「人の子よ。イスラエルの家の長老たちが、闇の中でおのおの、自分の偶像の部屋で行なっていることを見たか」(エゼキエル8:12)。長老たちは闇の中、偶像の部屋で何をしたのでしょうか?「行う」と訳されたアーシャーは切る、刻む、彫るなどの意味を持つ動詞で、神が「大空をつくり」(創1:7)、アロンが「若い雄牛の鋳像を造った」(出32:4)などに登場します。そういう意味で、NASB聖書は長老たちは闇の中で、この地を見捨てられたと不平を言いながら、神に取って代わる偶像を槌と丁で彫って彫刻する(carved images)意味に訳しました。また、KJVは闇の中を「想像する場所」(chambers of his imagery)と訳し、主に取って代わる忌み嫌うべきものを想像しながら思い巡らしたという意味にとっています。主なる神の創造的なアーシャーの祝福を遠ざけ、時代の文化的に福音宣教を理解しアプローチしようとするマーケッティング理論に依拠する考えは、偶像の罪を犯すことになります。