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抗がん剤治療を開始して5週間が経過した。残念ながら、3回目の治療は延期となったので、2回だけの経過状況。●吐き気、嘔吐全くない。点滴に吐き気止めが入っていたり、経口薬をもらったりするので(抗がん剤点滴後2日間)、それが効いているのか、もともと症状が出ていないのかわからないが、吐き気や嘔吐で食欲減退や、食べられないといったことがない。助かる。●皮膚障害症状の出方は人によるそうだが、私の場合、口の周り(顎、口角、鼻の下、小鼻)に小さなニキビのようなできものができるが、ステロイド剤を塗るとすぐに治る。メイクのときに困るほどの大きさではないし、痛い、かゆいといった症状もない。助かる。●便秘・下痢治療前に薬剤師や怖い主治医からは「便秘」が起こりやすいと聞いていた。が、私の場合は便秘は全くなく、「下痢」がひどい。抗がん剤抜去2日後にいきなり水様便に変わり、何もしないと1日15回はトイレに駆け込むことに。3日間様子を見た(もともと下痢体質なので、抗がん剤由来の下痢ではないかもしれないと考えた)が、1日15回以上が続いたので、4日目にビオフェルミンを服用。1日5〜7回の頻度に抑えられたので、以後服用(ただし、1日1回。市販のビオフェルミンは1日3回の服用だが、薬が効きすぎる体質なので、1回に減薬)。下痢は6日間続いた。治療2回目からは抜去2日後からビオフェルミンを服用し、1日5〜7回をキープ。回数は抑えられたが、日数を減らす効果はなく、1回目と同じく6日間下痢は続いた。●末梢神経症状(手足、口)冷たいものに触れると、手の指先がピリピリする。抗がん剤が体に入るとすぐに感じる。夏の水道水は温(ぬる)いので、余り反応しないが、症状がピークのときは、水道水でもピリピリした。口の中も、冷たい飲み物でピリピリ、ビリビリする。喉が詰まる感じもある。が、私は我慢せずにビールや冷たい飲み物を飲んだ。気合いで何とかなった。この症状は3日程度でなくなる。指先のピリピリは、5日くらい残ったが、いつも同じ感じ方ではなく、感じる日があったり、感じなかったりする。3回目治療以降はまた違った状態になるのではないかと思う。●口内炎ほとんどなし。全くないわけではないが、プクッとしたかと思うと、痛みを感じる前に治る。舌が痛いときがあるが、これは、胃腸が悪いときに「舌が荒れる」状態と同じ感じ。口内炎らしい口内炎は現時点ではできていない。助かる。●味覚抗がん剤が入ってすぐに味覚が鈍った感じがする。甘味、苦味、塩味、酸味、全てが20%くらい鈍る。日によって、塩味が完璧に回復したり、甘味が敏感になったりするが、法則は見出せていない。できるだけ、口にした経験のある食材を用意し、確認しながら生活している。職業が料理人なので、繊細な味付けの料理は避けることになるが、致し方ない。●脱毛現在使用している抗がん剤は、脱毛しにくいと言われていたが、抗がん剤が体に入って3週間経過したくらいから、脱毛が始まった。がさっと抜ける、という感じではないが、これまでより5倍くらいの量の抜け毛がある。洗髪時に50〜60本抜ける感じ。枕につくことは1週間に一度、10本程度。薬剤師からウィッグの購入を勧められているが、「頭が小さい問題」があって、一般的なウィッグが合わないので、きちんとした医療用かつらの専門店で作ると、安くても10万円はする。怖い主治医も「人によって抜け方が違うから、せっかく作ったけど、作り直したという人もいる」と言うので、もう少し抜けてから考えようと思う。サイドや後ろの髪が残っていれば、帽子でやり過ごすこともできるので(旧友がたくさん送ってくれた)、ゆっくり考える。●色素沈着色素沈着しすくなるらしい。シミが気になるので、UVカット剤や帽子など紫外線対策をいつもより厳重にしている。合わせて、ハイチオールCを服用(怖い主治医には相談した。成分的には問題ないが、服用しながら肝臓の状態など様子を見ることになった)。抗がん剤治療中のがん患者がより病人ぽく見えるのは、色素沈着を起こして顔色(体全体)が悪くなるからだと言われている。去年の手術後、ひどい顔色になったので、いろいろ努力して、ようやく以前に戻りつつあったのに、さらにひどい顔色になるのは何としても避けたい。「皮膚障害」の一つといってもいいのだが、手足の爪の横の皮膚が割れたり、炎症を起こしたりといった症状も出るようだが、いまのところ問題ない。乾燥が大敵だというので、これからの季節は、保湿を念入りにしたい。この他にも、「間質性肺炎」や「手足症候群」といった副作用があるようだが、まだ出現していない。上記の状態の変化や、新たな副作用が発現したら、追記していこうと思う。それと、自覚症状ではない副作用も、割と狭い範囲に収まっている。肝障害、腎障害はいまのところない。白血球の減少(好中球ががっさり減った)があり、3回目の治療を延期した。反して、腫瘍マーカーはぐんと下がった。3ヵ月(6回)続けて、どう変化するかを見るので、2回だけの状況で何の判断もできないが、忘備録を兼ねて。 沈 思
2024.09.20
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2週間前、抗がん剤の抜去後に起こったトラブルを書いた。「ちょっとしたトラブル発生」抗がん剤投与に使うポートの周辺に起きたトラブルの話。切開痕上が膿んでいると気づいた看護師が、外科外来に回してくれたのだが、あいにく怖い主治医は手術室に入っていて、2度目の手術の執刀医が外来にいるということで、診てもらうことになった。抗生剤を塗布して終わり、だったのだが、虫けらは、本当にそれでいいのかと、猜疑心の塊で診察室を後にした。毎日、抗生剤を塗布しろというので、切開痕とその上に抗生剤を塗ってはパッドで保護して、を繰り返した(実は、切開痕の上の炎症は虫けらにはわからなかった。ただ、切開痕は痛かったので、切開痕とその上に抗生剤を塗布し続けた)。翌日に気づいたのだが、切開痕から黄色い体液が出ている。それまでは、抗がん剤のカテーテルが入っていて、防水シールで保護されていたし、その前は切開痕を止めるシールが貼ってあったので、切開痕をメンテしたことがなかった。しかし、その後10日間、切開痕から黄色い体液は出続けた。抗がん剤治療のために外来に行った日、待合室にいたら、看護師さんがバイタルチェックに来てくれ、その際にポートの炎症のことも聞かれた。朝、新しいパッドを貼っていたが、その前のことをかいつまんで話していた。診察室に入り、怖い主治医と今後の治療のことや、現在の副作用の話を一通りしたとき、やおら看護師が診察室に入って来た。「それと先生、ポート周辺の炎症を診ていただきたいんです」事前のバイタルチェックのときの看護師とは違う人だが、前回、執刀医の診察を受けたときに診察室にいた看護師だった。(すごいタイミングだったので、ずっと虫けらと怖い主治医のやり取りを伺っていたものと思われる。医事課の女性がいなくても、安心できぬ)看「どうなってます?」虫「前回と状況が違っています」と言いながら、診察台に促される。えっ! 診察台で診るほどのこと?椅子に腰掛けてでも十分……。そんなことを言う暇もなく寝転ばされる。怖い主治医が椅子に座ったまま、コロコロと椅子を転がして診察台の横へ。看「あー、これはかゆい?」パッドを剥がした看護師がポート周辺を凝視しながら言う。虫「かぶれですよね。かゆいです」と言いつつ、虫けら、怖い主治医の顔をまじまじと見る。診察台と椅子の高さがちょうど合っているので、虫けらの視線は、自然と怖い主治医の顔の高さに。いい顔をしている。鋭い眼光、白目が綺麗な涼しい目。赤影か。看「絆創膏のかぶれもありますよね」虫「パッドを10日間貼ってましたから」看「毎日変えてました?」虫「2回。貼らない時間もつくらないといけないと…」怖「何塗ってたの?」看「ゲンタシンです。前回診察したときは、 ゲンタシン塗って、絆創膏貼って帰ってもらいました」虫「ゲンタシン塗って気づいたんですが、切開痕から黄色い…」怖「体液が出てた?」虫「はい。10日間」怖い主治医がパッドを見る。怖「いまは出てないよね」虫「きのうはずっと外してました」怖「今朝貼って来た?」虫「はい。服に擦れたら痛いので」この会話の間じゅう、存分に怖い主治医の顔を見ていた。ちょっと緊張感のある表情。ん、困った感の混じる表情と言うべきか。いつもの冷淡で怖い感じとは違う、これまでに見たことのないその表情に虫けらは、心の内側に新たな感情がわくのを感じる。怖「んー(ため息)」虫「先生にため息つかせてしまいました」怖「いや…」怖い主治医はそれ以上を言葉にせず、素手で触っていた虫けらの胸元から手を外してアルコールで消毒した後、ゴム手袋をつけた。虫けらは、右手でタンクトップの胸元を持って見える範囲を広げていたのだが、怖い主治医に手首を掴まれて、怖「手はおろしといてね」と言われ、強制的に体側におろされた。しかし、虫けらのポートから視線を外して看護師と怖い主治医が薬剤の相談をしている間、なぜかまた手が胸元に戻っていた。これには虫けらも気づいていなくて、怖「怖い?」と聞かれて、初めて自分の手の位置に気づき、虫「すみません」と、慌てておろしたら、看護師と怖い主治医に笑われた。なぜ笑われたのはかわからないが、虫けらが胸元を気にしていたのには理由がある。立位では余りわからないのだが、寝転ぶと、かなり上の方に「ちちがしら」が来る。(多分、胸筋が発達しているのと、脂肪が少ない(貧乳…うるさい!)ので、垂れ乳になっていないため)タンクトップを少し下ろすと、「ちちがしら」が見えてしまう。実は、ポートの手術のとき、胸元を開ける形でバスタオルがかけられていた。手術する範囲は十分に開いていたのに、執刀医がバスタオルを少しずらしたことで、「ちちがしら」が出てしまった。執刀医は慌てて元に戻したが、見えてしまったものはどうしようもない。幾つになっても、「ちちがしら」を見られてうれしい女はいない。怖い主治医に「ちちがしら」を見られるのがいやだ、ということではない。別に人を特定せずとも、誰にも見られたくないわけで、反射神経のような手の動作だったのだ。余談だが、夫が冗談で虫けらの胸をまさぐったとき、いつも肋骨をモミモミするので、「もっと上」と虫けらが言うと、夫の手が上に上がって来て「ほんまや。お前はビジンダーか!」とよく言っていた。キカイダーもビジンダーも知らない虫けらは、「毎度毎度、そちもアホよのぉ」で会話終了、としていた。つまらぬ話はさておき。妄想から覚め、ふと怖い主治医に視線を移すと、怖い主治医が虫けらの顔を見て、困ったような、申し訳ないような表情をした。虫けらは「来た!」と思った。すかさず、虫「先生が執刀してくださらなかったから」と言った。瞬間、怖い主治医は虫けらの前腕をつかんで、目をつむった。「言われると思った」「言わんといてくれ」「申し訳ない」ということだろう。いつもの「怒られた」という言葉は発しなかった。虫けらが率先して言ったのではない。怖い主治医が誘導したのだ。虫けらがこう言わなければ、この場、というか怖い主治医の気持ちは収まらなかっただろう。何しろ、手術当日の夜に、虫けらは、「先生が執刀してくださるんじゃなかったんですか?」と聞いた。怖い主治医は「怒られると思ってたんや」と答え、申し訳なさそうにした。あの前振りあってのこのオチ、である。怖い主治医と虫けらのコンビネーションの妙を感じる出来事だった。怖い主治医は、虫けらの言葉を待っていたのだろう。しかも、怖い主治医が思ったとおりの言葉が返ってきたはずだ。これも、先月の入院時の会話があってのこと。もしかしたら、怖い主治医と虫けらは、意外にも同じ人種なのかもしれない。このやり取りがきのう。怖い主治医にリンデロン(ステロイド剤)を塗ってもらったおかげで、きょうは、すこぶるよい状態になっている。信頼している怖い主治医の「手当て」によって、虫けらの体は敏感に反応しているということだろう。「手当て」は、母や医師といった、信頼している相手が手を使って施してくれたことが患者の病気や傷を快方に導くというもの。虫けらは、怖い主治医を信頼しているのだな。そして、執刀医を信頼していないのだな。と実感した。(実は、虫けら自身が、自分の判断でリンデロンを塗っていた。が、4日間続けても一向によくならなかった。つまり、自分を信頼していないということがわかった)そして、初めての怖い主治医からのボディタッチ。ゴム手袋越しの感触だったが、一生忘れないと思う。虫けらが怖い主治医に触れることはない。そして、怖い主治医が虫けらに触れることも、この先ないだろう。冥土の土産が一つ増えた。 三 途※「ちちがしら」とは、旅行したときに旧友が教えてくれた言葉。 漢字では「乳頭」と書くが、響きがちと淫靡なので。
2024.09.19
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きょうは、外科の診察の後、3回目の抗がん剤治療の予定だった。朝、8時から病院に行き、血液検査の後、外科の外来で9時からの診察を待つのだが、混むわ混むわ。血液検査を受けるのに、30分待つ。9時とか、9時半の予約の患者さんが多いのだろう。待合室の椅子が足りなくて、近隣の内科や薬剤科の椅子を皆で占領している。血液検査場だけ開いていて、あとはシャッターが閉まっているという状況。(再診受付機が動いているので、受付は可能。つまり、予約している患者だけ来院しているのだが、数が余りにも多い。しかも、皆老人。私より若い人を見つけるのは至難。若い人は、結構重い病気だと予測できる)血液検査を済ませ、外科の待合室に到着するやいなや、看護師さんがやってきて、バイタルチェック。血圧は設置してある自動血圧計で自分で測る方式。問診票と血圧票を受付に提出し、診察を待つ。水曜日は2度目の手術の執刀医の担当。まさか、執刀医に診察されるのか?という不安があったのだが(前回、ポート周辺の不具合を診察してくれたし…)、怖い主治医から名前を呼ばれることだけを願って、待っていた。遅い。名前を呼ばれるのが遅い。やはり、執刀医の診察か?ようやく名前を呼ばれたとき、怖い主治医の声だったので、ホッとした。診察室は、また違った。前回もいつもと違う診察室だったのだが、今回はそれとも違う診察室。中に入ると、こちらも殺風景。ただ、いつもいる医事課の女性がいない。診察室は怖い主治医と虫けらのみ。主治医の表情が、いつもより柔らかく感じるのは気のせいか。『入院のときの礼を言えるだろうか』と、虫けらお得意技の妄想をしかけたら、怖「結論から言うと……」と、怖い主治医が表情を曇らせる。怖「血液検査の結果、今回の抗がん剤治療は 中止する、ということにしたいと思います」虫「え、そんなに悪いですか?」と、虫けらがモニター画面をのぞく。すぐに『白血球』と『好中球』の数値の悪さに気づいて驚く。虫「本当、これは悪いですね……」虫けらは、体調が悪くないので意外ではあるが、この数値なら、治療は無理だと理解する。怖「熱は出ましたか?」虫「いえ。抗がん剤抜去後に微熱が出たくらいで」怖「これで、いま熱があるというなら、 入院してもらうという数値です」虫けら、ゲゲゲ、の顔をする。まさに病人ではないか。残暑の中、意気揚々と歩いて来た自分の強靭さに半ば呆れる。抗がん剤治療が終わった後は、寿司とビール!と考えていた呑気さに驚愕する。怖「前回も、人によったら中止する数値です。 経験的に大丈夫だと判断しましたが」虫「そうですね…」虫けらも、前回の治療後、ゲリリンのときにここに書いたが、「白血球の数値的にギリギリだと思う。次はできるかどうか…」と考えていた。危惧していたことが現実となったわけだが、怖「治療が延期になって、うれしいかもしれませんが」と虫けらの心を見抜くようなことを言う。虫けらがうれしそうな顔をしていたのを見逃さなかった。怖「治療のスケジュールが変わってしまって 申し訳ないと思います」虫「いえ、先生が申し訳ないなんて、私の体のせいです」虫けらは、酒を我慢することも、仕事をセーブすることも、睡眠や行動全般の節制、規制などを排除してやりたい放題やっている。我慢したところで、際限ないからだ。いつまで、どこまで、どれだけやらなければいけないという基準も、やってはいけないというボーダーラインもない。我慢し続けて死んでも、我慢せずに死んでも、誰も褒めてはくれないし、誰も非難しない。自分がいいと思う生き方をすればいいと思っている。が、その自分勝手に、怖い主治医を巻き込んでいるのだと、改めて心が痛んだ。いや、虫けらのそういう思考傾向がわかっていて、「申し訳ない」と言ったのか?怖い主治医は策士だから、そうなのかもしれない。最近、怖い主治医の心が少しわかるような気がする。虫けらに近い人種なのかもしれないと。それは、あるいは、怖い主治医も感じているかもしれない。致し方ない。今回の治療は延期になった。来週また採血し、判断するとのこと。あ、また来週、怖い主治医と会うことになるのか。きょうの怖い主治医のままなら、来週会うのもいやじゃない。が、またしても、虫けらを虫けら扱いする冷淡な主治医に戻っていたら、心が傷んでしまう。ぜひとも、医事課の女性がいませんように。そして、来週は熱が出ませんように。悪くすると、入院することになってしまう。……、前回も、虫けらの症状(下痢)がある場合、本来なら「入院してもらうことになる」と言われた(下痢が入院の理由ではなく、虫けらの症状は余りにもひどかったゆえ)。今回も、「熱があったら、入院してもらう数値」と言われた。入院と通院、ギリギリのところで蠢いているようだ。やれやれ。そんなことなら入院してもいい。家にいると、さまざまな用事に忙殺されるが、病院にいると、上げ膳据え膳で、日がなブログ作成に邁進できる。死ぬまでに作っておかねばならぬ各種リストも作れようというもの。そうだ。怖い主治医がまた病室を訪ねてくれたら、前回解明できずにいた謎が全て解明できるかもしれない。ま、そんな都合のいいことにはならないのが虫けらの人生。間が悪い、タイミングが悪いのが虫けらの真骨頂だ。というわけで、第3回目の抗がん剤治療は延期となり、虫けらは、治療後に寿司とビールでプファーッとやる予定が台無しになったので、家に帰ってしばらく休憩したら、近くのとんかつ屋に行って、ロースカツとビールでプファーッとすることに予定変更! 自 爆
2024.09.18
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少し前、YouTubeで見かけた、仰々しいポテチが「ジャパン」に置いてあった。数年に一度、なぜかポテチが食べたくなるときがあって、集中して1ヵ月ほど食べたりするが、その波が過ぎると、また数年食べないというサイクル。ゆえに、ポテチにはそれほど興味がない。しかし、YouTubeで見たポテチが余りにも仰々しくて、「どんなものなんだろう」と興味を持った。前回、「ジャパン」に行ったときに見つけたのだが、まだポテチサイクルにはまってなかったので(実は、去年そのサイクルだった)、購入せずに帰った。今回は、先週金曜日から「謎の食欲」が襲ってきていて、3度の食事以外に何か用意しておかねばという状況。食欲に任せて購入することに。500円以上する高級品だが、「白トリュフ&ポルチーニ風味」「HAND COOKED」にやられた。帰宅してすぐ、どんなものか、ワクワクしながら開けてみた。ビールを開けようか迷いながら、いつものワインで味見することに。???これが500円???である。まず、ポテトが小さい。硬くて歯ごたえがある。カルビーのスタンダードなポテチを食べた者には、これが理解できない。「パリッ」ではなく「バリッ」なのだ。嚥下するまでの咀嚼時間がカルビーの10倍はかかる。味は、確かに風味豊かだが、ポテトが小さいので、その効力が半減する。味が濃いので、酒のアテにはいいかもしれない。咀嚼に時間がかかるので、食べ過ぎが防げる。パッケージの仰々しさは、来客用に向く。しかし、ポテチ好きの人ならいざ知らず、リピートはちと考える。とはいえ、アラブ首長国連邦という異国のポテチ、日本に居ながらにして味わえるのは、感慨深い。「キャビア風味」もあったので、それだけは買ってみるか。
2024.09.17
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1年3ヵ月前から、外来で怖い主治医の診察を受けている。5月末の検査で転移が見つかってからは、2週間に一度というとんでもないペースで怖い主治医と会っているが、それまでは3ヵ月に一度、しかも診察時間は3〜10分と短かった。ゆえに、会話は病気や症状に限定したもので、会話らしい会話をしたことがなかった。虫けらは虫けら扱いされることが当たり前になっていたし、怖い主治医は、ほとんど言葉を発しない姿勢だった。ところが、怖い主治医が変な言葉を口にすることがあった。その言葉を聞くたび、毎回「???」である。『変なこと』とは──虫けらが『怒る』というのだ。虫けらが怒ったことは一度もない。怖い主治医相手に怒るなど、身の程知らずもいいところだ。最初にその言葉を聞いたのは、最初の入院・退院後、3度目の外来診察のとき。2度目の外来診察のときに、予防的抗がん剤治療の意思確認をされたのだが、虫けらははっきり断った。3度目の診察で、肝臓の血液検査の結果を話された。虫けらは、「なぜ肝臓の血液検査なんかした…?」と思いながら怖い主治医の話を聞いていた。(血液検査は毎回する。そこに、肝臓関連の項目を追加されたということ)怖「抗がん剤が肝臓に影響する場合があって…」と言うので、虫けらはすかさず、虫「前回、予防的抗がん剤治療は不要と申しましたが」と言うと、怖「怒られた…」と言うのだ。怒った口調でも、厳しい表情でもなく、ごく普通のトーンで言ったはずなのに。虫「いえ、怒ってはいませんが」という言葉を返すのが、精一杯だった。(虫けらは怖い主治医が怖い。いつも萎縮しているし、言葉を発すると、手が震えるほど緊張している)実は、特殊な血液検査は費用が驚くほど高い。いやだなぁ、という気持ちはあったが、怖い主治医相手にそんなことを言う勇気はなかった。2度目は、抗がん剤治療の専門看護師が診察室に入ってくれていて、3人で会話したときだった。怖い主治医がおかしなことを言ったので、笑い話というか、世間話のような会話ができて、場が和んだ後、怖「申し訳ないけど、この後血液検査をしていただきます」虫「はい」怖「抗がん剤が肝臓に影響を与える場合があって…」虫「その検査、もうしてますよ」怖「え、いつ?」虫「予防的抗がん剤治療は不要と言っていたのに、その後検査されて」怖「あ、また怒られた」そう言いながら、カルテの中にそのデータがないか探し、怖「あ、ほんとやね」と独り言のように言って、大きな体を小さくしていた。それは1年前の検査だったので、新たなデータが欲しいということで、再度血液検査をすることになったのだが。3度目は、2度目の入院・手術の後。病室を訪ねてくれた怖い主治医は、とても怖い表情をしていた。これまでに見たことがない、厳しく鋭い目。しかし、虫けらには、怖い主治医に聞きたいこと、言いたいことがあったので、余りそのことを意識せず会話できた。怖「どうでした? 手術は」と聞かれる。依然として鋭い表情。虫「痛かったです。生き地獄みたいな痛さでした」怖「そんなに痛かった?」少し心配気だが、表情は硬いまま。虫「先生が執刀してくださるんじゃなかったんですか?」怖「怒られると思ってたんや」怖い主治医が表情を緩めて笑った。多分、怖い主治医の怖い表情は、私が怒るだろう事態への危惧(恐怖)からのものということで間違いないと思う。もう一度だけ、「怒られた」という言葉が怖い主治医の口から放たれたことがあるように思う。どういうシーンだったか思い出せないのだが。あ、「怒られた」という言葉ではなかったものの、もっとすごいことがあった。転移が分かったとき、一通り怖い主治医からの状況説明を聞き、「この結果をどう思うか」というえげつない質問に明後日の回答を返した後、虫けらが、虫「半年前なら、もっと少なかったか、なかったか…?」怖「それ、僕も考えたんや」虫「PETと言わんまでも、これ(造影剤CT検査)を 半年前にやっていたら…、ね」怖「すみません」「すみません」と「怒られた」は同義語のような意味合いだと思う。「怒られた」には反省は含まれないが、「すみません」には、若干の、ほんの若干の反省が含まれるということか。いずれにしても、怖い主治医が、いまの立場で「怒られる」ということは決してないだろう。そして、患者が怒る、という事態も多分ない。虫けらぐらいのような気がする。怖い主治医の患者は、そのほとんどががんの手術をした者で、しかも年寄りばかりだ。外科というのは、そういう診療科だ。待合室を眺めてみると、虫けらのような年齢の患者は滅多にいない。杖、シルバーカー、車椅子利用者が大変多い。元気のある患者がいないのだ。「先生様、お任せいたします」という姿勢であろうことは容易に想像できる。が、誤解のないように言っておきたい。虫けらは一度も怒ったことがない。しかし、怖い主治医は「怒られた」と言う。怖い主治医が虫けらをどう見ているのかは理解不能だが、医者を一喝するような、恐ろしい性格と思っているか、怖い主治医に不満を抱いている鬱陶しい患者か、はたまた、怒りんぼのやりにくい奴だと、クレーマー扱いされているかのいずれかだろう。このことは、直接弁解したり、説明したわけではないが、入院中に他のことに触れながら、誤解を解く努力をしたことがある。そのことは、後述することにして。あと3日もすれば、また怖い主治医に会う。次には、いろいろ会話しなければならないことがある。副作用とトラブルについて、所見を聞きたいのだ。できれば、虫けらが誤解されないように、慎重に言葉を選ばねばならないと思うが、怖い主治医はきっとまた変な誤解をして、虫けらを変人扱いするに違いない。これが、波長の合わない人間が絡み合ったときに起きるどうにもならない事態であり、ジレンマである。さて、またご報告ネタができるのではないかと思いつつ。今回はこれにて。 自爆
2024.09.15
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昨日、旧友と京橋(東京でも神戸でもなく大阪)に行った。立ち飲み屋、というか、屋台のような店なのに、大変有名で、「京橋」というとその店の名前が挙がるほどの人気店の前を通った。まだ夕方5時というのに、結構な客が酒とアテを楽しんでいる。店の中心で、名物店主が大きな声を出して客と話している。店主「内容証明は要りますか?」なんじゃ?穏やかでない。弁護士登場か?店の前を通り過ぎる前に、領収証についての会話であることが理解できた。つまり、適格請求書発行事業者であることがわかる領収証が必要なのか、という話だ。領収証をもらった人が、その金額を消費税対象の利益から差し引くことができるかどうか、という、割と切実な話になってくる。というわけで、インボイスの話。インボイスは、実質増税である。ということを知らない人が多い。「消費者から預かった消費税を納めるのは当たり前」と考えて疑わない人ばかり。財務省の作戦にまんまとハマった日本人の典型だ。消費税は預かり金ではない。これは、裁判での判決が確定している。簡単に解説する。簡単な解説でもすぐわかるはず。消費者は、納税義務者ではない。納税義務は事業者側にある。消費者は「10%払っている」と思っているが、これは、単なる「物価」なのだ。つまり、その商品を購入するために必要な金額、ということになる。しかし、レシートには、「消費税10%」と明記され、そもそもの価格に上乗せされている。これも、財務省の策略。そう表記するのが、事業者に義務付けされているので、事業者は消費税を別記する。しかし!事業者がどのように消費税を納めているかを見てみると、それがおかしいことに気づく。わかりやすい例として、小売業者について解説する。事業者は、まず商品販売で得た「売上」を計上。その売上に対して、商品を仕入れた「仕入額(売上原価)」を計上するのだが、仕入れにも「消費税」を支払っている。ゆえに、仕入れに支払った消費税を売上の消費税から差し引いた額が納める消費税となる。(最も簡単に言うと。会計上は複雑な計算がある)事業者は、利益の中から「人件費」「事業所税(法人税)」「設備投資」「家賃」「光熱水費」などさまざまな経費を支払っている。しかし、小売業なら、これら経費は売上原価にはならない。輸送費など適用項目はわずか。ということは、経費として最も大きな額になる(全ての事業者に当てはまるわけではない)人件費にも消費税がかかることになる。零細事業者(売上1000万円以下)は、これまで消費税の納税を免除されていた。理由は、納める額が小さいので、税務署の手間(納付書の発行等)が増えるだけ損、ということだ。ところが、昨年施行されたインボイスは、零細事業者にも適用される。増税でなくて何だろう。あれ?わかりにくい?はっきり言えるのは、「消費税は預かり金ではない」ということと、「消費者は消費税を納税していない」ということ。そして、「適格請求書発行事業者の登録」という手段を使って、適用外事業者を差別し、消費者と事業者の間の分断を生み、増税の事実を隠蔽しようとしているということだ。もちろん、これは、綿密に練られた財務省の謀略。日本国民は、もう少し賢くならなければ、政治家、官僚、マスコミにいいように踊らされている現状を変えることはできない。京橋の人気店の前を通って、改めて考える夕暮れだった。 爆死
2024.09.14
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飲食店は、「政治」「宗教」「野球」の話はしてはいけない、という掟がある。これは、きっちり守っている。しかし、同じ思想信条、政治信条のお客さんしかいない場合は、時事的に話すことはある。とはいっても、深入りはしないことにしている。深いところでは、結構対立する場合があるからだ。というわけで、ごく薄い表面的な話になるが、久々に政治ネタを。いま、自民党総裁選で地上波はかまびすしい。現時点では、「自民党総裁=首相」なので(首班指名という行程があるが、ほぼそうなる)、国民の関心が集まるのは仕方がない。ところが、地上波はどこも報じないし、一般国民はまるで知らないことがある。知らないことは、大変な問題なのだが、政治家もマスコミも、一般国民には知らせたくないのだから、情弱の国民は知らぬままに選挙に行くし(自民党総裁選ではない)、間違った政治家を選んでしまっている。「知らないこと」とは何か。それは、共産主義と自由主義の戦いであるということだ。いま世界では、先進国を中心に、左傾化が進んでいる。イタリアのメローニや、アメリカの前大統領のトランプ、オーストラリアの前首相、イギリスの前首相などは、その路線を右に引き戻す政策を打ち出している、もしくは打ち出していたが、うまく定着しない現状がある(メローにはこれから。実に力強い政策を推進中)。逆に、左傾化して、どうにもならなくなったドイツやスウェーデンなどは悲惨この上ない。この状況に大きく関わっているのが、「差別」と「移民」。そして、こうした世界情勢を後ろで操っている組織がある。その組織が共産主義なのではない。共産主義を利用して、世界統一を目論む組織なのだ。これは、マルクスが共産主義を考案したことから始まり、マルクスを金銭的に支援したのがその組織である。つまり、共産主義誕生から現在まで、200年近くにわたって世界のあちらこちらで世界統一の実現を目指して、到底地道とは言えない動きを展開し続けているのだ。その組織の代表がロスチャイルド家。その名前を知っている人はどれくらいいるだろうか。プーチン登場前のロシアも、CCPも、この組織をバックに世界覇権を目指していた。現在、アメリカがおかしくなっているのは、この組織に加え、CCPの金と人海戦術によって、もう戻れないほど侵食されてしまっているからだ。米民主党に、共産主義者が入り込んで、アメリカの国家破壊を着々と進めている。来年の大統領選挙で、トランプが大統領にならなかったら、アメリカはおしまいである。日本も、終焉がすぐそこに来ている。(自民党には、共産主義者が入り込んでいるようだ。保守主義と偽り、政権与党の立場の党を破壊している)移民政策に邁進した岸田政権のおかげで、日本には、非常に多くの移民や不法滞在者が押し寄せている。帰化要件も緩和したことで、日本人の顔をして国家破壊を目論む輩が大勢いる。しかも、スパイ防止法がないから、大変な量のスパイが国内で暗躍している。わかっていても、取り締まることが事実上不可能。CCPなどは、秘密警察を日本国内につくったり、軍人が大学に留学して、軍事転用できる技術を日本から盗んでいる。「移民」「自然エネルギー」「外国人労働者」「環境問題」「差別問題」「LGBT」など、様々な問題を抱える日本だが、これは裏では全て繋がっている。それを知らずに、一般国民は「顔がいい」「爽やか」などとバカな理由で政治家を選ぶ。自民党の上層部は、そういう情弱を狙って候補者を出してくる。現在、9人の候補者がいるらしいが、高市候補以外は、どうにもならない。そう判断する人間はほんの一握りであることを知っているのだ。そして、今回も高市候補以外の候補が総裁になる可能性が高い。嘆かわしい以上の慟哭を感じる。私はいい。あと僅かでこの世を去るのだから。しかし、若者や子供の未来がどうなるのかと考えると、心を暗くせずにはいられない。ほんの上辺だけの話ではあるが、共産主義が恐ろしいということを忘れてはならない、日本の未来をそちらに導いてはいけないということが言いたかったということで。 南無
2024.09.11
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抗がん剤治療の2回を終えて(薬剤はこれから効いてくるのだが)、副作用をあれこれ書いている。多分、副作用であろうけれど、余りほかのがんサバイバーも取り上げない細かな症状をちょっと列挙しておきたい。自分の体質のせいかもしれないし、生活の習慣や行動に起因しているものかもしれない。何れにしても、気になるので、記録として。◉顎の痛み食べ物を口に含んだとき、耳の前下、顎の付け根にひどい痛みが走る。喉が渇いているときに、梅干しを食べたときと同じ感じ。(経験のない人もいるかもしれない)とにかく痛い。2〜3秒のことだが、これまでほとんど経験していないので、大変な苦痛だ。◉胸焼け・胸のつかえ胃腸は若いときからよくないのだが、「胸焼け」は余り経験しない症状だった。胃酸過多ではないのだと思う。消化不良は常時起こしているのだが、腸に影響を与えることはあっても、胸焼けやゲップといった症状に繋がることは稀だった。しかし、抗がん剤を入れた日から5日目くらいから始まり、3日経過したが、まだ症状がある。前回は、1週間経過後に始まり、3日ほどで落ち着いたので、そろそろ緩和されるだろうか。それと、胸焼けがあるときに食べ物を飲み込むと、胸がつかえる。食道の動きが悪くなっているのか。水分を取りながら、無理やり飲み込んでいるが、ひどくなると食欲減退の原因になるように思う。いまのところ、気合いで飲み込んでいるので、食事量は確保できている。◉頭皮の過敏化鏡でチェックしても、頭皮に異常はないのだが、ブラッシングしたり、指で髪をかき分けたりしたときに、頭皮が過敏になっているのに気づく。かゆい、痛い、といった明確な感覚ではなく、あれ、こんなふうに感じることあったっけ?といった具合。皮膚障害は、生え際に出やすいと怖い主治医が言っていた。生え際には問題も感覚の過敏化もない。脱毛の気配なのか? とちょっと不安に思っている。◉指先の乾燥皮膚全般が乾燥すると言われていたが、右手の親指と人差し指の爪の上端のみ皮が硬くなっている。冬なら、水仕事をした後に割れてくる場所である。ハンドクリームは好きではないのだが、ケアしておかなければ、割れると痛い。◉体組成の劣化入院が決まってから、体重だけではなく、脂肪量や筋肉量などが計れる体組成計を購入した。抗がん剤治療が始まる前と比べ、体内の状態が劣化したことは確かだ。体内年齢が上がった。実年齢より15歳前後若かったのだが、今では10歳前後になっている。若干筋肉量が下がったのが原因か。体重そのものが2kg近く減っているので仕方ないことではあるが。筋肉量は落とさないように気をつけているのだが、暑さのせいで、ウォーキングできないのがネックだ。できるだけ早く善処したい。◉不眠不眠、というほどではないが、3時間置きくらいに目が覚める。余り体力を使っていないから、熟睡できないのだろうが、連続で眠らないと疲れが取れないように思う。抗がん剤治療前は、連続で6時間ほどは眠れていた。トイレに行って、水を飲んでから、また眠ったりしていた(トイレは、水を飲むついで)。これも、ウォーキングなどで体を使う必要があるか。早く暑さがなんとかなればいいが。もっと細かなこともあったように思うが、一過性のものは忘れてしまう。抗がん剤に関係しているかもしれないので、これからはこまめにチェックしよう。というところで。
2024.09.08
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昨年5月に手術して、虫けらの主治医となってくれた外科部長先生は、冷静沈着、物静かでクレバー、しかし、端的で冷淡な言葉と視線で虫けらを凍りつかせるとても怖い存在だ。これまで、怖い主治医との会話の中で、幾度となく「ひー、地雷を踏んだ!」「な、何が悪かったの?」「こ、こ、これはどういう意味だ!?」などと、虫けらを震え上がらせ、???を連ねざるを得ない事態が起こった。しかし、入院中に得ることができた怖い主治医との会話の機会の中で、「あ、もしかして、これが答えか?」と思うことが幾つかあった。いや、全く違うかもしれない。何しろ、怖い主治医に確認を取っていない。しかし、虫けらの視点で「これだろう」と解明したことがある。その一つ(二つ目)。虫けらが違う病院(入院施設のない病院)からいまの病院に紹介状を持って訪れた当日、外来からすぐさま病棟に回されて、緊急手術となった。そのときは、虫けらは内科の患者。怖い主治医が病室まで訪ねてくれて、怖「外科の○○です」と名乗った。なぜ外科の先生が?という疑問の顔をしていた虫けらに、緊急手術の後、一旦退院、再度入院して外科手術を受けるスケジュールになっていると説明してくれた。そのとき、虫けらは余り意味なく、虫「先生が執刀してくださるんですか?」と聞いた。怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」ガビーンである。地雷を踏んだと思った。何か気に触ることを言ったか?言い方が悪かったか?それとも、一瞬にして嫌われたか?幾つもの疑問で頭がいっぱいになった。その後の会話は余り覚えていない。ショック過ぎた。『自分は執刀したくないが、執刀することになるだろう』『自分が執刀しなくても、誰かがするだろう』『執刀医が誰かは、お前には関係ない』何かわからないが、とても嫌われたか、虫けらには理解できない地雷があるのだと思った。ときは流れて、先月の入院時。怖い主治医が虫けらの病室を訪ねてくれて、雑談から、これからの怖い主治医の人生を一緒に考えていた(大げさな)。本来なら、外科部長がいまだに先頭切って、オペをしているというのは、少し異常である。若手が主軸になり、部長はアドバイスや監視の立場でオペ室にいるというのが一般的ではないだろうか。しかし、虫けらが2度の手術で出会った医師たちは、(怖い主治医を除いて)独り立ちできるような技量や経験を持っているとは思えなかった。もちろん、何チームもあるオペ体制のうち、2パターンしか見ていないのだから、それも根拠は薄弱だが。虫「やはり、先生に執刀をしてもらいたい患者さんは 多いでしょう?」怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」最初に怖い主治医と会ったときと、全く同じ言葉だった。虫「●●先生(2度目の手術の執刀医)に 今度執刀してもらうとなったら、 私は逃げるかもしれません」怖「あいつは、今年入ったばかりやねんけどね」虫「そうなんですか。まだお若い感じですよね」怖「いや、経験はあるんやけどね…。 前にいた──、●●と入れ替わりでやめたやつも あ、一人前にできるようになってきたなと思ったら、やめると…」虫「そういうジレンマはつきまといますね。 できる人はステップアップしたいですから」怖「そういうことやね」虫「なかなか、若手に任せられないということですね」こういう会話をした。虫けらも長年経営者をやっていたので、若手が育たない、見込みのある者は短期でやめてしまうというジレンマをいやというほど経験してきた。ま、それは怖い主治医には告げなかったが。つまり、虫けらがどうこうということではなく、怖い主治医は、「早く、若手に任せたい」という思いを常に抱いていたのではないかと思う。それが、たまたま虫けらとの会話の中で出てしまったと。(言わせてしまうような要素が虫けらにあったのかも…)都合のいい解釈かもしれない。このときの会話を自分への免罪符にしようと思っているわけではないが、怖い主治医の言葉からは、虫けらがそう思うに足る苦悩や思いが読み取れた。しかし!そういう前提を知る由もない、出会ったばかりの虫けらに、あの言葉を返すのは酷ではないだろうか。1年以上、悩みに悩んだ。胃の痛い思いをした。怖い主治医との接し方に気を使った。まぁ、これが真実なら、こんなに楽なことはない。と、思うことにしよう。診察室では、雑談などしたことがなかった。抗がん剤治療専門の看護師がいてくれたときだけは、治療に関係しない、つまらぬ話ができたが、怖い主治医と二人きりになれば、いつもと変わりなく、冷え冷え〜の空気が流れ、無駄な言葉や意味のない雑談は一切排除される。入院中の病室に来てくれなかったら、決して交わすことの言葉の数々、そして、決して理解できなかった怖い主治医の思いや病院が抱える現実を垣間見ることができた。そんなこんなで、謎の言葉の答え合わせ、二つできた。まだある。おいおい。
2024.09.07
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2回目の抗がん剤治療が終わり、2日が過ぎた(昨日)。やっぱり来た。2日前の抗がん剤抜去後すぐに来たゲリリンは、ひどくならずに済んだ。前回、抜去後2日後に急にゲリリンが来て、熱発もあった。脱水症状を回避するために、できるだけ水分を取りたいのだが、一気に飲むと一気にお出ましになるので、ゼリー飲料などでだましだまし体に入れる。熱は6時間ほどで37.9→37.2℃になったが、ゲリリンは3日間続いた。1日の回数は15回ペース。3日目に、自然に回復するのは難しいと考え、「ビオフェルミン」を服用(有効薬剤ということは確認済み)。投与されている抗がん剤でゲリリンになることは少ないと、怖い主治医が言っていた。便秘になる方が多いと事前に調べていたので、ゲリリン当初は、自分の体質によるものだと思っていた。しかし、これほど続いては、脱水症状から腎障害を起こす危険がある。ビオフェルミンで5回ほどに減ったので、とりあえずよしとする。ゲリリンが落ち着くまでに6日間かかった。この間、微熱が続いた。今回は、抗がん剤抜去直後にやってきたのだが、これは一過性のものだったようで、夜には治った。が、2日経って、やはり本格的なゲリリンが。あらかじめ、ビオフェルミンを服用していたので、15回ということはなかったのだが、微熱と食欲不振は出てしまった。一昨日と昨日は予約が入っていたので、仕事に行かねば。一昨日の仕事の後、少し疲労感があったし、食欲がなかったので、適当に食事を済ませた。昨日は、営業後の疲労がさらにひどかったのだが、これは「疲れた」のではなく、脱水と低血糖が重なったのだと思う。一昨日の食事をぞんざいにしたのもいけなかった。昨日の昼は、一応食べるには食べたのだが(糖質はほとんど取らず)、夜は水さえも飲みたくないと思った。しかし、脱水が怖かったので、水分とゼリー飲料を口にしただけで眠った。朝、意外としんどくなかった。夜中に2度水分補給をしたのが効いたのか。朝はいつもプロテインとお茶だけなのだが、空腹感があったので、お昼を早めにと思って、具沢山の味噌汁をつくった。熱い味噌汁で体が温まったら、より食欲が出てきた。そうめんを茹で、煮麺にして食べた。それでも血糖値が上がらなかったのか、いつもは食べない甘いものを欲した。こういうときのために買ってあるチョコレートとソフトクッキーを食べる。落ち着いた。微熱は出ているものの、1度目のときほどではないので、いつもの生活に戻る。体重は2kg近く落ちた。47kgを切りそうなので、気をつけなければならない。体重が落ちると体力が落ちるのはもちろん、免疫力が落ちてしまう。いま、白血球の数値が大変下がっているので、感染症が心配だ。次の抗がん剤治療ができるかどうか、ギリギリラインじゃないかと思う。それにしても残暑が厳しい。ウォーキングを休んで久しい。できるだけ買い物や通院時は歩くようにしているが、都会は歩かなくてもいい距離感になんでも揃っている。通常の生活だと、4000歩がせいぜい。できたら6000歩ほどは歩きたい。でも、この暑さでは。。今後は、ゲリリン対策をきちんと聞いておこう。あ、次の診察は、怖い主治医じゃないかもしれない。祝日の関係で、点滴開始日がずれた。その日の外来は執刀医だ。怖い主治医は手術日になっているはず。執刀医とは、余りコミュニケーションしたくないなぁ。それから、危惧していた「脱毛」だが、「バッサリ」ということはいまのところないのだが、洗髪時の脱毛量が倍くらいになった。「まだら」「部分はげ」は嫌だなぁ。いよいよウイッグ購入の検討をせねば。店舗の対応や品質、「頭小さい問題」を解決できるウイッグとなると、10万円くらいは覚悟しないといけない。憂鬱。そんなこんなの週末。来週は、体調を見るだけの1週間なので、友人と会う約束をしたり、営業の予約を受けたりと、これまでと同じ生活。……できるのか?ま、何かあったら対症療法でやるしかない。緊急の状態で、病院に駆け込むということだけは避けたいと、切に願う。
2024.09.07
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きょう11:55終了予定の抗がん剤が、ほぼ定刻に終了(数時間前から繰り返し確認。終了時間に誤差が出る。終わったらすぐに病院に来るようにとの指示)。病院に出向いて抜去してもらわないといけないが、宅配便待ちで家を出られない。午前中配送を希望していたが、ギリギリになってもまだ来ない。いつもこんな感じだなぁ。間が悪い女、タイミングの悪い女の日常である。11:58、ギリギリに到着。すぐさま衣服を整えて家を出る。病院に到着し、スムーズに外来治療室へ。今後は自分で抜去することを希望しているので、看護師さんの説明を受けながら抜去。看護師さんから、「ここ、痛くないですか?」と問われる。そこは、ポートの上部。レーザーメスで切開した場所。手術以来、ずっとテープが貼られていた。2日前、抗がん剤を入れるときに剥がしたが、3週間ほど貼りっぱなしになっていた。看「ここ、先生に診てもらってます?」虫「いえ、誰も診てくださっていません」看「汗をかいたりして…ちょっと膿んでるかも。先生に診てもらいますね」虫「きょうの外来は●●先生(執刀医)ですよね」看「そうですね。○○先生(怖い主治医)に診てもらえたらいいんですけど」と、患部の異常に気づいてくれて、外来に電話をかけてくれた。看「残念ながら、●●先生に診てもらうことになります。 ○○先生は、手術室に入ってしまったって」虫「えーっ。そうなんですか⤵️」虫けら、激しく落ち込む。執刀医には、信頼感も好感も抱いていない。嫌な記憶が蘇る。が、仕方ない。外来で診察待ち。結構緊急性のある話(通常の予約ではなく、外来治療から回されたので、割り込みで対処するのが普通だろう)なのに、随分待たされた。30分近く待って診察室へ。手術以来の執刀医との対面。『あれ、こんな人だったっけ?』と思った。よほど記憶から消し去りたかったのだろう。記憶と若干違う人がそこにいた。執「どんな感じですか?」虫けら、胸をはだけて患部を見せる。執「あ、ちょっと潰瘍みたいになってるね」えーっ、潰瘍? ひどいじゃん。執「使用頻度は?」虫「え?」執「このポート」虫「初回です」何を聞かれているのかわからなかった。机の上のモニターには、虫けらのカルテが表示されている。自分が執刀した日は確認しているだろう。執刀した翌日からポートの使用が始まることは、手術室で看護師と話していたからわかっているはず。退院して初回のポート使用。日数からすぐに割り出せる。そういうこともわかっていなかったのか?虫けらが入室する前に、あらかたのことは確認していないのか?執「軟膏で対処しましょか。持ってます? ゲンタシン」虫「いえ」執「出しときます。毎日塗ってください」潰瘍がそんなもので治るのか?しかも、持ってますか? って。普通、そんなもの(抗生物質製剤)持ってないだろう。虫けらの不信な顔に気づいたのか、事務的に言ったのかはわからないが、執「切開するほどのことはないな」と言った。不安だー。これでいいのか?同じ言葉でも、怖い主治医が言ったならひと安心しただろう。信頼関係のない医師の言う言葉がこれほど猜疑心を掻き立てるものだとは。この状況に、虫けらの過失が加わっているとは思えない。執刀医が悪いとも言えないが、なぜこうなってしまったのかは分析して伝えてほしい。怖い主治医に対してなら、虫「どうしてこんな状態になったんですか?」と必ず聞いていると思う。しかし、この執刀医からは、有効な回答が得られるとは到底思えなかった。何も言わずに診察室を出た。予想外のトラブルだ。副作用以外のトラブルは心を重たくする。悪くすると、切開手術をしての治療になるということ。自宅に帰って、ゆっくりしようと思ったら、ん? 急に来た!傷口のストレスなのか、ゲリリンの模様。これが続き、熱発したら、また1回目と同じ流れ。今度は電話しよう。それと、変な空咳が出ることがある。エアコンのせいで喉が乾燥しているのだと思っていたが、「間質性肺炎」という副作用もある。状態を注視しておかないと。熱は、おとといの微熱以来、平熱だから安心していた。副作用が前回より強く出ているので(指先の痺れ、冷たいものへの過剰反応、新たな皮膚障害)ちょっと気をつけておかないと、大ごとになるかもしれない。あすは営業。手袋を用意して、気をつけながら作業しよう。味覚も戻っていないので、繊細な味付けの料理は無理だ。どんなメニューを用意しよう。これまでにない気の使い方、体の使い方を余儀なくされる。これが、抗がん剤治療というものだ。
2024.09.04
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きのう、2回目の抗がん剤治療があった。1回目のときとの違いを含めて、現状を列挙しようと思う。看護師さんにはやんわり止められたのだが、病院での点滴(4時間ほど)を終えて、46時間点滴を右脇に吊るしたまま寿司を食べに行った。生ものは、免疫力が弱っているときには禁忌だが、YouTubeで佐藤先生(がん情報チャンネル)が、「新鮮なものは大丈夫です」とおっしゃっていたので、勝手にOKにした。自分で買ってきた魚の柵を切って刺身にするとか、1日置いた刺身を食べるなどという暴挙はしないが、回転寿司屋の握りたての寿司なら問題ない、と思う。もちろんネタは選ぶ。売れ筋のネタ、人気のネタ、回転の早いネタにする。本鮪の赤身、ハマチのはらみ、ヤリイカ、つぶ貝、カニみそを食べた。味覚は2割くらい減退しているのだが、皆おいしかった。香りや食感が、味を補完しているように思う。自分で料理をつくると、いつものレシピにしていても味は若干薄く感じる。その時は、黒胡椒、大葉、ネギなどの香りの要素を加えると、いつもの味まで引き上げてくれる。脳内補正をしているようだ。味覚の減退は、1回目の治療からずっと続いていて、回復はしていない。治療を続ける限り、回復しないのだとしたら、ちょっとつらい。もう一つ、ただ事でないのが冷たさへの過剰反応だ。ビール瓶を持つと、指先がピリピリする。5℃以下に冷えているものは、この現象が出る。1回目の治療のときは、点滴2日目に感じた。とは言っても、病院に冷たいものはないので、1日目の症状は不明で、2日目にたまたま自販機でジュースを買ったときに気づいた。今回は、点滴直後にこの有様。ビールを飲むと、唇と口蓋垂の周辺に違和感がある。唇は、ピリピリからビリビリ、ブリブリに変化する。つまり、「ゴク」ならピリピリで済むのだが、「ゴクゴク」とやると「ピリピリ、ビリビリ」になり、「ゴクゴクゴク」なら「ピリピリ、ビリビリ、ブリブリ」になる。痺れの振幅がどんどん大きくなる感じと言えばいいか。口蓋垂あたりの違和感は、詰まる感じだ。飲み込みにくい。しかし、ゴク、でとめれば苦痛は小さい。だがしかし! ビールはゴクゴクゴクとやらねば。痺れを我慢しながら飲んだ。翌日、水を使ったら、痺れた。1回目の治療のときは、徹頭徹尾水を使っても何ともなかった。やはり、2回目になって、副作用が強く出てきているのかもしれない。様子を見て、もっと強くなるようなら、手袋を使ってみる。我慢できるとは思うのだが、どう違うか試してみる必要がある。皮膚障害は出ていない。1回目のときは、点滴終了から3日くらい経って、顎に小さなニキビのようなものができたが、ステロイド軟膏を塗ったら治った。胸にもうっすら赤みが出たが、ステロイド軟膏で緩和した。繰り返し出るが、軟膏でその都度。2回目の皮膚障害はまだ出ていない。1回目のとき、丸一日便秘した。その後少しずつ出して、翌日に解消。しかしすぐに水様便になった。その後ひどい下痢。3日続いたのでビオフェルミンで何とか抑えた。15回→5回といった具合だが、放置しても、いつか解消するだろうとは思ったが、脱水症状や腎障害が怖いので、不本意ながら薬を使った。外来治療専門の看護師さんからは、「電話しなさい」と怒られた。「主治医の先生が直接対応してくれます」……怖すぎる。そう言えば、怖い主治医が怖「ビオフェルミンだけで、治りましたか?」虫「まぁ、完全に、ではないですが、回数が減ったし、 抗がん剤が原因というより、いつもの不調かも、と 思っていましたから」怖「下痢は、治療を要する場合があります。 そのときには、入院をしてもらって、点滴治療などの 対処をします」と言っていた。虫けらは、「下痢ごときで」とどこかで思っていた。だって、週の半分以上は、というくらいゲリリン体質だから、いつものこと、である程度は済ませられる。今回も、4日目にビオフェルミンが効かなかったら、病院への連絡もやむなし、と思っていた。抗がん剤による下痢には、特殊な薬剤が使用されると知っていたからだ。しかも、熱発もあった。38℃以上は連絡せよ、と指示書に書かれていたが、かろうじて37.9℃だったし、様子を見ようとなったが、38℃になっていたら、連絡しただろう。(看護師さんには「誤差の範囲です。電話しなさい」と怒られた)2回目もそんなことになったら、連絡しよう。入院するのもいい。ゲリリンが続くと、買い物に行くのが難儀で、大したものが食べられない。ゼリー飲料やトマトジュースなどの飲み物中心の食生活になる。栄養が取れない。病院なら、食事が出る。上げ膳据え膳の贅沢ができるのが何より魅力だ。きのうは、出し足りない感じがしていた。「また便秘か?」とちょっと嫌な感じがしたが、きょう昼過ぎ、見事な形のものがお目見えしていたく感動した。細かなことはあるが、体調はとてもいい。だるさや倦怠感で起きられないという人もいるらしいが、いつもどおり筋トレをして、いつもどおり食事した。買い物に出かけるくらいは何の問題もない。脇に抗がん剤を吊るしているのを隠すのがちょっと面倒だが。あす、抗がん剤を外したら、また営業再開だが、指先のピリピリの対処が必要になりそうだ。という状態。脱毛や、本格的な皮膚障害の不安はあるが、いま考えても仕方ない。対症療法しかあるまい。ウイッグのサイズが見つからない問題は、もっといろいろ調べて解消しておかないと。いまのところ、こんな状態。新たな問題発生時は、改めて追記するとする。
2024.09.03
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8月半ばの入院時に怖い主治医と会話?面談?する機会が3回もあって、そのときに疑問に思ったことや、逆に、「これが答えなのか?」とちょっと感動することもあったので、少しずつ書き記していきたいと思う。あ、その前に、きょうの怖い主治医の診察の模様。入室を促すアナウンスで、いつもとは全然違う診察室に誘導され、入った診察室は、いつもと違う殺風景さ。診察台(ベッド)がないせいだろうか、診察室奥の棚がシンプルなせいだろうか、いつもの診察室より狭いせいだろうか、その理由はよくわからないのだが、殺風景さのおかげで、怖い主治医も少しショボく(すみません💦)見えた。入院中に見せてくれた笑顔や話しやすい雰囲気は一切なりを潜め、いつもどおりの怖い主治医に戻っていたし、虫けらも、いつもどおりのよそよそしい変人に戻っていた。ただ一つ、違っていたのは、怖い主治医の顔をまっすぐ見られるようになっていることだ。これまでは、怖い主治医をチラ見しかできないコミュ障気味のヤバ目のおばはんだったのに、きょうは、しっかり質問し、それに答えてくれる怖い主治医の言葉にしっかり反応し、怖い主治医の目を見て会話できる、厚かましいおばはんに変化(へんげ)していた。よいのか悪いのか。後悔が一つ。入院中に物理的、精神的に面倒をかけてしまったことを詫びる…というより、礼を言いたかったのだが、医事課の女性が怖い主治医の後ろに立って、じっと虫けらを見ていたので、言いそびれてしまった、というよりそれが障害になって言えなかった。もう金輪際、礼を言うことができないのではないかと、少し落ち込んだ。こういう後悔は、たびたびしているが、今回はこれまでにないくらい気に病むレベルのような気がする。仕方ない。では、答え合わせ。入院当日、手術を終えて病室に戻った虫けらを怖い主治医が訪ねてくれた。その際の会話の中で、血液検査の話をされた。虫けらは、血液検査があることを知らず、入院までの自らの素行の悪さを脳裏に巡らせながら、相当数値が悪かっただろうと観念した。そのときのやりとり。怖「熱ある?」 虫「CRPが上がってました?」 怖「お酒、たくさん飲んだ?」 虫「はい。大変たくさん。 そのために入院を先延ばししたようなものですから」 怖「そんな感じはしてたんやけどな。 ほんの少し高いだけやねん。何もない正常なときと、 ちょっと高いときがあったやろ、 ちょっと高いときぐらいやねんけどね」虫けらは、CRPも相当上がっていただろうし、肝臓関係(他の消化器を含む)の数値も高かったと予想した。しかし、怖い主治医は「ほんの少し高いだけやねん」という言葉を選んでくれた。そんなはずはないと、思っていいた。きょう、診察室の机の上にはいつものように血液検査の結果票が置かれていた。見ると、きょうの検査結果の前(測定した時系列に数値が並んでいる)の欄が「手術室持込」となっている。例(手術時採血)の数値である。見て行くと、肝臓の数値は大したことないが、いつもより少し高い。肝臓を含めた消化器の数値は最近になく高い。肝臓以外の臓器に何かあるのだろう。そして、「CRP」──めっちゃ高い。さすがに、去年の手術前後の数値よりはるかに低いが、術後1年間で最も高い数値だった。虫「やっぱり高い」怖「え?」怖い主治医が虫けらの視線の先を見る。虫「CRP、上がってましたか? と言いましたが…」怖「(笑う)」会話を覚えていてくれた模様である。よかった。あれは、夢かと思うことがあったのだが、夢ではないようだ。いや、そんな話はいい。こんな高い数値が出ていたのに、怖い主治医のやさしい言葉。あそこで「高かった」と言われても、どうしようもないし、それを虫けらが気にする質であることを怖い主治医が理解してくれていたのだと思う。事実を言ったところで、入院・治療によい影響は与えない。血液検査の結果によって、治療内容が変わるというのなら、きっと厳しい言葉で事実を伝えられたと思うが、やることに変わりない、というのであれば、言わなくてもいいことなのだ。怖い主治医の言葉はとても冷淡なのだけれど、その言葉のベースにあるのは、患者への気遣いと、患者の性質への理解なのだと思う。と、怖い主治医のことをこんなに理解できるよい患者になれた。きょうのところは、これでよし。まだまだ答え合わせになる会話があるので、おいおい記していこう。病院のベッドで点滴を受けながらこれを書いているが、まだ1時間以上ある。もう一編書こうか、YouTubeを見て過ごそうか迷っている。とりあえずお腹がすいた。これが終わったら、寿司を食べに行こう。もちろんビール付きで。
2024.09.02
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最近、カーペットを洗うだけのYouTubeチャンネルをよく見る。「MR.CARPET」という原題がついているが、チャンネル名は違うようだ。ASMRで、解説もテロップも何もない。ひたすらカーペットを洗っている。登場人物の顔や、カーペットの模様からして、中東のどこかの国のようだ。概要欄に記載してあるのかもしれないが、別に詳しいことを知りたくもないので、見ていない。おすすめに、こんなサムネが上がっていたら、「なんじゃこりゃ?」になる。まさかカーペットを洗っているとは思わなかった。日本は靴を脱ぐ文化なので、カーペットがこんなに泥で汚れていることはまずない。どこに、どんなふうに敷いたら、こんな茶色の液体が出るほど汚れるのだろうか。とにかく汚い。何年洗ってなかったのかと、驚くばかりである。洗った後は、新品のような綺麗さを取り戻す。見えなかった模様が見え、滑かな生地の風合いが画面越しでもわかる。が、私は綺麗になったカーペットや綺麗にする過程を見て楽しんでいるわけではない。「日本人なら、どんな道具を作るだろう」「日本人なら、どんな手法を編み出すだろう」という視点で見ている。ミスターカーペットは基本、水洗いだ。ペルシャ絨毯も登場するのだが、水洗いだ。水洗いできるのか?シルクのはずだが。けれど、ひたすら水洗いだ。水洗いできるのだったら、家でも洗えるのではないか?場所が必要か。大抵12平米くらいの大きさのカーペットだ。日本間にして8畳くらい。汚れからして、玄関に敷いているのではないだろうか。広い玄関だ。洗浄場は、地べたから50cmくらい底上げされている。にもかかわらず、傾斜がついていない。水洗いで出てきた汚水が洗浄場に溜まり、これを水で洗い流すために、カーペットを洗う以上の水を使っている。なんて非効率な。日本人なら、必ず床に傾斜をつけて、水が自然と流れるようにするだろう。しかも、カーペットに合わせた枠をつくり、汚水が外に流れ出るのを極力抑えるだろう。いや、洗うときは溜め水を使うのがセオリーだと思う。ここまで汚いと、何度水を交換せねばならぬかわからないが、基本、溜め水の中で洗い、水を切り、再び洗い、を繰り返すのだと思う。床にびやっと広げたカーペットにひたすら水をかけるというやり方を日本人の職人がするとは思えない。水にも工夫を加えるはずだ。一度に汚れを落とし、分解する洗剤を開発するかもしれない。水ではなく、薬剤そのもので洗うかもしれない。使っている機械もやたら大きくて重そうで、しかも、こなしている作業は大したことはない。日本人なら、もっとコンパクトで扱いやすく、高機能・高性能な機械を開発するだろう。放水ホースも、水量が多いのに、大した仕事をしない。高圧ノズルを使い、散水パターンを変えて、水量を抑えると同時に、もっと仕事ができるようにするだろう。いずれにしても、こんな単純な方法を取るように思えない、などと考えながら見ている。一編、30分以上あるのだが、なぜか見てしまう。見終わって、あらら、である。ストレス解消になっているのだろうか。洗い終わったカーペットを見て「あー、綺麗になったなー。気持ちいいー」と思える人は、ストレス解消になっただろう。私の場合は……、これが消化器を傷める性格というものだろう。さて、あすは2度目の抗がん剤治療。血液検査がある。もちろん酒は抜いている。体調は悪くないのだが、ちょっと微熱がある。怖い主治医に怖気づいているのか?抗がん剤治療が嫌なのか?副作用が怖いのか?すべて。そろそろ、髪がバサッと抜けるころか。家で抜けるのはいいとして、外で抜けるのは嫌だ。あすは、6時間ほど病院にいる計算だから、点滴を受けながら、なんてことになったら…。帽子を被って行こう。病院に行くのは、いつも憂鬱だ。
2024.09.01
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今週火曜日、楽天のショップで買い物をしました。来週月曜日の病院行きのときに持って行きたいカバンを購入したのです。治療に4時間ほどかかるので、その間に使えるかどうかわからないながら、ノートPCと着替えなんかを入れられる少し容量のあるカバンが欲しくて、取り急ぎ注文したという経緯です。当該商品は、「1〜2営業日に発送」となっていて、遅くとも木曜日には発送してもらえるものと思っていました。が、14:30ごろに注文したのに、確認メールが23時近くに来たので、少し嫌な感じがしました。結構対応が遅いショップなのかも。。でも、到着の指定日が金曜日(30日)〜になっていたので、通常、指定しなければそれ以前に到着するのが楽天のショップの常識です。加えて、佐川かクロネコなら、会員登録しているので、事前に配送希望を聞いてくれるメールが到着します。という背景から、日時指定せずに注文しました。が、木曜日になっても発送メールが来ないし、佐川あるいはクロネコからのメールも届きません。来週月曜日に使いたいとなると、最低でも日曜日には到着して欲しいわけで、金曜日には発送していただかないと……。加えて、台風の影響も心配です。ショップの所在地が埼玉県で、台風から遠いのに、大雨の被害があったと聞きました。木曜日の夕方(16時過ぎ)にメールを送信しました。「1〜2営業日に発送となっている商品だから、問題ないと思っているのだが、使いたい日があるし、台風の影響もあるだろうから、なるべく早く発送してほしい」といった内容。しかし、返事は届かず、金曜日に。ショップによっては、発送メールを送らずにいきなり商品を送ってくる場合もあるので、そちらに期待していたのですが、金曜日の夜、クロネコから配送に関するメールが届きました。こちらからの問い合わせにも返信せず、発送したのか、と、ショップの対応についてはちょっと残念に思いましたが、クロネコを使ってくれたので、よしとします。「土曜日午前(8〜12時」を指定しました。本日7時過ぎ、クロネコからメールが。「荷物の到着が遅延しています。指定の日時にお届けできない可能性があります」とのこと。おいおいおいです。そうでしょう。埼玉の大雨については、発送の遅延をもたらしたかもしれないけれど、金曜日に発送したことは事実なので、私にとっては、それ以上でもそれ以下でもないわけです。しかし、岐阜でも大雨になっていたので、これに引っかかるのではないかと危惧していました。そうであるのか、それ以外の問題だったのかはわかりませんが、結果的に荷物の到着が大幅に遅延したのは事実で、その後のメールによると、13時過ぎに到着したという通知。すぐさま持ち出して配送するということでした。14時過ぎに無事到着。配達のスタッフに「大変でしたね。皺寄せはこれからですよね。頑張ってください」と声をかけました。何しろ、午前配送希望の私の手元に届いたのが14時過ぎなのですから、数時間押しているわけです。きょうの配送からこぼれる荷物もあるのではないでしょうか。物流は24年問題もあり、大変な状況になっているようです。そこへ台風などの自然災害。元旦の地震の影響もまだまだ解消していない状況。アホの政治家と世間知らずの官僚がつくった変な法律、何とかならないものでしょうか。いまの日本、司法はおかしいし、政治家はバカだし、官僚は自分のことばかり考えて、国のことなどどうでもいいという輩ばかりだし、税金をチューチューする団体が嘘ほどあるし。これはこれで改めて書きましょう。最近には珍しい時事ネタか。はい、近々。日曜までに荷物が到着するかとヒヤヒヤしましたが、何とか届いてよかった。月曜日は8時に病院到着、終了は14時くらいという結構なハードスケジュール。新しいカバンを持って、行ってきまーす。
2024.08.31
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これは、怖い主治医と何の関係もないのだが、自分のことを「虫けら」と呼ばせていただく。思い起こしてみると、私は決して恋愛遍歴を披瀝できるような華麗な経験をしたわけでもなく、人様にお伝えできるようなこともないのだが、ここに記しておかなければ、間もなく、その事実さえ無きものとなってしまうので、とりあえず、虫けらの一人語りということで。●13の春中学に入学したら、小学生のときによく会話をしていた二つ上のお兄さん(後に「先輩」と呼んでいた)が、とんでもなくカッコいい3年生になっていて、驚嘆すると同時に、おかしな一目惚れをしてしまった。「一目」ではないのに、余りにも昔と違うので、違う人として恋してしまったということなのだ。手紙を書いた。が、返事もなく、一年が過ぎて、卒業してしまった。途中、先輩の同級生の女に嫌な言葉を吐かれたりしたが、卒業式の日に虫けらの同級生がサイン帳にサインをもらってきてくれて、虫けらの恋は終わった。しかし、この3年後、虫けらが高校二年生になった年、アルバイト先のレジで事務作業をしていたら、新入社員の研修御一行様が前を通った。最後尾の人が振り返って虫けらを見ていた。先輩だった。ドッキンドッキンした。アルバイト先には(部署は全く違うが)虫けらの不良姉がいて、姉を通して先輩が虫けらのことを聞いてきたりしていたが、虫けらは徹底的に避けた。中一のときの自分の行動が恥ずかし過ぎて、顔を合わせることができない。そうこうしているうちに、先輩は結婚して、転勤した。しかし、その後も通学のときに先輩に会ったことがあった。向こうが気づいていたかいなかったかはわからないが、目が合った気がした。ちょっと、運命を感じた人だった。●15の夏虫けらが本格的に恋をしたのは14歳(中二)のとき。一年生のとき、三学期だけ同じクラスで過ごした転校生がいた。私はソフトボール部でピッチャー。彼は野球部でピッチャーだった。部活のとき、使用しているグラウンドのエリアが隣り合わせなので、外野を守っているときは、後逸したボールを取りに行ったりして野球部の部員と会話したりすることもあるのだが、彼とはピッチャー同士だから、そういう機会もなかった。二年生以降、彼とは、同じクラスになることはなかったのだが、なぜか、いろんな場面で同じ枠組みにいた。生徒会にいたことが大きかったか。そして、3年生のときに、向こうから告白してくれた。晴れて付き合える! と歓喜したのが夏休み前。夏休み中に一度散歩した。本当に散歩だった。会話もほとんどすることなく、彼の転校前の学校や地域をぐるりと歩いて帰ってきただけのデート。夏休み後に「無理、ごめん」と言われて終わった。何が無理なのかよくわからなかったが、私側に、彼のファンというか、彼を好きだという女どもがひどい言葉と態度で虫けらを罵倒してくれたので、こういうことが彼側にもあったのではないかと推察した。彼の言葉を素直に受け入れた。ときは過ぎ、28のときに同窓会で再会した。改めて二人で食事に行き、中学生のときに聞けなかったことを少し聞いて、わだかまりを胃の腑に落として青い時代の思い出に蓋をした。なぜなら、彼は間もなく結婚すると言ったからだ。しかし! それで終わりではなかった。20年後、謎の封書が届き、手紙には「連絡を下さい」と書かれていて、何かあったのか! と驚いて、記載されたで番号に電話したら、単に会いたいという話。再再会以降、年に数度(コロナのころは1年あいたが)、いまだに連絡があるし、会っている。15から何年たっているのだ。彼は「僕たち、縁があるんや」というが、縁を繋いでいるのは、確実に彼であって、私ではない。9月にも会う約束をしているので、あと1年もないことを告げて、この関係をまとめなければならないと思っている。●23の春虫けらの父親は大変横暴な人だった。アホ兄が原付免許を取るときに誘われて虫けらも免許を取りに行く算段になっていた。しかし、親父が大反対。意味がわからないのだが、「女は一生単車にも車にも乗るな!」と言う。アホ兄が虫けらを誘ったのは、自分だけ試験に受かって虫けらを馬鹿にする魂胆だったと思う。あの人は、虫けらを虫けら以下の扱いしかしなかった。もし虫けらが試験に通ったら、「ずるしたに違いない!」と言うだろうし、虫けらだけが試験に通って兄が落ちたら、それこそ一生嫌がらせされるかもしれない。結果的には親父が反対してくれてよかった。こういう状況だから、普通自動車の免許もなかなか取りづらい日々を過ごした。運よく、22で少々無理やり独立を果たし、そのときについていた職業をやめたタイミングで合宿免許にチャレンジした。合宿先は福井。ごはんが驚くほどおいしかった記憶がある。旅館の仲居さんがご馳走してくれるおやつがまたお米由来のものばかりで、ちょっと太って大阪に戻った。大阪に戻る直前、最後の教習を終えてリムジンバスに乗り込んだ私のところに、教習で2度乗ってくれた教官がバスに入ってきた。「嫁にこい」と言う。実は、虫けらもその教官のことが気になっていた。しかし、その言葉を発した後、教官はすぐにバスを降りてしまった。一人取り残された虫けらは、呆然とするしかなかった。すぐに「はい」と言うのは憚られた。大人の女としては、当然だと思うが、田舎の男性は、もっとストレートな思考をしているのかもしれない。大阪に戻って悶々とした。こちらから連絡をするとしたら、教習所に電話をかけて、呼び出すしかない。しかし、合宿組は大変目立つ存在なのだ。大阪という大都会から来ているということもあるし、やはり、ファッションとか、考え方がどこか違うのだそうだ。教習中に、教官の何人かからデートに誘われた。そういう状況だから、こちらから連絡できずにいた。すると、1ヵ月後、電話があった。教官の声を聞くと、涙が出そうになった。「あぁ、私はこの人からの電話をこれほど待っていたんだな」と胸が熱くなった。教官とは一度だけ会った。福井の自宅に招いてもらって、母上にも会った。が、結婚は無理だと思った。田舎なので、嫁の氏素性には大変気を使う人々で、まして、資産家の家系だったので嫁入り道具がどうの、同居がどうの、仕事がどうのと制約が多すぎた。23の女には、到底受け入れられない世界だった。そこで終わったはずだったが、それから何年かして、教官が連絡をくれた。結婚して子供が生まれたが、お嫁さんの産後の肥立ちがよくなく、お子さんも保育器から出られないというかわいそうな状況を話された。教官の心が落ち着くまで相手をし、電話を切った。それっきりだが、それからずっと「どうしているだろう」と考えている。虫けらが人生最初に結婚を意識した人だったからか、好きなのに諦めなければならなかったからか、いまとなっては自分の気持ちすら思い出せない。と、長々書いてしまったが、ここに夫が登場していないことでもわかるとおり、まだ幾つか書き記しておきたい恋愛物語がある。近いうちに、第2弾を書くとしよう。
2024.08.30
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先々週の入院時、手術中に怖い主治医が手術室を訪ねてくれたのに、虫けらは気づかなかった! というエピソードを書いた。ずっと目を見開いて手術の痛みに耐えていたのに(目をつむると神経が手術部位に集中されて、余計痛いように感じる)、ほんの一瞬目をつむったときに怖い主治医が私の顔を見て、声をかけるのを遠慮したというのだ。そんなことある?と自分で自分に問いただしたほどだ。ずっと、怖い主治医が来てくれるのを待っていたのに、そんな偶然の一瞬があるものか! と。ことほどさように、私の間の悪さ、タイミングの悪さはピカイチなのだ。怖い主治医の話でも、もう一つある。私が他の病院から回されていまの病院に来た日、内科外来を受診してすぐに緊急入院となって病棟に行き、病室に入った。が、緊急手術まで時間があったのと、手術着だけでなく、手持ちのパジャマを着るタイミングがあることを知り、家に取りに帰った。その間に怖い主治医が訪ねてくれたのだ。これは、随分後になって、怖い主治医の口から聞かされ、大変恐縮した。もちろん、その日の夕方に再度訪ねてくれて、言葉を交わしたのに、そのときには言ってくれなかった。これは、私が怖い主治医に対して強い態度に出られない一つの要因になった。トラウマというほどのことではないが、外科部長である偉い先生に2度も足を運ばせたことは、しかも、まだ患者にもなっていない(訪ねてくれた時点では、内科の患者)人間に対して、要らぬ労力を使わせたことは、ずっと詫び続けなければならないことのように思えたのだ。間の悪さ、タイミングの悪さは、夫が一番よく知っていて、いつもツッコミを入れられていた。●左折信号のない交差点で左折するとき、必ず自転車か歩行者が邪魔をする。向こうにしたら、「なぜこのタイミングで左折してくるんだ!」となっているだろうが、私が左折する前後に全く人影がないのに、なぜ?である。幹線道路で、割とスピードを出して走っているので、できればブレーキングせずにさっと曲がってしまいたいのに、なぜか邪魔な人がいるのだ。後続車にブレーキを踏ませるのが苦痛だ。助手席の夫「いっつもや。お前、ほんまに間が悪いのぉ」●原付信号待ちのとき、余り先頭でスタートしたくないのだが、致し方ないタイミングで先頭になったときに限って、原付が私より少し前にスタートし、行く手を阻む。「スピードが出せないのだから、最後尾からスタートしろ!」と毎回思うのだが、信号で止まっている車の左側をスルスルと走って先頭に出てくる。さっき、やっとの思いで追い越したのに!信号ごとにこの攻防を繰り返すことになる。この攻防の途中で、ネズミ捕りにひっかかかったことがある。腸が煮えくり返る思いだった。夫「気持ちはわかるけど、ネズミ捕りにひかかるかー(笑」●宅配便ずっと待っていたのに、全然来る気配がないので、トイレに入ったやいなや!オートロック式のマンションだと、まずインターフォンに出ないといけない。トイレとインターフォンが遠いと取り返しがつかない。宅配便のお兄ちゃんは、何度もコールしてくれない。1回で諦めるので、インターフォンがつながっているわずかな間に何とかたどり着かなければならない。トイレだけではなく、シャワーとか、2階に何かを取りに行ったときとか、キッチンで手の離せない作業にかかっているときとか。ずっと待っていた時間を返してくれ! と言いたい。夫「僕がおらんときに限って、そんなことになっとるな。お前、よっぽど時の神さんに見放されとるんや」●電話スマホは大抵身近に置いている。が、トイレまでは余程のことがない限り持っていかない。大切な電話は、いつもトイレに行っている隙なのだ。電話があったことにしばらく気づかないことも多い。気づいてコールバックすると、今度は相手が出ない。このチグハグ感、何度経験したか。夫「スマホ、首からぶら下げとけ。大丈夫。電話かかって来んよ。お前が持ち歩いている間は」●お誘い好きな人、会いたい人、近づきたい人、気になる人からのお誘いがあったとき、必ずと言っていいほど他の用件が入っている。「はい! まいります」と即答できることがまずない。「他の用件」が、そのお誘いと比べることができないほどつまらないことであっても、ビジネス上の約束なら、違(たが)えるわけにいかない。こういう状況で、どれほど出会いや恋愛の機会を逃したことか。そして、「他の用件」の相手を恨んだことか。夫「僕のときはスムーズにいったよな。あ、それは僕がタイミングがええんか」●生い立ち私は、望まれずしてできた子で、生まれるはずがなかったのに生まれてしまった子で、自分の子を持てないと5歳のときに言われた子で、大学に行けない貧乏人だったのに、無駄に成績がよくて周囲を困らせた子で、家族に愛されなかったのに、家族に無償の愛を注いだだけで終わった子で、仕事ばっかりしていたら、間もなく死ぬと告げられた自分の人生を皆目生きられなかった子だった。生まれたことからして間が悪かったのだ。これからも、間が悪い時間を過ごして、タイミング悪く死んでいくのだろう。人様に迷惑をかけなければいいとしよう。自分で自分を哀れむだけの間の悪さで終わって欲しい。ただ、怖い主治医との関係についてだけは、もう間が悪い出来事がないように願いたい。少しでも、心配や不安や後悔がない時間にしたいのだ。いまの私にとって、よすがとするのは怖い主治医しかいないのだから。奇跡のようなタイミングであとわずかな時間を生き抜きたい。 切 望
2024.08.29
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この先、台風の影響がいろいろあるだろうと予想される水曜日。(我が家は大阪)少し早いが、店の家賃の振り込みに行き、ついでにショッピングでもするか、と外に出たのはいいけれど、間もなく雨が降りそうな空模様。しばらく商業施設にいる覚悟で、足早に銀行へ。最近、銀行そのものも、ATMも少なくなった。きょう出かけた場所は全ての都市銀行や大抵の地銀の支店が揃っているが、一駅離れると、悲惨な状況である。バブル崩壊後、金融機関の統廃合が相当進んだが、今後、さらに壮絶な生き残り合戦が繰り広げられるだろう。日銀の利上げ政策のおかげで、ペースダウンしてしまったが。ま、そんな話はどうでもいい。きょうは、サングラスを買いたいと思っていた。無印良品だか、ユニクロだかで買ったサングラスが壊れてしまった。どのタイミングかわからないのだが、フレームが割れてしまっていて、レンズが落ちるので、買い替え時だと観念した。(1300円/9年使用)3coinsでいいのを見つけた。300円ではなく1000円だった。その向かいの店にも。1210円と手ごろだったので、どちらかにしようと思った。が、まだあるかもしれない。上のフロアにも足を運んだ。ふと、珍しく、帽子専門店があるのに気づいた。この商業施設には何度も来ていたのに、気づかなかった。実は、前々からハンチングが欲しいと思っていた。女性物のハンチングは珍しい上、カバンなど他の雑貨と一緒に帽子を扱う店に置いていることはまずない。最初にハンチングが目に入ったので、自然と足がそちらに向いた。が、すぐに男性物だと気づいた。男性物でも、色や柄が気に入ればいいことなのだが、まず、サイズが合わない。しかも、その店のハンチングは、いかにも「男性物」という色合いと柄だった。すぐに見切りをつけて外に出ようと思ったら、女性店員が目ざとく私を見つけて声をかけてきた。軽く笑顔でいなして外に出る。外から店の正面に歩を進めると、面白い色のキャップが目に入った。グリーンとブルーとグレーの間の色。服と合わせやすいのか合わせにくいのか。ウォーキングのときにキャップを被りたいのだが、手持ちのキャップは色が余りよくないので、これはいいかもしれない、と立ち止まった。手に取ろうとしたら、件の女性店員が声をかけてきた。「こちらは人気の色味なんです」「不思議な色ですね」「でも意外に服に合わせやすいんですよ」私が手を伸ばした帽子を見て、「それはMサイズなんですが、大きいと思います。こちらのSでいいかと」おお、私の頭のサイズがわかるのか!さすが専門店の店員さんだ。このブログでも何度か書いたが、私は異常に頭が小さい。が、そう見えないのだ。面の皮が厚いとか、大きな顔をしているという態度が邪魔になって、人に「頭が小さい」と言うと一笑に付される。「多分、これでも大きいんですよ」と言いながら被る。ぶかぶかである。「アジャスターがありますから……どうでしょう」女性店員がアジャスターで縮めてくれて手渡される。ジャストフィット。タグを見ると、Sサイズは56.5cmとなっている。中学生のとき、54cmの帽子を特注したのを思い出した。『13歳から変わってないんかい!』と心で突っ込みながら、被った姿を鏡に映す。「頭が小さいのに、背が高いですね」「すらっとしていらっしゃって、かっこいいです」「お顔が小さいから、帽子がお似合いです」「無駄肉がないですね」「体型維持、大変でしょう?」「あ、すごい筋肉質ですね」「ジムに行ってらっしゃるんですか?」「姿勢がいいですね」矢継ぎ早に褒め言葉を並べる。いや、褒め言葉とは限らないな。女性なら、ちょっと嫌な言葉も混じっている。少なくとも私くらいの年の女を形容する言葉ではないかな。単に、その店員さんの常識や固定観念に当てはまらない人間だったのだろう、私が。率直な感想だったような気がする。「いや、運動は何もしてないし、アラ還ですよ」と言うと、えに「 ゛」がついた声を発していた。そう。足や腕の筋肉を見せると、皆、私がジムでトレーニングしていると思うようだ。何もしていない。私のハムストリングを見て(触れて)、カイロの先生が、「どんなトレーニングしているんですか?」と聞く。「ママチャリ漕いでるくらいです」と私。「あり得ない。競輪並みにスピード出してる?」「まあね」競輪並みではないが、スピードは出している。常にハムストリングにストレスがかかるくらい力強く漕いでいる。前腕、二の腕、胸筋は、随意筋よろしく筋肉をグリグリ動かすことができる。先日、小学生の頃からの友達(看護師さん)と旅行したとき、中学生の頃と変わりない私の筋肉たちを見て驚いていた。頭のサイズも筋肉も、中学生の時のままか。筋肉は、少し動かせばすぐに増量する。服のサイズが変わるのが嫌で、余り動かさないようにしているが、病気になってからは、筋肉量を維持するために少し筋トレをしている。サイズは余り変わっていないが、とても硬くなっている。頭のサイズはちょっと困ったものだ。今後、脱毛が予想されるのだが、ネットであれやこれや探しても、この頭に合うウイッグが滅多にない。既製サイズとしたら、SSサイズもしくは調整可能なSサイズということになるのだが、ほぼほぼサイズがない。Mサイズが主流で、大抵の場合サイズが選べない。自分に合わせた特注となると、金額の桁が変わってしまう。雨をいなすために少しショッピングをしようと思ったら、自分の欠点を見直す機会となってしまった。結局、サングラスを買わず、帽子を買ってしまった。サングラス……幾つか持っているので、何とか使えるのを探すか。もう新しいのを買うのはもったいない。あと何度も使うものではない。来年のこの季節はもうないかもしれない。帽子とは対照的に、私はメガネが全く似合わない。サングラスとて、似合った試しがない。が、日焼け防止には必要不可欠だから致し方なくかけている。というわけで、とにかく買いたい、というものでもないし、帽子が手に入ったなら、それはそれでいい。とりあえず、きょう買った帽子はウォーキングで使い倒そう。最近、暑くて歩けていない。なのに、あすからは台風でどうなるかわからない。……しまった。来週明け早々、2度目の抗がん剤治療だ。副作用が出ると、ウォーキングどころではなくなる。日曜……台風が過ぎ去っているだろうか。この台風はどうも足が遅すぎる。上陸すれば、早くなるだろうが、いつになることやら。考えても仕方ないことは考えるまい。 南無
2024.08.28
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先週末から営業(飲食店)が続いていて、ちょっと疲れたかな、と思う節はあるものの、抗がん剤治療以前と比較して、大きく変わりない日々を過ごせているように思う。自らの心境の変化についても、当初から想定し、予定していたとおりと言っていい。抗がん剤による副作用の発現を細かく追跡すると、やはり、平常時にはないものが幾つかあるのだが、それを「不快」「つらい」「対処が必要」と思うほどのことはない。初回の抗がん剤治療を開始してから2週間が経つので、数多くの副作用が発現しているはず。と、治療前に、怖い主治医や薬剤師、抗がん剤専門の看護師から聞いていた。という前提があるので、「私の場合」として言及しなければならないかもしれない。使用している抗がん剤が私の体に対してどう効いているのかいないのか当人に理解しようがないからだ。次の診察のときに、怖い主治医に何を聞かれて、私がどう答えて、それに怖い主治医がどう反応して、どんな所見や叱責、怒声を浴びせられるかなんてわからないが、とりあえず、現在の状態を。。下痢は解消(要6日)。微熱も解消(同上)。食欲に変わりなし。飲酒……はい!皮膚障害は多分なし。口内炎は、「できたか?」とぷくっとした膨らみがあるのを認識するが、すぐに治る。舌先が割れている(痛い。胃腸が悪い時の症状)。頭皮が敏感になっている。ブラッシングすると、痛痒いところがある。いつもなら気にならないぐらいだが。。脱毛の予兆か!?皮膚障害の一つかもしれないらしい。いまのところ、これくらいか。治療前には、「一旦出たら、治療をやめるまで治らない」「副作用とは、長く付き合う必要がある」「一緒に生きる覚悟を」と言われていたのだが、口内炎などは、痛みがほとんどないうちに治ってしまう。というのが、現状の報告。うーん、今後、突然たくさんの副作用が出るというのはやめてほしい。副作用というのは、出ても出なくても、患者の心をこうも悩ませるのか。願わくは、副作用のない抗がん剤をおつくりくだされい。 哀願
2024.08.27
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1回目の抗がん剤治療が終了して8日経つ(9日目)。怖い主治医や薬剤師、抗がん剤治療専門の看護師から副作用について散々聞かされていたのに、いまのところ悲惨な症状は出ていない。気づいたところでは、「下痢」「味覚の変化」「手の指先の知覚過敏(痺れ)」くらいで、きのうから「胸焼け」が加わったのだが、これは抗がん剤ゆえか、食べ物、飲み物の影響を受けてのことか、はたまた単に食道か胃が傷んでいるのかはっきりしない。そろそろ、「口内炎」「皮膚障害」が出てくるころである。他にも、劇症でないので気づきにくいが、「だるい」「疲れやすい」「立ちくらみ」などがあるらしいが、余りというか、通常以上に感じることはない。が、筋トレをすると、すぐに乳酸がたまるので、糖質(栄養)が足りない、水分やミネラルが足りないなどの現象があるのかもしれない。さらに、直接抗がん剤が影響しているのかもしれない。ん?これでいいのか?と思ったのは、治療前にいろいろな体験談の中で、「副作用が強く出るのは、抗がん剤が効いている証拠」という解説を読んでいたからだ。こんなに副作用が弱いのは、抗がん剤が効いていないのか?少し不安になった。何しろ、効果がなければ「手を変え品を変え、メニューを持っていく」と怖い主治医から脅されているからだ。つまり、効くまで治療をやめないということ。幸いか、あいにくか、私のがんは、大抵の抗がん剤が適用するらしい。これは長引くぞ。恐怖。で、調べてみた。「体質は、抗がん剤の副作用が出やすいかどうかに大きく関係してる。 一般的に、健康的な生活習慣を持つ人や、免疫力が高い人は、副作用が出にくいとされている。 アレルギー体質でない人や、過去に重篤な副作用の経験がない人も、副作用のリスクが低い。 体の基礎代謝や、薬剤への感受性も、副作用の出やすさに影響を与える要因。 特に、肝臓や腎臓の機能が正常である患者様は、薬剤の代謝や排出がスムーズに行われ、副作用が出にくい」(大阪がんクリニックHPより)これは当てはまるかもしれない。私の体には、がん以外の問題がない。局所的に悪くなることはあるが、生活習慣病などの持病は一切ない。高血圧、高コレステロール、高脂血症など血液検査で中高年が引っかかる項目も全てクリアしているので、常用している薬はない。アレルギーも持っていないし、基礎代謝も高い。肝臓と腎臓にも抗がん剤の代謝に対する問題はない。「喫煙」や「飲酒」も副作用を増大させるらしいが、喫煙はしない(やめたのではない。最初からしない。昔から、喫煙者と認識されることが多く、閉口する)。酒は大変飲むが、肝臓の数値が悪かったことはない。ただ、消化器全般がストレスに弱いようには思う。初回の治療から、大変な副作用に苦しむ人がいる。治療前にたくさんの手記を読んだが、「地獄」だと思った。だから、このブログでも、治療開始のときに「地獄の治療」というタイトルにした。しかし、いまのところ、想像の1/5程度の症状だろうか。症状が全くないわけではないので、抗がん剤が私の体内で作用しているのは確かだ。もちろん、いやな副作用はこれからだ。しかし、もう既に発現していてもおかしくない症状もたくさんあるが、まだ出ていない。全てこれからなのか?ある日突然、ひどい症状が発現するのだろうか。いまの症状が楽なだけに、落差は大きいだろうな。いやだいやだ。というわけで、退院1週間が過ぎた。
2024.08.25
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長い人生、体重はさまざまな局面で増減するものだ。学業、スポーツ、仕事といった、躍進のために肉体や精神を駆使したとき、家族の病気や、逝去、それの後片付けなどの雑事に忙殺されたとき、自分の生活の変化、人生の転換点、病気など疲弊やストレスでやられたときなど、好むと好まざるとにかかわらず、肉体の変化が起こり、体重が増減する。あ、「減」の話ばかりだな。「増」は、いつだろうか。私の人生には、余り「増」はないな。「減」じることがあって、ほとぼりが冷めると自然と「増」する感じか。2年前に夫が亡くなって、体重は激減した。といっても、3〜4kgの話だが。50kgちょっとあった体重が46kg台に減った。1年ちょっとかけて徐々に増えて、49kg〜50kg弱に達して、ようやく人から「だいぶふっくらしてきたね」と言われるようになった矢先、病気になった。手術直後は43kg程度まで落ちたと思う。(体重を計る機会がなかったのだが、退院までに増えたであろう分を差し引いた数字)退院時はは45kg台だった。そこから1年、体重を増やすためにせっせと食べて、最近では49kg台をキープしていたが、転移を知ってからは、同じように食事していも、48kg台に落ちてしまっていた。がんのせい(がんは栄養と血液を消費する)かもしれないし、ストレスで消化吸収が悪くなったのかもしれない。しかし、手術のための入院をするにあたって、少しでも体重を増やしておこうと、いつもはしない間食も積極的に取り入れて50kgに届くまでになった。抗がん剤を投与されると、食欲不振になったり、吐き気や嘔吐に見舞われることがあると言われていたし、味覚障害のために、食べられるものに制約が出たり、味が変わって食べられなくなるという事例も知った。結果、抗がん剤による吐き気はほぼなく、味覚障害はないわけではないものの、大抵の食べ物の味は80%くらい変わりないし、従来と全く変わりないものもあるので、食欲不振に陥ることはなかった。しかし、下痢が続いて、消化吸収がうまくいっていないと思う。きょうで6日目になるが、下痢は治っていない。1日15回のトイレ通いをビオフェルミンで5回に抑えられているものの、よい状態に回復したわけではなく、回数を減らしているのみである。体重は、47kg台に落ちた。3kg近くダウンしたことになる。元々、余力のない人間なので、1〜2日食事がうまくできないと、2kgくらいすぐに落ちる。この体重減は余り気にしてはいないのだが、病気が病気だけに、筋肉が落ちないように気をつけなければならないと思っている。「がん患者は筋肉が薄い」とは周知の事実なのだ。がんが筋肉を食んでしまうのか、筋肉が薄い人ががんにかかりやすいのかははっきりしていないが、がん患者は、筋骨隆々の人より細身の人の方が多いのだという。私は、細身だが、筋肉は多い方だ。というか、脂肪がほとんどどない。胸も尻も貧弱なので、脂肪のつきようがないのだ。タニタの体組成計では、内臓脂肪も少ないと出ている。筋肉もそうなのだが、一番難儀しているのが、顔が痩せてしまうことだ。若いころは、顔が痩せるのは最後だったが、年を取ると、顔が真っ先に痩せる。そして、顔に身がつくのは最後という本当にどうにもならない、切実な状況なのだ。また顔が痩せた。せっかく人様に戻りつつあったのに、またサルに逆戻りだ。これで髪が抜けてしまったら、目も当てられない。顔に身をつける方法はないものか。ないだろうな。しかし、この下痢、いつまで続くのだろうか。抗がん剤による下痢には、特別な薬が処方されるらしいのだが、病院に行くのは面倒なので、次の外来までうっちゃっておこうかと思うが…。来週も下痢が続いたとして、次の外来の時にそのことを怖い主治医に言ったら、しこたま怒られそうなので、週明けにでも、電話してみるか。決して下痢を軽く考えているわけではない。が、私は元々下痢体質なのだ。30年近く、週に3回は下す人間だったので、「またか」くらいに思う部分がある。その原因も、ストレス、飲酒、過労、寝不足…さまざまあって、今回も抗がん剤治療以外にさまざまな要因があるわけで、何もかもが抗がん剤のせいにできないのも確かだ。というわけで、下痢が原因の体重減少なのだが、顔が痩せたのをどうしよう、という悩みだ。あれ、そうだっけ?1回目の抗がん剤治療終了から1週間経ったが、幸い、それほどつらい副作用は出ていない。これからだとは思うが、食べているし、飲んでもいる。仕事もしているし、割と眠っている。(ちょっと不眠気味だが、トータルでは5〜6時間)幸いだ。ランチは煮込みハンバーグとブロッコリーにした。夜も栄養のあるものを食べよう。
2024.08.24
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ベッドで寝ようとしたら、誰かが手を握ってくる。ベッドの端、壁ギリギリのところ、布団の膨らみをめくると、目を瞑った夫がいる。私の手を力強く握り締めてくる。なぜそこに夫がいるのかわからないが、私は言葉を発せずにいる。その刹那、夫はハッと目を見開いた。瞳はブルー。喋らないのに、「おなかがすいた」と言っていることがわかる。私は大きなフライパンで肉や野菜を焼いて、チーズをかけたボリューム満点の料理をつくり、夫に食べさせる。……なんだ、この夢。まだ続きがあるのだが、支離滅裂で、文字にするのが難しいので割愛。ただ、色は明確にあったし、夫の顔は夫だった。これまで、何度か夫が登場する夢は見たが、夫の顔ではないことばかりだった。夫の顔をした夫が夢に登場したことに、「うれしい」という気持ちは多少あったが、シチュエーションが奇妙過ぎて、目が覚めてしばらく、「なんじゃ?」の気持ちがまさった。(夫は2年前に亡くなっています)食欲は大変強い人だったし、毎日私の料理を食べて満足気な顔をしていたので、ありがちな夢なのかもしれないが、蘇ってまで、あんなに食欲を爆裂させなくても、と、夢が暗示することを知りたくなった。ネットで調べてみたら、「夫が生き返る夢は、近々幸運が訪れるメッセージ」「再スタートの意味」「運気がリセットされ、よい出来事が起こる」と。そうなの?「再スタート」→「がんが寛解」「運気リセット」→「新しい出会い」ないない。とはいえ、これまでの仕事や生活を一気に変えてしまうのにいい機会、なのかも。治療中は、副作用や体調不良でこれまでのようなペースで仕事はできないだろうし、それならば、店の維持費を確保するのは難しい。積極的に何かをする、という状況ではないが、まず引き算をして、無理なく生きていける状態にし、そこからできることを考えようか。天満のエロ男爵こと「ヘルシンキの君」に怖い主治医に見せた原稿(がん医療に関する紙媒体の書き換えコピー)を見せたとき、へ「ヘぇ、こういう仕事、またもらえるかもよ」などと言われた。病院(怖い主治医含む)からは無理だろうけど、そういう仕事に復帰してもいいかもしれない。アマゾンで電子書籍を出版したことがある。キンドル版だけだが(書籍はつくらなかった)、気軽にできる作業なので、また何か書くか。それとも、昔からしたかったことをやってみるか。……何もないなぁ。仕事ばかりの人生だったから、仕事で使う車にちょっと興味を持って、外車をあちこちに見に行ったことがあるくらいで。趣味もないし、得意な手芸もない。(手芸は一通りできる。編み物、刺繍、裁縫…、が、「作業」としか捉えられず、趣味にならない)ゴルフは10年くらいやったけど、私のゴルフはスポーツゴルフで、ゆったり、のんびりやる感じではない。自分の思った距離、思った方向、思ったインテンショナルで打てなければ、決して満足しないという切迫したゴルフなので、楽しくないし、一緒に行っていた人々はもうおじいちゃんばっかりだ。趣味が仕事になるのが一番、というけれど、仕事にするなら、趣味が苦痛になろう。と、いろいろ考えながら、しばらく楽しもう。病気になって以来、未来のことなどちっとも考えなかった。処理しなければならないこと、会っておかなければならない人、行っておくべきところ、なんてことばかり考えていたし、全てをなし得ることは無理だと、焦燥感に駆られてばかりだった。久々に見た夫の顔に和みながら(とはいえ、決して柔和な顔ではなかった。目はブルーだし、腹が減って険しい顔をしていた)今晩も出てこい! と言いながら眠ることにしよう。
2024.08.22
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最近のこのブログのテーマは私の闘病記になっている。その中で頻繁に「怖い主治医」と「虫けら」という表現を使っている。「虫けら」は私。「怖い主治医」は、昨年6月の手術以降、虫けらの主治医となってくれている消化器外科部長。偉い先生である。虫けらより2〜3歳年下の計算。(あくまで計算上。留年や浪人の歴があれば、この限りではない)怖い主治医は、私を「虫けら」のような目で見るから、「虫けら」と呼んでいる。どんなときに虫けらのような目で見られるのか、例えば、▶︎外来診察のとき、ドアをノックした後入室し、「よろしくお願いします」「失礼します」と言いながら丸椅子に腰掛ける。怖い主治医はモニター画面を見続けていて、無言。10秒ほどして目の端だけを動かして虫けらを見て「あ、こんにちは」と虫けらを見るような視線と冷たい声で言う。虫けら、打ちのめされる。(ややこしい。真ん中の虫けらは本物の虫けら)それでなくても、検査結果が悪いのではないか、怖い主治医からひどいことを言われるのではないか、つらい治療を言い渡されたらどうしよう。などという不安や恐怖の感情が渦巻いているのに、この塩、いや、氷対応は虫けらの心を震え上がらせるのに十分な効果があるのだ。そして診察後、虫けらが診察室を出るやいなや、次の患者の入室を促すアナウンスをする。「早く出ていきやがれ」「お前に使う時間はねぇ!」と言われているかのようなネガティブな心境に陥る。大して時間を使ってもらっていないのに。そんなに疎ましいんかい、と。例えば、▶︎診察時の会話。怖い主治医の言葉に続けて、虫けらが何かを言うと、必ず否定する。否定しないまでも、違う意見を言う。怖「何か薬、飲んでる?」虫「いえ。でも、サプリは少し」怖「どんなもの?」虫「ハイチオールCとかビタミンD…」怖「それは問題ないけど、副材でビタミンEやAなんかが入っていたら、肝臓に影響あるよ」血液検査で、肝臓関係の数値が基準値よりわずかに高かった。(問題にしたのは虫けらだったが)この虫けらの言いようだと、「ほかの原因かな」となりはしないか。その後に副材の話をするならまだしも。虫けらが主治医の言いように納得できない表情をすると、怖「気になるんやったら、いろいろ検査するよ」と、内心苛立ちながら、しかし飽くまでも冷たく静かな声で言う。この言葉に何かを返せる患者がいるだろうか。いつも観念せずにいられない。とりあえず、虫けらが意見や疑問を口にすると、それに同意も賛同もしない。(することもあるのだが、それは別記とする)例えば、▶︎転移を知らされたとき。造影剤撮影の画像を見ながら虫「このままだと、後どれくらいですか?」怖「1年」即答か。しかし、これには虫けらは余り動じなかった。怖い主治医はそういう人だとわかっていたし、「一概には言えません。あなたの体力や治したい気持ちの強さで変わってきます」なんて言われたら、かえって疑心暗鬼になる。しかし、虫けらのような状況の人間にこんなに端的に言うものかとも思う。(状況:家族なし、一人暮らし、仕事持ち、女)怖い主治医は怖い主治医なりに、虫けらの傾向を分析してくれた部分もあると思う。言葉多く語るより、端的に一言で言い切った方が性格に合うと思ってくれているような気がする。……違うか。これは怖い主治医の主義のような。ま、この比類なき端的さは、さすがに虫けら相手ならではだとは思うが。「いじめたい」」「悲しむ顔が見たい」というサドチックな意思がないとも言えないのが怖い主治医の怖いところである。しかし、こうした怖さは、最近変容してきている。それは、虫けらがれっきとした「患者」に昇格したからだ。これまでは、検査程度の薄い儲けしかもたらさない「エセ患者」だったが、先日の「入院・手術・治療」から、それなりに儲けの出る患者になった。しかも、意図せず個室を取ってしまったので、看護師にも大変やさしくしてもらった。怖い主治医とて、その認識に大差ないものと思われる。言葉を尽くして説明してくれるし、虫けらの意見もじっくり聞いてくれる。とはいえ、これからの治療は数値と画像を挟んで淡々と進んでいくものだ。感情を挟む隙はない。感情が加わる場面があるとすれば、虫けらが「つらい」「もういい」と言うときだけだろう。入院時に見た、意外な怖い主治医の素顔とて、治療には何ら影響を与えない。怖い主治医はもちろん、虫けらもそういう姿勢だ。ただ、治療の目的が微妙に違うので、いつか、きちんと修正しないといけない局面が来るだろうと思う。それまでは、淡々と。けれどたまには、冷たい視線ではなくあのやさしい眼差しで、温かい言葉をかけてくださいよ。怖い主治医先生。
2024.08.21
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きのうは、大好きな寿司(回転)を食べに行きたいと思いながら、雨と熱発(37.9℃)のため、断念した。まる二日近くうまく出ていなかった便がようやくお目見えしたと思いきや、すぐに水様便に変わってしまって、朝までに10回以上トイレ通いをした。本日は、曇りながらお天気が持ちそうだったので、いざ寿司へ!熱は、●19日午後 → 37.9℃● 20時 → 37.2℃●20日06時 → 36.9℃●20日14時 → 37.3℃以後、ずっと37.3〜37.4℃もともと体温が高く、このくらいでは通常と変わりなし。ただ、熱が上がる理由があるのだろうとは思う。寿司(生もの)は問題ないようだ。冷たい飲み物は影響しているかもしれない。怖い主治医から、冷たい飲み物が飲めなくなるかも、と何度か脅されていたのだが、氷をしこたま入れたお茶や焼酎のソーダ割りを飲んでも全く「冷たすぎる」「刺激が強い」と思わなかったので、いつもと変わりなく飲んでいる。発熱と下痢は連動しているだろうと思う。(腸が動いていないようだ。抗がん剤の副作用か)きょうも10数回トイレ通いに励んだ(継続中)。あすは、冷たい飲み物を控えるか。(飲めるうちに飲んでおきたいのだが)味覚については、「醤油」は香りも塩味もはっきりわかった。魚は、繊細な味わいが脱落していた。甘めのシャリは、そのままの味だった。ビールは苦味が薄かったように思う。きのうもそうだったが、舌に薄い膜がかかっているような感じがする。口内炎はまだ出現していない。回転寿司屋の入っている商業ビルの地下に食品売り場があり、そこで、購入したお菓子がひどくおいしくて、驚いてしまった。結構お高かったのだが、イタリアのお菓子のようで、衝動買いしてよかった。見た目はパイだけれど、生地がパラパラ落ちることなく、シュークリームの皮をパリッとさせたような感じで、中にミルククリームが入っている。パクパク食べた。甘味に対する味覚の変化は余りないようだ。仕事が仕事だけに、この程度の味覚変化でも、致命的なのだが、できるだけ繊細な味付けを避けて、体得しているレシピを駆使しながら、仕事を続けていきたい。問題は、指先が冷たさに敏感になるということ。いまのところ、水道水もぬるいので全く問題はないが、冬が近づくと……恐怖である。口内炎にも要注意。が、いまは発熱と下痢か。そんなこんなの4日目だった。
2024.08.20
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17日(土曜日)の午後15時に抗がん剤点滴が終了。きょうでまる二日が過ぎた。気づいた症状は、【便 秘】●17日〜18日午後にかけて便秘 下痢体質のため、まる1日以上の便秘はつらい 病院食にすると、6食分程度がおなかの中にある計算●18日午後から少しずつお目見え 夜中まで5回ほど●19日早朝、ようやくおめみえ●午後、下痢に転換。水様便 夜までに6回ほど。腹痛はなし【熱 発】●19日午後、暑さを感じる。少しふらつく 37.9℃。ベッドで休むと、6時間ほどで37℃に●平熱が36.6℃なので、大した熱発ではないが、 ゼリー飲料や水分補給程度しかできない●夜になって、空腹であることに気づく(食欲あり)【味 覚】●起床時にお茶を飲むが、ハトムギ茶の味がおかしい●香りは感じる●そばを食べたが、うっすら味が薄い●甘味は余り変わりないが、塩味は少し薄く感じるかも●舌に薄皮がかかった感じ【感 覚】●口内が冷たさに対して過敏になるとのことだが、 いまのところほぼなし。口蓋垂あたりに 違和感があるが、通常の飲食に問題はない●手の指先は、冷たいものにピリピリする 足はわからない 指先のピリピリも、2度目は緩和される【体 内】●タニタの体組成計で計測すると、体内年齢が上がった●病院食を完食していたにもかかわらず、体重が減った●入院中運動が不十分だったせいか、体脂肪率が上がった●全体的に数値が悪くなった(治療のせいか、 入院のせいか、退院してからの生活のせいかわからない)これから考えられる副作用は「口内炎」「皮膚障害」「脱毛」など。気づいたこと、変化があれば、記していこう。
2024.08.19
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CVポートの留置手術と初回の化学療法のための入院が終了した。初回の化学療法は、患者の状態を監視するためで、虫けらのような急性期症状が出なかった患者にとっては、余り意味がないようにも思われるが、それは、やってみないとわからない、という話だ。幸い、虫けらには災難が襲ってこなかったが、すぐに対処が必要な症状が出る人もいる。病院にとって、この入院は、儲けにならない医療行為だそうで、しかし、患者の安全のためには仕方なく受け入れる、という類のもののようだ。そんなことはつゆ知らず、虫けらは個室を取っていたので、看護師の皆さんはとてもやさしく接してくれた。(それだけじゃないだろうが)4人部屋のときにはなかったサービスも受けた。(大した話ではない。冷蔵庫の使用が無料だとか、「ゴミを捨てましょうか?」と聞いてくれたり、ブラインドの上げ下げをしてくれようとしたり。結局、虫けらが自分でしたが)ありがたい。副作用は、これから出るものがある。急性期症状はなかったので心配なし。吐き気や食欲不振などは、ある程度出ても、次の治療までの2週間以内に一旦治(おさま)る。治療でまた出て、また治るの繰り返し。しかし、手足のしびれ、味覚障害、知覚過敏、脱毛や皮膚の障害などは、一旦出たら出っぱなしである。化学療法を終えない限り、治らないのだ。これが厄介である。では、「終える」「やめる」のはいつなのか。通常、化学療法だけでがんが消滅するということは稀だが(がんが発生した部位やステージによる)、これが達成できれば、治療終了となる。あるいは、複数あるがんが減り、放射線治療に切り替える、外科手術が可能になる、それ以外の治療法を望む、という場合だろう。それか、もう、効果の望める抗がん剤がなくなった、というとき。虫けらの場合で言うと、最後の場合しかない。つまり、生きたいと思っている限り、化学療法しかないということだ。それはそれで嫌なので(そんなことを言うと、怖い主治医に「終わらせません」と説教される)、状況を見て、打ち切ることを考えている。それは「いつ」「どんな場合」とはっきりとは言えないけれど、副作用に苦しむ状態を解放されてから死にたいと思っているので、それを見極めるのは、とても難しいと思う。幸い、怖い主治医は状況をきちんと教えてくれるし、こちらの意見も聞いてくれるので、話し合いながら、ということになるだろう。とりあえず、退院して家に戻り、洗濯物を済ませてからワインを飲みながらお菓子を食べている。病院のように、決まった時間にご飯が出てくるわけではないので、「おなかがすいたら食べよう」なんて思っていたら、一日じゅう食べないということになりそうだ。これは、治療のせいではなく、そもそも虫けらは食に対する欲がないので、「食べたい」と余り思っていない。おなかがすいたら食べればいい、という生活なので、これからは気をつけなければいけない。栄養をきちんと摂って、痩せないように、筋肉が落ちないようにしなければならない。実は、大好きな寿司を食べに行きたいと思っていたのに、更新したクレジットカードが届くため、家を出ることができず、寿司を食べ損ねてしまった。きょうは大丈夫だと思ったのだが、これからは免疫力がどんどん低下するので、生ものには注意しなければいけないと思う。食べられるものが少なくなるのは嫌だな。とりあえず、あした、寿司に行こう。と決意し、夕飯のことを考える。
2024.08.18
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アップが後先になるのだが、16日の夜、「地獄、いよいよ始まる」で、怖い主治医が病室に訪ねて来てくれるか、くれないか、という書き込みをした。その日、もし訪ねてくれたら、3日連続になる。前日の夜、部屋を出るときに「あしたも明るい笑顔で会えるように」という何ともやさしい言葉を残してくれた怖い主治医。多分、訪ねてくれるのだろうと思いながら、1日目は19:30過ぎ、2日目は19:30前に訪ねてくれたのに、20:00になっても……。虫けらの聞き間違いなのか?仕事が押しているのか?はたまた、のっぴきならない用件が入ったのか?YouTubeを観ながらそわそわしていたが、20:30になって、ようやく諦めがついた。そんなこともある。用がなければ、わざわざ患者の病室を訪ねたりしないものだ。1日目は手術のこと、2日目は始まった化学療法の副作用のことをチェックするという用件があった。3日目は、引き続き副作用のチェックくらいだろうか。それなら、こんなに遅くなってから無理して来るほどの用件とも思えない。20:45、グルーミングして寝よ。洗面所で用を済ませ、点滴スタンドをゴロゴロ引きながら、物入れの前でスキンケアを済ませた瞬間、ドア付近で物音が鳴った。そちらに顔を向けると、素早く部屋に入ってくる人物が。怖「こんな時間に、すみません」虫けら、固まる。驚き過ぎて言葉が出ない。不意過ぎる。待ちわびて、待ちわびて、来なかったと諦めて帰りかけたとき、待ち合わせ場所に恋人が突然現れたような驚きと感動。違うわ。消灯直前に夜這いされたような恐怖。もっと違うわ。虫「お忙しかったんじゃないですか? こんな時間に訪ねてくださって…」そこまで言ったら、点滴スタンドを蹴って倒しそうになり、ハンドルに掛けていた心電計を落としてケーブルを抜いてしまい、わちゃわちゃしながら体勢を立て直して怖い主治医に向き合う。といっても、ベッドを挟んでいるので、結構距離があったが。虫「もう来てくださらないと思った」怖「そんなことはないよ」な、なに? この少女漫画のような展開。何があっても来てくれるつもりだったということ?…自分のアホ過ぎる妄想にハッとして我に帰り、怖い主治医の話を聞く。怖「ちょっと検討したんですが、次の外来日を 変更させてもらいます」と、再来週に設定されていた木曜日の外来日を次の週の月曜日に変更する旨と理由を告げられた。怖い主治医が話していると、館内放送が。消灯のコールである。部屋の明かりが消える。よかった!珍しく、ベッドの上にある間接照明をつけておいたのだ。これがないと、真っ暗になる。ドア横にあるスイッチまで行かないと点灯できないが、点滴スタンドを押してごちゃごちゃしていたら、慌ててつまづいたり、転んだりして、恥ずかしい思いをすることにもなりかねない。何もせずとも、怖い主治医の話が続き、少し暗くなって、ムーディーさが増した空間で、会話が続く。虫けらとしても、木曜日の外来が難しいように思っていた。外来で処置した後、抗がん剤を家でも点滴するのだが、それを外すために病院に来る必要がある。それが週末にかかると、スタッフが少なく、段取りが悪くなるのだ。しかも、怖い主治医の外来日は金曜日。木曜日に来るとなると、他の医師に担当してもらうということになるのか? と疑問を持っていた。虫「月曜日に来ることは問題ありません。 でも、先生の外来日は金曜日ですよね。 ほかの先生が診てくださるということですか?」怖「いえ、僕が診ます」虫「月曜日に?」怖「そう。特別ですよ(笑」虫けら、思わず頭を下げる。いや、よく考えたら、外来に掲げてある担当医師を示す看板に怖い主治医の名前が金曜日の当該診察室のところと月曜日の枠外に記入されていたのを思い出した。月曜日は、私のような患者に対処するための日なのだろう。血液検査の結果を受けての化学療法になるので、その日も怖い主治医に会うことになる。退院以降、最初の診察か。どんな感じになるのだろうか。転移が発覚するまでのような、冷え冷え〜の3分間、ということにはならないだろうが、怖い主治医は冷静沈着なタイプだし、虫けらも意味なくよそよそしい雰囲気を醸す変わり者だから、これまでと大して変わらないだろうなんて、妄想をしていたら、怖い主治医の説明は終わっていた。怖「何かわからないこと、ありますか?」虫けら、次に、怖い主治医に会ったときに聞こうと思っていたことがあったことを思い出すが、それが何かわからない。突然の展開と妄想で、思考がパニックだ。虫「あの、きょう外来治療の看護師さんが 『木曜日の予約だから、主治医が変わるのかも』 とおっしゃっていましたが、 これからも先生が主治医ですよね」怖「はい」虫「なら、どうでもいい話ですけど、 『執刀医が主治医になるのかな』 とおっしゃるので、思わず嫌やーー と叫んでしまいました」怖い主治医、珍しく大笑い。怖「そんなことはないよ」虫「それから、まだお聞きしたいことがあって…。 (引き伸ばしに必死) あ、このポート、化学療法が終わったら、 外してもらえるんですよね」実は、病気をしてから2〜3ヵ月に一度、リンパマッサージに行っているのだが、このポートがあると、とても支障になる。外すまで行けないとなると、先が長くなる。虫けらとしては、3ヵ月で終了、としたいのだが。すると、怖い主治医の真骨頂、「終わらせません」が始まった。虫けらが、「状況次第では、すぐやめると言うかもしれません」と言うと、必ずこの話が始まる。抗がん剤を変えたり、スケジュールを変えたりして、できるだけ長くやる、ということを。当たり前の話である。抗がん剤をやめると、治療終了となる。外科手術や放射線ができるようになったのなら、それは終了ではなく、中断であって、必要があればまた再開する態勢でいるということ。治療終了なら、緩和ケアしかできない。もう怖い主治医は主治医ではなくなるし、外科が虫けらを患者として扱うことはない。虫「それから…、あ、コピー、読んでいただけました?」入院初日に怖い主治医が訪ねてくれたときに渡した、がん治療に関する紙媒体のコピーを書き換えたものに対する質問だ。怖「はい」虫「違っていたでしょう?」怖「全然違う。でも…、面映ゆいね」虫「いえ、先生の原稿は全部生かしてますよ。 コーディネートが仕事なんですよ、プロは。 あれは、プロの仕事としては質が低過ぎる。 あんなものが通用する世の中になったのが嫌で、 私は辞めたんです、この仕事」と、虫けらは広告界の現状と、若い人への論評をし、怖い主治医も参戦して、病院の若い医師の話や今回の執刀医の話などもした。虫「先生、学生の頃、スポーツされてました?」怖「いろいろしたよ。バレーボール、サッカー、草野球」虫「草野球の守備は?」怖「ピッチャー」虫「わー、先生らしい」怖「ショートやレフトもやったり…」虫「守備がうまいんですね」怖「うまいんですよ(笑」プライベートな話を、そんなに? というほどしてくれた。ま、これは虫けらの作戦だったのだ。前夜、何を聞き出そうか考えていた。自宅の場所や、出身地、趣味なんかを聞くのは出会い系の話。ストーカー扱いされるのは嫌なので、学生時代の話を聞こうと思っていた。虫「先生、この病院、もう長いですよね。 転勤とか、昇進とかがあるんじゃないですか?」怖「どうやろうね。どんなパターンがあるやろ」虫「コンバートされて、別の病院の院長、とか」怖「ないない」虫「じゃ、この病院の院長」怖「ハンコつく仕事か」虫「先生はそういうタイプじゃないですよね」怖「いや、別にハンコ人生でもいいよ」虫「先生がよくても、患者さんが許さないでしょう」怖「そう言ってもらうのはうれしいけどね。 医者としては、そう言ってもらえるうちが花やね」怖い主治医の今後を一緒に予想する。虫けらが調べて知っていた、怖い主治医の過去の経歴も出して。いや、好奇心から調べた訳ではなくて、紙媒体の原稿を書くために病院のプロフィールなどの資料に目を通したということだ。ま、興味はあるから、怖い主治医のプロフィールは一瞬で覚えたけれど。虫「お仕事は、終わりました?」怖「ん、まだ帰れないな」虫「お忙しいのに、足止めしてすみません。 できることがあったらお手伝いしますよ。 メールで送って指示してくださったら、 仕上げて送ります」怖い主治医、やさしい笑顔でこちらを見る。虫「治療の間は仕事も余りできませんから、暇です。 できることがあったらいつでも声をかけてください。 ギャラは要りませんから」怖「とりあえず、あしたは出て来たくないから、 もう少し仕事やね」虫「無理なさいませんように」30分近く話しただろうか。怖い主治医が出て行ってすぐ、担当の男性看護師が入ってきた。「点滴見にきたら、先生がこの部屋に入って行ったので、待ってました」見られていたのか!虫「治療日程の変更を伝えにきてくださったんですが、 私が足止めしてました。お待たせしてすみません」看護師は、怖い主治医と虫けらが長らく話していたことを変に疑うような素振りは見せなかった。というより、自分の話をしこたまして行った。看護に関する話や、自分の家族の話、登山とかバイクなど趣味の話と、すごい情報量の話を15分ほどぶっ放して出て行った。ああいう人でよかった。ま、別にやましいことはないのだが、30分近く消灯後の部屋で患者と話している怖い主治医をどう見るかは人それぞれだ。そういう心配をよそに、虫けらはうれしかった。怖い主治医が3日連続で病室を訪ねてくれ、いろいろな話を聞かせてくれたことで、決して楽しくない治療に対する沈んだ虫けらの気持ちを明るくしてくれたのは確かである。あー、個室を取ってよかった。もうすぐ退院。よい入院生活だった。もうこんな入院生活は送れないだろうな。これからの状況はどんどん過酷になる。そんなことを一瞬忘れさせてくれた。ありがとうございます。怖い主治医先生。
2024.08.17
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地獄の治療(化学療法)を開始して3日目。薬剤師や怖い主治医から受けていた説明で聞いた副作用は、●初期症状:かゆみ、顔のほてり、蕁麻疹、頻脈、息苦しい●吐き気、食欲低下●手足のしびれ、冷たいものへの過敏、感覚が鈍るだが、私の場合、初期症状は全くなかった。アレルギーのような急性期症状なので、今後は起こらない。吐き気と食欲の低下もなかった。これからは起こりにくいと考えられる。手足の痺れはないが、冷たいものへの過敏はある。本来、冷たいものを飲んだとき、より冷たく感じ、痺れるような感覚が出るようだが、私の場合は、「ミントが入ってますか?」程度。つまり、清涼感程度の感じだった。それはきのうの夜(2日目)から感じ出し、今も変わらない。手足の感覚はわからなかったのだが(冷たいものが身の周りにない)、朝、自販機で冷たい飲み物を買ったら、ボトルを持つ手の指先がチクチクした。「おぉ、出とる、出とる」と感激した。説明の中には「口内炎」があったが、いまのところない。それから、ちょっと便秘気味である。これも症状として掲出されていたが、きのうの朝に出てからお目見えしていない。いつもなら、1日3回程度出会うのだが、1回だけだったし、今朝はまだ出会っていない。看護師さんに症状を申し出たが、対応はしてもらっていない。怖い主治医がお休みなので、きょう、あすの対応は期待できないかもしれない。神経に影響しての便秘なので、簡単な市販薬ではどうにもなるまい。※「今後」「これから」が指すのは、 初回投与後から次回投与までの間。 毎回およそ2週間ある。 そのサイクルで、副作用は出る。 下記の「脱毛」や「皮膚症状」は 一度出たら、治療中は継続する。現状はこんな感じ。脱毛や皮膚症状が出るのはあと3〜10日かかるようだ。嫌な話だが、それまでに必要なものは用意しなければ。最新の医療なのに、こんなに副作用が出るのはどうなのか。開発途中の薬剤ならまだしも、承認薬になっているのにだ。抗がん剤の多くは海外製。確たる理由があって言うのではないが、日本の製薬会社が開発していれば、こうした問題は抑えられていたように思う。日本では、承認薬になるハードルが高いし、開発者のモラル的に、こんな中途半端な状態で世に出すように思えないのだ。研究開発費のせいなのか、海外企業が開発を妨害しているのか、どんな理由があるのかわからないが、さらなる改良を望むばかりだ。 黙考
2024.08.17
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15日から地獄が始まった。昼食後、吐き気どめの点滴に始まって、4種の抗がん剤の点滴バックを1時間、2時間、5分、46時間と、順に交換していく。点滴は、入院すれば、あらゆる場合について回るので、さほど苦痛ではないのだが、通常の点滴と違うのは、滴下速度を厳密にするためにコントロールマシンがついていること。バッテリー内蔵ながら、電源ケーブルがあるので、動くときはケーブルを抜く必要がある。長い時間抜いているわけにはいかない。ソファセットのある広い個室なのに、ベッドの上にいることを強いられる。もったいない。しかも、心電計と酸素濃度計を常につけている。ケーブルが邪魔で仕方ない。左手人差し指には、酸素濃度計をつけているのだが、通常のクリップ型とは違って、巻きつけテープ方式なので、キーボードをタイピングできる。これはありがたい。吐き気どめの点滴をしているせいか、私の場合、吐き気は全くなかった。食欲の低下もない。かゆみや蕁麻疹、息苦しい、頻脈などの過敏症の症状もなかった。いわゆるショック症状に近いので、これがあるとつらいだろうと思う。かくして、初日の点滴は、問題なくクリアした。15時から入れた点滴は、夜をまたいで翌日14時までだが、それが終わるとまた23時間の点滴バッグに切り替える。点滴をしている間はシャワー不可なのがつらい。丸二日、シャンプーができないのかと、看護師さんに相談したら、洗髪してくれてスッキリ。体は持参した「体拭きシート」で何とかなった。昨夜は一睡もできなかった。少し考え事をしていたら、どんどん考え事が押し寄せてきて、あれもこれもが頭の中をぐるぐる回る。頭の中がしんとして、眠気が全く襲って来ない。仕方ないから、眠れるまで眠るまいという姿勢でいたら、朝になってしまった。何を考えていたかというと、一番多数の課題を抱えている処理事。実家の売却や現住居のこと、遺産相続のこと、昨年相続した夫の家の墓の処理のこと、銀行口座や年金、クレジットカードなど私名義の金融関係の事後処理のこと、一番厄介なのが、店の処理。機器類の処理業者を決めておく必要があるし、現在契約している業者への契約解除の方法。そして、葬儀業者との契約と処理方法の決定。急に死んでも大丈夫なように、連絡先と処理方法を書面にしておかなければならない。それに必要な現金の確保とあとを託す姪への説明等々。ある程度の整理はついているが、最終的な作業を早急にしなければならない。それから、退院後の生活のこと。今の状態なら、何の問題もないが、弱ってきたときに、どう生活するか、どのタイミングで緩和ケアに入るか、考えても考えてもキリがない。これは、一人で考えてもどうしようもない部分があるので、専門家に相談するしかあるまい。そうした複雑な事どもの合間合間に挟まってくるのが怖い主治医との会話。手術が終わった夜、病室を訪ねてくれた怖い主治医の怖い顔。意外な展開だったひと時。そして、2日目の夜も病室を訪ねてくれた。私の様子を聞いて、すぐに引き上げようとする怖い主治医を引き止めて話をした。大した話はしていないが、私の話し相手になってくれ、最後には、「あしたも、明るい笑顔で会えるように」と言って帰って言った。きょうも来てくれるのか?幸い、私はきょうも元気だ。嫌な副作用が全く出ていない。もし来てくれたら嬉しいと思う。が、なんか嫌な予定が入っている。自宅で抗がん剤を使用するときの注意事項をレクチャーしてくれるミーティング的なものがあるらしいのだが、時間が決まっていない。主治医が来てくれたときとバッティングするような気がしてならない。何しろ、間が悪い、タイミングが悪い虫けらだから。実は、最初の入院のとき、怖い主治医が訪ねて来てくれたのに、虫けらは部屋にいなかった。パジャマを取りに家に帰っていたのだ。後でそのことを知って、大変恐縮した。今回は、逃(のが)すわけにはいかない。あすは土曜日。怖い主治医は多分お休みだろう。退院が日曜日。話せる機会はきょうしかないのだ。怖い主治医は外来診察の日。16時ころまでは外来にいるだろう。夕食の前か後か。点滴バッグの交換に来てくれた看護師さんにレクチャーの時間を尋ねるも、「わかりません」とのこと。焦るではないか。またまた、虫けらの真骨頂発揮か?虫けらが部屋にいなかったら、再度来てくれるだろうか。無理だろうな。ま、これも運命。私の人生は、そういう人生だったように思う。たまーに、驚くほどうまくいくときもあるのだが。今度、その話を書いてみよう。そんなこんなで、いま、23時間の点滴バッグが交換された。焦っていても仕方ない。昼寝でもするか。
2024.08.16
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昨年来、入院・手術のことや、外来診察の具体的内容、検査での出来事などをこのブログに書き連ねておりますが、自由ページに記載しておりますとおり、私亡き後、家族や友人、知人がこれを見て、病気になった後もこんなふうに生きて、こんなことを考えていたのかと少し楽しくなるような文章を残すのを目的にしております。同じ病に苦しむ方へのアドバイスや、先に経験したことについての忌憚なき感想、今後の治療への期待や展望といった、崇高な念を抱いてのブログ活動では決してありません。日記というか、記録的な単純なものであり、その中にちょっと笑いや驚き、感動を織り交ぜて、私なりのコラム的、ノンフィクションドラマ的に仕上げております。娯楽の一環としてご覧いただければ幸いです。ただし、治療や医師との会話については真実に基づいておりますので、何らかの参考にしていただくことは一向に問題ございません。というわけで、これからも地獄の治療を初め、今後経験するあれやこれやを書き連ねて参りますので、何卒よろしくお願いいたします。病気や治療についてのご質問があれば、わかる範囲でお答えしてまいりますので、コメント欄に記載していただければ幸いです。残命1年と言われたのがもう3ヶ月前。それほど長い時間は残されていないのですが、体力と状況の許す限り書いていくぞー! 感謝
2024.08.16
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生き地獄の1時間が終了し、手術室から病室に戻った。早速手術着から自前のパジャマに着替え、PCを開いた。一連のことをブログに書き留めておこう。「地獄の前の生き地獄」を書き始める。このとき17:30くらい。食事は18:00前なので、それまでにブログを1編だけ書き終えることができるだろう。なぜ、時間を気にしているかというと、病室まで怖い主治医が来てくれるのではないかと期待しているからだ。手術に関して聞きたいことがあるのが一つ。手術中に来てくれなかったのはなぜかというのが一つ。それから、前回の外来のとき検査待ち中に手にしたがん治療に関する紙媒体のことを話題にした。怖い主治医に勘違いされるような言動をしたことの後悔があり、説明するための原稿を書いてきていたので、それを渡したいという、この3つの目的を果たすためにどうしても怖い主治医と話がしたいのだ。怖い主治医が来てくれるとしたら、タイミングは食事が終わってからだろう。虫けらは、そんな時間に主治医と病室で面談したことはないが、以前の入院のとき、廊下を歩いていたら怖い主治医が病室から出きたことがある。それが夕食後のタイミングだったのだ。しかし、虫けらの病室に怖い主治医がやってきてくれる確率は低いようにも思う。なぜなら、執刀医の方が今後の注意事項のような説明をしにくる必要性があるからだ。来てくれなければ致し方ない。が、多分来てくれるのではないかと、なぜか虫けらには確信のようなものがあったのだ。ところが、19時を超えても怖い主治医が来ることはなかった。やっぱり来ないか。19時半を過ぎた頃、ベッドに座って、ブログの2編目を書いていると、ドアがトントン、と鳴った。このタイミングだと、看護師のバイタルチェックか。ドアを開けて入ってきたのは、大きなシルエットの男性。虫けらは老眼鏡をかけていたので、よく見えなかったが、多分怖い主治医だとわかった。メガネを外しながら、虫「あら、こんな遅くに。先生、お疲れでしょう?」と言った。怖い主治医はとても怖い顔をしている。びっくりするくらい鋭い目。こんな目は、これまでに見たことがない。しかし虫けらはなぜか怖くなかった。怖い主治医を責める材料がたくさんあるので、こちらのペースで話を持っていけると踏んでいたからだ。強く出るとやさしくなるのが怖い主治医。ベッドを降りて靴を履く。ベッド近くに立ったまま怖「どうでした? 手術は」と聞かれる。依然として鋭い表情をしている。虫「痛かったです。生き地獄みたいな痛さでした」怖「そんなに痛かった?」少し心配気だが、表情は硬いまま。虫「先生が執刀してくださるんじゃなかったんですか?」怖「怒られると思ってたんや」怖い主治医が表情を緩めて笑った。え? まさか、虫けらが怒るのが怖かったの?怒られるのを覚悟してた顔があの怖い顔?虫「先生、おかけになりませんか?」と、奥のソファセットを指し示した。怖「いや、いいよ」と顔を歪める。???なんで? この病室には椅子がない。4人部屋にはパイプ椅子があり、以前はそれに座って、ベッドの上の虫けらと面談してくれた。この条件下でなぜ座るのを嫌がるのかわからない。怖い主治医は、本当に真意がわからない人だ。答え合わせができるときが来るだろうかと、いつも思う。虫「そうですか」怖「いい?」『いい』の意味が不明。立ったままでいいか、ということなのだろうと勝手に考え虫「はい」怖「僕がやるつもりやったんよ」虫「先生からはお聞きしてませんでしたが、 看護師さんが、執刀は先生っておっしゃってました」怖「そやねんけどな。 夕方やったら僕できるでって言うたんやけど、 やりますよって」なんでそんな主張をするのだ、あの執刀医は。身の程知らず! と罵ってやりたい。患者はあんたの実験台でもおもちゃでもない、と。虫「手術の途中で、先生が来られると聞いてましたけど」怖「行ったよ」虫「え? いつですか?」怖「顔見たら、痛そうな顔して目つむってたから 声かけへんかってん」虫けらは、手術中ずっと目を開いていた。目をつむっていたとしたら、ほんの一瞬だろう。そんな時に来るか?これが間の悪さ、タイミングの悪さにかけてはピカイチの虫けらさまの真骨頂なのだ。虫「声をかけてくださったら、少し元気になれたのに」怖「元気になれた?」何の質問だか。単なるおうむ返しか?虫「地獄をさまよってましたから」虫けらは手術痕を怖い主治医に見えるように向けた。虫「いっぱい切られたし、腫れてるし、 ここなんか、これで正解か? って疑問やし」怖「あ、たくさん切ってるね」怖い主治医は他の医師のやったことを評価しない。多分、どの医師もそうだろうと思う。患者と一緒になって他の医師の悪口を言う医師など見たことがない。よって、虫けらが訴えるだけの愚痴になってしまった。修正手術が必要など、よほどのことがない限りこのままだし、もう怖い主治医に執刀してもらうことはないのだ。諦念するしかない。怖「血液検査の結果やねんけどな」虫けら、ハッとした。血液検査など気にもかけていなかった。入院の検査項目になかったからだ。前日までたくさん酒を飲んでいた。虫「血液検査、いつされたんですか? いかん! ぬかってました」怖「手術中、ちょっと横から抜いてもろた。 そのためにわざわざ針刺すのかわいそうやから」虫「お声、聞こえなかった」怖「こそっと言うたもん」なぜ、身を隠すような仕草をするのだ。こちとら、怖い主治医の登場を待ちに待っていたのに。本当によくわからない人だ。手術中に虫けらが、「なぜ、先生が執刀してくれなかった!」と苦情を言うとでも思って、それを恐れていたのか。怖「熱ある?」デジャヴーである。以前もこう聞かれたことがある。虫「CRPが上がってました?」怖「お酒、たくさん飲んだ?」虫「はい。大変たくさん。 そのために入院を先延ばししたようなものですから」怖「そんな感じはしてたんやけどな。 ほんの少し高いだけやねん。何もない正常なときと、 ちょっと高いときがあったやろ、 ちょっと高いときぐらいやねんけどね」それは嘘だ。血液検査があるとわかっているときは、少なくとも1週間、長いときは20日間酒やサプリを抜いたりした。今回は、ずっと飲んでいた。サプリも。5月最終日の前回検査以来2ヵ月半、旅行、誕生日、会食、飲み会、お客さんと店でと、機会あるごとに飲み倒していた。治療に入ったら、酒を飲めないかもしれないと覚悟して、飲めるうちに飲んでおけとばかりに飲んだ。数値もかなり上がっていたはずだ。肝臓系、CRP、消化器系はもちろん、腫瘍マーカーも上がっていたに違いない。多分、怖い主治医のやさしさだろう。「悪かった」と言ったところで、今回の治療に何らいい影響を与えない。心配させないこと、ストレスを与えないことも治療には必要なのだ。わかってますって、虫けらでも。ありがとうございます。怖い主治医先生。そうだ!あの、紙媒体のことを言わねば。虫「先生、先日、失礼な物言いをしてしまって、 あ、『下手くそ』っておっしゃったのは先生ですけど」虫けら、ファイルから数枚の紙を引っ張り出して虫「私の言った意味を理解していただくために 書いてきました。これを読んでいただいたら、 何が言いたかったのかわかっていただけると思います」怖い主治医に紙を差し出す。怖い主治医がそれを手にして怖「へぇ、すごいな。 ほな、もうこれをホームページに載せよか」調子のいいことをおっしゃる。読んでからにしてくださいな。虫「タダで使っていただいて結構ですよ」怖「タダ…」怖い主治医、笑う。虫けら、昔はそれを本業にしていたのだからそれなりの金子(きんす)はいただいていたのだ。そのことを知らない人には、お金のことを言う虫けらががめついと思われるだろう。訂正や言い訳はしなかった。昔の本業の説明をすることもしなかった。そのとき(前回の外来時)、一応そういう(印刷物を作る)仕事をしていたとは言った。それで十分だろう。ここで虫けら、さらに大胆な行動に出る。虫「先生、もう一つ、わがままを聞いていただけますか?」怖「何?」そう言いながら、やけにニコニコしている怖い主治医。これはどういう関係と比喩することができるだろう。「友達」ではないな。そこまで打ち解けてはいない。「上司と部下」怖い主治医が上司だとしたら、こんなに下手(したて)に出てくれる上司はいないだろう。「先生と生徒」私が従順でもないし、かわいくもないので、生徒ではあり得ない。しっくりくる関係が思いつかないが、医師と患者ではないことは明らかだ。いずれにしても、これまでの怖い主治医と虫けらの関係では考えられなかった言動を展開していた。次に発した虫けらの言葉がその証左だ。虫「先生、一緒に写真撮っていただけますか?」虫けらは拒否されることも想定していた。理由は何とでも言える。怖い主治医なら、うまく断るだろう。何なら、嫌な顔一つで断ることができる人だ。怖「いいよ」あっさりと承諾。これには、虫けらの方がびっくり。カメラを回転させてツーショットの自撮り方式。怖「これ、左右反転するけど、いい?」何にこだわっているのだ。そうなるのは必至。それが嫌だとして、どうやって撮るのだ。これが医者脳、理数脳というやつだろうか。虫「左右逆でもさほど違いませんから、こんな顔」ツーショットに収まろうとすると、怖い医師が大変長身なことに驚く。虫「先生、背が高いですね」怖「高いですよ」何だその返しは。いつもおうむ返しだ。虫けらがカメラを持って撮ろうとするとフレームにうまく収まらない。怖「僕が撮ろか?」虫「いいですか?」怖い主治医が虫けらのスマホを手に取る。高い位置から構えると、うまく収まった。2枚ほど撮る。怖「マスク取ってもいいけど」何ということだ。サービス精神旺盛だ。というか、マスクを取った方が男前と自負しているのか。すごい自信。虫「素顔、いいんですか?」怖「どこにも出せへんねんやったらいいよ」どこに出すというのだ。自分の顔すら出さない虫けらが、他人様の顔を公に晒すことなどない。虫「どこにも出しません。遺影にします」怖「またそんなこと言うて…」怖い主治医が少し表情を曇らす。虫けらはいつもそんなことを言っている。死ぬ、死ぬ言うのが癖なのだ。無事、マスクなしのツーショットをいただく。(実は、マスクなしの主治医を見るのは初めてである。マスクを取っても違和感がなかったので、よかった、よかった)自撮りに慣れていない虫けらは、視線がおかしかったが、怖い主治医はバッチリ表情をつくり、カメラ目線で写っている。この表情は、もしやプレイおっさんか?(プレイボーイという年でもないので)遊び慣れたおっさんかもしれない。虫けらは、いろいろ間違っていたように思う。怖い主治医の人物評価が最初からおかしかったのかもしれない。胃を痛めた日々を激しく後悔している。もっと話しておけばよかった。最後に聞かれたのが、怖「個室、希望してた?」どういう意味だろう。何が引っかかったのか?貧乏人の虫けらに、個室料金が払えるか心配しているのか?虫「はい、副作用でゲーゲーしたら、同室の皆さんに申し訳ないので」怖「それはあんまりないと思う」いや、その回答より、何で引っかかったのかを教えてくれい。怖「吐き気より、冷たいもん飲んだらびっくりするかもしれない。 普通の水を飲んでも、冷たい炭酸水飲んだ時みたいな刺激が あると言う人もいる。 テキーラは知らんけど」なんじゃ、その最後のぶっ込みは。虫「そんなきついお酒、飲めません」虫けらも何つまらん返ししとんのや。「テキーラ一杯飲むんだったら、ワイン10杯飲む方が得な気がします。酒飲みとしては」(アルコール濃度から割り出した数字)くらい言いなさい。怖「きょうはよく休んでください」とやさしい言葉を残して怖い主治医は去っていった。ドアが閉まった後、その場に立ち尽くす虫けらだった。どう咀嚼して、どう昇華したらいいかわからない時間だった。交わした会話を反芻し、怖い主治医の表情を脳内再生しては、ニヤニヤしたり、?を浮かべたり、失敗した! と後悔したり。しかし、この経験は、個室でなければできなかっただろう。もしかしたら、こういう事態も見越していたようにも思う。入院が決まったときから個室と決めていた。虫けら、すごい奴だったのかもしれない。死ぬ前の人間は美しくなり、勘が冴えるという。ふむ。勘が冴えていたのだな。……まだ美しくはなっていないが。なら、しばらく死なないのか。 完
2024.08.15
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執刀医が交代したことを知り、撃沈された虫けらは、意気消沈して無表情になっていたようだ。手術台傍の看護師がしきりに「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。「途中でいらっしゃるようです」!!!怖い主治医が手術途中で手術室に来てくれるという。これを光明にしよう。もし、若い執刀医が下手な手術をしていたら、きっと指導したり、代わったりしてくれるだろう。「ちょっとチクっとしますよ〜」と若い男の声。左手の前腕部中央あたりに注射針が入ってきた。術中の点滴のためだろう。い、痛い。虫けらは注射の痛さにとても強い。しかし…これは痛い。痛い。痛い。探っているな。4回探られて、痛すぎて声を出した。虫けら「大変痛いです」「あ、痛いですよね。…抜きます」この病院の外科は注射がすこぶる下手だ。内科は上手だった。痛みもなければ失敗もなかった。前回の手術のときも外科で2度失敗されて、人がチェンジし、3回目も危なっかしかったが、虫「前(内科)はここに刺しておられました」と指示し、ようやく入ったという経緯がある。結局前腕部で場所を見つけることができず(虫けらが、以前はここに打ったと言ったが、採用されず)、手の甲の血管に打たれた。ここは皮膚が薄く、痛い上に点滴液が入りにくい。実は、長い人生でこんなところに打たれたのは初めてだ。虫けらの血管は体表に出ている上、とても太い。これまでの看護師さんは、「打ちやすいわ」と言っていた。なぜこの病院の外科はこんなに下手なのか。先行きを暗示するようで、さらに意気消沈するのであった。執刀医「ベッド、ちょっとずらそか」全員でガサガサと作業。執「エコー、こっちに置こか」看護師がガサガサと作業。執「ここにあれ持って来て」助手的担当医がガサガサと作業。こういう、術前にしておくべきことを30分近く。虫けらは鯉のまま手術台の上でさらに意気消沈。こういう、段取りの悪い医師が上手なオペをするわけがない。不安や焦りというより、体がペラペラになるような感覚。何というか…感情を失い、生命体としての厚みを失い、手術台に張り付く薄い物体になった感じだ。かくしてオペが始まる。消毒作業、エコーで切開部の確認、器具の準備、と進んでいくが、もう一切信用できない気分。何をされても疑心暗鬼になる。部分麻酔。痛い。場所を変えて何度も刺す。痛い。首の切開は、痛くはなかったが、しばしば何をどうしたらそんなに痛いのかという激痛が襲う。首の皮膚が引っ張られて、麻酔の効いていない皮膚の内部が痛い。どんな手術をしているのだろう。見てみたいが、顔には布がかかっているので、何がなんだかわからない。虫けらは痛みには強い。これまで、一度も「痛い」と声をあげたことがなかった。痛いという感覚があっても、我慢できたのだ。しかし今回、辛抱できなかった。これまでと何が違ったのか。「信頼」だと思う。この先生なら、きっと変なことはしていないだろう。このくらいの痛みは当たり前なのだろう。痛いと訴えても、作業が進まなくなるだけで、こちらにはメリットはない。先生がやりやすいなら、我慢しよう。と思えたのだ。が、今回はそんな気持ちにはなれなかった。ここで口を開かないと、無茶苦茶にされるのではないか、ひどい傷口にされてしまうのではないか、そう思ってしまった。と同時に、「早く来てください」と怖い主治医が来るのを願った。しかし、相当の痛みに耐えた後、もう辛抱できないと口をついて出た言葉が虫「痛すぎます」執「麻酔足します」なんだ、もっと早く言えばよかった。このやりとりが何度か続いた。麻酔注射も相当痛い。首や鎖骨下という、人間の体の中では敏感な部分にグイーッと麻酔薬が入って来る痛みは相当なものだ。10回ほど追加麻酔をされたとき、虫「全身麻酔にしてください」と言った。もちろん冗談である。この手術は局所麻酔と決まっている。だが、こうでも言うしかないほどの苦痛だったのだ。そう言いながらも、目を閉じたら痛みが増すような気がしてずっと目を開いていた。すると、痛みのせいか、手術室の空気が乾いているせいか自然と涙が出た。下にしている左目からずっと涙が流れていた。さまざまな痛さの間に、執刀医の軽すぎる言葉が懸念や不安を増長させた。執「あ、そういう感じっすかね」執「いいんじゃないっすか」執「もうちょっと足しとこか。別にええけど」執「ズバッといく人もいるけどな」言葉から想像されることを脳裏で図にすると、自分が傷ついたり、ぞんざいに扱われたりしているのがまざまざと理解できるのだ。1時間の阿鼻叫喚地獄だった。虫「顎がち切れるー!」虫「尋常じゃない痛みです」虫「こんな痛みあります?」何度か痛みを訴えたが、麻酔の追加以外、何ら対処してもらった気がしない。結局、怖い主治医が来ることなく手術は終了した。大変不安だったのは、縫合しているだろう箇所が多いことだ。怖い主治医は首に一箇所わずかに傷が残るくらいだろう、コンシーラーで隠せるくらいだ、と言っていたが、少なくとも4箇所縫合しているのがわかる。これはきっと、怖い主治医がする手術とは全く違うものなのだろう。この若い執刀医が独自に考えたものか、経験不足、技術不足のためなのかよくわからないが、少なくとも一般的な女性が耐えられる代物ではないのは確かだ。現代医療で、こんなに痛い思いをする世界があるとは。生き地獄が1時間。想像を絶するものだった。術後、いつもの虫けらなら、執刀医に質問的な言葉遣いながら、不満や愚痴を言うのだが、今回はとてもそんな気力さえ残っていなかった。虫「ありがとうございました」と言って、手術室を後にした。 さらにつづく
2024.08.15
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延ばしに延ばした入院日になった。前回の入院のときは4人部屋にした。手術をするための入院だったのだが、腹に小さな穴を開けて鉗子やカメラなどを挿入して臓器を切除するなどの処置を行う腹腔鏡手術だったので、開腹手術に比べて大変楽だと聞いていたし、術後の入院期間も極めて短くて済む、ということだったので、病室を気にかけることはなかった。しかし!大変な目に遭った。術後の下痢、痛み、動きづらさは予想外だった。1日に30回以上トイレに通うことになった。起き上がるたびに腹部に激痛が走り、点滴スタンドにあれやこれやをぶら下げて動くのは、大変な苦痛である。麻酔を背中から入れているので、立ち上がるとふらつくし、歩くのが心もとない。便意をもよおすと、痛い腹を押さえながら起き上がる。ベッドに柵がつけてあるので、それを避けて足を下ろすのが一苦労。ベッドに引っ掛けてある硬膜外麻酔、ドレンが入ったバッグを点滴スタンドに吊り下げる。スタンドを押し、点滴の管に絡まりながら慌ててトイレに駆け込む。これを1時間に数回。同部屋の方々には大変ご迷惑をおかけした。いつもトイレが使用中になっているのに辟易されただろう。今回の入院は、手術はあるが、歩くのに支障は出ない。痛みもさほどのことはないだろう。が、抗がん剤の治療によって、吐き気(嘔吐)や下痢、食欲不振など、自覚できる症状が幾つも出る。そのことによって、同室の方々にご迷惑をかけることが予想されたので、個室を希望した。一般個室は1病棟に2部屋ほどしかない。価格は15000円/日くらいだが、これが取れないと、40000円/日以上の特別室になる。幾らなんでもそれは無理なので、一般個室に限って入室希望、と申し出た。「現在、個室は満室です」「一旦4人部屋に入ってもらって、あいたら移動でも?」致し方ない。かくしてきょう、運よくあいたらしい。個室に入ることができた。早速PCを広げ、3台の携帯を置いて仕事場をつくる。別に仕事はしないが、いつも家にある空間のようにしつらえる。看護師さんがバイタルを計測に来たり、手術着を持って来たり、薬剤師が抗がん剤治療の説明をしに来たりとなかなかゆっくりできないが、お昼ご飯を食べたら、15:30分の手術まで、携帯に届いたメールをチェックしたり、YouTubeを見たりといつものように過ごす。15時過ぎに病棟の看護師さんが迎えに来てくれて、手術室へ。怖い主治医の話では、首からカテーテルを挿入して鎖骨下に設置するポートと心臓をつなぐというよくわからない手術なのだが、とてもさらっと、簡単に説明された。自分でも調べてみたが、手術についての技術的な解説ではなく、カテーテルがどう入っているか、くらいの説明しか探すことができなかった。手術は怖い主治医がしてくれることになっている。心配あるまい。局所麻酔であることが少々不安だが、部長先生の手にかかれば、チョチョイのチョイだろう。手術室の前室で病棟の看護師さんから手術担当の看護師さんにチェンジし、手術室に誘(いざな)われて手術台へ。早速さまざまな計器類が手や足に取り付けられ、とらわれの身となる。看護師と、執刀医以外のスタッフが会話している。「先生が変わられました」!!!!!え、え、えー! 怖い主治医じゃないの?「○○先生です」え、え、えーーーー!しかも、すごく若い先生じゃーんちょっと待ってよーーーー!まな板の鯉になってるのにぃーーー!虫けらの心の声は、発せられることなく虚しく消えゆくのであった。 つづく
2024.08.14
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以前、「メガネ男と帽子女」で書いたが、私(虫けら)はメガネが似合わない。唯一、ダイソーの100円老眼鏡はどれでも似合うようで、「え、それ100円?」と皆さんが驚いてくれる。ところが、調子に乗って、楽天で2000円くらいの老眼鏡を奮発したら……全く似合わない。老眼鏡が似合うわけではなくて、100円の老眼鏡が似合うだけなのだ。ふん。昨日、娑婆最後の寿司に、小学時代からの友達が付き合ってくれた。彼女と私の共通点は、「よく食べる」「食べるのが速い」ということ。小学生のときは、いつも給食を「おかわり」する順番を競い合っていた。現在の私はというと、お酒を飲むときは、食べるペースがぐんと落ちる。酒なしのランチや定食のときは、「よく食べる」「食べるのが速い」と言われるが、酒があると、酒優先になってしまうので、食べるペースが遅いし、食べる量も少ない。一方彼女は、いまだに食べるのが速い。飲むのも速い。私が2皿食べる間に5皿食べている。決して意地汚い食べ方ではなく、さらっと食べている感じ。私も人から、「え、もう食べたの? いつ口に入れたかわからない」とよく言われた。大食い、早食いの極意である。「食べている」感を出さない上、一口が多く、咀嚼が早い。喉が太いというもの大きな一因かもしれない。飲むのが早いのは、喉の太さにかかわる。私は1合(180ml)のビールを1.4秒で飲む。(早飲み大会で、審判が測ってくれた)気合を入れたら、1秒で飲めると思う。彼女も大概の速さである。そんな二人が食事すると、凸凹になる。「もうおなかいっぱいやわ」というセリフを聞くのが、始まって15分程度なのだ。私は寿司を3皿ほどしか食べていない。ビールは1本飲み終わっているのだが、彼女は生ビールを2杯。15分で会食終了とは。わかってはいるのだが(毎回そうなので)、焦ってしまう。ま、今後、こんなおいしい寿司は食べられないかもしれないので、今回は「もうちょっと待って。もう少し食べたいから」と、わがままを言った。治療に入ると、食欲がなくなり、味覚が変わる。治療を続ける限り、いや、治療を中断しても、もう2度とこのおいしさが味わえなくなるだろうと覚悟している。そんな治療、する意味があるのか?と何度も考えたが、「標準治療というバカげた関門」で書いたとおり、致し方のない選択なのだ。ま、それはさておき。彼女から、たくさんの贈り物をもらった。入院生活に必要なもの、退院してから必要になるもの、治療による体の変化を見越してのもの、お守り、根付け、お札など幾種類もの神社の授けもの。虫けら「こんなにたくさん、どこに置いとこ」彼女「枕の下に敷いとき」虫けら「枕が高こなって、首の筋違えるわ」ケラケラ笑った。病院で着ればいいと、「アッパッパー」を2枚くれた。「アッパッパー」と言って、理解できる人はどれくらいいるだろう。我々は、昭和初期の親に育ててもらったので、この言葉を自然と耳にしているが、平成の人は知らないだろう。「ムームー」と言えば、わかる人が増えるだろうか。……わからないだろうな。ボタニカルな柄のアッパッパーである。鏡の前で当ててみると……全くもって似合わない。実は、私が持っている服はほぼ無地である。たまーにドットやストライプがあるが、数えるほどだ。柄物が激しく似合わないのだ。ジャーナリストの有本香さんも、柄物が似合わない。よきブランドのよき製品だとは思うが、変な柄の服をよく着ておられる。よくもまぁ、そんな柄をお見つけになられたものよ、と思うほど、奇抜な柄の服だ。対して飯山陽さんは、無地が多い。たまにドットや柄物をお召しになっているが、モノトーンであることが多い。この二人のセンスを見ていると、「柄物」がいかに難しいかがわかる。私は、ボタニカル、ペイズリー、チェック、何もかも似合わない。グレンチェックや格子柄は、かろうじて着られないことはない、程度だ。何が原因なのか…。顔が濃い。肩幅がでかい。土管のような体型(凹凸がない)。ひどい。多分、顔が小さくて、柄に負けてしまうのだ。一見すると、私の顔は小さく見えない。(大きな顔をしている、という態度の問題か)(面の皮が厚い、というふてぶてしさも加わる)しかし、帽子をかぶるとわかる。普通に売られている帽子はどれもブカブカで、調整のアジャスターが付いていないとダメなのだ。中学のとき、部活に必要なキャップを注文しようとして、私だけ特注になった。見本の帽子をかぶったが、どれも大きくて「もっと小さいものを」と言ったら、「小学生用になります」と、そのとき用意されたもの以外のサイズを注文した。「頭は小さいけど、顔は大きいのだろう」と言わないでほしい。ジャイアント馬場さんのような頭と顔の比率ではなく、ごく普通の比率のなので、顔も小さいと思う。柄に負ける。屈辱である。色も似合わない。モノトーンは一応大丈夫なのだが、少しでも色が入ると、顔や体型にそぐわなくなる。薄いオレンジくらいだろうか。まだ大丈夫なのは。若い時は、ピンクも赤も着てみたが、似合うと思ったことは一度もなかった。ブルーやグリーンはもってのほか。かといって、この年になって、ドドメ色は似合いすぎてNGだろう。肩幅がでかくて、尻が小さいのも致命的。パリコレのモデルじゃないんだから、肩幅が47cmで、尻が80cmはおかしい。シルエットは、頭でっかち尻すぼみである。そうした残念な要素がいろいろ重なって、虫けらは、あれもこれも似合わない。ちょっと入院しようと思ったら、自分の多くの欠点に気づき、落ち込むのであった。 悲哀※決して有本香さんや飯山陽さん、ジャイアント馬場さんを揶揄しているのではありません。飽くまで私見ですし、虫けら個人の勝手な言い分であることをご理解の上、ご容赦賜りますようお願いいたします。
2024.08.10
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いつごろからだろう。多分、日本がクレーム大国になり始めたころだと思う。2000年代か。病院のパンフレットやHPで、病院の利用者に対して「患者さま」という表現を用いるようになった。これがどうにも気持ち悪い。ずっと気持ち悪かった。「患者」というのは単称(個称)ではなく総称である。「患う者」「罹患している者」を一括りにしているだけで、個々人を称しているのではない。ゆえに、「患者」と表記して何ら問題ない。ただし、医師が患者に向かって「患者さん」というのは、気持ちの問題であって、許される用法だろう。例えば、「囚人」も総称であるが、囚人に向かって「囚人さん」とは決して言わない。もちろん、「さん」という敬称を囚人に対して用いるのはおかしいという理由で、「囚人」と呼ぶこともない。当人に向かって使わない言葉なのだ。では、患者を表現する場合、どうすれば適切か。「お客さま」とするのはおかしい。病気になった人を病院がお客さまと呼ぶと、あからさまに「儲け」の対象になってしまう。そのまま「患者」でいい。どこでどう間違えて、「患者」を「単称(個称)」のように使うようになったのか。そういう商売(コピーライター)をしていた者としては、責任を感ぜずにはいられない。私個人としては、このような変な言葉は使ったことがない。文章中に使うなら、「〜方」で事足りる。「入院を切望される患者さま」「入院を切望される方」厳然と対峙している相手に「患っている」という意味が含まれる「患者」と言う必要はない。「病院対患者」「医療従事者対患者」という構図の中で表現する場合は、「患者」でよい。「さん」も「さま」も全くもって不要である。病院のシステムの中で称する場合は、「受診される方」「来院される方」などでいい。病院が、ビジネス的立ち位置に立ってしまってから、こんな変な表現がまかり通るようになった。自分が患者だから言うのではないが、病院には、「医は仁術」という姿勢を貫いてほしい。医師がそうであってほしいのはもちろんだが、病院全体が、その姿勢で構えていてほしいのだ。病院が異様に患者に「媚びへつらう」のが気にくわない。この場合の「病院」とは、経営陣であり、医事課の人々のことになろう。そうでないと、何に対しても疑心暗鬼になる。偉そうでもいい、冷たくてもいい、信じていれば、光明が射すに違いないと、安心して診療を受けられる存在であってほしい。なんて。そんなこと、いまの世の中では無理なのに。パソコンと、血液検査の数字しか見ない医師ばかりだ。触診どころか、聴診器も当てない医師ばかりだ。患者の顔色も表情も読み取れない医師ばかりだ。患者の心をえぐる言葉を投げかける医師ばかりだ。このままだと、そのうち医師はAIに取って代わられるだろう。 合掌※上記の「医師」は、怖い主治医のことを言っているのではありません。決して。怖い主治医は、ここのところ大変優しく、人間らしい言葉をかけてくださいます。これまでのことはさておき、現在は信頼できると言える…かな。。そう思っていないと、これからの治療は耐えられませんので。
2024.08.07
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昨年、大腸を27cm切除した。「切ってしまえばスッキリ」などと思っていた自分の無知を恥じる。大腸を切るということの弊害は計り知れない。大腸だけではないだろう。胃、腎臓、肺、胆のう……どこを切っても弊害はあろう。そちらは体験していないので言及しない。大腸に限って言えば、女性にとっては致命的な影響がある。「体内の水分が不足する」というとんでもない事態。大腸は水分を吸収する臓器。水分を吸収して排泄物を凝縮すると同時に、体に必要な水分を血管に送り込む。この大切な機能を一部にしろ失うと、体内の水分量が不足する。するとどうなるか。皮膚の弾力が低下し、痩せる、たるむ、しわ寄る。えらいことである。以前は、肌だけは年より若いと言われていた。ハリがあり、ツヤがあり、シワがなかった。それが、手術を境に見るも無残な…。そして、体験して初めてわかったのだが、日焼けをしやすい、戻りにくい。水分のない皮膚はすぐに焼ける。チリチリと音が出そうなくらい焼ける。そして、元に戻らない。以前は、冬の間にすっかり元に戻っていたのに、全く戻らないどころか、この季節になってしまったので、さらに焼けて黒くなっている。通常の日焼け止めを塗ってもダメ。UVカットの上着を着てもダメ。水分量の足りない肌は、紫外線の格好の餌食なのだ。いまのところ、シミにはなっていないが、時間の問題だろう。脱水しやすい。先日、旅行に行き、岩盤浴の後温泉に浸かった。その後、どうも体調が悪くなり、しばらく部屋で休んだ。体調不良の理由がわからず、食事や酒を控えたりしたのだが、夜遅くになってようやく原因が解明した。「脱水」だったのだ。汗をかき過ぎると脱水が進み、湯あたり、もしくは熱中症のような状態になる。気分が悪くなり、視界が狭まり、立っていられなくなる。脱水と気づいてから、炭酸水をたくさん飲んで、何とか復調した。炭酸水が正解かどうかはわからないが、水より好きなので、しこたま飲んだ。汗をかくと疲れる。元来、代謝がいい方なので、体温が高い。この季節に動くと、えらい量の汗をかく。ウォーキングはしばし休止。必要欠くべからざる買い物や振り込みなどの作業のみに限定しているものの、どうしても外に出ないといけないことがある。それらの用を済ませて家に戻ると、とんでもない量の汗をかいている。毎度シャワーを浴びないと、下着も衣服もビチャビチャだ。シャワーを浴びた直後は気持ちいいのだが、すぐに疲れが襲ってくる。体内の水分量が足りなくなっているのだ。慌てて水分補給するが、吸収する臓器が短くなっているのだから、十分吸収できない。人の何倍もの水分を摂取するが、悲しくもその多くが排出されてしまう。夏はおとなしくしていないといけない。なら、冬はいいのかというと、豈図らんや。冬は湿度が低い。水分の足りていない肌はカサカサになる。風呂に入ったり、保湿剤を塗ったりしてできるだけ体表からの水分の蒸発を抑えなければならない。足がつるとにかく足がつる。指、足の裏、甲、ふくらはぎ、太もも。手指や背中、脇腹と、あらゆるところがつる。体内の水分量が不足するとつりやすくなるらしい。通常なら、寝起きとか、激しい運動をした後とか、特定の時間につりやすいらしいのだが、私の場合、四六時中つる。一度つると、何分も治らない。運動由来でつった場合は、対処法があるが、水分不足でつった場合は、対処法がない。痛い時間を耐えるしかない。大変な苦痛である。……手術前には予想もしていなかった事態。手術など、するものではない。後の祭りだが。。。 玉砕
2024.08.05
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さんざんわがままをグダグダ言い、入院を2週間以上引き延ばした虫けらは、次の診察日を前に緊張していた。また造影剤CTを撮らなければいけないし、その結果によっては、怖い主治医から厳しい(冷たい)言葉を投げつけられるかもしれない。そして、いよいよ覚悟せねばならない事態になるかもしれない。2週間の間に、処理しないといけないことの2/3以上を処理できたし、あとは、こちらからはどうにもできないことばかりなので、できることをやったと思う。しかし、それは怖い主治医のあずかり知らぬことだし、細かなことは言っていない。いまさらそれらを提示して許しを乞うつもりもない。許しを乞うも何も、それで状態が悪化することも覚悟していたし、自分の判断で日延べしたのだ。しかし前回、怖い主治医は「僕も甘いな。無責任な言い方やけど、自己責任やわな。それを許した僕も共犯やけど」と言ってくれた。もちろん虫けらもそれを理解していると言った。だから、状態が激しく変化していたら、怖い主治医も責任を感じてくれる可能性がある。…ないか。次のステージに入ったことを告げられて、ほぼ強制的に日程や治療方針を決められるだけだろう。ま、そういういつもの葛藤とともに2週間を過ごし、さすがに診察前の数日は緊張した。かくして検査・診察当日。ジタバタしても仕方ないが、CTの結果が気になる。前回と変わっているのか、いないのか。造影剤CT撮影は滞りなく終了し、待合室で待つ。意外にも早く名前を呼ばれた。静かに診察室に入った。いつもなら、きちんと挨拶するのだが、「失礼します」と小声で言うだけで、丸椅子に座った。怖い主治医はCT画像を見ている。虫けらも画面を見る。しばらく沈黙が続く。怖「まぁ、2ヵ月前とそんなに極端に変わってないかな」虫けら、少し安心する。今回は、口を開くまいと決めていたので、怖い主治医の言葉が続く。虫けらは頷くか、「はい」としか言わない。怖い主治医が一人で喋って、かなりの時間が過ぎた。虫けらは気づいた。怖い主治医の言葉と言葉の間に「スー」という呼吸を入れる。これは、多分次に言うことを考えているか、言葉を選んでいるのだと思う。これまでにはなかった。サドなのに、気を使っているのだな。知らんけど。ひと通りCTに関する説明を終え、やおらこちらに向き直り、少し笑いながら口を開く怖い主治医。怖「天神祭、終わりました。 あとはお誕生日ですか? 来週ですか? 先に言うとこ。おめでとうございます。 明日の淀川の花火は関係ないか?」おもろいやないかい。確かに「天神祭」と「誕生日」は、日延べの理由にした。ふーん、覚えているのだな。淀川の花火を付け加えるところ、ユーモアに富んでいるわ。やればできるやないかい。ええで、先生。怖「で、どうしましょう…って聞くからあかんねんな。 僕が何日にしましょ、って言えばいいんやな(笑)」ほほう。学習しとるやないか。ちょっと後悔してるのかな。怖い主治医に似合わんやさしいお言葉。感激してしまうでぇ。虫「病院はお盆休み、ないんですか?」怖「ないです。施設としては、休みません」虫「先生はお休みになるでしょう?」怖「僕は出てきてます」虫「あらららら…」怖「あらら、計算狂った?」おお、やるやんか。口調も大阪的やで。部長先生がお盆休みに出てきてることに敬服したんやで。決して、入院をまた日延べしたいのんと違う。伝わらへんですんませんなぁ。というやり取りをしつつ、入院の日取りを決定し、手術の内容など必要な説明を全部聞いた。逃げも隠れもできなくなった。ふと、検査待ちのときに待合スペースで手にしたパンフレットのことを思い出した。病院の「がん医療」に対する取り組みを記したものだった。A3二つ折りのありきたりなものだが、内容がひどい。視点が定まっていないし、病院発信にはなっていないのに、病院の医療体制を賛美したり、肯定する内容になっていない。とにかく、最後まで読んでも、2度読んでも、「ふわっ」とした感じから抜け出せない。言いたいことがわからない。文章が拙い。基礎知識がないからか、突っ込んだ表現ができていない。私なら、もっと魅力的なものがつくれるだろうと思う。第一、当事者であるがん患者の私が見ても、何一つ心に響く文章がないのだ。致命的ではないか。怖い主治医が必要書類をプリントアウトしている間にパンフレットを鞄から引っ張り出して、虫「これは、病院がおつくりになったものではないですよね。 この原稿は先生がお書きになったもの? 違いますよね」と聞いた。怖「つくったのは、病院ではないです」虫「取材協力という形ですか」怖「そう。ここの原稿は、僕が…全部書いたわけじゃないけど、はい、僕が書いたものです」怖い主治医が登場するページがあるのだ。顔写真入りで。しかし、医師が主張する内容ではなく、誰かがインタビューしたような表現になっている。なのに、どうも謙虚すぎる内容なのだ。こういうものは、データや実績に裏打ちされた強い主張がPRポイントとなる。「主張」が全くなく、とても謙虚な表現だ。例えば、「○○を導入することによって、ようやく及第点の体制となりました」言葉は違うが、こういう表現。本来なら、「医療体制の充実のために、本院では○○を導入。地域のがん医療の一翼を担っています」といったような強い表現を用いる。これは医師、もしくは病院視点。同じことを言っていても、肯定感を出さなければ大変弱くて頼りない表現になってしまう。しかも、医師発信なのかインタビューなのかわからない、とにかくもやっとした文章なのだ。このパンフレットをネタに怖い主治医と話をしていたら、とても普通の人間の会話ができた。病気を介した会話は怖い主治医と虫けらの関係をどうしても解くことができないし、言葉も口調も上下関係ができる。しかし、印刷物という第三者を挟んだ会話はとても自然で、普通のやり取りになった。もちろん虫けらは終始敬語だが、怖い主治医はタメ口調で、怖「下手くそ、っていうこと?」怖「これ、僕見たことないわ」怖「あの辺まで含めて、そう言うんやわ」怖「一駅で3つあるからな」計算したところ、怖い主治医は虫けらより2〜3歳年下。ま、タメ口でもよい。虫けらは、オケラからコガネムシに昇格したのかと思うくらい、自然な会話ができた。次はカナブンになれるかな。うむ。と、ヘラヘラしていてはいけない。入院したら即手術、そして恐ろしい治療が待っている。楽しい時間はもう終わりなのだ。そして、一生、こういう平穏な時間は戻ってこないかもしれない。それが、がんという病なのだ。 合掌
2024.08.03
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旅行してきた。10歳からの友達と。連泊でのんびりできた。海の見えるバリをイメージした宿で、飲み物が飲み放題、駄菓子を取り放題、グリーンカレー食べ放題の酒飲みにはありがたいシステムだった。温泉(くみ湯)があり、ちょっと変わった半露天風呂や岩盤浴も無料(オールインクルーシブシステム)だった。食事はまあまあだったが、もともと食事に過度な期待をしない質(たち)なので、及第点だった。夜になると、積もる話になる。彼女との旅行は十数年振り。昨年来、食事は3度ほどしているのだが、余り病気のことについては話していなかった。彼女は看護師をしているので、ここぞとばかりに的確に核心をついた質問をしてくる。隠したり、ごまかしたり、嘘をついたりしても、矛盾点を指摘されて、真相を解き明かしてしまう。だから、最初から本当のことを言った。すると、「なんていう名前?」怖い主治医のことを聞いてきた。素直に答えると、すぐにネットでプロフィールを探し当てた。私「そんなん探してどうするの?」彼女「何かあったら訴えてやる!」穏やかでない。先日、ヘルシンキの君が言ってくれた「一緒に行ったろか?」の顛末を彼女に話した。かくも楽しきゲストたち ⑥ 〜スーパーの男 その4〜彼女「私も妹連れて一緒に行く!」私「妹3人もおるの? 私」彼女「もっといっぱいぞろぞろ連れて行ったろや」私「明らかに年上のおっさんとか入れて10人くらい妹にしよか」話がエスカレートする。彼女「どんな顔するやろ、その主治医」私「『あ、妹さん、多いんですね』くらいの反応ちゃう?」彼女「サイコパスか!」私「そうかも」怖い主治医の人物像を勝手につくり上げて行きながら、二人で大笑いした。彼女も、私の術後の診察過程には相当疑問を持っていた。私がそれを指摘したときの主治医の反応を話した。彼女「そんなん、許せんわ」彼女の母親も、がんで亡くなっていて、治療は彼女の監視下で行われていたので、医療従事者としてその過程を昇華して記憶している。それと私の場合が余りに違うので、怒ってくれているというわけだ。しかし、今更怒ったところで時間を巻き戻すことはできない。残念ながら、先の運命は開けていない。そんな状況下で、ちょっとしたことを大笑いできる材料にしてくれたことは大変ありがたいことだし、彼女でなければできなかったことだととても感謝している。10人の妹か…。本当にそんなことをしたら、怖い主治医にしこたまどやしつけられるだろうし、治療を拒否されるかもしれない。決して実現はしないが、その図を想像して、泣くほど笑った。待てよ。どうして「妹」という設定になったのだっけ?「姉」の方が医者に意見できる立場じゃないのか?あえて弱い設定で、厳しく切り込む方が効果があるのか?明らかに年上で、男という現実とのギャップを「意外性」として利用しようということなのか?ま、「姉」より「兄」より、「妹」の方が笑えるのは確かなので、それはそれでよしとしよう。旅行の時間は短かった。毎回思うことだが、旅行や休みの期間というのは、どうしてこうも過ぎ去るのが早いのか。もしかしたら、もう2度と旅行には行けないかもしれない。貴重な旅だった。わかっていたし、景色を見ても、風呂に入っても、車窓を眺めていても、「これが最後かも」と思ってはいたが、なぜか実感がわかない。きっと、治療で想像を絶するつらい目に遭ってから実感するのだろう。これまでの、私の壮絶な人生でも経験しなかった、つらく、苦しい現実が目の前にある。人が生きるとは、かくも過酷なものなのだ。ちょとした残業が嫌だとか、上司に怒られるのがつらいだとか、朝起きるのがしんどいとか、そんな小さなことを言っていられるのは大変幸せなことだと心得よし。現在の私の最大の苦痛は、前回、散々わがままを言った後に控えている怖い主治医との対面。来週。。あー、過酷、過酷、過酷。 チーン
2024.07.27
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虫「治療については納得しています。 一度も標準治療をせずに死んでいくのは 何か違うと思いますので」怖「素晴らしいお言葉をいただきました。標準治療」前回の怖い主治医と虫けらの会話。「標準治療」というのをご存知だろうか。厚生労働省が決めたがん患者に対する治療方針。「外科的治療」「放射線」「抗がん剤」の3つしかない。外科的治療というのは、手術をして固形がんを中心とした、切除可能な患部を取り除くというもの。放射線治療は外科的治療と同じく、条件が厳しい。固形がんの数や大きさ、進行度が限られるので、放射線治療ができるのはラッキーだ。抗がん剤が使われるのは、こうした条件に外れる場合、あるいは、外科的治療でなくても消失させられるほど小さいなど条件のいいがんに適用される。私の場合、抗がん剤以外の選択肢がなかった。つまり、条件の悪い方のがんの治療方法だ。米国では、抗がん剤治療は一般的ではなくなっているらしい。効果に比して副作用が強すぎるので、他の治療法が選ばれる。日本で言うところの「代替治療」というものだ。が、米国では、保険制度が日本ほど充実していないので、「標準治療」がない。つまり、日本で言う代替治療が一般的な治療法になっていて、「免疫療法」など民間療法も合わせれば幾つもあるらしい。坂口力元厚生労働大臣が大腸がんになったが、免疫療法で治ってしまった。がん治療についての厚生行政を推進するときにそれをひた隠しにしていたという話を聞いた。実は、免疫療法は、義父が行なっていた。私は病院への送迎のために付き添っていたが、あるとき義父が「先生の話を聞いてあなたの判断を言ってほしい」と話してきた。そのとき、医師から詳しい説明を聞き、『あぁ、もう少し早くここに来ていれば』と激しく後悔した。その前に受けた放射線治療がネックになって、切望していた陽子線治療を断念せねばならなくなり、ようやくたどり着いた治療法だったという経緯があった。治療には時間がなさすぎた。放射線治療をやめてこちらに切り替えればよかったのだが、後の祭りだった。しかし、義父の治療にあたっては、主治医は迷うことなく放射線治療を選んだ。それは正しかったのか。そう。日本におけるがん治療では、それしかない、というほかない。なぜなら、それが「標準治療」だからだ。患者によって、がんの特性によって、医師の知見によって、それに外れた治療を行うことはあるだろう。新しい薬剤や治療法の治験だったり、患者の希望によって特殊な薬剤を使ったり。それによって、目を見張るような成果を得られることもある。残念ながら、これまで知られていないような副作用が発現したり、治療結果に悲しむことになる可能性もある。しかし、異を唱えることはできない。その治療を選んだのは、患者の意思だからだ。しかし、決められた治療法では死を待つだけ、という切羽詰まった状況より、新たな治療法を選ぶという人がいることは理解できる。が、「標準治療」ではないことの弊害は知っておくべきだ。というか、「標準治療」でないと、日本の医療行政のメリットを得られないことを理解しておくべきと言う方が適切だろうか。まず、保険適用。高額医療の上限額適用。生命保険の治療費請求適用。「標準治療」を受けることが前提になっているのだ。では、「標準治療」とは何か。厚生労働省(厚生省である。労働省は関係ない)が決めた基準だ。製薬会社や医師会などの利権団体と役所がつるんで決めた金儲けの指示書だと言える。米国で使用禁止になった抗がん剤、売れなくなった(効果がない)抗がん剤を押し付けられ、日本の役所と医療機関は、日本人が真面目で従順なことをいいことに、「標準治療」などというだまくらかしのシステムに組み込んで双方が金儲けしているのだ。それもこれも、「日本民族消滅」というGHQの策略を未だに実行し続ける売国政府と官僚の思惑が礎となっている。先進国の中でも突出して日本だけがん患者が増え続け、がんによる死亡者数が他国よりも多く、なのに、相も変わらず同じ治療法を実行しているのは、患者の命より、金儲けを優先している厚生行政の現実を物語っている。ではなぜ虫けらは、「標準治療」を受け入れるのか。保険適用されない治療法は、一般人には無理だから。そして、生命保険の保障を受けるためには、選択肢は「標準治療」にせざるを得ないから。虫けらは、30年以上生命保険をかけている。自分の意思ではなく、自社が依頼していた労務士が保険代理店をしており、「入ってほしい」と懇願されたからだ。保障内容など見もしなかった。必要になるのは随分先だし、その頃は稼いでいたので、自費治療という選択肢もあったからだ。しかし、30年以上にわたって支払ってきた保険料は膨大なものだ。昨年、入院・手術・治療を要したときに下りた給付金は、支払った保険料の1/3ほどにしかならなかった。この先、他の事案で下りることもないだろうから、同じ病気で何らかの給付金をもらおうとすれば、「標準治療」を受けた上での治療費以外ないのだ。「先進医療」という項目もあるにはあるが、「標準治療」を経た場合にしかもらえない。ことほどさように、「標準治療」というのは、理不尽な関門なのだ。しかも、厚生省も、医師も、患者のことを思って決めたのではない。多分、自分たちががんになっても、標準治療は受けないだろう。坂口元大臣のように、効果がある高価な医療を選択するのだ。最低限200万円。結局1000万円を超える、ややもすれば億の単位にもなることが当たり前の保険外医療を受けることは、一般人には不可能だ。それが無理なら、死んでください、という国の姿勢。いや、違う。そんな高額医療を受けたいなら、元気なうちに金を蓄えなさい、という国からの警告というべきか。(つまり、がんという病気に限って言えば、生命保険などかけずに、蓄えた方が得策なのだ)かくして虫けらは、甘んじて標準治療を受け、効果を得られずに死んでいく。それはそれでいい。しかし、苦痛がなく、患者が幸せに受けられる治療を「標準治療」にできないものか。副作用の負の連鎖の中でむざむざと苦しんで死んでいくものを「治療」と呼んでいいのか。これは、命をかけて「拷問」を受けるに等しい。その後に元気に解放されるなら、我慢して受けてもいいが、その果てに死を迎えるものを「治療」と呼んではばからない医師は、何とも思わないのか。わかっていながら、そんな治療を受けようとする虫けらをどなたか慰めてくださいませぬか。あーーーー、苦痛。神も仏もないものなのか。 爆死
2024.07.24
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「余命(よめい)」とは、どういう意味だろうと考えた。「平均余命」というものがある。「へいきんよみょう」と読むのだが、0歳→80となっていたら、「現在0歳の乳児があと80年生きられます」という意味。これなら理屈はわかる。しかし、「あなたの余命(よめい)は半年です」と言われたら、「あなたはあと半年しか生きられません」となり、「余命(よみょう)」とは対極の意味になる。しかし、「余命(よめい)」は当たり前に使われる。突然だが、「余」をじっと見てほしい。私は毎度ゲシュタルト崩壊を起こす。「あまる」って、こんな字だったっけ?と不思議な気持ちになる。話を戻して。「余った命」ではない。「残された命」だろう。だが、この言葉はちょっと残酷さを伴うし、ストレート過ぎるきらいもあるにはある。しかし、慣れればそんなものだと思えるに違いない。「残」をじっと見ていても、ゲシュタルト崩壊は起こさないので、ぜひこれからは「残命」」と言ってほしい。私の「残命1年」は、まだほとんど誰にも明かしていない。家族はもちろん、親しい常連さんにも言っていない。が、二人にだけ、話した。聞かれたからだ。嘘は嫌なので、ありのままを話そうとは思っているのだが、皆、元気な私を見てイメージしないのだろう。「余命」なんていう言葉を想像すらしないはずだ。ただ、私がそう言ったときに、「知り合いも余命1年って言われたわ。半年くらいで亡くなったけど」と返され、少々背筋を冷たくした。そうなのだ。1年というのは、医者の経験則であって、確たる計算式や統計学を元にしたものではない。1年と言われながら3年生きる人もいれば、半年、3ヵ月で亡くなる人もいるだろう。怖い主治医は意外にもやさしい人かもしれないので、自分の弾き出した数字より長めに言ってくれたのかもしれない。大変だ。1年あると思い込んでいた。えらいことだ。ゆっくりしていられない。(ゆっくりしてはいないが)大丈夫。そういうこともあろうかと、再度検査をしてもらう手筈になっている。検査してから2ヵ月たつので、「いま、どうなっているか知りたい」とわがままを言い来週には現状を把握できる。そこで、意外にも速い進行が確認されたら、心を決めなければならないだろう。治療は期待できないと思っている。怖い主治医からは、「数を減らす、小さくする」を第一に、「他の治療法が取れないものか検討する」と言われているが、無理だと思う。「数が増える、大きくなる、違う場所に発生する──それを少しでも抑える」くらいのレベルになるだろう。なので、すぐに治療をやめたいと思っている。延命は、期待していない。ただ、「治療を試みた」くらいはやっておかないと、後を託している家族(姪)に申し訳ないというだけだ。ということを考えても、「残命」が正しいだろう。 南無
2024.07.22
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ヘルシンキ大学卒業という異色の経歴を持つスーパーの男は、身長は170cm弱(身長表示に「弱」を使うものなのか)と小柄ながら、筋骨隆々でマスクも精悍、格闘家のような風貌。最初にヘルシンキの君と出会ったときの印象は、素肌に皮のチョッキ、だった。これは、夫も同じで、ヘルシンキの君のことを二人で話すときは、この最初のワイルドな印象がベースになっていた。が、不思議なことに、「ワシ、皮のチョッキなんか持ってへんわ!」とヘルシンキの君が言う。夫も私も、「いや、素肌に皮のチョッキ着てた!」と主張し、何度ヘルシンキの君と言い合いになったことか。という話でわかるように、極めて野性味溢れるおっさんなのだ。そのヘルシンキの君が「妹になって病院に行ったるで」と言うので、面食らったのが1週間前。そんなことをしたら、いろんな意味で怖い主治医を驚かせてしまうではないか。へ「その主治医の本性が出るかもわからへんで」とうれしそうに言う。ま、それは実行されることはなかったけれど、報告がてら外来に行った顛末を告げた。へルシンキの君「そうやろ、やっぱりMやったんや、その医者」え、どこでMと思ったのか?へ「怖い印象に持っていったのは、Mを隠すためや」虫けらの私「そうかなぁ、今回はむちゃくちゃやさしかったのは確かやけど」へ「相手が強気に出たら、そうなるんや。Mの特徴やで」虫「そうなんか…」そう言われても、私はどこか納得がいかなかった。私の言うことや質問にことごとく否定的な言葉を発し、打ちのめさんとばかりの強い言葉を吐く怖い主治医がM?虫「やっぱり、一緒に行ってもらおかな。 強気なこと、言うてみてよ」へ「ええでぇ。ウエストニッパー見せながら、 威嚇したるわ」虫「Mやったら、ウエストニッパー着ける方かもよ」へ「へたら、女の声で『お宅も着けはるでしょ』言うたる」全くハチャメチャな話だが、もしかしてMかも、というのはあながち間違いではないかもしれない。冷静沈着、聡明ではっきりした視線と言葉、無駄のない言い回し、静かな口調はどう考えてもSなのだが、ここ2回の診察時の怖い主治医の対応は、予想を超えたやさしさだったし、本当に意外だった。もちろん、虫けらの状態が悪いのは間違いない。それをなだめすかすように入院に持っていくことは、虫けらを考えてのこと、と思えなくもない。ま、病院側の段取りや利益を考えてのことというのは、必ずベースにあるだろうが。へ「医者は変態、変人が多いからな」それには、一般論として納得。変態、変人というより、選民思想をほとんどの医者が持っている。「自分は特別」という優越感。このブログでも、2ちゃんねるにURLを載せられたため、1200件を超えるアクセス、800件以上の書き込みをされるといういわゆる「炎上」を経験しているが、「アホ」「ボケ」「カス」「う○こ」といった極めて低レベルな書き込みがほとんどだったことからして、我々一般人を見下していることは容易に想像できた。怖い主治医がそういう人種だとは思いたくないが…。次回はまた2週間後に面会するので、それまでにヘルシンキの君に何らかの指南を受けよう。また、奇想天外な奇策を授けてくれるかもしれない。ただ、その奇策が気になる余り、変な態度を取らないようにしなければ、これまでの無礼や醜態を詫びる気持ちを封じかねない。ことほどさように、奇人変人的才人、「天満のエロ男爵」がヘルシンキの君なのである。 尊崇
2024.07.21
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怖「再来週あたり、もう一度確認しましょうか。 また来てもらうのも面倒でしょうけれど」と、2週間前に言われた。治療のための入院日程を決めたのだけれど、それでいいかの確認日を設けてくれるというわけだ。やさしい配慮だと思った。治療を始めると、私のQOLは確実に下がる。数々の副作用で、仕事どころか日常生活も困難になる可能性がある。大変な覚悟がいるのだ。悪くすると、死ぬまでその地獄から抜け出せないかもしれない。そのことを理解し、覚悟を決める時間を2週間上げましょう、ということだ。2週間後の診察室。怖「前言った日程でよろしいか?」と問われたら、「あの…」と、逆を言いたくなるのが心情。実は、前回日程を決めてから、さまざまな雑事が浮上して、このまま入院して大丈夫か? という気持ちになっていた。一つは、小学生時代からの友人との旅行。たまたま連絡を取り合ったら、「旅行しようよ」と言われた。「ボーナスが入ったし」と。彼女は割と大きな病院の看護師長なので、相当よい額のボーナスが出たのだろう。多分、彼女との旅行は最後になるだろう。彼女の誘いに乗った。当初決めた日程は、入院予定日の2週前だった。が、彼女の都合と希望により、次の週の週末になった。週末を挟んで、すぐに入院するという日程。折しも来月、2枚のクレジットカードの有効期限が来る。カード会社に問い合わせたところ、新しいカードが旅行〜入院期間に届く予定であることが判明。郵便局の保管期間が過ぎると、カード会社に返送される。再度郵送申請をしなければならないが、手元に届くのに煩雑な手間と時間を要する。少し早い発送、もしくは事前の再送の手続きができないかと問い合わせたが、両方無理との回答。さらに、親戚の相続放棄の手続きを依頼されたのだが、その書面が届くのが、どうもその時期と重なりそうだ。できれば早急に対処したいのに、私だけが返信できなければ迷惑をかける。その上、運転免許の更新、不動産売却契約の更新、納税、保険関係の書類受け取りと申請、店の家賃の振込、当該病院以外の病院への通院、誕生日の営業、祭りの花火鑑賞のお誘い……。その合間に通常営業をこなし、自身の生活の雑事にまみれる。どうしてこんなにごっそりあるのかと思う。できることは済ませた。が、できないことが多過ぎる。怖い主治医にスケジュールを問われたが、答えることができずに思わず笑った。怖「大丈夫そう? やたらニコニコしてるけど」虫「へへへへへ」怖「笑いながら、どうにかならんかって?」虫「いえ、覚悟はできているんですが」と言いながら、グダグダ言い訳や愚痴を言いつづけた。予定が気になるなら、「日延べしたい」と言えば済むことだし、治療がいやなら「辞めます」と言えばいい。なのに、20分にも渡って、グダグダ言い続けた。これまでの診察は、3分で終わるくらい淡白なものだった。怖い主治医も必要最低限のことしか聞かないし、虫けらもそれに答えるだけで、質問などしない。20分も医師(だけではないが)相手にダラダラ話すなど私の人生になかったことだ。何事も即断即決。返事は一言。全ては自分の責任で世の中を渡り歩いてきた。それが…、この体たらく。怖い主治医に甘えているとしか思えない言動。しかし、怖い主治医はこれまでにはなかったほど穏やかな表情で、私のグダグダに付き合ってくれた。もちろん、当初の予定を変えない方向に持っていくために言葉を費やしているのは察することができた。しかし虫けらは、こうなったらどうしても日延べしたい。実は、いま、近年にないほど体調がいいのだ。寿司も、トンカツも、ビールもおいしい。筋トレ(というほどのことではないが)も順調で、体も少し引き締まった。体調が悪いときは、生魚も油物も受け付けない体質なのに、ここのところ、食欲もあるし、食べ物もお酒も「おいしい」と感じる。筋肉はもともと多い方だが、使っていなかったところを動かしたことで、少し若いころのような感じになっている。この状態を治療によって壊してしまうのは忍びないのだ。少しでも「おいしい」「食べたい」「幸せ」と感じていたい。治療が始まったら、2度と感じられない感覚かもしれない。かくして、グダグダを重ねてようやく日延べできた。怖い主治医は半ばあきれていたと思う。しかし、表情は穏やかだった。怖「僕も甘いな」虫「……」(バツが悪そうに笑う)怖「無責任な言い方やけど、自己責任…やわな」虫「はい」怖「それを許した僕も共犯やけどね」素晴らしいお言葉。私のわがままを自分のせいでもあると言ってくれる度量。見上げたものだ!これこそ、医師と患者の会話ではないか。ようやく、人間と会話したような気分になった。怖い主治医も人間だったのだ(サドだとは思うが)。と、気を許してはいけない。怖い主治医は怖いのだ。こんなことで、懐柔できたと思ってはいけない。これまでより人間的な会話ができたのは、単に私が「金儲けできる患者」に昇格できたからに他ならない。金にならないエセ患者ではなく、これからは確実に金になるのだ。虫「意外とあかんたれなので、すぐに治療をやめると言うかもしれません」怖「まぁ、手ぇ変え、品を変え、メニューを持っていきますわ」わーわーわーっ!やめさせてくれないんかい!すぐにやめたいと思ってるのにぃーーー。やっぱり怖い主治医は怖かった。 合掌
2024.07.20
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世の女性、夫婦の中には、「子を産まない」という選択をした方がいらっしゃるだろう。事情は人それぞれ。私も子を産んでいない。先日、20年振りに会った元得意先から「なんで子供産まんかったんや? 仕事が大事やったか」と問われた。その社長とは割と深い付き合い(もちろん仕事で)をしていたので、少し喋ったことがあったかと思って、「私、何も話してませんでしたか?」と問うたら、「知らんで、わし。聞いてへんわ」とのことだった。私を妊娠したとき、母は大病を患った後で、後遺症のある病気だったので、それを抑えるために大変強い薬を使っていた。幸い、兄の妊娠は早くわかり、医師から言われて薬を中断していたのだが、兄が生まれてすぐに服用を再開した。兄を出産してすぐだったので、母は油断していたのだと思うが、近所の仲のいい奥さんから「あんた、妊娠してるんと違う?」と言われたのになお、「そんなわけないやん、産んだばっかりやで」と呑気なことを言い、薬もやめなかった。そんな母を、その奥さんは引きずるようにして病院に連れて行ってくれた。医師「6ヶ月です」という診断。加えて医師は、医師「この子を産むのは、あなたが死ぬか、子が死ぬか、両方死ぬかのどれかです。私の責任で堕胎します」母「堕胎ですか…」医師「もう一つ、悪い話ですが、この子は何らかの障害を持って生まれてくる可能性が高い」医師「表に出る障害もあれば、体内で起こる障害もある。この子に直接出なくても、その子には確実に出ます」恐ろしい話である。手術日を決め、母は帰宅。父に相談する。母「堕ろさなあかんねんて」父「そうか」かくして私は葬り去られる運命となった。手術当日、姉と兄の面倒を見るために母方の祖母がやってきた。祖母は「堕ろすなんて、やめて! あんたが死んだら、3人とも私が育てる」実は、兄が生まれる前にも、堕胎したことがあった。祖母はその時のことを覚えていて、もう子を殺すのはいやだと思っていたようだ。母はそのまま病院に行かず、私は命拾いした。しかも幸いにも、私には目立った障害はなかったし、母も私も無事だった。ただ、私が5歳のとき、姉から上記のことを聞いた。(姉とは7歳違いなので、見聞きしたことを覚えていた)「私は子を産めない」ということを強く記憶した。25歳のとき、好きな人ができたことで、「私は子を産めない」ということが、いよいよ現実的になってきた。仕事の関係で知り合った医師とゴルフに行ったとき、一連のことを話し、母に話した医師の言葉は真実かを問うてみた。医師「そんな強い薬、ありませんよ」と笑って返される。私は意を決して私「母の病気は…」と、当時の母の病気の詳しい内容を話した。医師「うーん……、あり得ます。その頃、まだ適した薬がなくて、劇薬を使うしかなかった病気です」薄々気づいていた。いくら薬を飲んでも、後遺症がよくならなかったからだ。多分、私が12歳の頃に、適応する薬が開発されたと記憶している。かくして私は子供が産めない人間と認定されたわけだ。後(病気から52年後)に、母を後遺症の専門病院に連れて行って判明したのだが、母が患った病気は、その頃は不治の病で、かかったら死ぬしかなかったのだが、たまたまアメリカ研修から一時帰国していた医師が執刀してくれてどうにか一命を取りとめたという経緯を話したら、医師「まだ、日本では病名さえなかった病気ですからね」と言われた。母は、大変な病気にかかったものだ。「いや、それでも産めたはずだ」という人がいるかもしれない。その通り。覚悟すれば、それもできたかもしれない。しかし、障害児が生まれるとわかって産むという選択は、私にはできなかった。夫と付き合い始めたとき、すぐにこのことを話した。夫「いいよ。もし幸い障害がなかったとしても、僕の子はまともなわけがないし」と言ってあっさり話を終了させた。もちろんその時だけではなく、何度も確かめたし、義父や義母にも聞いた。皆、了解してくれた。というわけで、子を産まなかった。こういうことがあるから、「運命」というものを感じずにはいられない。私には、いつもつらい運命がつきまとう。またの機会に。
2024.07.16
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ベッドや椅子の生活をしていると、気づかないことが多いのだが、手を使わずに立つことができるだろうか。(体育座りからの起立)子供の頃は畳の生活が当たり前だった。ベッドの生活になって25年。その後再び畳の生活になったので、地べたから立ち上がることになったが、起床すぐに立ち上がるのは「きついなぁ」と思うようになった。体が痛いからだ。引っ越ししてしばらく、畳に薄い布団を一枚敷いて寝ていたのだが、余りに体が痛いので、マットレスを購入した。本当はベッドを買いたいのだが、事情があって、しばらくダンボールが積み上がっていたので、ベッドを置く余裕がなかったのだ。14cm厚さのマットレスによって、随分楽になった。ベッドとテーブルの生活は、楽な分、肉体の機能を下げるように思う。私はずっと地べたから立ち上がるときは手を使わなかった。両手にものを持って立ち上がるのを見て夫が「えー、なんで立ち上がれるんや!」と驚いた。夫は立ち上がれなかった。「足首が固いんよ」と私は言ったが、本当にそれが理由かどうかわからなかった。随分後になって、カイロの先生に問うてみた。私「足首が固いせいですよね」カ「お尻が重たいからですよ」と言われた。重心が後ろにある人は立ち上がれないというのだ。夫は骨盤は大きかったが、尻に無駄肉がついているタイプではない。ほんとか? と思った。ついさっき、「そういえば、長らく手を使わずに立ち上がってなかったな」と思って、立ち上がってみた。立ち上がれた。そのとき、ちょっとわかった気がした。私の場合、かかとを尻近くまで引き寄せることができる。つまり、ふくらはぎと太ももが折りたためるのだ。そうすると、上半身を前に倒せる。重心が前に移って立ち上がることができる足首が柔らかいというのは必須だが、重心が前に移せることが第一の条件。となると、足が太い、腹に肉があるという条件下では、無理な所業なのだ。夫の場合、足首が固いのは確実だったが、前に重心を移せなかったのは、膝も固かったのではないかと思う。尻の近くにかかとを引き寄せることができていなかったという記憶がある。別に、手を使わずに立ち上がれなくとも今の生活で困ることはないだろう。しかし、できないよりできる方がよい。私は姪をあやしているとき、抱きついてきた姪を抱き上げながら立ち上がったことがある。親の兄夫婦に大変驚かれた。姪は10kg近かった(生後10月ほどだった)上、首がグラグラしていたので、片手で抱きながら立ち上がるのは危険だった。つまりこの場合、両手がふさがっていても立ち上がれるのは危険回避能力が高いということになる。ま、大した話ではないが、畳から床の生活に変わってしまった日本人に、こういう身体能力がなくなってしまったのではないかとちょっと危惧している年寄りがいるということで、聞き流して欲しい。和式トイレが一般的でなくなったのも大きな原因かもしれない。かくいう私も、和式トイレには入りたくない。酔っ払って入ると、用が済んでから立ち上がるのに大変難儀するのだ。(外食時は多少おしゃれをして、ヒールのある靴を履いているのが凶。つんのめって立ち上がりにくい)知り合いが、立ち上がる際、手すりがなくて送水の管を掴んだら、勢い余って外してしまって、水が吹き出て大惨事になったという話を聞いてから、和式を敬遠する日々である。 トホホのホ
2024.07.14
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これまで、このブログに2回も登場しているのだが、初見の方にはわからないだろうから、再度披露。「スーパーの男」というのは、河内出身ながら(地域的な蔑視は決してしていない)、ヘルシンキ大学を卒業したという異色の経歴の持ち主。現在はスーパーの青果部で早朝から働く。うちの店では、酒を飲みながら政治の話、芸能界の話、音楽の話、時事ネタ、スポーツ界の話と、多彩な話題に花を咲かせるが、最近はそれに加えて、私の怖い主治医の話をよく聞いてくれる。主治医の衝撃的な事実を書きなぐった「衝撃! 主治医の闇を知る!!」で記したのだが、どんな意図で出たのかが全く不明な怖い主治医の言葉をそれなりに解説ばかりか説諭をしてくれ、女性と男性の思考の違いを端的に示してくれるとてもよい存在なのだ(正しいかどうかは別にして)。知識や保持している情報がグローバル、思考は現代的だが、常識や良識は昭和基準。男っぽいが、昔のような閉鎖性はなく、男女や年齢といった領域での差別はない。ま、現代に生きるおっさん(いや、「漢」)である。そういう人間だから、私が色をつけずに言ったつもりの話の中で、怖い主治医のちょっと斜め上の言い方や治療のやり方が、引っかかっていたのかもしれない。根本は、きっと私に近い感性なのだと思う。「来週、病院に行く」と言ったら、「一緒に行こか?」と問われた。驚いた。抗がん剤治療の話もしていないし、命の年限も言っていない。どこで私に付き添う意味を見出してくれたのだろうと戸惑った。これまでずっと一人で何もかもを処理してきたことを「当たり前」と思っていたが、誰かが随行してくれて、助言や手続きの手助けをしてくれたら、とても助かるかもしれない、と、少し温かな心持ちになった。いやしかし! そこでヘルシンキの君の口から出た言葉はヘ「妹として」????私「妹? 何で?」ヘ「どんな顔するか見たいやんか」私「主治医が?」ヘ「女の声で、『姉がお世話になってますぅ』言うで」私「そ、そ、そんな荒技!?」ヘ「ウエストニッパー着けていくでぇ」私「わーわーわーーっ」『ウエストニッパー』というのは、怖い主治医の口から出た衝撃的過ぎる単語だった。(前出のブログでは、記述できなかった。私の心の平静を保てないほどの衝撃だったからだ)へ「この俺でも知らんかったのに! どういうことやねん」(ヘルシンキの君は、『天満のエロ男爵』という異名を持つその筋に知られた人。その彼が知らなかった女性の下着の名称を怖い主治医が言ったことにプライドが傷ついたようだ)私「私はショックで記憶が飛んだもん」へ「俺が着けていったらどんな顔するか見たいわ」そのときの怖い主治医の表情や言葉や動作を想像して、二人とも大笑いした。(注意:ヘルシンキの君は年下ではない。彼の設定上で「妹」にしただけ。誤解なきように)そうか……。ま、そうだろうな。当たり前といえば当たり前だが、私の残命を思った話ではないわな。それでも、そんなことを言ってくれたヘルシンキの君には感謝。多分、違った意味で「随行してほしい」と言ったら、それなりに応えてくれたのではないかと思う。私からそういう申し出は決してしないが。そして彼も、私がそんなことを言わないことを承知しているだろうが。経歴、人生観、私生活、思考、嗜好……いろんな意味で私には理解しきれないが、とても面白くて、楽しい出会ってよかったと思う人である。この人もまた、私の「運命の輪」の中にいる人なのかもしれない。
2024.07.13
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自分の自慢話は他人はもちろん、家族にもしないので、誰も知らない私の過去の事どもがたくさんある。自分でも、「あれは夢だったか?」と思うようなことがあり、最近、高校時代の担任に確認したほどだ。(高校時代の担任は男性だが、私が店を出してから年に一度くらいのペースで訪ねてくれる)家族も知らないような私の自慢話を書き留めておこうと思う。●賞状建売を購入し、団地から引っ越したのが私が21歳のとき。父は、一部屋に不良姉、アホ兄、私の賞状を額に入れて飾ろうとした。部屋を一周しても、額が余るほどの賞状があった。最も多かったのは私だ。絵に関するものが2枚、スポーツに関するものが1枚、文学に関するものが2枚、検定合格認定証や学校の役員任命証など多分20枚ほどあったと思う。姉は1枚(学級委員任命証)、兄は3枚ほどだったと記憶している。どうだ。●模試高校2年の冬か3年の春だったと思う。私は大学進学はしない予定だった。父親からそう言い渡されていたし、家の家計を考えても無理なことはわかっていた。が、大阪では進学校と言える高校に通っていたし、席次がヒト桁となれば、教師陣は進学するだろうと考えていた。同級生も教師も、学校で行われる模試を受けるだろうと勝手に思っていたようで、「受けない」と言うとしつこく勧められた。多分福武の模試だったと思う。全国で数十万人が受ける試験だが、一生に一度のイベントだと思って受けた。全体の成績は、まあまあだったが、一つだけ校長から直々に表彰されることがあった。「現代国語」で全国2位になった。読解の問題が多かったように思うが、得意分野だったので、運がよかったのだろう。●小説高校2年生の夏休み、自由課題で「小説」を書いた。短編で、原稿用紙20枚を切る程度のものだった。担任に呼び出され、「20枚を超えるように調整しなさい」と言われ、少し文章を増やしたり、点、マル、改行を慎重にしたりして、21枚にして再提出した。全国学芸コンクールに出展され、2席になった。また「2」か、と思ったが、素直に嬉しかった。●席次模試の項で触れたが、高校2年の夏以降、卒業するまで席次はヒト桁だった。実は、1年時は100〜120番をうろうろしていたのだが、学力拮抗で入学したのだから、640人中100番なら上出来だと思っていた。しかし、2年生になり、担任が席次順に席を決める人で、一番後ろが最も成績がよく、前にいくほど悪くなるという並び。私は後ろから二列目。現実を具体的に見ると愕然とし、せめて一番後ろの一列に入りたいと自分で編み出した勉強法(機会があればまた書きます)で一気に30番になった。それから2度ほどのテストでヒト桁に。不思議なもので、一桁の人間はどのクラスに何番の子がいるかわかっていて、新顔の私に教えてくれた。それほど順位が入れ替わりにくいのだ。奇跡のような躍進だった。●停学(自慢話ではない)これも高校2年の時だが、停学になった。修学旅行で起こった事件が発端だが、実は私は濡れ衣だった。しかし、私が真実を暴露すると、私以外の人間が停学になることは必至だった。わざと被った。このことは、くだんの担任も今年まで知らなかった。ずっと、本当のことを言ってなかったとは思わなかった。不良グループが中心となった事件だったが、私が濡れ衣を被ったことで、その不良グループからある種の信頼のようなものを得ることができ、その後、それらを牛耳ることができた。それでよし、と思っていた。●生徒会長前述の停学騒動から半年、3年になって早々このことを知っている1年時の担任から呼び出された。「あなた、生徒会長に立候補しなさい」な、なにをバカなことを!「先生、停学処分になった人間が会長になんかなれませんよ」「大丈夫、あなたならできる!」「そういう問題ではなく、名門校の会長ですよ。無理です」こういうやりとりを何度もした。回を重ねるごとに参戦する教師が増えて行く。立候補者は他にもいた。私に席次一桁の顔ぶれを教えれくれた人だ。私はその人に会長になってほしいと教師に訴えたがダメだった。最終的には根負けして、形だけ立候補した。積極的な宣伝活動もせず、演説も、著名な詩人の詩を朗読するというやる気のなさ。しかし、会長になってしまう。これは、陰謀だと思っている。歴史ある学校にありがちな裏の力というものだ。読み返してみると、大した自慢話ではないなぁ。ま、もっと軽いものもあるし、ここで登場した自慢話の「その後」もある。また書くとしよう。とりあえず、子供時代の話はこれまで。
2024.07.12
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1年前に病気になってから、死ぬまでに会いたい人に会い、行っておきたい場所に行くという日々を送った。今年に入ってからは、能動的な連絡や行動は一応終えて、機会があれば、という状態(心情)になっていたが、先月初めにいよいよあと一年くらいか、という現実を目の前にすることになり、さて、どうしようかと思っていた。やらなければならないことを優先にしなければならない。親から相続した家の売却もある。店の契約をどうするかの判断もある。大したことはないが、自分の遺産相続に関する手続きがまたややこしい。さまざまな契約関係の解除方法や連絡先といった資料を作成しなくてはならない。細かなことだが、保険会社への連絡と手続き、病院との間の手続き、病院外の施設関係との折衝や契約、現在思いつくだけでも、数ヶ月は要するだろうなと予想できる。会いたい人に会い尽くしたわけではない。遠すぎたり、連絡先が変わっていたり、長年会っていない人とは交流するのも難しかったりする。が、なぜか最近、お相手から連絡をいただく。「そうそう、この人にも会っておきたかった」と思っていた人からメールが来たり、突然店を訪ねてくれたりするのだ。昨日も、30年ほど前に一緒にCMをやっていたタレントさんが店を訪ねてくれた。(このブログにも既に写真付きで登場している)私はシナリオと現場監督(ディレクター)、彼女はMC。テレビの生番組内でコマーシャルをやっていた。2年半も続いたので、忘年会や打ち上げなどで食事やカラオケにも行ったし、スタジオから彼女の希望する場所まで車で送ったりもした。そのCMが終了してからも、こちらからビデオのナレーションをお願いしたり、アホ兄の結婚式の司会をお願いしたりと会う機会は何度かあったが、ここ10年ほど音信不通だった。が、今年に入って急に連絡があり、春に店に顔を出してくれた。その後私の状況が変化してしまったのだが、再び連絡をくれて、また訪ねてくれた。何か、感じることがあったのかもしれない。昨日は病状についていろいろ聞かれた。聞かれなければ、こちらから言うことはなかったが、聞かれたことへの嘘は嫌なので、正直に話した。驚かれはしたが、さまざまな言葉でアドバイスをいただいた。この人もまた、私の運命の輪の中にいる人なのかもしれないと感じた。仕事で親しくなった人は数少ない。私は仕事とプライベートを完全に分ける人間だったので、「接待」という形式の食事や食事会は頻繁にしたが、個人的に食事に行くことは滅多になかった。しかし、彼女とは何度か食事に行き、楽しい思い出を重ねていた。年齢は10歳近く上だが、全く上下関係をつくらない人だし、何なら「年下か?」 と思うくらい幼い言動をするので、こちらがたしなめたり、言動を揶揄したりして楽しい会話を繰り広げられる。ちなみに昨日は、彼女「今から電車に乗ります」とのメール。私「道がわからなくなったら、連絡くださいね」彼女「さすがにこれで間違えたら恥ずい」私「ハードル上げてますやんw」この後はご想像の通り、道がわからなくなって、電話してきた。私もそれが予想できる返しをしているし、あらかじめ店を出て迎えに行っていた。ここのところ、こういう温かな時間を過ごせている。病気はするものだ。今月末に入院予定なのだが、その日程中に「えー、来たいと思ってたのに」という常連さん(奥さんが怖くて滅多に来られないが、奥さんが子供、実母、実妹と旅行予定)がいるので、怖い主治医に日程変更を申し出ねばならない。怖い主治医の反応を想像すると今から胃が痛いが、これも私の楽しいひと時のためだと我慢する。作家だか、編集者だか、あ、作詞家かな、が言っていた。「締め切りは尊い」そのとおり。期限があるから目標(目的)を完遂できる。忙しくも楽しい日々である。
2024.07.08
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検査責めの日々を終了し、今後の治療方針を決定するために怖い主治医と対峙した。いつものとおり、2日前からひどい下痢に悩まされた。しかし、怖い主治医との面談の後は、例の回転寿司を食べに行く、というのをよすがに何とか気持ちを保っていた。気持ちを保たなければならないというのは、ハードな治療が待っている、とか、入院が嫌だ、とか、痛いことがある、とか、という不安要素があるからというのではない。そんなもの、ガン患者なら誰でも通る道だし、嫌ならやめればいいわけで、私が気に病んでいたのは、主治医との会話がどうなるか、の一点に絞られていた。検査結果によっては、手術などの対処が必要になるかもしれない。あるいは、新たな病気が見つかったかもしれない。戦々恐々の心境だった。「トントントン」診察室に入ると、いつもと様子が違っていた。いつもは主治医と、医事課の女性が一人いるだけなのだが、見たことのない看護師が主治医の斜め後ろに座っている。誰なのか、何の目的か不明ながら、怖い主治医と一対一の対面をせずに済む様子に少し安堵した。怖「検査、お疲れ様でした」という言葉の後、先日のMRIの検査結果と今後の方針を説明された。怖「抗がん剤の前に治療が必要かどうかの判断をしましたが、今のところ、それは不必要だろうと思います」虫「そうですか」虫けら、ホッとする。寿司がおいしいだろうとウキウキ。怖「抗がん剤の治療についてですが…」机の引き出しを開けてパンフレットをガサガサし出した。怖「これかな…」すかさず斜め後ろに座っていた看護師が立ち上がり、看「これですね」と指示をする。そうか、この人が抗がん剤の担当の看護師だな、と虫けらが理解する。同じようなやり取りを2度繰り返し、2冊のパンフレットを私に提示しながら怖い主治医が説明をする。怖「副作用は、程度の差があるとはいえ、100%出ます」恐怖の発言である。現代の医療で、なんとかならないものなのか。まさか、副作用を抑えるための薬を売りたいためにわざと残しているのか。ま、途中でやめるつもりなので、虫「程度問題ですね。副作用を我慢してまで治療を続けるつもりはありません。 そのストレスでもっと悪くなるより、やめることを選択します」怖「そういうことやね」何がそういうことなのか。怖い主治医から「そういうことやね」という言葉を何度が聞いた。よく言えば、「患者主体の治療方針を考えてくれている」だが、悪く言えば、「主治医としての判断を患者に投げている」だろう。私としては、ありがたいのだが。抗がん剤を投与されるときに安全性や薬剤の効果を高めるために「ポート」というのを胸に取り付ける。手術が必要なのだが、そのこと自体は予防的抗がん剤を拒否したときに調べて知っていた。怖「ポートについては、知っていますか?」虫「はい」怖「僕、説明したかな」虫「いえ、予防的抗がん剤をお断りする前に調べました」怖「理解できた?」虫「はい。それが嫌だからお断りしたわけではないですが」そこで、看護師に向かって虫「こんなのをつけてると、私はガン患者だと思い知らされて嫌ですね」と言ってみた。看護師はにっこり笑いながら遠慮がちに看「そうですよね。でも、毎回針を刺すより楽ですから」と返してくれた。私はなぜかすごくホッとした。この人は、波長が合う人だと。無論、看護師という職業柄、患者に寄せてきてくれているのはわかる。そういう技術的なことではなく、思考の波長が合うと瞬時に理解できた。すると、主治医の怖い顔が怖くなくなった。怖「日程ですけれど…」虫「祭りが終わるまでは、仕事がややこしいので…」怖「そうでしょうね」え、私、先生にどんな仕事をしているか言っていませんが。どこで商売しているかも。病院の周辺もいろいろ影響があるだろうけれど、天神さんのすぐ近くにあるうちの店の比ではない。いつ、何で、「そうでしょうね」と言える情報を仕入れたのだろう。内科に入院したとき、看護師の一人に店のことを話したが、外科の主治医との接点はないだろう。???を頭に浮かべるしかなかった。一応の入院日程案をこちらから提示し、受け入れられた。怖「再来週あたり、もう一度確認しましょうか。 また来てもらうのも面倒でしょうけれど」虫「いえ、まいります。先生にお会いできるし」なぜそんなことを言ったのか、自分でも理解できない。強気になったのをいいことに、怖い主治医の反応を見たいと思ったのか。それとも、ひどい言葉を返されて、サドだと再認識したかったのか。怖い主治医、視線をこちらに向けずに一瞬固まる。怖「僕に会ってもご利益ないけど。天神さんに賽銭した方がいいよ」意外すぎる返答。賽銭…。所詮私は金づるということか。虫「今時賽銭も大変なんですよ。硬貨は両替に費用がかかるから。 札で賽銭しないと、神社は死活問題です」私も明後日の返答。どうかしてるぜ。このことは、天満宮の神職さんが嘆いていたのだが、ここで言うか。怖「札やったら投げられへんやん」え、何を言ってるのか、この人。虫「賽銭を投げるって、どういうことですか?」怖「人が多いから、投げるやん」虫「初詣しかしないタイプですか? 賽銭を投げるなんて、 通常はないですよ。ねぇ?」看護師に振る。看護師笑いながら、看「前の人に当たったりしますよね」看護師も明後日の返答。明後日の人間ばかりか。虫「パーカーに入ったり、ね。賽銭は投げるものではありません」怖「そうか…」バツが悪そうにパソコンを弄る。転移の話のとき、「すみません」と言ったが、そのときの調子とは明らかに違う、医師としてではなく、人間としてやり込められた感じのバツの悪い顔だった。怖「申し訳ないんやけど、この後、血液検査してほしいねん」虫「はい」怖「肝炎の検査をしとかないと」虫「してますよ」怖「え、そうやったっけ?」虫「抗がん剤不要って言ってるのに、検査されて」怖「あ、また怒られた」私、怒ったことないですけど。これまで、どれほど我慢してきたことか。しかし、主治医としては、私が怒って言ったと誤解する何かがあったのかもしれない。顔が悪いのだ。私は、きつい顔をしているのだと思う。怒ってなくても怒っているように相手に受け取られる。客商売など、全く合わないのだが、なぜか客商売をしている。これがストレスになったのかもしれない。ストレスはガンの元凶だ。こういうやり取りで、今回は私が優位に立った。というより、いつもの私と違うので、怖い主治医が混乱したのだろう。私が感じたストレスを、怖い主治医も感じていたのかもしれない。波長が合わないというのは、そういうことだ。夫とは、本当にすんなり馴染めた。出会ったばかりでも、旅行できたし、一緒に過ごす時間に違和感を感じなかった。しかし…怖い主治医と旅行したら、、と想像しただけでも吐きそうになる。とんでもないストレスだろうと目の前が暗くなる。それほどの話はできないが、その一端をくだんの看護師に話すことができた。看「そうですか? すごく和やかに会話なさっていたのに」虫「初めてです。いつも緊張して汗だくですよ」看「えー、そんな風には見えなかった。先生も気さくに会話されてたし」虫「あんな先生を見たのは初めてです」看「意外ー。そうなんだー」虫「〇〇さん(看護師さんの名前)のおかげです。ありがとうございます」本当に、看護師に感謝、である。
2024.07.06
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昼の営業を1年間休んでいる。夜はずっとやっているのだが、昼を休んでいることだけを見て、いろいろ問われる。「どうしたの?」この問いの裏には、「病気?」「経営不振?」など負の疑問を帯びたものがあるのだと思う。この程度なら、「コロナ以降いろいろありまして」「家族の問題に対応しています」などと答えられる。嘘ではない。「家族」というのは、夫のこともあるが、親の法要や姪の子供の問題があったりもしたので、いろいろ言い訳ができる。が、夜の予約をしてくださった方には、もっと具体的に聞かれる。「病気?」と聞かれたら、嘘は言えないので、「ま、そうですね」と答えると、「どこが悪いの?」「手術したの?」「どこを切ったの?」「病名は?」「予後はいいの?」とどんどん質問がエスカレートする。医師の資格がある人相手ならまだしも、素人のあなたに本当のことを答えて、何か私にメリットはありますか?と思う気持ちもある。しかし、私の真意は本当のことを言ったとき、あなたは耐えられますか?という気持ちだ。なぜ聞きたがるのだろう。全部聞かないと気が済まない人種が一定程度いるのはわかる。好奇心が強いのか、人に寄り添いたいという偽善を偽善と気づかずに本心だと思っているのか、後学のために少しでも情報を仕入れたいのか、定かではないが、とにかく突っ込んでくる。が、そういう人に問いたい。聞いたことへの「責任」が取れるのかと。「責任」というのは、言いたくないのにそれを言った私に、それ相応の返しをしてくれるのか、ということ。こちらの心情を図らずに放ったその言葉の意味をあなたは分かっていますか?と問いたい。そういう言葉を放った人に、ぐうの音も出ないほど畳み掛ける自信はある。言ったことを後悔させたり、泣かせたり、謝らせたり、一生モノの心の傷にしたり……。しかし、それはできないから、多くの言葉を使ってやり過ごそうとする。それも面倒臭くなってきた。本当のことを言ってやろうかと思うことが増えてきた。店をたたむ覚悟ができたら、店をたたむ状況になったら(シロアリの被害が決定的になったら)、言ってやろう。まぁ、その人が再び私の前に現れて、同じ言葉を投げかけてくれるかどうかわからないが。
2024.07.03
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昨年来(ちょうど1年)、来店されるのはいわゆる「常連さん」ばかり。わざわざ予約して来てくださるのだから、一見さんは皆無。夜の常連さんに加え、ランチ(カレー)の常連さんもいらっしゃるが、カレーがないことを承知の上でのご来店。が、たまに常連さんが初来店の方を連れていらっしゃることもある。面白い生態の方にお会いした。●プレゼントを強要常連さんのご内儀(何度かご来店済み)が天神祭の思い出を語り始める。うちの店にも「手打ち」という儀式に祭関係者が来る。そのことについての内情を根掘り葉掘り聞かれる。初来店の方(男性/面白い生態の方)が初「うちわ、もらったでしょう?」と私におっしゃる。(住まいが店の近くで、同じ町内会。町内会の人はうちわをもらえる)私「いえ、扇子です(祝儀の返礼でもらうもの。町会費の代償とは違う)」ご内儀「いや、扇子! どんなんやろ」私が大切に保管している扇子を取り出してご内儀に披露。男性が、扇子の絵柄について解説。初「えー、いいねぇ。もらったら?」ご内儀「そんなぁ、大切なものやのに」私ポカン。なぜ差し上げなければいけないのか理解できず。初「欲しいでしょ? もらったらいいやん」ご内儀「えー、悪いわぁ」これは新手のクレクレか?この流れで「いえ、差し上げません」と言えるか?友達だったら、「あんたも手打ちに来てもらい(祝儀出したらもらえるで)」と返せるけれど、お客さん相手にそんなこと言えるはずもなく。ま、ご内儀が大層喜んでくださったので、よしとする(しかない)。●私に変わって返答宴が進み、食べ終わった食器を下げようとすると、ご内儀「洗い物すごいね。大変やわ」すかさず横から(初来店の男性が)初「機械あるの?」機械とは食洗機だろう。私「いえ、手作業です」ご内儀「大変やわぁ。手伝おうか?」私「いえいえ……」私が継ごうとした言葉の前に食い気味に私に向かって初「これくらい、軽いもんよ。ね」私「飲食店は洗い物との戦いですから」初「慣れてるから、ちゃちゃっやね」初めてのご来店で、私の作業の様子を見たこともなく、こう断言する意図は何なのだろう。ご内儀を気遣ってのことか、私のことを「理解しているよ」というアピールなのか。●何でも知っているアクアパッツァを召し上がっているとき、突然むせ始めた初来店の男性。常連さん「大丈夫? 骨刺さった?」初「ゲホ、ゲホ、いや、バジルが…」あ、それパセリですが。ヤングコーンの丸焼きを召し上がって初「筍(たけのこ)の味や」ご内儀「ほんと、香ばしいわぁ」多分、焼き筍と似た味がしたのだろうが、焦げた皮の香ばしさがコーンに移ったのではないかと思う。初「これは、トウモロコシの小さい品種?」私「間引きしたトウモロコシです。この季節しか出ないので、市場で見つけたら買ってしまいます」初「筍の小さいのと同じことやね」全く違う。かする部分さえないので、私「うーん、違うような」私にしては、中途半端な言い方をした。何でも知っていると思っている人に、はっきりした否定はまずいと思った。さらしくじらをお出ししたら、常連さん「これ何?」私「さらしくじらです」常連さん「えー、珍しいね。鯨か」初「鯨、よく食べたよね。コロ。炊いたりして」さらしくじらの思い出を語っていただきたい。私「この魚屋さんのさらしくじらは柔らかくて臭みがなくて食べやすいんです」常連さん「ほんと、柔らかくておいしいね」ご内儀「魚屋さんによって違うの?」私「仕入れルートが違うんだと思いますが、もっと分厚かったり、 硬かったり。こんなに柔らかくて臭みがないのは珍しいと思います。 鯨の種類が違うんだと思いますが」初「ハリハリ鍋、おいしいよね」それは、身(かのこ)を使う料理。さらしくじらとは関係ない。知らないことが目の前にあると、自分が知っている方向に引っ張っていくようだ。●強引初「うち(マンション)の屋上から天神祭の花火見えるよ」ご内儀「いやー、素敵!! みんなで鑑賞に行きましょうよ」ご内儀が私の肩を掴む。私はお客さんと外食したり、ゴルフに行ったりといったことをしたことがない。しないようにしている。小さな町で変な噂が広まりでもしたら、商売に差し障る。心の中では、断る言葉を考えていた。ご内儀「ママさん、行きましょうね!」実は、来週5日に治療方針があらかた決まるはずで、場合によっては入院(2週間ほど)になるかもしれない。天神祭のときに娑婆にいない可能性が結構高い。それが決まったら、それを口実に断ればいいと思った。私「そのつもりでいます」ご内儀「お料理とお酒、一人2000円くらいで用意できる?」え、持って行くの? 弁当みたいなもの? 2000円?私「あ、お酒はうちからでは高くなりますから、ご用意いただいた方が」ご内儀「そうやね。あ、花火見終わってから、ここに来る?」21時から宴会? え? 何時まで?初「決まり! じゃ、25日夜18時にうちに集合」何か決まったこと、ある? ●自分のアピール初「僕、独身です」突然の言葉。実は知っていた。常連さんから聞いていたのだ。初「アピールしとかないと」ご内儀「えー、なんで結婚しはらへんかったの?」初「別にこれといった理由はないんだけど、なんとなく」これはアピールなのだろうか。「研究に打ち込んでいるうちにこの年に」「海外赴任から戻ってから結婚を、と考えていたら、赴任が長引いて」といった理由なら、独身であることに理由があり、遅まきながら結婚したい、というアピールになると思うが…。初「今度、夜飲みに来ていいですか?」私「夜は予約をいただいてます」初「開いてる時にふらっと」私「予約に応じて仕入れしますので、お出しできるものが限られますが」初「ちょっとしたものがあればいいです」いやいや、予約してくださいよ。頑なな。初「かわいい犬を連れて来ます」飲食店に犬とは。ま、貸切状態ならいいけれど。初「吠えませんから。おとなしいいい子です」そんな問題ではない。アレルギーとか、衛生面とか…。物知りの割に、自分は埒外にいるのだな。私「犬種は?」初「ダックスです」ダックスフントは困るなぁ。大きすぎる。狭い店なのに。。スマホの画像を見せてくる。私「ミニチュアですね。バッグに入れていただいたら大丈夫です」初「もちろん。二人で来ます」独身の理由はそれじゃないのか? 知らんけど。ま、初対面のときは、警戒心満々なのが私の悪い癖で、粗探ししてしまったのだと思うが、結構面白い人だと思う。白いポロシャツの襟をピンと立てていらっしゃることに強烈な違和感を持ったが、女性にモテなさそうな感じも、身なりやセンスが悪いといったこともなく、職業も安定感があり、50過ぎまで独身だったという理由がよくわからなかった。常連さん曰く「ママさん、よかったら付き合ってやってよ」と一年ほど前に言われていたのだが、うーん。。。私が喋っているとき、凝視するのが気になった。私の粗探しをしているのか?ま、付き合いたいなんて思っていたら、一挙手一投足が気になるかもしれない。単に、私を珍獣だと思ったのかもしれないが。店をやっていると、いろんな人に出会えて楽しい。動けなくなる寸前まで営業していたい。
2024.06.30
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