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2020.02.16
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カテゴリ: 観照
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かなり前に城陽市の史跡を探訪しました。一度は小雨の中を、もう一度は晴れていました。
しかし、晴れていた日の探訪の折に撮ったのがこの一枚だけでした。まずはこのふたをご紹介します。
機会があれば、いつかまたウォチングに出かけて補足したいと思います。

オリジナルの写真は天地逆で撮っていて、太陽光線の関係だったのだろう、少し斜めのアングルになっています。画像を回転させましたので、真円でなく下方が少し歪んでいますが、ご寛恕ください。

汚水ふたの中心には城陽市の市章が見えます。1955(昭和30)年4月26日に制定されました。「城」の文字と「太陽のイメージ」を組み合わせたデザインだそうで、公募により決定したそうです。 (資料1)

溯りますと、 ​1951(昭和26)年4月1日に、4カ村の合併で 久世郡城陽町 が発足​ しました。久世郡の久津川村・冨野荘村・寺田村と綴喜郡青谷村の4村です。そして、 ​1972(昭和47)年5月3日に市制施行により 城陽市 が誕生​ しています。京都市と奈良市のほぼ中間に位置する都市です。 (資料2)
探訪をした時に知ったことですが、京都から五里、奈良から五里に位置するということから、 「五里五里の里」

城陽町段階で制定された町章が市制施行により継承されて市章になったということになりますね。

市の木として「梅」 、1982(昭和57)年11月に 市の花として「花しょうぶ」 、2007(平成19)年11月に 市の鳥として「しらさぎ」 が時期をずらせて制定されています。 ​(資料1)​ ​​​

冒頭の汚水ふたを観察しますと、梅と花しょうぶが市章の周囲を交互に囲む形でデザインされています。円が8分割され、梅と花しょうぶがそれぞれ4方向に市章マークから外に向かって咲いています。4という数字は、当初4つの村が合併したという結束のイメージが込められているのでしょうか。

梅は城陽市の南東の丘陵に広がる「 青谷梅林 」が観梅の名所として有名です。
起源は明かでないはないそうですが、その歴史が古いことの一例は、次の歌が詠まれていることからもうかがえます。
風がよふ 綴喜の里の 梅が香を 空にへだつる 中垣ぞなき
後醍醐天皇の皇子 宗良親王 が詠んだ歌。つまり、後醍醐天皇は南北朝の始まりを起こした天皇とも言えますので、鎌倉時代末期にはこの地域の梅が京の人々には知られていたのでしょうね。 (資料1)
「江戸時代に淀藩から梅樹栽培の奨励を受け、大いに植樹されたと『青谷村誌』に伝えられています。明治33年青谷保勝会を設立して梅林の保護と宣伝につとめてから、花見客は多くなり名勝地となりました。」 (資料1) とのことです。

例年「 青谷梅林まつり
開催期間は、 2月22日(土)~3月15日(日) と城陽市のホームページで開示されています。 (資料1)

一方、城陽市は豊かな地下水に恵まれていて、 古くから「花しょうぶ」が栽培されてきた ところで、その 生産高は京阪神随一 だと言います。 (資料1)

城陽市長池の観音堂あたりが花しょうぶの名所地の一つ です。JR奈良線長池駅から徒歩15分でアクセスできるところです。 (資料3,4)
観音堂は、城陽市の「 ​花の小径​ 」のルートの一部でもあります。 (資料5,6)

城陽市史跡巡りマップ が城陽市教育委員会から公開されています。表と裏のpdfファイルとしてダウンロードできます。​ こちらのページからアクセスしてみてください。

このマップを見ますと、市域に古墳群が広がっていることがよくわかります。古墳時代から豪族が居住し、開けていた地域だということでしょう。

最後に、ふとなぜ「城陽」という名称が付けられたのか? という疑問がわきました。
調べてみますと、一説がみつかりました。
「城は山城の『城』、陽は『日』に向かう場所で、古来より中国では『縁起のよい豊かな』という意味が含まれている。」 という説明です。 (資料7)

これで一枚のマンホールの汚水ふたからのご紹介を終わります。
ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1) ​ 城陽市 ​ ホームページ
2) ​ 城陽市 ​ :ウィキペディア
3) ​ 花しょうぶ ​  :「じゃらん」
4) ​ 城陽の花しょうぶ・カキツバタと歴史をめぐる ​  :「お茶の京都」
5) ​ 花の小径 ​ 城陽市観光だより :「城陽市観光協会」
6) ​ 花の小径 ​ :「JRおでかけネット」
7) ​ 城陽市 ​ :「全辞書検索JLOGOS」 

補遺
ふるさとの遺跡に古代のロマンを求めて ​:「お茶の京都 碾茶の里」(城陽市観光協会)
山城最大の古墳群 「久津川古墳群」歴史散策(1) ​ :「泉飛鳥塾」
久津川古墳群 ​ :ウィキペディア
久津川車塚古墳 ​ :ウィキペディア

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こちらもご覧いただけるとうれしいです。
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Last updated  2020.02.16 19:00:52コメント(0) | コメントを書く


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