遊心六中記

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2020.12.10
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カテゴリ: 探訪
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吉田神社の表参道の一ノ鳥居の前の道路を南に進みます。鳥居の南側は吉田上大路町です。その南が吉田中大路町で、この両町内の間に東西方向の道路があります。

この道を東に進むと、 南参道の石段道 が見えます。これが こちらの一之鳥居 です。
鳥居の前の 石灯籠 の竿には 御寶前 」と陰刻されています。
    表参道よりも 少し勾配が急な石段道


石段を登り切った先で、まず目に止まったのが石の鳥居と石柵で囲われたこの社です。
鳥居前の石灯籠は左右スタイルの異なる石灯籠でともに宝珠が欠損となっています。

          「 三社社 」(青色の丸を付けたところ)です。

祭神は六柱 を祀ってあるそうです。その神徳で区分してみますと、
​​海の神:多紀理毘売命 (たぎりひめのみこと) ・狭依毘売命 (さよりひめのみこと) ​​
多岐津毘売命 ​(たぎつひめのみこと)​
​​山の神:金山毘古命 (かなやまひこのみこと) ・金山毘売命 (かなやまひめのみこと) ​​
知識の神:菅原神 ​(すがはらのかみ)​
由緒は、「初め吉田家の邸内に鎮祭してあったのを、仁孝天皇の御代弘化元年(西暦1844年)現在の地に遷座されました。明治5年、吉田神社末社に定められた社です。」とのこと。 (資料1)
本殿の左に 上掲の 石板 が設置されています。同主旨が記されています。


石灯籠 が立ち、その先が広場になっていて、 北西方向に 左写真の 手水舎 が見えます。
二ノ鳥居

鳥居の西側に 「斎場所大元宮」の社号碑 が立っています。傍の 石灯籠の竿には「斎場所常夜燈」 と刻されています。その右に斎場所大元宮が 重要文化財に指定登録されている ことと。 桃山時代慶長6年(1601)に建立された ことが記されています。

鳥居のすぐ傍(左)に立つ 石灯籠 ですが、火袋と対比すると中台に厚みがあり、竿も太めのように感じます。 中台の格狭間には三葉葵(徳川)の紋章 がレリーフされています。
竿の正面には、正徳元年九月吉日という日付と「献燈御灯籠二基」という文字が刻まれています。

        鳥居を通り抜けて眺めた 正面の景色 です。
正面に茅葺き屋根の 中門 があり、その両側は 連子窓のついた回廊 が瑞垣となっています。
中門前の石段脇に 石灯籠 が並び、向かって左側に 駒札 が立っています。
まずは中門前に進みましょう。

中門 四脚門の形式 で、白壁・朱塗りの門です。扉は開けてありますが、門に板柵が設けてあります。大元宮は正月3日間と節分祭、並びに毎月1日に限り「内院特別拝観」(拝観無料)できるそうです。 (資料1)

中門から拝見すると、 正面に本殿 があります。 慶長6年(1601)に建築された建物 です。
「平面八角の円堂に六角の後房を付し、屋根は入母屋造り、茅葺き、棟には千木をあげ、中央に露盤宝珠、前後に勝男木 (かつおぎ) を置く。この千木は前は内削 (うちそぎ) 、後は外削 (そとそぎ) になり、また勝男木は丸材三個重ねが三組、後は角材二個を合わせたのが二組という複雑な構造をしている」 (資料2) という極めて珍しい神社建築です。

この 大元宮(本殿) には、 天神地祇八百神 ​(あまつかみくにつかみやおよろずのかみ)​ が祀られているそうです。
「吉田神道の教義により宇宙軸を現す太元宮は、始まりの神(虚無太元尊神)を中心に祀り、そこから生まれ来る八百万の神々を祀る」 (資料1) とのこと。

正面の入母屋造り屋根の三角形・合掌部 には、この が掲げてあります。

太元宮(本殿)の後方の左右に東神明社(内宮:天照皇大神)、西神明社(外宮:豊宇氣比売神) が祀られています。 デジカメでズームアップ しますと、 ​西神明社の屋根と正面の扉 ​​ が、大元宮の向こうに一部分垣間見えます。 (資料1,2)
尚、かつては太元宮の後方、東西神明社の間に、「 八神殿 」があったそうです。これは「天正18年(1590)には天皇守護のため宮中の神祇官に祀られていた八神殿」を遷したもので、慶長14年(1609)から明治4年(1971)まで、朝廷の奉幣使派遣のとき神祇官代としてその儀式を執行したそうです。 現在は八神殿址 となっています。 (資料2,駒札)

大元宮を包むかのように建てられ 東西二棟の建物 に、 諸神社つまり延喜式内神3132座 が奉祀されているそうです。 (資料1,2,駒札)




大元宮 は後宇多天皇(1274~1287)が卜部兼邦に命じて勧請せしめられたといわれ、 もとは神職の卜部(吉田)家邸内にあった そうです。 ​​吉田神道(唯一神道)を創設した吉田兼倶 (かねとも) ​​ が文明16年(1484)にその大元宮を山上のこの地に移建し、 吉田神道の根本殿堂 としたと言います。
「吉田神道」は「密教・儒教・陰陽道・道教などの諸宗教、諸思想を統合しようとした」と言います。 (駒札より) それ故、唯一神道とも称されたのでしょう。


中門前から内宮を拝見した後、この境内地で目に止まったのがこの 石灯籠 です。
笠とのバランスでみると宝珠部分がちょっと大きめという感じです。
基礎の下の石に変則的な形のものが使われているのも興味深いところです。意識的に使われているのでしょうか。

しかし、傍近くから見上げると大きさがさほど気にならないからちょっとおもしろい。
そして、火袋にまず目が向きました。

一面に 老神と鹿の半丸彫り像 、隣接面に 花狭間窓・草花文様

同様に一面に 老神と狛犬の半丸彫り像 、隣接面に 花狭間窓・獅子像
 あとの相対する 二面は全面に窓が開いた状態 で、火袋の燈火作業に必須な面と言えます。 火袋越しの景色 を見るのもおもしろい。




十二支 が一面に2つずつ厚肉彫りで彫刻されています。​

これで大元宮境内地を出て、 二ノ鳥居前を東方向に散策 してみることにしました。
道の繋がり具合を知りたかったのです。事前に地図を詳細に確認していればわかったことでしょうが、個人探訪はいつものように、思いつき的アドホックな探訪行動が多いので詳しくは調べてはいませんでした。事後に手許の一書に掲載の挿画を見ると、この後辿る道は「 東参道 」と位置づけられています。

その前に、一点触れておきます。大元宮境内の手水舎を上掲しています。 手水舎の手前の道は右方向に下っていく道 です。上記の挿画には、「 日降坂 」という名称が参道の途中に記されています。 (資料2)
この参道沿いに降って行きますと、前回ご紹介した 「山蔭神社」の傍を通り過ぎ、吉田神社に至る参道 となります。つまり、 吉田神社本宮~山蔭神社~斎場所大元宮とそれぞれの間を参拝往来できる最短の参道 になります。
今回の探訪では、結果的に帰路にこの参道を歩くことになりました。

それでは東参道を進みましょう。道は少し上りになります。

上って行くと、左(北)側に、 「紅もゆる歌碑道」ど刻された道標 が立っています。
冒頭の案内図に黄緑色の丸を追記したその左に、イラストとともに「 三高歌碑 」と明記されています。 吉田山公園内の歌碑への散策路入口になります。
(省略しますが、傍に「吉田山緑地(都市公園)」のイラスト地図が設置されています。)

さらに道沿いに進むと、 「宗忠神社」の石鳥居 が右側にあります。
鳥居の右手前に句碑らしきものがあります。一部苔蒸していることもあり、私には判読できません。
この鳥居から参道を進むと、既にご紹介した 宗忠神社境内にある白山神社に至ります
この東参道の先は右に宗忠神社の勅使門、左に竹中稲荷神社の鳥居がある地点に至り、そこから東方向に降る坂道になります。既にご紹介している坂道です。
これで、吉田神社境内域、吉田山公園、宗忠神社という地域が体験的に繋がりました。

「後一条天皇菩提樹院陵」の生垣を左(北)側にして、坂道を降ってみました。

北方向への石畳道を挟み陵墓域の東側に築地塀がありその先に門が見えます。
築地塀の南西角手前に 「大辨財天女」と刻された石標 が立っています。
また、門の右側にも石標があり、近づいてみますと「 雲水山東北院 」と刻されています。

門から眺めると 正面に本堂 が見えます。境内を拝見しました。
 本堂の手前、西側に「 雲水井 」があります。
草花樹木が繁り寂れた雰囲気すら感じさせます。
本堂
手許の書によりますと、 辨財天像を本尊とし、毘沙門天像・大黒天像を脇侍に安置 しているとのこと。角の石標と結びつきました。 他に藤原道長像 があると言います。 (資料2)

現在は時宗聞名寺に属する寺で、室町末期の永禄2年(1559)、一遍上人の遺弟(弥阿弥陀仏)により、天台宗から時宗に改められ、 元禄6年(1693)に現在地に移建 したそうです。 (資料2)

本堂の東北側に書院があります。その間に 駒札 が立っています。
まずこの樹木は「 軒端の梅 」と称されています。右の駒札に記されています。
謡曲「東北」に出てくる和泉式部遺愛の梅に因んで植えられたもの だそうです。 (資料2)

東側にあるもう一つの門の傍に立つ 駒札「東北院と軒端の梅」 を載せておきます。
東北院の由緒は深く、それに絡んで 謡曲「東北」に因む文学遺跡としてこの東北院が知られている そうです。私はこの探訪で初めて知りました。
その東北院の由緒の深さを説明しているのが、

この駒札「 東北院縁起 」です。

史実としてわかることを少し整理してみます。
藤原道長は阿弥陀堂を建立し無量寿院と称したのを契機に伽藍を築き始め、治安2年(1022)に金堂、五大堂の落成にともなって「法成寺」と改称しました。 (資料3)
一条天皇(在位:986~1011)の中宮上東門院(藤原彰子)の発願により、後一条天皇(在位:1016~1036)の時代に、 法成寺内に常行堂が創建され ます。 この常行堂が法成寺内の東北にあったことから東北院という寺名になった と言います。
その後、法成寺とともに、火災での焼失・再建が場所を変えつつ繰り返されます。藤原氏の衰微とともに寺運が傾き、1300年代に法成寺が廃絶となります。 (資料2,3)
そして、上記のとおり、室町末期の再興に繋がっていくようです。

紫式部 は「東北院の渡殿を見てよみ侍りける」という詞書を付して
 影見ても憂きわが涙落ちそひてかごとがましき滝の音かな 続後撰集・巻16・雑歌上
と詠んでいます。法成寺内にあった時は、善美を尽くしたお寺だったのでしょう。

和泉式部 はその晩年を東北院内の一隅の 小御堂 に住し、軒端の梅を愛でたと言います。
中京区新京極にある 誠心院 はこの小御堂の後身と伝えられています。誠心院境内には和泉式部塔が建立されています。 (資料2)


東北院の東隣りは「 極楽寺 」で、ここも時宗のお寺で聞名寺に属するそうです。
本堂
この寺も初めは惠心僧都が一条堀川に創建した天台宗の寺で、建治2年(1202)一遍上人の再興により時宗に。足利義満が深く帰依したと言います。天正年間の移転、火災に類焼となることを経て、翌元禄6年(1693)に現在地に移ったそうです。現在のお堂はその後の再建によるもの。
左側の門柱に木札が掛けてあります。 ​本尊は勝敵毘沙門天立像、脇侍に蛭子 (えびす) ・大黒天像​ が安置されています。今回拝見はしていません。 (資料2)

本堂の東側には等身大でしょうか ブロンズの地蔵菩薩立像 が安置されています。
たぶん水子地蔵尊なのでしょう。三方に地蔵石仏を祀る雛壇が設けてあります。水子あるいは幼くして亡くなった子供の供養が行われているのでしょう。


極楽寺の東隣りは「 大興寺 」です。霊芝山と号する臨済宗東福寺派のお寺です。
鎌倉時代の建久年間(1190-1199)に後鳥羽天皇の勅願により、西陣芝薬師町に建立された天台宗のお寺が始まりで、応仁の乱で荒廃したと言います。その後、禅宗に改め寺町一条に再建されましたが、火災で類焼に遭い、翌元禄6年に現在地に移転したそうです。
本尊は薬師如来像で、門前石段の右側に石標が立っていますが、旧地に因み俗に「芝薬師」と呼ばれるそうです。本尊の傍には関羽像が安置されていると言います。この像は足利尊氏が元国より迎えて戦勝祈願をした像とつたえられるとか。 (資料2)
石段の上には「松本愚山先生墓」という石標が立っています。



大興寺の東隣りには、門前右側に「 洛東九番 萩の霊場 迎称寺 ​(こうしょうじ)​ 」と刻された 寺号 が立っています。
初めは寺町一条にあった天台寺院だそうでうが、嘉暦3年(1328)に時宗の一鎮上人により時宗に改められ、一条道場と称したと言います。この寺も元禄5年(1692)12月の火災で類焼し、同様に現在地に移転したそうです。
本堂には本尊阿弥陀如来像、脇壇に不空羂索観音像、一遍上人像など が安置されているとか。 (資料2)

迎称寺の門前はT字路になっていて、南方向への道があります。この南への道が黒谷に至ります。
つまり、迎称寺前から南へと右折して最初の辻に歩むと、東が真如堂(真正極楽寺)で、西が宗忠神社なのです。
ぐるりと一周巡ってきたことになります。私にとってこうなるのは想定外でした。

勿論、最後として、真如堂の境内を訪れてみました。

つづく

参照資料
1) ​ 吉田神社 ​ ホームページ
2) 『昭和京都名所圖會 洛東-下』 竹村俊則著 駸々堂 p145-147
3) ​ 法成寺 ​ :「コトバンク」

補遺
京都の社-神仏道三教の習合をみる- 菅原信海 ​ :「京都市文化観光資源保護財団」
吉田神道 ​  :「コトバンク」
吉田神社 ​  :「京都神社庁」
吉田兼倶と吉田神道・斎場所(第2部 技術・呪術・信仰) ​:「国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ」
吉田兼倶 ​  :ウィキペディア
吉田兼倶 ​  :「コトバンク」
時宗 ​    :ウィキペディア
時宗  時宗宗務所 ​  ホームページ
曲目解説 東北 ​  :「銕仙会 ~能と狂言~」
能楽 東北 (とうぼく) 観世元正 ​  :YouTube
東北院 ​  :「KYOTO design」
京都萩の名所案内 ​   京都四季折々 :「ぼちぼちいこか」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
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Last updated  2020.12.10 23:04:31コメント(0) | コメントを書く


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