星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.04.21
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カテゴリ: 読書 原田マハ
 図書館の書架で「ゴッホの手紙」を見つけ、もしかしたらゴッホが浮世絵を初めて見た時の手紙があるのではと思い早速手に取ってみました。以前にゴッホが浮世絵に出会ったのはのはオランダでもパリでもなくベルギーの街というのを別の本で読んで意外だなぁと思っていたからです。





 1885年11月(437番)
 「~ともかく、アントウェルペンは、確かに画家にとって、とても不思議で美しい街だ。ぼくのアトリエは、十分我慢できる。というのも、壁にひとまとまりの日本の版画をピンで留めてみたところ、たいそう楽しげな感じになったのだ。知ってのとおり、版画には、庭や浜辺にいる女たち、馬に乗る男たち、花々、節くれだったいばらの樹木などが描かれている。」

 日本の鎖国時代に交易のあったオランダへの陶器などの輸出品の包み紙とした使われていた浮世絵がベルギーでもしかして安価な値段で買えたのか、ゴッホがアントウェルペンで通った「王立芸術学院」にあったものなのか興味が沸きます。そして特にゴッホの絵の特徴の1つであるうねるような樹木の描き方が「節くれだったいばらの樹木」に影響があったのかこの浮世絵を是非見てみたいものです。

 そしてこの本を締め括る最後の手紙はゴッホの拳銃自殺の3日前の1890年7月24日(652番)で前日の651番の「~おそらくきみは(テオ)はこの<ドービニーの庭>のスケッチを見たいだろうね。ぼくがもっとも念入りに描いたカンヴァスの中の1枚だ。他には古い茅葺き屋根の家のスケッチと、雨後の広々とした麦畑を描いた2点の30号のスケッチも同封した~」で始まるt手紙の続きとして書かれています。

 「~ぼく自身の作品について言えば、そのためにぼくは自分の人生を危機にさらし、ぼくの狂気はそのために半分打ち砕かれた。いいさ、でもきみはぼくの知る限り、そんじょそこらの画商ではない。きみは自分の立場を選べるし、ぼくの見るところ、本物の人間らしさをもってふるまうことができる。だが、何をなすべきなのか。」で652番は終わっています。

 驚いたのは「この手紙は651番の手紙の未完草稿で、7月27日にヴィンセントが亡くなった時身に付けていたものである」と注釈(※)が書き添えられていた事です。


ゴッホの愛したオーヴェールの麦畑​









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最終更新日  2024.04.21 13:07:26
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