遊心六中記

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2017.05.28
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カテゴリ: 探訪

4月下旬に「京都の歴史散策」の講座に参加し、かつては相楽郡祝園郷と呼ばれた地域を探訪しました。

この地図は当日のレジュメに添付の散策経路を含むこの地域の古墳・遺跡の分布図から探訪経路周辺部分を切り出した部分図です。 (資料1)
赤丸が集合場所かつ出発点の山田川駅です。黒い太線が散策経路になります。 黄色い丸を付けた新祝園駅が帰着点となります。

近鉄京都線の山田川駅を地図でみますと、現在の行政区分でいえば、京都府精華町と木津川市の境界線上でプラットホームが南北に跨がっています。北半分が木津川市、南半分が精華町になるというおもしろい立地です。

近鉄京都線は、駅の南を東西に流れる「山田川」を横断し、川の南側にある「荒神塚池」の西側を南進していきます。線路の西側のある改札口を出て、駅前の少し南を東の方に回り込むと、

山田川に架かる橋があります。左の画像は、橋から東、木津川市方向の景色です。
山田川は東に流れ、木津川に合流します。

この探訪では、山田川駅前広場の西を南進する府道22号線を横断し、アル・プラザの傍を通りすぎ、 京奈和道の高架道路の近くまでまず移動

高架道路の下は土塁状に土が盛り上げられてフェンスで囲われています。
この土盛地を含めて、 このあたり一帯が「樋ノ口遺跡」 だそうです。説明されなければ単に通りすぎるだけの場所です。上掲地図にマゼンダ色の丸を追記したところです。

この辺りからは、施釉瓦の破片、三彩・二彩・灰釉・緑釉などの彩釉陶器片が出土しているそうです。その出土品中に恭仁宮段階の瓦が含まれることから 730年代に始まり 、中国製白磁の出土品から 平安時代初期に至る遺跡 だと推定されています。発掘範囲からは南北方向に瓦葺きの築地と2棟の掘立柱建物跡が検出されているそうです。楼閣状の建物と推定されています。そこから、現在はこの辺りに 「山田寺」があったという意見 と、孝謙天皇が行幸した 離宮があった跡という意見 が論じられているそうです。 (資料1,2)


すぐ北のなだらかな丘陵地の東端に「新殿神社」が位置し、額を掲げた石鳥居と参道入口の側面が見えます。これは正面側に回り込んでから撮ったものです。上掲地図の青い丸のところです。



参道には石灯籠が点在し、2つめの鳥居の前に 狛犬像 が配されています。

3つめの石鳥居
手水舎

本殿までは、境内地が一段ずつ高くなっていきます。

              石段の上の境内地にある 「舞殿」
これは 室町時代に建立された能舞台 だといいます。「金春流の能や狂言が奉納されている。当社では鎌倉時代から能の奉納が始まったと伝えられ」 (資料3) ているのです。
氏子の間で「翁講」が作られ、現在も 2年に1度、4月に能舞「翁」などが伝統行事として奉納されている とか。”平成9年(1997)に金春流能楽師の黒嵜章次宮司が隔年の開催として復活させ、伝統を守り続けている。能舞「翁」では、黒嵜宮司の孫で金春流能楽師でもある同神社神職の黒嵜博文氏が翁の装束をまとい、面をかぶって舞う。伝統を引き継いだ華麗な舞い姿は、地元の方や観光客らも無料で見学することが出来る。” (資料3)



この舞殿に向かって境内地の右方向にあるもう一つの参道の傍に、この 「十三重石塔(重文)」 があります。

石塔の軸部、初層の塔身には四方仏が半肉彫りされています。

基壇の側面には、塔建立関係者の名前でしょうか、判別できませんが並記されていて、その中に 「三界万霊」 という文字が判別できました。
基礎に延徳三年(1491)銘がある 」ことと、覆鉢と宝珠は後補されているのですが石塔が完全な形で残っていることから、石塔の建立年代を評価するための基準石塔としても貴重な存在だといいます。 (資料1)

延徳3年は室町時代です。 百万遍念仏供養のために建立 されたそうです。 (資料3)


拝殿は横長で、 「割り拝殿」 の形式です。石段を上がり、本殿の手前で草鞋に履き替えて参拝する形です。 割り拝殿の先に、朱塗りの本殿が見えます。

本殿は一間社流造で、天文16年(1547)の棟札が残っているそうです。
木鼻はごくシンプルで白く塗られています。

「江戸時代には植樹神とも称し、田辺町(現京田辺市)の朱智神社(牛頭天王)からの勧請と伝わる」 (資料1) そうです。
つまり、祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。本殿に扉が2つ設えてありますので、調べてみると、配神として、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)がまつられているそうです。 (資料3)


本殿の左右に境内社があります。

境内は、シイやカシなどの常緑広葉樹の繁る鎮守の杜となっています。
新殿神社は、「京都の自然200選・歴史的自然環境部門」に選ばれています (資料3,4)


本殿に向かって、境内を左方向の奧に進んで行くと、箱型石仏が並ぶ寂れた築地塀が一部残り、それが一つの境界となっていて、その向こう側に御堂があります。

神社の境内地に 「薬師堂」 が現存します。

正面の左壁面上部に、「西国十六番京清水寺」と御詠歌が記された扁額が掲げてあります。


格子のガラス扉から堂内を拝見すると、中央の厨子に 薬師如来坐像 が祀られています。江戸時代の作だとか。
新殿神社に隣接して、神宮寺として 医王寺 の名前が残っているのです。薬師如来坐像はこの寺の本尊だったそうです。左右に閉じられた厨子が見えます。 弘法大師坐像と観音像が安置されている といいますので、正面の扁額はその観音像と関係するのでしょう。 (資料1,4)
因みに、京都の清水寺の本尊は十一面観音菩薩立像です。


京奈和道の高架の下を通り抜けて振り返ると、T字路の南西隅に、社号石標が立っています。
少し先を右折して、北方向に丘陵地の坂道を上って行きます。

大宮神社から七つ塚古墳群へと進みます。

つづく

参照資料
1) 「京都の歴史散策33 ~祝園を歩く~」龍谷大学REC
    ( 2017.43.22 龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏 作成 )
2) 飛鳥・奈良時代の京都 離宮か、寺院か?   pdfファイル 井野近富氏
3) 神殿神社  :「京都府神社庁」
4) 新殿神社   :「京都府精華町」

補遺
山田川流域の里を歴史と文化財の謎を探りながら歩く   pdfファイル
朱智神社   :「京田辺道中記」(京田辺市観光協会)
朱智神社(京都府京田辺市)   :「京都風光」
山城(綴喜郡)の式内社/朱智神社   :「戸原のページ」
京都の自然200選   :「京都府」
京都の自然200選 新殿神社
音羽山清水寺  ホームページ

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探訪 京都・精華町 祝園を歩く -2 大宮神社・吐師七つ塚古墳群・天王神社 へ
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Last updated  2017.06.04 12:08:01
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