財政的危機にも陥っていた時、ニューヨークの「Fine Art Academy」から1885にポール・デュランに絵画展を開催しないかとお誘いがありました。翌年350点ほどの絵画と自ら作成した絵画展用のカタログを持参してアメリカに渡りました。そのカタログに自分の名前を入れなかったというところでグッときました。あくまでも主役は印象派画家と絵画というポール・デユランの思いが伝わります。
ニューヨークを皮切りに、アメリカ東海岸のボストンやフィラデルフィアを回り確実に手ごたえを掴んだようでした。「Little by little, price is up(少しずつ印象派の絵画は売れ、値を上げていった)」と字幕が流れました。