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2016.09.02
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カテゴリ: 観照


今年の祇園祭は、復活3年目の 「後祭」の宵山だけを午後のひととき巡り歩く だけになりました。この時に撮った写真に、過去の祇園祭でに撮った写真を交えて整理してみたいと思います。祇園祭全体からみれば、ほんの一部のご紹介にしか過ぎませんが、ご覧いただいて、来年、祇園祭の体験に出かけていただくきっかけになればうれしいです。

冒頭の写真は 「四条センター」 に八坂神社の神輿が3基鎮座している写真です。「四条センター」は、八坂神社御旅所のある場所に昭和36年(1961)に生まれました。祇園祭期間(7/11~7/26)と年末(12/31)を除くと、普段は京都を代表する老舗や工芸品店、食品店が店舗を並べて、京都の技と味を凝集しているスポットになっています。京の伝統と心のプレゼンテーション・スポットなのです。 (資料1)



四条センターの西隣りに 「八坂神社御旅所」 の社殿があります。
所在地は、四条通寺町東入ル南側、貞安前之町です。通称として、 「祇園御旅所」「四条御旅所」 とも呼ばれています。

八坂神社の御旅所として、古くは四条通を挟んで南北に末社があったようです。北側にあった北の社(太神宮社、稲荷社)は八坂神社の境内に移ります。御旅所として南側では烏丸高辻上ル東側大政所町(下京区)に 「大政所社」と「冠者殿社」 「少将井社」 という御旅所があったそうです。大政所社の祭神は素戔嗚尊 (すさのおのみこと) 、少将井社の祭神は櫛稲田姫命 (くしなだひめのみこと) 。一に少将井ともいわれているとか。 (資料2)
天正19年(1591)に豊臣秀吉の命でこの二社が四条京極一ヶ所に移転となったそうです。明治45年(1912)に四条通が拡幅されることに伴い、現在の姿になったといいます。 (資料3)





ここを拝見したときは、いつも立派な 従者像 が前面を護っているなあと感じます。衣裳の文様がなかなかいい!


社殿も古色重厚な感じで、飾り金具も見応えがあります。



その社殿の西隣にあるのが、 「冠者殿社」 です。 (2011.7.11に撮影)
この冠者殿社は天正19年に上記のとおり秀吉の命で御旅所が移転した時、「樋口(万寿寺通)高倉の地に移され(現在の官社殿町)、さらに慶長のはじめに現在地に移された。明治45年、四条通拡幅に伴い旧社地より南方に後退している」 (説明板より一部転記)
祭神は、素戔嗚命の荒魂 (あらみたま) を祀るとされています。

「官者殿社」 と表記されることもあるようです。江戸時代に出版された『都名所図会』では、「祇園御旅所」が四条京極の辻にありという説明から始めて、「官者殿 (かんじゃでん) 」という名称で説明しています。
江戸時代には「陰暦10月20日に京都の商人や遊女が四条京極にある官者殿(冠者殿)に参詣し,一年中商売のかけひきにうそをいった罪をはらい,神罰を免れるように祈ること」を 「誓文払い」 (資料5)
それが「昔の商人は神様に商売ができることへの感謝と、利益を得ることに対する償いの意識をもっていました。この感謝と償いの意識により年1回の大安売りをして、お客様に利益を還元する商道徳がしっかり守られていました。」 (説明板より一部転記) という風に、年1回の大安売りを「誓文払い」という風に変容して行ったようです。
冠者殿社で毎年10月20日に行われる祭りを俗に「誓文払い」といい 、商売繁盛、家内安全を願い参拝する人が多いと言います。

俗説では「官者殿」は土佐坊昌俊の霊を祀ると考えられていたそうです。この俗説を『都名所図会』は「大いに非なり」と断定しています。その俗説とは、「昌俊は源頼朝の密命をうけ、文治元年(1185)10月17日に義経の堀川邸を訪ね、誓紙をかいて二心のないことを誓約しながら義経を襲い、失敗して処刑された。死にのぞんで、後世に忠義立てのために偽りの誓いをするものの罪を救わんとの願いを立てたといわれる。これに因んで、昌俊は 起請返しの神、誓文払いの神 と崇められた」 (資料2) というのです。10月20日の参拝の背景にこんな俗説があるようです。

2015年から、祇園祭は「前祭」「後祭」という以前の方式が復活し、宵山と巡行を2回楽しめるようになりました。 巡行のルートは前祭と後祭では異なります。今まで1回の巡行で長いというか長すぎる行列だったのが、もとの2つに分割されたので、巡行の行列としては巡行する側も観客側も京都の暑い夏空の下で、時間的には少し楽になったかもしれません。

祇園祭の山鉾行事は、実は7月1日の 「吉符入り」 から始まります。この日が神事はじめで、1日の夜から祇園囃子の練習が鉾町で始まるのです。そして 「前祭 (さきまつり) の巡行は17日、 「後祭 (あとまつり) は24日が巡行日。その後にも行事が続き、最後が31日に行われる 「疫神社夏越祭」 で、長丁場の祇園祭が終了します。

前祭の山鉾の巡行が終わった日 (17日)の夕刻、「神幸祭」 の行事が行われます。「神輿渡御」です。




これは203.7.17に山鉾巡行を見て、鉾を片付けるのをいくつか観察した後で、新京極通を通った時に、偶然に出会った写真です。神輿の1基 「西御座」を担当されている人々が八坂神社に向かわれる途中の風景 です。

「神幸祭」は、八坂神社の神霊が神輿に動座されて、この新京極通が四条通と交差する地点、四条通の南側に位置する「八坂神社御旅所」に一時的に移られます。それが 「神輿渡御」 です。



(2005.7.17撮影)







夕刻、八坂神社の西門石段前に中御座、東御座、西御座の3基の神輿が並びます。
出発の儀の一環として、「三社揃い踏み」が行われます。神輿3基が掛け声と共に高く担ぎ上げられる「差し上げ」や神輿をぐるりと回す「差し回し」が行われるのです。

儀式の後、 ここを出発した神輿は氏子区域を巡行し、上記の御旅所に到着する という次第です。
神輿と神霊は、7日間御旅所にとどまります。
そして、後祭の山鉾巡行が終わった 24日の夕刻、「還幸祭」の行事 が行われます。
神輿は御旅所を出発し、再び氏子区域を巡行した後、八坂神社石段下に集結し、夜更けに八坂神社本社に神霊が還られるのです。 (資料6)

四条センターに安置された神輿を眺めてみましょう。


四条通から南に向かって、 中央に鎮座するのが「中御座」(素戔嗚尊) です。中御座に向かい、



左側に 「西御座」(八柱御子神 やはしらのみこがみ



右側に 「東御座」(櫛稲田姫命) が鎮座します。

これらの神輿の屋根飾りや屋根の装飾文様などが見事です。












その工芸美を仔細に観察していたら、多分数時間かかるかもしれません。それくらいの見応えは十分あります。 (神輿の部分写真は2014.7.22に撮影)



この写真は、2015.7.23に後祭の宵山を眺めに行ったとき、この御旅所の前で撮ったものです。大船鉾が 「日和神楽」の奉納 をされている場面です。
山鉾巡行の前日、夜10時頃、巡行当日の晴天をを祈念して行われる行事です。各鉾町をお囃子の行列が出て、御旅所に出向き、 社殿の前でお囃子奉納 を行われるのです。奉納を終えると、それぞれのルートを通って鉾町に帰るという形です。

京都市内に生まれ育って、今も京都市近郊に住んでいますが、毎年のように祇園祭宵山・山鉾巡行を見ていても、山鉾行事の全てを未だ網羅した形で拝見できていません。京都観光を兼ねて、祇園祭を見に来られる方もまた、祇園祭の一部を楽しまれるだけという方が多分大半でしょう。
逆に言えば、祇園祭の行事の全貌について、その見どころは奧が深いという話になります。

現在は祇園祭の 「宵山」が3日間。巡行前日の夜10時頃に「日和神楽」の行事
山鉾巡行 当日の概要は
     出発・時刻    山鉾数  くじ改め 巡行ルート
 前祭 四条烏丸(9:00AM) 23基  四条堺町 四条通→河原町通→御池通
 後祭 烏丸御池(9:30AM) 10基  市役所前 御池通→河原町通→四条通

そして、 前祭の7月17日・夕刻に「神幸祭」、後祭の7月24日・夕刻に「還幸祭」 が行われ、神輿渡御が実施されるのです。 神幸祭の前の10日と還幸祭の後の28日とには「神輿洗い」 と称される行事があります。
また、後祭の巡行日には、山鉾巡行とほぼ同時並行で、八坂神社を出発(10::00)して、異なるルートを巡行する 「花笠巡行」 が行われます。花笠巡行も華やかです。

前祭・後祭の1週間ほど前から、 「山鉾建て」 (10~14,18~21)、そして建てた山・鉾の 「曳き初め/舁き初め」 (12~13,20~21)の行事が行われます。 (資料6)

一方、巡行が済むと、それぞれの町に戻った山・鉾は、直後から片付けの作業に掛かられます。特に鉾本体の片付けのための解体作業は見応えがあります。巡行を見物した後のこの片付け作業、本体の解体作業プロセスは見応えがあります。実施の時間がほぼ読めますので楽なのです。何度も見ていますが、見飽きることはない楽しみの一つです。
山鉾建ては、山・鉾の本体の組み立てプロセスが見られるのですが、山・鉾の各町の予定日時がわからないとタイミングが合わないので、その点の事前確認が必要になります。

祇園祭の行事の最後となる 「疫神社夏越祭」 に、ひとこと触れておきます。「疫神社」は八坂神社の境内にあります。 蘇民将来 を祭神として祀る境内社です。この日には「疫神社」の石鳥居に 大茅輪 が設けられています。 参拝者はこの大茅輪をくぐって参拝し、厄気を払う祈願をする、けがれを祓い清めてもらう という行事です。 (資料7)
「夏越 (なごし) 」は、かつては「陰暦六月晦日の太祓えの神事」 (『日本語大辞典』講談社) でした。現在は各地の神社で7月に行われているところが多いようです。

次回は、大船鉾のご紹介です。
つづく

参照資料
1) 四条センター   :「四条ストリート」
2) 『昭和京都名所圖会 洛中』 竹村俊則著 駸々堂  p333-334
3) 八坂神社御旅所  :「京都観光Navi」
4) 『都名所図会 上巻』 竹村俊則校注  角川文庫  p163
5) 官者殿  :「コトバンク」
6) 今回の祇園祭で入手した資料「祇園祭 山鉾行事」
7) 八坂神社  ホームページ

補遺
御旅所   :「コトバンク」
御旅所   :ウィキペディア
祇園祭 祭礼編  文化史28 :「フィールド・ミュージアム京都」
祇園祭 神輿渡御   :「KYOTOdesign」
蘇民将来   :ウィキペディア
牛頭天王と蘇民将来  :「民話の駅 蘇民」
蘇民将来と素戔嗚神  塚田敬章氏
京都神輿愛好会  ホームページ

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。

その点、ご寛恕ください。)

観照 祇園祭点描 -2 大船鉾と瀧尾神社 へ
観照 祇園祭点描 -3 南観音山と屏風祭 へ
観照 祇園祭点描 -4 北観音山 へ
観照 祇園祭点描 -5 八幡山・屏風飾り へ
観照 祇園祭点描 -6 役行者山 へ
観照 祇園祭点描 -7 黒主山・鯉山・橋弁慶山 へ
観照 祇園祭点描 -8 浄妙山・鈴鹿山と京の町家(亀末廣と八百三)へ






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Last updated  2016.09.16 10:57:35
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