シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2008年04月09日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 ところが、人間における神経活動、筋肉活動、及び骨の強さやその働きとなると話は全く異なる。以前、骨格系には、物質となったイマジネーション(霊視)が存在し、筋肉系には、物質となったインスピレーション(霊聴)が、そして神経系には物質化されたインテュイション(霊人)が存在することを示した。

 そして今、更に進んで、一般向けの人智学(精神科学)的な講演では、ただ大まかに記述できる真理に関して、より完全に記述できる地点へと来た。人間が死の門を通過し、荼毘に付されたり、その他何らかの方法で徐々に朽ち果てるとき、人間の骨格系はバラバラに崩壊する。

 しかし、骨格系が物質的な意味で崩れ去るとき、イマジネーション(霊視)が後に残る。霊視的存在は失われない。それは、死の門を通過し、カマローカ(欲界)、或いはデーヴァ界(神界)に入るときにも猶、我々の内に有する実質の中に残る。

 十分に経験を積んだ秘儀参入者には、我々の内に、実際、人間の骨格とは異なる存在をみるが、あまり訓練を積んでいない秘儀参入者が、イマジネーション(霊視)を作用させる場合には、骨格と外観上、類似性をもつ存在のように見える。死を、骸骨のイメージで表現することが、意味をもつのは、この理由による。死の骸骨のイメージは、未経験だからこそ、正しい超感覚的認識に遡ることができる。

 そして、このイマジネーション(霊視)に、筋肉が物理的な意味で朽ち果てるとき、後に残る霊聴が結びつけられる。筋肉の後には、インスピレーション(霊聴)が残る。そして、筋肉とは、実際、インスピレーション(霊聴)の表現にすぎない。それは物質の中に浸されたインスピレーション(霊聴)なのである。

 死の門を通過するとき、インスピレーション(霊聴)が残る。それは大変興味深い事実である。そしてまた、神経が、それ自体崩壊プロセス(過程)を辿ったとき、神経から死後に残されたのはインテュイション(霊人)である。これら全ては、我々人間のアストラル体、及びエーテル体の実際の構成要素なのである。

 人間は、エーテル体を完全に放棄するわけではない。人間が死の門を通過するとき、エーテル体からの抽出物を携えていくが、それは全てではない。今、別の存在を見い出す必要がある。人間は生涯を通して、ずっと神経を携えていくが、この神経とは、物質を撒き散らしたインテュイション(霊人)に他ならない。

 人間が、この神経を担って、この世を生きるのは、人体中の神経が組み込まれている場所においては必ずインテュイション(霊人)が存在し、周囲に放射する一種のオーラのように、とめどなく精神を、外に向かって放出する為なのである。

 なので、死の門を通過するときに携えていく存在だけが問題なのではなく、神経が崩壊するにつれて、外に向かって送り出すインテュイション(霊人)についても考えなければならない。人間内では常に崩壊プロセス(過程)が進行している。人間は絶えず新しく作り直される必要がある。



 なので、この事から、人間が、物質的な神経を使用する限り、神経を使い果たし、破壊する限り、人間は世界にとって意味ある存在であることが分かるだろう。実際、大いに意味がある。何故なら、いかなる種類のインテュイション(霊人)的に知覚可能な実質が人間から流出するかは、人間がどのように人間の神経を使用するかにかかっているからである。

 そして同様に、人間が筋肉を使用するときにも、インスピレーション(霊聴)によって知覚可能な実質が流れ出る。そして、その流出は、無限に繊細に変化する運動プロセス(経過)の中で、絶えず、人間を、世界に存在させるような形で生じる。

 霊感を受けた実質が、人間から世界へと流出する(この言葉はあまり芳しくないが、他に適当な言葉がない)。そして人間の骨から、イマジネーション(霊視)的に知覚される実質と呼べる存在が流出する。そこには並外れて興味深い事実がある。この事をもう少し拡張するのは、超感覚的探求の結果を過剰に供給するためではなく、真に興味深いからである。

 この骨の崩壊に伴う放射を通して、人間が行く至る場所に、像、つまりイマジネーション(霊視)によって知覚可能な精神の像を、人間は後に残す。人間が居た場所には、繊細な影のような像が後に残る。それらは、一般的な世界プロセス(過程)の中で受け取られるまで、しばらくの間、知覚可能な像、一人一人の骨格系から放たれた繊細な影のような像となる。

 自分と気が合わない人物が以前住んでいた部屋に入ったとき、時として感じる、あの不愉快な感じは、このイマジネーション(霊視)的な像のためである。その感じは、概して、その人が、後に残したイマジネーション(霊視的存在)に起因するものである。人は、一種の影の像であっても、それを残した人に出会うのである。

 このように、別の人が部屋に残した霊視的存在によって、落ち着かない気持ちになるほど(霊感を)感じやすい人というのは、超感覚的能力に関して、遙かに未発達であるとは言えず、超感覚的能力を持つ人が進んでいるのは、他の人が、ただ本能的に感じ取れるものを、イマジネーション(霊視)的な像として可視化できるという点にすぎない。





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Last updated  2008年04月09日 19時42分39秒
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