カテゴリ未分類 0
全15件 (15件中 1-15件目)
1
『山椒魚』井伏鱒二(新潮文庫) 『山椒魚』の冒頭に「山椒魚は悲しんだ。」とあります。 また、この井伏鱒二の初期短編集には12の短編小説が収録されていますが、その多くの作品に「くったく」という単語があったように思います。 筆者の、少なくとも初期作品を貫くテーマは、この「悲しんだ」「くったく」という事だったと思います。 ところが、では筆者は、あるいは作品の登場人物は、具体的に何に「くったく」しているのかと見ていくと、それがなかなかよくわかりません。 私としてはそれがかなり気になって、なんとも、この一連の初期作品をトータルで納得したという気になれないんですね。そわそわした感じが残ります。 例えば、名作としての誉れ高い『山椒魚』だけを単独で読んだとすれば、そこに描かれている「悲しんだ」の正体は(いえ、「正体」というほどはっきりと私が捉えているわけではないのですが)、例えば、井伏鱒二についての話ですからその「係累」という事で太宰治の言葉で書くと、 「生くることにも心せき、感ずることも急がるる」という箴言めいた一節に表現されているものであるような気がします。 それはまた、私のだらしない連想でつないでいけば、漱石の俳句 菫程な小さき人に生れたしにもつながっていく欲求のような気がします。 そのように考えて初めて、『山椒魚』のラストシーン(筆者が最晩年に削除(!)してしまった部分)の「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」という山椒魚のセリフの生みだす広い世界に、我々は感動するように感じます。 ところが、この『山椒魚』型の悲しみは、他の作品にも広く点在する「くったく」と、重なるように見えて、しかしどうもそうではないように思います。 それは、上記に二つ挙げた例でもう一度考えてみれば、この「くったく」は、例えば表現者として圧倒的な才能の重さを負っていた太宰治のものとも、またその時代においては国内で最も選ばれた知識人のひとりであった夏目漱石のものとも、どう考えても重なるものとは思いづらいからです。 何より本短編集には、ほぼインテリゲンチャは姿を見せません。(作品の視点となる人物については、少し置いておきます。) 本短編集の収録作品は、大雑把にですが、二つの種類に分けられそうな気がします。 いえ、そんなにくっきりと二系列に分けられるのではなく、作品によって二系列の要素が多い少ないの配分を違えながら描かれているように思います。 一つは「表現=言葉」追及系列。 そしてもう一つは、もう一つは何と名付けましょうか、やはり「庶民」という言葉が浮かびます。うまく表現できませんが「庶民=生活」追及系列。 私がよくわからないのは、二つ目の追及系列をテーマとするこの初期井伏作品群が、果たして優れたものであるのかどうかという事であります。 いえ、もちろん優れてはいるのでしょう、総体的な小説評価としては。 本文庫本には二つの解説文がありますが、そのうちの一つ目の解説(河盛好蔵)には『へんろう宿』に対する高い評価が書かれています。 以前私が読んだ岩波文庫の井伏鱒二初期短編集にも『へんろう宿』は収録されていて、解説者の河上徹太郎は、もっと強い調子で『へんろう宿』を評価しています。 この度私が本短編集を再読して、かなり戸惑ったことのひとつが、『へんろう宿』が、前回読んだ時程わたしのなかにくぐっと入ってこなかったことでありました。 以前岩波文庫で読んだ時もこの新潮文庫版で読んだ時も、もっと、何といいますか、この作品に生きることの深淵を垣間見たような気がしたのですが。 『へんろう宿』は、上記の私の拙い二系列整理でいうところの、典型的な「庶民=生活」追及作品だと思います。 もちろん、理屈で考えますと、よく書けているじゃないかという感覚はあるのですが、何か、不気味に迫ってくる実感がありません。 そういえば『屋根の上のサワン』についても、今回、終わり方のあっけなさに少し戸惑いました。 しかしもとより、井伏鱒二は、何か大きなものを描く時、それを外して外して描く作風の作家であります。 太宰治が最晩年に『井伏鱒二選集』の解説を書いていますが(第4巻まで書いて自殺してしまいましたが)、その中に、酒の席で聞いたことのある井伏評だとしてこんな風に書いています。 「井伏の小説は、泣かせない。読者が泣かうとすると、ふつと切る。」 「井伏の小説は、実に、逃げ足が早い。」 太宰は他人の批評だとしていますが、きっと太宰自身の実感でもあるのだと思います。実に穿った的確な評だと思います。 さて、この度私は本書を読み終えて、はっきり言いますと、とても「くったく」としてしまいました。 私は今まで、ややぼんやりとではありますが、井伏鱒二は好きな作家のひとりのつもりでいたんですね。それが、描かれた文体としては舌を巻くようなところ、読んでいて心地よい感じはありながらも、どこかやはり「逃げ足が早い」。 早すぎるんじゃないかと感じてしまいました。 この物足りなさは、わたくしの感覚の老化であるのでしょうか。 この年になってのこの「くったく」は、あたかも井伏作品の登場人物のようにどこか寂しいものがあると、私は、感じることしきりであります。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.02.10
コメント(0)
『太宰治』井伏鱒二(筑摩書房) 本書は、筆者が太宰治について書いた随筆をまとめた本です。 太宰が自殺した年の夏あたりから始まって、その後、例えば太宰の文学碑が建てられたなどの「イベント」の際に求められて書かれた文章などが続きます。 次に、筑摩書房から出ている太宰全集の月報での連載随筆が十作ほどあります。こうしてまとめたものを読むと、その折々の太宰治と筆者の交友ぶりが描かれていて、とても面白いです。 さらに次に、新潮社から出た日本文学全集の太宰治の巻の解説文。これは結構長くて、太宰作品について詳しく筆が及んでいるので、なかなか充実した資料です。 そんな随筆集ですが、さて、何といいますか、やはり読んでいてとても心地よかったですね。 「やはり」というのは、まず私に、井伏鱒二の随筆は銘品だという「先入観」があって、そして読んでみて実際その通りだったからです。 その「先入観」はどこから来たのかと言いますと、私のかつての井伏随筆の読書体験からですね。どんな文章を読んだのかと言えば、井伏随筆としてはあまりに有名すぎて、取り上げるのが少し恥ずかしいくらいなのですが、銘品「おふくろ」であります。 既に小説家として名を遂げていた井伏が郷里に帰ったとき、母親が、小説はどのようにして書くのかとか、漢字を間違ってはいけないなとかを晩酌していた井伏に尋ね、それに対して井伏がぼそぼそと答えるという話。(……だったと思います、多分。何せ、私が読んだのも大昔なので。) この話が、誰が読んでも、とおってもいいんですね。 このお話の時、井伏鱒二はすでに文化勲章なんかを貰っている文豪なんですね。その井伏に向かって、漢字を間違えてはいけないという母の姿は、永遠の母と子との関係を実にハートウォーミングに描いていて、ほとんど感動してしまう名随筆であります。 そんな井伏随筆体験をしていたものですから、今回の読書に当たってもそのくらいの予想をして、そして実際その予想通りであった、という事であります。 しかし、このはらわたに染み透るような文章というのは、一体何なのでしょうね。 井伏の弟子の太宰に天才的な文章力があったように、やはりこれも天才的な文章力なんでしょうね。 太宰が井伏を終生師と仰ぎ(最晩年は少し微妙ですが)、井伏があれだけ迷惑を掛けられながらも、太宰の面倒を見続けたというのも、実は漱石と「木曜会」の弟子たちと同じように、単なる師弟愛ではなくて、御互いの才能を前提とした友好関係であったのだろうと思えます。(漱石の「木曜会」の弟子たちの才能は、小説家としてはさほどではなかったようですが。) だから、本書は基本的には太宰治の人柄をほめた内容になっているのですが、それは、凡百の「太宰大好き本」とは違っています。 そもそもそんな本とは比べ物にならないのですが、何より説得力が全く違います。 そんな随筆でした。もちろん太宰について初めて知ったエピソードが幾つもあるのですが、特におやっと私が思ったお話を二つ、簡単に紹介しておこうと思います。 それは、いわば「もしもの太宰」です。 まず一つ目は、太宰がパビナール中毒で入院していた武蔵野病院を退院するときのことで、太宰の兄の津島文治は、健康な生活をさせるために太宰を津軽に引き取って食用羊の牧場のお守りをさせたいと言ったというエピソード。 実際は井伏も反対して、そのまま東京に残ることになるのですが、ここに「もしもの太宰」が生まれます。 もしこの時太宰が津軽に戻り、田園に親しむような生活をしていたらどうなっていただろうかというのは、なかなか興味深くありませんか。 津軽の地をいかに太宰が愛していたかは(それは「憎」の深さでもありますが)、様々な太宰作品からも十分読み取れますし、本書にも、二番目の妻津島美知子の文章として書かれています。 もしそうなっていたら、以降の太宰作品がどう変わっていたか、ちょっと想像もしにくいですが興味深そうですね。そんな「もしもの太宰」がひとつ。 本書にはもうひとつ「もしもの太宰」が書かれていて、それは井伏が、実際にもしもこの時そうだったらと仮定しています。 それは、太宰が昭和十六年に陸軍の徴用令を受けたが痼疾のため逃れたという逸話で、実は井伏も同時に徴用令を受けており、そして彼はシンガポールに行かされています。 このことについて井伏は、「太宰君は徴用を逃れたことを、何か後ろめたいことのやうに感じてゐたやうに思われる。」と書いています。 そして「もし、あのとき太宰君が徴用されて、派遣軍徴員になつてゐたらどうだらう。『惜別』も『ヴィヨンの妻』も『トカトントン』も、この世にでなかつたらう。」と続けています。 井伏が挙げた、なかったかもしれない太宰作品が、なかなか興味深いですね。 実はわたくし、先日読んだ太宰についての本で、最晩年の太宰は(あたかも最晩年の三島由紀夫のように)、戦争で命を落とした人々に対して強い「後ろめたさ」を感じていたのじゃないかという考察を読みました。 なるほど、もしも太宰がこの時井伏のように徴用されていたら、太宰は自殺しなかった可能性は、大いにあるような気がします。(それは三島由紀夫も同じかもしれません。) これもなかなか興味深い「もしもの太宰」でした。 そんな、何か久し振りにほっとする読書をしたように、私は思ったのでありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.01.04
コメント(0)
『駅前旅館』井伏鱒二(新潮文庫) むかーし、私が幼くって愚かだった頃(今は老いさらばえて愚かであるという一段とたちの悪いものになっていますがー)、いろんな職業に就きたかったんですね。 以前書きましたのが、まず漫画家。でもこれは子ども達にとってかなりポピュラリティのある職業希望ですよね。だって漫画を読むのはとっても楽しい。ただいかんせん、読むことと描くこととは全く別のものであることに、愚かな私は気が付かなかったんですね。(しかしまぁ、大抵の漫画少年少女はそうでありましょう。) そこで、漫画家はあっさり諦めて、次になりたかったのが大工さん。 小学校の頃、我が家に内風呂を増築しました。今でも覚えていますが初老頃の大工さんが、何日くらい懸かったのでしょうか、ひとりでこつこつと風呂場とその手前二畳くらいの脱衣場を作ってくれました。 母親が言うには、この内風呂ができあがるまで、私は毎日学校から帰ってきてその作業の様子をずっと見ていたということでありますが、なるほど私も覚えています。大工さんが木を切ったり釘を打ったり組み立てていくのがとても面白かったのを。 ところが、なりたく思った仕事は次に変わりまして(だって、風呂場の増築以降私と大工さんの接点がなくなってしまったものですから)、これが板前さんなんですね。 本当の板前さんなんて、それこそ私に接点はまるでありませんでしたが、なぜ板前になりたいと思ったのかははっきり分かります。 倉本聡と萩原健一であります。 そうですね。私は『前略おふくろ様』の大ファンだったんですね。 再放送まで頑張って見ました。その後出版された理論社刊のシナリオ『前略おふくろ様・全四巻』は何度も読みました。今でも気が向けば本棚から取り出して、適当なページから読んでいったりします。今でも大ファンであります。 さてやっとここで、冒頭の文庫本の読書報告に繋がるんですが、旅館と料亭はかなり異なってはいますが、共に板前さんがいらっしゃいます。本書においても板前さんの事に触れられています。なんかとっても、懐かしい気がします。 そして板前さんだけでなく、旅館業、特に番頭業について、実に、微に入り細を穿つが如くに描かれているのが本書であります。 そういえば、これはどこから聞いた(たぶん読んだ)話でありましょうか、あいかわらず出所不明瞭な話をしますが、司馬遼太郎が『龍馬が行く』を書こうとしたその前後、神田の古本街から幕末関係の書籍がみんな消えたとか。 ……ちょっとマユツバですね。要は、それだけ司馬氏が参考文献を読破して作品に入ったと言うことでしょうが。 同じような表現として(同じじゃないかも知れませんが)、井伏鱒二が描いた後はぺんぺん草も残っていない、と。 『本日休診』で町医者を描き、『多甚古村』で駐在さんを描き、そして本書は駅前旅館の番頭ですが、なるほどそう言われるだけのことはあって、さすがに書き込んでありますねー。そんな個所は山ほどあるのですが、例えばこんな具合。 これが学生の団体でも、各地方によっていろいろの風儀がございます。長野、山梨になりますと、自由外出するとき引率の先生が生徒の小遣を預かって、二百円以下しか持たせないというのがある。なかには厳重に身体検査までして、小遣銭の全部を預かってしまう先生もある。長野県というのは頭のいいところだと言うが、長野のお客さんで勝股さんという珍しく気前のいい旦那に伺った話では、あそこの信州では山のなかの馬子でも馬を曳きながら、中央公論とか文藝春秋というような雑誌を読んでいるそうだ。 最後のところ思わず笑ってしまいますが、全編こんな感じのその業界の内実めいたたたずまいが非常に手練れた描きぶりで表現されています。 主人公の番頭による一人称語りという形を取っていますが(またこの書きぶりがとってもうまい)、しかし最後のほうになって、この「語り」が読者に向かっての語りではなくて、実は作家らしい者に頼まれた番頭が、身の上話を長々と彼に(「彼女に」?)語っているという「種明かし」まで出てきます。そんな部分も含め、作品の隅々にまで神経を張り巡らせたような、まさに職人芸的な小説となっています。 ……が、そんな小説をどう考えるのか、と言うことが最後に残ってくるんですね。 この辺が、文学のとてもやっかいなところで、上記の「職人芸」という言い方は、一概に小説の最上級の褒め言葉ではないのですね。 全く私見ながら、弟子筋に当たる太宰治が今でも大いに読まれているのは(井伏氏はどうなんでしょう。それなりに読まれている気はするのですが)、本当は太宰も充分職人芸的技術は持ちながら、それを作品としては隠したところあるのではないか、と。 さらに言えば、職人芸的技術とは円熟味のことであり、円熟味とは若さとは相容れず、そして小説とは、ひょっとしたら「若い」ということを最大の魅力とする芸術ではないのかと、私はこっそりと考えるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2013.01.06
コメント(2)
『ゼーロン・淡雪』牧野信一(岩波文庫) かつて物事を何も知らなかった私は、いえ、今でも、世間並みのことをほとんど知らない無知なわたくしではあるんですが、今の私よりももっと物知らずだった頃、私は岩波文庫の近代日本文学作家のチョイス・ポリシーがよく分からないなんてことを、本ブログに綴っていたのですが、全く何も知らないと言うことは恐ろしいもので、それで別に何も思わなかったんですね。 「無知の悲しみ」ですなー。 作家開高健は、「智慧の悲しみ」という言葉を使っていましたが、あれはどんな文脈で使っていたのかと思い出しますと、自分はまだ年若いうちから女性と同棲生活をし、そして女性の肉体と精神について深い考察を持つに至ったが、そのせいで自分のメランコリイはますます進行してしまったという話じゃなかったかしら。 確か、野坂昭如の『四畳半襖の裏張り』裁判の、特別弁護人としての弁論だったと思います。 閑話休題しまして、岩波文庫のチョイス・ポリシーの話ですが、無知な私が世間様におのれの恥をさらしていたのは、上司小剣の短編集を読んだ時だったと思います。 しかしその後、例えば岩波文庫の岡本綺堂の戯曲集を読み、同じく木下杢太郎の戯曲集を読み、さらに江戸川乱歩の短編集、久生十蘭の短編集、そしてこの度の本書を読むに及び、ああ、許しておくれ、わたくしが間違っていた、……と気づくに至ったのであります。 岩波文庫のチョイス・ポリシーはまっこと、目利きの技であります。 しかし、少々マニアック過ぎはしますがー。 というわけで、この短編集も実に不思議ティストな作品集であります。 しかし、まるで類例がないわけではありませんね、この作家の場合。 わたくし、時々つくづくと思うことがあるのですが、例えば典型的なのが「第三の新人」あたりだと思うのですが、あの頃(昭和20年代後半から30年代前半にかけてです。)の芥川賞受賞者が、見事に揃いもそろってよく似たティストの「第三の新人」であるのは、なぜなんでしょうかね。 第一次、第二次戦後派あたりも同様でしょうか。さらに遡っていけば、白樺派なんかもそうなんでしょうか。(でも白樺派は、そもそも友達関係の繋がりが先行していたようで、少し違うかも知れません。) ともあれ、「同時多発」的に同ティストの作家がどっと出てくるのは、単に「同じ時代」という理由で括りきれるものなんでしょうかね。 牧野信一の同ティスト作家・作品として私が思い浮かべるのは、やはり同時代人の井伏鱒二(の初期の短編)であり、坂口安吾であり、あるいは太宰治の初めの方の作品もそれに入れても良いかと、思うのであります。 文芸思潮的に見ますと、昭和初年の「新興芸術派」でありましょうか。 あの頃、小説の面白さを、奇妙な味でもって追求しようとした作家が、一気に何人か出てきたように思います。 あまり詳しいことは知らないんですが、近代文学も既に何十年かの歴史を持ち、大家も名作もそれなりに産まれ、そして何より、外国文学の名作が次々と出回りはじめた頃ということで、まともに立ち向かうにはとっても敵わないと、ちょっと斜に構えた作家達が、ぽこぽこと出てきたような気がします。 その不思議ティストの一人が、この牧野信一ではなかったかと思うんですがね。 本短編集には十余りの小説が収録されていますので(それに随筆が二作あります)、一概にはまとめられないんですが、この味わいは何でしょうか、やはり「ナンセンス」に近いのでしょうかね。同時代人としては坂口安吾などが近隣種のように思います。 あるいは、安部公房の初期の短編なんかもよく似た感じです。そう言えば、科白回しなんかは、不条理劇のようでもありますね。 それと、幾つかの作品を読んだあと強く思ったことなんですが、以前何の文章だったか、文芸評論家の齋藤美奈子が書いていたことを思い出しました。 彼女が述べるには、大衆文学の作品構成がまっとうな「起承転結」だとすると、純文学の構成は「起承転」である、と。 この文章を読んだ時は、なるほど面白い味方だなと、私は感心したのですが、この度牧野信一の幾つかの作品を読んで思ったのは、「これはまるで『起承』で終わった小説のようだ」ということでした。 それはそれは、実に見事にプツンと話が切れています。 あたかも(今はほとんど見られない)乱丁・落丁本のように。 私は、何度か次のページをめくって、話の続きを探してみました。 これはとても奇妙な感覚であります。闇夜に鼻を摘まれたような感じであります。 そのうえ、中には「これは『起』だけで終わっているんじゃないか」と思うような作品まで入っています。 ねっ。おもしろそうでしょ。 でもこんな作品集は、やはり「大家」の名前では出せませんよねー。 上司小剣とか久生十蘭とか、「文学史的一発屋」(この言葉は今私が作りました。)でなければ。 そして、そんな作家を丁寧に拾って文庫にしてくれている岩波文庫は、やはり偉大であるなあ、と。文学の地平を大いに拡げてくれている文庫、といってよいと思います。 岩波文庫、えらい! よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.06.07
コメント(0)
『冬の宿』阿部知二(講談社文芸文庫) 本文庫カバーの裏ページに宣伝用の文章が載っていますが、こんなふうに書いてあります。 昭和初期の暗く苦しい時代に大学生活を送る「私」の下宿した霧島家の人々の息苦しい生活。絶望と苦悩の中での結婚生活、知識人の内面的葛藤と、精神的彷徨の冬の日々。 なんか、書き写していてもくらくらしそうな「暗さ」ですよねー。 この文章って、宣伝効果があるんでしょうか。こんな呪いのような文を読んで、「面白そうだ、読んでみよう。」って感じる人はいるんでしょうかねー。(まー、私は、この文章を読んだからということではないですが、この文章も読みつつこの本を購入したひとりではあるんですが。) タイトルがまた、なんか凄いですよね。『冬の宿』 ……なんか、「一人勝ち」みたいな気がしますね。 いえ、なぜ「一人勝ち」なのか、言い出した私にもよく分かりませんがー。 「冬の…」とくれば、有名な芸術作品としては、例のシューベルトの三大歌曲集の一つ『冬の旅』がありますね。有名な『菩提樹』なんかが入っている、三つの歌曲集の中でももっとも人気の歌曲集ですが、まことに不明を恥じるんですが、私はこの連作歌曲の良さが今ひとつ分かりません。 何といっても、暗すぎませんか。 初めて「シューベルティアーデ」の友人達の中で発表された時も、その暗さに一同は圧倒されて、驚き呆れたというではありませんか。(そもそも「シューベルティアーデ」と呼ばれたシューベルトのファンクラブみたいな面々と、シューベルトは今ひとつ噛み合っていなかったんじゃないかということを、確か村上春樹が書いていましたが、全くその通りという気がしますね。) さてそんな「冬の…」シリーズですが、本書もその暗さにおいてはきっと『冬の旅』に勝るとも劣るまいと思いつつ、私は本書を読み始めたのですが、あに図らんや、さほど暗くないではありませんか。 そもそも今まで私が読んだ小説のうちで、同じ昭和初年の風俗を描いて圧倒的に暗かったのは、何といっても田宮虎彦の作品であります。暗さ一等賞は『絵本』ですね。 この田宮作品のあまりな「暗すぎさ」(あ、ヘンな言い回し)に、筆者の根本的な人間理解の歪みを指摘する文芸評論家もいるほどであります。 そんな作品に比べますと、本書にはそこはかとないユーモアが流れているといって十分であります。そしてそのユーモアの源泉は、霧島家の当主「霧島嘉門」の存在にあることは間違いありません。 描かれる彼の極端な性格破綻が、作品内にユーモアを生み出しているんですね。 一方確かに、そんな「嘉門」がもたらす霧島家の没落自体は、事象だけを追うならば極めて息苦しく陰惨なものであります。 しかし、前述の田宮虎彦の作品に比べ、どこか「明るさ」があると感じられるもう一つの理由は、本小説には死者(特に「自死者」)が出ないところであります。 いえ、本作にも肺結核で亡くなる女性が出てくる事は出てくるんですが、その扱いについてはやや遠景的であり、作品の焦点である霧島家の人々に死人が出てこないのは、何といってもほっとする「風通しの良さ」を感じさせます。 途中、病気になる霧島家の幼い娘は、一時死の近くまで行きますが、診ていた医者が「私」とこんな会話を交わすごとくに、死の淵から蘇ってきます。 「それはどこもかしこも悪いのですが、あの子は不思議に強靱なところがあるんですよ。あんなに弱そうに見えていても、あの子の生命力にはわけのわからぬほど強い力がありそうです。」 「つまり霧島の大将があの子にゆずり与えた唯一の贈りもの、というわけですね。弱そうにみえて、やっぱり親父の生命力を受けついでいるんですかね。」 ここに描かれるのも、霧島家の一大悪因である「嘉門」の正の側面であります。 嘉門と妻は、最後には住みかをも追われて、いよいよ貧民街へ向かうのですが、そこに二人の子供達はいません。子供達は親戚に預けられ、それが彼らにとって幸福な事かどうかは一概に言えないながら、とにかく、子供達はさらなる没落生活へとは向かいません。 こんな細かい登場人物の扱いが、全体として本作品の何といっても救いとなっており、それを描く理知的な文体が、時に湿った叙情性を生み出しているのと相俟って、読後感にどこか落ち着いた感じをもたらせます。 なるほど雑誌『文学界』に連載された時、本作がその同人より絶賛を受けたというのも宜なるかなと、最初、その「暗さ」を怖い物見たさのようにして読み出した私は、思いがけないしっとりとした読後感を抱いたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.01.11
コメント(0)
『山椒魚・遙拝隊長』井伏鱒二(岩波文庫) 上記短編集の読書報告の後半であります。 前半の最後に触れていたのは、井伏鱒二はそもそも地味ーな印象の小説家ではありますが、没年を真ん中に、前後二回ほど、文壇・出版界関係で、少し話題になったことがあったということでした。 その二回とは、この二つの件であります。 (1)1985年・『自選全集』の出版。 (2)2000年・猪瀬直樹著『ピカレスク』の出版。 で、(2)については、すでに以前の本ブログでも触れました。井伏鱒二「剽窃疑惑」ですね。 しかし考えてみれば、これはわりと大変な「事件」だと思うんですが、どうなんでしょう。 関係者の多くがまだ生きていたり、それに何といっても、中心の小説家がかつてノーベル文学賞候補であったりと「大物」過ぎるせいもあって(しかも「剽窃疑惑」の作品が、ノーベル文学賞候補作品として高く評価されている『黒い雨』ですから)、なかなかそう簡単には、一足飛びに解決しないもののようですね。 こういう「事件」って、多分作者死後百年くらい経たなければ「定説」は定まらないのかも知れませんね。 一体どうなってしまうのか、ちょっと知りたいですが、うーん、百年後ではねぇ。 というのがおおざっぱに(2)の内容です。 で、(1)はというと、これは1985年に出版された『自選全集』の収録作品を選ぶ過程において、なんと作者が六十年以上も前に書かれた作品を大きく書き換えたと言うことで、一気に話題になりました。 それも書き換えた作品は、井伏鱒二の代表作であると同時に、教科書などにも何度も収録され、すでに「昭和の古典」「国民の共有文化財産」といってもいい作品『山椒魚』だったんですねー。 『山椒魚』の作品最後の個所を、晩年の井伏は大きく抉るように削ってしまいました。 これには、驚きましたね。 そして削ることでどうなったかというと、すっごく「ニヒリスティック」な作品に、実も蓋もない、「救い」のないような物語になってしまったんですねー。 この「事件」が新聞に載った時の事を、私も覚えています。私も記事を読んで、思わず唸ってしまいました。 確かその新聞には、さらにいくつかの作品について、井伏が今後手を加える予定があるといった記事もあったと思います。 後日、作家の野坂昭如の書いた、ほとんど悲鳴を上げるような口調で反対していた記事も覚えています。 もはや国民の共有文化財産となっているような作品は、たとえ作者であっても、手を加えるべきではないと言う趣旨でした。 井伏の改変予定作の中には、確か名作『鯉』もあったように記憶します。 さてそんな井伏作品の初期の傑作選が、今回取り上げた短編小説集です。こんな九つの話が入っています。 『山椒魚』『鯉』『屋根の上のサワン』『休憩時間』『夜ふけと梅の花』『丹下氏邸』 『「槌ツァ」と「九郎治ツァン」はけんかして私は用語について煩悶すること』 『へんろう宿』『遙拝隊長』 今私は上記に「初期の傑作選」と書きましたが、全くその言葉の通りという気がします。 まさに珠玉のような短編小説が、散りばめられてあります。 そして、これらの作品を順に読んでいくと、見事に、井伏鱒二の短編小説の熟練過程とか、テーマへの試行錯誤が見られるようで、これもとても興味深かったです。 最初の三作は、明らかにポエジーの魅力でしょう。 動物を取り上げた設定と融合して、哀愁の漂う詩情が全編から立ち上ってくるようです。 私は個人的に『鯉』が最も良いと思いました。ラストシーンの素晴らしさは、これらの作品の中でも頭ひとつ抜けています。 ただ、何時までも「詩情」の中にばかり浸ってはいられないと言うのが、「生きる」小説家の大変なところであります。 うぶなねんねじゃあるまいし、いつまで素朴の中でカマトトぶっているんだという声が、なにより作家の心の中から聞こえてきます。そして、生きる作家の苦悩がそこから始まります。 いくつかの苦悩や試みがありそれの最初の結実が、本短編集で言えば『へんろう宿』と『遙拝隊長』でしょう。 これは素晴らしい作品だと思います。諧謔と言語と庶民と叙情と、そして存在の悲しみが見事に結合して、間然とするところがありません。ポエジーが底光りしています。 しかし思うに、本当に「生きていく作家」というのは大変なものですね。 それはいわゆる「芸術家」の運命というものなんでしょうか。 猪瀬直樹の前掲の評論に、井伏が自らのキャリアを振り返って「身過ぎ世過ぎ」と言う言葉を用いたこと、前掲の『自選全集』から『黒い雨』を外そうとして、出版社から懇願されるように説得されたこと、そんなことが書かれてありました。 そんな晩年の井伏の姿に、私はふと、どこか背筋の寒くなるような、芸術家の運命というものを感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.15
コメント(0)
『山椒魚・遙拝隊長』井伏鱒二(岩波文庫) 今少し調べてみたら、井伏鱒二が亡くなったのは1993年(平成5年)なんですね。 もうそんな昔になるんですねー。 ちょっと感慨があったついでに、もう一人の作家の死亡年を調べてみたら、なんと同じ1993年だったので、少しびっくりしました。 同年に亡くなっていたんですねー。 「もう一人の作家」とは誰のことかと言えば、安部公房ですね。 そして私の連想が、なぜ井伏鱒二から安部公房に移ったかといえば、それは「ノーベル文学賞」がキーワードであります。 私の記憶の中では(「私の記憶」というのがまた、よく間違っているんですねー。我が事ながら、どーも信用がおけない。)、そのころ、どの程度近かったのかは知りませんが、日本の文学者の中で最もノーベル文学賞に近いと噂されていたのがこのお二方ではなかったかと、ぼんやり記憶するのであります。 でも、このお二人って、作風が全然違いますよね。 このお二人とノーベル文学賞の話を聞いた時、私もそう思いました。 しかしその疑問は、このお二人が亡くなって後、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した時(1994年です! 後一年、どちらかが長生きしていれば、ひょっとしたら日本人二人目のノーベル文学賞受賞者は変わっていたかも知れませんね。事実大江健三郎は、受賞後のコメントで、私の所に賞が回ってきたのは、安部公房が亡くなったからだという趣旨の発言をしていたと思います。)、氷解しました。 なるほど、「川端-井伏ライン」と「公房-大江ライン」というのが、その頃の外国から見て、わかりやすい日本文学理解なのかなと思ったわけですね。 えー、話を冒頭に戻します。 井伏鱒二亡くなり、すでに18年であります。 去年でしたか、私は、ある大学の社会人講座を聞きに行ったのですが、その時の講師の先生が、井伏鱒二とか川端康成とかが専門(昭和初年代がご専門ということですかね。)ということでした。 その先生が、こんな内容のことをおっしゃいました。 「井伏鱒二も既に亡くなって年月が経ち、文庫本もどんどん絶版になっていってます。井伏鱒二の研究なんかしていても、この先「需要」がなくなっちゃうんじゃないかと思えて、とても淋しいです。」と。 なるほどね、研究者というのも、なかなか大変なんだなと、その時私は思いました。 「需要」がなくなっちゃうと、きっと研究室に付く予算なんかが変わってくるんだろうな、と。 (しかし理系の研究なんて、もっと即物的に研究対象とマネーが直結していますものね。) 確かに、そもそもが「地味ー」な感じの井伏作品であります。 (例外事項が二つありますね。ひとつは、この後少し話題にする『黒い雨』です。井伏の代表作であると同時に、戦後昭和文学の代表作とされています。井伏鱒二をノーベル文学賞に近づけた勲一等はこの小説でありましょう。そしてもう一つの事柄は、井伏鱒二が太宰治の師匠筋に当たるってことで、これは「弟子の七光り」ですね。持つべきものは派手な弟子であります。) そんな井伏氏ですが、没年を真ん中に、前後二回ほど、文壇関係か出版界関係かな、多分少し話題になったことがありました。この二つの件ですね。 (1)1985年・『自選全集』の出版。 (2)2000年・猪瀬直樹著『ピカレスク』の出版。 実はわたくし、井伏作品については、本ブログで今まで三回取り上げています。 その中で上記「(2)」については、少し触れました。井伏の代表作のいくつかが(主に挙がっていた作品は、『山椒魚』『黒い雨』『厄よけ詩集』『ジョン万次郎漂流記』などであり、これは本当に、ほぼ井伏の代表作総てでありますねー。)、「剽窃」すれすれである(はっきり「盗作」と書く方もいるようです)という内容でありました。 しかし、本作品の発表によって一気に井伏鱒二の評価が落ちたかと言えば、どうもそうではないらしいことを、後日猪瀬直樹がまた書いています。 井伏の権威が、まだ文壇内に広く行き渡っているからだ、というようなことが書かれてありました。 (1)については、次回に。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.06.11
コメント(0)
『嘉村礒多集』嘉村礒多(新潮文庫) この文庫本は、『嘉村礒多集』ということで、小説ばかりでなく、日記抄があったり、書簡が入っていたりと、ちょっと不思議な構成になっています。 ただ読んでいくと編者の意図が何となくわかるんですが(編者は文芸評論家の山本憲吉です)、これは「私小説の極北」と呼ばれる嘉村礒多の作品集ゆえですね。(全集のハイライト版みたいなもんですね。) さて今、「私小説の極北」と書きましたが、この嘉村礒多の「師匠筋」にあたる葛西善蔵とか、近松秋江とか(実はどちらの作家も私はよく知らないんですが)、といったいわゆる「私小説作家」について、まー、何といいましょうかー、はっきり言って私は余りよい印象を持っていないんですね。 ただ、自分でいうのも何ですがー、このよい印象を持っていないというのは、それらの作品を一応は熟読し、その後に初めておのれ自身の判断をするという、批評をする際の最低限の条件をクリアしてのものではない、つまり、「いい加減きわまる」ものであります。 えー、どうも、すみません。 (ところで、この批評の最低条件を守らないコメントというのが、ネット空間にはとっても多いですよねー。って、お前がそうじゃないかといわれれば面目ないんですがー。先日もある作家の本のコメントを読んでいたら、批判的コメントを書いている人の多くが最後までその作品を読んでいなかったり、その一作しか読まずに筆者をほとんど全否定していたり、また褒めているコメントにしても、今から読み始めまーす、ワクワク、などと、おーい、そんなんありかー、が多すぎると思いません?) えー、話を戻しましてー、なぜ私がいい印象を持っていないかということを述べますと少し大変なので、今回はそこはパスさせてもらって、とにかく、冒頭の一作を読むに際しても、私はあまり期待して読み始めたわけではなかったと、とりあえずそんなところで、えー、よろしいでしょうか。 で、読了しましたが、相反する二方向の感想を持ちました。 ひとつは、これ、けっこうおもしろいかな、と。 その理由は、何といっても、文章力ですね。例えばこんな部分。 妻の過去を知つてからこの方、圭一郎の頭にこびりついて須臾も離れないものは「処女」を知らないといふことであつた。村に居ても東京に居ても束の間もそれが忘れられなかつた。往来で、電車の中で異性を見るたびに先づ心に映るものは容貌の如何ではなくて、処女だらうか? 処女であるまいか? といふことであつた。あはよくば、それは奇跡的にでも闇に咲く女の中にさうした者を探し当てようとあちこちの魔窟を毎夜のやうにほつつき歩いたこともあつた。縦令、乞食の子であつても介意ふまい。仮令獄衣を身に纏ふやうな恥づかしめを受けようと、レエイプしてもとまで思ひ詰めるのだつた。(『業苦』) こんな内容の部分は、現在は笑いながらでないと読めない(事実私はぎゃははと笑いながら読んでしまいました)でしょうが、文章としてみると、まるで志賀直哉からわがままな「自我」を抜き取ったような文章で、巧まぬユーモアも含めてとても丁寧に描かれているのがいいなと思いました。 ところがこんな一種ユーモラスな表現は、この筆者の作品の中では実はきわめてまれなんですねー。 後は、マゾヒスティックに暗いです。まるで、傷口に塩を擦り込むように、いいいーーーっとなってしまうくらい、これでもかこれでもかと、とっても暗いです。 自分は、幼い頃から醜い容貌のせいで周りから蔑まれ、学業成績も著しく劣等で、母親からも愛されずと、そんないじけた青春期を送り、そして結婚後も、上記の引用部からもわかるように、女房が「処女」じゃなかったからとのたうち回るほど運命を悲観し、あげくに仕事先で知り合った若い女と故郷を捨てて東京へ駆け落ちをするというのが、何作かの連作短編の基本的な設定なんですね。 ……あのー、現在の「高み」に立って過去の作品を評価批判することの愚かしさについては、私も分からないではないですが、しかしこういうのって、やはり酷くないですかね。 人間性の歪み、いえ、小説に歪んだ人格を描くことそのものは、いっこうに悪くはないです。 ただ私が少し気になるのは、主人公を徹底的に低めた表現の中に、それゆえの反動のように随所にちらちらと姿を現す「偏見性」、そしてその事に筆者自身気付いてないのではないか、ということです。 そんな後味の悪いものが、残りました。 ただ、読みながら、一般に言われるほどには、筆者は事実そのままに書いているのではないだろうなと感じました。 そして、たぶん事実以上に(事実の歪曲といってもいいほどに)、おのれを被虐的に描くという小説技法を採用した作家という存在について、これは「地獄のようなプライド」なのかも知れないなと、少し背筋の冷たくなるものを感じました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.01.12
コメント(0)
『珍品堂主人』井伏鱒二(角川文庫) 古本屋さんが好きです。 昔は(って、どのくらいの昔なんでしょ。大体四十年くらい前ですかね)、街にもっと普通に古本屋さんがあったように記憶するのですが、今は、いわゆる「街の古本屋さん」が姿を消してしまいました。うーん、やっていけないんでしょうねー。 それについてはいろんな理由があるんでしょうが、一方で、時々批判されたりする、チェーン店の大規模古書販売店(あそこは、もはや「古本屋さん」ではないですよねー。店の方も、一連の「リサイクルショップ」というコンセプトでなさっているような感じですし)、でも僕は、あの手のお店も嫌いじゃないです。 その理由は、何といっても僕のほしいような本(明治大正昭和あたりの純文学小説の文庫本)が圧倒的に安いからですね。 ま、そもそもが文庫本なので、高いといっても多寡は知れているんですが、それでも、それが絶版本であったりすると(というか、僕の欲しがるような文庫本はほぼ絶版本ですがー)、大阪・京都などの古書街の店なんかだと、ちょっと値がするなあという感じになるものも結構あります。 それにあの大型古書販売店は、名前の通り店が大きいので、たまに掘り出し物が隠れていたりすることがあって、そんなのを見つけると、とってもうれしいです。 さて、今回報告する小説の主人公は、骨董屋であります。 僕の求めるような古文庫本は全く異なりますが、同じ書籍でも稀覯本になると、骨董品と重なる部分を持ち、そして、上記に記した僕のささやかな本当にささやかな「掘り出し物」発見時のうれしい感覚も、少しは重なりそうな気もするのですが、例えばこんな風に書いてあります。 宇田川は錦の袋に入れたのを出して来て、 「これです」 と恭しく袋から取出した。 見れば、麗水と細めの隷書体で彫つてある。のびのびした書風の古印で、文字の線が実に美しいぢやありませんか。はッ、美しいなあと思つたが、値段を聞くと珍品堂の持つてゐる財布の金では半分にも足りません、どうしたものだらうと、抹茶の御馳走になりながら思案してゐると、運悪くそこへ小石川の八重山が来て、人の見てゐる前ですぱつと買つてしまつたことでした。こちらは無念やるかたないけれども金がない。好きな女に振られたやうな思ひです。その気持は、ほんたうに骨董をやらない人にはわかつてもらへない。 しかし、見事な語り口調ですねー。この文章は、これで三人称なんですよねー。 実になめらかにリズムのよい文章で、読んでいると心地よくってなんだかうかうかと眠くなってしまいそうです。 そもそも筆者は、駅前旅館とか、街の駐在さんとか、町医者とか、そんな、「いかにも」という感じの職業人を描くことのとても多くかつ、上手な小説家であります。 今回の小説についても、初めのうちは、なんだかぼそぼそと地味ーに始まった書きぶりで、例のパターンかなとも思いつつ、こんな小説のどこが面白いのだろうかという感じで、僕は読み始めていました。 しかし読み進めるほどに、この「シブ好み」「玄人好み」が、いいんですよねー。 今僕は、「シブ好み」「玄人好み」と書きましたが、読み進んでいくうちに、なるほど、大人の男が読める小説とは、こんな小説なんだなと言うこと、そしてそんな小説は思いの外に少なく、仕方がないので「おじさんたち」は、代わりに時代小説を読むのだなと考えていきました。 普通の大人の男の読める現代風俗小説。 これは、きっと、そんなに沢山ありません。 「企業小説」などと呼ばれるジャンルもありそうですが(寡聞にして僕はこのジャンルについてはほぼ無知なのですが、本書にもそんな側面はありそうです)、あとは本当に、仕方なく時代小説に入っていくしかないんじゃないでしょうか。 本作はそんな「風俗小説」として読んでもとてもうまいです。 なにより文章がうまい。眼前に起こる出来事を書く、その説明の仕方・裁き方が、舌を巻くほどうまいと思います。 何ともしつくりしない気持でした。珍品堂が途上園の経営に当つたのは僅か一年あまりのことですが、その間に山路孝次は、以前のお互に無遠慮な間がらのなかから何か或種のものを抜き去つてゐる。それとも或種のものを付け加へてゐる。今、がつんとそれが来た。 風俗小説を書く第一の条件とは、実は文章力なのだなと気づいた時、僕はふと現在の第一級の風俗小説作家として丸谷才一氏のことを思い出し、そして「やっぱりなー」と、大いに納得したのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.09.04
コメント(2)
『第七官界彷徨』尾崎翠(河出文庫) 上記小説作品読書報告の後編であります。 全編では何を述べていたかをおさらいしてみますね。 「尾崎翠は気になる作家だ。尾崎翠は少女漫画の鼻祖だ。」 ……えー、これだけ、ですかね。いえ、もう一つありました。 「尾崎翠作品の独創性は極めて高い。」 後編はこれを中心に考えてみたいと思います。 1896(明治29年) 鳥取県にて誕生 1914(大正3年) 18才 文芸雑誌投稿欄に初めて活字として掲載される。 以降、投稿作品掲載者の常連から新進作家へとなっていく。 1931(昭和6年) 35才 『第七官界彷徨』発表 とってもアバウトな年譜で、何の意味があるのかという気もしますが、私の気になったのは、昭和初年という尾崎翠の作家としての活動最盛期についてであります。 大正期の後半から昭和の初年という十年あまりのこの時期は(この後すぐに日本は戦時体制に入っていき、文芸文化は、少なくとも表面上は急速に衰退していきます)、日本近代文学史上に初めて現れた、実に多様性に富んだ時代ではなかったかと、私は考えています。 この時代背景を考えることなしに、尾崎翠の卓越したオリジナリティーとモダニズム(触れ忘れていましたが、これも尾崎翠作品の大きな特徴ですよね)は、語れないと思います。 昭和初年に、そのような文芸的特質がなぜ開花したかと言いますと、その要素は以下の2点です。 (1)国民の経済力の上昇と、識字率の上昇。 (2)小説表現の熟成と深化。 (1)の要素は、何より読者層の圧倒的拡大を生みました。特に、江戸川乱歩などを生み出した大衆小説の誕生の影響は大きいと思います。そして、読者の拡大が、作家に「読者」という視点の重要性を作り出しました。 (それ以前は多分、小説家は読者なんて考えないで小説を作っていたと思います、ややアバウトな分析ながら。) そして、そのことも、(2)の要素を強めました。 (2)の要素は、この時代いろいろな文芸上の流派が誕生したことがそれを語っていますが、具体的には、例えば若き日の川端康成や井伏鱒二や、特に太宰治の初期作品はことごとくがそうですが、かなり多くの文体上の実験小説が発表されています。 そしてそれらの実験が、ますます小説表現の可能性を拡げていき、その産み出した結果こそ、 「小説家という職業の有効性・小説という表現媒体の有効性」ということであります。 小説家の社会的・経済的地位が向上したこと、そして、様々な目的意識を持った者が、その実現(例えば社会変革とか)に小説が極めて有効であると気が附いた時、多様な書き手が誕生します。(それまでの作家=書き手は、ほとんどがブルジョワの子弟か、極々限られたインテリゲンチャのみでした。) そうして興った「文壇」の盛況は(菊池寛の存在も大きいですよね)、群雄割拠・百家争鳴状況を加速度的に展開させ、そして史上まれに見る百花繚乱、多様な小説作品の誕生となったと、……うーん、我ながらなかなか鋭い分析でありますなー。 (えっ? あたり前のことを書いただけですって?) さて、尾崎翠作品に見られるオリジナリティーとモダニズムは、この様な文芸状況を背景に考えた時、極めて説得力の高い形で我々の前に姿を現します。 そしてそのことは、決して尾崎翠の作品の価値を貶めているのではなく、一つの時代を象徴した作品として、時代の典型としての彼女の存在を、私としては、強く考えるものであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.21
コメント(0)
『第七官界彷徨』尾崎翠(河出文庫) けれど三五郎のピアノは何と哀しい音をたてるのであろう。年とったピアノは半音ばかりでできたような影のうすい歌をうたい、丁度粘土のスタンドのあかりで詩をかいている私の哀感をそそった。そのとき二助の部屋からながれてくる淡いこやしの臭いは、ピアノの哀しさをひとしお哀しくした。そして音楽と臭気とは私に思わせた。第七官というのは、二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感ではないか。そして私は哀感をこめた詩をかいたのである。 フェイヴァレットでは、取り敢えず、ありません。 というか、それがフェイヴァレットであるかが分かるほど読んでいません。 しかし、それでいて、何となく気になる作家というのが、ありませんか。 私にとって尾崎翠とは、そんな気のする作家でした。そして、かなり以前より、もう少ししっかり読まねばならないと思いつつ、それでいてずるずると何となく読み切れないで今日に至りました。 その間、「やはり」というか、「思いがけなく」というか、尾崎翠の作品は、極々限られた本当のマイナーなマニア間に於ける高評価から、もう少し、それこそ「メジャーのマイナー」くらいの層での高評価に代わっていました。 そんな、「日本文学はこの一作でいい」とか、「少女漫画の原型」とか、色々いわれ出した尾崎翠でありますが、さて、冒頭に少しだけ抜き出してみましたが、たったこれだけからでも、筆者の独創性や優れた特質が読みとれそうな気がします。 丁寧な分かり易い優しい表現の中に、以下に挙げるような特徴が読みとれると思います。 (1)ユーモアに対する指向。 (2)ナンセンスに対する指向。 そして、引用部分からだけではありませんが、 (3)「第七官界」「蘚の恋」などというオリジナリティーの高い着想。 なるほどこうして挙げてみれば、「少女漫画の原型」という批評は、あながち分からないでもない気がしますね。(少女漫画とナンセンス指向の間にはやや疑問符が付きそうですが。) と、今、述べましたが、少女漫画についての私の知識は、実は約三十年前に止まったままであります。 そんな意味で言いますと、少女漫画との類似を語る資格なんかないとは、自分でも思いますが、ただ、約三十年前は、かなりリアルタイムでいろんな少女漫画を読みました。 そして、三十年前の少女漫画界にどのような漫画家がいたかといえば、それは、例えば萩尾望都であり大島弓子であり竹宮恵子でありといった、たぶん現在の少女漫画文化の黎明期に於ける、「少女漫画的感性」のそれこそ「原型」を作った方々ではなかったかと思います。 そのように、少女漫画の鼻祖と考えても良いということについては、なるほど一定の納得をするとして、さて、文芸作品としての本小説であります。 実はこうして書きながら、私はとても迷っているんですね。 その迷いとは、例えばこんな感じのものです。例によってフェイヴァレット(それこそ「フェイヴァレット!」)の太宰作品で考えてみます。 例えば太宰治の小説が、たった一つだけあって(一つではいくら何でも少なすぎますかね。まー、そんなイメージということで)、後ほとんどが無くなっても、その一つ残った小説だけを読んで、私はその作品に感心しあるいは好きになれるだろうか、という事です。 もちろん作品にもよりますよねー。そんなに簡単には言い切れない。 『愛と美について』 この小説にします。これは短編小説ですが、この作品だけを読んで、私は筆者の太宰治を好きになれるか、という課題にします。 ……なんか、好きになれそうな気がします。 あれこれ言い出すと色々言えそうですが、潔く、私は好きになれそうな気がしますと、まー、(やや迷いつつ)断言します。 さて、なぜここで『愛と美について』を取りあげたかと言いますと、もちろん私が、今回の『第七官界彷徨』に近いものを、この作品に感じたからでありますが、以下、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.08.18
コメント(0)
『おはん』宇野千代(新潮文庫) 小説はもちろん読みますが、それ以外の趣味的なものとして、私はクラシック音楽もかなり聴くのですが、かつては、絵画を見に行ったりするのも好きでした。いえ、今でも好きなんですが、ここしばらくは何となく美術展にも行きそびれていましたところ、たまたま招待券をいただいたもので、久しぶりに行って来ました。 「日本近代の百年の美術をたどる」という展覧会で、明治時代の始め、日本における西洋画の黎明期から昭和の第二次大戦後あたりまでを鳥瞰した美術展で、なかなか見応えがありました。 その中に戦後すぐの作品のコーナーがあり、その展示場に入った私は一見、「あ、ゲルニカ」と、声を挙げてしまいました。それほどに、ピカソの「ゲルニカ」に瓜二つに感じられた絵がありました。 本展覧会の解説本を読んでいましたら、戦後の二科展において賞なども受賞した絵画ながら、一方で「あまりにもゲルニカであり過ぎる」という批判もあったようです。 私は美術について全くの素人でありますが(素人故の偏見・無理解ももちろん持ち合わせております)、ちょっと表現が悪いですが、「これはないんじゃないか」と思ってしまいました。 何というか、真似をして「ズル」をしているというのではなくて、ここまで他人の作品に影響を受けすぎている自分の作品を延々と書き続けて、そしてそれを発表するという感覚は何なのかな、と思ったわけです。 ひょっとしたら誰も気がつかないかも知れない、なんてレベルの話ではありません。相手は「ゲルニカ」ですよ。みーーーーんな、知っていますよ。 んーー、一体どういう事を考えて、制作し、そして発表なさったのでしょうねー。 さて、今回の報告作品『おはん』ですが、一読、谷崎潤一郎の影響明らかです。 例えば、こんな文章です。「ふん、いややて? 一しよになるの、いややて?」とあとさきもなう声たてて言ひますと、おはんは、「あんさん、何いうて、」と言うたかと見る間に、いきなり私の胸もとへ跳びかかつてまゐりました。そのまま顔よせて、ひーいイ、ひーいイと声たてて泣きはじめたのでござります。 そのぬくとい、湯のやうな涙のわが内懐を伝うては流れるのが、なにやら肝にしみるやうに思はれてきましてなア、「はあ? うれしいか? うれしいと言うてくれ。おオ、泣け、泣け、」と私はおはんの背を抱いたまま、気が違ふやうになつて申しました。 この文体は、やはり谷崎潤一郎の諸作品、『卍』『芦刈』または『猫と庄造と二人のおんな』などに酷似しているように思うのですが、小説の場合は、文体・設定酷似だけでは、なかなか簡単に言い切れないでしょうかね。 事実本作は、途中までは谷崎諸作品の影響下にある感じのままに進んでいきますが、終盤思わぬ展開になり、私としては少しびっくりしました。 簡単にまとめますと、二人の女に愛されてその真ん中で全く無意志的に踏ん切りのつかない、男女関係にだらしない男を描いた作品です。 中盤から終盤にかけての話のポイントは、この男の「だらしなさ」「無意志さ」具合にあります。 それは誠に、徹底的なもので、二人の女に挟まれて、実際ここまでだらしなくいられるものだろうかとは思いつつ、しかし、そこには妙なリアリティがあったりします。 そのだらしなさが終盤に向かって加速度的に募っていって、果たしてどうなるものかと思う時、ふっと体の浮き上がるような浮遊感を覚えます。 あ、これは、シュールレアリズムだなと、筆者の意図がそこにあるかどうかは分からず、私は思いました。これは一種の、やはり、小気味のよいような心地よさの感覚でありましょう。 そして、本当の終盤、一つの大きな事件のあと、タイトルにもなっている「男」の別居中の妻「おはん」が、「男」に一通の手紙を送ります。 この手紙が、何といいますか、実に引き締まった最後の展開となってゆきます。 例えばこれは、小さな夜行性の草食動物の一生懸命さ、そんなイメージが浮かびます。 何か理にかなっていない、だからその分不思議で気味の悪い、しかしせっぱ詰まった懸命さ、真剣さが感じられます。 この感覚、あ、どこかで読んだ、と思い出しました。 太宰治『女の決闘』 あの、身も蓋もないような殺風景な、しかし神々しいという言葉でまとめても決して間違いではない「女の一生懸命さ」と同様のものが、本作読後私の心には残りました。 やはりこれは一種の深い感動であろうと、私は静かに思うのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.07.31
コメント(0)
『遙拝隊長・本日休診』井伏鱒二(新潮文庫) かつて一年に364日くらいお酒を飲んでいた時期がありました。 いえ、しっかり体を痛めて、今は控えているんですがね。 そんな酒飲みはみんな下痢体質だと、中島らもの小説で読んだことがありますが、僕もその例から漏れません。 というより、僕は幼かった頃から「お姫様腹」と言われていまして、すぐにお腹を壊す、下痢をする体質でした。 今ではだいぶ治っているような気がしますが、その代わり(その代わりってのも変ですが)息子にしっかり遺伝して、息子は「お姫様腹」です。 (ついでに、「お姫様腹」の対義語が「乞食腹」で、何を食べても、腐りかけているものを食べても大丈夫な消化器官を持った人のことを指します。あー、女房なんかがそうなのかも知れません。) 小さかった頃、よくお医者さんが家に来て、僕はお尻によく注射をされました。 (昔はよくお尻に注射をされたんですが、今でも小さい子供については、そんなことするんですかね。うちの子供についての記憶では、そんなシーンはないんですがね。) お尻に注射はともかく、かつては「往診」ってのがかなりあったような気がしますが、これも今はもう、ほぼないんでしょうね。 それはもちろん、マイカーが行き渡り、発熱中の子供でもお医者さんまで連れていけるという社会事情の違いや、やはり、往診って、お医者さんにとっても大変でしょうからね。 でも少し穿ったことを言いますが、往診がなくなって、お医者さんが少し近寄りがたい「偉い人」になってしまったような気がします。(穿ちすぎの意見でしょうか。) さて、冒頭の作品集に収録されている『本日休診』は、昭和二十四年から二十五年にかけての連載発表です。産婦人科医の三雲先生は、往診だらけです。そして、今読むと信じられないような(しかし間違いなくリアリズムの)仕事風景です。「先生、大手術なさる前には、やはり先生もお酒を召しあがるんですね」その男は、顔に緊張の色を見せて云った。「私は岡山の生れですが、あそこの医科大学の、何とかさんという外科の博士さんも、やはりそうでした。大手術の前には、お酒を飲むという話でした。いざ、これからというときに、きゅうッと強い酒を飲むそうです。足から生れる児を出すのは、やはり大手術の部にはいりますでしょうか」「初産かね」「二度目です。七年前に産みましたが、安産でした」「じゃ、大したことはない」 こんな時代が「古き良き時代」といえるのかどうか僕には少しわかりませんが、少なくともこの時代は、人間は生活の隣にいつも死を伴っている、つまりもっと自然の中で生きていた時代だという気がします。 さて、筆者井伏鱒二氏ですが、上記のような表現を読んでいると、いかにも達者だなー、という感じがします。 井伏氏のこの達者ぶりは、初期作品の『山椒魚』の頃からそうですが、肩に力が入るということが全くなく、それでいてとても的確な描写であり、まさに「無手勝流・天衣無縫」という気がします。 全く見事なものであります。 一方、もう一つの収録作『遙拝隊長』についてですが、実は僕はこの本は再読で、前回読んだ時は(もうかなり昔です)、こちらの小説の方がおもしろく感じられました。 しかし再読して、今回はさほどおもしろがることができませんでした。 狂人に、軍隊において用いられる権威主義的言葉を用いさせ、さらに軍隊用語的な説明を加えるのですから、そこに、権威の転倒によるユーモアと、強烈な批判精神が生まれるのは間違いのないところではありますが(そして前回読んだ時は、僕もそこに快哉を叫んだことは間違いないのですが)、今回読んでみて、少し身も蓋もないという感想を抱きました。 もちろんそんなところは筆者も十分承知して、作品の終盤から最終場面にかけて、軍国思想批判にとどまらない、人間の存在そのものへの深い視線が見られはするのですが、僕は少し、さはさりながらと思えてしまいました。 でもそんなのって、きっと贅沢な不満なんでしょうね。 この二作は、間然とすることのない、引き締まった作りの好短編といってしまって、過つところはありません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2010.05.22
コメント(0)
『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』井伏鱒二(新潮文庫) 昔、多分、小学校高学年だったでしょうか、いえ、小学校の頃の私はもっと呆けたような少年だったに違いありませんから、中学生の頃かも知れません。 ロフティング原作の『ドリトル先生シリーズ』、読みましたよねー。 『ドリトル先生航海記』とか『ドリトル先生アフリカ行き』とか、外にどんなのがありましたっけ。もう、ほとんど覚えていませんが。 あの、ドリトル先生シリーズの翻訳者が井伏鱒二であったという事は、かなり後になって知りました。ひょっとしたら、『山椒魚』や『屋根の上のサワン』なんかの、初期井伏鱒二の名編を知ってからであったかも知れません。 その時の感想は覚えていませんが、きっと、さぞ懐かしかったろうと思うのですが、どうだったでしょうね。 井伏鱒二の小説は、その後、数冊読みました。 有名な『黒い雨』も読みましたが、私は上記にも書いた、初期の、詩情溢れる短篇集がとても好きでした。 太宰治との、仲の良い師弟関係なども彷彿として、とても好感を持っていました。 少し脇道に逸れます(どうせいつもの事ですがー)。 私が、井伏鱒二と太宰治がとても仲のいい師弟関係と思っていた原因は、高校の国語の教科書の中にあった太宰の『富獄百景』のせいですね。 あの小説の中に、太宰と井伏が一緒に富士山に登って、途中で休憩をしていた場面がありました。そしてそこに、確か「井伏氏はとても退屈そうに放屁をなされた」というような一文がありました。この一文のせいですね。 すごいですねー。放屁一発のせいで、少なくとも私という一人の読者は、今までこの文章を忘れず、そして、この二人はとても仲のいい師弟なんだと思い続けてきたんですねー。(後に、井伏が「私は放屁なんかしていない」と、苦情を言った文があると又聞きしましたが。) しかし、本当に文の力って、偉いものですねー。 さて、そんな「田園風景」のように感じていた井伏と太宰の関係が、どうもそうではないと分かったのが、2000年に出版された、この本の記述のせいでした。これです。 『ピカレスク』猪瀬直樹(小学館) 太宰治の伝記です。私の持っている単行本の帯にはこの様に書いてあります。 「太宰治の『遺書』の謎に迫る本格評伝ミステリー」 太宰が自殺後残した文章の中に「井伏さんは悪人です」とあったんですね。 有名な話ですから、私も以前から知っていましたが、これは一種の「反語=レトリック」だと、これは私だけではなく、とても多くの人が思っていたわけです。(井伏鱒二はまだ生きていましたし。) ところが井伏も亡くなって約10年、猪瀬直樹がこれに着目したんですね。 この本はとても面白い本ですが、太宰についてはちょっと書き出すと切りがないので止めます。ただ、この本には太宰と同じぐらいの重要度を持って、井伏鱒二について書かれてあります。それも、かなり「批判的」に。 最初私がこの本を読んだ時も、太宰についてより、むしろ井伏に関する描写が、あたかも「告発」に近いようなトーンで、かなり厳しく書かれている事に、一種ハラハラするような思いを持って読みました。 終盤にこんな部分があります。 いずれにしろ井伏は、心にトラウマを抱えて、その痕に触れられないよう細心の注意をしながら九十五歳まで生きた。五十歳ぐらいまでの井伏は原稿生活者としては貧しく、食いつなぐのに精一杯であったから、雑文もよく書いたし、眼前に資料があれば丸写しもした。背に腹はかえられない。晩年、自分の人生を振り返り、「身過ぎ世過ぎだよ」とぽろりと洩らすこともあった。 猪瀬直樹は、『山椒魚』『黒い雨』そして『ジョン万次郎漂流記』など、よく知られた名作までもが、「剽窃」とまでは言わないまでも、かなり描写を同じくする「種本」を持つと書いています。(『黒い雨』については、井伏自身、これはドキュメンタリーであると述べています。) さて、今回の読書報告の二作品ですが、上記の猪瀬氏の書籍のトーンに引っ張られるわけではありませんが、例えば『ジョン万次郎~』の、作品としての、構成のあまりに無頓着な事については、私はよくわかりませんでした。 もう一作の『さざなみ~』については、一定の興味はありましたが、如何せんこれについては、私の教養並びに学力不足のせいで、さほどこの『平家物語』のサイド・ストーリーにのめり込む事ができませんでした。 猪瀬氏は、『ジョン万次郎~』について、文体も含めて、「種本」への依存が甚だしすぎると説いていますが、結局、この二作は、文体についての評価がなければ、さほど意味のあるものとは思えないと私が思うのは、やはりこれ、私の教養並びに学力不足のせいでしょうか。 ちょっと辛い読書報告となってしまいました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村/font>
2009.12.05
コメント(2)
『放浪記』林芙美子(新潮文庫) 『めし』林芙美子(新潮文庫) えー、全くの私事ではありますが、今回の記事をもって、この拙ブログの「第一期」を終えようと思っています。「第二期」は、週三回の更新を基本として綴っていこうかなと考えております。 今までに変わりませぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げますぅー。 まず『放浪記』の方から報告してみたいと思います。 もう去年の話になるんですかね、巷では小林多喜二の『蟹工船』がちょっとしたブームになりました。 しかし、『蟹工船』とはやけに正統的ですねー。プロレタリア文学の本道ですものねー。なんでそんな本が売れたんでしょうねー。 『蟹工船』に比べますと、『放浪記』のほうが、貧乏暮らしを扱って、遙かに「怪しげ」で、そしてその分きっと面白いです。 事実、過去にベストセラーになったそうですし、別にわざわざ過去の事を取り上げずとも、舞台では森光子さんが今も「ロングラン興行」をなさっています。 でも文字の上では、とても長いお話です。文庫本で460ページもあります。それに日記形式です。 そもそも日記形式の文章ってのは、いかがなものですか。 きっと苦手な人って、多いと思います。ストーリーの「起承転結」が、きっちりと読みにくいからですね。 でも「日記文学」は、日本古典文学の「十八番」でありますし(平安時代の女流日記ですね)、近代に入っても有名どころの作品があると思います(永井荷風のなんかがそうですかね)。 またきっと、芥川とか太宰とかはなんなりと書いている気がしますが、えー、この形式、実は私も例に漏れず、少し苦手なんですね。 ただ、この本の場合は出版事情のせいで、単純な「日記形式」にはなっていません。 こんな感じになっています。 この作品は3部に別れているんですが、1部がまずベストセラーになりまして、半年ほどして2部が出ました。ここまでが昭和の初期ですね。思わぬ本が売れたので急いで続編を出したという構図がとてもよくわかります。1、2部とも、日記形式です。 で、3部は昭和20年代に出されます。 僕が、この作品の中で比較的面白く読めたのが、この3部なんですね。 そして明らかにこの3部には、ナマの日記でない、小説家としての「虚構化」が読みとれます。そしてそれがなかなか面白い。 読ませようとして書いてあるからでしょうね。1.2部の「素」の日記のような部分(ここにも少なからず虚構化はありましょうが)は、まー、僕には、ちょっとタルい。 と、そういう訳であります。 でも、暇に任せて、ごろごろと横になって読む分には、1.2部もそれなりに面白いとは思いますが。 そして続いて、『めし』を読みました。 『放浪記』の、わりと面白いもののちょっと長すぎるという印象に比べて、この本はシンプルに短いです。文庫本で200ページちょっとです。 というか、これ、未完の絶筆なんですね。 つまり、僕は『放浪記』と『めし』とセットで、デビュー作と絶筆とを読んだわけです、たまたまですが。 林芙美子の死は、一種の突然死でした。 これは嵐山光三郎の本で読んだのですが、前日まで外に出歩いていて、翌朝になったら死んでいたのではなかったかと思います。 死ぬ間際の林芙美子は、仕事的にはわりと好調だったようで、沢山の作品を発表していました。確か三島由紀夫が、晩年の林について一定の評価をしていました。 今回のこの作品の感想についても、「手練れ」の作者によるものという印象がとても強いです。まるで太宰治の女性版のようです。 そう言えば内容も、太宰の絶筆の一つ『グッドバイ』と、なんとない相似があるような気がします。 『グッドバイ』は、今までつき合ってきた女性と次々に別れていくという話で、『めし』は、やはり女房が亭主を棄てようとするという話です。 読み終えまして、小説たるもの、作家たるもの、せめてこれくらいの「芸」は欲しいよなー、という気がとてもしましたね。 特に、今まで、半同人誌の作品みたいな「自然主義」とか「私小説」なんかを読んでいますと。 というわけで、そんな好感の持てたお話です。 ただし未完なので、ストーリーとしては纏まっていないところが、うーん、いかにも残念でありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.08.30
コメント(2)
全15件 (15件中 1-15件目)
1