2006年06月06日
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カテゴリ: 連載小説


 あの桜の木に思いをはせてぼんやりとしていると、私に背を向ける格好で立っていた小池くんが言った。

「サヤカさん……」

 そして、小池くんが振り向いた。
 小池くんは眉間に皺を寄せて、怖いくらいに苦しそうな顔をしていた。

「……どうしたの?」
「サヤカさんは、今でもカズヒロさんのことが好きなんですか?」

 小池くんがそう言った。
 私は、どう答えていいのかわからずに小池くんから視線をそらした。


「もう、カズヒロさんのことは忘れてくださいっ……」
「……小池くん」

 風が吹いた。少し寒いな、と私は思う。自分の両腕を抱きしめるように掴んで、肩をすぼめた。
春は近いといっても、やはり夜の風は少し冷たかった。
 私は自嘲気味にふっと笑みを浮かべて、言った。

「……いいのよ。私のことなんて心配しなくても。……私は大丈夫だから」
「大丈夫って……サヤカさんはカズヒロさんのこと、忘れられないんでしょ?なら、大丈夫じゃないじゃないですか。そんな風に、昔のことを引きずったままじゃ、サヤカさんは……いつまでたっても幸せになれない……」

 幸せになれない。そう小池くんは真っ直ぐに私を見ながら言った。その顔は、すごくつらそうに見える。
 幸せになれない……。
 そんなことはない、と私は思う。

「私は、今でも十分に幸せだよ」

「無理なんかしてない。本当に、私は自分のことを不幸だなんて思っていないから……」
「無理しないでくださいっ!」

 私の話を妨げるように小池くんが叫んだ。そして、私の体を無理やり抱き寄せた。
 強い力で掴まれて、私は小池くんの胸の中で身動きが取れなくなる。

「……こ、小池くん……」


 小池くんが、私の耳元でそう呟いた。
 熱い吐息を感じる。

「俺は、サヤカさんのことが好きだから。……だから、いつまでも苦しんでいるサヤカさんのことは見てられないんです」
「……」

 突然の告白に、私は驚いて何も言うことができなかった。
 そうか、小池くんは私のことが好きなのか。なんとなく、そうなのかもしれないと思っていたけれど、はっきりと言葉に出して言われると、やはり驚いてしまった。

 ……小池くんから好きだと言われて、私は、嬉しいと感じた。
 しかし、同時に申し訳ない気持ちにもなった。私は、その小池くんの思いを受け止めることはできない。

 だって、私にはカズヒロがいるのだから。


 私を抱きしめたまま、私の耳元で小池くんは言った。

「カズヒロさんだって……」
「え?」
「カズヒロさんだって、サヤカさんが幸せになることを願っているはずです」

 カズヒロが、私の幸せを願っている。うん、そうだ。カズヒロは私の幸せを願ってくれている。いつでも、今でも。
 だからこそ、私はカズヒロのことを思いつづけるのだ。

「いつまでも死んだ人のことを思いつづけていても、サヤカさんは幸せになれません」

 違う。私は、彼のことを思っているから、こんなに幸せなのだ。

「きっと、カズヒロさんだって、自分のことを忘れてほしいと思っています」

 ……どうして?
 私がカズヒロを忘れることを、カズヒロが願っている?

「……どうして?」
「え?」

 私を抱きしめていた小池くんの手が緩んだ。私は小池くんから少し離れて、彼の顔を見ながら言った。

「カズヒロが忘れられることを願っているなんて、どうして?」
「だって、そうじゃないですか。恋人がいつまでも死んだ自分のことを忘れられずにいたら、つらいですよ」

 小池くんは、一生懸命、諭すように言ってくれた。
 でも、私はそうは思わない。
 違う。違うよ、小池くん。

 頭ではそう思うかもしれない。言葉ではそう言うかもしれない。
 でも、生きているから、そんなことが言えるんだ。

 死んだ人間が自分のことを忘れて欲しいと思っているなんて、私はそんなこと想像できない。
 もしも事故で死んだのが私で、彼が生きのびたとして、一人になった彼が私のことなんて無かったみたいに別の人と一緒になるなんて、絶対に嫌だと思う。
 絶対に忘れずに覚えていて欲しい。私がいたことを。
 そして、私だけをずっと愛していて欲しい。

 少なくとも、私だったらそう思う。
 死んだ彼が本当にどう思っているかなんてわからない。けれど、あんなに私を愛していた彼が、私が他の男の人と一緒になるのを喜んで見ていてくれるはずはない。

 そして何よりも、私が、私自身が、彼のことを思いつづけたいと思っているのだ。きっと、カズヒロはそんな私を抱きしめていてくれる。
 だから……。

「……私は、彼のことを忘れたくないの」

 そう言うと、小池くんは本当に悲しそうな顔をした。

 私はまた、申し訳ない気持ちになる。小池くんを悲しませてしまうことは、本当につらい。
 小池くんは、私から目をそらすように下を向いた。

「俺が、先輩のことを忘れさせてあげられたら…」

 そう小池くんが呟いた。
 私の胸は、痛くなる。

 小池くんが顔をあげた。

「俺は、サヤカさんのことが好きです。本当に、好きです」

 胸が、痛くなる。
 私はうつむいた。

 胸が痛くて、小池くんの方を見ていられなかった。すると、いきなり私は両肩をつかまれた。
 私が驚いて顔をあげると、小池くんが真剣な目で私を見ていた。

 そして、キスをされた。




つづく





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最終更新日  2006年06月06日 19時58分09秒
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