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「マリアージュ 神の雫 最終章」26巻目は昨年の12月発行なので、日本より半年ほど遅れて全冊70冊を読み終えました。手元にある「神の雫」の1巻目は2009年の第12冊発行なので、最初の発行から4年後に読み始め約10年間で読み終えたことになります。帰省の時に纏めて買ったり友人や家族にシンガポールまで送ってもらったり、それだけでも思い出があります。 改めてこんな凄いワインの本(教科書以上)をリアルタイムで読むことが出来たことに、原作者の亜樹直さん、作画のオキモト・シュウさん、講談社に感謝します。 神咲雫と遠峰一青との「12使徒対決」を描いた「神の雫(全44冊)」の42巻目から44巻目までを購入し応募した人に「裏使徒12本」について書いた「ライナーノーツ」を差し上げますというのを締め切り後に見つけ、ダメ元で「シンガポールに住んでいるため見るのが遅れて~」と理由を書いて「ライナーノーツ」を実家に送って欲しいとお願いの手紙を講談社に送りました。 諦めかけていたところ実家から届いていると連絡があり、郵便でシンガポールに送ってもらったという思い出もあります。 最終となる26巻目を読み終わった後、どんな気持ちになるだろうと正直ドキドキしながらページをめくっていきました。 一番衝撃だったのはやはり遠峰一青の「死」です。13本目となる「神の雫」をブルゴーニュで見つけ、神咲雫との表現対決で引き分けとなった後、全てを燃やし尽くしてしまったかのように・・・愛するローランが彼の子を宿していたこと、遺骨はブルゴーニュにというメッセージ、遺言として神咲雫に渡された手紙など、決してこれで完結ではなく「新たなワインへの旅」という未来に向けた遠峰一青の熱い熱いワインへの思いが伝わって来て、想像以上の素晴らしいエンディングでした。 しばらくはこの余韻に浸っていたい気持ちです。
2021.07.21
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アルゼンチンの国土の1/16の小さな国です。 5月9日の「ヴィノスやまざき」でのイタリアワインのテイスティングで店主から最近注目を浴びている産地「ウルグアイ」のワインの紹介もありました。「ウルグアイはどこ?」と思いましたが「アルゼンチンの隣の国ですよ」と言われ、アルゼンチンの隣国であれば美味しいワインを造っているはずとまずは白のソーヴィニヨン・ブランを購入しました。「COLINAS DE URUGUAY] 2022年、アルコール度数は12%です。初日は思ったより酸味が際立っていましたが、翌日には酸味も落ち着いてソーヴィニヨン・ブランらしいほろ苦さもありました。ただ正直に言うとチリやアルゼンチン産の手頃な値段のソーヴィニヨン・ブランで十分かなぁという感じもありました。 そしてもう1本ショップにあったウルグアイの赤も気になって先週行って来ました。葡萄品種は「TANNAT(タナ)」で「ウルグアイの代表的な品種で果実味豊かなタナの味わいをストレートに表現」と説明があります。2021年、アルコール度数13%です。店主から「赤身の肉に合いますよ」とアドバイスを貰い最近嵌っている「鯨ユッケ」を用意しました。開栓して一口飲むと果実味というより深いコクのあるワインで甘みは全くなくそれが鯨肉とも最高のマリアージュでした。後で葡萄品種「タナ」を調べてみるとフランス原産で語源は「TANNIN(タンニン 渋み)」だそうですが、2021年でも渋みは程よく抑えられ円やかさもあり私には「高級ワイン」&「コスパ最高」という感じでした。
2024.05.21
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今朝起きてカーテンを開けて空を見上げるとここ2~3日の曇り空から一転、青空が広がっていました。やはり天気が良いと気持ちも良いものです。そして朝のNHKのニュースで「140年前(1884年 明治17年)の6月1日に日本全国の予想をたった1つの文で表現した日本初の天気予報が掲示された日」と情報があり「どの観測所による情報なのか気になる人はネットで調べてみて下さい」との事でした。 画面に映し出されたたった1つの文は「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ(全国的に風向きは特に決まらず、天気は変わりやすいですが雨になりがちでしょう」で東京の派出所等に掲示されたそうです。 調べてみるとこのざっくりとした天気予報の原因は当時全国に22(現在は約1300ヶ所)の観測所があったものの海上などのデータも無く、得られるデータがかなり少なかった事にあるようです。そしてざっくりながらこの天気予報が可能になったのは1800年代にイギリスで「電報」が開発され情報伝達がほぼリアルタイムになり、その技術が日本に伝わったためという事です。 確かにそれ以前は「ツバメが低く飛ぶと雨になる」のような信憑性はあるけれど「言い伝え」が庶民の間に浸透していた事を思い出します。 天気の事を考えていてふと「テルテル坊主」の事を思い出しその起源は?と調べると発祥は中国という記事がありました。中国の「掃腫娘(そうせいじょ)」という少女が晴れを祈る中国の伝説とあり、日本には江戸時代に伝わったようですが、何故女の子から坊主になったのかは髪が無くお坊さんのようだからなのでしょうか?今の時代「明日は楽しみな行事があるから」と言ってテルテル坊主を吊るす子供がどれだけいるかなぁと思いながらシンガポールに20年住んで「天気の事をあまり気にしない(雨が降るか降らないかだけで一年中日中の気温は30度ぐらい)」生活から天気予報の情報が頻繁に流れる国に戻って来て情報は有難いとは思いながら時々情報過多かなぁ・・とも思ったりします。
2024.06.01
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シンガポールに20年間住んで住みやすさを実感する1番目が「安全性」です。政府が「犯罪が少ないというのは決して犯罪がゼロではない」とビルや住居のセキュリテイの質を年々向上させています。そして2番目は「ゴミの分別がなくいつでも捨てられる快適さ」です。 12月に入り本帰国を控えて処分する大型の家具の事で不動産屋さんに確認すると4人掛けの食卓テーブル(椅子4脚)、ソファ、机はコンドミニアムの1階にあるごみ置き場には捨てられないので業者にお願いするしかないということで3つ合わせて100ドル~300ドル(1万円~3万円)くらいと言う事でした。不動産屋さんが業者を手配してくれるので問題ないのですが、政府系の住宅(HDB)に住む友人からHDBではどんな大型の家具でもゴミ置き場に捨てたり無料で回収をお願い出来ると聞き驚きました。住宅の種類によって粗大ごみの扱いが違うようですが、それでも日本に比べると手軽に捨てられるという感じです。 シンガポールのフリーペーパー「SingaLife」に「コンドミニアムの場合テーブル、椅子、戸棚などの粗大ごみは粗大ゴミ置き場に置いておくと契約している収集業者が回収してくれます」とあるのでもし費用が発生しても貸主の負担かなと思い、不動産屋さんに相談する前にこの記事を見ていたら無駄な出費が無かったのかなと後悔です。 粗大ごみは別として普段家庭で出るごみに関してはシンガポールは全く分別せずに各階にある「ダストシュート」にポンと捨てるだけでこの生活を20年間続けると帰国してからの事が大袈裟ではなくかなり心配になります。 検索すると日本では各地方自治体によって違いがあり、またダイオキシンを発生させない高額な焼却炉がある自治体はそんなに分別のルールが厳しくないというのもあり統一できないものなのかなぁと考えます。別の記事には分別が嫌であれば直接ゴミ焼却炉へ持って行く手もある等と書かれていますが、車が無い場合まさか地下鉄やバスに乗ってというのはあり得ないだろうなぁとか・・。各自がゴミを増やさない工夫をしながらも少しでも分別の負担を軽くするある程度国内で統一した方法を政府には是非検討してもらいたいです。 「追記」2024年2月28日 本帰国してほぼ2ヵ月が過ぎゴミの分別やごみ捨てのルールを少しずつ学んでいるという感じです。最初はきちんと出来るのだろうかという不安ばかりが大きかったのですが、意外に何だか人間らしい生活をしているような感じです。ゴミを減らすために極力食べ残しや捨てる食材を減らす事、不必要な包装はしてもらわない琴など考えさせらる事が多いです。 何でも楽しんだ者勝ちかなと思ってニトリの「分別ゴミ袋スタンド」をネットで見つけて購入しました。550円という安さも人気の秘密で品切れがで数日待って今日受け取りました。早速3種類のポリ袋をかけてみましたが、なかなかお洒落でこれからの分別も楽しくなりそうです(^^♪
2023.12.19
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漫画「神の雫」はワイン評論家「神咲 豊多香」が残した時価20億円と言われるワインコレクションを巡って、息子の「神咲 雫(太陽ビール・ワイン事業部勤務)」と新進気鋭の天才ワイン評論家「遠峰 一青(実は雫の異母兄)」のワインバトルの物語です。 全44巻で12本の正体が明らかにされ、13本目になる「最上の1本・神の雫」のバトルは「マリアージュ 神の雫 最終章」へと続きました。 12本についてはフランス ブルゴーニュ地方の「グラン・エシェゾー」など「赤ワイン」が9本(うちイタリア2本、カリフォルニア1本、スペイン1本)で、残りの3本がブルゴーニュ地方を代表する白ワイン「シュヴァリエ・モンラッシェ」、シャンパン、とボルドー地方の甘口ワイン「シャトー・ディケム」でした。 ワインバトルは神咲豊多香が残したメッセージを頼りにワインの銘柄だけでなく生産年を言い当てるという「神業」に近いもので、そのために命の危機に陥ることもあります。 その中の「第2の使徒」で「モナ・リザ」がワインを絞り込むヒントとして使われていました。絵画好きとしては嬉しい限りです。「神の雫 第7巻」から。 神咲豊多香がイタリア旅行中に偶然立ち寄った「ダ・ヴィンチの生家」で彼の魂は1人の芸術家と邂逅します。そして2枚の絵を見せられ「どちらが好きか」と芸術家に尋ねられます。左の絵は「春に描かれ、子を宿したばかりの女性」右の絵は「夏に描かれ、モデルは誰かは答えられない(多分ダ・ヴィンチ本人)」というヒントを受けて、神咲豊多香は「心を真綿のように包んでくれる女性的な左の絵の方が好きだ」答えます。 そしてこのメッセージを基に雫と一青が選んだワインはどちらもボルドー左岸「マルゴー村」の「シャトー・パルメ」です。雫が選んだ葡萄の生産年(ヴィンテージ)は2000年、一青が選んだのは1999年です。 2000年はフランスでは「グレイト・ヴィンテージ」と呼ばれる年で気候条件にも恵まれ特に「カベルネソーヴィニヨン」の質が良く、その良さに頼って多用したためより男性的になったと漫画の中で説明があります。逆にグレイト・ヴィンテージではなかった1999年にはより円やかな味わいを出す「メルロー」を多用したことでワインがより女性的になったとあります。 結果、第2の使徒選びは「より女性的なワインを選んだ」一青の勝利となります。正に農業生産物であるワインの神髄です。シャトー・パルメ・・・飲める日がいつか来るのかなぁ・・・。
2021.06.21
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昨日のネットの記事で2025年開催「大阪・関西万博」で商用運航を目指す「空飛ぶクルマ」のパイロットによる初テストフライトの記事を見ました。 米国企業開発の「ヘクサ」 ちょうど朝ドラ「舞い上がれ」の着地点が2025年の万博からその2年後である事を知って、舞ちゃんが夢だったパイロットデビューをこの「空飛ぶクルマ」でするのかなぁと・・。早速今朝の回で万博の話題が出ていました。 昨日のテストフライトは万博の会場まで「空飛ぶクルマ」を運航する事業者の1つに選ばれた商社「丸紅」等によって大阪城公演で行われたようです。大阪城とのツーショットを見ると現実味が増します。 実は私はアニメに現れたような円盤系に近い簡素なデザインの空飛ぶクルマを想像していたのですが、それは未だ未だ先の話のようで、「ヘクサ」にプロペラが18枚も付いているとちょっと物々しい感じです。全長4.5m 高さ2.4m 重さ221㎏で1回の充電で10㎞飛べるそうです。 テストフライトはプロペラが回り始めると機体は8mほどの高さに上昇し、上空で50m四方で前後左右に移動したり旋回した後着陸したと記事にあり、初フライトは無事成功だったようです。 「舞い上がれ」のクランクアップは先月10日なので、舞ちゃんがこれと同型の空飛ぶクルマを運転するシーン(大河内教官の指導の下✈もちょっと期待)は撮影済みと推測しますががこのシーンが出てくるのは来週?それとも最終週?と今から期待で一杯です。 そしてドラマではなく現実世界で今から2年後にクルマが空を飛んでいる・・・。未だ未だ私には実感が湧かないですが、取りあえずはドラマの中で一足先の疑似体験をと楽しみにしています。
2023.03.15
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今朝のNHK「あさイチ」のコーナーで岩見沢市にある農場「北海道ウィングファーム」で生産する「フランス鴨の卵」を紹介していました。鶏卵よりちょっと大きめで殻が硬いので割る時に力を入れる必要があるそうです。割った卵は「オムレツに?」と思っていたら日本のソールフード「卵かけご飯」が映し出されました。クリーミーで甘みもあり一味違う美味しい卵かけご飯が味わえるようです。 プリン等のデザートも試作中だそうです。 良好な環境と良質なエサで1日300個ぐらい産卵。 この農場で飼っている鴨は「バリバリー種」というフランスで一番好んで使われる品種で鴨の中でも最も大型だそうです。肉質が柔らかく臭みやクセが少ないようなので卵以外の製品にも興味深々です。 与えるエサのこだわりについては美唄市産の玄米を入れたり、長沼町で作る「おから」にカルシウムを増やすために温泉水を混ぜているという事でした。気になるお値段は1個100円で希少価値の卵にしては安いと思いましたが10個だと1000円なのでやっぱり高級卵です。早速「北海道ウィングファーム」のホームぺージにアクセスしましたが残何ながら50個入り、22個入り共完売でした。産卵は夏までという事なので運よく今年食べられるかなぁと・・。やっぱり卵かけご飯とフランス起源のオムレツを作ってみたいものです。 ふとオムレツは本当にフランス起源?と思って調べると「古代ペルシャ説」が有力のようです。ただ現代に近いオムレツはやっぱり16世紀フランス発祥だそうです。フランス語の「Omelette」から日本語のオムレツだからやっぱり当然です。因みに日本では6月2日が「オムレツの日」でした。これはフランス語の「オム→6」「レツ→2」の語呂合わせだそうで「日本シュリンク包装卵協会」が「オムレツを通して健康を育む日にしたい」という想いから制定したそうです。色々考えるものだなぁと🥚出来れば6月2日にフランス鴨の卵のオムレツにフランス産の美味しい白かロゼワインを頂きたいものです。
2024.05.20
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シンガポールのホテルと言うと最近は最上階が船の形になった庭園とプールがある「ベイ・サンズ」が有名になっていますが、格式、伝統で言えばやはり「ラッフルズホテル」が一番だと思います。 ホテル中庭にある「ラッフルズ卿の胸像」 マーライオンの真正面にベイ・サンズ ラッフルズホテルが設立されたのは1887年でホテル名はシンガポール創始者であるスタンフォード・ラッフルズ卿に因んで名付けられました。当初は10室のバンガローのみでしたが、20年後には素晴らしい外観を持つ本館が建設され、また1989年からは2年半かけて1915年当時の栄光ある外観を復元する改築工事が行われました。 そして2017年から2年ほどかけて再度改修工事が行われ、2019年8月にリニュアルオープンしています。改修工事が少し始まった頃に「ラッフルズホテル内ツアー」が企画され、泊り客でも見ることが出来ないという所にも入りガイドさんの説明が聞けるということで友人と参加しました。 「マイケル・ジャクソン」が宿泊したというスィートルームも見ることが出来ました。部屋以外の回廊のようなところも全て個人用で宿泊費用を聞いただけでも驚き、正直それがいくらだったのかはっきり覚えていないくらいです。 また、イギリス人作家「サマセット・モーム」が「月と6ペンス」を執筆したホテルとしても有名で、1919年に出版された31年後にシンガポールを再訪してラッフルズホテルに滞在しています。写真の下に「Somerset Maugham(サマセット・モーム 写真右側 1950年」76歳の時の写真です。 「月と6ペンス」がサマセット・モームの作品であることは知っていても、内容が画家ゴーギャンをモデルに描いたものであることも知らなかったので、早速紀伊国屋書店で文庫本も購入し後日、最初の1ページを開くためにラッフルズホテルへ向かいました。
2020.10.29
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先日スイス人が経営する食材店「Huber's Butchery」に行った時にビールコーナーもじっくり見てみました。いつもチーズコーナーを時間をかけて見て、次に野菜、総菜、肉という順番でしたが、最近シンガポール産のタイガービールや日本産以外のビールを飲んでいるうちにビールにも奥深い物語があって「駆けつけ三杯」以上の興味深い飲み物という事に目覚めました。330ml 賞味期限は2023年10月14日 ドイツ産やベルギー産のビール以外にも数種類あったスイス産ビールから選んだのは「Appenzeller Bier(アッペンツェラー・ビール社」の「Quollfrisch(クウォルフリッシュ)」で、決め手はいかにもスイスという感じのラベルのデザインです。 聳える山々の前に湖らしき風景と民族衣装(トラハト)を着た3人の男性の左横に犬が一匹、そして右側には放牧された山羊が描かれいかにも牧歌的な雰囲気です。家に帰って調べてみるとビール会社名は町の名前「アッペンツェル」が由来で1886年に創業しているので137年の歴史があります。ビールに使われる水はアルプスで生まれる硬度が低く飲みやすい天然水(ミネラルウォーター)で麦とホップもスイス産だそうで期待が大いに高まります。 アルコール度数が4.8%と軽めですが、一口目はやはり「アルプスの天然水」と言う前情報のせいか今まで味わった事がないような水の美味しさが際立つビールでした。「Huber's Butchery」で購入のラム肉のソーセージに合わせましたが、もうちょっとあっさりしたソーセージの方が相性が良かったかもしれません。アッペンツェルはスイスチーズの銘醸地でもあるようなので次回はこの町のチーズを探しにお店に行く楽しみが出来ました。 ところでWine Connectionではドイツビールの取り扱いがあって、ワインと一緒に一本買ってスイスビールの後に飲んだのですが、このビールのコクが本当に美味しくスイス対ドイツはどらちに軍配?と考えるとドイツかなぁと思ってしまいました。アルコール度数が5.5%なので理由はそれかな?とも思いますが消費期限をチェックすると2024年4月になっています。消費期限を考えるとスイスに軍配ありとも思ってしまいます。
2023.09.08
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イギリスは陸軍の縮小で2010年と比較して現在は7割の約7万3千人に。 最近のニュースで目を引くのはイギリス保守党の「スナク首相」が7月4日に行われる総選挙で勝利したら「18歳を対象に12ヶ月間の兵役を導入する」と公約に挙げた事です。イギリスでは1960年に徴兵制は廃止されていて、アンケートでは若い層の反対意見が多いのに対して65歳以上では半数近くが賛成という結果も出ていました。この動きはイギリスに限った事ではなくフランスやオランダ等でも徴兵制復活の意見が出ているようです。 もしシンガポール在住の経験が無ければ「徴兵制って何だか世界大戦の暗いイメージ」と思ったかもしれませんが、シンガポールは世界66ヵ国で実施されている徴兵制がある国の1つで、マレーシアから独立した1965年の2年後から始まり現在に至っています。独立当時、シンガポールはイギリス軍に国の防衛を頼っていましたが、徐々にイギリス軍が撤退したため徴兵制を導入したという経緯です。「イスラエル」や「台湾」を軍事練習のモデルにし、イスラエルの場合は近隣の諸国がイスラム圏であること、シンガポールも北にマレーシア、南にインドネシアとイスラム圏の国に挟まれているからというのが理由です。台湾では現在も軍事演習を行っています。 「NS(ナショナル・サービス)」と呼ばれ基本的には男性のみ18歳から約2年間の義務ですが、通っている学校や個人的な事情によって兵役の時期には個人差があり年々フレキシブルな対応になっているようです。 来星当時はこの2年間学校の勉強の中断や職場での経験が女性より遅れてしまうため、女性の方が給料が高くなったりすると聞いて驚きました。そして昔は厳しい訓練で大変だったようですが、時代に合わせ今はそれほど厳しい訓練はないと聞いています。逆にNSで訓練を受けることによって「泳げなかった我が子が泳げるようになった」とか「きちんと社会生活に適応できる逞しい青年になってくれた」とか「人間育成」という意味でも歓迎している親たちの声も結構聞きました。当然この制度に反対している人達もいるのではと思いますが、そこはやはり強権国家の強みがあります。因みに親がPR(永住権)を持っている場合、国籍に関係なく子供は兵役の義務があります。 在星時に徴兵制に対して悪いイメージが無かったため、世界での紛争が増えている現在自国の平和を守るために国民が義務として兵役に就くのは良い事ではないかとも思います。ただイギリスの場合この徴兵制の再導入には約25億ポンド(約4800億円)の予算が必要だそうで、総選挙に勝利したとてもこれを実行に移すのは難しいという予測もあるそうで今後の行方に注目です。 ふと思うのは既にスウェーデンやノルウェー、デンマーク等、危機感を感じるヨーロッパの国々で徴兵制が導入されている昨今、日本は相変わらず憲法9条改正の議論も進まず、戦後ずっと自国防衛についてアメリカ頼りの姿勢を貫いている事にはやっぱり時代にそぐわないと違和感を感じます。
2024.05.28
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ウクライナで平和を象徴する花が「ひまわり」とニュースで聞いて、思い出すのはやっぱり映画「ひまわり」です。まだ米ソ冷戦(1945-1989)が続く1970年公開のイタリア、フランス、ソ連、アメリカ4か国による合作映画です。 エンディングで地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑のシーンは圧巻で、改めてあのひまわり畑のロケ地はと調べるとウクライナ南部の「ヘルソン州」でした(ヘルソン州はロシアに占領されているとの記事があります)最近ニュースで何度も目にする東部「マリウポリ」の西側に位置する州で首都キーウから南へ500キロほどです。 戦争によって引き起こされた悲劇がロシアのウクライナ侵攻と重なり、現在日本で半世紀を経て「ひまわり」の上映もされているようです。シンガポールの映画館で上映があればじっくり見直してみたい映画です。 そしてネットの記事に1982年6月の「オフコース」の武道館公演で「言葉にできない」の曲の後半に大きなスクリーンに映画「ひまわり」の中のひまわり畑が映し出されたというのを見つけました。これは何かで何回か見た記憶があり「ひまわり」の壮大だけれど何か切なさもある映像をすぐ思い出すことが出来ます。私の記憶が正しければ小田和正さんがまるで楽曲の台詞の1つのように涙を流し歌えなくなったシーンも印象的でした。 現在の状況は正に多くの人が「言葉にできない」という思いだと思います。7月にはヘルソン州で咲き渡るひまわりが本当に「平和を象徴する花」として咲き誇ってくれることを願うばかりです。 数年前に日本から持ち帰ったひまわりの種が開花して小さなひまわりがシンガポールの我が家のベランダに咲いた時は本当に幸せな気持ちになって元気をもらいました。【続報】昨日(7月2日)の夜NHKで「伝説の武道館ライブ オフコース」が放送されて、ちょっと驚きました。特にひまわりがスクリーンに映し出される「言葉にできない」を小田和正さんが歌うシーンは食い入るように見てしまいました。私が覚えていた以上に涙を流し歌えなくなる場面は数回あり、改めてこの曲の素晴らしさと40年の時を超えて「平和」を強くアピールする楽曲という思いを強くしました。
2022.04.04
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東京大学植物学教室の「田邊教授」が「シダ植物」をこよなく愛する理由を「胞子」で増える事、地球上に生息した初めての植物(台詞がうろ覚えですが)である事を挙げていました。「初めての植物」を検索してみると4~5億年前の「コケ類」だったようで、ただシダ植物はコケ類が地球上に誕生した後5千万年ほどの間に出現しているようです。人類の誕生がおよそ400万年前と考えると植物の歴史の長さには畏敬の念を持ちます。 先週の「らんまん」で寒いなか門前で待っていた妻の聡子に「聡子はシダに似ているかもしれない。花も咲かせず種も作らない」と語りかけます。もし自分が「あなたは植物に例えるならシダ・・」と言われたらどんな気持ちになるか分からないですが、聡子は「子は産めます。前の奥様には敵いませんが、私もきっと・・」と反論します。 それに対して田邊は「いや....得難いと言っているんだよ。私はお前の静けさを愛しているんだ」と妻への愛を植物に例えて伝えます。シダ植物が静けさというのは考えた事もなく今ベランダにある我が家のシダ植物を見てもどちらかというと元気な侵略者という感じになっています。 サボテンの「バニーカクタス」の鉢に或る日舞い降りて来たシダの胞子が3ヶ月ほどでどんどん成長しています。同じ時期にどこかから舞い降りて来た種が発芽して今回で7枚目の双葉が赤色で出て来てこれがもう少しすると他の葉と同じ綺麗な緑色になります。もう1つ右側の葉は不思議で普通の形のものと最初からさやえんどうのように閉じた形の葉が1本の枝から出ています。 日本でも外に鉢を置いておいたらどこからか胞子や種が飛んできて、しっかり成長していくというのは普通の事かと思うのですが、シンガポールでは現在の住居になってミニトマトの種に始まっての経験で何とも不思議な気持ちながら毎日緑色から癒しをもらっています。 余談ですが、スーパーで買った大阪産の「豆苗」を食べた後に「再収穫チャレンジ!」の説明を読んで食卓テーブルの上に置いていますが、これも中々の癒しと、少しずつ切ってお皿に沿えたりしています。個人的には飾り付けのためだけでなく食欲増進のために緑色と赤色(紅ショウガを愛用)が最近必須になっています。
2023.07.20
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昨日北海道の札幌と函館で桜の開花宣言がありました。ちょうどジムへ向かう途中にある「倉式珈琲店(今年2月末で閉店)」のほぼ敷地内にある樹木に咲き始めた花があまりに可憐で写真に撮りました。 4月18日 3月28日(閉店から1か月後) 北海道では梅と桜が同時期に咲くため見分けるのが難しく検索して調べてみましたが白とピンクの花は多分桜かなと思います。ふと菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひ おこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」が浮かびました。菅原道真が左大臣の圧力によって京の都から大宰府に左遷させらた時(901年)に詠んだ歌で、大河「光る君へ」と同じ平安時代ですが1100年以上の時を経ても花に対する愛情がひしと伝わる名句だなぁと思います。 本帰国して1か月後ぐらいに倉式珈琲店を見た時は何て大きな看板と建物と広い敷地だろうと思っただけですが、その後2月末に閉店と分かり、閉店間際に滑り込みで行って来ました。 運よく窓際の席が空いていて珈琲とお勧めのスイーツを注文してからゆっくりと店内を見渡したり、窓外の樹木や雪景色を眺めました。徐々に外も暗くなって来て全くライトアップされていない外の景色は却って神秘的な感じがしました。珈琲の味わいも店内の落ち着いた雰囲気も申し分なく、このお店が閉店するのは何とももったいないなぁと思いました。 ところで樹木の花はここ数日立ち止まって写真を撮る人達を見かけるようになり、すぐ隣の敷地にあった「ベーカリー レストラン サンマルク」も昨年2月に閉店の張り紙をドアにしたままの寂しい状態になっています。主(お店やお客さん)がいなくなっても春を忘れないでこれから更に花々が咲き乱れるのかなぁと思いますが、この景色に見合うような素敵なカフェがまた誕生して呉れる事を切に願います。
2024.04.19
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昨日の「ヴィノスやまざき」でのイタリアワインのテイスティングは6本のうち3本がヴェノト州で「アマローネ」、ピエモンテ州の「バローロ」と予想を裏切らないワインが続きました。そして前回と同じ最後のスペシャルサービスの1本はブラインドテイスティングで店主からこれは「バルバレスコ?」それとも「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ?」と聞かれ参加者15名の挙手となりました。私はどちらも飲んだことがない上に2本のワインの知識もなく「降参」と思いましたが、隣の席の参加者がかなりのワイン通で「このワインはサンジョベーゼに間違いないですよ」と教えてくれたので、ちゃっかり私もブルネッロに挙手して正解となりました(笑)ポデーレ・ブリッツィオ ブルネッロ・ティ・モンタルチーノ 2018年 売値12,800円 トスカーナ州で造るサンジョヴェーゼ・グロッソ100%のワインでブルネッロとも呼ばれるこの葡萄品種がサンジョベーゼのクローンである事を初めて知りました。サンジョベーゼと言えば軽いキャンティのイメージが強すぎてしばらく飲んでいませんでしたが、やはりブルネッロがイタリアワインの女王と呼ばれるのに相応しいいと実感です。売値が12,800円とパネルに出て参加者からちょっと溜息が出ましたが、ワインも特に5月からじわじわっと値上げの状況だそうです。 6本の中で個人的に嬉しかったのは先日日記に書いたシチリアの白と同じ葡萄品種GRILLO(グリッロ)があった事で参加者から「シチリアの白ってあまり聞かないですね」の声もあり、すかさ携帯の画像を自慢げに見せてしまいました💦 ディ・ジョヴァンナ ヘリオス グリッロ 2019年 左がテイスティングのグリッロで売値も3,580円と私がJUPITERで購入した右のワインの3倍でそれだけふくよかでコクのあるワインでした。ただただ味の比較が出来ただけでも運が良かったなぁと・・。 そして今回のイタリアから一本買ってと思っていたのですが(参加者は10%引きです)店主の話の中で「余談ですが実は今ウルグアイのワインって注目を浴びているんです」を聞いてウルグアイ産の「ソーヴィニヨンブラン」を購入してしまいました。何に合わせようかなと思案中でこれもまた至福の時です。
2024.05.10
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今年本帰国後の住まいがたまたま1階で専用庭が有り360円/月の支払いで自由に使えるようになりました。帰国後の日本での野菜の高さに驚き、先日もニュースでしばらくナスとトマトの値段は高値が続くという事でした。 シシトウの小さな黄色の芽 苗以外に左側の小さなスペースには枝豆の種も蒔きました。 家庭菜園の経験豊富なAさんから4月の雪解け後に少しずつ情報をもらい、やっと土おこしをしたのは5月です。そして先週スコップ、クワ等の畑作業グッヅと野菜の苗持参でAさんが野菜作りの指南に我が家に来てくれました。下記は2人で3時間ほどの作業の内容です。 1.再度スコップで土おこしをし土に肥料と石灰を混ぜて鍬で整地(石や土中に張っている根を捨てる) 2.整地した後に苗の分(今回は8つ)だけ深めに円状に穴を掘る。 3.穴の中にバケツに用意した水を入れ土の水はけ状態を見る。 4.水はけの良い所にはなシシトウを、みずはけがまぁまぁな所にトマトやナスなどを植える。 5.中心に十字の切り込みを入れた黒いビニール袋を土の保温のために苗の上からかぶせる。 6.風よけや保温のため下部を切った白いビニール袋を苗を覆うように置き、上部を開くために3~4本支柱を刺す。 何と言っても家庭菜園は私には初めての経験で全ての流れが大きな意味と自然に対する思いやりなんだと思うと感慨ひとしおです。 きゅうりも1苗植えましたが、育てるのが結構難しいという事で苗を土に入れる段階で茎の1つをボキッと折ってしまい無事に育ってくれるかなぁと🥒トマトは結構強くたくましい野菜だそうで7月には実がなるのではという事です🍅初年度の今年はわずかでも無事収穫が出来て晩酌の🍷のアテが食卓に並ぶ日が今から待ち遠しいです。
2024.06.02
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原田マハ著「リボルバー」でゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。ゴッホのかねてからのお願いでアルルで共同生活を送ることになった画家ゴーギャンにテオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られたという流れです。そしてゴーギャンはその銃をアルルを去った後タヒチにも持って行きます。 タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンはゴッホから自殺をほのめかす手紙を受け取り、1890年7月27日ゴッホの終焉の地「オーヴェール・シュル・オワーズ」にゴッホの身を案じその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンがゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのこめかみに・・。そしてゴッホとの揉み合いからゴッホの脇腹に~というのは説得力がありました。 思い出したのが同著の「たゆたえども沈まず」でその中でもやはりリボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していた物で、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていました。その鞄をたまたまサン・レミからパリに戻りオーヴェール・シュル・オワーズに向かう朝にテオから借りる事になりゴッホはリボルバーの存在を知る事になります。その後鞄だけはパリでテオに返却するもののリボルバーはそのままゴッホが所持し悲劇へと繋がって行きます。 通説はリボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴ―亭」の経営者が所持した物でそれをゴッホが持ち出し、数年経って農婦によって偶然発見され元々の所有者であるラヴ―亭に返却され店に一時展示されていたという事のようです。 原田マハ氏があくまでもリボルバーはテオの物であったという設定は、特にテオがゴッホの死から半年後に衰弱死する事などからも妙に納得させるものがあります。「ヴァエホの肖像」 小説「リボルバー」ではそのリボルバーとゴーギャンのタヒチでの最後の愛人だった「ヴァエホ」の肖像画がヴァエホの娘「エレナ」にそして孫の「サラ」に受け継がれて行くという展開です。ゴッホの死に直接関係する銃なのか確たる証拠がないなか、サラが出品してお金を得たいと思った理由は・・。 『ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、約16万ユーロ(約2千万円)で落札された』で小説「リボルバー」は締めくくられています。 リボルバーや自殺か他殺かというのはゴッホに纏わる永遠のミステリーとしてもう解明される事はないのではと思いますが、だからこそ一層ゴッホの絵が永遠に輝き続けるのだと思います。
2023.10.16
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昨日(10日)のエスコンでの交流戦「日ハム対阪神」の第2戦の観客数が32,558人(最大で35,000人収容)で今年3月のオープン以来最高となり改めて阪神タイガーズの高い人気を痛感します。 9日(金)の初戦は28,838人の観客が応援する中、今年阪神から移籍した「江越大賀選手」のホームランも飛び出し日ハム、阪神両チームのファンから大きな歓声が送られドラマのような映像に目頭が熱くなりました。 昨日の試合で決勝打を打ったアメリカ育ちの加藤豪将選手のコメントに「虎党のヤジも耳に届かない。関西弁は分かるけど聞き取れない(松井さんがNYでブーイングされた時に嬉しかったと言っていたが、それと同じです)」には笑ってしまいますが、ヒーローインタビューでは先制のヒットを打ったマルティネス選手が日本語で「やりました!」の第一声を受けて加藤選手が英語で「We Did It(やったぜ!)」とその場を盛り上げてくれました。 清正の虎退治(朝鮮出兵時 1592年らしい) 元寇(1274-1281) ところでネットの記事を見て見出しや言葉遣いが上手いなぁと感心させられる事しきりです(海外に住んでいるから特にそう思うのかもしれませんが)初日の時は鎌倉時代の2度のモンゴルの襲撃「蒙古襲来」を引用して「猛虎襲来」を使い、襲ってくるような勢いで観客数が増えたことを表現しています。 そして日ハムの2連勝となった昨日は史実に基づく加藤清正の「虎退治」をそのまま引用です。阪神に勝った時に何度も使われる言葉ですが、改めて調べてみると日本で虎を退治したのではなく豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮に多く生息していたシベリア虎を退治した(実際は銃を使って)その勇気を讃えるお話です。ただ虎退治をした武将は他にも何人もいたそうで(黒田長政もその1人)どうも秀吉が虎の皮や肉がお気に入りという噂が流れそのために行ったという説や、実際には皮や肉の貢ぎ物が多過ぎて秀吉が困惑してしまったという話もあるようです。 蒙古襲来は2回だけ、虎退治は何人も行っているようですが果たして今日の第3戦はどうなるのか2時間後に試合開始です。まさか3連勝しても新庄監督に「皮や肉」が貢がれるという事にはならないと思いますが・・💦日ハムサポーターが掲げる応援グッヅ。ほっこりします。 『追記』今日の試合は「🐯の子の1点を守り抜き阪神が勝利」戦評もなかなか上手です!
2023.06.11
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初戦が雨で中止になった交流戦「日ハム対阪神」の残り2試合は日ハムファンでも期待以上の2連勝で、ネットの記事には虎党からの厳しい声として「見所の無い試合だった」「ボコボコにやられた」「山崎福也を相手にしたらあかん。正直、山崎福也が嫌いになった」「山崎福也>>>>>阪神野手陣」等などがありました。公式戦で観客動員数が常にトップの阪神タイガースなので気になって昨日の観客数を見てみると42,614人と6試合中トップでした。その多くが地元の阪神ファンだと思うと痛いほど気持ちが分かります。個人的に興味津々のソフトバンク対巨人戦の昨日は41,502人で2位でした。 各球場の収容できる広さもあるので調べてみると下記の数字があり、4万人以上収容できるのが3つの球場のみで日ハム対阪神戦の動員数が約98%という数字に改めて阪神ファンの熱い思いが伝わります。各球場収容人数1位:東京ドーム(巨人)46,000人2位:甲子園球場(阪神)43,508人3位:PayPayドーム(ソフトバンク)40,122人4位:バンテリンドーム(中日)36,370人5位:京セラドーム(オリックス)36,146人6位:エスコンフィールド(日ハム)35,000人7位:横浜スタジアム(DeNA)34,046人8位:マツダスタジアム(広島)33,000人9位:メッツライフドーム(西武)32,725人10位:神宮球場(ヤクルト)31,805人11位:楽天生命パーク(楽天)30,508人12位:千葉マリンスタジアム(ロッテ)30,508人 ところで各球団の交流戦のネットの記事の中に29日の「ロッテ対ヤクルト戦」の始球式で登場した女優の「内田有紀」さんの事が写真付きでありました。29年前の始球式で伝説に残るユニフォーム姿で投げた事と今も当時と変わらぬ美しい姿等など激賞でした。さて29日の神宮の観客数はと見てみると27,034人で87%の入りでした。 因みにエスコンフィールド元年の昨年、日ハム対阪神の交流戦第2戦では32,558人(93%)で3月のオープン以来の最高となって「蒙虎襲来」という言葉も出るほど阪神の高い人気を見せつけてくれました。ただ試合結果は日ハムが2勝1敗で勝ち越しています。交流戦に強い日ハム・・昨日の試合で順位が1位となりファンとしては「3日天下」でもいいのでという気持ちながら引き続き熱く応援を続けます。
2024.05.31
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昨日のNHK「あさイチ」でダイソーの観葉植物の上手な育て方を紹介していました。本帰国してダイソーに小さい鉢ながらサボテンや観葉植物のコーナーが充実しているのを見て、以前はダイソーに植物は売っていなかったのでは?と思いラベルをじっくり見てみると「水やり」とか「置き場所」とか大体同じ事が書かれていて「上手な育て方は?」と思っていました。 番組ではまず3つの観葉植物「オーガスタ」「サンセベリア」「アスプレニウム」が紹介され、クイズ形式でそれぞれは「明るい所が好き」「乾燥に強い」「暗いところでも耐えられる」のどれでしょうか?の質問にMCの華丸・大吉さんは2回目で正解となります。乾燥については葉を触ると分かるそうです。ちょうど見栄えのする丈が高くて玄関の近くのあまり陽が当たらない所にぴったりの観葉植物はないかなぁと思っていたので「暗い所でも~」の情報はとても重宝です。ダイソーで何種類の植物が売られているのかは分かりませんが、一冊の本に纏めて欲しいぐらいです。 そしてこれらの植物はほぼ海外で育てた物が日本に輸入されているため植物も「旅疲れ」があるそうです。その旅疲れを癒す方法として購入してすぐにプラスチックの箱にコップ一杯の水を置き2週間くらい鉢を入れた後鉢替えをするのが良いそうです。これもためになる情報です。暗い所と言っても「読書できるぐらいの明るさは必要」という事でした。 最初は小さな植物も成長に従って鉢を替えて育てると物によっては1m以上にもなるという朗報です。花屋さんで丈のある観葉植物を見てみましたが思っていた以上に高額で1万円以上の物もざらにあります。早速ダイソーにアスプレニウムを探しに行くと「1鉢300円」で確かにありました。 シンガポールも「DAISO」は大人気で出店数もかなり多いですが、高層住宅が多く日本のようなガーデンニングは各家庭では難しいので当然DAISOでも園芸グッヅは限られています(ドンキで小さい盆栽が売られていてこれには驚きました。シンガポールで盆栽は結構人気です) 先月、札幌で雪解け宣言が出てお向かいさんの庭に綺麗なチューリップが咲き始めた頃夕方に点灯する庭のランタンを見て「お帰りなさい」と言って貰えてているようで温かい気持ちになりました。ランタンは高そうに見えるしどこで買えるのかな?と思っていたらこれもダイソーにありました。200~300円で酒類も結構あってソーラーなので配線の必要も無く電池を装着するだけとは優れ物です。ガーテンニングを愛する人達の間では既に必須アイテムだと思いますが、私も遅まきながら1個買って陽が落ちてから花と同様に灯りの癒しを貰っています。
2024.05.25
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昨日は待ちに待ったイギリス制作のドキュメンタリー映画「The Impressionists and the man who made them(勝手に印象派画家を世に知らしめた男と邦題を付けました)を見て来ました。 19世紀、未だ「印象派」の画家達が描く絵画の評価が定まらない中、いち早く画家達の才能に触発されたフランス人画商「ポール・デュラン=リュエル(1831-1922)」の半生を描いた映画です。 映画はピアノの音に合わせて「モネ」「ルノワール」「セザンヌ」などの有名絵画が大きなスクリーンに映し出されて始まりました。まるで拡大鏡で見るように絵の一部を見せてくれるシーンもありました。 こんな形で絵を見るのは初めてで、絵の具の凹凸やうねり、ぼかされた人物描写の謎めいた様子、そして一番驚いたのは美術館や画集でも多分見ることが出来ないのではと思う「瞳」に映る水面の輝きなど、正しく自然の光を取り入れた絵の中の詳細部分でした。背景の一つ一つの草木や人物の肌の色分けなど改めて印象派絵画の素晴らしさを感じました。「日のあたる女の上半身」 ルノワール 何回かこの絵がスクリーンに映し出され瞳に映る水面が何とも美しかったです。 何故イギリスがこのドキュメンタリー映画を作成したのか不思議でしたが、1870年-1871年の普仏戦争から避難するためにロンドンに渡ったポール・デュランが同じくパリからロンドンに逃れて来ていたモネやピサロらと会い彼らに触発されロンドンに設けた画廊で「フランス人画家協会展」を初めて開いたことに関係があるようです。 その後パリに戻り意欲的に印象派画家たちの絵の購入を続けます。「落選展」で酷評された「マネ」の絵を23枚立て続けに購入した様子は今でも語り草になっているようです。「あなたの絵をこれから描く絵も含めて全て買い取りたい」とマネのアトリエに足を運んだようです。 ポール・デュランのギャラリーで開く「印象派展」は徐々に評判をよんだようですが、未だ絵画の古い因習に縛られる人達に絵を売ることは簡単ではありませんでした。絵画の購入と販売の何冊にも及ぶ記録帖も公開され、何年間も売れないままだった絵もありました。 財政的危機にも陥っていた時、ニューヨークの「Fine Art Academy」から1885にポール・デュランに絵画展を開催しないかとお誘いがありました。翌年350点ほどの絵画と自ら作成した絵画展用のカタログを持参してアメリカに渡りました。そのカタログに自分の名前を入れなかったというところでグッときました。あくまでも主役は印象派画家と絵画というポール・デユランの思いが伝わります。 ニューヨークを皮切りに、アメリカ東海岸のボストンやフィラデルフィアを回り確実に手ごたえを掴んだようでした。「Little by little, price is up(少しずつ印象派の絵画は売れ、値を上げていった)」と字幕が流れました。 1886年のニューヨーク初の「印象派展」がどこで開催されたのか個人的には興味がありましたが、映画の中では場所については説明がなく、ただ3年後の1889年に私が勝手に期待していた「メトロポリタン美術館」で開催されたと説明がありました。 印象派画家達から絶大な信頼を得、絆を深めていたポール・デュランのルノワール作の「肖像画」が映画の最後の方で映し出されました。そして終生手元に置いていたルノワール作の「ダンス3部作」も3枚並んだ形で何回かスクリーンに映し出されました。 ポール・デュランの妻は20代の若さで4人の子供を残し亡くなっています。子供達を育てるために家計の安定を図りながらも評価の定まらない所謂ギャンブルのような絵画購入と2つの相反する面を持つ人物としても興味深いとコメンテーターの言葉もありました。 ただただ目先の損得は「2の次」にして自分の審美眼を信じ、己の心に正直に突き進み、最終的には世界中に印象派絵画のファンを生み出したポール・デュランの人生はまさしく圧巻でした。
2021.06.13
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先週は小室圭さんのNYの司法試験不合格のニュースが流れ、自分自身の今思えばとるに足らないような多くの落ちた試験の事を考えて、ここまで「時の人」になってしまった人の「不合格」の通知、発表の重たさを考えて胸が痛くなりました。 そんな時に昨日NYへの移住が現実化した後の眞子さんの仕事についての記事を見つけました。以前から仕事をしたいという記事は見ていましたが、具体的に書かれていたのは初めてです。『在ニューヨーク邦人によると、眞子さんは渡米後、現地の有名美術館「メトロポリタン美術館」で学芸員として勤務する見通しで、その場合の年収は約1500万円とみられている』 絵画、美術館好きとしては嬉しいニュースです。メトロポリタン美術館所蔵の日本画などを中心に研究を行っていくのかなと想像します。 メトロポリタン美術館の所蔵作品を検索すると江戸時代の「鈴木其一」の「朝顔図屏風」が出てきました。2016年東京ミッドタウンのサントリー美術館に立ち寄った際に、その画家の名前を初めて知りました。黄色、緑、深い青色のコントラストが深く印象に残る作品です。 かなり以前に1度だけメトロポリタン美術館を訪問したことがありますが、記憶にあるのは入場料が本人の希望額で戸惑ったこと、あまりの広さに館内で迷子状態だったこと、そして一番印象に残る絵はゴッホが亡くなる前年に療養所の生活の中で描いた「アイリス」です。 「ゴッホ週刊美術館」には「スケッチをしに外に出ることも容易に出来ない窮屈な環境の中で、そこの小さな庭の中に絵画への意欲を再び掻き立ててくれる題材を見つける。その1つがアイリスでした。そしてひまわりの情熱に対してアイリスは静寂を表している」と書かれています。ギフトショップで買った絵葉書 何枚もこの絵葉書を買ってアメリカ旅行の感想を書いて友人達に送りましたが、書き損じのあったこの1枚だけが残っています。 窮屈な環境というのが少し眞子さんにも繋がって・・。絵画により深く接して、絵画を通して多くの癒しが得られることを願っています。
2021.11.01
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昨日、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の中で映画「モダン・タイムズ」の映像が流れ、チャップリンが2つのパンに棒を挿して踊る姿を「おはぎ」で真似をして、妹の「安子」に「俺はダンサーを目指す!」というシーンがあって、昨年の日記に「チャーリー・チャップリン」のことを書いたのを思い出しました。 以前にテレビ番組で「モダン・タイムス」で流れる名曲「SMILE」がチャップリンの作曲だと知って、喜劇王のイメージが強いだけに作曲の才能もあったのかという驚きと、歌詞は実は映画公開から20年ほど経って付けられたということにも驚きました。 その後すぐ、Youtubeで1954年の「ナット・キング・コール」が歌う「SMILE」を聴いてみましたが、切ないメロディーと前向きな歌詞が心に響きました。特に昨年はコロナ禍で思い通りの行動が出来ない中、「レディ・ガガ」さんも「One World Together at Home」で「SMILE」を選びピアノを弾きながら歌う様子をYoutubeにアップしていました。 実は映画「モダン・タイムス」を見たことがなかったので、どのシーンで「SMILE」が流れるのかYoutubeで映画鑑賞となりました。 1時間半ほどの白黒、無声映画で5回ほど流れました。それが全て浮浪少女との幸せなシーンでのBGMになっていて、一番感動したのは映画の最後でチャップリンが浮浪少女と警察の逮捕から逃れ田舎道を歩くエンディングで流れ、チャップリンが笑顔の唇の形を浮浪少女に向かって示すシーンでした。 「泣いてたって何になるんだ。微笑みを浮かべれば、きみはまだ生きるって価値があるって分かるよ・・」「Charlie Chapline & his brother Syd 1931年」 「モダン・タイムス」は85年前の1936年に公開で、シンガポール繋がりと言えば1931年に来星してラッフルズホテルに滞在しています。2017年の改修工事中に行われた「ラッフルズホテルツアー」に参加した時にガイドさんが壁に飾られている写真を説明してくれて知りました。因みに元「嵐」の「櫻井翔」さんの写真も展示されていました。
2021.11.03
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1988年公開のアメリカ映画「The Moderns(モダーンズ)」を映画館で見た時は何とも不可解な話の進行に私には欲求不満が残る映画でしたが、その時買った映画のパンフレットを今でも大切に持っていて、時折パンフレットを読み返しているうちにこの映画の素晴らしさをじわじわと感じるようになっています。 パンフレットの最後のページを飾る絵で「モダーンズ」のサントラ盤のジャケットにも使わています。実はこれはオランダ人画家「キース・ヴァン・ドンゲン」が描いた「モンパルナスブルース」を主人公ニック・ハートを演じた「キース・キャラダイン」が全体像をそのままに顔を映画の出演者に替えて描いた絵というのを後になって知りました。 映画の時代設定は「世界大恐慌」前の1926年で、当時第一次世界大戦の勝利に沸いたアメリカ人がパリの文化と伝統に憧れ続々とパリに渡って来た時代です。映画では大戦を経験し従来の価値観に懐疑的になった「失われた世代」の作家や絵画や音楽に纏わる人々をパロディ的に描いています。 実在の人物としては既に彼の出世作となる「日はまた昇る」を出版していた文豪「ヘミングウェイ」や時代の寵児と持て囃されながら最後は非業の死を遂げた「スコット・フイッツジェラルド(偉大なるギャッツビーの著者)」も登場します。 実在ではない人物として映画の主人公であるアメリカ人挿絵画家の「ニック・ハート」がいます。あるきっかけから彼は資産家のナタリー婦人から踊り子と駆け落ちした夫に復讐するための3枚の絵の贋作の依頼を受けます。3枚の絵は「セザンヌ」「マティス」「モディリアーニ」が描いた絵で、夫が所有する絵の中からナタリーが特に好きな絵という設定です。 復讐のため夫には贋作を残し、本物を持ってアメリカに渡ろうと計画したところから思いもよらない結末へと進んでいくというあらすじです。 贋作に関わる人物として「ラストエンペラー」で一躍大スターとなった「ジョン・ローン」も登場しています。本物か贋作かの情報に惑わされ思わずナイフで絵を突き刺すシーンは圧巻です。 映画の最後はニューヨークのMOMAから出て来たニック・ハートが3年後に起こる世界大恐慌を予言するような「雨がきそうだが、まだ2、3日は持つかもしれない」とつぶやくシーンで終わっていて、余韻が残るエンディングもこの映画の魅力だと思っています。
2021.11.18
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イタリア、中国、イギリス、フランスの合作映画「ラスト・エンペラー」は公開から既に34年経っていますが、私には何年経っても色褪せない映画で色々なシーンがすぐ頭に浮かんできます。3時間という長さを感じさせず、見終わった後すぐ椅子から立ち上がれないほど人生の重みがずしりとくる映画でした。 清朝最後の皇帝であり、日本の関東軍が傀儡国家として作り上げた「満州帝国」の皇帝になった「溥儀」の人生を香港生まれの中国系アメリカ人「ジョン・ローン」が演じました。 「紫禁城」が初めて映画のロケーション地として使われたことも話題になりましたが、「紫禁城」から一歩も出ることが出来ない生活を余儀なくされ、皇帝の座を捨ててまで自由人になりたいと願った時もあった溥儀が、いざその皇帝の座を革命によって追われるとまた皇帝という座に執着していく姿にはつくづく人間の欲や弱さを感じさせられました。 個人的には2000年に紫禁城を観光して映画「ラストエンペラー」の中で溥儀が座っていた椅子の下に隠していた「コオロギを入れた箱」は果たしてあるのかなぁと探してみたのが良い思いです。2000年には城内を維持するために中に入ることは禁止され外からしか中が見られない状態でした。 日本の敗戦によって満州にはソビエト軍が侵入し、溥儀は自殺を図るも結局ソビエト軍に抑留されてしまいます。その後の中華人民共和国の「戦犯収容所」での自己否定を強要される生活、最期は北京で普通の庭師として生涯を終えるまでの人生は波乱万丈を超えていました。映画「モダーンズ」のカタログから。 この映画をまた懐かしく思い出したのは、最近読んだ2冊の本の中に溥儀が登場していたからです。 一冊は昨日ブログに書いた「ラストレシピ」で、その中に関東軍の陰謀で昭和天皇殺害の罪を溥儀に被せようとしたというものでした。日本人の妻をという関東軍の命令に従わない溥儀を皇帝から失脚させようとしたというあくまでもフィクションです。 もう一冊は城山三郎氏の「落日燃ゆ」で、A級戦犯に対する裁判の中で「溥儀」が証人として登場し激しい日本攻撃をしたという事実には少なからず驚きました。勿論映画の中でこのようなシーンはありません。 「落日燃ゆ」からの抜粋です。「神経質に眉を震わせ、体を小刻みに動かしてしゃべる。ヒステリックに証言台を叩く時もあった。それは実は、溥儀自身がソ連や中国での戦犯裁判に引き出させることにおびえていたためであった」 それでもこの映画は私にはもう一度見てみたい映画の1つです。
2021.11.24
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「1個のリンゴでパリを驚かせたい」と言っていた「セザンヌ(1839-1906)」はその言葉通りに「静物画」というジャンルでは「唯一無二」の存在に上り詰めました。当時リンゴは一番安く、そして腐りにくい果物だったそうです。「リンゴとビスケット」 1879-80年 「オランジュリー美術館」蔵 セザンヌの静物画を初めて見たのはいつだったのか覚えていませんが、大げさに言うと胸をギュッと掴まれ涙が出そうになったのを覚えています。実はセザンヌの静物画は画集で見ても、今でもそういう感情になるのが不思議です。 ピカソ(1881-1973)はセザンヌを「私たちみんなの父」と形容するほど尊敬しセザンヌの絵画技法(左右対称な構図)の影響を受けています。 「トランプをする人たち」1890-1895年 「水浴する男たち」1890-1892年頃 「水浴する男たち」を見るとピカソが1907年に描いた「アヴィニョンの娘たち」がセザンヌの影響を受けていることが分かります。ただ人物画だけでなく晩年に多く描いたセザンヌの風景画を見ても涙ぐむような感情が起こることは私にはありません。セザンヌが死の直前に手紙で「私はいつも自然を研究しているが、少しずつ進歩しているようである」と書いていても・・。 故「池田満寿夫」氏がテレビの絵画ドキュメンタリー番組で『マティスの絵を見ると心の平安を、ピカソの絵を見ると闘争心が湧き、セザンヌの絵を見ると尊敬の念が湧く』と言っていたのが印象的でした。「リンゴとオレンジ」1895-1900年頃 「オルセー美術館」蔵 気になってセザンヌの静物画について検索してみると、ピカソは構図という技法だけでなくキュビズム(4次元)に繋がるアイデアをセザンヌの静物画にも見つけていたとありました。 そう言われて絵をよく見てみると中央の果物皿は正面から見ているのに、左下のお皿は上から見ているようにも見えます。 オランジュリー美術館ガイドからの抜粋です。 『セザンヌの絵には人目を引く光ではなく明暗のコントラストがあり、水のきらめくような反射に代わって鋭く強烈なフォルムが支配する。また肖像画は荒々しく官能性が乏しくて、静物画は硬く実存感が希薄である』 「セザンヌ夫人」 1890年頃 「オランジュリー美術館」蔵 確かに肖像画に関しては頷けますが、静物画を見て胸をギュッと掴まれそうになる感情が「実存感の希薄」にあるからなのかどうか、これは興味深々というところです。
2021.12.16
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パリのオペラ座ガルニエの「天井画」を描いたのは「シャガール」というのは有名ですが、以前にひょんな事から天井画を描くことになったと聞いて、改めて調べてみました。 歴史的にはオペラ座建設は19世紀半ば「ナポレオン3世」による計画で、匿名によるコンペを制した「シャルル・ガルニエ」の名前を取ってオペラ座ガルニエとなったようです。当時の天井画は「ジュール・ウジェーヌ・ルヌヴー」による「昼と夜のミューズの時間」でこの絵は1872年から1964年までオペラ座の天井を飾りました。 およそ90年後の1960年に当時の大統領「シャルル・ド・ゴール」と文化大臣「アンドレ・マルロー」がオペラ座で海外からの代表団とバレーを鑑賞していた時、退屈したマルローが天井画を見上げ「なんて時代遅れの絵・・」と思ったのがきっかけのようです。 バレーの舞台美術の監督を任されていたシャガールはマルローとは長い付き合いの友人で、すぐに彼に新たな天井画の依頼をしたようです。ただこのアイデアが公表されると批判が殺到して隠れるようにして7ヵ月で絵を完成させたそうです。 そして1964年無事オペラ座にシャガールの天井画が登場します。 2014年に初めてオペラ座ガルニエでバレー「Orfeo ed Euridice(オルフェオとエルリディ―チェ)」を見た時は天井画の歴史を全く知りませんでした。 開演前に最初に見上げた時はまず想像以上に雄大な絵に圧倒されるという一言でした。その後もバレーを見つつも何度も見上げました。 バレー鑑賞後、オペラ座の中を散策しましたが荘厳としか言いようがありません。 オランジュリー美術館蔵「ルノワール」の「(Bouquet dans une loge(桟敷席の花束」は私の特に好きな絵の1枚で、1878年~1880年の間に描かれた作品です。 深紅の椅子を見るとオペラ座を思い出します。実際に自分が座った席のことはよく覚えていないのですが(汗)
2022.02.12
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朝ドラ「らんまん」に最初は花の名付け親として「Siebold(シーボルト)」のサインが登場し、今週は宇崎竜童さん演じる「中濱万次郎」から万太郎にシーボルトの「日本植物誌」が手渡され、シーボルトの実際の登場はないものの(明治維新の2年前に亡くなっています)興味深いシーンでした。この本にはシーボルトが描いた全点150点が収録されているそうです。 シーボルトと言えば日本の鎖国時代に長崎に滞在したドイツ人医師で、「幕府禁制」の日本地図(伊能図)の写しを入手して自国に持ち出そうとした罪で国外追放(シーボルト事件 1828年)になったというのが一番有名な話だと思います。 昨年の日記にフランス人画家マネの「バルコニー(1868-1869)」という絵について書くために「オルセー美術館ガイド」を読み返すと絵の左下にある「紫陽花」についての記載があり、検索して更に調べるとシーボルトが「紫陽花属14種」をオランダに持ち帰り、その後ヨーロッパの「紫陽花ブーム」の火付け役になった事を知りました。日本の花をヨーロッパに伝えた最初の人だそうです。日本通でも知られたようで植物だけでなく、北斎を含む浮世絵も追放時に6点持ち帰っています(北斎作と判明したのは2016年)「バルコニー」マネオルセー美術館蔵 シーボルト事件から40年後に描かれた「紫陽花」 シーボルトはなかなか興味深い人物で「日本地図持ち出し事件」では関わった武士が何人か死罪になっているのに、国外追放処分の30年後に帰国後に生まれた子「アレキサンダー」と再来日が許されています。それだけ日本愛が強かったのかとも思いますが、アレキサンダーは類まれな語学力の持ち主だったようで1867年のパリ万博では慶喜の名代として参加した「徳川昭武」や「渋沢栄一」の通訳を務めたり、明治政府の下でその才能を買われ40年間「お雇い外国人」として雇用されたそうです。残念ながら大河ドラマ「青天を衝け」では登場していなかったと思いますが、もし万太郎とアレキサンダーが出会うシーンがあったらと想像してしまいます。 地図持ち出し事件は兎も角として、日本を深く愛したシーボルトが残した日本植物誌を万太郎が見て「自分の方がもっと日本の植物を広く世界に広める素質と能力がある」と確信するシーンに何か植物を愛する者同士の深い繋がりも感じました。
2023.04.29
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先月末からの一時帰国で感動したのはやっぱり「紅葉」でした。28日と29日に「北大金葉祭」が開催されるのをちょうど28日にテレビのニュースで見て翌日行ってみました。 北海道大学の正面玄関から入ると構内は紅葉した樹木に溢れ、写真では伝えきれない絶景でした。日本を一時離れて良かったと思う瞬間でもあり、もしずっと日本に住んでいたらここまで四季の美しさに感動する事はないのではとも思います。肌寒いライトアップ前の夕方でしたが、息を飲むように立ち止まって紅葉に見入ったり写真に収める人達の姿があちこちで見られました。ネットの画像から。 ふと北海道大学の「北大金葉際」というのは日本にいた時には聞いた事がなかったなぁと調べてみると2012年10月が一回目でした。北海道大学の学生約70名が中心となって企画・運営しているお祭りで「銀杏並木」の夜間全面ライトアップが一番の見どころのようです。実は寒さに耐えられずに今回はライトアップを待てずに北大構内を後にしてしまったので、来年本帰国をしたら厚着をして見に行こうと思っています。 話は変わって一時帰国の楽しみの1つに海外に2年以上住んでいる人を対象にした「消費税免税制度」があります。紅葉に感動した翌日ユニクロに行って何点か選びキャッシャーでパスポートを提示したところ「在留証明書も必要です」と言われ驚きました。今年の4月から新しい制度になったようで各国の大使館が発行する「在留証明書」を持参しなければ免税にはならないと言う事でした😿事前にしっかりと情報収集する事の大切さを痛感です。下記がシンガポールの日本大使館のサイトにある情報です。『現在、消費税免税制度を利用するための在留証明を申請する方が多く、領事窓口で申請するための予約が取りづらい状況となっております。在留証明(含む消費税免税制度を利用)の申請であればオンライン申請が可能です』
2023.11.18
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昨日のNHK「チコちゃんに叱られる」の野球のユニフォームネタの第二弾「野球のユニフォームに横じまが無いのは囚人のイメージが強かったから」には目から鱗でした。このイメージを作り上げた旧約聖書(紀元前4~5世紀に成立)「レビ記19章」の中の「2色のしま模様(縦・横両方法だと思います)の服を着てはならない」という箇所も紹介され、しま模様は「悪魔の衣服」で「異端のシンボル」であった事には驚きました。確かに欧米のコミックで登場する囚人達はこの教えを受け継ぎ横じまの服を着ている事を思い出しました。 そして、しま模様のイメージアップに貢献した人物として2千年以上の時を経てフランス革命(1789年)を指導した革命家「マクシミリアン・ロベスピエール」の登場です。しま模様にここまで宗教や歴史上の出来事が関係しているのには驚きです。アメリカで野球が競技となったのはフランス革命から56年後の1845年でその時にはしま模様の悪いイメージは過去の遺物になっていたと思うのですが、それでも流石に囚人服のイメージが強い横じまのデザインをユニフォームにとは考えなかったのだと思います。 そして最後に「横じまのユニフォームが無い理由」を納得させる実証実験で「ストライクゾーンが分かりやすくピッチャーに有利」という事でした。捨て身作戦で「ストライクゾーンに投げて」という横じまユニフォーム採用もありかなとか考えてしまいました💦ところで番組で「横じまを着ているとよこしまな人と思われるから」とゲスト回答者が言っていて、妙に気になって調べてみると「邪しま」という漢字で心が正しくないという意味でした。そう思ってみると赤白の横のしま模様はちょっと怪しい感じです。
2024.04.13
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札幌市で昨日から申し込みが始まった「生活応援プレミアム商品券」に早速アプリをダウンロードしてスマホ商品券の申し込みをしました。1口5千円分の商品券を4千円で販売し1人あたり5口まで購入が出来るので上限の5口購入で5千円お得という事になります。使えるお店をチェックしてみると普段一番よく使うスーパーが入っていないので試しにと2口申し込みました。正直に言うと「焼石に水」かなぁとも思いますが「申し込み」とか「抽選」という言葉につられた感もあります。 商品券の概要にづいて申し込みの後でサイトをよく見てみると①発行総額:75億円(プレミア分:15億円)②発行口数:150万口とありました。札幌市の人口が今月の時点で196万人ほどなので赤ちゃんからお年寄りまでと考えると購入出来ない人も出てくるのかと・・。 今日たまたま知人と会って商品兼の話になり、昨年は10口まで購入出来た事、広く平等に購入してもらうため口数は希望より減らされる可能性がある事、単身世帯より子供や祖父母のいる家庭(1人で全員分を申し込むのは結構大変という事でした)にとってはお得感はかなりあるという事でなるほどと思いました。 先日、某スーパーの野菜売り場で小さな子供を連れた若いお母さんが大根を1本手に取って値段をみて「高っけ~~!高級品だぁ~!」と大きな声を上げてくれて、私は正直胸がすぅ~っとして「あっぱれ」と思いました。私を含め多くの消費者は「目が点」になるような値段の野菜や果物を見ても大きな声も上げられず「これは今日は諦めましょ」というのが現状の中、ダメ元でも声を上げる事の大切さを教えてもらった気がします。1918年に起こった「米騒動」ならぬ「令和の野菜(食品)騒動」が起こっても不思議はない物価高で自治体や政府に訴えかけるにはどんな方法があるのかと考えます。
2024.04.23
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北海道立近代美術館の隣の敷地にある知事公館と庭園が一般開放されている事を知って先月、桜の開花宣言が出た日に行って来ました。まずは庭園の一本桜をじっくり鑑賞してから(最後に日本で🌸を見たのはいつなのか思い出せないほどです)知事公館の中に入りました。 ちょうどすぐご夫婦の入館があって受付で「参考のためにどこからいらしたか教えて下さい」と尋ねられご夫婦が「神奈川県です」と答えたのに一瞬私は「札幌観光で知事公館?」と思いましたが、すぐ「知事公館を見学出来るのって全国でも珍しいんですよね」との言葉に「なるほど」と思いました。 スタッフから「1階も2階も自由にご覧下さい。写真撮影もOKです」と私たちの移動に合わせてさりげなく館内の照明器具の材質や置かれた家具等など説明をしてくれました。 木彫りの鳥(鳥は回転出来る優れ物です) 「バチバチそり」北海道らしくそりを引く馬 窓際の置物、隣の近美から借り出している北海道出身の画家(木田金次郎等)の絵や昭和天皇と皇后がご来館の時に使用したテーブルと椅子の展示等など多岐に渡っています。 スタッフの話で一番興味深かったのは「敗戦後占領された知事公館の庭では米軍の人達がダンスを踊っているのを見たと来館者から聞いた事があります」で、知事公館の長い歴史に思いを馳せました。リーフレットの知事公館の説明に敷地の歴史は明治時代に遡り、昭和11年(1936年)に三井別邸新館が建てられ、それが戦後知事公館になったとあります。そして現在も公務で使用されていてそれ以外の日に一般公開しているこの知事公館は正に札幌市の観光スポット!と実感です(しかも無料開放です) スタッフからは札幌市民にも観光の場所として知名度が低いので是非お友達にも紹介してくださいと言われ、社交辞令ではなく「また何度でも来てくだいね」の言葉にはやっぱり「おもてなしの国 日本」に心が温かくなりました。
2024.05.02
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今朝のネットの記事に地方銀行の1つ「北海道銀行」の窓口経由で同銀行の口座に振り込む際の手数料220円(3万円未満)と440円(3万円以上)を今年7月から統一して880円に値上げするとあって驚きました。そのすぐ後のNHKのローカルニュースでもう1つの道内の地方銀行「北洋銀行」と北海道銀行の3月期の決算について詳細がありました。 北洋銀行は純利益で前期比23億円増の128億円と22%のアップに対して北海道銀行は前期とほぼ同じ2.3%増の85億円に留まったそうです。北洋銀行の増益の理由について個人向けの住宅ローンが堅調だった事、有価証券の利息配当が増えた事などを挙げています。 一方で北海道銀行は株高の恩恵があったものの低い伸び率になった理由を今年4月にオープンさせた「道銀の新ビル」の新築や移転費用がかさんだ事を挙げています。振り込み手数料の値上げの理由なのかなと推測します。そうだとすると納得いかないのは来期に向けて純益を少しでも伸ばすために利用者の負担増というのはいかがな物かなぁという事です。例えば電気・ガス代のように世界情勢で原材料費の高騰があって値上げと目に見える理由があれば別ですが、果たして「新ビル」を望んだのは利用者ですか?と聞いてみたいです。新ビル建設を企画した人達は将来的にこのビルのテナントから受け取る収益等も試算しているはずですが、そういう事が現状に反映されていないと感じます。 更に振り込み手数料についてインターネットバンキングを利用した場合は値下げで無料になるそうです。日本での高齢者のインターネットバンキングの利用率は分かりませんが、またしても高齢者に優しくない「改悪」かなと思います。新ビルで立派な銀行になったけれど「振り込み等で窓口にはあまり来ないで下さいね」という事なのかなぁと。 昨年まで住んでいたシンガポールの銀行には「DBS」という政府系の銀行があり(子供が生まれた時にすぐこの銀行に口座が開かれるシステムになっています)もし納得いかない値上げがあったら利用者は即政府にクレームすると思います。1院制で独裁政治の印象が強いシンガポールですが政権維持のためには広く国民の意見に耳を傾け対策を講じる国です。日本でももっと声を上げていいのでは?という気になります。私たちは利用者ではなく「お客様」なのだから。 余談ですが本帰国後一番難儀しているのが「証券会社」です。1月から何度か連絡しましたが店頭での対応は予約が必要で、4か月経ってやっと来週の月曜に予約が取れました(電話では人員不足で💦という事でした)全ての証券会社がこうではないとは思っても疑問が大いにあります。
2024.05.15
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日刊スポーツのネット版に図解でフォースボークの説明がありました。 今週の水曜にエスコンで行われた日ハム対西武の試合は日ハムのホームラン3本もあり12対3と圧勝でしたが、2回裏「新庄トリック」と呼ばれた奇襲「Force Balk(フォースボーク)」を私は初めて見ました。一塁ランナーのスティーブンソン選手が二塁へスタートした時は「無謀な盗塁💦」と思いましたが、一、二塁間で挟まれれいる間に水野選手が生還して1点!その時は運が良かったと思いましたが、後でネットの記事を見るとこの奇襲も選手がキャンプの時から練習をしてきた事と監督のある読みで今季初めて実行し成功したことを知り「監督、いい仕事してるなぁ」と思いました。そもそも初めて聞くフォースボークを調べてみると下記の説明がありました。「野球で、一・三塁にランナーがいる時に一塁走者が敢えて塁から大きく離れ、投手が一塁に牽制球を投げようとした際に三塁走者が本塁に進塁する素振りを見せることで、意図的に投手のボークを誘発させる戦法のこと。投手がプレートを外さずに一塁への牽制を中断し、本塁に送球した場合、ボークと見なされるというルールを利用したものである。フォースボークが成功した場合、一塁走者と三塁走者にそれぞれ安全進塁権が与えられ、1点と二塁への進塁が得られる」 監督の読みは「一塁を守っているのがルーキーの村田選手なのでピッチャーからの牽制球を経験が少ないルーキーであれば間違いなく二塁に投げるだろう」という事でごれがピシャリと当たってしまいました。選手の起用について監督の采配が当たったとか外れたというのはよく聞きますが、数少ない幸運とも言えるシチュエーションでの「監督の読み」には良い仕事してるなぁと。一日空いて昨日のロッテ戦でも何か奇襲が・・と期待しましたがこちらは残念ながらそれはなく延長12回で引き分けでした。令和の怪物と言われる佐々木朗希投手先発の試合での引き分けもやっぱり「アッパレ!」と拍手を送ります(マルティネス選手の足がもうちょっと速かったらなぁと💦)
2024.05.18
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今朝のNHK「日曜討論」は今日と明日韓国で開催される「日中韓首脳会議」がテーマでした。1999年小渕元首相の提案で始まったこの3か国の会議(会談とかサミット等の記載もあります)は前回の2019年から4年半振りの開催です。改めて4年半と言えば「米中の経済戦争」など世界情勢は大きく様変わりしています。 番組では首脳会議で議題となる3つの大きなテーマのうち「台湾問題」「経済協力」で大半の時間を割き、最後に「拉致問題を含む北朝鮮問題」について討論となりました。今や世界経済に多大な影響を与え北朝鮮に強い影響力を持つ中国をどのように動かすか岸田首相と政府ブレインの手腕が問われる時なのかと思います。 番組を見た後で過去の日中韓首脳会談について調べてみると第2回目の2001年から2004年までは小泉元首相が出席していました。それで思い出すのは2002年7月に金正日国防委員長との間で開催された第1回目の「日朝首脳会談」で、その会議上北朝鮮側に拉致が実際に行われた事を認めさせています。そしてその3か月後の10月には拉致被害者5名を帰国させるという対応の素早さでした。以前気になって当時の記事を検索しても小泉元首相の指揮による政府ブレインの周到な根回しの結果とだけで詳細については勿論書かれていませんでしたが、今日の日曜討論を見ていてふと日中韓首脳会議での小泉元首相の中国への効果的な働きかけのような事がなされたのかなと推測してしまいます。 中国も北朝鮮が他国の言う事に耳を貸す気が無い事に諦めムードがあるようですが、番組では中国からの穀物依存の高い北朝鮮に経済制裁のようなものを課す方法もあるのではという意見も出ました。今日、明日の会議で拉致問題が即解決へとはならなくても、少なくても2002年と2004年の2回だけ小泉元首相の元で行われた日朝首脳会談の3回目が岸田首相の元で年内に行われる「道筋」をつける事が出来るのか岸田首相と政府ブレインの手腕が大きく問われるのだと思います。 先月拉致被害者家族がアメリカを訪問し「政府と議会関係者に支援を求める」というニュースを見ました。被害者の「時間が無い。時間は味方しない」という言葉には胸つまるものがあります。未だ北朝鮮と国交がない日本とアメリカ・・。日本は大いに中国の力を利用するべきと痛感します。
2024.05.26
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来月2日まで「道立近代美術館」で開催中の「琳派(細見美術館所蔵品を含む)xアニメ」展は初回はさっと見ただけで2回目の昨日、館内入口のそばに設置されたスクリーンの「細見美術館館長 細見良行」氏の「琳派を語る(15分)」を見てから展示室で絵を見ると何倍もその絵が楽しめるという分かりやすく興味深い解説でした。 原画は「尾形光琳」の「富士三壺図屏」 原画は鈴木基一の「藤花図」 1600年代の江戸時代に俵屋宗達によって平安時代に描かれ始めた大和絵に金・銀・墨を多用し、より美しい絵を描いた画風はその100年後の「尾形光琳」の登場よって名前の1字を取って「琳派」と名付けられ、現代に至るまで長く引き継がれるその画風はおよそ100年ごとに天才絵師が登場しているそうです。今回の琳派とアニメのコラボについて、京都の桃山時代から続く工房「豊和堂(株)」が琳派の絵の模写になじみの深いアニメのキャラクターを加えて全く違和感が無いのは「手塚治虫」の絵自体が大和絵に通じるものがあると解説しています。 そして一番興味を引いたのは1800年代に登場の「酒井抱一(1761-1828)」で実は姫路城城主の次男(大大名)だったそうです。評判を呼び絵の注文が殺到しても大名としての仕事も忙しくなかなか絵を描く時間も取れず、苦肉の策として今や「琳派の天才絵師」と呼ばれる「鈴木基一(1796-1858)」を弟子として雇ったそうです。ただ純粋な意味の弟子ではなく酒井家の家来として雇われたため、鈴木基一としてはもし「殿の気に入らない絵を描いてしまったら切腹ものかも・・」と命がけで描いたというエピソードには笑ってしまいました。 酒井抱一「墨梅」 鈴木基一「月に葛図」 そう言われると「殿の絵」を模倣している感があります。そして転機となったのが酒井抱一の死で、その後鈴木基一はしがらみから解放され自分の描きたい通りの絵を描き海外で琳派と言えば「鈴木基一」と言われるほどの絵師になったようです。 個人的には初めて琳派という言葉と鈴木基一を知ったのは8年前に一時帰国をした時で、たまたま立ち寄ったサントリー美術館で展覧会が開催されていました。生憎時間がなく「朝顔」のパンフレットを持ち帰っただけですがシンガポールに戻ってからもずっと長く記憶に残る絵でした。作家の原田マハ氏の言葉を借りると正に「美術館での一期一会」で、今回鈴木基一の人となりの一端を垣間見る事が出来たのはとても幸運だったと思います。
2024.05.27
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先日「チ・カ・ホ(札幌駅前通地下広場)」を歩いていたら「苗物マルシェ(NPO法人グリーンライフ主催)」の出店があって賑わっていたので覗いてみると野菜の苗物だけでなく、ハーブ、花と様々な植物が並んでいました。その中でたわわになっているバジルを見て、以前スーパーで鉢で買ったバジルが数枚食べた後すぐに元気がなくなって枯れてしまったのを思い出しました。手に取って見ているとスタッフが声を掛けてくれたので「すぐダメになってしまって・・長く上手に増やしていくコツは?」と聞くと「葉をちぎってるでしょ」と図星で「葉の下の方を見て芽が出ていれば茎の所からハサミで優しく切るように」とのアドバイスでした。リベンジでバジルは今種から育てていて芽が出たばかりなので初めての「シソ」を選びました。1鉢180円の購入に上手な増やし方(基本的にはバジルと同じ)の講義付きで本当に有難い気持ちになりました。 鉢は新聞紙で作った手提げバッグ(持ち手もしっかりしています)に丁寧に入れてくれて、嬉しかったのはその後買い物で立ち寄ったデパートの店員さんに「素敵ですね。その新聞のバッグどうやって作ったんですか?」と聞かれた事で、私もなかなか良いアイデアでお洒落と思っていたので苗物マルシェの事も結構詳しく伝え会話も弾みました(^^♪ 早速2鉢に分けて トマトソーズをかけ過ぎて下のハンバーグ(牛・豚・鳥合いびき)が見えません💦 スタッフからのもう1つのアドバイス通り15本入っている1鉢を土をたっぷり入れた2鉢に分けて、早速晩御飯のハンバーグ&トマトソーズに下の芽を確認しながらハサミで優しく切って乗せました。個人的には料理に赤色と緑色があるだけで色どり鮮やかで幸せな気持ちになります。シソは初めてなので調べてみると葉だけでなく「芽」や「花」も刺身のつまや薬味として食べられるようなので、このシソがもう少しして花が咲くのかどうかとても楽しみです。
2024.05.30
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