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日本はもう大晦日。今年ももうすぐ終わりですね。年の暮れ、12月の終わりは、私を少しセンチにしてしまいます。今年が終わってしまうのが、まるで誰かとのお別れのような気がして寂しいのです。もう少し今年にしがみついていたいような、、、特に2005年は、私にとって、生涯忘れられない年になりそうです。ブランと結婚し、彼は益々Sweetになる一方だし、何て、素晴らしい年だったのでしょう。何かあるに違いない。今、六星占星術をWebで見てみると、今年の私は大殺界を抜けた後の『種子』という、結婚や引越しなど、何かを始めるにいい年だったようです。ブランも今年は『達成』という、いい年でした。私がブランと出会った時も『再会』という幸運期。二人の相性は、、、結婚するなら、おたがいに人生経験を積んで、十分な交際期間を経てからがベターです。それにより、おたがいの欠点を補い合い、長所を伸ばし合う夫婦となることも可能となってくるはずです。これは、今読んだのですが、知らないうちに私達はそうなっていたようです。細木数子さんに対しては賛否両論があるし、私は彼女のような女性は好きではありません。でも、六星占星術はゼロ学や算命学などと同じ原理で、中国の易学をベースにした占術らしく、細木さんがもっと分かり易く、一般向けに書いたのだと思います。干支とかも絡んでいて、全てにおいて12周期、12年、12ヶ月、12日のサイクルで宿命が決まっています。その他の中国の占いを総括して判断すると、万が一、来年が大殺界だとしても、それは決して悪いことじゃないようです。大殺界は、四柱推命では空亡、数字でいえばゼロ地点。その時に、良いことも悪いことも、変化変動反転の作用が現れるのだそうです。良いことが変化してしまう場合もあれば、悪いことが反動する場合もあるみたいですね。確かに、私も大殺界中もいいこと一杯あったし。私は、元々占いはいいことしか信じないし、悪いことは参考程度にしていました。そうじゃなくても、欧米の人達は、大殺界など全く知らないで今まで過ごしてきているのだし。ある程度運命に身を任せながら、何事も最終的には、自分の努力で道を切り開いて、達成しなくちゃなと思います。さて、私の2005年を振り返ると、、、もうあり得ないだろうと思っていた、ブランからのプロポーズを受け、記念にマリナデルレイのホテルに泊まり、バルコニーから海を眺めながら将来を語りあったのがちょうど1年前。日本に帰国後、5ヶ月近く、結婚式準備に精を尽くしました。その後、3ヶ月くらいは移民VISAの準備に追われ、その間、仕事は続けながら無駄遣いしないよう気をつけながらも、後悔のないよう女友達と出かけまくり、日本国内旅行をしまくっていました。志賀高原、田沢湖、白馬八方、斑尾高原、湯沢高原、中里、軽井沢、ルスツ高原(全てスキー&スノボ)奥多摩ハイク、父島、日光テニス、京都、屋久島、白神山地ハイク、那須高原、尾瀬ハイク、式根島2005年に、私が日本で旅行した場所です。一緒に行ってくれた人達、ありがとう。実は、最後の海外一人旅も計画していて、結婚式直前の忙しいさなかに、こっそりチケットとホテルを予約していました。仕事を辞めた後、2週間ほどヨーロッパ方面にさくっといく予定でした。ところが、あまりの忙しさに、直前にキャンセルせざるを得なくなったのです。朝から夕方まで、捨てて、売って、買う、の毎日。引越しの準備が思ったより大変だったのと、月曜から週末まで、ほぼ毎晩、友人と約束が入っていたからなんです。日本を発つ前2ヶ月間は、毎日毎食レストランで外食でした。クラブやサルサも何度も行きました。彼女達のおかげで、素晴らしい独身最後の幕を閉じることができたと感謝しています。日本のお友達に、この場を借りて再度感謝です。そして、楽天を通して知り合った友人、渡米後に、mikilaさんの桜の会を通して知り合ったLA在住のお友達、ここに読みに来てくれる方、本当にありがとうございます。ありがとう、2005年。皆さん、どうぞよいお年を。読んでくださって、ありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングで、↓時々このサイトの順位を見てくれると嬉しいです。
Dec 31, 2005
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国際恋愛・結婚をしている人の中には、本当に、『たまたま好きになった人が外国人』だという人も、大勢いると思う。環境により、子供の頃から、恋愛対象は外国人男性のみという人も中にはいるかもしれませんが、もしかしたら、一番最初の国際恋愛だけは、『たまたま好きになった人が外国人』だったという人は多いのでは、と思います。分かり易い例えを挙げると、『ダーリンは外国人』の著者の女性などは、まさにそのタイプなのでは?と思いました。『特に外国人に興味があったわけでもない、海外に住んだことがあるわけでもない、英語ができたわけでもない、ドメドメの日本人であり、たまたま、好きになった人が外国人だっただけ。』日本で知り合った外国人と、1回目の国際恋愛ですんなり結婚してしまう日本人女性は、どちらかというと、そういうタイプが多いかもしれません。とても、受身のスタンスで、好きになって結婚した人が、たまたま外国人だったのでしょうね。そして、何度か国際恋愛を経験し、私のように、「欧米人と出会いたい。」「欧米人と結婚したい。」と、アグレッシブに活動しようものなら、一部の方から、叩かれてしまうことが多いと思うのです。日本人男性が恋愛対象で、彼らとの出会いを必死で求めて、恋を実らせ、結婚する日本人女性と何ら変わりはないのに、、、、単に好みや相性や環境の問題なのに、、、、この話題を語り始めるときりがないのですが、ブランと一緒に、日本で手をつないで歩いていた時、日本人の中年の男性から、振り向いて思いっきり睨まれるということがあったので、つい書いてしまいました。(4、5年も前のことなのに、いまだに忘れられません。)「私、何か貴方に迷惑をかけているかしら?」うーん、、、、、(と、首をひねってみる)外国人男性に魅了された日本人女性が、日本人男性と結婚したがらなくなり、水面下で独身男女数のひずみを起こし、日本の少子化と婚姻減少のスパイラルにますます拍車をかけているのかも。だとしたら、すみません。この問題は、あまりにも奥が深いので、この恋愛ブログではとても書ききれません。アメリカに来たお陰で、そういう余計なストレスはなくなりましたが、、もし、日本人男性に、「何故、外人がいいの?」と聞かれたら、外国人男性のよさを語って説明して理解を求めるよりも、まずは、「私、日本人の男性とは縁がなかったんですよ。」で乗り切るのが一番いいですよね。実は逆で、私は、アメリカ人の白人男性にはあまり相手にされず、よく声をかけてくれ、私にアプローチをしてくれるのは、日本人男性のほうだったのですが、最終的に縁がなかったのは事実だと思います。読んでくださって、ありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングで、↓時々このサイトの順位を見てくれると嬉しいです。
Dec 30, 2005
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「そろそろ君の車、洗ったほうがいいんじゃない?」と、ブランに何度か言われていた。この辺では、日本のガソリンスタンドにある、ぐるぐる回る大きなタワシが付いたような洗車機を見たことがない。たぶんLAのほうにはあるのでしょうが、この辺にはないのです。「ええ?洗車機ないのお?車なんて、自分で洗ったことない。」といつまでも放ったらかしにしておいたので、ブランは黙っていつの間にか、洗車をしておいてくれました。ごめん、ブラン。私はお礼を言って、彼に好物のDinnerを作ってあげたのでした。ここは車社会なので、ちょっとした用事も自分で運転していかなきゃいけない。「もう、運転めんどくさーい。私専用のChauffeurを雇って~。」(Chauffeur: 自家用車のお抱え運転手)と冗談で甘えると、「僕がなるよ」、と運転していってくれたり。ごめん、ブラン。私はお礼を言って、彼にマッサージをしてあげるのでした。いつも、こうして欲しい、ああして欲しい、と言うとその願いを叶えてくれようとするブラン。そうして、言わなくても察してくれるのです。まるで日本人同士のように。いえ、それ以上に。これは、結婚してから彼がそうなったのではなく、実は付き合っている時から変わっていません。彼の持って生まれた性質が優しくて、そして、私への愛情でやってくれているのだと思います。彼が日本にいた時、出張の度に買ってくるお土産のチョコレートがありました。「これ、美味しい。」と私が言ったら最後。それ以降、毎回、何度も何度も買ってくる。出張に行かなくても、デパートで探して買ってきたり。街を歩いていて、「これ、可愛い。」と私が言うと、数日後にそれを買ってきてくれたりもしました。プレゼントなども、何気に私が言った、「○○欲しい。」という言葉をよく覚えていて、こっそり買っておいてくれることが多かったです。アクセサリーが多いのですが、私が自分で買ってつけているものをよく見ていて、それに似たものを買ってくることが多いので、同じようなアクセサリーがドンドン増えていってしまった気がします。ああ、この人はいつも私を喜ばそうと、あれこれ尽くしてくれるな、私もその分、彼にできるだけのことはしてあげなくては。と、私は益々思うようになるのです。人によるかもしれませんが、結婚前に彼女に尽くしてくれない男性に、結婚したら変わるかもと期待するのは、ちょっと難しいだろうなと思います。読んでくださって、ありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングで、↓時々このサイトの順位を見てくれると嬉しいです。
Dec 29, 2005
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一応新婚とはいえ、交際7年目の私達。「いまだに、何故そんなにラブラブなの?」と日本の友人からメールが来ました。えへ。そうなのかな。確かにラブラブかも。私達がずっとロマンチックな関係でいられる理由、今日は、その秘訣を考えてみました。1.ある程度の緊張感を持つ私達は『夫婦』なのであり、家族だとは思っていないかもしれません。基本は『恋人同士』であり、『親友』だと思っています。つまり、他人としての、いい意味での多少の緊張感を持ち続けています。ブランのほうは、別に好きなようにしてくれて構わないのですが、私のほうは下着姿でうろうろしたり、寝起きの顔でいつまでもダラダラしていないように気をつけています。2.口に出して感謝の気持ちを述べる私達は、言葉にしなくてもお互いが思っていることが不思議と分かり合えるカップルなのですが、感謝の気持ちは必ず口に出します。お互いに、1日に何度かThank youと言い合っています。私が食事を作る度に、ブランは毎回Thank youと言ってくれます。たまに洗濯をしてあげてもThank you、代わりに郵便局に行ってあげてもThank you。私も、外で外食をした時、私の車を洗ってくれた時、長い間運転をしてくれた時、必ずThank youとお礼を言っています。そして、他ならぬ私を人生のパートナーに選んでくれたことを、この感謝の気持ちを忘れないように、私達の結婚式の写真をベッドルーム、リビング、自分の部屋とバスルームに飾ってあります。3.彼のテリトリーに入り込まない当たり前のことかもしれませんが、彼宛の郵便物、小包は、彼からお願いされない限りは勝手に開けたりしません。余程用事がない限り、彼の書斎に入ったりもしないし、彼のPCや携帯電話を勝手にチェックするなども、あり得ないです。4.一人の時間を作ってあげる平日、一人で過ごすことが多い私と違って、彼のほうは一日中働いて、外で色んな人と会っています。彼が平日に一人になれる時間は、ほとんどないと思うのです。食事が終わった後は、私はしばらく自分の部屋で一人で過ごします。彼も一人でゆっくりメールをチェックしたり、本を読んだりする時間が欲しいのではと思うのです。5.美の工程を見せない自分の部屋かバスルームが必要になってきますが、私は、パックしている姿、鏡にかぶりついてお化粧をしている姿、髪にカーラーを巻いている姿を、恐らくまだブランに見せたことがないと思います。実は、ドアの隙間から見られているかもしれませんが、あえて美の工程は見せないほうがいいかな、と思って続けています。以前、作家の森瑶子さんが、イギリス人のご主人とのロマンチックな関係を保つ秘訣は、家にトイレが3つあること、と書いていたのを思い出しました。そういえば、うちにもバスルームが3つあり、私達は各自が別のものを使っています。お手洗いが別なのは女性としてはありがたいし、普段はお風呂も別ですが、毎日一緒より、たまに一緒のお風呂のほうが新鮮でセクシーかなと思います。6.女性でいるこれは、5に関連することかもしれませんが、彼の前では、いつまでも女でいつづけなければと思っています。面倒くさいけど、彼の前では最低限身奇麗にしている、寝る時もジャージやスウェットシャツではなく、シルクの夜着にする、などは気をつけています。私達は金曜の夜、土曜の夜は、必ずワインのボトルを開けます。たまには、私はホステスになった気持ちで、私からワインを注いであげて(普段は、ブランにやってもらいますが)、彼の話を聞いてあげて、つまらないジョークでも笑ってあげるようにしています。7.きれいに片付いたお部屋私達は、ごく普通のアメリカのお家に住んでいますが、ブランがイタリアに赴任していた時に集めたインテリアのお陰で、あまり生活感を感じさせない内装になっています。そして、壁一面の窓からはきれいな夜景が見えるので、ちょっとしたホテルの部屋よりも、自分達の寝室のほうがロマンチックなのです。もちろん、これは住宅事情によって、なかなか難しいことですが、二人の寝室とリビングだけはいつもキレイにしておく、というのはとても大事だと思います。それこそ、ささっと片付けて、いつでもチークダンスを踊れるくらいのスペースは開けておくとか、たまにはTVを消して音楽をかけるとか、キャンドルをともすとか、もし1LDKのアパートだったとしても、できることはあると思います。8.贈り物は自分のお金で私達は、生活費などはジョイントの口座(と言っても、ブランが稼いだお金ですが)から出していますが、彼へのプレゼントは、出所が分かっている口座からではなく、自分の独身時代の貯金で買っています。今後も彼へのプレゼントは、僅かなお小遣い稼ぎから自分のお金で買うつもりでいます。9.精神的に自立するこれは、私の課題でもあると思っていたのですが、ブランに言わせると、私は精神的にとても自立しているのだそうです。「僕がいなくても、君は一人で生活できそうだね」、と。うーん、、、確かに以前の私はそうでした。今でもLAやNYでなら、仕事を見つけて、一人でも十分楽しく暮らせそうです。でもブランは、生活全般に渡って、何でも助けてくれてしまいます。以前、一人で海外に住んだ時のような、何もかも自分でやらなければならないという緊迫感がなく、本当に楽でドンドン甘えてしまっています。多少甘えるのはいいけれど、親子や兄妹のような関係になって、彼にべったり依存しちゃいけないと思っています。彼が必要なのは、娘や妹ではなく、パートナーなのだということを常に頭においています。10. 何があってもあなたの味方「今日、こんなことがあってショック。><;」、「今日、こんなことを言われた。キーッ。」、と言うと、「何だって?僕はそいつを許さない。」とブランは、いつ何時も私の見方です。私も、「何があっても私だけは貴方の見方」という姿勢を崩さないようにしようと思っています。まだまだ出てきそうですが、今さっと思いついた10個を挙げてみました。これは、あくまでも私達夫婦が同じ価値観で、暗黙の了解のままやっていることです。自分のバスルームを持つなどは、日本では住宅事情が許さないし、美の工程を見せないなど、お子さんが何人もいては、そんな悠長なことなど言っていられないと思います。全てをさらけ出し、全てを許しあうのが夫婦、というカップルもいると思うのです。色んなカップルの形があるから、『こうあるべき』、などというルールなどなく、カップル単位で納得しあって、各自が心地いいのなら、それがベストだと私は思います。読んでくださって、ありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングで、↓時々このサイトの順位を見てくれると嬉しいです。
Dec 27, 2005
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昨夜、私達がクリスマスの食事をしたレストランは、LAから車で1時間以上かかるので、ちょっと旅行者が気軽に来れるような場所じゃないのですが、ホテルの中にあるレストランで、とても素敵だったので、ご紹介したいと思います。場所は、LAの南東、リバーサイドという所にあり、ビッグベアレイクなどにドライブに行く途中に立ち寄ることができます。その町のランドマークとも言える、Mission Innという古いホテルです。外観も内装も、まるでヨーロッパのホテルのよう。Museum tourといって、ホテルを案内してくれるツアーまであるそうです。ロビーを抜けると、、、、レストランがいくつかあるのですが、ブランは、ステーキとシーフードのお店を予約していました。郊外のホテルなのに、雰囲気はゴージャス。カソリックの修道院のような感もあり、ホテルのチャペルといえど、とても本格的です。ここで結婚式を挙げると、さぞキレイな写真が撮れそうです。今度は、昼間にパティオでお茶をしに訪れてみたいです。ティガレスさんのリクエストにお応えして、ドレスアップした私達です。うふvプリントアウトをして、更に聖書の上に置いてみました。おまけにハートつきですが、これでお許しを・・・・今からスノーボードに行ってしまうので、お返事は後で書かせていただきますね。読んでくださって、ありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングで、↓時々このサイトの順位を見てくれると嬉しいです。
Dec 26, 2005
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西海岸は、今日がようやくクリスマスです。ツリーの下に置かれたクリスマスプレゼント、私達はしきたり通り、クリスマスの朝に開けました。ブランから私へのプレゼントは、ハートの形のダイヤのネックレスv私からは、i-pod用のスピーカー、と相変わらずロマンチックではない贈り物ですが、案の定ブランは大喜びしてくれました。ブランは、数日前に一度、行き先不明の外出があったのですが、その時にプレゼントを買いにいっていたようです。(ダイヤのネックレスは、私が冗談で欲しい~と言っていたのです。)でも、プレゼントよりも、ずっと嬉しかったのが、実はカードに書かれたメッセージでした。嬉しくて、何度も何度も読み返してしまいました。長いので一部抜粋すると、、、………You're such a wonderful person, such a beautiful woman,and a loving wife. You make me realize how lucky I am to have you to love.I couldn't have said it better myself…….普通のカップルなら、もっとSweetなことを書いているのかもしれませんが、ブランは普段クールなほうだし、やっぱり大好きな人からだとこの程度でも、涙が出るほど嬉しいんです。今まで彼にもらった、クリスマスプレゼントや誕生日プレゼントのカード、ラッピング、リボンは、全部とってあります。私達の、6年前の第一回目のクリスマス。彼から私への初めてのプレゼントは、Givenchyの香水とカジュアルなネックレスでした。参考までに、その時のカードの中身を一部抜粋すると、I've thoroughly enjoyed the time we've spent together and I'm looking forward to sharing more good times with you in 2000.Thanks for sharing special times with me.と、いたってシンプル。カードは、とてもロマンチックな物でしたが、そこにはLoveの文字は書かれていませんでした。この程度でも、私は穴が開くほどそのカードを何度も読み返し、来年も交際が続くのだと狂喜乱舞したのです。本当に彼のことが、キチガイみたいに好きだったんですよね。今までの、ブランからのクリスマス、バレンタイン、誕生日カードを全部開けてみると、カードの最後にLoveの文字を入れてくれるようになったのは、2年目のクリスマスからだということが分かりました。さて、今夜はブランが予約してくれた、豪華?レストランでのクリスマスディナー。今からドレスアップして、行ってきます。読んでくださって、ありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングで、時々このサイトの順位を見てくれると嬉しいです。
Dec 26, 2005
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ブランと結婚して初めてのクリスマスイブは、ディズニーランドで過ごしました。まるで、日本人同士の若いカップルみたいです。渡米直後に、ブランからディズニーランドのチケットをGotしたと聞いた時、「ええ?ディズニーランド?興味ないよー。あなたも何度も行ってるでしょう?」と、とても冷たい反応をしてしまった私。(反省)「僕が最後に行ったのは10年以上も前だよ。東京ディズニーランドが最後。アトラクションも、それから色々変わっているみたいだし、きっと楽しいよ。」「10年じゃ、そんなに変わっていないよ。それに、アナハイムのは、日本のより古くて狭いし。。。。」と、ますます意地悪な私。(反省)「君が喜ぶかと思ったのに。」ごめんね、ブラン。ブランとは日本のディズニーシーには一緒に行ったものの、ランドのほうは行ったことはなかった。私自身も、ディズニーランドはフランスのユーロディズニーに行ったのが最後。かなり前の話なので、確かに変わってるかも。でも、ちょっと面倒くさいなあ。。。私はてっきり、そのチケットを貰ったのだと思っていたのです。なので、行く日を延ばし延ばしにし、あっという間に3ヶ月が。そして、せっかくだからクリスマスに行こう、と重い腰をあげて、今日ようやく出かけたのです。ところが、ゲートで止められてしまい、何とそのチケットは1週間前にExpireしているというではないですか!!ブランは、それをもらったのではなく、事前に買ってあったのだそう。そして、有効期限が12月15日だというのを確かめていなかったのです。私達は悩んだ挙句、結局チケット売り場に戻り、長蛇の列に並んで新しいチケットを買ったのです。(爆)ようやく中に入れた頃には、お腹も空いてイライラ。でもすごい人ごみで、ファーストフードすら買うのが困難な状況。あーあ、こんなことなら10月、11月に行くんだった。どうしよう~。私が面倒くさがったからだ、、、と、落ち込みまくりの私。ブランもさっきから黙っているし、なんだか気まずい雰囲気。でも、せっかくブランが私のために考えてくれたプラン。楽しそうにしなければ、と自分に言い聞かせる私。50歳を迎えたディズニーランドは、あちこちに、50の文字が見えます。アナハイムのディズニーランド、確かに変わっていました。以前は、ちょっと狭くて古くて寂しい印象があったのですが、クリスマスのデコレーションがきれいで、人が多くて活気付いていました。心なしか、眠れる森の美女のお城もきれいになったみたい?そして、あんなに乗り気じゃなかったくせに、中に入るとワクワクしてきて、私達は乗り物に乗りまくり。結局、主要なものばかり10個は乗ったと思います。閉園まで乗り物を楽しんでいたので、最後の花火も、ロマンチックらしい雪も見れませんでした。でも、最初の気まずい雰囲気など、すっかり消え、二人共大満足で帰路についたのです。やっぱりすごいですね、ディズニーランドのマジックは。さて、記念すべき、200000ヒットは、日本時間の12月25日午前4時23分にゲストさんに踏んでいただきました。ドメインは日本のプロバイダーでした。ありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 25, 2005
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今日、日本はクリスマスイブ。今夜の街は賑やかに活気付いて、素敵なレストランはどこも満員。恋人達は、どんなロマンチックな夜を過ごすのでしょう。一方、アメリカ人(といっても様々ですが、ブランのような欧州系のクリスチャンの場合)の、クリスマスは家族で静かに祝うもの。日本のお正月と一緒で、街はお店が閉まってひっそり、ロマンチックとはほど遠い。彼らにとって、大晦日こそ、彼女の誕生日や交際記念日と同じくらい重要で、一年で最もロマンチックな夜のうちの一つだと思います。大晦日は、友達と賑やかなパーティを開いたり、他ならぬ恋人とロマンチックに過ごすもの。特別な理由もないのに、アメリカ人の彼が大晦日に会おうとしないのでは、問題だと思います。さて、ブランの長い人生で一番最高だったNew Year’s Eveは、1999年なのだそうです。彼が東京に赴任になって一年目。日本では、女性にモテモテで、デートの相手にはことかきません。会社もマンションも六本木の側にあったので、毎晩のようにバーに行き、それはそれは楽しい、酒とバラの日々だったそうです。バーに行けば、次々と女性に誘われ、そのうちの何人かとはデートもしました。皆、それなりに美しく魅力的な女性達でしたが、特別なガールフレンドにはならなかったそうです。数ヶ月後、彼の好みのタイプで気の合った女性がついに見つかりました。彼の日本で初めての大晦日は、そのガールフレンドと一緒に過ごそうとあれこれ考えていたのに、その日は何と出勤になってしまったのです。コンピューターのY2K問題で、年末年始をまたいで、オフィスに数人待機する必要が出てしまったのです。家族のいるアメリカ人達は、ほとんど里帰りを予定しており、日本に残った唯一のアメリカ人、ブランと、他数名の日本人スタッフがオフィスに待機することになりました。彼はとても言いづらそうに、自分のガールフレンドに事情を話し、オフィスで一緒に過ごしてもらえないかと頼みます。彼のガールフレンドは喜んでそれに同意し、初めてのNew Year's Eveに着る服を買いに行き、美容院の予約をし、その日を心待ちにしました。そのガールフレンドとは、もちろん私のことなのですが、私達の初めてのNew Year’s Eveは、彼の仕事場だったのです。彼のオフィスは、当時の私のマンションの部屋よりも広く、中に書棚や応接セット、大きなTVもありました。大晦日の夜。他の社員達は、別のフロアで仕事をしていたので、彼のオフィスのあるフロアは、私達2人だけしかいませんでした。彼の仕事中、私は本を読んだり、TVを見たりしていましたが、カウントダウンの5分前になると、私達はオフィスの電気を全部消し、キャンドルに火を灯し、シャンパンで乾杯しました。ブランは、キャンドルとシャンパンを用意してあったのです。一緒にカウントダウンを始め、2000年の幕が明けた瞬間、2人は抱き合って、、、、いつまでも、いつまでもそうしていました。遠くで鳴ってるいる花火の音を聞きながら。彼にとって、忘れられない最高のお誕生日が1999年の私に初めてお祝いしてもらった時。最高の大晦日が、1999年の私と初めてオフィスで過ごした時なのだそうです。1999年は、私達が出会った年なのですが、やはり最初の年は思い出がぎゅっと凝縮されて、忘れられなくなるのでしょうね。あれ以来、遠距離で別れていた2003年以外はいつも一緒に過ごしていた大晦日。今年はどうやって過ごそうかな。さて、私達も明日から3連休。私達は、明日ディズニーランドへ。明後日は日帰りのスノーボード(クリスマスは空いているからだそうです)。そして明々後日に、ようやく教会に行きます。皆さんも、楽しいクリスマスが過ごせますように。Happy Holidays!p.s.もうすぐカウンターが、クリスマス中に200000ヒットを迎えそうです。100000の時は、誰が踏んでくれたのか分かりません。ゲストさんだと思いますが。200000を踏んでくださって気づいた方、お知らせください。もれなくクリスマスプレゼントを差し上げます。(嘘)来てくださった皆さん、本当にありがとうございます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 24, 2005
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先ほど書いた、アメリカの郵便局の愚痴は、怒りのあまり書いてしまったのですが、年賀状やカードを書いていると、もう連絡を取らなくなってしまった、昔の友人を思い出したりしませんか?私が昔働いていた会社の同僚に、Rちゃんという女性がいました。一生懸命仕事をする、明るくて控えめで、けなげな女性でした。男性が多い部署で、女性は彼女と私と数人という時期もあったので、当時、私達はとても仲良くしていたのです。最近は年賀状のやり取りのみの関係で、私のリストにある彼女の住所には、去年からもう郵便物が届かなくなってしまいました。電話やメールも、いつの間にか、どちらからともなく連絡を取らなくなってしまい、今はもうRちゃんの連絡先は分かりません。一緒に働いていた頃、彼女は確か26、7歳くらいでしたが、彼女はその当時まで、一度も恋愛をしたことがなかったそうです。別に、彼女が男性や恋愛に興味がないからというわけではなく、言葉の端々から興味ありありなのが伝わってきました。ううん、一体彼女のどこがいけないのだろう。彼女が、いわゆる地味と言われる容姿と服装なのは確かでした。性格的に、あまり派手な格好をすると気がひけてしまうのだとか。でも、それも一つの個性なのでは。彼女は色白のもち肌、癒し系の穏やかな顔をしていました。お化粧もあまりしないナチュラル系。パーマやカラーで痛んでいない、サラサラヘア。そういう女性が好きな男性、一杯いると思うんですよね。それに、とても性格美人の彼女なのに、一体何の問題があるのだろう、と不思議に思っていました。ある日、彼女は、「私はブスだから。」といった類のことをよく口にすることに気付きました。私達は、「そんなことないよ。」「何言ってるの?」と、その度に言っていたように思います。Rちゃんも含めた同僚達と一緒に、合コンに行ったことが2、3度あります。Rちゃんは3枚目に徹して、場を盛り上げてくれます。せっかく男性陣からRちゃんに質問が飛び、彼女にスポットが当たっても、「ほら、私、ブスだから。」と、おちゃらけてしまうのです。でも、そう言われてしまっては男性達も口ごもってしまって、なんて答えていいのか分からない。彼女としては、自分をわざと貶めて、明るく謙虚に振舞おうとしていたのかもしれませんが、その自信のなさが、彼女の何よりの欠点だったのでしょうね。そして、私も彼女ほどじゃないけど、自分に自信がなくて、同じようなことを他人に言ってしまいがちだったことに気付いたのです。「私、バカだから。」とか、「私、ドジだから。」とか。彼氏から「そんなことないよ」と言ってもらって、自信をつけたかったのかもしれませんが、聞かされるほうはさぞ疲れるでしょうね。他人のふり見て、じゃないですが、私はどんなに自分に自信がない部分でも、それを決して貶めて、男性に言ったりしないようにしようと思ったのです。もう連絡のとりようがなくなってしまったRちゃんに、教えてもらったこと。時々、彼女のことを思い出しては、今頃、幸せな人生を歩んでいて欲しいな、と思います。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 23, 2005
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やっと、やっと、やっと、クリスマスカード出しが終わりました!!!もうギリギリ。日本にいた時も、年賀状をいつも大晦日か、年明けてから出していたから、人間の本質はどこに住んでも変わらないということですね。今日は、うちに何枚かクリスマスカードが届いていた。「へえ、今日は多いな。」と開けてみると、なにやら見覚えのあるカードが、、、、てか、それは私が一昨日出したカードじゃない!!!封筒の表を見ると、『切手が貼られていないので差出人に戻します』旨の書かれた紙が貼ってある。そんなバカな!私は、少しでも早く出したくて、一昨日、カードを全部郵便局まで持っていき、切手代をまとめて払って、窓口に投函をお任せしたのだ。それなのに、切手がはられていない、と戻ってくるなんて、こんなことあり? 怒!まあ、この国ならありえるか。ガッダメッド!以前、NYから送った小包が、待てど暮らせど日本には届かなかったこともあるし。すぐに切手代を払った時のレシートを探したが、こういうときに限ってレシートを捨ててしまっている。とりあえず、明日郵便局に文句を言いに行くことにしたが、国内でもクリスマスにはもう間に合わない。本当に腹のたつことといったら。そういえば昨日は、最後の最後に書いたカード達は、郵便局まで出しに行く時間がなかったので、家の近くにあるサビ付いたポストに投函したのです。カラカラーンと、寂しい音がした。まるで他の郵便物が何も入っていないような。。。。もしかして、誰も回収に来ていないのでは?あのポスト、単なる町の飾り、オブジェだったのでは?ものすごく心配になってきた。今度から郵便物は、自分の手で切手を貼って、郵便局の中にある投函口に入れようと強く心に決めたのでした。今日は、そういうことを書くつもりではなく、恋愛ネタのはずだったのに、、、、今から夕ご飯の準備をするので、後でまた来ますv国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 23, 2005
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うちは三姉妹で、私には妹が2人います。どこの家でもそうだと思いますが、姉妹ってそれぞれ性格が違いますよね。私の下の妹は、典型的な末っ子タイプの性格をしており、それは恋愛においてプラスに働いていたようです。可愛らしくて、人当たりがよくて、一見何も計算してなそう。でも、実は中身は要領がよくてお調子者なのです。以前、家族で引っ越したことがあったのですが、新しい学校でも、すぐに友達ができて一番順応が早いのは末っ子でした。そして、彼女は恋愛で苦労したことがないのでは?恐らく、私のように、自分から男性を追い掛け回したり、思い詰めたり、死にそうなくらいボロボロになったことなどないと思います。私が知る限り、ですが。彼女は常に受身の態勢。付き合っていて、その彼のことが大好きでも、上手くいかないなと思うと、早い段階で見切りをつけ、その後もあまりくよくよ悩まず、さっさと次の人を探していました。最終的に、『この世で2番目に好きな人』だけど、でも、『自分をとても愛してくれる男性』と結婚しました。親たちも、姉妹の中であの子が一番結婚が早いだろうと思っていたようで、誰も驚きませんでした。彼女からしたら、私のように不器用で苦労ばかりして、『どうしても自分が一番大好きな人じゃなきゃ駄目』、と思っている頑固者が不思議に見えたでしょうね。とにかく人を褒めて人を気持ちよくさせて、宿題をやらせたり、お下がりをねだったり、何かを姉達にやらせる、ということがバツグンに上手かったのです。「全く調子いいんだから。」と思いつつ、私も、真ん中の妹もかまってあげてしまい、ますます彼女の甘えん坊に拍車をかけていたのかも。一見、可愛くておバカで何もできなさそうに見せて、実は賢く、私達を上手く使っていたんですよね。なるほど、何でもシャキシャキ一人でやってしまわないで、男性にそうやって物を頼めばよかったのかっ。私は、かなり大人になってから、彼女から色々学びました。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 22, 2005
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昨日、DCに住む友人が、生まれたばかりの赤ちゃんの写真を送ってきてくれました。日米ハーフの、鼻筋が通ってきりリとした男の子。可~愛い~。2005年に、私の周りで生まれた赤ちゃんは、ナント!合計8人。もう一人、NY在住の友人も今臨月ですし、2005年は、まさにプルメリア史上最多の出産ブームでした。2年前の2003年は、私の周りで空前の結婚ブームがあったのですが、皆だいたい、結婚後1-2年以内に妊娠したのです。そういえば、一人を除き、全員が35歳以上での出産です。結婚後、若いカップルなら、数年は2人だけの時間を持ちたいと思うのが普通なのでしょうが、結婚した時点で女性が34歳以上だった場合、通常はいわゆる高齢出産になってしまうわけですよね。「しばらくは2人だけの時間を。」などと、そんな悠長なことは言っていられず、結婚後すぐの妊娠を考えたのかも。実は、若い頃の私は、ちょっと子供が苦手な時期もありました。ところが、ブランに出会ってしばらくした後、初めて、彼の子供ならば欲しいと思ったのです。ブランと結婚できなくてもいいので、彼の血をちく、彼のDNAを持った子供だけでも欲しいとまで思った。今思えば、自己中というか、とにかく何らかの形でブランの一部が欲しかった、ブランとつながっていたかったのでしょうね。ところが、ブランと結婚した途端に、、、、、その考えがまた変わってしまったのです。2人きりでいるのが楽しくて、数年前のブランの子供を欲しいと思った気持ちが消えてしまい、むしろ忘れていたくらい。昨日、友人の赤ちゃんの写真を見て、ようやく「ああ、そういえば。」と思い出した。実は、ブランの気持ちも変わった。私と出会った頃は、再婚も子供を持つことも、考えていなかった彼。ところが、結婚を決める前からは、子供が欲しいと言いだしていた。結婚式の日も、確か彼は同じことを言っていた。あれきり、一度も子供の話しはしていなかったけれど、ブランは今どう思っているのだろうと、彼に聞いてみた。「Baby?うーん、2人きりでいいから、別にいなくてもいいけど、、、でも君が欲しいなら、僕はどちらでもいいよ。」驚いた。実は私も全く同じことを考えていたから。でも、こんなにも人の気持ちが変わる、ということは、10年くらいたって、また2人の気持ちが「やっぱり欲しい」に変わったらどうしよう。2人とも高年齢なのに。ブランの友人には、子供のいない40代、50代のご夫婦が何人かいる。一組は、結婚25年くらいになるカップル。いまだに恋人同士のように仲がよくて『家族の基本は、まずは夫婦あってこそ。』というのを感じさせてくれる。彼女は子供が欲しかったが、できなかったのだそうです。でも、欲しいと思う気持ちのピークは30歳から30代後半まで。40歳を過ぎると、そういう気持ちがなくなってきたのだとか。確かに、私がブランの子供を欲しいと思ったのは30代前半の時。女性ホルモンが、最後の悪あがきをしていたのかも。もう一組の、50代同士のカップルはこういうことを言っていた。「私達は、最初から子供を持つことは考えていなかった。2人とも仕事が忙しかったし、2人だけの生活に満足しきっていたからだと思う。」うーん、なるほど。確かに、私達も満足している。ブランは年齢が高いため、恐らくあと10-15年でリタイアすると思う。リタイアしたら、アメリカの好きな場所(恐らくLA)に引っ越して、ヨーロッパの好きな町に3ヶ月、日本に3ヶ月、アメリカに半年のサイクルで住んで、そこを拠点にあちこち旅行に行こうと話している。アメリカの中西部の別荘も持ち続け、ハイキングやスキーをしてRVでアメリカ中を周ってもいいね、と夢を語る。何か、生活のためと言うよりも、生きがいのために、一緒に細々とビジネスをしてもいいね、とも。そういった2人だけのリタイア生活を、私は密かに楽しみにしている。一方で、出産・育児を通して、女性としての使命を果たさなければ、という気持ちもまだ残ってはいるし。。。。。そんな悠長に構えていられる年齢じゃないのに。とりあえず、運を天に任そう、でブランとの話は終わったのですが、ああ、私が今20代だったら!まだまだ、選択の余地のある年齢だったら!と、久々に考えてしまう写真でした。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 21, 2005
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「大変! もうすぐクリスマス。」私は、今日一日、クリスマス準備にかかっていました。お昼から夕方までは、郵便局に一番近いスタバに行き、ずっとクリスマスカードを書いていたのです。郵便局は、いくつものパッケージを持った人達で長蛇の列。私のようなラストミニッツの人が多いのね。ほ。。。私もブランの家族や知人に送る、ギフトの箱をいくつか持って列に並ぶことに。「必ずクリスマスまでにお届けします。」というスタッフの声が聞こえてきて、私も安心した。郵便局の中に入る前、私より前を歩いていた男性が私に気付き、ドアを開けて先に通してくれた。"Thank you."中に入って列に並ぼうとすると、ちょっと、一秒差くらいで私の前に並んだ男性が、「重いでしょう。」と私を先に並ばせてくれた。"Thank you."こういうところは、本当に女性に対するマナー先進国ですよね。「男子たるもの紳士であれ。」の理念が根付いてるのでしょうか。もちろん、そうじゃない人もいますが。。個人によるところが一番大きいけれど、欧米の中でも、やはり、イギリス人は紳士なのでは、という印象があります。その紳士という定義の中には、いつも落ち着いてて、あまり感情をあらわにしない、というのも含まれます。私がパリにいた時に、荷物を預かってくれて、かつイタリアに同行してくれたTちゃん。読んでいない方、詳しくはこちらです。私を最も愛した男 ~ L'amour fou ~ 彼女はあの後結婚して、今でもパリに住んでいます。優しいご主人と二人、とても幸せそうです。さて、私がロンドンに滞在中、Tちゃんが一度週末に遊びに来てくれたことがありました。私の下宿に泊まって、一緒にイギリスを散策。日曜の夜、彼女のパリ行きのユーロスターの出発まで、1時間くらい待ち時間があったのですが、もう夜も遅かったので、駅構内で人間ウォッチングをすることにしました。出発のホームが見渡せるカフェで、お茶を飲みながら。その時、面白い光景が目に入りました。遠距離カップルが、次から次へと現れては別れを惜しみ、片方がユーロスターに乗り、去っていく。全て白人同士のカップルでしたが、私達が推測したところ、2組のカップルに分かれることに気がつきました。カップルA:男性(イギリス人)、女性(フランス人)のカップルで、女性(フランス人)がロンドンを去るほう。カップルB:男性(フランス人)、女性(イギリス人)のカップルで、男性(フランス人)がロンドンを去るほう。この2組、お別れの際の反応が全く違うのです。* 国籍は、見た目、彼らの服装、僅かに聞こえてくる言葉のアクセントから、私達が判断しています。カップルAの場合は、女性(フランス人)のほうは泣いていますが、男性(イギリス人)は軽くハグして、キスして、結構あっさりとしている人が多かったのです。一方、カップルBの場合は、男性(フランス人)がロンドンを去る時、ユーロスターに乗る直前までべったり、人目もはばからず、濃厚で激しいキスに熱い抱擁。全くもって、二人の世界。カップルAとはまるで雰囲気が違うのです。アングロサクソン系男性と、ラテン系男性の違いなのかな。濃厚なキスシーンを見ても、何とも思わなくなっていた私達ですら、ひぃ~~~!!!!とのけぞり、まるでオバサンのように、いえ、小学生の子供のように、カップルB達を、じーーーっと見つめてしまいました。わたし的には、カップルBのような関係が理想でした。互いのパッションをぶつけ合うような激しい恋愛。でも、何故か結婚したのは、アングロサクソンのほうで、まさに今、カップルAのような関係だと思います。でも、仲はとてもいいです。私もブランも、お互いにそれほど感情をあらわにするほうじゃないし、二人ともクールに見られがちなんですよね。でも、内心は情熱を秘めているような、そんな私達なのです。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 20, 2005
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私達は、毎週末一度は映画を観にいっているのですが、昨日はKing Kongでした。本当は、Memoirs of a geisha(日本はSAYURIかな)を見たかったのですが、LAまで行かないと見れないんです。たかが映画1本のために、車で往復3時間は、ちょっと。。。SAYURIは日本と同時、アメリカも12/9に一部の劇場だけで上映開始、12/23からようやく全米で上映、この辺の映画館でも上映になります。本当に、こういうところが田舎の不便さなんです。さて、総制作費1億1千万ドルをかけたキングコング、過去2本のキングコングも見ているブランに言わせると、テクニックは上がっているが、恐竜シーンがちょっとToo muchなのだそう。私は、なかなか面白かったですよ。切ないキングコングの恋、基本的にラブストーリーなので、大人の女性も楽しめるかも。その後、ブラジル料理レストランで、シュラスコをたらふく食べながら色んな話をした。私達はワインで酔っ払って、私ときたら、1年前の彼のプロポーズの文句を言い始めてしまいました。「あなたは跪いていなかったし、ロマンチックじゃなかったから、あなたのプロポーズ、人に自慢できないじゃない。」「ごめん、ごめん、僕はロマンチストじゃないね。友達に話すときは、君が好きに話しを作って、言えばいいじゃないか。あれはマリナデルレイのフリーウェイだったけど、フリーウェイじゃなくて、ビーチで跪かれたに変えれば?何なら、今跪こうか?」「いい、いい。今はいい。どこでプロポーズしたか、覚えてるの?」(実はよく覚えていない、私)「もちろん。あの辺りを通る度にいつも思い出してるよ。プロポーズしよう、しようとずっと思っていたけど、どうしていいか分からなくて、あの時は急に言いたくなってしまったから。」「そうね、あなた最初はずーっと再婚しないと言ってたもんね。結婚を考えていると言い始めてからも、時間かかったし。いまだって、後悔してるんじゃない?」「一度も後悔したことはない。僕はとてもHappyだ。毎日、君がHappyでいてくれるかどうかだけが、気がかりだ。」このブランのセリフで、私達は急にラブラブに。ブランは、前の奥さんにプロポーズらしいプロポーズをしなかったのだそうです。何となく一緒に住み始めて、何となく結婚していた。それを思うと、私へのプロポーズは物凄い進歩なのだとか。(恐らく)あれが、彼の人生で一度きりのプロポーズ。「どんなプロポーズよりも、貴方のプロポーズが一番嬉しかったし、何の迷いもなく、心から受けたのは貴方のプロポーズだけ。」ブラジル料理レストランで、鉄串に刺したお肉を持ってきたお兄さんを無視して、手をとりあう私達。プロポーズがロマンチックじゃなくても、その後の結婚生活に影響は与えない。の一こまでした。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 18, 2005
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ブランが出張を終え、昨夜遅く帰宅しました!!2人でワインを飲みながら、久々に一杯お話をした。「ブラン、か、かっこいい、、、、、」ぽお~・・・・ (*^^*)彼を見ていると、いまだにドキッとしたり、うっとりしたりするんですよね。さて、彼の出張中、色々不手際があったようです。乗り継ぎの飛行機が遅れたり、会社が用意していた車が手違いで遅れたり。ブランは、日本に3年半赴任していたため、日本の良さをよく理解してくれています。彼はアメリカ人ですが、元々のルーツはイギリス。それに、ドイツ系の血も入っています。でも彼を見ていると、ゲルマンの血が濃いのではと思う。時間にルーズで面倒くさがりの私とは逆で、彼はとても時間に正確できちんとしている人。私の渡米後、私の家具を買ったところ、その家具に不具合があり、問い合わせてみても「お調べして連絡します。」、と言ったきり、いつまでたっても連絡が来なかった。LAのダウンタウンで、老舗のホテルに泊まっていたのに、朝のモーニング・コールの時間を間違えて、1時間早く電話がかかってきた。庭師の働きがいまひとつ悪く、何度も何度も言ってようやく新しい人にかえてもらった。そういうことがある度に、イチイチクレームをして、余計な労力を使う。「日本だったら、こんなことあり得ないよ。」が彼の口癖になってしまった。彼にいわせると、日本は素晴らしい文明の国なのだそうです。彼が日本を褒め出すときりがない。・外にゴミを捨てると悪いと思う、メンタリティ。・電車やバス、公共の乗り物がとてもきれい。・電車の時間の正確さ。1分でも遅れようものなら、遅延証明を出して、謝ってくれる。・レストラン、ホテル、航空等、サービス業に従ずる人達の対応の素晴らしさ。日本ではチップのシステムがないのに、期待以上のサービスを受けられること。・レストランに入って座ると、頼まなくても水とおしぼりが運ばれてくること。・デパートの閉店間際に飛び込んでも、気持ちよく応対してくれ、床に頭が付くのではないかと思うくらい深々と頭を下げられ、何も買わなかったのを恐縮してしまったこと。・新幹線から乗客が降り、次の乗客を乗せるまでの間に手早く掃除をし、カバーを付け替えてゴミを集める清掃係りの人たち。彼女達が一生懸命仕事をしていて、かつ感じがよかったこと。・日本の会社に、朝早く行く用事があったとき、一斉に並んで朝の朝礼、始業5分前には素早く配置に付き、きびきびと統制のとれた社員の動きに感動したこと。私にとっては、当たり前のことばかりなのですが、、、、、、アメリカで何か不手際がある度に、日本を例にとって、日本を褒めちぎるブラン。自分の国を褒められて嬉しくないわけがない。私も、ついブランと一緒になって、アメリカの悪口を言ってしまっていたが、今度は私も、アメリカのいいところを褒めてあげようと思ったのです。ほら、一皿に盛られた食べ物の量が多いとか、お手洗いに便座シートが置いてあるとか、ゴミの分別をしなくていいとか、インスタント食品の種類が豊富で楽、とか、、、、国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 17, 2005
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昨日の日記の続きですが、アンディに何かRight personと出会う方法のいいアドバイスはないかな、と考えていました。よく言われる、紙に自分の理想のパートナー像を書いてみる。これ、すごく重要なことだと思います。実際、私もブランに出会う前は、理想の男性像をワードに打っていました。そして、それに優先順位をつけて、上から並べ替えたりしていました。そして、やみくもに誰にでもあたるのではなく、自分の理想を掲げた、そのうち7-9割くらいが当てはまる人だけをターゲットにデートをしていたような気がします。他人にとってどうでもいいようなことでも、本人にとったら重要、という優先項目もありますよね。例えば、私の場合は、本当に書くのも気がひけるのですが、チビ、デブ、ハゲ、顔がタイプではない、のうち一つでも当てはまる男性だと、どうしても駄目なようでした。いえ、若い頃は、そのうちの一つとか二つが当てはまる人達と付き合ったことがあります。その彼の内面の男らしさや、優しさ、私への愛情や情熱に惹かれていつのまにか私も彼を好きになる、、、、、というパターンです。でも、外見がタイプじゃない人は、どうしても心底彼に惚れ込めなかったのです。(何て、嫌な女なんでしょう。)ましてや、結婚をほのめかされると逃げ腰になってしまい、「あんなにいい人なのに」、と他人に言われて冷静に考えると、「そうか、彼の外見が好きじゃないからなんだ」、と気づく、の繰り返しでした。それを何度か繰り返してみても、やっぱり駄目だったので、外見が自分の好みじゃない人は、どんなに内面の素敵な人でも、1回くらいデートしてみようなどとは思わないで、最初から除外するようになってしまいました。(本当に、書いてて自分でもひどい女だと思います。)確か、27、8歳くらいで、ようやくそれに気づいたので、ちょっと遅すぎでした。ただでさえ出会いが少なくなってきていました。周りは、「いい人だから付き合ってみたら?」、と好みではない男性を紹介してきたりします。好みではない男性に限って、熱烈アプローチをしてきたりします。当時は、まだ焦りもなかったので、「外見があまり好みじゃない人と無理して付き合っても、私の場合は心底惚れ込むことはできないから」、とお断りしたこともあります。(自分を棚にあげて、書くのもお恥ずかしい。)次に彼の職業ですが、私が20代前半の頃は、日本に2年間居住の予定でやってきたN○V○の教師、仕事を辞めてワーキングホリデーで日本に来て、職を探し中、という外国人ともお付き合いをしたことがあります。彼らはまだ若く、将来に夢や希望を持っていて、何だか素敵だったのです。ところが、年齢とともに、そういった感じの男性に興味がなくなってしまったのです。(全く、私ときたら、ビッチもいいところです。)それから以前は、価値観さえ合えば、人種は問わないし、むしろ日本人かアジア系の男性がいいかもと思っていました。冷静に分析すると、私の外見や性格は、どちらかと言うと、香港、台湾、日本人男性受けするようだったし、やっぱり一生住むなら日本がいいなと思っていたからです。ところが、ノアールに出会った後は、完全な欧米人専門になってしまっていました。彼と別れて日本に帰国後、素敵な日本人男性を見ても、「ああ、男の人がいるなあ、、、」程度にしか感じなくなってしまったのです。私のように、外見を重視してしまう人間は、第一印象で決まる、外での出会いや、パーティやバーでの出会いが一番だろうと、できるだけ外に繰り出すようになりました。そうして、何カ国かの欧米人とデートを繰り返し、最終的に、アメリカ人かイギリス人(将来、自分が住むことになるのを考慮して)がいい、と国籍まで限定されてしまっていったのです。お陰で、ますます範囲が狭まり、恋愛対象相手が排除されていきました。かっこいい白人のアメリカ人かイギリス人で、それなりの仕事を持つ人。もちろん、それに該当する外国人、日本にも探せば結構います。でも、いくらかっこよくても、自分にたいして興味を持ってくれない人だと、こっちも恋心が抱けません。彼からの情熱を受けて、こちらもそれに応えるようにお互いに恋に落ちられる人。その後、ようやく出会えた、まさに理想の男性が、イギリス人証券マンでした。最初、彼からのアプローチがすごかったものの、私のほうが彼の気持ちに応えるようになると、彼の私への興味が薄れていったように思います。あの時は、私は彼に夢中でしたが、第一印象がお互いによく、お互いに興味を持っていても、本当の相性の良さ、お互いの共通点、という面を考えると、やはり彼は私のMr. Right ではなかったのだと思います。彼とデートをしながらも、どこかに不安を感じ、私は心のどこかで、別の本当のMr.Rightを求めていたように思います。そうしてようやく出会ったのがブランなのです。総合的に判断して、今までに出会った全ての男性に点数を付けるとしたら、やはりブランに最高得点がつきます。もし、なかなかRight personが現れない人は、Mr.Rightの条件リストに優先順位をつけることをお勧めします。『貴方にとって必要なものは何か』、が分かるかも。全てが理想にかなってなくても、最優先項目から、7-9割が当てはまれば、その人がMr.Rightになる率は高いと思います。私の場合、年齢は全くケアしなかったのですが、もし年齢制限を30歳から35歳などとしていれば、いまだMr.Rightは見つかっていないかもしれません。ブランと出会った後も、結婚までは苦労が続きますが。。。。こんなに苦労しなくても、10代や20代前半でRight personに出会って、その人とすぐに結婚している人だっているわけですよね。私の友人にも、初めての彼氏と23歳で結婚した人もいます。でも、独身が長かった分色んな経験ができて、出会った男性達から学ぶことも大きく、実に素晴らしい独身時代だったなあ。。。。とつくづく思えるんですよね。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 17, 2005
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以前の日記で、半年デートしても、『彼女』になれない?に書いた、アンディのその後です。その後、彼と数回メールのやり取りをして、彼の真相を聞き出しました。これは、もちろん彼のために、親身になって話を聞いてあげる、という意味も含まれていますが、独身男性の心理を得たいという目的もありました。ごめんね、アンディ、私は貴方に幸せになってもらいたい&女性の味方なの。結局、彼が7ヶ月間デートをしていたB子さんは、彼のRight personではないと判断し、もうお別れしたそうです。そして彼は、今様々な方法で、次の女性を探しているそうです。(貴方の写真、出会い系サイトで見たよ、とはさすがに言いませんでしたが。)この彼の判断は、正しいと思います。B子さんのためにも、3年も5年もずるずる付き合わなくてよかった。彼のメールを一部抜粋して、日本語に訳してみます。(ごめんね、アンディ)日本には、綺麗で素敵な女性が一杯いるよ。君が知るように、僕はサークルで知り合った女性と何回かデートをした。でも最近、僕は以前よりも、もっとピッキーになってしまったと感じるんだ。僕は、本当に誰か、僕が尊敬できて、一緒にいて楽しい人と出会いたいと思っている。最初は、やっぱり、彼女が僕のタイプかどうかが重要だと思う。ほら、君が、ハンサムなハリソン(彼は、ブランのことをハリソンと呼んでいます)に一目ぼれして、たちまち恋に落ちたようにね。外見はとても大切だよ。でも、お互いを知るようになると、それ以外のことのほうがもっと重要だよね。お互いに理解し合え尊敬し合えること、共通の趣味や興味があること、その他、大事なことが一杯見えてきた。僕の父は、Right personに出会ってしばらくすると、絶対に分かるはずだと言うんだ。だから、僕はまだRight personに出会っていないのだと思う。でも、シングルライフをエンジョイしてるから僕は大丈夫だよ。と、非常に基本的な、もっともなことばかりを書いています。決して、一生独身でいようとは、思っておらず、彼は彼なりに、必死でRight personを探しているのだそう。アンディと数ヶ月デートをして、別れてしまったB子さんからすると、災難だったかもしれませんが、彼は真剣に、自分の生涯のパートナーを、一生懸命さがしているのでした。ここまできたら妥協はできない、女性のようにバイオロジカルクロックもあまり感じない、そうなると、「これぞ!」という人が現れるまで、じっくりと腰をすえて、唯一の人を探しているのでしょうか。確かに、私自身も、自分の容貌の衰えは棚にあげ、年齢と共にどんどんピッキーになっていくのを自分で感じていました。何となく、とりたてて悪いところのない、30代半ば以降の、独身男性は難しい。。。。と思った一件でした。もちろん人によりますが、さほどピッキーにもなっておらず、世の酸いも甘いもまだ分かっていない、純粋で無防備な若い男性(23歳-27歳くらい)のほうが、実は、あれよあれよという間に結婚してしまうのでは、とも思いました。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 16, 2005
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昨日1日LAで過ごして思ったのは、つくづくLAは楽しいなあ、、、ということ。お店やレストランが一杯あって便利で、賑やか。ここでなら、私がやりたい仕事もできそうだし、夜学校に行くことだってできる。全てにおいて、チャンスがグンと広がるでしょうね。同じ興味を持つ友人にもすぐ出会えるだろうし、気のあった仲間を選ぶ余地もあると思う。もし一人きりで、彼氏もいなかったとしても、LAに住んでさえいれば、すごく楽しいと思う。今、私が住む辺りは、リタイアしたご夫婦や、子供のいる40代50代のファミリーが多く、私とは人生のステージが違う人達です。ブランの部下の奥様達(アメリカ人、イタリア人、台湾人)も何人か紹介されましたが、彼女達は私より10-20歳年上。成人している彼女達のお子さんの話とか、当たり障りのない世間話で終わり。いまだに恋だの愛だの、リレーションシップについて語っていたい私とは全く世界が違う。この場所で私と気の合う友人を見つけるのは、至難の業かもしれません。先日、家の側にダンススタジオを見つけて行ってみましたが、それは子供向けのもので、大人用のクラスはありませんでした。一番近い大学でも、車で片道45分もかかる。これは、日本人と結婚して、全く知らない土地に永住となったとしても、同じ問題が生じるでしょうね。仕事も、ごく限られたものしかありませんし、実際、この辺の奥様達はほとんど専業主婦です。留学や就職で、自分の好きな場所に住んで、そこで結婚された方は、特に問題ないと思います。今現在、日本にいて、国際結婚をして相手の国に住まわれる予定の方、アメリカやヨーロッパの大都市部では、日本にいるのとさほど変わらない快適な生活が送れると思います。特に、LAやハワイはそうでしょうね。しいて挙げる不便は、日本の家族や友人から遠く離れてしまうことくらいでしょうか。国際結婚して海外に住むより、夫の庇護も、企業のサポートもない、留学やワーキングホリデーで海外に住むほうが、ずっと精神的にしんどいと思います。ただ、留学やワーキングホリデーは、自分の好きな場所を選べるし、期間限定なんですよね。結婚だと、望んでいなかったかもしれない場所に、大抵は永住。同じカリフォルニア内でも、ここよりも、もっともっと不便な場所に住んでいる日本人妻達を数人知っていますし、欧米諸国でも、普通は日本人が足を踏み入れないような田舎、もしくは先進資本主義諸国以外の、第二世界、第三世界の一般の人と結婚して、その国に住んでいる日本人女性を、私は尊敬します。もちろん、その国がすごく好きで、その国の人と結婚したいと思い、あえてそうした人もいるでしょうけれど、それこそ、たまたま恋に落ちた人が、サハラ砂漠のキャラバン馬で駆けるモンゴルの遊牧民アマゾンのジャングルツアーガイドという人もいるのでは。。。。と。(これは、非常に極端な例ですが)もちろん、そういう人達と恋に落ちても、大多数の人が結婚までは辿りつかないと思いますが。一昨日、LAに向かう渋滞の中、あまりに退屈で、そういうことを考えていたのです。そして、私が旅先で出会った人達のことを思い出していました。ジャマイカの日本人宿で働く、ジャマイカ人と結婚している日本人女性。ホンジュラスの遺跡で出会った、ホンジュラス人と結婚している日本人女性。チュニジアのお土産屋で働く、チュニジア人結婚している日本人女性。そういえば、日本で知り合ったトンガ人と結婚した知人もいたし。。。彼女達を思い出し、つくづくすごいなあ、と考えていたのです。彼女達は、元々その国に住んでいたわけではなく、日本か、アメリカ等第三国で出会い、遠距離恋愛の末結婚して、夫の国に渡ったのです。彼の愛だけを信じて、何もかも捨てて海を渡ったのでしょうか。私は、日本大好き人間でしたが、ブランと一緒ならどこに住んだってよかった。アメリカなんて、日本人にとって一番馴染みやすく住みやすい場所だと思うんです。それに、ブランがリタイアしたら、アメリカ中どこだって好きな場所に住むことができます。万が一、ここで一生を終えることになったとしても、私は全く後悔はありませんが、(言いたかったことは)それにもかかわらず、時折都会が懐かしくて、都会シックになってしまうのです。LAに行った次の日はいつもそう。何も要らない。貴方さえいれば。くらいの覚悟ができる相手じゃないと、欧米の都市部以外での永住は難しいだろうなあ、、、と、つくづく思ったのです。そうそう、近いうちに、私が今までに恋をした、第三世界の人達との恋愛ストーリーをまとめてみたいと思っています。もういいって?はい、すみません。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 16, 2005
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昨日、バタバタと書いた2つの日記(デートの際のお支払いのご意見、冬のソナタ NY~ソウル)、昨日ちゃんと読み返していなかったので、今日読み返すと、誤字脱字だらけじゃありませんか!(恥)先ほど、アップし直しました。ごめんなさい。何故、昨日はそんなに急いでいたかと言うと、銀行や郵便局に行く用事があったのと、その後サンタモニカへ向ったからなのです。サンタモニカでの一番の目的は、mikilaさんの桜の会に出席すること。ネットで場所と所要時間を調べると、1時間20分。でも、渋滞が全くないなんてあり得ないし、私は2時間前に出発しました。ところが、ところが、家を出てしばらくしたら、周りに車の数がドンドン増えていって、大渋滞に。車は亀より遅い動きになり、そのうち全く動かなくなりました。前日の夜、あまり寝ていなかった私はウトウト。。。。これはいけないと、デジカメに保存してある写真を見始めた私。250枚、全部見終えても、まだ渋滞はおさまらない。今度は、暇つぶしに数秒おきに写真を撮り始めました。でも、このままでは、早退すると言っていたmikilaさんにはもう会えないかもしれない、と途中で彼女に電話を入れます。その後も、全く動く気配なし。これは、某ジャンクションでの写真ですが、右側のオレンジの光がLAに向う車線、片方がLAから戻ってくる車線。この状態が延々に続いたのです。次のExitまで行けたら家に戻ろうかと思ったのですが、ブランが私のために、サンタモニカにホテルを予約してくれていたのです。遅くなったら危ないからと。キャンセルするのも彼に申し訳ない。とりあえず行って、一人でご飯を食べて、一人でクラブでも行こう。あ、クラブは火曜は駄目かな。どっか、バーでも探そうかな。。。等と一人で過ごす計画を立て始めました。途中、パトカー数台に囲まれた、原形をとどめていない車があり、その車を過ぎると急に走り出しました。大きな事故だったのだと思います。2時間後、ようやくサンタモニカへと続く道に入ると、すぐに見えてくるダウンタウンの夜景。私はこの眺めが大好きなんです。車の中からにしては、綺麗に撮れたかも?5時間ドライブで、ようやくサンタモニカに着いた頃には、疲労困憊。目が血走り、目を開けてるのも辛い、疲れてボロボロでした。「み、、、水をくれ、、水を、、、」「お腹空いて死にそう・・・・」「トイレ、、、、」「誰かー、マ、マッサージをお願い。。。。」という状態。すぐにでもホテルにチェックインして横になりたかったのですが、モカトンさんに電話してみると、もうお開きだけど、私のディナーに付き合ってくれるとのこと。お付き合いくださった皆さん、本当にありがとうございます。モカトンさん、バカみたいにポジティブな会?のHさん、M結婚相談所のMさん、Maiesちゃん、Asadenaさん。お陰様で、一人で食事をすることなく、皆さんの貴重なお話も聞けて楽しかったです。1ヶ月ぶりに喋る日本語。私は、ろれつがまわっていませんでしたが、嬉しかったです。皆さん、なんて素敵でいい人達なのでしょう。今日は、マリブで一人で朝食、ランチはmikilaさんとモカトンさんと3人で、その後あちこちで買い物して、LAを満喫しました!!!LAでなら、一人でも十分楽しめますね。ブランは買い物嫌いだから、むしろ、一人のほうが楽しかったりして。ところが、帰りもちょっとした接触事故があったようで、ひどい渋滞。結局、帰りは2時間半もかかったのです。フリーウェイで事故に遭遇する確立が、非常に高いんですが、これ、カリフォルニアでは普通なんですかね。ああ、辛い、長時間ドライブ。ブラン、引っ越してくれないかなあ。。でも、ブランの通勤が大変だし。それに、ブランは、この家から見える景色を気にいってるんですよね。高台にあるので、町と湖が見渡せて。私達の寝室からの眺めも、ついでに撮ってみました。すぐ下が住宅地、その向こうが町、そのまた向こうが湖、その後ろに山が広がり、山を越えると太平洋が近い、、、かな。こんなこと書いてしまうと、場所が限定されてしまったりして。。。ここで日本人を見かけたことはないのですが。。。。久しぶりの日記らしい日記、長時間ドライブで、思うことがあったので、またそれは改めて書きます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 15, 2005
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LLbeerさん、タイ大好き0803さん、Sachikoさん、紗羅ドイツさん、ここぐまさん、myuさん、Chikimanさん、omeletriceさん、fayさん、★mikila★さん、北 湖南さん、Maiesさん、コメントありがとうございます!!!ちょっと、長文日記(冬のソナタ NY~ソウル)を書いていたら、時間がなくなってしまったので、まとめてしまってすみません。コメントも、字数が多すぎて書ききれなくなったので、こっちに移動しました。LLbeerさんのアドバイス、参考になりますね。>会社の人だったら後日コーヒーやおやつの差し入れをしてあげます。>もし何回か出してくれたのなら、代わりに映画代や何かささやかな>プレゼントをしたりしました。myuさんのデートの相手は、紳士ですねえ。>今日しかネイルサロンに行けないので、彼にお礼のプレゼントを>買いに行くよりもサロンを選んでしました。綺麗な彼女と一緒にいられる彼は幸せですね。私も独身時代は、彼氏へのプレゼントよりも、自分磨きのほうにお金を使ってました。Chikimanさんのアンディさんも、半年間も出してくれたなんてさすがですね。割り勘にするようになったのは、二人の関係が安定して、気を許せるようになったからでしょうね。>私はよく知っている人、自分の彼氏などには絶対に払って>もらってますし、お財布も出さずに、笑顔で挨拶をしています。さすが、omeletriceさん!私の友人も全く同じ女性がいますが(お財布は出さない、絶対に払ってもらう)、彼女はやっぱり、そういう(男性が払いたくなるような)オーラを発してますね。Fayさん、書き込みありがとうございます。>私は、日本人の男性、外国人、友人も含め、男の人と割り勘とか>した事がありません。うひぉ~!!Fayさんも、羨ましいです。>私は、子供の頃から?母にアドバイスされていた事が沢山あったのです。>(年頃になる前から)まさに「ルールズ」です。いいお母様ですね。恋の手ほどきをしてくださるとは。私も女友達を見ていて、当然のように男性がお金を出してくれている女性は、何かそういうオーラを出している気がします。出させるだけの自信があるというか、、、Fayさんもそういう方なんでしょうね。北湖南さんのお母様のアドバイスも、はっきりしていて気持ちいいですね。>私の母は「デートで女性に1円でも支払わせる男は、男として>プライドなし!」と言い切ります。>私は、食事や凄くお金を、相手に使わせてしまった時は、>毎回ではないけれど数回に一度プレゼント?>お返しと言う感じでちょっとした物を送ります。>それを渡して、別に相手も「お礼なんだな」と思うよな物で。>負担に感じない様に。Fayさんのこのアイディアはとてもいいと思います。やはり、男性がデート代を支払わない=女性がデートの時に、お化粧もろくにしないで、気合を入れていないのと同じことなんでしょうね。でも、なかにはその女性のことが気にいっても、本質的にケチ、いえ倹約家な人とか、はなっから割り勘主義の人もいますもんね。タイ大好きさんの親友がデートした男性のようなタイプはそうだと思います。そういう人と、今後もお付き合いを続けるかどうかは女性側が判断するしかないのでしょうね。ここぐまさんのように、>初めてのデートの支払いを割り勘にする人は、デート相手から>知人に関係を変更しています。と、これくらい厳しく徹するのも一つのテかも。Sachikoさんが以前デートした男性、>聞いてみると、今までデートしてきた日本人女性達は支払いを>してくれたとの事でした。Mikilaさんがデートした、ルックスのいいジャパニーズ専門っぽいアメリカ人男性なるほど、とても興味深いですね。>日本人女性は出してくれると思った・・・・・・・て、男性の分もですか!?確かにブランも、私に会う前にデートした人達で、日本人の女性は出してくれるのか!と驚いたとは言っていましたが、ごく一部にそういう人もいるのかもしれないですね。Maiesさんの、>でも、男性がごちそうしてくれることが当たり前になっては>ダメですよね。お互いに感謝の気持ちは忘れないように>しなくちゃいけないと思いますが、本当、そうですね。ブランは、今でも毎回(平日2回)、食事を作ってくれてありがとうと言ってくれるので、私も外食した時は、必ずThank youを言っています。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 14, 2005
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ここ、カリフォルニアの砂漠近辺でも、最近はめっきり寒くなってきました。私は今、♪冬ソナをBGM♪に書いています「今更、冬ソナですか?くす。」と笑われそうですが。。。。。あのドラマは、私はそんなにはまらなかったのですが、あの暗い音楽は結構好きなんです。国際恋愛・結婚をテーマにしているからには、ブランのいない隙に、過去の恋愛にどっぷり漬かろうかと思います。長文になりそうな予感です。お忙しい方、もう他人の恋の話はうんざり、という方はここで、スルーしてくださいね。実は、この時期、冬になると、必ず思い出す淡い恋があるのです。==========-韓国人男性、ブルー。今から5年前、2000年の12月の暮れ、私とブルーは、ソウルのロッテホテルのロビーで8年ぶりの再会を果たした。彼は少し太って貫禄づいて、なんだか急激に大人の男になっていた。12月の夜のソウルは、凍てつくような寒さ。彼はすぐに私を車に乗せ、運転しはじめた。曇ったフロントガラスから、細い細い雪が見えた。しばらくして彼は、自分の右手の指を私の左手に絡めてきて、私達はしっかりと手を握り合った。私の頭の中で、8年前に一緒に唄った音楽が鳴り始めた。フランシス・レイの『ある愛の詩』が。1992年12月 クリスマスイブの夜 私達は冬のNYにいた。私とブルーは、雪がチラチラ舞うセントラルパークを、しっかりと手をつないで歩いていた。『ある愛の詩』を英語の歌詞で一緒に唄いながら。(絶対に笑われると思いますが、本当の話です。)私とブルーとの出会いは、その数ヶ月前の9月だった。NYに留学した私は、最初の4ヶ月間大学の寮に入り、大学の付属のESLに通っていた。そこは、男女別のベッドルーム棟が2つあり、2つの棟の真ん中にキッチンやリビングがあり、そこを抜けて、2つの棟が行き来できるような作りになっていた。寮に入って間もない頃、リビングで本を読んでいると、初対面のアジア系の男の子が声を掛けてきた。「今、ヌードルを作ったのですが、食べきれないので、一緒にどうですか。」“辛”という名前の韓国のラーメンで、今でこそどこにでも売っているが、私はその時初めて食べて、すごく美味しいと連発していた。彼は大喜びして、「明日も作ります。」と言ってきた。彼の名前はブルー、韓国人。いかにもお育ちのよさそうな、感じのいい青年。英語が堪能だったので、ESLの学生だというのが意外だった。翌日、クラスがスタートすると、ブルーが入ってきた。彼は私を見つけると、すぐに私の隣に座った。同じクラスとは言え、ソウルの某一流大学の現役大学生で、NYの前はロンドンに留学していた彼のほうが、私より英会話力は上だった。彼は何かと私の世話を焼きたがった。頼んでもいないのに、何かの用事の度に私に付いて来た。そして、私の部屋によく“辛”を持ってきては、一緒に食べようと言った。「今日は韓国語を教える。」「今日は、僕の家族の写真を見せたい。」何かしら言い訳を作っては、毎日私の部屋にやってきたり、食事に誘ったりしてきた。私は当時、日本に日本人の恋人がいた。彼は、ほぼ毎日のように大学の寮に電話をくれ、手紙も週に一度はくれていた。ブルーにもそのことを話したし、私は彼のことを仲のいい友人か、私を慕ってくれる弟のように思っていた。私達が出会って1ヶ月が過ぎた頃、街のバーに誘われた。21歳の誕生日を迎えた彼は、アメリカのバーでお酒を飲んでみたいのだと言った。*アメリカのバーはIDの提示を求められ、NY州は21歳未満は飲酒禁止です。彼は強かった。スコッチを何杯も飲んでいた。でも、どうしても酔えないと言う。そして、その帰りに、寮で別れる時に突然言われた。「I love you. Be my girlfriend.」私は、少し驚いたが、彼の真剣でストレートな眼に引き込まれていってしまった。彼がまともに女性と付き合ったのは、ナント私が初めてだった。それからの2ヶ月間、私達は四六時中一緒に過ごした。留学生の間で、私達の噂はまたたく間に広まってしまった。彼は、私より少し年下だったが、それを感じたことは一度もなかった。食事に行っても、絶対に私には支払わせなかった。ある日、一眼レフに大きな望遠レンズをつけたカメラを持った彼の友人を紹介された。彼はセミプロのカメラマン。二人の写真を撮りに行こうというのだ。撮影は、ハドソン川を北上した、とある場所。紅葉が眩しかった。赤や黄色の落ち葉の中で、私達は戯れ、時折、落ち葉の中に抱き合って崩れ落ちたり、葉っぱを投げてふざけあった。そんな私達の周りを、何度も何度もカメラのシャッターがおりた。「ほら、見て。ハネムーンみたいな写真が撮れたでしょう?」満足げなブルー。(日本でそれをやったら、かなり変な人達だったと思う。)韓国人同士のグループは、日本人同士のグループよりも、結束が固い気がした。彼は、韓国人の女の子の間で人気者だった。そのこともあって、私は、最初、彼女達に少し嫌がらせをされた。「あの女のどこがいいの?」とわざと聞こえるように、英語で言われたこともある。ブルーはもちろんかばってくれたが、一方で、「僕の両親が、僕達のことを知ったら、殺されるかもしれない。」と、悲しいことを言った。「どうして、日本人の君をこんなに好きになってしまったんだろう。」私は、韓国人グループの中に入っていくように努めた。韓国人の女の子達も、だんだん私に心を開いてくれるようになった。寮で韓国料理を作ったら、ブルーだけではなく私も招いてくれるようになったのだ。韓国のスープが辛くて食べれない、と言うと、「こうやって食べるのよ。」と、スープを口の中に入れた状態で白いご飯を口に運び、一緒に飲み込むのだと教えてくれた。お肉をサンチェで巻いて、私に渡してくれたりした。ブルーは元々、12月初めに帰国予定だった。ところが、私と知り合って、滞在を1ヶ月延ばして12月末の帰国に変更したものの、12月末には必ず帰らないといけないと言う。1月からソウルの大学がスタートするのだ。一方、私のほうは、4ヶ月のESLの後、翌年1月から別の学校に入学し、アパートに引っ越すことになっていた。来月からは、NYとソウルに離れ離れ。私は遠距離恋愛で関係を続けようとまでは、考えていなかった。おまけに、私は日本人の彼とまだ連絡を取り続けていた。ブルーもそのことを知って、悩んでいた。彼がNYにいる間だけの恋。彼がソウルに戻るとき、お互いの住所、電話番号は、何も教えあわないようにしようという私の案に、彼は同意した。遊びなどでは、もちろんない。でも、将来の分からない21歳の韓国人大学生の彼のために、日本にいる大人の彼と別れる決心はつかなかった。彼の出発は、クリスマスの日に決定した。延ばし延ばしにしてしまい、その日しかフライトが取れなかったのだ。クリスマスイブの夜。セントラルパーク近くのレストランで食事をした後、公園を散歩し、最後の夜を一緒に過ごした。「今夜はずっと起きていようよ。」私達は、いつまでも、いつまでも、雪の舞う公園を歩き続けた。『ある愛の詩』を繰り返し、歌った。そして翌日、クリスマスの朝。NYのグランドセントラル駅の前で、私たちは、別れた。ブルーは、JFKの空港に向うバスに乗りこんだ。私がNYで彼を見たのは、それが最後だった。彼を乗せたバスが去った後、私は涙があふれて止まらなかった。自分でも驚いた。彼は弟でも単なる友達でもなかった。やはり、私は彼のことを恋していた。朝、外に出た時は、凍てつく寒さだったのに、もう何も感じなくなっていた。涙を流し、白い息をぜーぜーはきながら、よろよろと歩く私を見て、相当具合が悪いのだと思われたのだと思う。すれ違う中年のご婦人に「Are you ok? 」と何度も声をかけられた。私は、あの時、どうやって自分の部屋に戻ったのか全く覚えていない。いつまでもいつまでも、寒い街をさまよい歩いていたことは覚えている。もう二度とあり得ないと思った、ブルーとの再会を果たしたのは、あれから実に8年も後のことだった。2000年の年の暮れ、会社の同僚達と一緒に4日間のソウル旅行をすることになった。ブルーのことを急に思い出した私は、NYで知り合った友人に彼の消息を聞いてみた。そして、私の滞在中、一度だけ、彼と会うことになったのだ。同行する友人達に了解を得た。当時、付き合って2年目になるアメリカ人の恋人、ブランにも、ソウルでexに会うと言っておいた。そして、ホテルのロビーで再会し、今車の中で指を絡めてしまった私達。「着いたよ。」とブルーは、手を離して車を止めた。私の頭の中で流れていた、『ある愛の詩』も止まった。私達は、彼の予約してくれていた、静かな料亭のような場所で食事をした。8年間のお互いの近況を語った。彼は就職はせず、大学に残ってずっと研究を続けていたらしい。1、2年後に、アメリカの大学でドクターを目指すのだそうだ。今、付き合っている人はいないと言った。「君が初めてのガールフレンドだったから、その後も女の子と出会う度に、いつも君のことを思い出していた。」と照れて笑った。私は、結局、あの後、例の日本人の男性とは別れてしまったという話をすると、彼の顔が曇った。でも、貴方はまだ若くて、私はあの時、ああする以外にいい方法が思いつかなかった。==========-ソウルでの再会から、更に5年。風の噂では、彼はアメリカの大学の博士課程で研究を続けているそうだ。お互いの連絡先は知らないままだが、恐らく同じ大地で、時々お互いの幸せを祈りあっているのだと思う。冬になると思いだす短い思い出。日韓の国交が正常化されて、既に30年近くがたっていたものの、13年前は韓国ブームもなく、韓国はまだ近くて遠い国でした。実際、私はアメリカやヨーロッパよりも遠くに感じていました。彼のお陰で、韓国文化を少し垣間見ることができ、あまりに短く、はかない恋でしたが、彼から学んだことは、大きかったです。国際恋愛って、やっぱりいいですね。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 14, 2005
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一人の夜2回目、昨日よりは少し慣れました。今日は夜帰ってきてから、ためにためていた、メールの返事をしていたのです。ようやく、週末のReply分くらいまでは追いついたかな。日本には、私の大事な友人達(彼女達の9割が、30代、独身、キャリアウーマン、趣味に社交に忙しい、魅力的で素敵な人ばかり)が大勢いるのですが、彼女達のうち数人は、何故か、私のことをジョークで(書くのも恥ずかしいですが)教祖と呼んでくれている。(ありがとうね。)何の教祖か?『大好きな人との幸せな恋愛・結婚を広める』教祖だと思います。(たぶん)普段、日本の友人達との恋バナメールのやりとりや、私書箱に送られた恋の相談に費やす時間が長いので、なんだか私も一緒に独身時代を過ごしているような錯覚を起します。そんな彼女達とのメールのやり取りで、先週、『デートの際の支払い』の話題がでました。友人、Mちゃんがデートをしたときの疑問について、数人で意見を交換したのです。赤字はMちゃんの質問です。初デートの際、Mちゃんは、食事の後外に出てから、自分のお財布を出しました。デートのお相手は、「いいよ。。。」と言い、その後、「きちんとしたおうちで育ったんだね。おごってもらって当たり前と思っている女性って、好きになれない。」と言ったのだそうです。更に、彼女が別の男性と初めてのデートをした時のことです。お茶をした後、彼に、映画を見ましょうと誘われました。 1.支払口でお財布を見せるべきでしょうか?実際この時、Mちゃんはお財布を見せて、お支払いしました。 2.初デートで払わないって事は、私に気がないってこと?Mちゃんの疑問は続きます。3.支払ってくれない人は、切れってこと?4.何回ぐらいまで、支払ってもらうべきなのかしら??ここからは、あくまで私の考えなのですが、、、、私は、デートの支払いをもつのは、一種の男性の愛情表現というか、マナーなのだと思っていました。私も、礼儀としてお財布は見せて「お支払い、どうしましょうか。」と聞いてはいました。支払ってくれて当たり前とは思わないけれど、もし払ってくれなかったら、どうしたんだろう!?私なんか悪いことした?てか、私に気がないのね。という、気持ちになっていました。友達なら男女平等で割り勘が当たり前ですが、基本的に、男性と女性は役割が違うと思うのです。私達だって、洋服代、靴代、お化粧代、エステ代、ネイルサロン代、と、お金をかけていますもんね。デートには気合を入れて臨み、『こんな素敵な人と映画が観れて、食事ができるなんて、ぼかあ幸せだな。』くらいの気持ちにさせているのでは?振り返って考えてみると、この考えは、高校時代の同級生(お金ないはず)に、ご馳走してもらって、「いいよ、いいよ。こんな楽しい思いをさせてもらっているんだから。今日はありがとう。」と言われて感動した時の思い出を、ずっと引っぱってきたように思います。この件を、週末ブランに聞いてみたところ、男は女性の前でいいところを見せたいから、デートの支払いをもつのが普通ではとのこと。特に初デートなら全額出すだろうと。でも、日本人の女性は、自分の分のお金を出そうとしてくれる人が多かったとのことです。そして、それはとても好意的に写るのだそうです。ですので、お財布を出すという行為は、マナーとしてするべきなんでしょうね。でも、通常は、いいよ、いいよと男性が支払ってくれる。そこで、心からお礼を言って感謝の気持ちを見せれば、彼女も支払ってくれたに値するのだそうです。その日の夜に、ディナーのお礼のメールが来ても、やはり嬉しいのだそうです。2.初デートで払わないって事は私に気がないってこと?じゃあ、デート中にその女性のことが気に入らなくて、お金をかけるに値しない女だと思ったらどうする?と聞いたところ、たとえ、その女性に興味がなくとも、紳士として支払いはもつ。でも、その後はもう連絡しないだろう、と言っていました。例えもう二度と会わない女性だとしても、男のメンツにかけて、『けちな奴』のレッテルは貼られたくないので払うのだそうです。もし自分が学生だったり無職だとして、どうしてもお金がないのなら、お金のかからないようなデートを提案するとか、自分が食事を作って、女性を家に呼ぶと言ってました。これはあくまでブランの意見であり、支払う、支払わないは、もちろん、男性個人の性格によるところが大きいと思います。そこで、実際に「じゃあ、xxx円お願い」と請求され、割り勘に近くなることもありますよね。3.支払ってくれない人は切れってこと?あからさまに、連絡を絶たなくても、その彼が他に魅力のある人で、お互いにまた会いたいと思うなら、少し様子をみてもいいのでは、と思います。見栄っ張りで友達におごりまくって、散財するような人でも困りますしね。4.何回ぐらいまで、支払ってもらうべきなのかしら??1回目のデートの時は、彼がご馳走してくれたら、「ありがとうございます。すごく美味しかったです。」とお礼を言って、2回目以降のデートは、お茶代等、細々したお金を出すようにすればいいのではないでしょうか。それこそ、ステディになったら、たまに食事を作ってあげたり、事前に映画やイベントのチケット買ってきて、「はいv」と渡したりして。いいですね、恋愛って。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 13, 2005
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昨日の夜から、今週の金曜まで、ブランは東海岸に出張に出ている。本来ならば、今週はシチリアとマルタにハネムーンに行く予定だったにも関わらず、今回の出張のために延期になってしまったのです。当初、私も彼の出張に付いて、一緒に東海岸に行こうと思っていた。アムトラックに乗って、NYとDCにいる友人達に会いに行ってもいいな、と考えていたのです。でも、NYの友人のうち一人が今週帰国すると言うし、もう一人と、DCにいる友人は、二人とも今臨月なので迷惑かもしれない。今、東海岸はとても寒そうだし、、、結局、ギリギリまで迷って、私は家に残ることにしました。渡米以来いつも一緒で、平日のランチ以外は食事もずっと一緒。少しブランと離れてみるのも、いいのでは、と思ったのです。好きな時間に寝て、好きな時に起きれる。好きな時間に、好きなものだけを食べれる。いっそのこと、東京にいた時みたいに毎食外食にしようかな。でも、最近服がきつくなってきたから、夜だけ日本食にしようかな。私ときたら、一人で家に残ると決めた途端、結構ブランの出張が楽しみにすらなってきました。そうだ、やりたいことリストでも作りましょうv・ネイルサロンへ行く・ためている、メールの返信・クリスマスカード書きと発送・ブランの家族達のプレゼントを買いに行く・ブランの部下のご夫婦宅にお呼ばれ・食事を作って、フリージングしておく・ブログを、もっと見易くカスタマイズする・・・その他、ここには書ききれないリストが一杯になってしまった・・・・・あら、私ったら、何だか一人になるのが待ち遠しいみたいvところが、昨夜、ブランがいなくなった途端に、いいようのない喪失感に襲われたのです。「あれ、ブラン、どこにいるんだろう。」と、つい、家中を探してしまいました。迷い小猫のように。でも、どこにもいない。ガラーン・・・・・し~ん・・・・・という、大きな孤独の音とともに、米米クラブというバンドの(ふ、古!若い方はご存知ないかも。私の日本歌謡曲の知識は、90年半ばで止まってしまっています。すみませんっ)『君がいるだけで』という歌が、急に頭の中でかかり、自分を励ましてみました。♪たとえば~、君がいるだーけで、心が強くなれること。。。♪金曜の夜、遅くまで働いて、その後遊びに行って、明け方タクシーで帰宅。車の音がびゅんびゅん聞こえる、東京の狭いマンションで、お昼まで寝る。土曜日も、ランチにディナーにサルサに、3つも予定が。仕事も滅茶苦茶忙しいのに、一緒に遊んでくれる友達も大勢いて、楽しくて楽しくて、忙しくて目が回りそう。。。。。という生活をしていた時は、思ったこともなかった寂しさです。一人ってサイコー!!!とすら思っていたかも。一人旅なんて、至極の楽しみだったんですよ。一人も知り合いのいない場所で、生活するのも大好きだったのに。一人の時はとても強い人間だったと思う。でも、ブランと一緒にいるようになって、私はとても弱い、一人では生きていけないような女になってしまったのでは?♪たとえば~、君がいるだーけで、心が弱くなれること。。。♪と唄ってしまった。イケナイ!イケナイ!でも、どうやら、ブランも同じだったようで、LAを発つときに空港から1回、現地の空港に着いた途端に1回、ホテルに着いた途端に1回電話がありました。こんなマメな人ではなかったのです、以前は。電話でこういう話をしました。もし私達がまだ遠距離恋愛中で、VISAなしで3ヶ月だけ一緒に住んでみようということになっていたら、、、、、どうする、と。今日離れ離れになり、今度はいつ会えるか分からない状況だったら、と。ブランは、もう絶対に離れないと言っていました。今、遠距離国際恋愛中で、結婚を迷っている方、もしくは迷ってらっしゃる彼氏さんをお持ちの方、許されるなら、VISAなしの3ヶ月同棲を試してみるのをおすすめします。それで、お互いに離れられなくなるほどの無二の存在になるかどうか、分かるのではないでしょうか。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 13, 2005
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ここの家は高台にあるので、私達のベッドルームからは、小さな町の夜景や湖が見えて、キラキラ。よって、バックヤード側のカーテンはいつも開けっ放しにしている。ところが、逆側の壁は住宅地の道路側に窓があるので、普段はカーテンを閉めっぱなしにしていた。でも、いつの間にか、住宅地側もキラキラ。最近は、家の周りがオレンジ色になっていた。この辺は、派手なデコレーションはしていないが、家の軒に、小さな豆電球をいくつも絡めていたり、植木に電球を巻きつけている家が多い。前庭に、電球を巻きつけたトナカイやサンタの首が動く置物を飾っていたり、キリスト誕生のシーンを描いた人形を並べている家もある。とても綺麗で幸せな気分になれるので、最近は逆側のカーテンも開けっ放しにすることにした。これは、うちの道路側の部屋から撮った、ここの住宅地。そして、ふと気がつくと、この辺で家にライトアップをしていないのはうちだけになっていた。「私達も、デコレーションしたほうがいいんじゃない?」「別にいいよ。それに、うちは仏教徒だし。」「ええ?いつから仏教徒になったの、私達?私、無宗教だけど、日本でもクリスマスは毎年祝っていたよ。」「そうか、君は仏教徒じゃなかったのか。」がっかりするブラン。確かに彼は仏教の本を読んだり、京都かどこかのお寺で買ってきた小さな仏像を飾っている。(夜、怖いんですよね、その仏像。)でも、ブランが敬虔な仏教徒になるというなら、私も入信しようではないか、と覚悟をした割には、ブランはたまに教会に行くし、昨日NARNIAという映画を観た時も、「あの女王は魔女、悪の象徴で、ほら、あのライオンはジーザスの象徴なんだ。人間の身代わりに死んだでしょう。そして、復活した。ジーザスもね、、、、」と、嬉々としてジーザスを語り始めた。「ほらあ、あなたやっぱりクリスチャンじゃない。クリスマス祝おうよ。家の飾りつけもしようよ。男の一人暮らしの家じゃないんだし。」せめて、家の中にツリーをと、昨日ようやくクリスマスツリーを飾った。とてもオーソドックスなツリーですが。タイマーで夜になると自動的にライトが付くので、帰ってきた時に、クリスマスツリーが出迎えてくれると、嬉しい。今日は、玄関に飾るリースと、庭に並べるライトを買いに行くことに。こちらは、暖炉の上に並べ始めたクリスマスカード。今年一番最初に届いたクリスマスカードは、ホワイトハウスの絵のついたカードだった。一番左端のもの。それは何と、ブッシュ大統領とローラ婦人からでした。と言っても、お二人のサインは印刷。ニュースによると、大統領は140万枚もカードを送ったとか。そして、大統領はあいさつ文に、キリスト生誕に由来する「メリークリスマス」ではなく、宗教色の薄い「ハッピー・ホリデー」を使ったため、大統領の支持基盤であるキリスト教右派が反発しているそうです。確かに、Christmasの字はどこにもない。アメリカでは、宗教的差別につながるとの風潮から、「メリークリスマス」よりも「ハッピーホリデー」のカードの方が一般的になっているようです。そういえば、私の働いていた米系の会社のクリスマスカードも、表紙も中身も全く宗教色のないものでした。確かに、クリスマスを祝わない宗教の人もいるのだから、ハッピーホリデーでいいと思う一方で、私は無宗教だけど、クリスマスは祝いたいので、メリークリスマスと書かれたカードが来ると嬉しい。でも、MuslimやJewryも大勢いるアメリカで、イチイチカードを使い分けるのも面倒だし、、、、うーん、難しいですね。。。そんなことよりも、クリスマスまで、あと2週間。目下の私の悩みは、ブランへのプレゼントです。うーん、これは非常に難しいですね。。。幸せな悩みで、ほんと、すみません。。。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 12, 2005
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昨日は、何故バタバタしていたかと言うと、朝からビッグベアレイクという山に、スノーボードに行っていたからなのです。夕方からクリスマスパーティがあったというのに、です。これが、ビッグベアレイク。湖の周りに可愛い別荘が立ち並んでいます。この辺には、小さいスキー場がいくつかあります。日本で言うなら、GALA湯沢とか軽井沢のような感じでしょうか。スノーマシーンがあって、施設が充実していて、お気軽日帰りスキー場なのです。リフトを降りて、ふと眼下を見ると、なにやら青い塊が。近づいてみると、そこは湖、ビッグベアレイクでした。南カリフォルニアに、こんな風光明媚なスキー場があったなんて感動。さて、ほとんどのスポーツがそうだと思いますが、まず一番大事なことは、『それが好きかどうか』。あとは『ちょっとのセンス』と、何より、どれだけ数をこなしたか、『経験年数と練習』だと思う。もう10年~15年くらい前のスキーがピークの頃、私はスキークラブに5年間ほど所属していたので、今までのスキーの滑走日数は、恐らく300日から400日くらいになると思う。サークルではなく、スキーバカが集まる真面目なクラブで、蛍の光が流れてリフトが止まるまで、滑り倒し。お昼休みを取るのがもったいないからと、リフトの上でカロリーメイトを食べたり、リフトが止まった後は、板をかついで山を登って滑るような人達のクラブだった。指導員のおじさん達が一杯いるクラブの中では、私はとても下手なほうだったが、レジャースキーヤーの普通の男性との間には、当然大差が。。。。。その頃、お付き合いした男性とスキーに行ったことがあるが、、、(ちなみに、20代の若い日本人のお兄さん達です。)一人の人は、まだ初心者だったので、見ていられなくて、「ほら、右、次、左」「こっちに体重を移動して、はい、前見て。」と、アドバイスしてしまい、かなりむっとされてしまったのです。「スキースクールに入るからいい」、と言われてしまった。しょぼーん。。。。その時の反省から、次に付き合った男性の時は何も口出しはしなかった。そして彼は、何度もスキーに行っていると言うので、私は安心して普通に滑りだしました。ところが滑り出して、ふと後ろを見ると、彼の姿がどこにも見えない。私に付いてこれず、彼はナント行方不明になってしまったのです。携帯が普及していない頃で、再会できたのはその2、3時間後。その後、二度と彼からスキーには誘われませんでした。しょぼーん。。。。ブランが日本に住んでいる時も、私達は一緒に3回ほどスキーに行ったことがあります。私は久しぶりのスキーだったので、最初はそろそろ。。。。ブランは結構滑れるし、今度こそ本領発揮で飛ばして大丈夫かな、と思ったが、やはりブランは相当無理をしていたらしい。彼は激しく転んで、膝を痛めて動けなくなってしまったのです。結局、すぐに東京に戻って、彼は1ヶ月くらい病院に通うはめに。それっきり、私達はスキーに行かなくなってしまっていた。しょぼーん。。。。でも、スノーボードのほうは、2人ともまだ始めて間もない。私は、2、3年に1回のペースでしかやったことがなかったが、一昨年にようやく仲間が見つかり、本格的に行くようになったのはほんの2年前から。よって、滑走日数はまだ20日くらい。ブランは去年から始めたので、まだ5日目だった。先シーズンの冬は、何しろ私は5月に結婚式を控えていたので、『私は80歳のおばあちゃん、無理しちゃいけない。』と自分に言い聞かせ、ほんの少しでも疲れたら、すぐ休む。慎重に、慎重にがモットーだった。あのテのスポーツは、慎重過ぎると上達しない。よって、先シーズンは、あまり上達を感じなかった。基礎体力や筋力は、ブランのほうがはるかに上。恐らく、スノボは私と同じくらいのレベルだろうな、一緒に楽しく滑れるだろうな。結婚式も控えていないし、やっと、思う存分滑れる。いやっほ~い!!!!と勢いよくゲレンデに飛び出した。ところが、、、、、スノーボード歴5日目と、20日目の間には、大きな大きな差があったのだ!!具体的に言うと、ブランがリフト1回分滑り降りてくる間に、私は2回分滑ってこれるくらい。><(私、まだまだ下手なんですけどね。)彼は、「悪い、悪い。待ってくれて。」とニコニコ。下で見上げて待ってられると、おりてくる人にはプレッシャー。私は色々、工夫をしてみた。・超ゆっくりゆっくりと滑る練習をする。 ・何度もしゃがみこんで、靴の紐を結びなおす。 ・何度も止まって、コンパクトを取り出しお化粧を直す。 ・何度も止まって、写真を撮りまくって時間を稼ぐ。しかし、カリフォルニアとはいえ、山の上は寒~いし、下手なりにかっ飛びたいし、、、、不完全燃焼のままで、山を下りてきたのでした。いっそのこと、彼のレベルが追いつくまで、私は家で待機しようか。でも男の人は、すぐに上手くなるかな。女性のほうがお得意なスポーツがある場合、そういう時、皆さんはどうされてます?国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 11, 2005
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今日は、朝7時からずっと出掛けていて、夕方服を着替えに一度家に戻り、その時にコメントのお返事を書きかけ、楽天仲間のブログも読みかけたのですが、時間がなくなり途中で断念。そうして、先ほどようやく帰宅しました。私書箱のほうに、励ましメールをくださった方々、恋愛ご相談メールをくださった方々、本当にありがとうございます。もちろん喜んで読ませていただきましたが、今日中にはお返事できそうにありません。ごめんなさい。近いうちに必ずリプライしますので、しばしお待ちくださいませ。何故、夕方バタバタと家に着替えに戻ったか、、、、、今日はブランの会社の、クリスマスパーティだったのです。久々にロングドレスを着て、ハイヒールを履き、フルメイクをしました。やっぱりお洒落をするのは楽しい!!ちょっと、はりきり過ぎかなあ、浮いちゃうかなあ、とドキドキしていたのですが。会場に着いてみると、女性の皆さんは、もっと派手なドレスで、あら?私は地味~なほうでした。サンタクロースが出迎えてくれて、その後はしばらくバータイムです。19時ごろからDinnerが始まり、1時間くらいはご歓談。何故か私達のテーブルには、奥様がアジア人のカップルが集まってきました。私のせい?その後、ブランから部下達へのスピーチが。ブランたら、いつまでも、いつまでも、喋りすぎ。そして、つまらないジョークを飛ばしてしまい、し~ん。。。。でも、私は誰よりも力一杯拍手をしてあげました。「どうだった?」と聞かれて、イマイチとは言えず、「もちろん、よかった。」と言ってしまいましたが、彼のためにも、本当のことを言ったほうがよかったのでしょうか。。。。。そして、ディスコタイム。ダンスが大好きな私。アメリカに来てからは、全然夜遊びもできないし、実はとっても踊りたかったのですが、、、、、ロングドレスだし、彼のためにもお上品にしていなければ、と我慢、我慢。その後は、抽選会がありました。キャッシュに、i-pod に、DVDプレイヤー等、景品は盛りだくさん。私達は、イタリアンレストランのディナー・チケットが当たりました!!最後にカラオケがスタート。ブランの会社のパーティに初参加。18時から24時までの、長い、長いパーティでした。こんなに長いパーティは初めてです。もちろん自由参加で、半分も来ていなかったそうですが、パートナーを連れてきている社員が多かったので、総勢200人以上はいたのではないでしょうか。しかし、女性の皆さんが華やかで圧倒されました。なんてゴージャスなんでしょう。はあ。。。。。いい刺激になったし、非常に疲れたのでぐっすり眠れそうです。もうすぐ1時。おやすみなさいvv国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 10, 2005
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L'amour fou ~私を最も愛した男~ のエピローグです。とても長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。こんな長文、自己満で誰も読んでくれないかも、と思ったのに、皆さんが楽しみにしてくださったり、励ましのメールをいただいたりして、とても嬉しかったです。ですので、フリーページに残すことにしました。初めての方は、お時間のある時に、こちらからどうぞ。L'amour fou ~私を最も愛した男~もちろん、ノアールのような人は特殊ですが、フランス人男性は、恋愛に対して情熱的、感情をあらわにする人が多いと思いました。パリにいた頃、バスの中で、床に荷物を散乱させ、声をあげて泣いている大の男を見たことがあります。失恋したのでしょうか。その後、知り合いのフランス人男性に、ノアールの話しを聞いてもらったことがあります。「ああ、僕も若い頃は、彼のようになってしまったことがあったよ。でも今は女の子のほうに、そうなられて困っている。」と笑いました。そういえば、私も若いころ、自分よがりの恋をしたことがあります。それこそ、死んでしまいたい思いもしたことがあります。私はこんなに愛しているのに、深く人を愛せない彼のほうに問題があるのでは、と思ったこともあります。でも、相手を思う気持ちがセーブできずに、自分だけが愛し過ぎることは、時には暴力にもなりうること。恋愛はつくづくバランスだと思います。どちらかの気持ちが重過ぎても、軽すぎてもうまくいかない。そうそう、それに関連することが、こちらの日記なのですが。愛し過ぎる女性達相手にペースを合わせて、二人で一緒に恋愛を盛り上げていくためには、いわゆる駆け引きと言われてしまうような言動も、恋愛のコミュニケーションの一つとして、必要不可欠だと思うのです。ノアールは、恋愛コミュニケーション能力のとても低い男性でしたが、彼が以前お付き合いしていた女性は、彼以上に嫉妬深く、恋愛が全ての女性だったそうです。だからこそ、2年間も同棲が続いたのでしょうね。あれ以来、彼も成長したと思うし、そう願いたいです。そして、気づかないうちに彼は、私にも大きな影響を与えてしまっていたのです。フランス留学前に、あれほど私を苦しめた日本人の元彼のことなど、もうアリのような存在になっていました。日本に帰国後、日本人の彼は私に連絡を取ってきましたが、私は彼のところに戻る気は一切ありませんでした。私は、その後、時々ノアールのことを思い出すことがありました。朝のキスで起こされると、いつも朝食が出来上がっていたこと。私の洗濯もやってくれ、きれいにアイロンがかかっていたこと。徹底したレディファーストだったこと。シェリー、ダーリン、ハニー、レーヌと私を呼び、私を褒めちぎり、お姫様のように扱われたこと。赤いバラの花束をさりげなく渡してくれたこと。もちろん、日本人男性にもそういう人はいるのでしょうけれど、私があの後、結婚するなら欧米人と考えるようになってしまったのは、彼のそういった女性への接し方が、忘れられなかったのも理由の一つだと思います。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 9, 2005
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最終章:パリへ戻って~Adieu4、5回で終わるかと思ったら、8回にわたってしまいました。古い写真に見入ったり、手紙を読みふけったのが原因です。でも、やっと終わりそうです。ふう。。。当初、あの時の経験も、恋する方の何らかのお役にたてるかも、と思って書き始めたのですが、書きながら、何が言いたかったのかが分かってきました。それは、もう一度改めて、エピローグに書きますね。では、最終章 パリへ戻って~Adieu です。私は、ノアールの声が聞こえた瞬間、無言ですぐに電話を切ってしまった。すると数秒後、また電話が鳴った。今度は、大家のおばさんより先に、私が受話器を取った。私は逆上していた。ノアールの、Helloという声と同時に叫んだ。何故か、全部英語だった。「私は、あなたの声も聞きたくない。顔も見たくない。あなたのような、恋愛しか頭にない人は魅力がない。あなたみたいな男は大嫌い。二度と電話をかけないで。二度と私の前に現れないで。」そうして、ガッシャーン!!!と大きな音を廊下じゅうに響き渡らせながら受話器を置いた。そこに下宿している、あと3人の外国人女性達が部屋から出てきた。人の良さそうな大家のおばさんは、口をポカーンと開けたまま立ちすくんでいた。やっと、ここに落ち着けると思ったのに。私は大家のおばさんに謝り、明日にでもここを出ていくと言った。契約どおり、1ヶ月分の家賃は払いますと言って。おばさんは、「お茶でも飲みましょうよ。」と紅茶を入れ始めた。彼女は、私が今までに海外で、ホームステイ、ルームシェア、貸し部屋、下宿をしたなかで、ピカイチ、ベストと言えるほどにいい人だった。長い間話を聞いてくれた。「そのフランス人が、もし訪ねてきても、私は絶対に中には入れない。今度、貴方に電話があっても取り次がないし、もう貴方は出ていったと言うから安心しなさい。他に、いい所が見つかるまで、ここには好きなだけいてくれていいのよ。明日は、ウィルと一緒に出かけなさい。」ウィルと言うのは、彼女の息子さんだった。翌日、恐る恐る街に出た。久しぶりのイギリスだった。街中、いたるところでお花に囲まれて気分が和んだ。家に戻ると、おばさんが、「ノアールからまた電話があったから、貴方は出て行ったと言ってやったわよ。」と、私にウィンクをした。そして、彼からはそれきり電話がかかってこなかった。私はロンドンを拠点に、毎週末スコットランド、アイルランド、イギリス国内中を旅して、2ヶ月後、ついにパリに戻ってきた。パリを離れてもう3ヶ月以上がたっていた。恐怖心は、私の記憶から消えつつあった。私は1週間ほどパリのホテルに滞在し、日本へのお土産を買い、久しぶりのパリを満喫していた。短いパリ滞在の間、今までに知り合った人達と毎日外食をしていた。すっかり疎遠になっていた、元同じクラスのフランス人の奥様達。彼女達のフランス語はまたたくまに上達していた。私と一緒にイタリアに行ってくれたTちゃん。(彼女はその後結婚し、今もパリに住んでいます。)私と同じ日にパリに降り立ち、ずっと一緒だったUちゃん。彼女は、週末、私が日本に発つ日が結婚式なのだと言った。2人だけで市役所で結婚し、彼の実家のあるリヨンで、身内だけで結婚パーティをするのだそうだ。事情を知っている友人達は、皆私に優しかった。私とノアールのことは、何も聞かなかった。買い物も終わり、全員にお別れを告げ、いよいよ、明日が日本へ発つ日の夕方だった。私は何故かメトロの出口を間違えて、変な場所に出てしまった。どうしてこんな所に出てしまったんだろう。私は道に迷ってしまい、メトロの駅に引き返そうとした。まさに、その時。なんと、ノアールが向こう側から歩いてきたのだ。私は凍り付いてしまった。ノアールもぎょっとした顔をしていた。でも、すぐに笑顔を見せて、「マドモアゼル、コーヒーでも一緒にいかがですか?もし、よかったら。」と敬語で聞いてきた。あまりの偶然に驚き、恐怖心は感じなかった。私は了解して、近くにあったカフェに入った。ノアールは、あの夏の日の後のことをゆっくり喋り始めた。私がいなくなった後、1週間会社を休んで、パリ中を探し回ったということ。彼の姉夫婦まで動員して、私が行きそうな場所は全て探したということ。知り合いの奥さん(日本人)にお願いして、私の情報をかき集めて、ロンドンの居場所を突き止めたこと。何とかしてもう一度会って、私と話し合いたかったということ。君を苦しませるような行動をとって、すまなかったということ。話の最後に、もう一度やりなおせないだろうか、と聞いてきた。私が恋したころの、穏やかなノアールの顔だった。伏せた長い睫の下に見える、優しい瞳は変わらなかった。私は、首を横にふった。そして、明日日本に帰るのだと言った。彼は一瞬絶望的な顔をしたが、すぐに笑顔に戻って、「君の荷物がまだ部屋にあるので、日本に送りたい。日本の住所を教えてくれないか。」と聞いてきた。私は必要なものはもうないので、荷物は全て捨てて欲しいと言い、もう行かなければと、立ち上がった。ノアールは、黙ってうなずいた。彼は、私がコートを着るのを手伝い、カフェのドアを開けて私を外に通した。「君に出会えて、僕は本当に幸せだったよ。今日の再会は、神様からのギフトだと思う。電話番号は変わらないから、何か僕にサポートできることがあれば、遠慮なく言ってきてほしい。」私は、心からメルシーと言った。彼は二回、私の頬の左右の空気にキスした。そして、「Bon voyage!」と、右手をあげた。笑顔で去って行った。私は、彼と反対方向に歩き出した。もう彼のことを、愛してはいないと思っていたのに、ひどく心が痛かった。何故か、楽しかったことしか思い出せなかった。地に足がつかないほどに心が躍った、彼と出会った日のこと。暖かい春の日差しの中、手をとりあって愛を語った日のこと。一時的にしろ、将来を共にしようとまで思った人だ。あんな短い期間だったのに、一緒に過ごした時間は多かった。何とも言えない切なさ、虚しさを覚えた。ちょうど1年前、パリに降り立った時と同じ、秋の冷たい風が私の頬をなでて、自然と涙があふれた。おわり国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 9, 2005
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逃避行~ロンドンへこれは、8年前に私がパリに住んでいた時のお話で、1.グレーの街~運命2.出会い~ときめき3.春の訪れ~婚約4.蜜の日々~疑問5.溢れる情熱~激情6.逃亡~ミラノへの続きです。こんなに長くなってしまうとは、思っていませんでした。読んでくださった方、ありがとうございます。昔の写真に見入ってしまったり、手紙を読みふけってしまったり、、、、書くのにも時間がかかってしまって、、、、でも、一番最後の章でどんでん返し?がありますので、もう少しお付き合いくださいまし。あと、2回くらい?7. 逃避行~ロンドンへその前の日にほとんど寝れなかった私は、夜行列車の中でようやく安心して眠ることができた。でも、嫌な夢ばかり見て寝苦しかった。ノアールと私は、パリでよく日本映画を観に行った。キタノタケシの映画を数本、今村昌平の『うなぎ』、大島渚の『愛のコリーダ』等。愛のコリーダは、かつて日本では上映禁止になったそうだが、フランス人には大人気で、何度もリバイバルされている。ノアールも例にもれず、愛のコリーダの大ファンだった。それは、安部定を基にした実話。私は8年前にフランスで一度見たきりなので、解釈が間違っているかもしれないが、、、、定と、藤辰也が扮する妻のいる男性が駈け落ちし、果てしない愛欲の世界にのめり込むというストーリーだった。定が「別れようとしたら、殺してやる。」と包丁をふりかざす怖いシーンがあった。男がある日、自分の家へ帰ることになった時、定は男を自分だけのものにするために、彼を殺すことを決意する。男も、定の情熱にいつしか翻弄されていったのだと思う。「お前になら殺されても構わない。」そうして、本当に殺されてしまう。この映画の狂気じみたシーンと、包丁を持ったノアールが夢の中に出てきて私を苦しめた。彼の激しさ。精神の不安定さ。色んなものが織り交ざった、ドロドロした夢だった。はっと目が覚めると、翌朝、私達は無事にミラノに着いていた。夏のミラノは明るかった。私達は、コモ、ナポリ、カプリ島、ソレント、ポンペイ・・・・・イタリアで、まだ行っていなかった場所を訪ねた。安宿やユースホステルに泊まり、美味しい料理をほおばり、明るいイタリアの街を満喫した。私の恐怖心はいつの間にか消えていた。実際、ものすごく楽しい旅行だった。私に同行してくれたTちゃん、彼女には今でも感謝している。その後、友人は語学学校が始まる為、パリに帰っていった。私はパリの美しい街並を思い出した。5年前に、一人旅で初めてパリに降り立った日のこと。ノアールとパリの街を歩く時、まるで自分が、フランス映画のヒロインになったかのような気分に浸ったこと。本来ならば、幸せな婚約期間が続いているはずだったのに。私は自分の不幸をのろった。いや、もしノアールに出会わなければ、今頃ソルボンヌの夏期講習を受け、時折ヨーロッパを旅行し、秋のセメスターを受講してから年末に日本に帰る予定だった。当初の計画通り、秋のセメスターを受けようか。でも、私は怖くて仕方がなかった。やはりパリにはいられない。友人がパリに戻った後、私は一人でローマから列車を乗り継いで、ジェノバ、ニース、マルセイユまで戻ってきた。でも、どうしてもパリには戻れなかった。その後も、電車に乗り続け、アヴィニョン、エクサンプロバンス、アルル、トゥルーズ、カルカッソンヌと渡り、そしてスペイン国境で宿が見つからず、初の野宿をして、バレンシアに入った。その後、アンダルシア地方、ポルトガルと周り、いよいよ夏服ではいられなくなった頃、ようやくパリに戻ってきた。約1ヶ月半ぶりのパリだった。だが、パリに戻ってきた途端、恐怖心が戻ってきた。パリの街はとても小さい。いつノアールに出会うか分からない。パリ以外のどこか他の都市に移動も考えていたが、フランスにとどまること自体が私は怖かった。秋服を持ってこのまま旅を続けてもいいが、私はヨーロッパ中、ビザのいらない国は、ほとんど行きつくしていた。どこか、もう一度行きたい場所はあっただろうか。一箇所でゆっくり滞在できる街。どこがいいだろうか。旅行中に、英語が前ほどできなくなってしまい、もどかしい自分に気がついていた。英語で道を聞かれても、フランス語でこたえてしまう。フランス語はあくまで趣味であり、日本でまた仕事を得るために英語を忘れてしまうわけにはいかなかった。そうだ、イギリスに行こう。英語をブラッシュアップしてから日本に帰ろう。私は、予定外のロンドンに、2ヶ月ほど滞在してから、日本に帰ることに決めた。パリの友人宅に、荷物を置かせてもらったまま、私は必要最低限の秋・冬の服を入れたバックパックを持って、ロンドン行きのユーロスターに乗った。ロンドンでは、すぐに貸し部屋が見つかり、そこに身を落ち着けた。その日の夜のことだった。下宿している家の電話が鳴った。「プルメリア、貴方によ。」まさか!ノアールからだった。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 8, 2005
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逃亡~ミラノへこれは、8年前に私がパリに住んでいた時のお話で、1.グレーの街~運命2.出会い~ときめき3.春の訪れ~婚約4.蜜の日々~疑問5.溢れる情熱~激情の続きです。私は書き出すと、つい長文になってしまうので気をつけているのですが、懲りずに読んでくださっている方、本当にありがとうございます。コメントをくださった方、もちろん喜んで読ませていただいていますが、早く本文を終わらせようと、お返事をまとめてしまってごめんなさい。ノアールとは当然別れますが、私が日本に帰国するまで、結局彼と関わることになってしまうので、結末まであと3回くらいはかかる予定です。ほらね、私、男運悪いでしょう?6. 逃亡~ミラノへ「何を言ってるの。冗談でしょう?」私はできる限り冷静に、作り笑いをしながら立ち上がった。彼は、包丁を自分のほうに向けた。頬にはいくすじもの涙が流れてぐしゃぐしゃだったが、恐ろしく真剣な顔をしていた。「やめて!」私は窓の側に駆け寄り、ノアールの手首をつかんだ。ノアールが包丁を持ったままの姿勢で、私は彼の手首を強くおさえつけ、必死になって彼をなだめた。刃物が私のすぐ目の前に迫った。『駄目だ。殺される?』その瞬間、彼は刃物を自分のほうに向け直した。そして、本当に自分を刺そうとしたのだ。私は満身の力をこめて、刃物を持つ彼の手を外に向けて放り投げた。刃物は彼の手を離れて、窓の外に消えた。私達は無傷だった。だが、私は頭に血が上って、ぜえぜえ息をしていた。窓の下に落ちた包丁のことを思い出して、はっとした。人通りが少ない場所で、夜も更けていた。幸い、下には誰もいなかった。外に包丁を拾いに行って、それをゴミ箱に捨てた時、自分の手が震えているのが分かった。今すぐにこの場から逃げ出したかった。だが、自分の荷物が部屋にあることを思い出し、仕方なく振り返った。彼も入り口のところまで降りてきて、後ろに立っていた。「僕が悪かった。お願いだから、出ていかないでくれ。愛している。君がいないと生きていけない。」私は、強行手段をとらないと彼と別れるのは無理だと思った。黙ってここを出よう。私をベッドで寝かせ、リビングのソファで寝ていたノアールは一睡もできなかったらしい。翌朝、私と離れたがらないノアールを無視して会社に行かせ、メトロに乗る彼を見届けた瞬間、私は大急ぎでタクシーを呼んだ。タクシーを下に待たせ、現金、クレジットカード、パスポートをしっかり身につけ、スーツケース2つとバックパックに入る荷物だけを運びだした後、入りきらなかった服や本は、もう諦めることにした。そうして、私はノアールに短いお別れのメモを書き、アパルトマンの合鍵と、彼のお母さんにいただいた、古いダイアモンドの指輪を封筒に入れ、郵便受けに入れた。夕方、帰った時に、この封筒を見つけたノアールの気が狂うのが目に浮かんだ。私は怖くなった。その日は確か、8月の半ば頃だったと思う。冷房のないアパルトマンは、かなり暑かったのを覚えている。荷物を置かせてもらっている、パリで知り合った日本人の友人の家で話を聞いてもらっているうちに、夜になった。夜になると、また恐怖心が増す。パリにはいたくない。突然私達は、南仏に行こうと思い立った。ただし、バカンスシーズンのパリのリヨン駅は、ものすごい人でごった返していた。今さっき思い立った私達が、南仏方面の指定席券を取るのは無理だった。自由席はまるで戦場列車だった。ずっと立ちっぱなしでもいいので、私は何としてでも電車に乗ろうとしたが、あまりの人でドアに近づくことすらできなかった。もう、どこでもいい。パリを離れられるのならば。今夜中に出発ができる行き先はないかと、窓口で訪ねた。「ミラノ行きの夜行列車なら、寝台車が2席だけ空いています。でも、もう5分で出発ですよ。」私達は、迷わず、パリ発ミラノ行きの夜行列車に飛び乗った。そして私はその日から1ヶ月以上、パリを離れてさまようことになる。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 7, 2005
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1.グレーの街~運命2.出会い~ときめき3.春の訪れ~婚約4.蜜の日々~疑問の続きです。5. 溢れる情熱~激情ある日私は、日本人の友人とブルターニュ地方に旅行に行った。語学学校で主催している、安いバスツアーだった。だが、ノアールはあまりいい顔をしなかった。旅行から帰ると、寂しくて死にそうだったというノアールに、私はすぐに女の子の友達と一緒に撮った写真を見せて、旅行の説明をした。その時、たまたま一緒に写っていたフランス人男性のガイドの写真を見てたずねてきた。「誰なんだ、この男は?」「彼はツアーのガイドよ。」「この男、プルメリアに気があるんじゃないのか。」「何をバカなこと言ってるの?私達はほとんど話もしていないよ。」ノアールは本気で、二度と会うこともないであろうガイドに焼きもちを焼いて、私をうんざりさせた。彼ときたら、どこに行くのも、何をするのも一緒にしたがる。「君と話しをしていたいんだ。」バスルームのドアさえ開けっ放しでシャワーを浴びたり、用をたしたりする。彼の生活は、私だけだった。実際、映画と日本語の勉強以外、彼には特に趣味もなかった。そういえば、彼にはあまり親しい友人もいなかったと思う。まだパリが短い私のほうが、友人が多いくらいだった。私の留学生の友人と、彼女のフランス人のご主人とノアールと私の4人で外食をすることが、時々あった。「彼女のご主人、xxx銀行で働いているんですって。毎日帰ってくるのが遅いから、外食が多いみたいよ。だから美味しいレストランをよく知っているのね。」「そんな生活、僕には考えられない。僕なら必ず夕方には家に帰ってきて、妻と一緒に食事をする。僕は家庭が一番大切だ。」仕事もそこそこに、私との時間を最優先するノアール。私との結婚以外に将来のビジョンも持たず、仕事に情熱を注いでいない彼は、エネルギーの矛先を全て恋愛に向けていた。私は、彼への尊敬の念が薄れ、彼の存在が重たくなってきていた。でも、ここまで自分を愛してくれる人が今までいただろうか。私はまだ迷っていた。本来ならば、パリ滞在中、月に一度はヨーロッパ内を旅行する計画を立てていた。だが、彼と出会ってからはほとんど行けなくなってしまった。家でも、ずっとべったり一緒にいたがるものだから、宿題もやる時間がない。「お願いだから、今日は宿題をさせて。」私が彼を無視して教科書を開くと、ノアールはすぐに目の前に座って、じっと私を見つめていた。「勉強をしてていいよ。僕は君を見ていたいんだ。」と。彼は私といたいが為に会社を休み、私も学校も休みがちになってしまった。せっかく仲良くなったクラスメートとは、ついにお茶にもDinnerにも誘われなくなっていた。フランス語は中途半端なままで終わらせたくなかったし、私立の語学学校の後は、ソルボンヌ大学の夏季講習に申し込むつもりでいた。だが、ノアールに毎日気が散って、とても勉強どころではなかった。フランスの滞在許可証を取るために、1日4時間のクラスを取らなければいけなかったが、結婚してしまえば滞在許可証の心配はしなくていいし、永住するなら、今後いくらでもフランス語の勉強はできる。そう思って諦めた。1日に2、3時間のクラスと、家でもあまり時間の取られないデッサンの学校とお料理の学校だけは続けることにした。更に1ヶ月が過ぎた。7月の中旬、私の友人が日本から遊びに来てくれて、私達は一緒にアルザス地方に旅行に行くことになっていた。ノアールをどうするか、とても迷った。一緒に行きたいという彼と、結局3人で旅行に行った。友人にとても申し訳なく思った。ショーウィンドウに並ぶ、ウェディングドレスとタキシードを着たマネキンを見ると、大喜びして、私と腕を組んで、結婚行進曲を歌いながら、歩くノアール。会社帰りにカップル同士が楽しそうにしているのを見て、羨ましかったからと、私のデッサンの学校にすっ飛んできたこともあった。何て幼稚な人だろう。私も今は働いていないからいいが、これで働いていたら、こんな人に付き合ってなどいられない。彼がいては、自分が仕事をする時間も、友人との時間も持てない。まだノアールと出会って半年もたっていないのに、2、3年は一緒にいるくらいの時間を過ごした気がしていた。私は、とても疲れてしまっていた。「私は、少し一人になる時間が欲しいの。一人で考えたいこともあるし、友達と食事に行ったりもしたいし。少し距離をおきたい。やっぱり別に暮らさない?」ある日、私はノアールと話し合おうとした。だが、彼は逆上した。「君はどうして、そうなんだ。いつも僕から離れようとばかりしている。どうして僕に心を開かないんだ。」「君はそんなんだから、僕に会う前に恋人がいなかったんだ。君は心を開かないから、いまだに独身なんだ。」と、無茶苦茶のことを言って私を責めたてた。「私は、あなたのことが好きだったけれど、心を開いても、貴方を愛せない。貴方には男としての魅力がない。」ノアールは泣き出した。「他に男ができたのなら言ってくれ。一体誰なんだ?あの一緒に写真に写っていたガイドか?」『いい加減にして。』私は内心思ったが、言い争うのも面倒で黙っていた。ただ、彼とはもうやっていけないと思った。私は、婚約を解消したいと言い出そうとしていた。アパルトマンは、もう解約してしまったが、しばらく旅行に出て、戻ってきたら、短期で住める貸し部屋を探そう。もう1セメスター学校に通ったら、年末には日本に帰ろう。私はノアールには黙って、考えていた。表面上は普通に接しながらも、別れようとしている私を見て、ノアールは、私の心が離れていくのを察知していたのだと思う。数日後、夕食を食べる間ノアールはとても無口だった。私は、きっぱりと告げた。「貴方とは結婚できない。私は、ここを出て行く。」ノアールの顔は曇ったが、「君がそう言い出すのじゃないかと思っていた。」そう言って、キッチンの方へ歩いていった。あまりにもあっさりとしていたので、私は拍子抜けしたが、安心した。明日の朝、いえ、今夜中にでも荷物をまとめよう。ところが、部屋に戻ってきたノアールを見ると、自分に包丁を突き立てていた。「お願いだ。これで僕を殺してくれ。」泣き叫ぶノアールの頬には、いく筋もの涙が流れ、顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。「僕を捨てるなら、その前に殺してくれ。さあ。さもなくば、僕はここから飛び降りる。」ノアールは、包丁を突き立てたまま、窓のほうににじみ寄った。クーラーのない、真夏のパリのアパルトマン、窓は大きく開いていた。そしてそこは最上階、11階の部屋だった。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 7, 2005
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1.グレーの街~運命2.出会い~ときめき3.春の訪れ~婚約の続きです。蜜の日々~疑問確か、4月の復活祭の頃だった。私はノアールの実家に招待され、そこでささやかな婚約パーティが催された。テーブルの上にはフランスの家庭料理がずらっと並び、その中に中華料理やベトナム料理のお皿もあった。「家庭料理が、プルメリアの口に合わなかったら困るので、中華やベトナム料理の出前を取ったのよ。」ノアールのママンは満足そうに笑った。彼の家族には大歓迎された。誰からも祝福されて、誰もが笑顔を浮かべている、夢のような時間だった。結婚式はいつにするのかと、ノアールの姉にせかされた。ノアールは「秋はどう?」と聞いてきたが、私はもう少し交際期間が欲しかった。それに、年内に一度は日本に帰り、身辺整理もしたかった。2人の希望の中間をとり、1月にハネムーンを兼ねて、どこか暖かい場所で結婚式を挙げることで落ち着いた。日程も決めた。ノアールも年末に一緒に日本に来ることになった。全くの予定外の展開になったが、人生なんてこういうものなんだろうと思った。ノアールの住む場所は、パリの西側のはずれだった。私が住んでいたバスチーユという場所は、11区でパリの東側。ちょうど正反対の場所だった。ある日、ノアールの家の側の、ブーローニュの森にピクニックに行く約束をしたことがある。約束の時間の1時間近く前に自分の部屋を出ると、なんと彼が私のアパルトマンの前に立っていた。手にはビニールシートと、手作りのサンドイッチを持って。昨夜から私に会いたくて、待ちきれずに飛んで来たのだと言うノアール。ブーローニュの森とは逆方向の私の家まで、電車でやってきたのだった。ノアールは、朝から晩までいつでも私と一緒にいたがった。それからの3、4ヶ月間、私達はほぼ同棲状態だった。私は、留学前に日本からパリの寮を予約しており、最初の数ヶ月はそこに住んでいたが、ちょうどノアールに出会う直前に寮を出て、大きなアパルトマンを4人でシェアしていた。そこはとても気に入っていたのだが、ノアールと付き合うようになり、私はアパルトマンにほとんど戻らず、荷物置き場になってしまっていた。7月に日本から友人が遊びに来るので、その後に部屋を解約をし、夏からは完全にノアールと一緒に住むことに決めた。ノアールは、一緒にいて心地いい人だった。「アメリカ人のようにいつもニコニコしていなくていい、本当に楽しいと思った時だけ微笑めばいいんだ」、と言う彼。「別に人に合わさなくて、自分がやりたくなければ、やらなくてもいいんだ」とも。こういう彼の考え方は、私にとって楽だった。一方で、ノアールは私の服や靴、髪型にまで目を光らせるので、ちょっと息苦しい気もした。私が買い物に行く時は必ず付いてきて、パンタロンの裾挙げの長さまで細かくチェックされた。美容院に行った帰りも、彼はすぐに気がついて褒めたり、けなしたりされた。彼は、私が付き合った歴代の男性の中で誰よりもお洒落で、特に靴や服にお金をかける人だった。パリに来て以来、すっかりカジュアルになって服装に構わなくなっていた私も、彼に知り合ってからグンと変わった。そうしてお洒落をした私の写真を撮りまくって、ノアールは部屋の壁中に私を飾っていた。窮屈なくらいに愛される一方で、一つ彼への疑問もあった。ノアールは小さな会社の平社員だった。失業者の多いフランスで、職に就いているだけまだよかったが、私より10歳くらい年上の働き盛りの彼の年齢を考えると、そのポジションが疑問だった。遅刻や早退も多く、彼には仕事への熱意が感じられなかった。週35時間の労働ですら、嫌々やっているようだった。ノアールは、自分の同僚に私を ma femme (my wife)と呼んで紹介していた。私はまだ、あなたのfiancée でしょう?私はイチイチ訂正していた。その度に、ノアールは機嫌が悪くなった。毎日夕方5時にオフィスを出る彼は、すぐ近くの学校で午後のクラスを取っていた私をよく迎えに来た。どこに行くにも私に付いてくるので、寮で初めてできたフランス人女性の友人とも、語学学校でせっかくできた南米からの留学生の友達とも、私は疎遠になってしまった。彼女達とカフェでお茶をしたくて、クラスが終わった後校門で待っているノアールに見つからないように、学校の裏口からこっそり外に出るようになってしまった。思えば、彼の情熱と私の情熱のバランスが少しずつ狂い初めていたのだと思う。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 7, 2005
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L'amour fou ~私を最も愛した男~ 1 グレーの街~運命L'amour fou ~私を最も愛した男~ 2 出会い~ときめきの続きです。春の訪れ~婚約私がノアールに持った好い感触のとおり、その日の夜に彼から電話がかかってきた。明後日の水曜日の夜のデートに誘われ、私は喜んで受けた。そして翌々日の水曜日、私達の初デートは、彼のお気に入りだという日本食レストランだった。彼に食べ物は何が好きかと聞かれ、実は日本食よりもフレンチやイタリアンが好きだと言ってしまった。すると、明後日の金曜日は、美味しいフランス料理屋に連れて行くと言い出した。そして、キタノタケシの映画のファンだという彼が、翌日の土曜日は映画を観に行かないかと誘ってきた。私がデッサンの学校に行っているのを知ると、その次の日の日曜は、美術館に行こうとも言ってきた。ノアールは、元々日本に興味があったのだそうだ。数年前、やはり留学生だった日本人の女性と付き合い、2年間同棲した後婚約した。ところが、病院長の娘だった彼女の両親に結婚を反対されてしまい、彼女の帰国後は一度も会っていないそうだ。とても寂しがりやで焼きもち焼きの女性だったそうだが、すごく愛していたのだと言った。彼女との痛手があまりに大きくて、それからは誰とも付き合っていないそうだ。普通、男性は自分の過去の恋愛をあまり語らない。自分の恋愛話を聞かされると、私は冷めてしまうほうだったが、こんなにも素直に自分の気持ちを語る男性もいるのだと、逆に感動した。フランスでは結婚しているか結婚していないかよりも、恋人がいるかシングル(恋人がいない)であるかが問題であり、それによって生活もがらりと変わる。彼に出会って、私の生活も一変した。カップルだらけのレストランで一人で食事をすることはほとんどなくなり、週末はいつもノアールと一緒だった。今までの私の恋愛は、本能のままに情熱をぶつけてきては、散々くだけちっていた。その経験から、私はかなり慎重になっていた。ところが、この男には、そういった遠慮も躊躇も駆け引きもいらなかった。自分の本能のおもむくままに、行動できる相手だった。まるで10代の時のような恋愛だった。私が、いくらじらそうとしても、誘いを断っても断っても、次々に誘われるので、週に3、4回は会っていたと思う。今日は友達と食事をしたいから会えないと言うと、彼がいきなり学校に迎えに来たこともあった。彼からは、出会ってから毎日、朝起きたころと夜寝る前には必ず電話があった。待ち合わせに遅れる時以外、私から電話をかけたことはなかった。会えなかった日は、夕方私が家に帰る頃も入れて、1日に3回は電話があった。出会ってまだ1ヶ月もたたないある日、私達は、シャンゼリゼにある、雰囲気のいいレストランで夕食を食べていた。デザートを食べ終わり、コーヒーを飲んでいる時だった。ノアールは私の手をとり、静かに語り始めた。実は、日本食材店で初めて見た時に、私に一目ぼれをしたというのだ。それで、私が出てくるまで、外の信号の所で待っていたのだそうだ。実は私も、その日の数分前に貴方をデパートの中で見かけ、その時から気になっていたのだと告げた。スーパーで貴方を見かけた時は、追いかけようかとまで思った。信号の所で貴方が立っているのを見つけた時は、本当に嬉しかったのだと。「それ、本当?」ノアールは目を見開いて、そして言った。「すごく嬉しいよ。」彼は私の手を取ったまま、私を立たせた。そして自分は身をかがめた。『何だろう?』私は、きょとんとしていた。「こんなんことを言うのは早すぎるかもしれないけど、でも言いたい。」「え?何?」「Je t'aime, veux-tu m'épouser ?」 (I love you, will you marry me? )『え!?』私の血圧は、一瞬にして上昇して、心臓がバクバクした。今まで会ったフランス人男ときたら、即ナンパしてきて、その数分後にジュ・テームと言う人もいた。私には理解しがたかったし、全然嬉しくもなかった。でも、これは、初めての、本物のジュ・テームだ。おまけに、結婚しようとまで言っている。え、ええ?け、結婚? (゚◇゚) ) )-)━)━):。・:*:・゚'★,。・:*:♪・゚'☆━━━!!!!何がなんだか分からなくなって、私は無言のままだった。「急すぎて驚いたかもしれないけど、返事は急がないから。」ノアールは、照れながら付け加えた。とっさに色んな思惑が、私の頭の中をぐるぐると駆け巡った。確かに私は恋人を欲していたが、結婚まではまだ真剣に考えていなかった。1年後に日本に帰って、もう一度日本で数年働いて、今度は短めに半年間スペイン語留学&南米3ヶ月貧乏旅行をしたい。その後はもう身を落ち着けて、転職を繰り返さないでバリバリ働こう。そして、その時に付き合っている人がいたら、結婚しよう。35歳くらいまでに結婚すればいいかな。それが当時の私のプランだった。でも、今までだって何度も長期旅行をしてきているし、1年以上の留学も2回目。旅行はいつか二人で行けばいいのだし、パリでだって働ける。独身でやりのこしたことは、実はもうないのかもしれない。これが私の運命だったのかもしれない。「Oui.」私はプロポーズにOKしたのだ。ノアールは涙ぐんでいた。私達は手をつないで外に出た。その日はパリに暖かい日差しが射し、数週間ぶりに爽やかな青空が広がっていた。グレーだったパリの街が、急に色鮮やかなカラフルな街に変わった。死んでいるのかと思った、街路樹の枯れ木に小さな蕾を見つけて感動した。生きていたんだ。春が来ていたんだ。こんなに春が待ち遠しく、そして春が素晴らしいと思ったのは、あれが生まれて初めてのことだった。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 6, 2005
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L'amour fou ~私を最も愛した男~ 1 の続きです。横断歩道の手前に立つ彼と、その彼にゆっくりと近づいていく私。青の信号が、早く赤に変わってくれないかと念じていた。横断歩道に差しかかる寸前、上手い具合に信号が赤になってくれた。私は微笑を浮かべて、再度彼のほうをチラッと見て彼の横に並んだ。「Bonjour.」すると、その男性が私に挨拶してきた。「Bonjour.」私はチャンス、とばかりに笑顔で訊いた。「ここで、どなたか待っているのですか?」彼は、私の質問には答えず、「さっき日本食スーパーにいた方ですよね?」と聞いてきた。「はい、そうです。あなたもいらっしゃったのですか?」としらじらしく聞いてみた。「うん。買いたいものがあったのだけど、見つからなくて。僕、日本食が好きなんです。あなた、日本人ですよね?」「そうです。」「僕はノアール。あなたは?」「プルメリアです。」私達はその場で10分くらい立ち話をした。その間、信号は何度も青に変わり、何人もの人が通り過ぎていった。「よかったら、コーヒーでも一緒にいかがですか?時間ありますか?」「ええ、少しなら大丈夫ですけど。」私は腕時計を見ながら、もったいぶってこたえた。内心、『時間ならありますとも、ありますとも、何時間でも!!』と狂喜の声をあげながら。彼はすぐ側にある、ドイツ系の小さな会社で働いている人だった。パリ生まれのパリ育ちのパリジャンで、今は私とは逆側のパリの西、16区に住んでいた。日本の映画が大好きだったり、日本の歴史に詳しいことに驚いた。日本に1ヶ月間ホームステイをして、日本語学校に行ったことがあるそうで、少しだけ日本語も話せた。アメリカにも仕事で5年ほど住んだことがある彼は、流暢な英語が話せることが分かった。私達は、英語4割、フランス語4割、残り1割簡単な日本語の単語を織り交ぜながら、長い間会話を楽しんだ。いつの間にか、すっかり日も暮れてしまっていた。私達はお互いの電話番号を交換し、カフェを後にした。私は、久しぶりに地に足がつかない感触を覚えた。メトロの中で、顔がにやけないようにするのが大変だった。フランスに来て以来、何人かのフランス人男性とデートをしたが、彼らときたら、会ってすぐに手をつないできたり、すぐにキスをしようとしてくる。挨拶の空気へのキスではなく、唇にだ。パリの男性ときたら、こっちの気持ちなどお構いなしなのだろうか、といつも思っていた。でも、ノアールは最寄の駅まで送ってくれた後、握手をして別れた。それから、フランス人はナンパをしておきながら、お茶代すら出してくれない人が多かった。テーブルチェックの時に、自分の分のお金だけを置くのだ。『私って、安い女だと思われている?』心配になって、他の日本人女性に聞いてみたところ、ナンパをしてきたにも関わらず、やはりお茶代や食事代は、割り勘にされることが多いともらしていた。フランス人は、恋人になったり奥さんになったりするまでは、割り勘にする男性が多いのでは、という結論にいたった。『なんだ、私だけじゃなかったのか。』安心すると共に、『フランス人=ケチ』 という公式ができていた。でも、ノアールは私の分も支払ってくれた。外見が私の好みで、話が弾んだ。それに加えて、この2つは非常にポイントが高かった。絶対に彼をものにしてやる。彼の恋人になってやる。そう決心した私は、家に帰るなりノートにメモをした。・彼から電話があるまで、自分からは連絡しない。・電話があっても、長引かせないで用件を終えたら切る。・自分からデートに誘わない。でも誘ってくれたら、できるだけ間を置かないで、他の予定を変えてでも早めに会う。・もしその後付き合うようなことになったら、彼から2回電話があれば、私から1回かけてあげるくらいの割合にする。・彼が強く誘ってきても、最初の1ヶ月は絶対に部屋に泊まらない。・私はきれい、私は愛されるに値すると毎日唱える。この頃は『The Rules』のことは知らなかったが、今まで何度も辛い恋を繰り返してきた私は、自分の失敗を基に、体で覚えたルールを作っていた。そのメモを目に付く所に貼って、彼の電話番号は机にしまった。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 5, 2005
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前回の日記の続きです。長くなってしまったので、続編をこちらに書きます。スタジアムの中は熱気ムンムン。USCのスクールカラーである、ワインレッドで埋め尽くされます。私達も、もちろん同じ色のユニホームを着ています。キックオフの30分くらい前から、選手達はウォーミングアップを始めます。その後、相手校UCLAのマーチングバンドでパフォーマンスがあります。続いて、USCのマーチングバンドが繰り広げられます。その後、正装した軍人達(陸、海、空の仕官候補生達)がやってきて、観客は全員起立、帽子を脱いで胸に手、全員で国歌斉唱。その時に戦闘機もスタジアムの上を飛びます。そうして、ようやくキックオフ、試合開始です。USCのマスコットは白馬、タッチダウンでスコアが入る度に、本物の白馬に乗った騎士が登場して、スタジアムを駆け抜けるのです。スタジアムは、ゴージャスなチアガール達が華を添えます。アメフト観戦で私の楽しみは、屋台だったりして。スタジアムを囲むように、そこいら中に屋台が出ています。普段はジャンクフードを嫌がるブランも、この日は何でもOK。私は、チュロス(シナモンのかかったドーナツみたいな揚げ菓子)、プレッツェル、タコス、などがお気に入り。昨日の結果、USCの圧勝でした。USCは強すぎてつまらないくらい。ブランは今日もTVでNFLのアメフトを観ています。アメフトは私も嫌いじゃないのですが、ブランのアメフト熱はちょっとToo muchかな。この時期、アメフト未亡人と呼ばれる、アメリカ人奥様達。早くシーズンが終わってくれないかなー、と密かに思っている私です。えへ。国際恋愛・結婚の人気blogランキングの応援ありがとうございます。
Dec 5, 2005
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昨日は朝から晩まで1日中外出でした。ブランが夢中になっている、アメフト観戦と、週末恒例の映画鑑賞のためです。プロのNFLの試合も何度か行きましたが、ブランはどちらかと言うと、カレッジフットボールのほうが好きなようです。10月初旬の日記にも、書いたのですが、ブランは、自分の母校のシーズンチケットを買っているので、私は仕方なく?今年だけで6回もお付き合いしました。昨日の試合は、最高潮に盛り上がると予想された、UCLA対USC。どんなに遅くとも2時間前にはスタジアムに来ないと、駐車場がなくなってしまいます。駐車場がなくなると、かなり遠い所からタクシーで行くはめになってしまうのです。昨日はキックオフの3時間前に、LAコロシアムに到着です。キャンパス内は、既に観客達で大賑わいです。コロシアム近くは大きなテントが張られ、あちこちでパーティをやっています。以前に、ブランがパーティチケットを買っていたので行ったことがありますが、このパーティチケット、結構お高くてびっくりです。ほとんどが、寄付金に使われるようです。オフィシャルなパーティに参加しなくとも、皆さん勝手にピクニックを始めます。試合の何時間も前からやってきて、あちこちで飲み食いして大騒ぎしているのです。皆、好き勝手にゴミを捨てるので、試合の後はハリケーンの後のような大惨時になっています。ここはUSCキャンパス内。宿敵UCLAのマスコットである、熊をつるしあげ、校内中で絞首刑にしているのです。“UCLA Sucks” という公式の?お下品な歌もあちこちから聞こえてきます。熊のぬいぐるみを床に置き、通りがかりのUSCファン達がバンバンバンと踏みつけていきます。踏み絵ならぬ、踏み熊。。。。。アメリカ人男性達、何て子供なのでしょう。ボロキレのようになった、可哀想な熊のぬいぐるみ。私は、写真を撮ることもできなかったです。私ときたら、あまりにも可哀想で、熊を踏みつけている大きな体の黒人のお兄さんに向って、”Don't do that! Be a gentleman!” と思わず言ってしまいました。ブランはあせって私を止めました。これはお祭りなんだから、と。(笑)その後、UCLAのサポーター達に、ガン!と肩をぶつけられて、“Fxxx you!” と言われてしまったのです。普段はとーっても穏やかな?私も、これにはムカッ!急に闘志に燃えてきました。さて試合前、マーチングバンドの人達が気分を盛り上げます。彼らに向って、サポーター達も歌を歌って応援の練習?をします。そして、いよいよスタジアムに向かって、出発です。私達も彼らに続いて、スタジアムに入ります。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 5, 2005
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何年か前の秋、私は一人でパリの街に降り立った。ある日本人の男性との恋に破れ、とても辛い日々を送っているさなかだった。彼は、私が働いていた商社で、一緒に仕事をしていた男性だった。一年半ほど付き合った、私の最後の日本人の恋人となった人だった。彼のおかげで、もう日本人の男性は懲り懲りだと思う気持ちが芽生えていた。でも、パリにやってきたのは、失恋したからではない。5年も前から計画を立て、必死でお金を貯めて、ようやく実現したフランス留学だった。やっと願いが叶ったにも関わらず、私は毎日孤独を感じていた。彼と一緒になれるのなら、そんな小さな夢など捨ててもいいとさえ思っていた。フランス語を学びに留学してきている人は、私よりずっと若い20歳くらいの仏文科の学生が多かった。でも最初に私が仲良くなったのは、同世代の日本人主婦達が多かった。フランス人と結婚しているか、日本人のご主人のパリ駐在で渡仏した人達。彼女達は、特にフランス語に興味があって学校に来ているわけではない。私が通っていたのが、とてもカジュアルな学校だったからかもしれないが、勉強にあまり真面目に取り組んでいない人が多かった。毎日、買い物や日本人コミュニティの話を聞かされていた。同い年くらいなのに、ご主人の庇護の下、何不自由ない暮らしをしている彼女達が羨ましくて仕方なかった。私は食事をするのもいつも一人、土日もいつも一人で過ごしていた。パリは、やはりカップルが多いのが目につく。いちゃいちゃしているカップルを見ていると、傷心にしみる。でも、フランス人の彼氏を作ろうなど、私は考えもしなかった。日本で付き合ったことのある白人とは、誰ともあまり長続きしなかった。パリの5年前、NYに住んでいた時には、日本ではあり得ないほどよく男性に声を掛けられた。でも、ヒスパニックやアフリカンアメリカンの人が大半だった。私は、白人男性の外見が好みなのだが、白人のアメリカ人にはあまりもてなかった。恐らくフランス人にも相手にされないだろうと、最初から諦めていた。ところが、パリでは、白人のフランス人によく声をかけられた。街を歩いていて、一人で食事をしていて、美術館で、買い物中に、至るところで声をかけられた。ただ、誰も、私の好みのタイプの男性ではなかった。パリの秋は、寒く暗く寂しい。一人身には特にこたえる。いっそのこと、誰でもいいから付き合ってしまおうか。パリの暗い秋は、フランス人の彼を作ろうという気持ちを私に植えつけてくれた。留学前は、そんなことを考えてもいなかったのに。やがて冬がやってきた。だが、まだ、私がピンと来る人は現れなかった。パリの空は、毎日どんよりと雲が低くたれこめていた。職もない、お金もない、恋人もいない。私ときたら、一体ここに何をしにきたんだろう。今私が10代の学生なら、こんな思いをしなかったろうに。私は、もう結婚して子供がいてもおかしくない年齢なのに。フランス語を勉強したって、将来何かの役にたつわけではないのに。趣味の留学なら、40代、50代になってからでもよかったのに。同じ一年間、お金を使って、仕事から離れるならイギリスに留学してマスターを取ればよかったのではないか。例えようもない焦りが生まれていた。寒いグレーの空の下で、私は鬱病寸前だったと思う。このままではいけない。贅沢をしなければ、1年間滞在できるお金は貯めてきた。長い人生の一年間だけ、リフレッシュするのだと割り切って楽しもう、また日本に帰ったら、死に物狂いで働けばいいのだ。せっかくパリに住んでいるのに、私はフランス人とあまり交流する機会を持てないでいた。パリに来て3ヵ月後、私はシャモニーのフランス人家庭に1週間ほどホームステイをしてみた。パリ滞在中にスキーをして、用具を捨てて帰ろうと、古いスキーウェアやスキー板、ブーツを日本から持ってきていたのだ。ホームステイ先は、男の子が3人いる、とても明るい家庭だった。自転車を借りて、リュックをかついで、私は一人でスキーに行った。シャモニーの町の麓から、エギーユ・デュ・ミディという、富士山より高い場所にロープウェーで一気に登る。空気が薄いから、途中で止まらないと具合が悪くなると言われていたが、目の前に迫りくるモンブランの雄姿に、そんな忠告など忘れてしまっていた。スキーで、3kmくらいを一気に滑り下りた。そそり立つ巨大な岩の間を縫って、そして氷河を真横に見ながら、滑っても滑っても360度見渡す限り、私一人。シャモニーは、あまりの雄大さに恐怖を感じるほどだった。シャモニーに行って、私は軽い鬱病が消えてしまった。私の焦りなど、なんだか小さいことのように思えてきた。彼氏がいないことすらも、ありがたいと感じるようになっていた。長い人生、自由な1年間を楽しく過ごさなければ。シャモニーに行ってよかった。私は、晴れ晴れとして、非常に明るい気分でパリに戻ってきた。何だか、いいことが待っているような気がした。そして、その翌週のことだった。まだ寒い冬の日の夕方、私は一人でデパートに買い物に来ていた。ふと気がつくと、すぐ近くで素敵な男性が品物を選んでいた。スーツ姿なので、恐らくこの辺で働いている人なのだろう。年のころは30代後半。たぶんもう結婚しているのだろうな。私は、その男の人をついチラチラ見てしまったが、私よりも30cm近く背の高い彼は、私に気づきもせずに行ってしまった。私はその後、近くの日本食スーパーで買い物をして、レジに並んでいた。その時、さっきの男の人が同じ店に来ているのに気がついた。でも、探しているものがなかったのか、彼は何も買わずにもう店を出ようとしていた。『嘘。待って!』私は買い物かごを放り投げて、彼を追いかけようかと思った。実際、私がバタバタと、慌てて買い物かごを下に置いたので前に並んでいた人が、振り返って私を見た。お店を出ようとしていたその彼も、私のほうを見た。そして、目があって数秒見つめ合ってしまった。ああ、恥ずかしい。そこで買い物かごを置いて追いかけるわけにはいかず、私はそっと視線を外して、そして諦めた。私はおとなしくレジの順番を待って買い物をすませて、外に出た。外は気温が下がって、更に肌寒くなっていた。オペラ座に続く大きな通りまで歩いた。そこには信号があって、信号機の横に、さっきの男の人が立っているのが見えた。え?どうして?信号がずっと赤だとか?いや、今は青だ。何で渡らないの?誰か待っているのかな。でも、嬉しい。私は彼の立っている横断歩道に近づいた。また彼と目が合ったので、私は軽く微笑みを浮かべた。つづく国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 4, 2005
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若い頃、私は1ヶ月ほどヨーロッパを一人で貧乏旅行し、その時に一番気にいった街パリに、いつか住みたいと思っていました。当時は、ワーキングホリデーにフランスはまだ入っていませんでした。その為必死でお金を貯めて、日本で3年間フランス語学校に通い、思い立ってから5年後、ようやくパリに留学という形で住むことができました。その後のキャリア・アップに繋げるための留学でもなく、芸術留学でもありませんので、まさにプチ・リタイア、趣味の海外滞在。パリで半年間ほど語学学校に通い、その後、趣味でアートの学校とお料理の学校にも通いました。そうして月に一度、一週間くらいはパリを出て、ヨーロッパ中を貧乏旅行して周る生活を送っていました。私と同じ日に、同じ飛行機に乗って成田を発ち、パリに降り立った日本人女性がいました。私と同じく、一年の予定で語学留学に来ていた、おとなしくて可愛らしい女性でした。彼女とは、偶然私と同じパリのフランス語学校で同じクラスになり、最初の数ヶ月住んだパリの女子寮でも、同じ寮に入っていました。パリでも似たような生活をしていたのに、彼女と私の運命が全く違ってしまったのは、その1年後でした。私がパリを発って日本に帰国する日に、彼女はフランス人とフランスの市役所で結婚式を挙げたのです。私が留学中に知り合った同じ留学生の中で、フランス人と結婚して、そのままパリに残った日本人女性が3人もいます。彼女達以外にも、フランス人と結婚している日本人女性には大勢出会いました。日本人女性の国際結婚の相手国は、アメリカが一番多いと思いますが、それは、日本に住むアメリカ人と、アメリカに住む日本人の絶対数が多いからだと思います。1~2年程度のアメリカ留学では、アメリカ人と出会って結婚したという話を、私はあまり聞きませんし、私にもそれは起こりませんでした。ところが、フランスでは語学留学で1年もいると、フランス人の彼氏ができ、結婚する確立がとても高い気がしました。結婚まではいかなくとも、私がフランスで出会った日本人女性の9割近くにフランス人の彼氏がいました。最短では、1週間のお休みでパリに短期ホームステイをしている会社員の日本人女性がいました。彼女は、1週間の滞在中にフランス人の彼氏ができ、遠距離恋愛の末3年後に結婚したのです。私が通っていたのは、ソルボンヌ大学の文明講座などではなく、私立のカジュアルな語学学校でした。でも、中上級クラスにもなると、日常会話には困らなくなります。その時のクラスメイトは全員が女性、そして彼女達のほとんど全員(18人くらい)がフランス人男性をパートナーに持っていました。その出会った先は、路上でナンパ、カフェでナンパ、洋服を何度か買ったブティックの店員、髪を切りに行った美容院の美容師、Language Exchangeで知り合った、等々。さすがアムールの国です。これは、決してフランス人男性がEasyだと言っているのではありません。フランス人は一般的に、歴史のある日本文化への造詣が深く、親日家も多く見受けられます。日本人女性を求めるフランス人男性は、アメリカ人男性のそれよりも多いと感じました。それに、ストレートに分かり易くアタックしてくるのに、ロマンチックなフランス人男性と、それを有難く受け止めてくれる優しい日本人女性との相性もいいのだと思います。かくいう私も、もう少しでフランスでマダムになるところでした。パリ滞在中にフランス人と電撃婚約、電撃破局をしたのです。私が『結婚するなら欧米人』と、欧米人との結婚を具体的に考えるに最も影響を与えた男、それがその時のフランス人男性かもしれません。フリーページの、『ブランと出会う前の私』で、フランス人の元彼のことで伏線を敷いてから、はや何ヶ月?何かのヒントになるかもしれませんので、その時の思い出を、今後何回かにわけて、アップしていきたいと思います。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 3, 2005
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今回、初めて日本人男性について語ってしまいます。日本語のサイトなので、日本人の元彼のことは、ここでは書かない予定でしたが、今思えば彼らには色々勉強をさせていただきました。恋人として付き合った人、仕事を通して関わった人、また合コンなどで少しだけ関わった男性達、人生の勉強、恋愛の勉強、、、、感謝しています。90年代前半、恋人にしたい職業の常に上位にいるのが、商社マンでした。今は違うかもしれませんが、とにかく私の時代は、商社マンとの合コンは多かったし、お見合いパーティで出会ったこともあります。ただ本当に商社マンについて理解したのは、実際に商社で働いてみて、商社マンとお付き合いをしてからでした。私は以前、日本を代表する某総合商社で、派遣社員として貿易事務をしていました。20代の頃は、1~2年働いては留学したり、長期海外旅行をしていたので、派遣社員として働くほうが私のライフスタイルに合っていたのと、週末に、たまにイベントのお仕事のお手伝いをしたり、International Partyのお手伝いをしたり、冬の間は毎週スキーに行ったりと、お休みをしっかり確保したかったのも理由の一つです。正直、商社の貿易事務のお仕事を紹介された時は驚きました。外資系で登録したのに、何故日本の商社を紹介?しかも全くの未経験なのに?と思いましたが、提示された時給が、当時の派遣社員としては破格だったのと、頭にMの付く有名な商社の実態を知りたかったので、お受けしました。そして、結局、その会社で1年半働きました。その間、私の母親、はたまた友人のお母様からも、「そこに、いい人はいないの?」と聞かれる日々でした。どうやら商社マンは、母親の世代に、受けがよいようでした。さて、その実態は。。。何か物を作って売っているわけではないので、商社は『人』が財産だと思います。一時期「商社冬の時代」と、商社が淘汰される業種と語られる時期がありましたが、相変わらずその高い地位を保っています。一流総合商社は、元々実家が裕福で、高学歴の男性社員が多いです。同じ高学歴の新入社員達でも、外資系証券会社は頭脳系ですが、商社はどちらかと言うと、体育会系出身者が多く文武両道。英語以外に、中国語、韓国語、タイ語、ポルトガル語等、もう一カ国語ができるのが普通、といった男性が多かったです。ただし、社内の男性を見ていても、通常商社マンにありがちなフレンドリーで明るい感じがあまりしませんでした。少し、暗い職場でした。数年前から、一般職の正社員を採用しなくなっていた総合商社は、ベテランの30代後半から40代の女性社員であふれていました。彼女達が辞めると、派遣社員で補充するという形をとっていましたので、仕事内容は正社員と全く同じでした。そうして、商社の一般職女性はアシスタント業務で楽、というのは嘘でした。少なくとも、私のいた部署は仕事はかなり忙しかったです。20年選手のベテラン正社員の女性達と全く同じ仕事量か、それ以上だったと思います。正社員の女性は国内取引をメインに、派遣社員は、多少英語を使う、輸出入をメインにやらせているようなチームでした。取引先、数社を与えられ、受発注、為替予約、船の予約、L/Cの処理、在庫管理、決済まで全て一人で任せられます。任せてくれるがゆえに、自分の裁量でコントロールして仕事ができるので、就業後にフランス語の学校に行ったり、ジムに通うことができました。合コンや友達とのディナーもドタキャンせずにすみました。ただし、就業時間中は、私用メールの返事などはもちろん、無駄話をする暇など一切ありませんでした。3月、9月の決算前は、かなり遅くまで残業しないと仕事が終わらず、家に持ち帰ったこともあります。おまけに、夜はよく接待に付き合わされます。もちろん、これも仕事のうちとして、残業に付けさせてくれましたが、半分ホステスです。接待以外にも、歓迎会、送別会、忘年会、転勤行ってらっしゃい会、お帰りなさい会、何かしら理由をつけては飲み会の多い会社でした。日本の会社の風習なのでしょうか。接待をしている時は、彼らはとにかく飲んで、喋って、盛り上げます。いかに相手を楽しませるか、気持ちよくさせるかが、商社マンの腕の見せ所です。でも、社内の小さなグループの飲み会、はたまた1対1でのお食事となると、彼らは全く人が変わるのです。「僕の慶応の友達がね・・・」「僕がロンドンに赴任していた時なんだけど・・・」「僕の子、慶応の幼稚舎で二谷ユリエの娘と同じクラスなんだ。」商社マンと言うのは、とにかく全てが自分の話題、「俺様」の世界なのです。「すごいですね。 」 「さすがですね。 」と、彼らを持ち上げながら、私は商社マンの実態を知りました。社内で飲む時にまで、気を使いたくない、やはり男性として、自分を持ち上げてほしいのでしょう。そうして、これまた意外にも、どんなに遊んでいる商社マンでも、だいたい30歳前後で落ち着いて(結婚)しまっていました。私の知る限りの、彼らの好きな女性像は以下のとおりです。・男性をたてる人・家柄の良さ、エスカレーター式の女子大出身・一流企業の受付、重役秘書・社交性のある人こういった印象があります。もっとも私が働いていたのは、9年も前のことですので、今は違っているかもしれませんけどね。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 2, 2005
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前回の日記の続きです。私がかつてデートをしていたイギリス人証券マン、彼は日本に来て間もなかったのにも関わらず、何故か女友達が大勢いました。私が別れ話を出した時、彼はごねましたが、私に愛情があるからというより、プライドが傷ついたからだと思います。それほど追いかけてはきませんでした。恐らく、すぐに次の彼女ができたのでしょう。チビ、デブ、ハゲでない限り、とにかく、エクスパットの外資系証券マンはもてるのです。外資系の証券会社(投資銀行)は、代表的なところで、ML、MS、GS、LB、JM、NCなどがあります。(何となく名前が出しづらくて、すみません。)職種は、いわゆるプロフェッショナルと呼ばれる、トレーダー、インベストメントバンカー、エコノミスト、アナリスト等の稼ぎ頭、フロント部門とバックオフィス、アシスタント、エディター、トランスレーター、IT、といったサポート部門の大きく2つに分かれます。従業員の半数以上が、サポート部門に属するのではないでしょうか。巷でもてはやされている、年収が数千万円から数億円の『外資系証券マン』は、もちろんプロフェッショナルの人達のことをさします。外国人スタッフで、大手証券のプロフェッショナルの人達は日本に転勤になった駐在員が多く、会社が契約している家賃100~200万円のマンションに住んでいますが、サポート部門となると通常はローカル採用となり、日本人サポートスタッフと同じ待遇です。さて、いわゆるプロフェッショナルの人達は、国籍を問わず、比較的結婚の早い人が多いです。と言っても、20代後半から30歳くらいにかけてですが。学生時代からの恋人、もしくは社会人になってから友人の紹介や合コンで知り合った女性とゴールイン、というのが一般的だと思います。彼らの奥様の特徴として、以下の2点が挙げられます。・きれい系の、普通のOL。年末などになると、奥様がお子様を連れて、オフィスを訪ねてくることも多いのですが、どなたも美しい方ばかりでした。元スッチーや、他業種の普通のOLさんが多かったと思います。・キャリアウーマン一方で、奥様も同じように同業他社の同職、もしくは弁護士や会計士といったような、プロフェッショナルなお仕事をされている方もいました。学生時代(東大とか慶応)のクラスメート、仕事を通して知り合われたり、アメリカやイギリスの留学先で出会ったりされたようです。プロフェッショナル部門の外国人スタッフに限って言いますと、日本人の奥様がいる方は少なかったです。しかし、ちらほらといるにはいました。そして、残念ながら、不倫をしている男性がとても多かったです。私の友人で、某証券会社のバンカー(欧州人)と付き合っている人がいましたが、半年後に、実は彼が結婚していたことが判明するということもありました。もう一人、私が3年くらい前に、ルールズのサポートグループで知り合った女性がいたのですが、その女性は付き合っているアメリカ人男性のことでとても悩んでいました。彼も大手の米系証券会社のトレーダーだったのですが、よくよく話を聞いてみると、ナントその男性は私の知っている人でした。彼も、既婚者で子供が3人もいる人だったのです。彼らは元々アグレッシブな人が多い。忙しく、時間はあまりないが、お金はある。そのお金を使って、女性と遊んでいる人が多い印象を受けました。でも、もちろん真面目な人もいます。マイホームパパで、奥様やお子さんの為に一生懸命に働いている人もいます。そういう人達は、若い時に(日本へ留学していた時、もしくは日本で別の仕事をしていた時に)奥様と知り合って結婚して、そのまま日本に住み続けているパターンが多かったです。・ 一人、私の部署に、すごく素敵なアメリカ人のアナリストがいました。彼は若い頃に日本にやってきて、最初は英会話学校の先生だったそうです。その頃から付き合っている日本人の彼女がいたのですが、今の職を得て、財を成してから、ようやく結婚したそうです。今は、3人のお子様に恵まれ、海外で裕福な暮らしをしているそうです。・また、日本の大学に留学していた時に知り合った奥様と、若くして結婚し、今はお子様のいるフランス人男性もいました。・もう一人、NY本店で働いていたバリバリのキャリアウーマンの日本人女性が、同業他社の同職のアメリカ人男性と長い付き合いの末、30代後半で結婚という話も聞きました。以上、私の知る限り、外資系証券マンと幸せな結婚をしている日本人女性が3人はいます。彼らは皆裕福で、生活にゆとりを感じさせます。そこで、私のお勧めは、● 22-25歳くらいまでの男性で、まだ大金を手にしていない原石の状態の男性(日本の大手金融でインターンで働いているとか、アメリかのトップ5でMBAを取得中とか)と出会い(そういう人が出入りする場所、日本ならやはりクラブでしょうか)、愛を育む。● もしくは、数は少ないと思いますが40代のバツイチの人を狙う(この場合は、人の紹介か結婚相談所での紹介がいいと思います)、のどちらかが確実だと思います。● また、同じ外資系金融でも、バイサイドと呼ばれる機関投資家のファンドマネージャーですと、多少敷居が低くなり、同時に恋愛のハードルも低くなる気がします。バイサイドとは、上述の証券会社(セルサイド)の顧客で、銘柄取得のために資金を投入したり、年金を運用したりしている会社です。男性の名刺の会社名を見てみてください。有名金融機関の名前に、投資顧問とか、アセットマネジメント、インベストメント、信託銀行などの名前が付く会社がこれにあたります。大抵の証券会社は、運用部門として関連企業にバイサイドを持っています。● 更に、30歳前後の男性で、私のお勧めは、サポート部門のITやトランスレーターです。日本が好きで、自ら希望して日本に住んでいる人が多く、独身で日本に来た場合、ほぼ100%に近い割合で日本人の彼女や、日本人の奥様がいます。彼らは性格も温厚で、全くもって『普通の』サラリーマン達です。でも、同じ技術系でも、メーカーで働くよりも、金融のITのほうが待遇はいいそうです。サポート部門の彼らとの出会いは、男性、女性、既婚、未婚に関わらず、外資系金融で働いている人と仲良くなり、ホームパーティやBBQなどに呼んでもらうことだと思います。一度そのコミュニティに入ってしまうと、その後もメーリングリスト?に入れられ、お声がかかるようになると思います。実際、友人の紹介、友人との集まり、などで日本人女性と知り合っている外国人男性が非常に多かったです。私のいた会社では、社内恋愛はほとんどありませんでした。6年も働きましたが、1組しかありませんでした。ですので、同じ会社にいるよりも、その会社の社員と仲良くして、仲間に入れてもらったり、誰かを紹介してもらったほうがチャンスが広がると思います。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 1, 2005
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先日、『東京で、外国人の外資系の証券マンとお付き合いをし、彼の帰国と同時にふられてしまいました。』というメールを、私書箱にいただいた。(私書箱のほうにメールをいただいた方々、必ずお返事しますので、しばしお待ちを。)彼女のメールを読んで、やはり外資系証券マンは今も昔も変わらないのだなと実感した。いただいたメールのような件は、実によく聞く話だったからだ。私の知る限り、外資系証券マンを射止めるのは、サラリーマンの中で最難関な気がする。実際、私もブランに出会う前にイギリス人の外資系証券マンと付き合っていた。フリーページの、『ターゲットは欧米人男性』に書いたとおり、そのイギリス人男性には、六本木のアマンドで、私が一人で友人を待っている時に話しかけられた。英系の証券会社で、株のセールスをしている男性だった。1999年頃にアメリカを中心に起こった、ITバブルの影響で、当時の証券会社は好景気に沸いていた。彼の年収は、数千万円。日本に越してきたばかりの頃はレジデントホテルに住んでいたが、すぐに広尾の家賃100万円のマンションに引越した。5人家族が住むようなマンションに一人で住み、フィリピン人のメイドを雇っていた。車を買ったにも関わらず、どこに行くのもタクシーでの移動だった。週に2回くらいは会っていたものの、さほど大事にされている感がなく、ドタキャンも多かった。彼からしたら、私はシリアスな恋人ではなく、単なるデートの相手、元彼女のリストの中にも入れてもらっていないくらいの存在だったかもしれない。『すごく愛されているという実感』があまり持てなかったり、『ロングタームの付き合いになるであろう』予感がしなかった私は、彼への気持ちが少しずつ離れていき、ブランに出会った直後、彼に別れを告げた。外資系証券会社でプロフェッショナル職に就く男性達は、だいたい職場から徒歩で通えたり、タクシーで1メーターの距離にある高級マンションに住んでいるが、毎朝5時台起床が当たり前、1日の労働時間は12-15時間超が普通。企業の価値を計算して、買ったり売ったり、常に世界の資本主義市場経済の鼓動が鳴り響くような職場で、ストレスを溜めまくり、心のゆとりもない人が多い。イギリス人証券マンとの仲が、半年経ってもあまり進展しなかった頃、私は暇だった当時の会社を辞めて、もう少し仕事に生きようと(嘘)、転職をした。そこが、日本を離れる前の、私の最後の職場となった、米系の証券会社(投資銀行)だった。さて、私の話はおいておいて、肝心の皆様への『いい外資系証券マンの出会い方』ですが、長くなってしまうので、別のページに書きます。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 1, 2005
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昨夜のメールには、皆様から暖かいお言葉をいただき、どうもありがとうございました。おかげさまで、義母は小康状態を保っています。ブランも安心して会社に行きました。それにしても、カリフォルニアは暖かいですね。今も、まばゆいばかりの陽射しです。ピカーッ!!中西部には、ミネアポリス、デトロイト、セントルイス、インディアナポリスなどの大きな都市が多いですが、その中でもやはり中心となるのが、大阪の姉妹都市でもあるシカゴだと思います。街の感じはNYに似ていて、高層建築が多いです。ただ、少し郊外に出るとどこまでも大地が続き、古き良きアメリカの伝統を受け継ぐ中西部そのものの景色が広がります。先日、お話したように、私はシカゴでの買い物とピザを楽しみにしていました。今年の春、ブランとの婚約時に、結婚式に使うアイテムやプチギフトを買いに、デパートをはしごして回ったのは、実はシカゴの街です。コンパクトにまとまっていて、実に買い物がしやすいのです。特にミシガン・アベニューという通りを歩けば、だいたいのデパートが並んでいます。それから、シカゴを旅行で訪れたなら、必ず口にするであろう、スタッフド・ピザ(ディープ・パン・ピザとも呼びます)もはずせません。ピザというよりもキッシュのようで、2cmくらいの高さのパイ生地にチーズやピザソース、好きなトッピングをたっぷり入れて焼き上げます。そのパイ生地もさくっとしていて、ついつい食べ過ぎてしまいます。実は私は、ピザはあまり好きではないのですが、ナポリで食べたピザとシカゴのスタッフド・ピザだけは、別格扱いなのです。ここは、3年前にブランの実家を訪れた時、彼に連れていってもらったレストランです。↓Giordano’s730 N RUSH ST. Chicago(312)951-0747最初、『ピザ?がっかり。』と内心思ったものの、あまりに美味しくて、動けなくなるまで食べてしまったので、前回も同じ場所に行きました。色々試したい私が、同じレストランに何度も行くのは珍しいのです。そして今回もピザを楽しみにしていたのに、飛行機の時間に間に合いそうになく、行けそうにありませんでした。そのピザは注文を受けてから出てくるまでに、40分くらいかかるのです。でも、ブランが電話をかけてくれたところ、空港の近く(車で20分くらい)にもお店があることが分かりました。それがここ↓Willowbrook店641 Plainfield Rd. 630-325-6710私達は電話でオーダーし、ピザが出来上がる頃にお店に取りに行きました。きちんとTo go用の箱に入れてくれていて、お皿とプラスチックのナイフ、フォーク、紙ナプキンまでつけてくれていました。飛行機の中でそれを食べていると、「そのピザどこで買えるの?」と何人かに聞かれました。恥ずかしい。。。このピザ屋さんはチェーン店で、イリノイ州内に40店舗くらいあります。他の州は、どうなのでしょう。今のところ、NYエリア、LAエリアでは見かけたことがないです。アメリカ在住の皆さん、お近くにありますか?お金があれば、私がこの辺でお店を始めたいくらいです。国際恋愛・結婚の人気blogランキングに参加しています
Dec 1, 2005
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