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2021.04.12
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カテゴリ: 探訪
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ (2017.2.24撮影)


JR宇治駅に近い宇治橋通りまでちょっと用事があり、 土曜日(4/10)に自転車で 出かけました。
序でに、久々に ​宇治川の左岸(西岸)の堤防上や道路沿いに天ヶ瀬ダム手前まで​ 、自転車で宇治川を溯ってみました。 宇治川両岸の景色をご紹介 します。
宇治橋の東詰 です。

帰宅後、ふと連想したのが 『宇治川両岸一覧』 という書です。
江戸時代、1861(文久1)年に出版されています。浪華の暁晴翁が文章を、同じく浪華の松川半山が挿画を担当したいわば宇治川両岸の観光ガイド本です(以下『両岸一覧』と略す)。 (資料1)
『両岸一覧』にはこんな挿画が載っています。

宇治橋の東詰です。「 通圓茶屋 」がそのまま現存し、往時のままの風情を今に伝えています。

宇治橋東詰には「宇治橋」の案内掲示板とともに 「宇治川ライン」の道標 が立っています。かつては、宇治川を遡行する観光船が運航されていました。遊園地もあったそうです。

上流(南東方向) を眺めますと、宇治川の東岸と宇治公園(橘島)に架けられた「 朝霧橋 」が遠望できます。 (資料2)


      手前の川面にふと目が停まりました。水鳥が群をなして遡行しています。


      宇治橋上から 東岸の上流側の景色をパノラマ合成 してみました。
東岸の背後の山並みは左が「 仏徳山 」(標高131.1m)、その右には「 朝日山 」(標高124m)が連なります。宇治上神社と源氏物語ミュージアムを繋ぐ道路の途中に仏徳山登山口への道があります。

『両岸一覧』にこの挿画が載っています。挿画の右端、宇治川の中に中州が見えます。そこに建っているものは何か不詳ですが、橘島の先端部に当たるようです。
対比的にみますと、大凡の位置関係として景色が一致しそうです。


          西岸を見つつ、宇治橋を渡ります。


宇治公園 (橘島) には、朝霧橋より橘島の下流側に宇治公園と西岸の間に「 橘橋 」が架けられています。
宇治川の河川工事により、残念なことにこの宇治公園(橘島)の景観が大きく変化してしまいました。
かつては桜の木々が春の訪れを楽しませてくれたのですが・・・・・。
それはさておき、橋を渡りきり西詰に。



宇治橋西詰の南側には、宇治橋を背にして「 紫式部像 」がモニュメントとして建立されています。
『源氏物語』宇治十帖にちなみ、このエリアは「 夢浮橋ひろば 」と称されています。
紫式部像の右手前には 「夢浮橋之古蹟」碑 が立っています。
宇治十帖の古蹟碑めぐりは以前にご紹介しています。


『両岸一覧』には、宇治橋を渡った西側から眺めた 宇治橋の東詰・下流方向 の景色 が描かれています。現在の景色は、東詰の橋の向こうに京阪宇治線の宇治駅の建物を描き加えればほぼそのままというイメージですね。一方、

『両岸一覧』には、 宇治橋西詰 がこのように描かれています。江戸時代には、「橋姫社」が西詰北側にあったのです。今は、南側に立つ大きな石鳥居をくぐり、縣神社に向かう 「あがた通り」を少し南に 進んだところに「 橋姫神社 」が移転しています。

西詰から宇治川沿いの平等院に向かう通りに入ります 。少し先で路地を左折して宇治川の西側堤防に向かいます。

堤防上の道に出てから下流側を見た景色です。 正面の建物の左側が路地の端
右側に宇治川の西岸に降りる石段道があります。

堤防上の突き当たりの建物の入口には 「中村藤吉平等院店」の暖簾 が掛かっています。
上掲の宇治橋上から眺めた西岸の景色の中に、この暖簾に描かれた商標が建物の北面に掲げてあるのが見えます。それで位置関係がおわかりいただけるでしょう。


橘島の下流側先端 から斜め左の東岸に緑の屋根が見えます。その左側の背後あたりが、地図と照合すると「 放生院(橋寺) 」の位置になりそうです。

『両岸一覧』には、 西岸から対岸の橋寺を眺めた挿画 が載っています。
今では、河原に降りないとこの位置の対岸を眺めることができませんし、仮に河原から眺めても、東岸の道路の手前の建物群があり、やはりお寺の屋根瓦がみえるくらいなのかなと想像します。





西岸と橘島の間の川床はゆるやかな階段状になっています。昔(河川工事以前)からこうだったのかどうか、今まで意識していなかったので私にはわかりません。


           これが西側堤防と橘島との間に架かる 橘橋 です。
下流側の眺め

上流側の眺め 。橘島の向こう側に 朝霧橋 が見えます。
橘島と東岸に架かる朝霧橋を渡ると、その前に「宇治神社」の大きな鳥居が道路の東側に見えます。
橋の左側、樹木の間に少し鳥居の柱の朱色が見えます。

『両岸一覧』にはこの挿画が載っています。 左のページに鳥居 が描かれています。挿画の右上には「 離宮八幡 」と記されています。
宇治川には中州が描かれていて、これは橘島の位置になりそうです。とすると、江戸時代には現在の朝霧橋に相当する橋は無かったということでしょう。
いつごろ建設されたのか? 調べてみますと、意外と新しい!
1972(昭和47)年に架けられたそうです。全長74mの橋です。 (資料3)

現在は 宇治上神社・宇治神社 と二社になっていますが、この挿画に記されている 離宮八幡にあたります 。かつては二社一体の関係にあり、 ​上社・下社​ とも称されていたそうです。「宇治郷一円の産土神で、『延喜式』神名帳には『宇治神社二座』と記載される」 (資料4) とのこと。「また 社地が応神天皇と菟道稚郎子の離宮跡であるとの伝承から離宮八幡、離宮明神ともよばれ 、1052(永承7)年に平等院が建立されると、その鎮守社として藤原一門の厚遇を受けた」 (資料4) といいます。


西岸の堤防道を上流側に進みます。平等院の表門傍から宇治川堤防に回り込んでくる道の石段が見えると、そこは平等院の北隅あたりです。 観音堂の屋根 が一部見えます。
西岸の堤防上の散策路を上流側に進みます。右側が平等院の境内地。散策路と平等院境内は背の高い生垣や樹木でほぼ遮られています。ところどころから鳳凰堂の屋根の一部やお堂の屋根の一部が垣間見える程度です。

『両岸一覧』にはこんな挿画が載っています。
江戸時代には 鳳凰堂 を眺めることができた​ のでしょうね。

つづく

参照資料
1) ​ 宇治川両岸一覧2巻.2 鶏鳴舍暁晴撰[他] ​:「国立国会図書館デジタルコレクション」
2) ​ 宇治公園(風致公園) ​  :「京都府」
3) ​ 朝霧橋(宇治) ​ :「AQUADINA 京都観光のガイド情報サイト」
4)『京都府の歴史散歩 下』 京都府歴史遺産研究会編 山川出版社 p63

補遺
宇治川・平等院庭園のエリア ​  地理院地図 
お茶の通圓 ​ ホームページ
  ​ 通圓の歴史
ダムに沈んだ「おとぎ電車」 遊園地跡地をたどる ​  :「京都新聞」
夢幻コラムⅥ【おとぎ電車の走った頃・・・昭和の宇治川ライン】 ​:「洛雅記」
中村藤吉本店 ​  ホームページ
橋寺(放生院常光寺) ​  :「京都府観光ガイド」
桜井梅室 ​  :ウィキペディア

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   ​ 宇治(探訪・観照)一覧





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Last updated  2021.04.14 11:41:08
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