遊心六中記

遊心六中記

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

2017.01.20
XML
カテゴリ: 探訪 [再録]

                                 [探訪時期:2013年3月]
北国街道をさらに南に歩むと、 「豊臣秀吉公茶亭門」と記された石碑のある門 があります。

脇の板壁に掲げられた説明板 を載せておきましょう。
明治36年、笠原泉氏の鑑定で豊臣秀吉が長浜城内で茶亭門として使ったいたものだろうということです。それが 江戸時代から鐘鋳造工匠、西川家の茶室「湖船庵」の茶亭門として使われていたものをこの場所に移築した のだとか。
その門の右傍に
 またもや、 西田天香さんに関連した石碑
「天香さん北海道開拓の本部 必成社跡」 と記されています。今回のテーマと全く離れますが、後で少し調べてみました。

一燈園を開いた天香さんの略歴にこうあります。 (参照1)

 1891年 西田のぶと結婚。翌年,長男・保太郎誕生。
 1893年 必成社開拓主幹として北海道に入植。

若い頃に、北海道開拓に夢を託された時期があったのです。「二十歳にして、長浜地方の小作百姓百家族を率いて北海道に渡り、500ヘクタールの土地の開拓事業に従事した。その将来は、事業家としても大いに嘱望されたのであったが、その間に起こった資本主(出資者)と現地耕作民との利害の対立、争いに天香は大いに苦悩し」 (参照2) という経緯があったのだとか。これが後の天香さんの生き方に反映していくのでしょう。ネット検索してみますと、空知地方の郷土史研究の中では、必成社が研究の一部になっていることがいくつか見えてきます。
その必成社の入植地は、今は栗澤神社(岩見沢市)になっているようです。 (参照3)

脇道にそれてしまいました。

南北の通りである北国街道は、東西の通り、大手門通りと交差します。 前回掲載した商店街・東の入口に対し、こちらが 西の入口 になります。アーケードの位置に大きく曳山の舞台上での子ども歌舞伎の絵が掲げられています。長浜を象徴するような景色です。


交差路の北東角には、 黒壁ガラス館 が位置しています。
ここが 明治33年に建てられた百三十銀行長浜支店 でした。平成元年に市と民間により、ガラス館として甦ったのです。長浜の黒壁というのは この元銀行の黒漆喰外壁から有名になった のです。いわゆる黒壁スクェアの誕生です。 (参照4)

ここも今回は外観を見て素通りです。


大手門通りの南側には、 <大手町組>「寿山」の曳山蔵 がデンと聳えています。

 通りにかかる 豊橋から北方向を眺めた長浜城外堀跡
 南北の通りとの交差の
これで、長浜城の大手門のあった位置がわかります。
長浜領の境界石碑

交差点を渡って西方向へ真っ直ぐ進むと、

加藤清正の銅像 が再建されています。

この 天満宮 の傍です。

天満宮の西隣に豊国神社(長浜恵比寿宮)があります。
神社を正面から見ると、

こんな感じです。



境内の左手つまり、東側に 「虎石」 なるものが置かれています。

駒札にはおもしろい伝承が記されています。

この石、もともとは長浜城内のどのあたりに置かれていたのでしょうか。
興味のあるところです。

それよりも、豊国神社に括弧書きで なぜ「恵比寿宮」が付されるのか?  です。
この書き方は、長浜で入手した「長浜まち歩きMAP」に記載されている書き方です。
こちらの方が大変興味深いものです。

豊国神社のご祭神は、事代主大神、豊臣秀吉、加藤清正、木村重成の三神です。

いくつかの情報を併読して、まとめて見ます。 (参照5,6、補遺)
1.秀吉没後、3回忌(慶長5年・1600年)に、長浜町衆が遺徳を偲び神社を建立。
2.江戸時代、秀吉信仰が禁止される。
 町年寄の吉川三左右衛門家に神像が移される。
3.寛政4年(1729)11月 長浜八幡宮の御旅所の建立、その一角に堂を建築
 一説に八幡宮の古堂を移築。
 寛政5年 長浜八幡宮にあった蛭子 (えびす) 神を遷座させ、蛭子社を勧請。
 商売の神様・恵比須神を前立にし、奥殿に秀吉像を祀る。
 江戸時代は「蛭子神」として崇拝する形態で秀吉信仰も続ける。
4.明治31年(1898)、秀吉300回忌に現在地に社殿を造営し、社容を整える。
 ただし、この時は「豊 (みのり) 神社」と呼ばれていた。
5.大正9年(1920)に社号を豊国神社と改称。

江戸時代 は、まるで隠れキリシタンと同じような発想と行為が 長浜町衆の中で秀吉信仰として息づいていた のですね。政治が信仰の世界をコントロールしきれないということでしょう。信仰心の強さといえるかもしれません。

長浜の豊国神社では、毎年1月に十日戎が盛大に行われているようです。 (参照6)

この後JR長浜駅に戻る途中に

「地名 長濱の起源歌碑」 というのが目にとまりました。駒札も併せて載せておきます。

その歌碑の傍に、 「長浜城家臣団屋敷跡」石碑

これで、大凡の城下町の広がりがわかります。
この後、徳勝寺は、最初長浜城内に移されたというルーツに遡るために、城内に行くことが必要です。長浜城に行くにはJRの線路を横断して西に行く必要があります。JR長浜駅の2階、改札口前の通路から西側に降りることになるのです。



つづく

参照資料
1) 一燈園資料館香倉院  第62回 京都府探訪5 :「人物記念館探訪の旅 No.4」
2)『西田天香語録』(一燈園出版部) p1
3) 栗澤神社  (岩見沢市)
4) 黒壁について  :「黒壁」
5)「戦国大名浅井氏の菩提寺・徳勝寺のルーツを探る」資料(長浜コース)
         主催:小谷城戦国歴史資料館・「徳勝寺のルーツを探る」実行委員会 
6) 豊国神社十日戎とえびす講~長浜町衆の秀吉信仰~  :「長浜市史」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
豊臣秀吉公 茶亭門  季織(ときおり)の小径  :YouTube
   茶亭門を入ると通り抜けができる小路になっているのですね。
   今回のテーマからはずれるので、門の前を通るだけになったのですが・・・
豊国神社(長浜市)  :ウィキペディア
豊国神社(長浜市)  :「滋賀県観光情報」

     ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 [再録] 近江・長浜 徳勝寺のルーツを探る -1 徳勝寺(現在のお寺)へ
探訪 [再録] 近江・長浜 徳勝寺のルーツを探る -2 延長坊、境界石標、妙法寺(伝羽柴秀勝墓)へ
探訪 [再録] 近江・長浜 徳勝寺のルーツを探る -3 大通寺・知善院・北国街道 へ
探訪 [再録] 近江・長浜 徳勝寺のルーツを探る -5 豊公園・太閤井戸・天守跡・市立長浜城歴史博物館 へ






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.01.20 14:17:03
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: