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お久しぶりの蔵出しマレーシア、第3弾はかわいい動物編。エコツアーという言葉を聞いたことがあるでしょうか?最近注目されている旅行形態で、簡単に言えば、自然や環境を守りつつ、ある程度の観光客も受け入れて、観光収入によってその地域の経済活性化や自然保護を計る、というもの。ガチガチの自然保護ボランティアでもなく、人間側の快適さのみを追求するものでもない、というバランスをとったツアーです。日本でも、沖縄や小笠原、屋久島はじめ各地でさかんになってきましたね。冒険旅行ほど過酷ではなく、そこそこの快適さで体験できるので、子どもからお年寄りまで気軽に楽しむことができます。マレーシアのボルネオ島でも、エコツアーがさかん。なんといってもボルネオは、世界最大の熱帯雨林がある島。このジャングルは是非是非お勧めしたい場所です。なにしろ、2回も行ってしまったボルネオ。そして、2回とも訪れたのが、サンダカン郊外にある「セピロックオランウータン保護区」。ここは、森林伐採や密猟などで親を失ったオランウータンの子供たちを保護し、彼らが野生に帰れるようリハビリをする施設。だから、動物園とは違います。なるべく野生の環境に近づけながら、自力で餌を確保できるようになるまで餌付けを行っています。見学者は、オランウータンに関するビデオや資料を見て、この餌付けの時間に合わせて森を移動。餌付けが行われるプラットフォームと呼ばれる台の周辺で、集まってくるオランウータンを見ます。スタッフがえさを持ってくると、森のあちこちから、わらわらと集まってくるオランちゃんたち。子供が多いので、みんな小さくてカワイイです!オランウータンは、マレーシア語で森の人。木の上で生活するのが基本。上手に木の枝を伝いながらやってきますよ。オランウータンは、人間と96%まで遺伝子が共通なんだそう。地球上のもの凄い種類の生物を考えたら、人間とはいとこ同士くらいのものですよね。実は、ボルネオの熱帯雨林は減少していて、オランウータンも絶滅が心配されています。しかも、この森林減少は日本にも関わりが。高度成長期、ボルネオの森から木を伐採して、大量に、日本へ輸出していたのです。オランちゃんたちが無事に森に戻るため、この入場料が役にたってくれれば、少しは責任も果たせたでしょうか?ボルネオでは、ジャングルの河でボートサファリ、という体験も出来ます。こちらは、本当に自然のままの動物たちに出会えます。ディズニーランドのジャングルクルーズどころの話ではありません。鳥や動物の鳴き声しか聞こえない森。ほとんど流れのない泥色の河にボートのエンジンも止めて、静かに待ちます。木の枝に鼻の長いテングザル。くちばしが特徴的なサイチョウはとても美しい鳥。なかなか文章にはしにくい。もうこれは、行った人だけがわかる!としか言いようがありません!泊まったロッジは、自家発電、雨水利用で、シャワーも水のみ。テレビもない、余計なBGMもない。夕方には蛇口全開のようなもの凄いスコールでしばしば停電。それでも、自然と人間について考えざるを得ない環境、というのを、一生に一度くらい体験してもいいのじゃないでしょうか?ただし、10年前は、サンダカンのガイドさんは英語のみ。といっても、日本人の中学英語で十分対応可能。基本的に、ガイド付きツアーにのらないと、行くのは難しいです。というより、キケンだと思います。小学生以上のお子さんにはすばらしい経験になると思うので、お勧め!ボルネオ5日間で10万円台くらいから。親子3人で行けば40万以上はかかりますが、満足度と充実度は120%。それは保障します!
2007年06月17日
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蔵出しマレーシア第2弾。こちらのみなさんは、ホテルのスタッフの方です。おそらくマレー系と思われるお顔立ち。とてもお綺麗でしょう。着ているユニフォームは、マレーの民族衣装を取り入れたデザインです。シンガポール航空の女性CAさんのユニフォームはご存知でしょうか?カラフルな更紗模様(バティックといいます。)のタイトなブラウスにロングの巻きスカート。サロン・ケバヤというマレー系の民族衣装をもとにピエール・バルマン氏がデザインしたもの。とても人気がありますね!もともとシンガポールとマレーシアは兄弟のような国なので(独立した経緯は省きますが、元はひとつの国でした。)、マレー系の人たちの衣装は共通。マレーシア航空のCAさんも、多少ブラウスのデザインは変りますがサロン・ケバヤを着ています。(そのうち、画像を掲載できると思います。お楽しみに!)観光関係やホテルのスタッフなどのユニフォームも、このアレンジが多いようです。熱帯東南アジアの眩しい陽射しに映える、鮮やかなバティックやシルク生地のドレスは本当に素敵です。ところで、基本的にイスラム教徒であるマレー人。イスラム教では、人前で手足を出すのはいけないこと、なのだそうです。中東では女性は顔も出してはいけない国もありますね。マレーシアのイスラムは、南国ののんびりムードもあり、それほど厳しくはありません。地域や家の考えによっても違いますが、たとえば、女性のスカーフでも、白いのをすっぽり被っている人もいれば、ブランドのスカーフを巻いている人、はたまた、使っていない人もいます。ここ、ボルネオは、中華系や原住民の割合が比較的高いため、あまり、イスラム色は強くはないようです。ただし、基本はかなり厳格に守られています。つまり、上は長袖(せめて肘まである半袖)、下はロングスカートかロングパンツ。これは男性も同様で、少なくともマレー系で、タンクトップに短パン、というスタイルで外出している人はいないでしょう。赤道間近の熱帯で、それは暑いでしょう!と思うかも。ところが、この強い陽射し(日本の陽射しとは、本当に違いますよ。頭の上からがんがん照りつける感じ)を避けるには長袖のほうが効果的。中東のすっぽり体を覆うマントも、そのほうがむしろ涼しいからだそうですね。また、毎日のようにあるもの凄いスコール。まさにバケツをひっくり返した!という表現そのものの雨です。かさも役に立たないスコールでは、せめて袖や裾の長い服のほうが寒さを防げるかな、とも思わないではありません。実際、その程度でしのげる雨では、まったくないのですが。そういう点では、気候にも合っている服、といえそうです。実際、ごくごく薄着で歩いているのは、欧米系の人たちが圧倒的。中華系は中華系で白い肌がステイタスとやらで、日焼けをしないために長袖の人が案外多いのです。また、マレーシアも他の東南アジア諸国と同じく、冷房のあるところではその寒さは半端ではありません。外は確かに炎天下なのですが、屋内のレストランやショッピングセンターに行く場合は、健康のためにもマレーシア風のファッションセオリーを取り入れたほうがよさそうです。ミニスカートにノーストッキングでサンダル、なんてカッコで食事に行けば、まず、まちがいなく病気になります!もうひとつイスラム教に関するお話。街の中でよく見かけるのが、赤い三日月のマーク。さて、なんでしょうか?実はこれ、「近くに病院があります」マーク。日本だと、赤十字ですね。だいたい、世界中の多くの国では赤十字です。国際組織の赤十字から来ているシルシです。赤十字という組織はいまや世界中に広がり活動しています。勿論、イスラム圏の国々も加盟しています。でも、ここで問題が。十字のマークはキリスト教のシンボルだから、うちらイスラムが使うわけにはいかんのさ!イスラムとキリスト教は、ライバル。かつては、十字軍戦争など血で血を洗う歴史もありました。そこで、イスラム諸国向け部門として赤新月(三日月)社という組織が出来、マークも三日月になった、というわけ。(本当は、赤十字は、創設者アンリ・デュナンの母国スイスの国旗からとられたので、キリスト教とは無関係なのですが、どうしても連想してしまいますからね。)そして、気づくひとは気づく、あるもの。イスラム教徒は毎日決まった時間に、聖地メッカに向かってお祈りしなければなりません。これは外出していてもやらなくてはいけないこと。そのため、空港や公共施設には、必ずお祈りの部屋が用意されています。そのとき、メッカの方向がわからないと困るので、天井に、メッカの方向を指した矢印が付いているはず。(これは実際見ていないのでわかりませんが。異教徒はこのお祈りルームに入ってはいけないのです。)でも、ホテルの部屋には、ちゃんと矢印がありますよ。だいたい、クローゼットの天井などにさりげなく付いてます。人気リゾートのペナン島などにおでかけの節は、ちょっと気をつけてみてくださいね!
2007年05月13日
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お待たせしました!テクニカルな問題も無事解決。これから、週1回程度のペースで、蔵出し映像シリーズ、行ってみたいと思います。なにぶん、シロウトのアナログ映像で、それも年月が経っているため画質が不十分なところはご容赦ください。へえ~、昔(10年前くらいですが)はこんなだったの?と思ってみていただければ幸いです。1回目の今日は、マレーシア航空の機内食をご紹介。マレーシアは、位置的にはシンガポールの北、タイの南のマレー半島部分と、フィリピンの南西にあるボルネオ島からなります。マレー系、中国系、インド系、原住民族の多民族国家。いちおう、国としてマレー人優遇政策をとっているので、国のトップはマレー人のスルタン(王様)。イスラム教が国教です。とはいえ、当然宗教の自由は認められています。また、中国系はかなり昔から移住しており、特に経済の分野では実力を持っている人たちが多いのです。実際、マレーシアの街を歩いてみると、漢字の看板が目立つことに驚くと思います。そんなマレーシアでは、いろいろな民族が仲良く共存しています。言葉も、マレー語、中国語、タミール語とそれぞれの民族の言葉が使われますが、他の民族とコミュニケーションする時の共通語は英語です。また、料理も、インドや中華のいいところを何気なくミックスしたようなものが多く、美味しいですよ。カレー風の料理やスパイシーな味付けはちょっとインド。チャーハンや麺料理は中華風。(マレーシアの華人は、福建省出身が多いので、そのへんの料理の影響が強そうです。)さて、マレーシア航空の機内食です。東京~コタキナバル(ボルネオ島)線の昼食。みなさんは、イスラム教徒は豚を食べることが出来ない、というのはご存知かと思います。そんな理由もあるでしょうか、メインのお肉はビーフストロガノフ。インドのヒンズー教徒は牛が食べられないのでは?という疑問も浮かびますが、目的地のボルネオ島は、マレーシアのなかでも華人と原住民族の割合が多く、おそらくインド系は少ないのでしょう。もうひとつのチョイスは、お魚でアイナメのウニ焼き。そのほかのディッシュは、和風前菜(右上)、生野菜サラダ(上真ん中)、チーズとクラッカー、セサミロール、ラズベリーとパッションフルーツのムース(左上)。出発地の日本テイストと、トロピカルテイスト、オーソドックスな洋食を上手く組み合わせた、ボリューム感のあるお食事。ここで、またまた疑問。イスラム教はお酒が禁止でしょう?ご安心ください!中東某国のように、お酒の国内持ち込み禁止!なんてことはありません。機内でも、イスラム教以外の方には、ちゃんと、ウイスキーもビールもワインも用意されていますよ。
2007年05月07日
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そろそろマレーシアについて、一応閉めることにする。マレーシアという国、よくも悪くも、よく知らない!という方が多いと思う。ペナンやランカウイという島の名前はご存知かもしれないが。実際、ニュースで登場することも多くない。逆にいえば、それだけ安定した国、ということ。もちろん、いろいろ問題はあるのだろうが、とりあえずは政治も経済も上手く回っていて、外国との大きな紛争もないようだ。東南アジアは他に、タイ、シンガポール、ベトナム、フィリピンを訪問したが、マレーシアが一番のんびり過ごせたと思う。タイも落ち着いた国だけれど、バンコクはもの凄い大都会なので騒々しさと人の多さが半端じゃない。シンガポールは都会しかない国なので、田舎ののどかさに欠ける。フィリピンは国の中に問題が山積みで、観光客にとっても少々つらい場面が多い。ベトナムもかなりお気に入りだが、いかんせん、あの疾走するバイクの大群をかき分けて道を横断するのに、とてもとても神経を使う。マレーシア、多分、人口そのものがまず多くなさそう。人が暮らしている面積よりジャングルのほうが絶対多い。街の周りはジャングルなので、緑がすぐ視界に入る。それが、安らぎを与えてくれる。そのせいか、空がキレイ!赤道間近の太陽はまぶしく、世界がキラキラと輝いている感じ。真っ青な空と濃い緑。キラキラした光に映えて街中の色彩がクリアで鮮やか。絶対に、沈んだ気分にはなれないところだ。あったかい国で、海やジャングルに囲まれ食料には困らない。だからみんな、のんびりして親切。それから、イスラム教の影響もあるかも。日本の「週刊ポ○ト」とか「週刊現○」なんかはグラビアを切取られてしまう。ビデオなども、中味をチェックされるのだ。その手のあやしいお店も見かけない。(もちろん、裏ではあると思うよ。でも、おおっぴらにはダメでしょ。)そもそも、イスラム教徒はお酒を飲まない!(はずである)したがって、赤提灯の飲み屋さん、というものも存在しないのだ。新宿歌舞伎町的危なっかしい雰囲気が全然ないので、また安心して歩けるといえるかも。もっとも、それがもの足りない方も多いでしょうが。(笑)そして、何よりポイント高いのが料理。マレー人、中国人、インド人が混在しているマレーシア。料理もこの3つの国のコラボレーションだ。素材は海鮮が一番。イスラム教では豚肉が食べられないので、中華系のレストラン以外では、お肉は鳥がメインになる。味付けはちょっとインドカレー風だったり、中華風だったり。味のバリエーションが多いので飽きない。東南アジアではイチオシの料理である!ボルネオ島、原住民族のお面をご披露して、ひとまずボルネオ編はおしまい。トゥリマカシ!(ありがとう)
2006年04月14日
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今回のボルネオ行きで、一番楽しみだったのがサンダカンでのステイ。前回、セピロックオランウータン保護区に行ったとき、昼食場所になったサンダカン・ルネッサンスホテルに泊まるのだ!なにしろ、絵に描いたような高台のリゾートホテル。椰子の木に囲まれたラグーンのようなプール。かの、ルネッサンスリゾート系列でもあり、サンダカンで一番の高級ホテルである。(現在は、ルネッサンスグループからは離れたようだが、「サバホテル」の名前で営業中)周囲は熱帯の木々が生い茂る丘。人気の少ない広大な敷地には、街の喧騒はまったく届かない。前回は、昼食だけで、コタキナバルへ日帰りで戻ってしまったが、今回はお泊りだ!朝、前日リバークルーズをしたスカウ村を出発し、セピロックオランウータン保護区を訪問してお昼にホテルに到着。ここの、プールサイドレストランでの昼食までが、ツアーに入っている。食事前にホテルのチェックイン手続きを済ませたので、レストランではすでに食事が始まっていた。さてさて!実は、このスカウ村&サンダカンツアー、すべて英語である。早い話が、日本人、そんなにここまで来ないのだ!スカウ村まで案内してくれたゲーリー君とは、もちろん英語でのやり取りであった。そして、今。今朝から合流している欧米系のお客さんたちと、昼食は一緒である。4席空いているテーブルに座る。すでに4人の先客がいる。自慢じゃないが、英語は、喋れる、というレベルではない!英検3級の実力である。(高校のとき、2級の問題を見て、あまりの難しさにあきらめた。当時は準2級なんてものがなかったのである。)大学受験英語は、まあ、やったけど、合格したのは国語と日本史のお陰のようなもんである。だから、漢文…中国語なら筆談でなんとかなるのだが、英語は、中学レベルの域を出ていない。しかし!日本人、rin家4人だけ、というこの状況!まわりのひとたちは、にこやかに談笑しつつ食事を楽しんでいる。黙りこくって食事をする、陰気な日本人、とよくない印象をもたれたらどうしよう。そして日本代表のゼッケンを背負ったrinは、果敢にも会話に参入したのであった!満面の笑みを浮かべて「Where did you come from?」同席していたのは、オーストラリア人の60歳くらいのご夫婦。ドイツからあちこち回ってきたという若いカップル。なに、意欲さえあれば、言葉なんてわからなくても通じるんじゃい!家人1も、変な中国語はできるが、英語はさっぱりである。rinが通訳しつつ、なんとなくテーブルの会話は進むのだった。こういうとき、子供は得である。黙っているだけで、可愛がって貰える。オーストラリア人御夫婦とは、翌日空港でも一緒になった。写真を撮ってアドレスも交換した。帰国後、クリスマスカードのやりとりも続けている。子供が独立して、大きな家に部屋があまっているので、遊びに来い、と誘ってもくれるのだが。とにかく、何を食べたか覚えていないほど、ひたすらしゃべりまくった。微力だが、日本外交の役に立ったと思えば、苦労のしがいもあるというものだ!
2006年04月05日
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東南アジアでは、水の上で暮らす人たちが多い。サンダカンの海沿いには、大きな水上集落がある。家1軒1軒が高床式で水の上にあるだけではなく、集落全体がぜ~んぶ高床式になっているのだ。陸地から海上にもの凄い広さの床を張り出して、その上に家が立ち並んでいる。家と家とをつなぐ道も海の上の板張りの床。水上集落、というと、ちょっと貧しいひとたちが住むところかな、と先入観を持ってしまいがちだが、全然そんなことはない。まったく普通の家が、単に、土の上ではなく海の上に建ってるだけ!電気も水道もちゃんと完備されている。どの家も開放的なので中をちょっと拝見。きれいに飾られたインテリアに、たくさんの電化製品。マレーシアのおうちは、靴を脱いで裸足で上がるから、木の床はきれいに磨かれている。(ガイドさんが市内観光で案内してくれるのだが、普通の住宅地なので、マナーを守って、迷惑にならないように見学してね!)ボルネオの原住民には、海の民と森の民がいるけれど、海の民は、こうして海の上に住んで、海とともに暮らしてきたのだろう。写真がボケボケなのは、旅行のしょっぱな、コタキナバル空港でカメラをなくしてしまったから。急遽「写るんです」を買ってしのいでいるためですところで、おととしのインドネシア沖大地震では、こうした水上集落が津波の被害をまともに受けてしまった。確かに、津波がきたら防ぎようがない集落。それでも、海の民は、やはり海から離れて暮らすことはしないだろう。津波警報システムなど防災システムの充実が願われます。
2006年03月31日
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土砂降りスコールでロッジは停電。テレビもないし、もう寝るしかないスカウ村。これが、太陽とともにある、人間本来の生活じゃ!翌日はスカッと快晴。またまたサンダカンに戻る。サンダカンは南が海、北は小高い山に囲まれた町。かつては、北ボルネオの首都として栄える。日本の南方進出に伴い、九州地方の貧しい女性たちが、多く出稼ぎに来ていた。日本の国から、半ば見捨てられた彼女たちの墓地が、丘の上にひっそりとある。その墓石は、日本の方向に背を向けて建てられている。第2次大戦中は日本軍に占領され、多くの華人が殺された。戦後は、木材の積出港として賑わう。しかし、ジャングルを乱伐した大量の木材は、多くが日本に輸出されていた。この乱伐の結果が、野生動物の減少や森林破壊を招いたのだ。減少が心配されている動物のひとつに、オランウータンがいる。森林破壊や密猟で親を亡くした子供たちを保護し、森に帰すトレーニングをするのがセピロック・オランウータン保護区。写真のように、人間の歩く通路をひょいひょい歩いている子もいるし、調子に乗って、ひとにいたずらする子もいる。時間を決めて餌付けがあるので、そのときは、森中から子供たちが集まってくる。マレーシアやインドネシアには、こうした保護施設が何か所かあり、地道に活動している。人間の都合で孤児になってしまった彼らのためにできること。こうして訪問することで、入場料が彼らのために役立てられる。そして、知ること。かつてボルネオに、どちらかといえば、負の面で関わってきた日本人。今度は、熱帯雨林とそこに暮らす生き物たちのために、小さな支援をしてみませんか?たとえばこんなツアーで!
2006年03月30日
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さあて!いよいよ、今回のボルネオ探検のメイン、リバーサファリへ出発。日が少し傾いてから出かける。熱帯雨林気候に属するボルネオは、世界でも暑い地域のひとつ。(大昔、地理でやったでしょう。年間の平均気温が25度以上になると熱帯。ボルネオは島の南部に赤道が通っているので、かなり暑いです。)というわけで、動物たちも涼しくなってから動き出すのだろう。夜のほうが、夜行性の動物たちも見られて、さらに充実するらしい。(今回のツアーでは夜のサファリはなし。)全員ライフジャケットを着せられて、エンジン付きボートへ。下手に川へ落ちると、ワニさんが!実は、かな~り危険な冒険なんである。ジャングルの中は、小さな川が網の目のように流れている。茶色い水の色が熱帯雨林!(川の水が透き通ってるなんて、日本だからこそ。中国やここボルネオのように、傾斜のほとんどない地域の川は泥で濁ってるのが普通。決して汚染されてるわけではありません。)動物たちが見られる川筋に入ると、エンジンを止める。静かにしないと、動物たちは逃げちゃうからね。人工の音が、まったくない世界。鳥の声と、何かわからない動物たちの鳴き声だけ。ガイドのゲーリー君が、動物たちをめざとく見つけて教えてくれる。高い木の上に、悠々と佇んでいるテングザル。このテングザル、大きな鼻が天狗のようなのでこの名前が。木から木へ飛ぶオランウータン。オランウータンは「森の人」の意味。樹上生活をしてるおサルさんです。原住民にとって大切な鳥であるサイチョウ。でも、かなり遠くにしか見られないのが残念。地面には小さなサルたちの姿も。こちらは、手の届くほどの距離でご対面。ところがところが!熱帯雨林、この名前のとおり、毎日雨が降るんです!ジャングルには。それも半端じゃない量!バケツをひっくり返した、あるいは水道の蛇口を全開したくらい。この表現でわかって貰えるでしょうか?どしゃどしゃ降り出した雨の中、備え付けビニールシートを被ってロッジに戻ったのでありました。(なるほど!そのためにビニールシートが積んであったのか!)
2006年03月29日
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スカウ村では「プロボスキスロッジ」に泊まる。「プロボスキス」は「テングザル」のこと。何軒かのロッジが川岸に集まっていて、ここが、リバーサファリの基地になっている。ジャングルのど真ん中なので、電気も水道もとーぜんなし!電気は自家発電。水は、雨水をろ過して使う。ジャングルの環境を守るために、人間のみなさん、ちょっと我慢してね!だからね~。電気使いすぎると、停電になるのね。シャワーもお水。マラリアになるといけないから、蚊取り器は必要かも。でも、スタッフのみなさんは、とてもフレンドリー。別に、ものすご~く文明から隔絶した生活してるわけじゃないよ。お食事は、朝は、普通にアメリカンスタイル。なぜかマレーシアではケチャップとマスタードが必ず用意されている。目玉焼きにはケチャップね!でも、夕食のチキンには、まいった!さっきまで、庭をゲコゲコ歩いてた鶏ちゃんだ。遠来のお客のために、フライドチキンになってくれたのだけど・・・。あとにも先にも、あんな鋼鉄のようなフライドチキンは食べたことはないなあ。かなり、ご老体だったのか、彼。こんなツアーでジャングル探検できます!エイビーロード
2006年03月21日
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さて!マレーシアの料理といったら何を思い浮かべますか?って、マレーシア料理、知らない!というひとのほうが多いかな。マレーシア、マレー系、中国系、インド系、原住民系といろいろな民族が混ざった国。ということは、料理もそれだけあるわけ。ただ、なんとなくお互いのおいしいところがミックスされていて、なかなかバラエティにとんでます。マレー料理、というと、一般に、マレー系の人たちの料理。ただ、もともと華僑さんの多いマレーシア。昔から中国人とマレー人とのカップルも多く、中華料理テイストが、他の東南アジアの国より強いかな。そして、なんといってもココナッツミルクをよく使うこと。(なんたって、そこらじゅうにあるんだからね。椰子の木!)有名なのは「サティ」。マレー風焼き鳥だけど、このタレがくせになる!ピーナツやココナッツミルクの甘さにカレーや唐辛子の辛さがミックス。この味が、まさにマレーシア!あとは、チャーハンの「ナシゴレン」。鍋料理の「スチームボート」。東南アジアのお鍋は、海老やお魚のすり身団子など海鮮が中心。おうどん風の麺料理。やきそば。ココナッツミルクを入れたカレー。などなど。わりに、理解しやすい料理でしょ?デザートでは「アイスカチャン」というカキ氷が有名です。東南アジアは、タイ、ベトナム、フィリピンと行ったけれど、ここマレーシアが一番好みに合いました。(シンガポールはマレーシアと同じね)全体に、暖かい国の味付けは塩気が少ない。ピリ辛料理は多いけれど、ぴりぴりくるだけで決してしょっぱくはありません。マレーシアの料理は、結構、味つけはしっかりしてる。きっと、中華系の香辛料やカレー味を取り入れているからだと思う。ちなみに、マレー系のひとたちはイスラム教徒。よって豚肉は食しません。逆に、中華系のひとたちや原住民族は豚が大好き。それで、いろんな民族で食事をするときは、無難なチキンがセレクトされます。おまけマレー語と日本語の言葉遊びをひとつ。「人はオラン、ご飯はナシ、魚はイカン、菓子はクエ!」「オランウータン」は「ウータン」が森で「森の人」、「ナシゴレン」は「ナシ」を「ゴレン(炒めた)」した料理で「チャーハン」になるのです!
2006年03月19日
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昨日、おとといとボルネオ関係の話題が続きました。というわけで、勢いにのってボルネオ探検隊第2次調査怒涛の記録、スタートさせちゃいます1995年の第1次ボルネオ探検に続き、翌1996年7月に、第2次調査に赴いたrin家。コタキナバルへ成田から直行である。(いや~、らくらく。明るいうちにシャングリラ・リゾートにチェックイン。)さて、今回の調査のメインは、ジャングルのリバーサファリ。熱帯雨林のなか、縦横に走る川をボートでクルーズしながら、野生のオランウータンやテングザル、サイチョウなどを観察しよう!というもの。そのため、スカウ村、というところのロッジに1泊する。このスカウ村が、リバーサファリの拠点になっているのだ。到着の翌日、いったん、シャングリラ・リゾートをチェックアウトして、飛行機でサンダカンに飛ぶ。去年の第1次調査でセピロックオランウータン保護区に行ったときに乗った路線。なつかしいサンダカン空港から、市内のホテルに移動して、そこでこのリバーサファリのガイドさんを待つ。やってきたのが写真左はしの彼。ゲーリー君。ゲーリー君運転の四駆でスカウ村へ向かう。サンダカンの街を抜けると、周囲は、椰子のプランテーションが続く。植民地時代の名残か?もっとも現在では、非人道的な状況はないのだろうけれど。道は・・・パリ・ダカールラリーもかくや?と思えるような。(ま、これは大げさですが、確かに四駆じゃないとね。って道です。)はっきり言って、非常にいい運動になります!そして、途中でちょっと寄り道。「ゴマントン・ケイブ」という洞窟の入り口。この洞窟、あるもので有名な場所。中華食材の最高峰といえば、そう、「燕の巣」。○姉妹はじめ、いつまでも美しくありたい方たちに必須の食材。お値段も飛び切りで、日本では、滅多に口にできない?その燕の巣、正体をご存知か?日本の燕じゃないんだよ。これは、アナツバメが海岸の崖っぷちや洞窟に作る巣のこと。産地は東南アジア。ここ「ゴマントン・ケイブ」も燕の巣の採取場なのでした!写真の建物は、巣を採取する人たちの家。なにしろ、高価なものだから、勝手に無関係なひとが取ってはいけない。それに、高い崖や洞窟の天井に張り付いてる燕の巣、作業は、とっても危険、命がけなのだ。洞窟の中は真っ暗、作業用の縄梯子がぶら下がっている。実は、この洞窟、コウモリちゃんたちのおうちでもあり。気をつけないと、彼らの落し物が振ってくるよ。ふかふかした足元の地面は・・・やっぱり、コウモリちゃんの「○ん」・・・だよね。こうして採集された燕の巣はごみだらけ、&コウモリちゃんの「○ん」だらけ?それを、きれいにきれいにきれいにしたのが、はるばる日本へもやってくる、というわけです。
2006年03月18日
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セパタクローのボールを買ったマレーシアボルネオ島。成田からは、サバ州の州都コタキナバルへマレーシア航空の直行便もあります。マレーシアの首都クアラルンプールで乗り継ぐよりも断然時間が短い。そう、世界地図をよ~く見てくださいね。ボルネオ島は日本からまっすぐ南下したところ。クアラルンプールのほうが遠いんですね。この、マレーシア航空。いいです!なにがいいって、まず、機内食がごーか!エコノミーでもトレイがおっきい。ちょっとエスニックテイストのメインディッシュがマレーシアン!当然、イスラム教のお国なので、豚肉料理はありません。そして、なんといってもキャビンアテンダントさん。ノリがいいおにいちゃんやらおじさんが乗務してます。笑顔がステキ!そしておねーさま方の衣装はサロンケバヤ。マレーの民族衣装で、スリムなブラウスとロングの巻きスカートのセット。シンガポール航空と似てます。(もともと同じ国、同じ航空会社だったので、それもそのはず。)そして本題。なんと!コタキナバルではここに泊まりました!「シャングリラ・タンジュンアル・リゾート」!ホテルランキングなんかで、常に上位に登場する、あのシャングリラグループだ!他の都市ならとても高くて手が出ないシャングリラですが、コタキナバルには、外国人観光客が泊まる高級ホテルがあまりないので、ツアーではここしか使わないというわけ。(現在は、他のリゾートホテルもいくつか開業してます。でも、ここがやはり老舗で、街にも一番近い。)シャングリラ、いいです!ほんとにいいです。みんなが、シャングリラいい!というわけがわかった!。さすがのホスピタリティ。すれ違うスタッフが、にこやかに挨拶してくれる。とても気持ちがいい。でも、本当に凄いのは挨拶じゃなかった!実は、2回目に行ったとき、空港でカメラを失くしたのでした。気づいたのがホテルのチェックインのとき。どこで失くしたかはわからない。機内から空港ロビーまでは持って出た記憶はあるけれど。多分、ロビーのイスにおいて、そのまま来ちゃったんだろうな。ダメモトで、ホテルの人に話してみました。すぐにセキュリティ担当のスタッフがやってきて、詳しく状況を聞いて、カメラの機種やメーカーも書類に記入して。「OK!空港に問い合わせます。見つかったら知らせます。」結局、出てこなかったけれど(まあ、イスの上に忘れたのなら、無理だと思う。)、この対応は感動もん!だって、空港で失くしたと思う、それもバ○○○ンカメラだよ。(まだ、デジカメ登場前の頃。たいした値段のカメラではなかったけれど、機内で数枚写した写真が、残念さんになりました。)でも、お客様のどんなご要望でも、とにかくお聞きします!というこの姿勢!これがシャングリラなんだな。機会があれば、他のシャングリラにも泊まってみたいもんです。(でも、高いんだ!)
2006年03月17日
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ご無沙汰のこのシリーズ、しばし中華圏から離れて熱帯の楽園マレーシアに参ります。さて、写真はなんでしょう?これは、ボルネオ島北部サバ州、東南アジア一の高峰キナバル山に向かう途中、カダサン族という現住民族のマーケットで買ったもの。このカダサン族。ボルネオ島に暮らす多くの少数民族のひとつで、このサバ州ではかなりの人口割合を占めています。ちょっとスタディ!マレーシアという国、マレー半島(タイの南側に飛び出てる部分ね。先端にシンガポールがあります。)と、このボルネオ島北部からなっています。ボルネオ島は、世界第3位の面積の大きな島。南半分はインドネシア。そして北側のマレーシア領サバ州とサラワク州の間に挟まれているのが、世界一お金持ち王様の国ブルネイ。インドネシアでは、ボルネオのことを「カリマンタン」と呼んでいます。マレー半島のほうには、イスラム教徒のマレー人が多いのですが、ボルネオには、もともとの少数民族が多く暮らしています。なので、ちょっと、半島側とは違った雰囲気。なにしろ、この少数民族。勇猛で名高い民族ばかりで、昔、首狩りをやってたり、海で活躍していたひとたち。小柄だけど精悍な感じです。カダサン族は、高地に暮らしていた民族。といっても、このボルネオ、平地は少なくて、山が多い。熱帯といっても、山になると、さすがに涼しくなります。(100メートル上ると、気温が1度下がるので、3000メートル上れば、地上が30度あっても山頂は0度、というわけ。)これを買ったマーケットは、かなり山のほうにあったので、長袖でいいくらいの気温。しかも、霧が出ていて湿気もあって、陽気な市場ではなかった。元気なニワトリちゃんがたくさん歩いていたことが印象的。(当然、彼らは売られていくのである。)あと、日用品の竹細工がたくさん売られていました。大体、東南アジアは竹や植物素材を使ったものづくりが得意。バッグ類もおしゃれだし、普段使いできるお道具が、安く手に入ります。それで、これ。要は、竹製のボールです。何のボールか?それがセパタクロー。セパタクローとはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~takraw/sepaktakraw.html足でするバレーボールみたいなスポーツ。日本の蹴鞠に似ているかも。マレーシアでは盛んなのであります。で、これを買ってきて、家族でセパタクローをするわけでもなし。蹴るなら、日本には、もちろんサッカーボールというものがあり。でも、これもサッカーのひとつのルーツだから、サッカーファンとしては、やはり押さえておきたいもの、ということで。
2006年03月16日
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19世紀のイギリスほど、領土的野心が露骨だった国はないだろう。島国で国土も貧しく、外にチャンスを求めねばならない、という切羽詰った事情もあっただろうが、なりふり構わず、という印象さえある。イギリスだけを独走させたくない他のヨーロッパ諸国も参入し、東南アジアは植民地獲得合戦の舞台になってしまう。ここ、ボルネオ島は、マレー半島を手中に収めたイギリスと、インドネシア方面を支配していたオランダとの間で分割されてしまった。このときに、勝手に決められた両国の勢力範囲が、現在のマレーシアとインドネシアの国境になっている。それは、住民の都合をまったく無視したもので、パスポートの提示や関税が必要になるだけ、厄介なものになっている。しかし、この島の中央部の山岳地帯は険しく、原住民たち以外はなかなか近づけない。圧倒的な迫力の熱帯雨林が、よそ者の進入を阻む。また、海岸沿いの国境地帯には、なんと海賊が出没。一種の無法地帯になっているらしい。(実際、観光客が海賊にさらわれる事件も起きた。国境地帯の小島はダイビングスポットで、観光客も訪れるところだった)「密貿易」「海賊」「無法地帯」などという、アンダーグラウンドな闇が、いまだに広がる場所でもある。ともかく、北ボルネオを手に入れたイギリスは、植民地開発を始める。ここ、サラワク州は、ちょっと他の地域と違った経過をたどる。ジェームズ・ブルックという一人の冒険者がいた。彼はここサラワクで財産を築きあげ、自ら王になってしまうのである。勿論、バックにはイギリスが付いていた。しかし、このインディ・ジョーンズは王国を作り、この地を統治する。この白人王が作った、英国風の宮殿や砦、サラワク博物館などの優美な建物は今も現役で使われている。植民地主義は、勿論よくないことではある。しかし、一発当てることを狙い、遥かな地へ命がけでやってきた彼らの志は、なかなか爽快。イギリス人の前にも、中国大陸から多くの華人が移住し、ジャングルを切り開き街を作ってきた。さらに、4万年ほど前から、小船で海を渡りサラワクにやってきた人たちの存在も確認されている。海の向こう、山の向こうには、別の広い世界がある。この夢が、人間の文化を発展させてきたのだ。rinが、こうした冒険者魂に魅かれてしまうのは、旧満州に渡ったおじいちゃまの血を引いているせいかもしれない。・・・写真は、サラワク川沿いの小さな砦。ちょっとイギリス風。前に写っているのは、日本語ガイドの沈さん。華人さんである。冒険者たちの島、ボルネオ、いかがでしたか?さすがに、ここサラワク州まで行った日本人は、まだまだ少ないだろう、とちょっと自慢です。深い深いジャングルと物凄いスコール。可愛らしい動物に、勇敢な戦士たち。そして翌年、rin家は再びボルネオに向かうことになります。
2005年10月18日
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はい、ちょっとびっくりの写真でございます。何って言わなくてもおわかりでございましょう。人間さまの頭蓋骨さまでございます。ここは、イバン族の家の中。いい具合に黒光りするお骨さまが、白いお座布団に鎮座され、赤いリボンなんぞで飾られてぶら下がっておりまする。まあ、お骨さまごときで驚くrinさまではございません。考古学なんぞやっておりましたからには、お墓を調査させていただいたことも数度。どなたかさまの頭蓋骨さまを掘らせていただいたこともございます。(掘らせていただいた皆様、皆様のお骨は、ちゃんと研究に役立たせていただいております。ありがとうございます。)あ、脱線。イバン族といえば、首狩りの風習を持っていた部族のなかでも、一番有名な部族。一軒の家に、一個どころか数個まとめて、シャンデリアのごとく天井からぶらさがっている家も。なにしろ、首を獲るのが勇者の証。獲った首が、このように大事に飾られているのは、お守りにでもなっているのかも。・・・ところで、このイバン族の家、ロングハウスにお泊りできるツアーもあります。宿泊客専用のロングハウスも用意されていて、「世界ウルルン滞在記」のような感動体験がお手軽にできます。・・・いまや、イバン族の村でも、都会で働く人が多い。また、村では高等教育が受けられないので、若者は都会に出ざるを得ない。今や、ジャングルの村へはモーターボートで川をさか上っていける。彼らの村は、文明から隔絶した社会ではない。伝統を護るため、便利な生活を捨てろ、という権利は誰にもない。世界中、多くの地域で、伝統と便利さのせめぎ合いがある。たとえば日本でも、アイヌのひとたちの伝統文化を途絶えさせないように努力が続けられているようだ。上手な両立の方法を、是非、見つけてもらいたいと思う。そして、遠来の客に新鮮な感動を与えてくれることを願う。
2005年10月11日
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ここ、サラワク州には、マレー系、中国系以外に多くの少数民族が住んでいる。もっとも多いイバン族をはじめ、20以上の民族で、人口の半分ほどになる。彼らは、マレー人や中国人が移住するよりもずっと前から、ボルネオで暮らしていた人々。部族ごとに違った文化、生活様式を持ち、族長を中心に共同体を作っている。彼らのうち、いくつかの部族は、ジャングルの川沿いで、ロングハウスという家で共同生活をする。これは、高床式のなが~~~い長屋スタイルの家。数家族が一緒に暮らす。ただし、各家族の部屋はきっちり仕切られていて、プライベートスペースは確保されている。部屋の前の廊下は共同スペース。何か決め事があるときは、族長を中心にみんなが集まり話し合いで決定する。理想的な民主主義である。しかし、人が集団を作れば、集団同士の争いが起こるのも必然。部族間の戦いがあれば、彼らは、敵の首をとる。(首を狩ること自体はそんなに驚くことではないでしょう。日本でも、戦のときは、いくつ首をとったか競ったものだし)でも、さすがに、黒光りする頭蓋骨がいくつも天井からぶら下がっている光景にはびっくり。この頭蓋骨が多ければ多いほど、勇者の一族、ということなのだろう。そこで、こうした部族のひとつオラン・ウルー族の若き戦士をご紹介。ふんどしスタイルが伝統衣装だそうだが、美しい刺繍がしてあったりして、お相撲の化粧回しみたい。こんなところに日本との文化の共通性を発見!精悍で、なかなかの好男子でしょ。(実は、rinとのツーショットなのですが、半分切り取って公開してます)彼は、サラワク・カルチュラル・ヴィレッジという、各少数民族の家を建てて、そこでさまざまな体験ができる野外博物館のスタッフくん。勿論、ふんどしスタイルはお仕事用の衣装。現在、首狩り族の勇敢な子孫たちは、ジーンズにTシャツを着こなし、ロングハウスでテレビや冷蔵庫、洗濯機などを使って生活している。ロングハウスを出て、町で暮らす人も増えているそう。たとえジャングルを離れても、首狩り族の末裔として、誇り高く生きてほしいものである。>>>今日、インドとパキスタンの国境付近で大地震が発生しました。大きな被害が出ているようで心配です。
2005年10月08日
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東南アジアの人気旅行地(たくさんの人が行く、という基準で)といえば、バンコク、シンガポール、バリ島がたぶん御三家。それを猛追するのがベトナムか。さて、マレーシア、といえば、良くも悪くもあまり印象無いなあ、という日本人が多いのじゃないだろうか。フィリピンやミャンマーのように、政治的、社会的なニュースになることも少ない。新聞の海外面でも、マレーシアの名前を目にすることはほとんどない。まあ、それだけ、安定していて穏やかな国、ということ。(これは、実際行ってみると、本当にそう思う。)もっとも、リゾートやダイビングが好きな人なら、ペナン島、ランカウイ島あたりはお馴染みのはず。シンガポールから日帰りツアーで行けるジョホールバルなら行ったよ、という人も多いだろう。(忘れもしない。サッカーワールドカップフランス大会で日本が本選出場を決めたところだ!)でも、他のマレーシアの場所、知ってる?首都クアラルンプール(地元では略してKLという。)でさえ、乗り継ぎで空港にいただけ、という人が多いはず。KLに関しては、rinも空港にしかいたことはないから大きなことは言えないが。マレーシアへも、日本企業は多く進出しているから、仕事で行き来したり住んでいるひとはもちろん多い。ボルネオ島は、過去には、日本が占領していた時期もあり、相当ご年配なら、行ってたよ、という方もおられるだろう。ただ、観光地としては、まだまだ3番手くらいの位置にいるマレーシア。そもそも、rin家が家族旅行でボルネオに行ったのは、ボルネオの北部サバ州のサンダカン郊外で、オランウータンに会うためであった。(このあたりの経緯は、ボルネオジャングル探検隊1~5をご参照ください)この、オランウータン保護区見学は、日本でもテレビで取り上げられたのでそこそこ日本人もいる。成田、関空からの直行便が州都のコタキナバルに乗り入れているので、コタキナバル滞在で4日くらいからの手軽なツアーも多い。(実は、成田からコタキナバルまで、なんと6時間で来てしまう!)ところが、サバ州からさらに西のサラワク州に入ると、がたっと低下するのが日本人遭遇率。これが、ほんとに、会わない。コタキナバルを出発してからクチンのホテルにチェックインするまで、ツアー同行者(といってもrin家4人とおひとりで参加されていた女性の5人だけだ)以外に、出会った日本人は1人。ホテルでコネクティングルームを頼んでいたのに、そうじゃなかったので、部屋をチェンジするよう交渉していた。こっちはアメリカ式中学英語、フロントさんはこれまたテキトーなマレーシアン・ブリティッシュイングリッシュ。向こうが中華系なら筆談という最強手段がとれるのに、どうみても漢字はわかりそうにない相手。そこに助け舟を出してくれたのが、ビジネスマン風の日本人のおじ様だった。これ以降、帰国日にKLの空港に着くまで、たぶん、日本人を見ていない。で、突然タイトルのネコ。クチンとは、マレーシア語で「ネコ」のこと。「ネコ」、catですよ。なんで、町の名前がネコなのか?諸説あるらしい。一番よく聞く話が、町の周りで「~クチン」という名前の果物が採れ、その実がネコの目に似ているからとか。よくわからない話である。とにかく、由来はどうでも、この町はネコをシンボルにしてしまった。町のあちこちにネコのオブジェを置いたり、世界中のネコグッズを集めた「ネコ博物館」まで作ってしまったのだ!ネコ好きのあなた。これは、行かねばならんでしょう。写真のネコちゃんは、中華系神様ふうにポーズをとってみたりして。
2005年10月06日
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さて問題です。マレーシアはどんな政治体制の国でしょう?答え、立憲君主国。そう、マレーシアには王様がいらっしゃる。ただし、ずっと、一人の王様やその子供が代々継いでいく、というシステムとは違う。マレーシアのマレー半島部分の9つの州に王様(サルタン)がいる。その各サルタンたちが、持ち回りで、国全体の王様に就任している。実際の政治は日本と同じで、総理大臣以下内閣が行っている。公立の施設には、必ず王様夫妻のお写真が飾られている。マレーシアに暮らす人々は、マレー系、中国系、インド系、少数民族。建前はみんな平等だけれど、マレー人優遇策をとっていて、国立大学の学生や公務員になるにはマレー系のほうが有利らしい。こうなると、他の民族から不満は出ないのか?そこが、マレーシアの面白いところで、民族によって職業の棲み分けが出来ているらしい。だいたい、どこの国でも、華僑は経営者として成功している人が多い。インド系は金融や弁護士が多いとか。しかし、国王以下、政治の中枢にいるひとたちがイスラム教徒だから、立派な国立モスクもある。時間になると、有難いコーランみたいなものが流れてくる。中東に比べたらはるかにユルイ、マレーシアのイスラムだが、女性はちゃんと、頭にスカーフを巻いている。ところが、ボルネオはちょっと感じが変わる。住民に、ネイティブの少数民族がぐっと増える。また、早くから華僑によって街が作られてきたので、街全体がチャイナタウンのよう。ここ、サラワク州の州都クチンもそう。写真のような、チャイナタウンに特有の建物(1階がお店で2階が住居のショップハウス)に漢字の看板。街にイスラム色がかなり薄いのだ。中国系以外では、少数民族のイバン族が多い。それに他の少数民族を加えると、マレー系をはるかに圧倒する人数になる。大陸から身一つでこの密林の島にやってきた華僑のひとたち。南シナ海の向こうに、はるか故郷を思いながら懸命に街を作って来たのだろう。さすがに遠くまで来たものだ、と、しみじみ感慨に耽るのだった。
2005年10月03日
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コタキナバルからクチンへ飛ぶ飛行機は、マレーシア航空フォッカー50。50人乗りのプロペラ機。飛行機マニアには、結構人気の機体らしい。というのも、この飛行機、翼が窓より上のほうについているのね。だから、どの席に座っても、視界が抜群というわけ。しかも、プロペラ機で低空飛行、スピードも速くないから、ほとんど遊覧飛行状態。これは楽しい。ジャンボクラスばかりに乗っていると、こんな小さな飛行機は危なくないかと心配になりがち。でも、全然揺れないし、景色をみているうちにすぐ到着。写真は、クチン空港に着陸したフォッカー50。ジャングルを切り開いたタダッ広い空港。小さな空港ビルがあるだけで、他の飛行機の姿も見えない。当然お客さんは、空港ビルまで自分で歩く。青空に浮かぶ綿雲が熱帯っぽいでしょ。この写真をみて、気づいたけれど、プロペラ機って、プロペラのところにエンジンがついているのね?(当たり前だって?ジェット機との違いが、実はよくわからない)プロペラ機が、探検隊気分を一層盛り上げて、いざ、クチンへ!
2005年10月01日
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お待たせしました!満を持して、ボルネオ編再開。これまでの経過は「きらきらマレーシア」のカテゴリでご確認を。さて上の写真。なんじゃろ~、と思う方が多いのでは。実は、飛行機の窓から撮った、ボルネオの熱帯雨林。右上の白いのは海。手前の深緑色はジャングル。蛇のような白い川筋が、何本も海に向かっている。深緑の地に白い川。実物は、とても鮮やかなコントラストを描く。(雲が流れていたりして、写真だと全体に白っぽくなってしまったのが残念)で、お気づきのように、人が住んでいる気配はまったくなし。家や建物らしきものは見えない。なにしろ、ボルネオ島は、世界一の熱帯雨林の島なのだ。ここでスタディ。ボルネオ島は世界で3番目に大きい島。下から1/3のところを赤道が横切る。南半分はインドネシア領。(インドネシアでは、この島をカリマンタンと呼ぶ)北西部がマレーシア領だが、その北寄りのサバ州と南寄りのサラワク州の間に、あの、世界一お金持ち国、ブルネイが挟まる。もっとも、この国境は19世紀にヨーロッパ列強によって勝手に引かれたもの。もともとこの島で暮らしている多くのネイティブたちにとっては、国境など迷惑な話なのだ。そしてこの島では、マレー系のひとたちは少数派。イスラムが国教のマレーシアだが、ネイティブの少数民族(これが20以上もある)はクリスチャンが多いそう。そのわけは、イスラム教では豚が食べられないからとか。ネイティブにとって、豚は重要な家畜で、大ご馳走なんである。人口が少ないボルネオ島。そのうえ、深い密林が人の開発を阻む。交通手段はほとんど飛行機頼み。陸路なら、道路よりも、川を利用した水上交通のほうが発達しているくらい。日本からクアラルンプール経由でサバ州コタキナバルに入り、今度は、コタキナバルから、いよいよサラワク州の州都クチンへ飛ぶ。さすがに日本人は他に1人も乗っていない機内。遠くに来たなあ、という感慨でしみじみ。さあ!ボルネオ探検隊の行く手には、人跡未踏のジャングルが立ちはだかるのだった!
2005年09月30日
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ボルネオ島東マレーシア、コタキナバルから飛行機で40分。サンダカンに着く。サンダカンはかつて北ボルネオの首都だったところ。第2次大戦時は日本軍が占領し、いやおう無く戦争に巻き込まれた。また、日本の貧しい女性たちが、「からゆきさん」として出稼ぎにやってきたところでもある。戦後は、南洋材の積み出し港として繁栄する。その多くが、日本向けだった。そのおかげで町は栄えたが、木の乱伐は森林の崩壊を招く。最近、反省の機運が高まり、無秩序な森林伐採は減少。世界的にも、熱帯雨林の重要性が認識されてきている。森林伐採は環境を破壊するだけではない。そこに生きる動物たちの生活を奪うことでもある。ここ、セピロックオランウータンリハビリテーションセンターは、森林破壊や密猟で親を失った子供たちを保護し、森へ帰れるように自立訓練する施設。1964年設立。オランウータンを保護する世界でもっとも知られているリハビリテーションセンターである。多くの孤児たちがリハビリテーションの課程を無事修了し、センターに隣接する4294ヘクタールのカビリ・セピロックの森へと帰っている。オランウータンとは、マレー語で「森の人」の意味。ボルネオ島とスマトラ島に生息する。近年の熱帯林の伐採により急速に生息数を減少させている。このセンターでは、1日2回餌付けが行われる。プラットフォームとよばれる観察台に、スタッフが餌を持ってくると、森のあちこちからオランウータンがわらわらと集まってくる。写真のように、人の歩く道も平気で歩いてくる。そう、ほんとに、すぐそこに、可愛い彼らがいるのだ。可愛くて、つい、触りたくなるけれど、それはダメ。彼らは、いずれ野生に戻らなくてはならない。人に馴れてはいけないのだそうだ。このセンターでは森に入り自然観察をする「ネイチャートレイル」のプログラムもある。また、インフォメーションセンターではオランウータンの生態ビデオ上映や資料展示がある。ここの入園料はセンターの運営に使われている。ほんのちょっとだが、自然保護にも役立ったという満足感も貰えて、いいじゃないですか?コタキナバルから日帰りツアーの利用が簡単。コタキナバルだけの連泊なら10万以下で行けます。また、このコタキナバル・サンダカンのフライトが絶景。緑のジャングルとその間をうねる白い川筋のコントラスト。そして、間近に迫るキナバル山の雄姿は、近距離の低空飛行ならではのお楽しみ。もっとおまかせにしたい向きは、最初からセピロック行きが組み込まれているツアーをどうぞ。5日間、キナバル山国立公園や海がめの産卵観察などもついて15万円前後からあります。安全にジャングル体験できるので、子供たちにもお勧め。動物園ではない、本物の動物体験、プラス少しだけ自然保護と熱帯雨林のことを考える。地球に生きているのは人間だけではない、ということを、忘れないでいたい。
2005年08月23日
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いよいよジャングルに出発。キナバル国立公園まで、コタキナバルからバスで日帰りする。ボルネオというのは、島の中央部は山地である。そのため、陸路での移動が難しく、輸送は空路のほうが便利、という島だ。コタキナバルからキナバル山周辺までは道路が整備されている。街を抜てしばらくはのどかなカンポン(マレー語で村のこと)が続く。やがて人家はなくなり両側は森と草原。すれ違う車もなし。もとより、道路にセンターラインもない。草原をのんびり歩くのは牛。道は次第に坂になり、高度が上がっていく。すこん、とした晴天だったはずが、霧が立ち込める。赤道間近のボルネオだが、山の上は寒い。(当たり前だ。高度1000mあがれば、地上が30度でも20度になるからね)途中、山岳民族の村がある。「降りてみますか?」というガイドさんの勧めでマーケットを見学。元気な鶏がたくさん売られていた。(今晩には食べられちゃうんだね)家人1は、竹製の楽器を購入。形が日本の雅楽の笙に似ている。細い竹のパイプが何本も付いた管楽器。吹き方も笙と同じ。勿論、上手く吹けっこない。しかし、こんなところで日本との文化の共通性があるのだな、と感心する。キナバル国立公園はキナバル山の麓に整備された公園である。気軽にトレッキングを楽しめるコースが用意されている。キナバル山そのものは、本格的な登山装備が必要。ヒマラヤよりは、簡単だろうけれど。マレーシアはエコツーリズムに力を入れていて、自然公園を充実させている。この手の自然体験ツアーは欧米系のひとに人気があるようだ。近いこともあって、特にオーストラリア人が多い。さて、公園のロッジでチャイニーズ風の昼食をとり、バスはコタキナバルへと帰る。なんとなく湿気の多い高地だが、ついに雨が降り始めた。熱帯では、1日1回スコールがある。しかし、シンガポールあたりだと、このスコールはちょうど暑さを抑えてくれるラッキーなお湿り、という程度。だが、ここはボルネオ、世界一の熱帯雨林、トロピカル・レイン・フォーレスト!こんな雨、初めてだ!水道の蛇口全開の水が、空中から降ってくる、そんな感じ。バケツをひっくり返した、そんな表現があるけれど、それでも足りない!しかもそんな雨の中。前だって見えやしない!バスは100キロ近いスピードでぶっ飛ばす。怖いよ~こんなときに、事故に遭っちゃう観光客いるんだよね~バスが横転したりして・・ま、とにかく、バスは無事街に戻った。実にスリリングなドライブだった。初めての熱帯雨林の印象。それはそれは物凄い雨。
2005年07月23日
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マレーシアはイスラム教の国である。といっても、マレー系、中国系、それから少数民族系と多種多様な人々が暮らす。多民族国家。一応、国の基本はイスラム教にマレー語だが、中国系の人たちは道教を信じ、少数民族の間にはキリスト教が広まっていたりする。上手い具合に共存共栄を図っているのがいいところだと思う。イスラムの女性は頭にスカーフは巻いているが、服はいろいろ。普通のスーツ姿もみかける。民族衣装はサロンケバヤという、カラフルなバティックで仕立てた、ブラウスと巻きスカート。マレーシア航空のCAさんのユニフォームもこれ。ぴったりした上着にロングの巻きスカートは、細身のマレーシアンには良く似合う。さて、コタキナバルでのホテルは、シャングリラタンジュンアルリゾート。プライベートビーチに面し、広大な敷地に広がる、画に描いたようなリゾートホテル。しかも、ホテルランキングでは常に上位に入る、あのシャングリラグループ!こんな高級ホテルにはめったに泊まれない。(コタキナバルだから泊まれたんです。他のホテルは中級以下になってしまうので、ツアーで利用するのはほとんどここ。現在はもっとグレードの高いリゾートが開業してます。)とにかくスタッフが感じよい。にこにこして、すれ違うたびに挨拶してくれる。こんなところが、さすがシャングリラ!といわれる理由なんだろうな。南シナ海に沈む夕日を見ながら、プールサイドのレストランでスチームボートをつつく。香草を利かせた東南アジア風鍋料理。お腹もいっぱい。ロマンチックいっぱい。いよいよ明日はキナバル国立公園だ!
2005年07月21日
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それは1995年の春だった。家人1が叫ぶ。「今年の夏は、オランウータンを見に行くぞ!」「へえー。どこの動物園へ?」「ボルネオ!」かくしてボルネオ探検隊プロジェクトが始動した。目的地はマレーシアのボルネオ。東南アジア最高峰のキナバル山周辺の国立公園に、サンダカンにあるセピロックオランウータン保護区。ついでにサラワク州クチンに移動し、そこで少数民族の文化村を見学するという物凄いツアーである。日程はこれだけ入って5泊6日!コンパクトかつハードは旅になりそうだ。さてボルネオはマレーシアとインドネシアに別れているが、世界第3位の大きな島である。北部サバ州の州都コタキナバルへクアラルンプール(KL)経由で入る。フライトはマレーシア航空。CAは民族衣装のきれいなお姉さま方と超イケメンくん。イケメンくんは笑顔がとてもナイス!満員のKL行きだが、KLからコタキナバル行きへの乗り継ぎはぐっと乗客が減る。ほとんどの日本人ファミリーはペナンへ行ってしまうのだ。かくしてrin一家は、前人未到の地(これは大げさすぎ!)ボルネオはコタキナバル空港に降り立ったのである。
2005年07月20日
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