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阪神が西武戦力外の陽川氏&日本ハム戦力外の江越氏を招へいアカデミー事業強化の一環「野球振興室」新設 11/26(火) 5:01配信 阪神がアカデミー事業強化の一環として、西武を戦力外となった陽川尚将内野手(33)と日本ハムを戦力外となり、現役引退を表明した江越大賀外野手(31)の招へいに動いていることが25日、分かった。 阪神は来年1月1日付で新たに「野球振興室」を設置することを発表。これまで事業本部振興部が担っていた女子野球やアカデミー事業などをそのまま移管し、新たに普及・振興活動を担うセクションを設ける。 野球振興室の旗振り役として、今季限りで現役を引退した秋山拓巳投手(33)の「ベースボール・アンバサダー(BA)」就任も内定。秋山BAに続き、球団OBを積極的にアカデミー事業へ参画させることで、球団として野球の普及・振興を重要視している姿勢を明確に示すことができる。また、球団OBに対する再雇用の裾野を広げることで、球団の価値を高めていく狙いもある。次代の選手育成に力を発揮してね!
2024年11月27日
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背番号27(その4)背番号27の第4回目です今回は3名の選手を紹介するんだけど 2代目は3人とも全く知りませんでした 「27」が重要視されていない状況は続いてるようね3人の選手は西山和良さん 中村和臣さん 西村繁一三さん どう皆さんは聞いたことある? 背番号「27」を着けた期間は それぞれ5年 1年 2年なのよ リアルタイムでプロ野球を見てた人でも覚えてないんだろうね2代目はそういう人たちを発掘するのもこのブログの仕事と思ってるので今回もできる限りは調べてみたよ では読んでみて! 西山 和良(にしやま かずよし)外野手(再掲)背番号「15」で紹介済みだが、一部加筆したうえで再掲する。和歌山県伊都郡見好村(現かつらぎ町)の出身。県立和歌山商業の3年時に夏の選手権で甲子園の土を踏みベスト8まで進んでいる。卒業後は関西大学へ進学。長打力のある外野手として活躍し4年時には4番を任されている。リーグ通算では71試合238打数66安打5本塁打で打率は.277だった。1956(昭和31)年にタイガース入団。引退した岡田から背番号「27」を引き継ぐ。ルーキーイヤーから67試合に出場しているが外野を守ったのは30試合。どちらかというと代打の出場のほうが多かったようだ。1957(昭和32)年には75試合、1958(昭和33)年には85試合で自己最多の7本塁打を記録するなど徐々に出場機会も増えていく。1959(昭和34)年にはキャリア唯一の105試合に出場、6月に行われた天覧試合ではレフトを守っており、長嶋のサヨナラホームランに対し生涯ファウルを主張している。1960(昭和35)年にマイク・ソロムコが加入するとスタメン出場機会は減っていく。実際にこの年から出場試合数と打席数の差がグッと小さくなる。1962(昭和37)年になると51試合で57打席、1963(昭和38)年も79試合で86打席となってしまう。1961(昭和36)年には背番号も「15」に変えて臨むが、1963(昭和38)年までほぼ代打専門の選手として過ごす。この間には、1962(昭和37)年7月12日の国鉄戦で、パーフェクト寸前だった村田元一に対し27人目の打者として安打を放って阻止するなどのエピソードも残した。この1963年のオフ、小山正明と山内一弘の交換という「世紀のトレード」の陰で、金銭トレードによって東京オリオンズに移籍している。オリオンズでは3年間プレーしたが、やはり代打での起用がほとんどだった。1966(昭和41)年のシーズンを最後に現役引退。プロ11年間の通算記録は、771試合1170打数277安打121打点、22本塁打20盗塁で、打率は.237だった。引退後は1970(昭和45)年にタイガースへ戻り、一軍・二軍打撃コーチや二軍監督などを務めたのちにフロント入りし、最後は編成部長で退職している。編成部長時代に取りまとめたロッテオリオンズとの「深沢-福間交換トレード」は、阪神トレード史上の最高傑作と評価が高い。中村 和臣(なかむら かずおみ)投手・内野手熊本県菊池郡津田村(現:菊陽町)の出身。強豪熊本工業高校の出身だが、甲子園への出場経験はない。1954(昭和29)年にタイガースへ入団、背番号は「37」だった。内野手として入団しており、最初の3年間はファームでおもにショートを守っていた。その中で投手としての才能を見出され4年目に初めて一軍へ上がった時には完全に投手へ転向していた。165センチ・60キロという小柄な体格にもかかわらず野手から投手に転向するのは、当時の投手不足ということも影響しているが、カーブ系の変化球にキレがあり投手としての適性が認められてのことらしい。4年目の1957(昭和32)年に初めて一軍に呼ばれ18試合に投げて3勝1敗、41イニングで41三振を奪っているのを見てもなかなかの素質だったと思われる。防御率も2.41と好い数字である。成績のピークは1958(昭和33)年で36試合に登板し先発も10試合ある。7勝3敗、防御率2.08でキャリア唯一の100イニング越えだった。しかし衰えるのが早く、1959(昭和34)年が26試合2勝4敗、1960(昭和35)年には13試合1勝0敗と登板数も減っていった。1961(昭和36)年には背番号を「27」に変えて心機一転を期したが、一軍で登板することはなく、シーズン終了後に引退。1962(昭和37)年からはフロント入りしマネージャーやスコアラーとして球団に貢献している。通算成績は93試合13勝8敗、236イニングで奪三振164、55四球、防御率は2.36である。西村 繁一 投手・外野手大阪府出身で、近畿大付属高校から近畿大学を経て1962(昭和37)年にタイガースへ入団している。背番号は引退した中村の着けていた「27」を継承した。ルーキーの年は3試合に登板、5回を投げて0勝0敗、自責点1で防御率は1.80という数字。2年目の1963(昭和38)年は4試合0勝0敗で、7回を投げて自責点3、防御率3.86。1964(昭和39)年には外野手に転向したが、一軍の試合に出場できないままオフに引退している。通算成績は7試合0勝0敗、12回を投げ6三振2四球、自責点4で防御率は3.00だった。まとめいかがでした? 再登場の西山さんはそれなりに貢献してるしフロントでは編成部長にまでなっているので知名度はあるかもしれないけど 中村さんと西村さんはどう見ても知ってる人はごく少ないでしょう 写真等があったのは西山さんだけで、それもコーチ時代のものね あとの2名は残念ながらエピソードもほとんどないし写真も見つからないわ背番号27―5につづく
2024年11月26日
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関西メディアは反省しなさいよ!2代目タイガース非公式サイトです大山さんがFA権を行使して以来 うるさくて仕方ないのよねタイガースを取り巻くメディアは選手の人権を考えてないしアスリートとしての選手をリスペクトもしてないはっきり言って芸能スキャンダル記事じゃないんだよ 私生活や個人情報まで踏み込んで 人の人生をかき回して商売してるなんて最低です! メディアなんて騒がしくするだけで何も責任とってくれないから 雑音だとおもって無視するほうがいいわよ2024年11月25日「阪神のドラフト1位となれば、関西のスポーツ新聞では、各紙が生い立ちから現在に至るまでを取材し、何日も連載が組まれます。母校や家族にも取材が殺到し、野球と関係ないことまで記事になることも珍しくありません。4番に定着してからは、試合で活躍を見せないと厳しく叩かれてしまうのも人気球団の“宿命”です。そういった経緯もあり、大山選手は完全に“マスコミ不信”なのです」(在阪テレビ局関係者、以下同じ) “宿命”って何? 勝手に決めつけてること自体マスコミ自身が自分たちがひどいことしてるってことに気が付いてないのよ まったく無神経で自分勝手!これでは“マスコミ不信”になって当たり前よ もちろんそういうマスコミの姿勢に乗せられてしまうファンも反省しないとね! 「試合後の取材は、選手が球場から引き揚げるところを追いかけながら話を聞く、いわゆる“ぶら下がり取材”が一般的です。歩きながら話をしてくれる選手や、立ち止まって対応してくれる選手もいる中、大山選手はよっぽど取材を受けたくないのか、記者たちの姿を見ると走って逃げることもしばしば(笑)。 あるときは球団の広報担当者が、さすがにまずいと思ったのか、慌てて大山選手を引き留め、しぶしぶひと言だけコメントさせたこともありました」 (笑)って何よ? 嫌がる選手を追い詰めて面白がってるの? こういう神経を疑うわ 裏付けのない憶測記事やプライベートを暴いたり 人気球団の主力選手だからって群がって記事にして「部数が売れれば傷つく人がいても構わない」というのは人間として最低だとおもわないの? 大山さんは納得いく決断すればいい 大山さんは25日の球団納会を欠席したそうです いよいよ佳境になってきたから周りに迷惑にならないように配慮したのかもジャイアンツの阿部監督は「大山くんは茨城出身なので、東京に来てくれないかな…と。懸念しているのは阪神から巨人に行くことだと思う。今は時代が変わっている。僕は大丈夫だと思う」「ブーイングは認められている証拠。意気に感じてほしい。世紀の大FAの先駆者になってほしい」 と言ってるし 推定だけどジャイアンツは6年総額24億円超の大型契約を用意してる こういう声がかかるのはアスリートとして素晴らしいこと 関西の水に合わないなら8年も我慢してたんだから関東に戻ったっていいよ 大山さんが納得できるならね そして頑張って結果を残せたら後悔はないとおもうよ いまは見守ります ただ2代目が気に入らないのは ジャイアンツが絡むとやけに金額が吊り上がってしまうことよ もらう選手がプレッシャーになってしまうのよね いままでFAでジャイアンツに行った選手の多くはそれでつぶれちゃってるからね
2024年11月26日
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大山さんと原口さん、ファン感謝デーに参加2代目タイガース非公式サイトです注目されていたFA宣言の2人が23日に行われたファン感謝デーにユニフォーム姿で登場しましたもちろん動向は未定のまま でも2人の気持ちが伝わったのか多くのファンから大山コール・原口コールが沸き上がったって素敵なことよね大山さんは21日に神戸市内で行われた「タイガース杯ゴルフ」にも参加してるし 「自問自答しながら毎日いるので」と述べてたのよファン感謝デーについても「どういう決断をするにしろ、今年1年間、僕個人もそうですし、チームを応援してくれたことには変わりない。感謝の気持ちをまずは伝えたい」と泣けてくるコメント 大山さんらしいよね一方原口さんはファン感謝デーの「最優秀選手賞」を受賞 「すてきな賞をいただき、とてもうれしいです。今年も1年間熱い応援、本当にありがとうございました」とお礼のコメントでファンに感謝してます 最後に藤川監督のコメント 「これだけ内野から外野までたくさんのファンに集まっていただけるのが阪神タイガースです。それを誇りに思い、来シーズン必ず、みんなで一番上をもう一度見に行きます。人生の岐路を迎える選手もいますけれども、ぜひ皆さま、温かい応援でよろしくお願いします」 監督さんからも理解あるコメントがありました 温かく見守るつもりでいるみたい 2人の結論が出るのはまだ先なんだとおもうけど 2人にとって好い選択・好い結果になるように2代目も見守っていきたいわ
2024年11月23日
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また京都に行ってきました2代目タイガース非公式サイトです 実は今月になって11日と22日の2回京都に行ったのよ 11月11日はいつものように釘抜地蔵と晴明神社 それに黒谷の金戒光明寺に行ってきたんだよね まあ特に書くこともないけど自分用の日記のつもりで掲載しておくよ まずは釘抜地蔵 京都に行くと寄ることが多いのよね とても天気が良かったし観光客もあまり来ないところなのでゆっくりできました 晴明神社は去年詳しく紹介してるので謂われがわかるものを載せておくよ金戒光明寺 そして金戒光明寺 幕末に会津藩の松平容保公が京都所司代として赴任した時に本陣を置いたところとして超有名なんだよ 小高いところにあってまるで砦のようね とてもさわやかな秋晴れで気持ちいい 本堂へ上る階段は数々の時代劇のロケ地として使われてきたことで これも超有名 お墓もロケでよく使われてるよ 凄く古いものが残ってるのよ 幕末の動乱期に亡くなった会津藩の藩士たちを弔う墓所もあります11月22日は都の北西へ11月22日だけど 京都でも北西の外れにある大覚寺と化野(あだしの)念仏寺に行ってきました 期待していた紅葉は終わっててほとんど葉っぱは落ちてたので残念 天候も曇りで肌寒いし かなり風も強かったから観光客の数も少なかったですね 大覚寺 最初は大覚寺だけど ここも時代劇では欠かせないロケ地だったようね 再放送なんか見てると出てくるんだけど 現地へ行くと「ああここか」ってすぐわかるわ 日本最古の庭園池として知られる「大沢池」 ここも時代劇でも現代劇でもロケに使われることが多いよね化野念仏寺 最後は「あだしの念仏寺」 みなさんは「赤い霊柩車」っていう2時間ドラマ知ってますか? 去年だったか最終回39回!が放映されて終わってしまったけど 片平なぎささんと神田正輝さんのコンビが京都を舞台に事件を解決するやつよ その各回のオープニングはこの念仏寺にロウソクをいっぱい立てたシーンで始まるのよね ファンの人は好くご存じのはずよ それがここです かなりの山の中なのよ 1200年くらい前に弘法大使が開いたお寺だそうね 周辺一帯は墓所だったらしいけど都をめぐって何度も戦乱などが続いていくうちに荒れ果て 墓石や石仏が散逸してひどい状態になってしまったのよ 明治時代になってそういう無縁仏を改めて弔おうと そこら中に転がっていた墓石や石仏・石塔を収集し 綺麗に並べて出来上がったのが次の情景なんだって 写真には写りこまないようにしてますが 意外にもここに来てる観光客の7割くらいは外国人の皆様 こういう雰囲気が人気あるらしいのよ 外国の人も詫びさびの空気を感じるみたい最後になりましたが 帰りに京都室町の「和久傳」さんで鯖の押しずしを買って帰ってきました しっかり昆布で〆てあって魚臭さが全くないのよ しかもご飯は赤酢で炊いてあるのかな?独特の酸味があって鯖と一体になると ほんのりと甘みがでて何とも言えない美味しさ 2代目は江戸前も好きだし関西風の押し寿司も大好きなのね 青い魚が嫌いな人やアレルギーのある人には申し訳ないけど 美味しくいただきましたはい!最後までお付き合いくださってありがとなお今回の相棒はデリカミニだよ 過去に批判してたんだけど・・・やっぱりカワイイ!11月4日に納車でした!
2024年11月23日
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背番号27(その3)背番号27の第3回目です過去2回ではスター選手と呼べる選手は白坂さんくらいかな でもあくまで守備で名を上げた選手だし背番号「27」も1ヶ月しか着けてないからなあ ということで総合力でとびぬけた選手はつけてないのよ 今回は4名の選手を紹介するんだけどパッとしない状況は変わらないわ駒田 桂二 投手(再掲) すでに背番号4で紹介しているが詳細に加筆して再掲する。大阪府東大阪市(旧布施市)出身。東商業高校時代は全く無名で、戦時中ということもあって全国大会とも無縁だった。戦後、社会人野球の東洋紡でプレーしていたところタイガースの眼にとまり、2リーグ分裂直前の1949(昭和24)年のシーズン途中に入団している。最初につけた背番号が「27」。右投げで身長は180センチあり、当時としてはかなりの大型投手だろう。途中入団だった1年目は変化球の制球難もあって6試合で0勝0敗、防御率は4.50という数字しか残せなかった。シーズンオフに背番号を「4」に変えているため「27」は1年しか着けていない。ところが2年目の1950(昭和25)年になると改善がみられ、32試合(先発19)7勝6敗、防御率も3.52と戦力になってくる。3年目の1951(昭和26)年が駒田のキャリアハイで、45試合(先発28)で11勝13敗、227回2/3を投げており防御率3.24と好くなっている。当時各球団が2リーグ分裂による選手の絶対的附則に悩んでいた時期であり、駒田の貢献は貴重なものだった。1952(昭和27)年も43試合(先発18)とフルに働いているが、8勝8敗、投球回数は156回に減るとともに防御率も4.04に落ち、これ以降は年々登板機会が減り成績も低迷が続く。1953年 32試合(先発8) 5勝5敗 85回 防御率3.071954年 28試合(先発8) 8勝3敗 113回 防御率1.571955年 14試合(先発10)5勝4敗 67回1/3 防御率2.511956年 5試合(先発2) 1勝0敗 20回 防御率0.45駒田は2リーグ分裂後の数年をよく支えたが、徐々に選手が入団してくる中で存在感が薄れていった。1956(昭和31)年のシーズンを最後にタイガースを退団し、古巣の東洋紡績に戻ることになる。通算成績は205試合(先発95)、45勝39敗、831回を投げ奪三振264、与四死球243、自責点286、防御率3.10だった。勝ち越しているのは立派である。2016年8月1日に86歳で逝去。富樫 淳 投手 すでに背番号6で紹介しているが再掲する。景浦が亡くなり、戦後最初に背番号「6」を着けたは富樫淳。兵庫県武庫郡(現西宮市)鳴尾村出身!身近に大阪タイガースがいる環境で育ち、野球好きで少年期からタイガースの協和寮に入り浸っていたという。関西学院中から平安中を経て法政大学に進み、昭和21(1946)年にタイガースへ入団する。背番号6は入団から4年間着けた。学生時代までは投手だったがすでに肩を痛めており外野手に転向している。プロ入り後も肩の故障は続き、フルシーズン戦えない状態が続いた。タイガースで4年間プレーし、初年度には4番藤村の後ろの5番を打ったこともあるが、外野で膝に大怪我(当時フェンスがなく鉄線を張っただけだったがそこへ突っ込んで膝を負傷)を負って退場。その後は怪我とも戦いながらの現役生活となった。 昭和24(1949)年には肺結核を患いってしまう。現役最後となる1950(昭和25)年には背番号を「27」に変えて臨んだが、病気の回復が見込めないとして引退している。野手としては通算169試合516打数135安打48打点の打率.262という成績でホームランは打てなかった。投手で3試合登板しているが、0勝0敗に終わっている。引退後は1956(昭和31)年の夏の選手権で、母校である平安高校の監督として優勝するなど、アマチュア野球の指導者として活躍した。1986(昭和61)年に62歳で亡くなっている。麻田 勝也 投手富樫の退団した翌年1951(昭和26)年は「27」は空き番になっており、その翌年継承するのが麻田。大阪府出身。学歴は大坂第二師範学校という情報のほか平安高校というのもあり、実際のところよくわからない。球歴もノンプロでの経験があるとか軟式野球出身とか諸説あってこれもはっきりしない。右投げ右打ちの投手ということでタイガース所属選手だったことは記録に残っている。タイガースへの入団は1952(昭和27)年で21歳の時。背番号「27」を着けたわけだが、公式戦の登板は無く、1年の在籍で退団している。引退後は大阪市に採用されて教員を務めたと伝わる。岡田 功 投手麻田が退団した翌1953(昭和28)年は空き番。1954(昭和29)年から「27」を着けたのが岡田だった。兵庫県尼崎市の出身で高校は県立尼崎工業。1949(昭和24)年の夏の選手権では4番ライトで兵庫県大会の決勝に進むが芦屋高校に敗れている。1950(昭和25)年にタイガースへ入団。最初につけた背番号は「48」だった。入団後の2年間は1軍出場が無い。3年目となった1952(昭和27)年には背番号を「46」に変えると初めて1軍に呼ばれたが6試合の出場で3打数0安打に終わっている。1953(昭和28)年はまた1軍に呼ばれず、1954(昭和29)年に6試合5打数1安打とプロ入り初ヒットはでた。1955(昭和30)年には背番号を「27」に変えて31試合に出場することができたが、13打数0安打、代走や守備要員に終わっており2盗塁を記録しただけだったため現役続行をあきらめて引退する。1956(昭和31)年からセリーグ審判部に転身して審判を目指し、これが天職となって、以後1992(平成4)年まで37年間(そのうちプロ1軍審判員を36年間)勤めている。1969年日本シリーズ第4戦のホームクロスプレーでのセーフ判定は特に有名である(日本シリーズで初めて退場になった阪急の司令塔が“証拠写真”で納得。「僕がヘタやったんだね」【プロ野球はみだし録】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE)。 13年連続日本シリーズ出場、日本シリーズ通算94試合出場、日本シリーズ通算21回出場(1963年~1967年、1969年~1981年、1983年、1991年)、レギュラーシーズン通算3902試合出場は審判として日本プロ野球記録。1992年シーズン終了後に引退。審判としての実績はウィキぺディア等を参照。まとめいかがでした? 「27」を着けた人が選手として活躍してくれたケースが少ない感じは変わんないよね・・・麻田さんは写真も残っていないなあ 富樫さんの写真もそうだと言われてみてもよくわかりませんその中で駒田さんは唯一10勝投手になってるんだけど「27」を着けてたのは新人の1年間だけで未勝利だったのよね岡田さんは審判になってから才能を発揮してる異質な人 セリーグ審判部長まで上り詰めてるし 引退後もマスターズリーグの審判なんかも務めてたらしいよ背番号27―4につづく
2024年11月21日
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来春開業予定の新ファーム施設メインビジュアルとシンボルマークを発表11/21(木) 10:35阪神電鉄と阪神は21日、来春開業予定の新ファーム施設「ゼロカーボンベースボール」のメインビジュアルとシンボルマークを発表した。 メインビジュアルは「未来をずっと青空にする球場、尼崎から。」をスローガンに掲げ、ボールパークを彩る緑と、澄み渡る青空をデザインして作成された。11月中旬以降、球場施設の敷地内や阪神電鉄「大物駅」の装飾、球団公式ホームページなどで使用される。メインビジュアルに込めた思い尼崎の地に新たに誕生する「ゼロカーボンベースボールパーク」。野球を愛するすべての人たちの頭上に、いつまでも青空が広がるように。一人ひとりの生活スタイルを、野球場のあり方を、地球の明日を、みんなで変えたい。そういった思いから、「未来をずっと青空にする球場、尼崎から。」のスローガンを掲げボールパークを彩る色鮮やかな緑と、澄み渡る青空をデザインしたメインビジュアルを作成いたしました。阪神電気鉄道、阪神タイガースは、尼崎市と共に日本一の環境先進都市を目指し、脱炭素社会や循環型社会の実現に資する新たなボールパークを作ってまいります。 2025年3月から、阪神タイガースのファーム施設(現・西宮市鳴尾浜)を尼崎市・小田南公園へ移転し、「ゼロカーボンベースボールパーク」として開業します。同施設には「日鉄鋼板 SGLスタジアム 尼崎」、タイガース練習場、室内練習場、虎風荘を新設し、選手たちが試合や練習に励む姿を身近に感じながら野球を楽しめる「小田南公園野球場」や、くつろげる広場、散歩やランニングができる周遊コースも整備します。更に、太陽光発電・蓄電池の導入や廃棄物発電の活用、省エネ徹底による「脱炭素化」を初め、ペットボトル・プラスチックカップの回収・リサイクルや雨水・井水の活用といった環境に優しい取組みを行うなど、脱炭素社会や循環型社会の実現に資するここにしかない魅力ある公園がまもなく誕生します。 いよいよ具体的に見えてきたね!ファームの選手たちは引っ越し準備を始めてるかな?フルサイズの球場が2つあるのも練習環境としてすごくいいことよね じつは8月だったかな 工事中の新球場を観てきたんだけど まだ現場は囲われていて中の様子はあまりわからなかったのよ ファンにとっての問題は電車以外の交通手段はものすごく不便なこと 大物駅を利用してもらいたい本社の意向が見え見えだけど ここにできちゃったので何とか方法を考えないといけません 2代目も悩んでるのよ・・・
2024年11月21日
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加治屋さん楽天入り決まる2代目タイガース非公式サイトですタイガースから戦力外となっていた加治屋蓮さんが東北楽天ゴールデンイーグルスに入団することが決まったね 11月19日に会見がありました 11月初旬から既に「楽天が調査」って報道されていたので順当なところに収まった感じよね 推定年俸は1600万円 今年の6000万円から大幅なダウンだけど仕方ないかな?とにかくボールは速いしタイミング外すのも上手い 敵に回すといやだなとおもってたからパリーグに決まって2代目はちょっとホッとしてるのよね11/19(火) 16:32「野球ができる環境を与えて下さったことに感謝」会見に臨んだ加治屋さんは「来シーズンどうなるか、自分自身もそうだし家族に不安を与えてしまったのは間違いない」とさまざまな思いがあった中で、楽天から声がかかった。「すごくうれしかった。野球ができる環境を与えてくださったことに感謝しています」と語った。 ソフトバンク、阪神でリーグ優勝、日本一と経験豊富な右腕。具体的な数字目標については「最低でも40~50試合」と掲げ「プロ野球人生を中継ぎとしてやってきたので、そこは変わらないと思う。試合の勝敗を左右するようなしびれる場面で投げられるようになる。そういう信頼を得ることが一番」と話した。新天地で目指すは、自身3球団目での頂点のみ。「リーグ優勝、日本一になるチームの一員として頑張っていきたい」と力を込めた。 石井一久SDは「躍動できる場所があれば、まだ力はある投手。いろんなプランを監督が持てるようになるんじゃないかな」と期待を込めた。 昨年はリーグ優勝~日本一に貢献してくれた加治屋さん2代目は交流戦で当たるのを楽しみしてますよ 頑張ってね!
2024年11月20日
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FA宣言の原口さんから西武が撤退か2代目タイガース非公式サイトですFA宣言した選手との交渉は11月15日から解禁されてるけど進展はあるのかな?大山さんはタイガースとの話し合いを何度か持ったらしいわもう一人の原口さんは現状の「控え兼代打」という立ち位置に物足りなさを感じていて レギュラー級の役割ができる球団への移籍を強く要望しているようだけど そうなると限られてくるのよね。その中で有力とみられていた西武ライオンズが早々に撤退するという報道があって 事態は深刻になってきたかな RONSPOさんの記事から抜粋して見てみよう11/19(火) 7:03西武のFA撤退濃厚宣言した阪神の原口文仁の移籍先はどうなる? 新監督に西口文也2軍監督を昇格させ、最下位からのチーム再建に乗り出さねばならない西武が今オフのFA戦線から撤退することが濃厚になった。一部スポーツ紙が潮崎哲也スカウトディレクターのFA不参加のコメントを報じたもの。これに対しSNSでは、「原口調査という報道はなんだったのか」「なぜCランクの原口を取らないのか。交渉してダメだったのか」「圧倒的最下位でドラフトと外国人くらいでろくに補強もしないなら来年も最下位」「現状の立ち位置的にFA参加見送りは意味不明」などの批判の声が相次いだ。打線の強化が最大のテーマでFAで山川穂高がソフトバンクに移籍して以来、「右打ちの一塁手」が補強ポイントだった西武にとって、原口はピッタリ当てはまり、しかも推定年俸が3100万円で℃ランク。金銭補償も人的補償も不要なのだ。 さらに原口は埼玉出身。西武が移籍先として最有力という情報が球界を駆け巡ったのも無理はなかったが「西武・原口」の誕生の可能性は薄くなった。野球評論家の一人は 「今年西武は大きく期待を裏切ったのだから、ファンに対して、チームの再建にどれだけ本気なのかという姿勢を示す必要があった。原口なら年俸の負担もなく、獲得することにリスクもない選手でしかもチームの補強ポイントにも合致していた。なぜ取らないのか不可解。ファンも納得しないでしょう」という意見を口にした。では、原口の移籍先はどうなるのか。 原口は、FA権行使の決断について、球団を通じて「いち野球人として、もう一度挑戦したいという思いが強く、この度、決断に至りました」と説明した。代打ではなくスタメン出場のチャンスのある新天地を求めている。今季一塁を固定できなかったのはセ・リーグでは広島と中日の2球団だ。パ・リーグでは楽天とオリックス。評論家は 「原口は、代打実績があり、長打力を秘めていざというときに捕手もできる選手。しかも、Cランクのお手頃なFAなので、楽天、オリックスなど手を上げる球団が出てくるはず。来日してみなければわからない外国人選手よりも確実性がある」という見方をしている。果たして原口と交渉のテーブルに着く球団は出てくるのか。 微妙になったけど可能性は残ってるここからは2代目の感想なんだけど まず一番の効果は原口さんのような努力家はチームにいい影響を与えるのよ 模範となる選手そして捕手としても野手としても求められるレベルの力を持っているのも大きいよ タイガースファンの眼から見ても「使わなきゃ損」というタイプの選手なのにチャンスはあまりもらえていなかったさらに記事にあるように推定年俸6000万円でCランクというのは 獲得する側からしたら好条件と言えるのよ 西武以外で噂になってる4球団の中で一番資金面で苦しいのはドラゴンズ しかもビシエド選手を解雇しちゃってちょっと余裕ができたこともあるからかなり有力じゃないかと思うんだけど・・・ 井上新監督は2020年から3年間タイガースで打撃コーチやヘッドコーチを務めてた関係で原口さんのこともよく知ってるはずだしね 十分可能性あるよ一方でタイガースは秋季キャンプで井上君にファーストの練習をみっちりやさせてたから来季の構想が透けて見えてきてるよね 原口さんは残留しても今季以上の出番は期待できないとおもう
2024年11月20日
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もしかして大山さん残るの?2代目タイガース非公式サイトです 気になる大山さんの動向なんだけど 11月23日のファン感謝デーには出席する意向みたいなのよね いままでそういう事例が少ないから意味深というか何というか・・・何かコメントがあるのかな? ということは残留するか移籍するか23日までに結論を出して公表するのかな? ジャイアンツとの交渉が進んでるって報道もないし・・・ 交渉人に任せてても最後の結論出すのは本人だし というわけで「謎のファン感」についてサンスポさんの記事を掲載するよ 2024年11月19日大山悠輔内野手(29)が23日に甲子園で予定されている「ファン感謝デー」に参加することが18日、分かった。阪神は4年総額16億円規模の条件で残留交渉し、巨人も獲得調査中。行き先が〝白紙〟の段階では自粛する選手が多いだけに異例の行動。複数の球団関係者が大山の参加を認めた。長いシーズンを終えた選手たちがファンに感謝の思いを告げる一日。さまざまなイベントが用意され、限定でハイタッチ会もある。真剣勝負の公式戦とは異なり、ファンとの〝距離〟が最も近くなる日。国内FA権を行使した大山がそこにやってくる。しかも、ファン感謝デー以外の球団行事にも顔を出す予定だという。2012年は平野恵一がFA権を行使したため参加を自粛。17年は大和も欠席した。その後、平野はオリックスに、大和はDeNAにそれぞれ移籍。2014年に海外FA権を行使し、メジャー挑戦をもくろんだ鳥谷敬も姿を見せることはなかった。16年のオリックス・糸井はファン感謝デーに参加したが、それは阪神移籍を表明した後。熟考中の段階で参加したのは13年の久保康友(のちにDeNAへ移籍)ぐらい。それまでに結論を出すのか-。13日にFA権行使を宣言した大山はこの日の午前中に甲子園のクラブハウスを訪れた。FA宣言後は公の場に出ることを控えていたが、今回も報道陣の前に姿を見せることなく、帰路についた。大山はFA宣言にあたり「いま自分がどういう風に思ってもらえているのか、他球団からの評価が聞きたいのが一番の理由」と語っていた。決断の期限についても「しっかり納得した決断をしたい。時間というところに決まりはない」と強調していたが、阪神も巨人も大山の動向次第で編成が左右されるため一刻も早く答えが知りたいのが本音だろう。大山は心身ともにすっきりとして、イベントを楽しみ、マイクを手にして、語るのか。白紙の状態でファンの反応を待つのか。あくまでも〝けじめ〟としての行動か-。少なくとも再びタテジマのユニホームを着ることは間違いない。運命の「11・23」になる。 どうにも予測がつかないよね ファンとしてはとにかくその時を待つしかないわ
2024年11月19日
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背番号27(その2)背番号27の第2回目です今回は手抜きじゃないけど3名のうち2名は再登場 残り1名はわずか1年2試合出場で退団してるので ほぼコピペで終わっちゃいました以前のを読んでない方にはちょうどいい機会かもね 読んだことがある人も「またか」なんて言わないで目を通して頂戴よね高山泰夫 外野手・内野手(再再掲) 高山は背番号「8」「25」で紹介済みだが全文を再掲する。 岐阜県出身で旧制岐阜商業(現県岐阜商)では1939(昭和14)年の選抜大会に補欠で出場し準優勝を経験する。翌1940(昭和15)年にも選抜大会に出ている。この時も控え選手だったがで3打数3安打を記録してチームの優勝に貢献しいる。なかでも決勝戦では同点の8回に代打で登場して決勝点をたたき出しており、一躍優勝の立役者となって当時の「美技賞」を獲得している。さらに1941(昭和16)年の選抜にも出場。この年はファーストのレギュラーでベスト4まで進んだが連続優勝は逃した。 1942(昭和17)年にタイガース入団、背番号25。この年は18試合に出ているが20打数2安打で打率.100で終わっている。 1943(昭和18)年はわずか9試合という数字しか残っていないが、シーズン中に軍の招集にあい、終戦まで戻れなかった。 1946(昭和21)年にタイガースへ復帰。41試合で77打数21安打9打点1本塁打、打率.273という成績を残す。タイガースに戻ってくると背番号「25」はすでに松本太が着けていた。仕方なく空いていた「8」でプレーしていたが、同年山口政信が復帰してくると戦前から着けていた「8」を希望したため譲り、高山はまた空いていた「27」へ変更するという「背番号の玉突き」があった。 事情は定かではないが、1947(昭和22)年は出場がなくそのまま退団している。引退後は社会人東洋産業。 通算成績は68試合108打数25安打13打点2本塁打2盗塁14四球21三振、打率.231だった。東野真弓(とうのまゆみ) 捕手 京都府出身で旧制同志社中学。1948(昭和23)年に大阪タイガースへ入団している。前年で退団した高山が着けていた「27」を受け継いだが、わずか2試合に出場しただけでシーズン中に突如退団してしまう。当時は土井垣武が正捕手として君臨しており、出番がないことであきらめたのかもしれない。 退団後は社会人野球に転身して全福島日東紡に入り大生相互銀行や電電東京など移籍しながら活躍した。 プロでの成績は1年2試合1打数0安打0打点、打率.000である。白坂長栄(しらさかちょうえい) 内野手(再掲)白坂は背番号「17」で紹介済みだが全文を再掲する。なお1948(昭和23)年11月の入団だったためその年の途中で退団した東野の着けていた「27」を1ヶ月だけつけたのでここに記録が残る。背番号「17」は、渡辺が大陽に移籍した翌年の1948(昭和23)年は1年間空き番となった。1949(昭和24)年には復帰した門前が再び着けたが1年で広島に移籍。1950(昭和25)年から受け継いだのが白坂長栄である。白坂は岩手県一戸町の出身。旧制福岡中学から先代鉄道局に進み遊撃手としてプレーし、応召されたのち盛岡管理局に復帰して社会人として活躍する。1947(昭和22)年には全国鉄道大会で優勝、都市対抗にも出場し名前を知られるようになる。1948(昭和23)年、タイガースの若林忠志監督が札幌遠征の途中に盛岡へ立ち寄って熱心に説得し、シーズン途中での入団が決まる。この年に着けた背番号は「27」だった。ただしこの年は1試合しか一軍での出場はない。1949(昭和24)年、背番号を「26」に変え、遊撃手として73試合182打数39安打12打点の成績を残す。なお、この年には投手として8試合の登板記録があるが0勝2敗だった。3年目の1950(昭和25)年に、前出の渡部の移籍後1年間空き番だった背番号「17」を引き継いで139試合に出場しており、この年から3年間ショートのレギュラー選手になっている。1953(昭和28)年に吉田義男が入団してきたためセカンドにコンバートされるが、ここでも守備については一流で、吉田との二遊間コンビは息もあっており鉄壁と言われるほどだった。1950年から1957(昭和32)年まで8年連続100試合以上に出場しており、打撃より守備でチームを支えている。ただし、飛ぶボールが採用された1950年には生涯唯一の二けた18本塁打を記録したことがある。1958(昭和33)年には背番号を「1」に変えている。この年はのちに名手と呼ばれる鎌田実がショートからセカンドにコンバートされてくると、これに譲る形で出場が急激に減って、翌1959(昭和34)年は一軍の試合に出ることなく引退している。引退後はタイガースでスコアラーを務めたのち二軍監督も歴任した。まとめはい 今回はまとめようもありません 再掲の2名は別にして東野さんなんだけど まあ土井垣さんがいたからね レギュラーどころじゃなく出番が見込めないからかな すんなりやめちゃってるし 何らかの記述等も写真も見つからないよ 今回はこれまで!背番号27―3につづく
2024年11月18日
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秋季キャンプの成果は?2代目タイガース非公式サイトです高知県安芸市で行われていたタイガースの秋季キャンプが終わったね今年は11月3日から4日間を完全オフにしてたんだけど色々用事が入ってきちゃって断念したんだよ 土佐ロイヤルホテルも取れなかったし 球団関係だけじゃなく報道関係者もいつもの何倍も来て宿を抑えちゃってたから全然空いてるところがなくて文字通り「キャンプ覚悟」で行くつもりだったんだけど・・・ 報道を垣間みてると 終盤にきてテル君にポンポンホームランが出たとか 中野選手が初球打ちに取り組んだとか 前川君の選球眼がよくなったとか とてもうれしくなるような話題が出てきてるねそういうなかで山田選手の成長が楽しみ 2024年のショートは結局木浪さんが多くを担ったけど実際は激戦が続いているポジション 2代目も1年間ファームでやってきた山田選手を見ていて まだ線は細いけど走・攻・守にポテンシャルを感じさせる動きをしてたんだよね藤川監督は山田選手について「育成中なんで。チームとして進んでる方向は間違いじゃない。持ち味と能力を開花させる準備をしている。」「1軍キャンプ抜てきは 彼の来年、再来年、3年後、4年後を見ていかないといけない。その他の選手と現状の能力を見比べて。(1軍の)ベンチに入れておくかというところで言うと、順序はまた帰ってからゆっくり考えます。1軍のベンチに座っているということは、試合に出場できる機会が少ないということ。なかなか彼のためにならないケースがあるので他の選手と(の兼ね合いを)考えてですね。」と話してます 高校から入った山田選手だけど 仮に大学に行ってるとした期間を考えての育成判断なんだろうね 一軍ベンチで控えてるのがいいのかファームで毎試合出ているのがいいのか これから検討していくみたい 選手の皆さんはこれからのオフの間が勝負 来季に飛躍するためには気を抜けないよ
2024年11月17日
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背番号27(その1)背番号27の第1回目ですNPBでは一軍登録選手の上限は2018年までは28名 2019年に29名になり 2020(令和2)年から31名になってます これはコロナ感染症対策の影響で増えてきたんだよねそれにしても球団創設からしばらくの間は 監督を含めたチーム全体でこの人数に収まってしまうのよ コーチなんてものもいなかったしなので25番より大きな番号の人は少ないわ だから戦前は活躍した選手がほぼいない そういう中でタイガースに籍を置いていた選手なのであまり知られていない人が多いのね今回は戦前にこの番号を着けた3名の選手を紹介するよ松広金一 外野手和歌山県出身だが大阪の浪速商業に進学している。浪商時代は左打の好打者として1933(昭和8)年の夏に5番打者で、1934(昭和9)年の選抜は4番で甲子園に出場している。 1936(昭和11)年、明治大学に入学するが長打がないという理由からあまり起用してもらえないことを不満として1年で中退し、1937(昭和12)年に大阪タイガースに入団している。背番号は「27」で、最初にこの番号を付けた選手となる。167センチ64キロの小柄な選手。 1年目の春季はわずか3試合の起用に終わり3打数1安打の数字が残る。秋季は6試合で8打数0安打1盗塁の成績だった。 翌1938(昭和13)年春季はたった1試合3打数2安打、秋季は11試合に出て28打数6安打1本塁打6打点と少し成長の跡が見られた。 1939(昭和14)年になると32試合66打数15安打3打点の記録を残すが病気がちとなり同年オフに退団してしまった。(病名不明) その後満州にわたって満州実業団でプレーしたと伝わっているが詳細は分からず、生死不明のまま現在に至っている。 通算成績は53試合108打数24安打12打点1本塁打、3盗塁12四球15三振、打率.222である。比留木虎男(ひるきとらお)内野手(再掲)松広引退のあと「27」は1年間空き番になる。次にこの番号を着けたのは比留木虎男だが、すでに背番号「21」で紹介済みのため全文を再掲する。長崎県出身で長崎商業学校時代には1933(昭和8)年の選抜大会で甲子園を経験している。当時はセンターを守っていた。1936(昭和11)年11月にタイガースと契約。1937(昭和12)年が1年目のシーズンだが、当初背番号は無く、小島が移籍した春季リーグ途中時に「21」を継承し、おもにサードで起用されている。この年は春季・秋季合わせて8試合に出たが14打数0安打1打点でヒットは出なかった。1938(昭和13)年1月早々に応召すると約3年間軍隊生活をおくる。1940(昭和15)年の秋に復帰して7試合13打数2安打2打点、翌1941(昭和16)年には背番号を「27」に変えたが17試合で29打数3安打0打点に終わって引退しているので「27」は1年間着けただけだった。その後、高校野球の指導者に転じ、監督として母校長崎商業を率いて1952(昭和27)年の夏選手権、1953(昭和28)年の春選抜に甲子園出場を果たした。プロ通算は実働3年32試合56打数5安打3打点、1盗塁5四球9三振、打率.089である。森田明義 投手・外野手・内野手 香川県生まれで坂出商業校の出身。1938(昭和13)年の夏の甲子園に出場し、初戦で掛川中を完封したが2回戦で敗退している。 比留木の引退と入れ替わるように翌年1942(昭和17)年にタイガースに入団しており背番号「27」を継承したが、1年目は出場機会がなかった。 続く1943(昭和18)年も試合での起用は無く、1944(昭和19)年にようやく1試合に登板したのがプロでの唯一のマウンド。しかもわずか1回1/3に過ぎず、無失点ではあるが勝敗は関係なかった。 逆に3年目は野手として15試合に出ており、外野を11試合、一塁を3試合守った。打撃成績は15試合41打数9安打3打点1三振、打率.220。 戦争が激化し職業野球も中止に追い込まれていく中、在籍3年で引退し、戦後は実業団の四国鉄道管理局でプレーした。まとめ「27」という番号は当時のタイガースでは一番大きいほうなのよね だからこの3名は今で言うと育成選手扱いのような感じだったんだとおもう当時は主力選手が兵役で抜かれてしまうことが多くていつも選手不足に悩まされていたわけ しかも大学野球や実業団のほうが権威があった時代だしねそういう状況だからとにかく数合わせでも選手が欲しくて たいして期待してない人でも入れてたっていう事情もあったんじゃないかな?とおもいますね当然ですが画像資料が発見できたのは比留木虎男さんだけでした背番号27―2につづく
2024年11月17日
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糸原健斗選手は行使せず残留2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 糸原選手は国内FA権の行使をしないでタイガースと再契約することになったね 既に球団から発表されて会見も開かれてるよ2024/11/12(火) 11:36阪神12日、糸原健斗内野手(32)がFA権を行使せず残留することを発表した。11月11日に32歳の誕生日を迎えたばかりの糸原は、8年目の今季、主に左の代打の切り札として89試合に出場した。FA権を行使せず、1年契約で現状維持の7000万円(金額は推定)でサインした糸原は「このチームが好きだから。監督からも一緒に頑張ろうと言われたし、優勝、日本一をもう一度味わいたい」とチーム愛を強調した。以下は一問一答。 「この度、FA権を行使せずに、阪神タイガースで来年もプレーさせてもらうことを報告します」 ――残留の決め手は。 「やっぱりこのチームが好きですし、このチームでもう一回優勝、日本一というのを味わいたいなと思って決めました」 ――球団からは。 「来年も力が必要という言葉をいただいて、素直にチームのために来年からも頑張ろうという気持ちになりました」 ――藤川監督と話は。 「連絡させてもらって、『一緒に頑張ろう』という言葉をいただいたので、チームに貢献できるように頑張っていきたいなと思います」 ――ファンの声は届いていたか。 「そうですね。僕が打席に立ったりしたら、すごい声援をくれる熱いファンの方々がついているので、阪神というのは。その熱いファンの方の前で来年プレーすることをモチベーションとして、すごく力に、いつも背中を押してもらっているので、すごく、来年も頑張ろうという気持ちにはなってます」 ――阪神タイガースという球団は。 「本当すごい、去年は優勝を経験しましたし、日本一になりましたし、すごい熱いファンがついているので、そのファンの声援に応えられるようにチームのために頑張っていきたい」 ――残留を決めて球団への見方は変わったのか。 「そうですね。好きなチームですし、このチームでチームメートと監督コーチ、裏方さんと一緒にもう一度最高の1年にしたいので、来年また頑張っていきたいと思います」 ――改めて阪神で戦う意気込みを。 「そうですね。チームのことだけを考えて、必死に与えられた仕事を自分の中で全うするだけだと思うので、ファンの方と一緒に最高の瞬間を分かち合えるようにまた頑張っていきたい」 糸原さんは辛抱強く出番を待って結果を出してくれる貴重な存在 矢野監督時代にはレギュラー級の出番があったシーズンもあったんだよねいまはどんどん遊撃手候補が入ってきてるし レギュラーは遠くなってしまったけど 球団として手放せない代打の切り札 もしもの時は守備でも貢献できるユーティリティなバイプレイヤーとして頼りにされてます来季もチームを支えてくれますように 期待してるよ
2024年11月15日
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FA選手の獲得見送りへ嶌村球団本部長「静観させてもらいます」2代目タイガース非公式サイトですタイガースフロントの方針について嶌村球団本部長が語っています 東京スポーツさんの記事抜粋です阪神・嶌村聡球団本部長(57)が13日、秋季キャンプを行っている高知・安芸で取材に応じ今季、NPB他球団からFA宣言した選手の獲得を見送る考えを示した。「他球団からの選手に関しては今季は考えておりません。静観させてもらいます」と明言。その方針は藤川監督とも確認済みであることを明かした。4番・一塁としてチームの中心を担った大山悠輔内野手(29)が同日、今季取得した国内FA権の行使を表明。 これを受けては「残留してくれることを前提として考えていきます」との編成方針を示した上で「残ってくれると信じているし、引き続き慰留に努めたい」と今後の方向性を語った。 「我々が言える事は慰留に努めるということだけ。残ってほしいに決まっている」と全力で交渉に当たる。 一方、FA権を公使せず残留を決めた坂本誠志郎捕手については「残ってくれたのは大きい。ホッとした」と安堵のコメントを残した。また、残留交渉を進めていた助っ人のジェレミー・ビーズリー投手(28)、ハビー・ゲラ投手(29)については「大筋で合意。近いうちに正式発表させてもらいます」と言及。 来季の外国人選手に関しては5人制を敷く方針で野手、投手を含め3人の補強を目指す模様だ。
2024年11月15日
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遠藤成選手 育成枠でオリックスへ2代目タイガース非公式サイトですタイガースを戦力外になって移籍先を探していた遠藤選手がオリックスに入団することになったようね トライアウトに参加してなかったところをみるとすでに決まってたんだとおもう実際にファームの試合では常時対戦があった球団だから観察されていたんだろうし 好いものを持っているのは間違いないところだからひとまず「よかったね」と言いたいところだけど これからまだ大変だわ 育成枠での入団ってことは 支配下を勝ち取るところからのスタートだからね 今季の板山さんと同じで相当な頑張りが必要よ板山さんは支配下に食い込むどころか65試合に出場して打率2割3分6厘・3本塁打・13打点をマークして 14日には550万円アップの1400万円で契約更改したくらいだから 遠藤選手も努力次第でまだまだ上を目指せるよ未来はこれからよ!今シーズン遠藤選手はウェスタンリーグトップの出塁率.392 リーグ2位の30盗塁も記録していよいよ来季は飛躍か?と思わせていたところでの戦力外でもまだ23歳だから必ず獲得する球団はあるだろうなと予想はしてました オリックスは内野陣が手薄なんだってね 遠藤選手は複数ポジションが守れるから食い込んでいくチャンスはあるよ!
2024年11月15日
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FA宣言選手 出揃う!15日から全ての球団と交渉が可能に2代目タイガース非公式サイトです11月14日 今年度のフリーエージェント選手が公示されたね 大山さんも原口さんもこれから注目されるね 注目の選手たちは中日スポーツさんの記事から抜粋させてもらって紹介するよ11/14(木) 15:04NPBは14日、フリーエージェント(FA)宣言選手を公示した。海外FA権を行使して宣言したのは大リーグ移籍を目指す巨人・菅野智之、広島・九里亜蓮の2投手で、国内FA権は阪神・大山悠輔内野手、ソフトバンク・甲斐拓也捕手、中日・木下拓哉捕手ら7選手が行使して宣言した。FA宣言選手は15日から全ての球団と交渉が可能となる。 以下はFA宣言選手と今季成績【海外FA宣言】 菅野智之投手(35・巨人)24試合、15勝3敗、防御率1.67 九里亜蓮投手(33・広島)23試合、7勝10敗、防御率3.21【国内FA宣言】 福谷浩司投手(33・中日)8試合、3勝1敗、防御率3.72 石川柊太投手(32・ソフトバンク)15試合、7勝2敗、防御率2.56 木下拓哉捕手(32・中日)74試合、打率.228、3本、9打点 甲斐拓也捕手(32・ソフトバンク)119試合、打率.256、5本、43打点 大山悠輔内野手(29・阪神)130試合、打率.259、14本、68打点 茂木栄五郎内野手(30・楽天)46試合、打率.265、1本、8打点 原口文仁内野手(32・阪神)52試合、打率.241、2本、9打点 今年の顔ぶれを見て気が付くのは 20代の選手は1名だけなのね 9名中8名は30代なんですよ これは相当な意味があるよね結局自分のいる球団でやることはやって一区切りとして 「残された選手生命で何かに挑戦したい」という気持ちが見えてくるのよもちろん金銭や待遇ということもあるだろうけど 環境を変えて現役生活の後半や晩年にできることをしてみたいという思いがあるんじゃない?みんな所属球団で貢献してきた選手ばかり 自分のために権利を行使してもいい時期に来てるわ これから交渉に移っていくけど 各選手の思いが実現できるように見守りたいですタイガースファンの2代目は 大山さんや原口さんには残ってほしいと思ってる でもそれぞれの人生だし いままで心の中で思っていたことがきっとあるはずだから 結果は受け入れたいとおもってます
2024年11月14日
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大山さんFA宣言! 争奪戦の行方は?2代目タイガース非公式サイトです大山さんがFA権を行使したことを正式に公表したね いよいよこの時が来てしまったわ取材に応じた大山さんの言葉が報道されてます 日刊スポーツさんの記事から抜粋させてもらって紹介するね11/14(木) 7:00大山悠輔「すごく悩んだ」FA行使「他球団の評価聞きたい」すでに阪神は複数回の残留交渉阪神大山悠輔内野手(29)がFA(フリーエージェント)申請締め切り日となった13日、今年4月に初取得した国内FA権を行使したことを発表した。甲子園球場内の施設で取材対応し、「他球団からの評価を聞きたいのが一番の理由」と胸中を説明。今日14日にFA宣言選手の1人として公示される。すでに巨人が獲得調査を進めており、交渉解禁日の15日を待って獲得交渉に乗り出すとみられる。残留か他球団移籍か、期限を設けずに「納得した決断」を導き出す。 なぜFA宣言したのか? 一番の決め手を問われると、偽らざる胸中をよどみなく明かした。「やっぱり(プロで)8年間やってきて、今の自分が他球団の方からどういう風に思ってもらえているのか、評価されているのかを1度聞いてみたいとずっと思っていた。それを聞ける1つのタイミングでもある。他球団からの評価を聞きたいのが一番の決断理由かなと思います」 FA権を行使するか、否か。申請期間最終日の前日12日まで熟考を続けた。「毎日毎日、どうしたらいいのか、いろいろなことを考えながら過ごしていました。本当にすごく悩みました」何度となく愛妻とも話し合い、最後は一野球人としての欲求に従った。前日のうちに藤川監督にも電話で報告。新指揮官からも意思を尊重され、堂々とFA市場に打って出る。すでに阪神とは複数回に渡って残留交渉を行い、5年前後の大型契約で強く慰留されている。「残ってほしいという言葉をいただけましたし、いろいろ話をさせていただいた中で思い、気持ちも伝わってきました。本当に感謝しています」一方、他球団では巨人が獲得調査を続けており、交渉解禁日の15日を待って獲得交渉に乗り出すとみられる。 前代未聞のTG争奪戦へ注目度は高まるばかりだが、本人は至って冷静だ。「野球人生において、すごく大きな決断のタイミングだと思うので、慎重に時間をかけて考えさせていただきたいと思います」当然、宣言残留も選択肢の1つとなる。移籍ありきではなく、あくまでフラットな状態で新たな熟考に入る。決断に向けて重視するポイントについては「それは自分の中でたくさんあるので」と話すにとどめた。「しっかり納得して決断したいので、時間というところに決まりはないかなと思います。(決断が)どのタイミングになるかはまだ分からない。いろいろ考えて悩んで決めたいと思います」期限は設けない。悔いのない結論へ、丁寧に歩みを進めていく。【佐井陽介】森下君に続き前川君や井上君も成長してきてはいるんだけど皆若いのよね 大山さんのような選手が背中で引っ張ってくれてるのが今のタイガースまだテル君がそういうリーダーシップを感じさせないだけに大山さんの存在はチームにとって大切なものなのよでも8年間苦労してリーグ優勝や日本一も経験出来て一つの区切りがついたというのも事実 30歳になった大山さんの野球人生でも大きな節目だとおもう悔いのないようにじっくり考えて選択してほしい 監督さんは「選手ファースト」と言ってくれてるし 一野球人として権利は有効に使うべきね
2024年11月14日
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坂本さんも行使せず残留2代目タイガース非公式サイトです坂本誠志郎捕手(31)が今季取得した国内FA権を行使せず残留すると球団から正式発表されたね2024/11/13 10:38坂本にとって来季は節目のプロ10年目。もし権利を行使すれば複数球団による争奪戦となる可能性もあったが、坂本はタテジマのユニホームを着ることを選んだ。昨季は扇の要として18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一に貢献。今季も梅野と併用される形で、投手陣を引っ張った。明大から15年ドラフト2位で入団し、名実ともに人気選手。アマチュア時代から主将を務めるリーダーシップも健在で、阪神でも人望を集める。藤川球児監督(44)が率いる新体制で、王座奪還を目指す来季。指揮官も現役時代ともにプレーした坂本の残留は、球団にとっても朗報となった。 坂本さんのインスタグラム「毎回思い浮かんだのは昨シーズンの18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一でした。(中略)タイガースに関わる全てのみなさんと一丸となって掴むことができた栄冠は何事にも代え難く、どうしても忘れることができませんでした」「もう一度2025シーズンは藤川新監督をはじめ、皆さんとともにリーグ優勝し日本一を奪還するために自分が持っている全てを捧げて、少しでもチームに貢献できるよう全力で取り組んで参ります」 坂本さんと梅野さんのあとを引き継げる捕手が育っていない今のタイガースにとって絶対に出せない存在よ 捕手はケガも多いポジションだし大事な2枚看板がいて投手陣も成り立ってるからね とにかく中川君など次代を担う選手を一軍で育ててほしいわよ かつて野村監督も捕手は実戦でしか育たたないというようなことを言ってたような・・・
2024年11月14日
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原口文仁選手も国内FA権行使2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは こちらも寂しいニュースね2024/11/12(火) 11:36阪神の原口文仁内野手(32)が12日、今季取得した国内フリーエージェント(FA)権の行使を表明した。原口は「もっとゲームに出たい、スタメンから勝負したいという気持ちが強かった」と決断の理由を説明。「まだ感情として、はっきりとしたものはないので、自分でも表現するのが難しい心境」と複雑な胸中も明かした。球団から残留要請があったことを明かした上で「球団関係者の皆さま、携わっていただいた監督、コーチ、スタッフの皆さまに感謝の気持ちでいっぱい。皆さんへの気持ちは言い表せないくらいたくさんある」と15年間在籍したチームへの愛着を語った。今後は14日にFA宣言選手として公示され、15日から他球団の交渉が解禁となる。今季は年俸3100万円(金額は推定)で金銭と人的補償が発生しないCランクとみられる。近年は代打の切り札として活躍し、今季は52試合に出場して打率・241、2本塁打、9打点だった。 新人の時は背番号「52」だったのね! 原口さんは苦労人よね 本来ならレギュラー捕手になれる力もあったとおもうし 掛布さんや金本さんはバッティングのセンスに注目してたよね 肩が強いからファーストやサード 外野へのコンバートにも取り組んでいたしところがチーム事情や原口さん自身の怪我や病気など不運も重なって 残念ながらレギュラーとして活躍できるチャンスが無いまま代打の切り札っていうポジションに落ち着いてしまったのよ このままでは代打で終わっちゃう可能性が高いから レギュラー目指して宣言したいという気持ちはよくわかるわ原口さんには残ってほしいけど レギュラーとして考えてくれる球団があるなら行くべきかな 最後のチャンスだとおもうからファーストで考えてくれそうなのは西武ライオンズ パリーグだからDHと併用ならシーズン通じて打席にも立てるかも そういう姿を見て見たいよ
2024年11月13日
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大山悠輔選手FA権行使確実!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは いよいよ現実問題になってきましたね2024/11/13(水)8:32大山悠輔内野手(29)が今季取得した国内フリーエージェント(FA)権を行使することが13日、分かった。FA権の申請期限となる同日に正式発表する。大山はFA権行使を想定し代理人と契約。球団は代理人と複数回にわたって交渉を行い、前日12日には甲子園の球団施設内で、大山本人とも話し合ったもよう。球団は、これまでの実績や野球に取り組む姿勢を評価。4年総額16億円規模の条件を提示して交渉に当たっていた。大山は昨季「不動の4番」として阪神をリーグ優勝、日本一に導いた立役者。昨年の契約更改交渉では複数年を提示されたものの単年で契約していた。今季は130試合に出場し、打率・259、14本塁打、68打点。膝に古傷を抱えていることもあり6月には2軍降格も味わったが、夏場以降は本来の状態を取り戻した。14日にFA宣言者が公示される。15日からは他球団との交渉が解禁となるが、球団首脳は前日12日に「大山君には残ってほしい」と改めて〝宣言残留〟を認めたうえで、今後も残留交渉をしていくことを明かしていた。 というわけで宣言は確実 しかも一番興味を示しているのがジャイアンツということで 引き留めるにしても金銭闘争ということになりそうなのね大山さんはおもうように試合に出してもらえないって選手じゃないし起用面での大きな不満があったとはおもえない 強いて言えば 2代目はタイガースを取り巻く環境(球団の体質・マスコミの取り扱い方・熱狂過ぎるタイガースファンなど)が関東出身の大山さんにはきついのかなとは感じるなあ過去を振り返ると 田淵さん 掛布さん 鳥谷さんなど関東出身者はどうしても溶け込めないものがあったというニュアンスのことを言ってるしね そんな意味ではジャイアンツは東京 大山さんは金銭や待遇のような条件とか以前に関東へ戻るという選択肢を考えてみたいんだとおもうこれはもう大山さん次第ね
2024年11月13日
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青柳晃洋のメジャー挑戦に球界OBが期待感2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 青柳晃洋投手がが今オフにポスティングシステムを利用してメジャー移籍を目指すみたいね 球団も容認する方針を明かしてます2021~22には連続最多勝のタイトルを取っていたのに 岡田監督になってからの2年間は完全に期待を裏切ったよね 特に今年は12試合2勝3敗でほとんど一軍戦力と呼べなかったわその青柳さんがメジャー挑戦を目指すってことだけど 2代目は好いんじゃないかなと感じるのよ メジャーにはこういう腕の振りの投手がいないからね以下は「COCOKARA」さんの記事から抜粋「目先を変える意味では面白い」高木豊氏は11月6日に自身のYouTubeチャンネルで「【電撃表明】阪神青柳晃洋投手がポスティングで今オフの大リメジャーグ挑戦を表明!!『日本にいるより面白い投手になれる!』青柳投手の可能性を語る!!」と題した動画を更新。高木氏は青柳のメジャー挑戦について問われると、開口一番「面白い」とコメント。日本球界でも珍しい下手投げと横手投げの中間のような変則投法について触れ、「先発というのは考えづらいが、中継ぎなら(打者の)目先を変えるという意味では非常に面白い」と評価した。「働き場所はいっぱい出てくる」青柳はプロ9年間で154試合に登板し、そのうち中継ぎ登板は1試合のみだが「働き場所はいっぱい出てくるような感じがする」と予想し、メジャーでは中継ぎとして重宝されるとの見方を示した。また、青柳の持ち味である変則投法からボールを動かす投球スタイルについて「外国人(打者)は慣れていない」と主張。加えて「バットの軌道が変則(投手)に合わなくなってきている」とし、「(青柳の)価値が高くなると思う」とした。青柳はここ2年思うような成績が残せていないものの、東京五輪メンバーに選出されるなど実力は折り紙付き。虎の変則右腕は来季、どこの球団のユニフォームに袖を通しているのか注目が集まる。〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 以上なんですが 一方で日刊ゲンダイさんの記事では厳しい意見も紹介されているのでこちらも抜粋しますねメジャースカウトがシビアに評価「球威、制球ともメジャーレベルにないように思う」「昨季と今季の防御率(4.57、3.69)がそれを裏付けている。特にストライクゾーンの四隅に投げ分ける制球力がないので、メジャー契約を提示する球団はあるかどうか。メジャー公認球がフィットして変化球のキレが増すケースがあるだけに、スプリングトレーニングやマイナーの実戦で結果を出した場合にメジャー昇格するスプリット契約になる可能性が高いと思う。フォームが変則? メジャーに変則投手はいくらでもいます」「23年のWBC日本代表メンバーには選ばれなかったのは、青柳が低めの制球で勝負するタイプのため 高めを使えないと、米国やドミニカ共和国のメジャーリーガーには低めの球を拾われてしまうという理由で選考から漏れたと聞きました」(マスコミ関係者)メジャーの打者はアッパースイングが主流。今季2年連続本塁打王を獲得した大谷翔平(30=ドジャース)も含めて高め速球が弱点のひとつとされる。それだけに高めに150キロ超の剛速球を投げられない青柳は、出場各国を代表する一線級のメジャーリーガーに通用しないと判断されたのだろう。〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 なかなか厳しい意見もあるようね 青柳さんは今30歳 メジャー目指すには微妙な年齢でもあるし・・・でもね やらずに悔いを残すくらいなら 当たって砕けるつもりでやってみたほうが好いとおもうよ 菅野投手だってもっと歳は上だけどやる気だし 雨男の青柳さんでも西海岸なら雨も少ないよ!とにかく今年の成績ではメジャー契約は無いだろうとは予想できるのでマイナーから這い上がるしかないわ そういう覚悟があるなら挑戦よ!
2024年11月11日
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井坪陽生くん来季飛躍か!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 藤川監督が井坪選手を大絶賛してる2代目は井坪君については入団以来とても期待してるから ウェスタンの試合を見に行くたびにフォームの変化など観察してるんだけど 藤川監督も能力の高さに大きな期待感を持っているようね安芸秋季キャンプ第2クール3日目の11月9日 2度目の紅白戦に紅組の「3番・中堅」で先発し初回1死二塁の先制機に打席に入ると 白組先発・津田の148キロ直球を鮮やかに振り抜いてレフト翼線へ先制タイムリー2塁打を放ってキャンプ初得点を挙げました井坪君のコメント「真っすぐに振り遅れないように、しっかり打ち返すことを意識してやっています。守備、走塁、打撃、全部で勝負しないといけない選手だと思っているので、全部一流のレベルまで持っていけるようにやりたい」プロ入り3年目のシーズンになる来季は まず第一歩として初の一軍昇格を目指さないといけないわ外野は競争が激しくなっているけどノイジー選手が抜けたし 井上君がファーストの練習をしてるのを見ると おぼろげながら監督の描く構想がみえるような・・・これって大山さんがFAで移籍した場合に備えてる感じよねその監督さんは井坪選手についてどんな思いで見てるのかな?藤川監督のコメント「もの凄く能力が高いことを重々分かっているし、チームとしても非常に今後大事な存在になる。この前は1番で、きょう3番に入っているのは、彼を引き上げたいというか。能力を非常に高く考えているとは思います。全てのポジションのコーチもそう思っているんじゃないですかね」「監督も打撃コーチも新しく交代したタイミング。そういう部分では彼自身が次のステージに上がるチャンスはあると思います」 オリックスから加入した小谷野打撃チーフコーチも「もともと対戦相手としてウエスタンで見ていても良かった」と外から見ても高い評価だったんだね大山さんについては監督さんは「本人の人生だから見守る」というようなコメントをしてたと思うんだけど 流出も視野に入れながら来季戦力を考えるなかで井坪君を重要視してるのよ2代目も一軍公式戦で井坪選手が観れる日を楽しみにしてるよ!
2024年11月10日
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高めのストレートで勝負だ!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 藤川さんが監督になって2代目が何を期待しているかと言うと「高めのストレート」でバンバン三振を取れるピッチャーの育成なのよね剛腕というよりもキレのある速い球でバットに当てさせないって感じかな?過去の動画を見てるとオールスターの時にカブレラさんに全球ストレートを予告して三振に取った藤川さんは圧巻なのよ 投手の理想だわ そして藤川監督もそういう思いはあるようで 高めで勝負できるピッチャーに出てきてほしいという思いで秋季練習に臨んでいるみたい藤川球児監督が秘密兵器導入「僕は高めの投手でしたけど、そういう投手って、今いなくて…」 2024年11発1日配信阪神・藤川球児新監督(44)が初日から火の玉投手の育成に乗り出した。ブルペンで捕手前にテープを張らせ、高めへの意識を徹底するように要望。自身も得意としたコースへの投球術を磨かせ、V奪回への戦力に育て上げる。浮き上がるような球筋で胸元を突き、強打者たちを次々と料理してきた。火の玉直球に近づくためのヒントが秋季キャンプ初日から導入された。藤川新監督の要望でブルペンの捕手前に2本のテープが張られる。ストライクゾーンの高低部分のみ。これで威力抜群の球を手にしてもらう。「投げ込むときにどういうことを意識して投げるか、高めなのか低めなのかはすごく大事。特に、僕は高めの投手でしたけど、そういう投手って、今いなくて…。(一般的には)低いところに集められる投手が優れていて。コーチと相談した上で、僕からお願いしたんですけど」藤川監督は現役時代、2006年の球宴でカブレラ(西武)に直球を宣言。空振り三振に斬ったように分かっていても打てない球で勝負してきた。投手は低めに投げることが基本と昔から言われ、変化球も全盛の時代に突入しているが、米大リーグでは今永(カブス)のライジング・ファストボールが高評価されるように時代とともに変わってきた。置きに行っては意味がない。火の玉に達するのは容易ではないが、腕を振ることこそ若手に求められている。まず門別啓人らが体験さっそく火の玉講座を受講したのが来季高卒3年目の門別だった。今季はブレークを期待されながらも5試合の登板で0勝2敗、防御率4・50にとどまった。 「高さとかは分かりやすい。意識しても高く浮いちゃうときはありましたけど、しっかり間に抑えられた」。打者からすればベルトよりもやや高めで、思わずバットが出てしまうゾーン。そのウイニングショットをマスターすることで変化球も生きてくる。目指すは火の玉!そもそも150キロを超えるような速球が投げられること自体 特殊な能力なわけよ そういうスピードボールが投げられないピッチャーが大半な中で並ではない素質を持っているということその中でもさらに回転数の多い浮き上がるようなストレートは一握りの選手しか投げられないわだからこそ打者から見た「火の玉ストレート」は下手な変化球より恐ろしいボールなのよ 藤川監督は現役時代の自分のような投手に出現してほしいんだとおもう 選手たちは「自分には無理」とか簡単にあきらめないでほしいな先代が言うには 藤川さんは新人から数年間は140キロ前後の平凡な投手に過ぎなかったんだって 山口高志投手コーチのアドバイスや指導によって4年目くらいから急に150キロを超えたんだよタイガースの若き速球派投手の皆さん 経験してきた監督さんの実体験からたくさんの極意を授かって「火の玉」を継承していってね!
2024年11月10日
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背番号26(その7)背番号26の最終回です残すところ4名となりました 今回で一気に紹介しますねこのところ「26」は目立たない番号になってしまってるよね 活躍する選手が出てないのよ 今年から背負ってる椎葉投手には頑張ってほしいんだけどね・・・歳内宏明 投手地元兵庫県尼崎市出身で宝塚ボーイズ時代に才能が認められ、高校は福島県の聖光学院へ野球留学する。(同校では後輩に湯浅京己がいる)高校では1年生からベンチ入りしており、2年の夏にはエースとして甲子園に出場し、2回戦で有原航平(広陵)に1-0で投げ勝つなどチームをベスト8へ導いた。3年になる直前の2011(平成23)年3月11日に起きた東日本大震災では学校が大被害を受け、練習グランドもなくなる中、復興のボランティアをしながら練習を続け夏の甲子園に出場を決める。大会では2回戦で敗れたが、2年時に習得したスプリットが冴えわたって、2試合で30奪三振の数字を残すことでドラフト上位が決定的となった。2011年のドラフト会議ではタイガースの2位指名を受けて入団が決まり、背番号「26」を着けることになる。 ルーキーイヤーの2012(平成24)年は8月までファームにいたが、ウェスタンで4勝2敗、防御率2.32を記録し9月に1軍登録される。9月2日の広島戦でプロ初先発を果たしたもののすぐに腰痛により抹消、登板は1試合のみで勝敗も付かなかった。 2年目の2013(平成25)年には4月に1軍に呼ばれリリーフとして5試合に登板したが、ホームラン3本を許すなど結果が残せず、4月末に抹消されてそのままファームでシーズンを終えている。 2014(平成26)年は沖縄の1軍キャンプに抜擢され7月にはプロ初勝利を記録するなど13試合(先発3)に登板して1勝3敗。防御率は6.75だったが、24回を投げて25奪三振が示すように150キロのストレートを見せ球にしてスプリットで勝負する投球が確立されてきて、翌年への期待が高まった。 2015(平成27)年、飛躍の年にしたかったが春季キャンプで肩を痛め、その回復に時間がかかり、1軍に登録されたのは6月14日。そこからすべてリリーフで29試合に登板している。防御率は2.62と好かったが、実際は肩を痛めたことでストレートの伸びがなくなり、34回1/3で23奪三振と数字は物足りない。逆に制球は悪くなってフォアボールが増えている。右肩故障の影響は「違和感」としてその後も消えることがなく 2016年(平成28)年の9試合を最後に、タイガースでは2017(平成29)年、2018(平成30)年と1軍の登板機会は失われ、2019(令和元)年のオフに戦力外となる。 退団後、四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズへの入団が決まったが2020(令和2)年はコロナ感染拡大によりほとんど登板機会がなかった。 そこへヤクルト・スワローズが声をかけ9月6日に入団が決まり、ペナントレース終盤の7試合に登板して5年ぶりに1勝を挙げる。しかし、2021(令和2)年は一度も1軍登録は無く、同年10月に戦力外となって現役を退いた。 2022(令和4)年からタイガースの球団職員としてタイガースアカデミーで少年たちを指導している。 通算成績は64試合3勝6敗4ホールド、114回を投げて59四球76奪三振で防御率4.18である。呂彦青(ルー・イェンチン) 投手 中華民国(台湾)高雄市出身。2015(平成27)年のWBCプレミア12、2016(平成28)年のU―23ワールドカップ、2017(平成29)年のアジア選手権など台湾代表チームで活躍し注目が高まる。 2018(平成30)年、タイガースへ入団し、退団した歳内のつけていた「26」を継承する。 150キロのストレートを持つ左投手ということで期待されたが、公式発表では175センチ65キロ。体格的にプロの投手としてどうなのかという声もあり、1年目はウェスタンで12試合に登板し2勝3敗1セーブ、防御率4.31という数字だった。 2年目3年目も1軍に上がる気配すらなく、2020(令和2)年12月に自由契約となり退団した。台湾に戻り、2024年現在は中信兄弟でプレーしている。北條史也 内野手 背番号2で紹介済みだが先代の記述は入団4年目だったため その後の内容を加えて全面的に改めて掲載する 大阪府堺市出身。高校は青森県の光星学院へ野球留学している。2年夏に甲子園に出ると4番・遊撃手として準優勝。続く3年の春・夏とも甲子園に進んでいるが、いずれも決勝でエース藤浪晋太郎のいた大阪桐蔭と当たって敗れ3季連続の準優勝だった。北條は3年の夏の大会で4本塁打を記録するなど高校通算25本のスラッガーとしてドラフト注目の一人になっている。2012(平成24)年のドラフト会議では1位藤浪に続き2位でタイガースから指名されて入団、引退した城島健司が着けていた背番号「2」を継承した。 当時の1軍では鳥谷敬がショートのポジションを堅持しており、北條はルーキーから2年間は1軍出場は無くファームで育てられている。 3年目の2015(平成27)年5月28日に初めて1軍登録され、同日の東北楽天戦に代打でファウルフライに倒れると、翌日抹消されて結局この1打席のみでシーズンを終えている。 4年目の2016(平成28)年になると1軍キャンプを経て開幕から1軍登録される。当初は代打から始まり、徐々にセカンドやサードを守ってスタメン起用が増えていく。7月に入ると開幕から不振が続く鳥谷がスタメンを外れるようになり、ショートのポジションに抜擢されると8月には月間打率.311を記録して定着していく。鳥谷がスタメンに復帰しても、北條がショートで鳥谷がサードという状況になり、実力でショートスタメンをつかみ取った。結局1年間1軍登録を抹消されることなく122試合に出場、惜しくも規定打席には到達できなかったが385打数105安打33打点5本塁打、打率.275という数字を残し、レギュラーへ上り詰めていくだろうとファンは次のシーズンに大きな期待を抱いた。ところが2017(平成29)年はオープン戦から打撃不振が続き、シーズンに入っても遊撃への復帰を目指す鳥谷や大和との激しいポジション争いの中で打率.210に終わっている。83試合出場で71試合にショートを守っているがレギュラーからは大きく退いてしまった。2018(平成30)年から2022(令和4)年までの5年間は、62試合→82試合→40試合→33試合→32試合というように、徐々にファームにいる期間のほうが長くなっていく。この間の2021(令和3)年には背番号「2」を梅野隆太郎に譲って「26」に変更したが効果は無かった。2023(令和5)年、岡田監督が就任すると全く1軍に呼ばれず、オフに戦力外を通告されてしまう。他球団からのオファーを待ったが声がかからず、社会人の三菱重工WESTへ入団することになった。2024(令和6)年は都市対抗本戦に駒を進めベスト8になっている。 プロ通算成績は455試合1210打数308安打113打点18本塁打、118四球245三振、打率.255だった。椎葉 剛 投手 大坂府堺市出身で高校は長崎県の島原中央。3年春までは主に捕手としての出場が多く、その後本格的に投手となる。 高校卒業後ミキハウスに入社し、投手としてプレーするも在籍3年間で公式戦には1試合しか登板していない。ミキハウスを退社し2023(令和5)年に四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団し、本格的にウェートトレに励んだところストレートの球速が150キロを超えるようになる。同年9月には159キロを計測して一躍ドラフト上位候補となり、10月のドラフト会議でタイガースから2位で指名されて入団が決まる。背番号「26」。2024(令和6)年、プロ入りすると壁に当たり、球速も出なくなって「プロでは多少甘く入ったときは全部打たれる。去年まではファウルを取れていたのに、それが取れない。ストレートの速さも強さも求められる」と出直しとなった。7月にはフレッシュオールスターに選ばれるなど、少しずつプロの調整方法なども身について成長の兆しはある。 2024年のウェスタン・リーグ成績は23試合0勝0敗、30回1/3を投げ13四球18奪三振、自責点15で防御率は4.45だった。来季(2025年)は真価が問われる。まとめ歳内さんは先代のお気に入りの投手だったようだけど肩の具合が治らず惜しいところで終わっちゃいました スプリットは一級品だったらしいね でも故障というのは恐ろしいわ 人生が変わっちゃうからね北條さんは藤浪さんと同期でレギュラーを期待されていたんだよね 実際に衰え始めた鳥谷さんと入れ替わりでショートのポジションを取りそうなときもあったんだよ でもその後少し干された感じになって 岡田監督が就任したころから戦力とみなされてなかった感じ 残念ね ルー・イェンチン投手は見たこともないよ ちょうどコロナが猛威を振るってたころで 2代目もファームの試合すら観に行ってなかったのよ なので評価のし様がありません椎葉投手は剛腕タイプの触れ込みだったけど ルーキーの1年間は好いとこを見せられなかった これからよね ということで背番号「26」はこれで終わりです 最後までお付き合いいただいた皆さん ありがとう結局この番号で「大物」とまで呼べそうな選手は出ていないよね 椎葉さんへ期待しましょう!背番号27につづく
2024年11月09日
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戦力外選手に光明射すか!2代目タイガース非公式サイトです9月30日に戦力外通告があってもう1ヶ月以上が経ったのねえみんなどうしてるんだろう 昨年は山本さんと板山さんが中日ドラゴンズと契約で来たけど今年の5名は何か決まったのかな? 遠藤 成(じょう) 内野手2024年11月3日 デイリースポーツオリックスが阪神から戦力外通告を受けた遠藤成内野手(23)の獲得を検討していることが2日、明らかになった。育成選手での契約を視野に入れている。若くて走れる内野手は、今のオリックスに貴重な戦力だ。チームは今季、盗塁数がリーグワーストの61盗塁。遠藤が持ち味を生かしてチャンスをつかむことができれば、念願の1軍初出場も見えてくる。 オリックスとの縁も深い。元オリックスで現在はレッドソックスでプレーする吉田正尚と22年から自主トレを行い、打撃技術などを学んできた。また、宮城は19年のU-18W杯でともに日の丸のユニホームに袖を通した間柄だ。阪神退団が決まった際に遠藤は「正直びっくり。それを受け止めて、次につながるように阪神でやって来たことを生かして頑張っていきたい」と現役続行に意欲を示していた。虎で思い描いた活躍ができなかった悔しさを胸に、オリックスで才能を開花させる。 高濱 祐仁(ゆうと) 外野手 11月7日現在 具体的な情報なし岩田 将貴(まさき) 投手2024年11月3日 デイリースポーツDeNAがストーブリーグの〝台風の目〟となりそうな気配だ。下克上を成し遂げ、26年ぶりの日本一にまで上り詰めた。その余勢を持続させるかのように、シーズンオフも手綱を緩めず〝超巨大補強〟で攻めの姿勢を貫くつもりのようだ。その背景には、記録的な本拠地来場者数に伴う球団の「ハイパー黒字化経営」と「今永資金」が大きな武器として混在している。フロント側は、DeNAで昨季プレーしていたトレバー・バウアー投手(33=メキシコシティ・レッドデビルズ)、中日のライデル・マルティネス投手(28)、海外FA権を取得している九里亜蓮投手(33=広島)、国内FA権を取得済みの高橋周平内野手(30=中日)と酒居知史投手(31=楽天)、阪神を戦力外となった岩田将貴投手(26)の動向を水面下で注視。いずれも契約が可能となり、オープンな状況となれば本格的な獲得調査に乗り出すとみられている。 加治屋 蓮 投手2024年11月7日 サンケイスポーツ楽天が、阪神から戦力外となった加治屋蓮投手(32)の獲得に向けて調査を行うことが6日、分かった。加治屋は中継ぎとして今季13試合に登板し、2勝0敗1ホールド、防御率4・50。昨季は51試合登板で防御率2・56の成績を残し、セ・リーグ制覇と日本一に貢献した。宮崎・福島高からJR九州を経て2014年ドラフト1位でソフトバンクに入団。20年12月に自由契約となり阪神に移籍した。11年目を終えた右腕は現役続行を希望している。 片山 雄哉 捕手 11月7日現在 具体的な情報なしプロ野球は厳しい世界5名の戦力外選手に対して声がかかりそうなのは今のところ3名 高濱さんと片山さんは厳しい状況のようね遠藤選手はいつもファームの試合に出てたからよく見させてもらったけどいい選手なのよ 足も速いし打撃にも確実性が出てきたなって思ってたところへ戦力外はちょっと信じられなかった ぜひ他のチームで活躍してほしいよ岩田投手に至っては「なぜ1軍で試そうとしないの?」と2代目は疑問だったのよ そしたら戦力外だから言葉もなし もしベイスターズに入ったら絶対1軍の試合で当たるよ 左バッターは苦労するとおもう加治屋さんの実力はみんな知ってるよね 戦力外については選手の頭数の問題なのかちょっと理由が分かんなかった ソフトバンクから移籍してきた選手という外様感が影響したのかな??? 楽天の話は確実性高いみたいなのでぜひとも来季も現役でいてほしいな
2024年11月08日
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ジーン・アルナエス選手入団2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちはいやはやニュースが遅くなっちゃったけど 2024年10月29日にジーン・アルナエス選手の入団が球団から発表されたよね新外国人選手としては異例となる推定年俸300万円の育成選手として契約したんだけど 新戦力とか即戦力とかではなく将来性を買ってのことかな これからキャンプやオープン戦などを見て見ないとわかんない未知数ね・・・でもせっかく縁あってタイガースに入団したんだから どんな選手なのか経歴や特徴を見ておこうねまだ若い! 球団がHPで発表したプロフィールを載せるよパナマ出身で今年22歳と若い選手なんだね 身長を見るともし日本人選手だったとしても今では小柄って言われるくらいだと思う ただし体重はそこそこあるのでガッシリ型なのかな?右投げ右打ちの内野手・・・というか捕手・一塁・二塁・三塁を守ったことがあるユーティリティプレイヤー でも実際にはポジションが固まっていないんだろね実績はあるの?2021年にトロント・ブルージェイズと契約 2024年の成績を見ると同球団傘下の1Å級で51試合に出場 打率・233 2本塁打 12打点マイナー通算でも4年間で124試合しかでてないんだよね 打率が.241 2本塁打 35打点 この実績だけでは育成枠でってことも仕方ないかな やる気満々?入団発表の当日に秋季練習に合流して打撃練習をこなすなんてやる気はすごいよ アメリカで芽が出なかっただけに「日本で成功したい」という思いは強いんだろうね練習着姿で登場すると藤川新監督や佐藤輝らと笑顔であいさつを交わし キャッチボールで肩を温めた後は約40分間トス打撃などを行って体をほぐすと 初練習を終え「体の状態はすごく良い。温かく迎えてもらって、本当にいい人たちばかり」と充実した様子で汗をぬぐっていたそうです チーム側の感触は?嶌村球団本部長「小力というかパワーもある。まだ22歳で、鍛えがいがある」藤川球児新監督「(育成枠という)入り口は関係ないと思う。すごく楽しみ。スローイングは強いし、ほかの選手の刺激になる」アルナエス選手の談話阪神タイガースと契約をすることができて、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。新しい環境でプレーできることに感謝して、精一杯頑張ります。 「(米国で)最後の方は内野手でやっていたけど、チャンスがあったらキャッチャーもできるというところを見せたい」「(藤川監督が)冗談を言ってくれた。自分の名前を面白く言っていただいたりとか、自分の国のことを言ってくださった。いい迎え方をしていただいた。彼のためにも頑張りたい」育成外国人選手頑張って!2代目は育成の外国人選手たちを応援しています昨年入団したホセ・ベタンセス投手(25)とアンソニー・マルティネス投手(24)と来季の育成選手契約を締結したと11月5日に球団から発表があったよね 2人ともファームの試合で何度か見たけどスピードはファームでも抜けてる 制球力や球種のバラエティ それとクイックやバント処理などまだ学んでいるところだけど残留は当然だとおもう そう感じさせるポテンシャルは持ってるアルナエス選手の入団によって育成枠の外国人選手は3名になります 彼らがどう成長していくか楽しみに見ていきたいなぬくぬくした国産選手なんか追い越していく そういう姿を期待してるよ!
2024年11月07日
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背番号26(その6)お久しぶりって感じかな?いろいろ忙しさに追われてましてブランクができてるのでお詫びです 合間に少しでもと思い今日久々のアップです なんかバタバタやってるうちに あっという間にワールドシリーズ終わっちゃってショック 一文字も書けなかったよ 大谷選手は不完全燃焼だったけどとにかくおめでとう 来季はまた二刀流てことかな? まずはケガした左肩を大事にすることね では背番号26の第6回目です第5回で紹介した根本隆輝さんは半年ほどしか「26」を着けてなくて すぐ「37」に変えちゃったんだけど それは新外国人投手に譲ったからなのよね それが今回一人目に紹介するカーライル投手 実はこの選手も2年しか着けてないよそのあとの江草さんが比較的長くて9年着けてるわね 今回はこの2名の選手を紹介しますバディ・カーライル 投手アメリカ合衆国ネブラスカ州の出身。高卒ながら1996(平成8)年のドラフト2巡目でシンシナティ・レッズから指名された右投げ左打ちの投手で、将来が期待されていたようだ。レッズ傘下には2年在籍したが、1998(平成10)年4月にサンディエゴ・パドレスにトレードされる。パドレスには2000(平成12)年まで在籍しており、1999(平成11)年にメジャーに昇格し7試合に先発、1勝3敗の数字が残る。野村監督の3年目に当たる2001(平成13)年にタイガースへ入団、190センチの長身から投げ下ろすストレートは威力があり、まだ24歳という若さも魅力で、先発ローテーションの一角を任される。登板した28試合のうち26試合に先発しており、7勝10敗と負け越したが防御率は3.87なので打ち込まれたという感じではなかった。2002(平成14)年に星野監督が就任しても残留している。しかし、この年にはマーク・バルデスとトレイ・ムーアが新たに加入して好く働いた上に、カーライルは完全に調子を落としてファーム暮らしとなってしまい、ウェスタンでは9勝5敗で防御率2.22と活躍したが、一軍ではわずか3試合しか登板がなく0勝2敗で防御率7.53の成績に終わって解雇された。タイガースでの成績は31試合7勝12敗、167回2/3を投げて69四球124奪三振、自責点78で防御率は4.19だった。この後は短い期間で多くの球団を渡り歩いている。2003(平成15)年にはアメリカに戻ってカンザスシティ・ロイヤルズ、2004(平成16)~2005(平成17)年はロサンゼルス・ドジャース、2006(平成18)年には韓国のLGツインズ、2007(平成19)年~2009(平成21)年はアトランタ・ブレーブスと忙しい。2010(平成22)年には日本ハム・ファイターズに入団してNPBに復帰してみたが7試合0勝3敗に終わって1年で解雇されてまたアメリカに戻る。2011(平成23)年はニューヨーク・ヤンキース、2012(平成24)年はブレーブスに復帰、2013(平成25)年はトロント・ブルージェイズ、2014(平成26)年から3年間はニューヨーク・メッツで過ごし2015(平成27)年に引退した。メジャー通算では実働9年で13勝13敗8ホールド、防御率5.14の記録を残している。江草 仁貴(ひろたか) 投手広島県福山市出身で高校は地元の盈進高校。高校時代からバランスのいい綺麗なフォームでキレのあるストレートを投げ込み安定感のある投手だった。三振が取れるのも特徴で、3年時の夏の地区予選では31回を投げて42三振を奪っている。甲子園とは縁がなく専修大学へ進学したものの当時は2部リーグ。4年生の春に5勝0敗の好成績で2部リーグMVPとなり、1部リーグ昇格の原動力になって注目された。2002(平成14)年のドラフト会議では自由獲得枠でタイガースへ入団し、前年までカーライルが着けていた背番号「26」を引き継いだ。1年目の2003(平成15)年は、大学時代の試合で打球を受けた腕の怪我の回復に時間がかかり、1軍では1試合しか登板がない。ファームでは後半戦でようやく投げることができ、11試合で5勝1敗、防御率3.07と内容もよかった。 2年目の2004(平成16)年から岡田監督が就任し、9試合で先発も1試合経験する。勝ち負けは無かったが防御率は2.76と感触をつかんだ。 続く2005(平成17)年はリーグ優勝の年だったが、江草は51試合すべてリリーフ登板でシーズンを通して安定した投球を見せ、優勝への貢献度は高い。70回2/3を投げて4勝3敗6ホールド、28四球74奪三振、防御率は2.67という素晴らしい内容だった。 ただし日本シリーズでは第2戦でベニーの打席で3つのワイルドピッチという不名誉な新記録を打ち立てるなど活躍できずに終わっている。 2006(平成18)年は台所事情から先発への転向も経験した。36試合の登板で12試合に先発しており、5勝6敗5ホールド。 2007(平成19)年は再び中継ぎ専門に戻り50試合にすべてリリーフで登板している。この年が江草のキャリア中最高の成績で、5勝0敗5ホールド、60回で82個の三振を奪うなど切れ味抜群で、防御率は1.95と冴えわたっている。 その後もすべてリリーフで過ごしているが、2008(平成20)年が55試合3勝1敗9ホールド防御率2.78、2009(平成21)年は62試合4勝5敗11ホールドで防御率2.71と非常に安定しており、JFKに注目が集まる中で江草の貢献度も高かった。 5年にわたる酷使が影響したのか、2010(平成22)年になると突然それまで145キロ前後で安定していたストレートが、130キロ程度しか出なくなって低迷してしまう。21試合1勝0敗2ホールドに終わり、翌2011(平成23)年の5月に黒瀬春樹との交換トレードで西武ライオンズへ法主されてしまう。これにはタイガースファンからも不満の声が多く惜しまれての移籍となった。 一応タイガースでは在籍9年にわたって背番号「26」を着け続けたことになる。 西武では2011年を過ごしただけで、2012(平成24)年から2017(平成28)年までの6年間は生まれ故郷である広島東洋カープに移ってプレーしている。 カープでもすべて中継ぎとして登板しているが、1年目こそ26試合に使われたものの、翌年からの4年は1桁の登板しかない。トミー・ジョン手術も受けたが復活はできず、2017年は1軍登板がないままシーズン終了直前に引退を表明している。 2022(令和4)年からタイガースへ復帰、ファーム投手コーチとして若手投手の指導に当たっている。 プロ通算成績は349試合22勝17敗48ホールド、442回1/3を投げて226四球433奪三振、自責点155防御率3.15である。まとめカーライル投手はかなり有望な感じだったらしいよ 2年目はもっと優秀な助っ人投手が入団してきたのではじき出されてしまったようね それにしてもたくさんの球団を渡り歩いてるなあ 友達出来る間もなく移籍を続けてるって感じよね江草さんはいつもファームの試合を観に行くとお見掛けしますね 若い人と一緒になって汗をかきながら経験を伝授されてます改めて成績を見るとすごいんだよね 活躍のピークは5年間ほどなんだけど ロングリリーフもできるし同点やビハインドの時も行ってくれるから JFKの活躍も陰に江草さんがいてくれてこそだってわかるのよ過去の写真や映像を見てもフォームに無理がなく美しい感じね タイガース時代は投球回数を上回る三振を取ってる先代の評価を聞いてみると 同じ左投手では杉本正投手(西武など)や石川雅則投手(ヤクルト)などに感じが似てるけど 江草さんのほうがもう少し躍動感があったんだって26の7につづく
2024年11月03日
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背番号26(その5)背番号26の第5回目です第4回で紹介した工藤一彦さんが12年着けたことで それまで投手とも野手とも傾向がはっきりしなかったこの「26」がほぼ投手の番号として定着していくことになるのよ 今回3名を紹介するけどそのうち2人は投手 後の一人は日本ハムからトレードで来た野手なんだけど シーズン途中のトレードで来て翌年は出番がほとんどなく引退しちゃってるわ この選手を覚えてる人ってかなりの少数派だとおもう藤本修二 投手愛媛県今治市出身で高校は県立今治西高校。2年時にエースとして夏の選手権に出場しベスト8まで勝ち進むが、金村義明を擁する報徳学園(この大会優勝)に敗れている。3年時は甲子園には出られなかったがプロのスカウトからは一定の評価がされていた。1982(昭和57)年のドラフト会議で、南海ホークスから5巡目に指名されて入団している。1年目の1983(昭和58)年はファームで1年を過ごしたが、2年目の1984(昭和59)年に一軍へ上がるといきなり31試合に登板、そのうち先発が20試合とローテーション投手に抜擢され、規定投球回をクリアする162回を投げて7勝6敗。防御率は4.72だったが高卒2年目で早くも頭角を現した。1985(昭和60)年には37試合で31試合に先発。防御率が5.41と前年より悪くなってしまって8勝17敗と大きく負け越すが、196回1/3を投げてエース級の働きをしている。1986(昭和61)年は31試合のうち21試合が先発で10勝12敗、初めて二けた勝利を記録し防御率も3.78と安定感も増してきた。1987(昭和62)年がキャリアハイで、31試合中29試合に先発し、15勝8敗、217回を投げて防御率3.15と絶頂だった。 1988(昭和63)年、10勝15敗と負け越すも3年連続二けた勝利となりローテーションを守ったが、実はこの年にはシーズン終了後に南海はダイエーへの球団譲渡が予定されており、福岡ドームの建設が進められるなかでの落ち着かない1年だった。1989(平成元)年、球団名は福岡ダイエーホークスとなり、選手たちも福岡へ移転するが、ここから藤本の様子がおかしくなっていく。この年は右大腿内転筋を痛め、わずか4試合の登板しかできず0勝1敗に終わっている。1990(平成2)年になると、フィジカルな面では故障の影響が長引いて調子が上がらず、メンタル面では新監督の田淵幸一の要求や指導と合わず、精神的に不安定になっていったという。成績も1勝7敗、防御率は9.44と惨憺たる結果に終わり、オフに5対5のトレードでタイガースへ移籍することになり、背番号「26」を継承した。1991(平成3)年、移籍したタイガースでは30試合に起用され、シーズン開幕当初は4試合に先発もしたが結局0勝5敗、防御率6.94で使い物にならず、1992(平成4)は登板のないままオフには戦力外となった。タイガースを退団した藤本は西武ライオンズの入団テストを受け、採用されている。ライオンズ1年目の1993(平成5)年のシーズンは27試合登板して防御率2.63と中継ぎとして成果を上げた。しかし1994(平成6)年には限界となり4試合のみ、翌1995(平成7)年には試合で投げることなく引退している。通算成績は240試合53勝71敗6セーブ、1091回1/3を投げて588奪三振、防御率4.63だった。 引退後は1996(平成8)年からタイガースに打撃投手として採用され復帰。2002(平成14)年からフロント入りし、一軍や二軍の用具担当などを経て虎風荘寮長となった。竹内昌也(たけうちよしや) 投手秋田県由利郡象潟町(現:にかほ市)出身。高校は県立本荘高校で2年時にエースとして夏の選手権に出場しているが1回戦で完封負け。3年時には甲子園と縁がなく、卒業後は社会人野球のNTT東北へ進む。1992(平成4)年の都市対抗予選では7回参考記録ながらノーヒットノーランを記録するなど、社会人通算17勝1敗の成績を残し、同年のドラフト会議でタイガースから2巡目で指名されて入団している。背番号は戦力外となって退団した藤本のつけていた「26」を受け継いだ。入団1年目の1993(平成5)年は8試合に投げているが、勝敗には関係なく一軍を経験しただけに終わる。 2年目の1994(平成6)年は12試合で6試合の先発を経験。1勝3敗ながら防御率3.41とまずます安定していた。 1995(平成7)年がキャリアハイで39試合に登板、そのうち19試合に先発している。成績も10勝9敗1セーブ、130回を投げ防御率4.02と生涯唯一の二けた勝利だった。 当時のタイガースは1992(平成4)年こそ優勝争いをして2位になったものの、竹内が入団した1993年から暗黒時代に戻り、援護のないなかで投手陣は苦しいピッチングを強いられている。竹内も例外ではなかった。 1996(平成8)年から1999(平成11)年まで4年間の成績は、3勝4敗、8勝6敗、3勝4敗、3勝2敗と芳しくない。野村監督になると中継ぎに配置され先発の機会はほとんどなくなっている。 2000(平成12)年は登板機会がないままシーズン中に日本ハムファイターズの根本隆輝との交換トレードで放出されてしまう。 日本ハムでは7試合に使われただけで0勝1敗と結果が残せず、2001(平成13)年のシーズンは出番がないままオフに引退している。 通算成績は202試合28勝29敗1セーブ、521回2/3を投げて263奪三振、防御率4.05である。 下半身のしっかりした投手だったが、目立つほどの球速はなく、変化球の配球で打たせて取るタイプ。どちらかというと中継ぎのほうが多く、同点やビハインドでのロングリリーフとして試合を壊さないところに持ち味を出していた。ただ打線の援護があれば先発でももう少し勝てていただろう。キャリアの大半を暗黒時代に飲み込まれたのが不運だった。 引退後は中日ドラゴンズで、2002(平成14)年から2010(平成22)年までバッティング投手を務め、以降は同球団でスコアラーに転じた。根本隆輝(ねもとりゅうき) 内野手徳島県小松島市出身。県立小松島西高校3年時に春の選抜大会で甲子園を経験しているが1回戦で学法石川に完封負けだった。 1991(平成3)年のドラフト会議では日本ハムファイターズから6位で指名されて入団した。 1年目の1992(平成4)年から1994(平成6)年まで3年間はずっとファーム暮らしが続き、4年目の1995(平成7)年に初めて一軍登録されたが、出場は4試合で7打数ノーヒットに終わっている。 以後も1996(平成8)年が10試合、1997(平成9)年が2試合、1998(平成10)年が12試合と伸び悩みは続く。プロ入り8年目となった1999(平成11)年、71試合に出場して164打数47安打20打点3本塁打、打率.287を記録してようやく一軍定着かと思わせたが、翌2000年のシーズン途中に竹内との交換トレードでタイガースに移籍することになった。背番号は竹内の「26」をそのまま継承している。 タイガースに移ってからは43試合に出ており81打数23安打2打点、打率.284の数字を残している。シーズンオフには背番号を「37」に変えているので。「26」は1年しか着けなかったことになる。 タイガースでの2年目の2001(平成13)年、出場は14試合に減ってしまい、21打数4安打2打点で打率も.190となり戦力外でもいい数字だった。 2002(平成14)年には星野仙一監督が就任すると全く一軍戦力とみなされず、ファーム暮らしのままオフに引退している。 通算では165試合322打数80安打27打点4本塁打3盗塁46三振で、打率.244という数字しか残せなかった。まとめホークス時代の藤本さんは早くから一軍で投げてるけど故障してから完全にダメになったみたい しかも田淵監督とうまくいかずノイローゼみたいだったらしいのよ その状態でタイガースに来られてもやっぱダメだったわけね 引退してからは先代が安芸キャンプに行くとバッティングケージの移動やトンボ掛けなどの雑用を一生懸命やってる姿を何度も見たって言ってるわ竹内さんはチームの暗黒時代にかぶったのが不運 もう少し先発で勝ってて不思議じゃないって先代は言うのよ 速球派ではなかったけど変化球はカーブ系もシュート系もキレがあったらしいよ根本さんは「ホントにいたの?」って感じかな 皆さん記憶にありますか? 日本ハムでも伸び悩んでるよね でもプロ入りしてくる選手の半分はこれが普通じゃないのかな? まったく一軍経験しないで辞めてく選手も結構いるし 一軍でレギュラークラスになるのは簡単じゃないのよね26の6につづく
2024年10月28日
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ドラフト会議20242代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは身の回りのことで毎日書けない状況になっています しばらくはとびとびになるけど気にかけていてくださいねもうドラフト会議から3日目ね10月24日のドラフト会議からはやくも3日が経っちゃいました 2代目は大学ナンバーワン左腕の金丸夢斗投手を予想してましたがタイガースも1位でいったよね 4球団が入札して抽選になって中日に持っていかれたのは残念 1年目から出てくるだろうという投手だけに逆に要警戒だよね仕切り直しで1位は伊原陵人投手金丸投手は外しましたが やはり即戦力の投手ということで伊原陵人投手(NTT西日本)を指名して交渉権を得ました奈良県の智弁学園の出身で村上頌樹投手の2年後輩 左投左打で身長は170センチと小柄なんだけど DeNAの今永投手を思わせるタイプなんだって 社会人として今年対戦した北條さんの感想があるから見ておこうね北條史也選手(三菱重工WEST)の眼「いい投手ですね。関西の社会人の即戦力は同僚の竹田と伊原君と思っていたので。そう(1位)やろなと思ってました」「予選で3打席に立ったんですが、調子は悪かったと思います。真っすぐのキレが良くなかったように見えました。でも試合を壊さなかった。内外角に投げ分けられて打ち取られました。調子がいい時は誰でも抑えられると思うんですけど、調子が悪かった時に抑えられたのでいい投手だなと感じました。自滅がない」「背は高くないと思うんですけど、右打者のアウトコースにいい真っすぐを投げ込んでくる」「あの試合も球のキレは良くなかったけど、制球良く投げ切られたから抑えられた。キャッチャーのサインにもしっかり応えて投げ切ってるイメージ。キャッチャー次第でいろんな投球ができるんだと思う」 安定感のある投手のようね 今のタイガースはピッチングスタッフが豊富だけど 今年の青柳さんや伊藤さんのように1年を通じて期待を裏切るようなこともあるわけだから 安定した投手は絶対必要よ2位は世代ナンバーワンの今朝丸裕喜投手今朝丸投手(報徳学園)は2代目も欲しいなとおもってた投手なんだけど「多分2巡目には残ってないだろうな」って予想してたから嬉しいな右投げ本格派で188センチ 150キロ越えのストレートで押せるってとこが最大の魅力だわ まだ全体に身体が細くこれからしっかり鍛えていかないといけないから 3~4年後に力を出してほしいという「将来期待型」の指名よね3位はKMGホールディングスの木下里都投手この投手について2代目は全く知りませんでした 183センチで右投右打の本格派投手ですが高校時代までは主にショートで 大学に入ってから投手に転向したのよ 今年になって156キロを記録して往路が注目する投手になったんだけど 本人は「プロを目指して野球をしてきたのではなく、野球を好きで続けてきたら、プロに誘われた」って言ってるわ「本当にプロ野球、分かんなくて。セ・リーグがどこかも分かんないんですよ」などとぼけたようなコメント 「ヤクルトの村上選手ってすごいじゃないですか、ヤクルトってどっちなんだろう?」 これはすごいよ 少年時代からずっと野球やってるのにプロ野球についてほとんど知識がないって???こういうタイプは大化けするよきっと!4位は埼玉武蔵ヒートベアーズ町田隼乙捕手独立リーグを代表する大型捕手と言われるだけあって186センチ88キロの堂々とした体格してますが 関東のチームで観る機会もない2代目は全く知らなかった選手ね 21歳だし田淵さん以来の大型捕手を目指して頑張ってほしい最近の2年間は2月の沖縄具志川2軍キャンプにアルバイトに来ていたんだって 高橋遥人投手はブルペンでタッグを組むなど縁があったので指名後は祝福のメールを送り「びっくりしました。いっぱい連絡来ていると思ったので少しだけ。(縁がある)タイガースという意味も込めて」と明かしてます5位は富山GRNサンダーバーズ佐野大陽内野手この選手も独立リーグ出身 178センチ81キロのバランスの取れた体格で俊足好打の内野手として評価されました タイガースでは今だにポジション争いが続いているショートですが 佐野選手もショート これから厳しいチーム内での戦いになるよ 頑張ってね育成ドラフト育成は独特の指名だった気がするよ 3名が独立リーグだしあと1名は今年からウェスタンリーグに加わった「くふうハヤテ」の選手 2位の嶋村選手は高知商だから藤川監督の後輩ね 皆さん支配下目指して頑張ってください工藤 泰成(四国ILplus・徳島)東京国際大時代から評判の高かった球速は徳島の地で最速159キロに到達。アベレージも150キロ前後をマークする出力の大きさが魅力の今季独立リーグ最速右腕。粗削りながら140キロを超えるフォークも備える。嶋村 麟士朗(四国ILplus・高知)森友哉(オリックス)らを想起させる「打てる捕手」。パワーだけでなく逆方向にも本塁打を放つなど技術力も高く、今季打率も3割を軽々とオーバー。二塁送球タイム1秒8をマークする強肩も兼ね備えている。早川 太貴(くふうハヤテ)道立高、国立大を経て、昨年までは市役所で勤務しながらクラブチームでプレーしていた異色の大型右腕。最速150キロを投じ、今季は25試合に登板し防御率3.22。阪神戦は6試合で防御率0.35と相性の良さを見せた。川崎 俊哲(NOリーグ・石川)思い切りのいいスイングで広角に力強い打球を放つ内野手。2024年は39試合に出場し、打率.282をマーク。リーグ4位の15盗塁と脚力でも存在感を示した。
2024年10月27日
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非公認候補の支部に2000万円2代目タイガース非公式サイトです これまで政治のことについては書いてこなかった2代目だけど さすがにこれは「???」となったよ 自民党はパーティ収入のキックバックを政治資金報告書に記載していなかった人の中で高額で悪質な候補者を衆議院選挙で公認しなかった 裏金に厳しい視線を送る世論に応える意味で理解できるし 選挙の戦略としても悪くない選択だったとおもってたのよ ところがこの対象となった人が代表を務める地方支部に対して各2000万円が振り込まれれていたと聞いて ある意味「やっぱりな」と・・・ 森山幹事長さんは「党勢拡大のための活動費」という意味で「候補者個人の活動費」じゃありませんと苦しい言い訳をしてるけど 世間はそんな説明では納得できないとおもう ちなみに法令違反ではないようなので付け加えておきますけど偽装非公認? さすがの石破さんもきれいごとばっかり言ってたところで大負けしてしまうわけにはいかないよね 政権終わっちゃうから だから世間に向けては「非公認」と突き放したように見せかけつつ 裏でちゃんと支援はしておき もし当選して這い上がってきたら「追加公認」するってことなのよこれは共産党の「しんぶん赤旗」のスクープなんだけど 投票日の4日前に表ざたになったのは自民党にとってかなりの痛手じゃない? 無党派層や無関心層はどう動く? どうせ岩盤支持者の多くは選挙活動があるから期日前投票しちゃってるし 昔ながらの自民支持者も期日前に行く人多いのよ これから投票する人の多くは投票先をまだ決めていない人や今まであまり投票に参加してなかった人ねこのスクープで頭に来た人は多いとおもうよ 人を馬鹿にしてるから そういう人たちが27日までにどんな反応や態度を示すか たぶん比例の票は伸びないとおもうから石破政権は追い込まれるかもしれないね
2024年10月24日
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背番号26(その4)背番号26の第4回目です今回3名を紹介するけどそのうち2人は多くのタイガースファンにはなじみの薄い人かな 3人目の工藤さんは既に背番号「19」で紹介してるよ 小林繁さんの加入で「19」を譲り「26」に変えた投手ね相羽欣厚(あいばよしひろ) 外野手愛知県大府市出身で高校は名門中京商業(現中京大中京高校)に進み、3年時には春夏甲子園に出場して夏にはベスト8。高校から直接プロ入りしており、1962(昭和37)年、読売ジャイアンツへ入団している。入団1年目から11年間一軍の試合に出てはいるが、1967(昭和42)年の80試合が最多だが、それでも138打席にしか立っていない。主に代打や守備固めでの起用が多かったが1965(昭和40)年には4試合でスタメン4番を打ったこともあり、ジャイアンツの「第31代4番」として名を残している。1972(昭和47)年オフ、金銭トレードで南海ホークスへ移籍。1年目の1973(昭和48)年には自己最多の87試合に出場し223打数64安打18打点4本塁打で打率も.287というキャリアハイを記録して貢献。しかし、翌1974(昭和49)年は48試合にしか出場できずタイガースとのトレード要員となり、村上雅則と共に、和田徹と野上俊夫との交換トレードでタイガースへ移籍し背番号「26」を着けることになる。1975(昭和50)年、タイガースでは左投手用の代打として起用されたが、27試合の出場に終わり32打数5安打2打点、打率156という数字しか残せないままオフに現役を退いた。引退後はタイガースに残り、1984(昭和59)年まで二軍や一軍で打撃コーチや守備走塁コーチなどを歴任している。1985(昭和60)年から2年間、日本ハムファイターズでも一軍打撃コーチを務めた。1988年1月29日、膵臓癌のため逝去、まだ44歳の若さだった。切通 猛(きりとおし たけし) 外野手兵庫県姫路市出身で県立姫路南高校に進み、4番レフトとして夏の地区予選決勝まで進んだが惜しくも市立西宮高校に5-6で敗れている。卒業後は芝浦工業大に進学し、東都大学リーグ通算では42試合84打数12安打4打点、打率.143という成績しか残せていない。1968(昭和43)年、社会人東芝へ入社し都市対抗では4番として活躍し同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから9位で指名を受ける。切通はこれを保留して1969(昭和44)年の都市対抗に三菱重工川崎の補強選手として出場しベスト4に進み、大会終了後に阪急と契約しプロ入りした。 高校時代から怪力で知られていたがプロ入り後は出場機会に恵まれず、阪急に在籍した7年間で一軍公式戦には37試合にしか出ていない。阪急での通算成績も37試合38打数8安打4打点2本塁打、打率.210という寂しいものだ。1975(昭和50)年のオフ、金銭トレードでタイガースへ移籍。背番号は引退した相場の「26」を継承する。タイガース1年目の1976(昭和51)年ウェスタンリーグでは8本塁打を放ってタイトル獲得。一軍でも20試合に主に代打として起用される。1977(昭和52)年、吉田監督は切通を代打として積極的に起用し、右投手に対して切通~桑野議という順で代打攻勢をかける形を定着させている。1978(昭和53)年も主に代打起用で47試合に出場しているが、同年で現役を退いた。通算成績は10年188試合247打数59安打12打点5本塁打16四球43三振、打率.239だった。引退後はタイガースに残りコーチ補佐をしながらトレーナーの資格を取り、1982(昭和57)年から7年間二軍トレーニングコーチを務める。1983(昭和58)年には右足太腿の筋肉断裂の重傷を負った岡田彰布をリハビリで見事に復帰させるなどトレーナーとして有能だった。1989(平成元)年にはフロント入りし2年間スコアラー、1991(平成3)年には現場に戻りトレーナー、1994(平成6)年から再びフロントに入り主にスカウトとして貢献、関本賢太郎、濱中治、藤川球児などを発掘し2000(平成12)年に退職した。2015年6月15日、71歳で逝去。工藤一彦 投手(再掲)背番号19-3ですでに紹介しているが全文を再掲する 茨城県筑波郡谷田部町の出身で高校は土浦日大高校。中学時代から知られた存在だったが、ある日土浦日大の見学に行くと監督から「工藤君ちょっと投げてみろ」と言われてマウンドに立たされた。工藤は当時の土浦日大レギュラーを相手に9連続三振を奪って監督をうならせ、「俺たちと一緒にやろう」と誘われて入学を決めたという話が残っている。高校時代は銚子商業の土屋正勝、横浜高校の永川英植、鹿児島実業の定岡正二とともに高校四天王と呼ばれ、3年時の1974(昭和49)年は甲子園に春夏出場しているがともに2回戦敗退。ただし秋の国体では銚子商に勝って優勝している。同年のドラフト会議ではタイガースの2位指名で入団し、背番号「19」を背負う2人目の投手となった。ドラフト1位は丸善石油の古賀正明だったが、球団の期待度は工藤のほうが高く、示された契約金や年俸も2位の工藤より安かったために入団を拒否、翌年改めて太平洋クラブライオンズの1位指名を受けてプロ入りするという波紋も残した。1975(昭和50)年、実際にプロ入りしてみると186センチ90キロの堂々たる体格の割に工藤のストレートは130キロ台半ば程度に過ぎず、どちらかというと回転数が少ない球質だった。しかしほかにこれという変化球もない状況では、すぐ使える投手ではなかった。 まずプロ入りから3年間は一軍登録すらされていない。4年目の1978(昭和53)年8月にようやく初登板したが、投げたのは2/3イニングのみ。しかも5安打を浴びて5失点、防御率67.50という不名誉なシーズンに終わった。プロ入り5年目の1979(昭和54)には背番号を移籍してきた小林繁に譲って「26」に変更し、ここからブレイクしている。31試合(先発18)に登板して7勝8敗の成績で完投も2試合あり、防御率は4点台ながらものらりくらりと抑えてしまうという特徴を見せた。芽が出ない間にフォークボールをマスターしたことがこの年の転機になったと言われている。1980(昭和55)年は引き続き先発とリリーフ掛け持ちで使われ5勝10敗と負け越してしまう。しかしローテーション投手として固定された1981(昭和56)年に9勝9敗、1982(昭和57)年には念願の二けたとなる11勝8敗でオールスターにも出場、さらに1983(昭和58)年はキャリアハイとなる13勝10敗の好成績でエース級の働きをしている。 1984(昭和59)年に肘を痛めて7勝5敗に終わると、1985(昭和60)年に就任した吉田義男監督は工藤を中継ぎに戻したが、ローテーションの谷間では先発もこなしている。この年にはもともとスリークォーター気味だったフォームをサイド気味に変えたが6勝どまり、翌年が5勝、そして1987(昭和62)年の3勝を最後に勝ち星と縁が無くなる。その後も肘の状態は回復せず、1990(平成2)年まで在籍したものの3年間白星がないまま引退に追い込まれた。通算成績は308試合66勝63敗4セーブ623奪三振、1186回2/3で自責点533、防御率は4.04というもので、勝ち越しているのは立派だ。高校時代に騒がれた四天王のうち工藤だけがドラフト2位で、他の3人はいずれもドラフト1位だった。しかし他の3人のだれよりも現役年数が長く登板数や勝ち星も一番多かったことを思えば、よくやったほうだと言えるかもしれない。まとめ工藤さんは江川卓さんの次の世代で甲子園でも評判だったらしいけど 先代に聞くとプロ入り後はスリークォーターになってストレートの球速は127~128キロになってしまってたって どこかで故障でもあったのかな 4年間着けた「19」を小林さんに譲って「26」に変えたんだけど12年間「26」で頑張ったのよ相場さんと切通さんは他球団で長くやってからトレードでタイガースに来た人たちです 来た時には完全にピークを過ぎてるからあまり期待もされなかった 当時のタイガースはこういうケースって多かったのよ 現役晩年にくることが多いから活躍できた人は少ないよね26の5につづく
2024年10月23日
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阪神は21日、来シーズンの1、2軍の監督・コーチ陣容を発表した。今季まで2軍野手を担当した上本コーチが1軍打撃に配置転換され、藤川新監督を支える。 打撃チーフには今季までオリックスで打撃コーチだった小谷野栄一氏が就任する。2軍では、藤川新監督と同い年で、今季までオリックスの内野守備走塁コーチを務めた梵英心氏が打撃コーチとして新入団する。 【1軍】 監督 藤川球児(44) 総合コーチ 藤本敦士(47) 投手チーフコーチ 安藤優也(46) 投手コーチ 金村暁(48) 1、2軍打撃巡回コーディネーター 和田豊(62) 打撃チーフコーチ 小谷野栄一(44) 打撃コーチ 上本博紀(38) 内野守備走塁コーチ 田中秀太(47) 外野守備兼走塁チーフコーチ 筒井壮(49) バッテリーコーチ 野村克則(51) ブルペンコーチ兼ブルペン捕手 片山大樹(49) 【2軍】 監督 平田勝男(65) 投手チーフコーチ 久保田智之(43) 投手コーチ 江草仁貴(44) 投手コーチ 渡辺亮(42) 打撃チーフコーチ 北川博敏(52) 打撃コーチ 梵英心(44) 守備走塁チーフコーチ 馬場敏史(59) 内野守備走塁コーチ 山崎憲晴(37) 外野守備走塁コーチ 工藤隆人(43) バッテリーコーチ 日高剛(47) 野手コーチ 俊介(37) やっぱり水口コーチは残らなかったんだね 今シーズンの成績に責任を感じてたようだし岡田監督と一緒に引いたってことね 2軍の投手部門は3人ともほぼリリーフ専門だったよね ちょっと気になるところかな? 和田さんは具体的にどういう動きをするんだろうね なんとなく「名誉職」みたいに見えちゃうよ それとも昇格・降格を決めるときの相談役ってことかな?まだまだ紅葉🍁には早いけど いい感じでしょ?これは作るの苦労したんだよ
2024年10月21日
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前川君フェニックスリーグで覚醒2代目タイガース非公式サイトです宮崎で実施中のフェニックスリーグで前川君がすごいことになってるわよ この2年間は岡田監督が期待を込めてかなり使ってくれてたよね 前川君もよく頑張ってたけど好打者という感じの成績だったのね いろんな評論家の人もバットコントロールのすごさやミートの確実さを褒めることが多かったけど 2代目は長距離砲としての素質のほうが伸びてくれないかなあってちょっと物足りなかったそれがこの秋に覚醒したのかホームランがポンポン出るようになってきたって言うのよ 「待ってました!」 前川右京の“快音”に「来年がますます楽しみやね」阪神・前川右京外野手から目が離せない。20日、みやざきフェニックス・リーグの巨人戦(アイビー)に出場し、5回に先制2ランを放った。21歳の躍動に「虎の柱になれ」「未来明るい」「来年がますます楽しみやね」と歓喜の声が上がっている。前川は「5番・左翼」で出場。0-0で迎えた5回無死一塁で、巨人の先発・京本眞投手から右越え先制2ランを放った。18日のDeNA戦でも右翼に3ランを放っており、2試合連発となった。2021年ドラフト4位で阪神に入団。高卒3年目の今季は116試合に出場して打率.269、4本塁打、42打点の活躍。期待の21歳は、さらなる飛躍を遂げるためフェニックス・リーグで鍛錬を積んでいる。前川の好調ぶりにファンは「1軍だと長打が課題の打者だからフェニックスとはいえポジれますね」「必ず物凄い強打者になる!」「格が違うわ」「1軍経験の差が凄い」「毎日放り込んで」などの声を上げている。さらに、入団4年目での“覚醒”を期待するコメントも目立ち「鈴木誠也曲線あるな」「藤川監督絶対見てるよ?」など、背中を押す声も広がっていた。(Full-Count編集部) フルカウント編集部さんの記事を丸々載せさせていただいてます 申し訳ありません こちらが記事ですのでご覧ください 虎の逸材は「物凄い強打者に」 21歳が南国で快音連発…望まれる“覚醒”に「未来明るい」 来季は二けた狙ってほしい! ホームが甲子園だからって悲観していてはダメよ 東京ドームや神宮や浜スタで量産してやればいいのよ 前川君は当てる技術は一級品だから崩されても苦しい体勢からミートしてヒットを打ててしまうんだけど それやってるといいことは無いよ 無理なボールは見送るなりファウルして 自分のポイントで打てるボールを確実にとらえられるかどうかね きっと大打者になれるって!
2024年10月21日
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生誕75周年の新グッズがいっぱい!2代目タイガース非公式サイトです 実は9月終わりから10月上旬に開催されたんだけど今まで記事に揚げるタイミングがなくて ということで自分でも記録に残しておきたいので時期は外しちゃいましたが今回取り上げておきますね 会場はJRナゴヤタカシマヤ10階催事場でした 誕生して75年目を迎えた「ピーナッツ」 スヌーピーも75歳ということね 今回は75周年を記念する限定グッズといろんなメーカーの新作グッズを集めたマーケットという感じで開かれました会場内の様子 スヌーピーの特徴は中高年の女性に絶大な人気があることかな ハローキティやミッフィーとかディズニーキャラなどと比べても明らかに年齢関係なく支持されてる感じなのよ 行ったのは9月30日なので月曜日ということもあって子供の姿はなく 中高年の年代の人が目立って多かったわ 大型のディスプレイもあちこちに飾られていて記念写真を撮ったりできます 来場する人たちのお目当ては やっぱり新作のグッズ類 文房具や食器類その他雑貨などが並んでて見てるだけでも楽しいです ちょっと紹介しようかな これは「日焼けしたスヌーピー」です サーフショップハワイさんの新商品 日焼けスヌーピーのぬいぐるみもあるよ まさに「まっ黒」 これは人気があって結構売れてた サーフボードに乗ったスヌーピーもいました スヌーピーらしくないスヌーピーも新作で出てた ちょっと顔つきが違うよね スヌーピーは毎年たくさんの新作が出てくるし 5年ごとのアニバーサリーには限定商品が作られるのでこうしたイベントが結構あるのよ 2代目もいつも楽しみにしてる 会場を見て歩くだけでも楽しめるから皆さんもぜひ行ってみて! と言いたいとこだけど とっくに終わっちゃったのでまた次回 タイムリーにご紹介できたらいいなとおもってます 2代目もいろいろグッズ買いましたが ご披露するのはやめとこう というより写真撮ってないのよね次の機会を待っててね じゃあまた!
2024年10月20日
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日本三大名湯下呂温泉2代目タイガース非公式サイトです2代目は温泉が好きで毎年必ず「名湯」の評価が高いところに行くのね 今年は7月に地元岐阜県の下呂温泉に行ったんだけど そのころシーズンたけなわでブログに紹介することができなかったのねやっとシーズンが終わって一段落したので さかのぼって紹介しておくことにします 2代目にとって地元の県だから全国の人にも知ってもらいたいしねJR高山線下呂駅下呂駅はそんなに立派なつくりじゃないわね でも駅を出るとそこからもう温泉街が始まってるからいきなり別世界に足を踏み入れることになるのよ 電車だと特急で名古屋から1時間50分くらい 2代目は自宅から車で行ったんだけど3時間くらいかな 東海北陸自動車道が富山まで完通したのが2005年で それから観光客が増えたね 2010年くらいからインバウンドの外国人観光客も多いのよ 高山まで車で1時間弱ということもあるし世界遺産の白川郷へもアクセスはよくなったから 温泉を楽しみながら飛騨観光するには便利な位置にあるんだよね広大な温泉街 下呂の温泉街は 真ん中を流れる飛騨川(長良川の支流)で2つに分断されてます それぞれがかなりの規模で 川の東側が山が多く斜面に温泉宿が立ち並んでるよ 西側は下呂駅を中心に温泉宿や繁華街になってる 夜の街も食べ歩きや飲み歩きしながら足湯に入ったりする人たちが散策してる 足湯は町の中に10か所以上あります 裸足になって裾をまくって足を入れると 足で温まった血液が心臓に戻って来て そこから全身を循環するわけよ 足を入れてるだけなのにしばらくすると体がポカポカになってくるわよ 下呂に来たらぜひ試してほしいわ 冬場のほうが効果が好くわかるよ下呂温泉の老舗「水明館」 今回2代目は「水明館」に泊まりました ここは下呂温泉でも超老舗で全国的にも有名だよね 過去には天皇陛下もお泊りになってる 建物は大きく「山水閣」「飛泉閣」「臨川閣」「青嵐荘」の4つがあってそれぞれ特徴があるのよ 2代目は「臨川閣」の露天風呂付の部屋にしました ここの上層階にはバルコニーに陶器製の露天風呂がついてるから温泉街を眺めながらゆったり湯につかることができて気持ちいいお部屋の様子 ゆったりしてる お部屋は12畳+6畳とバス・トイレで 広縁と露天風呂がついてる構成になってたわ 眼下は飛騨川が流れていて ちょっと雨のあとで増水してたから夜静かになると川の流れる音が大きく聞こえて 少しうるさかったな バルコニーの露天風呂には源泉が引かれていていい気持ち 足湯にもできるようにベンチのようなところが作ってあります ちょっと2代目も登場してどんな様子かわかる写真を載せておくよ 結構広いのよ 立ち上がると川向こうの建物から上半身丸見えなので 中腰で移動しないとヤバいというのはあるけど 川風が流れてきて7月の暑い日のわりには夜は涼しく感じました 風呂上がりにビールとか飲めるようにテーブルとイスも置いてあるよ 下呂温泉の泉質は城崎温泉に似ているのよ! アルカリ単純泉って言うのかな 特徴は無色透明で無臭 お湯に入ってすぐ肌がツルツルするのがわかるわよ こういう感覚は城崎温泉のお湯とそっくりなのお料理も美味しい館内の広さや庭の美しさに圧倒されます 翌日は 高山市内を観光 下呂からは車で1時間程度なので高山観光が十分楽しめました あまり撮ってなかったので 味気ない写真だけど載せておくね 〆は「キッチン飛騨」の飛騨牛ステーキを満喫 高山ではかなりの老舗になってきた「キッチン飛騨」 外観も店内も完全にヨーロッパ風で雰囲気が素敵なのよ もちろん5等級の飛騨牛が目的です ここのステーキは 抜群に美味い! 値段も高いけど味わいは最高です 高山に来たら奮発してぜひ試してみてほしいですね 下呂温泉は県内なので今年の冬の間にもう一度行ってみたいとおもってます 雪が降ってるときの温泉ってすごく好いものなんですよ 三大名湯って書いちゃったけど・・・ 城崎温泉は西の大関 下呂温泉は西の小結 いろんな評価があるから番付表もさまざまみたいだけど お湯の素晴らしさでは負けないよ 特につるつるしてお肌にいいから女性にとっては一番だとおもう
2024年10月18日
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背番号26(その3)背番号26の第3回目をはじめるよ今回はちょっと異質で 皆さんもあまりなじみのない選手ばかりが出てくるとおもう 渡辺さんが14年間つけたあとだけに 背番号「26」がかすんでしまった時代と言えそうね久野剛司(ひさのたかし) 投手久野は大阪府八尾市出身。府立八尾高校1年の時にエースとして夏の甲子園に出場しベスト4まで勝ち進んでいるが、その後の2年生以降は卒業まで甲子園の土は踏めなかった。高校卒業後は同志社大へ進み、ここでもエースとして活躍している。大学通算成績は70試合に登板して33勝16敗、188奪三振で防御率は1.52という堂々たるものだ。 1965(昭和40)年のドラフト会議でタイガースが4位指名し、内定していた河合楽器に断りを入れてプロの道を選んだ。背番号は引退した渡辺省三の「26」を受け継ぐ。 ルーキーイヤーの1966(昭和41)年には、いきなり38試合の登板機会があった。しかもそのうち14試合は先発に起用されている。しかしシーズン成績は1勝6敗。これは当時のタイガース打線があまり援護できていないことも影響しており、防御率は2.81と悪くはなかった。1勝は8月の広島戦での完封勝ち。2年目以降への期待感はあったようだ。 ところが1967(昭和42)年は一軍での登板は無く、1968(昭和43)年が11試合1勝2敗、1969(昭和44)年も12試合1勝0敗と満足に投げていない。 当時どういう評価だったのか記録や証言が残っていないのでわからないが、大学時代の数字から見れば完全に期待外れになっている。 1970(昭和45)年、シーズン途中で西鉄ライオンズへ移籍していったが1971(昭和46)年に現役引退する。 プロ通算成績は80試合3勝8敗162回1/3を投げ71奪三振、自責点67、防御率3.72だった。プロ入り後に大成できなかった理由はよくわからない。山本重政 投手兵庫県加東郡社(やしろ)町出身。県立社高校に進み2年生の夏の地区予選で毎回奪三振を奪うパーフェクトゲームを達成し一躍注目の投手となる。翌年の夏の予選でもノーヒット・ノーランを記録しており、鳴り物入りで立命館大へ進学している。1962(昭和37)年、大学1年の春季から登板し3勝を挙げる活躍にほれ込んだのが近鉄バファローズ監督の別当薫で、シーズン中に説得に赴いたことで、山本は同年で大学を中退して近鉄へ入団する。 近鉄では1963(昭和38)年から8年間プレーしたが、当時はパ・リーグのお荷物球団と呼ばれる弱小チームであったため、山本は一度もシーズンで勝ち越していない。1966(昭和41)年は防御率2.72にも関わらず、8勝19敗と惨憺たる成績に終わっている。 1967(昭和42)年から3年間は勝ち星がなく、1969(昭和44)年オフに戦力外、自由契約選手となった。 地元兵庫出身ということもあってタイガースが手を差し伸べ、1970(昭和45)年に途中入団、背番号は西鉄へ移籍した久野から「26」を引き継いでいる。 タイガースでは、2種類のカーブを主体にする技巧派に転じ、中継ぎとして貴重な仕事をしており、7年間の在籍中に防御率2点台の年が4回ある。1973(昭和48)年には背番号を「35」に変更している。1976(昭和51)年はわずか2試合しか登板は無く、現役最後のシーズンになった1977(昭和52)年は背番号も「63」となって、現役でありながらほぼ1年間バッティング投手として過ごし引退している。 通算成績は424試合40勝67敗4セーブ、1117回2/3を投げ奪三振782、自責点420防御率3.38だった。 引退後はそのままタイガースに残り、24年間スコアラーを務めたのちフロント入りし、2007(平成19)年に退社した。スコアラーとしての手腕は高く評価されている。森山正義 外野手長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)の出身。高校は東京の佼成学園へ進み3年時の選抜大会で甲子園を経験したが初戦で敗退している。明治学院大に進むとスラッガーとして開花し、首都大学リーグだけでなく日本の全大学野球リーグにおいても最多となる通算26本塁打を放った。これは2024年現在でも最多記録になっている。大学通算成績も100試合367打数110安打80打点、打率は.300を記録しベストナインにも4度選ばれている。文句のつけようがない成績だ。1972(昭和47)年のドラフト会議ではタイガースが2位指名で獲得に成功し入団が決まる。大学のホームラン数26本にちなんで、山本重政から背番号「26」を譲られている。これほどの素材だったが、森山は1973(昭和48)年から2年間在籍しただけで1度も一軍の試合に出ることもなくトレードに出されてしまう。入団前から肩痛と腱鞘炎に悩まされていたためで、ファームの試合では4試合連続ホームランなども記録してはいるが、一軍で使えるというめどが立たなかったからだと言われている。1974(昭和49)年オフに阪神5人に対しロッテ2人の交換トレードで放出され、1975(昭和50)年から1979(昭和54)年まで5年間をオリオンズでプレーして引退する。 タイガースでは試合に出ていないためロッテでの成績が生涯成績になる。通算の数字は25試合18打数0安打0打点0本塁打3盗塁1四球6三振で打率0割・・・これはほぼ代走要員の数字だろう。大学時代の華々しい活躍に程遠い結末だった。 1997(平成9)年から母校である明治学院大のコーチに就任、2005(平成17)には野球部監督を務めた。まとめ今回の3名は大きな貢献ができなかった選手たちね 山本さんだけは毎年20~30試合を投げてくれて中継ぎ役や敗戦処理など地味ながら貢献はしてくれたようだけどね久野さんと森山さんは大学時代の記録を見ると驚くんだよなあ この数字でプロ入りしたなら常識ではピッチャーは100勝以上、打者では1500安打くらいは軽くクリアできそうにおもうんだけどプロは厳しいのね このお二人は2代目が探した限りでは残念ながら画像は発見できませんでした26の4につづく
2024年10月17日
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秋の山へキャンプに行きたい2代目タイガース非公式サイトです やっと朝晩が涼しくなってきたね 空も抜けるように蒼いし 秋は山の中の林へ行くと空気が澄んでて気持ちいいんだよ でもね冬眠にむけてクマがなんでもモリモリ食べるシーズンでもあるわけ いまは栗やクヌギのなど実が豊富だし 里山では柿や梨も狙われる キノコなんかは食べるのかどうかな? においに敏感だからバーベキューなんかしてたら出てきそうね子連れの母グマ 山歩きで出くわしたら殺されるよ! 2代目の住んでる地域は割と山に近いのよ 一番近い山まで5~6kmくらいかな 10kmもいくとかなり深い山にも行けるんだ だから山に近い住宅地にイノシシやクマが出てくることもあるんだよ 林道やドライブウェイを走ると鹿やサルに出くわすことなんか珍しくないのよね サルはバッグとか持って行っちゃうし気が強くて力もあるから怖いよ 動物は好きだけどクマだけは怖い 2代目の住んでる辺りではツキノワグマだからヒグマのような巨体じゃないわ でも人間の力じゃとても歯が立たない 現実に目の前で見たことがあるのはシカ・サル・イノシシ・キジでクマはいまだに出会ったことないのよ 聞くところではクマが一番臆病なんだって 人の気配があると自分から避けていくから普通は人間のほうは気が付かないのね 渓流などの音でお互いの気配がわからずふいに鉢合わせした時が危ないそうよ ということでなかなかキャンプに行く勇気がないので ちょっと行った気分になろうと生成AIでイラストを作成してみたよ 同じ構図でリアル版とアニメ版を作ってみたので掲載しますね1 リアル版2 アニメ版 では見てくれてる人に質問です! リアルとアニメのどっちが雰囲気出てると感じたかな? コメント欄に1または2でお答えください できれば感想も(『透明感がある』とか『ミニスカが好い』とか) どうせ誰も回答くれないか・・・ と半分ふてくされてお待ちしてます ミニスカは要求したわけじゃなくAIの趣味なのか勝手に描いてきたのよ!秋キャンプじゃなく安芸秋季キャンプなら行こうかな
2024年10月16日
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藤川新監督 岡田イズムを継承!2代目タイガース非公式サイトです 10月14日午後 大阪市内のホテルで藤川球児さんの監督就任記者会見が開かれました 就任するにあたって藤川さんは 「岡田監督が指揮をとった2年、非常に強く、チームも成熟してきた。岡田監督が残した思いをつながないといけない。ぜひ応援よろしくお願いします」と述べて岡田イズムの継承を宣言しました背番号は現役時代にも背負った「22」をつけます 背番号史でも書いたけど2020年に藤川さんが引退したあと4年間空き番になっていたのよ この日のために空けてあったということかな では藤川監督の一問一答をタイガース公式サイトから-阪神タイガースの監督就任が決まりまして、今の率直な気持ちから教えてください。オーナーの方からも言われましたけれど、このチームではビジョンがあって、もう幾数年にも実はそれが繋がっていて、その中で岡田監督が指揮を執られたこの2年間に非常に強く、それからチームも成熟してきたのは自分も見てみていて、それから僕もチームの中から外から両方で見てきたところがあったので、この流れになったのかなと。自分自身は全くわからなかったですけれど、愚直に真っ直ぐにこう仕事をしてる中で、そういうものが見えてきたというところでお受けしましたね。-就任を要請されて就任を決断するに至った理由というのを教えていただいてもいいでしょうか?特にないです。今、自然なのかなと。やっぱり僕はタイガースに18歳で入ってアメリカに行ったり、それから自分で選択して独立リーグにいたりとかしてる中で、自分の下す決断っていうのに少しずつ自信を持てることができて、どんな道をおそらく選んでも自分の中で正解にできるんじゃないかというところが、ここまでの自分の自信にもつながっています。 なので、うまくいかないことはあると周りが言うかもしれないですけど、僕はどちらにしても大丈夫と思ってますので、それは自分の決断に間違いはないと思います。-岡田監督は恩師であられると思いますが、その後を引き継ぐということについては、今どんな思いをお持ちでしょうか?おそらくそれも全て必然であって、大きな阪神タイガースという来年90周年を迎えるこの流れ。そして僕の1年目が、岡田監督が阪神タイガースのファーム監督1年目ということで、全ての流れが、たまたまかもしれないですけど、それを自分の中で紐解いていくわけですね、人間なので。その中でどう受け取ろうかなとするよりも、これが自然なのか不自然なのかというところを考えた上で、何も不自然なことがないというところで、これも運命なのかなと、従えばいいという感じですね。-その岡田監督から学んだことで、今でも大切にされていること。それからこれから監督として活動していく中で、大切にしていきたいことあれば教えてください。選手の間だったり球団のSAとしてチームをサポートする側でいる時、外で解説している時には気づかなかったんですけど、いざ、この前に立って、この会見とともに監督がスタートするんですけど、やっぱり普通にやったらいい、これに尽きるのかなと。これがリーダーの仕事かなと思いますね。-先ほど杉山オーナーから背番号22番という発表も改めてありました。この22番は岡田監督が託してくれたところでもあると思いますが、この現役時代から背負った番号を監督としても背負うということについての思いをお聞かせください。正直、岡田監督からもらっていなかった番号であれば、全くこだわりはなかったです。僕自身が30番で入団して、それから92、それから22。アメリカで11番、それから21番、高知で11番、阪神に戻って18番とたくさんの番号つけてきましたけど、自分の中で結果がよかったこと、みなさんの印象に残っていること、全て含め、番号も空いてますし、全てが流れなので、そこに抗う方がおかしいんじゃないか。何もおかしいことじゃないなと。 僕は背中が見えないので、いつも何番でもいいと言うんですけど、みなさんから見た時に、今後は選手から見た時の印象がありますから、そういう距離感という意味では近く見えるかもしれないので、いいかもしれないですね。-藤川監督がどんなチームを作るのかというところでも非常に注目が集まっていると思いますが、藤川監督の理想のチーム、それから理想の野球を教えてください。あまり本当は言いたくないですけど、戦う前に。チャンピオンチームだった昨年であれば思うんでしょうけど。僕は、どちらかというと、新たに就任する監督であって、コーチともまだビジョンを組んでないわけですね。その段階でメッセージとして固まってしまうことは正直控えたいかなと。 岡田監督と戦ってきたコーチたち、選手たちが持っている野球観っていうのがすごく大事なので。僕としては前回岡田監督が監督だった08年の時の09年以降の野球を自分の中で覚えてまして、野球のベースが移り変わった記憶があって。 そこで選手たちが岡田監督という素晴らしい強烈なリーダーシップを持った野球から、僕自身もそうですけど、簡単にパッと変化できなかったというのがあって、なのでいかに流れの中で、いわゆるチャンピオンチームの巨人の阿部監督を倒していったりとか、他球団と勝負していかなければいけないという意味では、時間があるようでないので、そこは意思疎通を図ってから、決断を下したいと思いますけど、まだ見ていないので。-ユニフォームを脱がれてからも、スペシャルアシスタントや解説者としては常に外側からも阪神のことを見守って来られたと思いますが、現状のチームというのを、今、藤川監督はどう捉えていらっしゃいますか?前年度日本一、そして今年も2位まで強烈な追い上げ、岡田監督とたくさんプレーしてきたので、まあ監督力です、ハッキリ言えば。選手たちは素晴らしく脂が乗ってきているとは思います。 ただ、僕も岡田監督とともに戦ってきて、岡田監督というのは、駒が変わっても同じような順位に持ってくる力がありました。なので、これで僕も頑張ります。 だけど僕が来たことで例えばチームが下がってしまうようなことがあれば、選手たちも力がないということになりますから。僕は09年以降、必死でチームを支えたっていうのもありますから、そういう意味で選手たちの本気度と、現状維持で今いるような周りから見えるような選手は危機感持って臨んでもらいたいなと思います。-チームの強みはどのあたりでしょうか。そこはファンの方々、メディアのみなさんと同じかと思いますけど、3点ほど取ったらゲームをきっちり終わらせてくれる。安定の野球です。僕もそこは一番ベースになります。 面白みがある野球ではなくて、スルッと気づけばゲームが終わっているというのも、それが狙いですけど。そういうゲームって後ろからいくリリーバーが出やすいんですよ。 ゲームの流れのよどみをつくらないようなゲーム展開にしたいというのはありますから。あとは選手たち、コーチたちが、さらに呼吸が早くなるよう岡田監督が引っ張ってくれたと思うので、選手たちやコーチたちが常に忙しく呼吸しているようなこの秋、春、開幕まではそんな時間にしたいと思いますね。-最も強化すべきポイントはどんなところでしょうか。まあ非常に難しいんですけど、ベテランと言われる選手。僕もベテランの時期を実際過ごしました。その中で僕たちが現役を引退して、いよいよ、優勝はしました。勝てば勝つほどプレッシャーが高くなり、求められる責任感というのが大きくなります。 その中で、どんな選手がそれを少しでも、監督、コーチじゃない立場からその気持ちを受け流して、『いや、こういう時はこうするんだよ』っていうような、プレイヤーの中での気持ちの安らぎというかね。力が必要ですよ。 もちろん。選手にも力が必要ですけど、ベテランの選手で、ただ空気がいいだけでは、それは選手には必要ないんで。力もあって、周りの意見を汲み交わしながら、橋渡しとは言わないですけど。うまくファンとか選手から見た首脳陣とか。そうですね、全てを取り囲むっていうところの、そういう選手がいないし。欲しいし。また、なってもらいたいと思うし。 ただ必要なのは力です。力が必要なのは間違いないです。プレーヤー個人の力がなくて、ベテランっていうのは僕は必要ないです。-2025年には尼崎にファームのゼロカーボンベースボールパークが新しく出来上がりまして、今まで以上に環境も整うと思いますが、その育成強化というところへの思いも教えていただけますでしょうか。少しその話になると、また表情は1つ。僕も監督として考えなければいけない。今は戦いの部分なんですけど、次は育成という部分に変わりますから。少し話の視点が変わるんですけど。やっぱり新しく、鳴尾浜にもずっと大きくお世話になったし。 最後の試合ではたくさんのファンが来ていただいたということも聞いてます。それが今度、阪神沿線の中で、甲子園の途中で見られる、尼崎にできるということで。選手たちに多大なる刺激が入ると思います。それから女子野球もあります。で、今は地域で少年少女たちに野球を教えたり、チアリーディングとかダンスの方にも積極的に力を入れてます。 本当にこう地域密着っていうのはどの球団でも必要で。僕は高知県に行って講演にも行ったりするんですけど、やっぱり過疎化が進んでるところもあって。もっともっとこう、スポーツの世界から世の中に元気を与えて。受ける受け皿、夢のある世界を広げなきゃいけない。 という意味では、最初に話したビジョンっていう大きなその球団のビジョンの中にはそこはありますから。もちろんファームの選手も、もちろん大事ですけど、入団してくる選手にとっても大事なんですけど。それはまたそれで現場でやりますから。球場の周りをどういう風に美しくして、魅力のあるところにして。 まあ僕もせっかく来年90周年となる阪神タイガースの監督という役割をいただきましたから。球団の方とみんなで、今後100年、それから200年っていうところに向けて、いかに阪神タイガースが愛される球団で、全国から来たいという風に思ってもらえる球団にする必要が、私も義務があると思ってますから。見といてください。やりますから。-先ほど力のあるベテランというお話もありましたが、現在のチームで期待する選手。それからチームの柱として活躍してほしいと思う選手がいれば教えてください。まあ僕はその就任要請を受けた時にお話したんですけども、球団首脳の方にお話ししたのは、僕にとってファンの方には選手の名前、顔、背番号というのは大切かもしれないです。ただグラウンドに出た時はボールとバット。いわゆるプレーの素晴らしさ、能力が必要なわけですよね。僕はその選手たちがいくら築いてきたという、そのプライドとか、その応援されてるファンがたくさんいる。ものすごく大事です。だけど僕、現役やめてわかったんですけど、やっぱりタイガースの選手は辞めても愛されますし。それはどれだけプレーができるかは、もしかしたら関係ないかもしれない。 でも、相手を倒す意味では絶対的な力が必要なんで。いわゆる、どんな選手と聞かれたら、能力のある選手を、数字とともに見たいし。うちにも優秀なデータ班が入っています。それを今後に活かしながら、その中で野球という数字に現れない、このベースボール、また違う深みがある。僕も解説して、アメリカのメジャーリーグも見たし、日本のプロ野球も見たし。その違いはあるんですけれど、そこを岡田監督がやっていたような日本の野球。大谷選手みたいにはみんななれないんだって岡田監督おっしゃられていました。 その通りだと思います。なりたい選手もいます。そこの僕としてはなぜ?っていうところをデータとともに見つけながら、球団と一緒に選手にアプローチをかけていく。あくまで感情的にならずに柔らかく。グラウンドで選手たちが1番荒ぶるのがグラウンドであるような状態に持っていきたいと思っています。-この先、ドラフト会議、そして主力選手のFAなど戦力面での動きもあるかと思いますが、こちらについての藤川新監督のお考えは?そうですね。いわゆる僕たちが、今の現役選手はわかってると思うんですけど、自分たちが現役引退した頃から、金本さん、矢野さんの時ですかね。そのあたりから選手の入れ替えが始まりまして。いよいよこうフリーエージェントの選手が一気に出てくるようなところに出てきました。 これは戦力の入れ替えをした結果、最高の時間が長い分、戦力を入れ替えなきゃいけないっていう。他球団から魅力のある選手たちが一気に出てくるってことですよね。いよいよ、そういうところになってまして。実際まだできるんじゃないかっていうような選手がリリースされて。他球団でのチャンスを求めなきゃいけない状況に今タイガースはなっています。 これはでも、アメリカでは当然だし。できるチャンスがあるうちに、できるチャンスがある選手が他球団でプレーするという。まあ板山選手もそうですよね。ああいう球団にやっぱりしたいし、なるべきだと思います。だからフリーエージェントも同様で。僕自身、フリーエージェントで海外に出てますから。 残ってくれという思いは当然あります。だけれども、やっぱりその評価っていうのは今まで頑張ってきた個人の評価なんで。FAできない、残念ながら…残念ながら?残念ながらですね。このチームに尽くすしかないという風な感情にはなってほしくないんで。 思いきりとりあえず自分の権利を全うしてみたらって。その中で本当に必要であったらわかるだろうし。僕と一緒に野球がしたかったら、僕と一緒にメンバープレーしてるんで。飛び込んでくれるだろうし。出なきゃいけなかったら出ますけど。まずは大人なんで、せっかく大人の第一歩ですからね。判断を待ちたいし。と、表上はさせておいてください。-改めてになりますが、藤川球児新監督が目指すものを教えていただいてもいいでしょうか?当然勝ちに行きます。なのでプライベートで僕のことを知ってる選手たちはいますけど。やっぱり僕もオンとオフがあるっていうのはもうみんなわかっているので。そこは今度一緒にやっていく首脳陣の方々、球団の方々も理解していて。僕は使い分けはしません。監督として皆さんと向き合います。選手たちが迷うんで。 これは仕事という部分に関しては、なかなかこう難しくて。なので、迷わせないっていうことが重要になりますから。 この部分では、どうにかこう兄貴分みたいなところはコーチにも幾数名かいますから。そこでも担当部署分けしながら、みんなで主体的にこう動いてもらって。それを吸い上げる形で決断を下して、グラウンドで最高のものを他球団と勝負する。それまではまだ、今は計画準備中なので。まだ実行にはいってないですけど、その段階ですね。-藤川さんが監督として、またグラウンドに戻ってくることを望んでいたファンもたくさんいらっしゃると思います。最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。選手の間から4年経ちました。その4年間の間もSNS等々で本当にお世話になったし、タイガーファンだけに関わらず、たくさんの人と出会うことができて。社会人として大きく勉強することができました。 なので僕の中では『経験こそ財産』という風に今回も学びました。なので、まっすぐ愚直に、真心を込めて。このチームを預からせていただいて、ともにタイガースを、日本一続けていきたいし。 岡田監督が残したこの思い、まあOBの方々が、89年間残してきた思いっていうのを繋いで。僕はまた次の世代に繋がなきゃいけないと思いますから。任された期間を全うするので、皆さんもおじいちゃん、おばあちゃん、それからお子さんを連れて球場に来て、テレビの前でもラジオ聞いてても新聞読んでも、面白いなって言われるチームを作りに行きます。ぜひ応援よろしくお願いします。 長々とお話しされてるね 話好きなんだろうな 解説のときもけっこうしゃべるもんね 来季は勝っても負けても試合後の取材には応じてほしいな 岡田監督みたいに気分次第で拒否なんてせずにね とにかく期待して見守ります創立90周年は優勝で決めたいね
2024年10月15日
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藤川体制へ人事加速2代目タイガース非公式サイトですCS敗退が決まって動きが速いね すぐにドラフト会議があって秋季キャンプも始まるし あわただしく組閣を急いてる感じですそんななかでヘッドコーチを置かないという話も聞こえてくるのね 岡田監督下でのコーチ就任を辞退して今回いきなり監督就任の藤川さんの場合それでいいかどうか少し不安を感じるなあ お友達の集まりにならないようにしてほしいけど最終的にどうなるかな?球児監督正式発表!阪神は14日、藤川球児氏(44)が新監督に就任することを発表した。球団本部付スペシャルアシスタント(SA)を務めていたレジェンドが球団創設90周年の2025年から指揮。3年契約とみられ、背番号は「22」が有力だ。2軍監督は平田勝男ヘッドに4度目打診新体制の発表を前に、コーチ陣が球団事務所に呼ばれた。フロントと今季の振り返り、来季に向けた面談が行われ、平田ヘッドには新たな要職が提案された。07~10年、13~14年、19~22年と計10年に渡って同職を経験。実現すれば、異例の4度目だが、1軍との連携や育成のイロハを熟知している。チームの現状も誰よりも把握。来年3月から兵庫・尼崎市の新施設に移転するファームの新たな歴史の幕開けを託すのにも、ふさわしい人物だ。和田豊2軍監督(62)には1、2軍を幅広く見るポストを検討中。今岡コーチの退団発表阪神は14日、契約満了に伴い、今岡真訪打撃コーチ(50)の退団を発表した。また、水口栄二打撃コーチ(55)は辞任を申し出たが、球団は慰留に努めている。打撃部門はテコ入れが図られ、オリックス打撃コーチの小谷野栄一氏(44)の招聘(しょうへい)と、北川博敏2軍打撃コーチ(52)の1軍への配置転換が検討されている。来季はヘッド置かない可能性?来季はヘッドコーチを置かない可能性があり、藤川新監督と年齢の近い藤本敦士内野守備走塁コーチ(47)にチーフ格を託すプランも浮上。1軍に昇格する見通しの野村克則2軍バッテリーコーチ(51)と新指揮官を支えるとみられる。また、田中秀太2軍内野守備走塁コーチ(47)と馬場敏史内野守備走塁コーチ(59)の配置転換も検討されているという。金村暁氏も復帰へ投手部門は安藤優也コーチ(46)が留任し、16~22年にコーチを務めた金村暁氏(48)の復帰も確実となった。また、新たな役職のブルペンコーチに片山大樹ブルペン捕手(49)が就く。現役時代の藤川監督の球を受け、現在の投手陣のよき相談役。廣岡達朗さんの指摘いつも厳しくプロ野球に意見をしてはばからない廣岡さんが藤川新監督に期待しつつ厳しい注文も付けてるので最後に掲載します「投手出身の監督はハッキリ言ってダメだ。例外はあるが、ほとんど成功していない。フィールド全体を見渡し野球を知っている捕手、内野手出身の監督が望ましい。そしてコーチ経験がないのも問題。格言にもあるが、名選手が名監督になるとは限らない。いかに勉強しているかが重要で、そのためにはコーチ、2軍監督などの経験が必要なのだ。メジャーを見てみなさい。多くの監督がマイナーで指導者としての経験を経て順序立って1軍で指揮を執っている」「いくら評論や解説がよくても指導者としていいかは別だ。現場は違う。だからこそコーチ経験が必要なのだ」「大切なのは参謀として経験豊富なコーチを藤川につけることだ。巨人の藤田は牧野茂というヘッドコーチをつけて成功した。彼はガンとした信念を持った指揮官だった。勉強もしていた。藤川が経験豊富なコーチをヘッドとして招き、彼自身が、監督をしながら勉強を怠らず、性格的に指導に情熱と根気があり、ぶれない信念のある人物であるのならば、そもそも投手力のあるチームなのだから、うまくいく可能性はある」2代目も廣岡さんの指摘はよくわかる ご指摘の中の「ヘッドコーチをつけたほうがいい」というのが気になるよね 確かに過去をふりかえるとそんな気がする 星野監督の時は島野ヘッドがいたし 今の人事構想が藤川さんの意見が強いのかフロント側の意向が相当入っているのかは推し量れないけど もし報道にあるようにヘッドを置かず お友達や球団お気に入りのメンバー中心で固めるという感じに見えるのには不安があるのよ・・・矢野仲良し野球の二の舞は御免だわ それと今岡コーチの契約延長なしについては2代目は大賛成です そもそも就任当時から疑問だったからね
2024年10月15日
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やっぱり・・・終戦2代目タイガース非公式サイトです2024年10月13日 阪神3-10DeNA 第2戦(阪神0勝2敗)甲子園第1戦のタイガースを見てて気力や執念を感じなかったのは2代目だけではないと思うのよ 逆にベイスターズは普段と変わらず前向きな感じだった タイガースの選手たちが「監督が代わる」とわかってから「心は来年」みたいになってるのがよくわかるよ まして岡田監督が何となく「辞めさせられた感」が見え見えだったからかな? 選手のみんなに「着いていこう」という気が失せてしまってたように見えて悲しかったポストシーズンに強い森下君が先制弾1回裏に森下君のシリーズ第1号ソロで先制しました 昨年もそうだったけど物おじしないのが森下君の好いところよね 打席での気の持ち方がテル君より前向きで強気に振れるところが持ち味になってるわ今年も岡田監督がなかなか褒めてくれないし バッティング内容や練習への取り組みにも疑問を指摘されることが多かったわ 精神的にかなり落ち込んだ時期もあったけど この試合のホームランのような場面で積極的に強くスイングして行けるから主軸打者として来季も期待できそうね11三振を奪われた打線三振しちゃいけないとは言わないけど 大事なゲームになるとどこか余計な力が入ってスイングのバランスが悪くなるような気がするんだよね今年の前半がそういう感じだったし このCSでもそう見えてしまいました どこか気が小さいなあという物足りなさは1年を通じてあったとおもう異例の梅野さん2回で交代2回表のベイスタースは先頭宮崎さんから4連打が出ます5番宮崎さん 1B1Sからの3球目をレフトへ2ベース6番桑原さん 初球ライト前ヒット7番森さん 初球を内野安打8番戸柱さん 1B0Sからの2球目を走者一掃の3ベースこの後牧さんにもタイムリーが出て1-4となるんだけど 3回表に入るところで岡田監督はキャッチャーを坂本さんに代えたのよね来季以降の課題は捕手ベイスターズはシーズン中から早いカウントから打ちに来てるし その傾向は去年からあったのに タイガースの配球があまりに配慮に欠けているというか進歩の跡がない これは2代目も感じてて 折に触れて指摘しました 監督さんも初球の入り方について「何度も言ってるのに同じ繰り返し」と嘆いていたし「いつも同じやつに打たれる」ってことには頭に来てたよね これにはNHK「サンデースポーツ」で開設した落合さんも「その通りだと思いますね」と発言されていました 2年間戦って相手打線の傾向もつかめない 配球が単調で読まれる これでは勝てないよ 梅野さんが33歳 坂本さんが31歳 その他の捕手はまだまだ成長過程だから せっかく他球団が羨む投手陣を持っていても生かせない何とか中川君を早く一人前にすることを考えてほしいわ 簡単に育てることが難しいポジションだけにすぐにもテコ入れしないと大変なことになるよ藤川監督体制では 投手コーチよりバッテリーコーチに有能で経験豊富な人を起用する必要があるわ とくにファームにも捕手で実績のあるコーチが必要ね岡田監督の嘆き―試合終了直後に「え?ひっどいなあ。最後の最後に」―梅野選手を交代したことについて「普通やったら使わんけど。最後やからのう。昨日もそうやけど、なあ。同じことばっかり。最後まで。初球ばっかり」―2年間の心残りを問われて「全然、何もないよ。何でよ?日本一までになったのに。順番間違えただけや。1年目に成し遂げたからおかしくなってもうた。それだけのことや。言うてるやん、できすぎやって」―1年間打てなかった打線について 「キャンプのミーティングから言うてる。全っ然、打てへんな。ファーストストライクをな。中野なんか。今でも打たん。勘違い、1年間やで。信じられん。相手がストライク入らへんと思ってるのかなあ。ほんま分からん。そんなフォアボールなんて選べへんで」―2年間で褒められる選手を問われ 「いない、いない。まだまだの選手ばっかりやん。尻すぼみのチームになってしまった。去年がいきすぎてしまった。継続の能力もなかった。もうちょっと俺は伸びしろあるかと思ったけどな」岡田監督のファンに向けたコメント「阪神タイガースファンのみなさま2年間、たくさんのご声援を賜りありがとうございました。本日の試合をもって監督としての任を終えますが、今後も違った形で阪神タイガースの繁栄のために、務めを果たして参りたいと思います。本来であれば、メディアを通じてファンの皆さまへの感謝をお伝えしたかったところですが。コメントの形での発信となることをご容赦ください。2年間本当にありがとうございました」結果は結果として受け止めてリセット負けちゃったんだからいつまでも嘆いてても何も変わりません 新しい監督のもと来季に向けてしっかり目標をもっていかないとね大事なことには「分析」というのもあるよ 読まれてるならその上を読んでいかないと スコアラーは資料を基に徹底して「傾向と対策」を考えないといけないし実際に場面場面の当事者の選手も加わってとことん突き詰めてほしいオフに浮かれる時間なんてないよ 大谷さんの生活を見習うべきね タイガースファンの皆さんお疲れ様ファンのみんなは連覇を目指して1年間応援してどうだった? やっぱりこの結果にがっくりと疲れが出てるかな岡田監督は笛吹いても踊らない選手たちを何とかしようとできる限りの努力をしてくれたとおもうのよ 打てないクリンナップ3名や調子を落としたゲラ投手をファーム調整させたりも苦肉の策 残念な結果にはなったけど・・・最後まで優勝を狙ってくれての結果です 拍手を送りましょう!2代目は新監督で迎える来季に期待して全国のタイガースファンのみなさんと共に精一杯応援していく所存です 来季もよろしくね!本当にみなさんお疲れさまでした
2024年10月14日
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やっぱり・・・2代目タイガース非公式サイトです2024年10月12日 阪神2-7DeNA 第1戦(阪神0勝1敗)甲子園負けるならこういう負け方だろうなと心のどこかあったんだけどやっぱりっていうかなんというか そういう負け方だったなあ岡田監督も試合前から覇気なし 体調不良での休養から復帰した岡田監督にはなんとなく終戦ムードが漂っていた気がする 試合前の言葉にもどこか「勝ち残って日本一目指す」という覇気は感じなかったよ「やはり初戦は大事。2勝したら終わりなんで、まずはここに全力でいかないと勝機はない」「この一年間の総決算。いいとこも悪いとこもあったけど、今のチームで最後の最後までゲームがある限り、全力で勝ち抜ければ一番いい。素晴らしいファンの人たちにも楽しい、すごいゲームをやっていく」「2位から勝ち上がったことがないので、できるよう強い気持ちでやっていく」対DeNAは苦手?シーズン前半を見ているような感じ 今季は13勝11敗1分と勝ち越してはいるけど 去年もベイスターズには相性が悪いし苦手にしているイメージがあるよね 実際に牧―佐野―オースティンー宮崎って打線も強烈で迫力あるよ それに東投手をまともに打ち込んだことが無いし才木投手も粘ったけど・・・先発の才木投手の出来は好くなかった 毎回ヒット打たれるし 思ったように三振も取れない 3回なんかよく1点で収まったよ 振り返ると9月以降こんな感じが多かった気がするなあ5回 87球 7安打 1失点 2奪三振 この内容は本来の才木投手からほど遠いし 6~7月ごろに好投しても全然白星にならなかった時期の疲れがたまってシーズン終盤にバテたのかもしれないわね7安打すべてシングルの打線 今日はDeNAの先発・東投手の出来とか関係なかったよね 三浦監督は1点でもリードしたら1人1イニングでの継投行くって最初からの作戦だったんじゃないかな? 意表をつくつかないじゃなく短期決戦なんだから捨て身でそれくらいやってもいいとおもうよタイガース打線は力強さが感じられない シングルヒットが散発では1点取るのがやっとね 投打において完敗だった岡田監督も反発する気力が失せた? 「まあ、1年間の象徴、今年を象徴したゲームみたいなもんやな、はっきり言うて」「まずはまっすぐって。そら狙い球も、みんなそらなあ、1年間やって違うわけやから、攻められ方もなあ、そらまっすぐだけじゃないと思うけど。そらもうそんなん、1年間やって対策分かるやんか、何回当たってんのそんなん」「結局1年間、一緒のやつに打たれただけやんか。それだけのこと。1年間、全然、対策もできんかったっていうことよ、結局はな。そのままや」「1年間おんなじ打たれ方したよな。しかし、分からんのかなあ。スコアラーに言うたんやけどな、横浜で。分からんなあ。スコアラーに言うてもあかんわな、選手がやらんとあかんのやから。まあ、そういう1年やったよ」 第2戦は高橋遥人投手とジャクソン投手 シーズン中のタイガース打線はジャクソン投手をあまり打ってないよね 3試合で防御率1.53だから抑えられてると言ったほうがいいかなやっぱりストレートに振り負けないことが大事なんだけど 今年のタイガース打線は総じてストレートに対して初動が遅れて強く叩けていないから心配なのよ
2024年10月13日
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【阪神】スカウト会議実施1位候補明大・宗山、関大金丸筆頭に大商大・渡部らドラ1公表せず 阪神は11日、甲子園で10月24日のドラフト会議に向けたスカウト会議を実施した。ドラフト前日を除けば最後のスカウト会議となり、指名候補のリストアップを終了した。球団関係者によると、ドラフト1位指名する選手の公表は現時点ではしない方向だという。この日は1位候補には、筆頭の明大・宗山塁内野手(4年=広陵)、関大・金丸夢斗投手(4年=神港橘)のほか、大商大・渡部聖弥内野手(4年=広陵)、青学大・西川史礁外野手(4年=龍谷大平安)と内外野守れる強打の右打ち野手の名前も挙がったとみられる。地元兵庫の報徳学園(兵庫)・今朝丸裕喜投手(3年)、神戸弘陵・村上泰斗投手(3年)ら高校生投手も上位候補として確認。他球団の動向や補強ポイントを考慮してドラフト会議直前まで精査を続け、指名選手を決定するとみられる。2代目タイガース非公式サイトです漏れ聞こえたことをまとめた記事だとおもうけど 2代目が最近紹介した3人はやっぱ入ってたようね ということは他球団も同じような選手に関心持ってるはずよ 競合外した時の次の人選もしっかりしておかないといけないってことね
2024年10月12日
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サヨナラミエちゃん2代目タイガース非公式サイトです10月11日 タイガースのヨハン・ミエセス選手が帰国したと発表がありました 今シーズンは岡田監督の希望で残留したとされていたんだけど シーズン開幕前の怪我の影響も長引き 思うような成績を挙げることができなかったね ずっと期待してたんだけど残念だわ・・・ 2代目の予想は 交流戦くらいから出てきてシーズン2桁くらいホームランを打つんじゃないかって希望的に見てたんだけど とてもダメだったなあ今シーズンは14試合に出場して18打数2安打5三振で打率1割1分1厘 ホームランは1本も出なかった残念だけどこの成績では残れないよ またいつか会える日があるといいね ミエセス選手のコメント「大好きな阪神タイガースがCS、日本シリーズに勝って日本一になることを信じて応援しています。監督、コーチ、選手、スタッフ、ファンの方々、素晴らしい思い出をありがとう。私を心から受け入れてくれたみんなのことが大好きです。バーモス!」もうギャルピースが見れないのが寂しいよ
2024年10月12日
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久々に吉野家 試合がないと暇なのよね 書くネタがないなので昨夜久しぶりに吉野家に行って とっさに思いついて何枚か写真撮ってきたんだよ 1日分のブログにしては寂しいけどお付き合いください いつも行くお店なんだけど知らないうちに改装というか建て直されててまず意表を突かれました 暗くなってから行ったので変化のほどはわかりにくいんだけど「ちょっと違うな」という印象 店内に入るまで改装されたことに気づかなかった 10月15日まで「秋の牛丼祭」ってことで丼メニューが100円引きとアプリのお知らせに入ってたので節約がてらに食べに行ってみたのよ このご時世に100円引きはありがたいからなあ店内の印象が変わってましたまず店内は完全に模様替えされてレイアウトも以前と全然違うのに驚いたのよね なんとなくカフェかファミレスっぽく変わってた テーブルやイスなんかも壁のクロスと合わせた感じで 全体がシックにまとめられてしかも明るいさわやかな雰囲気でとても好い! なんと ドリンクバーのコーナーも新設されてるから余計にファミレス風に感じるのかもしれないね昨日はテイクアウトのお客さんでレジが込んでて 逆に店内客席ののほうはガラガラ状態 いっぺんに10人分くらい持ち帰る人なんかもいるので 店内が手薄になっていつもの「うまい・やすい・はやい」のなかで「はやい」というのができてなかったかな?いつものように牛丼頭の大盛を注文しました 注文は店内に入る前にレジで行い事前清算でしたが これって「牛丼祭」期間中だけなのかちょっとわかんないわ 祭りの期間が終わってから行ってみないとね2代目は紅しょうがをこれでもかとのっけて食べるんだよ 大さじ5杯分くらいもらって「紅しょうが丼」みたいにします 頭の大盛って並盛より一回り丼が大きいんだけど前からなのかな?気づいてなかっただけかな? ご飯の量も増えてる感じなのよね ちょっときつかった気が付くと他にも色々変化してる 驚いたことにフードコートのように バイブレーターを受け取ってブザーが鳴ったら取りに行くセルフサービスに変わってた 食べ終わったらトレーごと返却口に自分で持って行くのよ なので店内をスタッフが歩き回ることは一切なくなってる箸やつまようじ 紅ショウガ・七味・お醤油などは今まで各テーブルにおいてありましたが 手間をなくすために受取口の横にまとめて置いてあるので各自ここで必要な物を取ったり使ったりします お水やお茶もセルフサービスよ なんとなくスタッフが1名減になってるんじゃないかと感じたよ 絶え間なく小さな工夫をいくつか重ねて経費節約してるんだなとおもいましたね 少し味気ない感じになった気はするんだけど お値打ちに提供してくれることに確実につながってる その意味では本当に感謝です きっと全国の常連さんはもうすでに今回の変化に気が付いてるよね? さすがにぼちぼち衣替えかな
2024年10月11日
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2024ドラフト候補とその動向32代目タイガース非公式サイトです 1~2回目は大学生投手でしたが3回目の今回は高校生の投手です 今年は「怪物」とまで呼ばれる投手はいないようだけど 「同世代ナンバーワン」といわれる今朝丸投手を紹介するよ今朝丸君を見てると才木投手や広島の森下投手のような右本格派にダブって見えるのよね どの球団にせよ少なくとも1位の可能性は高いです 今朝丸 裕喜(けさまる ゆうき) 投手(18) 兵庫県神戸市出身で報徳学園3年生 甲子園には2年生春 3年生では春夏に出場しています 投手ですが少年野球時代はサードも守っていたようです 188センチ80キロ 右投げ右打ちの本格派でストレートはMAX151キロ 同世代ではナンバーワン右腕と評価が高いですね 甲子園では2年春と3年春はともに準優勝 3年の夏は1回戦で大社高校に敗れているんだけど 予選で151キロを計測しました 立ち上がりに若干不安のある投手らしいけど乗ってこればバンバン三振を取っていく力のある投手です 高校では3年間大きなけがもなく順調に伸びてきて 1年生では140キロ前後だったストレートが10キロ以上速くなりました 今年8月から9月にかけて行われた第13回BFA U‐18アジア選手権では侍ジャパンの代表入りし3試合に登板してます 決勝では先発を任せられましたが2回2/3で2失点 この試合では制球が定まらず被安打2ながら3四球1死球で逆転を許し準優勝でした 本来は本格派でありながら球持ちがよくコントロールは悪くない投手なんだけど 立ち上がりに不安があるのはマウンドの微妙な違いなどを気にする神経質な面があるのかなって感じはするねスカウトの評価阪神・熊野スカウト(2024.7) 「(プロ入り後は)才木のようになっていくイメージ。変化球もうまく投げられる。(ドラフト1位の12人に入ってくる)そういう感じになってくるんじゃないか」 「前回の登板よりも力みなく、バランスが良かった。制球も良かったし、修正能力が高い。投げながらスピードも出てくると思う」 中日・松永幸男スカウト部長(2024.8) 「初戦で大社に敗退したが、相手にかなり研究されていた印象があった。それでもハマッた時のボールは、さすがのひと言。真っすぐはもちろん、スライダー、チェンジアップ、フォーク、カーブとボールにキレがある。大型投手なのに指先の感覚の器用さが感じられ、きっちり内外角を投げ分けられるコントロールがあり、いい投手なのは間違いない」広島・鞘師智也スカウト(2024.9) 「年間通して基本的にはいいピッチングしていたので、将来性って考えたら特に問題ないと思ったし、よりレベルアップしているなと思いました。うちで言う 森下(暢仁)みたいなピッチャーになってくれたらいいんじゃないかなと思いますけど。練習も非常によくやっていますし、コーチとか監督に聞いても『人間的に成長している』っていう話も聞いてますし、ぼくもそれを感じられて、プロ野球でも成功する部類に入るんじゃないかなと思います」タイガースはどう考えるんだろう? 本命としては 関西大の金丸投手で行くとおもうんだけど 少なくとも4球団程度の競合は避けられない様相なのよね 1位の抽選に外れた場合に もし残っているようなら今朝丸君に行くとおもう タイガースでは才木投手に体格や投手としての特徴が似ているからね どうなるか分からないとはいえ 2位に残っている投手とは考えにくいよ
2024年10月09日
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背番号26(その2)背番号26の第2回目ですこの「26」はどちらかというと投手が着ける番号のイメージがあるよ 割と長く着けた人が何人かいるしね 今回3名を紹介するけど3人目の渡辺省三さんが一番長いのかな? 14年間着けてるよ のちにはピッチングコーチやスカウトとしてお世話になって選手も多いはずよ白坂長栄 内野手(再々掲)白坂は引退直前の2年間を背番号「1」、全盛期の1950~57年には背番号「17」を着けているためすでに紹介済みだが改めて記載する。背番号「26」は仁科栄三が引退した後2年間はだれも着けていない。1949(昭和24)年に受け継いだのは名セカンドとして有名な白坂長栄だった。白坂は岩手県二戸郡一戸町のリンゴ農家の三男で、旧制福岡中から仙台鉄道管理局に進んだが1942(昭和17)年に軍に召集され中国で終戦を迎える。戦後は仙台鉄道管理局に復帰し、1947(昭和22)年には都市対抗本戦に出場して存在が知られるようになる。1948(昭和23)年、若林監督が直接口説いてタイガース入りが決まり最初は背番号「27」を着けているが1年だけである。1年目はわずか1試合の出場で1打席凡退の記録しか残せていない。1949(昭和24)年に背番号を「26」に変えて73試合に出場するが、実はこの年は1年だけ投手も兼任している。8試合の登板記録が残っており0勝2敗で防御率12.00だった。これは戦後の投手不足を補うためだったと思われる。1950(昭和25)年には背番号を「17」に変えて臨み、139試合に飛躍し520打数132安打72打点18本塁打、打率.254というキャリアハイを記録している。本来長打が売りの選手ではなく、18本塁打というのは本人にとっても異常だったと思われる。通算で59本を打っているが 二桁のホームランはこの1年だけだった。とはいえこの年を起点に1957(昭和32)年まで8年連続100試合以上に出場する不動のレギュラーとなった。入団時からショートを本職としていたが、1953(昭和28)年に吉田義男が入団してくるとポジションを譲りセカンドへコンバートされる。守備は非常にうまく、入団後の2年間はエラーばかりしていた吉田は「プロ入りしたばかりの私を支えていただいた恩人の1人。残念です」と訃報を受けたときに談話を残している。1958(昭和33)年は背番号「1」に変更、鎌田実が成長してくると出場は極端に減り、1959(昭和34)年には公式戦出場が0になって引退している。通算成績は1020試合3313打数789安打360打点59本塁打102盗塁415四球312三振で打率は.238だった。 引退後はチームに残りスコアラー、二軍監督、スカウトなどを歴任して貢献している。2015(平成27)年7月8日に92歳で逝去。奥村高明 内野手 この選手を知るタイガースファンはもういないのではないか?1年間在籍して2試合しか出ていない右投げ右打ちの内野手。 奥村は兵庫県出身で明石中から関西大学へ進んでおり、大学時代は1年時からリーグ戦に出場する好選手で1949(昭和24)年の秋季リーグ優勝に貢献して評価が高まり、1950(昭和25)年にタイガースへ入団している。次の写真の前列向かって左が奥村。 背番号は白坂から「26」を譲られたが本職がセカンドのため白坂とかぶっておりほとんど出場できなかったようだ。生涯成績は1年で2試合0打数0安打1四球に終わっている。渡辺省三 投手 渡辺は愛媛県西条市の出身で旧制西城中学(現西条高校)。タイガースでは秋山拓己投手の先輩にあたる。中学を出ると倉敷レーヨン西条に入社して軟式野球部に所属していた。1949(昭和24)年に勃発した球界再編問題は2リーグ分裂へと発展し選手の引き抜きが横行する事態を招き、各球団は深刻な選手不足に直面する。タイガースが1951(昭和26)年10月、入団テストにより選手を募集したときに渡辺が応募しており、バッティング投手として採用され入団している。 1952(昭和27)年が最初のシーズンになる。渡辺省三と言えばだれもが認めるコントロール抜群の投手だが、背番号「26」が与えられとはいっても1年目はひたすらバッティング投手を務める日々が続く。これが人のまねのできない絶妙なコントロールの原点になった。 渡辺が好調な日はゴロが多く「内野手は忙しかった」と吉田義男が証言するコントロールの秘密について、月間タイガースの「本間勝交遊録」から抜粋してみる。 シーズン真只中。ローテーションの一角を担う投手が『スマン。ちょっと投げさせてくれるかぁ』自ら、バッティング投手を志願してきた。私が新人の年だ。『まさか・・・』初めはビックリしたものの、以降、同じ光景を何度も目にして納得した。バッティング投手との関わりを聞いたことがあった。『入団した年は、ほとんど毎日バッティングピッチャーをしていた』という。元々コントロールは良かった人。入団したいきさつが、バッターの調整台としての採用だったとも聞いた。一年間は来る日も、来る日も投げ続けた。その結果が、自分の投手生命でもあるコントロールに磨きをかけた。そう信じて止まない同氏。だから、シーズン中であっても打撃投手をかって出ることに抵抗はなかった。制球力が微妙に狂ってきたと思えば、自分から進んで投げた。二十分から三十分。要するに、コントロールの原点がバッティング投手だったのだ。 1年目には1試合も登板がなかった渡辺は2年目の1953(昭和28)年、制球力を買われて一軍へ上がる。主にリリーフ中心に54試合(先発12試合)に投げて10勝11敗192回で59四球、防御率2.86の数字を挙げて一躍頭角を現した。以降の全盛期の成績を見て見る。登板数のうち( )内は先発数 年 度 登 板 勝 負 投球回 四球 防御率1954年 51試合(10)10勝13敗 169回 28 2.501955年 46試合(20)18勝11敗 244回 42 2.401956年 52試合(30)22勝 8敗 260回1/3 30 1.451957年 43試合(29)17勝 9敗 230回 46 1.881958年 43試合(18)12勝12敗 191回 18 2.81 1956(昭和31)年は防御率1.45でタイトル獲得。1958(昭和33)年には191回も投げて18個しかフォアボールを与えていない。コントロールの極まった年だろう。 1959(昭和34)年からは再びリリーフ中心の登板となるが、1961(昭和36)年と1962(昭和37)年には二けた勝利(11勝、10勝)を挙げている。 1965(昭和40)年に引退するまで14年間背番号「26」で通しており、これが2024年現在までで背番号「26」を着けた最長記録になっている。 ここでもう一度本間さんの交友録から引用する。 技巧派を絵に描いたような投手。省さんの制球力には、あの精密機械とまでいわれた小山さんも一目置いていた。球は速くない。当時スピードガンがあったなら、おそらくマックスが130㌔台の半ばぐらいだったはず。大きな変化球があるわけではない。いかつい人でもない。どちらかといえば弱々しく感じられる方だ。やさ男、まさしくコントロールと精神力が命。マウンド上では、全くのポーカーフェイス。少々ピンチに立っても顔色ひとつ変えない。時には山なりの超スローボールを平気で投げる。ピッチャーがゆるい球を投げる時、かなりの勇気がいるもの。こうした大胆な一面を持ち備えた勝負師だった。 渡辺の投球はのちのエースたちにも大きな影響を与えた。小山正明は「省さんがおらんかったら、以後の僕はなかったやろね。本当にいい手本になってくれた。ピッチングにはコントロールが一番大切だと教わった」と語っている。 村山実も影響を受けており「ピッチングは力だけやないことを省さんに教わった」という言葉を残している。 次の写真の一番手前が渡辺。 通算成績は550試合134勝96敗、2018回583奪三振352四球、自責点546防御率2.44と素晴らしい。75球での完封勝利(1955年の中日戦)や、延長13回を112球で投げ切っての完封勝利(1957年広島線)などは無駄なボール球を投げないことを象徴する試合だった。 引退後は藤本監督、吉田監督、後藤監督の下で一軍投手コーチや二軍投手コーチを務めたのちフロント入りしスカウトに転じる。 九州担当スカウトとして新庄剛志・野田浩司・仲田幸司・遠山奬志・亀山努らを担当した名スカウトで知られている。 1998(平成10)年8月31日、神戸市内で倒れているところを発見されなくなっていることが確認された。ビルから転落したとみられたが、自殺するような理由もなく、屋上には争った形跡もない。ご遺族からの訴えにより「殺人被疑事件」との扱いとなったがいまだ真相は不明である。享年65歳。まとめはいお疲れさまでしたなかなか「26」は見どころの多い番号みたいね この先もああそうだったかと思うような選手が出てくるとおもうよ白坂さんは鉄壁の内野陣の元祖みたいな人ね 背番号は4回かえてるけど「26」を着けたのは1年間だけなんだね タイガースの歴史には必ず出てくる選手よ2人目の奥村さんは全く聞いたことがなかった人ね 在籍1年で2試合しか出てないんだから 覚えてるのは当時の関係者くらいじゃないかな?渡辺さんはタイガースが生んだ名投手の一人だとおもう 現役時代を見てる人は少なくなってるでしょうね 先代はピッチングコーチのころの渡辺さんをうろ覚えで知ってるようだけどそれよりも亡くなり方がちょっと謎だよね 亡くなる約3時間前には9月9日から九州でのスカウト活動のための熊本行きの航空券の予約をしていたりなど自殺としては不可解なんだって・・・26の3につづく
2024年10月09日
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セ・リーグ レギュラーシーズン終了2代目タイガース非公式サイトです10月7日の中日‐DeNA戦を最後にセ・リーグが全日程を終了です今シーズンもいろんなことがあったけど全体に低調で盛り上がりに欠ける展開だったとおもうなあ 団子レースといってもお互いがしのぎを削るってわけじゃなくて どのチームも抜け出す力がなくて仕方なく団子になってる感じだった タイガースは夏場まで打線のつながりがなく点が取れない試合が多く 監督さんもいろいろ工夫するんだけどダメだったね まだ「自分で状況を考えてプレーを選択して役目を果たす」ってところが自然にできるまでになっていなかったのよねタイガースが連覇できなかったことやドラゴンズが3年連続の最下位になったのは両チームのファンにとって残念だったとおもう 両方とも監督が辞めることになったしね カープの9月大失速というのもひどかったね 最下位のドラゴンズとの対戦成績が8勝16敗1分なのは異常だよ個人タイトルの行方は? 打撃部門で目立つのは全体にボールが飛ばなかったことかな ホームラン王の村上選手だけが唯一30本超えたんだけど33本は物足りないよ でも同時に打点王にもなってるから立派だけどね規定座席に到達した選手が24人で3割打者はたった2名 しかも2人とも外国人選手だった これもひどいよねえもちろん投手が頑張ったからだってことは言えるんだけど 岡田監督も「ことしは飛ばんなあ」ってこぼしてたように 試合球の選定にも何か異変があった気はするよねタイガースでは近本さんが5度目の盗塁王を獲得しました でも19個って「王」と名乗るのが恥ずかしいような数だとおもわない? この数字は1リーグ時代の14個 16個 19個に匹敵するけど戦前の試合数が少ない時代だし 2リーグ分裂後で20個にとどかなかったのはセ・パを通じて初めてのことなのよ 投手部門では まずドラゴンズの高橋宏斗投手が防御率で圧倒したね 確かに簡単に点が取れないってピッチングしてたよ ストレートも好いけど変化球の切れや落差がすごいからバットがついていけない感じだった菅野さんの復活は大きかったよね これがなければジャイアンツの優勝は無かったとおもう なにしろ一人で貯金12個も作ったんだからMVPじゃない?チームの貯金が18なのよ 菅野さんが3分の2を稼いだってことだからねタイガースでは切敷投手が最優秀中継ぎ投手のタイトルに輝きました 素晴らしい活躍で 何とか2位に踏みとどまれたのも切敷さんの貢献が大きいよね今後の選手の動向 岡本さんのメジャー挑戦はどうなるのかな?菅野投手はポスティングでメジャーを目指すようだから 同時に抜けられるとジャイアンツは痛すぎるからねえ マルティネスさんは残留希望って聞いてたけど空模様が変わってきたみたい 代理人が欲を出してきてる そりゃあねあの無敵ぶりならどこだって高く買うよ
2024年10月07日
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背番号26(その1)背番号26の第1回目です ペナントレースも終わったので再開し少しずつ進めていきますねこの「26」以上の番号は 監督の番号だった「30」を除いて球団創設の年にはありませんでした 要は創設時のチーム自体が総勢25人以内の人数だったということなのね「26」は創設2年目から使用されてます 今回は戦前に「26」を付けた3名の選手を紹介するよ奈良友夫 内野手広島県出身で旧制広島商業では1年上にエースだった鶴岡一人がおり、クリンナップを組んで1933(昭和8)年の選抜大会に出場、5番レフトとしてベスト4まで進んだ。 1936(昭和11)年に、今度は4番セカンドとして再び選抜大会に出場したが1回戦で敗退している。 1937(昭和12)年、元広島商業監督で当時はタイガースの監督になっていた石本秀一から誘われて入団している。背番号「26」。 入団すると春季からいきなり45試合に起用され規定打席もクリアした。おもなポジションはセカンドで、139打数35安打24打点、打率.252の数字が残っている。 しかし藤村富美男がセカンドにコンバートされてきた秋季には、出場が12試合と激減してしまう。 1938(昭和13)年になっても状況は変わらず、春季10試合、秋季22試合の出場にとどまる。さらに1939(昭和14)年には練習中の鎖骨骨折が響き、出場8試合で引退に追い込まれてしまった。 その後親戚の事業の手伝いをしていたが、戦後は社会人チーム「全広島」に入って1950(昭和25)年の都市対抗野球本線に出場している。 プロ通算では97試合273打数72安打38打点24四死球29三振、打率.264という成績だった。宮崎 剛(たけし)内野手(再掲) 宮崎はすでに背番号「5」で紹介済みだが、加筆したうえで再掲する。生まれは長野県長野市、その後中学まで日本領土だった当時の台湾で過ごしている。台北一中時代はラグビーをやっていたが、のちに大洋ホエールズの監督となる渡辺大陸と出会い野球に転じる。その後同志社高等商業学校に進み、1940(昭和15)年に大阪タイガースへ入団した。同年はルーキーながら87試合に出場し294打数60安打23打点を記録したが打率は.204でホームランは打っていない。1941(昭和16)年も80試合に出場しており、この辺りはセカンドとサードを守りながらレギュラーとして定着していた。 しかし、1942(昭和17)年1月に召集を受け、終戦まで主に満州で軍務につくことになる。 タイガースに復帰できたのは1946(昭和21)年だった。背番号「5」で戦後のスタートを切るが、当時の月給1000円では生活ができず、わずか2ヶ月で退団。渡辺大陸の誘いで国民リーグの宇高レッドソックスへ移籍し、1947(昭和22)年にはリーグ首位打者になったが、同年国民リーグは解散。1948(昭和23)年は阪急ブレーブスに入団してプロに復帰し、2年間主力選手として活躍する。1950(昭和25)年に大洋ホエールズが設立され、旧知の渡辺大陸が監督に就任すると、阪急から引き抜かれ、6年間大洋のレギュラーとしてプレーしている体は小さく長打力はないが俊敏な選手で、阪急時代の1948(昭和23)年から大洋時代の1953(昭和28)年にかけて6年連続20盗塁以上を記録しており、1950年には61個という数字が残っている。昭和30(1955)年に引退。その後大洋のコーチを長く勤め、昭和49(1974)年には一軍監督に就任した。どちらかと言えば、大洋で名を残した選手だろう。写真は大洋のコーチ時代。 タイガースでは3年間で198試合に出場、711打数148安打48打点27盗塁の成績を残した。 プロ通算は1049試合4048打数949安打28本塁打287打点221盗塁290四死球300三振、打率234である。仁科栄三 内野手兵庫県出身で北神商業(現市兵庫商業)では内野手として1940(昭和15)年に夏の選手権に出場したが初戦で敗れている。 1942(昭和17)年、タイガースに入団し背番号「26」。1年目はおもに野手としてプレーしており、投手としては1試合しか登板しなかった。 1943(昭和18)年になると投手が本業となり、14試合に登板して3勝1敗、防御率2.19という成績を残す。初勝利では名古屋軍を完封した。 しかし同年軍に召集され終戦まで各地を転戦。戦後の1946(昭和21)年5月にタイガースに復帰し、再び背番号「26」を付けたものの試合出場はできず退団している。 通算記録は、投手として15試合3勝1敗、70回2/3を投げて13奪三振、防御率2.15。 野手としては37試合48打数5安打0打点0本塁打8四球11三振で打率が.232だった。まとめプロ球団が創設されたころは「プロ経験者」という存在すらいないわけだから やっぱり高校(旧制中学)や大学などの人脈をたよりに人材を集めてたのが分かるわ奈良さんは広島商だね 宮崎さんは渡辺大陸監督というキーマンに少年時代から大洋入団まで常に目をかけてもらってたことが大きい仁科さんは地元ってことでのタイガース入りかな これからっていうときに戦争のブランクがあって すっかり実力が落ちてしまったのは惜しいよなあ 残念ながらしっかりした写真が見つかるのは宮崎さんだけ 奈良さんの写真は本人かどうか確信が持てない 仁科さんは見つかんなかったよ でも寂しいよね だから奈良さんと仁科さんは甲子園大会経験してることもあるので今年100周年の甲子園球場にまつわる画像を挿し込んでおいたよ!26の2へ続く
2024年10月06日
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岡田監督 最後の公式戦2代目タイガース非公式サイトです2024年10月3日 阪神3-1DeNA25回戦 (阪神13勝11敗1分)横浜スタジアムペナントレース最後の試合 岡田監督もポストシーズンが残っているとはいえ一つの区切りになったね 岡田監督の2年間をタイガースファンは一緒に喜怒哀楽しながら楽しめました ご苦労様ってねぎらいたいわ ありがとう大竹投手11勝目を飾る2年連続の二けた勝利 しかも10勝に1勝上乗せできてよかったね 援護の少ない中でホントに頑張ってくれたよね現役ドラフトで大学の先輩でもある岡田監督が獲得を決めてくれて 先発ローテーションの一角を任された昨年は12勝2敗で防御率2.26という大活躍 そして今シーズンが11勝7敗で防御率2.80だから成績としては少し下がってるんだけど 打線の援護という面では2023年より期待できない中での成績だからよくやったって言えそうねこの試合も5回1安打無失点 5奪三振2四球で安定感はいつも通り 1年間お疲れさまって言いたいけどCSでも期待してますリリーフ陣もお疲れ様勝ちパターンのリレーではないメンバーでしたが みんな頑張ってくれた人ばかり 3番手の富田投手は1点失ったけど前川君のエラーなので自責点は無く 今シーズンの防御率0.76は素晴らしい 2代目の隣町の出身だから応援してるんだよ!打線はヒット数ほど点が取れなかった 攻撃は相変わらずつながりが悪くて5回の3点だけだったね でもタイガースらしさはあったわ 先頭近本さんがフォアボール 2番中野選手がヒットで続き 3番森下君はサードのエラーで無死満塁 このチャンスに4番大山さんがライトへ2点タイムリー2ベース さらに5番テル君が犠牲フライで計3点取ったんだよね 好い攻撃だったとおもう公式戦の総括は? タイガースは全日程を終えて143試合74勝63敗6引分 勝率.540で優勝したジャイアンツとは3.5ゲーム差だった対戦した5チームに対して3チームに勝ち越し 2チームとは五分の成績でどこにも負け越しは無いわただしジャイアンツはDeNAから8つ貯金を作ってるけどタイガースは2つだけなのでCS考えると心配ではあるよね投手陣では青柳さんが2年続けておかしかったよね 監督も変わるし経営の主導権も阪神に戻るみたいなので このオフの動向が注目されそう トレードとか現役ドラフトもあり得るかもね2代目は昨年ファームで先発した時のビーズリー投手を見て「これはいける」って感触があったんだけど 今シーズンは予想通り戦力になってくれたよね しかも中6日じゃない変則な間隔でも対応してくれて8勝というのは大きかった心配なのは湯浅投手 昨年からファームで観てるけどずっと球威が落ちてる感じが続いてたら病気だったのね はたして再起できるかどうか 世の中努力だけではうまくいかないこともあるだけに・・・ 復活を祈ります打撃陣は夏場以降に調子が上がってきて9月はよく追い上げたんだけど あまりにも4~7月は低調だった 完封負けが多かったし一時は「2点打線」と酷評されたわ 来シーズンは1年間の調子の振幅を小さくすれば10勝以上は上乗せできるはずよ
2024年10月04日
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