シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年07月04日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、人生においては、前回に述べたケースとはまた別の逆のパターンも存在する。

 逆のパターンというのは、本来、青少年期にだけ、展開すべきはずの器官作用が、(後にまで)残っている場合である。主として子どもの頃と青少年期に発達すべき器官の発達の要求は、人生全体を通じて生じるが、減弱された形で生じなければならない、でないと有害な結果をもたらすからである。

 例えば、多種多様な原因から、精神分析のようなものが、今日の人間の思想全体に入り込み、思考を混乱させ、誤謬に富んだ精神医学のような分野が成立している。

 大きな錯誤は、即座に反駁されるので、本質的には、それほど有害ではないが、むしろ、有害なのは、わずかな真実が混じる錯誤で、そのような小さな錯誤は、極限にまで押し進められ、誤用される可能性が高い。

 では、精神分析を用いた世界観の到来に際して、一体何が起こっているのか?

 今日の様々に不自然な生活様式などにより、子どもの頃に、外の環境に全く適合させずに、子どもに印象(イメージ)を与える多くの経験(能力)が消化(開発)されない、ということが起こっている。

 (現代の代表ともいえる過保護な教育環境のことだろう。既成物などを与えて、自分でマネて、つくりだす能力を奪ってしまう。人間がペット化してしまう。)

 適切な方法で、人体組織に編入されない経験(能力)が、魂のなかに残ったままになってしまう。というのも、魂のなかの作用は、軽微でも、少なくとも、人体に対する作用として持続していくからである。

 現代の子どもたちにあっては、魂のなかにとどまり続ける、異常な経験(能力)が数多く存在し、これらの経験(能力)の、器官発達への即座の転化が不可能となっている。



 もし、これらの経験(能力)が、器官発達に関与すれば、分離した魂のままにはならないが、後の人生、つまり高齢になったときに作用し、もはや青少年期に主として発達する器官を用いるようなことがなくなる。

 上記のように、人生全体のなかでの不都合が生じることもある。魂の分離のために、適さない器官に影響を及ぼさざるを得なくなる。これは実際、精神分析的な方法を正しく適用すれば、確認できる現象である。

 質問応答的に診断すれば、魂のなかに、消化されず、消化するためには、もう老いてしまった器官のなかで破壊的な作用をするような経験(能力)を見つけることができる。

 しかし、この方法では、決して治療には到達できずに、診断ができるだけである。精神分析を診断に限定して用いる立場を堅持するなら、正当ともいえるが、その精神分析が、正しく実行され、集められた証拠などにより、不正を裏づけるようなことが起こらなければ、の話だが、精神分析家たちは、質問応答的な診断に際し、患者から、できるだけ可能な応答を、力ずくで引き出そうとして、例えば、スパイのような監視も可能な状態にして、引き出そうとすることもある。

 実際、スパイのような監視さえも用いて、患者を誘導尋問するようなことが、よく起こるので、酷い不正が隠れているのが当然とも言えるほどである。

 しかし、この点を度外視すれば、実際、精神分析に携わる人の道徳が重要で、結局、診断の上では、精神分析にも多少の真実が含まれているが、精神分析家の立場では、治療の上での効果を及ぼすことは不可能となる。これもまた現代的な現象と関わりがある。

 唯物論の悲劇は、唯物論が物質[Materie]の認識から逸れていること、物質の認識を妨げることにある。つまり唯物論は、本来の霊的な認識というより、物質のなかにある霊の認識にとっても有害なのである。

 霊的な作用は物質と結びついているので、物質のなかに霊的な作用を探究できるが、その霊的な直観が阻まれることで、阻まれてはならない、人生に対する健全な直観の多くが同時に阻まれてしまう。

 もし、仮に私(シュタイナー)が唯物論者だとしても、これまでの考察において議論してきたような特性を全て物質に帰することはできない。

 物質に備わっている様々な特性を、物質に帰することは馬鹿げたことにみえる。つまり、物質の認識からも逸れ、もはや、燐や塩の現象については語ることができない。唯物論では、燐や塩などは全て、ナンセンスにみられているからである。

 まさに、物質のなかの霊の認識からも逸れる(外れる)ことで、更に、形成作用を正確に研究する可能性からも隔たり、特に、人体の本質、すなわち、人体は、(覚醒)意識に向かう経過と、それとは反対に向かう(潜在意識の)器官的経過(プロセス)の二重の課題(陰陽の方向性)をもつ、という事実の洞察からも離れていく。



 歯が二重の性質をもつ事実は、歯を単に化学的に調べるだけでも、骨組織と関係して現れることから、明白になる。しかしながら、進化(発達)史的には、歯は、本質的には皮膚組織から生じている。

 だから、歯は皮膚と骨の二重の性質をあわせ持つが、ただ二重の性質は深く潜伏している。例えば、動物の歯列と、人間の歯列を比較してみるとよい。

 そうすれば、この講義(人智学的医術)の冒頭で述べた、歯の二重の性質が、動物の歯列において強く現われ、サルの頭蓋骨により示した、下への負荷となっていることがわかる。

 (動物の歯は、皮膚器官の延長という感じにみえる。例えば、サメの歯は、失うと、皮膚のように、生えてくる。)

 対照的に、人間の歯列では、歯列のなかに、垂直線上の上昇作用が見られる。この上昇作用から、人間の歯が、単なる咀嚼器官ではなく、本質的には、吸収器官であり、第一に、皮膚のように、外へ向かって、機械(物質)的に作用するが、第二に、骨のように、内に向かって、精妙に霊化された吸収作用をもつことがわかる。



 「では、一体、歯は何を吸収するのか?」

 歯は、基本的に、フッ素[Fluor]をできる限り吸収している。

 歯は、フッ素を吸収し、フッ素吸収器官[Fluorsaugapparate]である。

 つまり、人間は、微量のフッ素を、人体内に必要とし、フッ素がないと、衝撃的な事実だが、人間は、賢くなりすぎてしまう。人間は、自分を破壊しかねないほど、賢くなってしまう。

 (「賢く」とは、「狡猾な」、「狡賢い」という意味に近い。)

 だから、人間が、人間であるためには、とりもなおさず必要な適度な愚かさを必要とし、フッ素の作用により、賢さが和らげられる。あまりに利口になりすぎないための絶えざる対抗手段として、微量のフッ素を必要とする。

 従って、歯が早期に悪くなることは、同時にフッ素作用も損なわれ、つまり、歯が、フッ素の吸収作用を過度に用いていた事実を暗示し、フッ素を吸収しすぎると、愚かになりすぎるために、このような事実については、限られた時間のなかで、もう少し述べていくが、愚かさに対抗して、賢さを支援するために、歯を悪くする機会が早期に与えられたことを示している。

 (欧米では、歯並びが賢さの象徴ともなっているが、この事実に由来しているのだろう。逆にいえば、早期に歯が悪くなるのは、あまり賢くない証拠でもある。だから、フッ素を与えすぎると、歯が悪くなる。)

 つまり、この歯のフッ素吸収作用から、あまりに愚かにならないように、歯を自ら壊す。

 このような人体の微妙な関係性について改めて考察してみると、あまりに愚かになってしまわないように、歯を損なう機能のなかに、一方では人間に利益をもたらすものと、同時に他方では、人間に害をもたらすものとの間で、均衡をとる密接な関係が洞察できる。

 人間は、あまりに賢くなりすぎないために、フッ素の作用を必要とするが、フッ素の作用を強くしすぎて、自らに害を及ぼす可能性が生じる場合は、器官活動を通じて歯を破壊する。

 以上は、是非、熟考して欲しい事柄である。なぜなら、以上は、人体組織において、極めて意味深い事実に関係するからである。





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Last updated  2012年07月04日 14時48分33秒
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