「主はホセアに言われた。行け。淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。彼は行って、デイブライムの娘ゴメルをめとった」(ホセ1:2-3)。主なる神を離れたイスラエルを淫行の女と比喩し、ホセアをその女を最後まで救おうとする主の姿として比喩されます。「ゴメル」の語源は動詞ガーマルで、この語彙は「終わる、失敗して絶たれる」という意味と、「(主の恵で)最後まで成し遂げる、完成していく」という反語的二重の意味が込められています。「主はいつも救われる」という意味のホセアがゴメルと結婚したとは、主ご自身がゴメルのようなイスラエルの中に入って来られたという意味でもあります。いつも失敗だらけで崩れてしまう人生ですが、主の恵みによって日々生かされてあるのを、ゴメルを通して黙想します。私たちの人生の実存は義人でありつつ罪人です(simul justus et peccator)。今日も、主の恵みによりすがるしかありません。