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2017.06.11
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カテゴリ: 探訪 [再録]

これは、 JR奈良線・山城青谷駅の傍、線路沿いに設けられたモニュメント です。ここは 「青谷梅林」 でよく知られるところです。

2015年11月中旬、ここを起点として青谷・多賀を歩く「京都の歴史散策30」という講座に参加しました。「城陽市の南部を歩く」という探訪講座の続きということになります。
この時の復習を兼ねてまとめていたものを、ここに再録してご紹介します。

山城青谷駅前に集合し、 ここを起点として「山背古道」の道も一部分歩き、井手町の「高神社」までの歴史散策 でした。天気の良い日に歩くと良いところです。

モニュメントには、青谷梅林を象徴するように、梅の木々を大きく象った陶板壁が建てられています。

その前が広場になっていて、こんなモニュメントが。ちょっと腰掛けて一休みもできそう・・・・。
伏見宮文秀女王の詠まれた歌が陶板に 記されています。

  青谷の梅咲きたりとここかしこ人まち顔に鶯の鳴く

初めて知ったのですが、調べてみると明治-大正時代の皇族の一人で、明治維新後、伏見宮家に復籍となったが仏門にとどまり 皇族最後の尼門跡となる人。奈良の円照寺門跡だったとか (資料1)

また、陶板壁の左側には、上田三四二( みよじ :1923~1989)の短歌碑が建立されています。

  満ちみちて梅咲ける野の見えわたる高丘は吹く風が匂ひつ 

上田三四二はこの地に縁があるのです。大学卒業後「三四二は30歳の昭和27年より10年間青谷にある国立療養所の医師として官舎で家族とともに過ごした」のだそうです。医学から文学への方向の転機となった地だと言います。歌人・評論家・小説家に転身した人。

広場の前には、3枚の地図が掲示されています。そのうちの2枚です。

部分拡大してみました。 ここで最初にご紹介するのは、歴史散策したルートのうち、地図にある現在地・山城青谷駅から、紫と黄緑の丸の場所が中心です。


晩秋の柿がまだ枝に残るのを眺めながら 「中天満神社」に向かいます 。ここは数回、山背古道ウォーキングの通過点として立ち寄ったことがあるところでした。

このあたり、 もとは山城国綴喜郡の東部にあたると考えられている地域 で、平安時代に編纂された『和名抄』には 中村郷 「中天満神社」 です。 (資料2、境内の説明板)


鳥居の手前の道路を左方向に少し進むと、道路脇に説明板が在ります。
それが 「黒土一号墳」の説明板 です。

この辺りは「黒土古墳群」のあるところ なのです。円墳10基からなる古墳群で、6世紀後半の群集墳と考えられています。その古墳群内に、中天満神社があるのです。
ここ第一号墳は6世紀後半中頃の造営と推定されているそうです。

境内には、この説明板が設置されています。

丘陵地の端部・古墳群の内にあるため、鳥居をくぐり石段を上ったところが境内地になっています。

正面に拝殿の建物があり、

左側に社務所と思える建物、右側に手水舎があります。
 手水舎



拝殿の手前に、天満神社と縁のある 臥牛像 が置かれ、 神社の案内板 も設置されています。もともとこの地の産土神の祭地となっていて、そこに祭神として菅原道真を祀ったのでしょうか。この神社の創記・沿革は明かではないようです。


本殿は覆屋根のある石段を上った、さらに一段高い境内地に設けられています。
石段下の両脇に狛犬が配されていて、屋根を支える柱には菅原道真が詠んだ歌が掲示されています。

   阿形の狛犬側 心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神やまもらん
   吽形の狛犬側 海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞ照らさん

最初の和歌を調べていて、あるサイトでこの歌が北野天満宮に掲示されているのを撮影され、またこの歌意について神社の説明書を引用されているのを見つけました。孫引きになりますが、ご紹介させていただきます。 (資料3)
『…この御歌を詠み、「神さまが真に偉大であるならば、祈らずとても守ってくださるだろう。誠の道さえ行えばよいのだ」と考える人がいるかもしれません。 ところがこの御歌は誠の道に叶わぬ悪い事をしながら神の守りを期待する、不心得者に対する警告であり、決して、祈願の不必要を述べたものではありません。 神の御神徳を受けようとする人は、当然その真心をもって神を仰ぎ、神に近づき、神に親しまねばなりません。神棚をまつり、神社に参拝し、真剣に神さまに接することで、御神徳を受け得るのです…』

調べてみた範囲で、上の歌は様々なサイトで歌そのものを引用し所見が記されています。ところが、その典拠は不明なのです。一方、下の歌は手許にある『新古今和歌集』に1697番の歌として収録されています。 (資料4)

少し脇道に逸れます。興味深いことに、世阿弥作の能『班女 (はんじょ) 』の中にこんな一節が組み込まれています。手許の本を参照しますと、後ジテが舞台に登場し、問答が始まる少し前にある地謡の箇所です。

   心だに、まことの道に かなひなば、まことの道に かなひなば、
   祈らずとても、神や守らん われらまで、真如の月は 曇らじを。

「真如の月」という詞は謡曲で頻繁に使用されるようですが、道真の「清き心は月ぞ照らさん」という箇所と通底する表現のように私には思われます。世阿弥はこの2つの歌を下敷きにして、この一節を能に組み入れたのでしょう。世阿弥ってすごいですね。逆に考えると、道真のこれらの歌は、当時の知識人には常識になっていたということでしょうか・・・・。 (資料5)

  本殿  一間社流造、檜皮葺です。


本殿の屋根を支える正面の梁上の蟇股を眺めると、梅の木に咲いた花々に鶯があしらわれた透かし彫りになっています。

流造の本殿の足元を見ると、土台が有るのがよく見えます。縁の脚柱下も礎石が置かれ、漆喰かコンクリートか定かではありませんが塗り固められています。

蟇股の彫刻から、「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」の歌を思い浮かべます。神社入口の石造鳥居の右側近くに、この歌の歌碑があります。
  本殿の近くにある末社 
須久称 (すくね) 神社、蛭子 (えびす) 神社、もう一社と案内板に記された三社のいずれなのかは不詳です。


南側に小高くなった場所があります。ここも円墳のあったところかも知れません。
その高みから神社を眺めた景色。


 上掲画像の左の白壁の建物がこれです。

中天満神社から市辺天満神社に向かう途中ですが、山背古道から少し脇道に外れたところに、黄緑の丸を付けた箇所があります。

「建武役城氏之館旧址」という石標 が、今は長方形の水槽の上面を厚いコンクリートの蓋で覆ったような施設の傍の電柱に添うように立っています。
この辺りが、「中城跡」だったそうです。 「正安元年(1299)の六波羅御教書に悪党の拠点として『中村城』が記載されている」ことにより、当時城があったことがわかるそうです。また、「天保9年(1838)の惣絵図に『城殿ヤシキ』とあり、『堀端』『的場』の地名がのこる」といいます。 (資料2)

ネット検索してみると、日本城郭体系という書に、「建武年間(1334~1338)に城大外記資茂が居城とし、代々城氏が居館としてきた」という説明があるそうです。 (資料6)
また、私自身は確認しなかったのですが、この石標は石柱の裏面に、「昭和三年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之」と刻されているそうです。 (資料7)


この石標の南側には 梅林 が広がっています。


「向ヶ原遊園地」 という表示板を掛けたフェンスの傍の道を、 「市辺天満神社」に向かいます 。この道が 山背古道の経路 です。

この近辺の地図(Mapion)はこちらからご覧ください。

つづく

参照資料
1) 文秀女王   :「weblio辞書」
2) 「京都の歴史散歩30~青谷・多賀を歩く~」2015.11.12 龍谷大学REC 
    当日配布資料資料 龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成
3) 2013.5.25日付のブログ記事  :「古典・詩歌鑑賞(ときどき京都のことも)
4) 『新訂 新古今和歌集』 佐佐木信綱校訂 岩波文庫
5) 『謡曲集 上 日本古典文学大系40』 横道萬里雄・表 章 校注 岩波書店 p344
6) 中城   :「東京新宿発 日本の城巡り紀行 NARO参上」
7) 京都府城陽市 建武役城氏之館旧址 三宅安兵衛の道標(11月28日):「駅まで666メータ」          ⇒ 2017.6.11時点:アクセスできず。

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
青谷梅林 城陽市観光だより  :「城陽市観光協会」

青山梅林 梅の開花状況    :「城陽市観光協会」
圓照寺   :ウィキペディア
上田三四二   :ウィキペディア
短歌一生 上田三四二   :「松岡正剛の千夜千冊」
山背古道探検地図   :「山背古道とことんウォーキング」
山背古道とは
探検地図PDFデータ(A4、9ぺーじ構成)
建武の新政   :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 [再録] 京都・城陽市 青谷・多賀を歩く -2 市辺天満神社 へ
探訪 [再録] 京都・城陽市 青谷・多賀を歩く -3 市辺城跡・西福寺(観音堂)へ

こちらもご一読いただけるとうれしいです。
探訪 [再録] 京都・城陽市南部を歩く -1 枇杷庄城址・枇杷庄天満宮・阿弥陀寺・外野城跡 へ
探訪 [再録] 京都・城陽市南部を歩く -2 荒見神社・長池宿・観音堂・旦椋神社・冑山古墳群 へ
探訪 [再録] 京都・城陽市南部を歩く -3  道標「梨間の宿」・梨間賀茂神社・深廣寺 へ





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Last updated  2017.06.13 20:22:11
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