2021年09月17日
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「昭和二十一年の二月は」(哀しき夕陽、未発表作者 能瀬敏夫」より)

昭和二十一年の二月は、異例なほどの暖かさで、連想する帰国も実現するのではないかとの期待感すらありました。そして二月の末頃、ソ連軍が引き上げて行くという噂が流れました。
情報を総合すると確かなようで、早速ソ連軍駐屯地司令官スチコフ大佐の下へ問い合わせに行きました。大佐は、副官と共に現れて「実は我々も本国の指令で動いている。多分そうであろう、はっきりしたら知らせる」と、暗に認めたものの、それに対する明確な指令等は得られませんでした。
司令部には、その後も度々足を運びましたが明確な回答はなく、「抑留者に詳細を告げる必要はない」ということか、「多忙」、「留守」等の理由で面会に応ぜぬ様になり、不安と苛立ちのうちに時は流れました。その後ソ連軍側からは、何ら口頭、又は文書による指示も無いままに、ソ連軍はあっという間に引き上げて行きました。

ソ連軍の引揚げが確実なものとなってから、徐々に中国人グループの働き掛けが激しくなりました。それまでも幾人かの中国人との接触はありましたが、ソ連軍の管理下にあるためか深入りした話題はなく、双方がソ連軍に気兼ねしつつの挨拶程度のものでした。
それが、もはや気兼ねすることも遠慮することもなくなりましたので、遅れをとらじと接近して来た感がありました。それは正に、思惑が入り乱れた維新前夜の様相を呈しておりました。
様々なグループが幾組にも分かれて来訪しますので、誰が× ×で誰が○○と区別することが出来ず、どのグループを信用してよいのかも全く分りませんでした。

 { 中国人グループを大別してみますと }
○ 国民党系
○ 中国共産党系
○ それら二大政党の抗争に反対する有志団と称する団体
○ 建物や敷地等の保有物資を狙っている得体の知れないグループ

 と、大別出来ますが、それらの中国人グループは、一切を極秘裏に事を運ぶと言う考え方のようで、これは中国独特のやり方ではないかと噂をして降りました。
 二、三人一組で通訳を連れてくる。代表一名だけは姓名を名乗るが、同行者は名前を告げない。グループの所属名称、住所、連絡先は決して言わず、
「これは中国事情によるものと理解して、私らを信用してほしい」
 と、院内の状態を聞いたりするが、メモらしきものは一切残さず、又来るからと帰ってゆくのが通例でした。
 それに、彼等の言う、自分達は斯々との言分を纏めてみますと、夫々共通点が多くて愈々分らなくなってしまいます。
「我々は平和、平等、民主主義で独裁を排除する、民衆の幸福、生活を安定させるために働くのだ。」
「我々の敵は日本人ではない、両国民は前項実現に手を携えて行動し、実現に努めましょう」
「今のあなた方の境遇立場には同情する。我々はあなた方の生活を保証し、帰国の途が開けたら、必ず帰国が出来るようにしますから、是非とも我々に協力をして貰いたい」
 と、表立って、日本人は侵略者で当然償うべきだと言うような表現、態度は無かったのですが、われ中国人は斯く斯々然々であるが、過去の日本軍はそうではなかったと非道を示し、協力を要求する形の者もおりました。
 そして、やがて起きるであろう内乱によって生ずる傷病者の診療に、我々を利用しようとする意図は明白でした。
 帰国については、
「途が開けたら」
 と、間を置いている事に引っかかるものを感じましたが、更に中国の内戦に巻き込まれてはならないと、警戒心を強く持って接することにしたのでした。

 ソ連軍の撤退が最終段階に入る頃、中国人グループからは、実際行動に踏み切れ、と、扇動的な言葉が出てくるようになりました。何か不穏なものを感じて、第三方面軍司令部の家族の人達が、朝鮮半島系の人を頼りに病院を離れたのはこの頃でした。

{ 中国人グループが示した二、三の言動を述べてみますと}
イ 支那派遣軍司令官岡村寧次大将からの密
使として、福建省出身の日本語が頗る達者な者が、越中褌に同司令官のでかい官の捺印を見せて、「病院全体で協力願いたい」と、要請して来ました。

ロ 今この病院を離れようとする者、又は脱
出可能な者を調べてください。との申し入
れ。

ハ 何人でも構いません、病院を出られる人
を募集して下さい。と言うグループ。

ニ 希望者は馬家溝駅に出てきて下さい。安全を保証し、食糧、被服、宿舎を準備してあります。

 * 早速私が調査に出掛けましたが、同駅付近にそれらしい場所は無く、それらしいグループも見当りませんでしたが、その後も二度ほど「決断を促す」と、同じ様なことを言ってきました。

ホ ソ連軍にはもう貴方たちを守る力はありません、護衛が必要な時は南崗警察署に来て下さい。

* 直ぐ出掛けて見ました。南崗警察署は秋林洋行の近くに二ヶ所あって、その二ヶ所共に行ってみました。これまでも病院周辺や南崗道路上での略奪、暴行行為など警備のことで相談に行きましたから、多少の顔なじみがありました。然し、この警察内部も、国民党系、共産党系と入り混じり、主導権争いの渦が巻いていたようで、署長、課長を始め昨日居たはずの人が今日は見えない等、激しい混乱の動きが窺われました。このような状況で、なかなか事の中心が捉えられず、何れとも相談が出来にくい状況でした。 
特に不安に感じ困惑したことは、肝心の警察の考え方が一本に絞り切れないことでした。かつて同市の警察は当病院が中国官憲と接点を持った唯一の機関でしたから、今まではここから哈璽浜市の情報を入手することが出来ましたし、夥しく流れるデマもここで質することが出来ましたが、それが出来なくなりますと、終戦直後のような孤立      無援となる恐れがありました。

へ 二月中旬になりますと、(中田一人で来
るように)と、日本人会の名前で呼び出しがありました。

 会漸に行きますと、
 入口で、
「中田さんですね」
 答えると、
「この馬車に乗りなさい」
 と、幌馬車に乗せ、目隠し同然にして連れてゆかれました。場所は分りませんが、元日本人の独身寮を思わせる四畳半ほどの畳の一室でした。
 相手は日本語が堪能で、日本人かも知れないと思う程でしたが、素性は一切明かしませんでした。
「貴方の病院が所有している武器、弾薬の一切をこちらに渡しなさい、隠してある場所や兵器の種類、員数も全てこちらでは掌握している」と、言うのです。
「我々は終戦の後に来た病院で、前の病院がどの様な処理をしたかはまるで分らない」と、それ一辺倒で押し通しました。
ところが、一は穏やかな態度が急変して、
「お前は嘘を言っている」
と、段々激しく脅迫するような態度に変りました。
「言うことを訊かなければ殺すまで」
と、拳銃の弾をころころと転がして、
「今日本人を殺すのは犬猫を殺すよりもたやすいのだ」
とも言いました。その態度から、これは日本人だと漠然と思いました。
「打ち明ける気持ちになるまで底に座れ」
と、出て行き、時々来ては尋問を繰り返し、遂に、
「夕方五時には殺す…」
と、言い残して出て行きました。

  昼食時には白米の握り飯と漬物が皿に盛られて着ました。絶えて久しく見たことの内白米食、ある所にはあるものだ、然し食欲はありませんでした。
  時々出てきては返事を促すことの繰り返しで、午後の三時頃に来た時は、
 「もうこれで終りだ、五時には殺すから考えておけ」
  と、宣言して出て行きました。
  ところが午後五時頃、再び彼が顔を出して、
 「今度こそ最後に聞く」 
と、同じ事をくどくどと繰り返し始めました。
そこで私は、
「貴方がそれ程詳しく知っているのなら、何時でも病院に来て探してください、私達も出来るだけ協力はしますから」
と、答えました。
彼は一度引っ込んでから直ぐ又出てきて、今度は稍々軟らかい態度で、
「今日はお前を帰す」 
「また尋ねるから、その時は協力をする様に」
 と、今朝と同じ馬車で、同じ様に日本人救済会の玄関前で降ろしました。
 外は既に暗く、病院に帰り着いたのは午後の六時を過ぎて降りました。
  みんなが
 「心配したよ」
  と、喜んで迎えてくれました。
  田村さんが、
 「日本人会に電話をしたら、会では呼び出しなどしていない」
  と、云う。
  呼び出し先が日本人会ということで、信用して一人で出掛けてのが迂闊であったと後悔しました。
  彼等はその時兵器以外のことには触れま
 せんでしたが、どのようなグループなのかまるで分らず、拳銃で脅すというのも初め
てのことでした。
 その後このグループは二度と連絡も、病院に調査にも現れませんでした。
当時哈璽浜では内戦必至の噂が流れ、武器は高価で取引されると聞きましたが、ソ
連軍政から中国への立権移行は、中国の国内事情で、とてもすんなりと行われるとは
思われませんでした。
そのことについて、一般中国人間には困惑の色がありありと見えました。そして、
それが因とは明言出来ませんが、哈璽浜市内の対日本人感情が徐々に好転し、(日本
人の全てが悪いのではない」と言うような言葉が聞かれる様になり、従って街での物
売りがし易くなり、それを買ってくれる中国人も増えて、徐々に日本人難民に対する
好意的な空気が流れ始めた様に思います。
(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン
への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。
「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」)


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最終更新日  2021年09月17日 10時55分32秒
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