シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年01月30日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 また例えば、急性も含めた心内膜炎[Endokarditis]に生じる症状全般に対する、次のような疑問についても、過去の軽度の疾患が、後の年齢になって重篤な疾患として現れる、とする見解が通用する。

感染症心内膜炎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E6%80%A7%E5%BF%83%E5%86%85%E8%86%9C%E7%82%8E

 「肺炎、もしくは胸膜炎に関連する症状が、過去の年齢で、どのように現われたのか?」と言う疑問である。

 心内膜炎は、結局、少年少女のとき(14歳以降)に、肺炎や胸膜炎の症状を早め、急速に追放したかどうかの事例に帰着することがわかる。当然だが、両親や教育者は、肺炎や胸膜炎の症状をできる限り急いで後退させようと望む。

 成長に際し必然的に生じる状態に伴う症状を、それ自身の運命に委ね、後年になって、有害な作用を起こす可能性を避けるには、その場に医師として居あわせ、病気の経過を実際に見守ることが、非常に重要となる。

 従って、他の症状でも当然だが、少年少女期の胸膜炎や肺炎の症状と関係する幼児期の水頭症のような特有の症状ほど、次のような治癒を必要とする。

 今日で呼ばれる一種の自然治癒の適用、すなわち、できるだけ病気に相応しい経過(プロセス)を辿らせ、病気の経過(プロセス)を早めたり、短縮させないようにすることが必要となる。

 幼児期の病気の経過(プロセス)があまりに早く短縮されると、後に、心臓に関連する疾患全般に比較的に罹り易い素質や、特に多発性関節炎全般に罹り易い素質を招く恐れがある。



 人間の全体の成長のなかの、あらゆる内部に、上記のような関係が見られる。実際、次のようなことがわかる。

 後に現れた病気の深刻で極端に悪化した状態だけでなく、病気が過去に比較的軽度の場合、治癒も比較的容易なので、自然治癒を明確に区別できないことがあり、「病気が比較的軽度なときに、早期の治療を望まなければ、病気は悪化しなかった」と、あえて患者に言わなくてはならない場合にも目を向ける必要がある。

 (漢方でいうところの、「未病」のことだろう。)

 なぜなら、本質的に、人間は容易に癒される存在ではない、という認識が非常に重要だからである。治療は結構だが、次のようなことも考慮に入れるのが本当の治療である。

 人生のなかでは、治療に期待しすぎる次のような「治療マニア」と呼ばれるような人物もそう珍しくない。

 「『私は、実際に、様々な病気を体験し、様々な治療法も薬も体験してきたので、高齢に達したときには(いずれにせよ、このような人物は常に病気なのだが)、もはや私を元気づけてくれる治療を見つけるほうが困難だ!』というような人物も珍しくない。」

 上記のような人物には、次のような意識を呼び起こさせるべきである。

 「本質的に、大抵の人間は、実際、当人が思うほどには病んではいない」、という意識を呼び起こさせるべきである。当然、この意識は、影の側面も持つが、上記のような人物に対しては、この意識を呼び起こさせるのが良い。

 さて、以上の事柄全てを光(叡智)のなかで見なくてはならない。つまり、人間は、はじめに物質的な生体組織をもち、更にエーテル組織が7歳から14歳まで強く働いて物質的組織に加わり、更に妊娠のような事態においては、エーテル組織は再度追い出される、というように、人間は非常に複雑な存在なのである。

 更にまた、考慮すべきことは、アストラル体が、秩序をもちながら加わるのは、14歳以降になってからで、自我が加わるのは、それより更に後になってからだが、自我を、例えば、あたかも外にある組織体のように想定してはならない。

 勿論、覚醒時には、自我は生体組織の外にあるわけはなく、生体に加わって、共同作用が高まる。従って、常に関係してくることは、生体組織に障害があるときには、他の生体組織内での、自我の正しく機能に何らかの困難が生じることである。



 今日の医学は、自我の実態を知ることなしに、既に遙か前から、自我が他の3つの組織体、人智学で呼ぶ、アストラル体、エーテル体、物質体とともに完全体になる困難さに関して、他の3つの組織体との自我の闘いから現れる挙動を記述できる段階にまで来ている。

 唯物論的な時代に生きているので、勿論、生体内に、上記の闘いを直接見ることはないが、この闘いを、熱曲線として正確に描くときには、この熱曲線のなかに常に、上記に特徴を述べた自我の闘いが正確に写しとられる。

 従って、様々な病気の際の熱曲線の探求から、上記のような関係が明らかになる。確かに、熱曲線の探求は、治療に対する病理学よりも遙かに重要性に乏しいかもしれないが、自我と3つの組織体との闘いを熱曲線で描写し、その関係を、多少とも一般的に理解すべきである。

 というのも、例えば肺炎や、腸チフス[Typhus abdominalis]の洞察の際に、熱曲線の経過から、自我に対する見解が獲得できるからである。

 肺炎の際の熱曲線の2つの主要な形を研究すればわかる。例えば、危険な経過の熱曲線と、危険でない経過の熱曲線を比較すれば、生体組織への介入を妨げられた自我が反撃する際、危険な経過と危険でない経過では、全く異なる形で行なっている事実が獲得できる。



 別の、反撃の見込みのない消散性の経過の場合、自我の力のなかに、反撃する要素を加える可能性が乏しくなり、従って、不規則な熱の降下は、危険な経過とみなせる。

med1-9.gif

 特に、他の3つの組織体に対する自我の働き全体を洞察するには、チフスの際の熱曲線を観察すればよい。

チフス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9

 チフスの熱曲線のなかに、自我の実際の闘いについての明白な描像が獲得できる。チフスの熱曲線の観察から、他ならぬ自然科学が医学に流入することで、人間の様々な組織体の考察が不可欠である事実が示せる。

 医学上の混乱は、科学が唯物主義になり、物質体での事象(出来事)のみの観察に限定することで起こった。しかし、物質体での事象(出来事)は、(他の3つの組織から切り離され)決して独立したものではなく、何よりも、物質体で起こる事象(出来事)の性質は、全く等価ではない(組織毎に異なる)。

 なぜなら、物質体では特に、エーテル体が物質体内部で働き、アストラル体、もしくは自我も、エーテル体内部で働くことで、物質体で起こる事象(出来事)が左右されるからである。疾患の症状等は常に確かに物質的な事象(出来事)ではあるが、物質的な事象(出来事)を特徴づけ、物質的な組織のなかで働く高次の構成体により、全く別の性質も持つからである。





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Last updated  2012年01月31日 08時47分42秒
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