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2017.06.28
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カテゴリ: 探訪 [再録]

                                 [探訪時期:2014年9月]
小野篁・紫式部墓を探訪した後、思いつきで足を延ばした探訪です。ここも、一度訪ねてみたかった神社です。ここに再録して、ご紹介します。

私は今までこの神社名を音読みしていました。ところが、ここを訪れてみて初めて 「たけいさお」 と読むのが正式であるということを知った次第です。旧別格官幣社です。
所在地はこちらの地図(Mapion)をご覧ください。


「建勲神社の大鳥居」の説明板 が冒頭画像の (しらきづくり) 」の鳥居 近くに掲示されています。 素木造の鳥居としては京都府下最大であり、台湾阿里山産の紅檜が使用されているそうです 。明治神宮の大鳥居と同種の様式だとか。

今までは 織田信長を祀る神社
この整理をしながら、改めて船岡山やこの神社の理解を深めているところです。


駒札を読んで、初めて この神社が明治2年(1869)になって明治天皇により創建された ということを知りました。 社地が船岡山東麓に定められたのは明治8年(1875) だといいます。そして やはり「けんくん」神社とも通称で呼ばれるのだと・・・・ 。駒札には、 「船岡山は、平安京正中線の北延長線上に位置し、平安京の玄武(北の神)として造営の基準点にされた場所」なのです 。それ故に、平安京の中軸となる朱雀大路の真北にこの船岡山が位置しています。

「明治3年(1870)東京の織田信敏邸内と、その旧藩地の羽前国(山形県)天童舞鶴山とに祭祀せしめられたのが起こりである」 (資料1) とも。
ネット検索してみると、 天童市城山1043-5 に、建勲神社が所在 します。 (資料2)


こんな案内板も掲示されています。当初は船岡山の東麓に神社が創建されたのですが、 明治43年に本殿拝殿などすべてが山頂に移設され、現在の形になったようです。




その前方を見上げると、石柱が立てられています。
「大平和敬神」と太い文字が陰刻された石柱(神石)


この左側にちょっと急な石段があります。本殿社務所のところまでは、下から約百段ほど、80mばかり石段を登ることになります。


登りきった近くに 、建勲神社境内図 があります。この図で大凡のイメージができることでしょう。


境内図の左側に、祭神「織田信長公」と末社の義照稲荷社、船岡山の説明が付されています。
「織田信長公」についての説明を読むと、明治天皇・明治の政府にとっては、「西洋を動かす力の源を追求して新秩序を確立し」「行き詰まった旧来の政治、社会秩序、腐敗した宗教等を果敢に打破し」というフレーズが新体制づくりに有益だったのかと感じます。この点を強調するのに織田信長が最適だったのでしょう。かなり政策的な・・・・・。

義照稲荷社は、上掲の神石「大平和敬神」と同じ境内レベルを右側に歩んでいったところに祀られています。今回拝見には行きませんでした。
その西隣にもう一つの末社として、「稲荷命婦元宮」の小祠が祀られています。
伏見稲荷大社命婦社の親神「船岡山の霊狐」を祀るのだそうです。
船岡山と伏見の稲荷山は神霊の交流があったのでしょうか。この2箇所を結ぶキーワードは秦氏ということになるようです。

この石段から先が、山頂の境内ということになります。

近くに、信長が口ずさみ舞ったという 「敦盛」の一節の碑 が建てられています。

石段を登ると、左に手水舎、そしてさらに石段の先に拝殿が望めます。

        石段前の狛犬。かなり筋肉質で勇壮な作りの狛犬です。

                    拝殿とその向こうに見える社殿
拝殿の内側には、織田信長の36功臣のうち、18功臣の額が飾られています。
36功臣の略歴は、当神社の公式サイトで解説されているのを知りました。
こちらをご一読ください。ご紹介しておきましょう。


                         社殿を正面から眺めて。

玉垣の正面の神門(祝詞舎)は切妻造妻入檜皮葺です。懸魚の上の部分と蟇股などに菊の紋章が付けられています。左側にあるのは神饌所です。

上記の通り、 祭神は織田信長 です。そして、 明治13年(1880)に嫡子の織田信忠を配祀した そうです。

           本殿は東面して建てられていて、一間社流造檜皮葺です。
  拝殿のある境内レベルから手水舎の眺め

                              社務所と貴賓館
社殿・建造物については、当神社の公式サイトをご覧いただくと詳細に説明されています。こちらのページをご覧ください。

この後、石段を降り、境内図の掲げられていた境内レベルを左折していくと 北参道 を下っていくことになります。 本殿は東に向き、最初の大鳥居が船岡山の東側になります。

北参道を下っていくと、船岡北通に出ます。そこから船岡東通に出て、北方向に歩むと北大路通です。

北大路通から建勲神社の北参道への最初の石段道に向かうとき、最初に目にするのがこの石標 になります。

これで訪れてみたい神社の一つの雰囲気に触れることができました。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1)『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著  駸々堂
2) 建勲神社 :「やまがたへの旅」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
建勲神社  公式サイト
船岡山   :ウィキペディア
船岡山公園   :「京都観光Navi」
船岡山合戦   :ウィキペディア
織田信敏  :ウィキペディア

稲荷神   :ウィキペディア
白狐社   :「ぞえじいの福々巡り」
命婦社   :「祐徳稲荷神社」
伏見稲荷大社   :「ニコニコ大百科」
 「伏見稲荷大社と狐」の項目をご覧ください。
  空海の弟子・真雅僧正が著したとされる『稲荷流記』に載っているという話が
  取り上げられています。船岡山の狐が登場します。

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

スポット探訪 [再録] 京都・洛北  小野篁・紫式部墓 へ
観照 [再録] 京都・洛中 廬山寺 源氏の庭に桔梗咲く へ
スポット探訪 [再録] 京都・洛中 玄武神社 へ





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Last updated  2017.06.28 00:35:45コメント(0) | コメントを書く


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