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さて、27日の話ですが、「革新都政50周年記念シンポジウム」が「革新都政をつくる会」の主催で開かれ、参加してきました。
東京に美濃部革新都政が誕生したのが1967年4月なので、正確に言えば昨年が50周年ということになります。この革新都政は、79年まで3期12年続きました。
私自身は71年生まれで、しかも高校卒業まで岡山にいましたので、革新都政のリアルな記憶はないんですが、日本の地方政治の歴史の中では、画期をなす時期であることは間違い無いと思います。何しろ、国政では自民党政治が続くなかで、住民の利益を守るための「防波堤」としての明確な旗印を掲げた自治体が、日本全体の人口の4割を超えるところまで広がったわけですから。
シンポジウムは、まず最初に都留文科大講師の川上哲さんがメインの報告、そのあと元都議会議員の朝倉篤郎さん、安保関連法に反対するママの会@東京の町田ひろみさん、現職都議会議員の原田あきらさんの3人によるパネルディスカッションとなりました。
朝倉さんは、まさに革新都政時代を都議として活動された経験に基づくリアルな経験を、町田さん、原田さんは保育分野、今の都議会での活動にかかわって、発言がありました。メイン報告では、革新都政が誕生した背景と、当時の都民の要求、そしてその後の経過などが詳しく報告されました。
全体を通じて私自身が感じたのは、まず一つ目に、革新都政が誕生した60年代後半と、現在とでは時代背景は違いますが、当時の革新都政の考え方は今も生きているし、生かしてかなければならないということです。
当時、60歳以上の生活保護受給者が全体の3倍だったこと、年金だけでは暮らしていけない、という高齢者が二人に一人、という状況だったにもかかわらず、都の予算は25%が公共事業、福祉にはたった3.8%だったこと、そこでこの都政のあり方を転換して、まず高齢者の医療費無料化をと取り組み、70歳以上の医療費無料化を実現。これが国をも動かし、73年からは国の制度として70歳以上の医療費無料化が実現しました。その後東京ではさらに65歳からの無料化へと踏み出します( こちら に詳しい経緯が書かれています)。
また、23区と3多摩の格差是正が一気にすすんだのもこの時期だと。23区ではほとんどの学校に体育館、プールがあるのに多摩地域は3割しかない、この差を東京都が支援して埋めようということになったと。
福祉や格差是正を政治の中心に据えていることが、この経験からもよく分かります。
また、美濃部都政の時代の71年に、「民間と公立で受ける福祉に差があってはならない」と福祉労働者の賃金を公立並みに引き上げる「公私格差是正事業」も始まったという話も紹介されました( こちら に経緯が詳しく紹介されています)。
この事業は、他の多くの施策と同様石原都政によって廃止に。改めて石原都政の罪深さを感じますが、「福祉に差をつけるな」という考え方は今も引き継がなければならないものだと思います。
そして第二に、新しい都政の転換を生み出す条件は、今の市民と野党の共闘の広がりのなかに育ちつつある、ということです。
原田さんからは、この間の脱原発運動から連なる杉並区での市民と野党の共闘の経験が語られました。ママの会の町田さんからも。この流れが、政治を変える、都政を変えるという方向に大きく発展しつつあることは、2年前の都知事選、そして「戦争法」強行以降の選挙戦でも明らかです。
これは、いうまでもなく60年代に革新都政を生み出した時とは違った、新しい動きでもあります。それだけに、可能性も大きいのではないでしょうか。
そして、東京が変われば、その影響は全国に、また国政に計り知れない影響を与えます。
短い時間でしたが、今から50年前に誕生した革新都政を振り返りながら、これからの都政転換についてイメージを膨らませるいい機会になったと思います。
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