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私の人生には常々「運命」という言葉が付きまとう。生まれ、生い立ち、進学、就職、出会い……。偶然のようで必然ではと思えることが幾つもある。●命亡くなった夫とは、仕事で28のときに知り合ったが、夫の私に対する印象はすこぶる悪くて、「つき合う」という関係にまで醸成させるのに5年かかった。夫からのアプローチだったが、元来私は男性とのつき合いが苦手で、自分から好きになった人以外との「デート」(死語?)はしない質(たち)だった。私の理想とは程遠い、派手なタイプの男性だったのに、すんなりスタートしたつき合いも、きっと運命なのだと思う。少し前にも書いたが、私は占い師から「36歳で死ぬ」と言われていた。つき合うに当たって、夫にそのことを言ったら、「大丈夫。僕と出会ったから運命が変わったよ。僕の面倒みなあかんから、長生きするよ」と言われた。結果、夫は私に20数年の命を与えてくれ、平均寿命より20数年若く亡くなった。私は36から20数年生きながらえ、平均寿命より20数年若く死ぬことになった。運命以外の何物でもないように思う。●仕事私をこの世に迎えてくれ、いつも優しく育み愛してくれた、大好きな祖母が亡くなった年に私は独立して開業した。まだ24歳だった。祖母が見守り、支えてくれたのだと思う。時代の荒波に抗えず(抗うこともしなかった)、27年営んだ事業(広告会社)から、飲食店に大転換した。そのときには、夫や夫の家族が支援してくれた。もしこの店がなかったら、昨年の病気の後、どんな生活をしていただろう。営業時間や業務内容を大幅に変更、縮小はしているが、継続して営業できているし、常連さんとの会話やふれ合いはいまの私の何よりの栄養になっている。しかも、当時(11年前)にはまだ元気だった夫が私よりも早く逝くであろうことはわかっていた。自分勝手なわがままはできないとはいえ、事業主という立場であったがゆえに夫の調子が悪いときや病院への通院にはつき添えた。折しも、コロナ禍で営業体制が不安定になっていたこともあり、夫の人生の終焉には割と時間を共にできたのではないかと思う。従業員を抱えていた広告会社だったら、無理な話だった。一人で営む飲食店だったからできたのだと思う。広告会社から飲食店に切り替えたのは、運命だったとしか言いようがない。●命日主人の父親は、大変私を可愛がってくれた。私も、折々のプレゼントや年玉といった儀礼は欠かさなかった。医師が「緩和ケア」という言葉を発した後も、義父と一緒に新たな治療法を求めて遠い病院に出向いたこともあった。残念ながら、その甲斐なく義父が逝ったのは、夫との初デートの記念日だった。初デートから16年後。そんなに早く義父を亡くすとは思っていなかったが、夫との記念日に義父が逝ってしまったのは、運命以外の何があるだろう。●怖い主治医怖い主治医との初対面は、緊急手術のために入院した日の夕方だった。そのときは内科の主治医(女性)がいた。「誰だ、この人」というのが私の最初の意識。しかし、怖い主治医の目を見たとき、自分と同じ目の色……表現が難しいが、感受性…、あるいは思考の方向が同じ人種なのではないかという微妙だが一種の「安心感」を抱いたのを覚えている。が、虫「先生が執刀してくださるんですか?」怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」の会話で、瞬時に粉砕された。どこに地雷があるのかわからない人だった。しかし、この人も私の運命の輪の中にいる人なのではないかと思う。どんなつながりで出現したのかは定かではないが、きっと、前世でも何かの関わりを持っていたのではないかと。もちろん、いい関わりではないように思う。前世でも、大変いじめられたり蔑まれたりしたのかもしれない。しかし、運命の輪の中にまた入ってきてしまった人だ。逃れることはできないのかもしれない。抗いはする。最期まで、何とかできないかとアタフタする。しかし結局、彼との関わりの中で私は死んでいくように思う。運命とは、げに恐ろしいものだ。
2024.06.26
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皆さん一度は想像したことがあるシチュエーションではないだろうか。医師「心を強くして聞いてください」患者「はい。なんでしょうか」医師「あなたは◯ガンです」患者「ガーン」コントのような話だが、この命をかけたギャグを言ってみたいと思った人は多いと思う。しかし、実際にその局面に対峙すると、頭が真っ白になり、そんなギャグを発する余裕がないと証言するガン罹患者は多い。つまり、他人事だから思いつくギャグであるということだ。自分がその状況になったら、ギャグを思い起こす余裕さえなくす。医療事情は30年前とは違うのは確かだ。30年前の「ガン」のイメージは、「不治の病」だろう。医療が進歩し、技術や薬剤、治療機材の開発によって「ガンは治る」などと、短絡的な言葉で語られるが、それは間違いだと確信している。一度ガンになってしまった体には、目に見えないガン細胞が体の隅々に散らばっていて、すぐに表面化するか、時間をかけて表面化するかの違いはあれど、いつかはガン細胞が全身を覆い尽くすという最期を迎えるのだから、ガンから逃れることはできないのだと思う。父が20年以上前に胃ガンと宣言された。そのときにいろいろ調べた。父のガンは、ピロリ菌由来の潰瘍性のガンで、ガン体質からくるものではないとわかった。7年ほど前に夫のガンが判明した。夫は、繰り返し食道を傷めており、潰瘍状になった部分がガン化したのだと解釈した。いずれも、全身に種がある種類のガンではないと「私は」判断した。しかし、いずれのケースでも、「ガンらしいわ」と聞かされたとき、背中がゾワーッとして、血の気が引き、視界が狭くなると同時に胃が痛くなった記憶がある。ガンというのは、大変インパクトのある病気なのだ。私の場合、イレウスになり、検査してくれた病院で医師に「何かの腫瘍状ももので詰まってます」と言われ、「ガンですか?」と自分から聞いてしまった。「その可能性が大きいですね」そこで「ガーン」はおかしい。手術、入院ができる病院を紹介してもらい、外来で検査データを見ながら医師が「すぐに手術をしないといけないですね」と言った時、「何が原因ですか?」と聞けばよかったのに、「ガンですか?」とまた聞いてしまった。「ま、そうでしょう。病棟に主治医をつけますから、詳しい説明はその医師から」と言われて終了。病棟に、というのは、入院するにあたっての主治医ということ。その主治医には、ナースステーションの前で立ち話した。緊急手術になるので、手順の説明を受けた。こちらから聞くでもなく、「この手術で患部の組織を取りますので、詳しくは手術後ですが、多分ガンです。末期ガンではないことははっきりしていますので心配なく」あらら、また「ガーン」が言えなかった。最後はベッドサイドに来てくれた怖い主治医。物言いが柔らかいので、優しい人だと思った私はアホだった。「緊急手術をした後、一旦退院してもらいますが、切除手術をするために再入院になります」私は「ガンですよね」と軽い口調で言ってしまった。怖い主治医は「そのつもりで予定を組んでます」結果はその通りだったので、最後まで「ガーン」を言う機会を与えてもらえなかった。「ガーン」と言える人はラッキーと思った方がいいのかもしれない。ガンの可能性があるなら、畳み掛けるように事後の予定を組まれるのが、いまのガン医療体制のようだ。医師からかしこまって宣告されるのは、よほど良心的か、患者の心に寄り添う病院ということなのかもしれない。宣告のときの私の心情や精神状態については、改めて。いろいろ記しておかねば……。。
2024.06.25
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これまで、何度も怖い主治医(サド主治医)との攻防を書いてきたが、実は、意外にも私の心に呼応する会話もあった。(書いたことも、書いてないことも)怖「これまで、病気に気づいたことは?」虫「2年以上前から」怖「どんな症状? 出血?」虫「腹痛です。8時間苦しんだこともあります。 これはガンか、それに近い病気だろうと思っていました」怖「病院には行った?」虫「もし大きな病気がわかって入院を言い渡されたら、 夫が生きていけません。病院には行けませんでした」怖「症状があっても、ご主人のことを考えて 歯を食いしばって我慢したわけや」この会話は、途中まで書いた気がする。「歯を食いしばって」という怖い主治医の言葉が信じられなくて、ここは書けなかった。冷静沈着で、私を虫けらと思っている主治医の言葉とはどうしても思えなかったからだ。意外にも、心は温かい人なのかもと思った私は、アホだった。大腸が侵され、肝臓に転移があり、膵臓の様子がおかしいので胃カメラを飲めと言われ、胃カメラ検査をしたら、食道にも少し異常がわかり、膵臓の状態が不明なので、MRI検査を言い渡されたとき、虫「こんなに消化器が悪いのは、ストレスに弱いんでしょうか」と問うた。虫けらはストレスに弱いというより、ストレスに気づかない体質だ。常人には理解できないほどのストレスを抱えていることに全く気づかず、病気になって医師から指摘される。怖「ストレスに弱い……ストレスの量の問題じゃない?」この怖い主治医の返しに、目が覚める思いがした。主治医は、私の状況をわかってくれていたのではないかと。怖「処理できる量よりストレスが多いとね」……なんだ、一般論か。そうだろうな。そうだろうな。私の検診の予約はいつも最後の時間帯(14:30)にしてもらっていたが、転移の発覚があってからは、検査の予約時間や、その後の検診の都合に合わせて、時間が変動していた。怖「大丈夫?」虫「仕事を休みます。大丈夫です」という会話を毎回していた。いい加減こちらが言っている勤務体系を覚えてほしい。ずっと最終の検診の主治医の状態を見ていた私は、午前中の検診を受けることになった日、主治医の様子を見て、思わず言葉が出た。虫「先生、今日は随分お元気そうですね」怖「そう? 体調悪いんやけどね。午前中やからやよ」そうか。午前中の検診は初めてか。午前中、午後にかかわらず、いつも主治医は体調が悪いと言う。どこか悪いのかもしれない。最近、胃カメラ検査をやったと言うし、痩せ型の体だし、去年8月に虫「先生、お痩せになったように思いますが」怖「いや、痩せてないよ」私「そうですか? 前回よりもお痩せになったように思いますが」主「年中増えたり減ったりしてるけど、あなたの手術をした時あたりが、今年一番痩せてたな」という会話があった。もしかしたら、怖い主治医も何かの病気を抱えているのかもしれない。私が心配する話ではないが。なら、もう少し患者の気持ちもわかるだろうに、と思うのが心情。が、怖い主治医はそういう人ではない。もっといろいろある。思い出したらまた書こう。これからも、少しずつ増えるだろうし。ブログくらいしか、現状を表現できるところはない。家族にも言えずにいる状況では。。。
2024.06.24
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前のブログで書いたが、この一年、怖い主治医が主治医であることに悶々としたものがあった。それを最初に表現したのは、2週間前の「転移」宣告のとき。私の体の状態や治療方針などをやり取りした後、診察室を後にする前、丸椅子から立ち上がりながら「今後も主治医は先生ですか?」と問うた。怖い主治医は少し驚きの表情を見せながら「え、はい」なぜそんなことを聞くのだろうという疑念を含んだ肯定。「よろしくお願いします」と言って、私は診察室のドアを開けた。自分でも、なぜそんなことを言ったのかよく理解できなかった。本当に咄嗟の言葉だった。これまでと違うステージに入ったのだから、できれば違う医師にチェンジしてもらいたいという気持ち、他の病院に転院したいという願望、あなたが主治医なのは嫌だという意思表示……どれだろうかと考えた。全部当てはまるように思う。が、どれも違うようにも思う。怖い主治医が嫌ということだけではない。状況が嫌なのではないかと思う。この先、治療してもしなくても、最悪1年で終わる命をこのまま黙って、むざむざと終わらせていいのか、というジレンマ……違う。それは納得している。計算どおりだから。実は、夫が亡くなったとき、なぜか私は「3年でそちらに行く」と遺影に向かって言った。「それまでに、キャバクラ巡りや好きな女の子への付きまといを終わらせといて」と。あと1年で3年なのだ。iPhoneは立ち上げた画面を右にスライドさせると先頭に(iPhone内に保存している)アルバムの中の1枚の写真が表示される。最近、ずっと夫の画像が出現する。これまで、比率の多い料理の画像(店のメニュー)ばかりだったのに、さまざまな夫の画像が表示されるのだ。何か言いたいのか、こっちに来いと言っているのか、それとも、頑張って生きろ、と言っているのか。。話を戻して。どんな状況が嫌なのか。怖い主治医に、私のことを小指の先ほども理解されず、虫けら扱いされることか。命を預けている主治医に理解されないことの苦痛は何物にも代え難いと言えるかもしれない。つい数日前、「このまま先生の患者でいていいですか?」と問うた。この言葉を発する前、どういう言葉にするか迷いに迷った。「私、他の病院に移った方がいいんじゃないですか?」ストレート過ぎるし、自主性が感じられない。「先生は私のこと疎ましいと思っているでしょう?」人のせいにしてはいけない。「私の病気をよくしてやりたいと思っていますか?」挑戦的でかつ、依存心が高い。「私は納得できません」言い過ぎだ。「このまま死んで行くのは嫌です」治療したるがな(治療してやるよ)、と言われそう。何が言いたいかを整理すると、「あなたが主治医であることは納得できますが、いまの状況が嫌です」なのだが、これを理解してもらうのは至難の技だ。せっかく、前回に前振りをしているのだから、今回は少し前進、次にさらに前進、その次くらいに結論、という流れがつくれればいいと思った。先は長い(余命?残命は短いが)。このブログで怖い主治医とのやりとりを見てくださった方はお分かりだと思うが、いつも会話がすれ違ってしまうのだ。私の言葉が足りないせいもあるが、怖い主治医に長々と言葉を連ねるのは危険過ぎる。端的な言葉でわかってもらうことが第一だと考えてきた。しかし、端的な言葉を思いも寄らぬ方向で解釈する人だともわかった。これで、どれだけ神経をすり減らしたことか。検診前に胃痛や腹痛に悩まされることも幾度もあった。検診後に後悔や絶望に悩んだことも幾度もあった。まだこの攻防が続くのかと思うと、本当にゲンナリする。しかし、仕方がない。これも運命なのだろう。私の人生は、いつもつらいばかりの運命が付きまとう。前世でよほど悪いことをしてきたのだろうか。来世では、明るくて気楽な人生を歩みたいものだ。
2024.06.23
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ここのところ、立て続けに検査を受けている。3週間前:採血、造影剤CT今週:胃カメラ来週:MRI本来なら、PETも入っていいはずだが、それは全く入ってこない。いずれも結構費用がかかる。しかも、それなりに体への負担もある。仕方ない、と思いながらも、「必要なのか?」と疑問を持つのは致し方ないだろう。本日、胃カメラ検査を受けた。怖い主治医、説明担当の看護師、検査担当の看護師、全てから「麻酔」を勧められた。が、断った。これまで胃カメラ検査は3度ほどやったことがあるが、その当時(10年以上前)は、麻酔がなかった。胃液の出を抑える注射はされたが、自分が楽になるためのものではない。検査担当の看護師が注射を持って現れたので、その注射かと思って尋ねたが、「いえ、喉の感覚を鈍くする注射です」と。「え、麻酔とは違うもの?」「はい」「やらないといけない? 別に素でいいんですが」「ちょっと苦しいかもしれませんが」「大丈夫です。これまでそんないい薬なかったし」という会話があって、それも断った。実際にファイバーを口に入れられてわかったが、私が受けた昔の検査で使ったファイバーより随分細くなっていた。これで苦しいわけがない。喉から食道を通すときに「飲み込め」と言われ、飲み込むとえずくが、苦しいほどではない。7分程度で終了した。看護師さんが目の前でティッシュを5、6枚取り、「お口の中の唾液をここに吐いてください」と言うが、「ありません」。夫は「涙とハナとよだれでグシャグシャになった」と言っていたが、意味がわからない。涙とハナは連動しているので、苦しかったら出るだろうが、よだれがなぜ出るのか。怖い主治医もよだれが出ると言っていた。おいしそうなものを目の前にしたわけでも、梅干しを見たわけでも色っぽい女性を眺めているわけでもないのに、よだれが出るのか。私は胃カメラを苦痛と思ったことはなかった。最近、病院は過剰なほどに「大丈夫か?」と聞く。アレルギーのあるアルコール消毒や薬の副作用などを確認するのは必要だが、患者を甘やかせるだけの労わり的な質問が多すぎる。怖「麻酔なくても大丈夫だった?」と怖い主治医に聞かれて虫「はい。サバイバーですから。年齢的に」と虫けらは答えた。昔はもっと太いファイバーをグリグリ飲み込まされたのだから、大したことはない。怖「飲み込むつらさより、薬の方が怖い?」虫「まぁ、そうですね」薬自体が怖いということはないのだが、30分休まされる、とか、帰りは車、自転車の運転はダメ、とか、そういう制約が嫌なのだ。楽できる薬は体への負担もあるということ。そして、前回の診察以来ずっと思っていたことを言った。虫「先生」怖「…」無言でこちらを向く。虫「言葉にするのが難しいのですが…、 先生は患者を選べないですよね」怖「…」少し困惑したような、理解できないような目で虫けらを見る。虫「私は別の病院から紹介されてこちらに来たわけで、 私も先生もたまたま、主治医と患者になった」怖「まぁ、そうやね」虫「このまま先生の患者でいていいですか?」怖「い、いや、別に…(笑う)逆に、他に行きたいところあるの?」虫「そういう意味じゃないんですが、最期は北野病院がいいなと」怖「なんで?」虫「北斎場に近いから便利です」怖「(笑う)」虫「私は先生のおっしゃることを余り聞かないでしょう」怖「そうかな。僕が言う検査も淡々と受けてくれてるやん」虫「予防的抗がん剤はいや、とか、麻酔は不要、とか」怖「あなたの判断は間違ってないと思うよ。 今回の結果にしても、抗がん剤をやっていてもこうなったかもしれないし。 抗がん剤やれへんかったからこうなったんやとも言えん。 僕はそう言うつもりもないし」虫「わかりました」怖「で、勝手に仮で押さえてあるねんけど、7月1日、MRIね」手回しのいい。一応スッキリはした。いつか言わないといけないと思っていた。次に意見の相違とか、治療方針が飲み込めないときに、転院が言いやすくなった。波長が合わない患者と主治医の関係は本当に厄介だ。何度心が折れそうになったか。これまでこんなことはなかった。症状の重い、軽いはあれど(病院にかかった病気は全て命の危険のある、恐ろしい病気ばかりだが)、「自分はこうしたい」という毅然とした気持ちで望んでいた。主治医との関係も問題なかった。しかし、今回ばかりは……。ま、病気が病気だけに、主治医への依存度が高くなるのは致し方ない。その結果、自分の気持ちや理解との間に軋轢が生じる。主治医に返せないだけに、自身の中のわだかまりとなる。人間的に波長の合う相手なら、言葉にせずともわかることが、言葉にしても伝わらないジレンマというか苛立ちというか。仕方ない。いよいよ最期となったら、そのときはそのときで考えよう。怖い主治医に看取られるのはどうしても嫌だ。それまでに、よい病院、よい医者を探さねば。。
2024.06.21
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先々週8日(土曜日)にamazonで3つの商品を注文しました。プライム会員なので、お急ぎ便で日曜日には到着するだろうと。当初は3品とも「明日到着予定」だったのですが、日曜日朝になって、2品は日曜日到着、残り1品は「17日(月曜日)到着予定」と変更になりました。きのう、急遽欲必要になった商品があったので、追い注文しました。その商品(3品)は17日(月曜日)到着予定と表示されていました。これで、前回注文した商品と今回の商品4品全てが17日に届くとの認識。ところがきょうの朝になって、3品のうち2品は「本日到着予定」、1品は「明日到着予定」に変更されていて、しかも、8日に発注した「17日到着予定」の1品は「水曜日(19日)に変更」と。何だこれ?こちらは、できるだけ同じ日にまとめたいと思って(昨今の物流事情と商品の合計金額的に)、結構配慮して発注しているのに、どんどん変更されていきます。しかも、発注時、もしくは到着前の商品の配送についての備考として、「全商品まとめて配送でOK」と書き添える欄が用意されていないのです。そんなに急いでない場合、あるいは金額的に大したことがない場合、まとめてもらって結構、と書けると随分気が楽になるのに。ましてや、もし、配送時に家にいられない事情があったら(時間指定できないので、3日間全て在宅にできるはずがない)、再配送となり、配送の方の手間にもなるし、こちらもやるせない気持ちになります。さらに、うちのマンションはオートロックではないので、「置き配」を選びづらい。その点、楽天だと、配送に関する要望を書く欄があります。おまけに配送業者によっては、配送日時を指定できるシステムがあったりします。よく配送してくれる業者さんだと、こちらの事情を知ってくれていて、事前に電話をくれたりもして受け取りが随分スムーズにできるようになっています(長年の実績もありますが)。ネット通販は「配送がネック」とよく言われます。「配送料金」「受け取るタイミング」です。宅配ボックスが設置できたらいいのですが……集合住宅では、個人が設置するスペースがないので、マンション自体が設置してくれないと。。が、うちのマンションの共用スペースは、そんなものを置く想定が全くなく、エントランスを「つくり変える」くらいしないと無理です。いっそのこと、オートロックにし、宅配ボックスを設置する「つくり変え」をしてくれないかなぁ。いまのところ、「便利」と「不便」が混在する通販事情です。
2024.06.17
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特筆すべき病気はガンだと思う。「余命宣告」。他の病気でこういう用語は使わないのではないだろうか。とても重度の遺伝病などで、乳児について「5歳までは生きられないと思います」といった医者からの発言を聞いたという人はいるかもしれない。が、「余命」ではない。「生存可能年齢」というべきか。5年もあれば、医療技術の進歩や個人の生命力で年限が伸びることも多々あるだろう。得てして、そういう病気は(姪の子供がそういう状況なので、理解できる)症例が少なく、医者の知見によるところが大きく、予想年齢がはずれることも少なくない。翻って、ガンについては、症例がたくさんあるので、「この場合」というフレームに当てはめた余命を医者が的確に割り出すことができるというわけだ。「患者の年齢・性別・体力・生命力(患者の各種条件)」「がんの性質・種類」「罹患部位」「組織検査の結果」「医師もしくは病院の知見、実績」もっと条件があるかもしれないが、さまざまなファクターから「余命」というものが割り出される。と、私は思っている。もしかしたら、医師個人の「感覚」「主観」といった、激しく偏りのあるものから割り出される可能性もあるかもしれない。あるいは根拠もなく、ただ感情によりある方向をもって恣意的にその言葉を吐くのかもしれない。が、患者はそれを知り得ない。私は、怖い主治医から「1年です」と言われた。言われた瞬間、脳裏を駆け巡ったことについては後述するとして、すぐに口にしたのは、「余命というほどの期間ではないですね」という言葉。「余命1年」はあるかもしれない。しかし、私の感覚では、「半年」が余命の基準だと思っていた。半年より短い場合に「余命」と言われると。1年もあれば、「生存可能年数」だろう。怖い主治医も「そういうことやねん」と、なぜか目に光を宿して私の目を見た。いやいや。そんな目をするなら、「1年」と言い切るなよ。怖い主治医も私を相手にどう言ったらいいのかよくわからないのだろう。なだめすかし、様子を見ながら恐ろしい言葉を発する。私の反応を見ながら押したり引いたりする。大変申し訳ないことだと思う。サドの主治医の欲望を阻害する言葉しか発しない私を持て余しているのだと推察するばかりだ。全く関係ない話だが、中学校を卒業したとき、「あなたのようなダイナミックな生徒はもう現れないわ」と教師から言われた記憶がある。その教師に対して、特別な感情を抱いたことはなかった。他の教師と同じように接したつもりだった。その教師が3年になってから転任してきたという理由から前学年から受け持ってくれてきた教師と差別化したこともなかった。取り立てて親しくしていたわけでも、個人的な相談などをするような関係でもなかった。なのにそういう感想を述べてくれたのは、掛け値無しにそう思ってくれたのだと思う。他の教師からも違う言い回しだが、それに類することを言われた。高校時代もそうだった。大変伝統ある学校だったので、生徒会は教師の推薦で決まる(裏の実態)システムだが、私は会長にならされた。多くの教師が私を推薦したからだ。そこには、教師が私に対して持つ「信頼感」や私の「人間性」への肯定感があったのではないだろうか。誤解なきように言うが、私は決してごますりでもないし、太鼓持ちでもない。自分の思うがままに生きていると、他人が認めてくれる、得(?)な体質なのだと思う。しかし!しかし!しかし!怖い主治医には、全くその効力がない。ひねくれ者か。よほど私が気にくわないのか。とにかく私を理解して認めてくれる素振りすらない。あぁ、ありがたくないなぁ。最近、いろんなものがありがたいと思えていたのに。。。※「1年です」と言われたとき、瞬時に何を思ったか…。「シャンプー」「洗剤」「トイレットペーパー」といった買い置き品がパタパタと脳裏に閃き「使い切れるか!」という心の叫びだった。すぐに何という貧乏人の発想だと、苦笑いが浮かんだが、怖い主治医に察知されてはならないと、目を伏せた。怖い主治医にどう受け取られたか知る由もない。
2024.06.16
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術後1年の検診があった。血液検査の数値は軒並み正常。肝臓も、血液関係も、血糖値も、全て基準値。ファスティングのおかげか。通常の検診ならこれで終わるのだが、今回は造影剤CTの結果がある。少し遡って、診察室に入るところから再現。虫けらの私、『トントントン』ノックする。怖い主治医、中から「はい、どうぞ」ドアを開けて入ると、こちらを見ながら満面の笑みの怖い主治医。私は面食らう。そんな笑顔を見たのは初めてだ。私が入る直前に、看護師たちとよほど楽しい話をしていたのだろうか。虫「先生、すごくお笑いになってますね。何かありました?」怖「どうですか? いつもと変わりなく?」先に私の質問に答えなさい。しかもまた。なぜ先に結果を言うのだろう。変わりがあっても、言うつもりはなかったが。虫「はい」怖「悪い知らせです」え、え、え? そんな笑顔で?怖「転移ですね」虫「どこですか?」中略(詳しい話はまたの機会に)あの笑顔は、私の状況がうれしかったのか。違った背景があるのかどうかわからないが、私がそう思うのは必然である。怖「抗がん剤は受けないとおっしゃいましたが、どうします?」虫「予防的抗がん剤治療は受けないけれど、治療は別です」そう言ったよ。前も。怖「わかりました。治療はするということですね」虫「はい」中略(治療の話)虫「半年前だったら、なかったか、少なかったか」怖「ちょっと考えたんやけど、そうかもしれんね」虫「PETといわんまでも、これくらい(造影剤CT)は半年前にやっていたら」怖「すみません」謝らせた。ずっと思っていたのだ。義父は3ヶ月ごとにPET検査を受けていた。食道という罹患場所の問題や手術内容からのことかもしれないが、1年ほったらかしはないだろう。しかも、今回の血液検査でも、数値は極めてよいのだ。炎症反応も基準値内。腫瘍マーカーも高くない。血液の数値で察知することができないほど小さく、できたてのガンもあると思う。ずっと不信に思いながらも何も言わなかった。怖い主治医の治療方針に逆らったのだから、泣き言的訴えは言えないと思っていた。怖い主治医の「すみません」の後に私は、「いえ、これが運命だったんでしょう」と言った。ま、今更言っても仕方のないことだ。怖い主治医がやおら私に向き直った。怖「どうですか、この結果について」これは、『予防的抗がん剤治療をやっておけばよかっただろう』という含みのある言い回しだと思った。及第点の答えは、「抗がん剤をやっておけば、もう少し遅らせることくらいはできたかも」あたりだろうか。虫「1年も元気に、やりたいこと、やらないといけないことをして過ごせました。 満足です」怖「……」虫「再発や転移は予測していましたが、1年間元気に過ごさせていただけたことに 感謝してます。ありがとうございます」怖「……」虫「ガンって、いい病気ですね」怖「けど、苦しんだやんか。腸閉塞になって」虫「症状のない病気はありませんから。それより、 突然亡くなる脳梗塞とか、心筋梗塞なら、時間の猶予がない。 ガンは、大体の余命がわかるし、その間に片付けないといけないことができる」怖「脳梗塞や心筋梗塞は爆弾みたいなもんやからね。爆発したら終わりや」そう言うとるがな。怖い主治医、膵臓部分の画像を見ながら怖「膵臓がね…」えーーーっ、それ、一番重要やん。虫「ガンですか?」怖「違うと思うねんけど、一応検査しとこか」膵臓となると、エコーか。怖「胃カメラ飲んでもらうよ」なんで膵臓なのに胃カメラ?怖「膵臓が胃に密着しとるねん。胃側から何かわかるかもしれん」えー、素人の私でもそりゃおかしいと思う。でもいい。ある程度の金儲けには協力せねばならん。怖「いまは、麻酔使って楽にできるから」虫「要りません」怖「えっ???」ものすごくあっけにとられた表情の怖い主治医。虫「何度も胃カメラ飲んでますが、麻酔なんかない時代からやってますから。 麻酔は不要です」怖「僕もこの間やったけど、えらい状態になったよ」虫「夫も、涙と鼻とよだれでグシャグシャになったと言ってましたが、 私はそんなことになったことありません。先生もそのタイプですか?」怖「まぁ…、よだれやけどね」想像したら笑えた。目に涙を浮かべ、よだれをだらだら流しながら口にファイバーを突っ込まれている図。怖「麻酔…、やっといた方がいいと思うけど」虫「それは、先生がそうだったからでしょう?」怖「僕も麻酔せずにやったけどね」わかっとるわい。麻酔した上によだれだらだら流してたら、やる意味ないがな。虫「要りません。大丈夫です」怖「そうかなぁ。やっといた方が…」しつこいなぁ。そんなに儲けたいんか。否、この人はサドなんだとわかった。とにかく人の言うこと(主張)を否定し、上から自分の意見をかぶせる。大抵の人は、屈服するのだろう。しかし、私のような人間は、曲げないところは曲げない。それがよほど腹立たしいというか、許せないのだろう。その仕返しに、私の主張を後悔させる結果へと導く。そしてそのとき、満面の笑みで「どうですか?」と聞く。検査の内容や間隔は病院や医師の考え方、患者の状態によるのだろうが、いくらなんでも1年の放置は長すぎる。患者は、悲惨な結果に対して後悔の弁を述べる。「先生の言う通りにすればよかった」と。しかし、私はあさっての回答をする。私は最初から言っていた。「長生きしたいとは思っていません」「あるがままでいいと思っていましたが、イレウスは計算外でした」「効果が期待できない予防的抗がん剤治療はやめ、それに費やすだろう日々をやらないといけないことに使います」と。「治療的抗がん剤は拒否しません」とも言っていた。今回は、「この状態で何もせずに死ぬと家族に申し訳ないし、片付けないといけないことがまだあります」と付け加えた。よしんば、今回直面した結果に私が異議を申し立てたとしたら、怖い主治医は私の意に沿った検査、治療方針を立てたと言うだろうし、それは間違いではない。ただ、普通の医師なら、患者がそうは言っても少しでも長く生きられる配慮はするだろう。しかし、怖い主治医はそういうタイプの医師ではなかったということだ。処置室に移り、胃カメラの説明を看護師さんから受けたとき、「麻酔の説明をしますね」と言われたので、「え、麻酔は要らないと言ったのですが」と言うと、説明係の看護師さんは、慌てて麻酔の説明書を処分しようとしたが、私が診察を受けたときに診察室にいた看護師さんが気づいて「そうですよね。ちょっと聞いてきます」と怖い主治医の元へ行った。「一応、説明しておいてと。準備しておくようです」要らんとあれほど言ったのに。なぜ、これほど頑ななんだ。自分が辛かったから、やった方がいいということだ、なんて、私が思うわけないだろう。所詮、金儲けだと思う。最近は皆、麻酔をするようになっているのだろう。(もしや、麻酔で眠らせたい理由でもあるのか?)よし、当日、絶対拒否してやる。こうして、命がけの1年検診が終わった。怖い主治医に大笑いさせる、文字通りの結果だったわけだ。ふん。これからは違うステージに入らざるを得ないが、仕方ない。こうやって、人は死ぬその瞬間まであたふた、ジタバタしながら生きるのだ。
2024.06.08
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とは、ヘアーサロンのオーナーの言葉。「幸せ」と思うことを探して、行動して、感じることが生きがいにつながる、ということらしい。このオーナーにはいろいろな言葉やアドバイスをいただいている。そのときにはピンとこないことがあるが、ふとしたときに「あっ」と気づいたり、よーく考えたときに「そうか」と思い至ったり、これまでにも考えさせられることがあった。霊感の強い人らしく、私の顔を見て何かを感じ取っているのかもしれない。あるいは、私が纏っている「何か」が現状を物語っていて、それをすくい取っての言葉なのか。「幸せ」というのは、極めて個人の主観なので、私自身がそう思えばいいわけだが、いまのところ、そう実感することはない、とそのとき思った。しかし、「幸せ」は「ラッキー」と言い換えれば少し軽くなるし、思い当たることがいろいろある。●腰痛、膝痛私くらいの年になると、万年腰が痛い、膝が痛いという人がいる。それらが一切ない。一時的に周辺が痛くなることがあってカイロにかかると、「インナーマッスルが硬くなってます」などと言われるが、少しのエクササイズで完治する。いつも腰が痛いなんて、QOLが下がってしまう。ギックリ腰も一度もない。ありがたい。●生活習慣病(症)中性脂肪、コレステロール、血圧、血糖値といった、生活習慣病につながる数値異常が全くない。よって、常用している薬もない。毎食後、就寝前などに薬を飲まないといけないという面倒がないし、それを気にするストレスもない。ありがたい。●体内年齢最近、体組成計を購入して、体の中の数値を見ている。体重が少ないので、若干少なめに出る数値(推定)があるが、きちんと計測したら、多分問題ないと思う。体内年齢に至っては、実年齢より15歳前後若く出る。日々、食べたいものを食べ、飲みたいだけ飲み、好き放題しているのに…ありがたい。●36歳タヒ亡説19歳のときと、21歳のときに手相占いをしてもらった.。19歳のときは職業占い師で、「気をつけないと、早死にするかもしれません」と言われた。しつこく年齢を聞いたら「40歳前」と。21歳のときは、手相を勉強している仕事の師匠的な人で、その人はズバリ年齢を言ってくれた。「36歳」。衝撃的な数字だった。あと15年で死ぬのか…。「運命は変わるので、もう少し年を取ってから観てもらってね」だって。それ以来、「36歳」ばかりを気にして生きていた。36歳で死んでもいいように、相当無理したり、準備したりして。その話を出会ったばかりの夫に話した(当時33歳)。「大丈夫。僕と知り合って運命が変わったよ。僕の世話をしないといけないから、長生きするよ」そのとおりになった。夫の面倒をみるだけの人生だった。おかげで生きながらえた。ありがたい(?)。●病気去年、結構大変な病気になった。割と絶望する人が多いと思う。でも、私は絶望することがなかった。すぐに死ぬ病気ではないし、片付けないといけないことを片付け、会っておかないといけない人に会う時間がある。一年かけて、いっぱい片付けたし、会っておかないといけない人にいっぱい会えた。ありがたい。●お酒夫と同居するようになってから、お酒をよく飲むようになった。二人で飲むお酒はおいしかったし、楽しかった。体を壊すことなく、たくさんのお酒が飲めた。去年の病気後も、怖い主治医が止めなかったし、何よりお酒がおいしいので、たくさんいただいた。ありがたい。●お寿司とトンカツ私の一番の好物は鰻なのだが、近頃遠い存在になってしまったので、夫がいたころにネットで買ってくれた鰻を食べて以来、3年ほど食べていない。次に好きなのが串カツで、大好きだった串カツ屋が閉店してからとても寂しい思いをしていたが、転居先近くにトンカツの店があり、串カツとは全く違うものの、味やボリュームが気に入ったので、事あるごとに食べに行っていた。この週末にも行きたいと思っている。そして寿司。カウンターに座って大将が握ってくれる寿司を食べるということがなくなってしまったが、ネタのとてもいい回転寿司を夫とよく食べに行った。先週の1年検査後に食べに行って、「あーおいしい」と感じた。食べ物がおいしいのは何より。ありがたい。●眺望去年転居して、大変素晴らしい眺望を手に入れた。これがなかったとしたら、退院後の生活は全く違ったものになったと思う。一年、じっくり癒された。古いマンションで、住居としては不満ばかりだが、この眺望は何物にも代えがたい。日夜、大阪城と公園の緑、清々しい風、青い空に感謝する。ありがたい。と、ラッキーなことは幾つでも身の回りにある。こういう当たり前のことをありがたいことと感じる時間を持ちなさいよ、ということだったのだろう。いやいや、私の壮絶な人生のエンディングがこれだと思うと、なんとものどかで、温かい。ありがたいことだ。
2024.06.07
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もうすぐ怖い主治医の定期検診がある。その前に、ちょっと大掛かりな検査があって、これは今週末。この検査結果が悪ければ、その一週間後の主治医との対面が恐ろしいものになる。これまでは、検診の2〜3週間前から禁酒するというだけの簡単な対策(酒飲みにとっては決して簡単ではないが)だったが、それは、血液検査のみだったからで、目立って数値が悪くなる可能性のある肝臓の数値対策だった。しかし、怖い主治医は検査結果を前にして特に注意も質問もしなかった。私が勝手に「た、高いのがある…」と危惧して、汗をかいていたのみである。そのことを質問しても、怖い主治医はのれんに腕押しのような感想を述べるのみ。「気にしなくていいよ」と。ゆえに今回は、長期の禁酒はしないと決めた。が、造影剤のCT検査がある。これは、体内が丸見えになる。肝臓の数値が多少高いなんていうのと比べものにならないくらい丸裸の羞恥にさらされるわけだ。で、およそ2週間をかけて油物、サプリメント、悪い酒を控える作戦を立てた。そして検査前3日間は、ファスティングすると。月曜日:酒はOK。食事はプロテイン、玄米ご飯と漬物、常備菜、枝豆火曜日〜木曜日:ファスティング(プロテインと飲み物のみ)金曜日:絶飲食(水と炭酸水のみ)/夕方すべて解禁金曜日は午後から検査なので、午前中から絶飲食必至。細かくは10時までは飲食OKなのだが、面倒くさいので、ファスティングのまま検査になだれ込む。きょうは水曜日。朝、体重を測ったら、1.2kg減っていた。たった1日のファスティングで。相変わらず余力のない体。きょうとあすファスティングを続けたら、何キロ減るだろう。体重の増減はどうでもいい。内臓脂肪と皮下脂肪の減少、腸内の美化が目的。検査が済んだらまた飲酒できる。とんかつを食べに行こう。その1週間後の怖い主治医の検診時は、傍目から見て健康そうならそれでいい。恐怖に慄き、顔色が悪くなるかもしれないので、厚化粧にしていかねば。これが術後一年目の検査。あと4年。今回の検査結果が問題なければ、ずっと命があれば、の話だが。
2024.05.29
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自分の膀胱の容量を知っている方はどれくらいいらっしゃるだろうか。私は知っている。若いときに入院した。その当時の医療界全般のシステムだったのか、その病院独自のシステムだったのか、いまとなってはわからないのだが、入院患者は入院した日から1週間、指定された大きなビニールバッグに毎回放出した尿を溜めなければならないという決まりがあった(毎日リセット)。ビニールバッグ(目盛りが打ってある)に溜まった尿は夜に看護婦さんがチェックして記録し、処分する。個人情報にうるさい昨今には考えられないのだが、トイレの一角に設置されたビニールバッグには病室番号と名前が書かれていた。「一角」というのは、トイレの端に男性トイレ、女性トイレから行ける共通の場所で、男女問わずバッグが並んでいた。いま考えると、ちょっと嫌な感じがするが、病気が相当ひどかったので、当時は余り深く考えなかった。尿を溜め始めて数日たち、ふと、「私の膀胱の容量はどれくらいなのだろう」と疑問を持ち、溜められるだけ溜めてみようと思った。起床するとトイレに行くのが習慣だが、我慢した。朝食を済ませ(牛乳あり)、お茶を飲み、くつろぎながらベッドで過ごす。ほどなく、点滴の時間。500ccほど体に入れられる。トイレを我慢できるか不安だったので、看護婦(その頃はそう呼んだ)さんが設定したより早めに点滴を設定し直し、そのときを待つ。眠りそうな感じだが眠らない状態。滴下を早めに設定しているだけに、点滴をしながら眠ると、大変なことになる。血圧を下げ、呼吸をゆっくりにし、できるだけ副交感神経が優位になるように。点滴が終わったと同時にトイレへ。私専用の尿瓶を手に取り、個室に入る。その頃はまだ和式だった。尿瓶に尿を取るには和式の方がよい。我慢しただけあった、勢いがすごい。出せども、出せども、勢いが弱まることがない。尿瓶の目盛りは800ccだったと思う。あっという間にそんな目盛りは超えた(実際には、平面に置かないとわからないが、斜めに立てて持っている状態で、尿瓶の半分を超えたので、大体800cc超)。まだ出続ける。「あーーー溢れるーー」と焦った刹那、無事終了。片手であれこれを済ませ、バッグの元へ。ジャーーーーーー。2000cc!!私の膀胱の容量は2000ccなのだ。2Lのペットボトルをおなかの中に忍ばせられるということだ。驚きの結果だった。それは、血圧も低く、安静にしていた状態だったので実現したことだが、間違いなく2000ccを溜め込めたわけだ。もちろん平時には、それほど溜められないが、いまでも、少なくとも1000ccは大丈夫。飲酒時に限るのだが、1000ccでも、結構な時間がかかるし、「おー、よー出るなぁ」と感激する。夫の部屋はトイレの横だったので、私がトイレから出てきたとき「すごい勢いやな。うらやましいわ」とよく言っていた。この話で何が言いたかったかというと、「行っとこか」はよくないらしいということ。年を取ると、まだ大丈夫だけれどどこで行きたくなるかわからないので「行っとこか」とトイレに行く人が多い。しかし、余り溜めずに放尿すると、膀胱の容量がどんどん減るというのだ。尿を溜めようとすると、膀胱が伸びる。膀胱を伸ばさずにちょこちょこ放尿すると、膀胱が硬くなって伸びなくなる、つまり、容量が減るというメカニズム。私はいつもいっぱい溜めている。何しろ、その気になれば2000cc溜められるという自信がある。少なくとも、1000ccは大丈夫、と思えば飲酒中も計算できる。先日、昔の得意先を接待して食事に行った。話が弾み、得意先もジャカジャカ飲んでおられたが、私はタンブラーのビールを9杯飲んだ。1杯350ccとして3150cc。酒は利尿効果が高いので、1.2倍の尿になる。4000cc近くの水分が尿になって出てくるというわけだ。昔の、といえど、得意先の接待ということもあり、そうそう席を立てないので、支払いも兼ねて2度だけトイレに立った。家に到着してもう一度。最初のトイレでは、会食以前の水分も出てくるはず。ということは、4000ccほどの水分を3度で処理できたことになる。年を取ると、いろいろダメになる。ダメになる前に予防することも必要だと感じる。いまのところ、膀胱はさほど衰えていないようだ。 嬉
2024.05.22
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最近、メールでのやり取りにストレスを感じる。ビジネスでのメールでは、相手の常識のなさに驚いたり(ビジネス文書を全く知らない人の場合)、表現の齟齬にイライラしたりといったことがあるが、今回はこれは後述する。「友人」「知人」からのLINEやショートメール、SNSを通してのコミュニケーションについて。まるで、「通話を文字にしたようなメール」がある。会話なら、発声やイントネーションで嗅ぎとれるニュアンスが存在する。しかし、それをストレートに文字にすると、意味が180°違う受け取り方をしてしまうことがある。返事に困る。ここがキモになっていたら、間違うとコミュニケーションのすべてが成立しなくなる。最近多いのが「読解力不足の返事」。”よく読んでいない”のが原因だと思うが、そんな解釈できる? というほど素っ頓狂な返事が来る。訂正に四苦八苦する。一番困っているのがこれ。「ちゃんと読んでいない」とわかる人が激増中である。この間FBのお知らせで「誕生日」が表示されただろう人からLINEメールが届いた。先方「おめでとうございます」当方「生きていたら、還暦の年です」先方「記念すべき一年ですね」読んだ方皆さんが理解してくださっただろうと思う。誕生日だったのは、私ではなく、亡くなった夫。FBから「今日は、○○さんのお誕生日です」というメールを受け取った人が、私にメールを送ってきたので、上記のやり取りをした。数時間後、私の店に当人が花を持って登場!「還暦おめでとう!」なぜそうなる?FBからのお知らせには「夫の誕生日」と明記されていたはず。私にメールを送った時点でも、私が夫についての返信をすると思っていたはず。ではどこで私が還暦と間違えたのか?「生きていたら」が見えなかったということか。全く考えられないシチュエーションだった。ことほどさように、メール(文字)でのコミュニケーションがあやふやになってきた。メールでは伝わらないことが多いと感じる。「言葉より文字」だと信じてきたのに。こちらは、長年職業で文章を書いてきたので、文章力はそれなりにあるはず。相手が送ってきた文章への読解力も問題はいはず。しかし、メールで齟齬が起きることが多くなった。原因は、文字慣れしていない、あるいは、最近きちんとした文章を読んでいない人が増えたとこと。ある識者は、「長文が読めない人が増えている」という発言をしていた。漫画のセリフやXなどで短文ばかり読んでいると、長文への耐性が薄れてしまって、ある一定の長さを超える文章は最後まできちんと読めないということのようだ。嘆かわしい。最近、ビジネスでメールや電話によるコミュニケーションが続いたのだが、相手の理解力のなさ、知識レベルの低さに驚いた。「言葉なき前提」が存在しないのだ。何事も一から説明しないといけない。時間がかかる上にお互いにとってストレスにしかならない。これでは、生産効率が上がるはずがない。いつから日本はこうなったのだ。10年ほど飲食業界という、「ビジネス」というには余りにもラフな世界に身を置いていたせいで、自分の感覚も鈍くなったと思っていたが、世間はそれを上回ってひどい世界になっていた。これは…、と思ってみても、私にできることはあるまい。暗澹たる気持ちである。
2024.05.15
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亡くなった夫はどんなメガネも似合った。レイバンのティアドロップのようなイカツイデザインも、秀才定番の銀縁シャープなデザインも、不思議なほど顔に合っていた。鼻筋が通っていたことと、幅の狭い顔のせいだとは思うが、メガネが似合う顔の分析は余りわからない。それは、私が全くメガネが似合わなかったからだ。※若い頃のキアヌリーブス。夫はこんな感じの顔立ちだった(「人によく「似てる」と言われた」と言っていた)。どんなメガネをかけても夫に笑われた。「そんなスタンダードなメガネも似合わんのか。変わったヤツやな」そう。誰でも似合うような、当たり前のデザインさえ、私がかけると違和感を伴う。「顔は小さいし、目と眉の間も普通、特にメガネが似合わん理由がないんやけどなぁ」と、分析とは言えない程度の分析をしてくれていたが、どんなメガネも似合わなかった。似合うわけではないが、アラレちゃんのような大きなメガネはかろうじてかけられたので、伊達メガネとして持っていたが、サングラスなどは買おうとすら思わなかった。子どもの頃から視力がよかったので、メガネが原因でいじめられずに済んだが、もし目が悪かったらと思うとゾッとする。不思議なのだが、夫はどんな帽子も似合わなかった。顎がシャープなので、ツバの大きな帽子は似合わないと理解できるが、キャップも、ニット帽も、ハットも、全く似合わなかった。物理的な理由ではなく、顔の特性と合わない感じ。かろうじて、ツバがほどほどで、高さが余りないテンガロンは何とか合うかな、という程度。ただ、テンガロンハットとファッションが合わない。夫の好むファッションとテンガロンは180°違うのだ。というわけで、夫は私が知っている限り、帽子を着けて出かけたことはなかった。対して、私はどんな帽子も似合う。一般的に販売されていないような、お高い帽子は合わせたことがないのでわからないが、スーパーやブティック、百貨店程度で販売されている「帽子」と名のつくものは、大抵似合う。それも夫に不思議がられた。「何かぶっても似合うなぁ。理由がわからん」買う気がないのに、売り場にあったベレー帽を着けてみようとしたら、「ええ年して、そんなん似合わんやろ」と言われた。鏡の前に立ち、かぶってみたら、後ろから見知らぬご婦人が鏡越しに私を見ている。驚いて振り返ると、「いやぁ、よう似合いはりますねぇ」と。「あ、ありがとうございます」面食らったが、怒る話ではない。夫も、「似合うなぁ。不思議なヤツや」顔の大きさや形、鼻の高さといった物理的な理由だけで似合う、似合わないが決まるわけではないことは理解できる。しかし、これほどメガネが似合わず、帽子が似合う理由は分析できずにいる。ところが、5年くらい前から老眼鏡をかけずには新聞も読めなくなった。メガネに関する知識がないので、とりあえず100円の老眼鏡を買ってきた。「似合うやんか。何や、安もんは似合うんか」と夫に嫌味なのか、本心なのかわからない言葉をいただいた。そう。ダイソーやセリアで購入した老眼鏡は、どんなデザインでも似合う。どういうこと?顔幅に合わず、下を向いたら落ちるくらいのサイズだが、なぜか似合っている。何が違うのか、わかる人は教えて欲しい。似合う、似合わないに関わらず、かけないと仕方ない老眼鏡、「諦め」の気持ちがあるから顔に合ってしまうのか。それとも、年を取ると誰でも老眼鏡が似合う雰囲気になるのか。わからない。。
2024.04.11
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ヘルシンキ大学で学問を修めたという異色の才人が我が店の常連さんの中にいます。その方(男性)に、取引業者のこと、お客さんのこと、業務のこと、政治のこと、世間のこと、力仕事や男性の才覚が要ること、そして主治医のこと……、さまざまなことを相談したり、ネタにしたりして笑ったり、怒ったり、考えたり、議論したりしています。感性が似ているのかもしれませんし、コモンセンスが同レベルなのかもしれません。とりあえず話が合うのです。もちろん、突き詰めた議論はしていないので、全く合わない部分や、譲れないこだわりは知るよしもありません。お客さんと店主ですから。でも、話題を提供すると、ほぼほぼ同じ方向で怒ったり笑ったりできます。先日、主治医の話をしました。ちょっと下世話な方向にも行きましたが、(「Sに見えてMやで」 「そら、不倫やで」 「男性ホルモン強いタイプや」などなど)結論は、「押していけ」でした。主治医は頭髪がモリモリタイプ。でも、手の甲が毛だらけ。指が細くて爪が綺麗な、「いいとこの御曹司か」的な手なのに、手の甲の1/3が毛なのです。「それで頭髪が豊富か」少し考えて「次に外来に行ったとき、『先生、ずれてます』言うたれ。どこを直すか見ものや」と。体毛が豊かな男性は、頭髪がハゲ気味だというのは通説。私は、「手の甲に毛がある人は、胸毛もある。いややー」と言いました。実は、私は胸毛が大好きです。でも、胸筋が豊富で、胸板の厚い人でないと胸毛は似合わない。日本人なら、加山雄三さんでしょうか。そもそも、日本人で胸毛のある人を脳内再生したことがないので、加山雄三さんが好きなわけではないですが、例としては。加山さんは、日本人にしては珍しく胸板が厚く、顔もあつ苦しいので(すみません)、何ら違和感はありません。それに比して、主治医はヒョロいし、胸板はぺったんこ。胸毛があったらむしりたい衝動にかられると思います。次の外来のとき、「先生、ずれてます」と言えるかなぁ。そのとき、頭をいじったら、笑い(多分吹き出す)をこらえることができるのか…。でも、先日の外来のとき、「先生、髪が伸びてますね」と言ったら、「不評ですね。切ります」とおっしゃったので、自毛だと思います。……おヅラさんのように、週ごとにヅラを変える人だったら…。ヅラは結構お高いので、それはないかな。「ずれてます」と言われて、ほかのどこを直すのか。。ネクタイはしていないし、いつもずれようのないきちっとした白衣を着用していらっしゃるし、メガネもかけてらっしゃらない。ま、私との会話はいつもずれているように思うけれど、主治医は全く気づいていないだろうから、仕草に出ることはないでしょう。でも、試してみてもいいかも。その結果をまたスーパーの男に提供して議論すると、(互いに)一人ではできない大笑いができるかも。主治医にとっては、不可解で、不如意で、理不尽な笑いかもしれないけれど、スーパーの男と私にとっては、笑いのいいネタでしかないぃ。「ずれてます」以上の言葉がないか、これから探りたいと思います。つい最近まで、他人を受け入れない、冷たいというか、排他的というか、見下されてるというか、とにかく会話しにくかったスーパーの男が、主治医の話については結構アドバイスを大笑いしながら与えてくれるので、楽しいひとときになっています。あれ、これはテーマに合ってない話?ま、いいか。
2024.03.09
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※本ブログでは、以前は時事ネタや政治への提言など、多少は世間様のお役に立つ論評や情報を提供していましたが、去年病気をしてからは、私亡き後に家族や友人知人がこれを見て「そんなことを考えていたのか」「そんな生活をしていたのか」と懐かしんでくれるような、極めて私的な内容になっています。何卒ご理解のほど。。とはいえ、政治ネタや時事ネタも懲りもせずに扱いますのでよろしくお願いいたします。主治医「いつもと変わりなく?」虫けら「はい」という会話で始まった外来の検診。「腹痛」「発熱」「体重減少」の相談もすることなく、とりあえず、主治医の言うことを聞く姿勢。主「体重は49kg?」虫「はい」主「変わりない」虫「はい」どうして、先に結果を言うのだろうと不思議に思いつつ、『顔や姿を見て、そう思われたのだろう』と無理やり理解。多分、そこは私と同じで(人に聞きながら、自分の意見を言うタイプ)、自分の考えや感覚を無意識に信じ込んでいる我の強い性格なのだろう。机に置かれた(私が持って帰りたいと言ったので、毎回コピーして渡してくれる)血液検査の結果票を見ると、気にしていたCRPが前回よりさらに高い。それをじっと見ていると主「ん? 気になる項目ある?」虫「CRPが高い原因がわからないです」主治医、PC画面で数値を確かめる。主「気にするほどの数値じゃないよ」虫「前回より上がっているのが不思議で」主「風邪引いてる?」虫「いえ」主「熱はある?」虫「いえ。ひと月前に発熱しましたが」主「ひと月前なら関係ないよ。いま熱あります、という数値や」虫「……」主「思い当たらん?」虫けらは天を仰ぐが思い当たらない。主「花粉症は?」虫「ないです」主「心配せんでいいよ。いつもどおりの生活を過ごすように」実はもう一つ基準値以上の項目があって、そちらもいろいろ聞かれたが、その中で、主「あなた、達観しているからね」と言われた。主治医の私に対する認識はそう言うことなのだと理解した。なのに、大して高くない数値にこだわっているのが不思議だったのか主「そんなに心配なら、すぐにいろいろ検査するよ」虫「そういう意味ではなく、高くなった原因を知りたいだけです」原因を知らなければ、次回も高い数値が出るかもしれない。いつもそれを気にしながら生活するのは苦痛だし、食べたいもの、飲みたい酒を制限するのは本意ではない。しかし…主治医にそんなことを聞くのは無意味だと思った。自分で調べよう。CRPは、腹痛に関係しているように思えてならない。もうひと月以上前の話になるが、理由もなく腹痛が起こり、発熱し、4.5日間も治らなかった。現在、一応症状はなくなっているわけだが、理由がわかっていない。再発の危険性もある。これは、調べなければなるまい。違う病院に行こう。下調べしてあるし、予約を入れる手はずは整っている。……そこで、えらい病気が見つかったらどうしよう。入院ということになったら……。目星をつけている病院は、入院施設がないクリニックだが、提携している大病院があるかもしれない。「紹介状はそちらにしか書きません」などと言われたらどうしよう。。くゎ〜、厄介なことになってきた。しかし、何とか乗り越えよう。次の外来は6月。それまでに、事は動かせるだろう。診察室を出る間際、虫けらは仕返しのごとく「先生、髪が伸びてますね」と声をかけた。これまでにない頭髪の荒れようで、入室したときから気になっていた。何らかの答えが返ってきたら「お忙しすぎるんじゃないですか? お身体を大切になさってください」くらいの言葉を用意していた。主「不評ですか。切ります」そんな自虐オチが返ってくるとは思わなくてアタフタした。虫「そんな意味じゃないんですが」と言いながら扉を閉じてしまった。驚いた。自信満々、私のことを虫けらを見る目で見下してくる主治医がそんな返答を…。ましてや、私に不評でも、切ると断言する必要はないではないか。別に「嫌(厭)」とも「不似合い」とも「汚らしい」とも言っていないし、不評という気持ちを込めた言い方でも声色でもなかったはずだ。人間というのは不可思議なものだ。主治医の私に対する認識も違っているように思うし、私の主治医に対する認識も違っているのかもしれない。しかし、これは、主治医と患者としては不幸なことだ。すべてを理解することは不可能だが、押さえておかないといけないポイントがある。病気という一つの事柄に対峙したとき、共通の概念を持っていなければ、常に互いに外れた方向性を目指してしまう。ま、この主治医には望めまい。私の「諦め」が、主治医に伝わっているのかもしれないが、主治医が私を深く理解してくれるという気配も仕草もない。あ、そうだ。次回の検診の予定について主「次は、一年になりますので、CT撮ってもいいかな?」と聞かれ虫「え? 前回、そうおっしゃってました」主「CT問題ない?」虫「はい。造影剤も問題ないです」と造影剤のことを先に言ったら、主「そうやったよね。記憶と記録が違うから、ちょっと混乱して…、確かめました」PCにちゃんと打ち込んでなかったようで。このときは、珍しくかわいい目線(探るような、気遣うような)、優しい声で聞いてきて、前回のことを指摘するとちょっとアタフタしていた。あの表情と声色は、主治医がする普通の会話だと思う。しかし、それ以外は虫けら扱い。主治医側に弱みがあると、普通の会話ができる…。次回、弱みが見つかるか…。
2024.03.03
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億を手にするにはそれだけの理由がある──前回、そこで終わった。今回はその理由をば。我が店には、大学時代からの友人と来店されることがある。その時にチラと聞いた。「あいつ、大学時代から細かかったんや」億さんがトイレに行かれている間に、ご一緒されたご婦人と私に放たれた言葉。億さんの大学時代というと、ご両親が八百屋を営まれていて、お商売が順調。本業以外のこともされていてそれが大当たりで裕福だったはず。(自動販売機の導入。その頃は、自動販売機などなく、コカコーラが日本初の清涼飲料水の自動販売機を設置し出した頃。店頭に設置すると、飛ぶように売れたのだとか)億さんのお父上は商売の才覚があったと見受けられる。(これ以外にも成功した副業の事例がある)しかも、億さんは一人っ子の長男。可愛い、可愛いして育てられたようだ。(億さんの癖や生活態度を見ていると、そこはかとなく伺える)さぞや贅沢をさせたのではないかと思う。もちろん、商売人は金銭感覚が鋭いだろうし、そうした仕草は見て覚えたかもしれないが、億さん本人にそれを強いる理由はない。しかし、細かい。つまり「ケチ」だったようだ。大学時代からそうなのだから、生まれつきケチだったのだろう。「倹約家」と「ケチ」はニュアンスが違う。倹約家は、無駄なことに金は使わない。ケチは、無駄なことにも金は使うが、少額にするよう苦心する。という感じだろうか。別の知り合いに、億を持つ男がいるが、この人は、いかに先祖からの財産を減らさずに次に渡すかばかりを考えている。無駄なことには絶対に金を使わない。金を使うのが必要なときとはいつなのかを常に考えている。娘や息子にはマンションをポンと買い与える。しかし、相続税や贈与税の対策を最大限に取っている。税理士と綿密に打ち合わせをし、いつ、どういう形で、幾ら渡すのが最も節税になるのかを計算し尽くしている。必要とあらば、親類同士の養子縁組をしたり、持っているビルをいい時期に売却したり、新たに購入したりしている。そういう賢億さんとは違うのが、我が店の客人の億さんである。土地の売却益をどう処理したのかはわからないが、私はすぐに住居を購入したらいいと提案した。マンションでいい。新築に近い方がいいと思うが、手頃な物件を購入し、住みたくなければ賃貸に出せばいい。しかし、賃貸マンションに住んでいる。「不動産屋に相談したら、賃貸の方がいい言われたで」と言っていたが、一体どういう理由だったのだろう。賃貸と比べれば、現ナマではない資産として残る分譲マンションの方が有利に決まっている。相続がややこしくなるからだろうか。4年ほど前に、娘ほどの年の女性と結婚した。「娘に反対されたで、ママ」当然だろう。相続がややこしくなる。遺言や公正証書が必須だ。自分は100円ショップのものどもで生活し、億の金を残す……。億の男の深層心理は謎なのだが、今度、ゆっくり聞いてみようと思う。この人は多彩なエピソードを持っているので、ちょっとしたシリーズになると思う。次回をお楽しみに。
2024.01.23
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余剰金がある人にとっては、募金も義捐金もほとんど自分の生活に影響を与えない。しかし、日々の生活を切り詰めて、欲しいものも買わず、食べたいものも食べず、行きたいところにも行かない人、いや、買えない、食べられない、行けないという日本語が正しいだろう。そういう人に限って善人が多いので、自分の自由になる、わずかな金の中から募金をしようと考える。直接振り込めるような口座がある場合は、1000円以上でないと、格好悪いと考えるかもしれない。そうして億単位の募金や義捐金が集まる。よく考えないといけない。この金は、日本人が自分のために使ってよかった金なのだ。これを失ったためにどうなるか。消費が冷え込むのだ。いつも買っていたものを買わなくなる。コンビニのコーヒーや、晩酌のビールや、オフィスで食べていたお菓子を我慢する。これでは本末転倒なのだ。災害があったときには、国は経済を冷やさないように努めなければならない。復興に使う予算は大変な金額になる。これを経済の伸長によって得られる税金で賄うのが筋だ。ところが、募金や義捐金で何とかしようとすると、経済が冷え込む。災害によって暗くなった国民の心は、手元のお金の減少でさらに暗くなる。日本政府は本当にすかたんだ。東北の震災のときには「復興増税」などという、無謀な税を新設した。これを実行した財務官僚は、大出世の道を歩いたのだろう。今回はどうなるのか。能登地震は激甚災害に指定されたのだから、国はまず、補正予算を組んで素早い復旧を図り、すぐさま景気対策を打つ必要がある。経団連は消費税を19%に引き上げるよう政府に申し入れしたと聞いたが、こんな団体は早く消滅させなければならない。消費者のことを考えない企業経営者は撲滅に値する。しかし、与党の自民党はこのアホ団体から多額の政治献金を受けているので、いつも引きずられる。いま、自民党内部では、派閥の潰し合いが行われている。積極財政派が多い清和会が身動き取れなくなり、財務省とズブズブの宏池会が党内を牛耳る形になった。これは、財務省と岸田の画策だと見ている。財務省と岸田の関係は、最近よくなかったと聞いていた。が、清和会潰しについては利害が一致した。岸田は「恨」の人だ。どういう理由かは知らないが、安倍さんが嫌なのだろう。安倍さんが亡くなったと聞いたとき、気持ち悪いほどニヤニヤしていたという。東大を3回落ちて早稲田に行った、と言われているが、早稲田を2回落ちて3度目に早稲田に行った、が正解かもしれない。学歴についても世間に対する「恨」があるのかもしれない。どうでもいいが、一国の首相が、自分の小さな「恨」で1億以上の国民の生命や生活を左右するなど、狂気の沙汰というものだ。話を戻すが、いま必要なのは、経済を盛り上げることだ。募金や義捐金など必要ない。政府がどんと予算をつけ、景気刺激策を打ち出して国民に安心感を与えることで、人は金を使う。これなくして、復興などあるものか。訳のわからないNPOだとか、外国人だとかに湯水のように金を使い、公金チューチュースキームを拡大し続けている自治体や政府にとって、復興予算くらい何とでもなるだろう。天下りも禁止し、NPOも一旦廃止し、外国人労働者(ばかりではない。移民と言えるもの)についても見直すことで有効な金は生まれるだろう。政治家が利権に群がって己の私腹を肥やすことに躍起になっている現状では、先行きが暗い。地方自治体にも外国勢力に取り込まれ、ろくなことをしない。北海道、東京、静岡、愛知、大阪、沖縄……、尋常ではない。しかし、広島の一つの市の市長が奮闘している。本来の日本人のあるべき姿を示している。そういう地方自治体が増えれば、少しずつ変われるだろう。しかし、「目先だけ、自分だけ、金だけ」の政治家や経営者が増え過ぎてどうにもならない。とことん追い詰められないと、日本人は変われないのか。とことん追い詰められたときには、もう遅いと思うのだが。。
2024.01.12
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随分前から「煽り運転」が社会的問題になっている。煽り運転の挙句、高速道路上で車を停車させ、煽り男が被害者夫婦を降車させたところ、後続車によって夫婦とも轢死されたという悲惨な事故が引き金となった。刑罰が重くなったが、煽り運転は一向にやまない。車載カメラが普及したせいで、SNSなどで拡散され、一層増加傾向にあるのではないかと思われる(錯覚かもしれないが)。かく言う私も、よく煽り運転された。「した方じゃないの?」と言いたい方も多いかもしれないが、私は絶対に煽り運転はしない。ちんたら走る車を煽っていても、何のメリットもない。自分は自分の速度で走るために、速やかに追い抜くか、正当な方法で追い越すのみ。スピードは出すが、それは飽くまでも嫌いな「運転」から早く解放されたいからで、人の運転にうざ絡みしてまで、運転時間を伸ばす必要性を感じない。で、煽り運転してくる人間のこと。分析すると、3パターン。●スピードの出る外車に乗っているスピード狂スピードを愛するから外車に乗っているのかもしれない。そういう人は、昼間でもヘッドライトをつけている。私は速やかに追い越し車線をあける。ベンツとBMWのハイクラスはほとんどこういう人種。わかりやすいので、問題外。●イチビリVOXYやNOAHに乗ってる若い男に多い。家族を載せていても、煽る。とにかく早く走りたいのだと思う。よく走る車だから、気持ちもわかるのだが、車高もあるし、人も載せていいるのだから、少しはおとなしくしなさいよ、と思うが、この手の車が追いついてきたら、さっと車線を変えて譲る。何なら、すかさず後ろに入り直して、スピード運転の恩恵に浴する。(私の車は車高が極めて低かったので、ワンボックスカーの運転手には余り注視されなかった)●謎のおっさんルームミラーで確認するも、イケてない、ダサいおっさんがひたすら煽ってくる。しつこい。車線を譲るとおっさんも車線を変えて私の後ろへ。カメムシばりの屁でもこいてやりたいが、私の大切な車ちゃんはそんな下品なことはできないので、覚悟を決めて攻防する。常に私には勝算があった。相手は大した車じゃない。大抵プリウスクラス。プリウスなんぞに乗ってるおっさんは、道のことや、その時間帯に走っている車のことを知らない。私は、一時期(15年以上)電車にほとんど乗らず、車ばかりで移動していた。仕事柄(かさばる納品があったり、得意先が電車で行きにくい場所にあったり、持参荷物の多い取材の仕事が多かったりなど)致し方なかったということなのだが、「頭にマップルが入っているのか」と言われるほど道には詳しかったし、各道路の状況を把握していた。サンドラ(サンデードライバー)のダサいおっさんに負けるわけがない。かくして、トラックの間をすり抜けたり、信号のタイミングを利用したりして、常に勝利していた。(トラックの運転手は煽られている私に気づくと、煽りオヤジ阻止に協力してくれた。と思う)が、煽られている間のイライラや、面倒臭い感じは、いま思い出しても嫌になる。好男子が煽ってきたのなら、違う方法でやり返せたかもしれないが、粘着型の煽り運転手は、キモい、ダサい、イケてないおっさんだから閉口する。いまでは、仕事で車に乗ることがほとんどないので、高速道路の進入路を気にすることもなく(白バイや覆パトが入ってくる)、オービスを気にすることもなく、のんびり運転できる。と言いながら、アクセルペダルに足を置くと、自然と「いったれー」という気持ちになるが。のんびり運転していると、それはそれで煽りに巻き込まれるのだが。高速なら、左車線で他の車に合わせて走っていれば、大ごとにはならない。逆の立場に立ってみてわかった(余り車に乗らなくなり、SNSで拡散される映像を見るだけの傍観者になってという意味)。●煽り運転をする人間は、知能レベルが低い。車載カメラを搭載している車がこれほど増えているのに、証拠を取られていると認識できない。煽り運転が厳罰化(場合によってだが)され、刑期が伸びたのに、意に返さない。煽った側が事故を起こすパターンも多いということが理解できない。煽りが「かっこいい」と思っている。……日本人ですか?気の小さな日本人はやらないでしょう。やるメリットも全くないし。「人格破綻者」としか言いようがない。結論です。
2023.12.18
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このところ(ここ半年)、おなかが冷えるようになった。以前なら、冷たい飲み物がおなかに入ってきたら、燃焼系と化して、冷えを防いでいたのに…。ただし、3年ほど前から、冷房の効いた部屋でカップのアイスを食べると、その後下すようになっていた。バーのアイスなら大丈夫(何の確認? 言い訳?)。愛飲しているのは、タンブラー(無印良品の)にたっぷりの氷を入れ、並々と注ぐスタイルのワイン。※汚れていたらすみません^^;部屋が暗いので、確認不足。。食べ物と一緒に飲むのが常だが、食べ物が冷たいとか、スナックなどの温度がないものだと、おなかが冷えるようになった。タンブラーワインを愛飲し出したのは15年以上前なので、ここ半年の変化は、私にとって大変ショッキングなことだった。仕方ない。27cmも腸を切ったのだから、発熱効率が下がるのは必然だろう。冷房の効いた部屋でタンブラーワインを飲んでいて気づいた。9月の出来事だった。(冷えた腸に起こる悲惨な出来事はここでは記述しない。必要ならリクエストを。別ブログで詳細を記載する)それから、気をつけていた。一緒に食べるものを熱いものにしたり、横に熱いお茶を置いておいて、タンブラーワインと交互に飲むようにしたり。実においしくないし、酔えない。味がおいしくないわけではないが、神経を使うと、そちらに気が削がれて飲酒を楽しむことができない。自然と酒量が減る。それはそれでいいのだが、楽しさは半減する。10月、急に寒さがやってきたときは、温かい飲み物を模索した。よい酒は置いておいて、安い酒を温めると、途端によくないアルコールの匂いがする。お湯割、レンチン、お茶割り…。家にある酒はワイン以外、頂き物ばかりで、いい酒かどうか定かではないが、飲めたものではなかった。昔のように、何も気にせずに飲める手立てはないものかと考えた。11月、また急に寒くなった時に思いついた。通常はシャワーで済ませていた入浴だが、シーツを秋物に交換するタイミングで風呂に湯を溜めた。残り湯を洗濯に使おうという貧乏人の算段だが、このときに、「湯に浸かりながらなら、腹が冷えないのではないか」と、風呂場に缶ビールを持ち込んだ。大正解!気分よく飲める!腹は温かいまま。が、が、風呂の換気口が廊下に向いていた!うちは、エレベーターのすぐ横の部屋で、同じ階の皆さんは、うちの前の廊下を通って自分たちのおうちに向かう。風呂場の物音は、廊下に筒抜けになる。歌が歌えない!!!くそぉーーー。ストレスや酔いを発散するには歌が一番なのに!静かに飲んでいたら、酔いが回ってきたので(もちろん、入浴前に下地が出来ていた)、早々に入浴タイムを切り上げた。難しいなぁ。おなかを冷やさずにタンブラーワインを飲む方法を考えねば。「腹巻」などというアドバイスは不要。腹巻が誰に有効なのかわからないが、私は原始人なので、寝るときの靴下、手袋、腹巻といった防寒具は、逆効果になることが実証されている。必要なら、別のブログで解説するが、小手先の邪道が通じる体ではないのだ。腸って、伸びるのか?頑張って、いっぱい食べたりすると、元どおりになろうという力が働くのだろうか。胃は多少伸びるらしいが、腸に関しては……聞いたことがないなぁ。とりあえず、タンブラーワインを飲みながら、このブログをアップすることにする。
2023.12.14
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自民党の裏金疑惑からの、安倍派閣僚大量更迭からの、岸田政権はいずこへ〜が話題になっている。「安倍派」と連呼するマスコミも、あっち系言論人も、宏池会も、亡き安倍元首相に何もかもを押し付けて幕引きを図ろうとしている。という構図に見えるが、そう甘い話ではないと私は思う。東京地検特捜部が動いている。かなり力を入れているのがわかる。時間もかけているし、事情聴取している人間の数も多い。逮捕者が出ると言われている。ロッキード事件再来かと思わせる。いや、今回は疑獄事件というほどの話ではないが、米国との関わりの中で起きているということだ。首相を退任した安倍さんが、パーティー収益に関する現金授受の実態を知って「現金はダメだ。振り込みにするように」と指示したと、元NHK記者が証言しているが、ビジネスの世界で現金授受などあり得ない。たまさかそうせざるを得ないときは、領収証、収入印紙、実印を用意し、現金を受け取ったその足で銀行に入金に行くなど面倒な作業を余儀なくされる。後に待ち受けている税務調査の時にいかなる追及にも返答できるようにだ。安倍さんの指示は至極まともだが、それを良しとしないのが政界だろう。裏金は必要不可欠なのだ。「利権」を得るために、裏金が活用される。出す方、受ける方、共に帳簿には載せない金。公認を得るため(政党支部や地方議員を動かすため)に主に裏金が使われるが、国会議員になれば、たちまちにして「利権」構造の中核に君臨できる。業界団体を従え、家族企業に恩恵を与え、献金や事業利益を欲しいままにできる。似たような構造で、せっせと自分の懐を肥やすために働くのが官僚。政治家をだまくらかし、洗脳し、官僚の思う方向で法律を作らせる。法律を作れば、それに準ずる組織を幾つもこしらえて、出向先、天下り先を増やすことができる。そして、政府はその組織に補助金をつける。関連する業界団体は、補助金、助成金の恩恵に与る。政治家はそれに乗っかって、関連する業界団体から献金を受けたり、パーティー券を買ってもらったりする。気をつけなければいけないのは、その原資は全て「税金」ということだ。政治家も、官僚も、関係機関も、関係団体も、税金の紐にぶら下がっていて、その頂点には「財務省」がいる。国民が幾ら税金を払っても、払っても、「増税」「増税」言う財務省は、この構図を広げたいと思っても、縮小する気など全くないのだ。政治家たちが関心のあるのは、利権絡みの政策だけ。「移民」「再生可能エネルギー」「インベスト岸田」誰に利益をもたらすか考えればすぐに構造がわかる。(経団連〜中国〜議連の議員、米国)絶望的に手遅れな感じがする。「自民党なんて、ぶっ壊れてしまえ!」言うは易し。が、外交、国防、経済だけは、他の政党に任せてられない。とはいえ、今の自民党にこの三つを託せる政治家も見つからない。どん詰まり日本。
2023.12.14
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怖い主治医「風邪引いてる?」私「いえ…。風邪は引いてませんが…。どの数値が…」怖「CRPが上がってるね。白血球もすこしね」私「……」怖「心あたりある?」私「いま現在はないんですが、たまに謎の発熱があります」怖「どれくらいの?」私「7度5分から8度くらいです」怖「悩ましいところやね。どうしてるの?」私「寝ます。飲み食いやめて寝てたら、丸一日か、長くて1日半で回復します」怖「そういうことやね」先ごろの診察のときの、怖い主治医との会話。私の心の声の解説を入れます。怖「風邪引いてる?」(唐突やなぁ。何を見てそう思ったのか…。鼻声になってる?)私「いえ…。風邪は引いてませんが…。どの数値が…」プリントアウトした血液検査の結果票に小さな丸をつけながら、言葉を続ける怖い主治医。怖「CRPが上がってるね。白血球も少しね」私「……」怖「心あたりある?」(来たか。体調不良のことを言うか言おまいか…。とりあえず…)私「いま現在(重複しとるがな)はないんですが、たまに謎の発熱があります」怖「どれくらいの?」(いつの話をしよう。平均的な数字を言うか)私「7度5分から8度くらいです」怖「悩ましいところやね。どうしてるの?」(『悩ましい』の誤用はやめよ。私はモンローではない)私「寝ます。飲み食いやめて寝てたら、丸一日か、長くて1日半で回復します」怖「そういうことやね」(どういうこと?)会話終了。(再発は? 転移は? 新たな病巣の発現は? 熱の意味は? わからんーーー)これでいいのでしょうか。退院後、CRPが上がったのは初めてです。実は、11月に入って、左肋骨下の激しい痛みに見舞われました。2度目は、痛みの余り気絶しました。1時間後に目を覚ましたときは、激しい痛みはなくなっていましたが、胃腸の働きが激しく悪いことが自覚できたので、その後3日間絶飲食しました(少量の水のみ摂取)。そしてその後も20日間近く断酒し、食べ物にも注意しました。1度目のときは2度目ほど痛くなかったのですが、肺か心臓への圧迫を感じるというこれまでにない症状があったので、次の診察で何か出るかも、という恐怖心はありました。結果として、CRPとWBC(ボクシングのタイトルみたいだけれど、白血球)に若干現れました。が、「そういうこと」で済ませることにします。大したことではないのでしょう。そう思えば、大したことはないと思えます。現に、現在苦しい、痛い、下痢が止まらないといったような症状は全くありません。そうやって、5年間を過ごせればよいのですが。。5年間なんて、あっと言う間ですが、私にとってはそうではないかもしれません。んなことをいいつつ、怖い変態主治医との会話を思い出して、ちょっとウケていたり、怖い主治医が血液検査票につけた小さな丸を見詰めながら「気ぃ小さい人やねんなぁ」と、微笑ましく感じる昼下がりであります。(嘘つけ! 罵倒の言葉が出かかっとるがな!)
2023.12.13
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「肉を食べると長生きする」「1日1万歩でガンにならない」「ポジティブ思考で病気撃退」どれも正しくて、どれも間違いだと思う。「肉を食べると長生きする」これは皆さんがよく言う「年取っても肉を食べられる人が長生きする」が正しいように思う。肉、とりわけ牛肉を食べるとパワーが出る。翌朝の元気さが違う。肉をたくさん食べると確実に実感できることだ。が、私のような人間は、毎日牛肉を食べたいと思わないし、食べると確実に消化器を壊す。「100歳になっても、毎日ステーキを150g食べている」なんておじいさんの話をニュースで紹介されることがある。50歳を超えた日本人の半分は胸焼けするのではないだろうか。自分の倍生きた人が、今の自分でも無理なことをしている。この事実は、100歳生存を可能にする奇跡なのだ。「1日1万歩でガンにならない」海外(欧州)の追跡調査で明らかになった事実。『ウォーキングの歩数に関する実験。対象:8万人、追跡調査期間:6年間毎日1万歩歩く人は、5千歩しか歩かない人より20%ガンの発症リスクが下がった』というものがある。一方、『ウォーキングの最適歩数は8千歩』という実験結果も発表されている。1万歩も歩くと疲れから免疫力が低下して病気に罹患しやすくなったり、(足首や膝など)身体の故障を招き、場合によっては歩行能力が下がり、寝たきりにもなるというもの。どちらかというと、後者の方が正しいと思う。私も退院以来、できるだけ歩くようにしているが、1万歩も歩くと結構疲れる。1万歩以上歩いたのは多分、この半年で1回しかない。それも、意図的に歩いたのではなく、自転車の使えないとき(雨)に出かけて(友人との会食)、あちこち歩き回ったということ。ウォーキングは大抵6千歩程度にしている。私はインナーマッスルも強いし、下腿の筋肉も豊富にあるが、1万歩は疲れる。普通の女性なら、4千歩でもいいと思う。前に戻って、ガンの話だが、ガンに罹患した患者の多くは筋肉量が足りないことがわかっている。再発をしたガン患者についても同様だ。ガン細胞が筋肉組織を破壊するのか(ガンによるエネルギーの消費が筋肉の消費を導くとも)、筋肉量が足りないからガンが成長するのかははっきりしないらしいが、ガン患者が細くて筋肉が少ないのは間違いない。(私はこれに当たらなかったが、退院したときの筋肉量の減少具合には驚いた。ウォーキングや日常生活で以前には及ばないまでも、ある程度取り戻すことができている。しかし、今度「握力が落ちた」「歩幅が短くなった」と気づいたら、再発に違いないと覚悟している)というわけで、筋肉量が少ないゆえに5千歩しか歩けない人だから、1万歩歩く人よりガンに罹患する確率が高くなった、というのが私の見解だ。1万歩歩いたからガンにならなかったというのは、因果関係に不足があるように思う。肉を食べると長生き〜と同じ理論だ。「ポジティブ思考で病気撃退」これはそうだと思う。学術的なファクトを持ち合わせていないので、あくまでもイメージだが。物事をポジティブに捉えられる人はいつも元気なように思う。いつも笑顔で声が大きく、活動的な人には、不運や病気が寄り付かないだろう。しかし、そうでない人が「ポジティブ思考に変える」ことができるだろうか。いつも心配性で、ネガティブで、運動も余りせず、インドア派で、陰に籠るタイプの人がいきなり「ポジティブシンキング」ができるわけがない。できないことを「しよう」という無理なことを言っても意味がない。つまり、意味のない示唆をもってして、医療や生活の場に踏み入ってきて、誰の役にも立たない言説を振りまいているということになる。この手の話が日本には多い。日本人というのは、イメージや思い込みが通じる民族だからだろうか。人に騙されやすく、有名人の言質を信じやすく、テレビに支配されている民族……そういうことだろう。私は昔から人の言うことを余り信じない人間だ。しかし、自分がつくった人のイメージにハマりやすい弱点を持っている。これは、少女漫画のせいだと確信している。我々の世代が昔(小学生〜中学生)読んだ少女漫画は美しい世界だった。汚い大人は汚く描かれていたし、美しい心の男女は美しく描かれていた。つまり、表面の条件を見て、少女漫画の世界と置き換える癖があるのだ。教師は聖職。政治家は偉大。医者は清廉潔白。癖が抜けない。恐ろしい現実を見ても、根底にはこうした昔ながらの日本の伝統的思考がある。変えなければならない。来年から、心を入れ替えよう。医者とて、ゲスい趣味を持っていてもいいではないか。金の亡者でも仕方ない。それが人間なのだから。それでも、医者なのだから。なんのこっちゃ。。
2023.12.08
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……書こうか、書くまいか……悩みに悩みました。でも、書きます。衝撃的過ぎるので、記憶に固定化するのをためらいましたが、これも一つの経験というか、勉強です(?)。12月の最初の日、怖い主治医(「怖い」の所以は、6〜8月にアップしているブログでご確認を)の診察が入っていました。「定期」と言えるほど定期化していませんが、前回からおよそ3ヵ月ぶりの診察です。遡ること20日間ほど飲酒をしていません。11月半ば、劇的な体調不良に見舞われたのですが、原因不明なため、とりあえず飲食を全て断ち、様子を見ながら流動食から再開するという、私の人生にありがちな(15年ほど前から事あるごとに実行)自己流ファスティングを契機に診察までの間、酒をとりあえず抜きました。血液検査をして待合室で待つこと1時間半。ようやく名前を呼ばれたので診察室に。(予約しているにもかかわらずの長時間待ちと、再発の危険のある人間に対して血液検査だけでいいの?という不満と不安は抑えて)私「失礼します」と言いつつ丸椅子に腰掛けた私の顔を見るなり、怖い主治医「痩せた?」ちょっとの間会わなかった友達に言う言葉でっせ、それ。気軽すぎる。医師が患者に言うトーンかいな。私「いえ、少し太りました」怖い主治医、前回と前々回の疲れた表情とは違い、とても元気な様子。怖「体重は?」私「49kgです」主治医は「思いどおり」「順調」といった表情。49kgは嘘です。いつも多めに申告しています。怖いから。順調に体重が増えてないと、表情が冷たくなるのです。怖「ちょこちょこ(LとH)あるけど、問題ないですね」プリントアウトしてくれていた用紙を見ながらの言葉。断酒の効果か、血液検査は問題ないという評価。(ここでの会話は割愛。結構話しましたが)怖「次は3月やね。この日、大丈夫? 時間は?」私「きょうと同じ感じで大丈夫です」毎回この会話。私は一番遅い診察時間を予約します。昼営業と夜営業の間に来られるように。実は、昼営業を終わって来ていては、間に合いません。早く切り上げる必要があるのですが、金曜日は「決戦の日」という、はずせないイベント日なので休むわけにもいかず、さりとて主治医は金曜日しか外来に出ないので、これしか方法がありません。怖「2時半で大丈夫?」私「先生のご都合が悪ければ、変更しますが」怖「いや、あなたが優先です」(いつも、これしかないと言うとるがな!)私「では、この時間でお願いします」怖「この時間は、仕事を終えて?」私「昼と夜の営業の合間です」怖「この後、仕事に戻られる?」私「はい」怖「失礼しました」な、なんで失礼したの?別に、失礼されてないけど。次回予約の話になると、毎回これ(覚えといてくれと言いたい)。怖「次は血液検査だけやけど、5月にはCT撮りますよ」私「1年ですね」怖「そういうこと」私「CTは造影剤の?」怖「あ、あなた造影剤あかんかったかな?」(入院してすぐにやっとるがな。今更なんの情報を思い出したんや!アルコール(消毒)も、アレルギー(薬剤)も、食物アレルギーも何もない前世代的人間の私に、注意点などあるかいな!)私「いえ、問題ないです」と言いつつ、私は視線を右上に移したまま固まりました。怖「なに? なんか問題?」私「いえ、以前の検査の時、服装とかどうしたかなと思って」多分、入院直後にそのままの服装で検査室に行ったと思うけれど、検査時に着替えたかどうかを思い出せない。怖「別に、%&★△♯◯=$みたいなの着けてなかったら、大丈夫よ」私「?!?!?!?!?!」『%&★△♯◯=$』の意味がわからなくてパニック!英単語の意味からすると、下着のことを指しているのはわかるし、それは一般的な用語ではないことが理解できます。一般的な、というのは、私のような平凡な女が着用する代物ではないということ。私「いや、そんな特別な……普通のゆるゆるな…」焦って、言葉になりません。怖い主治医はニヤッと笑った感じがしました。マスクに隠れた口元の詳細は分かりませんが、どう考えても「ニヤッ」です。怖い!!!この後も、体調不良の話などをしましたし、覚えていますが、『%&★△♯◯=$』もですが、「ニヤッ」が衝撃過ぎて、もうどうでもいい。勤務先の店に到着して、早速『%&★△♯◯=$』を調べました。補正下着のようですが、女性目線の補正というより、男性目線の補正のような…。夜営業のときに来店された自称「天満のエロ男爵」こと「ヘルシンキの君」にこのことを話しました。エ「%&★△♯◯=$って、何よ。この俺でも知らんで」私「私も知らんかった。調べたけど、女性でも知らん種類の下着やと思う」エ「そういう癖(へき)があるんとちゃうか? その医者」私「癖? 奥さんに着させるとか?」エ「愛人やろ。奥さんにはさせへんで。医者は変態多いからなぁ」私「自分で着てたりして」エ「変な男増えてるでぇ。ブラジャーしたり、フリルのパンツ履いたり」私「清廉潔白とは言わんけど、真面目な人格者と思ってたのに……」エ「俺でも知らんような、マニアックな下着の名前知ってるねんで、真面目なわけないやろ」医師、外科医、執刀医、外科部長(?)…いかなる立場であっても、職業柄ということで知り得る情報ではない…ような気がします。とすれば、個人的な情報収集力の賜物ということに……。……ショック、というか衝撃的過ぎて、ずぅんと落ち込みました。いや、『%&★△♯◯=$』という単語を発した怖い主治医の闇にも衝撃を受けましたが、私に対して発したということの方が衝撃的でした。私が『%&★△♯◯=$』を着けるような人間だと思ったのでしょうか。それとも、世間知らずのババアを困らせてやれ、とおちょくったのでしょうか。長い人生を生きてきたし、一般人が考える恐ろしいことの大概を経験している私にとっても、このような衝撃はそうそうないことだし、生涯忘れ得ぬ事件になりました。怖い主治医と個人的な話をする関係になることはないと思うので、この続きや後日談は書くことができないと思いますが、とりあえず、今年最後の衝撃的事件をお伝えしました。あー、世間の闇は深い。3月の診察の時には、事前に作戦を練ろう。怖い主治医の本性、まではいかぬとも、闇を少しでも暴く試みを…。待てよ、それまで生きていられるのか?とりあえず、禁酒を解こう。飲まんとやってられん。話はそれからだ。
2023.12.02
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およそ3ヵ月ぶりに髪を切りに行った。もっとマメに行きたいところだが、結構お高いサロンだし、店の近くなのでいまの営業状態だと、休日に行くしかない。で、新嘗祭の日に予約した。久々に顔を合わせたオーナーが「えー、随分イメージが変わりましたね」開口一番、そう言った。私は???だった。全く変わったつもりはなかった。チェアに腰掛けると、矢継ぎ早に聞かれた。「体重増えました?」「化粧、変えました?」「生活が変わったのかなぁ」「ブイブイいわしてるんじゃないですか?」どの言葉にも、無反応にならざるを得なかった。体重は前回より1kgほど増えたが、顔や体型に出るほどの変化はないように思う。化粧…ほぼスッピンだし。生活は全く変わっていない。未だに昼の営業ができていないし、夜も以前どおり週に2〜3日の営業にとどまっている。ブイブイ……なわけない。しかし、オーナーの声色も、質問の内容も、私の顔色や何かがポジティブに変化したことを意味していることは理解できた。私「何か、雰囲気変?」オ「空気が違いますよ。前回の時と」私「明るい? 元気な感じ?」オ「いやー、何ていうのか、全然違います」私「病気する以前に戻った感じ?」オ「いや、もっとパァっと明るい感じ」「……」全く思い当たらない。生活は、退院以来ほとんど変わらないし、体調もさほどよくない。来週にはいよいよ怖い主治医の診察が迫ってきているので、心もどんよりしている。もし、これかな、と思うことがあるとしたら、10日ほど飲酒していないことか。来週の診察に向けて、万全を期しているのだ。というより、体調が劇的に悪くなったのを立て直すために酒を抜いたのがきっかけで、このまま診察まで抜いてしまおうというわけだ。入院した時も、10日ほどしか抜かなかった。診察まで抜いたとしたら、20日近くになる。これで何かが引っかかったら、再発か、新たに病巣ができたかしかないだろう。即入院、ということにならない限り、診察後にはすぐに飲める。診察当日には時間的に無理だが、翌日には行きつけのとんかつ屋でおいしいとんかつをビールとともに食し、ぷふぁーっとやろうと画策している。それをモチベーションに、日々、麦茶でしのいでいる。酒を抜いたとて、「寝覚めがよい」「体調がよい」「食欲がわく」などといったよいことなど全くない。私の飲み方は、寝覚めが悪くなったり、体調を崩したりするような刹那的な飲み方ではなく、大抵同じくらいの量(日あたり)を同じようなペースで飲む。いわゆるオヤジ飲みだから、酒で体に影響を与えるようなことはない。が、顔色や、髪のツヤなどに変化があるかもしれない。美容に疎いので、自分では気づかないが、いろんな女性を毎日見ているオーナーには、私の変化がわかったのかもしれない。それにしても、パァっと明るくなったとはどういうことか、理解できない。憑き物が落ちたか。病のオーラが晴れてきたのか。いずれにしても、よいことのように思う。髪型を少し変えてもらった。気分が少し上がった。余り寒くなかったので、3000歩ほどの道のりをいそいそと歩いて帰った。ただ、「ブイブイいわせる」ほどの元気は生涯出そうにない。オ「そうですか? オヤジたちにモテるでしょう?ブイブイいわしましょうよ」そ、そうですか。。ブイブイねぇ。来週の診察で、全く問題なかったら考えることにしよう。そんなことを言いながら、実は、入院を覚悟して、パジャマを幾つか購入している気の弱い私なのだ。
2023.11.24
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2023.11.11. 17:48梅田ヨドバシカメラの対面・JR側に到着。既に有本さんの声がする。少し話されて、河村名古屋市長にバトンタッチ。ほどなくして消防車のサイレン、救急車のサイレン。ちょっと演説を中断してから再開。いつもの名古屋弁(三河弁?)に飽きる前に百田氏にバトンタッチ。すると、連続して消防車、救急車が現場前に到着。赤色灯を点灯したままJR側に停車。群衆から、「嫌がらせか!」「どけろや」の声。が、皆静かに動静を見守る。消防隊員が「通報された方いらっしゃいますか?」隊員に近い方は事情を聞いておられる様子。20台以上の消防車と救急車が停車する中、百田氏が演説を再開。ほどなくして、パトカーが次々に到着。街宣責任者を通じて中止要請。百田氏がどうしても、と1〜2分喋り、終了。警察から、「ゆっくりこの場を離れるように」と言われ、人々は帰途に。※百田氏のXよりこれが、昨日の日本保守党大阪街宣活動の顛末。その後のYouTubeライブで、百田、有本両氏が「警察で、将棋倒しになったというような通報があったのではと言われた」とおっしゃっておられた。どんな規模の将棋倒しなのだ。だとしても、これだけの消防車と救急車が駆けつけるということは、大変多数の通報が入っていると考えられる。以前、住んでいたマンションの下階から女性の悲鳴のような声が聞こえ、結構継続していたので、警察に「DVの疑いあり」と通報したことがあった。駆けつけた警察は「多数の通報があった」と言い、3班ほどの警察官が集結した。結果、電話での喧嘩だったというオチだが、通報が多いと、集まる警察官も一人や二人ではないということだ。これは、消防に入電記録を開示してもらわねばならない。夕刊フジか産経新聞にでも頑張ってもらおう。警察の中止要請が正しかったかも検証する必要がある。地上で演説を聞いていた人たちに問題や混乱はなかった。後のYouTubeライブでは、JR〜阪急の歩道橋が通行できなくなっていたと知ったが、それは、そこを解除するように誘導、警備すればいい。何の混乱もしていない人々を無理やり散会させる権限が警察にあるのか。道路使用許可を事前に取得していたにもかかわらずだ。警察も消防も府の組織なので「維新の嫌がらせだ」と断じる人もX上やYouTubeのコメント欄で散見されたが、そう思っても仕方ないほど未曾有の消防車襲来だった。大阪市内北部の消防車や救急車が集結したのではないかと思うほどの台数で、事件や事故もないのに撤退しない様子や、すかさず警察が中止命令を出すのは、何かあると疑ってもおかしくない。名古屋や東京では、何の問題もなく街宣活動ができたのに、大阪はこの体たらく。情けない。誰がやったのか、明らかにしなければ、日本保守党の大阪街宣は今後実現しないかもしれない。警察も圧力をかけるうってつけの事案になった。これでは市民、府民も集まりにくい。あっち系の人々は本当にうざい。人に迷惑をかけることや、社会を混乱させることを厭わない。もしこれが反対の立場だったら(あり得ないが)、現場は、それこそ罵声が飛び交う大混乱の極地になっただろう。飯山陽氏が保守党の結党パーティーのことを「あっち系の、独特のやさぐれ感を醸す人が全くいなかった」と言ったのには笑ったが、本当に昨日の群衆も普通の人々だった。身なりもきっちりし、変な髪の色や崩れた服装の人は一人も見なかった。20〜30代の人は1〜2割だったように思うが、共産党のような年寄りの集まりではなかった。皆、おとなしく、静かに、時に笑い、時に拍手して演説を聞いていた。ヤジも、変な音楽も、帰れコールもなかった。しかし、中止命令が出てしまった。マジョリティの静かさに付け込まれたあっち系の暴挙と見て間違いないのではないか。マジョリティが目覚めなければならないが、発信力のあるマスコミがみんなあっち系なので、ローカルコミュニティを幾つか立ち上げて、地道に発信するしかないのか。今は、百田氏、有本氏が発信の中心だが、もっともっと必要だし、プラットホームも拡大しないと。スカタン岸田を引きずり下ろしたところで次の政権は……と考えると絶望的になっていた人々が、さらに絶望的になった出来事だった。
2023.11.12
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私は平気で「ブス」と言う。もちろん、いい大人になってからである。子供の頃は一切言わなかった。多分、40後半になってからだと記憶している。といっても、ごく親しい人との会話の時に限定している。なぜか?女性や、結構上品な人からは注意を受けるから。ではない。そんな注意をする人には、「ブス」の意味がわからないのだと理解し、言わないようにしている。(言われる前に自制しているということ)子供の頃や若い頃に言わなかったのに、今、あえて言う意味は、「心が汚い」「心が貧しい」「心が卑しい」「いじわる」「せこい」「卑屈」などといった、貧困な心根が顔に出ている人を「ブス」と思っているし、年を経てそれがわかるようになったからである。30年近く社長を務め、10年もの間飲食店を営んでいる(ダブっています。もちろん)と、それはそれは多くの人と出会い、付き合い、会話を交わし、信頼関係や利害関係を構築し、時に裏切られ、陥れられ、ひどい目に遭わされてきた。こちらは真面目に、バカがつくほど正直に商売をしてきたので、そういう人(ブス)は自然と見分けがつくようになった。そして、そういう人は共通の顔相を持っていることがわかった。自分勝手で、人のことを顧みない、自分第一という傲慢さが顔に出ている。幾ら造作が美しくても、こういう醜悪な顔相を持っていればそれは「ブス」である。このことを理解している人は私が「ブス」といった人の何がブスなのかを瞬時に解してくれる。やはり、年齢も同じくらいの人ばかりだ。百田直樹氏が以前おっしゃった。百田氏は「ブサイク」という言葉を使って人を揶揄する。傍の有本香氏が「やめなさい」と注意する。有本氏は、造作のことを言っているのだと誤解している。百田氏はすかさず「人間、40年も生きたら、生き方が顔に出るんや。生き方が悪いから、ブサイクになるんや」と返す。私と同じ理屈だ。有本氏もわかってはいるが、ネットという公の場で言う言葉ではない(我々世代は、外見のことをとやかく言うことには極端に否定的な教育を受けた)という常識がまず最初に来るのだろう。百田氏は「ブサイク」と言ってはばからない。それは百田氏がブサイクではないからだ。ブサイクになるような生き方はしてこなかったという自負があるからだ。私も、人を指して「ブス」と言ってはばからない。それは、ブスな生き方はしてこなかったという自信があるからだ。……だ、だが、造作的なブスであることは否めないので、百田氏のような万人に向かって言葉を吐くほどの自信はないが。今の日本、ブスやブサイクが街に溢れかえっている。己のことのみ、権利、権利、また権利。義務も奉仕も献身もあったもんじゃない。そりゃそうだ。政治家も、官僚も、マスコミも、皆ブサイクとブスの集合体になっている。私はもう5年以上テレビを観ていない。出演しているコメンテーターやタレントの多くがブサイクとブスばかりだからだ。観ると決まって暗い気持ちになる。私が「ブス」と思う人がいなくなってほしい。気持ちのいい世の中をつくるにはどうしたらいいのか。教育からか……30年後になってしまう。私がこの世にいる間には……絶望的だ。。
2023.11.04
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少し前、8歳(いまは12歳)の天才バイオリニストの話を書き、同い年のときの私は、他人のレンゲ畑に踏み入って、花の蜜をチューチューしていたと暴露した。哀しいなぁ…と思いながら、小学2年生のときのことを思い返してみた。一つ、自慢させてほしいエピソードがあった。こたつを修理した話を恥ずかしながら披瀝した。そして…、もう一つあった!残念ながら、前のエピソードより哀しい話だが、懸命に生きていた幼き清貧一家の次女の記録として書き記しておきたい(大袈裟)。8歳当時は、父の勤務する会社の社宅に住んでいた。薄給なことはどの家庭も同じだが、入社時期や役職のせいで給与や立場に多少の優劣があった。その中で、我が家は最低ランクだった。新参者の上、お嬢様体質の母が周辺とうまく付き合えないので、社宅内のさまざまな動きについていけず、右往左往していた。その一つが「内職」。役職付きの奥様や、乳飲み児がいて時間がない若妻を除き、皆が内職をすることになっていた。しかし、母は尋常ではないほど不器用だし、根気がない。内職に全く向かない生態なのだ。が、「付き合い」がある。内職屋のおっさんは、否応なく商材を母にも押し付けて帰る。一週間に一度、出来上がりを確認するためと、商材の追加のためにおっさんがやってくる。母の割り当ては全く進んでいない。ところが、一階の東端の薮下さんは、すっかり出来上がっていて、追加を要請している。結果、薮下さんはいつも1万円前後の稼ぎに達する。ほかの奥さんも、5千円以上稼ぐ。母は…、2〜3千円がいいところか。それも、必死のパッチである。内職屋のおっさんは、「奥さん、もうちょっとたくさんできませんか?」といつも言っていた。あるとき私が、「お母ちゃん、私がするからもっと持ってきてもろて」と言った。「ほんまか?」とすっかり安心して、おっさんに「いつもより多めに」と言った。おっさんは訝しながら、「それなら」といつもの1.5倍の量の商材を置いて言った。母の作業を見ていて、その効率の悪さにイライラし、「私なら倍できる」と思っていた。私は作業に取り掛かった。部屋の片隅に内職の陣地を作り、効率よく作業が進む配置に商材を置いて無心に作業をする。※グリコのおまけたち(グリコのサイトより)グリコのおまけを作ることも多かったが、女の子用のビーズなどをパッケージする作業があり、端数の商材をおっさんがくれるので、私にとってとてもありがたい内職だった。私の作業時間は、学校から帰ってくる2時過ぎから食事前の4時過ぎまでと、食事後、布団を敷く前のほんのわずかな時間。日曜日はもう少し励んだ。薮下さんは、上二人は小学生で、末っ子は幼児だったが、専業主婦だったので、私より作業時間があったように思う。一週間たってやってきたおっさんに全て仕上がった商材を渡すと鳩豆の顔をして、追加の商材を置いて行った。1ヵ月後、結果、薮下さんはいつもどおり1万円。うちは、1万5千円以上だった。薮下さんがびっくりして、「どうしはったん? 奥さん」と聞いてきた。母はしらぁっと「うち、娘が二人いてますので」と言っている。不良の姉が手伝うわけない。母に至っては、私に全てを任せ、テレビを観たり、昼寝をしたり、週刊誌を読んだりしてのんびり過ごしていた。内職屋のおっさんは、「これから、配送を倍にしますわ。頑張っておくれやす」と言った。清貧一家の次女の内職生活は、その後、一年以上続くのだった。もちろん、小遣いの増額も、礼も何もない。アホの兄も、あさっての母も、不良の姉も当たり前のような顔をして、1万5千円の恩恵に浴している。自慢にならない…か。哀しさ募るエピソードである。※その頃の親父の給料は10万円あったかなかったという記憶。どこかに給与明細(年金の支払い実績)があったので、判明したら追記したい。
2023.10.12
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前回、8歳(いまは12歳)の天才バイオリニストの話を書き、同い年のときの私は、他人のレンゲ畑に踏み入って、花の蜜をチューチューしていたと暴露した。哀しいなぁ…と思いながら、小学2年生のときのことを思い返してみた。あった!私にも、少々自慢させてほしい話が。寒い日の夕刻。19時を少し回ったくらいだっただろうか。こたつの温もりが消えた!安普請の隙間風ピープーの社宅の我が家にある唯一の暖房器具のこたつが壊れた!母が匂いを嫌うので、石油ストーブがなく、そのころは、電気ストーブやファンヒーターがあったかなかったかわからないが、一般的な暖房器具ではなかったので、清貧一家に暖房器具として存在していたのはこたつのみだった。アホの兄は「すぐに買(こ)うてこい!」と貧乏人にあるまじきことをのたまい、母は「もう店開いてない」とあさってのことを言う。たとえ店が開いていたとて、買う金がないではないか。私は早速修理に取りかかった。兄も母も、いつも父に注意されているにもかかわらず、コネクタを持たず、コードを引っ張ってコンセントからコネクタを抜くクセがある。きっと、コネクタ内の銅線が切れているのだろうと踏んだ。※昔のこたつコードはこんな形状。いまと違って修理可能だった。ドライバーを持ってきて、コネクタを開ける。!!!銅線は切れていない。これは厄介なことになった。コネクタ内の問題ではないとしたら、コードか。どこが切れているのかコードをグニグニしながら、切れているところを探る。すっと、軽くなるところがあった。すかさずペンチでそこをざっくりカットした。「な、なにすんねん!」と兄が叫ぶ。『うるさい。修理しとるんや』と心で返しながらコードを包む布を剥がし、カバーを切って銅線をむき出しにする。銅線は数本が二本の束になっていて、それぞれをつないで絶縁テープを巻く。二本の束を一つにしてテープを巻き、布を戻してコネクタをコンセントに入れる。ついた!こたつが再びオレンジの光を放ち、温もりを発している。が、アホの兄もあさっての母も礼も言わず、当たり前のようにこたつに入ってテレビを観ている。なんと不義理な家族だろうか。しかし、絶縁テープの巻き方や処理の仕方が不安で、父が帰ってくる深夜2時くらいまで起きて待っていた。父に事の顛末を話したら父は「よう直したな。直し方、なんでわかったんや」と、褒めてくれ、私は「お父ちゃんがやってたの見てたから」と答えた。父は、私が不安だった絶縁テープを巻き直してくれた。「よっしゃ、これでいける」と言って、頭をぽんぽんしてくれた。8歳の女の子にしては、よくやったと思う。決して、天才バイオリニストと比較してはいない。貧乏人にも、できることはあるということだ。ふん。それくらいしかできませんよーだ。
2023.10.04
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と、昔言われた。必ず対立が起きると。自分から振るのはもちろんしないが、お客さん同士が論議を始めると、収拾がつかなくなる。このことは、十分承知しているのだが、元来、主義主張が強い人間なので(表に出してこなかったが)、目の前で、間違った認識を元に議論されたら、口出ししたくて仕方なかった。できるだけ、「違う見方もあるみたいですよ〜」「こういう意見も聞いたことがあります」などと、無責任な言いようで口を挟むことがあったが、言いたいことを抑えるムズムズ感が、大変なストレスだった。最近、予約だけで営業をしていて、知ったお客さんしかお迎えしていないので、お客さんの主義主張は大体わかっている。野球はともかく、政治の話はし放題だ。昨夜、予約なしで常連さんがお連れのお客さんと来店された。既にお酒が入っていたせいか、お連れさんが間違った歴史の話をされた。脈略がよめなかったので、しばらく聞いていたが、どうにも捨て置けなくなった。既に予約のお客さんが帰った後で、こちらも少しお酒が入っていたせいもあり、日本の近現代史を一から言って聞かせることになった。いや、本筋ではなく、裏の話ばかりだが。日本が歴史上悪く言われているのはなぜか、「大東亜戦争」をなぜ「第二次世界大戦」と教えられたのか、なぜ原爆は落とされたのか、真珠湾攻撃はどんな意味があったのか、日本の犯罪の秘密は、最近の政治の体たらくの裏側は、マスコミの偏向はなぜなのか、岸田文雄はサイコパスなのか、といった、幅広い裏話を繰り広げた。いかぬ。飲食店ではご法度だと言われたことをぬけぬけと。いや、いい。もう長く飲食店をやっていたいとは思わない。私が飲食店をやりたいと思ったときの願望と人々が飲食店に求める機能がずれてきた。いつ辞める、とは言わないけれど、やれるだけやったらやめようと思う。さて、次の営業のときにはどんなネタを話そうか。割といろんな裏ネタがある。長く広告業界にいたので、芸能界のことも、産業界のことも、政界のことも一般人が知らないことを知っている。人間、人と話すことは重要だ。ネット上のチャットでは伝わらないニュアンスがある。生身の人間とのやり取りは、命に息を吹き込む力がある。……そろそろ、店をフル稼働する時期なのかな。。。
2023.09.16
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5月から、病院にかかっている。主治医からの指示書によると、向こう5年間は通院、検査、叱咤の生活が続くことになる。もちろん、その途中で死んでしまえば、はい、それまーでーよ、ではあるが。前回、先月25日に主治医の診察を受け、「何も問題がないので、次は3ヵ月後」と言ってもらったので、『やったー! 3ヵ月飲み放題だーーー』と大層喜んだ。で、死ぬまでに会っておきたい人と躊躇なく会う日々で、結果、二日に一度は飲んでいる計算だ。もちろん、人と会わなくても飲む日がある(ほとんど)。あす、あさって、しあさってと、営業を含めて飲む予定が入っている。はっ!!!きょう気づいた。主治医の診察は12月までないのだが、ほかの科の検査と診察が入っていた。来週だった!!!寸前まで、飲む予定がある。二日抜くくらいがせいぜいだろうか。検査結果が悪かったら、主治医にデータが行くだろう。問題があれば、主治医の科から呼び出しがあるかもしれない。想像しただけで恐怖!である。しかし……このスケジュールを変更することは難しい。※転載元「macaroni」ウコンの力を飲みまくるか。。動かずに寝まくるか。。(肝臓の休息のため)うかつだった。予定を詰め過ぎだった。そして、いま気づくとは……。眼光鋭い主治医の目が睨みつけている。。こわいーーーー。
2023.09.14
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「ぼやき」というのは、動詞「ぼやく」を名刺形にしたもの。大阪以外でも使うのだろうか。大阪には昔から「ぼやき漫才」というのがあって、代表的なのは、『人生幸朗 生恵幸子(じんせいこうろう いくえさちこ)』で、ある程度の年齢の大人なら、皆知っている。この人たちの漫才は、誰も非難も否定もしない。「まあみなさん、聞いてください」で始まり、時事ネタをつつくが、決して否定形ではなく、肯定しながらぼやいて最後は「責任者出てこーい」で終わる。いいぼやきだ。私のぼやきは嫌味が入っているし、人を避難したり、否定したりする、嫌なおばはんのグチだが、言わずにはいられない。きょうは、10年ぶりに実家に行った。えらいことになっていた。関西の樹木の生命力は偉大だ!偉大と言えばいいことのようだが、家の周辺がジャングルと化していた。周辺のおうちには大変申し訳ない思いだ。少しの隙間にも枝葉を伸ばし、窓を開けたり、郵便受けの向きを変えたりと、大変なパワーを発揮していた。もう少し待ってください。更地にするか、植物を切り倒すか、不動産屋が考えてくれます。それはいい。いいことはないが、私個人の力ではどうにもならない。不動産屋に任せるしかない。父亡き後、父関連の諸手続きを一手に引き受け、母の介護をし、固定資産税を10年以上払ってきた。それは、兄が生前の父から「ワシが死んだら、家は私にやってくれ」と言われたと教えてくれたからだ。大した金にはならない。が、家をどうにかする責任があると思っている。父が亡くなったら、母はそこにいたくないと言った。私たち兄弟から遠く離れている実家に住むのは心細かったのだろう。すぐに私のそばに呼び寄せたので、実家は空っぽになった。しかし、母の気が変わって「家に帰りたい」と言うことも考えられるので、実家はそのままにすることにした。すると、地震があちこちで起こり、実家の地域が津波の危険が高いことがその都度報道され、住むには敬遠される土地だと認識されてしまった。母は8年前に亡くなったのだが、売るに売れない状態だったし、コロナで消費が冷え込み、不動産売買どころではなくなった。ようやく落ち着いたと思ったら、自身が病気になり、早く整理しておかないといま私が死んだら、あらゆることが立ち行かなくなると思った。その一つが墓。そして、実家。まだまだたくさんある。いま、一つずつ片付けている最中だ。私と連れ合いのことは、割と順調に片付いているかと思う。が、実家関係のこととなると出張ってくるのが兄嫁だ。何をどうしてもらったか、全く記憶にないのだが、彼女の決め台詞は「長男の嫁ですから」だ。父のことも、母のことも、実家のことも、何もしてもらっていないのだが、兄弟(3人)が話し合いをすると、首を突っ込んでくる。遺産相続(というほどのものはないが)は兄嫁には全く関係ないのに、「長男の嫁」権力を発動する。司法書士さんにお願いして、「兄嫁には詳細を話さないように」を徹底してもらう。が、余り効果がないのはわかっている。兄が全部話し、兄嫁が待ってましたとばかりに口出しする。兄が悪いのだが、それでも、口出しする権利は微塵もないのだ。私は連れ合いの家族のことには一切口出ししなかった。義父さんが、「意見を聞きたい」と言った時だけ発言した。発言は発言でしかなく、説得も、強制もしていない。兄嫁は、兄が弱いのを知っていてやんわり意見を言うのだ。それが兄の意見になる。本当にやめてほしいが、仕方ない。人の仕草を止めることはできない。司法書士さんには申し訳ない。ぼやいたが、スッキリしない。腹が立つと言うより、うっとーしい。まさに、ぼやきの基本だな。あースッキリしたい。
2023.09.12
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手術(腹腔鏡)をしたら、全身が老化した。肌(顔)、髪、消化器、筋肉……。30代なら、1ヶ月で元に戻っただろうと思う。が、年齢を重ねると、なかなかである。消化器や筋肉は、それなりに戻りつつあるのだが、3ヶ月経ってもまだどうにもならないのが肌。手術前「口紅のにじみ」「唇のシワ」といった商品コピー(リップクリームだったと思う)を見ても、「唇にシワ?」想像すらできなかった。ところが、手術後の自分の唇を見ると…、シワ!!!唇が分厚い方ではなかったが、割とプルプル系だったと思う。が! 薄く、硬くなり、シワが!!!通常のリップクリームではどうにもならない。栄養や水分が行き渡るまで待つしかないだろう。このところようやく柔らかさが戻ってきた。(実は、YouTubeで紹介されたニードル何とかというのを購入した。まだ使っていないが、唇の復活を期待している)髪も質が変わって、ゴワゴワになった。美容師さんは「それほどでもない。大丈夫」と言ってくれたが、自身では許せないほどの変化。白髪がどっと増えたのも落胆の要素。カラーは髪が傷むので、他の方法を考えないと。そんな中で、手術前と全く変わっていないのが、眉毛。中学生の頃、細い眉毛がはやった。少しカミソリで剃ってみたら、剃ったところが青くなって格好悪いので、一度でやめた。高校生になると、太い眉毛がはやり出したので、何もせずに過ごせた。母と姉が「麿眉」で、眉頭から2〜3cmしか眉がない。母も姉も本来の眉は太かったように思う。どちらかというと、ゲジゲジ系というか、形が悪かった。抜いたり剃ったりしたのだと思う。私の記憶では、二人とも30代から麿眉だったように思う。母が常々「抜いたらあかんで」と言っていた。幸いにも、私の眉はゲジゲジ系ではなく、抜いたり剃ったりしなくても、恥ずかしくない形だった。レブロンの透明マスカラでより形を整えるだけで描いたり足したりする必要もなかった。引越しをして、昔の写真の箱を開けた。連れ合いが撮ってくれた私の寝顔が出てきた。全く覚えていない写真だったが、眉毛の凛々しさに驚いた。いまより少し細いのは、フラッシュで飛んだせいだと思う。40歳手前だと思われる。プリントだったので、いつの写真かわからない。剃ったり抜いたりしなくても、この形を保ってくれた眉毛には感謝しかない。風呂(ゴルフ終了時)で声をかけられて「誰?」と驚いた経験があるが、私についてはそれがないだろうから、風呂での行動には気をつけないといけない。今回、病気になって落ち込むことばかりだが、この眉毛のおかげで自分を失わずに済んだと言えるかもしれない。大げさと思われるかもしれないが、それほど、手術によって変わってしまったのだ。今、懸命に復活を試みているが、一度老化してしまったものを元に戻すのは容易ではない。でも、頑張る!若返るなどという暴挙を画策しているわけではない。元に戻りたいだけだ。もう手術はしない!(あかん、主治医がこれを見たら、「診療終了」と言われる。「手術には慎重になる」と言い換える)
2023.09.10
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マイナンバーカード発行の手続きをしていない。病院や役所で「マイナンバーカードはお持ちですか」と聞かれるたびにそろそろ申請しないとな、と思う。入力ミスや操作ミスで、これまで数千件のトラブルがあったようだ。それは予想されたことだし、量的には許容範囲なのかもしれない。当事者になったらたまったもんじゃないだろうが。が、データをどこに保管し、管理するのかがわからず、少々恐ろしい。日本で自前のサーバを用意できたのだろうか。アマゾンとかって名前が出ていたが、外国に日本国民のデータを任せるなど、狂気の沙汰だし、そんな状態なら、この事業は性急だと言われても致し方ない。ただ、私が申請していないのは、そうした大きな問題ではない。単に写真が撮れないのだ。病気で汚くなった顔を撮影するのは何としても避けたい。毎日、丁寧にスキンケアしたり、肌や体にいいサプリメントや食べ物を摂取したりしたらいいのだが、これまで全くやってこなかったので、習慣も知識も知恵も何もない。人間、痩せると猿に似た顔になる。いやで、いやで、昔の写真を眺めては自分を慰めている。痩せたのなら、食べればいいことだ。太りたければ食べたらいい、簡単なことだと思われるかもしれないが、私の場合、食べ(過ぎ)たら痩せるのだ。昔(20代)、正月の三が日は思いっ切り食べてやる!と決めて、お節料理、餅、みかん、お菓子、多分酒も手当たり次第食べて飲んだ。3日で3kg太った。ところが4日から内臓不調で下痢と食欲不振に陥り、3日で4kg痩せた。結局、1kgマイナスだ。23歳の時、「胃下垂」「瀑状胃」「過敏性大腸炎」の診断をいただき、「酒」「辛いもの」「濃いもの」は厳禁だと言われた。薄めて飲み食いせよ、と。食べ過ぎも厳禁らしい。消化器が弱いのだ。昨日、旧友に会った。15時くらいに合流し、居酒屋へ。彼女はよく食べるし、食べるのが早い。私より酒のペースも早い。私より酒のペースが早い人には、余りお目にかかったことがないので、相当なペースだ。店について30分ほどで、ジョッキ生を3杯。そして、とにかくよく食べる。私の取り皿にどんどん食べ物を入れる。私は食べるペースが遅いし、そんなにたくさん食べない。食べ過ぎ禁物だからだ。彼女は多分私のダブルスコアに近い体重だと思う。身長も高いので、私が小人に見えるくらいだ。昨日は、かなり酔っ払った。しかし、電車に乗り、歩いて帰ってきていた(記憶が余りないので、ピタバの履歴を調べた)。が、何も食べずに寝たようだ。服は着替えているし、洗顔もしている。服がちゃんとハンガーにかかっていたから、記憶はないが、まともだったようだ。ところが!ひどい下痢と胃痛。今日は日がな食べられなかった。夜になって、ようやく何かを食べないと、と思う程度だ。また、体重が落ちた。46kg→47kgになるのに1ヶ月以上かかり、48kgになるのにさらに2ヶ月かかったというのに、また47kg台だ。私の胃腸が厄介なのか、旧友の仕草が厄介なのか。とりあえず、何かを食べよう。さらしくじらがあったな…いかぬ、酒が欲しくなる。ま、いいか、飲むか。。。
2023.09.07
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最近、安芸高田市の石丸市長と議会の攻防の模様がネットでアップされている。地上波は全く見ないので、どう報道されているかわからないが、ネットでは、理論的で冴え冴えとした論理で答弁する石丸市長と方言丸出しで、おっさんおばはんの噂話(公的になると誹謗中傷の類)が議場で交差するのが面白く、コメントや評価を見ると、ほぼ石丸市長の圧勝。これが、サイレントマジョリティーの意思表示だと思う。だから悪い。石丸市長のような、思い切った才人が出てこないと、意見の表明ができない。マスコミも、政治家も、テレビのコメンテーターも職業評論家も、ノイジーマイノリティ側のコメントをする。それにもこちょこちょ意見するだけ。もっと声を大きくしないといけない。声を表現する一つの手法が「投票」だが、残念ながら、日本がWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)で、団塊の世代を主軸に、日本を貶める根も葉もない教育を施し、それを受けたバカな老人とその子供(最大ボリュームゾーン)が日本の選挙を歪めているので、アホな思想や政党に投票してしまうのが大きな問題なのだ。現役をリタイアした人たちは、投票権を減じたらいいと思う。だって、未来をつくるのは、この人たちではない。自分たちが心地よく暮らしたいという欲望のみで、中年層〜乳児までの生活を犠牲にするのも厭わない。大阪の住民投票では、「地下鉄やバスの運賃がタダだったのに、50円になる」という理由で(それだけではないが、そのレベル)Noを投じた。(住民投票の結果を論じているのではない、その程度の動機で投票行動を決めるということだ)年金生活をしている人間は、口出しするな。それ以外の人間が政治をつくるべきだ。特に団塊の世代は、日本に負の要素を撒き散らしていて憚らない。いい加減、おとなしくしてほしい。50年前なら、「大往生」と言われた年にもなってゴタゴタ言い、暴力振るいまくっている。こういう老人は、0.1票でいい。18歳から29歳は2票、団塊ジュニアを除いて30〜59歳は1票、団塊ジュニアは0.8票くらいでいいんじゃないかい?団塊ジュニアは歪んでいる人間が多いので、もっと低くてもいい。まぁ、暴言だろうけど、そう思って仕方ない選挙結果がでているではないか。住民票を移しての投票は沖縄では当たり前だし、公明党(創価学会)もやっているみたいだが、いずれも団塊の世代絡みの年寄りではないだろうか。日本人は遵法精神が高い。悪いことをして得た利益をよしと思わない。嘘を嫌う。和を重んじる。それに反することをして厭わないのは日本人ではないかもしれない。日本の政治を見直すべき時に来ているのだろう。
2023.09.04
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アクセス記録を見ると、随分以前に書いたブログを読んでくださっていることがあって、「こんなタイトルで、何を書いたのだ、私は」と不思議に思って、読み返すことがある。2000年代の私のブログは時事ネタを扱い、理不尽さや理解できないことに怒っていることが多い。面白い切り口やオチを見ると、以前の私は冴えていたなぁと感心する。もちろん、そうでない日記もあるけれど。先週、30年来の知り合いが店を訪ねてくれた。北区に事務所を開設したとき、家具(本棚やパーティション、机、打ち合わせテーブルなど)をコーディネートしてもらった。200万円くらいかかったと記憶しているが、そのことをよく覚えてくれていて、昔話に花が咲いた。やがてこのブログの話になった。以前書いたネタで、「もしいま、私が変死したら……。」(2008.07.16)という日記がある。一人暮らしの私が、家の中やどこかで変な死に方をしたら、「変死」扱いになって、警察が捜査をする。死に方や死んだ場所、遺体の状態が変であればあるほど詳しく調べられるだろうし、週刊誌や新聞が動くかもしれない。そのとき、警察や聞き込みの記者たちに私の周囲の人が私をどう言うか、という予想を書き連ねた日記だ。結構面白い。誰かに「私はどんな人だった?」と聞かれたら、聞かれた人の先入観や誤解、主観が入って実際とは全く違った人物像になることもある。全く根も葉もない噂を信じている人がいるかもしれない。私は、割と謎が多い人間と思われているはず。勝手な想像を話す人もいるだろう。「私さんのこと? 知りません。カレー屋をやっていることだけしか」「私さんは、カレー屋をやる前は会社の社長を長くやっていたらしいですよ」「私さんの前の会社? さぁ…、あ、業界の人がよく店に来てたから、テレビかラジオ関係じゃないかしら」この程度ならよき。「あ、あの人、女性だったんですか? 昔は男だったように聞いたことがありますよ」「え、独身なんですか? あ、店のお客さんは男性が多かったからねぇ…」「バツが幾つかついているんじゃないですか? え、ないの? かわいそうな人ねぇ」これはイメージです。ちょっとひどいけれど、あり得る。「最近、長いこと店が閉まってたので、ひょっとして死んだんじゃないかって噂が…」「お客さんの中には、昔を知っている人がいて『きれいだった』なんて言ってたけど、想像できませんよね、あれじゃ」「お子さん? いたんじゃないですか? 見たことはないけど」「地味な服装、いつもすっぴんで、女らしいところのない人でしたよ。悪いヒモでもいたんでしょうよ」「カレーも独特でしたけれど、人生も独特だったんじゃないですか? 変なこだわりがなければ、あんなカレー、つくりませんよ」「恨みを買う……、人間長く生きてりゃ、要らぬ恨みも買いますよね。あの人、よくわからない人だったから、それなりだったかもね」うーーーむ。ちょっと悪意ありませんか?「食材の高騰とかで、大変だったんじゃないですか? え、自殺じゃないんですか?」「コロナで大変だったと思うけど、ようやく落ち着いたと思ったら、ご病気でしょ? 死にたくもなりますよね。え、自殺じゃない?」「お客さん、減ってましたからね。この辺、企業のビルが次々にワンルームマンションになっちゃって。え、売り上げ不振を苦に自殺……じゃない?」う、ん、そうよね。そう思うよね。「働き者でしたよ。朝から晩まで働いて。老体にムチ打ってねぇ」「コロナ前はずっと店開けてましたよ。プライベートがない人なのかなぁ」「何が楽しみなんだろうって、思ってましたよ。朝の8時から夜はてっぺんまで。若いときに楽したから、年取って苦労するんだろうね」人のイメージとか認識とかって、この程度のものでしょうね。結論!「何があっても、変死するべからず!!!」
2023.09.03
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饅頭ではない。主治医が怖い。主治医自身が悪いわけではない。単に私との相性(波長)が合わないだけなのだ。【出会いのこわい】3ヵ月前の入院時。外来から病棟に回されて、即入院となった。ナースセンターの前で最初の主治医(女性内科医)と立ち話。主「きょうの夕方、ステントを入れる手術をします。そのあと、一週間ほど入院していただいて様子を見ます」私「一週間ですか。パジャマ、要りますよね。すぐに手術になるなら、病院着を借りようと思ってましたが」主「きょうとあすは病院着を着ていただきますが、その後はお手持ちのパジャマで過ごせますよ」私「じゃ、取りに帰ります」主「ご家族に持ってきていただくことは?」私「一人暮らしです。家、歩いて5分ほどです」主「そう。じゃ、16時くらいまでに戻ってくださいね」というわけで、家に帰った。買い物(飲み物)したかったし、ちょうどよかった。が、この間に後の主治医(男性外科医。こわい人)がベッドまで訪ねて来てくれていた。全く知らされなかった。このことは、随分後にこわい主治医から聞かされて、謝り倒した。16時前に病院に戻り、私服のままベッドに腰掛けてぼおっとしていたら、全身白衣のこわい主治医が訪ねてきた。目がチカチカした。白以外が目の付近だけ。髪も大分白いので、目だけを見て話すことになる。眼光が鋭いことに威圧感を覚えた。緊張してベッドに上がり、正座をした。主治医はベッド横の椅子に腰掛けた。「外科の◯◯です」外科? ステントを入れるのは、女性主治医と聞いていた。何で外科の先生が????の顔をしていたら、「ステントを入れたら一旦退院、その後再度外科に入院していただいて、手術をします」「あ、先生が執刀してくださるんですか?」外科の意味がわかったので、全く軽い気持ちで言葉を返した。「別にボクが執刀せんでもいいんやけどね」!?!?!?!?私、なんか嫌なこと言いました?言い方悪かったですか?何で機嫌を損ねられたんですか?こわいー。【土曜日のこわい】入院中、朝10時くらいになると、若手医師の回診がある。私の場合、穴を開けた腹部のチェックを3人くらいの男性医師(手術をしてくれた医師たち)がしてくれる。こわい主治医は来ない。執刀と外来があるので、病棟に来るのはそれ以外の夕方だと思われた。夕方には何度か姿を見かけたことがある。ほとんどの用件は、私も受けたような手術の説明だろう。土曜日の朝。ベッドに寝転んで、ぼおーっとスマホでYouTubeを観ていた。看護師さんが入ってきて、「先生の回診です」と告げられる。いつもの若手医師だと思って、イヤホンをつけたまま、腹部を診てもらいやすいように体勢を変えようとした。カーテンを開けて入ってきたのはこわい主治医。「え? え? え?」焦った。「土曜日なのに、先生が回診されるんですか?」こわい主治医は私を一瞥した。答えはない。こわいー。すっと、こわい主治医の脇から大きな体の若い医師が入ってきて、「見せてくださいね」と私の腹を見ようとした。私は慌ててパジャマをたくし上げる。若「痛みはありませんか?」私「右下が痛いです」主「こんなもんでしょ」と傷口を指先ですうっとなぞり、反対側のドレンの入り口もちらっと診た後、すぐに洗面所に行って手を洗う。汚いか!いや、当たり前のことだけれど、汚物と言われたような気分になるのは仕方ない。こわい主治医は消えた。若「きょうは、ドレンと麻酔を抜きますよ」その後は看護師と若い医師が作業をしてくれた。いまなら、ドレンと麻酔を抜いていい状態なのかをこわい主治医がわざわざ診にきてくれたのだとわかる。そのために土曜出勤したかどうかはわからないが、主治医としての判断をしに来てくれたのだと思う。なぜわかったかと言うと、ドレン(手術後に体から出る体液や血液を外に出すための管)を抜いた後、もう一度回診に来てくれた(月曜日)。こわい主治医の回診はその2回だけ。ドレンの穴が塞がらなければ、縫う手術が必要になる。その日は調子がよくて、ドレン穴から何も出ていなかった。前日まで、黄色い液体がガーゼを汚していたが、こわい主治医がカーゼを取って状態を確認し、主「もうテープでいいよ」と行って、回診は終わった。判断が必要な回診のときは、こわい主治医が来てくれるということなのだ。しかしこのときは、土曜日の朝の気の緩みの後の緊張と驚きで、???のままこわい主治医の回診が終わってしまった。こわい主治医の顔を見るたびに緊張する。要らぬことは言わぬようにと口を閉じる。【外来のこわい】こわい主治医は、私が言うことをほぼほぼ否定する。主「肝臓の数値が急に悪いね。薬飲んでる?」私「薬は飲んでませんが、サプリを多少」主「サプリも肝臓に負担かけるからね」私「肝臓にいいはずのハイチオールCとか、ビタミンDとか…」主「それは多分大丈夫やけど、副剤としてビタミンAとかEが入ってたら、肝臓に影響あるよ」ビタミンAとかEの話はしとらん。そう言うんだったら、肝臓に影響を与える成分を教えてくれて、「飲んでるサプリを確かめて」、くらい言ってくれたらいいじゃん。そんなこと言ったら、睨まれて「ふん」と言われるのだろうな。標準治療を拒否したとき。私「予防的治療はやりたくありません」主「理由は?」私「5年生存率の数字の反対側に入って、予防的治療が効かない方に入って、例えば1年で死ぬとしたら、半年もかかる予防的治療の時間を返して! となります」主「そう悪い方に考えんでも」私「手術ですっかり元気にしていただいたので、これで十分です。ありがたいと思っています」主「あなたの場合、再発、転移する可能性が高いので、予防的治療、受けることを勧めます」私「ん…、本当は、この病気のことは以前からわかってました。イレウスがなかったら、そのまま一緒に過ごして逝こうと思っていました」主「そんなこと、◯◯さん(最初の女性主治医)が言うてたなぁ」それ、ナースセンター前の立ち話のときにちょこっと言ったわ。そんな、ちょこっと話がこわい主治医に伝わってたなんて。。私「年も年ですし、これ以上生きたいとか、何かやり残したとか、思っていません」主「そんな年やないよ。この病気としたら、若い方や」私「家族全員見送って一人になったので、もういいかな、という気持ちでいます」少し沈黙。主「じゃ、再発したら、どうする?」いや、予防的治療は要らんと言うとるんやで。私「治療とは意味合いが違いますよね。そうなったら、どうするか考えます」主「手術となったら、受ける?」いや、しゃぁから、それとこれとは違うじゃろ。私「どうでしょう。どこが、どんな状態かで違うと思います。そのときの判断じゃダメですか? いまは、手術でスッキリ取っていただいたので、この快適さを満喫したいなぁと。副作用に苦しむに値するほどの成果は期待できないと思っています」主「わかりました。あなたの意思を尊重しましょう」このやり取り、しんどかった。本当はもう少し長い。連れ合いの介護の話とか、仕事の話とかも入って5分以上やり取りした。再発云々以降は「治療の意思」があるかの確認だろう。「死にたい」と言う人間に保険適用はできないし、「治療終了」を告げるのだろう。実は、予防的治療は再発防止の抗がん剤治療のことで、この抗がん剤は誰が受けるのであれ、パッケージになっていて、副作用が出れば、それに対処するという方法を取る。副作用は必ず出る。仕事をするのに、副作用は困る。その上、再発を抑える効果が出るのはわずか1割程度。が、治療的抗がん剤は、がんの特性や患者の遺伝子検査の後に、より効果の高いものが選ばれる。全く性質が違うのだ。私がこのことを理解しているかどうかの確認はこわい主治医はしなかった。が、クレバーな人だから、ある程度察知してくれたかもしれない。このやりとりの後、胃痛で倒れそうになった。緊張したのだろう。それと、言葉が足りなくて、誤解を招いたに違いないという後悔もあっただろう。こんなにはっきり断ったら、主治医と患者としての関係を損ねてしまったのではないだろうかという心配、何より、本当に言いたかったことが言えなかったし、今後、こんな機会はもうないのだろうなという落胆。【差し入れのこわい】退院後2回目の外来のとき、こわい主治医の顔色が悪かった。どうやら、前週にコロナ的なものを患ったようだった。そのときは、弱みにつけ込んで、前述のような、こわい主治医が勧める治療(標準治療)を断るという大胆な賭けに出たのだが、そのこともあって、次の外来のときにはちょっと媚びる作戦に出た。体調を崩した人への差し入れ……菓子…、こわい主治医が食べる様子を想像することすらできない。酒類は、執刀医には不要かと。花は病人に送るもの。で、探し当てたのが『千疋屋のストレートジュース』。千疋屋ならではの高級フルーツを使ったジュースだが、値段が、「お高い」の上の「お高い」。ま、主治医様に差し上げるのに、ファンタオレンジのペットボトル、というわけにもいくまい。医療現場に詳しい人に聞いたら、患者や家族から貰うものは賄賂的に扱われるので、金目のものはダメだと言われた。千疋屋のパッケージは、それはそれは頑丈で重厚で独特で、「金目の物」と見えないことはない。差し出したときに拒否されたら元も子もない。箱から出し、1瓶、1瓶プチプチで巻いてマステで止め(外しやすいように)、ダイソーで買ったビニール巾着に入れ、さらにそれをビニールバッグに入れた。すぐに飲めるように、冷やして持参するためだ。保冷剤も仕込み、保冷バッグに入れて病院に行った。診察の最後に、私「先生」主「ん?」私「先生が前回お元気なくて、心配だったんですが、何もできなかったので、これ、差し入れです。ビタミン補給してください」荷物を差し出す。こわい主治医、こちらを向かずに目の端で荷物を確認。主「病人に心配されたら終わりやな」こわいー。ありがとうくらい言うてやー。しかし……、こうやってブログに書くために文字にしてみたら、私も大概言いたいことを言っていると思う。こわい主治医もよく聞いてくれているし、こわい言葉を返してくれている。ま、あと3ヵ月は会うことがないので、そのうち緊張感やイヤーな感じは忘れると思う。次の差し入れは、饅頭にするか。。それとも、濃いーお茶にするか。。。(しかし、実は、私には心配な箇所がもう一つある。9月中に検査のために病院に行く。外科ではないし、金曜日ではないので、こわい主治医に会うことはないと思うが、治療が必要になって、病院通いが始まったり、手術が必要になって、入院したりしたら…一応、いまの私の主治医はこわい主治医だから、話は行くだろう。診察室や病室に来られたら……こわい、こわい、こわいー)
2023.08.31
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この年で、カラコンを購入しました。(どの年?)実は、老眼の度の入ったカラコン。私の目は白目と黒目の境目が青いので、つけていることがわかりにくい色とデザインをチョイス。こんなカラコンです。つけてみました。「営業の日につけてみよう」このブログにも書いたように、1dayタイプなのでコストを考えると、手元作業があってつける必要があるとき、となると、営業の日か食事に出かけるようなとき(裸眼ではメニューが見えづらい)、だと思います。で、先週の営業の日につけました。4年ほど前につけたときと同様、四苦八苦しました。目に入ってくれない。指についたまま離れない。10分以上格闘してようやく入りました。鏡を見ると「え? ほんまに入ってる?」裏側に回ってしまったのかと思いました。14.2mm、着色外径が13.2mmというサイズ。私の黒目、全く大きくなっていません。それでいいの?そんなもん?というわけで、お客さんには全く気付かれませんでした。実は、実は、営業の日はその前に外来があり、主治医にも会いましたが、全くのノーリアクション。気づいてないと思います。よかった、よかった。というわけで、老眼用のカラコンデビューは誰にも気づかれることなく終えました。あと4セットあります。これを使い切ったら、次に購入するかどうかを検討します。もう少し大きいのがないかなぁ。白目がなくなったらホラーものなので、これが限度かなぁ。15mmのだったら(0.8mm大きい)、少し黒目が大きくなるだろうな。同じショップにはなかったし、老眼対応だと無理かな。というわけで、カラコンデビューを果たしました。これまでやらなかったことで、やっておこうと思っている事がまだあります。その一つがピアス。アクセサリーは日頃はつけないので、ほとんど持っていないけれど、仕事以外で人と会う機会が増えたので、つけていても邪魔にならないイヤリングなら…とショップで探そうとしても、イヤリングなんかほとんどない。み〜んなピアス。可愛いのも、かっこいいのも、綺麗なのもピアスばっかり。イヤリングはなんかダサい。オバハン向けなのだろうな。「親からもらった体に傷をつけるなんて」という声がずっと聞こえているけれど、一度トライしてみてもいいじゃん。なんて思ったりする晩夏の朝であります。
2023.08.30
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主治医話、この3ヵ月の間に4回にわたって書いてきた。(主治医が登場したのはもっと多いが…)主治医とのコミュニケーションの難しさ、主治医にこちらの意志を伝達する技術のなさ、主治医に自身を理解してほしいという理不尽な欲望。そういうどうにもならないことへのあがきというか、わかっているけれどおさまりがつかない気持ちのありよう、それを解決しないことには次に進めない自分勝手な願望……。自分でも理解できないこの状況は、何から来ているものなのか、何が根底にあるのか、何を求めての感情なのか……。主治医に執着してるのか?主治医に特別な感情を抱いているのか?主治医に何かを期待しているのか?──。。。先週金曜日の外来受診で答えがわかった。私は去年、連れ合いを亡くして一人になった。自分の親も、連れ合いの親も見送って、たった一人の人生になった。身内を亡くすごとに自分一人の生き方を考えざるを得なくなった。ここ10年間の自分の生き方を省みるに、全く自分を大切にしてこなかった。人生に起こる出来事を他人に置き換えては、他人のために生きてきた。そして病気。何年も前から、「普通じゃない」と思っていた。病院に行ったら、それなりの病名を告げられると。それでも、その病気で死ねるなら、それはそれで納得できた。生きる意味、生きたい意欲、生きようとする力…何もなかった。しかし、腸が詰まるという緊急事態。緊急手術が必要となると、穏やかに死ねる状況ではなくなった。それをこなさないと、身の回りのあらゆることが片付けられない。幸いにも手術のおかげで命の猶予を得た。その間にできることはした。そして大きな手術。ここで主治医登場!眼光が鋭く、言葉が短く、クレバーな上にサドチック。初対面から「波長が合わない」と思った。主治医の抱く私へのイメージが、私と違うのだと察知した。仕方ない。年齢や見た目で判断されるのは否定できない。が、違うのだ。私は、見た目とは違う生き方を強いてきた(自分が自分に)。こんな厄介な病気にかかった自分を、見た目ではなく本当の自分をわかってほしいし、その上で手術や治療をしてほしいと思った、のだと思う。命を預けるような心持ちなのに、波長が合わないのは致命的な状況。だから、焦りに焦ったのだ。が、幸いにも、手術は成功し、体の中は、一応健全な状態になった。綿密なコミュニケーションが必要という状況を脱し、主治医のペースで事が運ぶことに従っていてもいいという安定的な段階にいる。が、主治医は私の何をもわかっていない。そんなことは当たり前だと思う。患者の生き方や考え方、生きる環境、好き嫌いなどいちいちわからなければならないとなると、医師自身の体が持たない。しかし、たった一人で生きている私が、この病気に罹患するに至った理由は何か、なぜ主治医の勧める治療を拒否するのか、これからの人生をどう考えているのかをわかってほしかったのだと思う。主治医にしたら、いい迷惑だと理解できる。が、いつ死ぬかわからない患者にとって、病気のことと、自分の考えを併せて理解してくれる人が欲しいのだ。それがかなわないから葛藤が生まれた。胃が痛くなり、下痢が続いた。が、が、それも昇華できたのだと思う。体重が増えたし、肌ツヤもよくなった。先週の外来から仕事に向かうときは、胃が痛くて「いつものことだ」と思っていたけれど、何がいつものことかわからなくて考えていたら、「3ヵ月間、自分のことを理解してもらう機会がない」と考えているのではないかと思い至り、「理解してくれる人などいない。私は一人、私は私」と声を出して言ってみた。すると、全身が楽になり、よく眠れたし、食欲も出た。つまりは、医師に、自分の悲惨な状況をわかって欲しい、という、バカな甘えが招いた自虐ギャグだったのだ。私としたことが……。自分で自分を悲惨な状況に追いやるのは愚の骨頂。医師には病態の改善を求めるだけにしよう。ちょっと甘えて疑問を投げかけたら、検査を追加されて、大変な検査料を取られるだけなのだ。人に過剰な期待はせぬもの。医師とて人。営利団体に属するサラリーマンなのだから。※前回登場した「差し入れ」などの小ネタは別記しますぅ。
2023.08.28
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退院して2週間→4週間→5週間という間隔で外来受診を指示された。一回目は、手術で得られたデータを分析し、その後の治療方針を告知されるため。2回目は、治療スケジュールの確認(そのための検査含め)。3回目は、2回目の検査結果を受けての再検査と治療方針の決定。3回目が5週間もあいているのは、紛れもなく「山の日」と「お盆休み」の影響だろう。我が主治医が外来に出てくるのは金曜日のみ。8月11日が祝日なので、外来診療は次の週に繰り下げられる(一部繰り上げもあるだろうが)。さらに、お盆休みがあって、執刀スケジュールがイレギュラーになる。今回の外来は、その2週間をはずしての25日だったと思われる(勝手な憶測)。果たして今回も、私が待合室に到着した時は、我が主治医の科だけがフル稼働で、他の科は診療終了状態だった。「また弱みにつけ込めるかも」と思ったりしたが、今回は検査結果いかんでは、虫けら扱いも致し方なしの、HPマイナス状態だった。血液検査と超音波検査。超音波検査では、膵臓、肝臓、腎臓の順で検査された。肝臓の数値が悪かったのだが、膵臓が最初だったので、面食らった。膵臓も問題あり、と主治医が検査を指示したのか!?前回の外来時、何気なしに膵臓の話をした。最初の主治医が「フォローします」と言ってくれていたので、現主治医に関係ないと、軽い気持ちで言ってしまった。え、膵臓も主治医担当になるの? 戦々恐々の心持ち。検査が終わって、ジェルを拭いているとき、「肝臓、問題ありました?」と検査医(技師)に問うた。「いえ、問題はないようです」「膵臓は?」膵臓には問題があることがわかっている。その問題の詳細は知らされていないのだが。「エコーとは相性が悪いのか、CTの所見と合致するものは検出できませんでした」「主膵管の問題じゃないですよね」「ええ、違います。膵臓の裏側です」「腎臓は悪くないですよね」「はい。問題ないです。こちらの意見書は主治医に回しますので、主治医から聞いてくださいね」ほっである。今回も、1時間以上余裕を持って病院に行ったのに、名前を呼ばれて診察室に入ったのは、予約より30分も遅い時間だった。診察室を開けたときに目に入った主治医は、前回同様疲れた表情だった。「また?」何か具合の悪くなるような病気に罹患したのかと思った。丸椅子に腰かけると、目の前に血液検査の結果表が置かれていた。前回問題とされた肝臓の数値は全て基準値以内。主「血液検査は、全て問題ない範囲に収まっていますね」私「あれは、何だったのかしら」主「ちょっとしたことで、高い数値が出るからねぇ」え、ちょっとしたことなの?5週間にも渡って、酒抜きを心がけた自粛生活は、必要なかった?ウソォー、ストレス溜まったでー。。私「エコーは問題なかったですか?」主「うん、大丈夫みたいね」私「膵臓は? エコーと相性悪い、裏側だと…」主治医、わずかに顔をしかめ、ウンウンとうなづく。意味がわからない。何がウンウンなのか。私「大丈夫ですか? 問題は主膵管じゃないとおっしゃったので、気にしなくてもいい?」主「いいでしょう」ほんまか! 膵臓は気づいたときには手遅れだった、という話ばかり聞くぞ!主「膵臓、気になることあるの?」私「膵炎になったことあるので」主「急性?」私「はい(何回か言ったことある)」主「急性なら、問題ないよ。原因は何? 暴飲暴食?」私が暴飲暴食するように見えるのか! ええ? 失礼な!私「特発性と言われました。肝臓の数値が正常なので、暴飲暴食ではないと」主「……原因は? 心当たりある?」私「ストレスだろうと。そのころ、母の介護をしてましたから」主「あぁ、言うてたな」本当に覚えてる? 覚えてくれていたなら、大感激ですが。まぁいい。主「体重は?」私「48kgです」主「えーっと…(前回の数字を確認)、増えたね。50kgにはなってない?」なんじゃ、50kgという数字は。誰かと間違えてる?私「48kgです」主「ベスト体重は何キロ?」私「ベストかどうかわかりませんが、長い間49〜50kg台です」主「あ、じゃ大体戻ってきてるんやね」この年で数キロ落ちるのも、通常の体重より2kg前後軽いのも、相当な差があると思うのだが、主治医にとってはそういう判断なのだ。主「体重が増えた理由、わかる?」私「軽い筋トレをしてるからかなぁと思います」主「筋トレ? 何してるの?」ここで笑かすネタを仕込んどいたらよかったと、瞬時に後悔した。「四股踏んでます」とか「俵投げしてます」とか。思いつかなかったので、私「プランクです」真面目に答えてしまった。主治医、一瞬理解不能な表情。主「以前からしてた?」私「は、まぁ。一日5分くらいで済む一番楽な筋トレですから、ちょいちょい」私はそういう認識で事あるごとにプランクをしている。「事」とは、おなか周りがダブついてきたとか、体全体の筋力が落ちてきたとか。1〜2週間も続ければ、期待通りの結果が得られる。プランクは、やりようによっちゃ、腹筋、背筋、大腿筋、僧帽筋、ハムストリング、腹斜筋、インナーマッスルなど、たくさんの筋肉を鍛えることができる。だが、手術後は、腹が痛くてできなかった。腹筋を切っている箇所があるので、最近まで(いまでも引きつれたような痛みがあるが)腹筋を使った筋トレができなかったのだ。ここ2週間くらいだろうか、プランクを再開できる状態になったのは。主治医の理解不能な表情は、私のようなオバハンがプランクをすることが理解できないということだろう。ふん、それくらいの認識しかないのだ、主治医のくせに。※私の左脚。ハムストリングも向こう脛もムキムキじゃー。私「先生、きょうもお疲れですか?」唐突に聞いてやった。主「顔色悪い?」私「お痩せになったような…」主「いや、痩せてないよ」私「そうですか? 前回よりもお痩せになったように思いますが」主「年中増えたり減ったりしてるけど、あなたの手術をした時あたりが、今年一番痩せてたな」私「あ、そうでしたか。そういえば、そうだったような気も…」実は、手術室にいるとき、背中に硬膜外麻酔を入れられ、手術用の麻酔を打たれ、薄れゆく意識の中で主治医が手術着を着て手術台脇に立っているのを見た。頭には不織布のキャップ(シャワーキャップみたいな形)、体にはブルーの手術着(丸首)。『主治医のような顔しているけど、こんなおじいちゃんだっけ?…』と思いながら眠ってしまったのを思い出した。実に胸板の薄い、姿勢の悪いおじいちゃんのような人だった。麻酔から覚めたとき、あれが主治医だとは信じられなかった。しばらく悩んだほどだ。いつもの主治医は、全身白! なのだ。自信満々に病棟の廊下を歩いている。ブレザー型の白衣、スラックスも白(ブレザーと同質)、ブレザーの中はスタンドカラーの白衣(歯科医が着るようなもの。材質は光沢があり、ブレザーやスラックスと違う)。靴も白。医師専用のスリッポン。位が高いのだろう。他に同じ服装の医師を同病院内で見たことがない。か、勝手にこだわって、自分なりのドクターファッションを楽しんでいるか。コスプレドクター?主「何も悪いところがないので、次は3ヵ月後」私「何もなければ3ヵ月間隔になるんですか?」主「何もなければ、ね」私「よかったー」と心からの歓喜の声を上げてしまった。「よかったー」は「何もなければ」にかかっているのではなく、「あと3ヵ月、飲み放題だ!」を表現している。とりあえず、12月まで検査がない。その間は飲み放題だと思うと、歓喜の余り声が裏返ってしまった。ふと、主治医に会わなくて済むので、喜んでいると察知されたくないなと思った。主治医も、私が主治医を苦手に思っているのを感じているだろう。手放しで喜んでいると思われると、気が悪い。私「先生」主「ん?」私「先生が前回お元気なくて、心配だったんですが、何もできなかったので、これ、差し入れです。ビタミン補給してください」荷物を差し出す。主「病人に心配されたら終わりやな」そういうとこやぞ、主治医。なんで素直におおきに、言われへんのや。そんなんやから、患者が虫けら扱いされたと思うんやで。ほんまに、どんならんな。このあたりの詳細情報は別記します。ようやく、主治医への私のモヤモヤが解明できたので、併せて。
2023.08.27
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この10年、カレー屋中心(というか一色)の生活をしてきた。ファッションも、それに対応するもの一色。カレーでできたシミはまず消えない、ということから、上下濃い色を選ばざるを得ない。黒、ダークブラウン、ダークグレー…。店を始めた当初、わかってはいても着るものがないからと、薄い色のTシャツやセーターを着てえらい目に遭った。白やピンク系のときに限ってカレーが飛ぶ。あーあ、である。しかも、ジャブジャブ洗えないといけない。カレーの強烈な匂いがつくからだ。カレーの仕込みをした後、前職の名残りの打ち合わせで某事務所に行ったら、私が歩いた後にカレーの匂いが残り、「誰かカレー食べた?」とすぐに指摘された。見舞いのため、病院のエレベーターに乗ると、「ん? カレーの匂いがするなぁ」「あ、5階にレストランあるからかな」とヒソヒソされる。カレーの匂いがついた服装では外を出歩けない。匂いがつくから一度着たら洗濯をする。クリーニングに出さないといけないような高級な服は買えない。というわけで、この10年、ファッションとはおおよそ言えないような地味な服装で過ごしてきた。人とも会わなかったし、両親もいなくなって、実家に帰る必要もない。とにかくカレー中心で生きてきたため、店で着る以外の服を着たのは、葬式関係と法要のときのみ。ところが、病気で店を休んでいる間にやらないといけないことがたくさんできて、人と会うことも多くなったので、この機会に、これまでと違う系統の洋服を購入しようと試みる。パソコンとにらめっこし、「あ、このワンピースいいな」と、クーポンがついていたロングワンピースを思い切って買い物かごに入れる。ノースリーブなので、UV対策とお肉隠しに上に羽織れるものが必要だ。またまたクーポン付きのシアーシャツをポチッ。あ、靴がない。スリッポンかスニーカー的な立ち仕事仕様の靴が春夏用と秋冬用の二足のみ。あとは、もう履けないような(サイズが、というより、ベタ靴ばかり履いていたので、筋肉が追いつかない)高いヒールのパンプスやブーツしかない。「靴も買うか」と、モール紹介の商品一覧から探す。革製のよい靴があったのでポチッ。しかし! サイズが不安。これまで、靴下を履くことを前提に靴を選んできたので、多少の大きい小さいは気にしなくてよかったが、今回のフラットシューズは素足に履きたいので、かなりシビアに選ばないといけない。今回選んだ商品には、「一回のみ交換サービス」がついていた。送料をお店持ちで交換してくれる。届いた靴を履いてみたら、左足はぴったりなのに、右足が窮屈だった。交換を依頼したら、すぐにワンサイズ大きい靴が送られてきた。今度は少し大きい。2.5mm刻みにならないものか。そして、左右別々のサイズでオーダーできないものか。待てよ。どちらも朝早く到着したので朝の試着だった。夕方まで待って、もう一度履いてみよう。サイズの大きな靴はやはりまだ大きいが、朝よりも足にフィットしている。対して、小さいサイズの靴は窮屈度が増し、靴ズレ必至な感じ。大きいサイズを残して小さなサイズは返品。一日じゅう履いていることは少ないが、人の家にお呼ばれし、帰りに履こうと思ったら窮屈だった、なんてことになったら大変。浮腫みが出ることを想定しての靴選びは大切。よい靴が手に入った。あっ!バッグがない!いつも使っているバッグだと、色やイメージが合わない。バッグも買うか…。こちらは、「革」「ショルダー」「A4対応」「マチ広」などというキーワードで検索した。よいバッグがあった。が、ポケットが少ない。シンプルなデザインで使いやすそうだが、細々したものをまとめるバッグインバッグが必要だろう。また検索。……ことほどさように、ファッションというのは面倒臭い。私は昔ゴルフをしていた。いろいろあって、5年ほどラウンドしなかったら、もうゴルフウエアが古くなり、以来、ゴルフをしていない。いまさらウエアを揃えるのは大変だ。普通のポロシャツなら1000円、2000円で買えるが、ゴルフウエアとなると、なぜか1万円を超えたりする。帽子、靴、シューズケース、グローブ、クラブカバーなど、時流のグッズを揃えるとなると、幾らかかるかわからない。私がゴルフをしていたことを知っているオヤジさまたちから「またゴルフ、行きましょうや」とお誘いを受けるが、全て断っている。「服装なんて、何でもよろしいやん。ボクなんか、何十年もこれでっせ?」オヤジはいいだろうけど、女性はそういうわけにはいかない。ファッション──この難儀な世界から10年遠ざかっていたのに、また、戻ってしまった。仕方ない。カレー屋をやめることも考えつつの毎日だし、これから、あちこち行きたいところに行き、会いたい人と会いたい。ちなみに、10年前の私のファッションはというと、常にスカートとパンプス、しかもスーツだった。ビジネスバッグとショルダーバッグのダブルスタイルで、得意先を車に乗って飛び回っていた。もうあんなファッションには戻れないし、戻りたいとも思わないので、これからのファッションは、本来、私がしたかったファッションを心がけよう(果たしてそんなファッション、あったのか…)。さて、明日の外来……。エコー検査があるのでワンピースはNG。……いつもの黒のスラックスとスリッポン、色の濃いトップスか……。あれ、変化なしじゃん。せめて化粧を変えて…、病院はマスク着用…。カラコンはダメ!!!なーんだ、いつもどおりじゃーんorz
2023.08.24
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外来の日が接近してきました。と、こんなときにメールが。。連れ合いが亡くなったときにPCにオーディオやゲームが複雑に連携されたネットワークシステムを解きほぐし、引越し準備に力を貸してくださった昔の仕事仲間というか、協力会社の方からです。店の近くまで仕事でいらっしゃるとのこと。一緒にランチを、となるとビールの一杯も飲みたいし、時間的にランチ後の昼呑みとなると、ワインとかハイボールとか……。いやいや、酒抜きでもいいではないか。コーヒーとか、パフェとか…。ウソォー。ホントォー?かくして店と自宅のちょうど真ん中あたりの駅に到着とのこと。自転車で急行!13時過ぎにおち合って、近くのリバーサイドレストランへ。ランチをオーダーしようとしたら、「ランチにします?」との質問が。ヒャッホイ!!これは!多分うれしい発言!「アテとアルコール?」「昼を食べる習慣がないので」しかし、、「そうなんですか。ここは昼は定食形式になっていて…。ランチタイムが終わったら一品メニューがオーダーできるので、とりあえずランチメニューのメインだけにして、ご飯と味噌汁を断ります?」「そうですか。じゃ、ランチにします」「ビールは?」「もちろん!」うれしい!あれ、この一週間、ほとんど酒を飲まずに頑張ってきたのに、なぜうれしいのかしら。「口実」ですね。飲む口実ができたから、飲んでもいいという言い訳が自分にできるのがうれしいのですね。そう。こういう機会に酒を我慢することだけはやめようと思っていました。だって、いつ飲めなくなるかわからない。この方にあと何度会えるかわからない。いいんです。検査の結果が悪くても。そのときは、そのときにどうすればいいか考えましょう。きょうまでひと月ちょっと、結構自制してきました。これで検査結果が悪いのだったら、きっとアルコールが原因ではないはず。とはいえ……とはいえです、生ビール5杯は…。。でも、5時間かけて飲みました。途中、トイレに2回行って、リセットしました(?)。ゆっくり飲んだので、肝臓への負担もゆっくりだったでしょう。これでよい。お肉も食べたし、炭水化物もバランスよく。よいランチでした。おいしかったし、話も楽しかった。日ごろ、会話できない鬱憤も晴らせました。これで体に悪い何かがあるとしたら、お手上げです。と、心に叫びながら帰ってきました。はと麦茶を飲みながらこれを書いています。唯一悪かったのは、5時間も同じお店に居座ったこと。申し訳なし。大川の見える席で、ゆったり過ごせたことを心から感謝します。さて、明日は営業。お酒は…我慢しましょう。明後日は外来。さすがに前日の飲酒は控えるのが必定。でも…、「ママもいき!」とビールをすすめてくださるお客さんだからなぁ。少しだけいただくことにします。そして、早く帰ってよく眠ります。きょうは何度か主治医の視線が脳裏をよぎりました。でもいいんです。あすもご登場になるかもしれません。でも大丈夫。体調はとてもいいし、食欲もある。体重も若干増えました。大丈夫。……胃が痛くなりませんように……。
2023.08.23
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いよいよ外来の日が迫ってきたので、酒抜きの日を増やさねば、と思っているのだけれど、冷蔵庫の扉を開けると——ため息が出るばかり。あん肝さらしくじら黒豚シュウマイ菜の花のお浸しくらげ(生食)ちくわもずくめかぶ……酒の肴ばかり。ごはんに合わぬ。買い物に出て汗だくになったら、水シャワーを浴びながらもう冷たいビールを飲む算段が脳の中で繰り広げられ、押しとどめようとしても止められず。冷蔵庫からビールを取り出しつつ、さらしくじらと菜の花のお浸しを皿に盛ったら、YouTube番組を見ながらグビ〜ッ、プハ〜ッ。一週間はこれができないと思うと……。仕方ない。ごはんか麺類中心の食事にしよう。きょうの昼はそうめん。大葉とミョウガを薬味にして。おかずは焼きなすと出汁巻き、キュウリやトマトものせて。あすの昼は蕎麦。わさびと海苔をたっぷり。天ぷらをつけたいところだけれど、油物も少し控えめにしたいので、焼きちくわをトッピングした野菜サラダにしよう。朝はプロテイン(豆乳割り)と野菜サラダか果物でやり過ごそう。夜は……、麺類では寂しすぎる。ごはんを食べる習慣がない。思いつくのは……、バゲットにピザソースとチーズをのせて焼く、ツナとコーンのサンドイッチ、ピザトースト、お好み焼き、チキンナゲット、フライドポテト……あかん、酒がないと食べられぬものばかり。アイスコーヒーか緑茶を飲みながら、ナッツやノンフライのスナック菓子でごまかすか。それが夜ごはん……くーっつらい。金曜日の外来が終わったら、しこたま飲んでやるーーー。あ、外来前の食事の実態を主治医に問われたらどうしよう。数字を前にすれば、嘘などすぐにバレてしまう。鋭い視線で睨まれたらと、想像しただけで怖気づく。いかぬ。本当に正しい食事にせねばならぬ。む、難しい。焼き魚と味噌汁と野菜の煮物…。食べた気がせぬ。酒飲みの食事とは、こうも一般人とかけ離れているのか。それに……検査結果が悪くて禁酒や入院を言い渡されたら…。チーン地獄である。
2023.08.19
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主治医対策でお客さんに「カラコンでもしようか」と言ったことが引っかかっていました。実は、若いときに連れ合いが(旅行などのとき)カラコンを使っていたこともあって、「やってみたら?」と言われていました。連れ合いは目が悪く、運転するときにサングラスをしたいけれど、サングラスをするとメガネがかけられなくなるので、その解消のためにコンタクトをしていました。それがいつしかカラコンに変わっていて、連れ合いは外人チックな顔立ちをしていたので、グレーとかブルーがよく似合っていました。私はというと、視力はずっと2.0だったし、目に何かを入れるなどという暴挙は恐怖でしかなく、黒目勝ち(美しくはないが、黒目が大きい)なこともあって、「私がカラコンすると、白目がなくなる」と言って拒否していました。最近、老眼のコンタクトがあると知って、でも「怖い」が勝っていたので、詳しく調べていませんでした。3ヵ月前に病を得て急激に痩せました。顔全体はもちろん、目頭の鼻の肉がげっそり落ち、老眼鏡を長い時間かけていると形がつくようになりました。これが高じるとシミになるという噂を聞きつけ、これはいけない!と老眼用のコンタクトを調べました。老眼用というより、遠視用みたいなのですが(生まれてこの方、視力に問題がなかったので、詳しく知らない)、どうせコンタクトをするなら、とカラコンの老眼用(遠視用)を探しました。黒目勝ちな私でも、白目がなくならないように、黒目の外径が14mmの小さめのものを選び、購入しました。!!!まだ届いていません。お盆休みなのと台風が重なって、だいぶ日数が経っていますが、使う機会がないので、気にしていません。本来は毎日使いたいのですが(老眼鏡をしたくないので)、使い捨ては、日あたりの費用がバカにならないので、今回は必要な日に使ってみることにしようと。必要な日って?営業日かな。いいえ! 外来の日は決して使いませんっ!主治医にバレでもしたら、軽蔑されこそすれ、よいことなんて1mmもないことがわかっています。それに、手元が見えやすくても遠目が見えにくいのはかなりのストレスになるでしょうから、外を歩いたり、移動するときの着用は不向きだと思います。外来のときは老眼鏡一択です。……それと、ちょっとした恐怖も抱えています。以前連れ合いから「着けてみたら?」ともらっていたカラコンを3年ほど放置していましたが、捨てるのももったいないと、着けてみることにしました。洗面所で格闘しましたが、10分以上目に入らなかった。やっと入ったと思ったら、度が強すぎて自分の顔が見えない。装着に対する恐怖と、装着した自分の見た目に対する恐怖があるのです。しかもその出来事はもう5年くらい前の話。まだ病気前の、実年齢より若く見えたときです。いまの私は…。今回は、ごくごくおとなしいカラコンにしました。黒目の縁が青いので、不自然にならない色で、しかも10枚セット一箱。度数も控えめ。さて、どうなりますか。。いいえ! 絶対外来のときは使いませんっ!!!※ほんっとに偶然ですが、いま、ショップから注文受付のメールが来ました。これからかいっ!!
2023.08.16
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私は主治医がすこぶる怖い。品がよくて、クレバーで、生まれ育ちの違い(私と)が顕著な雰囲気に加え、冷淡な口調と眼光が怖くて仕方ない。病気より怖いので、外来の日が近づくと必ず体調不良に陥る。大抵は胃痛と下痢。外来が終わってからも楽観はできない。次の外来までの宿題があれば、それを考える余り帰路についている間も悶絶する。という話を、うちのお客さんにしてはクレバーで物静か、ちょっと左寄りの雰囲気を醸す常連さんに打ち明けた。常「何でそんなに怖いの?」私「生まれ育ちの違いのせいで、私は下々の者という位置づけ。 対峙するとき、既に怖気づいています」常「医者と患者って、どうしても上下関係ができるからなぁ」私「上下ならいいんです。患者として見られるのは問題ない。 なんか…埒外に置かれている感じがして…」常「なんで? 病気のことを診てもらってるだけでしょう?」私「う…ん、、虫ケラを見るような目で見られているような…」常「そんなアホな。それは考え過ぎでしょ。そんなことないよ。 それはキミが思い込んでいるだけだよ」!!! そうなのだ。私が思い込んでいるだけなのだ。それは薄々わかっていた。が、そう思い込む私自身をどうにもできないから苦しいし、主治医が怖いのだ。常「まずそこから変えないと」私「自己肯定が必要だとわかっています。どうしたら自己肯定できるのか…」常「そうだなぁ……、自己肯定かぁ、難しいなぁ」私「カラコンでもしようかな」常「えっ!?」私「髪を金髪に染めて、ピアスして」常「そっち?」私「(アホの口調で)センセ、アタシ、チョウシイイー、とか言って」常「そっち行っちゃうの? それが自己肯定?」私「自己肯定無理。私と違う人物になっちゃう作戦。 怖いものなしのアホ女の設定」常「えー、もっと虫ケラ扱いされるよー」私「……ほんまや」浅はかな…。私はこの年まで、とにかく真面目に生きてきた。損はしても得することは特段なかったように思う。それでも真面目な生き方は変えなかった。毛染め(白髪染め除く)も、ピアスも、タトゥーも、化粧も、派手な服装も、何一つ「不良」と思われるようなことはしたことがない。我慢していたわけではない。したいとも思わないし、する術も知らなかったのだ。そういう、とにかく主義主張を表に出さない人間だから、自己肯定ができないのではないか!常「不良の素行はないかもしれないけど、主義主張は強いよ、キミ」私「あれ、そうです?」常「はっきりモノ言うし、反論するときは容赦ないし」そうだっけ?自慢話はもちろん、人の悪口や噂話は嫌いだし、芸能ゴシップや「ブーム」と呼ばれる現象になど全く興味がないし。常「政治の話となると、キミに勝てる人はいないでしょう」私「???政治の話なんかしてます?」常「政治そのものの話というより、裏話。 『岸田の発言の裏には◯◯のゴリ推しがあった』的な。 一般人が知らないようなことを、誰に聞いたん? くらい詳しく知ってるし」私「あ……」わかった。自己肯定できない原因はここにあった。おっさんなのだ。私は女性ではなくおっさんだったのだ。おっさんである自分を自覚して肯定することなどしたくもない。……待てよ。ということは、主治医の前ではおっさんではなく、女性でいたいということなのか?そんなはずはない。主治医は私の腹の中をグリグリした人である。私の全裸も見たであろう。裸より恥ずかしい腹の中を知っている人である。いまさら、女を主張してどうしたいというのだ。いよいよ私も血迷ってしまったのか。病というのは恐ろしいものだ。人格を変化させてしまうほどの力を持っている。数十年に及ぶこれまでの地道な人生を後悔させ、新たな自信を獲得するまで解放してくれぬばかりか、その間、焦燥感や不安、時に絶望感で雁字搦めにしてしまう。大げさな。。次の外来の日が迫ってきたら、また胃を痛め、下痢をするのだろう。それはそれでいい。では、次の外来の時に目標を持つことにする。これまで、主治医をまともに見たことがない。主治医のヘアスタイルが思い出せない。何だか全身白衣的なイメージなのだが、何がどうなっているのかまるでかわからない。一般的な、膝丈くらいの白衣の下は医者自前のカッターとスラックス、というスタイルではない。背広的な白衣(初めて見た)と白いスラックスであることはわかっているのだが、白衣の中身(シャツ)とか、靴とか、靴下とかは全く記憶にない。頭の先からつま先まで、まじまじ見てやろう。このこと以外は考えない。そうすれば、主治医の言葉に一喜一憂せずに済むだろう。目標達成のために邁進するぞ!あ、違う。次は肝臓の検査があるのだ。その結果が悪かったらどうしよう。どんなふうに怒られるのだろう。新たな治療が必要になったらどうしよう。そのせいで外来の間隔が短くなったら、もっと頻繁に胃痛と下痢に苦しむことになるのか。……自己肯定など論外の状況だと認識した。ああ、怖い。
2023.08.11
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この暑さのせいか、マスクをしている人がぐんと減った。外を歩くだけのときは余り気にならないが、電車の中やショップに入るときは着けた方がいいのでは…と思う私は「マスク外せない族」だろうか。私はいまも外を歩くとき以外は着けている。病気をして随分痩せたので自分で自分の顔を見ても見苦しいと思う。すれ違う人の少ない外ではいいとして、ショップの中や電車の中では、マスクをしていた方が他人を不快にさせないかなと。いや、自分のことはいいとして、私の身の回りでコロナに罹患する人がとても多い。ここに来て、という感じがするが、「家族が…」「職場の隣の人が…」という濃厚接触者を含めると、結構な数に上る。主治医さえも、それらしき症状を呈して寝込んだと言う。芸能人やYouTuberといった有名人にも罹患者が見られるし、店のご近所さんも「2回目、罹った」「嫁が2回目」「母が4回ワクチン打って、3回罹った」なんていう話をウイスパーしてくれる。私は一度も罹っていないが、罹らないという確証はないし、いま罹ると厄介だなぁと思う(痩せて血液の状態がよくないので、免疫力等が下がっていると思われる)。という状況なので、まだマスクをしている。すると、『まだしてるんですか?』みたいな目で見てくる人がいる。怖い民族だ。マスクを着けるのが当たり前のときは、着けていない人に対して「なぜかけてないんですか?」と問うたり、そんな目で見てきたが、マスクを外した人が多くなると、着けていない人に『まだしてるんですか?』の目だ。マスコミやSNS上でなかなかマスクを外さない人のことを「マスク依存症」と揶揄し、マスクに過剰にメリットを求めることを「マスク信仰」「リスクゼロ指向」などと決めつける。周囲に感染者がいると、手洗いやうがい、マスクの着用に慎重になるのは当たり前。マスクのみを過剰に意識する必要はないはず。日本人はこれまでも、花粉症でも、PM2.5でも、インフルエンザでもマスクは着用していたではないか。コロナを経たら、意識が大きく変わってしまった。マスクを着けていると暑さ倍増なので、これをきっかけに外すのは、「キリ」としてよいこと。だが、それを他人にも求めるのはちと違う。ファッションと考えればよい。コロナ流行の当初と違って、マスクのデザインや色、素材も豊富にあるし、マスクとメイクが一体化しているというオサレな女性もいる。マスクがあるからキレイに見える、そんなファッションコーディネートを楽しんだっていい。そういう発想で生きていきたい。ま、私の場合、ファッションなどという高尚な意味合いではなく、変装的、隠蔽的仕草で……泣。
2023.07.28
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(前回の続き)前日はお決まりの胃痛。営業(小料理屋)があったので、多少気は紛れたのですが、お客さんに相談したほど。「どうしたら主治医を説得できるでしょう」と。「ストレートに言うしかないんちゃう?」という何のアドバイスにもならない言葉をもらい、うなだれるしかない私。予約時間の1時間以上前に到着して必要な検査を済ませ、外来待合室に到着してからも1時間以上待たされ、結局予約時間より15分ほど過ぎて名前を呼ばれました。診察室に入ると、??? いつもと雰囲気が違うと察知しました。「失礼します」と言いながら丸椅子に座った私に返した主治医の言葉が「はぁい」という小さな声でした。顔はPC画面を見たまま。違う!こういう人ではなかったはず!こちらをキッと見据えて眼光鋭く「こんにちは」と言ってくださるはず!姿勢も少し崩れているし、視線も弱い。顔色が冴えない感じもする。「どうですか?」と聞かれ「とてもいいです」とわざと元気に答えました。ふっと口元に笑みを見せながら、顔だけこちらに向け、「何がいいの?」と。勝機が舞い込んで来たかも!と瞬時に感じる。おちょけた表現を嫌がりながらも笑みが漏れるのは、冷たい声で一蹴するいつもと何かが違うからと察知。私も笑顔をつくりながら「傷痕が痛くなくなってきましたし、前回より調子もいいし」と答えると、主治医が好相を崩しました。初めて見ました。主治医の笑顔。私はわざと意味のないことを言いました。「変わりありません」というありきたりの言葉か「下痢が続いています」などの症状を言うのが通常。もし真剣に答えるなら「下痢の頻度が減り、食欲が増して来ました」くらいのことを言っていたはず。でも、ここぞ!と思った私は、自分のペースに主治医をはめようと画策し、次の言葉が続く意味のないことを言いました。思惑通り、主治医は笑いました。「意味のないことを」と嘲笑したのかもしれません。あるいは、私のつまらぬ言葉にいつものような鋭い言葉が思いつかなかったのかもしれない。何れにしても作戦は成功しました。「下痢は続いていますか?」「頻度も回数も減ってきました」「体重は?」「47kgです」(前回外来時と同じ)「そう…」(増えてないんか、と心配気)「減ったりしますが、戻りますので、そのうち増えるかと」という順当なやりとりの後、血液検査の結果と合わせて化学療法の話に。主治医はやはり化学療法をする方向で検査項目を設定していました。「先生、化学療法はやりたくありません」前日、あれだけ胃を痛めていたのに、まったく躊躇なく言えました。やりたくない理由を超簡単に説明しているとき、その話に呼応して、主治医が何というか、感情表現…、割とベタで激情型人間が使いそうな言葉を使ったのです。驚きました。冷静沈着、患者のことを「下々の者」と思っている人が使う言葉では決してありません。ひょっとして、私は主治医の人柄を見間違えているのかもしれないと思ったのですが、容姿や視線、言葉からして間違いとは言い難く…。しかして、このギャップにつけ入る策を巡らせていました。一通り化学療法の話が終わり、パソコンに必要な事項を打ち込む主治医の横顔を見ながら、「先生、お疲れですか?」と聞きました。こんな会話をしたのは初めてです。入院中も外来時も治療関係の会話しかしたことがなかった。主治医はこちらを見ながら「先週、寝込んだ」「えっ! 過労ですか?」「喉ゴロゴロになった」「コロナじゃないです?」「わからん。抗原検査では陰性やったけど」とてもラフな感じで話をしてくれます。終始笑顔。きょうの混み具合もそのことが影響している模様と知り、調子が悪いのに大変だと、早く診察室を出られるよう話を片付けに入る。診察室を出る時には「先生、お大事になさってください」と、患者と医者逆転かのような言葉をかけました。そうか。主治医が弱っていたと察知した私のサバイバーセンサーが五段くらい下にいた自分をぐいんと引き上げ、強気の言葉を吐かせることができたのだな。とりあえず、化学療法の話はクリアできた。これで次からは楽…ではないな。。調子が戻った主治医の「下々の者め」という雰囲気を醸し出す視線と言葉に勝てるわけがない。次は夏休みも終わりのころ。血液検査の結果が悪くて宿題が出ました。まだまだ暑い中、胃痛と戦うのかと気が萎えます。対策は自己肯定。自己肯定ができれば、主治医にも物怖じせずに対峙できるはず。自己肯定できる近道は自信。自信って、何ぞや?わからぬ。うーむ。自信…それを考えて胃腸を壊しそうな予感がしまする。
2023.07.23
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(長いので、2回に分けます)退院2週間後に外来があり、主治医と対峙しました。ここでちょっと主治医の説明を。入院時の主治医は内科の医師(女医)でしたが、手術を経て外科の男性医師にチェンジしました。この主治医、私のこれまでの人生に稀なほどインテリで品があり、クレバーな人。広告というヤクザでいい加減な人間ばかりの集まりの業界でも、たまーに格式のある人がいますが、やはり医業界と比べると一段も二段も低い感じがします。きっと主治医は生まれも育ちもいいのでしょう。無駄な会話がお嫌いです。ちょっとしたおちょけた言い方には鋭い言葉で返されます。こちらはおちょけたつもりがなくても、表情が悪かったのか、声色が気に食わなかったのか、「Sですか?」と疑うくらい抑揚のない静かな声と鋭い視線で打ちのめされます。言っておきますが、私は打たれ強いのです。貧乏人の底力があるし、プランナーという職業柄(10年前までの話)、意地悪な質問や嫌がらせのような言葉に打ち勝つ力があります。若いころから世間を渡り歩いてきた実績があります。伊達に24から会社をやっていない。社長を26期務めた人間は、一般人にはない強さと論理があります。が、インテリには弱い。品のない人間、学のない輩を相手にすると、次から次へと言葉が出てくるし、「打ちのめしてやる」という闘志が湧きます。結果、負けはほとんどない。が、が、が、インテリには極端に弱い。仕事なら、自分の立場を利用してうまく立ち回る術もあるけれど、医者と患者の立場となると、得策も愚策もありません。品がない自分には知り得ない世界にいらっしゃる人と会話するときは無意識に一段か二段、いやもっと低い位置に身を置いているのだと思います。で、主治医と対峙する外来の予約日の前日になると胃が痛くなる。外来が終わって、宿題をいただいた後はもっとひどい症状になる。話は戻って。退院後2週間後の外来のとき、前日は何も食べられないほどの胃痛に苦しみました。このとき、原因が外来だとは思っていませんでした。「この胃痛の相談もしなければ」と呑気に考えていました。が、絶対に聞かれる(進言される)化学療法のことが原因だと後でわかりました。翌日の外来で、やはりその話になりました。私は即座に「化学療法はしたくない」と言いました。が、主治医は「始めるなら2ヵ月以内」と言います。いや、断っているのにぃ。。しかし、この時の私は、再度断る勇気がなかったのです。「わかってくださっているはず」と無理に言い聞かせていました。化学療法を断ることは、手術の前に決めていたのに、それを説明する言葉がなかったのです。「話せば長いことながら…」と説明する勇気も時間も気力もなかったのだと思います。次の外来をひと月後に入れられ、「あ、また化学療法の説得をされるな」と察した私は帰り道でさらに激しい胃腸の痛みに苦しむことに。夜中じゅう苦しみました。「次の外来ではっきり断らなければ」そう思うも、気が重いのが1ヵ月も続くと思うと、毎日そのことばかり考えていました。「そのこと」とは、「化学療法をどうやって断るか」というより、「主治医をどの言葉で説得するか」だったと思います。言葉の世界で生きてきた私が、これほど言葉に窮することになるとは…。かくして外来の日がやってきました。
2023.07.23
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6月から店を休んでいます。正確には5月の下旬からなのですが、5月中は限定的な夜の営業をやっていたり、店で作業をしていたりしたので、それを知っている常連さんも多いし、店の情報を上げているFBやTwitterではそういう告知をしていました。もちろん、店のシャッターにも休業することとFBとTwitterで告知するという張り紙もしています。事の顛末を話しますと、5月15日に病院に行ったところ、即時入院を言い渡されましたが、その病院には入院施設がないため近くの大きな病院に紹介状を書いてもらい次の日に診断と入院をする段取りになりました。もし入院施設があったら、即入院、即手術、という状況でした。翌日、大きな病院での診断で入院が決定し、その日のうちに小さな手術を受けました(大きな手術ができない状態で、緊急回避的に小さな手術をし、落ち着いたら大きい手術、という段取り)。大きな手術はスケジュール待ちで、一週間ほど一時退院できました(5月22日〜月末)。その間に営業したり、店で作業したりしていました。正式に入院したのが5月末。退院したのが2週間後。手術痕の痛みもさることながら、痩せてしまったので、人様の前に出る状態ではなく、また、梅雨と暑さで体力が持たないだろうとしばらく休むことにしました。できたら、7月から本格始動にしたいと思っていましたが、昼は少し置いて置いて、6月23日から、予約をいただいた件に限り夜の営業も再開しています。夜の予約対応は割合頻繁。退院を知った常連さんたちが集まってくれています。FBとTwitterにはそういう告知をしていましたが、強い営業に負けて店舗情報を掲載をしていたGoogleには手が回らず(ログイン情報を持ち歩いていなかったのと、閲覧者がそんなにいるはずないと思っていました)、営業情報を放置していました。きょう、Googleから告知が来まして、利用者から書き込みがあったと。「昼も夜もいつも閉まっている。暑いからもう二度と行きません」というもの。シャッターには状況報告の張り紙をし、FBとTwitterを見て欲しい旨の文言を入れてあります。うむ。。コロナのとき、我々飲食業はどんな気持ちになったか。待てど、暮らせど来ぬお客さんに何を思ったか。でも、お客さんを恨んだり、怒りをぶつけたりしませんでした。毎日毎日、お客さんが来ないことがわかっていながら仕込みをし、店を開けていました。「飲食店って、そんなものよ」と言われ続けました。そんなものじゃない飲食店にならないといけないと思います。毎日16時間働き、休みは日曜だけという生活を8年以上続けました。親が死んだときも店を休みませんでした。そんな無茶なことはもうできません。自分の体に合わせた働き方をし、それでも来てくださるお客さまを大切にしていく。そういうやり方に切り替えていく必要があると、きょう思いました。「もう若くないんだから」と言われます。元気なら、幾つでも無理が効きます。年齢の問題じゃない。でもいまの私は、「命は有限だから」と思います。命を粗末にしないようきちんと考えて生きていかねばと、今回助けてもらった奇跡に感謝し、尽力してくださった人々に報いねばと思います。
2023.07.10
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リサイクル法が施行される前の滑り込みで購入したのが前の冷蔵庫。21年以上働いてくれて、まだまだ働いてくれると思えるのだが、転居先の冷蔵庫設置スペースに入らないと判明。もったいないと思いながらも「いい機会」と思うことにして、新しい冷蔵庫に買い換えた。それが今年1月。半年にして、壊れた!冷蔵庫部分は冷気が出ているようなのだが、それ以外の低温庫はすべて温度が上がっている。常温のものを冷凍庫に入れる前に温度を下げる瞬冷庫、サクッと切れる氷温庫、冷凍庫、製氷庫。。(特有の名称があるので、メーカーがわかりそうだが)真夏のこの時期に…。。販売店に連絡したら、「メーカーに電話せい」と。(取説に「まずは販売店に」と書いてあったので、念のため連絡したら、けんもほろろ)メーカーの「相談室」に連絡したら(0570の有料電話。すごい待たされた)、「修理依頼しろ」と。「修理センター」に電話したら(またしても0570。こちらが悪いのか!)「予約をさせていただきます」とのこと。「エンジニアの方と事前にお話できませんか?」「なぜ?」「昔の冷蔵庫と違って、目や耳で故障を察知するのは難しい。エンジニアの方に聞いたら、簡単に解決するかもしれない」「それは、相談センターの役目」いやいや、相談センターの説明や指示は素人向けだし、こちらはそれに満足できていないからエンジニアと話したいのに。「修理依頼して来ていただいたけれど、ちょっとしたことで改善した(修理の必要がなかった)場合、どうなります?」「出張料や技術料はいただきます」えー!こっちの損(不利)過ぎる!素人にAI制御の家電の状態が判断できるわけがない。修理に来てもらう必要があるかないかもわからないが、とにかく修理依頼をせいと。修理の必要がなくても料金は発生すると。しかも、購入半年で!!!!日本て、こんな国だったっけ?もっと、家電の知識が必要ということ?何にしても、明日は来てくれない。冷凍庫とそれに準ずる庫に入っているものは全滅。仕事もあるのに。「厄」とか「運」とかそういうものじゃない何か「悪」が憑いているように思える。どうしたらよいのか…。。。
2023.07.05
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【いつから日本はこうなった】諸々の必要性があり、ウォーキングをする日が多い。暑いので、5,000歩程度の軽いものだけれど、それゆえ、効率的に歩きたいと思う。自宅の周りには、歩けるルートがあるにはあるが、普通にそのルートを使うビジネスマンや一般のおばはん、もといご婦人や紳士も多い。ウォーキングのペースを乱す信号も多々ある。通常の110〜120%のペースと歩幅を求められるウォーキングなので、普通に歩いている人の後ろにつくと、全くと言っていいほど効果が得られない。ゆえに、信号は先頭で渡りたいし、障害を避けてまっすぐ歩きたい。が、が!信号待ちをしていると、私の前に割り込む輩がいる。「急いでいるのか…、仕方ない」と自分を無理やり納得させるも、そやつはやおらスマホを取り出して画面を見ている。道順を確認しているなど、私の前にいる理由でスマホを操作するなら百歩譲ろう。が、どうもゲームやSNSを見ているような気がする…。不安は的中。信号が変わっても歩き出さない。道を塞がれてこちらも歩き出せない。ようやく歩き出したと思ったら、異様に歩速が遅い。こちらは思うように歩けないので苛立つ。そんなにマイペースを保ちたいなら、人の後ろに並んだらいい。自転車でも、車でも同じ思いをする。そんなに鈍臭いのに、なぜ人の前に出るのだ!!!!「24時間戦えますか」の時代を生きた人は、歩く速度が速いらしい。時間にも神経質。だって、そういう仕事環境だったから、いつも急いでいたし、遅れるなんて滅相もない。少しの遅れが次の仕事に影響するし、相手方の仕事にも悪影響を及ぼす。その焦りが身についている。のそのそ、のろのろ、グダグダが大嫌い。いや、それはそれでいい。私と関係ないところでやってくれるなら、否定はしない。と、病気を治すためのウォーキングにさえイライラし、ストレスを溜めて病気に悪影響を与える。私の生き方を修正すべきか、そんなストレスのない環境を求めるべきか、はたまた病気を治すなどという夢物語は今の日本ではかなわないのか。こんな日本では、病気からのがれられそうにない。。。
2023.07.01
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