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2018.02.10
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カテゴリ: 探訪
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現地説明会で担当者の方から説明を拝聴した後、この周辺を巡ってみることにしました。
この辺りは幾度も歩いていますが、少しずつ変化が現れてきています。
当日頂いた冒頭の表紙のA4サイズの冊子に関係があります。 (資料1)
  この冊子の裏表紙がこれです。
「遺跡を活用する~整備計画の概要~」という宇治市の計画案が進行しているのです。
この計画は、 国指定の史跡宇治川太閤堤跡を公園化 して、「多くの人が憩い、賑わう宇治の新たな観光資源となること」を目指そうというものです。勿論、この計画の内容に対する反対意見も提起されているのが現状です。

計画図を切り出してみました。 この図にはこんな 注記があります 。「この図は土地利用計画を示したものであり、土地所有者等との協議が完了したものではありません。交流ゾーンはイメージ図です。」
この計画案には市民の税金を使うことによる整備建設への投資金額と効果も含めての反対意見も提起されていますので、今後どのように進展するのか解りません。しかし、一方で部分的な整備が進行しているのも事実です。

現地説明会の後、この計画図の周辺を改めて散策してみたのです。その現状をご紹介します。

宮内庁の管理する陵墓 莵道稚郎子墓 (うじのわきいらつこのはか) 」への参道に繋がっています。道沿いにあるけば、

この陵墓への入口 が見えます。


この入口に至る参道を逆に東に歩めば、旧奈良街道に出ます 。旧奈良街道に接する参道入口中央に 「莵道稚郎子皇子御墓」という石標 があります。

この石標の少し北側、旧奈良街道沿いの民家の前方の一区画が生垣と鉄柵の門扉で囲われています。
そこにこの駒札が立っています。これが 「陪塚」 (ばいちょう) と言われる場所です。陪塚は「大型の古墳に近接する小規模の古墳で、その大型古墳に関連して営まれたとされるもの」 (『大辞林』三省堂) を意味します。
この陪塚のところにはもと「 波戸浮舟社 (はどうきふねしゃ) 」があり、「源氏物語」宇治十帖の「浮舟」のゆかりの地と伝えられていたのです。 (資料2)




この宇治墓は南面しています。その

陵墓の瑞垣の右手前に、 「応神天皇皇子 莵道稚郎子尊宇治墓」 と刻された石標が立っています。

この場所が莵道稚郎子の墓と明治22年(1889)6月に治定されて、宇治墓が整備されたそうです。この辺りは字丸山という地名で、それまでは小丘があり茶園として開かれていたようです。「延喜式」(諸陵寮)に「在山城国宇治郡、兆域東西十二町、南北十二町、守戸三烟」という記述に相当する場所と判断されたのが根拠だとか。
​​ という側面もあるようです。 ​​

莵道稚郎子は、応神天皇が近江へ向かう旅の途中、宇治の木幡で出会った和爾氏の女、宮主宅比売(ミヤヌシノヤカヒメ)との間に生まれた皇子です。宇治墓のある「この場所にかつて円墳があったともいわれるが、明かでない。紀(=日本書紀)では皇子の墓を山上(=朝日山山上)とする記述とも一致せず、皇太子の墓としては小規模に思われる。しかし宇治神社の地が『山背国風土記』逸文に応神天皇の桐原日桁宮と伝えるなど、付近には稚郎子ゆかりの伝承が多く残されている。」 (資料4、括弧内は注記した) という考えもあります。

この御陵の南西側の一隅から宇治川方向を眺めた景色ですが、2015年4月時点でご覧の工事用のフェンスが見えます。

上掲のフェンスの西側で、莵道稚郎子墓のフェンスの外側に、 「浮舟宮跡」碑 が建立されています。

石碑の前に置かれた銘板
上記に触れていることと関連した説明内容が詳しく記されています。


今回撮ったものですが、この 「史跡 宇治川太閤堤跡」 という石標が2015年当時から建てられています。

                    その傍に掲示されている説明パネルのひとつ

莵道稚郎子墓の南側のこのあたりは、谷状地形の広がりの西端となる場所だとかで、平成19年度(2007年度)の発掘調査の時に、 「杭止め護岸」の構造が見つかった場所 だそうです。
「護岸は直径8cmの杭(かせ木)を15cm間隔で柵状に密に打ち並べ、内側に石積み護岸と同様の石材を充填しています。かせ木の前側に直径16cmの支え柱、かせ木との間に横板を挟み込んで、護岸の前倒れを防いでいます。また馬踏の一部では、石張りが認められます。杭止め護岸は谷を埋め立てて造られており、中央の石出しを境に、谷が深くなる南側では、護岸の高さが2.4mに達する部分もあります。」 (資料1)


これは展示パネルから引用した 「石出し3」 です。ここは川床から石出しの上面まで高さが3.5mもある大きなもので、 下流側には「杭出し」も見つかったそうです 。杭出しは石出し1でも見つかっていることから、「 石出しと杭出しがセットでつくられている可能性が考えられます (資料5) とのこと。


                       工事用フェンスから南方向を眺めた景色
これは入手資料から判断すると、 「杭出し」を復元したものと推測 します。

この杭出しは石積み護岸区域にのみ敷設されているそうです。「石積み護岸の石張りと石積みの境界付近から、 直径15cmほどの杭を3列下流へ向かって打ち並べたもの 」だそうです。
「通常の杭出しは杭列のみですが、発掘した杭出しは内部に石材を充填しています。石材は護岸と同様のもので、杭の上端が隠れるほどの高さに達しています。
 全長が20m以上ある杭出しは、2カ所とも護岸の馬踏よりも1mほど低い位置にあり、護岸を守るという本来機能とは違う役割を担っていた可能性も考えられます」 (資料1)


莵道稚郎子墓の西側を南から眺めた景色です。上掲の計画図のAゾーンになります。
散策の折には、まず莵道稚郎子墓の西側に沿った南北の道路を北に歩きました。この景色の工事用フェンスの東側になります。
北側の住宅地内の道路を西に抜けて、宇治川の右岸堤防上に出て、そこから堤防を上流側(南方向)に歩きます。

堤防の東側にこの 観覧舞台 が建設されていました。

そこから見えるのが、平成19年度の発掘調査で見つかった 「石積み護岸、石出し、杭出し」を復元する工事途中の状態 のようです。


現地説明会の展示パネルに掲載のこの写真がここの場所にあたるようです。
この発掘された遺跡は、「宇治川の水位が上がると、水没するため現物展示ができません」ので、遺跡を埋め戻し、 その真上2mのところに、再現パネルと石による整備が行われることになった そうです。 (資料5、以下同様に参照及び引用))

これが、その 再現整備方法のイラスト図 です。
「安土桃山時代の太閤堤を再現する下流側は遺跡の3次元測量をした上で型を取り、GRC(ガラス繊維強化セメント)を用いて原寸大で、そっくりそのまま再現します。」 (資料5)



0045
このコンクリートの台形状の場所が、「石出し1」に該当する場所のようです 。この上に再現パネルでの整備がいずれ着工されるのでしょう。


 (資料5)
そして、このAゾーンはこんな完成イメージになるそうです。

この後、堤防上を上流方向へ進みます。そして現地説明会の場所を堤防上から撮ったのが前回最後に載せた景色です。


(資料1)
冒頭の冊子からの「宇治川太閤堤跡の発掘調査」の図を引用します。 この図にある番号5が、今回現地説明会で見聞した場所です 。平成21年度の発掘調査で4基めの石出しの位置が確認されていて、それが平成29年7月、つまり昨年からの発掘調査となったのです。
この位置は、計画図によれば、Bゾーンの北東角になるようです
こちらも、埋め戻した後は、たぶん上掲と同様の再現整備が取られるという想定なのでしょう。
現在進行形の整備計画です。これからどのように進展していくのか、ウォッチングしたいと思います。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 「国指定史跡 宇治川太閤堤跡   宇治市」 
    2017.10.25 改訂    編集・発行 宇治市歴史まちづくり推進課
2) 『都名所図会 下』 竹村俊則校注 角川文庫 p116
3) 『京都府の地名 日本歴史地名大系26』 平凡社 p235,236
4) 『京都府の歴史散歩 下』 京都府歴史遺産研究会編 山川出版社 p63
5) 『発掘宇治'16』平成28年度 発掘調査・文化財続報 
      平成29年3月31日発行  宇治市歴史まちづくり推進課

補遺
莵道稚郎子 ​  :ウィキペディア
(29)莵道稚郎子伝説(宇治市) ​ :「ふるさと昔語り」(京都新聞)
創られた陵墓 ​ :「紀行歴史遊学」
莵道稚郎子皇子御墓【道標】 ​ GA030 :「フィールド・ミュージアム京都」
  こちらは、もう一つの道標です。
宇治川太閤堤跡  2009  宇治市教育委員会
「宇治川太閤堤跡」の発掘作業を公開中 ​  2012.10.10  :「リビング京都」
  400年前の石積みがそのままに
宇治川太閤堤跡(京都府宇治市) ​  :「京都風光」
伏見・向島 巨椋池や太閤堤、向島城の歴史を学ぶフィールドワーク ​ 2017.5.15
     :「伏見経済新聞」

(仮称)宇治川太閤堤跡歴史公園の計画概要について ​  :「宇治市」
(仮称)宇治川太閤堤跡歴史公園整備事業の約26億円の債務負担行為を認めず
    2015.10.28  :「自民党宇治支部」
太閤堤跡公園、観光に特化へ 京都・宇治市が見直し 2017.4.21 ​ :「京都新聞」
宇治市 太閤堤跡歴史公園整備事業予算可決 市民生活犠牲の巨額計画
    :「JCP京都 日本共産党 京都府委員会」
税金の使い方おかしい 宇治市「太閤堤跡」歴史公園に80億円 ​ :「京都民報」
宇治川太閤堤跡歴史公園整備を特定事業選定 2017.8.25 ​  :「建設新聞」
太閤堤跡歴史公園の活用について  :「真田あつしさんのマイページ」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝! 

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 京都府宇治市 太閤堤跡発掘調査現地説明会と周辺散策 -1
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Last updated  2018.02.10 00:07:29
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