シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2020年01月12日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
ブログを随分と放置している間に、年が変わってしまった。色々書きたいことはあるのだが、なかなかその時間をつくれない。

 時間があれば、シュタイナーの人智学とドーリルの神智学を読み解いて、その真実をわかりやすく解説したいと思っているのだが、なかなか進まない。

 なかなか進まないので、思いついたように、断片的に単刀直入に久しぶりに書く。

 人間がなぜ生きるのかは、哲学の主題だが、それは神になるためである。人間は神の子であることは、キリストが既に説いている。神になるためにはあらゆる経験を積まないといけないし、その努力も必要なので、この世に生まれて地獄のような苦しみを味わうわけである。

 神は悪魔をつくり、試練を人間に与える。師が弟子に課題を与えるのと同じである。

 この世は神になるための学校である。だから人間はこの世で苦しみの勉強をする。

 苦しみは人間自らが創り出す。肉体はその現れである。

 苦があるから楽があり、悪魔を超えるから神に到達できる。

 この世で悪に出会わなければ、悪を超えていけない。



 端的にいえば、悪を経験し、克服するために努力するしかない。

 何が悪か、といえば、独りよがり、つまりエゴである。調和がとれない状態である。

 悪を理解するには、物質に現れる前の、目に見えない状態を見通せないといけない。

 いわゆる超能力である。経験を積めば、目にみえないことも見通せるようになる。法則が理解できるからである。

 例えば、物理学は、物質の関係性を力により定義し、理解する学問である。エネルギー保存則や物質保存則は、19世紀から人類が発達させた超能力の1つといってもよいだろう。

 しかし、物理学は物質しか想定できないので、精神にはほとんど言及できない。

 いま哲学と呼んでいる学問は、古代ギリシアでは、精神の関係性まで見通せ、精神の法則性を見通せた。だから、物質の法則性よりも、上位にある。ソクラテスは物質の関係性だけでは、その上位の精神の法則には到達できないといい、プラトンはイデアで、その関係性に言及した。

 物質の関係性を超えるには、人智学でいうところのエーテルに言及しないといけない。エーテルとは、生命の法則やその働きを言語化したものである。

 例えば、古代アトランティス時代では、エーテルの法則や働きなどは、植物を通じてよく理解され、利用されていた。物質はもっと軽く、大気はもっと水蒸気のように水分を含んでいた。だから、生命力を使って、建設はいまよりも楽だった。

 植物の種子をみて、花や果実を連想できた。現代人も植物を栽培することで予測でき、DNAをいじくって遺伝子を変えたりしているが、古代では、塩基配列になる前の、もっと根本的な音楽の楽譜みたいな段階で改変していたそうである。

 その名残りが、例えば、干支などである。



 人智学、神智学のエーテル、アストラルについて、東洋的な観点から、解説されているので、以下に転載する。しかし、西洋の奥義にはまだまだ程遠く、ほとんどが形骸化している。

 干支とは、物理学的にいえば、エネルギーの流れ、もっと根本的にいえば、生命の法則や働きを、イメージ化したものである。

 干支の干は、生命の陰の働き、内から外へのレスポンスを、五行に準えて表現したものであり、例えば、甲は、植物の芽が殻を破って出ているイメージである。発芽のエネルギーを表す。

 芽は出たけれど、まだ外界の抵抗にあって、巧く成長できないので、曲がってしまうエネルギーの状態を、乙で表す。

 つまり干は、生命の潜在エネルギーの内外反応の発展段階を10段階で表したものである。



 例えば、子は、ネズミの増殖性の習性に当てはめ、分裂、増殖する生命の働きを表し、それが絡み合って、個体として組織化していく働きを、牛の咀嚼して食べる習性にあてはめ、丑と表記し、その組織化したものが、相乗効果で活発化していく働きを、トラの俊敏な動きに当てはめ、寅と表記したのである。

 鼠が子で、牛が丑で、虎ではなく、寅なのは、実際の動物ではなく、その習性に似ているからで、つまり、イメージ化しているからで、個々の動物とは直接関係はない。霊と考えたほうがよい。

 ちなみに、よく昔話に出てくる、キツネやタヌキも実際の動物ではなく、その習性をもった霊体の事であり、西洋の妖精や、目にはみえない精神の法則や働きをイメージ化したもので、プラトンのイデアのようなものである。

 精神界のあの世と、物質界のこの世とは、鏡像関係にあるので、エネルギーの物質化している部分は、精神では死んだ状態になっているのである。だから、精神の働きは、物質を分解、解体することにある。実際、人間は物質を分解、解体することで、知識を得る。

 例えば、腫瘍は、精神性が失われ、生命の制御ができない状態にあるものだから、精神性を取り戻す必要があり、再び、エーテルを流し、精神性、つまり神経を回復しないといけない。取り除いて除去するのも一つの手だが、精神性を失わせる原因を改善したわけではないので、再発する。

 物質は再び精神に帰着させないといけない。単なる破壊と、分解が異なるのはこの点にある。

 だからエントロピーの法則がなければ、人間は知性を得ることができないのである。人間は地球を分解、解体することで、地球の働きを理解する。肉体を分解、解体することで、つまり死ぬことで、人間の生命を理解する。

 キリストの太陽霊は、イエスの肉体に受胎し、人間の死を知ることで、地上で経験してきた人間の生命を理解したのである。

 ここで言っている分解、解体とは、あくまで生命の法則に則ったものでなければならない。物質の法則で、分解、解体しても知識は得られないこと、単なる破壊にすぎないことに注意しないといけない。

 自然の生命の法則を超えてしまうと、カルマの法則により、自らで、自らを破壊し続け、自らの存在が孤立し、消滅してしまう可能性がある。理解とは、互いの働きを捉え、客観的視点に立たないと、無意味だからである。

 常に生命を尊重しないと生命の理解は得られない。それが生命の法則の基本だからである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020年01月12日 01時53分04秒
コメント(4) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: