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学生時代の音楽活動から波及してプロのミュージシャンに・・・パンダさんもそんな流れの中の一人だったと思われます。「シュークリークス」というバンドに在籍して音楽活動を展開していましたが、理由は不明ながら、脱退。当時から話術には定評があり、ラジオのDJ等で食いつなぎながらチャンスを伺っていた。そんな時、こうせつサンから「かぐや姫」の誘い。3人の中では最年長という事もあり、色々と考えるところもあったらしいが、結局説得されて参加した。初期の頃の「かぐや姫」は、こうせつサンとパンダさんのツートップに正やんが後ろから付いている・・といった雰囲気。アルバムでも、パンダさんの曲数はこうせつサンと同等だった。実際、♪神田川のヒットが出る前、パンダさんの作品である♪僕の胸でおやすみ で勝負をかけた「かぐや姫」だった。色々と、こうせつサンも正やんも、かなりパンダさんには気を使っていたらしい。「かぐや姫」の解散が決まったとき、パンダさんはTVドラマ「あこがれ共同体」への出演を決意した。当時を振り返ってパンダさんは「あの頃は何でも出来る。何でも成功する」と思っていたらしく、「幅を広げすぎていた」と回顧しています。確かに、こうせつサンも正やんもミュージシャン一本での活動。パンダさん一人だけ「タレント」のような動きをしていました。音楽一本と決意した証だったのか、「パンダフルハウス」というグループで活動を開始したものの、いつの間にか消滅・・・いつしかパンダさんの露出は少なくなってきました。目立った音楽活動を休止中のパンダさん。保父さんとなり各地の幼稚園を慰問。ある幼稚園で先生が「今日はパンダさんが来ま~す」と言ったところ、園児は大喜び!そこに現れたのがギターをもったオジサン・・・。子供たちの目が点になった事は書くまでもありません。パンダさん、そんな音楽慰問を続けている内に、メラメラと音楽に対する情熱が湧いてきた。沢田聖子さんのライブに飛び入り出演をしたり、ジョイントライブをしたり、また、息子と「PANDAsan」というグループを組み活動をしたり。そんな折、「かぐや姫再結成」がやってきた。パンダさんにとっては、涙ものの「再結成」だったのです。
2006.05.30
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パンダさんが作ってきた♪僕の胸でおやすみ を聞いたこうせつサン。「これ、私が歌います」と、一発宣言でメインボーカルとなった。パンダさん、少々困惑・・・。アルバム「かぐや姫さぁど」のシングルカットとして発売。売れ行きは上々、かぐや姫初のヒット曲となりつつあった。しか~し・・・南こうせつさんの司会だったか?とにかく、ラジオ番組で「さぁど」に収録されていた♪神田川 が放送されたことにより、一気に火が点いた!!♪神田川 のリクエストが殺到!!驚いたレコード会社は急遽♪神田川 をシングル発売。飛ぶように売れ、一気にフォーク会のトップへ上り詰めた。念願のヒット曲を手にした「かぐや姫」。Liveは超満杯~!苦難の道だった、こうせつサンにやっと女神が微笑んだ。が、しか~し・・・約束の3年は近づいている。約束は約束、このヒットに甘んじるより、このヒットを材料ににして、それぞれが活躍すればいい。正やんは先輩のこうせつサンの言うことだから「ハイ!」と一つ返事で納得。でも、パンダさんは、やっとの思いで手に入れた地位に未練があり、渋々の納得だったらしいです。「かぐや姫フォーエブァー」というタイトルで全国で解散コンサートを実施。千秋楽は「神田共立講堂」。最後の最後に♪神田川 を唄うのですが、こうせつサン涙で唄えない。もちろん、正やんもパンダさんも涙。気を取り直した、リーダーのこうせつサン・・・・パンダさんに近寄り耳元でこう言った。「パンダさん、泣いてる場合じゃないですよ。明日からどうするんですか?」これを聞いたパンダさん・・・背筋がビシッと伸びて我に返った。南こうせつサン・・・なんて強い人なんでしょう~!次回はパンダさんネタで~☆
2006.05.29
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私が「かぐや姫」を知ったのは、もう、とっくに解散したあと。何日か前の記事に書いたように、「風」から逆上りして「かぐや姫」に辿りついた。当時の素朴な疑問・・・・何故かぐや姫は解散したのか?ファンなら、当然、知っている事なのですが、最初から「かぐや姫」は3年の期限付きで結成されていたのです。前の記事に書いたように「第一次かぐや姫」は1年の期限付き。第一次かぐや姫の1年間が「あっ」という間過ぎた南こうせつサン、1年じゃ何も出来ない、石の上にも3年・・・3年続ければ何か結果が得られるのではないか?と考えたとか?!考えなかったとか?!とにかく、後輩の伊勢正三さん(当時はまったくの素人)、既にミュージシャンとして活動を開始していたものの、イマイチ波に乗れずに燻っていた山田パンダさんを口説き、3年間の期限付きで「かぐや姫」が再誕生したのです。ヒット曲に恵まれなかったものの、ライブでは満員。でも、どうしてもヒット曲が欲しい。そんな中、パンダさんが♪僕の胸でおやすみ を作ってきた。丁度、3年目を迎えるそんな頃・・・・続きは、次回~☆
2006.05.28
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正やんが高校に入学すると、いきなり応援団への勧誘がやってきた。応援団には入りたくなかった正やん、口からでまかせで「合唱部に入ることが決まっている」とその場をしのいだ。とは言え、でまかせでも一応合唱部には顔を出すべきだろう・・・と、一応、覗きに行ってみた。そこに居たのが、南こうせつさん。3年生のこうせつサンは部長として合唱部を引っ張っていた。正やん、行きがかり上、ボーカルテストを受けたところ、あっけなく「合格」。そのまま入部となった。これが、正やんとこうせつサンの出会い。運命的ですね~!合唱部にこうせつサンはギターを持ち込み部員を前に弾き語りをしていたそうです。正やんの人生に大きく関わっている南こうせつサン。リーダーになる素質は子どもの頃からあったようです。こうせつサンは歌手を目指して上京。全て漢字の「南高節」という名前で♪最後の世界という曲でデビューを果たしました。しかし、「南高節」という名前「なんこう ぶし」という民謡に間違えられたり、努力の甲斐なくデビュー曲は泣かず飛ばず・・・。それでは!という事で旧知の2人を誘い「かぐや姫」を結成。この「かぐや姫」をファンの中では「第一次かぐや姫」といわれており、伊勢正三さんも山田パンダさんも参加していない「かぐや姫」です。最初から一年間限定という約束で活動を開始しました。ソロデビューに失敗して、すぐさま「かぐや姫」の結成、それも、一年間限定という約束付き。何とも、行動力があり、そして期限を設ける事によりグループへ緊張感を持たせる憎らしいほどの手腕!・・・・さすが、リーダーです!!こうせつサンの話題も、まだまだ続きますよ~~!!
2006.05.27
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「風」が活動を停止するというニュースは、ファンの私にとって衝撃的でした。「風」は「古暦」とう伊勢さん、大久保さん、それぞれ1枚づつ(2枚組)のアルバムを置き土産を我々に残しました。何故活動を停止したのかは定かではありません。これまで、4度大久保さんとお会いしましたが、結局、この疑問を投げかける事はできませんでした。さて、ソロになった伊勢さんは「北斗七星」「渚ゆく」・・・と、コンスタントにアルバムを発表していきましたが、どこか、かつての輝きは無く、どんどん自分の世界にのめり込んでいるような、そんな感じが漂っていたような気がします(これは、あくまでも私見です)。その頃の心境を、伊勢さんはある書籍で述べています。私の推測も交えて書きます。「風」の後半、伊勢さんのプライベートな事が週刊誌やTVに取りざたされました。伊勢さんは、かなりダメージを受け、芸能界で名を知らせたのも自分の責任、だったら芸能界から消えるのも自分の責任で消えてしまおう・・・と考えたそうです。普通は売れる事を目指しての音楽活動なのですが、伊勢さんは売れない事を目指した・・・。結果、当然、発表するアルバムは「輝き」は失われていきます。ファンは敏感にそれを受け止めて、徐々に伊勢さんから離れていってしまった。そしてついに、何も宣言する事無く、6年間の間、目立つ活動は停止してしまいました。活動といえば、年に1回開催される南こうせつさんの「サマーピクニック」にゲスト出演する程度。「正やんは、どうしたんだ!!」・・・当時の私は憤慨したものです。しかし、ある日突然、CDショップの前に伊勢正三さんのポスターが張り出せれました。「6年間の沈黙を破り、復活!」キターーーーー!!この続きは、また次回!!
2006.05.26
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伊勢正三さんの風貌がガラリと変わったのが、4枚目のアルバム「海風」から。「海風」は伊勢さんにとっても初めての海外レコーディングでした。完璧にフォークソングという枠は無く、ニューミュージック?というか、何とも不思議なアルバム・・・「海風」でした。さて風貌ですが、3rdアルバムまでの伊勢さんは、ヒゲは口ひげだけ・・・・メガネも薄っすら目が見える感じ。ところが「海風」からは、あごひげを蓄えて、メガネも真っ黒!!そして何より、何処と無く痩せてました。当時の伊勢さんは20代後半・・・全然、若者らしくない。その原因は、「自然食」。玄米ご飯に小魚という質素な食事を摂っていたようです。丁度その頃、「かぐや姫」の再結成があり、色んなTVや雑誌に「かぐや姫」が露出していました。こうせつサンとパンダさんはニコニコしているのに伊勢さんだけは無表情・・・。風貌・立ち振る舞い、全て仙人のような雰囲気でした。今、あの「自然食」が無かったら、もしかしたら伊勢さんは「薬」に走っていたのかも知れないなぁ~・・・と思います。常人では考えられないプレッシャー背負っていたはず。心の弱い人は薬の力を借りて「幻覚」から自分を癒そうとしますが、伊勢さんは食事を変える事により精神と肉体を改造をしようとしたのではないでしょうか?今の伊勢さんは普通にカツカレーを食べているようです。メディアに出る時も笑顔ですもんね?仙人は卒業したようです・・・次回も、伊勢さんですよ~!
2006.05.25
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ハイ、今回も伊勢正三さんです。「かぐや姫」の解散が決まり、さて、解散後の身の振り方はどうしょう?と、考えている時に、事務所(YUI音楽工房)の社長に呼ばれ、「猫にいた大久保一久と一緒にやれ」と言われて「風」の結成と相成った・・・らしい。「かぐや姫」時代、伊勢さんは作詞担当として過ごしていましたが、念願の大ヒット!♪神田川により、気持ちに余裕ができたのか?「三階建ての詩」というアルバムを作る時に、リーダー南こうせつさんから、作詞&曲の枠を2つ与えられました。パッパッとできたのが、あの♪なごり雪。でも、もう一曲がなかなか出来ない・・・・締め切り間際になって、ようやく辿りついたのが、これまた名曲の♪22才の別れ。事務所的には♪22才の別れも「かぐや姫」の曲としてシングル発売したかったらしいが、「この唄は正やんの為に残そう」という、こうせつサンの提案でシングル化は無くなり、その後、「風」のデビュー曲として♪22才の別れが使われました。モチロン、大ヒット!通常、シングルでのヒット曲は、必ずと言って良いほどアルバムに収められるものです。しかし、伊勢さんとしては、♪22才の別れは「かぐや姫」の唄だと思っていたらしく、デビュー曲のヒットにも素直に喜べなかった。ならば、アルバムには収録せず「風」の伊勢正三を見せようじゃないか!・・・・と頑張ったらしいです。頑張って、頑張って♪海岸通(これまた名曲)が出来た時には「やった!」と思った・・・らしいです。その名もズバリ1stアルバム「風」。意地のアルバムでした。♪22才の別れが収録されていなくても、当然の大ヒットになった事は言うまでもありません。次回も、まだまだ・・・・伊勢正三さんのココロだぁ~~!!
2006.05.24
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大久保一久さんの記事を書いたからには、伊勢正三さんについても書かないわけにはいけません。何と言っても、我が師匠なのですから(と、言っても一方的な片想い・・・)。伊勢正三さんを始めて知ったのは、14歳・・・中坊でした。丁度、3rdアルバム「ウィンドレスブルー」が発売された頃。フォークソングといえば「いちご白書をもう一度」しか知らなかった私は、必至に「いちご~」のコピーをしてギターを憶えました。そんな時、友人から借りたのが「ウィンドレスブルー」。このアルバムで「風」はフォークソングの枠を飛び越え、独特の雰囲気を既にかもし出していました。大久保さん直々の秘話によると、3rdアルバムの曲を全部完成させ、プロデューサーに持って行った所、その全ての曲にダメだしを食らったそうです。1から曲作りを始めて、完成させたのが3rdアルバム。ファンなら判ると思いますが、それまでのフォーク路線からガラリとイメージが変わったアルバムでした。一目ぼれした私は、3rdアルバムから2nd→1st→かぐや姫時代へと逆行し、全ての曲を聴き憶えたものです。勿論、始めて見たコンサートも「風」。1曲目、真っ暗な会場に「ささやかなこの人生」の♪チャララ~ンラ~ン、チャッチャッチャ~ン!あの御馴染みのエレキギターの前奏が流れ出し、唄が入るとい同時に会場の明りがパッ!と点いたのを今でも鮮明に覚えています。伊勢正三さんについては書くことが一杯あります。そんな訳で、次回も、伊勢昭三さんのココロだ~!!
2006.05.24
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そんな訳で、大久保一久さんはソロ活動を開始しました。その活動の一端として、4度のLive開催も役にたったと思っています。昔の若い頃の面影そのままの大久保さん。イメージは昔と何ら変わっていません。現在の大久保さんの活動状況は、ここでチェックです!↓http://homepage3.nifty.com/namy/ohkubo-kazuhisa/ファンとしては、新しいCD発売を期待していますが、どうなる事でしょう?また、伊勢正三さんとの「風」の復活も、いつかして欲しいものです。
2006.05.24
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大久保一久さんをご存知だろうか?70年代、フォークソングの渦中で「猫」「風」というTOPグループの一員として活躍していた方です。特に「風」では、「かぐや姫」でグングンと頭角を出してきた伊勢正三さんとタッグを組み、活動終盤の4枚目アルバム「海風」当たりから大久保さんの個性が発揮されていました。当時のファンの目は、伊勢さんに向けれていましたが、大久保さんの愛くるしいフェイスに女性ファンも多く、その存在は大きなものでした。「風」が活動を停止してから(風は解散していない)、ソロとして音楽活動を続けていましたが、どういう理由からかソロ活動も停止。子育てと薬剤師という仕事で数十年を過ぎしていました。しかし、音楽の神様は大久保さんを見捨てなかった。大久保さんの愛する娘さんが「お父さんの歌っているところを見てみたい」という一言で一念発起!木下さんという方と「M」というユニットを組み再び音楽活動を開始しました。私は、中学生の時「風」の大ファンとなり、ギターを手にして「風」のコピーをしていました。そんな私も、仕事を持ち家庭を持ち、いつの間にか音楽から遠ざかったものです。そんな私にも音楽の神様が微笑んでくれたようで、ひょんな事からライブハウスを立ち上げるお手伝いをする事になり、加えてそこで歌うことになったのです。名の知られていないライブハウス。誰かプロを呼んでライブハウスに箔を付けたい。そんな思いの中、ひらめいたのが大久保一久さんでした。再活動をした大久保さん。きっと、何とかなるのではないか???当たって砕けろ!の精神でコンタクトを取りました。ライブ実現まで1年間の期間を要しましたが2005年5月16日、ついに「大久保一久ライブ」を実現できたのです!とても気さくな方で、直ぐに打ち解ける事ができ、続けざまに7月、そして今年の1月、5月と都合4回のライブを開催して頂きました。大久保さんのライブ効果で、様々なアーチストのライブも次々と開催できるまで漕ぎ着けることが出来ました。感謝の気持ちで一杯です!!
2006.05.23
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