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これを披露するのは、少し注意が必要だと思っている。抗がん剤の種類、がんの種類、がんの状態、体質、日常生活、年齢など、条件が違えば全く効果が違うかもしれないし、逆に、効果がほとんどないかもしれない。参考にならないことと前置きして。●筋力低下には ── 「筋トレ」「プロティン」がん患者は筋肉が少ないと言われる。筋肉が少ないからがんになるのか、がんになったから筋肉が少なくなったのかはよくわからないらしいが、がん細胞が育つためには栄養が必要なので、血液や筋肉を食い物にしていることは想像に難くない。毎日少しでも、筋肉を使う運動が必要だと思うので、朝、ベッドから出る前にできる簡単な筋トレや、スクワット、握力グリップなどでちょこちょこ筋肉を使うようにしている。その前にプロティンを飲むのが効果的。私の場合、ホエイプロテイン、豆乳、きな粉、オリゴ糖の組み合わせでシェイクしている。乳製品が体に合わない人もいるので、ホエイにするか、植物由来のものにするかは要検討。●免疫力の低下には ──「黒にんにく」以前、仕事がハードな私にと、お客さんがくださったのがきっかけで、黒にんにくには興味があった。しかし、結構なお値段なので、常用する覚悟ができなかった。抗がん剤治療にあたり、免疫力低下は大きな問題なので、これを防ぐ方策として、毎日一粒を食べている。(たくさん食べると下す人もいる)肝機能の保持にも効くらしく、抗がん剤は、肝機能と腎機能の低下が心配されるので、この治療にはうってつけの食材。もちろん、単なる食品であることは確かなので、過度な期待は寄せていない。●皮膚の色素沈着には ── 「ハイチオールC」私の使っている抗がん剤の副作用で気になるのが「色素沈着」。抗がん剤治療をしている患者さんが悲惨さを醸しているのが肌の色の悪さだと言われている。昨年の手術で、肌の色が格段に悪くなった。肌の水分量の低下や栄養状態の悪化などさまざまな要因があるだろうが、本当に悲しくなるほど肌の色艶が悪くなった。最近、ようやく少しましになってきたと思ったら、抗がん剤の副作用という現実…。怖い主治医に、少しでも色素沈着を抑える薬を服用したいと相談、ハイチオールCについては、一応許可をもらった。肝機能等の様子を見ながらということになるが、とりあえず1ヵ月くらい服用中。効果はわからない。肝機能はいまのところ問題ない。●おなかの不調には ── 「ビオフェルミン」私が使っている抗がん剤は「便秘」が心配される。が、私は逆のゲリリンが激しい。元々下痢体質なので、いたし方ないと諦めている。が、ひどくなると腸管を傷つけたりするので、症状を改善する努力は必要。病院では、主に下痢止めを処方してくれるが、薬をほとんど服用したことのない私には、こうした極端な効果のある薬は強すぎるように思う。よって、整腸作用のあるビオフェルミンを服用している。私の場合は市販薬だが、病院に依頼しても処方箋を出してくれる。●多くの副作用の発現を抑えたい ── 「不活化乳酸菌」抗がん剤治療の前に、肛門科の専門医の話を聞く機会があった。そこで登場したのが「不活化乳酸菌」。私のがんは、大腸がんからの再発・転移なので、この話は役に立った。そこで、いろいろ調べて、製薬会社の不活化乳酸菌を購入。治療に入る1ヵ月ほど前から服用している(用量の半分。用量を飲むと、ちょっと調子が狂うので)。腸内の状態を良好に保つと、抗がん剤の副作用が強く出るのを緩和する効果があるとか。(発現を抑えるほどの効果は期待できない)このおかげかどうかわからないが、いまのところ、どの薬剤師や看護師からも「副作用が軽いね」と言われる。もちろん、副作用の出現、深刻化はこれからだと思う。薬剤成分の蓄積もあるだろうし、私の体が耐えられる限界もあろう。とはいえ、やらないよりやった方がよかったと思う。やらなかった場合の結果を確認することができないので、思い込みの域を超えないことは確かだが。というような、努力と言えない努力のようなものもしつつ、怖い主治医にどやされないように、慎んで日々を生きる虫けらなのだった。 精 進
2024.09.28
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毎度のことながら、説明を。昨年の5月から虫けら(私)を担当してくれている怖い主治医とは、波長の違いというか、人格の違いというか、単に虫けらが怖い主治医から嫌われているからか、すれ違いや勘違い、誤解などが盛りだくさんの一年を過ごした。今年6月に、新たなステージに入ってからは、それまでの3ヵ月に一度、というペースではなく、2週間に一度というとんでもないペースで怖い主治医と会っている。今回は、今週のはずだった抗がん剤治療が不可になったので、来週も会うことになる。1年前の虫けらなら、診察の前3日間は胃が痛くなり、ゲリリンになり、ゲンナリするしかない日々を過ごした。が、いまは、割と平常心で(ということもない。相変わらず冷たい視線を投げかけられると、あちこちが痛い)接することができている。それは、先月に初回の抗がん剤治療と、ポート留置のための入院をしたことが大きな要因となった。怖い主治医は入院当日から3日間、虫けらの病室を訪ねてくれた。それぞれ、用件はあったのだが、虫けらとしては、そんな小さな用件でわざわざ病室を訪ねてくれたことに感動もしたし、怖い主治医に対する認識も大きく変化したのは間違いない。これまで、3つの謎を解明してきたが(虫けらの得手勝手な解釈。本当の答え合わせはできていない。すみません)、今回は、ごく小さなことなのだが、怖い主治医の思考の基本を垣間見ることができると虫けらが思っていること。虫けらが入院した日の夜、怖い主治医が病室を訪ねてくれたのは、手術に関する確認だった。実は、看護師から、「執刀は主治医の先生ですよ」と教えられていたのに、実際は、もっとペーペーの若い医師にスイッチされていた。虫けらは激しく落ち込んだ。怖い主治医は外科部長。執刀に関しては、安心しきっていた。ところが…。手術は生き地獄のような痛さだった。その様子を、手術室にいた誰かから聞いていたのかもしれない。病室を訪ねてくれたときは、大変緊張したような表情と声色だった。虫「先生が執刀してくださるんじゃなかったんですか?」と聞いたら、怖「怒られると思ってたんや」と返してくれたので、怖い主治医が執刀しなかった(事情はあっただろうが)ことで、虫けらに後ろめたい…、申し訳ない…的な気持ちがあったことが理解できた。その日の会話の最後に、怖い主治医は怖「個室、希望してた?」と虫けらに聞いた。虫けらは、「貧乏人の虫けらに、個室料金が払えるのか心配しているのか?」と思った。15000円/日の個室は、確かに高いのだが、大部屋(4人部屋)に入って、副作用で皆さんにご迷惑はかけられないと、入院が決まったときに、個室を取ろうと考えていた。また、個室は、自分で希望したときと、大部屋が満床で、個室に回される(大部屋料金)ときがあり、以前は、後者のパターンが結構あったが、いまは個室の方が混んでいるようだ。いまになって思うと、1年前の入院のとき、ゲリリンや不眠で皆様にご迷惑をかけたと思うので、個室を取りたいという気持ちと、もしかしたら、怖い主治医と会話する機会が持てるのではないかと、期待する気持ちが混在していたように思う。いまになって思うと、だが。怖い主治医の「個室、希望してた?」の答えは、2日後の会話にあった。虫「退院は日曜日ですか?」怖「土曜日、点滴が終わるのが午後になるので、 日曜日にさせてください」そのとき、虫けらはその言葉を何気なしに聞いていた。が、よくよく考えると、個室料金の負担をなるべく減らそうと考えてくれたのだ。もし、点滴が土曜日の午前中に終わるようなスケジュールだったら、土曜日の退院にしようとしてくれたのだと思う。しかし、点滴の終了は15時過ぎ。途中で問題が発生したら、もっと遅くなる。退院時間を設定するのが難しい。土日、怖い主治医はお休みなので、緊急事態が発生したら、他の医師に対応を託し、その成り行きによっては、退院を取り消さなければならない。週末は、医事課との連携も難しいだろうから、余裕を持った退院日にした方がいいという判断だろう。そういう細かい配慮をしてくれたのだとわかったのは、虫けらが退院して、このブログを読み返していたときだった。「あぁ、私は浅はかな人間だ」と痛感した。あの、冷たくて、厳しい表情の怖い主治医が虫けらにそんな配慮をしてくれたとは思ってもみなかった。いや、虫けらだからじゃない。どの患者にも、そういう配慮を怠らない人なのだろう。ということがわかった虫けらは、また一つ、怖い主治医の本当の姿に近づいたのかもしれない。答え合わせはまだある。新しい事件もまたあるかもしれない。もう少し思慮深い視点を持ちながら、次も書いていこう。 黙 考
2024.09.21
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1年3ヵ月前から、外来で怖い主治医の診察を受けている。5月末の検査で転移が見つかってからは、2週間に一度というとんでもないペースで怖い主治医と会っているが、それまでは3ヵ月に一度、しかも診察時間は3〜10分と短かった。ゆえに、会話は病気や症状に限定したもので、会話らしい会話をしたことがなかった。虫けらは虫けら扱いされることが当たり前になっていたし、怖い主治医は、ほとんど言葉を発しない姿勢だった。ところが、怖い主治医が変な言葉を口にすることがあった。その言葉を聞くたび、毎回「???」である。『変なこと』とは──虫けらが『怒る』というのだ。虫けらが怒ったことは一度もない。怖い主治医相手に怒るなど、身の程知らずもいいところだ。最初にその言葉を聞いたのは、最初の入院・退院後、3度目の外来診察のとき。2度目の外来診察のときに、予防的抗がん剤治療の意思確認をされたのだが、虫けらははっきり断った。3度目の診察で、肝臓の血液検査の結果を話された。虫けらは、「なぜ肝臓の血液検査なんかした…?」と思いながら怖い主治医の話を聞いていた。(血液検査は毎回する。そこに、肝臓関連の項目を追加されたということ)怖「抗がん剤が肝臓に影響する場合があって…」と言うので、虫けらはすかさず、虫「前回、予防的抗がん剤治療は不要と申しましたが」と言うと、怖「怒られた…」と言うのだ。怒った口調でも、厳しい表情でもなく、ごく普通のトーンで言ったはずなのに。虫「いえ、怒ってはいませんが」という言葉を返すのが、精一杯だった。(虫けらは怖い主治医が怖い。いつも萎縮しているし、言葉を発すると、手が震えるほど緊張している)実は、特殊な血液検査は費用が驚くほど高い。いやだなぁ、という気持ちはあったが、怖い主治医相手にそんなことを言う勇気はなかった。2度目は、抗がん剤治療の専門看護師が診察室に入ってくれていて、3人で会話したときだった。怖い主治医がおかしなことを言ったので、笑い話というか、世間話のような会話ができて、場が和んだ後、怖「申し訳ないけど、この後血液検査をしていただきます」虫「はい」怖「抗がん剤が肝臓に影響を与える場合があって…」虫「その検査、もうしてますよ」怖「え、いつ?」虫「予防的抗がん剤治療は不要と言っていたのに、その後検査されて」怖「あ、また怒られた」そう言いながら、カルテの中にそのデータがないか探し、怖「あ、ほんとやね」と独り言のように言って、大きな体を小さくしていた。それは1年前の検査だったので、新たなデータが欲しいということで、再度血液検査をすることになったのだが。3度目は、2度目の入院・手術の後。病室を訪ねてくれた怖い主治医は、とても怖い表情をしていた。これまでに見たことがない、厳しく鋭い目。しかし、虫けらには、怖い主治医に聞きたいこと、言いたいことがあったので、余りそのことを意識せず会話できた。怖「どうでした? 手術は」と聞かれる。依然として鋭い表情。虫「痛かったです。生き地獄みたいな痛さでした」怖「そんなに痛かった?」少し心配気だが、表情は硬いまま。虫「先生が執刀してくださるんじゃなかったんですか?」怖「怒られると思ってたんや」怖い主治医が表情を緩めて笑った。多分、怖い主治医の怖い表情は、私が怒るだろう事態への危惧(恐怖)からのものということで間違いないと思う。もう一度だけ、「怒られた」という言葉が怖い主治医の口から放たれたことがあるように思う。どういうシーンだったか思い出せないのだが。あ、「怒られた」という言葉ではなかったものの、もっとすごいことがあった。転移が分かったとき、一通り怖い主治医からの状況説明を聞き、「この結果をどう思うか」というえげつない質問に明後日の回答を返した後、虫けらが、虫「半年前なら、もっと少なかったか、なかったか…?」怖「それ、僕も考えたんや」虫「PETと言わんまでも、これ(造影剤CT検査)を 半年前にやっていたら…、ね」怖「すみません」「すみません」と「怒られた」は同義語のような意味合いだと思う。「怒られた」には反省は含まれないが、「すみません」には、若干の、ほんの若干の反省が含まれるということか。いずれにしても、怖い主治医が、いまの立場で「怒られる」ということは決してないだろう。そして、患者が怒る、という事態も多分ない。虫けらぐらいのような気がする。怖い主治医の患者は、そのほとんどががんの手術をした者で、しかも年寄りばかりだ。外科というのは、そういう診療科だ。待合室を眺めてみると、虫けらのような年齢の患者は滅多にいない。杖、シルバーカー、車椅子利用者が大変多い。元気のある患者がいないのだ。「先生様、お任せいたします」という姿勢であろうことは容易に想像できる。が、誤解のないように言っておきたい。虫けらは一度も怒ったことがない。しかし、怖い主治医は「怒られた」と言う。怖い主治医が虫けらをどう見ているのかは理解不能だが、医者を一喝するような、恐ろしい性格と思っているか、怖い主治医に不満を抱いている鬱陶しい患者か、はたまた、怒りんぼのやりにくい奴だと、クレーマー扱いされているかのいずれかだろう。このことは、直接弁解したり、説明したわけではないが、入院中に他のことに触れながら、誤解を解く努力をしたことがある。そのことは、後述することにして。あと3日もすれば、また怖い主治医に会う。次には、いろいろ会話しなければならないことがある。副作用とトラブルについて、所見を聞きたいのだ。できれば、虫けらが誤解されないように、慎重に言葉を選ばねばならないと思うが、怖い主治医はきっとまた変な誤解をして、虫けらを変人扱いするに違いない。これが、波長の合わない人間が絡み合ったときに起きるどうにもならない事態であり、ジレンマである。さて、またご報告ネタができるのではないかと思いつつ。今回はこれにて。 自爆
2024.09.15
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飲食店は、「政治」「宗教」「野球」の話はしてはいけない、という掟がある。これは、きっちり守っている。しかし、同じ思想信条、政治信条のお客さんしかいない場合は、時事的に話すことはある。とはいっても、深入りはしないことにしている。深いところでは、結構対立する場合があるからだ。というわけで、ごく薄い表面的な話になるが、久々に政治ネタを。いま、自民党総裁選で地上波はかまびすしい。現時点では、「自民党総裁=首相」なので(首班指名という行程があるが、ほぼそうなる)、国民の関心が集まるのは仕方がない。ところが、地上波はどこも報じないし、一般国民はまるで知らないことがある。知らないことは、大変な問題なのだが、政治家もマスコミも、一般国民には知らせたくないのだから、情弱の国民は知らぬままに選挙に行くし(自民党総裁選ではない)、間違った政治家を選んでしまっている。「知らないこと」とは何か。それは、共産主義と自由主義の戦いであるということだ。いま世界では、先進国を中心に、左傾化が進んでいる。イタリアのメローニや、アメリカの前大統領のトランプ、オーストラリアの前首相、イギリスの前首相などは、その路線を右に引き戻す政策を打ち出している、もしくは打ち出していたが、うまく定着しない現状がある(メローにはこれから。実に力強い政策を推進中)。逆に、左傾化して、どうにもならなくなったドイツやスウェーデンなどは悲惨この上ない。この状況に大きく関わっているのが、「差別」と「移民」。そして、こうした世界情勢を後ろで操っている組織がある。その組織が共産主義なのではない。共産主義を利用して、世界統一を目論む組織なのだ。これは、マルクスが共産主義を考案したことから始まり、マルクスを金銭的に支援したのがその組織である。つまり、共産主義誕生から現在まで、200年近くにわたって世界のあちらこちらで世界統一の実現を目指して、到底地道とは言えない動きを展開し続けているのだ。その組織の代表がロスチャイルド家。その名前を知っている人はどれくらいいるだろうか。プーチン登場前のロシアも、CCPも、この組織をバックに世界覇権を目指していた。現在、アメリカがおかしくなっているのは、この組織に加え、CCPの金と人海戦術によって、もう戻れないほど侵食されてしまっているからだ。米民主党に、共産主義者が入り込んで、アメリカの国家破壊を着々と進めている。来年の大統領選挙で、トランプが大統領にならなかったら、アメリカはおしまいである。日本も、終焉がすぐそこに来ている。(自民党には、共産主義者が入り込んでいるようだ。保守主義と偽り、政権与党の立場の党を破壊している)移民政策に邁進した岸田政権のおかげで、日本には、非常に多くの移民や不法滞在者が押し寄せている。帰化要件も緩和したことで、日本人の顔をして国家破壊を目論む輩が大勢いる。しかも、スパイ防止法がないから、大変な量のスパイが国内で暗躍している。わかっていても、取り締まることが事実上不可能。CCPなどは、秘密警察を日本国内につくったり、軍人が大学に留学して、軍事転用できる技術を日本から盗んでいる。「移民」「自然エネルギー」「外国人労働者」「環境問題」「差別問題」「LGBT」など、様々な問題を抱える日本だが、これは裏では全て繋がっている。それを知らずに、一般国民は「顔がいい」「爽やか」などとバカな理由で政治家を選ぶ。自民党の上層部は、そういう情弱を狙って候補者を出してくる。現在、9人の候補者がいるらしいが、高市候補以外は、どうにもならない。そう判断する人間はほんの一握りであることを知っているのだ。そして、今回も高市候補以外の候補が総裁になる可能性が高い。嘆かわしい以上の慟哭を感じる。私はいい。あと僅かでこの世を去るのだから。しかし、若者や子供の未来がどうなるのかと考えると、心を暗くせずにはいられない。ほんの上辺だけの話ではあるが、共産主義が恐ろしいということを忘れてはならない、日本の未来をそちらに導いてはいけないということが言いたかったということで。 南無
2024.09.11
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昨年5月に手術して、虫けらの主治医となってくれた外科部長先生は、冷静沈着、物静かでクレバー、しかし、端的で冷淡な言葉と視線で虫けらを凍りつかせるとても怖い存在だ。これまで、怖い主治医との会話の中で、幾度となく「ひー、地雷を踏んだ!」「な、何が悪かったの?」「こ、こ、これはどういう意味だ!?」などと、虫けらを震え上がらせ、???を連ねざるを得ない事態が起こった。しかし、入院中に得ることができた怖い主治医との会話の機会の中で、「あ、もしかして、これが答えか?」と思うことが幾つかあった。いや、全く違うかもしれない。何しろ、怖い主治医に確認を取っていない。しかし、虫けらの視点で「これだろう」と解明したことがある。その一つ(二つ目)。虫けらが違う病院(入院施設のない病院)からいまの病院に紹介状を持って訪れた当日、外来からすぐさま病棟に回されて、緊急手術となった。そのときは、虫けらは内科の患者。怖い主治医が病室まで訪ねてくれて、怖「外科の○○です」と名乗った。なぜ外科の先生が?という疑問の顔をしていた虫けらに、緊急手術の後、一旦退院、再度入院して外科手術を受けるスケジュールになっていると説明してくれた。そのとき、虫けらは余り意味なく、虫「先生が執刀してくださるんですか?」と聞いた。怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」ガビーンである。地雷を踏んだと思った。何か気に触ることを言ったか?言い方が悪かったか?それとも、一瞬にして嫌われたか?幾つもの疑問で頭がいっぱいになった。その後の会話は余り覚えていない。ショック過ぎた。『自分は執刀したくないが、執刀することになるだろう』『自分が執刀しなくても、誰かがするだろう』『執刀医が誰かは、お前には関係ない』何かわからないが、とても嫌われたか、虫けらには理解できない地雷があるのだと思った。ときは流れて、先月の入院時。怖い主治医が虫けらの病室を訪ねてくれて、雑談から、これからの怖い主治医の人生を一緒に考えていた(大げさな)。本来なら、外科部長がいまだに先頭切って、オペをしているというのは、少し異常である。若手が主軸になり、部長はアドバイスや監視の立場でオペ室にいるというのが一般的ではないだろうか。しかし、虫けらが2度の手術で出会った医師たちは、(怖い主治医を除いて)独り立ちできるような技量や経験を持っているとは思えなかった。もちろん、何チームもあるオペ体制のうち、2パターンしか見ていないのだから、それも根拠は薄弱だが。虫「やはり、先生に執刀をしてもらいたい患者さんは 多いでしょう?」怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」最初に怖い主治医と会ったときと、全く同じ言葉だった。虫「●●先生(2度目の手術の執刀医)に 今度執刀してもらうとなったら、 私は逃げるかもしれません」怖「あいつは、今年入ったばかりやねんけどね」虫「そうなんですか。まだお若い感じですよね」怖「いや、経験はあるんやけどね…。 前にいた──、●●と入れ替わりでやめたやつも あ、一人前にできるようになってきたなと思ったら、やめると…」虫「そういうジレンマはつきまといますね。 できる人はステップアップしたいですから」怖「そういうことやね」虫「なかなか、若手に任せられないということですね」こういう会話をした。虫けらも長年経営者をやっていたので、若手が育たない、見込みのある者は短期でやめてしまうというジレンマをいやというほど経験してきた。ま、それは怖い主治医には告げなかったが。つまり、虫けらがどうこうということではなく、怖い主治医は、「早く、若手に任せたい」という思いを常に抱いていたのではないかと思う。それが、たまたま虫けらとの会話の中で出てしまったと。(言わせてしまうような要素が虫けらにあったのかも…)都合のいい解釈かもしれない。このときの会話を自分への免罪符にしようと思っているわけではないが、怖い主治医の言葉からは、虫けらがそう思うに足る苦悩や思いが読み取れた。しかし!そういう前提を知る由もない、出会ったばかりの虫けらに、あの言葉を返すのは酷ではないだろうか。1年以上、悩みに悩んだ。胃の痛い思いをした。怖い主治医との接し方に気を使った。まぁ、これが真実なら、こんなに楽なことはない。と、思うことにしよう。診察室では、雑談などしたことがなかった。抗がん剤治療専門の看護師がいてくれたときだけは、治療に関係しない、つまらぬ話ができたが、怖い主治医と二人きりになれば、いつもと変わりなく、冷え冷え〜の空気が流れ、無駄な言葉や意味のない雑談は一切排除される。入院中の病室に来てくれなかったら、決して交わすことの言葉の数々、そして、決して理解できなかった怖い主治医の思いや病院が抱える現実を垣間見ることができた。そんなこんなで、謎の言葉の答え合わせ、二つできた。まだある。おいおい。
2024.09.07
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8月半ばの入院時に怖い主治医と会話?面談?する機会が3回もあって、そのときに疑問に思ったことや、逆に、「これが答えなのか?」とちょっと感動することもあったので、少しずつ書き記していきたいと思う。あ、その前に、きょうの怖い主治医の診察の模様。入室を促すアナウンスで、いつもとは全然違う診察室に誘導され、入った診察室は、いつもと違う殺風景さ。診察台(ベッド)がないせいだろうか、診察室奥の棚がシンプルなせいだろうか、いつもの診察室より狭いせいだろうか、その理由はよくわからないのだが、殺風景さのおかげで、怖い主治医も少しショボく(すみません💦)見えた。入院中に見せてくれた笑顔や話しやすい雰囲気は一切なりを潜め、いつもどおりの怖い主治医に戻っていたし、虫けらも、いつもどおりのよそよそしい変人に戻っていた。ただ一つ、違っていたのは、怖い主治医の顔をまっすぐ見られるようになっていることだ。これまでは、怖い主治医をチラ見しかできないコミュ障気味のヤバ目のおばはんだったのに、きょうは、しっかり質問し、それに答えてくれる怖い主治医の言葉にしっかり反応し、怖い主治医の目を見て会話できる、厚かましいおばはんに変化(へんげ)していた。よいのか悪いのか。後悔が一つ。入院中に物理的、精神的に面倒をかけてしまったことを詫びる…というより、礼を言いたかったのだが、医事課の女性が怖い主治医の後ろに立って、じっと虫けらを見ていたので、言いそびれてしまった、というよりそれが障害になって言えなかった。もう金輪際、礼を言うことができないのではないかと、少し落ち込んだ。こういう後悔は、たびたびしているが、今回はこれまでにないくらい気に病むレベルのような気がする。仕方ない。では、答え合わせ。入院当日、手術を終えて病室に戻った虫けらを怖い主治医が訪ねてくれた。その際の会話の中で、血液検査の話をされた。虫けらは、血液検査があることを知らず、入院までの自らの素行の悪さを脳裏に巡らせながら、相当数値が悪かっただろうと観念した。そのときのやりとり。怖「熱ある?」 虫「CRPが上がってました?」 怖「お酒、たくさん飲んだ?」 虫「はい。大変たくさん。 そのために入院を先延ばししたようなものですから」 怖「そんな感じはしてたんやけどな。 ほんの少し高いだけやねん。何もない正常なときと、 ちょっと高いときがあったやろ、 ちょっと高いときぐらいやねんけどね」虫けらは、CRPも相当上がっていただろうし、肝臓関係(他の消化器を含む)の数値も高かったと予想した。しかし、怖い主治医は「ほんの少し高いだけやねん」という言葉を選んでくれた。そんなはずはないと、思っていいた。きょう、診察室の机の上にはいつものように血液検査の結果票が置かれていた。見ると、きょうの検査結果の前(測定した時系列に数値が並んでいる)の欄が「手術室持込」となっている。例(手術時採血)の数値である。見て行くと、肝臓の数値は大したことないが、いつもより少し高い。肝臓を含めた消化器の数値は最近になく高い。肝臓以外の臓器に何かあるのだろう。そして、「CRP」──めっちゃ高い。さすがに、去年の手術前後の数値よりはるかに低いが、術後1年間で最も高い数値だった。虫「やっぱり高い」怖「え?」怖い主治医が虫けらの視線の先を見る。虫「CRP、上がってましたか? と言いましたが…」怖「(笑う)」会話を覚えていてくれた模様である。よかった。あれは、夢かと思うことがあったのだが、夢ではないようだ。いや、そんな話はいい。こんな高い数値が出ていたのに、怖い主治医のやさしい言葉。あそこで「高かった」と言われても、どうしようもないし、それを虫けらが気にする質であることを怖い主治医が理解してくれていたのだと思う。事実を言ったところで、入院・治療によい影響は与えない。血液検査の結果によって、治療内容が変わるというのなら、きっと厳しい言葉で事実を伝えられたと思うが、やることに変わりない、というのであれば、言わなくてもいいことなのだ。怖い主治医の言葉はとても冷淡なのだけれど、その言葉のベースにあるのは、患者への気遣いと、患者の性質への理解なのだと思う。と、怖い主治医のことをこんなに理解できるよい患者になれた。きょうのところは、これでよし。まだまだ答え合わせになる会話があるので、おいおい記していこう。病院のベッドで点滴を受けながらこれを書いているが、まだ1時間以上ある。もう一編書こうか、YouTubeを見て過ごそうか迷っている。とりあえずお腹がすいた。これが終わったら、寿司を食べに行こう。もちろんビール付きで。
2024.09.02
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これは、怖い主治医と何の関係もないのだが、自分のことを「虫けら」と呼ばせていただく。思い起こしてみると、私は決して恋愛遍歴を披瀝できるような華麗な経験をしたわけでもなく、人様にお伝えできるようなこともないのだが、ここに記しておかなければ、間もなく、その事実さえ無きものとなってしまうので、とりあえず、虫けらの一人語りということで。●13の春中学に入学したら、小学生のときによく会話をしていた二つ上のお兄さん(後に「先輩」と呼んでいた)が、とんでもなくカッコいい3年生になっていて、驚嘆すると同時に、おかしな一目惚れをしてしまった。「一目」ではないのに、余りにも昔と違うので、違う人として恋してしまったということなのだ。手紙を書いた。が、返事もなく、一年が過ぎて、卒業してしまった。途中、先輩の同級生の女に嫌な言葉を吐かれたりしたが、卒業式の日に虫けらの同級生がサイン帳にサインをもらってきてくれて、虫けらの恋は終わった。しかし、この3年後、虫けらが高校二年生になった年、アルバイト先のレジで事務作業をしていたら、新入社員の研修御一行様が前を通った。最後尾の人が振り返って虫けらを見ていた。先輩だった。ドッキンドッキンした。アルバイト先には(部署は全く違うが)虫けらの不良姉がいて、姉を通して先輩が虫けらのことを聞いてきたりしていたが、虫けらは徹底的に避けた。中一のときの自分の行動が恥ずかし過ぎて、顔を合わせることができない。そうこうしているうちに、先輩は結婚して、転勤した。しかし、その後も通学のときに先輩に会ったことがあった。向こうが気づいていたかいなかったかはわからないが、目が合った気がした。ちょっと、運命を感じた人だった。●15の夏虫けらが本格的に恋をしたのは14歳(中二)のとき。一年生のとき、三学期だけ同じクラスで過ごした転校生がいた。私はソフトボール部でピッチャー。彼は野球部でピッチャーだった。部活のとき、使用しているグラウンドのエリアが隣り合わせなので、外野を守っているときは、後逸したボールを取りに行ったりして野球部の部員と会話したりすることもあるのだが、彼とはピッチャー同士だから、そういう機会もなかった。二年生以降、彼とは、同じクラスになることはなかったのだが、なぜか、いろんな場面で同じ枠組みにいた。生徒会にいたことが大きかったか。そして、3年生のときに、向こうから告白してくれた。晴れて付き合える! と歓喜したのが夏休み前。夏休み中に一度散歩した。本当に散歩だった。会話もほとんどすることなく、彼の転校前の学校や地域をぐるりと歩いて帰ってきただけのデート。夏休み後に「無理、ごめん」と言われて終わった。何が無理なのかよくわからなかったが、私側に、彼のファンというか、彼を好きだという女どもがひどい言葉と態度で虫けらを罵倒してくれたので、こういうことが彼側にもあったのではないかと推察した。彼の言葉を素直に受け入れた。ときは過ぎ、28のときに同窓会で再会した。改めて二人で食事に行き、中学生のときに聞けなかったことを少し聞いて、わだかまりを胃の腑に落として青い時代の思い出に蓋をした。なぜなら、彼は間もなく結婚すると言ったからだ。しかし! それで終わりではなかった。20年後、謎の封書が届き、手紙には「連絡を下さい」と書かれていて、何かあったのか! と驚いて、記載されたで番号に電話したら、単に会いたいという話。再再会以降、年に数度(コロナのころは1年あいたが)、いまだに連絡があるし、会っている。15から何年たっているのだ。彼は「僕たち、縁があるんや」というが、縁を繋いでいるのは、確実に彼であって、私ではない。9月にも会う約束をしているので、あと1年もないことを告げて、この関係をまとめなければならないと思っている。●23の春虫けらの父親は大変横暴な人だった。アホ兄が原付免許を取るときに誘われて虫けらも免許を取りに行く算段になっていた。しかし、親父が大反対。意味がわからないのだが、「女は一生単車にも車にも乗るな!」と言う。アホ兄が虫けらを誘ったのは、自分だけ試験に受かって虫けらを馬鹿にする魂胆だったと思う。あの人は、虫けらを虫けら以下の扱いしかしなかった。もし虫けらが試験に通ったら、「ずるしたに違いない!」と言うだろうし、虫けらだけが試験に通って兄が落ちたら、それこそ一生嫌がらせされるかもしれない。結果的には親父が反対してくれてよかった。こういう状況だから、普通自動車の免許もなかなか取りづらい日々を過ごした。運よく、22で少々無理やり独立を果たし、そのときについていた職業をやめたタイミングで合宿免許にチャレンジした。合宿先は福井。ごはんが驚くほどおいしかった記憶がある。旅館の仲居さんがご馳走してくれるおやつがまたお米由来のものばかりで、ちょっと太って大阪に戻った。大阪に戻る直前、最後の教習を終えてリムジンバスに乗り込んだ私のところに、教習で2度乗ってくれた教官がバスに入ってきた。「嫁にこい」と言う。実は、虫けらもその教官のことが気になっていた。しかし、その言葉を発した後、教官はすぐにバスを降りてしまった。一人取り残された虫けらは、呆然とするしかなかった。すぐに「はい」と言うのは憚られた。大人の女としては、当然だと思うが、田舎の男性は、もっとストレートな思考をしているのかもしれない。大阪に戻って悶々とした。こちらから連絡をするとしたら、教習所に電話をかけて、呼び出すしかない。しかし、合宿組は大変目立つ存在なのだ。大阪という大都会から来ているということもあるし、やはり、ファッションとか、考え方がどこか違うのだそうだ。教習中に、教官の何人かからデートに誘われた。そういう状況だから、こちらから連絡できずにいた。すると、1ヵ月後、電話があった。教官の声を聞くと、涙が出そうになった。「あぁ、私はこの人からの電話をこれほど待っていたんだな」と胸が熱くなった。教官とは一度だけ会った。福井の自宅に招いてもらって、母上にも会った。が、結婚は無理だと思った。田舎なので、嫁の氏素性には大変気を使う人々で、まして、資産家の家系だったので嫁入り道具がどうの、同居がどうの、仕事がどうのと制約が多すぎた。23の女には、到底受け入れられない世界だった。そこで終わったはずだったが、それから何年かして、教官が連絡をくれた。結婚して子供が生まれたが、お嫁さんの産後の肥立ちがよくなく、お子さんも保育器から出られないというかわいそうな状況を話された。教官の心が落ち着くまで相手をし、電話を切った。それっきりだが、それからずっと「どうしているだろう」と考えている。虫けらが人生最初に結婚を意識した人だったからか、好きなのに諦めなければならなかったからか、いまとなっては自分の気持ちすら思い出せない。と、長々書いてしまったが、ここに夫が登場していないことでもわかるとおり、まだ幾つか書き記しておきたい恋愛物語がある。近いうちに、第2弾を書くとしよう。
2024.08.30
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最近のこのブログのテーマは私の闘病記になっている。その中で頻繁に「怖い主治医」と「虫けら」という表現を使っている。「虫けら」は私。「怖い主治医」は、昨年6月の手術以降、虫けらの主治医となってくれている消化器外科部長。偉い先生である。虫けらより2〜3歳年下の計算。(あくまで計算上。留年や浪人の歴があれば、この限りではない)怖い主治医は、私を「虫けら」のような目で見るから、「虫けら」と呼んでいる。どんなときに虫けらのような目で見られるのか、例えば、▶︎外来診察のとき、ドアをノックした後入室し、「よろしくお願いします」「失礼します」と言いながら丸椅子に腰掛ける。怖い主治医はモニター画面を見続けていて、無言。10秒ほどして目の端だけを動かして虫けらを見て「あ、こんにちは」と虫けらを見るような視線と冷たい声で言う。虫けら、打ちのめされる。(ややこしい。真ん中の虫けらは本物の虫けら)それでなくても、検査結果が悪いのではないか、怖い主治医からひどいことを言われるのではないか、つらい治療を言い渡されたらどうしよう。などという不安や恐怖の感情が渦巻いているのに、この塩、いや、氷対応は虫けらの心を震え上がらせるのに十分な効果があるのだ。そして診察後、虫けらが診察室を出るやいなや、次の患者の入室を促すアナウンスをする。「早く出ていきやがれ」「お前に使う時間はねぇ!」と言われているかのようなネガティブな心境に陥る。大して時間を使ってもらっていないのに。そんなに疎ましいんかい、と。例えば、▶︎診察時の会話。怖い主治医の言葉に続けて、虫けらが何かを言うと、必ず否定する。否定しないまでも、違う意見を言う。怖「何か薬、飲んでる?」虫「いえ。でも、サプリは少し」怖「どんなもの?」虫「ハイチオールCとかビタミンD…」怖「それは問題ないけど、副材でビタミンEやAなんかが入っていたら、肝臓に影響あるよ」血液検査で、肝臓関係の数値が基準値よりわずかに高かった。(問題にしたのは虫けらだったが)この虫けらの言いようだと、「ほかの原因かな」となりはしないか。その後に副材の話をするならまだしも。虫けらが主治医の言いように納得できない表情をすると、怖「気になるんやったら、いろいろ検査するよ」と、内心苛立ちながら、しかし飽くまでも冷たく静かな声で言う。この言葉に何かを返せる患者がいるだろうか。いつも観念せずにいられない。とりあえず、虫けらが意見や疑問を口にすると、それに同意も賛同もしない。(することもあるのだが、それは別記とする)例えば、▶︎転移を知らされたとき。造影剤撮影の画像を見ながら虫「このままだと、後どれくらいですか?」怖「1年」即答か。しかし、これには虫けらは余り動じなかった。怖い主治医はそういう人だとわかっていたし、「一概には言えません。あなたの体力や治したい気持ちの強さで変わってきます」なんて言われたら、かえって疑心暗鬼になる。しかし、虫けらのような状況の人間にこんなに端的に言うものかとも思う。(状況:家族なし、一人暮らし、仕事持ち、女)怖い主治医は怖い主治医なりに、虫けらの傾向を分析してくれた部分もあると思う。言葉多く語るより、端的に一言で言い切った方が性格に合うと思ってくれているような気がする。……違うか。これは怖い主治医の主義のような。ま、この比類なき端的さは、さすがに虫けら相手ならではだとは思うが。「いじめたい」」「悲しむ顔が見たい」というサドチックな意思がないとも言えないのが怖い主治医の怖いところである。しかし、こうした怖さは、最近変容してきている。それは、虫けらがれっきとした「患者」に昇格したからだ。これまでは、検査程度の薄い儲けしかもたらさない「エセ患者」だったが、先日の「入院・手術・治療」から、それなりに儲けの出る患者になった。しかも、意図せず個室を取ってしまったので、看護師にも大変やさしくしてもらった。怖い主治医とて、その認識に大差ないものと思われる。言葉を尽くして説明してくれるし、虫けらの意見もじっくり聞いてくれる。とはいえ、これからの治療は数値と画像を挟んで淡々と進んでいくものだ。感情を挟む隙はない。感情が加わる場面があるとすれば、虫けらが「つらい」「もういい」と言うときだけだろう。入院時に見た、意外な怖い主治医の素顔とて、治療には何ら影響を与えない。怖い主治医はもちろん、虫けらもそういう姿勢だ。ただ、治療の目的が微妙に違うので、いつか、きちんと修正しないといけない局面が来るだろうと思う。それまでは、淡々と。けれどたまには、冷たい視線ではなくあのやさしい眼差しで、温かい言葉をかけてくださいよ。怖い主治医先生。
2024.08.21
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アップが後先になるのだが、16日の夜、「地獄、いよいよ始まる」で、怖い主治医が病室に訪ねて来てくれるか、くれないか、という書き込みをした。その日、もし訪ねてくれたら、3日連続になる。前日の夜、部屋を出るときに「あしたも明るい笑顔で会えるように」という何ともやさしい言葉を残してくれた怖い主治医。多分、訪ねてくれるのだろうと思いながら、1日目は19:30過ぎ、2日目は19:30前に訪ねてくれたのに、20:00になっても……。虫けらの聞き間違いなのか?仕事が押しているのか?はたまた、のっぴきならない用件が入ったのか?YouTubeを観ながらそわそわしていたが、20:30になって、ようやく諦めがついた。そんなこともある。用がなければ、わざわざ患者の病室を訪ねたりしないものだ。1日目は手術のこと、2日目は始まった化学療法の副作用のことをチェックするという用件があった。3日目は、引き続き副作用のチェックくらいだろうか。それなら、こんなに遅くなってから無理して来るほどの用件とも思えない。20:45、グルーミングして寝よ。洗面所で用を済ませ、点滴スタンドをゴロゴロ引きながら、物入れの前でスキンケアを済ませた瞬間、ドア付近で物音が鳴った。そちらに顔を向けると、素早く部屋に入ってくる人物が。怖「こんな時間に、すみません」虫けら、固まる。驚き過ぎて言葉が出ない。不意過ぎる。待ちわびて、待ちわびて、来なかったと諦めて帰りかけたとき、待ち合わせ場所に恋人が突然現れたような驚きと感動。違うわ。消灯直前に夜這いされたような恐怖。もっと違うわ。虫「お忙しかったんじゃないですか? こんな時間に訪ねてくださって…」そこまで言ったら、点滴スタンドを蹴って倒しそうになり、ハンドルに掛けていた心電計を落としてケーブルを抜いてしまい、わちゃわちゃしながら体勢を立て直して怖い主治医に向き合う。といっても、ベッドを挟んでいるので、結構距離があったが。虫「もう来てくださらないと思った」怖「そんなことはないよ」な、なに? この少女漫画のような展開。何があっても来てくれるつもりだったということ?…自分のアホ過ぎる妄想にハッとして我に帰り、怖い主治医の話を聞く。怖「ちょっと検討したんですが、次の外来日を 変更させてもらいます」と、再来週に設定されていた木曜日の外来日を次の週の月曜日に変更する旨と理由を告げられた。怖い主治医が話していると、館内放送が。消灯のコールである。部屋の明かりが消える。よかった!珍しく、ベッドの上にある間接照明をつけておいたのだ。これがないと、真っ暗になる。ドア横にあるスイッチまで行かないと点灯できないが、点滴スタンドを押してごちゃごちゃしていたら、慌ててつまづいたり、転んだりして、恥ずかしい思いをすることにもなりかねない。何もせずとも、怖い主治医の話が続き、少し暗くなって、ムーディーさが増した空間で、会話が続く。虫けらとしても、木曜日の外来が難しいように思っていた。外来で処置した後、抗がん剤を家でも点滴するのだが、それを外すために病院に来る必要がある。それが週末にかかると、スタッフが少なく、段取りが悪くなるのだ。しかも、怖い主治医の外来日は金曜日。木曜日に来るとなると、他の医師に担当してもらうということになるのか? と疑問を持っていた。虫「月曜日に来ることは問題ありません。 でも、先生の外来日は金曜日ですよね。 ほかの先生が診てくださるということですか?」怖「いえ、僕が診ます」虫「月曜日に?」怖「そう。特別ですよ(笑」虫けら、思わず頭を下げる。いや、よく考えたら、外来に掲げてある担当医師を示す看板に怖い主治医の名前が金曜日の当該診察室のところと月曜日の枠外に記入されていたのを思い出した。月曜日は、私のような患者に対処するための日なのだろう。血液検査の結果を受けての化学療法になるので、その日も怖い主治医に会うことになる。退院以降、最初の診察か。どんな感じになるのだろうか。転移が発覚するまでのような、冷え冷え〜の3分間、ということにはならないだろうが、怖い主治医は冷静沈着なタイプだし、虫けらも意味なくよそよそしい雰囲気を醸す変わり者だから、これまでと大して変わらないだろうなんて、妄想をしていたら、怖い主治医の説明は終わっていた。怖「何かわからないこと、ありますか?」虫けら、次に、怖い主治医に会ったときに聞こうと思っていたことがあったことを思い出すが、それが何かわからない。突然の展開と妄想で、思考がパニックだ。虫「あの、きょう外来治療の看護師さんが 『木曜日の予約だから、主治医が変わるのかも』 とおっしゃっていましたが、 これからも先生が主治医ですよね」怖「はい」虫「なら、どうでもいい話ですけど、 『執刀医が主治医になるのかな』 とおっしゃるので、思わず嫌やーー と叫んでしまいました」怖い主治医、珍しく大笑い。怖「そんなことはないよ」虫「それから、まだお聞きしたいことがあって…。 (引き伸ばしに必死) あ、このポート、化学療法が終わったら、 外してもらえるんですよね」実は、病気をしてから2〜3ヵ月に一度、リンパマッサージに行っているのだが、このポートがあると、とても支障になる。外すまで行けないとなると、先が長くなる。虫けらとしては、3ヵ月で終了、としたいのだが。すると、怖い主治医の真骨頂、「終わらせません」が始まった。虫けらが、「状況次第では、すぐやめると言うかもしれません」と言うと、必ずこの話が始まる。抗がん剤を変えたり、スケジュールを変えたりして、できるだけ長くやる、ということを。当たり前の話である。抗がん剤をやめると、治療終了となる。外科手術や放射線ができるようになったのなら、それは終了ではなく、中断であって、必要があればまた再開する態勢でいるということ。治療終了なら、緩和ケアしかできない。もう怖い主治医は主治医ではなくなるし、外科が虫けらを患者として扱うことはない。虫「それから…、あ、コピー、読んでいただけました?」入院初日に怖い主治医が訪ねてくれたときに渡した、がん治療に関する紙媒体のコピーを書き換えたものに対する質問だ。怖「はい」虫「違っていたでしょう?」怖「全然違う。でも…、面映ゆいね」虫「いえ、先生の原稿は全部生かしてますよ。 コーディネートが仕事なんですよ、プロは。 あれは、プロの仕事としては質が低過ぎる。 あんなものが通用する世の中になったのが嫌で、 私は辞めたんです、この仕事」と、虫けらは広告界の現状と、若い人への論評をし、怖い主治医も参戦して、病院の若い医師の話や今回の執刀医の話などもした。虫「先生、学生の頃、スポーツされてました?」怖「いろいろしたよ。バレーボール、サッカー、草野球」虫「草野球の守備は?」怖「ピッチャー」虫「わー、先生らしい」怖「ショートやレフトもやったり…」虫「守備がうまいんですね」怖「うまいんですよ(笑」プライベートな話を、そんなに? というほどしてくれた。ま、これは虫けらの作戦だったのだ。前夜、何を聞き出そうか考えていた。自宅の場所や、出身地、趣味なんかを聞くのは出会い系の話。ストーカー扱いされるのは嫌なので、学生時代の話を聞こうと思っていた。虫「先生、この病院、もう長いですよね。 転勤とか、昇進とかがあるんじゃないですか?」怖「どうやろうね。どんなパターンがあるやろ」虫「コンバートされて、別の病院の院長、とか」怖「ないない」虫「じゃ、この病院の院長」怖「ハンコつく仕事か」虫「先生はそういうタイプじゃないですよね」怖「いや、別にハンコ人生でもいいよ」虫「先生がよくても、患者さんが許さないでしょう」怖「そう言ってもらうのはうれしいけどね。 医者としては、そう言ってもらえるうちが花やね」怖い主治医の今後を一緒に予想する。虫けらが調べて知っていた、怖い主治医の過去の経歴も出して。いや、好奇心から調べた訳ではなくて、紙媒体の原稿を書くために病院のプロフィールなどの資料に目を通したということだ。ま、興味はあるから、怖い主治医のプロフィールは一瞬で覚えたけれど。虫「お仕事は、終わりました?」怖「ん、まだ帰れないな」虫「お忙しいのに、足止めしてすみません。 できることがあったらお手伝いしますよ。 メールで送って指示してくださったら、 仕上げて送ります」怖い主治医、やさしい笑顔でこちらを見る。虫「治療の間は仕事も余りできませんから、暇です。 できることがあったらいつでも声をかけてください。 ギャラは要りませんから」怖「とりあえず、あしたは出て来たくないから、 もう少し仕事やね」虫「無理なさいませんように」30分近く話しただろうか。怖い主治医が出て行ってすぐ、担当の男性看護師が入ってきた。「点滴見にきたら、先生がこの部屋に入って行ったので、待ってました」見られていたのか!虫「治療日程の変更を伝えにきてくださったんですが、 私が足止めしてました。お待たせしてすみません」看護師は、怖い主治医と虫けらが長らく話していたことを変に疑うような素振りは見せなかった。というより、自分の話をしこたまして行った。看護に関する話や、自分の家族の話、登山とかバイクなど趣味の話と、すごい情報量の話を15分ほどぶっ放して出て行った。ああいう人でよかった。ま、別にやましいことはないのだが、30分近く消灯後の部屋で患者と話している怖い主治医をどう見るかは人それぞれだ。そういう心配をよそに、虫けらはうれしかった。怖い主治医が3日連続で病室を訪ねてくれ、いろいろな話を聞かせてくれたことで、決して楽しくない治療に対する沈んだ虫けらの気持ちを明るくしてくれたのは確かである。あー、個室を取ってよかった。もうすぐ退院。よい入院生活だった。もうこんな入院生活は送れないだろうな。これからの状況はどんどん過酷になる。そんなことを一瞬忘れさせてくれた。ありがとうございます。怖い主治医先生。
2024.08.17
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さんざんわがままをグダグダ言い、入院を2週間以上引き延ばした虫けらは、次の診察日を前に緊張していた。また造影剤CTを撮らなければいけないし、その結果によっては、怖い主治医から厳しい(冷たい)言葉を投げつけられるかもしれない。そして、いよいよ覚悟せねばならない事態になるかもしれない。2週間の間に、処理しないといけないことの2/3以上を処理できたし、あとは、こちらからはどうにもできないことばかりなので、できることをやったと思う。しかし、それは怖い主治医のあずかり知らぬことだし、細かなことは言っていない。いまさらそれらを提示して許しを乞うつもりもない。許しを乞うも何も、それで状態が悪化することも覚悟していたし、自分の判断で日延べしたのだ。しかし前回、怖い主治医は「僕も甘いな。無責任な言い方やけど、自己責任やわな。それを許した僕も共犯やけど」と言ってくれた。もちろん虫けらもそれを理解していると言った。だから、状態が激しく変化していたら、怖い主治医も責任を感じてくれる可能性がある。…ないか。次のステージに入ったことを告げられて、ほぼ強制的に日程や治療方針を決められるだけだろう。ま、そういういつもの葛藤とともに2週間を過ごし、さすがに診察前の数日は緊張した。かくして検査・診察当日。ジタバタしても仕方ないが、CTの結果が気になる。前回と変わっているのか、いないのか。造影剤CT撮影は滞りなく終了し、待合室で待つ。意外にも早く名前を呼ばれた。静かに診察室に入った。いつもなら、きちんと挨拶するのだが、「失礼します」と小声で言うだけで、丸椅子に座った。怖い主治医はCT画像を見ている。虫けらも画面を見る。しばらく沈黙が続く。怖「まぁ、2ヵ月前とそんなに極端に変わってないかな」虫けら、少し安心する。今回は、口を開くまいと決めていたので、怖い主治医の言葉が続く。虫けらは頷くか、「はい」としか言わない。怖い主治医が一人で喋って、かなりの時間が過ぎた。虫けらは気づいた。怖い主治医の言葉と言葉の間に「スー」という呼吸を入れる。これは、多分次に言うことを考えているか、言葉を選んでいるのだと思う。これまでにはなかった。サドなのに、気を使っているのだな。知らんけど。ひと通りCTに関する説明を終え、やおらこちらに向き直り、少し笑いながら口を開く怖い主治医。怖「天神祭、終わりました。 あとはお誕生日ですか? 来週ですか? 先に言うとこ。おめでとうございます。 明日の淀川の花火は関係ないか?」おもろいやないかい。確かに「天神祭」と「誕生日」は、日延べの理由にした。ふーん、覚えているのだな。淀川の花火を付け加えるところ、ユーモアに富んでいるわ。やればできるやないかい。ええで、先生。怖「で、どうしましょう…って聞くからあかんねんな。 僕が何日にしましょ、って言えばいいんやな(笑)」ほほう。学習しとるやないか。ちょっと後悔してるのかな。怖い主治医に似合わんやさしいお言葉。感激してしまうでぇ。虫「病院はお盆休み、ないんですか?」怖「ないです。施設としては、休みません」虫「先生はお休みになるでしょう?」怖「僕は出てきてます」虫「あらららら…」怖「あらら、計算狂った?」おお、やるやんか。口調も大阪的やで。部長先生がお盆休みに出てきてることに敬服したんやで。決して、入院をまた日延べしたいのんと違う。伝わらへんですんませんなぁ。というやり取りをしつつ、入院の日取りを決定し、手術の内容など必要な説明を全部聞いた。逃げも隠れもできなくなった。ふと、検査待ちのときに待合スペースで手にしたパンフレットのことを思い出した。病院の「がん医療」に対する取り組みを記したものだった。A3二つ折りのありきたりなものだが、内容がひどい。視点が定まっていないし、病院発信にはなっていないのに、病院の医療体制を賛美したり、肯定する内容になっていない。とにかく、最後まで読んでも、2度読んでも、「ふわっ」とした感じから抜け出せない。言いたいことがわからない。文章が拙い。基礎知識がないからか、突っ込んだ表現ができていない。私なら、もっと魅力的なものがつくれるだろうと思う。第一、当事者であるがん患者の私が見ても、何一つ心に響く文章がないのだ。致命的ではないか。怖い主治医が必要書類をプリントアウトしている間にパンフレットを鞄から引っ張り出して、虫「これは、病院がおつくりになったものではないですよね。 この原稿は先生がお書きになったもの? 違いますよね」と聞いた。怖「つくったのは、病院ではないです」虫「取材協力という形ですか」怖「そう。ここの原稿は、僕が…全部書いたわけじゃないけど、はい、僕が書いたものです」怖い主治医が登場するページがあるのだ。顔写真入りで。しかし、医師が主張する内容ではなく、誰かがインタビューしたような表現になっている。なのに、どうも謙虚すぎる内容なのだ。こういうものは、データや実績に裏打ちされた強い主張がPRポイントとなる。「主張」が全くなく、とても謙虚な表現だ。例えば、「○○を導入することによって、ようやく及第点の体制となりました」言葉は違うが、こういう表現。本来なら、「医療体制の充実のために、本院では○○を導入。地域のがん医療の一翼を担っています」といったような強い表現を用いる。これは医師、もしくは病院視点。同じことを言っていても、肯定感を出さなければ大変弱くて頼りない表現になってしまう。しかも、医師発信なのかインタビューなのかわからない、とにかくもやっとした文章なのだ。このパンフレットをネタに怖い主治医と話をしていたら、とても普通の人間の会話ができた。病気を介した会話は怖い主治医と虫けらの関係をどうしても解くことができないし、言葉も口調も上下関係ができる。しかし、印刷物という第三者を挟んだ会話はとても自然で、普通のやり取りになった。もちろん虫けらは終始敬語だが、怖い主治医はタメ口調で、怖「下手くそ、っていうこと?」怖「これ、僕見たことないわ」怖「あの辺まで含めて、そう言うんやわ」怖「一駅で3つあるからな」計算したところ、怖い主治医は虫けらより2〜3歳年下。ま、タメ口でもよい。虫けらは、オケラからコガネムシに昇格したのかと思うくらい、自然な会話ができた。次はカナブンになれるかな。うむ。と、ヘラヘラしていてはいけない。入院したら即手術、そして恐ろしい治療が待っている。楽しい時間はもう終わりなのだ。そして、一生、こういう平穏な時間は戻ってこないかもしれない。それが、がんという病なのだ。 合掌
2024.08.03
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旅行してきた。10歳からの友達と。連泊でのんびりできた。海の見えるバリをイメージした宿で、飲み物が飲み放題、駄菓子を取り放題、グリーンカレー食べ放題の酒飲みにはありがたいシステムだった。温泉(くみ湯)があり、ちょっと変わった半露天風呂や岩盤浴も無料(オールインクルーシブシステム)だった。食事はまあまあだったが、もともと食事に過度な期待をしない質(たち)なので、及第点だった。夜になると、積もる話になる。彼女との旅行は十数年振り。昨年来、食事は3度ほどしているのだが、余り病気のことについては話していなかった。彼女は看護師をしているので、ここぞとばかりに的確に核心をついた質問をしてくる。隠したり、ごまかしたり、嘘をついたりしても、矛盾点を指摘されて、真相を解き明かしてしまう。だから、最初から本当のことを言った。すると、「なんていう名前?」怖い主治医のことを聞いてきた。素直に答えると、すぐにネットでプロフィールを探し当てた。私「そんなん探してどうするの?」彼女「何かあったら訴えてやる!」穏やかでない。先日、ヘルシンキの君が言ってくれた「一緒に行ったろか?」の顛末を彼女に話した。かくも楽しきゲストたち ⑥ 〜スーパーの男 その4〜彼女「私も妹連れて一緒に行く!」私「妹3人もおるの? 私」彼女「もっといっぱいぞろぞろ連れて行ったろや」私「明らかに年上のおっさんとか入れて10人くらい妹にしよか」話がエスカレートする。彼女「どんな顔するやろ、その主治医」私「『あ、妹さん、多いんですね』くらいの反応ちゃう?」彼女「サイコパスか!」私「そうかも」怖い主治医の人物像を勝手につくり上げて行きながら、二人で大笑いした。彼女も、私の術後の診察過程には相当疑問を持っていた。私がそれを指摘したときの主治医の反応を話した。彼女「そんなん、許せんわ」彼女の母親も、がんで亡くなっていて、治療は彼女の監視下で行われていたので、医療従事者としてその過程を昇華して記憶している。それと私の場合が余りに違うので、怒ってくれているというわけだ。しかし、今更怒ったところで時間を巻き戻すことはできない。残念ながら、先の運命は開けていない。そんな状況下で、ちょっとしたことを大笑いできる材料にしてくれたことは大変ありがたいことだし、彼女でなければできなかったことだととても感謝している。10人の妹か…。本当にそんなことをしたら、怖い主治医にしこたまどやしつけられるだろうし、治療を拒否されるかもしれない。決して実現はしないが、その図を想像して、泣くほど笑った。待てよ。どうして「妹」という設定になったのだっけ?「姉」の方が医者に意見できる立場じゃないのか?あえて弱い設定で、厳しく切り込む方が効果があるのか?明らかに年上で、男という現実とのギャップを「意外性」として利用しようということなのか?ま、「姉」より「兄」より、「妹」の方が笑えるのは確かなので、それはそれでよしとしよう。旅行の時間は短かった。毎回思うことだが、旅行や休みの期間というのは、どうしてこうも過ぎ去るのが早いのか。もしかしたら、もう2度と旅行には行けないかもしれない。貴重な旅だった。わかっていたし、景色を見ても、風呂に入っても、車窓を眺めていても、「これが最後かも」と思ってはいたが、なぜか実感がわかない。きっと、治療で想像を絶するつらい目に遭ってから実感するのだろう。これまでの、私の壮絶な人生でも経験しなかった、つらく、苦しい現実が目の前にある。人が生きるとは、かくも過酷なものなのだ。ちょとした残業が嫌だとか、上司に怒られるのがつらいだとか、朝起きるのがしんどいとか、そんな小さなことを言っていられるのは大変幸せなことだと心得よし。現在の私の最大の苦痛は、前回、散々わがままを言った後に控えている怖い主治医との対面。来週。。あー、過酷、過酷、過酷。 チーン
2024.07.27
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虫「治療については納得しています。 一度も標準治療をせずに死んでいくのは 何か違うと思いますので」怖「素晴らしいお言葉をいただきました。標準治療」前回の怖い主治医と虫けらの会話。「標準治療」というのをご存知だろうか。厚生労働省が決めたがん患者に対する治療方針。「外科的治療」「放射線」「抗がん剤」の3つしかない。外科的治療というのは、手術をして固形がんを中心とした、切除可能な患部を取り除くというもの。放射線治療は外科的治療と同じく、条件が厳しい。固形がんの数や大きさ、進行度が限られるので、放射線治療ができるのはラッキーだ。抗がん剤が使われるのは、こうした条件に外れる場合、あるいは、外科的治療でなくても消失させられるほど小さいなど条件のいいがんに適用される。私の場合、抗がん剤以外の選択肢がなかった。つまり、条件の悪い方のがんの治療方法だ。米国では、抗がん剤治療は一般的ではなくなっているらしい。効果に比して副作用が強すぎるので、他の治療法が選ばれる。日本で言うところの「代替治療」というものだ。が、米国では、保険制度が日本ほど充実していないので、「標準治療」がない。つまり、日本で言う代替治療が一般的な治療法になっていて、「免疫療法」など民間療法も合わせれば幾つもあるらしい。坂口力元厚生労働大臣が大腸がんになったが、免疫療法で治ってしまった。がん治療についての厚生行政を推進するときにそれをひた隠しにしていたという話を聞いた。実は、免疫療法は、義父が行なっていた。私は病院への送迎のために付き添っていたが、あるとき義父が「先生の話を聞いてあなたの判断を言ってほしい」と話してきた。そのとき、医師から詳しい説明を聞き、『あぁ、もう少し早くここに来ていれば』と激しく後悔した。その前に受けた放射線治療がネックになって、切望していた陽子線治療を断念せねばならなくなり、ようやくたどり着いた治療法だったという経緯があった。治療には時間がなさすぎた。放射線治療をやめてこちらに切り替えればよかったのだが、後の祭りだった。しかし、義父の治療にあたっては、主治医は迷うことなく放射線治療を選んだ。それは正しかったのか。そう。日本におけるがん治療では、それしかない、というほかない。なぜなら、それが「標準治療」だからだ。患者によって、がんの特性によって、医師の知見によって、それに外れた治療を行うことはあるだろう。新しい薬剤や治療法の治験だったり、患者の希望によって特殊な薬剤を使ったり。それによって、目を見張るような成果を得られることもある。残念ながら、これまで知られていないような副作用が発現したり、治療結果に悲しむことになる可能性もある。しかし、異を唱えることはできない。その治療を選んだのは、患者の意思だからだ。しかし、決められた治療法では死を待つだけ、という切羽詰まった状況より、新たな治療法を選ぶという人がいることは理解できる。が、「標準治療」ではないことの弊害は知っておくべきだ。というか、「標準治療」でないと、日本の医療行政のメリットを得られないことを理解しておくべきと言う方が適切だろうか。まず、保険適用。高額医療の上限額適用。生命保険の治療費請求適用。「標準治療」を受けることが前提になっているのだ。では、「標準治療」とは何か。厚生労働省(厚生省である。労働省は関係ない)が決めた基準だ。製薬会社や医師会などの利権団体と役所がつるんで決めた金儲けの指示書だと言える。米国で使用禁止になった抗がん剤、売れなくなった(効果がない)抗がん剤を押し付けられ、日本の役所と医療機関は、日本人が真面目で従順なことをいいことに、「標準治療」などというだまくらかしのシステムに組み込んで双方が金儲けしているのだ。それもこれも、「日本民族消滅」というGHQの策略を未だに実行し続ける売国政府と官僚の思惑が礎となっている。先進国の中でも突出して日本だけがん患者が増え続け、がんによる死亡者数が他国よりも多く、なのに、相も変わらず同じ治療法を実行しているのは、患者の命より、金儲けを優先している厚生行政の現実を物語っている。ではなぜ虫けらは、「標準治療」を受け入れるのか。保険適用されない治療法は、一般人には無理だから。そして、生命保険の保障を受けるためには、選択肢は「標準治療」にせざるを得ないから。虫けらは、30年以上生命保険をかけている。自分の意思ではなく、自社が依頼していた労務士が保険代理店をしており、「入ってほしい」と懇願されたからだ。保障内容など見もしなかった。必要になるのは随分先だし、その頃は稼いでいたので、自費治療という選択肢もあったからだ。しかし、30年以上にわたって支払ってきた保険料は膨大なものだ。昨年、入院・手術・治療を要したときに下りた給付金は、支払った保険料の1/3ほどにしかならなかった。この先、他の事案で下りることもないだろうから、同じ病気で何らかの給付金をもらおうとすれば、「標準治療」を受けた上での治療費以外ないのだ。「先進医療」という項目もあるにはあるが、「標準治療」を経た場合にしかもらえない。ことほどさように、「標準治療」というのは、理不尽な関門なのだ。しかも、厚生省も、医師も、患者のことを思って決めたのではない。多分、自分たちががんになっても、標準治療は受けないだろう。坂口元大臣のように、効果がある高価な医療を選択するのだ。最低限200万円。結局1000万円を超える、ややもすれば億の単位にもなることが当たり前の保険外医療を受けることは、一般人には不可能だ。それが無理なら、死んでください、という国の姿勢。いや、違う。そんな高額医療を受けたいなら、元気なうちに金を蓄えなさい、という国からの警告というべきか。(つまり、がんという病気に限って言えば、生命保険などかけずに、蓄えた方が得策なのだ)かくして虫けらは、甘んじて標準治療を受け、効果を得られずに死んでいく。それはそれでいい。しかし、苦痛がなく、患者が幸せに受けられる治療を「標準治療」にできないものか。副作用の負の連鎖の中でむざむざと苦しんで死んでいくものを「治療」と呼んでいいのか。これは、命をかけて「拷問」を受けるに等しい。その後に元気に解放されるなら、我慢して受けてもいいが、その果てに死を迎えるものを「治療」と呼んではばからない医師は、何とも思わないのか。わかっていながら、そんな治療を受けようとする虫けらをどなたか慰めてくださいませぬか。あーーーー、苦痛。神も仏もないものなのか。 爆死
2024.07.24
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ヘルシンキ大学卒業という異色の経歴を持つスーパーの男は、身長は170cm弱(身長表示に「弱」を使うものなのか)と小柄ながら、筋骨隆々でマスクも精悍、格闘家のような風貌。最初にヘルシンキの君と出会ったときの印象は、素肌に皮のチョッキ、だった。これは、夫も同じで、ヘルシンキの君のことを二人で話すときは、この最初のワイルドな印象がベースになっていた。が、不思議なことに、「ワシ、皮のチョッキなんか持ってへんわ!」とヘルシンキの君が言う。夫も私も、「いや、素肌に皮のチョッキ着てた!」と主張し、何度ヘルシンキの君と言い合いになったことか。という話でわかるように、極めて野性味溢れるおっさんなのだ。そのヘルシンキの君が「妹になって病院に行ったるで」と言うので、面食らったのが1週間前。そんなことをしたら、いろんな意味で怖い主治医を驚かせてしまうではないか。へ「その主治医の本性が出るかもわからへんで」とうれしそうに言う。ま、それは実行されることはなかったけれど、報告がてら外来に行った顛末を告げた。へルシンキの君「そうやろ、やっぱりMやったんや、その医者」え、どこでMと思ったのか?へ「怖い印象に持っていったのは、Mを隠すためや」虫けらの私「そうかなぁ、今回はむちゃくちゃやさしかったのは確かやけど」へ「相手が強気に出たら、そうなるんや。Mの特徴やで」虫「そうなんか…」そう言われても、私はどこか納得がいかなかった。私の言うことや質問にことごとく否定的な言葉を発し、打ちのめさんとばかりの強い言葉を吐く怖い主治医がM?虫「やっぱり、一緒に行ってもらおかな。 強気なこと、言うてみてよ」へ「ええでぇ。ウエストニッパー見せながら、 威嚇したるわ」虫「Mやったら、ウエストニッパー着ける方かもよ」へ「へたら、女の声で『お宅も着けはるでしょ』言うたる」全くハチャメチャな話だが、もしかしてMかも、というのはあながち間違いではないかもしれない。冷静沈着、聡明ではっきりした視線と言葉、無駄のない言い回し、静かな口調はどう考えてもSなのだが、ここ2回の診察時の怖い主治医の対応は、予想を超えたやさしさだったし、本当に意外だった。もちろん、虫けらの状態が悪いのは間違いない。それをなだめすかすように入院に持っていくことは、虫けらを考えてのこと、と思えなくもない。ま、病院側の段取りや利益を考えてのことというのは、必ずベースにあるだろうが。へ「医者は変態、変人が多いからな」それには、一般論として納得。変態、変人というより、選民思想をほとんどの医者が持っている。「自分は特別」という優越感。このブログでも、2ちゃんねるにURLを載せられたため、1200件を超えるアクセス、800件以上の書き込みをされるといういわゆる「炎上」を経験しているが、「アホ」「ボケ」「カス」「う○こ」といった極めて低レベルな書き込みがほとんどだったことからして、我々一般人を見下していることは容易に想像できた。怖い主治医がそういう人種だとは思いたくないが…。次回はまた2週間後に面会するので、それまでにヘルシンキの君に何らかの指南を受けよう。また、奇想天外な奇策を授けてくれるかもしれない。ただ、その奇策が気になる余り、変な態度を取らないようにしなければ、これまでの無礼や醜態を詫びる気持ちを封じかねない。ことほどさように、奇人変人的才人、「天満のエロ男爵」がヘルシンキの君なのである。 尊崇
2024.07.21
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怖「再来週あたり、もう一度確認しましょうか。 また来てもらうのも面倒でしょうけれど」と、2週間前に言われた。治療のための入院日程を決めたのだけれど、それでいいかの確認日を設けてくれるというわけだ。やさしい配慮だと思った。治療を始めると、私のQOLは確実に下がる。数々の副作用で、仕事どころか日常生活も困難になる可能性がある。大変な覚悟がいるのだ。悪くすると、死ぬまでその地獄から抜け出せないかもしれない。そのことを理解し、覚悟を決める時間を2週間上げましょう、ということだ。2週間後の診察室。怖「前言った日程でよろしいか?」と問われたら、「あの…」と、逆を言いたくなるのが心情。実は、前回日程を決めてから、さまざまな雑事が浮上して、このまま入院して大丈夫か? という気持ちになっていた。一つは、小学生時代からの友人との旅行。たまたま連絡を取り合ったら、「旅行しようよ」と言われた。「ボーナスが入ったし」と。彼女は割と大きな病院の看護師長なので、相当よい額のボーナスが出たのだろう。多分、彼女との旅行は最後になるだろう。彼女の誘いに乗った。当初決めた日程は、入院予定日の2週前だった。が、彼女の都合と希望により、次の週の週末になった。週末を挟んで、すぐに入院するという日程。折しも来月、2枚のクレジットカードの有効期限が来る。カード会社に問い合わせたところ、新しいカードが旅行〜入院期間に届く予定であることが判明。郵便局の保管期間が過ぎると、カード会社に返送される。再度郵送申請をしなければならないが、手元に届くのに煩雑な手間と時間を要する。少し早い発送、もしくは事前の再送の手続きができないかと問い合わせたが、両方無理との回答。さらに、親戚の相続放棄の手続きを依頼されたのだが、その書面が届くのが、どうもその時期と重なりそうだ。できれば早急に対処したいのに、私だけが返信できなければ迷惑をかける。その上、運転免許の更新、不動産売却契約の更新、納税、保険関係の書類受け取りと申請、店の家賃の振込、当該病院以外の病院への通院、誕生日の営業、祭りの花火鑑賞のお誘い……。その合間に通常営業をこなし、自身の生活の雑事にまみれる。どうしてこんなにごっそりあるのかと思う。できることは済ませた。が、できないことが多過ぎる。怖い主治医にスケジュールを問われたが、答えることができずに思わず笑った。怖「大丈夫そう? やたらニコニコしてるけど」虫「へへへへへ」怖「笑いながら、どうにかならんかって?」虫「いえ、覚悟はできているんですが」と言いながら、グダグダ言い訳や愚痴を言いつづけた。予定が気になるなら、「日延べしたい」と言えば済むことだし、治療がいやなら「辞めます」と言えばいい。なのに、20分にも渡って、グダグダ言い続けた。これまでの診察は、3分で終わるくらい淡白なものだった。怖い主治医も必要最低限のことしか聞かないし、虫けらもそれに答えるだけで、質問などしない。20分も医師(だけではないが)相手にダラダラ話すなど私の人生になかったことだ。何事も即断即決。返事は一言。全ては自分の責任で世の中を渡り歩いてきた。それが…、この体たらく。怖い主治医に甘えているとしか思えない言動。しかし、怖い主治医はこれまでにはなかったほど穏やかな表情で、私のグダグダに付き合ってくれた。もちろん、当初の予定を変えない方向に持っていくために言葉を費やしているのは察することができた。しかし虫けらは、こうなったらどうしても日延べしたい。実は、いま、近年にないほど体調がいいのだ。寿司も、トンカツも、ビールもおいしい。筋トレ(というほどのことではないが)も順調で、体も少し引き締まった。体調が悪いときは、生魚も油物も受け付けない体質なのに、ここのところ、食欲もあるし、食べ物もお酒も「おいしい」と感じる。筋肉はもともと多い方だが、使っていなかったところを動かしたことで、少し若いころのような感じになっている。この状態を治療によって壊してしまうのは忍びないのだ。少しでも「おいしい」「食べたい」「幸せ」と感じていたい。治療が始まったら、2度と感じられない感覚かもしれない。かくして、グダグダを重ねてようやく日延べできた。怖い主治医は半ばあきれていたと思う。しかし、表情は穏やかだった。怖「僕も甘いな」虫「……」(バツが悪そうに笑う)怖「無責任な言い方やけど、自己責任…やわな」虫「はい」怖「それを許した僕も共犯やけどね」素晴らしいお言葉。私のわがままを自分のせいでもあると言ってくれる度量。見上げたものだ!これこそ、医師と患者の会話ではないか。ようやく、人間と会話したような気分になった。怖い主治医も人間だったのだ(サドだとは思うが)。と、気を許してはいけない。怖い主治医は怖いのだ。こんなことで、懐柔できたと思ってはいけない。これまでより人間的な会話ができたのは、単に私が「金儲けできる患者」に昇格できたからに他ならない。金にならないエセ患者ではなく、これからは確実に金になるのだ。虫「意外とあかんたれなので、すぐに治療をやめると言うかもしれません」怖「まぁ、手ぇ変え、品を変え、メニューを持っていきますわ」わーわーわーっ!やめさせてくれないんかい!すぐにやめたいと思ってるのにぃーーー。やっぱり怖い主治医は怖かった。 合掌
2024.07.20
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世の女性、夫婦の中には、「子を産まない」という選択をした方がいらっしゃるだろう。事情は人それぞれ。私も子を産んでいない。先日、20年振りに会った元得意先から「なんで子供産まんかったんや? 仕事が大事やったか」と問われた。その社長とは割と深い付き合い(もちろん仕事で)をしていたので、少し喋ったことがあったかと思って、「私、何も話してませんでしたか?」と問うたら、「知らんで、わし。聞いてへんわ」とのことだった。私を妊娠したとき、母は大病を患った後で、後遺症のある病気だったので、それを抑えるために大変強い薬を使っていた。幸い、兄の妊娠は早くわかり、医師から言われて薬を中断していたのだが、兄が生まれてすぐに服用を再開した。兄を出産してすぐだったので、母は油断していたのだと思うが、近所の仲のいい奥さんから「あんた、妊娠してるんと違う?」と言われたのになお、「そんなわけないやん、産んだばっかりやで」と呑気なことを言い、薬もやめなかった。そんな母を、その奥さんは引きずるようにして病院に連れて行ってくれた。医師「6ヶ月です」という診断。加えて医師は、医師「この子を産むのは、あなたが死ぬか、子が死ぬか、両方死ぬかのどれかです。私の責任で堕胎します」母「堕胎ですか…」医師「もう一つ、悪い話ですが、この子は何らかの障害を持って生まれてくる可能性が高い」医師「表に出る障害もあれば、体内で起こる障害もある。この子に直接出なくても、その子には確実に出ます」恐ろしい話である。手術日を決め、母は帰宅。父に相談する。母「堕ろさなあかんねんて」父「そうか」かくして私は葬り去られる運命となった。手術当日、姉と兄の面倒を見るために母方の祖母がやってきた。祖母は「堕ろすなんて、やめて! あんたが死んだら、3人とも私が育てる」実は、兄が生まれる前にも、堕胎したことがあった。祖母はその時のことを覚えていて、もう子を殺すのはいやだと思っていたようだ。母はそのまま病院に行かず、私は命拾いした。しかも幸いにも、私には目立った障害はなかったし、母も私も無事だった。ただ、私が5歳のとき、姉から上記のことを聞いた。(姉とは7歳違いなので、見聞きしたことを覚えていた)「私は子を産めない」ということを強く記憶した。25歳のとき、好きな人ができたことで、「私は子を産めない」ということが、いよいよ現実的になってきた。仕事の関係で知り合った医師とゴルフに行ったとき、一連のことを話し、母に話した医師の言葉は真実かを問うてみた。医師「そんな強い薬、ありませんよ」と笑って返される。私は意を決して私「母の病気は…」と、当時の母の病気の詳しい内容を話した。医師「うーん……、あり得ます。その頃、まだ適した薬がなくて、劇薬を使うしかなかった病気です」薄々気づいていた。いくら薬を飲んでも、後遺症がよくならなかったからだ。多分、私が12歳の頃に、適応する薬が開発されたと記憶している。かくして私は子供が産めない人間と認定されたわけだ。後(病気から52年後)に、母を後遺症の専門病院に連れて行って判明したのだが、母が患った病気は、その頃は不治の病で、かかったら死ぬしかなかったのだが、たまたまアメリカ研修から一時帰国していた医師が執刀してくれてどうにか一命を取りとめたという経緯を話したら、医師「まだ、日本では病名さえなかった病気ですからね」と言われた。母は、大変な病気にかかったものだ。「いや、それでも産めたはずだ」という人がいるかもしれない。その通り。覚悟すれば、それもできたかもしれない。しかし、障害児が生まれるとわかって産むという選択は、私にはできなかった。夫と付き合い始めたとき、すぐにこのことを話した。夫「いいよ。もし幸い障害がなかったとしても、僕の子はまともなわけがないし」と言ってあっさり話を終了させた。もちろんその時だけではなく、何度も確かめたし、義父や義母にも聞いた。皆、了解してくれた。というわけで、子を産まなかった。こういうことがあるから、「運命」というものを感じずにはいられない。私には、いつもつらい運命がつきまとう。またの機会に。
2024.07.16
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ベッドや椅子の生活をしていると、気づかないことが多いのだが、手を使わずに立つことができるだろうか。(体育座りからの起立)子供の頃は畳の生活が当たり前だった。ベッドの生活になって25年。その後再び畳の生活になったので、地べたから立ち上がることになったが、起床すぐに立ち上がるのは「きついなぁ」と思うようになった。体が痛いからだ。引っ越ししてしばらく、畳に薄い布団を一枚敷いて寝ていたのだが、余りに体が痛いので、マットレスを購入した。本当はベッドを買いたいのだが、事情があって、しばらくダンボールが積み上がっていたので、ベッドを置く余裕がなかったのだ。14cm厚さのマットレスによって、随分楽になった。ベッドとテーブルの生活は、楽な分、肉体の機能を下げるように思う。私はずっと地べたから立ち上がるときは手を使わなかった。両手にものを持って立ち上がるのを見て夫が「えー、なんで立ち上がれるんや!」と驚いた。夫は立ち上がれなかった。「足首が固いんよ」と私は言ったが、本当にそれが理由かどうかわからなかった。随分後になって、カイロの先生に問うてみた。私「足首が固いせいですよね」カ「お尻が重たいからですよ」と言われた。重心が後ろにある人は立ち上がれないというのだ。夫は骨盤は大きかったが、尻に無駄肉がついているタイプではない。ほんとか? と思った。ついさっき、「そういえば、長らく手を使わずに立ち上がってなかったな」と思って、立ち上がってみた。立ち上がれた。そのとき、ちょっとわかった気がした。私の場合、かかとを尻近くまで引き寄せることができる。つまり、ふくらはぎと太ももが折りたためるのだ。そうすると、上半身を前に倒せる。重心が前に移って立ち上がることができる足首が柔らかいというのは必須だが、重心が前に移せることが第一の条件。となると、足が太い、腹に肉があるという条件下では、無理な所業なのだ。夫の場合、足首が固いのは確実だったが、前に重心を移せなかったのは、膝も固かったのではないかと思う。尻の近くにかかとを引き寄せることができていなかったという記憶がある。別に、手を使わずに立ち上がれなくとも今の生活で困ることはないだろう。しかし、できないよりできる方がよい。私は姪をあやしているとき、抱きついてきた姪を抱き上げながら立ち上がったことがある。親の兄夫婦に大変驚かれた。姪は10kg近かった(生後10月ほどだった)上、首がグラグラしていたので、片手で抱きながら立ち上がるのは危険だった。つまりこの場合、両手がふさがっていても立ち上がれるのは危険回避能力が高いということになる。ま、大した話ではないが、畳から床の生活に変わってしまった日本人に、こういう身体能力がなくなってしまったのではないかとちょっと危惧している年寄りがいるということで、聞き流して欲しい。和式トイレが一般的でなくなったのも大きな原因かもしれない。かくいう私も、和式トイレには入りたくない。酔っ払って入ると、用が済んでから立ち上がるのに大変難儀するのだ。(外食時は多少おしゃれをして、ヒールのある靴を履いているのが凶。つんのめって立ち上がりにくい)知り合いが、立ち上がる際、手すりがなくて送水の管を掴んだら、勢い余って外してしまって、水が吹き出て大惨事になったという話を聞いてから、和式を敬遠する日々である。 トホホのホ
2024.07.14
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これまで、このブログに2回も登場しているのだが、初見の方にはわからないだろうから、再度披露。「スーパーの男」というのは、河内出身ながら(地域的な蔑視は決してしていない)、ヘルシンキ大学を卒業したという異色の経歴の持ち主。現在はスーパーの青果部で早朝から働く。うちの店では、酒を飲みながら政治の話、芸能界の話、音楽の話、時事ネタ、スポーツ界の話と、多彩な話題に花を咲かせるが、最近はそれに加えて、私の怖い主治医の話をよく聞いてくれる。主治医の衝撃的な事実を書きなぐった「衝撃! 主治医の闇を知る!!」で記したのだが、どんな意図で出たのかが全く不明な怖い主治医の言葉をそれなりに解説ばかりか説諭をしてくれ、女性と男性の思考の違いを端的に示してくれるとてもよい存在なのだ(正しいかどうかは別にして)。知識や保持している情報がグローバル、思考は現代的だが、常識や良識は昭和基準。男っぽいが、昔のような閉鎖性はなく、男女や年齢といった領域での差別はない。ま、現代に生きるおっさん(いや、「漢」)である。そういう人間だから、私が色をつけずに言ったつもりの話の中で、怖い主治医のちょっと斜め上の言い方や治療のやり方が、引っかかっていたのかもしれない。根本は、きっと私に近い感性なのだと思う。「来週、病院に行く」と言ったら、「一緒に行こか?」と問われた。驚いた。抗がん剤治療の話もしていないし、命の年限も言っていない。どこで私に付き添う意味を見出してくれたのだろうと戸惑った。これまでずっと一人で何もかもを処理してきたことを「当たり前」と思っていたが、誰かが随行してくれて、助言や手続きの手助けをしてくれたら、とても助かるかもしれない、と、少し温かな心持ちになった。いやしかし! そこでヘルシンキの君の口から出た言葉はヘ「妹として」????私「妹? 何で?」ヘ「どんな顔するか見たいやんか」私「主治医が?」ヘ「女の声で、『姉がお世話になってますぅ』言うで」私「そ、そ、そんな荒技!?」ヘ「ウエストニッパー着けていくでぇ」私「わーわーわーーっ」『ウエストニッパー』というのは、怖い主治医の口から出た衝撃的過ぎる単語だった。(前出のブログでは、記述できなかった。私の心の平静を保てないほどの衝撃だったからだ)へ「この俺でも知らんかったのに! どういうことやねん」(ヘルシンキの君は、『天満のエロ男爵』という異名を持つその筋に知られた人。その彼が知らなかった女性の下着の名称を怖い主治医が言ったことにプライドが傷ついたようだ)私「私はショックで記憶が飛んだもん」へ「俺が着けていったらどんな顔するか見たいわ」そのときの怖い主治医の表情や言葉や動作を想像して、二人とも大笑いした。(注意:ヘルシンキの君は年下ではない。彼の設定上で「妹」にしただけ。誤解なきように)そうか……。ま、そうだろうな。当たり前といえば当たり前だが、私の残命を思った話ではないわな。それでも、そんなことを言ってくれたヘルシンキの君には感謝。多分、違った意味で「随行してほしい」と言ったら、それなりに応えてくれたのではないかと思う。私からそういう申し出は決してしないが。そして彼も、私がそんなことを言わないことを承知しているだろうが。経歴、人生観、私生活、思考、嗜好……いろんな意味で私には理解しきれないが、とても面白くて、楽しい出会ってよかったと思う人である。この人もまた、私の「運命の輪」の中にいる人なのかもしれない。
2024.07.13
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自分の自慢話は他人はもちろん、家族にもしないので、誰も知らない私の過去の事どもがたくさんある。自分でも、「あれは夢だったか?」と思うようなことがあり、最近、高校時代の担任に確認したほどだ。(高校時代の担任は男性だが、私が店を出してから年に一度くらいのペースで訪ねてくれる)家族も知らないような私の自慢話を書き留めておこうと思う。●賞状建売を購入し、団地から引っ越したのが私が21歳のとき。父は、一部屋に不良姉、アホ兄、私の賞状を額に入れて飾ろうとした。部屋を一周しても、額が余るほどの賞状があった。最も多かったのは私だ。絵に関するものが2枚、スポーツに関するものが1枚、文学に関するものが2枚、検定合格認定証や学校の役員任命証など多分20枚ほどあったと思う。姉は1枚(学級委員任命証)、兄は3枚ほどだったと記憶している。どうだ。●模試高校2年の冬か3年の春だったと思う。私は大学進学はしない予定だった。父親からそう言い渡されていたし、家の家計を考えても無理なことはわかっていた。が、大阪では進学校と言える高校に通っていたし、席次がヒト桁となれば、教師陣は進学するだろうと考えていた。同級生も教師も、学校で行われる模試を受けるだろうと勝手に思っていたようで、「受けない」と言うとしつこく勧められた。多分福武の模試だったと思う。全国で数十万人が受ける試験だが、一生に一度のイベントだと思って受けた。全体の成績は、まあまあだったが、一つだけ校長から直々に表彰されることがあった。「現代国語」で全国2位になった。読解の問題が多かったように思うが、得意分野だったので、運がよかったのだろう。●小説高校2年生の夏休み、自由課題で「小説」を書いた。短編で、原稿用紙20枚を切る程度のものだった。担任に呼び出され、「20枚を超えるように調整しなさい」と言われ、少し文章を増やしたり、点、マル、改行を慎重にしたりして、21枚にして再提出した。全国学芸コンクールに出展され、2席になった。また「2」か、と思ったが、素直に嬉しかった。●席次模試の項で触れたが、高校2年の夏以降、卒業するまで席次はヒト桁だった。実は、1年時は100〜120番をうろうろしていたのだが、学力拮抗で入学したのだから、640人中100番なら上出来だと思っていた。しかし、2年生になり、担任が席次順に席を決める人で、一番後ろが最も成績がよく、前にいくほど悪くなるという並び。私は後ろから二列目。現実を具体的に見ると愕然とし、せめて一番後ろの一列に入りたいと自分で編み出した勉強法(機会があればまた書きます)で一気に30番になった。それから2度ほどのテストでヒト桁に。不思議なもので、一桁の人間はどのクラスに何番の子がいるかわかっていて、新顔の私に教えてくれた。それほど順位が入れ替わりにくいのだ。奇跡のような躍進だった。●停学(自慢話ではない)これも高校2年の時だが、停学になった。修学旅行で起こった事件が発端だが、実は私は濡れ衣だった。しかし、私が真実を暴露すると、私以外の人間が停学になることは必至だった。わざと被った。このことは、くだんの担任も今年まで知らなかった。ずっと、本当のことを言ってなかったとは思わなかった。不良グループが中心となった事件だったが、私が濡れ衣を被ったことで、その不良グループからある種の信頼のようなものを得ることができ、その後、それらを牛耳ることができた。それでよし、と思っていた。●生徒会長前述の停学騒動から半年、3年になって早々このことを知っている1年時の担任から呼び出された。「あなた、生徒会長に立候補しなさい」な、なにをバカなことを!「先生、停学処分になった人間が会長になんかなれませんよ」「大丈夫、あなたならできる!」「そういう問題ではなく、名門校の会長ですよ。無理です」こういうやりとりを何度もした。回を重ねるごとに参戦する教師が増えて行く。立候補者は他にもいた。私に席次一桁の顔ぶれを教えれくれた人だ。私はその人に会長になってほしいと教師に訴えたがダメだった。最終的には根負けして、形だけ立候補した。積極的な宣伝活動もせず、演説も、著名な詩人の詩を朗読するというやる気のなさ。しかし、会長になってしまう。これは、陰謀だと思っている。歴史ある学校にありがちな裏の力というものだ。読み返してみると、大した自慢話ではないなぁ。ま、もっと軽いものもあるし、ここで登場した自慢話の「その後」もある。また書くとしよう。とりあえず、子供時代の話はこれまで。
2024.07.12
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1年前に病気になってから、死ぬまでに会いたい人に会い、行っておきたい場所に行くという日々を送った。今年に入ってからは、能動的な連絡や行動は一応終えて、機会があれば、という状態(心情)になっていたが、先月初めにいよいよあと一年くらいか、という現実を目の前にすることになり、さて、どうしようかと思っていた。やらなければならないことを優先にしなければならない。親から相続した家の売却もある。店の契約をどうするかの判断もある。大したことはないが、自分の遺産相続に関する手続きがまたややこしい。さまざまな契約関係の解除方法や連絡先といった資料を作成しなくてはならない。細かなことだが、保険会社への連絡と手続き、病院との間の手続き、病院外の施設関係との折衝や契約、現在思いつくだけでも、数ヶ月は要するだろうなと予想できる。会いたい人に会い尽くしたわけではない。遠すぎたり、連絡先が変わっていたり、長年会っていない人とは交流するのも難しかったりする。が、なぜか最近、お相手から連絡をいただく。「そうそう、この人にも会っておきたかった」と思っていた人からメールが来たり、突然店を訪ねてくれたりするのだ。昨日も、30年ほど前に一緒にCMをやっていたタレントさんが店を訪ねてくれた。(このブログにも既に写真付きで登場している)私はシナリオと現場監督(ディレクター)、彼女はMC。テレビの生番組内でコマーシャルをやっていた。2年半も続いたので、忘年会や打ち上げなどで食事やカラオケにも行ったし、スタジオから彼女の希望する場所まで車で送ったりもした。そのCMが終了してからも、こちらからビデオのナレーションをお願いしたり、アホ兄の結婚式の司会をお願いしたりと会う機会は何度かあったが、ここ10年ほど音信不通だった。が、今年に入って急に連絡があり、春に店に顔を出してくれた。その後私の状況が変化してしまったのだが、再び連絡をくれて、また訪ねてくれた。何か、感じることがあったのかもしれない。昨日は病状についていろいろ聞かれた。聞かれなければ、こちらから言うことはなかったが、聞かれたことへの嘘は嫌なので、正直に話した。驚かれはしたが、さまざまな言葉でアドバイスをいただいた。この人もまた、私の運命の輪の中にいる人なのかもしれないと感じた。仕事で親しくなった人は数少ない。私は仕事とプライベートを完全に分ける人間だったので、「接待」という形式の食事や食事会は頻繁にしたが、個人的に食事に行くことは滅多になかった。しかし、彼女とは何度か食事に行き、楽しい思い出を重ねていた。年齢は10歳近く上だが、全く上下関係をつくらない人だし、何なら「年下か?」 と思うくらい幼い言動をするので、こちらがたしなめたり、言動を揶揄したりして楽しい会話を繰り広げられる。ちなみに昨日は、彼女「今から電車に乗ります」とのメール。私「道がわからなくなったら、連絡くださいね」彼女「さすがにこれで間違えたら恥ずい」私「ハードル上げてますやんw」この後はご想像の通り、道がわからなくなって、電話してきた。私もそれが予想できる返しをしているし、あらかじめ店を出て迎えに行っていた。ここのところ、こういう温かな時間を過ごせている。病気はするものだ。今月末に入院予定なのだが、その日程中に「えー、来たいと思ってたのに」という常連さん(奥さんが怖くて滅多に来られないが、奥さんが子供、実母、実妹と旅行予定)がいるので、怖い主治医に日程変更を申し出ねばならない。怖い主治医の反応を想像すると今から胃が痛いが、これも私の楽しいひと時のためだと我慢する。作家だか、編集者だか、あ、作詞家かな、が言っていた。「締め切りは尊い」そのとおり。期限があるから目標(目的)を完遂できる。忙しくも楽しい日々である。
2024.07.08
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検査責めの日々を終了し、今後の治療方針を決定するために怖い主治医と対峙した。いつものとおり、2日前からひどい下痢に悩まされた。しかし、怖い主治医との面談の後は、例の回転寿司を食べに行く、というのをよすがに何とか気持ちを保っていた。気持ちを保たなければならないというのは、ハードな治療が待っている、とか、入院が嫌だ、とか、痛いことがある、とか、という不安要素があるからというのではない。そんなもの、ガン患者なら誰でも通る道だし、嫌ならやめればいいわけで、私が気に病んでいたのは、主治医との会話がどうなるか、の一点に絞られていた。検査結果によっては、手術などの対処が必要になるかもしれない。あるいは、新たな病気が見つかったかもしれない。戦々恐々の心境だった。「トントントン」診察室に入ると、いつもと様子が違っていた。いつもは主治医と、医事課の女性が一人いるだけなのだが、見たことのない看護師が主治医の斜め後ろに座っている。誰なのか、何の目的か不明ながら、怖い主治医と一対一の対面をせずに済む様子に少し安堵した。怖「検査、お疲れ様でした」という言葉の後、先日のMRIの検査結果と今後の方針を説明された。怖「抗がん剤の前に治療が必要かどうかの判断をしましたが、今のところ、それは不必要だろうと思います」虫「そうですか」虫けら、ホッとする。寿司がおいしいだろうとウキウキ。怖「抗がん剤の治療についてですが…」机の引き出しを開けてパンフレットをガサガサし出した。怖「これかな…」すかさず斜め後ろに座っていた看護師が立ち上がり、看「これですね」と指示をする。そうか、この人が抗がん剤の担当の看護師だな、と虫けらが理解する。同じようなやり取りを2度繰り返し、2冊のパンフレットを私に提示しながら怖い主治医が説明をする。怖「副作用は、程度の差があるとはいえ、100%出ます」恐怖の発言である。現代の医療で、なんとかならないものなのか。まさか、副作用を抑えるための薬を売りたいためにわざと残しているのか。ま、途中でやめるつもりなので、虫「程度問題ですね。副作用を我慢してまで治療を続けるつもりはありません。 そのストレスでもっと悪くなるより、やめることを選択します」怖「そういうことやね」何がそういうことなのか。怖い主治医から「そういうことやね」という言葉を何度が聞いた。よく言えば、「患者主体の治療方針を考えてくれている」だが、悪く言えば、「主治医としての判断を患者に投げている」だろう。私としては、ありがたいのだが。抗がん剤を投与されるときに安全性や薬剤の効果を高めるために「ポート」というのを胸に取り付ける。手術が必要なのだが、そのこと自体は予防的抗がん剤を拒否したときに調べて知っていた。怖「ポートについては、知っていますか?」虫「はい」怖「僕、説明したかな」虫「いえ、予防的抗がん剤をお断りする前に調べました」怖「理解できた?」虫「はい。それが嫌だからお断りしたわけではないですが」そこで、看護師に向かって虫「こんなのをつけてると、私はガン患者だと思い知らされて嫌ですね」と言ってみた。看護師はにっこり笑いながら遠慮がちに看「そうですよね。でも、毎回針を刺すより楽ですから」と返してくれた。私はなぜかすごくホッとした。この人は、波長が合う人だと。無論、看護師という職業柄、患者に寄せてきてくれているのはわかる。そういう技術的なことではなく、思考の波長が合うと瞬時に理解できた。すると、主治医の怖い顔が怖くなくなった。怖「日程ですけれど…」虫「祭りが終わるまでは、仕事がややこしいので…」怖「そうでしょうね」え、私、先生にどんな仕事をしているか言っていませんが。どこで商売しているかも。病院の周辺もいろいろ影響があるだろうけれど、天神さんのすぐ近くにあるうちの店の比ではない。いつ、何で、「そうでしょうね」と言える情報を仕入れたのだろう。内科に入院したとき、看護師の一人に店のことを話したが、外科の主治医との接点はないだろう。???を頭に浮かべるしかなかった。一応の入院日程案をこちらから提示し、受け入れられた。怖「再来週あたり、もう一度確認しましょうか。 また来てもらうのも面倒でしょうけれど」虫「いえ、まいります。先生にお会いできるし」なぜそんなことを言ったのか、自分でも理解できない。強気になったのをいいことに、怖い主治医の反応を見たいと思ったのか。それとも、ひどい言葉を返されて、サドだと再認識したかったのか。怖い主治医、視線をこちらに向けずに一瞬固まる。怖「僕に会ってもご利益ないけど。天神さんに賽銭した方がいいよ」意外すぎる返答。賽銭…。所詮私は金づるということか。虫「今時賽銭も大変なんですよ。硬貨は両替に費用がかかるから。 札で賽銭しないと、神社は死活問題です」私も明後日の返答。どうかしてるぜ。このことは、天満宮の神職さんが嘆いていたのだが、ここで言うか。怖「札やったら投げられへんやん」え、何を言ってるのか、この人。虫「賽銭を投げるって、どういうことですか?」怖「人が多いから、投げるやん」虫「初詣しかしないタイプですか? 賽銭を投げるなんて、 通常はないですよ。ねぇ?」看護師に振る。看護師笑いながら、看「前の人に当たったりしますよね」看護師も明後日の返答。明後日の人間ばかりか。虫「パーカーに入ったり、ね。賽銭は投げるものではありません」怖「そうか…」バツが悪そうにパソコンを弄る。転移の話のとき、「すみません」と言ったが、そのときの調子とは明らかに違う、医師としてではなく、人間としてやり込められた感じのバツの悪い顔だった。怖「申し訳ないんやけど、この後、血液検査してほしいねん」虫「はい」怖「肝炎の検査をしとかないと」虫「してますよ」怖「え、そうやったっけ?」虫「抗がん剤不要って言ってるのに、検査されて」怖「あ、また怒られた」私、怒ったことないですけど。これまで、どれほど我慢してきたことか。しかし、主治医としては、私が怒って言ったと誤解する何かがあったのかもしれない。顔が悪いのだ。私は、きつい顔をしているのだと思う。怒ってなくても怒っているように相手に受け取られる。客商売など、全く合わないのだが、なぜか客商売をしている。これがストレスになったのかもしれない。ストレスはガンの元凶だ。こういうやり取りで、今回は私が優位に立った。というより、いつもの私と違うので、怖い主治医が混乱したのだろう。私が感じたストレスを、怖い主治医も感じていたのかもしれない。波長が合わないというのは、そういうことだ。夫とは、本当にすんなり馴染めた。出会ったばかりでも、旅行できたし、一緒に過ごす時間に違和感を感じなかった。しかし…怖い主治医と旅行したら、、と想像しただけでも吐きそうになる。とんでもないストレスだろうと目の前が暗くなる。それほどの話はできないが、その一端をくだんの看護師に話すことができた。看「そうですか? すごく和やかに会話なさっていたのに」虫「初めてです。いつも緊張して汗だくですよ」看「えー、そんな風には見えなかった。先生も気さくに会話されてたし」虫「あんな先生を見たのは初めてです」看「意外ー。そうなんだー」虫「〇〇さん(看護師さんの名前)のおかげです。ありがとうございます」本当に、看護師に感謝、である。
2024.07.06
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昼の営業を1年間休んでいる。夜はずっとやっているのだが、昼を休んでいることだけを見て、いろいろ問われる。「どうしたの?」この問いの裏には、「病気?」「経営不振?」など負の疑問を帯びたものがあるのだと思う。この程度なら、「コロナ以降いろいろありまして」「家族の問題に対応しています」などと答えられる。嘘ではない。「家族」というのは、夫のこともあるが、親の法要や姪の子供の問題があったりもしたので、いろいろ言い訳ができる。が、夜の予約をしてくださった方には、もっと具体的に聞かれる。「病気?」と聞かれたら、嘘は言えないので、「ま、そうですね」と答えると、「どこが悪いの?」「手術したの?」「どこを切ったの?」「病名は?」「予後はいいの?」とどんどん質問がエスカレートする。医師の資格がある人相手ならまだしも、素人のあなたに本当のことを答えて、何か私にメリットはありますか?と思う気持ちもある。しかし、私の真意は本当のことを言ったとき、あなたは耐えられますか?という気持ちだ。なぜ聞きたがるのだろう。全部聞かないと気が済まない人種が一定程度いるのはわかる。好奇心が強いのか、人に寄り添いたいという偽善を偽善と気づかずに本心だと思っているのか、後学のために少しでも情報を仕入れたいのか、定かではないが、とにかく突っ込んでくる。が、そういう人に問いたい。聞いたことへの「責任」が取れるのかと。「責任」というのは、言いたくないのにそれを言った私に、それ相応の返しをしてくれるのか、ということ。こちらの心情を図らずに放ったその言葉の意味をあなたは分かっていますか?と問いたい。そういう言葉を放った人に、ぐうの音も出ないほど畳み掛ける自信はある。言ったことを後悔させたり、泣かせたり、謝らせたり、一生モノの心の傷にしたり……。しかし、それはできないから、多くの言葉を使ってやり過ごそうとする。それも面倒臭くなってきた。本当のことを言ってやろうかと思うことが増えてきた。店をたたむ覚悟ができたら、店をたたむ状況になったら(シロアリの被害が決定的になったら)、言ってやろう。まぁ、その人が再び私の前に現れて、同じ言葉を投げかけてくれるかどうかわからないが。
2024.07.03
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昨年来(ちょうど1年)、来店されるのはいわゆる「常連さん」ばかり。わざわざ予約して来てくださるのだから、一見さんは皆無。夜の常連さんに加え、ランチ(カレー)の常連さんもいらっしゃるが、カレーがないことを承知の上でのご来店。が、たまに常連さんが初来店の方を連れていらっしゃることもある。面白い生態の方にお会いした。●プレゼントを強要常連さんのご内儀(何度かご来店済み)が天神祭の思い出を語り始める。うちの店にも「手打ち」という儀式に祭関係者が来る。そのことについての内情を根掘り葉掘り聞かれる。初来店の方(男性/面白い生態の方)が初「うちわ、もらったでしょう?」と私におっしゃる。(住まいが店の近くで、同じ町内会。町内会の人はうちわをもらえる)私「いえ、扇子です(祝儀の返礼でもらうもの。町会費の代償とは違う)」ご内儀「いや、扇子! どんなんやろ」私が大切に保管している扇子を取り出してご内儀に披露。男性が、扇子の絵柄について解説。初「えー、いいねぇ。もらったら?」ご内儀「そんなぁ、大切なものやのに」私ポカン。なぜ差し上げなければいけないのか理解できず。初「欲しいでしょ? もらったらいいやん」ご内儀「えー、悪いわぁ」これは新手のクレクレか?この流れで「いえ、差し上げません」と言えるか?友達だったら、「あんたも手打ちに来てもらい(祝儀出したらもらえるで)」と返せるけれど、お客さん相手にそんなこと言えるはずもなく。ま、ご内儀が大層喜んでくださったので、よしとする(しかない)。●私に変わって返答宴が進み、食べ終わった食器を下げようとすると、ご内儀「洗い物すごいね。大変やわ」すかさず横から(初来店の男性が)初「機械あるの?」機械とは食洗機だろう。私「いえ、手作業です」ご内儀「大変やわぁ。手伝おうか?」私「いえいえ……」私が継ごうとした言葉の前に食い気味に私に向かって初「これくらい、軽いもんよ。ね」私「飲食店は洗い物との戦いですから」初「慣れてるから、ちゃちゃっやね」初めてのご来店で、私の作業の様子を見たこともなく、こう断言する意図は何なのだろう。ご内儀を気遣ってのことか、私のことを「理解しているよ」というアピールなのか。●何でも知っているアクアパッツァを召し上がっているとき、突然むせ始めた初来店の男性。常連さん「大丈夫? 骨刺さった?」初「ゲホ、ゲホ、いや、バジルが…」あ、それパセリですが。ヤングコーンの丸焼きを召し上がって初「筍(たけのこ)の味や」ご内儀「ほんと、香ばしいわぁ」多分、焼き筍と似た味がしたのだろうが、焦げた皮の香ばしさがコーンに移ったのではないかと思う。初「これは、トウモロコシの小さい品種?」私「間引きしたトウモロコシです。この季節しか出ないので、市場で見つけたら買ってしまいます」初「筍の小さいのと同じことやね」全く違う。かする部分さえないので、私「うーん、違うような」私にしては、中途半端な言い方をした。何でも知っていると思っている人に、はっきりした否定はまずいと思った。さらしくじらをお出ししたら、常連さん「これ何?」私「さらしくじらです」常連さん「えー、珍しいね。鯨か」初「鯨、よく食べたよね。コロ。炊いたりして」さらしくじらの思い出を語っていただきたい。私「この魚屋さんのさらしくじらは柔らかくて臭みがなくて食べやすいんです」常連さん「ほんと、柔らかくておいしいね」ご内儀「魚屋さんによって違うの?」私「仕入れルートが違うんだと思いますが、もっと分厚かったり、 硬かったり。こんなに柔らかくて臭みがないのは珍しいと思います。 鯨の種類が違うんだと思いますが」初「ハリハリ鍋、おいしいよね」それは、身(かのこ)を使う料理。さらしくじらとは関係ない。知らないことが目の前にあると、自分が知っている方向に引っ張っていくようだ。●強引初「うち(マンション)の屋上から天神祭の花火見えるよ」ご内儀「いやー、素敵!! みんなで鑑賞に行きましょうよ」ご内儀が私の肩を掴む。私はお客さんと外食したり、ゴルフに行ったりといったことをしたことがない。しないようにしている。小さな町で変な噂が広まりでもしたら、商売に差し障る。心の中では、断る言葉を考えていた。ご内儀「ママさん、行きましょうね!」実は、来週5日に治療方針があらかた決まるはずで、場合によっては入院(2週間ほど)になるかもしれない。天神祭のときに娑婆にいない可能性が結構高い。それが決まったら、それを口実に断ればいいと思った。私「そのつもりでいます」ご内儀「お料理とお酒、一人2000円くらいで用意できる?」え、持って行くの? 弁当みたいなもの? 2000円?私「あ、お酒はうちからでは高くなりますから、ご用意いただいた方が」ご内儀「そうやね。あ、花火見終わってから、ここに来る?」21時から宴会? え? 何時まで?初「決まり! じゃ、25日夜18時にうちに集合」何か決まったこと、ある? ●自分のアピール初「僕、独身です」突然の言葉。実は知っていた。常連さんから聞いていたのだ。初「アピールしとかないと」ご内儀「えー、なんで結婚しはらへんかったの?」初「別にこれといった理由はないんだけど、なんとなく」これはアピールなのだろうか。「研究に打ち込んでいるうちにこの年に」「海外赴任から戻ってから結婚を、と考えていたら、赴任が長引いて」といった理由なら、独身であることに理由があり、遅まきながら結婚したい、というアピールになると思うが…。初「今度、夜飲みに来ていいですか?」私「夜は予約をいただいてます」初「開いてる時にふらっと」私「予約に応じて仕入れしますので、お出しできるものが限られますが」初「ちょっとしたものがあればいいです」いやいや、予約してくださいよ。頑なな。初「かわいい犬を連れて来ます」飲食店に犬とは。ま、貸切状態ならいいけれど。初「吠えませんから。おとなしいいい子です」そんな問題ではない。アレルギーとか、衛生面とか…。物知りの割に、自分は埒外にいるのだな。私「犬種は?」初「ダックスです」ダックスフントは困るなぁ。大きすぎる。狭い店なのに。。スマホの画像を見せてくる。私「ミニチュアですね。バッグに入れていただいたら大丈夫です」初「もちろん。二人で来ます」独身の理由はそれじゃないのか? 知らんけど。ま、初対面のときは、警戒心満々なのが私の悪い癖で、粗探ししてしまったのだと思うが、結構面白い人だと思う。白いポロシャツの襟をピンと立てていらっしゃることに強烈な違和感を持ったが、女性にモテなさそうな感じも、身なりやセンスが悪いといったこともなく、職業も安定感があり、50過ぎまで独身だったという理由がよくわからなかった。常連さん曰く「ママさん、よかったら付き合ってやってよ」と一年ほど前に言われていたのだが、うーん。。。私が喋っているとき、凝視するのが気になった。私の粗探しをしているのか?ま、付き合いたいなんて思っていたら、一挙手一投足が気になるかもしれない。単に、私を珍獣だと思ったのかもしれないが。店をやっていると、いろんな人に出会えて楽しい。動けなくなる寸前まで営業していたい。
2024.06.30
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私の人生には常々「運命」という言葉が付きまとう。生まれ、生い立ち、進学、就職、出会い……。偶然のようで必然ではと思えることが幾つもある。●命亡くなった夫とは、仕事で28のときに知り合ったが、夫の私に対する印象はすこぶる悪くて、「つき合う」という関係にまで醸成させるのに5年かかった。夫からのアプローチだったが、元来私は男性とのつき合いが苦手で、自分から好きになった人以外との「デート」(死語?)はしない質(たち)だった。私の理想とは程遠い、派手なタイプの男性だったのに、すんなりスタートしたつき合いも、きっと運命なのだと思う。少し前にも書いたが、私は占い師から「36歳で死ぬ」と言われていた。つき合うに当たって、夫にそのことを言ったら、「大丈夫。僕と出会ったから運命が変わったよ。僕の面倒みなあかんから、長生きするよ」と言われた。結果、夫は私に20数年の命を与えてくれ、平均寿命より20数年若く亡くなった。私は36から20数年生きながらえ、平均寿命より20数年若く死ぬことになった。運命以外の何物でもないように思う。●仕事私をこの世に迎えてくれ、いつも優しく育み愛してくれた、大好きな祖母が亡くなった年に私は独立して開業した。まだ24歳だった。祖母が見守り、支えてくれたのだと思う。時代の荒波に抗えず(抗うこともしなかった)、27年営んだ事業(広告会社)から、飲食店に大転換した。そのときには、夫や夫の家族が支援してくれた。もしこの店がなかったら、昨年の病気の後、どんな生活をしていただろう。営業時間や業務内容を大幅に変更、縮小はしているが、継続して営業できているし、常連さんとの会話やふれ合いはいまの私の何よりの栄養になっている。しかも、当時(11年前)にはまだ元気だった夫が私よりも早く逝くであろうことはわかっていた。自分勝手なわがままはできないとはいえ、事業主という立場であったがゆえに夫の調子が悪いときや病院への通院にはつき添えた。折しも、コロナ禍で営業体制が不安定になっていたこともあり、夫の人生の終焉には割と時間を共にできたのではないかと思う。従業員を抱えていた広告会社だったら、無理な話だった。一人で営む飲食店だったからできたのだと思う。広告会社から飲食店に切り替えたのは、運命だったとしか言いようがない。●命日主人の父親は、大変私を可愛がってくれた。私も、折々のプレゼントや年玉といった儀礼は欠かさなかった。医師が「緩和ケア」という言葉を発した後も、義父と一緒に新たな治療法を求めて遠い病院に出向いたこともあった。残念ながら、その甲斐なく義父が逝ったのは、夫との初デートの記念日だった。初デートから16年後。そんなに早く義父を亡くすとは思っていなかったが、夫との記念日に義父が逝ってしまったのは、運命以外の何があるだろう。●怖い主治医怖い主治医との初対面は、緊急手術のために入院した日の夕方だった。そのときは内科の主治医(女性)がいた。「誰だ、この人」というのが私の最初の意識。しかし、怖い主治医の目を見たとき、自分と同じ目の色……表現が難しいが、感受性…、あるいは思考の方向が同じ人種なのではないかという微妙だが一種の「安心感」を抱いたのを覚えている。が、虫「先生が執刀してくださるんですか?」怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」の会話で、瞬時に粉砕された。どこに地雷があるのかわからない人だった。しかし、この人も私の運命の輪の中にいる人なのではないかと思う。どんなつながりで出現したのかは定かではないが、きっと、前世でも何かの関わりを持っていたのではないかと。もちろん、いい関わりではないように思う。前世でも、大変いじめられたり蔑まれたりしたのかもしれない。しかし、運命の輪の中にまた入ってきてしまった人だ。逃れることはできないのかもしれない。抗いはする。最期まで、何とかできないかとアタフタする。しかし結局、彼との関わりの中で私は死んでいくように思う。運命とは、げに恐ろしいものだ。
2024.06.26
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皆さん一度は想像したことがあるシチュエーションではないだろうか。医師「心を強くして聞いてください」患者「はい。なんでしょうか」医師「あなたは◯ガンです」患者「ガーン」コントのような話だが、この命をかけたギャグを言ってみたいと思った人は多いと思う。しかし、実際にその局面に対峙すると、頭が真っ白になり、そんなギャグを発する余裕がないと証言するガン罹患者は多い。つまり、他人事だから思いつくギャグであるということだ。自分がその状況になったら、ギャグを思い起こす余裕さえなくす。医療事情は30年前とは違うのは確かだ。30年前の「ガン」のイメージは、「不治の病」だろう。医療が進歩し、技術や薬剤、治療機材の開発によって「ガンは治る」などと、短絡的な言葉で語られるが、それは間違いだと確信している。一度ガンになってしまった体には、目に見えないガン細胞が体の隅々に散らばっていて、すぐに表面化するか、時間をかけて表面化するかの違いはあれど、いつかはガン細胞が全身を覆い尽くすという最期を迎えるのだから、ガンから逃れることはできないのだと思う。父が20年以上前に胃ガンと宣言された。そのときにいろいろ調べた。父のガンは、ピロリ菌由来の潰瘍性のガンで、ガン体質からくるものではないとわかった。7年ほど前に夫のガンが判明した。夫は、繰り返し食道を傷めており、潰瘍状になった部分がガン化したのだと解釈した。いずれも、全身に種がある種類のガンではないと「私は」判断した。しかし、いずれのケースでも、「ガンらしいわ」と聞かされたとき、背中がゾワーッとして、血の気が引き、視界が狭くなると同時に胃が痛くなった記憶がある。ガンというのは、大変インパクトのある病気なのだ。私の場合、イレウスになり、検査してくれた病院で医師に「何かの腫瘍状ももので詰まってます」と言われ、「ガンですか?」と自分から聞いてしまった。「その可能性が大きいですね」そこで「ガーン」はおかしい。手術、入院ができる病院を紹介してもらい、外来で検査データを見ながら医師が「すぐに手術をしないといけないですね」と言った時、「何が原因ですか?」と聞けばよかったのに、「ガンですか?」とまた聞いてしまった。「ま、そうでしょう。病棟に主治医をつけますから、詳しい説明はその医師から」と言われて終了。病棟に、というのは、入院するにあたっての主治医ということ。その主治医には、ナースステーションの前で立ち話した。緊急手術になるので、手順の説明を受けた。こちらから聞くでもなく、「この手術で患部の組織を取りますので、詳しくは手術後ですが、多分ガンです。末期ガンではないことははっきりしていますので心配なく」あらら、また「ガーン」が言えなかった。最後はベッドサイドに来てくれた怖い主治医。物言いが柔らかいので、優しい人だと思った私はアホだった。「緊急手術をした後、一旦退院してもらいますが、切除手術をするために再入院になります」私は「ガンですよね」と軽い口調で言ってしまった。怖い主治医は「そのつもりで予定を組んでます」結果はその通りだったので、最後まで「ガーン」を言う機会を与えてもらえなかった。「ガーン」と言える人はラッキーと思った方がいいのかもしれない。ガンの可能性があるなら、畳み掛けるように事後の予定を組まれるのが、いまのガン医療体制のようだ。医師からかしこまって宣告されるのは、よほど良心的か、患者の心に寄り添う病院ということなのかもしれない。宣告のときの私の心情や精神状態については、改めて。いろいろ記しておかねば……。。
2024.06.25
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これまで、何度も怖い主治医(サド主治医)との攻防を書いてきたが、実は、意外にも私の心に呼応する会話もあった。(書いたことも、書いてないことも)怖「これまで、病気に気づいたことは?」虫「2年以上前から」怖「どんな症状? 出血?」虫「腹痛です。8時間苦しんだこともあります。 これはガンか、それに近い病気だろうと思っていました」怖「病院には行った?」虫「もし大きな病気がわかって入院を言い渡されたら、 夫が生きていけません。病院には行けませんでした」怖「症状があっても、ご主人のことを考えて 歯を食いしばって我慢したわけや」この会話は、途中まで書いた気がする。「歯を食いしばって」という怖い主治医の言葉が信じられなくて、ここは書けなかった。冷静沈着で、私を虫けらと思っている主治医の言葉とはどうしても思えなかったからだ。意外にも、心は温かい人なのかもと思った私は、アホだった。大腸が侵され、肝臓に転移があり、膵臓の様子がおかしいので胃カメラを飲めと言われ、胃カメラ検査をしたら、食道にも少し異常がわかり、膵臓の状態が不明なので、MRI検査を言い渡されたとき、虫「こんなに消化器が悪いのは、ストレスに弱いんでしょうか」と問うた。虫けらはストレスに弱いというより、ストレスに気づかない体質だ。常人には理解できないほどのストレスを抱えていることに全く気づかず、病気になって医師から指摘される。怖「ストレスに弱い……ストレスの量の問題じゃない?」この怖い主治医の返しに、目が覚める思いがした。主治医は、私の状況をわかってくれていたのではないかと。怖「処理できる量よりストレスが多いとね」……なんだ、一般論か。そうだろうな。そうだろうな。私の検診の予約はいつも最後の時間帯(14:30)にしてもらっていたが、転移の発覚があってからは、検査の予約時間や、その後の検診の都合に合わせて、時間が変動していた。怖「大丈夫?」虫「仕事を休みます。大丈夫です」という会話を毎回していた。いい加減こちらが言っている勤務体系を覚えてほしい。ずっと最終の検診の主治医の状態を見ていた私は、午前中の検診を受けることになった日、主治医の様子を見て、思わず言葉が出た。虫「先生、今日は随分お元気そうですね」怖「そう? 体調悪いんやけどね。午前中やからやよ」そうか。午前中の検診は初めてか。午前中、午後にかかわらず、いつも主治医は体調が悪いと言う。どこか悪いのかもしれない。最近、胃カメラ検査をやったと言うし、痩せ型の体だし、去年8月に虫「先生、お痩せになったように思いますが」怖「いや、痩せてないよ」私「そうですか? 前回よりもお痩せになったように思いますが」主「年中増えたり減ったりしてるけど、あなたの手術をした時あたりが、今年一番痩せてたな」という会話があった。もしかしたら、怖い主治医も何かの病気を抱えているのかもしれない。私が心配する話ではないが。なら、もう少し患者の気持ちもわかるだろうに、と思うのが心情。が、怖い主治医はそういう人ではない。……どこが呼応しているのか。かすっているだけではないか。ふん。こういう不毛な会話、もっといろいろある。思い出したらまた書こう。これからも、少しずつ増えるだろうし。ブログくらいしか、現状を表現できるところはない。家族にも言えずにいる状況では。。。
2024.06.24
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前のブログで書いたが、この一年、怖い主治医が主治医であることに悶々としたものがあった。それを最初に表現したのは、2週間前の「転移」宣告のとき。私の体の状態や治療方針などをやり取りした後、診察室を後にする前、丸椅子から立ち上がりながら「今後も主治医は先生ですか?」と問うた。怖い主治医は少し驚きの表情を見せながら「え、はい」なぜそんなことを聞くのだろうという疑念を含んだ肯定。「よろしくお願いします」と言って、私は診察室のドアを開けた。自分でも、なぜそんなことを言ったのかよく理解できなかった。本当に咄嗟の言葉だった。これまでと違うステージに入ったのだから、できれば違う医師にチェンジしてもらいたいという気持ち、他の病院に転院したいという願望、あなたが主治医なのは嫌だという意思表示……どれだろうかと考えた。全部当てはまるように思う。が、どれも違うようにも思う。怖い主治医が嫌ということだけではない。状況が嫌なのではないかと思う。この先、治療してもしなくても、最悪1年で終わる命をこのまま黙って、むざむざと終わらせていいのか、というジレンマ……違う。それは納得している。計算どおりだから。実は、夫が亡くなったとき、なぜか私は「3年でそちらに行く」と遺影に向かって言った。「それまでに、キャバクラ巡りや好きな女の子への付きまといを終わらせといて」と。あと1年で3年なのだ。iPhoneは立ち上げた画面を右にスライドさせると先頭に(iPhone内に保存している)アルバムの中の1枚の写真が表示される。最近、ずっと夫の画像が出現する。これまで、比率の多い料理の画像(店のメニュー)ばかりだったのに、さまざまな夫の画像が表示されるのだ。何か言いたいのか、こっちに来いと言っているのか、それとも、頑張って生きろ、と言っているのか。。話を戻して。どんな状況が嫌なのか。怖い主治医に、私のことを小指の先ほども理解されず、虫けら扱いされることか。命を預けている主治医に理解されないことの苦痛は何物にも代え難いと言えるかもしれない。つい数日前、「このまま先生の患者でいていいですか?」と問うた。この言葉を発する前、どういう言葉にするか迷いに迷った。「私、他の病院に移った方がいいんじゃないですか?」ストレート過ぎるし、自主性が感じられない。「先生は私のこと疎ましいと思っているでしょう?」人のせいにしてはいけない。「私の病気をよくしてやりたいと思っていますか?」挑戦的でかつ、依存心が高い。「私は納得できません」言い過ぎだ。「このまま死んで行くのは嫌です」治療したるがな(治療してやるよ)、と言われそう。何が言いたいかを整理すると、「あなたが主治医であることは納得できますが、いまの状況が嫌です」なのだが、これを理解してもらうのは至難の技だ。せっかく、前回に前振りをしているのだから、今回は少し前進、次にさらに前進、その次くらいに結論、という流れがつくれればいいと思った。先は長い(余命?残命は短いが)。このブログで怖い主治医とのやりとりを見てくださった方はお分かりだと思うが、いつも会話がすれ違ってしまうのだ。私の言葉が足りないせいもあるが、怖い主治医に長々と言葉を連ねるのは危険過ぎる。端的な言葉でわかってもらうことが第一だと考えてきた。しかし、端的な言葉を思いも寄らぬ方向で解釈する人だともわかった。これで、どれだけ神経をすり減らしたことか。検診前に胃痛や腹痛に悩まされることも幾度もあった。検診後に後悔や絶望に悩んだことも幾度もあった。まだこの攻防が続くのかと思うと、本当にゲンナリする。しかし、仕方がない。これも運命なのだろう。私の人生は、いつもつらいばかりの運命が付きまとう。前世でよほど悪いことをしてきたのだろうか。来世では、明るくて気楽な人生を歩みたいものだ。
2024.06.23
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ここのところ、立て続けに検査を受けている。3週間前:採血、造影剤CT今週:胃カメラ来週:MRI本来なら、PETも入っていいはずだが、それは全く入ってこない。いずれも結構費用がかかる。しかも、それなりに体への負担もある。仕方ない、と思いながらも、「必要なのか?」と疑問を持つのは致し方ないだろう。本日、胃カメラ検査を受けた。怖い主治医、説明担当の看護師、検査担当の看護師、全てから「麻酔」を勧められた。が、断った。これまで胃カメラ検査は3度ほどやったことがあるが、その当時(10年以上前)は、麻酔がなかった。胃液の出を抑える注射はされたが、自分が楽になるためのものではない。検査担当の看護師が注射を持って現れたので、その注射かと思って尋ねたが、「いえ、喉の感覚を鈍くする注射です」と。「え、麻酔とは違うもの?」「はい」「やらないといけない? 別に素でいいんですが」「ちょっと苦しいかもしれませんが」「大丈夫です。これまでそんないい薬なかったし」という会話があって、それも断った。実際にファイバーを口に入れられてわかったが、私が受けた昔の検査で使ったファイバーより随分細くなっていた。これで苦しいわけがない。喉から食道を通すときに「飲み込め」と言われ、飲み込むとえずくが、苦しいほどではない。7分程度で終了した。看護師さんが目の前でティッシュを5、6枚取り、「お口の中の唾液をここに吐いてください」と言うが、「ありません」。夫は「涙とハナとよだれでグシャグシャになった」と言っていたが、意味がわからない。涙とハナは連動しているので、苦しかったら出るだろうが、よだれがなぜ出るのか。怖い主治医もよだれが出ると言っていた。おいしそうなものを目の前にしたわけでも、梅干しを見たわけでも色っぽい女性を眺めているわけでもないのに、よだれが出るのか。私は胃カメラを苦痛と思ったことはなかった。最近、病院は過剰なほどに「大丈夫か?」と聞く。アレルギーのあるアルコール消毒や薬の副作用などを確認するのは必要だが、患者を甘やかせるだけの労わり的な質問が多すぎる。怖「麻酔なくても大丈夫だった?」と怖い主治医に聞かれて虫「はい。サバイバーですから。年齢的に」と虫けらは答えた。昔はもっと太いファイバーをグリグリ飲み込まされたのだから、大したことはない。怖「飲み込むつらさより、薬の方が怖い?」虫「まぁ、そうですね」薬自体が怖いということはないのだが、30分休まされる、とか、帰りは車、自転車の運転はダメ、とか、そういう制約が嫌なのだ。楽できる薬は体への負担もあるということ。そして、前回の診察以来ずっと思っていたことを言った。虫「先生」怖「…」無言でこちらを向く。虫「言葉にするのが難しいのですが…、 先生は患者を選べないですよね」怖「…」少し困惑したような、理解できないような目で虫けらを見る。虫「私は別の病院から紹介されてこちらに来たわけで、 私も先生もたまたま、主治医と患者になった」怖「まぁ、そうやね」虫「このまま先生の患者でいていいですか?」怖「い、いや、別に…(笑う)逆に、他に行きたいところあるの?」虫「そういう意味じゃないんですが、最期は北野病院がいいなと」怖「なんで?」虫「北斎場に近いから便利です」怖「(笑う)」虫「私は先生のおっしゃることを余り聞かないでしょう」怖「そうかな。僕が言う検査も淡々と受けてくれてるやん」虫「予防的抗がん剤はいや、とか、麻酔は不要、とか」怖「あなたの判断は間違ってないと思うよ。 今回の結果にしても、抗がん剤をやっていてもこうなったかもしれないし。 抗がん剤やれへんかったからこうなったんやとも言えん。 僕はそう言うつもりもないし」虫「わかりました」怖「で、勝手に仮で押さえてあるねんけど、7月1日、MRIね」手回しのいい。一応スッキリはした。いつか言わないといけないと思っていた。次に意見の相違とか、治療方針が飲み込めないときに、転院が言いやすくなった。波長が合わない患者と主治医の関係は本当に厄介だ。何度心が折れそうになったか。これまでこんなことはなかった。症状の重い、軽いはあれど(病院にかかった病気は全て命の危険のある、恐ろしい病気ばかりだが)、「自分はこうしたい」という毅然とした気持ちで望んでいた。主治医との関係も問題なかった。しかし、今回ばかりは……。ま、病気が病気だけに、主治医への依存度が高くなるのは致し方ない。その結果、自分の気持ちや理解との間に軋轢が生じる。主治医に返せないだけに、自身の中のわだかまりとなる。人間的に波長の合う相手なら、言葉にせずともわかることが、言葉にしても伝わらないジレンマというか苛立ちというか。仕方ない。いよいよ最期となったら、そのときはそのときで考えよう。怖い主治医に看取られるのはどうしても嫌だ。それまでに、よい病院、よい医者を探さねば。。
2024.06.21
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先々週8日(土曜日)にamazonで3つの商品を注文しました。プライム会員なので、お急ぎ便で日曜日には到着するだろうと。当初は3品とも「明日到着予定」だったのですが、日曜日朝になって、2品は日曜日到着、残り1品は「17日(月曜日)到着予定」と変更になりました。きのう、急遽欲必要になった商品があったので、追い注文しました。その商品(3品)は17日(月曜日)到着予定と表示されていました。これで、前回注文した商品と今回の商品4品全てが17日に届くとの認識。ところがきょうの朝になって、3品のうち2品は「本日到着予定」、1品は「明日到着予定」に変更されていて、しかも、8日に発注した「17日到着予定」の1品は「水曜日(19日)に変更」と。何だこれ?こちらは、できるだけ同じ日にまとめたいと思って(昨今の物流事情と商品の合計金額的に)、結構配慮して発注しているのに、どんどん変更されていきます。しかも、発注時、もしくは到着前の商品の配送についての備考として、「全商品まとめて配送でOK」と書き添える欄が用意されていないのです。そんなに急いでない場合、あるいは金額的に大したことがない場合、まとめてもらって結構、と書けると随分気が楽になるのに。ましてや、もし、配送時に家にいられない事情があったら(時間指定できないので、3日間全て在宅にできるはずがない)、再配送となり、配送の方の手間にもなるし、こちらもやるせない気持ちになります。さらに、うちのマンションはオートロックではないので、「置き配」を選びづらい。その点、楽天だと、配送に関する要望を書く欄があります。おまけに配送業者によっては、配送日時を指定できるシステムがあったりします。よく配送してくれる業者さんだと、こちらの事情を知ってくれていて、事前に電話をくれたりもして受け取りが随分スムーズにできるようになっています(長年の実績もありますが)。ネット通販は「配送がネック」とよく言われます。「配送料金」「受け取るタイミング」です。宅配ボックスが設置できたらいいのですが……集合住宅では、個人が設置するスペースがないので、マンション自体が設置してくれないと。。が、うちのマンションの共用スペースは、そんなものを置く想定が全くなく、エントランスを「つくり変える」くらいしないと無理です。いっそのこと、オートロックにし、宅配ボックスを設置する「つくり変え」をしてくれないかなぁ。いまのところ、「便利」と「不便」が混在する通販事情です。
2024.06.17
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特筆すべき病気はガンだと思う。「余命宣告」。他の病気でこういう用語は使わないのではないだろうか。とても重度の遺伝病などで、乳児について「5歳までは生きられないと思います」といった医者からの発言を聞いたという人はいるかもしれない。が、「余命」ではない。「生存可能年齢」というべきか。5年もあれば、医療技術の進歩や個人の生命力で年限が伸びることも多々あるだろう。得てして、そういう病気は(姪の子供がそういう状況なので、理解できる)症例が少なく、医者の知見によるところが大きく、予想年齢がはずれることも少なくない。翻って、ガンについては、症例がたくさんあるので、「この場合」というフレームに当てはめた余命を医者が的確に割り出すことができるというわけだ。「患者の年齢・性別・体力・生命力(患者の各種条件)」「がんの性質・種類」「罹患部位」「組織検査の結果」「医師もしくは病院の知見、実績」もっと条件があるかもしれないが、さまざまなファクターから「余命」というものが割り出される。と、私は思っている。もしかしたら、医師個人の「感覚」「主観」といった、激しく偏りのあるものから割り出される可能性もあるかもしれない。あるいは根拠もなく、ただ感情によりある方向をもって恣意的にその言葉を吐くのかもしれない。が、患者はそれを知り得ない。私は、怖い主治医から「1年です」と言われた。言われた瞬間、脳裏を駆け巡ったことについては後述するとして、すぐに口にしたのは、「余命というほどの期間ではないですね」という言葉。「余命1年」はあるかもしれない。しかし、私の感覚では、「半年」が余命の基準だと思っていた。半年より短い場合に「余命」と言われると。1年もあれば、「生存可能年数」だろう。怖い主治医も「そういうことやねん」と、なぜか目に光を宿して私の目を見た。いやいや。そんな目をするなら、「1年」と言い切るなよ。怖い主治医も私を相手にどう言ったらいいのかよくわからないのだろう。なだめすかし、様子を見ながら恐ろしい言葉を発する。私の反応を見ながら押したり引いたりする。大変申し訳ないことだと思う。サドの主治医の欲望を阻害する言葉しか発しない私を持て余しているのだと推察するばかりだ。全く関係ない話だが、中学校を卒業したとき、「あなたのようなダイナミックな生徒はもう現れないわ」と教師から言われた記憶がある。その教師に対して、特別な感情を抱いたことはなかった。他の教師と同じように接したつもりだった。その教師が3年になってから転任してきたという理由から前学年から受け持ってくれてきた教師と差別化したこともなかった。取り立てて親しくしていたわけでも、個人的な相談などをするような関係でもなかった。なのにそういう感想を述べてくれたのは、掛け値無しにそう思ってくれたのだと思う。他の教師からも違う言い回しだが、それに類することを言われた。高校時代もそうだった。大変伝統ある学校だったので、生徒会は教師の推薦で決まる(裏の実態)システムだが、私は会長にならされた。多くの教師が私を推薦したからだ。そこには、教師が私に対して持つ「信頼感」や私の「人間性」への肯定感があったのではないだろうか。誤解なきように言うが、私は決してごますりでもないし、太鼓持ちでもない。自分の思うがままに生きていると、他人が認めてくれる、得(?)な体質なのだと思う。しかし!しかし!しかし!怖い主治医には、全くその効力がない。ひねくれ者か。よほど私が気にくわないのか。とにかく私を理解して認めてくれる素振りすらない。あぁ、ありがたくないなぁ。最近、いろんなものがありがたいと思えていたのに。。。※「1年です」と言われたとき、瞬時に何を思ったか…。「シャンプー」「洗剤」「トイレットペーパー」といった買い置き品がパタパタと脳裏に閃き「使い切れるか!」という心の叫びだった。すぐに何という貧乏人の発想だと、苦笑いが浮かんだが、怖い主治医に察知されてはならないと、目を伏せた。怖い主治医にどう受け取られたか知る由もない。
2024.06.16
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術後1年の検診があった。血液検査の数値は軒並み正常。肝臓も、血液関係も、血糖値も、全て基準値。ファスティングのおかげか。通常の検診ならこれで終わるのだが、今回は造影剤CTの結果がある。少し遡って、診察室に入るところから再現。虫けらの私、『トントントン』ノックする。怖い主治医、中から「はい、どうぞ」ドアを開けて入ると、こちらを見ながら満面の笑みの怖い主治医。私は面食らう。そんな笑顔を見たのは初めてだ。私が入る直前に、看護師たちとよほど楽しい話をしていたのだろうか。虫「先生、すごくお笑いになってますね。何かありました?」怖「どうですか? いつもと変わりなく?」先に私の質問に答えなさい。しかもまた。なぜ先に結果を言うのだろう。変わりがあっても、言うつもりはなかったが。虫「はい」怖「悪い知らせです」え、え、え? そんな笑顔で?怖「転移ですね」虫「どこですか?」中略(詳しい話はまたの機会に)あの笑顔は、私の状況がうれしかったのか。違った背景があるのかどうかわからないが、私がそう思うのは必然である。怖「抗がん剤は受けないとおっしゃいましたが、どうします?」虫「予防的抗がん剤治療は受けないけれど、治療は別です」そう言ったよ。前も。怖「わかりました。治療はするということですね」虫「はい」中略(治療の話)虫「半年前だったら、なかったか、少なかったか」怖「ちょっと考えたんやけど、そうかもしれんね」虫「PETといわんまでも、これくらい(造影剤CT)は半年前にやっていたら」怖「すみません」謝らせた。ずっと思っていたのだ。義父は3ヶ月ごとにPET検査を受けていた。食道という罹患場所の問題や手術内容からのことかもしれないが、1年ほったらかしはないだろう。しかも、今回の血液検査でも、数値は極めてよいのだ。炎症反応も基準値内。腫瘍マーカーも高くない。血液の数値で察知することができないほど小さく、できたてのガンもあると思う。ずっと不信に思いながらも何も言わなかった。怖い主治医の治療方針に逆らったのだから、泣き言的訴えは言えないと思っていた。怖い主治医の「すみません」の後に私は、「いえ、これが運命だったんでしょう」と言った。ま、今更言っても仕方のないことだ。怖い主治医がやおら私に向き直った。怖「どうですか、この結果について」これは、『予防的抗がん剤治療をやっておけばよかっただろう』という含みのある言い回しだと思った。及第点の答えは、「抗がん剤をやっておけば、もう少し遅らせることくらいはできたかも」あたりだろうか。虫「1年も元気に、やりたいこと、やらないといけないことをして過ごせました。 満足です」怖「……」虫「再発や転移は予測していましたが、1年間元気に過ごさせていただけたことに 感謝してます。ありがとうございます」怖「……」虫「ガンって、いい病気ですね」怖「けど、苦しんだやんか。腸閉塞になって」虫「症状のない病気はありませんから。それより、 突然亡くなる脳梗塞とか、心筋梗塞なら、時間の猶予がない。 ガンは、大体の余命がわかるし、その間に片付けないといけないことができる」怖「脳梗塞や心筋梗塞は爆弾みたいなもんやからね。爆発したら終わりや」そう言うとるがな。怖い主治医、膵臓部分の画像を見ながら怖「膵臓がね…」えーーーっ、それ、一番重要やん。虫「ガンですか?」怖「違うと思うねんけど、一応検査しとこか」膵臓となると、エコーか。怖「胃カメラ飲んでもらうよ」なんで膵臓なのに胃カメラ?怖「膵臓が胃に密着しとるねん。胃側から何かわかるかもしれん」えー、素人の私でもそりゃおかしいと思う。でもいい。ある程度の金儲けには協力せねばならん。怖「いまは、麻酔使って楽にできるから」虫「要りません」怖「えっ???」ものすごくあっけにとられた表情の怖い主治医。虫「何度も胃カメラ飲んでますが、麻酔なんかない時代からやってますから。 麻酔は不要です」怖「僕もこの間やったけど、えらい状態になったよ」虫「夫も、涙と鼻とよだれでグシャグシャになったと言ってましたが、 私はそんなことになったことありません。先生もそのタイプですか?」怖「まぁ…、よだれやけどね」想像したら笑えた。目に涙を浮かべ、よだれをだらだら流しながら口にファイバーを突っ込まれている図。怖「麻酔…、やっといた方がいいと思うけど」虫「それは、先生がそうだったからでしょう?」怖「僕も麻酔せずにやったけどね」わかっとるわい。麻酔した上によだれだらだら流してたら、やる意味ないがな。虫「要りません。大丈夫です」怖「そうかなぁ。やっといた方が…」しつこいなぁ。そんなに儲けたいんか。否、この人はサドなんだとわかった。とにかく人の言うこと(主張)を否定し、上から自分の意見をかぶせる。大抵の人は、屈服するのだろう。しかし、私のような人間は、曲げないところは曲げない。それがよほど腹立たしいというか、許せないのだろう。その仕返しに、私の主張を後悔させる結果へと導く。そしてそのとき、満面の笑みで「どうですか?」と聞く。検査の内容や間隔は病院や医師の考え方、患者の状態によるのだろうが、いくらなんでも1年の放置は長すぎる。患者は、悲惨な結果に対して後悔の弁を述べる。「先生の言う通りにすればよかった」と。しかし、私はあさっての回答をする。私は最初から言っていた。「長生きしたいとは思っていません」「あるがままでいいと思っていましたが、イレウスは計算外でした」「効果が期待できない予防的抗がん剤治療はやめ、それに費やすだろう日々をやらないといけないことに使います」と。「治療的抗がん剤は拒否しません」とも言っていた。今回は、「この状態で何もせずに死ぬと家族に申し訳ないし、片付けないといけないことがまだあります」と付け加えた。よしんば、今回直面した結果に私が異議を申し立てたとしたら、怖い主治医は私の意に沿った検査、治療方針を立てたと言うだろうし、それは間違いではない。ただ、普通の医師なら、患者がそうは言っても少しでも長く生きられる配慮はするだろう。しかし、怖い主治医はそういうタイプの医師ではなかったということだ。処置室に移り、胃カメラの説明を看護師さんから受けたとき、「麻酔の説明をしますね」と言われたので、「え、麻酔は要らないと言ったのですが」と言うと、説明係の看護師さんは、慌てて麻酔の説明書を処分しようとしたが、私が診察を受けたときに診察室にいた看護師さんが気づいて「そうですよね。ちょっと聞いてきます」と怖い主治医の元へ行った。「一応、説明しておいてと。準備しておくようです」要らんとあれほど言ったのに。なぜ、これほど頑ななんだ。自分が辛かったから、やった方がいいということだ、なんて、私が思うわけないだろう。所詮、金儲けだと思う。最近は皆、麻酔をするようになっているのだろう。(もしや、麻酔で眠らせたい理由でもあるのか?)よし、当日、絶対拒否してやる。こうして、命がけの1年検診が終わった。怖い主治医に大笑いさせる、文字通りの結果だったわけだ。ふん。これからは違うステージに入らざるを得ないが、仕方ない。こうやって、人は死ぬその瞬間まであたふた、ジタバタしながら生きるのだ。
2024.06.08
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とは、ヘアーサロンのオーナーの言葉。「幸せ」と思うことを探して、行動して、感じることが生きがいにつながる、ということらしい。このオーナーにはいろいろな言葉やアドバイスをいただいている。そのときにはピンとこないことがあるが、ふとしたときに「あっ」と気づいたり、よーく考えたときに「そうか」と思い至ったり、これまでにも考えさせられることがあった。霊感の強い人らしく、私の顔を見て何かを感じ取っているのかもしれない。あるいは、私が纏っている「何か」が現状を物語っていて、それをすくい取っての言葉なのか。「幸せ」というのは、極めて個人の主観なので、私自身がそう思えばいいわけだが、いまのところ、そう実感することはない、とそのとき思った。しかし、「幸せ」は「ラッキー」と言い換えれば少し軽くなるし、思い当たることがいろいろある。●腰痛、膝痛私くらいの年になると、万年腰が痛い、膝が痛いという人がいる。それらが一切ない。一時的に周辺が痛くなることがあってカイロにかかると、「インナーマッスルが硬くなってます」などと言われるが、少しのエクササイズで完治する。いつも腰が痛いなんて、QOLが下がってしまう。ギックリ腰も一度もない。ありがたい。●生活習慣病(症)中性脂肪、コレステロール、血圧、血糖値といった、生活習慣病につながる数値異常が全くない。よって、常用している薬もない。毎食後、就寝前などに薬を飲まないといけないという面倒がないし、それを気にするストレスもない。ありがたい。●体内年齢最近、体組成計を購入して、体の中の数値を見ている。体重が少ないので、若干少なめに出る数値(推定)があるが、きちんと計測したら、多分問題ないと思う。体内年齢に至っては、実年齢より15歳前後若く出る。日々、食べたいものを食べ、飲みたいだけ飲み、好き放題しているのに…ありがたい。●36歳タヒ亡説19歳のときと、21歳のときに手相占いをしてもらった.。19歳のときは職業占い師で、「気をつけないと、早死にするかもしれません」と言われた。しつこく年齢を聞いたら「40歳前」と。21歳のときは、手相を勉強している仕事の師匠的な人で、その人はズバリ年齢を言ってくれた。「36歳」。衝撃的な数字だった。あと15年で死ぬのか…。「運命は変わるので、もう少し年を取ってから観てもらってね」だって。それ以来、「36歳」ばかりを気にして生きていた。36歳で死んでもいいように、相当無理したり、準備したりして。その話を出会ったばかりの夫に話した(当時33歳)。「大丈夫。僕と知り合って運命が変わったよ。僕の世話をしないといけないから、長生きするよ」そのとおりになった。夫の面倒をみるだけの人生だった。おかげで生きながらえた。ありがたい(?)。●病気去年、結構大変な病気になった。割と絶望する人が多いと思う。でも、私は絶望することがなかった。すぐに死ぬ病気ではないし、片付けないといけないことを片付け、会っておかないといけない人に会う時間がある。一年かけて、いっぱい片付けたし、会っておかないといけない人にいっぱい会えた。ありがたい。●お酒夫と同居するようになってから、お酒をよく飲むようになった。二人で飲むお酒はおいしかったし、楽しかった。体を壊すことなく、たくさんのお酒が飲めた。去年の病気後も、怖い主治医が止めなかったし、何よりお酒がおいしいので、たくさんいただいた。ありがたい。●お寿司とトンカツ私の一番の好物は鰻なのだが、近頃遠い存在になってしまったので、夫がいたころにネットで買ってくれた鰻を食べて以来、3年ほど食べていない。次に好きなのが串カツで、大好きだった串カツ屋が閉店してからとても寂しい思いをしていたが、転居先近くにトンカツの店があり、串カツとは全く違うものの、味やボリュームが気に入ったので、事あるごとに食べに行っていた。この週末にも行きたいと思っている。そして寿司。カウンターに座って大将が握ってくれる寿司を食べるということがなくなってしまったが、ネタのとてもいい回転寿司を夫とよく食べに行った。先週の1年検査後に食べに行って、「あーおいしい」と感じた。食べ物がおいしいのは何より。ありがたい。●眺望去年転居して、大変素晴らしい眺望を手に入れた。これがなかったとしたら、退院後の生活は全く違ったものになったと思う。一年、じっくり癒された。古いマンションで、住居としては不満ばかりだが、この眺望は何物にも代えがたい。日夜、大阪城と公園の緑、清々しい風、青い空に感謝する。ありがたい。と、ラッキーなことは幾つでも身の回りにある。こういう当たり前のことをありがたいことと感じる時間を持ちなさいよ、ということだったのだろう。いやいや、私の壮絶な人生のエンディングがこれだと思うと、なんとものどかで、温かい。ありがたいことだ。
2024.06.07
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もうすぐ怖い主治医の定期検診がある。その前に、ちょっと大掛かりな検査があって、これは今週末。この検査結果が悪ければ、その一週間後の主治医との対面が恐ろしいものになる。これまでは、検診の2〜3週間前から禁酒するというだけの簡単な対策(酒飲みにとっては決して簡単ではないが)だったが、それは、血液検査のみだったからで、目立って数値が悪くなる可能性のある肝臓の数値対策だった。しかし、怖い主治医は検査結果を前にして特に注意も質問もしなかった。私が勝手に「た、高いのがある…」と危惧して、汗をかいていたのみである。そのことを質問しても、怖い主治医はのれんに腕押しのような感想を述べるのみ。「気にしなくていいよ」と。ゆえに今回は、長期の禁酒はしないと決めた。が、造影剤のCT検査がある。これは、体内が丸見えになる。肝臓の数値が多少高いなんていうのと比べものにならないくらい丸裸の羞恥にさらされるわけだ。で、およそ2週間をかけて油物、サプリメント、悪い酒を控える作戦を立てた。そして検査前3日間は、ファスティングすると。月曜日:酒はOK。食事はプロテイン、玄米ご飯と漬物、常備菜、枝豆火曜日〜木曜日:ファスティング(プロテインと飲み物のみ)金曜日:絶飲食(水と炭酸水のみ)/夕方すべて解禁金曜日は午後から検査なので、午前中から絶飲食必至。細かくは10時までは飲食OKなのだが、面倒くさいので、ファスティングのまま検査になだれ込む。きょうは水曜日。朝、体重を測ったら、1.2kg減っていた。たった1日のファスティングで。相変わらず余力のない体。きょうとあすファスティングを続けたら、何キロ減るだろう。体重の増減はどうでもいい。内臓脂肪と皮下脂肪の減少、腸内の美化が目的。検査が済んだらまた飲酒できる。とんかつを食べに行こう。その1週間後の怖い主治医の検診時は、傍目から見て健康そうならそれでいい。恐怖に慄き、顔色が悪くなるかもしれないので、厚化粧にしていかねば。これが術後一年目の検査。あと4年。今回の検査結果が問題なければ、ずっと命があれば、の話だが。
2024.05.29
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自分の膀胱の容量を知っている方はどれくらいいらっしゃるだろうか。私は知っている。若いときに入院した。その当時の医療界全般のシステムだったのか、その病院独自のシステムだったのか、いまとなってはわからないのだが、入院患者は入院した日から1週間、指定された大きなビニールバッグに毎回放出した尿を溜めなければならないという決まりがあった(毎日リセット)。ビニールバッグ(目盛りが打ってある)に溜まった尿は夜に看護婦さんがチェックして記録し、処分する。個人情報にうるさい昨今には考えられないのだが、トイレの一角に設置されたビニールバッグには病室番号と名前が書かれていた。「一角」というのは、トイレの端に男性トイレ、女性トイレから行ける共通の場所で、男女問わずバッグが並んでいた。いま考えると、ちょっと嫌な感じがするが、病気が相当ひどかったので、当時は余り深く考えなかった。尿を溜め始めて数日たち、ふと、「私の膀胱の容量はどれくらいなのだろう」と疑問を持ち、溜められるだけ溜めてみようと思った。起床するとトイレに行くのが習慣だが、我慢した。朝食を済ませ(牛乳あり)、お茶を飲み、くつろぎながらベッドで過ごす。ほどなく、点滴の時間。500ccほど体に入れられる。トイレを我慢できるか不安だったので、看護婦(その頃はそう呼んだ)さんが設定したより早めに点滴を設定し直し、そのときを待つ。眠りそうな感じだが眠らない状態。滴下を早めに設定しているだけに、点滴をしながら眠ると、大変なことになる。血圧を下げ、呼吸をゆっくりにし、できるだけ副交感神経が優位になるように。点滴が終わったと同時にトイレへ。私専用の尿瓶を手に取り、個室に入る。その頃はまだ和式だった。尿瓶に尿を取るには和式の方がよい。我慢しただけあった、勢いがすごい。出せども、出せども、勢いが弱まることがない。尿瓶の目盛りは800ccだったと思う。あっという間にそんな目盛りは超えた(実際には、平面に置かないとわからないが、斜めに立てて持っている状態で、尿瓶の半分を超えたので、大体800cc超)。まだ出続ける。「あーーー溢れるーー」と焦った刹那、無事終了。片手であれこれを済ませ、バッグの元へ。ジャーーーーーー。2000cc!!私の膀胱の容量は2000ccなのだ。2Lのペットボトルをおなかの中に忍ばせられるということだ。驚きの結果だった。それは、血圧も低く、安静にしていた状態だったので実現したことだが、間違いなく2000ccを溜め込めたわけだ。もちろん平時には、それほど溜められないが、いまでも、少なくとも1000ccは大丈夫。飲酒時に限るのだが、1000ccでも、結構な時間がかかるし、「おー、よー出るなぁ」と感激する。夫の部屋はトイレの横だったので、私がトイレから出てきたとき「すごい勢いやな。うらやましいわ」とよく言っていた。この話で何が言いたかったかというと、「行っとこか」はよくないらしいということ。年を取ると、まだ大丈夫だけれどどこで行きたくなるかわからないので「行っとこか」とトイレに行く人が多い。しかし、余り溜めずに放尿すると、膀胱の容量がどんどん減るというのだ。尿を溜めようとすると、膀胱が伸びる。膀胱を伸ばさずにちょこちょこ放尿すると、膀胱が硬くなって伸びなくなる、つまり、容量が減るというメカニズム。私はいつもいっぱい溜めている。何しろ、その気になれば2000cc溜められるという自信がある。少なくとも、1000ccは大丈夫、と思えば飲酒中も計算できる。先日、昔の得意先を接待して食事に行った。話が弾み、得意先もジャカジャカ飲んでおられたが、私はタンブラーのビールを9杯飲んだ。1杯350ccとして3150cc。酒は利尿効果が高いので、1.2倍の尿になる。4000cc近くの水分が尿になって出てくるというわけだ。昔の、といえど、得意先の接待ということもあり、そうそう席を立てないので、支払いも兼ねて2度だけトイレに立った。家に到着してもう一度。最初のトイレでは、会食以前の水分も出てくるはず。ということは、4000ccほどの水分を3度で処理できたことになる。年を取ると、いろいろダメになる。ダメになる前に予防することも必要だと感じる。いまのところ、膀胱はさほど衰えていないようだ。 嬉
2024.05.22
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最近、メールでのやり取りにストレスを感じる。ビジネスでのメールでは、相手の常識のなさに驚いたり(ビジネス文書を全く知らない人の場合)、表現の齟齬にイライラしたりといったことがあるが、今回はこれは後述する。「友人」「知人」からのLINEやショートメール、SNSを通してのコミュニケーションについて。まるで、「通話を文字にしたようなメール」がある。会話なら、発声やイントネーションで嗅ぎとれるニュアンスが存在する。しかし、それをストレートに文字にすると、意味が180°違う受け取り方をしてしまうことがある。返事に困る。ここがキモになっていたら、間違うとコミュニケーションのすべてが成立しなくなる。最近多いのが「読解力不足の返事」。”よく読んでいない”のが原因だと思うが、そんな解釈できる? というほど素っ頓狂な返事が来る。訂正に四苦八苦する。一番困っているのがこれ。「ちゃんと読んでいない」とわかる人が激増中である。この間FBのお知らせで「誕生日」が表示されただろう人からLINEメールが届いた。先方「おめでとうございます」当方「生きていたら、還暦の年です」先方「記念すべき一年ですね」読んだ方皆さんが理解してくださっただろうと思う。誕生日だったのは、私ではなく、亡くなった夫。FBから「今日は、○○さんのお誕生日です」というメールを受け取った人が、私にメールを送ってきたので、上記のやり取りをした。数時間後、私の店に当人が花を持って登場!「還暦おめでとう!」なぜそうなる?FBからのお知らせには「夫の誕生日」と明記されていたはず。私にメールを送った時点でも、私が夫についての返信をすると思っていたはず。ではどこで私が還暦と間違えたのか?「生きていたら」が見えなかったということか。全く考えられないシチュエーションだった。ことほどさように、メール(文字)でのコミュニケーションがあやふやになってきた。メールでは伝わらないことが多いと感じる。「言葉より文字」だと信じてきたのに。こちらは、長年職業で文章を書いてきたので、文章力はそれなりにあるはず。相手が送ってきた文章への読解力も問題はいはず。しかし、メールで齟齬が起きることが多くなった。原因は、文字慣れしていない、あるいは、最近きちんとした文章を読んでいない人が増えたとこと。ある識者は、「長文が読めない人が増えている」という発言をしていた。漫画のセリフやXなどで短文ばかり読んでいると、長文への耐性が薄れてしまって、ある一定の長さを超える文章は最後まできちんと読めないということのようだ。嘆かわしい。最近、ビジネスでメールや電話によるコミュニケーションが続いたのだが、相手の理解力のなさ、知識レベルの低さに驚いた。「言葉なき前提」が存在しないのだ。何事も一から説明しないといけない。時間がかかる上にお互いにとってストレスにしかならない。これでは、生産効率が上がるはずがない。いつから日本はこうなったのだ。10年ほど飲食業界という、「ビジネス」というには余りにもラフな世界に身を置いていたせいで、自分の感覚も鈍くなったと思っていたが、世間はそれを上回ってひどい世界になっていた。これは…、と思ってみても、私にできることはあるまい。暗澹たる気持ちである。
2024.05.15
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亡くなった夫はどんなメガネも似合った。レイバンのティアドロップのようなイカツイデザインも、秀才定番の銀縁シャープなデザインも、不思議なほど顔に合っていた。鼻筋が通っていたことと、幅の狭い顔のせいだとは思うが、メガネが似合う顔の分析は余りわからない。それは、私が全くメガネが似合わなかったからだ。※若い頃のキアヌリーブス。夫はこんな感じの顔立ちだった(「人によく「似てる」と言われた」と言っていた)。どんなメガネをかけても夫に笑われた。「そんなスタンダードなメガネも似合わんのか。変わったヤツやな」そう。誰でも似合うような、当たり前のデザインさえ、私がかけると違和感を伴う。「顔は小さいし、目と眉の間も普通、特にメガネが似合わん理由がないんやけどなぁ」と、分析とは言えない程度の分析をしてくれていたが、どんなメガネも似合わなかった。似合うわけではないが、アラレちゃんのような大きなメガネはかろうじてかけられたので、伊達メガネとして持っていたが、サングラスなどは買おうとすら思わなかった。子どもの頃から視力がよかったので、メガネが原因でいじめられずに済んだが、もし目が悪かったらと思うとゾッとする。不思議なのだが、夫はどんな帽子も似合わなかった。顎がシャープなので、ツバの大きな帽子は似合わないと理解できるが、キャップも、ニット帽も、ハットも、全く似合わなかった。物理的な理由ではなく、顔の特性と合わない感じ。かろうじて、ツバがほどほどで、高さが余りないテンガロンは何とか合うかな、という程度。ただ、テンガロンハットとファッションが合わない。夫の好むファッションとテンガロンは180°違うのだ。というわけで、夫は私が知っている限り、帽子を着けて出かけたことはなかった。対して、私はどんな帽子も似合う。一般的に販売されていないような、お高い帽子は合わせたことがないのでわからないが、スーパーやブティック、百貨店程度で販売されている「帽子」と名のつくものは、大抵似合う。それも夫に不思議がられた。「何かぶっても似合うなぁ。理由がわからん」買う気がないのに、売り場にあったベレー帽を着けてみようとしたら、「ええ年して、そんなん似合わんやろ」と言われた。鏡の前に立ち、かぶってみたら、後ろから見知らぬご婦人が鏡越しに私を見ている。驚いて振り返ると、「いやぁ、よう似合いはりますねぇ」と。「あ、ありがとうございます」面食らったが、怒る話ではない。夫も、「似合うなぁ。不思議なヤツや」顔の大きさや形、鼻の高さといった物理的な理由だけで似合う、似合わないが決まるわけではないことは理解できる。しかし、これほどメガネが似合わず、帽子が似合う理由は分析できずにいる。ところが、5年くらい前から老眼鏡をかけずには新聞も読めなくなった。メガネに関する知識がないので、とりあえず100円の老眼鏡を買ってきた。「似合うやんか。何や、安もんは似合うんか」と夫に嫌味なのか、本心なのかわからない言葉をいただいた。そう。ダイソーやセリアで購入した老眼鏡は、どんなデザインでも似合う。どういうこと?顔幅に合わず、下を向いたら落ちるくらいのサイズだが、なぜか似合っている。何が違うのか、わかる人は教えて欲しい。似合う、似合わないに関わらず、かけないと仕方ない老眼鏡、「諦め」の気持ちがあるから顔に合ってしまうのか。それとも、年を取ると誰でも老眼鏡が似合う雰囲気になるのか。わからない。。
2024.04.11
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ヘルシンキ大学で学問を修めたという異色の才人が我が店の常連さんの中にいます。その方(男性)に、取引業者のこと、お客さんのこと、業務のこと、政治のこと、世間のこと、力仕事や男性の才覚が要ること、そして主治医のこと……、さまざまなことを相談したり、ネタにしたりして笑ったり、怒ったり、考えたり、議論したりしています。感性が似ているのかもしれませんし、コモンセンスが同レベルなのかもしれません。とりあえず話が合うのです。もちろん、突き詰めた議論はしていないので、全く合わない部分や、譲れないこだわりは知るよしもありません。お客さんと店主ですから。でも、話題を提供すると、ほぼほぼ同じ方向で怒ったり笑ったりできます。先日、主治医の話をしました。ちょっと下世話な方向にも行きましたが、(「Sに見えてMやで」 「そら、不倫やで」 「男性ホルモン強いタイプや」などなど)結論は、「押していけ」でした。主治医は頭髪がモリモリタイプ。でも、手の甲が毛だらけ。指が細くて爪が綺麗な、「いいとこの御曹司か」的な手なのに、手の甲の1/3が毛なのです。「それで頭髪が豊富か」少し考えて「次に外来に行ったとき、『先生、ずれてます』言うたれ。どこを直すか見ものや」と。体毛が豊かな男性は、頭髪がハゲ気味だというのは通説。私は、「手の甲に毛がある人は、胸毛もある。いややー」と言いました。実は、私は胸毛が大好きです。でも、胸筋が豊富で、胸板の厚い人でないと胸毛は似合わない。日本人なら、加山雄三さんでしょうか。そもそも、日本人で胸毛のある人を脳内再生したことがないので、加山雄三さんが好きなわけではないですが、例としては。加山さんは、日本人にしては珍しく胸板が厚く、顔もあつ苦しいので(すみません)、何ら違和感はありません。それに比して、主治医はヒョロいし、胸板はぺったんこ。胸毛があったらむしりたい衝動にかられると思います。次の外来のとき、「先生、ずれてます」と言えるかなぁ。そのとき、頭をいじったら、笑い(多分吹き出す)をこらえることができるのか…。でも、先日の外来のとき、「先生、髪が伸びてますね」と言ったら、「不評ですね。切ります」とおっしゃったので、自毛だと思います。……おヅラさんのように、週ごとにヅラを変える人だったら…。ヅラは結構お高いので、それはないかな。「ずれてます」と言われて、ほかのどこを直すのか。。ネクタイはしていないし、いつもずれようのないきちっとした白衣を着用していらっしゃるし、メガネもかけてらっしゃらない。ま、私との会話はいつもずれているように思うけれど、主治医は全く気づいていないだろうから、仕草に出ることはないでしょう。でも、試してみてもいいかも。その結果をまたスーパーの男に提供して議論すると、(互いに)一人ではできない大笑いができるかも。主治医にとっては、不可解で、不如意で、理不尽な笑いかもしれないけれど、スーパーの男と私にとっては、笑いのいいネタでしかないぃ。「ずれてます」以上の言葉がないか、これから探りたいと思います。つい最近まで、他人を受け入れない、冷たいというか、排他的というか、見下されてるというか、とにかく会話しにくかったスーパーの男が、主治医の話については結構アドバイスを大笑いしながら与えてくれるので、楽しいひとときになっています。あれ、これはテーマに合ってない話?ま、いいか。
2024.03.09
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※本ブログでは、以前は時事ネタや政治への提言など、多少は世間様のお役に立つ論評や情報を提供していましたが、去年病気をしてからは、私亡き後に家族や友人知人がこれを見て「そんなことを考えていたのか」「そんな生活をしていたのか」と懐かしんでくれるような、極めて私的な内容になっています。何卒ご理解のほど。。とはいえ、政治ネタや時事ネタも懲りもせずに扱いますのでよろしくお願いいたします。主治医「いつもと変わりなく?」虫けら「はい」という会話で始まった外来の検診。「腹痛」「発熱」「体重減少」の相談もすることなく、とりあえず、主治医の言うことを聞く姿勢。主「体重は49kg?」虫「はい」主「変わりない」虫「はい」どうして、先に結果を言うのだろうと不思議に思いつつ、『顔や姿を見て、そう思われたのだろう』と無理やり理解。多分、そこは私と同じで(人に聞きながら、自分の意見を言うタイプ)、自分の考えや感覚を無意識に信じ込んでいる我の強い性格なのだろう。机に置かれた(私が持って帰りたいと言ったので、毎回コピーして渡してくれる)血液検査の結果票を見ると、気にしていたCRPが前回よりさらに高い。それをじっと見ていると主「ん? 気になる項目ある?」虫「CRPが高い原因がわからないです」主治医、PC画面で数値を確かめる。主「気にするほどの数値じゃないよ」虫「前回より上がっているのが不思議で」主「風邪引いてる?」虫「いえ」主「熱はある?」虫「いえ。ひと月前に発熱しましたが」主「ひと月前なら関係ないよ。いま熱あります、という数値や」虫「……」主「思い当たらん?」虫けらは天を仰ぐが思い当たらない。主「花粉症は?」虫「ないです」主「心配せんでいいよ。いつもどおりの生活を過ごすように」実はもう一つ基準値以上の項目があって、そちらもいろいろ聞かれたが、その中で、主「あなた、達観しているからね」と言われた。主治医の私に対する認識はそう言うことなのだと理解した。なのに、大して高くない数値にこだわっているのが不思議だったのか主「そんなに心配なら、すぐにいろいろ検査するよ」虫「そういう意味ではなく、高くなった原因を知りたいだけです」原因を知らなければ、次回も高い数値が出るかもしれない。いつもそれを気にしながら生活するのは苦痛だし、食べたいもの、飲みたい酒を制限するのは本意ではない。しかし…主治医にそんなことを聞くのは無意味だと思った。自分で調べよう。CRPは、腹痛に関係しているように思えてならない。もうひと月以上前の話になるが、理由もなく腹痛が起こり、発熱し、4.5日間も治らなかった。現在、一応症状はなくなっているわけだが、理由がわかっていない。再発の危険性もある。これは、調べなければなるまい。違う病院に行こう。下調べしてあるし、予約を入れる手はずは整っている。……そこで、えらい病気が見つかったらどうしよう。入院ということになったら……。目星をつけている病院は、入院施設がないクリニックだが、提携している大病院があるかもしれない。「紹介状はそちらにしか書きません」などと言われたらどうしよう。。くゎ〜、厄介なことになってきた。しかし、何とか乗り越えよう。次の外来は6月。それまでに、事は動かせるだろう。診察室を出る間際、虫けらは仕返しのごとく「先生、髪が伸びてますね」と声をかけた。これまでにない頭髪の荒れようで、入室したときから気になっていた。何らかの答えが返ってきたら「お忙しすぎるんじゃないですか? お身体を大切になさってください」くらいの言葉を用意していた。主「不評ですか。切ります」そんな自虐オチが返ってくるとは思わなくてアタフタした。虫「そんな意味じゃないんですが」と言いながら扉を閉じてしまった。驚いた。自信満々、私のことを虫けらを見る目で見下してくる主治医がそんな返答を…。ましてや、私に不評でも、切ると断言する必要はないではないか。別に「嫌(厭)」とも「不似合い」とも「汚らしい」とも言っていないし、不評という気持ちを込めた言い方でも声色でもなかったはずだ。人間というのは不可思議なものだ。主治医の私に対する認識も違っているように思うし、私の主治医に対する認識も違っているのかもしれない。しかし、これは、主治医と患者としては不幸なことだ。すべてを理解することは不可能だが、押さえておかないといけないポイントがある。病気という一つの事柄に対峙したとき、共通の概念を持っていなければ、常に互いに外れた方向性を目指してしまう。ま、この主治医には望めまい。私の「諦め」が、主治医に伝わっているのかもしれないが、主治医が私を深く理解してくれるという気配も仕草もない。あ、そうだ。次回の検診の予定について主「次は、一年になりますので、CT撮ってもいいかな?」と聞かれ虫「え? 前回、そうおっしゃってました」主「CT問題ない?」虫「はい。造影剤も問題ないです」と造影剤のことを先に言ったら、主「そうやったよね。記憶と記録が違うから、ちょっと混乱して…、確かめました」PCにちゃんと打ち込んでなかったようで。このときは、珍しくかわいい目線(探るような、気遣うような)、優しい声で聞いてきて、前回のことを指摘するとちょっとアタフタしていた。あの表情と声色は、主治医がする普通の会話だと思う。しかし、それ以外は虫けら扱い。主治医側に弱みがあると、普通の会話ができる…。次回、弱みが見つかるか…。
2024.03.03
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億を手にするにはそれだけの理由がある──前回、そこで終わった。今回はその理由をば。我が店には、大学時代からの友人と来店されることがある。その時にチラと聞いた。「あいつ、大学時代から細かかったんや」億さんがトイレに行かれている間に、ご一緒されたご婦人と私に放たれた言葉。億さんの大学時代というと、ご両親が八百屋を営まれていて、お商売が順調。本業以外のこともされていてそれが大当たりで裕福だったはず。(自動販売機の導入。その頃は、自動販売機などなく、コカコーラが日本初の清涼飲料水の自動販売機を設置し出した頃。店頭に設置すると、飛ぶように売れたのだとか)億さんのお父上は商売の才覚があったと見受けられる。(これ以外にも成功した副業の事例がある)しかも、億さんは一人っ子の長男。可愛い、可愛いして育てられたようだ。(億さんの癖や生活態度を見ていると、そこはかとなく伺える)さぞや贅沢をさせたのではないかと思う。もちろん、商売人は金銭感覚が鋭いだろうし、そうした仕草は見て覚えたかもしれないが、億さん本人にそれを強いる理由はない。しかし、細かい。つまり「ケチ」だったようだ。大学時代からそうなのだから、生まれつきケチだったのだろう。「倹約家」と「ケチ」はニュアンスが違う。倹約家は、無駄なことに金は使わない。ケチは、無駄なことにも金は使うが、少額にするよう苦心する。という感じだろうか。別の知り合いに、億を持つ男がいるが、この人は、いかに先祖からの財産を減らさずに次に渡すかばかりを考えている。無駄なことには絶対に金を使わない。金を使うのが必要なときとはいつなのかを常に考えている。娘や息子にはマンションをポンと買い与える。しかし、相続税や贈与税の対策を最大限に取っている。税理士と綿密に打ち合わせをし、いつ、どういう形で、幾ら渡すのが最も節税になるのかを計算し尽くしている。必要とあらば、親類同士の養子縁組をしたり、持っているビルをいい時期に売却したり、新たに購入したりしている。そういう賢億さんとは違うのが、我が店の客人の億さんである。土地の売却益をどう処理したのかはわからないが、私はすぐに住居を購入したらいいと提案した。マンションでいい。新築に近い方がいいと思うが、手頃な物件を購入し、住みたくなければ賃貸に出せばいい。しかし、賃貸マンションに住んでいる。「不動産屋に相談したら、賃貸の方がいい言われたで」と言っていたが、一体どういう理由だったのだろう。賃貸と比べれば、現ナマではない資産として残る分譲マンションの方が有利に決まっている。相続がややこしくなるからだろうか。4年ほど前に、娘ほどの年の女性と結婚した。「娘に反対されたで、ママ」当然だろう。相続がややこしくなる。遺言や公正証書が必須だ。自分は100円ショップのものどもで生活し、億の金を残す……。億の男の深層心理は謎なのだが、今度、ゆっくり聞いてみようと思う。この人は多彩なエピソードを持っているので、ちょっとしたシリーズになると思う。次回をお楽しみに。
2024.01.23
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余剰金がある人にとっては、募金も義捐金もほとんど自分の生活に影響を与えない。しかし、日々の生活を切り詰めて、欲しいものも買わず、食べたいものも食べず、行きたいところにも行かない人、いや、買えない、食べられない、行けないという日本語が正しいだろう。そういう人に限って善人が多いので、自分の自由になる、わずかな金の中から募金をしようと考える。直接振り込めるような口座がある場合は、1000円以上でないと、格好悪いと考えるかもしれない。そうして億単位の募金や義捐金が集まる。よく考えないといけない。この金は、日本人が自分のために使ってよかった金なのだ。これを失ったためにどうなるか。消費が冷え込むのだ。いつも買っていたものを買わなくなる。コンビニのコーヒーや、晩酌のビールや、オフィスで食べていたお菓子を我慢する。これでは本末転倒なのだ。災害があったときには、国は経済を冷やさないように努めなければならない。復興に使う予算は大変な金額になる。これを経済の伸長によって得られる税金で賄うのが筋だ。ところが、募金や義捐金で何とかしようとすると、経済が冷え込む。災害によって暗くなった国民の心は、手元のお金の減少でさらに暗くなる。日本政府は本当にすかたんだ。東北の震災のときには「復興増税」などという、無謀な税を新設した。これを実行した財務官僚は、大出世の道を歩いたのだろう。今回はどうなるのか。能登地震は激甚災害に指定されたのだから、国はまず、補正予算を組んで素早い復旧を図り、すぐさま景気対策を打つ必要がある。経団連は消費税を19%に引き上げるよう政府に申し入れしたと聞いたが、こんな団体は早く消滅させなければならない。消費者のことを考えない企業経営者は撲滅に値する。しかし、与党の自民党はこのアホ団体から多額の政治献金を受けているので、いつも引きずられる。いま、自民党内部では、派閥の潰し合いが行われている。積極財政派が多い清和会が身動き取れなくなり、財務省とズブズブの宏池会が党内を牛耳る形になった。これは、財務省と岸田の画策だと見ている。財務省と岸田の関係は、最近よくなかったと聞いていた。が、清和会潰しについては利害が一致した。岸田は「恨」の人だ。どういう理由かは知らないが、安倍さんが嫌なのだろう。安倍さんが亡くなったと聞いたとき、気持ち悪いほどニヤニヤしていたという。東大を3回落ちて早稲田に行った、と言われているが、早稲田を2回落ちて3度目に早稲田に行った、が正解かもしれない。学歴についても世間に対する「恨」があるのかもしれない。どうでもいいが、一国の首相が、自分の小さな「恨」で1億以上の国民の生命や生活を左右するなど、狂気の沙汰というものだ。話を戻すが、いま必要なのは、経済を盛り上げることだ。募金や義捐金など必要ない。政府がどんと予算をつけ、景気刺激策を打ち出して国民に安心感を与えることで、人は金を使う。これなくして、復興などあるものか。訳のわからないNPOだとか、外国人だとかに湯水のように金を使い、公金チューチュースキームを拡大し続けている自治体や政府にとって、復興予算くらい何とでもなるだろう。天下りも禁止し、NPOも一旦廃止し、外国人労働者(ばかりではない。移民と言えるもの)についても見直すことで有効な金は生まれるだろう。政治家が利権に群がって己の私腹を肥やすことに躍起になっている現状では、先行きが暗い。地方自治体にも外国勢力に取り込まれ、ろくなことをしない。北海道、東京、静岡、愛知、大阪、沖縄……、尋常ではない。しかし、広島の一つの市の市長が奮闘している。本来の日本人のあるべき姿を示している。そういう地方自治体が増えれば、少しずつ変われるだろう。しかし、「目先だけ、自分だけ、金だけ」の政治家や経営者が増え過ぎてどうにもならない。とことん追い詰められないと、日本人は変われないのか。とことん追い詰められたときには、もう遅いと思うのだが。。
2024.01.12
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随分前から「煽り運転」が社会的問題になっている。煽り運転の挙句、高速道路上で車を停車させ、煽り男が被害者夫婦を降車させたところ、後続車によって夫婦とも轢死されたという悲惨な事故が引き金となった。刑罰が重くなったが、煽り運転は一向にやまない。車載カメラが普及したせいで、SNSなどで拡散され、一層増加傾向にあるのではないかと思われる(錯覚かもしれないが)。かく言う私も、よく煽り運転された。「した方じゃないの?」と言いたい方も多いかもしれないが、私は絶対に煽り運転はしない。ちんたら走る車を煽っていても、何のメリットもない。自分は自分の速度で走るために、速やかに追い抜くか、正当な方法で追い越すのみ。スピードは出すが、それは飽くまでも嫌いな「運転」から早く解放されたいからで、人の運転にうざ絡みしてまで、運転時間を伸ばす必要性を感じない。で、煽り運転してくる人間のこと。分析すると、3パターン。●スピードの出る外車に乗っているスピード狂スピードを愛するから外車に乗っているのかもしれない。そういう人は、昼間でもヘッドライトをつけている。私は速やかに追い越し車線をあける。ベンツとBMWのハイクラスはほとんどこういう人種。わかりやすいので、問題外。●イチビリVOXYやNOAHに乗ってる若い男に多い。家族を載せていても、煽る。とにかく早く走りたいのだと思う。よく走る車だから、気持ちもわかるのだが、車高もあるし、人も載せていいるのだから、少しはおとなしくしなさいよ、と思うが、この手の車が追いついてきたら、さっと車線を変えて譲る。何なら、すかさず後ろに入り直して、スピード運転の恩恵に浴する。(私の車は車高が極めて低かったので、ワンボックスカーの運転手には余り注視されなかった)●謎のおっさんルームミラーで確認するも、イケてない、ダサいおっさんがひたすら煽ってくる。しつこい。車線を譲るとおっさんも車線を変えて私の後ろへ。カメムシばりの屁でもこいてやりたいが、私の大切な車ちゃんはそんな下品なことはできないので、覚悟を決めて攻防する。常に私には勝算があった。相手は大した車じゃない。大抵プリウスクラス。プリウスなんぞに乗ってるおっさんは、道のことや、その時間帯に走っている車のことを知らない。私は、一時期(15年以上)電車にほとんど乗らず、車ばかりで移動していた。仕事柄(かさばる納品があったり、得意先が電車で行きにくい場所にあったり、持参荷物の多い取材の仕事が多かったりなど)致し方なかったということなのだが、「頭にマップルが入っているのか」と言われるほど道には詳しかったし、各道路の状況を把握していた。サンドラ(サンデードライバー)のダサいおっさんに負けるわけがない。かくして、トラックの間をすり抜けたり、信号のタイミングを利用したりして、常に勝利していた。(トラックの運転手は煽られている私に気づくと、煽りオヤジ阻止に協力してくれた。と思う)が、煽られている間のイライラや、面倒臭い感じは、いま思い出しても嫌になる。好男子が煽ってきたのなら、違う方法でやり返せたかもしれないが、粘着型の煽り運転手は、キモい、ダサい、イケてないおっさんだから閉口する。いまでは、仕事で車に乗ることがほとんどないので、高速道路の進入路を気にすることもなく(白バイや覆パトが入ってくる)、オービスを気にすることもなく、のんびり運転できる。と言いながら、アクセルペダルに足を置くと、自然と「いったれー」という気持ちになるが。のんびり運転していると、それはそれで煽りに巻き込まれるのだが。高速なら、左車線で他の車に合わせて走っていれば、大ごとにはならない。逆の立場に立ってみてわかった(余り車に乗らなくなり、SNSで拡散される映像を見るだけの傍観者になってという意味)。●煽り運転をする人間は、知能レベルが低い。車載カメラを搭載している車がこれほど増えているのに、証拠を取られていると認識できない。煽り運転が厳罰化(場合によってだが)され、刑期が伸びたのに、意に返さない。煽った側が事故を起こすパターンも多いということが理解できない。煽りが「かっこいい」と思っている。……日本人ですか?気の小さな日本人はやらないでしょう。やるメリットも全くないし。「人格破綻者」としか言いようがない。結論です。
2023.12.18
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このところ(ここ半年)、おなかが冷えるようになった。以前なら、冷たい飲み物がおなかに入ってきたら、燃焼系と化して、冷えを防いでいたのに…。ただし、3年ほど前から、冷房の効いた部屋でカップのアイスを食べると、その後下すようになっていた。バーのアイスなら大丈夫(何の確認? 言い訳?)。愛飲しているのは、タンブラー(無印良品の)にたっぷりの氷を入れ、並々と注ぐスタイルのワイン。※汚れていたらすみません^^;部屋が暗いので、確認不足。。食べ物と一緒に飲むのが常だが、食べ物が冷たいとか、スナックなどの温度がないものだと、おなかが冷えるようになった。タンブラーワインを愛飲し出したのは15年以上前なので、ここ半年の変化は、私にとって大変ショッキングなことだった。仕方ない。27cmも腸を切ったのだから、発熱効率が下がるのは必然だろう。冷房の効いた部屋でタンブラーワインを飲んでいて気づいた。9月の出来事だった。(冷えた腸に起こる悲惨な出来事はここでは記述しない。必要ならリクエストを。別ブログで詳細を記載する)それから、気をつけていた。一緒に食べるものを熱いものにしたり、横に熱いお茶を置いておいて、タンブラーワインと交互に飲むようにしたり。実においしくないし、酔えない。味がおいしくないわけではないが、神経を使うと、そちらに気が削がれて飲酒を楽しむことができない。自然と酒量が減る。それはそれでいいのだが、楽しさは半減する。10月、急に寒さがやってきたときは、温かい飲み物を模索した。よい酒は置いておいて、安い酒を温めると、途端によくないアルコールの匂いがする。お湯割、レンチン、お茶割り…。家にある酒はワイン以外、頂き物ばかりで、いい酒かどうか定かではないが、飲めたものではなかった。昔のように、何も気にせずに飲める手立てはないものかと考えた。11月、また急に寒くなった時に思いついた。通常はシャワーで済ませていた入浴だが、シーツを秋物に交換するタイミングで風呂に湯を溜めた。残り湯を洗濯に使おうという貧乏人の算段だが、このときに、「湯に浸かりながらなら、腹が冷えないのではないか」と、風呂場に缶ビールを持ち込んだ。大正解!気分よく飲める!腹は温かいまま。が、が、風呂の換気口が廊下に向いていた!うちは、エレベーターのすぐ横の部屋で、同じ階の皆さんは、うちの前の廊下を通って自分たちのおうちに向かう。風呂場の物音は、廊下に筒抜けになる。歌が歌えない!!!くそぉーーー。ストレスや酔いを発散するには歌が一番なのに!静かに飲んでいたら、酔いが回ってきたので(もちろん、入浴前に下地が出来ていた)、早々に入浴タイムを切り上げた。難しいなぁ。おなかを冷やさずにタンブラーワインを飲む方法を考えねば。「腹巻」などというアドバイスは不要。腹巻が誰に有効なのかわからないが、私は原始人なので、寝るときの靴下、手袋、腹巻といった防寒具は、逆効果になることが実証されている。必要なら、別のブログで解説するが、小手先の邪道が通じる体ではないのだ。腸って、伸びるのか?頑張って、いっぱい食べたりすると、元どおりになろうという力が働くのだろうか。胃は多少伸びるらしいが、腸に関しては……聞いたことがないなぁ。とりあえず、タンブラーワインを飲みながら、このブログをアップすることにする。
2023.12.14
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自民党の裏金疑惑からの、安倍派閣僚大量更迭からの、岸田政権はいずこへ〜が話題になっている。「安倍派」と連呼するマスコミも、あっち系言論人も、宏池会も、亡き安倍元首相に何もかもを押し付けて幕引きを図ろうとしている。という構図に見えるが、そう甘い話ではないと私は思う。東京地検特捜部が動いている。かなり力を入れているのがわかる。時間もかけているし、事情聴取している人間の数も多い。逮捕者が出ると言われている。ロッキード事件再来かと思わせる。いや、今回は疑獄事件というほどの話ではないが、米国との関わりの中で起きているということだ。首相を退任した安倍さんが、パーティー収益に関する現金授受の実態を知って「現金はダメだ。振り込みにするように」と指示したと、元NHK記者が証言しているが、ビジネスの世界で現金授受などあり得ない。たまさかそうせざるを得ないときは、領収証、収入印紙、実印を用意し、現金を受け取ったその足で銀行に入金に行くなど面倒な作業を余儀なくされる。後に待ち受けている税務調査の時にいかなる追及にも返答できるようにだ。安倍さんの指示は至極まともだが、それを良しとしないのが政界だろう。裏金は必要不可欠なのだ。「利権」を得るために、裏金が活用される。出す方、受ける方、共に帳簿には載せない金。公認を得るため(政党支部や地方議員を動かすため)に主に裏金が使われるが、国会議員になれば、たちまちにして「利権」構造の中核に君臨できる。業界団体を従え、家族企業に恩恵を与え、献金や事業利益を欲しいままにできる。似たような構造で、せっせと自分の懐を肥やすために働くのが官僚。政治家をだまくらかし、洗脳し、官僚の思う方向で法律を作らせる。法律を作れば、それに準ずる組織を幾つもこしらえて、出向先、天下り先を増やすことができる。そして、政府はその組織に補助金をつける。関連する業界団体は、補助金、助成金の恩恵に与る。政治家はそれに乗っかって、関連する業界団体から献金を受けたり、パーティー券を買ってもらったりする。気をつけなければいけないのは、その原資は全て「税金」ということだ。政治家も、官僚も、関係機関も、関係団体も、税金の紐にぶら下がっていて、その頂点には「財務省」がいる。国民が幾ら税金を払っても、払っても、「増税」「増税」言う財務省は、この構図を広げたいと思っても、縮小する気など全くないのだ。政治家たちが関心のあるのは、利権絡みの政策だけ。「移民」「再生可能エネルギー」「インベスト岸田」誰に利益をもたらすか考えればすぐに構造がわかる。(経団連〜中国〜議連の議員、米国)絶望的に手遅れな感じがする。「自民党なんて、ぶっ壊れてしまえ!」言うは易し。が、外交、国防、経済だけは、他の政党に任せてられない。とはいえ、今の自民党にこの三つを託せる政治家も見つからない。どん詰まり日本。
2023.12.14
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怖い主治医「風邪引いてる?」私「いえ…。風邪は引いてませんが…。どの数値が…」怖「CRPが上がってるね。白血球もすこしね」私「……」怖「心あたりある?」私「いま現在はないんですが、たまに謎の発熱があります」怖「どれくらいの?」私「7度5分から8度くらいです」怖「悩ましいところやね。どうしてるの?」私「寝ます。飲み食いやめて寝てたら、丸一日か、長くて1日半で回復します」怖「そういうことやね」先ごろの診察のときの、怖い主治医との会話。私の心の声の解説を入れます。怖「風邪引いてる?」(唐突やなぁ。何を見てそう思ったのか…。鼻声になってる?)私「いえ…。風邪は引いてませんが…。どの数値が…」プリントアウトした血液検査の結果票に小さな丸をつけながら、言葉を続ける怖い主治医。怖「CRPが上がってるね。白血球も少しね」私「……」怖「心あたりある?」(来たか。体調不良のことを言うか言おまいか…。とりあえず…)私「いま現在(重複しとるがな)はないんですが、たまに謎の発熱があります」怖「どれくらいの?」(いつの話をしよう。平均的な数字を言うか)私「7度5分から8度くらいです」怖「悩ましいところやね。どうしてるの?」(『悩ましい』の誤用はやめよ。私はモンローではない)私「寝ます。飲み食いやめて寝てたら、丸一日か、長くて1日半で回復します」怖「そういうことやね」(どういうこと?)会話終了。(再発は? 転移は? 新たな病巣の発現は? 熱の意味は? わからんーーー)これでいいのでしょうか。退院後、CRPが上がったのは初めてです。実は、11月に入って、左肋骨下の激しい痛みに見舞われました。2度目は、痛みの余り気絶しました。1時間後に目を覚ましたときは、激しい痛みはなくなっていましたが、胃腸の働きが激しく悪いことが自覚できたので、その後3日間絶飲食しました(少量の水のみ摂取)。そしてその後も20日間近く断酒し、食べ物にも注意しました。1度目のときは2度目ほど痛くなかったのですが、肺か心臓への圧迫を感じるというこれまでにない症状があったので、次の診察で何か出るかも、という恐怖心はありました。結果として、CRPとWBC(ボクシングのタイトルみたいだけれど、白血球)に若干現れました。が、「そういうこと」で済ませることにします。大したことではないのでしょう。そう思えば、大したことはないと思えます。現に、現在苦しい、痛い、下痢が止まらないといったような症状は全くありません。そうやって、5年間を過ごせればよいのですが。。5年間なんて、あっと言う間ですが、私にとってはそうではないかもしれません。んなことをいいつつ、怖い変態主治医との会話を思い出して、ちょっとウケていたり、怖い主治医が血液検査票につけた小さな丸を見詰めながら「気ぃ小さい人やねんなぁ」と、微笑ましく感じる昼下がりであります。(嘘つけ! 罵倒の言葉が出かかっとるがな!)
2023.12.13
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「肉を食べると長生きする」「1日1万歩でガンにならない」「ポジティブ思考で病気撃退」どれも正しくて、どれも間違いだと思う。「肉を食べると長生きする」これは皆さんがよく言う「年取っても肉を食べられる人が長生きする」が正しいように思う。肉、とりわけ牛肉を食べるとパワーが出る。翌朝の元気さが違う。肉をたくさん食べると確実に実感できることだ。が、私のような人間は、毎日牛肉を食べたいと思わないし、食べると確実に消化器を壊す。「100歳になっても、毎日ステーキを150g食べている」なんておじいさんの話をニュースで紹介されることがある。50歳を超えた日本人の半分は胸焼けするのではないだろうか。自分の倍生きた人が、今の自分でも無理なことをしている。この事実は、100歳生存を可能にする奇跡なのだ。「1日1万歩でガンにならない」海外(欧州)の追跡調査で明らかになった事実。『ウォーキングの歩数に関する実験。対象:8万人、追跡調査期間:6年間毎日1万歩歩く人は、5千歩しか歩かない人より20%ガンの発症リスクが下がった』というものがある。一方、『ウォーキングの最適歩数は8千歩』という実験結果も発表されている。1万歩も歩くと疲れから免疫力が低下して病気に罹患しやすくなったり、(足首や膝など)身体の故障を招き、場合によっては歩行能力が下がり、寝たきりにもなるというもの。どちらかというと、後者の方が正しいと思う。私も退院以来、できるだけ歩くようにしているが、1万歩も歩くと結構疲れる。1万歩以上歩いたのは多分、この半年で1回しかない。それも、意図的に歩いたのではなく、自転車の使えないとき(雨)に出かけて(友人との会食)、あちこち歩き回ったということ。ウォーキングは大抵6千歩程度にしている。私はインナーマッスルも強いし、下腿の筋肉も豊富にあるが、1万歩は疲れる。普通の女性なら、4千歩でもいいと思う。前に戻って、ガンの話だが、ガンに罹患した患者の多くは筋肉量が足りないことがわかっている。再発をしたガン患者についても同様だ。ガン細胞が筋肉組織を破壊するのか(ガンによるエネルギーの消費が筋肉の消費を導くとも)、筋肉量が足りないからガンが成長するのかははっきりしないらしいが、ガン患者が細くて筋肉が少ないのは間違いない。(私はこれに当たらなかったが、退院したときの筋肉量の減少具合には驚いた。ウォーキングや日常生活で以前には及ばないまでも、ある程度取り戻すことができている。しかし、今度「握力が落ちた」「歩幅が短くなった」と気づいたら、再発に違いないと覚悟している)というわけで、筋肉量が少ないゆえに5千歩しか歩けない人だから、1万歩歩く人よりガンに罹患する確率が高くなった、というのが私の見解だ。1万歩歩いたからガンにならなかったというのは、因果関係に不足があるように思う。肉を食べると長生き〜と同じ理論だ。「ポジティブ思考で病気撃退」これはそうだと思う。学術的なファクトを持ち合わせていないので、あくまでもイメージだが。物事をポジティブに捉えられる人はいつも元気なように思う。いつも笑顔で声が大きく、活動的な人には、不運や病気が寄り付かないだろう。しかし、そうでない人が「ポジティブ思考に変える」ことができるだろうか。いつも心配性で、ネガティブで、運動も余りせず、インドア派で、陰に籠るタイプの人がいきなり「ポジティブシンキング」ができるわけがない。できないことを「しよう」という無理なことを言っても意味がない。つまり、意味のない示唆をもってして、医療や生活の場に踏み入ってきて、誰の役にも立たない言説を振りまいているということになる。この手の話が日本には多い。日本人というのは、イメージや思い込みが通じる民族だからだろうか。人に騙されやすく、有名人の言質を信じやすく、テレビに支配されている民族……そういうことだろう。私は昔から人の言うことを余り信じない人間だ。しかし、自分がつくった人のイメージにハマりやすい弱点を持っている。これは、少女漫画のせいだと確信している。我々の世代が昔(小学生〜中学生)読んだ少女漫画は美しい世界だった。汚い大人は汚く描かれていたし、美しい心の男女は美しく描かれていた。つまり、表面の条件を見て、少女漫画の世界と置き換える癖があるのだ。教師は聖職。政治家は偉大。医者は清廉潔白。癖が抜けない。恐ろしい現実を見ても、根底にはこうした昔ながらの日本の伝統的思考がある。変えなければならない。来年から、心を入れ替えよう。医者とて、ゲスい趣味を持っていてもいいではないか。金の亡者でも仕方ない。それが人間なのだから。それでも、医者なのだから。なんのこっちゃ。。
2023.12.08
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……書こうか、書くまいか……悩みに悩みました。でも、書きます。衝撃的過ぎるので、記憶に固定化するのをためらいましたが、これも一つの経験というか、勉強です(?)。12月の最初の日、怖い主治医(「怖い」の所以は、6〜8月にアップしているブログでご確認を)の診察が入っていました。「定期」と言えるほど定期化していませんが、前回からおよそ3ヵ月ぶりの診察です。遡ること20日間ほど飲酒をしていません。11月半ば、劇的な体調不良に見舞われたのですが、原因不明なため、とりあえず飲食を全て断ち、様子を見ながら流動食から再開するという、私の人生にありがちな(15年ほど前から事あるごとに実行)自己流ファスティングを契機に診察までの間、酒をとりあえず抜きました。血液検査をして待合室で待つこと1時間半。ようやく名前を呼ばれたので診察室に。(予約しているにもかかわらずの長時間待ちと、再発の危険のある人間に対して血液検査だけでいいの?という不満と不安は抑えて)私「失礼します」と言いつつ丸椅子に腰掛けた私の顔を見るなり、怖い主治医「痩せた?」ちょっとの間会わなかった友達に言う言葉でっせ、それ。気軽すぎる。医師が患者に言うトーンかいな。私「いえ、少し太りました」怖い主治医、前回と前々回の疲れた表情とは違い、とても元気な様子。怖「体重は?」私「49kgです」主治医は「思いどおり」「順調」といった表情。49kgは嘘です。いつも多めに申告しています。怖いから。順調に体重が増えてないと、表情が冷たくなるのです。怖「ちょこちょこ(LとH)あるけど、問題ないですね」プリントアウトしてくれていた用紙を見ながらの言葉。断酒の効果か、血液検査は問題ないという評価。(ここでの会話は割愛。結構話しましたが)怖「次は3月やね。この日、大丈夫? 時間は?」私「きょうと同じ感じで大丈夫です」毎回この会話。私は一番遅い診察時間を予約します。昼営業と夜営業の間に来られるように。実は、昼営業を終わって来ていては、間に合いません。早く切り上げる必要があるのですが、金曜日は「決戦の日」という、はずせないイベント日なので休むわけにもいかず、さりとて主治医は金曜日しか外来に出ないので、これしか方法がありません。怖「2時半で大丈夫?」私「先生のご都合が悪ければ、変更しますが」怖「いや、あなたが優先です」(いつも、これしかないと言うとるがな!)私「では、この時間でお願いします」怖「この時間は、仕事を終えて?」私「昼と夜の営業の合間です」怖「この後、仕事に戻られる?」私「はい」怖「失礼しました」な、なんで失礼したの?別に、失礼されてないけど。次回予約の話になると、毎回これ(覚えといてくれと言いたい)。怖「次は血液検査だけやけど、5月にはCT撮りますよ」私「1年ですね」怖「そういうこと」私「CTは造影剤の?」怖「あ、あなた造影剤あかんかったかな?」(入院してすぐにやっとるがな。今更なんの情報を思い出したんや!アルコール(消毒)も、アレルギー(薬剤)も、食物アレルギーも何もない前世代的人間の私に、注意点などあるかいな!)私「いえ、問題ないです」と言いつつ、私は視線を右上に移したまま固まりました。怖「なに? なんか問題?」私「いえ、以前の検査の時、服装とかどうしたかなと思って」多分、入院直後にそのままの服装で検査室に行ったと思うけれど、検査時に着替えたかどうかを思い出せない。怖「別に、%&★△♯◯=$みたいなの着けてなかったら、大丈夫よ」私「?!?!?!?!?!」『%&★△♯◯=$』の意味がわからなくてパニック!英単語の意味からすると、下着のことを指しているのはわかるし、それは一般的な用語ではないことが理解できます。一般的な、というのは、私のような平凡な女が着用する代物ではないということ。私「いや、そんな特別な……普通のゆるゆるな…」焦って、言葉になりません。怖い主治医はニヤッと笑った感じがしました。マスクに隠れた口元の詳細は分かりませんが、どう考えても「ニヤッ」です。怖い!!!この後も、体調不良の話などをしましたし、覚えていますが、『%&★△♯◯=$』もですが、「ニヤッ」が衝撃過ぎて、もうどうでもいい。勤務先の店に到着して、早速『%&★△♯◯=$』を調べました。補正下着のようですが、女性目線の補正というより、男性目線の補正のような…。夜営業のときに来店された自称「天満のエロ男爵」こと「ヘルシンキの君」にこのことを話しました。エ「%&★△♯◯=$って、何よ。この俺でも知らんで」私「私も知らんかった。調べたけど、女性でも知らん種類の下着やと思う」エ「そういう癖(へき)があるんとちゃうか? その医者」私「癖? 奥さんに着させるとか?」エ「愛人やろ。奥さんにはさせへんで。医者は変態多いからなぁ」私「自分で着てたりして」エ「変な男増えてるでぇ。ブラジャーしたり、フリルのパンツ履いたり」私「清廉潔白とは言わんけど、真面目な人格者と思ってたのに……」エ「俺でも知らんような、マニアックな下着の名前知ってるねんで、真面目なわけないやろ」医師、外科医、執刀医、外科部長(?)…いかなる立場であっても、職業柄ということで知り得る情報ではない…ような気がします。とすれば、個人的な情報収集力の賜物ということに……。……ショック、というか衝撃的過ぎて、ずぅんと落ち込みました。いや、『%&★△♯◯=$』という単語を発した怖い主治医の闇にも衝撃を受けましたが、私に対して発したということの方が衝撃的でした。私が『%&★△♯◯=$』を着けるような人間だと思ったのでしょうか。それとも、世間知らずのババアを困らせてやれ、とおちょくったのでしょうか。長い人生を生きてきたし、一般人が考える恐ろしいことの大概を経験している私にとっても、このような衝撃はそうそうないことだし、生涯忘れ得ぬ事件になりました。怖い主治医と個人的な話をする関係になることはないと思うので、この続きや後日談は書くことができないと思いますが、とりあえず、今年最後の衝撃的事件をお伝えしました。あー、世間の闇は深い。3月の診察の時には、事前に作戦を練ろう。怖い主治医の本性、まではいかぬとも、闇を少しでも暴く試みを…。待てよ、それまで生きていられるのか?とりあえず、禁酒を解こう。飲まんとやってられん。話はそれからだ。
2023.12.02
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およそ3ヵ月ぶりに髪を切りに行った。もっとマメに行きたいところだが、結構お高いサロンだし、店の近くなのでいまの営業状態だと、休日に行くしかない。で、新嘗祭の日に予約した。久々に顔を合わせたオーナーが「えー、随分イメージが変わりましたね」開口一番、そう言った。私は???だった。全く変わったつもりはなかった。チェアに腰掛けると、矢継ぎ早に聞かれた。「体重増えました?」「化粧、変えました?」「生活が変わったのかなぁ」「ブイブイいわしてるんじゃないですか?」どの言葉にも、無反応にならざるを得なかった。体重は前回より1kgほど増えたが、顔や体型に出るほどの変化はないように思う。化粧…ほぼスッピンだし。生活は全く変わっていない。未だに昼の営業ができていないし、夜も以前どおり週に2〜3日の営業にとどまっている。ブイブイ……なわけない。しかし、オーナーの声色も、質問の内容も、私の顔色や何かがポジティブに変化したことを意味していることは理解できた。私「何か、雰囲気変?」オ「空気が違いますよ。前回の時と」私「明るい? 元気な感じ?」オ「いやー、何ていうのか、全然違います」私「病気する以前に戻った感じ?」オ「いや、もっとパァっと明るい感じ」「……」全く思い当たらない。生活は、退院以来ほとんど変わらないし、体調もさほどよくない。来週にはいよいよ怖い主治医の診察が迫ってきているので、心もどんよりしている。もし、これかな、と思うことがあるとしたら、10日ほど飲酒していないことか。来週の診察に向けて、万全を期しているのだ。というより、体調が劇的に悪くなったのを立て直すために酒を抜いたのがきっかけで、このまま診察まで抜いてしまおうというわけだ。入院した時も、10日ほどしか抜かなかった。診察まで抜いたとしたら、20日近くになる。これで何かが引っかかったら、再発か、新たに病巣ができたかしかないだろう。即入院、ということにならない限り、診察後にはすぐに飲める。診察当日には時間的に無理だが、翌日には行きつけのとんかつ屋でおいしいとんかつをビールとともに食し、ぷふぁーっとやろうと画策している。それをモチベーションに、日々、麦茶でしのいでいる。酒を抜いたとて、「寝覚めがよい」「体調がよい」「食欲がわく」などといったよいことなど全くない。私の飲み方は、寝覚めが悪くなったり、体調を崩したりするような刹那的な飲み方ではなく、大抵同じくらいの量(日あたり)を同じようなペースで飲む。いわゆるオヤジ飲みだから、酒で体に影響を与えるようなことはない。が、顔色や、髪のツヤなどに変化があるかもしれない。美容に疎いので、自分では気づかないが、いろんな女性を毎日見ているオーナーには、私の変化がわかったのかもしれない。それにしても、パァっと明るくなったとはどういうことか、理解できない。憑き物が落ちたか。病のオーラが晴れてきたのか。いずれにしても、よいことのように思う。髪型を少し変えてもらった。気分が少し上がった。余り寒くなかったので、3000歩ほどの道のりをいそいそと歩いて帰った。ただ、「ブイブイいわせる」ほどの元気は生涯出そうにない。オ「そうですか? オヤジたちにモテるでしょう?ブイブイいわしましょうよ」そ、そうですか。。ブイブイねぇ。来週の診察で、全く問題なかったら考えることにしよう。そんなことを言いながら、実は、入院を覚悟して、パジャマを幾つか購入している気の弱い私なのだ。
2023.11.24
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2023.11.11. 17:48梅田ヨドバシカメラの対面・JR側に到着。既に有本さんの声がする。少し話されて、河村名古屋市長にバトンタッチ。ほどなくして消防車のサイレン、救急車のサイレン。ちょっと演説を中断してから再開。いつもの名古屋弁(三河弁?)に飽きる前に百田氏にバトンタッチ。すると、連続して消防車、救急車が現場前に到着。赤色灯を点灯したままJR側に停車。群衆から、「嫌がらせか!」「どけろや」の声。が、皆静かに動静を見守る。消防隊員が「通報された方いらっしゃいますか?」隊員に近い方は事情を聞いておられる様子。20台以上の消防車と救急車が停車する中、百田氏が演説を再開。ほどなくして、パトカーが次々に到着。街宣責任者を通じて中止要請。百田氏がどうしても、と1〜2分喋り、終了。警察から、「ゆっくりこの場を離れるように」と言われ、人々は帰途に。※百田氏のXよりこれが、昨日の日本保守党大阪街宣活動の顛末。その後のYouTubeライブで、百田、有本両氏が「警察で、将棋倒しになったというような通報があったのではと言われた」とおっしゃっておられた。どんな規模の将棋倒しなのだ。だとしても、これだけの消防車と救急車が駆けつけるということは、大変多数の通報が入っていると考えられる。以前、住んでいたマンションの下階から女性の悲鳴のような声が聞こえ、結構継続していたので、警察に「DVの疑いあり」と通報したことがあった。駆けつけた警察は「多数の通報があった」と言い、3班ほどの警察官が集結した。結果、電話での喧嘩だったというオチだが、通報が多いと、集まる警察官も一人や二人ではないということだ。これは、消防に入電記録を開示してもらわねばならない。夕刊フジか産経新聞にでも頑張ってもらおう。警察の中止要請が正しかったかも検証する必要がある。地上で演説を聞いていた人たちに問題や混乱はなかった。後のYouTubeライブでは、JR〜阪急の歩道橋が通行できなくなっていたと知ったが、それは、そこを解除するように誘導、警備すればいい。何の混乱もしていない人々を無理やり散会させる権限が警察にあるのか。道路使用許可を事前に取得していたにもかかわらずだ。警察も消防も府の組織なので「維新の嫌がらせだ」と断じる人もX上やYouTubeのコメント欄で散見されたが、そう思っても仕方ないほど未曾有の消防車襲来だった。大阪市内北部の消防車や救急車が集結したのではないかと思うほどの台数で、事件や事故もないのに撤退しない様子や、すかさず警察が中止命令を出すのは、何かあると疑ってもおかしくない。名古屋や東京では、何の問題もなく街宣活動ができたのに、大阪はこの体たらく。情けない。誰がやったのか、明らかにしなければ、日本保守党の大阪街宣は今後実現しないかもしれない。警察も圧力をかけるうってつけの事案になった。これでは市民、府民も集まりにくい。あっち系の人々は本当にうざい。人に迷惑をかけることや、社会を混乱させることを厭わない。もしこれが反対の立場だったら(あり得ないが)、現場は、それこそ罵声が飛び交う大混乱の極地になっただろう。飯山陽氏が保守党の結党パーティーのことを「あっち系の、独特のやさぐれ感を醸す人が全くいなかった」と言ったのには笑ったが、本当に昨日の群衆も普通の人々だった。身なりもきっちりし、変な髪の色や崩れた服装の人は一人も見なかった。20〜30代の人は1〜2割だったように思うが、共産党のような年寄りの集まりではなかった。皆、おとなしく、静かに、時に笑い、時に拍手して演説を聞いていた。ヤジも、変な音楽も、帰れコールもなかった。しかし、中止命令が出てしまった。マジョリティの静かさに付け込まれたあっち系の暴挙と見て間違いないのではないか。マジョリティが目覚めなければならないが、発信力のあるマスコミがみんなあっち系なので、ローカルコミュニティを幾つか立ち上げて、地道に発信するしかないのか。今は、百田氏、有本氏が発信の中心だが、もっともっと必要だし、プラットホームも拡大しないと。スカタン岸田を引きずり下ろしたところで次の政権は……と考えると絶望的になっていた人々が、さらに絶望的になった出来事だった。
2023.11.12
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私は平気で「ブス」と言う。もちろん、いい大人になってからである。子供の頃は一切言わなかった。多分、40後半になってからだと記憶している。といっても、ごく親しい人との会話の時に限定している。なぜか?女性や、結構上品な人からは注意を受けるから。ではない。そんな注意をする人には、「ブス」の意味がわからないのだと理解し、言わないようにしている。(言われる前に自制しているということ)子供の頃や若い頃に言わなかったのに、今、あえて言う意味は、「心が汚い」「心が貧しい」「心が卑しい」「いじわる」「せこい」「卑屈」などといった、貧困な心根が顔に出ている人を「ブス」と思っているし、年を経てそれがわかるようになったからである。30年近く社長を務め、10年もの間飲食店を営んでいる(ダブっています。もちろん)と、それはそれは多くの人と出会い、付き合い、会話を交わし、信頼関係や利害関係を構築し、時に裏切られ、陥れられ、ひどい目に遭わされてきた。こちらは真面目に、バカがつくほど正直に商売をしてきたので、そういう人(ブス)は自然と見分けがつくようになった。そして、そういう人は共通の顔相を持っていることがわかった。自分勝手で、人のことを顧みない、自分第一という傲慢さが顔に出ている。幾ら造作が美しくても、こういう醜悪な顔相を持っていればそれは「ブス」である。このことを理解している人は私が「ブス」といった人の何がブスなのかを瞬時に解してくれる。やはり、年齢も同じくらいの人ばかりだ。百田直樹氏が以前おっしゃった。百田氏は「ブサイク」という言葉を使って人を揶揄する。傍の有本香氏が「やめなさい」と注意する。有本氏は、造作のことを言っているのだと誤解している。百田氏はすかさず「人間、40年も生きたら、生き方が顔に出るんや。生き方が悪いから、ブサイクになるんや」と返す。私と同じ理屈だ。有本氏もわかってはいるが、ネットという公の場で言う言葉ではない(我々世代は、外見のことをとやかく言うことには極端に否定的な教育を受けた)という常識がまず最初に来るのだろう。百田氏は「ブサイク」と言ってはばからない。それは百田氏がブサイクではないからだ。ブサイクになるような生き方はしてこなかったという自負があるからだ。私も、人を指して「ブス」と言ってはばからない。それは、ブスな生き方はしてこなかったという自信があるからだ。……だ、だが、造作的なブスであることは否めないので、百田氏のような万人に向かって言葉を吐くほどの自信はないが。今の日本、ブスやブサイクが街に溢れかえっている。己のことのみ、権利、権利、また権利。義務も奉仕も献身もあったもんじゃない。そりゃそうだ。政治家も、官僚も、マスコミも、皆ブサイクとブスの集合体になっている。私はもう5年以上テレビを観ていない。出演しているコメンテーターやタレントの多くがブサイクとブスばかりだからだ。観ると決まって暗い気持ちになる。私が「ブス」と思う人がいなくなってほしい。気持ちのいい世の中をつくるにはどうしたらいいのか。教育からか……30年後になってしまう。私がこの世にいる間には……絶望的だ。。
2023.11.04
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少し前、8歳(いまは12歳)の天才バイオリニストの話を書き、同い年のときの私は、他人のレンゲ畑に踏み入って、花の蜜をチューチューしていたと暴露した。哀しいなぁ…と思いながら、小学2年生のときのことを思い返してみた。一つ、自慢させてほしいエピソードがあった。こたつを修理した話を恥ずかしながら披瀝した。そして…、もう一つあった!残念ながら、前のエピソードより哀しい話だが、懸命に生きていた幼き清貧一家の次女の記録として書き記しておきたい(大袈裟)。8歳当時は、父の勤務する会社の社宅に住んでいた。薄給なことはどの家庭も同じだが、入社時期や役職のせいで給与や立場に多少の優劣があった。その中で、我が家は最低ランクだった。新参者の上、お嬢様体質の母が周辺とうまく付き合えないので、社宅内のさまざまな動きについていけず、右往左往していた。その一つが「内職」。役職付きの奥様や、乳飲み児がいて時間がない若妻を除き、皆が内職をすることになっていた。しかし、母は尋常ではないほど不器用だし、根気がない。内職に全く向かない生態なのだ。が、「付き合い」がある。内職屋のおっさんは、否応なく商材を母にも押し付けて帰る。一週間に一度、出来上がりを確認するためと、商材の追加のためにおっさんがやってくる。母の割り当ては全く進んでいない。ところが、一階の東端の薮下さんは、すっかり出来上がっていて、追加を要請している。結果、薮下さんはいつも1万円前後の稼ぎに達する。ほかの奥さんも、5千円以上稼ぐ。母は…、2〜3千円がいいところか。それも、必死のパッチである。内職屋のおっさんは、「奥さん、もうちょっとたくさんできませんか?」といつも言っていた。あるとき私が、「お母ちゃん、私がするからもっと持ってきてもろて」と言った。「ほんまか?」とすっかり安心して、おっさんに「いつもより多めに」と言った。おっさんは訝しながら、「それなら」といつもの1.5倍の量の商材を置いて言った。母の作業を見ていて、その効率の悪さにイライラし、「私なら倍できる」と思っていた。私は作業に取り掛かった。部屋の片隅に内職の陣地を作り、効率よく作業が進む配置に商材を置いて無心に作業をする。※グリコのおまけたち(グリコのサイトより)グリコのおまけを作ることも多かったが、女の子用のビーズなどをパッケージする作業があり、端数の商材をおっさんがくれるので、私にとってとてもありがたい内職だった。私の作業時間は、学校から帰ってくる2時過ぎから食事前の4時過ぎまでと、食事後、布団を敷く前のほんのわずかな時間。日曜日はもう少し励んだ。薮下さんは、上二人は小学生で、末っ子は幼児だったが、専業主婦だったので、私より作業時間があったように思う。一週間たってやってきたおっさんに全て仕上がった商材を渡すと鳩豆の顔をして、追加の商材を置いて行った。1ヵ月後、結果、薮下さんはいつもどおり1万円。うちは、1万5千円以上だった。薮下さんがびっくりして、「どうしはったん? 奥さん」と聞いてきた。母はしらぁっと「うち、娘が二人いてますので」と言っている。不良の姉が手伝うわけない。母に至っては、私に全てを任せ、テレビを観たり、昼寝をしたり、週刊誌を読んだりしてのんびり過ごしていた。内職屋のおっさんは、「これから、配送を倍にしますわ。頑張っておくれやす」と言った。清貧一家の次女の内職生活は、その後、一年以上続くのだった。もちろん、小遣いの増額も、礼も何もない。アホの兄も、あさっての母も、不良の姉も当たり前のような顔をして、1万5千円の恩恵に浴している。自慢にならない…か。哀しさ募るエピソードである。※その頃の親父の給料は10万円あったかなかったという記憶。どこかに給与明細(年金の支払い実績)があったので、判明したら追記したい。
2023.10.12
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前回、8歳(いまは12歳)の天才バイオリニストの話を書き、同い年のときの私は、他人のレンゲ畑に踏み入って、花の蜜をチューチューしていたと暴露した。哀しいなぁ…と思いながら、小学2年生のときのことを思い返してみた。あった!私にも、少々自慢させてほしい話が。寒い日の夕刻。19時を少し回ったくらいだっただろうか。こたつの温もりが消えた!安普請の隙間風ピープーの社宅の我が家にある唯一の暖房器具のこたつが壊れた!母が匂いを嫌うので、石油ストーブがなく、そのころは、電気ストーブやファンヒーターがあったかなかったかわからないが、一般的な暖房器具ではなかったので、清貧一家に暖房器具として存在していたのはこたつのみだった。アホの兄は「すぐに買(こ)うてこい!」と貧乏人にあるまじきことをのたまい、母は「もう店開いてない」とあさってのことを言う。たとえ店が開いていたとて、買う金がないではないか。私は早速修理に取りかかった。兄も母も、いつも父に注意されているにもかかわらず、コネクタを持たず、コードを引っ張ってコンセントからコネクタを抜くクセがある。きっと、コネクタ内の銅線が切れているのだろうと踏んだ。※昔のこたつコードはこんな形状。いまと違って修理可能だった。ドライバーを持ってきて、コネクタを開ける。!!!銅線は切れていない。これは厄介なことになった。コネクタ内の問題ではないとしたら、コードか。どこが切れているのかコードをグニグニしながら、切れているところを探る。すっと、軽くなるところがあった。すかさずペンチでそこをざっくりカットした。「な、なにすんねん!」と兄が叫ぶ。『うるさい。修理しとるんや』と心で返しながらコードを包む布を剥がし、カバーを切って銅線をむき出しにする。銅線は数本が二本の束になっていて、それぞれをつないで絶縁テープを巻く。二本の束を一つにしてテープを巻き、布を戻してコネクタをコンセントに入れる。ついた!こたつが再びオレンジの光を放ち、温もりを発している。が、アホの兄もあさっての母も礼も言わず、当たり前のようにこたつに入ってテレビを観ている。なんと不義理な家族だろうか。しかし、絶縁テープの巻き方や処理の仕方が不安で、父が帰ってくる深夜2時くらいまで起きて待っていた。父に事の顛末を話したら父は「よう直したな。直し方、なんでわかったんや」と、褒めてくれ、私は「お父ちゃんがやってたの見てたから」と答えた。父は、私が不安だった絶縁テープを巻き直してくれた。「よっしゃ、これでいける」と言って、頭をぽんぽんしてくれた。8歳の女の子にしては、よくやったと思う。決して、天才バイオリニストと比較してはいない。貧乏人にも、できることはあるということだ。ふん。それくらいしかできませんよーだ。
2023.10.04
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