別れを惜しむ。紀ノ川の河口が遠ざかってゆく・・。[西日本桜クルーズ-10]写真1 西浜岸壁のクルーズ船から和歌山城を望む。写真2 西浜岸壁に停泊するジュエル号の船首。写真3 出港前の「おもてなし」。写真4 和歌山児童合唱団から元気をもらう。写真5 紀ノ川河口の青岸橋(赤い橋)。写真6 遠ざかる和歌山港と雑賀崎付近。
2024年04月28日
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桜・ソメイヨシノが終わる頃、八重さくらが咲く。近所でもソメイヨシノの見頃は、一週間ほど遅れた。しかし、八重さくらは例年並みの4月中旬に満開を迎えた。ソメイヨシノと八重さくらそしてツツジが同時に見られた。[撮り溜めた写真から] 桜の花弁(はなびら)は、一般に5枚。神社にサクラ紋がある。散るイメージがある桜は、武家の家紋として嫌煙された。しかし細川忠興は、「細川桜」を使用したという。一方、桜餅のようで可愛い八重咲。「八重」とは、多くの数を意味して、具体的な数値はないとされる。 ヤエザクラは、6枚以上の花弁を付けて咲く花。30枚から70枚ものが多いと言われている。100枚を超えるものは「菊咲き」と呼ばれる。近くの八重さくらの花弁を数えたら、35枚だった。枝や幹によって、枚数が異なるようだ。70枚以上あると数えるのに苦労する。写真1 八重さくら三本(三人娘)。写真2 たたわな枝振り。写真3 桜餅のような花。写真4 重なり合う花たち。写真5 八重桜、ソメイヨシノ、ツツジの競演。写真6 重層な桜景色。写真7 花びらを数えると35枚。
2024年04月27日
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和歌山城天守の北側にある「西之丸庭園」を訪れた。時期はずれなので、入園者は少ない。別名を「紅葉渓(もみじだに)庭園」とも呼ばれ、紅葉時期に大勢の人が訪れるという。池泉(ちせん)を赤いモミジが彩る紅葉の名所。昭和60年に国の名勝に指定されている。 この庭園は、徳川頼宜公が隠居する際に、西の丸御殿と共に築いた回遊式庭園。内堀に突き出した池亭で、風雅を楽しんだ「鳶魚閣(えんぎょかく)」。障子窓から酒を飲みながら紅葉を楽しんだことが想像される。庭石には「紀州の青石」が多く使用されている。 内堀を跨ぐように、西の丸と二の丸を連絡する「御橋廊下(おはしろうか)」が架っている。二の丸から11度の角度(19パーセント勾配)で下がるという珍しい橋だ。全長27m×幅3の木製。すべり止めのために段差をつけるように板を敷き詰めている。手摺と履物に注意する必要がある。[西日本桜クルーズ-09]写真1 西之丸庭園の池泉。写真2 西之丸庭園の出入門。写真3 鳶魚閣と御舟石など。写真4 19パーセント勾配の御橋廊下。写真5 春と秋の景色。写真6 天守閣から西之丸跡と御橋廊下を望む。
2024年04月26日
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紀ノ川に守られるように築かれた梯郭式山城・和歌山城。その特徴は、虎伏山の台地頂の連立式天守。大天守、小天守さらに二つの櫓を多聞櫓によって繋げ、曲線状の唐破風や千鳥破風などの装飾が施されている。出入口となる楠門は、天守曲輪石垣に沿った石段上部にある。 紀州の地で本格的な城造りは、天正13年豊臣秀長とされる。その後、浅井家、徳川家に受け継がれ拡張された。紀州徳川家の初代領主は、徳川頼宜(家康の10男)で、紀伊、伊勢、大和に跨る55万石を所領した。紀ノ川河口は、大阪と江戸を結ぶ廻船(特にコメ)の地として発展してきた。 昭和6年以降、天守など11棟が国宝に指定されていたが、先の大戦によりすべて焼失。現在の連立天守は、昭和33年に鉄筋コンクリート造りで再建され、「わかやま歴史館」となっている。大天守は展望施設で、360度の見晴しがある。紀ノ川河口、淡路島、高野山方面の山並み。ついでにジュエル号が停泊している姿も見えた。[西日本桜クルーズ-08]写真1 和歌山城天守曲輪と石垣。写真2 大天守と桜。写真3 天守曲輪門(楠門)と外国人ばかりの天守展望台。写真4 天守展望台からの眺め。写真5 紀ノ川河口と停泊中のジュエル号。写真6 本丸跡と連立式天守の鳥瞰。
2024年04月24日
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近隣の花見に出かけた。利根運河さくらは、満開を少し過ぎていた。ランチタイムを過ぎた頃に、桜並木を歩く。東武線運河駅から直ぐ近くなので、弁当持参でお花見をする人々が多い。コロナが下火になった今年は、マスク無+弁当食の風景が戻って来た。 運河さくらは、1週間遅れの見頃を迎えた。明日から風または雨に当たると、たちまち散りそうなサクラ。15時を過ぎても、木蔭で弁当や飲み物を広げて、今が盛りの桜を惜しんでいた。利根運河は、2006年度土木学会推奨土木遺産。[撮り溜めた写真から]写真1 利根運河水辺公園。写真2 両岸土手の桜並木。写真3 ふれあい橋から運河上流を望む。写真4 東京理科大側の桜並木を望む。写真5 左岸眺望の丘。写真6 花盛んな桜木と散り始めた桜並木。
2024年04月23日
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史跡和歌山城を抱く和歌山城公園は、花見の名所と知られている。岡口門から二の丸庭園までの桜並木を中心に約500の桜がある。桜まつり時期になると、園内に屋台が並び、ぼんぼりや提灯が設置される。特に石垣や城郭を背景とする夜桜が美しいとされる。 和歌山城は、標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に築かれ、北部をながれる紀の川を天然の堀としている。別名を「虎伏竹垣城」ともよばれる。海上から見ると、虎が伏せた姿に似ていることついた名前。大手門をしばらく進んだ場所に「虎伏像」が設置してある。 和歌山城の中を歩くと、濃緑の片岩が石垣・石段、敷石をよく見かける。紀州青石(結晶片岩)と呼ばれる。片状に加工し易い特徴がある。この地は、三波川変成帯にあたり、青石を大量に調達することが出来たのだろう。紀州青石と桜もよく似合う。[西日本桜クルーズ-07]写真1 二の丸庭園よりお城を仰ぐ。写真2 本丸御殿跡から天守閣を望む。写真3 公園内でお花見。写真4 紅しだれ桜。写真5 石垣・石段と桜。写真6 虎伏像とお堀の桜。
2024年04月22日
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寄港地の変更により、和歌山の入港時間が6時15分、出港が13時00分となる。滞在時間が短くなったので、7時頃に下船できるように準備。シャトルバスは期待できないので、タクシーを利用して史跡和歌山城に向かう。和歌山市側は、突然に大型クルーズ客船を受け入れることになったが、対応には慣れているようだった。 全長約300mのジュエル号は、和歌山下津港の西浜岸壁に接岸した。西浜の第3岸壁と第5岸壁を合わせると延長500mの大深度岸壁。この岸壁は、普段、関係者以外が立ち入り禁止。しかし大型クルーズ船が寄港すると一般解放される。17万トン級の大型クルーズ船を受け入れることが可能だという。 和歌山城へは内堀に架る「一の橋」を渡り、大手門から入場。一の橋は、最近修築されたようで新しい。大手門を抜けて、表坂を上り天守閣を目指す。途中、石材の種類によって、石垣の積み方が異なっていた。青い結晶片岩を使用したものは野面積み。砂岩を使用した打み込み接ぎ、花崗岩の切り込み接ぎ。歴史を感じる石垣だ。[西日本桜クルーズ-06]写真1 デッキ14階の前方部。写真2 和歌山港と朝日。写真3 堀に架る「一の橋」。写真4 大手門と岡口門。写真5 表坂の石垣と松の丸跡付近。写真6 青石(結晶片岩)が石垣や道路に使用。写真7 史跡和歌山城案内図。
2024年04月20日
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名古屋市役所近くの地下鉄名古屋駅からJR名古屋駅に戻る。駅構内のうまいもん通りで、名物の味噌カツでランチする。慣れない地下鉄等を乗り継いで、金城ふ頭駅に辿りつきシャトルバスで15時過ぎに帰還する。 ジュエル号の出港は17時。その30分前から地元有志の見送太鼓の演奏があった。航海の安全と再会を期した太鼓の演武。船が汽笛を鳴らし離岸すると、乗客も手を振って応える。三重の山並みに沈む夕日を眺めて、ディナーに向かう。 出港する前に、予定の高知ではなく和歌山に向かうことが知らされていた。高知港の海面水位の関係で上陸できない旨連絡があった。キャプテン判断とのこと。大型客船の日本沿岸を航行する場合、船長は難しいかじ取りを迫られるようだ。この船には、乗客乗員あわせて約3400人が乗っている。[西日本桜クルーズ-05]写真1 名古屋城駅口と金しゃち定食。写真2 ジュエル号に早めに帰還する。写真3 出港を見送る太鼓隊。写真4 客船が金城ふ頭を離岸。写真5 13階デッキからの港景色。写真6 三重の山並みと夕日。
2024年04月19日
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4月中旬なのに各地で夏日が続出している。暖かいを通り過ぎて、運動しなくても汗が出るほどに・・。クルーズ旅行へ出かける前に、撮影していた涼しげな富士山をアップします。 4月15日の埼玉県越谷市の最高気温は、27.4度。新潟県三条市では、32.5度を記録した。今後、農作物、動物や昆虫類に何らかの影響がでてきそうだ。最近、江戸川土手からは富士山が見えづらい。水蒸気、花粉、黄砂などが要因。春なのに生活しづらい日々が続く。写真1 菜の土手、白い富士。写真2 江戸川土手から富士を遠望。写真3 赤松と白い富士山。写真4 菜の花と筑波山。写真5 土手斜面の菜花と秩父山地。写真6 江戸川と富士。
2024年04月18日
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名古屋城天守閣に上れない分、名古屋城本丸御殿が混んでいた。30分待ちの行列だ。先の大戦で焼失した本丸御殿は、約9年をかけて2018年に全体公開となった。徳川家と狩野派が創出した芸術の世界だ。30を超える部屋や廊下には、一級品の絵画や彫刻、装飾品が詰まっている。入場無料+撮影可能。 観覧者が多く、ゆっくり観賞できなかった。主なポイントを順路に沿って整理しておく。 (1)玄関乃間:訪問者が待つ場所に「竹林豹虎図」。襖絵や障壁画の背景は全て金箔。(2)表書院:謁見場所であり3つの部屋が襖で仕切られている。「桜花雉子図」が描かれている。 (3)対面所:和歌山県出身の春姫との婚礼に使用したとされる場所。和歌山の風景などが描かれている。 (4))上洛殿:将軍家光を迎えたとされる場所。色鮮やかな色彩から淡い水墨画に変化する。狩野探幽が手がけた山水画「雪中梅竹鳥図」がある。 400年の歴史を持つ狩野派、時の権力者と関係を構築していた。戦国時代、一門を豊臣家、徳川家、宮廷の3グループに分けて、生き残る態勢で芸術を後世に伝えてきた。[西日本桜クルーズ-04]写真1 名古屋城本丸御殿。写真2 玄関乃間の「竹林豹虎図」。写真3 表書院の「桜花雉子図」。写真4 対面所の和歌山風景画。写真5 上洛殿の「雪中梅竹鳥図」。写真6 梅の間と廊下。写真7 本丸御殿の間取り図。
2024年04月16日
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訪れた日、「名古屋城桜まつり」が開催中で大勢の人出。クルーズ船乗客の多くの外国人も名古屋城に押し寄せた。外国観光客にとつて、お城と桜と富士山などが人気のアイテム。スマホを片手に、自由に動き回っているように見える。地図と交通路線そして翻訳機能がついたスマホが活躍している。 名古屋城の天守閣は、2018年以来閉館している。戦後1956年に鉄筋コンクリートで再建されたが、老朽化と耐震性で問題があるらしい。それに伴い、現在天守の木造復元化が進められているという。約500億円を集めて、2032年頃に完成させる計画。 コロナ禍で天守の「金の鯱」が地上に卸されて、市内等で披露される時期があった。「疫病退散 金鯱降臨」と呼ばれていた。高さ2.6mで、一対の重量は約2.5t、88kgの金量(18k)使用されている。金1kg=960万円とすれば、84億円になる。一方、大谷選手の元通訳が24億円を盗んだという。金量25kgに相当する。[西日本桜クルーズ-03]写真1 桜の名所・名古屋城。写真2 石垣と天守。写真3 鉄筋コンクリート造りの天守閣。写真4 表二乃門と金の鯱。写真5 華やかな桜祭り会場。写真6 空堀の桜並木と夜桜ライトアップ。
2024年04月15日
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ノルウェージャン・ジュエル号は、知多半島から昇る朝日を右舷に見ながら伊勢湾を進む。湾の懐深い名古屋港・金城ふ頭に、午前9時に接岸すめ。仮設テント内で、下船手続き後(パスポート、クルーズカードの提示)、シャトルバスに乗り込む。名古屋駅へ移動は、あおなみ線(金城ふ頭駅)を利用する。 金城(きんじょう)ふ頭は、昭和期に埋め立てられた島状ふ頭。大型船舶が接岸する商業港機能を担う場所。名港トリトン(伊勢湾岸自動車道、国道302号)からのアクセス容易であるため、大きな展示場施設が建っている。 金城ふ頭接岸の際、名港トリトンの3つの斜張橋を眺めることが出来た。その中で中央橋が大きく、全長1170m、支間長590m、主塔の高さは190mとされる。橋桁は海上面+47m、水深12mと言われている。因みに、ジュエル号の喫水深さは8.3m。船底が海底に接しないように、水先案内人が乗る。[西日本桜クルーズ-02]写真1 朝日を眺めて伊勢湾を進む。写真2 名港トリトンの橋(伊勢湾岸道)が見えてきた。写真3 赤い名港西大橋と白い中央大橋。写真4 金城ふ頭と中心街ビル。写真5 接岸広場と金城ふ頭駅前広場。写真6 高架式「あおうみ線」のプラットホーム。
2024年04月14日
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桜の時期、東京青海の東京国際クルーズターミナルからクルーズツアーに参加した。ゆりかもめ駅から歩いて、ターミナルビルを目指す。ターミナル建物よりも大きい大型客船「ノルウェージャンジュエル」がすでに停泊していた。船首と船尾がはみ出すほどの大きさ。3/31からジュエルで11日間のクルーズ旅行を楽しんだ。 2020年東京五輪に間に合わせるため建設された東京国際クルーズターミナル。しかし、コロナウィルスの流行で閉鎖状態だったが、2023年3月頃から大型客船が寄港するようになった。横浜と東京との誘致合戦もあるようだ。 ドレスコードが無く、カジュアルな服装で過ごせる船旅が特徴のノルウェージャンライン。乗船したジュエル号の規模は以下のとおり。全長294m×幅32.2m。総トン数が93,500トン。乗客定員2376人、乗船船員1070人。今回の国別乗客数は米国・英国人が約1200名、濠州560名、日本人128名が主な内訳。 予約した14時に乗船手続きして、船内で遅い軽ランチをとる。スーツケースの荷取り出した後、ツアー説明会に参加(約40名)。17時30分から夕食会を楽しむ。定刻の19時に出航。さあ出かけよう、パスポートと帽子とスマホをもって・・。8つに港に碇を下ろす、クルーズへと。しばらく、「西日本桜クルーズ」を掲載します。写真1 ゆりかもめ駅から大型客船を望む。写真2 東京国際クルーズターミナルを見下ろす。写真3 船上13デッキからの眺め。写真4 都心に明りが灯る。写真5 出港を見守る乗客と東京夜景。写真6 遠ざかる東京の灯。
2024年04月12日
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地下鉄銀座線・田原町駅の北側、西浅草に東本願寺がある。江戸期神田にあった寺院は、明暦3年の大火ですべて焼失した。その後浅草に移転する。葛飾北斎は、富嶽三十六景のなかで「浅草本願寺」の伽藍と富士を描いている。 江戸期の浅草本願寺は、21の支院と35の塔頭を抱え、境内の敷地が15000坪に及んだとされる。幕末には彰義隊の拠点に、日清戦争では俘虜収容所、第一次大戦ではドイツ捕虜300名以上を収容。戦いの後始末をしてきた歴史が西浅草にある・・。 門信徒開館の慈光殿の屋上に「寛永の大梵鐘」が設置されている。都内に現存する梵鐘のなかでは保存状態が良いとされる。大晦日に除夜の鐘を響かせる。抽選で108名の老若男女が鐘突きをする。写真1 浅草東本願寺の鉄筋コンクリート造りの本堂。写真2 浅草東本願寺の佇まい。写真3 本堂外陣の彫刻。写真5 阿弥陀如来像と梵鐘。写真6 慈光殿と北斎の浮世絵。
2024年04月11日
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雨上りの朝、菜の花が潤う鮮やかな土手から遠くの日光等の山々を望む。男体山(標高2486m)や女峰山(標高2483m)、大真名子山などからなる山並みは、関東平野から望めるので日光表連山と呼ばれる。この日、関東で最も高い奥日光の白根山のピーク(標高2578m)と遊覧気球ひとつが見えた。 日光白根山の左側(西側)に長い裾野を持つ赤城山が横たわっている。山頂付近に雲が懸かっていた。赤城山には、赤城山という峰がない。また、「赤城さん」とも言うこともあるが、「赤城やま」が一般的に呼び方。黒檜山(くろびやま標高1828m)を始め、7つ程の峰の総称が赤城山となっている。 神話の世界において、男体山の神(大蛇)と赤城山の神(大ムカデ)が戦っている。標高差658mと中禅寺湖の存在により、男体山の神・大蛇が勝利している。戦場ヶ原は、まだ白銀の世界か・・。写真1 菜の土手と日光遠山。写真2 菜の花サイクリングロード。写真3 奥日光白根山と手前に気球ひとつ。写真4 赤城山方面。写真5 浅間山と女峰山。写真6 江戸川土手の菜の花。
2024年04月03日
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吾妻橋の下流250mに架る青いアーチ橋の駒形橋。大きな弓梁で橋桁と床版を支えている。力強い鋼製アーチリブが特徴の橋。関東大震災の復興事業により、現在の位置に始め架けられた(昭和2年)。それまでこの場所には、「駒形の渡し」があった。 駒形橋の名前は、西詰にあった駒形堂に由来する。江戸時代、船着場で下船した人々は、駒形堂の本尊を拝んだ後、浅草寺に参拝したという。駒形堂と雷門とを結ぶ並木道があった。駒形堂には、頭上に馬頭を頂き、忿怒の形相をした馬頭観音が安置されていた。馬の保護神であり、旅の安全を守る神様。 広重・名所江戸百景に「駒形堂吾嬬妻橋」がある。駒形堂の近くには木材屋が多くあり、立てかけた貯木された木材が描かれている。更に白粉や紅を売る小間物屋もあり、長い竿の先に赤い布を括りつけている。その上空をホトトギスが飛ぶという構図の浮世絵。写真1 駒形橋西詰のオブジェ「御柱」。写真2 隅田川に架かる駒形橋。写真3 青いアーチ橋と東京スカイツリー。写真4 力感あるアーチリブ。写真5 隅田川テラス傍に建つ駒形堂。写真6 広重・名所江戸百景に「駒形堂吾嬬妻橋」。
2024年04月01日
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例年、サクラとほぼ同時に咲くハクモクレン。今年は、東京のソメイヨシノの開花が3月29日にずれ込こむ。昨年は3月14日だったが、一足先に木蓮が満開となった。ホワイトのモクレンは、上向きに咲き、咲き始めは卵のように見える。満開になると、遠くからでもその存在が分かる。 辛夷(コブシ)に似ているが、花びらに厚みあり、花びらは9枚だ。日当りの加減で花つきが異なり、しばらく花見をすることが出来る。気温が上ると、花びらの縁から褐色にくすみ始める。地面に落花すると土色に変色する。この点が桜の散り際と散後と異なる。しかし、大きな葉っぱは、夏に葉陰を提供してくれる落葉樹だ。写真1 菜の花と白木蓮。写真2 散ってゆくハクモクレン。写真3 花曇りの白木蓮。写真4 満開のハクモクレン。写真4 満開のハクモクレン。写真5 春雨に濡れて。写真6 鱗片葉の蕾と夏時期の葉。
2024年03月30日
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もう一つの春の風物詩、花粉飛散が早く終わりになればよいが・・。耳鼻科や皮膚科の診療所に列ができる光景が減ったように感じる。但し、スギが終わってもヒノキがある。良く晴れ、暖かい日には、花粉浮遊がもたらす「花粉光環」が見られる。太陽が高ければ直視は、危険なので標識等を盾にして見る。 現代日本人の4割以上が花粉症を患っているとされる。1950年代には花粉症という言葉なかったという。1970年以降増加し、病院や薬なども充実してきた。花粉症気味でない人が希少価値になっている。花粉症増大の原因は諸説あり、以下のような要因が複合している。 (1)杉の大量植樹、その後の管理状況。 (2)食生活の変化とアレルギー反応。 (3)抗生物質の普及。(4)大気汚染(排気ガス、黄砂、PM25)物質に花粉が反応。 国全体でみても花粉症に要する医療費は無視できないと思う。写真1 花粉飛散、後光さす標識。写真2 花粉飛散日の夕日。写真3 屋根の上の光環。写真4 花粉光環。写真5 歪んだ朝日。写真6 対岸の朝富士。
2024年03月29日
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浅草付近を流れる隅田川には、赤・青・緑の3つの橋が架かっている。上流から赤い吾妻橋、青い駒形橋、緑の厩橋と並んでいる。いずれもアーチ橋だ。隅田川の右岸テラスは歩行者用に整備されているので、散歩に適している。夕刻から夜にかけて、特に賑わう吾妻橋界隈。食事、遊覧船、スカイツリー等のライトアップなどがあり、夜景の人気スポットとなっている。 現在の吾妻橋は、関東大震災後に架け替えられたもの。橋長150mの3径間のアーチ橋。橋桁を下アーチが支えている。テラスを歩くと、その列状の密集した鉄骨が目に入る。西詰側が台東区雷門、東詰側が吾妻橋となっている。江戸期には大川橋と呼ばれていたがその後、東橋となり、吾妻橋になったという。 吾妻橋の西詰・橋台に人道トンネルが出来ていた。以前テラスを歩いて、吾妻橋を横断する場合は、一度道路面に上り横断歩道を渡って、テラスに降りていた。しかし、このトンネルを利用すると、上下運動と横断歩道待ちが解消される。川景色を歩いて楽しむ人やジョギングする人には便利な抜け穴になる。写真1 隅田川吾妻橋付近を眺める。写真2 赤い下アーチ橋の吾妻橋。写真3 吾妻橋下と通り抜けトンネル。写真4 アサヒビールの「金の炎」と東京スカイツリー。写真5 青い橋は駒形橋、緑の橋は厩橋。写真6 煌びやか夜景と昔の吾妻橋絵図。
2024年03月27日
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日本橋・コレド室町の東側に位置する裏通りがピンク色に彩られていた。アジサイ通り、又はオカメザクラ通りとも呼ばれる。2006年に二十数本が植えられたのが始まり。その後も植樹が続けられて、今では700mの桜並木となっている。但し、道路が狭く、交通が多い。日本橋三越本店に近いので、外国観光客も訪れる裏通り。 オカメザクラ(阿亀桜)は、下向きに咲き、小さい花びらが特徴。寒緋桜と豆桜とを交配して出来た品種。濃いピンク色の早咲きのサクラ。丸顔、頭が小さい、垂れ髪の「おかめの面」を連想させるので、オカメザクラの名前がついたという。福を呼ぶ面相にあやかっている。近くのビルの谷間に、「福徳神社」がある。写真1 日本橋室町裏道のオカメザクラ(阿亀桜)。写真2 阿亀桜の並木。写真3 ビル街のオカメザクラ。写真4 下向きに咲くサクラ。写真5 濃いピンク色の花びらとおかめ面。写真6 ビルの谷間の福徳神社。
2024年03月26日
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東京スカイツリーと富士山をコラボして撮影できるスポットとして、「かまがやスカイビュー」がある。鎌ヶ谷の屋上を展望デッキとして開放している。市役所の建物なので、開館時間帯に利用することになる。原則として土日は、屋上への立ち入り禁止となる。 都内に用事があったので船橋行きの東武線に乗車する。新鎌ヶ谷駅で途中下車して市役所の屋上に上る。この日、晴れていたが花粉の飛散量が多いためか、霞んだ景色だった。スカイツリーと富士山は比較的よく見えた。花粉霞みのなか新宿副都心や麻布台ヒルズを確認。以前見えていた東京タワーが高層ビルの陰になっていた。写真1 鎌ケ谷市―市役所の屋上からの眺め。写真2 富士山と東京スカイツリー。写真3 都心のビル群を望む。写真5 かまがやスカイビューと市役所建物。写真6 夜景撮影は時間的に秋冬に限定される。
2024年03月24日
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芝増上寺を久し振りに訪れた。大門から三解脱門そして石段を昇り大殿(本堂)へ辿るのが一般的。大殿の耐震補強工事で長らく閉館していた宝物展示室が2024年1月からリニューアルオープンした。大殿の地下にあるため、見過ごしてしまうかも。 展示室の多くを占めるのは、「台徳院殿霊廟模型」。徳川二代将軍秀忠公の廟所で、壮大な建築物であったが、戦災で焼失(昭和20年)した。10分の1のスケールで精巧に作られた模型が、英国に保管されていので、2014年増上寺に長期貸与されている。 増上寺は、浄土宗の七大本山のひとつ。江戸期には広大な敷地と多くの学寮が立ち並び、3000人を超える学僧の念仏が全山に鳴り響いたという。倒幕維新と第2次大戦を経て、昭和49年に大殿の再建が成された。念仏を唱え、浄土往来を願い、平和を求めるのが当お寺の役割だという。夏至と冬至には石段に灯籠を並べるキャンドルナイトが知られている。写真1 芝増上寺と東京タワーそして森JPタワー。写真2 三解脱門と千躰子育地蔵尊。写真3 増上寺大殿。写真4 常設展の出入口。写真5 展示ラウンジの壁画や書。写真6 宝物展示室の台徳院殿霊廟模型(1/10スケール)。
2024年03月23日
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春の朝は明るい。少し前まで朝6時頃は薄暗かった。春分を過ぎた今は、天気が良ければ青空が見える。菜の花咲く土手を朝散歩していると、沢山いるカラスと異なる鳥が近くを飛んでいた。江戸川でよく見かけるミサゴだ。 ミサゴ(鶚)は魚鷹と異名があり、空飛ぶ漁師と呼ばれてきた。ホバリングして垂直降下して魚を足爪で獲る。水に飛び込む音の「びしゃご」が転化して、「みさご」となったという。米軍用機のオスプレイは、ミサゴをイメージしている。 この日、遠くの山々がよく見えた。菜の花を添えて写真を撮る。筑波山には。狼煙のような雲が浮かんでいた。写真1 江戸川と奥日光方面を望む。写真2 江戸川上空。写真3 ミサゴ(鶚)の飛翔。写真4 菜の花さく土手。写真5 筑波山。写真6 富士山と妙義山。
2024年03月21日
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東京浅草から少し足を伸ばして、満開となったモミザと早咲きのサクラを観に行った。ビル等に囲まれた一画に、ひっそり佇む蔵前神社。その小さな境内に、鮮やかな黄色のモミザと蔵前桜と紅色の寒緋桜が植えてある。ふんわりとし香りを楽しんだ。 明るい黄色のふあふぁした花を枝先に房状に咲かせるミモザ(Mimosa)。枝にまとわりつく羽毛にも見える。ちいさなポンポンとも。ミモザは、マメ科アカシア属。日本にはギンヨウアカシアやフサアカシアがある。ヨーロッパでは、春を告げる花として女性に人気で、「ミモザ祭」がある。花言葉に「思いやり」、「秘密の愛」などある。 蔵前神社は、5代将軍徳川綱吉によって創建された。江戸城からみて北東方向 当時「石清水八幡宮」と呼ばれ、広い敷地を有していた。勧進相撲がしばしば行われたという。関東大震災や東京大空襲により、焼失し現在に至る。写真1 ミモザと早咲きサクラの競演。写真2 蔵前神社鳥居のサクラ。写真3 境内を彩るミモザと桜。写真4 春を告げる黄色小花。写真5 蔵前桜と寒緋桜。写真6 元犬像と相撲碑。
2024年03月20日
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麻布台ヒルズへは、地下鉄日比谷線の神谷町駅を利用した。東京麻布街とあって、地下鉄3線(日比谷線、南北線、大江戸線)が通っている。秋葉原駅からだと、ヒルズに直結する日比谷線・神谷町が便利。地下駅の改札を抜けると駅広場に到る。森の中を馬車が行く壁画で囲まれた広場だ。 「緑に包まれた広場のような町(モダン・アーバン・ビレッジ)」をコンセプトにした麻布台ヒルズ。中央広場を中心に、ファション、カルチャー、ウエルネスなど約150店が集まっているという。中央広場のシンボルは、大屋根「The Cloud」。強い日差しを避ける役割とイベント舞台になるようだ。 森JPタワーの低層部にも、大型書籍、雑貨類など多様な業態の60店舗がある。レストランゾーンは、3階に集中している。食事後、33階の展望ロビーで景色を楽しむのが定番。タワーのオフィス入口から近い、専用エレベータがある。しばらくの間、土日は混雑しそうだ・・。写真1 麻布台ヒルズの中央広場。写真2 神谷町駅近くの駅前広場。森の中を進む馬車のイラスト。写真3 「東京の森の子」とマーケットへの通路。写真4 麻布台ヒルズ・レジデンスA棟。写真5 大屋根「The Cloud」とガーデン。写真6 森JPタワーのオフィス入口とエレベーターホール。
2024年03月18日
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前夜の雨で菜の花がお辞儀していた。花と葉に纏わりついた水滴で、寒そうな姿に見える。この日は、白い富士と紫の筑波山が見えたので、菜の花を入れて撮影する。 花粉の飛散が少ない朝に、頑張って歩いている。来る長期旅行に備えて、足腰の調子を維持しておく必要がある。帰宅すると口と花を欠かせない。そして目元を洗うようにしている。今年の花粉量は、例年の倍以上と報道されている。弱い雨の日または風のない日が多くあってほしい。写真1 江戸川右岸土手の朝は菜の花。写真2 低層雲から頭を出している富士山。写真3 菜の土手と筑波山・富士山。写真4 都心を遠望する。写真5 東京スカツリとクリーンセンター。写真6 江戸川越の富士見景。
2024年03月17日
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都内へアルバイトに出かけた際、空き時間をつくって麻布台ヒルズにある展望台「スカイロビー」を訪れる。スカイロビーは、麻布台ヒルズの中核を担う「森JPタワー」の33階にある。フロアの1/4程の窓辺を一般開放している。 展望景色は、近くに東京タワー、港区のビル群も南東方向にレインボーブリッジ、そして南西方向に丹沢山地から顔を出す富士山が見える。主に南側景色が対象となるので、逆光気味になる。港夜景が美しいと言われている。夕方に上りたいスカイロビーだ。なお北から東の景色は、メンバーラウンジとなっている。 3つの超高層ビルで構成される麻布台ヒルズ。森JPタワー、レジデンスA、レジデンスB。大型商業施設を擁する森JPタワーは、高さ325m×地上52階×地下5階で日本一の超高層ビル。約3.5年で完成している。因みに超高層とは、建築基準法で60m以上の建築物とされる。高さ100mビルは、並のビルに見えてしまう。写真1 麻布台ヒルズからの南西景色。写真2 33階スカイロビーと富士見景。写真3 東京湾とレインボーブリッジ。写真4 中央区と港区の街並み。写真5 東京タワーと六本木ヒルズタワービル。写真6 34階のカフェで休息。写真7 33階と34階のフロアマップ
2024年03月14日
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芝・増上寺を取り囲む形状の芝公園。惣門(そうもん)を抜け、石段を上ると惣門跡地に河津さくらが満開を迎えていた。サクラと東京タワーに加えて、麻布台ヒルズの超高層ビルが見える。青い空とオレンジ色の鉄骨、ピンク色の河津さくらが美しい。 東京タワーと競うように立っているのは、森JPタワー(麻布台ヒルズの中核のタワービル)。高さが325mで、大阪あべのハルカスを抜いて日本一のノッポビル。お隣の東京タワー(高さ333m)に、遠慮したのだろうか。 芝公園は、東京都、港区および民間が管理する公園の総称。江戸期、第2代将軍・徳川秀忠の霊廟が造られた場所。その敷地面積は1.7m2(サッカーグランド2面分)と広大。都道409号に面して、「旧台徳院霊廟惣門」がある。惣門とは、禅宗寺院などの表門とされ、昔は監視する番頭が駐在していた。現在、木造彫刻の仁王像が睨みを利かせている。写真1 さくらタワーと高層ビル。写真2 芝公園の河津さくら。写真3 オレンジ色とピンク色。写真4 吊木と東京タワー。写真5 惣門を抜けるとタワーとビルの背比べ見られる。写真6 旧台徳院霊廟惣門の仁王像。
2024年03月13日
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朝散歩の際、富士山上空とその周辺に複数のレンズ雲が浮かんでいた。富士山上空に浮んでいた単独のレンズ雲が二つになった。親子のように、寄り添う姿のようにも見えた。今朝の雲変化は、これから天気が崩れてゆくことを占っている。写真1 富士山に番いのように浮かぶレンズ雲ふたつ。写真2 江戸川上空の雲。写真3 朝富士と単独のレンズ雲。写真4 暫くするとレンズ雲が寄って来た。写真5 レンズ雲変化。帽子のように・・。写真6 江戸川土手からの雲景色。
2024年03月11日
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江戸川に架かる総武本線鉄道橋の下流に、花見のスポット(江戸川堤公園)がある。JR市川駅から歩いて10分ほどの江戸川左岸土手沿いに、等間隔に約40本の河津さくらが並んでいる。天気が良ければ、弁当を広げるグループもいる。 江戸川堤公園の河岸に、防災状の船着き場もあり、土手天端幅が広い。河津さくらは、約15年前市民による「さくらオーナー」が植えたもの。年月の経過とともに、桜の成長している。川を吹き抜ける風に負けずに成長している。整備された江戸川堤公園からは、富士山とスカイツリーのコラボレーションを楽しめる。この時期、チャリダーが休息する場所だ。写真1 江戸川土手から富士山とスカイツリーを望む。写真2 江戸川と東京スカイツリー。写真3 江戸川左岸土手の河津さくら。写真4 花見散歩のさくら堤公園。写真5 市川南の河津さくら。写真6 アイリンクタワーの展望デッキ。
2024年03月09日
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