2024年06月04日
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カテゴリ: ハレルヤ
2024年6月3-4日 韓国の信仰の友より

2024年6月3日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「人の子よ、私はあなたの目の喜びを一撃をもってあなたから取り去る。あなたは嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない」(エゼキエル24:16)。主はエゼキエルの妻を取り去ります(ラーカフ)。嘆くのも泣くのも葬儀も(19)やってはいけません。それはイスラエルにとって「しるしとなる…わたしが主なる神であることを知るようになる」(24)からです。イスラエルの民は主なる神をよく知っていたつもりでしたが、本当は神を全然わかっていなかったのです。熱い信仰とスマートな神学で主をよく知っているかのように言うのですが、それは自分らの信仰と神学と理念によって創り出された主を知っているにすぎないこともあるでしょう。主なる神は聖霊によらなければ知ることができません。あばら骨の一部を抜き取って(ラーカフ)妻にしてくださり、また彼女を取り去り(ラーカフ)、しかし最後は死を見ずに天に取られる(ラーカフ: 創5:24)、または嵐を起こして天に取り去る(ラーカフ: 列王下2:3,10,11)のが主なる神です。聖霊と御言葉によって主を知っていく恵みが豊かに注がれる日々を祈ります。

2024年6月4日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「アンモン人に言いなさい…お前は…ユダの家が補修となって行ったことを、あはは、と言って嘲った」(エゼキエル25:3)。主の民が罪を犯し苦しみと悲しみに陥るのを見て、「様を見ろ」と言って嘲り罵る人がいます。表ではそうではないふりをしても、心の中では快哉を叫ぶ人もいるのです。まさに自分は罪を犯したことのない人であるかのように罪の苦しみの中にある人を切り捨てる人もいます。主がネブカドネツァル王を用いて反逆の罪を犯しユダを滅ぼした時、アンモン人は「あはは」様を見ろと言いつつ嘲ったのです。長い間、ユダに対して満ち積もっていた怨念を晴らしたでしょう。しかし聖書には「あなたを呪う者を私は呪う」(創12:3)という原理があります。実に、アンモン人がこの地上にそれから見えなくなったのは聖書の原理が働いたからでしょうか。人を裁くことや報復することは主のお仕事です。私たちは、自分の裁く裁きで裁かれます。私たちは罪人ですから誰も石を取ることができないのです。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る成熟したキリスト者になることを祈り求めましょう。





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最終更新日  2024年06月04日 09時34分10秒
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