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大晦日である。きょうは朝からダンナの実家におせち料理の手伝いに行った。毎年の大晦日の風景。一応、私も嫁である。先日、家を整理していたら、文庫本が何冊か出てきた。買ったことも忘れていたものもあった。読む本がなくなったので、図書館でも行こうと思ったら早々に休館になっていたのでちょうど良かった。一度読んでいるはずなのに、ところどころ覚えているものもあるがほとんど覚えていないものが多い。しかし、もっと他にもあったように思うがこれだけだっただろうか。とても本を読んでいるとは言い難い私であるが一応、国文科卒なのでそれらしく三島由紀夫、太宰治、遠藤周作などの文庫本をほんの数冊購入して読んだ記憶がある。もしかしたら、実家に預けたままかもしれない。実は買ったと思い込んで借りていただけなのかもしれない。記憶がかなり曖昧である。それと同じくして、小説の内容もほとんど覚えていない。それは当時の私にそこまで響くものがなかったからなのか。たぶん、文学というものにそれほどの興味がなかったからなのであろう。当時はそれ以外に私にはすることがあったのだと思う。とはいっても、今思い出してもぼんやりと日々を過ごしているだけの10代、20代であった。とにかく、今は名作といわれる小説を読みたい気分なのである。図書館や本屋に行くと思うことであるがこの膨大な書籍をほとんど読むことなく自分は人生を終えるのだろうと少しセンチメンタルな気分になる。世の中の知らされていることのほんの一部しか知らずにたいていの人は一生を終えるのだ。大晦日。2005年が終わろうとしている。今年はいい年だったと思う。自分なりに。来年の大晦日にもそう思いたいものである。
2005.12.31
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「うどん」を漢字で書くと「饂飩」であるということを先日はじめて知った。「紅葉」のほかに「黄葉」という言葉があることを知った。「紅葉」は秋になって葉が紅く変わることで「黄葉」は秋になって葉が黄色く変わることである。いちょうは黄色く変わるので、厳密に言えば「黄葉」らしい。「非常」 「非情」「ひじょう」という響きは、本当にヒジョウって感じだ。どこか、哀しい。常でない。情がない。この上ない。「無常」 「無情」 「無上」「むじょう」という響きは、何故か惹かれる。どこか、切ない。年末というのに、ぼんやりと国語辞書をながめていた午後。
2005.12.28
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娘の同じクラスの男の子の絵が高く評価されているらしい。娘の話なので、要領を得ない部分があるが何かコンクールの特賞に選ばれ、海外の美術館に彼の絵が展示されることになったらしい。大人では描けない絵だそうである。(あたりまえか・・・)その子は去年、お母さんを病気で亡くしている。彼のお母さんは私と同い年であった。何度か彼女と話したことはあったが、元気な印象しかない。訃報を聞いたときは驚いたものだった。幼くして母親を失うということは、子供にとってどういうことなのだろう。下に当時2歳の女の子もいたというのに。その引き換えといっては言葉は適切ではないが彼には絵の才能というものが授けられていたのかもしれない。時として、人生は自分の意志ではどうにもならないことが起こるものである。しかし、それをどう受け入れていくかということはやはり自身の問題なのである。天命を受け入れ、自身で思考し、選択、行動することによって未来は決まるものなのである。いろんな人生がある。あまりにも凡庸に徹してしまっている私には、きっと彼の絵はまぶしく見えることであろう。
2005.12.26
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クリスマスイブである。クリスマスに疎い私だが、サンタクロースを信じている子供が二人いるので一応、我が家もささやかにクリスマスツリーなどをだして飾り付けをしている。家の外観をクリスマス仕様にものすごく凝っている家をたまに見る。キラキラ輝く美しい装飾にため息がでるばかりであるが、自分の家の幸せ度をアピールしたいのだろうと考えてしまうのは、きっと私の心があざといということなのであろう。今夜はクリスマスケーキにロウソクをたてた。ケーキはもちろん既製品である。クリスマスケーキを手作りするお菓子作りが趣味といえる奥さんは、私の永遠の憧れである。電気を消してローソクに火を灯す。毎年、この時の子供たちの顔は輝いている。明日目覚めれば、サンタクロースからプレゼントが贈られる。子供にとっては、一番楽しい夜なのだろう。サンタクロースを信じていたのは、いつまでだったのだろうか。「恋人がサンタクロース」を久しぶりに聴いた。この曲をよく聴いていた高校生の頃の自分を思い出した。あの頃の自分が懐かしく、少し切ない。もし過去に戻れたとしても、きっと同じような道を歩むのだろう。未来の私はどんな私になっているだろうか。それは、今後の自らの思考、選択、行動によって決められていくことなのである。聖なる夜は、更けてゆく。明日は神の生まれた日。
2005.12.24
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雪が降った。大阪の平地に雪が降るのは、今シーズン初めてだと思う。しかも誕生日に。大阪に住んでいると、この時期には滅多に雪は降らない。今までに雪の誕生日はあっただろうか。覚えてないぐらいにないことである。なんとなく、うれしい。午前中はほんの少し、雪で白くなった。少しの間だけだったが、白く染まった街は美しかった。放置された自転車が風で倒され、その上に雪が白く積もっているのを見た。景色がそこだけ少し寂しくなる。私の住む街は、大阪でも滅多に雪が降ることはない。年に1回見られるかどうかの景色である。ほんの数時間のまぼろしであった。マクドナルドに行った。ドナルドのホットココアをたぶん初めて飲んでみたがものすごく薄かった。これは本当にココアなんだろうか。新しい飲み物のようだった。銀行で新券に変えたばかりの35000円入りの封筒を置き忘れた。もうあきらめて銀行に行ってみたが、親切な人が窓口に届けてくれていた。以前にも、タクシーで財布を忘れたことがあったが手付かずで私のもとに帰ってきたことがある。神様っているんだと思った。午後にはすべて雪は溶けて、アスファルトの地面も乾きはじめていた。きょうは冬至である。1年で一番日照時間の短い日。そんな日に、私は生まれた。
2005.12.22
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私の喫煙歴は、1年ちょっとである。子供から手が少し離れたのを機会に吸うようになった。喫煙歴1年程度、しかも1日に3本程度なので、やめようと思えばやめられるような気がする。基本的に人前では、吸わない。ひとりになった時、ひとりを楽しみながらタバコを吸うのである。やめようと思えばやめられそうなのだが、私にとっては、タバコは孤独を楽しむアイテムなのである。家族がいることの幸せは、かけがえのないことだと充分認識しているが私には自分ひとりの時間が必要なのだ。それは、贅沢な時間なのである。だから、やめられないのかもしれない。40歳になったらやめようと思ったが、たぶん無理である。誕生日は、2日後。メンソールのタバコは、苦手である。
2005.12.20
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きょうは休日である。子供たちを連れてマクドでも行こうかと思ったが寒いので断念した。西では「マクド」、東では「マック」というのが通例のようである。福岡出身現大阪人の私は、完璧に西の人なので「マクド」と言うが友人知人の中には、たまに「マック」という人もいる。「マック」という響きは、なんとなく優雅なイメージを感じる私である。冬の寒い土曜日。のんびりと時が過ぎてゆく休日。こういう日は、アイロンがけに適している。アイロンの蒸気と熱気は、夏には向かない。今日は一歩も外に出ずに過ごしたい。きっと、充実した一日になるであろう。
2005.12.17
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私の自転車歴はわりと長い。それとは関係ないかもしれないが、今までに自転車で接触事故を3回経験している。原付との接触1回、車との接触2回である。かすり傷程度で大したことはない。いずれも大阪に来てからである。そのうちの1回は周囲にたまたま知人がいたため警察を呼んだり、いろいろとよくしてくれた。加害者は50代くらいの自営業風のおじさんで、無口だが人は良さそうな感じであった。警察で拘束され、また私を連れて病院までいくはめになりまぁ気の毒といえば気の毒であった。しかし、青信号の横断歩道を走行中の自転車と接触した場合、車側がほぼ悪いということになるから、仕方ない。加害者よりも被害者でいるほうが、気が楽だなぁと所轄警察の空気の悪い室内で思ったものである。3回目の接触事故はわりと最近のことで下の子を自転車の後ろにのせ、幼稚園に送って通勤するところであった。車を発進させる際に左側から走ってくる私の乗った自転車に全く気がつかなかったらしい。子供を乗せたまま自転車が倒れた。おまけに雨が降っていて、傘をさしていたのだが、自転車が転倒した際に傘の骨が無残にも折れて、余計に哀れな状況を物語っていた。子供にケガはなく、私の右足が車のバンパーにはさまった程度であった。加害者は60代くらいのおじさんで、「大丈夫ですか。」と私たち親子の心配をするが、私は先を急ぐので「大丈夫ですから。」と気丈に返事をし、息子を自転車に乗せ、折れた傘をさしながら幼稚園へと向かい、そして、遅刻することもなく何食わぬ顔で出勤したのであった。日常の中にも、非日常は潜んでいるものである。今日は今年一番の寒さらしい。冷たい風が私の存在など関係なく、吹き荒れる。これからの季節の自転車は、憂鬱なのである。
2005.12.13
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12月に入って急に冬になった。地球温暖化は深刻のようで、最近は5月ぐらいからもう暑かったりするし11月になってもそれほど寒くなかったりする。しかし、やっぱり冬である。季節は移ろうのである。大阪の夏は、暑い。都会の夏は、緑が少ないため、気温が下がりにくいしアスファルトは、直射日光を照り返す。真夏は35℃が普通である。35℃に体が慣れると、不思議と昼間もエアコンを入れずに過ごせる。今年の夏は、そういえば昼間はエアコンを入れなかった。暑かった夏が通り過ぎると、喪失感とともに秋は訪れる。夏の終りに感じる寂しさは、何なのだろう。でも、何ということはない。ただ、ひとつの季節が過ぎ去っただけだ。今年の秋は、けっきょく紅葉を見に行かなかった。冬生まれであるが、冬の寒さは苦手だ。冬の寒い時期は、自転車通勤の私を憂鬱にさせる。女子高生は、短いスカートに生足で寒くないのだろうかと思う。早く春になってほしいと思う反面、冬のどんよりとした曇り空、冷たく澄んだ空気は好きである。冬枯れの海を見に行きたい。夏の暑いときには、冬の寒さを忘れている。冬の寒いときには、夏の暑さを忘れている。春は、一番好きな季節かもしれない。染井吉野の淡い色は、この世で一番上品で繊細な色だと思う。家のベランダからも桜の木が見える。来年の桜の咲く頃の私は、どんな私になっているのだろうか。毎年こう思いながら、平凡に、でも着実に「日常」という時は過ぎてゆくのである。
2005.12.09
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12月である。カレンダーが残り一枚となり、今年がもうすぐ終わることをいやでもあらわしている。1年の締めくくりとなる月。師走。12月は何となく憂鬱である。関係ないけど、自分の誕生日もある。いろいろと行事が重なるということもあるし、期間限定でやらなければならないことも多い。読書もなかなかはかどらない。最近、本を読み始めると眠たくなってしまうのが困ったことである。そういうときは、気持ちは読みたいのだが頭に文章が入ってこないので、中断することにしている。最近、梅田や難波から遠ざかった生活をしているのでそれほどでもないが、今の時期は街はクリスマス一色なのであろう。仕事帰りのスーパーでもクリスマスソングが流れ、何となく私を憂鬱にさせる。クリスマスソングに胸を躍らせていたのは、いつまでだったのだろうか。子供の頃のように、クリスマスを喜べない。サンタクロースをまだ信じている子供の心は、清らかで眩しい。12月31日と1月1日は、1日違うだけだが、大きな違いである。個人的には、8月31日と9月1日も大きな違いを感じる。来年はどんな年になるのだろう。早くも来年のことを考えてしまうのも、12月ならではである。夏の終り、年の終りには、少し感傷的な気分になる私である。
2005.12.04
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