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2018(平成30)年の最後は、2018年の流行語(主に流行語大賞のトップテン)と米津玄師さんの名曲「Lemon」♪を紹介します。 まず、流行語から紹介します。 2018年に驚いたのは、親たちが子供の敵と口をそろえて怒っていた、「テレビゲーム」が東京オリンピック競技になり、「e-スポーツ」と呼ばれるようになったことです。 まさに、「日本の常識は世界の非常識」ですね。 6月から7月に開催されたサッカーの「FIFAロシアワールドカップ」の日本代表は、平均年齢が高く開会目前には「おっさん日本」と揶揄されていました。 しかし、始まってみると、前評判を覆し、南米の強豪「コロンビア」に2対1で勝利し、見事、決勝トーナメントに進出しました。 特に、このコロンビア戦で、決勝ゴールを決めた大迫選手の活躍は、「大迫半端ないって」という流行語まで生みました。 一方で、サッカー以外のスポーツ界では不祥事が相次ぎ、日本ボクシング協会の山根前会長の地元、奈良県選手を判定で優遇した「奈良判定」や、日大アメリカンフットボール部の「悪質タックル」問題、レスリングや相撲でも暴力やパワハラが問題となりました。<FIFA ロシア大会の大迫選手の応援> 夏から秋にかけては、猛暑、台風や豪雨、地震(大阪・北海道)などの災害が相次ぎ、「2018年の今年の漢字」に『災』が選ばれました。 特に猛暑は、7月23日に埼玉県熊谷市で41.1度の日本最高気温を記録するなど、各地で40度超えが続き、命の危険がある「災害級の暑さ」が続きました。 こんな猛暑の中、8月には、山口県の周防大島で行方不明になっていた2歳の男の子を救出した「スーパーボランティア」の尾畑春夫さんが、一躍、時の人になりました。 この尾畑さんの愛と、テレビ朝日のドラマのタイトル「おっさんずラブ」も、見事、流行語ベストテンにランクインしました。 政治では、自民一強の国会での、「ご飯は食べていない。パンは食べたが」など、数を頼りに詭弁や強硬策をとる政府答弁が目立ち「ご飯論法」と言われました。 アメリカ・ハリウッドでは、セクハラの被害者が「#Me Too(私も)」と、たくさん名乗りでて、大きな問題になりました。 一方、日本のテレビでは、5歳の女の子チコちゃんが「ボッーと生きてんじゃねえよ」と大人を叱るNHKの番組「チコちゃんに叱られる」が、高視聴率を記録しました。 そして2018年の流行語大賞には、2月の「冬季オリンピック平昌大会」で銅メダルをとったカーリング女子チームの、北海道弁「そだねー」が選ばれ、休憩時間におやつを食べる「もぐもぐタイム」も有名になりました。 他にも、流行語大賞の候補にはなりませんでしたが、2019年5月に元号が変わることが発表されて、2018年の5月以降は、「平成最後の」という言葉が、流行語になっています。ここで2018年の流行語を、取り入れた詩を紹介します。「2018年流行語抜粋詩」(じゅんくう詩集より)勉強をゲームに代えた我が子らの将来憂う親心せめて「e-スポーツ」で「大迫、半端ないって」言われるほどに世界へ向かえと願いしもゲームはやってないけどe-スポーツはやっていると「ご飯論法」使う子供スポーツ界でも「奈良判定」シカも大仏さまも あきれ顔「災害級の暑さ」の中がんばる「スーパーボランティア」の尾畑春夫さんの「おっさんずラブ」に大喝采今こそ「#Mee Too」と立ち上がれ怠けていると「ボーッと生きてんじゃねーよ」とチコちゃんに叱られるゾ「もぐもぐタイム」でおやつ食べるカーリング女子も「そだねー」と平成最後の大拍手<カーリング女子銅メダルの号外> ここからは、2018(平成30)年の「NHK紅白歌合戦」の出場を、あと出しで発表された米津玄師さんと、紅白歌合戦で歌う予定の、若者を中心に圧倒的な支持を受けた2018年レコチョク1位の名曲「Lemon」を紹介します。 米津玄師(よねづ・けんし)さんは、1991(平成3)年3月10日徳島県生まれの27歳です。 板東英二さんなどが先輩にいる「甲子園の名門校」徳島県立徳島商業高校を卒業後、大阪の専門学校へ進学し、今は、シンガーソングライター、ミュージシャンとして活躍しています。 2013年5月に「サンタマリア」♪で、メジャーソロデビューし、2015年10月発売の3枚目のアルバム「Bremen」が主要チャートのアルバム部門で1位を獲得しました。 2016年9月に発売したシングル「LOSER/ナンバーナイン」♪は、ホンダのCMに起用されて、2018年7月にYouTubeの再生回数が、1億回を突破しました。 また、2017年6月18日公開の劇場アニメ「打ち上げ花火、下から見るか?、横から見るか?」の主題歌「打ち上げ花火」♪の作詞・作曲・ボーカルを担当し、ビルボードの2017年年間ランキング3位、2018年年間ランキング4位になりました。 さらに、2018年3月に発売された8枚目シングル「Lemon」が、2018年ビルボードランキングで1位を獲得しました。 2018年12月31日現在、「打ち上げ花火」は2億2千万回以上ネットで視聴され、「Lemon」は2億4千万回を超えています。 若者を中心に圧倒的な人気を誇る米津玄帥さんですがテレビの生放送などには出ませんでした。 しかし、平成30年12月には、いよいよ全世代に認知されている「日本レコード大賞」と「NHK紅白歌合戦」にも、出演します。 まず、2018(平成30)年12月の平成最後の「日本レコード大賞」では、「BOOTLEG」で最優秀アルバム賞と特別賞を受賞し、さらに大晦日の平成最後の「NHK紅白歌合戦」にも初出場し地元徳島県鳴門市の「大塚国際美術館」から中継でテレビに出演しました。<写真「Lemon」♪の屋外広告> それでは、おしまいに、米津玄師さんの名曲「Lemon」♪の歌詞を紹介します。♪「Lemon」 (作詞・作曲・歌 米津玄師)♪♪1夢ならば どれほど よかったでしょう未だに あなたのことを 夢にみる忘れた物を 取りに帰るように古びた思い出の 埃を払う戻らない幸せがあることを最後にあなたが教えてくれた言えずに隠してた 昏(くら)い過去もあなたがいなきゃ 永遠に昏いままきっともうこれ以上 傷つくことなどありはしないと わかっているあの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえそのすべてを愛してた あなたとともに胸に残り離れない 苦いレモンの匂い雨が降り止むまでは 帰れない今でもあなたは わたしの光2暗闇であなたの 背をなぞったその輪郭を 鮮明に覚えている受け止めきれないものと 出会うたび溢れてやまないのは 涙だけ何をしていたの 何を見ていたのわたしの知らない横顔でどこかであなたが今 私と同じ様な涙にくれ 淋しさの中にいるなら私のことなどどうか 忘れてくださいそんなことを心から願うほどに今でもあなたは わたしの光3自分が思うより恋していた あなたにあれから思うように息ができないあんなに側にいたのにまるで嘘みたいとても忘れられないそれだけが確かあの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえそのすべてを愛してた あなたともに胸に残り離れない 苦いレモンの匂い雨が降り止むまでは 帰れない切り分けた果実の片方の様に今でもあなたは わたしの光♪<写真 米津玄師さんが紅白で生中継した「大塚国際美術館」(徳島県鳴門市)>それでは、2018(平成30)年も1年間このブログをお読みいただき、ありがとうございました。2019年はいよいよ「4ヶ月だけが平成最後の年」で、あとは新元号の元年です。新しい年が 皆様にも私にも亥の年、いや、いい年になりますように心から「そだねー」と言いたいですね。Lemon (初回限定映像盤 CD+DVD) [ 米津玄師 ]
2018.12.31
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2018年も、クリスマスと年末の季節になりましたね。毎年、この時期には「クリスマス・年末のいい話」を紹介しています。今回は、2018年でちょうど200年になるクリスマスの名曲「きよしこの夜♪」の話と、この時期のことを書いた童話の名作「マッチ売りの少女」などを書いた童話作家アンデルセンを紹介します。まず、名曲「きよしこの夜♪」のお話です。 世界的に知られる名曲「きよしこの夜♪」は、今からちょうど200年前の1818(日本では江戸時代後期)年12月24日、つまりクリスマス・イヴに、オーストリアの田舎町「オーベルンドルフ」の聖ニコラウス教会で初めて演奏されました。 「きよしこの夜」の作詞者であるヨゼフ・モールさんは、1817年から1819年まで聖ニコラウス教会の司祭を務めていました。 ところが、1818年のクリスマスの2日前(12月23日)に、教会のオルガンがネズミにかじられて演奏できないことがわかりました。 大切なクリスマスに聖歌が演奏できないとわかったモール司祭は、とても困って教会のオルガン奏者で教師のフランツ・クサーヴァ・グルーバーさんに相談しました。 二人はいろいろ相談した結果、モール司祭が作った「Stille Nacht (ドイツ語)」という詩に、クルーバーさんが作曲し、オルガンがないので、ギターで演奏することに決めました。 こうして、イブイブの12月23日の夜に、一晩でクルーバーさんが作曲したのがあの名曲「きよしこの夜」でした。 1818年12月24日に、オーストラリアの田舎町オーベルンドルフの教会で、初めて発表された「きよしこの夜♪」は、当時、ナポレオン戦争で疲弊していた人々の心に、癒しと希望を与え、やがて国境を越えて世界中で歌われるようになりました。 それでは、200年後の2018年にも、すべての大陸で300以上の言語で歌われている「きよし この夜」(英語名「Silent night」)の歌詞を、紹介します。♪「きよし この夜」<カトリック聖歌>♪(作詞:ヨゼフ・モール、作曲:フランツ・クサーヴァ・グルーバー、訳詞 由木 康)♪きよし この夜(しずけき 真夜中)星はひかり(まずし うまや)救いのみこは(神のひとり子は)まぶねの中に(御母の胸に)眠りたもう(眠りたもう)いとやすく(夢やすく)(やすらかに)♪<オーストリア・オーベルンドルフの聖ニコラウス教会(200年前に「きよしこの夜」を初披露)> ここからは、童話作家のアンデルセンの名言と作品のお話をします。 ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、「きよしこの夜」が発表されたのと同じ頃、19世紀はじめ、1805年4月2日に、デンマークにあるフュン島のオーデンセで生まれました。 アンデルセンの家は貧しく、父ハンスは最下層の靴修理職人、母アンナは洗濯女でのちにアルコール中毒になりました。 さらに精神病の祖父、虚言壁の祖母と、アンデルセンは、病的な家族に囲まれてと貧乏アパートで住んでいました。 そんな中で、父親はアンデルセン少年に、「千夜一夜物語」をよく読んでくれました。このことが、のちに童話作家「アンデルセン」を生むことになりました。 しかし、その父もアンデルセンが11歳の時に亡くなりました。 小学校ではクラスメイトに、「貧乏人の子供」とからかわれましたが、アンデルセンはこう言い返しました。「僕は取り換えられた貴族の子供なんだ」と。 14歳の時に家を出たアンデルセンは、貧乏ながらもデンマークの首都コペンハーゲンに出て暮らし、人との出会いにも恵まれ、声楽家や文学を勉強することができました。 次第に頭角を現したアンデルセンは、「人魚姫」「裸の王様」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」など、童話史上に残る名作を書きます。 中でも、「マッチ売りの少女」は、クリスマスから年末にかけての時期になると名作として、世界中で愛されています。 この童話のあらすじを紹介します。 大晦日の雪の夜、一人の貧しい少女がマッチを売っていました。「マッチはいかがですか。」 少女は一生懸命に、大晦日の町でマッチを売り歩きましたが、1本も売れませんでした。 そのうち、体が寒さで震えてきました。少女は自分のマッチを1本着けました。 すると、ほのおの中から「ストーブ」が現れて一瞬だけ暖かくなりました。 でも、マッチの火が消えると、また雪の中で一人で震える自分がいました。 もう1本、マッチに火を着けると、今度は「ごちそう」が現れました。 でも、すぐに消えてしまいます。 3本目のマッチに火を着けると、「クリスマス・ツリー」が現れて、やがてツリーのロウソクは空に昇って、流れ星になり消えました。 最後のマッチに火を着けると、「亡くなったはずのおばあさん」が現れて、少女をやさしく抱きしめてくれました。少女はおばあさんの胸の中で、幸せな気持ちで眠りました。 翌朝、雪の止んだ元旦の町の通りの片隅には、眠るような顔をしたマッチ売りの少女の死体がありました。<絵本「マッチ売りの少女」の表紙> アンデルセンの話は、この「マッチ売りの少女」や「人魚姫」など、悲しいお話が多いです。 これは、幼いころの貧乏な経験と、何度もプロポーズしたのにすべて断られて、生涯独身であったことなどが関係していると言われています。 でも、一方で「裸の王様」のようなコミカルな風刺話や、「みにくいアヒルの子」のように、みんなに嫌われいじめられたみにくいアヒルの子供がやがて美しい白鳥になるという、あの小学生のアンデルセンがクラスメートに言ったとおりの「夢のあるストーリー」も、書いています。 そんなアンデルセンの名言を、いくつか紹介します。・「自分がみにくいアヒルだと思っていた頃は、(成功して)こんなにたくさんの幸せがあるとは、思ってもいなかった。」・「目は目を見ることができない。指は指を指すことができない。誰でも自分のことは案外わからないものだ。」・「人はどんな高いところでも登ることができる。しかし、それには決意と自信がなければならない。」・「私が書いたものは、ほとんどが私自身の姿であり、登場人物はすべて私の人生から生まれたものです。」 アンデルセンは、多くのすてきな童話を子供たちをはじめとするすべての人に残し、1875年8月4日、70歳で肝臓がんのため、デンマークのコペンハーゲンで亡くなりました。 アンデルセンは生涯独身でしたが、彼が亡くなると、王族や各国大使、子供から老人、そして浮浪者まで多くの人が葬儀に参列したそうです。 そして、アンデルセン自身や彼の作品「人魚姫」までが銅像になり、1956年には「国際アンデルセン賞」が創設され、児童文学のノーベル賞と呼ばれるようになりました。<アンデルセンの銅像(デンマーク・コペンハーゲン)> 「すべての人の一生は、神様の手によって書かれたおとぎ話だ」と、アンデルセンは言いましたが、まさに彼の一生そのものが、「おとぎ話」であったのかも知れませんね。<追伸> 実は、今日、本屋に行って、久々に「アンデルセン童話」を買いました。 中を見てみると、今回、紹介できなかった名作童話も、たくさんあります。 そんな作品も、またの機会に、紹介したいと思います。 それでは、 メリークリスマス&よいお年を!アンデルセンどうわ15話 名作よんでよんで [ ハンス・クリスチャン・アンデルセン ]
2018.12.24
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今回は、2018(平成30)年の夏から秋にかけての災害の概要と教訓について考える2回目として、「台風」や「北海道地震」などを紹介し、「猛暑のあとに大地震が来る」という説についても検証してみます。 最初は、2018年に日本に相次いで上陸した台風について、振り返ってみます。 まず、7月上旬には、「台風7号」が対馬海峡を通過したところで温帯低気圧になり、このことが先に紹介した「平成30年7月豪雨」の直接的な原因の一つとなりました。 次に日本に接近した台風12号は、「東から西」に進む逆走台風で、7月29日未明に三重県伊勢市に上陸し、近畿・中国・瀬戸内海を東から西に通って、7月29日には九州の福岡県豊前市に上陸しました。 熱海のホテルに高波が押し寄せるなどして、全国の負傷者は23名を記録しました。 続いて、8月23日には台風20号が、南から北上して四国の徳島県に上陸し、翌24日には本州の兵庫県姫路市に再上陸しました。 この台風では、静岡県で大学生4人が高波にさらわれ死亡しました。 さらに、台風21号が「非常に強い勢力」のまま、9月4日に四国の徳島県南部に上陸し、その日のうちに本州の兵庫県神戸市に再上陸しました。 この台風21号は、大阪府の「関空島」で58.1mの最大瞬間風速を記録し、大阪湾で3mを超す高潮を記録しました。 大阪府・京都府・滋賀県・愛知県など、近畿・東海を中心に、13名が死亡し912人が負傷しました。 また、「関西国際空港」の連絡橋にタンカーが衝突し、関西国際空港が使用不能になりました。 さらに、台風24号が、9月30日に和歌山県田辺市に上陸し、10月1日までに、九州・四国・近畿・東海などで、大きな被害が出ました。 全国で4人が死亡し、行方不明2人、203人が負傷しました。 2018年の上陸台風の特徴は、東から西へ進んだり、対馬海峡付近で温帯低気圧に変わったりして、コースがこれまでの常識と変わったことや、本土直撃で暴風や高波・高潮などの被害を起こしたことなどです。 温暖化が原因ではないかとも、言われています。 今年の夏から秋かけての災害で、もう一つ忘れてはいけないのが「北海道胆振東部地震」です。 2018(平成30)年9月5日に台風21号が北海道に大雨をもたらしました。翌9月6日の未明、午前3時7分に、北海道胆振(いぶり)地方の深さ37kmを震源として、マグニチュード6.7、最大震度7(北海道厚真町=震度は7がマックスです)の「北海道胆振東部地震」が発生しました。 厚真町の土砂災害で36人が死亡するなど、死者41人、負傷者691人の大きな人的被害が出ました。 また、道内の半分の電気を供給していた「苫東厚真火力発電所」が完全に停止し、北海道のほぼ全域で停電する「ブラックアウト」と呼ばれる状態になりました。 北海道の電力のバックアップ体制の気弱性が明らかになった一方で、停電対策として、「電気自動車」を使った発電や、懐中電灯やランタンの上に「ペットボトルを置いて光度を上げる」ソフト面の工夫なども話題になりました。 また、「セイコーマート」という北海道のローカルコンビニが、大手コンビニが営業できなくなる中で、日ごろの訓練や備えにより、1100店舗のうち1050店舗が営業を継続し、地域の生活を支えたことは特筆できるニュースでした。<平成30年北海道胆振東部地震の震度図> こでまで見てきたように、平成最後の夏から秋にかけては、地震・豪雨・台風そして猛暑と、災害の多かった平成らしく、多くの災害に襲われました。 この年の災害で、私が気になるのは台風21号が、2018年9月5日に北海道に大雨をもたらして北へ通り過ぎた直後の、9月6日午前3時7分に、最大震度7の「北海道胆振東部地震」が起きたことです。 「台風」の通過直後の「地震」というのは、実は以前にもありました。 2007(平成19)年7月14日から15日にかけて、台風4号が日本に上陸し、新潟を含む全国で大雨を降らしました。 その直後の2007年7月16日10時13分に、新潟県中越地方沖を震源とするマグニチュード6.8、最大震度6強(新潟県柏崎市・長岡市・刈羽村、長野県飯綱市)の「中越沖地震」が発生し、死者15人、負傷者2346人の被害が発生しました。 台風と地震、そして猛暑は連動するのでしょうか? ここからは、この話をすることにします。 まず、台風と地震の関係についてです。 アメリカのマイアミ大学とフロリダ国際大学の研究チームは、2011年に台湾とハイチの過去50年間の事例を検証し、「マグニチュード6.0以上の大地震の発生前の4年間のうちに、暴風雨(台風)がその地域を襲っている。」という研究結果を発表しました。 「豪雨で発生した土砂崩れや浸食で、地上付近の地盤が動き、断層の負荷が取り除かれ、崩れやすくなった。」との結論だそうです。 日本では、台風もマグニチュード6以上の地震も、毎年のように発生していてるので、この研究の指摘する「4年間」は長すぎると思います。 しかし、「豪雨のあとに大地震が起きやすい」という仮説は、今年の「台風21号と北海道胆振東部地震」、「2007年台風4号と中越沖地震」の例をみても、かなり現実味があると思います。 少なくても、「地震のあとの豪雨で土砂災害が発生しやすい」というのは事実ですので、十分な注意が必要です。 もう一つ、よく言われる説に、「猛暑の夏のあとに大地震が来る」というのがあります。 この説は本当でしょうか? 試しに、気象庁が観測した夏(7月~9月)の東京の平均気温で、「関東(大正12年)」「阪神・淡路(平成7年)」「東日本(平成23年)」の3つの大震災の前後の年の「夏の平均気温」を見てみましょう。 まず、1923(大正12)年9月1日に起きた「関東大震災」の前後の気温です。 1920年が24.4度、1921年が23.6度、震災前年の1922年が25.2度、関東大震災が発生した1923年が24.9度、1924年が24.7度、そして1925年が23.9度となっており、震災の前年の1922年の夏の気温が、前後数年間で1番高いことがわかります。 「猛暑の翌年に関東震災が起こった」ということになります。 次に、1995(平成7)年1月17日に起きた「阪神淡路大震災」の前後の年の、「夏の平均気温」を見てみましょう。 1992年25.3度、1993年23.4度、震災前年の1994年が27.3度、阪神大震災が起こった1995(平成7)年が26.5度で、1996年24.9度、1997年25.5度を記録しており、ここでも阪神大震災の前年の1994年の気温が前後数年で1番高いことがわかります。 「猛暑のあとに震災が起こる」という言葉は、この「阪神大震災」でも当てはまります。 それではもう一つ、2011(平成23)年3月11日に起きた「東日本大震災」の前後の「夏の平均気温」を見てみましょう。 2008年が26.1度、2009年が25.3度で、東日本大震災前年の2010年が27.6度、東日本大震災が3月に発生した2011年が26.6度、翌2012年が27.2度、2013年が27.2度となっており、ここでも東日本大震災の前年(2010年)の気温が前後数年で1番高いことがわかります。「猛暑の翌年に震災が起こる」という説は、少なくても近年の「三大震災」については当てはまりそうです。 ちなみに、最近の夏(7月~9月)の平均気温を紹介すると、2016年が25.6度、2017年が25.5度、2018年26.4度となっています。 これから来年にかけて、要注意かも知れませんね。 もう一つ、最近の大地震は、冬から早春に起こる傾向があります。 歴史を遡れば、2011年3月17日の「東日本大震災」、1995年1月17日の「阪神大震災」、1946(昭和21)年12月21日の「昭和南海地震」、1944(昭和19)年12月7日の「昭和東南海地震」、そして、1933(昭和8)年3月3日の「昭和三陸地震」と、最近は、冬から早春の時期の大地震が目立っています。 岩盤が縮んで地震が起きやすくなるとの説もありますが、はっきりした原因はわかっていません。 ちなみに、「昭和」の前の「南海地震」と言われる江戸時代末期の1854年の「安政東海地震」は新暦12月23日で、「安政南海地震」は同じ1854年の12月24日(南海地震の翌日)に起こっています。 これらの地震は、12月から3月までに起こっています。 ちなみに、死者22万人を出した「スマトラ島沖大地震・インド洋大津波」も、2004年12月26日に発生しています。 地震はいつ来るかは、もちろんわかりませんが、「冬から早春にかけて」と「猛暑の翌年」は、特に注意をする必要がある季節・年として、警戒・備えをする必要がありそうですね。<写真 東日本大震災の被災地に揺れる黄色いハンカチ(宮城県仙台市荒浜地区)> 最後は、被災地にはためく黄色いハンカチと「海辺の図書館」の話をしたいと思います。 私が、多くの家屋が津波で流された「宮城県仙台市荒浜」の海岸を訪れたのは、東日本大震災の翌年の春でした。 その時、建物が全部流された海岸に、黄色いハンカチが揺れていました。 何にもなかったように穏やかだった太平洋からの海風に、揺れる黄色いハンカチには、「必ずここへ帰って来る」という被災者の皆さんの願いが込められていました。 「幸福の黄色いハンカチ」は、1977年に公開され、第1回日本アカデミー賞を受賞した山田洋次監督の名作映画です。 刑期を終えて網走刑務所を出獄した島勇作(高倉健)が、北海道夕張の自宅に帰る前に、「俺をまだ待ってくてるなら黄色いハンカチを家の前に上げてくれ」という手紙を妻の光枝(倍賞美津子)さんに送りました。 ヒッチハイクの末に、勇作が網走から夕張の自宅にドキドキしながらたどりつくと、たくさんの「黄色いハンカチ」がはためいていました。 この映画で「黄色いハンカチ」は、幸せの象徴になりました。 仙台市荒浜地区は、今では「居住禁止区域」になり、住むことはできなくなりました。 それでも、元住民が「海辺の図書館プロジェクト」を立ち上げ、元住民や支援する人たちが、交流や学び、癒しの場としてこの海岸に「図書館」のような場所を育てていこうという活動を続けています。 この場所には、今も「黄色いハンカチ」が揺れていて、こんな言葉が書かれています。「荒浜大好き、これからも来ます。何度も、何度でも!」「荒浜の未来に向かって、これからも力を尽くし、共に歩みましょう。」 住むことはできなくても、被災地は、「ふるさと」であり、みんなの心の寄りどころなんですね。 地震・猛暑・台風・豪雨・・・、2018年の平成最後の夏から秋にかけて、日本は多くの災害に襲われました。 これから、大地震の発生の多い「冬」がやってきます。 また、南海トラフを震源とする巨大地震(東海・東南海・南海の各地震)のこの先30年間の発生確率も、これまでの70%から2018年は「70%~80%」に上がっています。 地球の温暖化や、地震エネルギーの蓄積により、日本の様々な災害の発生は、年々増えています。 それでも、日本人の心の中に「黄色いハンカチ」が揺れている限りは、被災地のみなさんがまた立ち上がり、支援者とともに、復興してゆくことを信じたいと思いますし、2018年の教訓から一人一人が災害への「備え」を、加速してゆことを期待したいと思います。【2個以上同時購入で送料無料♪】防災リュック に!大型しっかり リュック (ワイドタイプ) 反射テープ付☆ 防災用 アウトドア 用 大容量 大きめ ☆ 非常食 水 靴 乾パン 等を入れましょう!【 非常用 ☆ 災害用 】 防災グッズ【あす楽対応_関東】【あす楽対応_東海】
2018.12.09
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2018(平成30)年の夏から秋にかけて、大阪北部地震、7月豪雨、日本最高記録を更新した猛暑、次々と上陸する台風、そして北海道胆振東部地震と、とても多くの災害がありました。 今回から2回に分けて、これらの災害の概要と学ぶべき教訓について、紹介します。 まず、2018(平成30)年6月18日午前7時58分頃、大阪北部を震源とする地震が発生し、大阪市北区をはじめ、高槻市・茨木市・箕面市・枚方市(いずれも大阪府)で震度6弱の揺れを記録しました。 この地震の規模を示すマグニチュードは6.1で、「阪神淡路大震災(1995年)」の7.3や「東日本大震災(2011年)」の9.0などに比べれば小規模でしたが、大都市の直下型地震であったことで、死者5人、負傷者435人の人的被害を出したほか、停電17万戸以上、ガスの停止11万戸以上などライフラインにも大きな被害を出しました。 特に、大阪府高槻市で登校中の小学生がブロック塀の下敷きになったことが大きな問題となり、全国の学校のブロック塀の総点検を国が指示しました。 建築基準法では、ブロック塀の高さが2.2m以下、控壁(ひかえかべ)の間隔は3.4m以内とされていますが、多くの壁がこの基準を満たしていないことが明らかになりました。 地方公共団体や政府では、ブロック塀の改修の予算確保を急いでいますが、当面は「ブロック塀に近づかない」「地震が来たら急いでブロック塀から離れる」を呼びかけています。 さらに、大都市で起きた「大阪北部地震」では、交通機関が止まった時の通勤・帰宅の問題がクローズアップされました。 対策としては、(1)緊急地震速報や揺れを感じたら、ただちに塀や危険な場所から離れることを、子供も大人も徹底する。ことがいちばん大切です。 また、(2)職場・学校と自宅の間を平時に歩いてルートの確認とコンビニや避難施設・危険個所などを確認しルートマップを作っておく、(3)職場・学校にも3日間程度の水・非常食・歩きやすい靴などを用意する、(4)家族と事前に集合場所などを話し合っておく、などの準備をしておくことが大切です。< 小学生が下敷きになって死亡したブロック塀(大阪府高槻市)> 続いて、2018年6月28日から7月8日にかけて、台風7号と梅雨前線により、西日本を中心に北海道や中部なども含め、全国的に記録的豪雨が降り、広島県・岡山県・愛媛県を中心に、死者227人の平成最悪の豪雨「平成30年7月豪雨」が発生しました。 この期間の雨量は、高知県馬路村の1852mmをはじめ、長野県・岐阜県・高知県・徳島県で1000mm越えの箇所が出て、普段は雨の少ない「瀬戸内地方」の広島県、岡山県、愛媛県などでも500mmを超えました。 そして、この3県を中心に多くの被害が出ました。 その多くは、洪水(内水面の浸水を含む)と土砂災害が原因でした。 また、この豪雨では、「大雨特別警報」が、長崎県・福岡県・佐賀県・広島県・岡山県・鳥取県・京都府・兵庫県(以上、7月6日発表)に加え、岐阜県(7月7日発表)、高知県・愛媛県(7月8日発表)と、過去最多の11府県に出されました。 この「特別警報」の発表は、ほかの「警報・注意報」と同じ気象庁であるのに対し、「避難勧告」「避難指示」「避難準備情報」は区市町村が出す情報であり、両者の関係が、国民や住民にはわかりにくいものとなりました。 そこで、次のような問題が指摘されしました。 (1)「大雨特別警報」は数十年に1度しか出ない最終警報であるのに、「特別警報の有無」で避難のタイミングを考える人が増え、結果的に逃げ遅れたり避難しなかった人が増えたこと (2)豪雨の中では、「防災無線」や「消防車などの呼びかけ」が雨の音で伝わらず、避難が遅れたこと (3)岡山県内の治水対策(河川の堤防など)や広島県内の土砂災害対策などが、あまり進んでいなかったことなどが主なものです。 今後の教訓としては、「気象警報」や「避難情報」の意味の周知、自分の住む町の避難ルートや避難所の事前確認・シミュレーション、スマホや携帯メール、自治体の情報を直接、取得できる「防災ラジオ」などの情報伝達手段の確保が、重要になってくると思います。<写真 大水害の起きた岡山県倉敷市での夜間の船からの捜索> 平成30年7月豪雨が一段落すると、次に問題になったのは「猛暑」でした。 例年の「太平洋高気圧」に加え、「チベット高気圧」までもが、平成30年7月から8月にかけての日本を広く覆って、平成30年夏(6月~8月)の平均気温は、東日本が平年比+1.7度、西日本が平年比+1.1度で、1946(昭和21)年の統計開始以来、東日本が1位、西日本が2位になりました。 特に2018年7月23日の埼玉県熊谷市では、日本の観測史上1位となる41.1度を記録しました。 ほかにも40度越えの場所が相次ぎ、2018年に初めて40度を超えた日だけを紹介しても、7月18日の岐阜県多治見市(40.7度)、同美濃市(40.6度)を皮切りに、7月23日には熊谷市以外にも、東京都青梅市(40.8度)、山梨県甲府市(40.3度)を記録しました。 また、8月3日には愛知県名古屋市(40.3度)、8月6日には岐阜県下呂市(41.0度)で40度越えを記録し、8月23日には台風通過のフェーン現象で、新潟県胎内市(40.8度)、同県三条市(40.4度)、同県上越市40.0度で、北陸初の40度越えを記録しました。 「命に関わる危険な暑さ」という表現が、毎日のように使われ、2018年7月に全国で「熱中症」で緊急搬送された人は5万4220人、死者も133人と史上最悪になりました。 熱中症対策としては、(1)不用不急の外出を控えること、(2)水分・塩分のこまめな補給、(3)冷房を躊躇せず活用する、などがあげられました。 大きな問題は、小学校を始め、中学や高校などでのエアコン設置率の低さで、小中学校のエアコン普及率は50%未満で、高校ではPTAに費用を負担させている自治体もあり、問題になりました。<写真 扇風機だけの教室> ここまで、2018年の「大阪地震」「7月豪雨」「猛暑」について、振り返ってみました。 後半は、「台風」と「北海道地震」、さらに「地震、台風、猛暑の相関関係」について、考えてみたいと思います。【 ランキング一位】【送料無料】 大人気 カラフル シリコン自転車ライト 小型ライト ライト サイクルライト 防水LEDライト 自転車用ライト LEDライト 懐中電灯 防災グッズ コンパクトメンズ レディース 防水 子供用 アウトドア CR2032
2018.12.02
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