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空白の一日(連載第9回)
番外編2 江川初登板返り討ち!
1979年6月2日 巨人4-5阪神 後楽園
阪神 000 100 400 5
巨人 020 010 010 4
ダイナミックでもなく、力強さも感じさせない。ゆったりしたフォームから、突然ビュッとスピンの効いた快速球がくる。投げる球種はストレートとカーブ。たったこれだけなのに相手をねじ伏せてしまう。まさに怪物だった。
その江川卓のデビュー戦。読売は本拠地後楽園球場での阪神戦を選んだ。スタンドは5万人の観衆で埋め尽くされ、巨人ファンも阪神ファンも異様なムードでプレイボールを迎えたが、江川はイメージとは違った姿を見せる。
速球よりもカーブを主体にしたかわすピッチングで、人を食ったようなスローカーブを織り交ぜてきた。これは阪神打線も想定外で、4回表にスタントンが外角高めの速球をぶっ叩き、ライトへ豪快な5号ソロを打ち込んだのを除けば、6回まで完全に翻弄されてしまう。
一方、阪神先発の山本和行は、2回裏にショート真弓(現監督)の失策をきっかけに2点を先行されると、5回裏にはシピンの11号ソロを浴びて1対3。江川有利の展開になっていく。
阪神ファンの間に重苦しい気分が漂い始めた終盤7回表、口火を切ったのは若菜だ。スローカーブ(江川はシュートのすっぽ抜けと言ったが怪しい)を狙いすましてレフトスタンドに運ぶ3号ソロ、1点差に迫る。さらに二死後、真弓がセンター前、続く榊原は粘って四球を選び、3番ラインバックにつないだ。
ここまで3打数ノーヒット2三振。しかし、試合後に「バットはよく振れていたので今日は1本打てると思っていた」と語ったように、ラインバックは内角低めの難しいコースのストレートを見事にとらえライトスタンドへ逆転3ランを打ち込んだ。阪神ファンは狂喜乱舞、一方の巨人ファンは一つの区切りとして肩の力が抜けたという瞬間だった。
まさに返り討ち!
期待はしていてもまさかここで本当に一発が・・・ふさわしい場面で、もっとも劇的な結果になったものである。 この1本だけでもラインバックの名がタイガース史に残るという会心の一打だった。
阪神は因縁の対決で3発を浴びせ、プロの恐ろしさを見せつけることはできた。しかし、打ったラインバックが「あのプレッシャーの中でよく長いイニングを投げた」と感心したように、江川はただものではなく、その後、対阪神の通算成績36勝18敗が示すように、どちらかといえば苦手な投手になっている。
1年目の江川は「野球留学」や出場停止など1年以上のブランクがあり、実戦から遠ざかっていたため、本領を発揮し始めるのは2年目からである。それでもこの年、9勝10敗ながら防御率2.80、セリーグ第3位の成績を残し、怪物の片りんを見せているのは敵ながらさすがだった。
と ころで、小林は前日の6月1日に投げており、ファンが期待する因縁の直接対決は持ち越された。というよりも1979年には実現していない。その気になればローテーションは調整できたはずだが、ブレイザー監督は野球の本質ではない話題で騒ぐのを快く思っていなかったようで、無理に対決させようとしなかった。そのため、ブレイザー監督在任中は実現せず、翌1980年5月、同監督が解任され、さらにその3ヶ月後の8月16日が初対決になった。
PS写真が古いね~(我が家秘蔵の新聞なので変色してます)
空白の一日は結局9回目までになりました。キリのいい10回目を1980年の直接対決で締めくくりたいんですが・・・試合内容が悪く小林さんは敗戦。今回はここで打ち止めにして宿題にします。根気よく読んで下さった方にはお礼申し上げます。
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