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昨日、たまたま「発掘あるある大辞典」を見ることになってコーヒーでダイエット効果という特集をやっていた。特にダイエットの必要はないのだが、「痩せる」という言葉は女性心理を惹き付ける。コーヒーの飲み方を工夫すれば、基礎代謝が上がるというものだった。それによれば、ブラックでホットが基本。1日4~5杯。食後に飲むのが良いということだった。以前、食後すぐのカフェイン摂取は、ビタミン等の吸収を妨げるのでコーヒーは食後1時間以降が良いという情報をどこかできいた。それ以来、食後1時間はコーヒーを飲まなかったりしていた私であった。ダイエット効果は食後すぐらしい。はたして、どちらを選択すべきか・・・タバコ1本吸うごとに何mgかのビタミンCが破壊されていくときいた。このことを気にしてか、ビタミンCのサプリメントを日々摂取している私であるが、これも何かおかしな話である。こういう情報に踊らされている自分が面白かったりもする。何事も度が過ぎるといいことはない。健康でありたい、痩せたいという欲望。食べ物が余って、捨てられている現状。とにかく日本は平和なのだと実感。
2005.10.31
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楽天日記を適当にさまよっていたら、ある日記に「セックスは人間性の再現だと思う。」というコメントがあった。なるほど。良い表現である。セックスの傾向に、その人の本質があらわれるといえるかもしれない。たまたまテレビを見ていたら「人って自分の弱い部分で恋をするのよ。」というセリフをきいた。なるほど。けっこう深いかも。わがままなことに、ひとりが好きなくせにひとりでは生きていけないのが人間なのだ。
2005.10.29
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世の中総じて占い好きが多い。以前から不思議に思っていることだが、全く同じ日に生まれて血液型も同じ人とは性格が同じか、ということである。私の曖昧な記憶だが、ずいぶん前、一卵性双生児についての研究をテレビでやっていたことを思い出した。一卵性双生児というのは、もちろん生まれた日も同じであるしなんといってもDNA配列が同じである。この世の中に、自分と全く同じDNA配列の人間が存在するというのは驚くべきことであるが、興味深いのは、一卵性双生児がきょうだい一緒に育っていけば性格は相反し、なんらかの事情で別々に育った場合は、同じような性格になるということだった。そういうケースは何組もないだろうし、詳しいデータがあるわけではないと思うがなんとなく印象に残っているので覚えている。自分と同じ顔で自分と同じ日に生まれた分身のようなきょうだいと常に顔をあわせながら生活するというのは、自分の性格に大きく影響するということなのだろう。人間というのは、環境に左右されるものである。生年月日や血液型だけでは、その人の「個」はわからないものなのだ。占いは参考にする程度には興味深いし、当たっていることもある。しかし、100パーセントではないのである。小学5、6年の時、同じクラスに私と同じ生年月日の女の子がいた。当時それほど親しくなかったので、その後の彼女がどういう生活をしているかはわからない。しあわせに暮らしているだろうか。ふと思い出したのであった。
2005.10.28
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コードレスアイロンは使いにくい。一見使いやすそうだけど、すぐに充電が必要になる。やっぱりアイロンにコードは必要だ。なんでも省略すればいいということではない。トイレットペーパーはシングル派。ダブルはなんとなく高級志向のイメージ。マンションのエレベーターで、誰かと一緒に乗り合わせなければならなくなった時はなんとなく気まずい。たぶん、相手もそう思っているのだろう。エレベーターを降りる時、「閉」のボタンを押しながら降りる人は人に気をつかい過ぎていると思う。100円ショップにいった。クリスマスグッズが得意げに並んでいた。もうそんな季節なのかとやれやれと思った。
2005.10.26
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最近、寒くなった。秋が深まってきたようだ。ベランダに出で、外をぼんやり眺めながらタバコを吸う。年末までに禁煙するつもりだが、もしかしたら無理かもしれない。桜の木が見える。もうじきしたら葉もすべて落ちてしまうのだろう。そういえば、紅葉を見に行っていない。日が短くなった。日差しもすっかり秋らしくなってきた。西日を浴びたいつもの町並みも不思議とセンチメンタルに見えてくる。子供の頃は、大人は夏休みも冬休みも春休みもなくてよくやっていけるよなぁと思っていた。大人になった今は、子供の夏休み、冬休み、春休みがすぐ来てしまう気がしている。時間の経過の速度は同じはずなのに子供から大人になるにつれて、時間の経過を早く感じるようになる。何かに追い立てられるように時は過ぎてゆく。それが、大人になるということなのだろう。こうして何回も季節を見送っていくのだ。このベランダから何回景色を眺めただろうか。子供の頃、放課後遊んだあと、家に帰るまでに見た夕日がもう一度見たいと思った。
2005.10.24
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丙午は干・支ともに火性であり、火性が重なることから、この年に生まれた女性は気が強いという迷信がある。最近の丙午は昭和41年であった。この迷信の影響で、この年の出生数は極端に少なかった。私は昭和40年12月生まれであるが、あと10日遅く生まれていれば丙午生まれになっていた。母は、12月中に私を産んで胸をなでおろしたらしい。ネットで調べたことを引用すると、十干と十二支を組み合わせた時、どちらも火行に属すのは実は丙午と丁巳だけで丁巳のほうは丁(ひのと,火の弟)なので、それほど強くないらしい。つまり丙午というのは60個ある干支の中で、最もエネルギーが盛んな干支であるという。なので本当は子供を産むのにもとてもいい年なのだが、「女の子でそんなに強いのはよくないのではないか」という話から、それを忌避しようという動きがでたらしい。約40年前の思想は、そうであろう。占い、迷信をすべて信じるつもりはないが、最もエネルギーの盛んな干支といわれている丙午に生まれたかったといつも私は痛感しているのだった。次回の丙午は2026年。この頃には、この年の出生数が上がっているかもしれないといいかげんに予測する。******昭和41年(西暦1966年)の丙午の年は例年に比べ極端に出生数が少なかった。この年の出生数は前年に比べ、25%、約46万人も少ない。この年は相当数の胎児が人工中絶によってその命を断たれているとの推測がされている。
2005.10.23
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赤ちゃんを大事そうに抱っこしている人を見かけた。生まれたての赤ん坊にとっては、母親の愛情と眠ること、おっぱいを吸うことが人生のすべてなのだ。赤ちゃんがいる人、妊娠している人には、幸せのオーラがある。なんというか、やわらかい空気なのだ。少し前の私もこんな風だったんだろうか。自分では気がつかないものだし、時間がたてば、当時の記憶は薄れてゆく。時間の経過というのは、そういうことだ。病院の前を通りかかった時、救急車で運ばれていく人を見た。自分が平和にしている時も、誰かにとっては大変な事態が起こっている。自分の平和ボケを改めて認識する時。それでも時間は、時を刻むことをやめない。すべてにおいて平等なのは、時間の経過のみだ。
2005.10.22
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眠たい。睡眠が不足している。たまに頭痛がする。どうして深夜まで起きてしまうのだろう。窓から見える家の灯りも、まばらになっていく。夜が深まる時間は、しんと静かで私を魅了する。何かに引き止められるように起きてしまうのだ。あるいは、ひとりきりになりたいのかもしれない。私には、たったひとりの時間というのが必要なのだ。夜11時前に寝ることは、ここ何年もない。最近は0時前に寝ることのほうが稀だ。子供のように9時頃寝てみるのもいいかもしれない。悪くない。そして、いい夢が見たい。きっと、朝の目覚めは別世界なんだろうと考える。
2005.10.19
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昨夜、セックスした。そういえば、ひさしぶりだった。最近の性欲の傾向は、人並み程度と思う。少し前、子育て真っ最中は、全然性欲がなかった。これは友人、知人に訊いてみても、10中8、9そうであった。生物学的にいっても、それは正しいかもしれない。子育てというのは、肉体的にも精神的にも重労働なのだ。よくわからないのが、妊娠中の性欲である。これは数人のリサーチだが、妊娠中は何故か性欲が増す。私の場合、2人妊娠中どちらともそうだった。妊娠初期よりも中期、後期にいくにしたがって性欲が増していったように記憶する。妊娠中は、新たに身ごもることはできない。なのに性欲が増すのは、どういうことだろう。これは生物学的にはどう説明されるのか。性欲と食欲は、人間の基本的欲求である。この欲求がない場合、肉体か精神かどちらかが病んでいると推測する。
2005.10.17
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人と議論することができない。自分の価値観で他人の価値観を否定することは不毛だ。議論することにも意義があり、議論すること自体を否定しているのではなく、問題がどちらが正しいとか勝ち負けになってくるとそう感じるのだ。それは、結局はどうでもいいことなのだ。価値観の相違。この言葉でたいてい片付けられる。よく使われる言葉で、便利な言葉だと感じる。
2005.10.15
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お好み焼きにしようと思っていたのに、長芋を買い忘れた。長芋なしで、お好み焼きを作った。生地にいつものやわらかさがない。長芋のないお好み焼きは、やっぱりイマイチだった。綿棒の買い置きが3個くらいある。つまようじも同じ。5年以上未使用のまま。安いからといって、使用頻度を考えないで買うのはいけない。仕事上で、ちょっとしたミスをした。ああすれば良かったと後悔した。少し落ち込んだ。まぁ、いいか。こういうこともある。要は、同じことを繰り返さなければいいのだ。
2005.10.13
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自分のことを何て呼ぶか。文章では「私」と書くが、実際に話す発音は「あたし」である。たまに「うち」といったりするときもある。男性が自分のことを呼ぶ場合は「オレ」「ボク」「私」といったところか。うちの上の娘は小学2年生なのだが、自分のことを「うち」と呼ぶ。「これ、うちのやで。」「うちがしようと思うとってん。」こんな感じ。最近の小学生の女の子は「あたし」とか「私」とか言わないのだろうか。それともこれは大阪特有なのか。そういえば、うちの娘が「私」というのを一度も聞いたことがない。私の小学校時代、自分の名前に「ちゃん」をつけてよぶ女の子がいた。子供心に妙に印象に残っていたのを思い出す。子供の場合、自分のことを名前で呼ばなくなるとき、一人称を使うようになったときがひとつの自立なのかもしれない。「哲学上の私」私とは、すべての事物を意識するその始まりである。これにより、物事は一歩を歩み始める。対象を認識する前に、その対象を意識したそれが、私である。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
2005.10.12
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最近、かつお節のかたまりを見ない。削られた状態のかつお節ではなくて、かたまりの状態のヤツである。昔、母に言われてかつお削り器で削ったことがある。何故かあのかつおのかたまりとかつお削り器は鮮明に覚えている。幼いながら、一生懸命かつお節を削った。独特の風情だったと記憶している。今、かつお節を削ってだしをとっている家庭というのは少数派と思われる。最近は、すっかり粉末だしに頼っている。粉末だしの味に慣れてしまうと、本当のこぶだし、かつおだしでは物足りなくなってしまう。インスタント食品に味覚が馴染んでいっている。また、きちんとだしをとるのは割高になるし、手間もかかる。世の中、簡単になってきている。インスタント食品は確かに便利だ。手軽さに慣れてしまったら、手間をかけることをわざわざしなくなる。お金と手間をかける以上の意義はあっても実際に行動に移すことは難しい。人間は、進化しているのか、退化しているのか。よくわからない。
2005.10.11
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朝、目が覚めたら雨だった。きょうは特に外出の予定はない。予定のない日の雨。うれしい。窓から雨を眺めるのが好きだ。雨の中、傘をさして犬を散歩させている人を見かけた。犬を飼ったことがないのでよくわからないが雨の日でも散歩は必要なのだろうか。彼は雨の日に散歩に行くことを苦痛に思っていないのだろうか。もしかしたら、少し苦痛なのかもしれない。でも彼にとっては、それ以上に犬を散歩に連れて行くことが意義があるのだ。しあわせな犬だ。ぼんやりと外を眺めながら、考え事をしていると落ち着く。でも、のんびりしている暇はわりとなかった。現実に戻って、いろいろと雑事を片付けることにしよう。
2005.10.08
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最近、自転車で走っていると金木犀の匂いがすることに気が付いた。小学生の頃、通学路の途中に金木犀の木があった。甘いやさしい香りに子供心ながら心を奪われた。可憐な小さなオレンジ色の花も、少女の心をひきつけた。小枝をちぎって家に持って帰り、オレンジの小さな花びらを小さなびんに大事にしまった。コルクのせんのついた小さなびん。ふたをあけると、甘くやさしい香りがした。毎年、金木犀の匂いがする頃になると自分の少女時代を思い出す。嗅覚というのは、遠い記憶までさかのぼって昔を思い出す。金木犀の香りは、自分自身の中の懐かしい部分を思い出させる。まだ未来もわからない幼い自分を思い出し、甘くせつない感覚に陥るのだ。
2005.10.06
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昨日の夜から生理がはじまった。生理の1日目、2日目はとても眠たい。これは、私の曖昧な知識からいうと黄体ホルモンの影響らしい。高校1年の時、生理で必ず学校を休む女の子がいた。毎月3、4日休むので、クラスの皆は暗黙の了解になっていた。そんなに生理痛や症状が重いのかと当時の私は不思議に思っていた。彼女は成績は学年でもトップクラスだった。もう20年以上経つが、彼女の顔は何故か今でもはっきり思い出せる。特に美人だったというわけでもない。また特に親しかったというわけでもなかったのだがふと今日、彼女のことを思い出した。人間の記憶と意識というのは、時として不思議なものである。彼女の生理痛は良くなっただろうか。やっぱり、眠い。今日は早めに寝ることにしよう。
2005.10.05
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少子化である。私の周辺でも、たいてい子供は2人、多くて3人である。3人というと多い気もするが、個人的にはそうは思わない。私には2人子供がいるが、できれば3人ほしかった。結婚が比較的遅かったのと諸事情でそうなったが若くに結婚していたら確実に産んでいたと思う。テレビでたまに10人くらい子供のいる大家族の特番がある。つい真剣に見てしまう。何か人間として大事なことを教わる気がするのだ。文明が発達して、社会が安定してくると人は子供を産まなくなる。物質的には豊かになったけど、人間のメンタルな部分からいえばストレスの多い時代になってきている。昔では起こらなかったような事件が起こっている。文明の発達は、物質面での豊かさはもたらしたけどその反面、人として何か大事なものを失ったような気がしてならない。
2005.10.04
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きょうは仕事は休みだった。日ごろの疲れがたまっているのか、少々体がだるい。日記を再開して、私にしてはまめに更新しているほうなのでそれが良くないのかもしれない。そういえば、以前の日記は一週間に1回更新する程度だった。しばらくPCから離れるのもいいかもしれない。悪くない考えだ。といってみたところで、たぶん無理であろう。ネット中毒一歩手前の私である。知人、友人の中にもネットに無縁という人がいる。ネットがなくても生活に困るということはないのだ。しなければならないことが多くてなかなかしたいことができない。きっと時間のつくり方が下手なのだろう。でも、24時間全部が自分のしたいことに使えたらきっと味気ないものになるのだ。しなければならないことがなくなったら余暇という概念も意味がなくなってしまう。時間を気にせず、ゆっくり読書三昧・・・今したいと思っていることである。
2005.10.03
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自転車の荷台部分が金属疲労のため壊れた。スタンド部分もロックがかからない状態。もう11年乗っているので、買い換えてもいいのだが自転車屋で見積もってもらうと3800円で修理できるという。最近、自転車も安くなった。この前、コーナンのチラシに6480円というヤツがでていたことを思い出す。少し迷ったが、修理することにした。自転車屋のご主人の話によれば、安い自転車が出回っているが、決して商品の質はいいことはないという。溶接の仕方など、仕様が異なるらしい。当然の話である。今は少しでも安く商品化することが先決で、寿命のことはあまり考えない。安くつくって大量生産。いいものをつくる小さい会社が生き残れなくなってきている。電化製品もずいぶんと安くなった。壊れたら買い換えるのがあたりまえ。修理するより新しいものが安く買える時代。使い捨て。消耗品感覚。そのことに皆が疑問も罪悪感もあまり感じていない様子。道理でゴミが増えるはずだ。
2005.10.02
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以前、福岡の友人が大阪に遊びに来た際新大阪から御堂筋線に乗って、西中島南方駅に着いたとき「妙に長い駅名。」と少々驚いて言った。そういえば、私も大阪に来た当初、感じたことであった。福岡にはこういう駅名はなかったように思う。他の沿線はどうか知らないが、大阪市営地下鉄には長い駅名が多い。西中島南方(にしなかじまみなみかた)喜連瓜破(きれうりわり)駒川中野(こまがわなかの)野江内代(のえうちんだい)関目高殿(せきめたかどの)千林大宮(せんばやしおおみや)太子橋今市(たいしばしいまいち)四天王寺前夕陽丘(してんのうじまえゆうひがおか)これは、喜連瓜破でいえば「喜連」と「瓜破」という地名の間あたりに駅があるので両方とも駅名に入れたのであろうと推測される。その他の駅名もほぼ同様と思われる。驚くことに、「きれうりわり」と入力すれば「喜連瓜破」と一発変換される。「のえうちんだい」「たいしばしいまいち」もそうであった。「喜連瓜破について語る」という掲示板を見つけた。その中の喜連中学校出身者のコメント>就職した会社(東京)で先輩に「キレチュー?ネタでしょ」て言われた。なんで喜連中がネタやねん。 何かとネタになりそうな地名、駅名ではある。
2005.10.01
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