遊心六中記

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2017.10.27
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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天女像を見た後、湖岸に近づいて行きます。

違った角度から、天女衣掛けの柳が眺められます 。西側半周の湖岸沿いを歩くとき、この柳の木を振り返りながら、その景色を眺めて行きました。

ほどなく、 「余呉湖のビジターセンター」 です。

ここには大きな観光案内図が芝生の広場に建てられていて、

                      広場には句碑、歌碑が建てられています。







ビジターセンターの建物の傍に、 「中部北陸自然歩道」の表示板 があります。
近寄って見ると、 「余呉湖と天女のみちコース」という地図と説明が出ています
これを参考にしていただくと、便利だと思います。 このビジターセンターから柳の木まで300mばかり だということがわかります。 JR余呉駅からこのセンターまで1kmくらいの距離 なのです。

ビジターセンター近くには釣り桟橋があり、釣り人には ワカザギ釣りのポイント として知られているようです。釣りをしない私は知りませんでしたが・・・。
このワカサギは余呉湖にとっては外来種だったのですね


このビジターセンターから湖の西側を北から南に回り込んでいくことになります。湖岸沿いに歩道ができています。 昭和35年(1960)に湖岸を一周する道路ができるまでは、浦々を結ぶ交通手段は舟だったと言います。道路ができて、交通手段としての舟はすべてなくなったのだとか。 (資料1,3)






柳の木が遠くに見えます。


余呉湖の西側は、川並地区です。この画像の山裾の樹林のあたり、川並村桐畑太夫の屋敷があったという伝承が残る場所だそうです。

この桐畑太夫がもう一つの羽衣伝説に登場する人物なのです 。この伝説は、慶長年間の末期(1612)に記録があるようです。天女が桐畑太夫の妻になるまでの経緯は、風土記逸文と似たようなもの。だけど、その後が大きく変化します。天女は陰陽丸と名づけられた男子と、その翌年、菊石と名づけられた女子を生みます。そこから話が展開して行くのです。
天女は再び羽衣を手にすると天に昇り去って行きます。太夫は嘆き悲しむのですが、東方の霊石あたりに瓢を植えて作り、できた瓢に乗って法華経を唱えると天に昇ると教えられて、桐畑太夫は昇天するのです。その結果、兄妹は孤児になってしまいます。この陰陽丸の泣き声が、管山寺の尊元和尚の耳目に止まることとなり、後に陰陽丸は菅原是善の養子となり、後の菅原道真として生長していくというのです。つまり、羽衣伝説が道真誕生伝説に繋がっているという伝承です。これは『日本地誌体系』に載っているようです。 (資料1,2)
さらに、『雑話集』には、 七夕伝説と結びつく余呉の羽衣伝説 があるそうです。 (資料2) 。司馬遼太郎氏はきりはた(切畠)太夫の話が『雑話集』を典拠にするとしています (資料1,3) 。このあたり、いつかどこかで原典に触れてみたいものです。



さらに湖岸沿いの道を先に進むと、 ちょうど余呉湖の西半周の中間点くらい になります。方位では西にあたります。ここで、 少し大きめの石を安置し、その背後・湖側に御幣をたて、玉垣を回らした場所 に出会います。昔、一度見た時は単に通過点でした。


「菊石姫と蛇の目玉石」という説明碑 が傍に建てられています。

この 菊石姫とは陰陽丸の妹のこと でしょう。「菊石は十三才にて海に入り主となり、三年過ぎ大竜の形にて浮かぶ。片(形)見に両眼を抜き、小鍋に一生下され、石に跡あり。」と伝説中にわずかですが記載されています。小鍋というのは、孤児になった兄妹を養った女性です (資料1) 。一方、説明碑には、ある年に干ばつに苦しむ村人を救うために、余呉湖に身を投じ、雨を降らせたということが記されています。蛇に化身した姫は、疫病の薬にと目玉を抜きとり、湖中から投げ与えたそうです。そのとき石の上に目玉が落ちたのですが、それがここに祀られている石だとか。


落ちたときの跡が半円球状に窪んでいるのです。結構大きな跡ですよ。


この蛇の目玉石から湖面の先を眺めると、あの柳の木が遠望できるのです。
デジカメのズームアップで、それが確認できました。

余呉湖にまつわる羽衣伝説が、様々にアレンジされて、伝承されてきているのです。長らく、私はそのうちの一番古い羽衣伝説だけに親しんできていたということになります。
伝説には、様々な人々の思いや祈り、願望が加わり、変遷してきたのでしょう。様々な地点から眺めることのできる「天女衣掛の柳」が、伝承の厚み、広がり、変形を育んでいったのではないでしょうか。
伝説・伝承の変遷を知ることで、昔日の余呉湖に一層のロマンが広がりました。

つづく

参照資料
1) 当日配布の説明レジュメ資料
2) ​ 羽衣伝説と道真伝説 ​ :「余呉観光情報」  
3) 『街道をゆく』4 司馬遼太郎著・朝日文芸文庫 「余呉から木ノ本へ」p278

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
ワカサギ ​ :ウィキペディア
ワカサギ ​ :「市場魚介類図鑑」
菊石姫伝説 菊石姫の物語 ​ :「余呉観光情報」
余呉町伝説『菊石姫』 ​  :「こんにちは。滋賀の伝説」
菊石姫の伝説 ​ :「国民宿舎 余呉湖荘」
「雑話集」を所蔵しているか。 ​:「レファレンス協同データベース」
「余呉湖畔の蛇の目玉石」の・・・伝説(民話)の内容について、もう少し詳しく知りたい。 ​ 
              :「レファランス協同データベース」
大日本地誌大系 ​ :ウィキペディア

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Last updated  2017.10.30 20:49:36 コメントを書く


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